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2 あしぎん経済月報 Vol.62 2014年7月号 Top Interview No.42 Sustainable 創業からの足取りを教えて下さい 石井 私は茨城県新治郡志筑村(現:かすみ がうら市)の出身で6人兄弟の末っ子として 生まれた。実家は小さな農家で貧しかったが、 中学1年の時に父が亡くなり、兄も徴兵され たことで、さらに厳しい境遇となった。家業 の農業は母と姉で行い、私も高校には行けず、 中学を卒業すると家業の農業を手伝って生活 を支えていた。農業を手伝いながら、土木工 事の作業員としても働き、河川工事のトロッ コ押しなどの仕事をしていた。毎日、朝5時 に起き、弁当を持って工事現場に行っていた ことを覚えており、今でも茨城県に帰る際に は、自分の工事した河川を通り、当時の苦労 を思い出す。 19歳の時であったが、母より「もう家に居 ても仕方ないだろう」と言われ新たな仕事を 探すことにした。当時は、高校を卒業してい ないと採用してくれる企業はなく、中学しか 出ていない私を採用してくれる企業は町工場 などで、将来に渡って勤める職業ではないと 考えていた。そこで「30 歳までに家を建てる」 当社は埼玉県さいたま市に工場を構える中華麺製造メーカー。当社の作る中華麺は、多くの料 理人に認められ、ラーメン、焼きそばとして我々の「食」を満たしてくれている。 当社の作る製品の源泉は、代表者の職人としてのこだわりであった。 させていただき、その企業の特徴や強み、今後の課題等を紹介させていただく コーナーである。 さすてなぶる(=サステナブル):「持続可能性」という意味。 サステナブルという言葉には、単に維持・持続できるということだけでなく、 次世代に向けた発展を追求し続けるという意味合いが含まれている。 本項では、あしぎん総合研究所の会員企業の中から、毎月1社訪問インタビュー 30歳までに自分の家を建てる 妻と2人で始めた 小さな中華料理店。 裸一貫のスタートから、 料理人が納得する 製麺メーカーに成長。 当社商品の源泉は、 職人としてのこだわりだった。 豊華食品工業 株式会社 訪問先企業 代表取締役社長 石井 實

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Page 1: Top Interview Sustainable NoTop Interview Sustainable No.42 との決意をし、東京へ行くことを決めた。 当時は家を建てることなど夢物語で家族か らも反対されたが、決意を胸に抱き、土木作

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Top Interview

No.42Sustainable

創業からの足取りを教えて下さい石井 私は茨城県新治郡志筑村(現:かすみがうら市)の出身で6人兄弟の末っ子として生まれた。実家は小さな農家で貧しかったが、中学1年の時に父が亡くなり、兄も徴兵されたことで、さらに厳しい境遇となった。家業の農業は母と姉で行い、私も高校には行けず、中学を卒業すると家業の農業を手伝って生活を支えていた。農業を手伝いながら、土木工事の作業員としても働き、河川工事のトロッ

コ押しなどの仕事をしていた。毎日、朝5時に起き、弁当を持って工事現場に行っていたことを覚えており、今でも茨城県に帰る際には、自分の工事した河川を通り、当時の苦労を思い出す。 19歳の時であったが、母より「もう家に居ても仕方ないだろう」と言われ新たな仕事を探すことにした。当時は、高校を卒業していないと採用してくれる企業はなく、中学しか出ていない私を採用してくれる企業は町工場などで、将来に渡って勤める職業ではないと考えていた。そこで「30歳までに家を建てる」

 当社は埼玉県さいたま市に工場を構える中華麺製造メーカー。当社の作る中華麺は、多くの料理人に認められ、ラーメン、焼きそばとして我々の「食」を満たしてくれている。 当社の作る製品の源泉は、代表者の職人としてのこだわりであった。

させていただき、その企業の特徴や強み、今後の課題等を紹介させていただくコーナーである。

さすてなぶる(=サステナブル):「持続可能性」という意味。サステナブルという言葉には、単に維持・持続できるということだけでなく、次世代に向けた発展を追求し続けるという意味合いが含まれている。本項では、あしぎん総合研究所の会員企業の中から、毎月1社訪問インタビュー

●�30歳までに自分の家を建てる

妻と2人で始めた小さな中華料理店。裸一貫のスタートから、料理人が納得する製麺メーカーに成長。当社商品の源泉は、職人としてのこだわりだった。

豊華食品工業株式会社

訪問先企業

代表取締役社長      石井 實 氏

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との決意をし、東京へ行くことを決めた。 当時は家を建てることなど夢物語で家族からも反対されたが、決意を胸に抱き、土木作業で貯めた5,000円を持って昭和26年の “三の酉※1の日” に東京に出てきた。しかし、東京へ行くと言ってもあてがなく、仕方なく母方の遠い親戚のつてをたどり、北千住のラーメン店に世話になることにした。 ラーメン店では製麺所の担当となり、朝3時に起きて麺を作り、小菅、綾瀬、堀切、小岩、八幡と配達に回り、帰ってくるのが午後3時の生活であった。2年間製麺所を担当したのち、お店に異動し、皿洗いから出前、調理場まで担当したが、仕事は休みも少なく、月給も安い厳しい職場であったので、人に使われるのでは損であり、少しでも早く独立をするべきだと考えていた。独立に向けてお金を貯めるため、休日にはどこへも行かず、風呂に入ってただ寝るだけの生活を送っていた。

現在へのターニングポイントを教えてください石井 昭和35年、27歳の時であったが、東京の板橋に小さな店舗を借り、妻と2人でラーメン店「珍来」を開業させた。当時は床店(とこみせ)と呼ばれ、昼間は店舗として営業し、

※1 三の酉(さんのとり):毎日に干支一二支を当てて定める日付法で、11月の三度目の「酉」にあたる日を指す。

夜は店を閉めて寝泊りをする形態であった。当時の店舗周辺には「新日鉄」や「日本金属」など大手企業の工場があり、夜中12時半の食事まで出前で対応するなどがむしゃらに仕事に取り組んだ。 徐々に仕事も軌道に乗りはじめ、「店を大きくし、宴会の出来るお店を作りたい」と考え、昭和38年に店舗と地続きの50坪の土地を買った。そして、昭和39年に念願の家をその土地に建てることが出来たのだ。東京に出てくる時に決意した目標が達成した瞬間であった。夢を達成出来たので、田舎の親戚を呼び寄せ盛大に宴会を催したのを覚えている。 夢中で仕事をしているうちに、店舗も12・13店舗に広がり、「どうせなら、若い頃覚えた製麺をやってみたい」と考えるようになった。当時は麺を製麺業者より仕入れており、全店で150万円程度の仕入れが発生していたこともきっかけの一つであった。それで、創業した店舗の近くに小さな「珍来製麺所」を開設したのが、昭和57年の時である。 すべての店舗の麺を自家製麺に切り替え、お客様より好評価をいただいていたが、口コミで広がり、同業者から “分けてほしい” などの声もあり、小さな工場では対応できないほどの注文が殺到し、製麺工場を拡大しなけ

●�小さな貸店舗で開業

創業時店舗

工場内

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ればならなくなってしまった。銀行の応援などもあり、目星をつけていた土地を手頃な価格で手に入れることができたこともあって、現在の本社所在地である板橋区舟渡に新工場を稼働させることが出来た。新工場では機械の導入により、今まで25㎏の袋で8袋程度の製麺能力であったのが、45袋にまで拡大することができ、取引先も料理人から料理人に口コミでひろがり、爆発的に増えていった。これが今の礎である。

現在の事業内容を教えてください石井 さいたま市に工場を構え、ラーメンや焼きそばに使われる中華麺を製造している。主に飲食店で使われる業務用が全体の7割を占め、一部大手コンビニやスーパーへも卸している。取引先数は約900先に及ぶ。 当社の麺は「手作りにこだわる」との考えを創業当時から変えていない。昔は粉自体の品質も悪く、現在のような良質のものは少な

かった。製麺しても色が変わってしまうことなどはよくあったが、機械に頼るのではなく、自分の手で練った感覚、感性を大事にしようと考えた。機械では、人間の手にはかなわない領域が必ず存在しているのだ。機械化が進んでいる現在においても、あえて当社の製麺ラインは一貫しておらず、どこかで一旦切れる形を採用している。一旦切ることでグルテン※2などが上手く調合され、麺そのものの“うまさ” につながっているのだ。 昭和60年に「珍来製麺所」から「豊華食品工業」として製麺事業を独立し、現在に至っている。

商品について教えてください石井 飲食店の料理人は一本たりとも他の店と同じ麺は使わない。当社の取引先は業務用

※2 グルテン:小麦、大麦、ライ麦などの穀物の胚乳から生成されるタンパク質の一種。

●�手作りにこだわる

●�料理人が選ぶ麺

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が主であり、取引先はすべて自分の店の料理にこだわりを持っている。各飲食店のオーダーに従った “太さ、細さ、堅さ、ちぢれ具合、モチモチ感”など、種類は3百通り以上に及び、各飲食店のこだわりに対応できる体制を敷いている。 都内で有名なラーメンチェーンである「博多天神」※3とは長い付き合いである。当時、こだわりのラーメンを追い求めていた現社長が、当社の麺を使っているラーメン店で食事をし、麺の入っている箱を見て当社に問い合わせてきたのがきっかけである。「博多天神」の店舗拡大とともに当社も大きくなり、11店舗で1日一万食を達成したこともあった。 量販店向けでは、最大手コンビニチェーン

※3 博多天神:東京都で有限会社近江商事が経営するラーメン店

での採用も決まっていたが、製麺へのこだわりから欠品を起こしては迷惑をかけるとの理由で断ったこともある。

次の一手は石井 この会社は従業員あっての会社である。優秀な人材を他から採用するのではなく、自社で人材を育て、みんなで盛り上げ、みんなで良い生活をしようと常々言っている。運もあり現在に至っているが、人との繋がりで支えてもらっている。「理想のある人生に老いは無い」と教えてくれた人もおり、つくづく人脈は大事と感じている。 製麺業界は企業数も多く、大手メーカーも参入しているが、中華麺専門としては当社ぐらいであろう。「うどん」や「そば」などに進出するつもりは全く無い。また、餃子の皮の製造も一部行っているが、量販店向けに積極的な展開をしようとは考えていない。やはり業務用の中華麺を中心に展開することで、自然と餃子の皮の需要が付いてくると考えている。 また、今後の展開についてだが、出来れば現工場内に、人の手を一切介さない全自動ラ

●�みなさんに喜んでもらいたい

製麺ライン

やきそばライン

製麺ライン

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6 あしぎん経済月報 Vol.62 2014年7月号

会社概要

足利銀行浦和支店 渡辺支店長 より一言

取材後記

 出身が茨城県であり、県人会の活動なども積極的で、工場を茨城県に移してほしいとの勧誘も強い。しかしコストもかかることであり、慎重に新たな展開を考えた上で検討していきたい。何でも大きく広げようとすると値段でたたかれ仕事が雑になる。 みなさんに喜んでもらうために、自社製品の質を上げていくことが最も大切である。

インを一部導入したいと考えている。量販店向けへの展開を考えたときに、コストや衛生面からは効果的であり、総合的にメリットも出てくると考えている。現工場で業務用のこだわりの部分と、量販店向けの大量生産の部分を併せ持つことで、現工場の価値向上が図られ、効率的な新工場に成長出来ると考えている。それらに向け、工場内のレイアウト変更なども視野に入れている。決して量販店向けのシェアを増やそうとは考えておらず、様々なケースに対応できる工場とすることが目的である。量販店用のシェアはどんなにあっても3割以下であろう。 昔から、食品製造に携わる者として、地域貢献活動、社会貢献活動を続けている。東日本大震災時にもラーメンを提供し、福島の人たちに感謝されたが、「何か災害があったときに、少しでも手助けが出来ないか」との考えが根底である。地元のマラソン大会や祭りなどにも利益度外視でラーメンを提供しているが、これからも積極的に地域貢献や社会貢献を、ラーメンを通じて行っていきたい。

聞き手:あしぎん総合研究所 主席研究員 豊田晃

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7あしぎん経済月報 Vol.62 2014年7月号

会社概要

足利銀行浦和支店 渡辺支店長 より一言

取材後記

 この度は、お忙しい中取材にご協力頂きまして、誠に有難うございました。 浦和支店に赴任後間もなく当社の工場見学をさせていただきました。まず感じたのが、従業員皆さんの明るくキビキビしている姿で、インタビュー内にもありますが社長の思いが従業員に伝わっていると感じました。 当社は、ラーメンの製麺をメインに業務用で業容を拡大してきました。多様な取引先(ラーメン店)の期待に応えられる小麦粉をブレンドするノウハウ、麺の食感や太さや形に対応できる技術、又出荷までの鮮度を保つ倉庫・・・。焼きそば麺はスチームと冷却作業が必要な為、製造工程が複雑な圧巻の設備で、その味は得意先の評価を得ています。創業以来変わっていない当社の麺に対するこだわりが成し得たもので、まさに「隠れた有名老舗製麺所」といった感じです。 最後に、ラーメン、冷やし中華、焼きそばを美味しく試食させていただきありがとうございました。 今後とも手作り麺へのこだわりと、更なる製麺ノウハウを積み重ねていただければと思います。益々の飛躍を切望しております。

 麺好きな私たち取材クルーにとって、大変興味深く面白い取材でした。 石井社長が裸一貫でスタートした豊華食品工業ですが、今や首都圏の有名ラーメン店・高級中華料理店を中心に取引先は約900、毎日数万食規模の麺を製造し各店に納めています。創業以来、石井社長が一貫して実践してきたこと、それは人の感覚・感性を重視した「手作り」にこだわり、「うまさ」を追求する麺づくりです。 お話では、製麺所を初めて開設した際に注文が殺到した時や、新工場が稼働した際に取引先が爆発的に増加した時も、それは “口コミ” でひろがったとのことでした。まさに、手作りや自家製に創業からぶれることなくこだわり続けた結果が、料理人から料理人へと自ずと口コミで伝わるほどの「うまさ」とプロ仕込みの麺としての「品質」となって現れたものと、取材を通じ強く感じました。 人気のラーメン店や料理店では、自店料理には相当のこだわりを持っているとのことですが、当社は製麺所という立場から、その様 な々ニーズや高いレベルのオーダーに対応し、いわば各人気店の繁盛を “黒子” として支えているとも言えるのではないでしょうか。読者の皆さまが足繁く通う “かの名店” の麺も、当社製かもしれません。 「中華麺の極みを求めて」・・・質の向上へ、豊華食品工業の挑戦は今日も続きます!(菅原)

豊華食品工業 株式会社代表取締役社長 石井 實

住  所/東京都板橋区舟渡 2-7-7工  場/埼玉県さいたま市桜区栄和 3-9-12電  話/ 03-3558-1188(本社)048-840-0141(工場)設  立/平成元年 3月 29 日資 本 金/ 10 百万円年  商/ 1,087 百万円(2013 年 7 月現在)従 業 員/ ��60 名事業内容/��高級中華麺製造卸 本社

中華麺の極みを求めて質の向上へ、挑戦は続く!