Yumigahama to north-america
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~弓ヶ浜半島から北米移住した人々~
開拓精神にあふれる祖先のお話
2012年11月17日
笑い庵@鳥取県米子市西倉吉町
屋敷奈津代
鳥取鳥取鳥取鳥取からからからから北米移住北米移住北米移住北米移住のなぞをのなぞをのなぞをのなぞを解解解解きききき明明明明かそうかそうかそうかそう会会会会
• 5年前の、ごく個人的な旅のお話
• 同じような立場の人が、同じような思
いを抱えて旅に出たくなったときに、
役に立つかもしれません
はじめに
• 屋敷奈津代
• 米子市大崎の社会福祉法人で総務事務のアルバイトを始めてから2年経過
• 米子市和田町の地域交流スペース「ふる里ギャラリー」マネージャー
• 米子市和田町の「和田でワタ作り、ワタで和田作りプロジェクト」事務局
• 米子市和田町の「和田公民館ハーモニカ同好会」ピアノ伴奏・広報・会計担当
Who am I
• 34歳までは、東京の会社員
• データベース管理システムの技術者
• 百貨店のデータセンター勤務
• 証券会社のデータセンター勤務
• オープンソースのデータベース管理システムPostgreSQLユーザー会の理事
• 技術評論社でセキュリティやデータベースのIT記事を執筆
• 認証システムKerberosの解説本の翻訳者
Who was I
弓浜からの北米移住に興味を
持った理由
• 2007年4月に会社を辞めた
• サンフランシスコで開催されるIT技術者の集まりに参加するために、自己紹介スピーチを準備
• 「私の祖母はカリフォルニア州生まれです」
• 現地で、その一言がウケて、先に進めない– 「それは興味深い」
– えっ・・・、そんな私にとって「当たり前」なことより、仕事の話をしたいんですけど・・・?
– 「ぜひ、調査するべきだよ!!」
2007年4月、Web 2.0 EXPOへ
1歳の私鳥取県境港市生まれ
祖父コーイチさん
鳥取県米子市生まれ
父母がアメリカにい
た
祖母キヨコさん
ロサンゼルス生まれ
父母がアメリカにい
た
1973年 境港市中野町にて
Who am I ?
• 仏壇の中から、古い写真がでてきた
サンフランシスコから境港の実家へ
・祖母の姉の葬儀・ロサンゼルスのどこか
それくらいのことしかわからない
→「この場所に行こう」
• ロサンゼルス郊外の、エバーグリーン墓地
2007年8月、写真の場所へ到達
• 東京の自宅で、古い写真に映っている
文字などで、Googleの画像検索をしても、なにもわからない
• 鳥取県に何度も足を運ぶ
• 鳥取県国際交流センター
– 『あゆみ』安達幸一著(1978年)
– 南加鳥取クラブを紹介してもらう
まずは日本で調査してみた
• Open Source Conference 2007(OSCon)出席と取材のため、オレゴン州ポートランドに滞在
• サンフランシスコからロサンゼルスに行く直前に、現地で会うつもりだった日系人の子孫に会えないことになる
• 調査の手がかりを失う
• 夏のサンフランシスコは寒いので、とりあえずシリコンバレーに滞在
2007年4月から7月
• ロサンゼルス行きは、半分あきらめていた
• シリコンバレーの日本人エンジニアの集まりに出席
• Oracleの林さんによるOpenCVの技術的な話を楽しんだ
• 朝日新聞のシリコンバレー支局(当時)の記者と、サンフランシスコの日本領事館の職員も出席していた
• 「全米日系人博物館」に行けば、何かがわかるんじゃないかと言われる
2007年8月
• 一度、サンフランシスコに戻った
• 新聞記者から「シリコンバレー支局がなくなって、ロサンゼルス支局に統合される。明日からロサンゼルスに行くけど、仕事が休みの日に、あなたの調査に協力する時間があるかもしれない」とメールがくる
• 翌日の朝の飛行機でロサンゼルスへ
シリコンバレーからサンフラン
シスコへ
• ロサンゼルスの美術館– 美術の専門家に写真を見てもらう
– 「ああ、エバーグリーン墓地ですね」
– 「この建物は、まだありますよ」
– 「写真家『宮武東洋』の撮影ですね」
– 「メリノール幼稚園からの花輪が映っていますね。この幼稚園も、まだありますよ」
– 「いい葬式ですね」
亡くなった大叔母の葬式写真を一瞥しただけで、すらすらと写真の中のつながりを紐解いてくれた
もつれた糸が解ける
• ロサンゼルスのリトルトーキョー
から歩いて行ける
– 曽祖父母2組の入国記録と、国勢調査の記録がマイクロフィルムに保存されていて、係員が探してくれた
– 当時、祖母が住んでいた場所が判明
– 強制収容所などの展示を見る
全米日系人博物館http://www.janm.org/
100 North Central AvenueLos Angeles, California 90012電話: 213.625.0414ファックス: 213.625.1770
• 日系移民の歴史を、なにも知らなかった
• 強制収容所の話も、聞いたことがなかった
• つらい過去があっても、私自身は、英語が話せて、アメリカで仕事をすることを前向きに考えられるように、教育してもらっていた
I’m speechless...
アメリカで調査していると、偏見に基づく心ない言葉に傷つくこともあった
• 日本を捨てた人
• 金の亡者
• 日本で差別されていたからアメリカに来た
→正しい知識がなかったから、傷つくしかできなかった
日系移民に対する偏見
現地で知識を支えてくれた本
アメリカ滞在時の座右の書
著者:安達幸一
出版:1978年
鳥取県米子市和田町(旧・和田村)出身一世パイオニアのアメリカ渡航は、政治的、宗教的な迫害によってなされたものでなく、自らの意志による経済的な立場の向上を求める為のものであって、アメリカに永住することを決心してはいなかった。それはこの人達が村を離れる時に残したといわれる「3年たったら帰ってくる」との言葉によっても明らかである。(p3 はじめに)
『あゆみ~南カリフォルニアの
和田町人~』
• 西暦733年頃、弓浜半島は「夜見島」と呼ばれ、JR和田浜駅のあたりで、美保湾と中海が通じていた
• 日本海側から砂が堆積し、陸続きの半島になった
• 和田村のあたりは、1673年頃から開拓された
• 1704年頃、半島中南部にも人が住めるようになった(1702年から米川用水の開削工事が始まる)
• 綿作は1676年頃から始まる。1887年頃が最盛期で全耕地の1/3以上が充てられた→1896年の外綿輸入税廃止語、養蚕へ
• 尋常小学校の後は、弓浜高等小学校(上道)にて教育。 1899年に米子に鳥取第二中学校が設けられる。
• 1935年頃が養蚕の最盛期。耕地の8割が桑畑
弓浜半島の開拓とその精神的風土
• 1892年に境港市上道町の足立儀代松氏が、バンクーバー近くのスティーブストンに渡航
• 1895年第1期移住(9名)上道村から6名
共同生活を営み、漁業に携わる
• 第2期移住(1898年)上道村、余子村、中浜村、富益村、鳥取市より
• 第3期移住(1899年)上道村、外江村、余子村、富益村より
• 第4期移住(1900年)前3回のカナダ渡航により、アメリカ大陸への関心が高まり、約70名が渡航。
50名がカナダ、20名がアメリカ合衆国に入っている
弓浜地方のカナダ渡航
• 明治4年(1871年)の「新貨条例」
– アメリカのドル金貨とほとんど等価な円金貨
• 明治30年(1897年)の「貨幣法」による金本位制
– 新金貨がアメリカドル金貨のほぼ半分となった
日本(鳥取県)の賃金、アメリカの賃金、対米為替相場を比較して考えると、アメリカ渡航が注目されたのは当然であった
日本の賃金と対米為替相場
• 明治33年(1900年)
– 矢倉文市
• 明治36年(1903年)
– 矢倉梅蔵
その後、1904年、1905年、1906年、1907年で合計27名が渡米。
内、一家の長男が15名
和田村からの渡米
• 境安田鉄蔵
• 上道川尻慶太郎 安原金蔵 堀田幸市 稲田直松 西山道一 藤本大吉 門灘仙市 門永彦一
打越亀太郎 門永七之助往西春衛 藤本植太郎梶野若松 本池房一 川尻勇太郎足本保
• 外江松浦八蔵 三宅万吉 榧野武徳 佐伯重秋
• 森岡渡辺乙次郎 角仙吉 渡辺正雄 榧本文太郎 角貞次郎 角文重 門脇安次郎 浜田徳松
角重孝 渡辺常敬渡辺清録
• 渡門脇儀太郎 松本鍈吉 庄司武次郎 門脇敏 松本鹿市 松本岩松
• 中野佐々木節造 寺本儀太郎 池淵勇吉 都田多市
• 竹内富田良吉 竹中久寿 納原長太郎 福島亀重 渋山徳寿 屋敷峰一 湯尾文太郎 面谷松之助
大谷林太郎景山恒一 中谷吉郎 村上新太郎荒谷富栄 北村義吉 南條栄太郎
弓浜地方出身南カリフォルニア在住者(1909年頃までの入国者)1/4
• 高松武良勝太郎
• 福定左近益栄 左近慶基
• 小篠津新藤謙吉 古沢繁吉 永見安貞 宮本栄録 角重冶 角清太郎 永見熊次郎
松篠哲 木村亀太郎
• 新屋足立光重 河尻雪寿 田口益一
• 佐斐神河岡修一 河岡潔 井田三三 井田賢太郎
• 大篠津安田純一 安田廉造 安田金重 浜田峯造 本池由亀 本池大作
弓浜地方出身南カリフォルニア在住者(1909年頃までの入国者) 2/4
• 和田矢倉文市 矢倉梅蔵 井田菊松 米沢捨松 安達政市 吉田松太郎 池淵繁義 谷口猪之吉
安達幸栄 楠栄松 矢倉照松 角猪之吉 大倉敬誠 矢倉秀太郎 安達益栄 吉田大作
小笹義隆 米村栄晴 桜井藤市郎 安達利秋 角虎太郎 川上鉄太郎 河田隆義 後藤長台
山中重忠 倉島岩松 井田斉
• 富益木村久馬造 永見宗治 松下長寿 門脇栄孝 足立源太郎 足立静一 木村忠徳
木村甚右ヱ門 松本信吉 河田幸太郎 長谷川正晴
• 夜見渡部長蔵 足立浅市 松本正命 足立武彦 足立長寿
• 河崎岩鹿豊 多賀善信 岩尾健三 東政市
• 福米相野藤吉 原田安次郎 児島正義
• 米子金森熊太郎
弓浜地方出身南カリフォルニア在住者(1909年頃までの入国者) 3/4
• 彦名木西大二郎 田内房松 木山徳松 遠藤彦太郎 近藤恒太郎 出口仲太郎 五畑文平
西尾藤太郎 柴田米市 川崎一雄 公本儀市 岩浅政彦 岩田安太郎 岩田忠治郎
藤井好 遠藤節造 川崎近平 藪中常平 遠藤政好 末葭吉太郎 高瀬萱茂
• 大崎渡部鶴松 松本時雄 矢倉久次郎 小笹熊市 松本岸雄 松本熊雄 渡部豊栄
渡部善重 松本虎次郎 松本敬太郎 松本修二郎
• 葭津安田源太郎 安田甚次郎 吉岡直次郎 山口芳松
弓浜地方出身南カリフォルニア在住者(1909年頃までの入国者) 4/4
• 1900年~204人
• 1910年~8461人
1906年4月にサンフランシスコで大地震
→多くの日本人がロサンゼルスへ移転
当時、サンフランシスコ地方で日本人排斥運動が激化
ロサンゼルスは日本人も少なく、新しく発展するときでもあり排日の気運も少なかった
ロサンゼルス・カウンティの日本人
余子村からの移民、屋敷峰一
余子村からの移民、屋敷よし
余子村の屋敷峰一の父、屋敷六太郎
余子村の屋敷峰一の娘、屋敷智代子
崎津村の小笹一壽
崎津村の小笹なつよ
1910年の国勢調査
峰一さんは、単身で渡米。労働者として共同生活をしていた
1920年の国勢調査
峰一さんとよしさん夫婦は20代。3人の子供が生まれている。喜代子さんが、私の祖母。
1930年の国勢調査
経営者になった30代の峰一さんとよしさん。3人の子供のうち、2人は教育を受けるために日本に帰国、体の弱かった智代子さんが残っている。
第二次世界大戦第二次世界大戦第二次世界大戦第二次世界大戦
日系人を先祖に持つ誇り
• 日本人は渡米後、ガーデナー(庭師)として職を得ることが多かった
• 勤勉な仕事ぶりが評価されていた
• 日系一世が詠んだ川柳の句集を見て、過酷な生活の中でも、次世代に高等教育を受けさせ、将来の日本に夢を抱いて頑張っていたことを知った– 「握手する手にこの人もガーデナー」
– 「花植える背に百姓の型残る」
– 「感謝さる便り小包また送り」
– 「晴耕も雨読もあって満ち足りる」
日系人収容所
• 屋敷一家も、収容所生活を来る
– 曽祖母が晩年、当時の生活を急に思い出して「二階で見張りをしなくちゃいけない」と、英語で言うようになる
• 葬式の集合写真を撮ったカメラマン、宮武東洋氏も収容所に入る
– 収容所の中で、撮影を行う
– 戦後、カメラマンとして活躍する
That’s why I work for Wada society in Yumigahama.
• その後・・・
• 鳥取県に戻りました
• 曽祖父母が故郷に帰りたかったのはなぜかを考え、当時の文化をたどりながら、2009年に、自分でも、綿を、曽祖父母が綿をつくっていた畑で作りはじめました– みん畑!富益農園のことです
• 『あゆみ』の著者の出身地である米子市和田町と縁があって、地域おこしの活動を手伝っています
• 弓浜半島で暮らせるといいなと思っています
• かつての私のように、昔のことを知りたくて困っている人がいれば、助けになりたいと思っています
That’s why I work for Wada society in Yumigahama.
We know Yumigahama people had a “pioneering spirit”.
2012年11月11日
崎津公民館祭(米子市大崎)
Questions?
Thank you ☺