大木 理教授 退職記念文集0 大木 理教授 退職記念文集 2017年3月17日(Ver....

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0 大木 理教授 退職記念文集 2017 年 3 月 17 日(Ver. 1.0) 大阪府立大学生命環境科学研究科 植物生体防御学研究グループ *無断転載を禁じます. *個人情報が含まれますので,取り扱いにご注意ください.

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大木 理教授 退職記念文集 2017年 3月 17日(Ver. 1.0)

大阪府立大学生命環境科学研究科 植物生体防御学研究グループ

*無断転載を禁じます. *個人情報が含まれますので,取り扱いにご注意ください.

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目 次

大木 理 お世話になった皆さまへ ............................................................................... 2 皆様からのメッセージ .............................................................................................................. 3 木下 繁慶 ありがとう.35年間 そこにはいつも大木先生が… .................. 3 小林 健一 平成4年卒 小林です ........................................................................... 3 佐古 勇 スイカ産地を救ったウイルス診断技術 ............................................ 4 A Sunpapao As retirement is a time for feeling glad to be alive ............. 4 髙橋 尚之 大木 理先生の定年退職を祝して ..................................................... 5 武田 知明 ご退職祝いメッセージ ........................................................................... 6 長岡 栄子 桜の開花を心待ちにしながら… ......................................................... 6 信田 由絵 ありがとうございました ...................................................................... 7 増本 翔太 The 大学教授 ........................................................................................... 8 松坂 裕之 感謝の言葉に代えて ............................................................................... 8 峯 圭司 ご退職おめでとうございます .............................................................. 9 森本 和樹 大木理先生からいただいた言葉 ......................................................... 9 矢部 未来 まだ不思議な気持ちです ................................................................... 10 山崎 雄也 大木先生との思い出 ............................................................................ 11 横井 修司 大木 理 先生 ......................................................................................... 12 梁 宝成 大木先生へ感謝のメッセージ ........................................................... 12

退職記念講演 「ウイルスとは何か?そして生命とは?」 ................. 14

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大木 理 お世話になった皆さまへ

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皆様からのメッセージ

木下 繁慶 ありがとう.35年間 そこにはいつも大木先生が… 大木先生,長年,色々とお世話になり,誠にありがとうございました. 大木先生が府大に赴任された翌年,1980 年に,私達の同期 8 名が学部 3 回生となり「植物病学研究室」にお世話になりました.当時は,井上先生,一谷先生,尾崎先生,大木先生と奥村さんがスタッフの皆さんだったと思います.私は,ウイルスの専攻ではありませんでしたが,研究室では,新進気鋭で一番若い大木先生が,気さくに学生目線で接して頂き,自由で闊達な研究室の雰囲気を醸しておられ,楽しく大学生活を過ごせたこと感謝しています. また,卒業直後の試験場勤務当時には,ウイルスの電顕診断法を教えてもらおうと,昼夜,頻繁に府大を訪ね,先生からその手ほどきを頂き,本当にありがたかったことが思い出されます. 近年,久しぶりに農業試験場に転勤になりました.その機会に,長年ご無沙汰していた研究室に大木先生を訪ね,研究の原点に立ち返るたことは,なにより心強いものでありました. そして,2016年の晩夏,様変わりする府大を再発見してみようと,同期の5名で大学を訪れ,ご多忙の大木先生を電撃訪問したところです.その一番の話題は「定年はいつ?」でした.私の世代は,学生の時からずーっと大木先生がおられました.そして,先生にお世話になって,はや35年.このたびの先生のご退官を機に,ちょうど我々も現役定年を迎えていく年代にあります. 私は,真の研究者にはなれませんでしたが,府大と植物病学が大好きで,忘れた頃には顔をだすと,そこには,いつも恩師がおられました.本当に,ありがたく,感謝,感謝です.最後に,大木先生におかれましては,今後さらに,素晴らしい人生を心よりお祈りしながら,まだまだ,引き続きよろしくお願い申し上げたいと思います.

昭和 57年学部卒業 和歌山県農業試験場

小林 健一 平成4年卒 小林です 先生には在学中から大変お世話になり,ありがとうございます.3月末のご定年ご退職おめでとうございます. 先日のご退職記念のご講演,拝聴致しました.37年間積み重ねてこられた素晴らしい業績、大木先生の偉大さを痛感しました.「ウイルスとは何か?そして生命とは?」で生命も機械に似たところがあるとのお話が,一番印象に残っております. ご健康で益々ご活躍されること、ご多幸をお祈り申し上げます.

平成4年学部卒業 堺市立堺高校

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佐古 勇 スイカ産地を救ったウイルス診断技術 昭和53年(1978年)学部卒業後,鳥取県の野菜試験場病虫科(現園芸試験場環境研究室)に所属し,スイカ,ネギ,ラッキョウ,ブロッコリー,シバなど特産野菜,花き病害の発生生態,防除法について生産現場に出向きながら試験,研究に従事し充実した生活を送ることができました.その間に大阪府立大学,大木先生とのつながりが試験研究の進展に大いに助けとなりました.その中でも,スイカの Cucumber green mottle mosaic virus-W (CGMMV-W) による緑斑モザイク病は,当時,産地存続に係る一大事でした. 鳥取県では過去に2回の発生がありました.1回目は1975年でした.これが契機となり電子顕微鏡の導入がなされていました.2回目は1989年4月下旬に植付け間もないスイカ株が試験場に持ち込まれたことがはじまりでした.それまでに大学と同型の電顕操作に慣れていたので,棒状粒子の検出,診断は容易でした.1986年,大学研究室で研修を受けていたからでした.国内長期研修は通常,独法の試験研究機関で受けることが一般的でしたが,国補試験のテーマがラッキョウのウイルス病であったことから,植物病学研究室で研修し,大木先生にお世話になりました.ウイルス病の実験に本格的に取り組みはじめて,大木先生から教授されることが多々ありました.また,常に机が整理整頓され,仕事を淡々とこなしていく大木先生の姿が印象的でした. スイカ産地ではその後,診断依頼が殺到しました.当時ELISA法などの免疫診断法が大量診断法として活用できましたが,大量診断技術に比べて毎日の診断依頼に迅速に対応できるのは,電子顕微鏡でした.診断結果をその日のうちに生産者に回答することが防除には重要なポイントであると実感しました.生産者が発生場所を意識することができたことが的確な防除対策につながっていました.試験場,県行政機関,農業改良普及所,農業団体が一丸となって3か年で沈静化することができましたが,診断技術が基本でした. 一方,1989年当初からCGMMV-Wが検出されないにもかかわらず果実異常症状がみられるものがありました.スイカ選果場からは診断依頼が数年続きました.その原因がMNSV-Wによるスイカのえそ斑点病であることをわが国で初めて明らかにすることができました.診断の決め手となったのは,大木先生から紹介のあったCVC法(clarified viral concentrates; Christieら,1987)でした.電子顕微鏡で球状粒子を観察するのは技術を要することでしたが,本方法により検出精度が飛躍的に向上しました. その後,大木先生の著書「植物ウイルス同定のテクニックとデザイン」(1997年,日本植物防疫協会)が発刊され,ウイルス病研究の助けとなり多くの産地を救うことができたのでした.改訂版「植物ウイルス同定の基礎」(2009年,日本植物防疫協会)も発刊されウイルス病研究者のハンドブックとして広く利用されています.大木先生ありがとうございます.

昭和53年学部卒業 日本農薬大阪支店(前:鳥取県園芸試験場)

Anurag Sunpapao As retirement is a time for feeling glad to be alive

I would like to express my deepest and most heartfelt sympathy for the

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spiritual retirement of Prof. Satoshi T. Ohki (Ohki sensei) of Department of Plant Biosciences, Graduate School of Life and Environmental Sciences, Osaka Prefecture University. During my study in Japan under his supervision, Ohki sensei always supervised the whole works with full zeal and eager, advised critically and gave tremendous constructive comments until thesis completed. He always took special care, gave invaluable help, continue guidance, constant encouragements and keen interest throughout this study. As retirement is a time for feeling glad to be alive. All the dedication and hard work, Ohki sensei deserves the best retirement ever, I hope Ohki sensei will enjoy this new journey of life. Hope your retirement is perfectly grand with lots of good luck. Congratulations on your retirement.

平成 23年博士後期課程修了 Prince of Songkla University, Thailand

髙橋 尚之 大木 理先生の定年退職を祝して 大木先生がこのたび大阪府立大学での教育・研究を立派に果たされ,ご健康で定年退職を迎えられますことを心よりお慶び申し上げます. 私は昭和 55 年 4 月から昭和 58 年 3 月まで植物病学研究室に在籍させていただきましたが,その間大木先生には何かとご心配とご迷惑をお掛けした出来の悪い学生であったと反省を込め,自認しております.大木先生には何かとお世話になり,心からお礼申し上げます. 在籍当時の思い出としては,大木先生のご依頼で作った温室管理棟前の網室(しばらくは存在しました…現在はなくなっていますが…)や大豆品種の採種など,今では懐かしく思える出来事ばかりです.

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卒業後故郷を離れ,地縁も血縁もない高知県で仕事をさせていただいておりますが,大木先生に指導していただいた学生時代の経験や考え方がこれまでに随所で生かされ,現在の自分があるものと思っております.現在,高知県では IPM 技術や環境制御技術の普及が進み,次世代こうち新施設園芸システムの構築と普及に向けて県をあげて取り組んでおります. 大木先生は,植物ウイルス分野では常に第一線で活躍され,平成22年には学会賞を受賞されるなど大きな功績をあげられると共に,優秀な人材を搬出されたこは,卒業生として誇らしく感じております.また,学会や陵仙会,出版物などの情報で,大木先生のお名前を見つけるにつけ,嬉しく思えた次第です. 大木先生がこれまで全力を注いで築いてこられた大阪府立大学の教育と研究の場に,別れを告げられることに感慨一入であろうと推察しております.しかし,大木先生には定年退職後,いろいろとご活躍の場が待っていることと思います. 大木先生には今後ともお元気で,これまでの知識・経験を活かされて,益々ご活躍されることをお祈り申し上げます.

昭和 56年度学部卒業 高知県幡多農業振興センター(旧姓飯野)

武田 知明 ご退職祝いメッセージ

大木先生,この度はご退職おめでとうございます.在学中は温かいご指導を頂き本当にありがとうございました.大木先生の授業はとても分かりやすく,個人的には一問一答のコーナーが楽しみでした. 研究室では,私はカビ組でしたが,大木先生の醸し出す優しい雰囲気のおかげで本当に楽しい研究室生活を送ることができました.演習室でみんなでワイワイ話したことを今でも思い出します.私が就職してからも,病理学会でお会いした時には発表を見に来て下さったり,植物防疫に記事が載った時には「掲載おめでとう」とメールを下さったりと,色々気にかけて頂きとても嬉しかったです.退職記念の会に参加できず本当に残念ですが,またお会いできることを楽しみにしています. 先生の今後のご健勝と御多幸をお祈りしております.

平成22年博士前記課程修了 和歌山県那賀振興局

長岡 栄子 桜の開花を心待ちにしながら… 大木先生,ご退官,おめでとうございます,そしてご苦労様でした. 大木先生には学生時代より現在に至るまでたくさんのご指導を賜り,心より感謝しております.特に,私が社会人となり,先生のご専門の植物ウイルスの研究に携わるようになってからは大変お世話になりました.大木先生をはじめ,多くの方のお力を頂戴して植物ウイルスの研究におい

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て少しずつ功績を残せたこと,そして博士論文を纏めるまでに成長させていただいたことは,私の研究人生の大きなステップアップであり原点となりました.先生もご存知のとおり,私は文章を書くのが苦手であり,どちらかというと直感で仕事を進めるタイプです.しかし,博士論文ともなればそうはいかず,「理論立てて,人が納得するように」と,先生にはたくさん鍛えられました.そのお陰で,博士論文審査会のスライド発表では,他の先生方より「さすが大木先生のご指導,とても綺麗で分かりやすかった」とお褒めのお言葉を頂いたときは,本当に嬉しかったです.きっと,たくさんの学生が私のように育ててもらい,社会で活躍しているのですね.私もますます頑張ります. 大木先生がおられない研究室を想像するのは寂しく,まだまだお元気で若い大木先生のご退官は,私たちには実感が湧きません.今後とも,できるだけ近くで私たちの成長を見ていただき,ご指導いただけると信じています.とはいえ,当面はお疲れを癒させて,奥様と素敵なお時間を過ごされ,リフレッシュしてください.まずは,お疲れ様でした.

平成 22年博士(応用生命科学)取得 国際農林水産業研究センター 生物資源・利用領域(旧姓中薗)

信田 由絵 ありがとうございました 大木先生,今までありがとうございました.ご指導をいただき,たくさんのことを学ぶことがました. 私は 3回生で配属されてから修士前期までの間,研究室でお世話になりました.「植物内でのウイルスの移行経路を解析する」という題材をいただき,うまくいくときもあれば,そうでないときもあり…結果が出たときはうれしくて! そのような体験ができたのも,先生のご指導のおかげです.どの部位をパラフィンに封入するか一緒に考えてくださったり,移行帯の様子を詳しく知るためにコーナンに出かけてホウセンカを選んでくださったり,先生との思い出が次から次へとあふれてきます.行き詰ったとき,先生は「こうしてみたらいいのに…」とさりげなくヒントをくださいましたね.先生の厳しくもあたたかいご指導で,充実した日々を送ることができました. 先生には東京化学同人への就職も支援いただき,新しい世界を見ることができました.その後,しばらくの入退院生活がありましたが,2 年前からは再びフリーで執筆・校正の仕事を始めています.あのとき,編集の道を教えていただかなかったら,今の仕事をすることもなかったでしょう.先生は,卒業してからも私の人生に影響を与える大きな存在です. 植病を離れてからも,ふとしたとき,研究室での楽しかった日々を思い出します.そこには大好きな大木先生がいて…本当に感謝しています.最後に,先生のご健康と,今後の素晴らしいご活躍を心よりお祈りしております.大木先生,ありがとうございました!

平成 20年博士前期課程了(旧姓岩附)

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増本 翔太 The 大学教授 ご退官おめでとうございます. 大木先生の第一印象は「漫画みたい人だな」でした. “大木”という苗字,“理”と書いて“さとし”と読ませる名前.この姓名で農学博士号を持ち,植物に関わる科学研究の大学教授だなんて!しかも,そのアカデミックな雰囲気は,電車で隣に座っただけの人にも先生が大学教授であることを連想させるでしょう. 私の恥をあえてさらすならば,私が大阪府立大学に在籍していた時代,授業には全く出ていませんでした.遊びたい盛りの私には大学の授業は退屈そのもので,授業の内容として覚えていることはほぼ皆無です.そんなどうしょうもない学生だった私がどういうわけか植物病原菌をテーマに博士号をとったのは,大木先生の植物病理学の授業内容に引かれたのがきっかけです.(でも再履修だったかもしれません.すいません.) そして,府大を卒業し研究の道に進んで初めて,先生の研究者としての偉大さに本当の意味で気がつくことになりました.農学という学問分野を離れても,私が開く本は結局いつも大木先生の著書「植物病理学」でした.たぶん今後も岩波生物学辞典と同じくらい開くことになるでしょう.私は人としても研究者としてもまだまだ未熟で,たぶん一生かかっても大木先生のような雰囲気を纏える人間にはなれないと思います.しかし,私の中で大木先生という存在は最も近づきたい憧れです. まるでラブレターのような自己満足な文章になってしまったことお許しください.最後になってしまいましたが,ご退官に際し,改めて心よりのお祝いとお礼を申し上げます.今後のご活躍にも益々ご期待申し上げます.

平成 21年学部卒業 横浜国立大学大学院環境情報研究院

松坂 裕之 感謝の言葉に代えて 大木理先生は,ご退職直前にあたる平成 25~28 年度の4年間,学域長として生命環境科学域の舵取りをご担当くださっておられます.平成 17 年度の大阪府立 3 大学統合以来,生命環境科学部および理学部として歩んできた2つの学部が,第1期生を迎えてからわずか7年後に現在の生命環境科学域に再編されようとは,両学部の発足当初には全く思いもよらぬことでした.これまで別々の学部として歩んできた 2つの学部を 1つの学士教育課程組織として運営していくうえで,先生はたいへんな労力を費やしてこられました.自然科学類・分子科学課程の主任としての2年間とひき続く副学域長としての2年間,大木先生のチームの一員として過ごした日々を通して,先生の背中から多くを学ばせていただいた思いがいたします. 組織自体は異なっていても,その運営の方法や構成員の考え方に,原理・原則の部分において共通する点が多いのは言うまでもありません.しかしながら,運営方法や構成員の意識,考え方は各々の組織の中で数多くの試行錯誤を繰り返しながら形成されてきたものであり,当然ながら様々な差異が存在します.やや大げさに表現すると,「文化の違い」とでも言えるかもしれません.そのような組織同士がある日を境に一つとなって連携していくためには,将来どのように発展さ

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せていくのかを考え,全体に目を配りつつの舵取りが不可欠となります.気苦労の絶えないそのお立場を 4 年間に渡って担っていただいた大木先生に,私たちはこれまでいかに甘えてきたのかを,今更になって実感しています.「ありがとうございました」というありふれた言葉でしか感謝の気持ちを表現できないことが,もどかしく思えてなりません. 行程表以外の具体的な情報がほとんど示されぬまま,大阪市立大学との統合にむけた動きが進んでいます.困難な数多くの問題に直面せざるを得ない状況の下,本学の生命環境科学域で学ぶことを選択して入学してきた学生のみなさんとどのように向き合い,どのように教育・研究の質を高め,大学院と連動して新しいサイエンスを世界に発信することを通してどのように次代を担う若い人材を育成して社会に送り出していくのか.答えは容易には見えませんが,先生の背中を通して学んだことを思いながら,試行錯誤を繰り返していくのだろうと考えています.

生命環境科学域自然科学類

峯 圭司 ご退職おめでとうございます 大木 理先生,この度はご退職おめでとうございます.在学中は大変お世話になりました.ありがとうございました. 大木先生は植物病理学分野の第一人者であるのと同時に学内の要職にも就いておられ,大変お忙しかったにもかかわらず,我々学生に対して親身にご指導いただきました.実験手法のことだけでなく,研究に対する取り組み姿勢についても教えて頂きました.在学中,私は大木先生に,「君は高速道路を60キロで走っている,もっとスピード出るはずだよ」,「プラスαを身につけなさい」,「本をたくさん読んで文章を勉強しなさい」とご指導いただいたことを覚えています.当時はこのことをあまり意識できずに漫然と生活していました.しかし,社会人になってから大木先生の言葉の大切さを痛感し,様々な知識と経験を身につけ,自分の力を出し切ることを心掛けております.まだまだ未熟者ですが,何度かあったピンチも大木先生の言葉のおかげで乗り切ることが出来ました.本当に感謝申し上げます.文章力はあまり上達しておらず恥ずかしい限りですが,相手に分かりやすく物事を伝え,理解頂けるように心掛けております. これからは,信州にて生活されるとのこと.今後のご健康と,ますますのご活躍をお祈り申し上げます.長い間本当にありがとうございました.

平成 18年博士前期課程修了 奈良県農林部農業水産振興課

森本 和樹 大木理先生からいただいた言葉 昭和 55年,3年生になり,期待を胸にあこがれの植物病学講座の門をたたき,7名の仲間と一緒に研究室に入らせていただきました.菌を専攻するか,ウイルスを専攻するかで随分と迷いましたが,ウイルスを専攻することになりました.そして,府大に来て3年目の大木先生が担当になってくれました.東京言葉の先生,よく,東京と大阪の比較をしていましたね.

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さて,私は研究室での実験や卒論,ゼミなど,楽しく過ごさせていただきました.何事も自分なりに一生懸命取り組んでいたと思います. 鉄道研究会の 3 年の夏合宿は信州へ行きました.飯田線の無人駅で一人宿泊し,生物実験の宿題(病害標本採集)のために近くのなし畑で赤星病のサンプルを採取しました.大木先生からの宿題は,2つ上のM先輩のCMVの宿主範囲の植物探査でした.何か病徴のある草はないかと探していました.そう簡単には見つからないものです.そういえば,I先生からの宿題,ヒヨドリバナのモザイク症状もどこで発生しているか調べました. 一番の思い出は,H 先輩と A 先輩と一緒に和歌山県御坊市まで,病害サンプルの採集に行ったことです.先生が運転するミラージュは,乗り心地がよく,何か所か調査して,帰りが随分遅くなったのではないかと思います. 卒業論文を決めた後,参考にと,M先輩の卒論を読んでいるとき,先生から声がかかりました.「森本君は,まず最初に植物を育てることから始めよう」といった言葉は今も鮮明に覚えています.それ以降,温室へコマメに行き,タバコやソラマメ,ササゲ,アマランティカラなど初めて栽培する植物と格闘していました.この言葉の影響を受け,就職後,家の花壇や畑に色んな作物を植えて栽培するのが,趣味になりました.今となってはいろんな植物を栽培することが,仕事に大いに役に立っています. 卒論は,CMVを継代接種することで何か変異が起こることを調べるもので,タバコやアマランティカラやセンニチコウに継代接種しました.(先生!覚えてますよね?)森本君の卒論は,「接種を継続すること.とにかく続けてみて!」何か変化があれば発見だということでした.何度汁液接種での継代接種をしても,アブラムシ接種しても変化なし,面白くない,いやになってきた頃でした.センニチコウに継代接種した7代目のセンニチコウの汁液をササゲに接種したところ,病斑がいままでの斑点(spot)から何とモザイク様になるのを発見して,先生に報告.他のウイルスのコンタミではなく,病原性の変異と思われました.この時,「継続することで変化でたよね!」と先生からの言葉がありました. 卒論の発表の時に他の先生から,「継代接種で病徴が変わることは興味深い」と意見をもらいました.大木先生からも「いい意見をもらってよかったね」と一言あり,大変うれしく思いました. 私にとって,素晴らしい大木先生と出会い,かけていただいた言葉,研究室で学んだ 2 年間,一生忘れることはありません.

昭和 57年卒業 大阪府南河内農と緑の総合事務所

矢部 未来 まだ不思議な気持ちです 今日は本当に素敵な講演とパーティーでした! 大木先生がご退官だなんて,まだ不思議な気持ちです.植病の研究室に帰った(笑)ら,いつも大木先生がいらっしゃるのが当たり前のように思っていたので,寂しいです.今日の写真,きっと後から先生の元に届くとは思うのですが,一足先にお送りしてみます.(*^_^*)また,寄せ書きに,「山小屋」と書いたのですが,山のお屋敷の間違いでした.失礼いたしました.(笑)

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また,月曜日にパートに行かせていただくので,またすぐにお会いできてしまうのですが(笑),いったん,本当にお疲れ様でした.本当にありがとうございました.先生との出会いに感謝しつつ…

山崎 雄也 大木先生との思い出 大木先生,この度はご退職,誠におめでとうございます.記念文集を作られるとお聞きし,感謝と尊敬の気持ちを少しでもお伝えできればと思い,拙稿をお送りいたします.不肖の教え子である私が記念制作に参加させていただくのはたいへん恐縮に存じますが,ご笑覧いただければ幸いです. 大木先生のことで私がまず思い出すのは,植物病理学や植物流行病学の授業をされているお姿です.講義だけでなく,質問用紙や小テストを使って学生と双方向のコミュニケーションを取られるスタイルに感銘を受け,毎回の授業をとても楽しみにしていたのを覚えています.前回書いた自分の質問に,いったいどんな返事を下さるのだろう….いつも期待を胸に授業に臨んでおりました. その他には,大木先生からいただいた,たくさんのお言葉を思い出します.植物病学研究室への配属が叶い,大木先生とお話をする機会が増えた頃,私にとって忘れられない一言を大木先生からいただきました.「君は“真面目”なんじゃない.“ヘン”なんだ」.研究室を出る際に大木先生の部屋にお伺いし,ご挨拶をしてから帰る,ということを毎日繰り返した末にいただいた言葉だったと記憶しています.当時は自覚が足りませんでしたが,私の本質を端的に捉えてくださいました.

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修士のころ,まるで研究を進めようとしない私に,「君はいいものを持っているよ,でも錆びついている」と叱ってくださったこともありました.あの頃を思い出すと,恥ずかしい思いで一杯になります.「やるべきことを後回しにせず,すぐ行動しなさい」と叱ってくださった後,それでも大木先生は,「まあ,僕もそういうところがあるのだけどね」とフォローしてくださるのでした. そして,民間への就職と教職とで迷っていた私に,「教員が良いかもしれないね」と言ってくださったのも,大木先生でした.「色んな生徒がいるからね.そういう生徒にうまく響けば良いと思うよ」そんなふうに仰っていたのを,思い出します. 現在,私は縁あって,大木先生のご出身である神奈川県の高校で,理科の教員として教壇に立っています. 大木先生には及ぶべくもありませんが,少しでも,生徒がわくわくするような授業ができるように.生徒の本質を見抜けるように.生徒を叱咤激励できるように.生徒の人生の指針を,定める助けになれるように.進んで参りたいと存じます. 本当に,ありがとうございました.

平成 21年博士前期課程修了 神奈川県立横浜桜陽高校

横井 修司 大木 理 先生 大木先生とは 2 年間という非常に短い期間しかご一緒出来ませんでしたが,様々な方面で大変勉強させていただきました. 私が岩手大学から大阪府立大学に赴任し,右も左も分からないことを心にとめてくださり,ご自身の経験を踏まえて学域・課程の歴史・変遷を含めて大変わかりやすく,かみ砕いてご説明していただきました.また,学域運営や今後の大学統合を含めた大学の将来像などを学域長としての見識や教員・研究者としての見識によって若輩の私にご教授くださいました.これらの知識は経験の少ない私が課程主任としての責務遂行,研究グループの責任者としての方向性や決断に大変役に立つものでした. 定年の定めで大学教員を卒業される先生ですが,多趣味で几帳面な先生ですので,既に定年後のご計画もお持ちで楽しみにされていることもあると思います.これまで大学のために費やしてきた時間を,今後はご自身のために大いにお使いになりながら,時折で構いませんので大学のこともお考えになり,私供にアドバイスいただけたらと思います. 甚だ短文にての贈る言葉になりましたが,益々のご活躍を祈念しております.

生命環境科学域応用生命科学類

梁 宝成 大木先生へ感謝のメッセージ

大木先生!お疲れさまでした!! 「やってみない?」先生の一言が,私には人生の分岐点となりました.ある日教授室に呼ばれ

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入ると,はじめて見るおじさま(京都府の小坂さん)とOGの中薗さん.「梁ならできるよ」弱毒ウイルス(植物ワクチン)のお話でした.混合感染と植物ワクチン,このテーマで学位を取得できたおかげで今があると感謝しています.現在,私は植物ワクチンの開発と普及に努めています.各府県の多くの方より大木先生のお名前を耳にし,改めて先生の偉大さと同定の重要さを実感しております. 卒業時,同期の望月くん,後輩の谷井くんと一緒にステーキをごちそうしてくださいました.道中は買い替えられたばかりの愛車ボルボ V50.当時の先生は,いたずらっぽく笑いながら痛いところ?鋭いツッコミをよく投げられました. ポスドク時代にもたくさんの就職先を紹介してくださいました.「ぼくには製造責任があるから」と. 植物病学研究室では,大木先生のご指導のもと知的好奇心から仮説をたて,自分の力量で向き合い臨む過程の醍醐味を大いに経験できました.実験室で「どうなの?」 「○○でした」 「….おもしろいじゃない! じゃあ,これは??」といったアドバイスとご教示は,若輩の大きな糧となりました.このように鍛えてくださったことが,今の自分の基礎となり,日々の研究に生かされていると感じています. 私が所属したころの研究室もたいへん活気がありましたね.朝?夜から?実験を行い,遅い時間でも先輩の藤原さんと小堀さんの他,たくさんの学生が集い実験しました.斉藤さんは白目を剝いて論文を作っていました.府大池のそばでBBQ,研究室内で飲み会や花火??(翌朝の演習室が煙臭かったのは西岡徳ちゃんです.彼慌てていました)もしました.宮川さんは白鷺門で酔って寝ていました.「自主的な研究」はとても楽しいものでした.研究室の魅力は,先生はもちろん,諸先輩方が若い学生をしっかり指導し育てるところだと.この素晴らしい伝統を作り上げられたのは大木先生であったと思います. 長い間本当にありがとうございました.大木先生への恩返しは,いい仕事をすること,ウイルス病を少しでも減らすことだと勝手に考えています.引き続き,植物病理,特にウイルス分野の先頭に立って,私どもをご指導いただければ幸いです.このたびはご退職おめでとうございます!!!

2004 年度博士後期課程修了 微生物化学研究所

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退職記念講演 「ウイルスとは何か?そして生命とは?」 2017 年 3月 4日(土) 大阪府立大学学術交流会館

本日はお忙しい中,たくさんの方々にお集まりいただき,ありがとうございます. それでは,いわゆる最終講義の形とは少し違うかもしれませんが,大阪府立大学の教員としての最後のプレゼンテーションを始めることにします.1時間少々の予定です.なお,終了後には場所をサロンに移しまして,ささやかなパーティーを持ちたいと思っております.お時間のある方はご参加ください. 本日のタイトルは,ご覧のとおり「ウイルスとは何か?そして生命とは?」です. 私は1979年7月に本学に着任して37年9か月になりますが,その間主に,植物ウイルスの分類と発病機構について研究を続けてきました.植物ウイルスの専門的な話ばかりではおもしろくありませんので.本日はこれまでの私の研究内容というよりも,長い間かかわってまいりました「ウイルス」という生命体がいったいどのようなものなのか,そして植物ウイルス研究の間に考え続けました「生命」という存在についての私の考えをお話ししたいと思っています.ウイルスの研究をしていますと,ウイルスとは一体何なのか,生命とは何なのかということを,常に考え続けることになります. 地球上の生命の系統進化の道筋については,これまでの多くの研究である程度明らかになってきましたが,そもそもこの地球で生命がなぜ生まれ,なぜ進化を続けているかという謎についても考えたいと思います. 右の図は,私がこれまで長い間つきあってまいりました,キュウリモザイクウイルス,CMV粒子の構造モデルです.ウイルス粒子は直径30 nmで,これは1ミリの3万分の1ほどの大きさになります.粒子の表面はタンパク質の粒子が集まって,サッカーボールのような正二十面体の構造をしています.

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本題に入ります前に,私がウイルスに出合い,植物ウイルスの研究を続けてまいりましたこれまでの歩みを簡単にご説明することにします. 右上の写真はお分かりになるでしょうか.計算尺と呼ばれました手動計算機の一部でありまして,Made in occupied Japan という刻印があります.私は1951年 4月に,連合国軍占領下の横浜市北部の町で生まれました. その後は,映画に三丁目の夕日というのがありましたが,高度経済成長が始まったものの日本はたいへん貧しく,モノがない中で育ちました.新橋や横浜などの駅前では傷痍軍人と呼ばれた人々がアコーディオンを弾き,上野の地下道には浮浪児と呼ばれた子どもたちがあふれていたという,今では考えられないような時代でした.横浜の周辺部では人口が急に増えましたために小学校は午前と午後の二部授業で,学校給食は援助物資でつくられたコッペパンと脱脂粉乳で,鯨のフライがごちそうでした. そのような中で,私は小さいときから虫眼鏡片手に原っぱをかけ回り,とくに植物に親しみました.幼稚園の頃から「大きくなったら植物博士になる」と言っていたそうです. ちなみに私が生まれ育った横浜北部の町は私はかなりの田舎だと思っておりましたが実はけっこう都会で,今ではすぐ近くにApple 社の横浜研究所が建設されています. ちょっと脱線しますが,私が生まれた 1951 年の平均寿命は 60 年でした.私はすでにそれを超えてしまっていますし,うまく行けばあと30年近くは元気で暮らせそうです. 1964 年,前回の東京オリンピックの年に中学校に入りました.中学高校は6年制の男子校で,外国人の先生や外国の姉妹校からの編入生がたくさんいる国際的な環境で,贅沢な教育を受けました. 当時は珍しかったと思いますが,中学1年の時からからクエン酸回路や核酸についてしっかり習いました.生物部では植物や微生物について研究し,また顕微鏡写真の大家の先生がおられましたので顕微鏡にも夢中になりました. 箱根のすぐ東側に丹沢という山がありますが,その丹沢の山奥に学校の山小屋があり,今に続く山歩きの楽しみも身につけました.

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左側に写真がありますが,安田講堂炎上事件というのは皆さまご存知でしょうか.その年は東大入試が中止になりましたが,翌年1970年に大学紛争がまだ完全には治まっていなかった東京大学に入学しました.当時はストライキと呼んでいましたが,学生側による授業ボイコットが多く,必要な単位を取って教養から専門課程へ進学できた学生はごくわずかでした. 電子顕微鏡への興味から植物病理学を専攻することになり,植物ウイルスの研究を始めました.研究室は 1906 年に白井光太郎が開いた世界で一番古い植物病理学講座です.多くの植物ウイルスを発見し,世界で初めてファイトプラズマと呼ばれる病原体を発見された與良教授と土居助教授にご指導いただきました. 1979 年に,維管束局在性という変わった性質をもつ植物ウイルスの研究で博士号をいただきました.私の博士論文は厚さが 5 cm ほどありますが,もちろん手書きの時代です. 3か月だけ日本学術振興会研究員をして,1979 年の 7 月に本学農学部に助手として着任しました. 1984年春から翌年秋までの1年半の期間は,カナダ・アルバータ大学のヒルキ教授に招いていただきました.アルバータ州は石油が出ますので大学もたいへん立派で,その中でさまざまな人々と出会い,貴重な体験ができました.アルバータ大学で初めてマッキントッシュに触れ,コンピューターの時代が始まっていることを知りました.家族で何度かロッキー山脈に行き,スケールの大きな大自然に触れることもできました.娘のナーサリースクールを通じて知り合った一家とは,今も家族同然の付き合いを続けています. 1988 年には京都で国際植物病理学会議があり,初めて国際学会の組織委員や座長を体験しました. この写真は助手 4 年目の時のものですが,右上のタイからの国費留学生のピサワンさんはその後カセサート大学の先生になり,その学生だったサンパパオさんも国費留学生として私のところで博士号を取りました.真ん中の吉川さんは今日も来ていただいていますが現在は岩手大学教授で副学長,左上の寺見さんは農研機構の研究所で活躍されています. 1994 年に園芸農学科は応用植物科学科になりました. その間に,日本植物病理学会の植物ウイルス病研究会という研究会を本学で開きました.また,植物ウイルス同定のテクニックと日本に発生す

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るウイルスのデータベースをまとめたモノグラフ,一般向けの科学書として「植物と病気」,また,IUMS 国際ウイルス分類委員会の仕事として「Virus Taxonomy」の刊行にもかかわりました. プラハで開かれました国際遺伝資源研究所IPGRIの会議への参加もたいへん勉強になりました.右はそのときの議論をもとに刊行されたモノグラフです.韓国の学会や中国の大学に招かれたこともあります. 2001 年には大学院重点化された農学生命科学研究科の教授になりました.その後,2005年には大学は公立大学法人になり,生命環境科学研究科・植物バイオサイエンス学科となりました, 2002 年には日本植物病理学会の全国大会を大阪で開きました. ところで,私はそれまでの教科書は今の学生には難しすぎると感じておりましたため,3年間ほど土日を使って準備をし,2007年に「植物病理学」のまったく新しい教科書を出版しました. また,キュウリモザイクウイルスの発病機構についての研究を評価していただき,2010年には日本植物病理学会から学会賞を受賞いたしました. 2012 年には生命環境科学域が誕生し,2013年からは学域長を拝命しております. 昔学生だった皆さんは驚かれると思いますが,今の組織は以前の農学部と理学部とが1つの学域となっていて,4つの学類からなっています. 2015 年には 10 年越しの大変な難産の末,「植物ウイルス大事典」を完成させることができました.また,学域長としての仕事の合間に少々頑張りまして,もう一つ,「微生物学」の教科書もつくりました. 分かりやすい教科書を作るという作業は実はかなりたいへんなのですが,私は文章を書くことも絵を描くことも好きですので,楽しく集中することができました.

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学部と大学院の講義では,細胞生物学,基礎微生物学,植物病理学,生命と科学の倫理などの科目を担当しました. 期末試験の解答用紙の最後にひとこと書いてもらってきたのですが,学生の皆さんからいただく感想コメントは,より良い講義をするためのエネルギーになりました. 全学の仕事としましては,教育改革専門委員会,高等教育開発センターなどの委員を務めました.また,大阪府立大学が目指す学修成果目標や研究公正のための行動規範の作成などにも関わりました. 図書館のイベントで,もやしもんという漫画の作者と対談をしたこともあります. ということで,今日に至っております. さて,ウイルスとは何かという本題に移りましょう. 多くの方はご存知ありませんが,植物も私たち人間と同じようにウイルス病にかかり,ウイルスは農業生産にも大きな被害をもたらしています.それで,植物病理学では植物ウイルスを重要な対象の一つにしているわけです. これはモザイク病にかかっているチューリップの花で,色の濃い部分と薄い部分とがモザイク状になっています.この絵は17世紀オランダのモレルという人の絵ですが,当時経済的に繁栄していたオランダは大園芸ブームで,このような珍しい斑入りの球根がとんでもない高値で取引されました. ちなみに,植物ウイルス病の最古の文献記録は西暦752年の万葉集の孝謙天皇の和歌で描写された,ヒヨドリバナの葉がモザイク状に黄色くなる黄葉症状ということになっています.これは私たちの研究室の先輩の井上先生が1980年に明らかにしました.

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では,ウイルスとはどのようなものなのでしょうか.一般的には,次のように定義されます. ウイルスはきわめて小さく,細胞構造をもちません.現在の生物学では細胞をもつものが生物とされていますので,生物ではないという扱いになります. 核酸は DNA か RNA どちらか一方で,核酸と外被タンパク質からなる殻とからなります.ゲノムの種類は一本鎖あるいは二本鎖の RNA,DNAなど多様です.レトロウイルスなどセントラルドグマに従わないものもあります. 複製には生きた細胞に寄生する必要があり,細胞内でのみ増殖します.ウイルス粒子の基本構造は正二十面体からせん構造で,エンベロープと呼ぶ膜に包まれるものもあります.また,ウイルス粒子には大きくなる「成長」という過程はありません.自然界では多くは昆虫などによって媒介されます. 以上のように,ウイルスは生物とは区別されるものの.生物のようでもある不思議な存在ということになります. 写真は普通の風邪などを起こすアデノウイルスのウイルス画像です. では,いちばん有名な植物ウイルスであるTMV,タバコモザイクウイルスを例にして,植物ウイルスについて特徴を説明します. これは TMVの電子顕微鏡写真で,TMVは直径18nm,長さ 300 nmの真ん中に穴があいた棒状をしています.1 ミリの千分の一が 1 マイクロメーターですが,長さはその三分の一弱ですから,光学顕微鏡ではもちろん見えません. タバコなどのナス科植物にモザイク病を起こしますが,ウイルスは農薬による防除ができませんので被害は甚大です.ヒトの風邪も含めたウイルス病には実は効く薬がほぼゼロであることは,ご存知だと思います. 1892 年にロシアの Iwanovsky が細菌を濾過したタバコ汁液が病気を起こすことを示ました.ただし彼はこれを毒素と考えていました. 1898年にオランダのBeijerinckがそれがタバコの葉の中で増殖する細菌とは異なるものであることを示して,伝染性生命液と命名し,ウイルスの概念を確立しました.ラテン語で contagium vivum fluidum,これが後に英語の virus なるわけです. 1935 年に米国のStanley が本体はタンパク質と考えて結晶化し,ノーベル賞を受賞しました.

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1936 年に英国のBawden らは RNAが 5%含まれることを示しましたが,実はこの核酸情報こそが重要でした. 1953 年にWatson と Crick は DNA 二重らせんモデルを発表しましたが,ワトソンはそれまでに TMV 粒子のらせん構造を研究していて,それが二重らせんの解明のヒントになりました. 1955 年に米国の Fraenkel-Conrat らは CP とRNA により試験管内再構成に成功しています.1957 年に彼らは感染性が RNA によることを証明しました.1960 年には TMV の全塩基配列が決定されています. 1969 年に農林水産省植物ウイルス研究所の建部 到らはタバコ葉肉プロトプラストによるTMV感染系を確立し,複製様式の解明ができるようになりました.一方で,これがプロトプラストを利用した植物バイオテクノロジーの出発点になっているわけです. 1975 年に TMV-RNAのキャップ構造が発見されました.また,1977年には TMVのゲノム構造が決定されています. 1986 年に東京大学理学部の岡田吉美が TMV粒子の再構成モデルを完成させました.核酸とタンパク質を一定の条件に置くと,ウイルス粒子が自動的に組み上がるという現象の発見です. TMV-RNAの遺伝子操作系も確立され,各タンパク質の機能解析,病原性・病徴発現機構が解明されるようになりました. また,1986 年には米国で世界最初の形質転換病害抵抗性植物として,外被タンパク質遺伝子導入TMV抵抗性タバコが作出されています. このように,TMVは分子生物学の研究を牽引してきており,植物への遺伝子導入のためのウイルスベクターとして,また植物遺伝子の機能解明のためのウイルス誘導ジーンサイレンシングVIGS という実験技術などにも利用されています. TMV のウイルス粒子は直径 18 nm 長さ 300 nmの棒状で, 1 本の約 6400ヌクレオチドのらせん状のRNA分子に158アミノ酸からなる単一外被タンパク質が2130個ほど結合してできています. エンベロープをもたないウイルスの中でも簡素な構造です.

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刻み海苔についていたノロウイルスが食中毒を起こしたという話がありましたが,TMVは植物ウイルスの中でも最も丈夫で,熱湯中で 5 分以上加熱しないと不活化しません.土の中で数年以上活性を保って,植物に根から感染することもあります. ゲノムは一本鎖プラス鎖RNAで,5’端にキャップ構造,3’端に tRNA様構造をもっています.プラス鎖というのは mRNA と同じように,そのまま読まれてタンパク質が翻訳されるものです. ORF はわずか 4つで,5’端からの翻訳ではリードスルーによって2つのタンパク質ができて,RNA複製酵素の主要成分になります. また RNA の複製過程でできる 126K と 180Kの 2つの短いサブゲノムRNAから,細胞間移行に必要な30Kタンパク質と17K外被タンパク質とがつくられます. 現在では,これらのタンパクのいずれも,多くの機能をもっていることが分かっています. TMV が感染細胞で増殖しますと,原形質連絡を通って隣の細胞へ移行し,維管束の篩管系を通って全身に移行します 宿主植物は実はサイレンシングというかなり巧妙なしくみによってウイルスを撃退しようとするのですが,植物ウイルスは宿主によるサイレンシングを抑制するタンパク質をもっていて,増殖してしまいます. また,植物がウイルスに感染しますと背丈が短くなったり葉が縮れたりといった病徴を示しますが,これはウイルスが宿主の低分子RNA代謝を撹乱するためであることが分かっています. 私たちはこの20年ほど,おもにキュウリモザイクウイルスについて,このようなウイルスの移行や発病の分子機構について研究してまいりました. 次に,ウイルスについての注目すべき話題のひとつとして,巨大ウイルスに触れることにします. ミミウイルスは1992年に最初に発見された巨大核質 DNA ウイルスで,英国の病院の冷却水のアカントアメーバ中に発見されました.ウイルスとしては桁違いに大きい粒子の直径は 750 nm,ゲノムサイズは 120 万 bp で,遺伝子数は 980もあります. その後,パンドラウイルスといって,2013 年

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にチリ・オーストラリアの水中アメーバから同様なウイルスが発見されています.直径は1 µm,ゲノムサイズは200~250万 bpもありました. いずれも機能が分からない遺伝子を大量に含んでおり,生物全体を構成する真核生物,細菌,古細菌の3つのドメインとは別の,第4のドメインを形成すると主張する研究者もいます. もう一つ,昆虫が自分のためにウイルスを利用している例をご紹介します. 寄生バチの多くの種は,卵を産み付けた鱗翅目昆虫の幼虫がどんどん成育して羽化してしまうと困りますので,宿主の発育を制御するために卵と一緒にポリドナウイルスと呼ばれるウイルスを注入し,寄生バチに都合のよい分子操作を行います. このウイルスは寄生バチの体内では増殖せず,卵巣の特定の部位でのみ増殖が起こります.また,エンベロープに包まれたDNAはウイルスの構造タンパク質をコードしておらず,コードされているのは宿主の免疫系を改変するタンパク質や変態を抑制するタンパク質などということです.つまり,卵を産み付ける鱗翅目の幼虫を生かさず殺さず,寄生バチの幼虫が生まれるまで完全に植民地として使うために,ウイルスを巧妙に利用していることになります. では,そもそもウイルスとは何なのかという話題に移ります. これは,インフルエンザウイルスの構造モデルです.内部にはらせん状の核タンパク質がありますが,茶色で示されたエンベロープをもっていて,その表面には青い 2 種類のスパイクタンパク質が並んでいます.これらのスパイクタンパク質はたびたび変異しますが,これらの組み合わせによって毎年のようにH5N1 などのウイルスの型が変わるわけです. 復習になりますが,ウイルスはこのような特徴を持っています. T 偶数系大腸菌ファージなどの例外はありますが,一般的には遺伝子数は少なく,TMV の場合は 4個,CMVの場合は 5個という,ごくわずかの遺伝子で生命活動を行い,子孫を残しています.

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自身では代謝を行いませんが,寄生した相手の宿主細胞の素材と装置,エネルギーをちゃっかり利用するという,寄生者としてもっとも効率のよい方式をとっている生命体です. ウイルスは生物とは呼べないのかもしれないのですが,ウイルスを日常的に扱っている私たちは生きものだと感じています.なぜなら,ウイルスは生き続けることができますし,実験の途中に死んでしまうことがあるからです. ウイルスは宿主に感染して増殖し,生物と同じように子孫を残すことができます.私たちが人工的に改変したウイルスも,野外に放てば運がよければずっと生き続けます.一方で,ウイルスは加熱や紫外線照射などでゲノムが壊れますと,不活化します.つまり,ウイルスにも子孫を残せなくなる状態があり,これは生物が死ぬということと同等です.ウイルスを改変するときにたった1つ塩基置換しただけで増殖が起こらなくなることがあります.ウイルスの生死の境界も何が決めているのかはよく分かりません. 私も以前はよく電子顕微鏡でウイルスの感染細胞を観察していましたが,倍率を 2 万倍から 4万倍,8万倍と上げていくと細かな部分がよく見えるようになるかというとまったくその反対で,倍率を上げると構造が不明瞭になり何が何だか判別できなくなることに驚きました.福岡伸一の本に「世界は分けても分からない」というのがありますが,生物学における物理的・生理的境界は結局のところは明確には設定できないというのが真実のようです. ちなみに,電子顕微鏡観察で10万倍というと途方もない倍率のように聞こえるかもしれませんが,実際の観察では250倍くらいの低倍率から少しずつダイヤルを回して倍率を上げて観察しますので,慣れますとそれほど高倍率とは感じなくなります. 私たちも日常的にやっていることですが,人工合成した核酸を宿主に接種しますとウイルスが増殖し,その子孫はウイルスとしていき続けます.つまり,私たちは少なくともウイルスという生命体については「つくる」ことができると言うことです. また,米国では2002年にニューヨーク州立大のエカード・ウィマーらによって,ポリオウイルスがまったくのゼロから人工合成されています. なお,人類はまだ完全な細菌の人工合成は成功していませんが,2010年にはクレーグ・ヴェンターのチームがマイコプラズマゲノムを人工合成して,ゲノムを抜いた宿主細胞に入れて複製できる生物をつくるという実験が行われ.成功しています. と言うわけで,人類は生命の人工合成にかなり近づいてきています.近い将来に理論上はヒトも含めて生物を人工合成できることになりますが,生命倫理がますます重要になってきます.

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さて,このようなウイルスですが,ウイルスの起原についてはまったく分かっていません.主な説は3つあります. 1 つは細胞性生物が退化し,寄生するために不要なものを捨ててウイルスになったというものです. 2つ目は生物の核酸の一部が独立したというもので,トランスポゾンやレトロウイルスを見ていますと,元は生物の核酸だったものが勝手に動き回るようになったという考え方もできます. 3 つ目の説は図に示しましたように,原始地球の RNA ワールドなどの時代の単純な生命体が,細胞性生物に依存して生き続けてきたという考え方です.ウイルスだけが多様なゲノムをもっていることを考えますと,私はこの説の可能性が高いのではないかと考えています.また,ウイルスこそが地球最初の生命体だったと考える説も提唱されています. なお,ウイルスは真核生物,細菌,古細菌のいずれからも知られており,いずれにしてもウイルスの起原はかなり古いのではないのかと考えられています. ウイルスは比較的簡単に変異しますので,一般的な生物に比べて進化はかなり速い速度で起こります. また,同一ウイルスでも組換えにより多様な進化が起こっている過程が追跡されています.有名なのは佐賀大学農学部の大島一里で,綿密な実験を重ねて,地中海の野生ランに寄生していた植物ウイルスが変異してアブラナ科野菜に感染するようになり,組換えをくり返しながら世界中に広がってきた経過を詳しく解明しています. また,植物ウイルスの進化を属レベルで比較しますと,遺伝子のユニットごとに組み換えて多様化してきていることが分かります.図はその一例で,私もかつて研究していましたクロステロウイルス科というグループの進化過程のモデルです. 一方,最近では,実は生物自身もウイルス感染によって進化してきたことを示すエビデンスもたくさん見つかっています. レトロウイルスは宿主のゲノム中に潜り込むことができますが,ヒトの遺伝子の半数はウイルスゲノムが取り込まれた結果であることが分かっています.たとえば,非 LTR 型レトロトランスポゾンのAlu 配列という配列は,ヒトゲノム中に100万コピーも存在しています.

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重要な発見としては,私たちヒトももっている胎盤という組織がありますが,これはレトロウイルスが生殖細胞に感染しゲノムに組み込まれることによって成立したことが分かっています.哺乳類は長い進化の中で,おそらく白亜紀にウイルス遺伝子を内在化し、その内在性レトロウイルス遺伝子の機能よって胎盤を発達させてきたことが明らかになりました. そもそも,真核生物ができたときに,細胞の核は古細菌のメタン菌に感染したDNAウイルスがもたらしたという仮説も提唱されています. と言うわけで,ウイルスを研究していますと,生命とは何なのかがますます分からなくなってきます. 生命とは,生きているとはどういうものなのでしょうか.そして地球の生命はどのようにして,またなぜ生まれたのでしょうか. 人間は誰でも直感的に生物と生物ではないものとを区別し,人間を生物の中でも特別な存在と考えてきました.ギリシャ人もそう考えましたし,私も子供の頃にはそう考えていました. ところが,私も生物学の勉強を続けるうちに,生物の構造と機能が物理化学的なしくみに依存していることを理解するようになりました. 生体反応は巧妙なタンパク質反応によりますし,遺伝のしくみが DNA の構造と機能によることは皆さまご存知の通りです. 生命科学は急速に発展しています.私が少し前まで担当していました細胞生物学の教科書には,たとえばこのような内容が出てきました. 男性にはふだん排水管として使われている器官がありますが,それに物理的あるいは精神的な刺激が伝わりますと,神経末端から化学シグナルであるアセチル CoA が放出され,それを受容した血管内皮細胞が瞬時にアルギニンからセカンドメッセンジャーである一酸化窒素,NO を生産し,膜を通して拡散した NO が血管をとりまく平滑筋の受容体に結合して平滑筋が弛緩し,その結果右上の図のように血管が膨らんで内部に大量の血液が流入して充満し,器官全体が急激に大

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きく固くなります. こういう仕組みが働かないとヒトは子孫を残せないわけです. そのような活動を制御している神経系も,電位依存Na+イオンチャネルの開閉による膜電位の連続的変化による軸索内の伝導と,神経末端に達した電気的変化が細胞膜に変化を起こして化学シグナルを放出して行われる次の神経細胞への伝達とからなることはご存知のことでしょう. 現在の科学では,ヒトの思考や喜怒哀楽,愛情などの感情も,意識やあるいは霊魂などとしてとらえられるものの実態も,大脳内の神経ネットワークの活動によるものと理解されています.つまりは,電気的・化学的変化の結果ということになります. 相当に複雑で神秘的だと考えられてきたヒトも,結局のところは機械仕掛けということになり,よくよく考えますとやや残念ですが,改めて驚くことになります. 考えてみますとヒトの身体にも驚くことがたくさんあります. ヒトの細胞数は約 60 兆個でほとんどは数ヶ月で完全に入れ替わりますが,不思議なことに外見や記憶・性格などはほぼ正確に維持されます. 遺伝子数は 22,000 ほどしかありません.ヒトのゲノムサイズは 32 億 bp で,イモリやユリ,アメーバよりも少ないことも分かっています. 一方で,ガラクタとされてきた DNA の非コード領域も,miRNA をはじめとする多様な機能性RNAをつくって働くことが分かってきました. 右の図は,人体の不思議を描いた 15 世紀のレオナルド・ダ・ヴィンチの有名な図です. 現生人類は生物全体の中で見ると,けっして特別な存在ではありません. ヒトとチンパンジーのゲノムの相同性は

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98.4%以上で,生物の分類ではほとんど同一種と呼んでもいいくらいの近さです.ただし,ヒトはチンパンジーが持っている一群の調節遺伝子を失って成立したようです ヒトとチンパンジーの祖先が分かれたのは約 700 万年前であることが分かっています.また,7万年ほど前にアフリカを出たヒトは直後に中東でネアンデルタール人と交配し,ヨーロッパ人とアジア人の元になったことも明らかになっています. なお,日本列島にはかなり昔からからヒトが住んでいたことが分かっていますが,不思議なことに現在の日本人は現生人類の中でも非常に古い血を残しているとされています. 図はアフリカから出た人類のひろがりの,ミトコンドリア DNA のハプロタイプ解析結果の一例ですが,日本人がもつのはかなり古いタイプだそうです. 改めて生物とは何かということを考えますが,生物にはこのような少なくとも4つの特徴があります. 第一は,細胞という外界と隔離された構造をもつこと,第二は必要な生体高分子を合成できること,第三は安定的な生理状態を保てること,そして第四は自己複製できることです. このような特徴は動物や植物では明らかですが,寄生や共生という形をとる微生物については必ずしも明確ではなくなります. また,ウイルスの場合は自己複製しますが,他の3つの要素は備えていません. 生きているとはどのような状態かは,とても難しい問題です. ヒトが通常感じる死は人間の個体の死ですがが,必ずしも生物の死=生物個体の死とは言えません. 植物の多くは株分けや挿し木などでも増えますので,永遠に生きるとも考えられます.また,多細胞動物細胞は周囲の細胞からシグナルを受けなくなるとアポトーシスを起こして死んでしまいますが,そのような制御が取り除かれると生き続けることができます.有名なHeLa 細胞は,ヒトの最初の細胞株で現在も世界中の研究室で利用されています.これは 1951 年に子宮頸がんで死亡した黒人女性 Henrietta Lacks に由来するもので.驚くべきことに,HeLa 細胞はタバコ

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培養細胞とも融合可能です. 微生物学の講義では,微生物の生死とは何かが議論になります. 微生物学の場合の死とはクローンとして増殖能力が不可逆的に失われた状態を指すことになりますが,これを無理矢理ヒトに当てはめますと,ヒトも子孫があれば生き続けているとも考えられます. 右の絵は,フランス新古典派のブグローの「ヴィーナスの誕生」です.「生きていること」を感じさせる官能的なイメージで,絵画ではありますがちょっとドキドキしてしまいます. 生きているという状態を言い換えますと,次のようになります. 生物が生きているということは,恒常性が維持され,自己増殖可能な状態で,基本的には自己の遺伝子を次世代に伝えることが可能なことです. また,熱力学第二法則というものがありますが,エントロピーは生物でないものでは必ず増加するのに対し,生物は見かけ上エントロピーを減少させています.これを有名な量子力学の大家で生物学に転向したシュレ-ディンガーは1944年に書いた本の中で,生物は「負のエントロピー」を食べて自分のエントロピーの増加を防いでいると説きました.生物は有機物などのエントロピーの低い物質を分解して ATP を得て,その ATP を使ってエントロピーが低い生体高分子を合成していることになります.さらに,生物が死ぬとその活動が止まり,遺体はエントロピーの高い状態へ分解されます. 以上のように生物も,熱力学の法則に反する存在ではないことが分かります. 地球が誕生したのは約 46 億年前ですが,古生物学の研究からおそらく 38 億年前には原核生物が存在したことが分かっています. 真核生物は今から 21 億年ほど前に,原核生物に他の原核生物が共生して誕生しました.たとえば,私たちの細胞にあるミトコンドリアは α プロテオバクテリアに近い細菌が共生してできたもの,また緑色植物の葉緑体はシアノバクテリアに近い原核生物が共生してできたものであることが分かっています. その後,地球は何度も寒冷化して全体が凍結したり,隕石が衝突したりし,大きな気候変動に何度も見舞われました.気候変動によって多くの生物が絶滅しましたが,同時にさまざまな生物が進化してきました.生物はたえず変異していますので,たまたまそのときの環境に適応したものが生き残り,新しい種へと進化したことになります.中でもヒトは,ごく最近になって進化しましたが,今では地球全体の環境をも大きく変えようとしています. このように,38億年前から現在に到る生命の進化過程についてはある程度分かってきました.

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生物の系統進化を示す系統樹も,最近ではかなり複雑であると考えられるようになってきました. 地球上の生命は原核生物が細胞内共生を起こして真核生物になり,遺伝子の水平伝達をくり返しながら進化してヒトに至って来ています.左側の細菌・真ん中の古細菌から右側の動物・ヒトも遺伝子交流を繰り返しており,連続的です. また,重要なことですが,最近では地球最初の生物は1つではなく,原始生命の進化は多様な生命体の要素が組み合わさって始まったと考えられるようになってきました.系統樹の根は1本にはならないということです. いずれにしても最初の生物は好熱性で,ほとんどの研究者はおそらくは海底の熱水噴出口周辺で生まれたと考えています. では,地球最初の生命体はどうやってできたのでしょう. 皆さまご存知のように,現在ではこのように多くの説が提唱されています. 中でも,1982年にチェックによりテトラヒメナの RNA が自己触媒機能をもつことが明らかにされて以来,RNAが最初にできてそれがタンパク質と相互作用するようになり,さらにより安定な DNA が遺伝物質として採用されるようになったとするRNAワールド説が幅広い研究者の支持を得ているようです. しかしながら,RNAにしてもタンパク質にしても分解は簡単に起こりますが,どのようなしくみで無機物から複雑な有機物が重合してできてきたかという謎は解明されていません. ほとんどの研究者は現在地球にいる生物の起源は共通だと考えています. DNA から始まるタンパク質翻訳のしくみがすべて同一であることがありますし,ホモキラリティーという問題があるからです. ホモキラリティーというのは,地球上の生物は基本的に L型アミノ酸とD型糖を使うという性質です.地球上で原始生命が始まった段階でこのような偏りができ,それが現在の生物に引き継がれていると考えられています.

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生命の起原については私が学生の頃にはコアセルベート説が有名で,還元的な原始大気を模した環境で放電によってアミノ酸ができたと考えられていました.原始地球は有機スープで満たされていて,そこから従属栄養生物が誕生したという考えです. ところが,その後の研究で,原始地球は現在の火山ガスに近い酸化的なガスに満たされていたことが明らかになり,ユーリー・ミラーの実験に代わる説明が求められるようになりました. その後,宇宙から飛来した隕石から核酸塩基やアミノ酸が検出され,生命は地球外から飛来したと考える研究者も多くなりました. 1988 年にヴェヒターショイザーは,黄鉄鉱の表面でさまざまな有機物が自発的にできたと考えました.表面代謝説と呼ばれます.たとえば黄鉄鉱の表面で硫化水素と二酸化炭素が反応すると,外部からのエネルギー投入なしにギ酸ができます. 彼は最初の生命体は膜に覆われていない独立栄養生物であり,それが古細菌の誕生につながったとしました.黄鉄鉱は深海の熱水噴出口の周辺に多量にありますので,この仮説も多くの研究者に支持されています. 最近では,海洋研究開発機構の高井 研らが,最初の生命体は熱水噴出口で発生し,水素と二酸化炭素からのメタン生成を中心とした化学合成によって生まれたとして,熱水噴出口付近の海底で原始生命の生き残りの探索を続けています. しかしながら,ここに示したように,重大な問題が残っています.そもそも岩石だらけの地球でどうやって,また,なぜ生命が生まれたかを説明できる仮説はほとんどありません. 最初の生命は本当に海の中で誕生したのでしょうか.超高温になるはずの隕石によって宇宙から生命が持ち込まれる可能性は本当にあるのでしょうか. 水中ではタンパク質や核酸は希釈され,簡単に加水分解されてしまいますが,その逆にアミノ酸や塩基が重合してタンパク質や核酸になるためにはエネルギーの投入が必要です.また,地球上の生命の誕生とその後の進化が科学的必然であるのかどうかも重要なポイントです. このような問題に正面から答えようとしている研究者はわずかしかいませんが,その中でも私が説得力を感じているのは元物質材料研究機構の中沢弘基の仮説です.簡単には説明しきれない

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のですが,少しだけ解説することにします. 中沢はビッグバンにおける元素誕生からからヒトに到る複雑化の過程を地球科学的に考え,一部を実験的に証明しています. 詳しくは講談社現代新書から出ている「生命誕生」で解説されていますので,ご覧ください.ポイントは,軽元素から生命誕生までが一連の化学反応として説明されていることです. これは「生命誕生」に付いているカラーの図の一部です. 彼は地球誕生の冷却化の過程で,地殻ができ,海ができた後の,40~38 億年前の時期の大量の隕石による後期重爆撃と呼ばれる時代に注目します.平均 5000m の深さがあった海に直径10km の金属鉄を主成分とする隕石が大量に降り注ぎ,海水は超臨界水となって大気や岩石と反応しました.当時の大気は一時的に還元的になり,アンモニアやメタンなどの有機分子が生まれる条件が整います.中沢はカンラン石と鉄と水を衝突させて,実際にカンラン石も鉄も蒸発することを確かめています.また,窒素,鉄,ニッケルと水などを衝突させる実験では,カルボン酸やアミン,アミノ酸などができることも示しました. 生成物のうち水溶性と親水性の有機分子だけが粘土コロイドに吸着されて海底に沈殿します.堆積物中の圧力と温度上昇により,有機分子は脱水重合して高分子化します.海底地下を模した実験で,実際にグリシン,アラニン,バリンが重合することも確かめています.ホモキラリティーの起原については推定ですが,海底地殻での高分子化過程での可能性を考えています.その後,さまざまな小胞に包まれていた有機分子どうしが融合して,多様な有機分子からなる地下生物圏を形成し,熱水噴出口から海水中に放出された生命体が適応放散して生物につながったと考えています. もう一つの重要な指摘は,中沢は地球での生命の誕生と進化を物理的必然としているところです. 138 億年前のビッグバンの直後に生まれた水素とヘリウムが集まって星になり,核融合が起きて軽元素ができました.鉄より重い元素は超新星爆発によってできたと考えられています.私たちの身体も星々のかけらでできていることになり

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ます.地球上では生命が誕生し,ますます複雑化してきていますが,エントロピーが減少するように見えるのはなぜでしょうか? 地球内部では地球誕生時から続く重力エネルギーによる熱に加え,放射性物質の崩壊が起こって熱エネルギーが発生していますが,実は地球のエネルギー収支はゼロではなく,地球全体では1時間あたり 38兆 Kcal の熱を宇宙空間に放出し続けています.熱を放出して冷却すると言うことは,地球のエントロピーは減少していることになります.その分,地球は少しずつ複雑化することになります.地球の構造や元素は時間の経過とともに秩序化していますが,中沢は生物の誕生と進化もその延長線上の必然と考えています. この物理化学的な説明はかなりユニークなのですが,私が中沢の考え方に共感を感じているところです. 生命とは何か.この問には明確には答えられませんが,これまでの話をまとめますと次のようになります. 生命ははるか以前のビッグバンに源をもつ元素や分子が複雑化を繰り返して連綿と続いてきて,ついには自己複製できるようになった系統,リネージということになります. 生命には複製過程で変異が起こり子孫は必ず変化していきますが,この変化するという特徴こそが次の進化の原動力になっています.もちろんこの過程では,その時々の環境条件に合わなくて死に絶えてしまう生命体の方が圧倒的に多いはずです.今生き続けている生命体は,たまたまの積み重ねなのですがラッキーにも生き残ることができた結果ということになります. また,生命はゆらぎをもちながらも恒常性を保つことができるという,たいへん不思議な存在です. そして,このような特徴をもつものを生命ととらえますと,ウイルスも広い意味での生命に含まれるということになるのかもしれません. 右の絵は,クリムトの有名な生命の樹です. さて,地球に生命が生まれて 30 何億年か経って,現在ではホモ・サピエンスという種が地球の隅々まで増殖しています.最近,欧米で話題になっている「サピエンス全史」という本は,イスラエルの若い歴史学者が書いたものですが,皆さまお読みになったでしょうか. 無数にある生物の中でホモ・サピエンスが繁栄するようになったのは,ホモ・サピエンスだけが神話や宗教,国家,法律,貨幣,資本主義などという虚構を信じることによって共同で行動し,繁栄してきたと説いています.人権や平等,自由までもが共同幻想であると言い,ヒトは集団としては繁栄してきました.ただし重要なこととし

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て,農業革命以降,ほとんどの人間は個人としては幸福度が下がっていると指摘しています.さらに今後は科学の力により自身を改造し,生物進化によらないヒトの未来を作ることを予言しています. 実は生命工学はすでに人工授精や遺伝子治療,再生医療,さらにはゲノム編集などによってヒトの改造を始めていますし,ロボット技術もヒトの改造に応用されることでしょう.一方で,2045年にはシンギュラリティー,つまりコンピューターの能力がヒトを超えることが予測されています.今の若い人たちが道を歩くにも iPhone に頼り,たえずGoogle さまにお伺いを立てているのを見ていますと,実はもっと早く,人類はコンピューターに支配されることになるかもしれません. 「サピエンス全史」でも紹介されていますが,改めてこの2冊も読んでみました. 「一九八四年」はジョージ・オーウェルが1949年に出版したSF小説で,「ビックブラザー」が支配する抑圧された全体主義世界を描いています.トランプ政権になって,アメリカでもまたベストセラーになっているようですね.大統領顧問が使った「オルタナティブ・ファクト」という言葉が,真実を次々と都合の良いように書き換えていくオーウェルの世界を思い起こさせます. 「すばらしき新世界」はダーウィンの進化論を応援したトーマス・ハックスリーの孫のオルダス・ハックスリーが 1932 年に出版したもので,ヒトが工場生産されて階級に分けられて条件付けされ,フリーセックスと「ソーマ」と呼ぶ化学物質による快楽に頼って生きている世界を描きました.とても80年前の本とは思えないほど,可能性が科学的に予測されています.現在はトランプ大統領の登場によって,既存の共同幻想が次々と打破される時代になってきていますが,習近平,プーチンと三人を並べますと,80年前に予言されたこれらの不気味な世界が現実味を帯びてきます.世界がそのような形になる可能性も全くないわけではないと思います. 私たちの生命科学は平和で豊かな世界をつくることもできますが,一方では映画のスターウォーズのような強力なクローン人間兵士やアンドロイド兵士を量産することも不可能ではなくなってきました.人類が今後コンピューターとも共存しながら,どのように未来を作っていくか,少々心配でもあり,楽しみなところでもあります. 付け足しになりますが,人々の仕事や大学のあり方も近い将来に大きく変わっていくことでしょう. いずれにしましても,生命は不思議な存在です. この絵は先ほども登場しましたフランス新古典派のブグローの母と子供の絵です.生命は不思議な存在ですし,皆さまご存知のように現在のこの美しい地球は,生命がつくりました. 生命は結局のところはモノの延長上にある機

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械仕掛けに過ぎないのかもしれませんが,たえず変化しながら平衡を保っているとても不思議な,いとおしい存在です.正直なところ,私は生命に単なる物理的存在以上の神秘的なものを感じます.私は科学という手法を十分に活用した上で,生命という存在の不思議さをかみしめ,大切にしてゆきたいと考えています.生命ほど不思議で,また魅力的なものはありません. 本日の私のつたないお話が,皆さまが生命という存在について改めて考えるきっかけになったとすれば幸いです. そして,生命の特徴のひとつに進化がありますが,私がこれまで研究して参りましたウイルスこそがこの進化の重要な謎を握っているはずです.今後も,植物病理学や植物ウイルス学はもちろんですが,生命とウイルスについても,考え続けていきたいと思っています. さて,本日は私の研究とは少し離れて,ウイルスと生命について考えてまいりました. これまでの教育研究生活では,ここにお示ししました方々をはじめ,たくさんの皆さまのお世話になりました.農林水産省や各県の農業試験場,植物防疫所,学会,出版社などの皆さまにもたいへんお世話になりました. また,大学におきましては教務・入試をはじめとしまして,職員の皆さまに献身的なサポートをいただきました.改めて感謝します. 37 年以上にわたって大学教員という仕事を続けてまいりました.長い間,科学の探究に時間を忘れて没入できるという,たいへん幸せな生活を送ることができました.大学での教育研究では,若い人々の成長過程を間近に見ることができました.たいへんやりがいのある仕事と感じ,また,いつも朝から晩まで若い人々と一緒に楽しく過ごすことができました.ありがたいことだと感謝しております. 今月末で退職ということになりますが,幸いにも健康面ではきわめて良好ですので,今後とも山歩きを含めて活動的に過ごしたいと思っております.これまで同様のご厚誼のほど,よろしくお願い申し上げます. 私の今後の予定につきまして,少しだけお話しします.4月からどこかの私学に移ったりというような予定はまったくありません. 一部の方はご存知ですが,私は退職後に移住するつもりで八ヶ岳の西側,蓼科高原の標高1400m の森の中に家を作りましたが,諸般の事情から4月にすぐに移住というのは難しくなりました.とりあえずは1年か1年半,サバティカ

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ルのつもりで堺の家の方を本拠地としまして,身のまわりを整理しながら過ごす予定です.長い間かなり真面目に働いて家族旅行にもほとんど行けませんでした.長い間ほったらかしにしてきました家内に感謝の気持ちを表すためにも,旅行などにも出かけたいと思っています. 当面の目標のひとつは植物病理学の教科書の改訂作業です.刊行後まだ10年弱ですが,早くも修正・補足すべきところが多くなってきました.しっかり準備して,第2版を作りたいと考えています. もう一つは,秋のヒマラヤのトレッキングに向けての準備です.榎井学生課長をはじめとする何人かの方と,ネパールのアンナプルナBCという標高4300 mのところまで歩いて行って,ヒマラヤの絶景を堪能するという計画がほぼ固まっています.そのために,装備を調え,トレーニングにも励むつもりでいます.人間ドックの結果を見るかぎり体調は万全ですので,無事に帰ってこられると思っています. 信州に移住した後のことは決まっていませんが,何らかのNPO活動に参加するつもりでいます. と言うわけですので,何かご用がありましたらご遠慮なくお声がけをお願いします.ちなみに,この写真の花は蓼科の家のすぐ近くの自然公園で毎年4月に見られる大好きな野草で,キクザキイチゲといいます. では以上で終わりにします.本日はありがとうございました.