『鍾山卽事』 一鳥不啼山更幽 茅簷相對坐終日 竹西花草露春柔...

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― 111 ― 33 西西十三人陵石人 南京郊外 山陵は明の太祖の孝陵、ほかに呉の大帝、晉の元帝・ 明帝・成帝・哀帝・宋の武帝・文帝等の諸陵がある。 後方の錘山は、齋の孔稚圭の草堂がある。 目次へもどる 次ページへ

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丞相病あつかりき

 

この「蜀相」

の詩を読むと、

まるで自分が丞

相祠堂前に行っ

ているような錯

覚におちいるの

である。

悠久の名作シリーズ(33)

『鍾山卽事』  王 安石

 唐宋八大家の一人で政治家でもあった王安石が、晩年隠

棲していた鍾山で高尚な情趣を詠じた名作である。

 鍾山即事   王安石

澗水無聲繞竹流 澗水聲無く竹を繞め

って流る

竹西花草露春柔 竹西の花草春柔を露あ

らわ

茅簷相對坐終日 茅ぼ

簷えん

相對して坐すること終日

一鳥不啼山更幽 一鳥啼かず山更さ

に幽ゆ

なり

字 解

 鍾山即事=単に「鍾山」とのみ題している本もある。「鍾

山」は、今の江蘇省南京の東北郊外にある名山で蒋山とも

北山とも紫金山ともいう。作者は晩年、その山と市街の中

間に隠棲していた。「即事」はその場、その時の眼前の景

色や様子を詩に作ること。この山は低山ながらも非常に広

い裾野を持ち山域いっぱい広がる森林は、大都市南京のオ

アシス的存在になっている。旧称である「南京鍾山」の名

で、中国の国家級

風景区にも指定さ

れている。

 澗水=谷川の水

 

春柔=若草のや

    

わらかさ

 

露 

=あらわす

    

別に「弄」

    

としてい

    

る本もあ

    

茅簷=草ぶきの家

   の軒下

相對=鍾山と相対

   する

十三人陵石人 南京郊外山陵は明の太祖の孝陵、ほかに呉の大帝、晉の元帝・明帝・成帝・哀帝・宋の武帝・文帝等の諸陵がある。後方の錘山は、齋の孔稚圭の草堂がある。

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意 解

▽鍾山の見たままを詠う

 谷川の水は音もなく、竹林を繞って流れている。その竹

林の西には、花や草が、天の光のもとに如何にも春らしい

気分を表している。

 自分は茅か

葺ぶき

の軒の下で、一日中鍾山と向き合って座って

居ると、鳥の鳴き声一つなく山は一層静かである。

鑑 賞

▽承句

 「春柔」の語は、王安石以前の詩には出てこない。ただ

歴史書の中に用例がある。南北朝の北魏の歴史書に「仰い

で祖業を歌い、俯して春柔を欣よ

ろこ

ぶ」とある。春の穏やかさ、

春の恵み(ここでは天子の恵み、平和な世の有り難さをい

う)に用いられている。この語によって山荘は柔らかく包

まれ閑けさにのんびりした明るさが加わった。

▽転句

 「相對して」は作者が、茅葺の家で人と相対すると解す

るか、茅葺の家と相対するかなどの解釈も可能であるが、

鐘山に向かい合っているととる。

▽結句

 この詩のポイントは結句にある。

※一つは 六朝梁の王籍の詩に「若じ

ゃく

耶や

渓けい

に入る」というの

がある。(若耶渓は紹興の近くにある名勝)その二句に

蟬噪林逾靜  蟬噪さ

わが

しゅうして林逾

いよいよ

靜に

鳥鳴山更幽  鳥鳴いて山更に幽なり

の句がある。これは蟬や鳥の声を点出する事により、却っ

て林や山の静けさを際立たせたる効果を狙った手法とし

て、よく知られている。王安石はそれを更に捻ひ

って「一

鳥啼かず山更に幽なり」とした。巧妙に逆用した句とし

て古来有名である。ちなみに漢詩通の芭蕉(一六四四〜

一六九四)は王籍の「鳥鳴山更幽」の句を想い、王安石が

捨てた「蟬噪林逾靜」の着想を得て次の俳文及び俳句を残

している。

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山形領に立石寺という山寺あり、(中略)岩上の院扉を

閉ぢて物の音聞こえず(中略)佳景寂寞として心清み行く

のみ覚ゆ 

閑かさや 

岩にしみいる 

蟬の声(奥の細道より)   

 

良寛にも(一七五八〜一八三一)『風定花尚落 

鳥鳴山

更幽(風定まりて花尚落ち 

鳥鳴きて山更に幽なり)』の

句があり、王籍の詩をまねている。

※二つめは「幽」の解釈として 

この鍾山の麓の山荘の有り様を幽ととらえる。それはとり

も直さず自分の生き方、心持ちの有りようを表すものであ

る。奥深く静かな、俗世間の煩わしさとは無縁の世界を品

の良い穏やかな風趣としてを表現している。王安石晩年の

作といえる。

補足① 

王安石は、古人の詩句を選んで繋つ

ぎ合わせ集句

の詩を作るのが得意であったといわれている。梁の謝貞

が八歳の時の詩に、「花猶舞○

」とあったものを、王安石が

「花猶落○

」に改め、そのため詩が一層巧みになったという

事が、宋の許き

顗がい

の「彦げ

周しゅう

詩話」に記されている。又、梁

の王籍の「鳥鳴いて山更に幽なり」の句に、謝貞の「風

定って花猶落つ」の句を並べて「風定花尚落・鳥鳴山更幽」

と一聯れ

にまとめ、面白く趣深い作品に仕上げているのは、

甚だ巧妙である。

補足② 鍾山即事に続く、季節の山荘の閑和を詠った詩。

 初夏即時   王安石

石梁茅屋有灣碕 石梁茅ぼ

屋おく 湾わ

碕き

有り

流水濺濺度兩陂 流水濺せ

濺せん

として 両り

ょう

陂ひ

に度わ

晴日暖風生麥気 晴日暖風 麦ば

気き

を生じ

緑陰幽草勝花時 緑陰幽草 花か

時じ

に勝る

  石の橋、茅葺の家、曲がりくねった堤の岸辺、水はさら

さらと二つの堤の間を流れ、晴れた日差しと暖かい風の中、

麦の香が漂う。

 緑の木陰、ひそかに茂った草は花の季節よりも遥かに美

しい。

王安石 一〇二一―一○八六

▽革新政治家であった王安石

 北宋の詩人、文章家、政治家。唐宋八大家の一人。撫州

臨川(江西省)の人。字

は介甫、半山と号し、臨

川先生とも呼ばれた。幼

い頃から文章を作る事が

素早く、若い時から好ん

で本を読んだ。記憶力は

抜群で一度目を通したも

王安石肖像

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のは生涯忘れなかったとい

う。仁宗第四代皇帝の慶暦二

年二十二歳で進士に合格。神

宗第六代皇帝から信頼を得て

宰相に任じられ、新法を実施

して財政の建て直し等に実績

をあげたが、保守派の反撃を

受け、元豊八年神宗が崩じ保守派が政権を握り新法はこ

とごとく廃止された。政治家としては「名官僚」と言わ

れた。王安石は元豊二年隠棲していた鍾山で新法廃止の

報に接した。その翌年元祐元年失意の中六十六歳の生涯

を終えた。

▽文章家 唐宋八大家の一人であった王安石

 南宋の頃から、韓愈、柳宗元、蘇軾の評価は揺るぎなかっ

たが、明の初めごろから八人に定まり、明代後期、茅ぼ

坤こん

が「唐

宋八大家文鈔百六十四巻・文読本三十巻」を編し、和刻本

が何種類も出版されるほどわが国で流布した。

 また王安石は杜甫の影響を受け、その詩風は雅麗と評さ

れる。特に絶句においては、北宋第一とされる。叙事詩(古

詩)にも傑作が多い。「王荊公詩」五十巻「王半山詩箋註」

などは天保七年刊の官版もあり日本の内閣文庫に蔵されて

いる。

唐末八大家

 中国、散文に於ける唐代・宋代のもっとも優れた作家八

人の総称

 唐代 韓愈、柳宗元

 宋代 歐陽修、蘇洵、蘇軾、蘇轍、曾鞏、王安石

参 考

 宋 北宋( 九六〇〜一一二七)二六八年間 九代

   南宋(一一二七〜一二七九)一五〇年間 七代

神宗

太宗(宋)台北故宮博物館蔵

太祖①

北宋

南宋

太宗②

真宗③

仁宗④ 英宗⑤

神宗⑥

哲宗⑦ 徽宗⑧

高宗(南宋①)

欽宗⑨

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王安石を宰相に起用

して、新法による改革

を行ったが、混乱を引

き起こした「元祐更化」

で王安石の新法を否定

したが「紹聖紹述」で

は復活させた。

悠久の名作シリーズ(34)

『獨不見』  沈 佺期

  晩秋 わび住まいの若妻が 

        遠征中の夫を憶う

 獨不見    沈佺期

廬家少婦鬱金堂 廬ろ

家か

の少婦 鬱う

金こん

堂どう

海燕雙棲玳瑁梁 海燕雙そ

棲せい

す 玳た

瑁まい

の梁り

ょう

九月寒砧催木葉 九月寒か

砧ちん 木葉を催し

十年成戌憶遼陽 十年成せ

戌じゅ 遼陽を憶う

白狼河北音書斷 白狼河北 音書斷た

丹鳳城南秋夜長 丹た

鳳ほう

城南 秋夜長し

誰爲含愁獨不見 誰が爲に愁いを含む獨不見

更教明月照流黄 更に明月をして流り

ゅう

黄おう

を照らさしむ

作者について

 六五六〜七一四?初唐の詩人。相州(河南省安陽)の人。

字は雲卿。六七五年の進士で、則天武后の時代に権勢のあっ

た張易之に取り入って宮廷詩人として活躍した。その後政

府の要職に就いたが、武后政権が倒れ、後ろ盾もいなくな

り、次の中宗に政権が移った七〇五年に収賄の罪で驩か

州(北

ベトナム)に流された。その後都に呼び戻されると、再び

要職に就き、皇太子付の役職を得るまで出世した。律詩の

スタイルを完成した人として名があり、宋之問と並んで「沈

宋」と称される。「唐詩選」にはこの詩のほか五言排律二題・

七言律詩五題・七言絶句一題が収められている。中でも玄

宗皇帝の天下の隆盛を願った七言絶句「龍池篇」は高い評

価がある。

語意と意解

▽歌題

 「唐詩選」には「古意」(昔風な趣きを引き合いにし作っ

たという意味)とある。妻が遠征する夫を案じたテーマは

唐以前からくりかえして詠われていたので、先行漢詩も多

い。それらを参考にしているので「古意」としている。「全

唐詩」には「古意、補ほ

闕けつ

の喬き

ょう

知ち

之し

に呈す」(昔風な歌で、

鐘山・王安石の故居(南京)

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