Osaka University Knowledge Archive : OUKA ·...

15
Title 朱子卦變について Author(s) 花崎, 隆一郎 Citation 中国研究集刊. 8 P.20-P.33 Issue Date 1989-11-21 Text Version publisher URL https://doi.org/10.18910/61098 DOI 10.18910/61098 rights Note Osaka University Knowledge Archive : OUKA Osaka University Knowledge Archive : OUKA https://ir.library.osaka-u.ac.jp/repo/ouka/all/ Osaka University

Transcript of Osaka University Knowledge Archive : OUKA ·...

Title 朱子卦變說について

Author(s) 花崎, 隆一郎

Citation 中国研究集刊. 8 P.20-P.33

Issue Date 1989-11-21

Text Version publisher

URL https://doi.org/10.18910/61098

DOI 10.18910/61098

rights

Note

Osaka University Knowledge Archive : OUKAOsaka University Knowledge Archive : OUKA

https://ir.library.osaka-u.ac.jp/repo/ouka/all/

Osaka University

478

言一般に所謂「朱子卦愛」と稲せられるものには三種類ある。

一は「易本義」(以下、輩に「本義」とのみ略記する)中に見

られる解鰹のための「卦愛説」十九條であり、二は同じく「本

義」の篇首に掲げるところの卦の成立を説明するための「卦愛

圏」であり、三は「易學啓蒙」『考愛占第四』の末尾に付され

た筵占のための卦愛圏としての「三十二圏」である。ここでは

そのうち、象偲の説明、延いては純文の解繹に不可鋏な要素と

してののみに限定する。

卦菱説

序一卦愛説十九條の論理と意義

二卦愛説の性格

朱子卦麦説に

ついて

さて本稿の目的は、このの論理と意義ならびに性格の要貼

を輿う限り簡明に示すことにある。而してこれを出痰勘として、

ひきつづきその由来、はたまた二の構成と組織ならびに由来を

も延長的に別稿において考察する豫定である。従って本稿をそ

れらすべての基礎として位置づけておきたい。なお、本稿中、

R

時として引用する「相生闘」とは、前稿の「『李岡』孜」で詳

述した李挺之「六十四卦相生闘」のことである。

また、本稿では紙幅の都合上、卦菱説を述べるに際し、その

要貼を「本義」より抜幸して各卦の冒頭に掲げるものの、卦愛

説展開の基礎となった卦辟または象偲のことばは必要部分の引

用のみにとどめることとした。

卦愛説十九條の論理と意義

1

訟ー――丑

0

九二中質、上元應典、又為加憂。且於卦愛、自遮而来、為

剛来居二、而常下卦之中、有有学而見窒、能憚而得中之象。

(20)

479

(本義)

(本義)

朱子は訟を、遼ー―――imm

の九三が二の位に降り来ったものと

考える。その結果、下卦故mm-5

の中位を占め、学有る中質の

卦象となる。然るに九二には應交がない。これ即ち、卦辟に

所謂「学有りて窒がる」の意である。次に、下卦炊を「加憂」

とすることは説卦偲(「本義」分章第十一章)に説くところ

である。

これらを要するに、この「学有りて窒がる」訟卦も、「加

憂」、即ち「楊れて」(卦辟)、降り来って中位を得た九二

の如き「中の道を守れば吉となる」(卦辟)ことを説くので

ある。

2

ヰIHI

―――

0

自蹄妹来、則六往居四、九来居三也。占者有陽剛之徳、則

吉而亨突。(本義)

泰は、蹄妹91-i

―ーの六三と九四との交位の交換により得ら

れた卦である、と考えるのが「本義」の論理である。精しく

いえば、蹄妹の柔交(六三)即ち「小」が上位に上り往き、

剛交(九四)即ち「大」が下位に下り来って泰卦となる、と

解するのである。これ即ち卦辟に所謂「小往き大来る」であ

り、斯様にして成立した泰卦を筵占得卦した際、その者に陽

剛の徳有れば、「吉にして亨る」(卦辟)のである。

3

否ー――皿

自漸卦而来、則九往居四、六来居三也。

e

否は泰の反卦であり封卦である。従って以下の如くすべて

反封の論理と意義とを以て理解するのである。

否は、漸ー―i-iT

の九三と六四との交位の交換により得られ

た卦である。即ち漸の剛交(九三、「大」)が上位に上り往

き、柔交(六四、「小」)が下位に下り来て否卦となる。こ

れ即ち、卦辟に所謂「大往き小来る」であり、「君子の貞し

きに利しからざる」(卦辟)理由である。

4

臼H

0

以卦褻言之、本自困卦九束居初。又自嘆喧九来居五。而自

未演来者、兼此二菱°皆剛来随柔之義。(本義)

卦辟の「元いに亨る」のは、彼此相従いて通じ易いがため

でおることを次の三卦の交位の交換により説く。

A

困InI

――i-

吹ツ初六と九二、

B

嘆喧一i-ii

一の六五と上九、

c未演一i-i-1

の初六と九二、ならびに六五と上九、

斯様に剛交の下にあった柔交との逆膊を示す交愛は、随

卦の顔意たる「剛の柔に従う」ことを鮮明に示すものである。

ただ留意すべきは、正しい「随柔」でなければならず、正道

を守った「随柔」であって初めて「咎なし」(卦辟)である、

と警告する。5

一Hー―i

〇或日、剛上柔下、謂卦愛。自賀来者、初上二下。自井来者、

五上上下。自既演来者、兼之。(本義)

盛は随の反卦であること、既出の泰・否の開係と同じであ

(21)

480

る。従ってこれまた反到の論理と意義とを以て次の如く理解

する。

A

貴一i~-i一の初九と六二、

B

井~―i――Tの九五と上六、

c既演皿四の初九と六二、ならびに九五と上六、それ

ぞれの交位の交換による。

斯様にして得られた歴は陽卦の艮剛が上に居り、陰卦の巽

柔が下に居って、上下交わらざる壊風の卦であり、従って

「元いに亨りて、大川を渉るに利しい」(卦辟)のである。

6

啜喧一i-ヰ-

0

本自益卦六四之柔上行、以至於五、而得其中。(本義)

象側の「柔得中而上行」を説かんがための論理として、

益ーーiH一の六四と九五との交位の交換を以てする。而してこ

の嘆喧卦は柔交にして陽位に居る(六五)とはいえ、治獄の

道たる威と明とを明らかにして、その中を得るを貴ぶ卦整と

なる。而して卦辟にいう「獄を用うるに利しく」、はじめて

「亨る」こととなる。

7

一9i-i-

〇卦自損来者、柔自三来而文二、剛自二上而文三。自既演而

来者、柔自上来而文五、剛自五上而文上。(本義)

貴は嘆嘩の反卦ではあるが封卦ではない。従って反卦損を

以て説く。然るに朱子は更に既済を以てしても説こうとする。

A

損一芸i-一の九二と六三、

B

既演の九五と上六‘

それぞれの交位の交換による。

而して右の論理より齋らされる意義は卦徳を以て説く次の

ことばによるのが理解に便である。

占者以其柔来文剛、陽得陰助、而離明於内、故為亨。以其

剛上文柔、而艮止於外、故小利有彼往o

(本義)

即ち、右のことばの傍線部

eは象偲の「柔来りて剛を文る」

の解説であって、損卦で以て説かれ得るものであり、傍線部◎

は同じく象偲の「剛を分ちて上って柔を文る」の解説であって、

既演卦で以て説かれ得るものである。換言すれば、損卦六三の

柔交が下り来り九二の剛交を飾って「離明」となるが故に「亨

る」(卦辟)のであり、既演卦の九五が上り往き上六の柔交を

飾って「艮止」となるが故に「小しく往くところあるに利しい」

(卦辟)のである。

8

元妄ー――H一

〇為卦自訟而愛°九自二来、而居於初°又為震主。動而不妄

者也°故為元妄。(本義)

象他に云う「剛外より来りて内に主たり。動いて健やかに、

剛中にして應ず」を、訟ー――i-JHI

の初六と九二との交位の交換

を以て説く。即ち、訟の九二が初の位に降り来って下卦震ヰ

の主交たる初九となる。下卦震は「動」であり、剛交の初位

(陽位)に居るは「正」である。冒頭の「本義」に云う「動

いて妄ならざるもの」とはこの謂である。次に上卦乾ーーーは

「健」である。而して大成卦元妄の九五は正に位に営たり、

六二の柔交と相應じている。かかる象他の解説より「元妄は

(22)

481

元いに亨る、貞しきに利し」の卦辟を導きだすのである。

9

大畜一imm

―――

0

以卦愛言、此卦自需而来。九自五而上。(本義)

大畜は元妄の反卦である。従って訟の反卦需i-i

―――の九五

と上六との交位の交換により説く。即ち、需の九五(剛)が

上の位に上り往くことを以て象偲の「剛上る」を説き、上六

(柔)が五の位に降り来って大畜の六五となり、上九を上に

戴く卦髄を以て象側の「賢を尚ぶ」を説くのである。而して

大畜の卦徳たるや、下卦の猛進上昇せんとする「健」(乾)

を上卦を以てよく「止める」(艮)義でもある。これらの卦

腔と卦徳とを観察するに、正に「大正」(象他)と稲するに

足る姿であり、従って「貞しきに利しい」(卦辟)のである。

10

i

―――ーi

〇或以卦愛言柔上剛下之義、曰咸自旅来。柔上居六、剛下居

五也。亦通。(本義)

象偲の「柔上而剛下」を「柔上りて剛下る」と訓じ、

旅一i

――ヰの六五と上九との交位の交換を以て成卦の論理とす

る。即ち、旅の柔(交)が上り剛(交)が下るのである。而

して陰陽の二氣が感應し、相ともに和合する。更に咸を小成

卦に分かてば「止まりて説ぶ」(象側)徳を、又、「男が女

に下る」(象側)象を示している。斯様な理由によって、卦

辟において「亨る」の占断が典えられ、「女を取るに吉」の

判断が付されるのである。

11

恒ヰー――i

〇或以卦菱言剛上柔下之義、曰恒自豊来。剛上居二、柔下居

初也。亦通。(本義)

梃は咸の反卦であるから、旅の反卦豊ii

――i

一を以て説く。

即ち、象偲の「剛上而柔下」を「剛上りて柔下る」と訓じ、

豊の初九と六二との交位の交換を以て成卦の論理とするので

ある。而して豊の剛(交)が上り柔(交)が下ることにより、

以下の四つのことが明らかとなる。なお、「」内はすべて

象偲のことばである。

イ陽剛の小成卦が上にあり、陰柔の小成卦が下にある卦髄

となる。即ち、震剛上にあり巽柔下にあることとなる

(「剛上にして柔下なり」)。

ロこの雷・風二象の互いに助け合うことを示しているのが

恒の卦象である(「雷風相典す」)。

ハその卦象はまた巽順震動の卦徳を示すことでもある

(「巽にして動く」)。

二かつ大成卦としての恒の六交は、剛交と柔交とが互いに

應じ合っている(「剛柔みな應ず」)。

上記のことはすべて「本義」に云う「理の常」であり、その

ためにこの卦が「恒」と稲せられ、卦辟において「亨る、咎元

し」と占断せられるのである。

12晉一i-

其髪自観而来。為六四之柔進而上行、以至於五。

(本義)

(23)

482

観卦ーー'ヰ竺ハ四の柔交が五の位に「進みて上り行き」(象

偲)晉となる。即ち親の六四と九五との交位の交換である。

晉は「進む」の意であり、この論理はそのまま六四の諸侯が

五の君位に進み至り、その普政を賞巻せられて「馬を錫うこ

と蕃庶たり、畳日に三たび接わる」(卦僻•象偲)ことをあ

らわす。更に象偲に則していえば、この、日の地上に出でた

る卦象は、明君上に在り萬物を照愛することを示すとともに、

順従の臣が明君に付麗するを象徴することともなる。

13

一i-i

――

0

以卦髪言之、則自離来者、柔進居―――。自中学束者、柔進居

五。自家人来者、兼之。(本義)

朱子はこの卦の卦愛を説くのに次の三種の論理を以てする。

A

離ーi

――mim

一の六二と九三、

B

中学ーーii

――の六四と九五、

c家人ーーi-i

一の六二と九三、ならびに六四と九五、それ

ぞれの交位の交換による。

斯様にして得られた映は、映く時にあって「説んで明に麗

き」(象偲)、「小事にのみではあれ吉を齋らす」(象偲)

のである。それは右に示された如く、柔交が上の剛交の位に

上り行き、その結果、六五の柔交が中を得て九二の剛交に應

ずる卦腔となるがためである。

14

i-i-

〇卦自小過而来、陽進則往居五而得中、退則入於艮而不進。

故其占日利西南、不利東北。(本義)

継は映の到卦である。従って前條映の由来する三卦のうち

中学の封卦小過ヰ――芸を以て説く。即ち、小過の九四と六五

との交位の交換によるものとする。而してその意義を象側に

則して記せば次の二貼に要約される。

イ小過の九四は進み上り往ってこそ菱の上卦の中位を得る

ことができるが、もし退き下り来った際には下卦艮に入り

ますます進めなくなる。従って「西南に利しく、東北に利

しからず」(卦辟)の占断となる。

ロ幸いにして小過の九四より進んで継の九五となった剛交

は中位を得て大人の象がある。而してこの卦は六二以上の

五交の正位を得た貞しさがあることにより、九五の大人の

助力を蒙ることができる。従って継難の時に嘗たり、貞し

さを守ることによって吉を得、邦を正すこともできよう。

15解芸一i-•

〇其卦自升来、三往居四、入於坤憫。二居其所、而又得中。

故利於西南平易之地。(本義)

解は塞の反卦であるがために小過の反卦を以て説くべきで

あるが、小過の反卦はこれまた小過である。而して朱子は升

,"i-

ーi

の九三と六四との交位の交換を以て説く。即ち、升の

九三が九四に上り往って源の坤證に入りこみ、また九二が中

位を得ているがために「西南に利し」(卦辟)いのである。

坤はまた「衆」を象徴する。従って西南平易の地に利しく、

かつ速やかに往くことによってその地の「衆を得る」(象偲)

(24)

483

゜ という吉なる結果を牧めるであろう。それは升の九二が元の

ままの位にとどまり解の九二として中位を得ているがためで

ある。

16

ヰ9

――i

〇卦自解来、柔上居四。内巽外順、九二剛中而五應之。是以

其占如此。(本義)

升は既出の卦でいえば元妄の到卦であるから既述の論理に

従えば訟の到卦明夷を以て説くべきである。然るに朱子は前

條解芸一

i-六の六三と九四との交位の交換によるものと考える。

即ち、解の柔交六三が時宜を得て九四の剛交の位に進み上り

「内巽外順」(本義)の升の卦徳となり、中位を得た九二と

六五とが相應ずる卦腔を形成する。而して六五の大人の應援

を蒙るのであるから、卦名の如く何の懸念もなく進み上りつ

づけ積極的に前進して吉なる結果を得る。

17

一i

―――i

〇卦自巽来、陰進居五、而下應九二之陽。故其占日元亨°

(本義)鼎

は巽ーーi

――T

の六四と九五との交位の交換による。而して

五の中位を得て六五となった柔交は、下の九二の剛交と相應

じているがために、鼎には「元いに亨る」(卦辟)という占

断が典えられるのである。

18

漸ーーi-ヰ

以卦菱繹利貞之意°蓋此卦之愛、自漠而来、九進居三。自

旅而来、九進居五。皆為得位之正。(本義)

卦名の「漸」とは「本義」によれば「漸進」のことであり、

「逮かに進まざる」の義である。朱子はこの義を二種の卦菱

の論理を以て説く。

A

淡ーーii-T

の九二と六三、

B

旅一i-

―芸の九四と六五、

それぞれの交位の交換による。

右の論理は、また「漸進」が女の嫁ぐのに六證に則って進

むが如く正道に適合したものであるべきことを象他に則して

説くためのものである。即ち、不正の位にあった淡の九二と

六三、旅の九四と六五とは交位の交換によりともに正位を得

て然るべき卦髄となる。この正しき「漸進」であってこそ、

邦家をも正しく導くことができるのである。なおこの卦は九

五の剛交が中位を得ており、更にその九五は六二と正應であ

る。このことは正道を守ってこそはじめて吉なることを一層

強調するのである。

19

漠ーーi

〇其菱則本自漸卦、九来居二而得中、六往居三、得九之位、

而上同於四°故其占可亨。(本義)

淡は漸ー―i-iT

の六二と九三との交位の交換により得られた

卦である。而して漠卦六三の柔交は上位に居る六四の柔交と

志を同じくすることとなる。換言すれば漸卦九三の剛交が初

の位に下り窮まってしまうのではなく淡卦九二として中位を

得ることでもある。象偲に云う「剛来りて窮まらず、柔位を

(25)

484

二卦麦説の性格

ここにいう「性格」とはその「特徴」のことである。それは

「特徴」を述べることによって自ずと「性格」にまで引伸でき

るものと考えるがためである。

思うに周易六十四卦のうち、基本となる乾坤二卦を除く六十

二卦の卦菱説を想定することは、荀.虞以来の卦褻を説く者の

営然の願望である。然るに「本義」中の卦菱説は輩に十九卦の

みにとどまっている。然らば朱子は何故に十九卦のみに卦菱を

説いたのであるか、という疑問がおこってくるのも自然である。

この疑問の解答を先に示せば、それは象他に説く「剛柔の上

下。往来(剛交と柔交との上(升)り下り・往き来)、ならび

にそれらに類することば(たとえば「進」)」にあったものと

考えられる。これを端的にいえば、象側の「上下」・「往来」

の語は漢易以来の側統的卦髪を基礎として説かざるを得ぬ、と

いう認識が朱子にあったのである。この認識のもとに論者が試

みにそれらのことばを象僻に則して椀殷した際には次のように

なる(括弧内に記したのは象偲に説く「上下」・「往来」の

ことばである)。0

0

0

1

訟(剛来而得中)、

2

泰(小往大束)、

0

0

0

(大往小来)、

4

隧(剛来而下柔)、

5

3

否゚

(剛上而

外に得て上同す」とはこのことであり、さればこそ「漢は亨

る」(卦辟)のである。

柔下)、

6

嘆喧(柔得中而上行)、

7

貨(柔来而文

0

0

剛•分剛上而文柔)、8

元妄(剛自外来而為主於内)、

0

0

0

9

大畜(剛上而尚賢)、

10

咸(柔上而剛下)、

11恒

(剛上而柔下)、

12

晉(柔進而上行)、

13

瞑(柔進

而上行)、

14

簑(往得中)、

15

解(往得衆)、

16

升(柔以時升)、

17

鼎(柔進而上行)、

18

漸(進得

位・進以正)、

19

漢(剛来而不窮)、

而して「本義」は右の十九卦の象偲のことばに則して逐條的

に由来する卦を示し、交の「上下往来」、即ち「交愛」によっ

て一卦の意義を説く資の一端としたのである。その結果、これ

R

をかりに「相生闘」の呼稲に従えば、

四陰の卦四卦(晉.賽・解・升)、四陽の卦五卦(訟。

元妄•大畜.朕゜鼎)、三陰の卦四卦(泰。盤・貴•恒)、

三陽の卦六卦(否・随.啜喧•咸.漸・淡)

にのみ卦髪説を立てるという不均齊なる卦の分布となったも

のと思われる。

然らば次に右にいう朱子卦菱説における「交褻」の方法が問

われることとなる。これまたその解答を先に示せば、「相隣す

る柔(剛)交と剛(柔)交との交位の交換による」ものといえ

る。蓋し荀.虞以来、卦焚の定法としての「往来」とは、下卦よ

り上卦へ升り往くに「往」といい、上卦より下卦へ降り来るに

「来」と稲するのが基本であり、それは特に三陰の卦•三陽の

(26)

485

卦において顕著であった。そのことは、小成卦としての上卦と

下卦との峻別であった。然るに朱子は斯様な峻別を無視して、

上卦•下卦を問わずすべて上交と下交との関連において「往」

といい、「来」と稲するのである。然らばその卦菱説は窮極的

には、「卦菱」は「大成卦全髄の中での『交愛』によって形成

される」との認識のもとに立説されたものといえよう。而して

その細部は文末の一覧表に詳らかであるが、朱子卦菱説十九條

のうち上卦と下卦との交菱による泰・否・解・升四卦以外の十

五卦の成立が、すべて上卦又は下卦のみでの交愛によっている

ことを見れば、そのことは自ずと明白である。

なお、ここに付言すべきは、象偲に所謂「内」・「外」の語

をも「内卦」・「外卦」とせずに「内交」・「外交」の意と解

していることである。たとえば既述の元妄の象偲に云う「剛外

より来りて内に主たり」を訟の初六(内交)と九二(外交)と

の交愛により説くが如きはそれである。一般に元妄は遮の上九

R

(外卦)が初(内卦)に来り内卦震の主交となる(「周易集解」

虞翻.蜀才説)、或いは反卦大畜の外卦上九が内卦初九、即ち

震の主交となる(朱震説)、と理解することによって説くので

あるが、それらと比して多分に趣きを異にしている。

朱子の斯様な認識と方法は、泰・否二卦を蹄妹・漸二卦の一――

四の交菱により説くことにおいて特に著しい。泰・否二卦が十

二消息卦のうち正月と七月とにあたり、卦辟に所謂「小往き大

来る」と「大往き小来る」の「小」とは「陰」を謂い「大」と

は「陽」を謂うことは、「本義」にも云うところである。又、

「本義」では泰に「坤往きて外に居り、乾来りて内に居る」と

し、否に「乾往きて外に居り、坤来りて内に居る」として卦腔

を以て内外を論じ、泰の否により否の泰による「往来」を説い

ている。然らば根源的には、泰の坤により否の乾によること自

明である。蓋し、朱子の説くこの卦棚の往来は、荀.虞以来の

所謂他統的卦菱説の中で「卦髪」として取り扱うところの典型

である。然るに通説ではすべてこれを朱子卦菱説の中に入れず、

上述の如く卦慨の往来として考えるもののようである。察する

ところ、通説は大成卦全髄の中での相隣する位の交愛を以て卦

愛なりとする朱子卦愛説の枠内に入れぬを賢明としたのであろ

ぅ。ただ明儒董守諭がその著「卦愛考暑」の泰卦の條において、

この卦慨の往来をば朱子卦菱説として積極的に取りあげている

のは、その受容態度の上で考えさせられるものがある。而して

彼は蹄妹の泰に菱ずることについては存疑としつつも一應の理

解を示すにとどまっている。今その要貼を左に示し、これによっ

て反卦否の卦骰の往来と漸の否に菱ずることについても同様の

R

理解が可能であることを類推しておく。

論曰、雑卦日、否・泰反其類也°此明疏也。朱子坤往乾来

0

0

.

.

之襲嘗突。及考漢儒解蹄妹曰、泰三之四、是泰斐蹄妹、非蹄

0

0

.

.

0

0

妹菱泰也、似不可以無辮。

最後に右の所論を徹底させるがために、その論理と意義との

闊連について記しておく(文末の表参照)。

(27)

486

一 漸 一 賞一 .... .... .... 卦一 一瓢... .... 瓢... 一

喪ヽ ::: 一 漠 夏ヽ::: 一置... 損 朱一.... .... 三 匿.... 三 饂一'霞10 0 の 一0 の 子父....

父 一卦

琶iii::::.旅 琶五 ::~ 既 愛五 一一0 上 ::饂I饂i 演の.... の 説父 匿9匿I

父 一兼上

翌i::::-::。未 上i合~..... 節ね糊

- -0 たの一二一 一mm 0。演 ●三' " - 置瓢""閾冨0

想一と一0 と一0 定ー四 .... 五 一 の喪

卦を

以正 位‘ 漸之 剛 黄ヽ

邦也゚ 往有 進也 文斎委 柔来而象

功‘

也三 女胃 i故小利 文剛; 故ヽ以 也゚正 偲‘進

可得

琶三 一 否 琶国 :::昼

t 一四 一0 二

匿,.. 塁置置塁●一の 口冨' の 一0

父ロ属置

父冨置繹..

琶三 ::唆

斎涼四 一m塁0。喧の .... 父 一

Ii ::未 鼠理一曰llill 0 。滴一0 に饂霞`゚

上と^ 初 =~ 井

贔I 饂...倉の二点 一一匿〗.. 0 •

虞鮎: 曰.. 随

夏一一0 0

● .. 一瓢.. 10

思うに朱子の交愛の論理を以てすれば、十九條のそれぞれに

朱子の欅げる由来する卦以外にもなお多くの由来する卦を想定

することができる。論者がその卦を想定した際には、賀の八卦、

嘆喧.塞の各七卦を始めとして都合八十四卦を欅げ得るのであ

る。そのうち朱子の欅げる二十七卦を除いても他に五十七卦が

存在することとなる。然らば朱子は何故にその五十七卦を排し

て二十七卦に限定したのかという疑問がおこる。この疑問は想

定された八十四卦のすべてを象側に説く「上下・往来」から齋

らされるところの意義と照合瞼敷することにより一應氷解する。

而して論者がその作業をした結果、黄・漸二卦を除いて朱子の

欅げる卦以外にその由来する卦を見出すことが不可能であった。

たとえば由来する卦を困.啜嘩•未演の三卦に求める随では、

論理上その外に既済•井・貴の三卦をも想定し得るのであるが、

象健の「剛来りて柔に下る」の文と照合した際には全く一致し

ない。た

だここに問題となるのは前記の貿.漸の二卦である。貿の

損•既演に由来し、漸の漠•旅に由来することは朱子の説くと

ころであるが、そのほかにも貴では盛・啜喧•未演・節•井・

随の六卦、漸では否・未済の二卦を交愛の論理により想定する

ことができる。而してそのうち、賀では損。既済二卦の愛を兼

ねた節、漸では漠•旅二卦の愛を兼ねた未演にも象偲のことば

を照應させ得るのである。これを表示すれば次の通りである。

(28)

487

論者の管見の及ぶ限りでは右の岡の如き指摘するものを見

ない。もしこの拙考に誤りなしとすれば、朱子卦褻説十九條

は節•未演二卦を加えて二十九卦に由来することとなる。こ

の貼、或いは朱子の後學に典えた課題のひとつであり、又、

「蓋し(卦愛は)易中の一義にして、甕卦作易の本指にあら

ざるなり」(「本義」卦褻闘序)と卦愛による糎艇の解繹を

第二義的なものと断じ、深く追究することを避けた朱子の本

意がはしなくもこの関漏を齋らしたのであったのかも知れな

い。論者が先に二十七卦を由来とすることを「一應氷解する」

と記した「一應」の意はここにある。これらのことについて

はなお大方のご教示を仰ぎたいところである。

語序言にも記した如く本稿を以て「朱子卦菱」考察の基礎とし

たい°朱子卦髪説を以て遷就自在にして信を置く能わず、「朱

子自らの卦菱(朱子の主観による卦褻説)」なり、と貶するの

は黄宗義「易學象敷論」であるが、なるほどその卦菱説は歴史

的にみて焚貌しているとはいえ、やはり荀.虞以来の偲統的卦

菱説の枠内において論ぜられるべき性質のものである。本稿で

はこのことについての意を充分には盛くし得なかったが、その

卦愛説の由来を考察することにより逐次明白になるものと考え

ている。今は別稿への橋渡しのことばを以て結語とする。

〔補記〕筆者は、現在、加療中のため、当研究室が校正等を行なった。もし誤植その他の思わぬ過誤があるとき、

その責任は筆者ではなくて、当研究室にある。

(29)

488

旦大畜

i

h

-

:-::• ~:

嘆噛

:g ~; ~·

否i泰I訟

井 困

由来の卦

゜•

I-I-ii

遮竺妹日iii

漸旦Ei-ii

九奈居初‘)

7

九恋居五°

_______ .゚

初上

九住居四‘

九来居初。

九衆居五。

九自五而上。

六往居四‘

六来居三o

九来居三。

来•居I論

五:

「本義」卦説一表(「由来の卦」欄の剛交に付した0、

柔交に付したO

は「交菱」を示す。「論理」欄の文は典う限

『I離

:: -iiii-

―家人

由来の卦

_

_

_

_

_

_

_

ih-ii

九来居二雁得中、六往居三、

得九之位、而上同於四°

九迎居五。

附上居二‘柔下居初。

柔造居三°

柔造居五°

||~居三、一

兼之(柔造居五°

退

於艮而不進°

所‘而又得中。

中而五應之。

陰進居五‘圃下應九二之楊。

九造居三。

六四之柔造圃上行、以至於五。

柔上居六、

剛下居五°

り簡略化した。又、「上下」

検漿を容易にした。)

「往来」等の語の右に0を付し

(30)

489

東 播 胡 朱,4 : 名人涯 末 桂 子

゜孵

゜゚゚ ゜訟

゜゚゚ ゜泰

゜゚゚ ゜否

゜゚゚ ゜語

゜゚゚ ゜盛

゜゚゚ ゜喧旗

゜゚゚ ゜賀

゜゚゚ ゜妄元

゜゚゚ ゜畜大

゜゚゚ ゜咸

゜゚゚ ゜恒

゜゚゚ ゜晉

゜人家

゜゚゚ ゜瞑

゜゜楚

゜゚ ゜解

゜損

゜益

゜゚゚升

゜u

` 漸鼎

゜゚0 0

゜饂

゜゚゚ ゜漠

゜゚節

20 20 20 19 附辛

罪嘔I; 璽褒‘胡一

菖芝le号こ 凡桂

1H, , ,9 六ノ四~ ‘ 参ノ~‘

>煮亨一—

誌゚心七

t 吐=

月且~ べ;

! 肴^ i

~ の

虚` 凡 弟

it ゚舌 胃, 言

> 屑剛

註①以下、本稿において引用する「易本義」の文は、すべて、

中華民國六十年十一月一日、華聯出版社印行の、影印國子監

刊本、田中炭太郎校訂「周易本義」に依捩する。

②日本中國學會報第三十八集所牧。

③本稿では朱子再偲の元の胡一桂の説により「反卦」と「封

卦」とに厘分して稲することとした。次にその文を掲げる。

上紐、乾輿坤劉、頗輿大過劉。下鰹、中学典小過到。陰

陽交、各各相到也。何謂団。如屯図為蒙、既演図為未演、

一卦反為雨卦也。到者八卦、反者二十八卦、而六十四卦次

序成突。(胡一桂「周易啓蒙翼他」上篇、文王六十四卦反

封闘)

④この占斯僻の方位については疑いの存するところである。

即ち、下卦艮の「東北の卦」であることは説卦側(「本義」

分章第五章)に明示するところであるが、上卦炊の「西南」

については説卦他に徽して不明であるからである(説卦他同

章には炊は「正北方の卦」とある)。これについて「朱子語

では「褻例」として結局は炊の由来を坤に求めることで

解決している。思うにその根捩は、類推の域を出ぬものの漠

上卦菱説に求められるべきものであろう。朱霙は継卦に至る

までの次序を精しくは、臨B9ii-

―↓明夷芸i-InI

一↓小過臼ーH

贔闘匠とするのであるが、要するに小過の四五相易によっ

て生ずる継の九五の源流は臨の六五である。従って臨の上卦

坤芸g

を以て象俯を解し卦辟を説かねばならぬ、と考えるの

である。今、その要旨を左記するが併せて前掲②の拙稿をも

参照されたい。

疑自臨来。小過菱也。九四往之五。小過之五、即臨之坤也。

坤西南。(漠上易側巻四)

⑤因みにいえば、この認識は後世にまで継承されたのである

が、象偲に説く「剛柔の上下・往来」の受容態度には學者に

よって若干の差異がある。たとえば「損」「益」「乗」等の

語をも「上下」「往来」と同一視することなどがそれである。

今、朱子説とともに三人の學者の説について卦名のみを以て

表示しておく

(O印の卦に「上下」を説くと考える

のである)。

(31)

490

⑥この呼稲はまた「本義」の篇首に掲げる「卦愛闘」に椴承

されてゆくのである。

⑦この上卦と下卦との峻別を無視する朱子の「往」「来」の

受容態度は故なしとしない。精しくは拙稿「虞翻の卦菱説に

ついて」(北海道中國哲學會刊「中國哲學」第十三披所牧)

八十五頁の註③を参照されたい。

⑧逓の上交が初交に之き順次に升らせるのである(右の拙稿

五十三頁参照)。

⑨董守論一五九六ー一六六四。郵縣(今の浙江省寧波市付

近)の人。字は次公。その著「卦愛考暑」の篇末に

或謂、菱乃易中之一義、非驚卦作易之本指。愚獨以為、不

然、無愛是無全易也、無慮下手誼卦辟•象・象・六交也°

とあるように、殊のほか卦愛を力説した學者である。他に

「誼易一紗二紗」・「易韻補遺」等の著がある。

⑩董氏のことばを否卦に推及して頬推すれば次のようになろ

う。昇鬱亭知左累如及考漢儒解漸曰、否三之四、是否

愛漸、非漸愛否也、

5和AJe応知即゜

思うに、交に即して剛柔を、卦に即して陰陽を説くのが易

他の原義である(今井宇三郎「易側における陰陽と剛柔」

1

東京大學出版會疲行「氣の思想」所牧)。然るに「本義」で

は、この原義を無視して交にも陰陽を以て稲するので甚だ混

胤を招きやすい。ところで、この卦腔の往来を以て説く泰.

なお、このほかにも二種の交愛を兼ねさせれば更に次の四種

類の組み合わせを考えることができる。

然らばその組み合わせは都合十一種類となる。この十一種

類を基礎として組み合わせてゆけば合計八十四卦となる。も

五•上一五卦初・ニ

と五•上

二卦

初・

四卦

ニ・三

五卦

ニ・三

四•五一卦

三•四

四卦

四•五

六卦

否二卦に射する「坤往きて乾来る」・「乾往きて坤来る」と

いう「本義」のことばの「乾」・「坤」は、明らかに易偲の

原義である小成卦としての「乾(陽)ーーー」・「坤(陰)ヰi

」を示している。察するに董氏は、斯様な線に沿って交愛

による卦髪説とは別に、特に積極的に朱子卦愛説として取り

あげたのであろう。

⑪朱子卦愛説十九條の由来する卦は二十七卦である。而して

二十七卦の交愛の組み合わせを検敷すれば次の七種類となっ

ている。

(32)

491

ちろん、剛交と剛交、柔交と柔父との交菱はあり得ないから

これを除外するわけである。

⑫これらのことについて追究するのは黄宗義「易學象敷論」

であるが、その所論は徹底性を訣いている。この貼、拙稿に

おいて徹底させ得たものと考えてはいるがなお不備のおそれ

あるやも知れぬのでご教示を仰ぎたい。次に「易學象敷論」

巻二「卦嬰」の條の要貼を摘録しておく(括弧内は黄氏自注)。

……就以其法推之、此十九卦中、朱子之所欅者、亦有未盛。

訟之自死妄(初二相換)、自巽(三四相換)、随之自既演

(三四相換)、盛之自未演(三四相換)、……復得二十九卦、

而兼之者不典焉。……

平成己巳一月八日

脱稿

(33)