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00cover.txtJuly 22nd, * 未提出01真野 一道 p82第3パラグラフ, 開始: The emergence, 終:cultur-al tradition.

02浮網 佳苗 p82第4パラグラフ-p83第1パラグラフ途中の上から7行目まで, 開始: The relaitionship, 終:two kindred peoples."

03宗 周太郎 p83第1パラグラフ途中の上から8行目から-p83第1パラグラフ終まで, 開始: John Bach McMaster critisized, 終:national danger."30

04佐藤 彩香 p83第2パラグラフ-p84第1パラグラフ, 開始: But besides, 終:foughtit throught.31

05中島 健志 p84第2パラグラフ, 開始: Professionals, 終:any professional.32 06三角 健 p84第3パラグラフ, 開始: For various reason 終:the more

powerful. 07田口 真悠子 p85第1パラグラフ, 開始: We have seen, 終:satisfied the latter.

08松尾 宗 p86第1パラグラフ-p86第2パラグラフ, 開始: Not all American, 終:common honesty.

09吉川 弘晃 p86第3パラグラフ-p86第4パラグラフ, 開始: Edward Channing, 終:entirely false.

10吉田 恭介 p86第5パラグラフ-p87第1パラグラフ, 開始: "It was all very well,"終:both deficient and distorted.

*11石田 夏月 p87第2パラグラフ, 開始: The first and most, 終:historical thought.

12平賀 拓史 p87第3パラグラフ-p88第1パラグラフ, 開始: Briefly summarized, 終:the historical professions.2

13小林 悟空 p88第2パラグラフ, 開始: The hold of the, 終:rose as Adams's fell.3

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英書講読 文学部4回生 真野一道

                                         0100-21-6499

p82 第 3 パラグラフ, 開始: The emergence, 終:cultur-al tradition.

《本文訳》

帝国主義の学校の出現は言うまでもなく複数の理由によって引き起こされた

大英帝国文書保管庫?(British Imperial Archives)で働くことは視点の変革をもたらし得る。

保守主義と、全盛期の地位の確保、優先順位、安定性とを結びつけることで、帝国主義の学校の

構成員は自然、身分の証明を過去へとゆだねた。

同時に、彼らの記述することは彼らの大衆煽動と暴動への憎悪を反映している。

米西戦争がアメリカが自身の帝国領を手に入れて終結すると、彼らはイギリスが植民地との間に抱

える問題に同情するようになった。

この時代のアメリカのプロの歴史家の圧倒的多数派はイギリスの出自であり、そしていずれにせよ、

彼らは文化的伝統を称えることに与みしていた。

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英書講読(月 4)

3 Consensus and legitimation

(p.82 第 4 パラグラフ The relationship between ~ p.83 7 行目 two kindred peoples.)

文学部 3回 浮網佳苗

【全訳】

◆The relationship between Anglo-Saxonism, a changed diplomatic climate, and the

revision of views of the Revolution was made explicit by a number of historians.

アングロサクソン気質と、変化した外交上の風潮と、独立戦争に対する修正的な見解との

間の関係が、多くの歴史家によって明確にされた。

◆Albert Bushnell Hart, noting that a new, favorable attitude toward Great Britain had

emerged in America at the time of the Spanish-American War, urged that the American

Revolution be taught as “a deep and broad Anglo-Saxon movement in which both sides

had some rights and both had some wrongs.”

アルバート・ブッシュネル・ハートは、英国に対する新たな好意的な姿勢がスペイン・ア

メリカ戦争期のアメリカにおいて生まれていたことに気づき、次のように主張したのだが、

それは、つまり、アメリカ独立戦争は「深く広範なアングロ・サクソンの運動、つまり、

その中では、双方とも正しい部分もあり間違った部分もある」として教えられるべきであ

ると。

※ …the American Revolution (should ) be taught…

※ アルバート・ブッシュネル・ハート:アメリカの歴史家、作家、教師。

◆Moses Coit Tyler deplored the “race feud” that had separated America from England.

モーゼス・コイト・テイラーは、アメリカを英国から切り離していた「人種の争い」を非

難した。

※ モーゼス・コイト・テイラー:アメリカの歴史家。

◆George Louis Beer expressed the hope that in a new diplomatic climate, “the

American Revolution will lose the great significance that is now attached to it, and will

appear merely as the temporary separation of two kindred peoples.”

ジョージ・ルイス・ビールは、次のような可能性を述べたのだが、それは、新たな外交上

の風潮において、「アメリカ独立戦争は、今現在は非常に重要だとされているが、その大き

な重要性を失い、単に、二つの同系統の人種の一時的な分離として出現するだろう」と。

※ ジョージ・ルイス・ビール:アメリカの歴史家。

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英書購読

文学部二回生基礎歴史文化系 宗周太郎

0100-23-6562

要約

アングロサクソンの宥和について。同段落は米国と英国の関係改善について歴史

家の発言を引用して示している。

p83二段落(John Bach McMaster~national danger.)

ジョン・バッハマクマスターは当時の教科書を批評して、「その男子学生は人種とい

う枷に縛られた地球上の人々と……私達が現実に、そして持続的に協調を成すこと

が可能である人々だけを憎むように教えられている」 同じ議論は他の歴史家によっ

ても、彼がアメリカの南北戦争中のブリテンの役割の評価を、従来の常識よりも好ま

しいということを述べた時に行われている。「今日、分裂していない国家は、先の

日々における嫉妬と疑いをもってではなく、友好的な勢力、さらに国際的危機にお

ける協力可能な友好国と英国をみなす」

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英書購読(月4) 担当:佐藤

P83 第 2パラグラフ~P84 第 1パラグラフ(But besides~it through.)

しかし、歴史家たちが国の利益についての概念を与えるイデオロギーの功労を説明する

のを除き、また歴史家たち自身の希望、恐れ、偏見を反映することを除き、革命の改訂さ

れた修史は、南北戦争について取り決められた意見の場合のように、公平性と客観性の壮

大な告示であった。帝国主義の学校の歴史的な業績は、年配世代である「ホイッグ党」の

歴史家たちの回顧主義の劇的な拒否、すなわち「英国の悪口をいうこと」の拒否だった。

それは「人為的」で「まがい物」の Bancroft伝統の愛国心を捨てることであり、その Bancroft

伝統の愛国心は、共有のアングロサクソンの地域社会内におけるまじめな進化について話

す「賢く、寛容な愛国心」の代わりとなる、独裁政治に対する自由についての話であった。

(帝国学校の指導者である Andrews が Bancroft のどぎつい批評家であったことは何の偶

然でもない。)今日、新しい解釈の過度な「現在気質」と呼ばれるものに対する専門職のコ

ミュニティ内からの重大な抗議はなかった。Turner へ手紙を書いたのは著名なアマチュア

歴史家の James Schoulerだった。

今、私たちはイギリスとの密接な友好同盟へと向かっている。そしてそれは祖先の熱心な

激しさとかつての学校の歴史の著者の愛国的な誇張を笑うためである。しかし、さらに進

んで、我々アメリカの独立が進化の一種で、1775 年のイギリスに対する一切の不平をアメ

リカがもってないと主張することは、こじつけの歴史である。あるいは私たち自身の南北

戦争を取り上げるためである。私は「北部」の立場から書いていると言われる。しかし、

誰も北部と南部の両方を正しく描くことはできない。人間の自由の擁護と奴隷制度の擁護

は彼らの場合において同様に正しい。両方の側に立つアメリカ人は気高く戦い、有罪判決

によって我慢強いいけにえとなった。この時代において、私は進んで過去のことを水に流

し、一握りの同胞愛を未来に与える。しかし、私たちの偉大な 4年間の苦闘のイメージは、

まだ戦い続けた世代の理想と情熱を適切に保存している。

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英書講読(月4)レジュメ 文学部2回 中島健志

学籍番号 0100235959

担当箇所 p84第二段落(Professionals~professional)

本文訳

専門家たちは現在の気質を持った、あるいはイデオロギー的なアマチュアの前身に過ぎ

なかった。もし彼らの作品が、Bancroft や Motley、Parkman、Prescott の作品、そして

彼ら自身よりも組織だって人種差別的であったならば、その理由は、彼らが、科学的な人

種差別主義が 19 世紀初頭よりもはるかに浸透していた知的風潮の中で育ったことにある。

プロフェッショナリズムの時代において、アマチュアの歴史家たちは同じ、専門家として

の知的風潮に影響された。James Ford RhodeのHistoryの第一巻が 1890年代初頭に出回

ったとき、「奴隷制度反対のパンフレット」につながった彼の「差別反対」が理由で、彼は

John W. BurgessとWoodrow Wilsonによって非難された。1906年に最終巻が発行される

まで、Rhodesは総合的に、批評家の人種差別主義の視点を持っていた。人気のあるアマチ

ュア歴史家の Sydney George Fischer は革命において、専門家としてのアングロサクソン

主義者であった。

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月4英書講読レジュメ

文学部 2回 0100235289 三角健

p.84 l.25 For various ~ l.35 the more powerful

≪本文訳≫

様々な理由により、専門職(歴史家)の仕事は(アマチュア歴史家のものより)特定の主

義には偏っていないように思われた。第一に、彼らは一見したところ中立的な制度進化に

重点を置いていた。また、彼らは、素人に焦点を当てていたアマチュアよりもよりイデオ

ロギー的に同種の支持者に焦点を当てていた。専門職の共同体の中には、これらの歴史の

M.Jourdain(*1)たちに、自分たちは散文で話していることを指摘する詩人はいなかった。

彼らの簡素な文体のしきたりと、専門職が隠し立てをせず意見を述べることへの拒否は、

客観性の名のもとに受け入れられたが、彼らのイデオロギーの前提と主張がアマチュアの

ものよりも明確ではなかったことを意味した。実際のところ、少なくとも前提は大部分で

は意識されておらず、結果としてかえって強力なものであった。

≪注釈≫

(*1) 17世紀フランスの劇作家・モリエール作の『町人貴族』(Le Bourgeois Gentilhomme)

の登場人物。貴族になりたいと願っている裕福な商人 Jourdainとその周りで起こる出来事

を描いたファルス(笑劇)。この劇中で Jourdain は貴族になるため哲学の教師のレッスン

を受ける(他にもダンスを習ったり、貴族に見える服を仕立てさせたりする)のだが、こ

の中に「散文」と「韻文」の話がある。

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月 4 英書講読

0100234611 文 2 田口真悠子

p85 第 1 パラグラフ, 開始: We have seen, 終:satisfied the latter.

私たちはプロの歴史家が、彼らの信念を反映し、そしてより強固なものにしたイデオロギ

ー的な役割を果たしてきた実績のその方法を、今まで客観的に見てきた。これは彼ら歴史

家の社会的楽観主義によって促進された。彼らの自信に満ちた社会進化論は、明白な道徳

的説明を不要なものにした歴史に、絶対的な道徳的価値を与えた。ランケの、神の壮大な

構想は彼が今まで綴ってきた歴史の客観性に疑いをもつことから守ってくれるのだという

歴史における信念のように、アメリカのプロの歴史家たちの揺るぎのない信念は彼らを守

った。彼らにとってのゆるぎない信念は、ランケにとっての神の壮大な構想と同じように、

彼らの言葉が、すべての平凡の厳格さにとって、大いに道徳的なものであるということを

保証するものだったのである。一方では公平な客観的学問、そしてもう一方では愛国心の

強い義務感、もしくは道徳的な契約(すなわち非客観的なもの)、その両者の間には緊張は全

くないのである。すなわち前者は自明の道義にかなった、そして政治的な真実を通して後

者を明らかにし、満足させるのである。

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英書講読 文学部 二回生 松尾 宗(0100-23-4399)

[全文訳]

第一次世界大戦前の全てのプロ歴史家が完全に正当な科学的手法を受け入れ

たというわけではない。特に年をとったプロの歴史家の中には以前の準プロ歴

史家の感覚(精神)の要素を持つ者もいた。ウッドロウ・ウィルソンは「我々に事

実を与えてくれ、事実だけでいい」という姿勢に疑問を持ち、以下のように述

べた。 ≪色のないあなたの絵は正しくない。事実の目録は真実を示してくれさえし

ない。あなたがその目録をより十分に、そしてより詳細に作成すればするほど、

事実はより漠然としたものになる。歴史家は根拠となるデータを示さなければ

ならないが、しかし彼は自身の印象も述べなければならない・・・。歴史家は

学識を必要とするのと同様にイマジネーションを必要とし、また率直さと正直

さと同様に熟練した芸術の素養を必要とする。≫

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2012 年度前期月4英書講読(林晋教授)Peter Novick ”That noble dream”

Chapter.3 A most genteel insurgency (pp86) 発表者:文学部二回生 吉川弘晃

0、前段落 ・一次大戦以前のアメリカ歴史学の主流は客観的事実の追究。 ・古い世代の中での反発 → 事実を求めることだけが歴史学か? 1、全文訳 エドワード・チャニング1は、事実の正確性より「誠実な印象」を重視するのを肯定的に述べ、次のよ

うに書き残している。歴史家というものは、しばしば、(以下引用部) 詳細かつ大局的に絶対的に正確なものを犠牲にせねばならぬときがある。読者の中で生まれた印象が誠実

なものであるなら、日付が全て正しいかどうか、事物名が全て正確に綴られているかどうか、そして事実

が全て正確かどうかなどさほど重要ではない。実際、事実なら絶対に正確だろうし、読者の頭に残らない

印象は完全に間違っているのである。

2、本文要旨 チャニングによれば、歴史学においては細かい事実よりも読者の印象の方が重要である。

1 エドワード・チャニング(1856-1931)はアメリカの歴史家で、主著は全 6 巻の『合衆国史』(ピューリッツァー賞

受賞)。AHA 創設期の主要メンバーの一人でもあった。 http://en.wikipedia.org/wiki/Edward_Channing(Wikipedia 英語版)

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英書講読(月4)レジュメ

86ページ最終段落、87ページ第一段落

現代史学専修3回 吉田 恭介

「それは全て問題無かった」と Hart は書いた。「ランケにとってこの「講義を始

めることは『単にそれがどういうものであったのかを話すだけであったのだ』」。し

かしHartは尋ねた「生徒は本当の意味ではランケの意味するところの『how it was』

を理解してはいなかったのではないだろうか」

さらに結果的には、第一次世界大戦以前には歴史家の中で数々の傾向が現れた。

数人の歴史家は歴史という範囲を社会的、経済的、学術的なもののみならず政治的、

法的なものにまで広げるべきであると主張した。この発展と繋げられたことは社会

科学と歴史の全体的な分割の問題であった。いくつかの観念的な異端が現れたのだ。

ひとにぎりの歴史家は歴史的事実と同時に起こる問題との関係を再考するべきだ

と提示した。変化への動きのどれもが直接的には一般的に広まっている客観性の規

範に意義を唱えるものではなかったにもかかわらず、長くからあった思考を間接的

に支えるために与えられていた歴史家の特徴がわずかに衰え出したのだ。もしかす

るとその理由の一つとして彼らがそれを感じ、新しい発展に対する伝統主義者の反

応が微細な寛容からわずかにコントロールされた怒りにまで及んだこともあるか

も知れない。それらの潜在的な挑戦が普通熟成するのに数年間要するのにもかかわ

らず、これらを無視するための戦前の調査は不足し歪曲されたものになったのだ。

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英書講読(月4)レジュメ 2012.7.18提出

P87 I章 第 2段落

文学部 2回 平賀拓史 0100233542

<概要>

アメリカの民主主義、自由主義は、ゲルマン民族から受け継がれてきたものである、とい

う”Teutonic-germ Theory(チュートン起源説)”は、19世紀後半には広く受け入れられる

学説であった。

<訳(一部意訳)>

簡潔に要約すると、チュートン起源説は、「イギリスとアメリカの民主主義・自由主義制度

は遠い昔ドイツの森の中で発展した制度を起源として成長したものであり、5~6世紀にチュ

ートン人の移動によってイギリスに伝えられた」と言っている。彼らチュートン人は、敵

対する民族であったケルト系ブリトン人を根絶やしにすることによって、自らの制度(およ

び民族の純血性)を維持した。ここで蒔かれた種こそが、イギリスの政治制度の発展に貢献

したのである。17世紀、チュートン人の子孫がこの種をアメリカ大陸に運んで行ったが、

その種はニューイングランドの地において新たに活力を得、町役員会の場で花開いたので

ある。「生物学の科学は」ハーバート・バクスター・アダムス、チュートン起源説の最も熱

狂的な後援者は言う。「もはや自然発生説には好意を示していません。いつであれ有機的な

生命が発生するときは、その生命には必ず何らかの種子が存在しているのです…イングラ

ンドの小麦が作付なしで育つことのないように、アメリカの海岸での起源がなければ地方

での自由な政治制度は成立するはずがないのです。」アダムスは長い間、自分のゼミナール

で学生に、チュートン起源説の課程を学ばせた。1880年代までには、チュートン起源説の

理論は、歴史学界では一般に受け入れられた。