[kenichi Sato/佐藤健一] メディカル朝日/新米家庭医の診療所だより

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新米家庭医の診療所だよ 便

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4年間の研修終了後に隔月で1年間連載していました.文章を書き始めた本当の初期の頃です.

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新 米 家庭 医の 診 療 所 だ よ

「ひとり病診連携」で

患者さんの

負担が軽くなる

私は今、沖縄の北中城村

(きたなかぐすくそん)と

いうところで働き、病院と

クリニツクの両方に勤務し

ています。家庭医として、

午前中は病棟で入院患者さ

んの回診をし、午後はクリ

ニツクで外来診療と週に

度の在宅訪間診療を行うと

いう日々です。この変則的

「ひとり病診連携」の毎

日を通して、家庭医の日常

診療の様子や者えているこ

となどを書きつづ

っていき

たいと思います。

■南国の蒲洒なクリニツク

北中城村は人国

一万五〇

〇〇人、一[輸化率

一四%で、

そのほぼ中心に私の働く

「フ

ァミリ

クリ

ックき

たな

かぐすく」があります。す

ぐ隣には沖縄市や宜野湾市

などの大きな市があり、村

といっても交通の便はかな

りよく、地理的には自由に

他の医療機関にアクセスす

ることができます。

太平洋にも東シナ海にも

車で

一〇分のあたりにクリ

ニックはあり、周りには住

宅地が広が

っているのです

が、少し一異に入

っていくと

お年寄りがのんびりとサト

ウキビをつく

っていたり、

畑仕事をしていたりといっ

た光景が見受けられます。

もう つの動務先、医療法

人アガペ会

北中城若松病院

はここから車で五分ほど走

った所。高齢者の急性期病

棟と回復期リハビリ病棟に、

僕の患者さんはいます。

外来を受診する人たちは

高齢者、成人、小児がそれ

ぞれ二分の ずつ、訴えて

くる症状も内科、呼吸器、

整形外科、皮膚科、リハビ

リなど多岐にわたり、症状

の程度も軽症なものから重

症なものまで幅が広いので

す。重症のため入院が必要

と判断したとき、

「ひとり

病診連携」としての役割が

生かされてきます。

■百歳近い

Hさんご夫妻

一の利点としては

「継

続性が保てる」という点が

あげられるでしょう。誰で

も入院生活は嫌なものです

し不安も強くなります。そ

んな入院生活も、クリニッ

クの外来で普段診てもらい

家庭の状況まで知

っている

医者が対応してくれるとな

ると、家族や本人の気持ち

のなかにも多少なりとも安

心感とゆとりが出てくるの

ではないでしょうか。

九七歳になるHさんとそ

の家族もそんな例です。H

さんは基礎疾患として気管

支喘息、心房細動、慢性心

不全などをも

っており、 一

日の大部分を車イスで過ご

します。妻にも脳梗家によ

る半身麻痺があり、一人の

暮らしにはお手伝いさん、

訪問看護師、ヘルパーの支

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役は誰つ」

に気が付いた日

真夜中の町にけたたまし

くサイレンが響き、その音

がやむと同時にストレツチ

ャーに乗

った患者さんが運

ばれてくる。素早く診察

採血 X線撮影などを行い

命を脅かす疾患が隠れてい

ないか判断し、嚇要なら緊

急手術をする。

テレビでよく目にする医

療ドラマの

一こまです。,c

のようなテレビドラマと自

分の日常診療をついつい比

べてしまいますが、家庭医

療学の外来診療にはそんな

緊迫感や華やかさはほとん

どありません。診察室内で

は、慢性疾患の定期受診で

来院した患者さんたちと、

疾憲のことだけではなく、

日常生活、旅行に行った話、

孫や忠子の話などをしてい

たりします。子供を連れて

きたお母さんに育児のコツ

や予防接種などについて話

したりすることもあります。

こう書いてみてもは

っき

りとした特徴を見

つけるこ

とは非常に困難な

のです。

そのため、時に自分

の行

ている家庭医療と

いう分郷

から離れ

てしまおうかと者

えることもありました。

■台風の中の出来事

しかし、その考えを覆すよ

うな出来事がありました。そ

の方は7.歳の女性で、約1年

前に被殻出血後のリハビリ

目的で北中城若松病院の回

復期リハビリ病棟に入院し

て以来のつきあいがありま

す。左半身麻痺と半側空間無

視があるものの、車イスでの

移動や短距離の歩行、トイレ

動作も自分でできるため、自

宅で過ごされています。

その方が沖縄の激しい台

風の日の夜中にめまい症を

発症してしまったのです。救

急車で救急外来へ搬送され、

点滴などの治療を受けたも

のの、症状の改善のないまま

自宅に帰されたそうです。帰

ってからもめまいは続き、吐

き気もひどくて食事も取れ

ない状況のようでした。

幸い次の日は台風も幾分

収ま

ってきたためファミリ

ークリニックきたなかぐす

くを受診されました。その時

もめまい、吐き気は続き、家

族も不安な気持ちでいっぱ

いだったようでした。

ちょうどその時、私は病院

内にいたのですが、家族の方

が、どうしても入院させて欲

しいと言

っていると連絡が

ありました。ムロ風直後で病棟

自休もあわただしかったの

ですが、本人と家族のことを

よく知っており、治療とリハ

ビリを同時に行

って早期に

自宅復帰させることを目標

に急性期病棟に入院するこ

ととなりました。

CT、身体所見などから急

を要するめまいを否定し、頭

位変換性めまい症の診断の

もと、内服治療を行ううちに

めまいも落ち着き食事も摂

取可能となり、早期からのリ

ハビリによ

って機能低下も

来さず再び自宅

へと帰るこ

とができたのです。

■「医療界にと

っての主役」

ではなく

この時に感じたのは、医療

者というのは「患者さん(個

人)が主役の長い人生」の中

でほんのひとときに登場す

る脇役でしかないというこ

とです。ともすると医療者は

自分が主役の医療を提供し、

患者さんが脇役にな

ってい

ることが多いのではないで

しょうか。しかし、患者さん

が日常生活に戻るとその考

えでは無理が生じてしまう

のです。「患者さんが主役の

人生」の中で医療が必要と感

じたときにその方の「医療の

脇役」として登場し、その方

が主役として輝けるように

支えることのほうが重要で

あり、必ずしも「医療界にと

っての主役」でいようとする

必要がないと考えるように

なりました。

その考えを持

つようにな

って以来、本7まで以上に自然

な形での外来診療を行うこ

とができるようにな

ったと

感じています。

(佐藤健

一・ファミリークリ

ニックきたなかぐすく)

Medioal ASAH1 2003 March 83

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新 米 家 庭 医 の 診 療 所 だ よ り

それぞれの最期

高齢者中心の病院勤務とク

リニツクの訪間診療を行って

いると、様々な最期に出会い

ます。

■終末期を過ごす理想

場所とは

沖縄で働く前の研修先は

急性期病院で、積極的な治

療を受けながら最期を迎え

る患者さんが多かったよう

に思います。当時は週に半

日、サテライトクリニック

で外来 訪問診療を行

って

いたせいもあるのでしょう

が、最期を迎えるのは自宅

一番であり、病院で看取

るのは家族が希望した時か、

症状

コントロールが自宅で

は難しい時だけだと考えて

いました。しかし、今では

在宅 病院のどちらで最期

を迎えても大きな差はない

のではないか、と思えるよ

うになってきました.

理山として、研修医時代

は自分が中心とな

って入院

管理を行うことがなく、在

宅忠者が体調を崩して入院

が必要とな

っても、病棟の

医師に依頼せざるを得なか

ったからだと思います。そ

のため、それまでのかかわ

りを基にして、本人や家族

と相談しながら今後の方針

を決めていくことのできる

在宅での最期を理想と考え

ていたのでしょう。

しかし、今のように病棟

でも責任を持

って治療が行

える立場になると、忠者や

家族とのかかわり方によ

ては、満足して病院で最期

を迎えられるようにするこ

とも可能だと思えるように

なりました。そのためには、

病宅を医療者と医療提供の

場とするだけではなく、家

族に岡まれたひとときを最

期まで提供できるような場

へと変える必要があります。

■場を整える努力次第で

研修中に

一人、我々が中

心とな

って看取

った方がい

ました。50代の男性で、若

い時の交通事故で下半身麻

痺とな

ったものの、車椅子

でほぼ自立した生活を送

ていましたが、ある日胸水

がたまり、検査の結果、肺

癌の末期と分かりました。

本人は病名を告知された結

果、積極的な治療は望まず、

退院後に訪間診療が開始さ

れました.

症状緩和を中心に治療を

進めるのと同時に、今後起

こりうる症状や、最期の時

について少しずつ話をして

いきました.身の同りのこ

とができるうちは自宅で生

活し、限界にな

った時は人

院したいという希望を受け

入れて、数力月後、手の麻

痺の出現により本人の希望

で人院となりました。

入院後も特別な規制を作

らず、個室で木人の希望す

る通りに過ごせるように配

慮しました。本人はいた

て元気で、友人たちが毎日

のように訪れ、彼の病室か

らは笑いが絶えませんでし

た。正月には外泊し、年明

けには友人も多く集ま

って

病室で新年会を行

ったので

すが、そこには友人たちが

楽しそうに騒いでいるのを

笑いながら兄ている彼の姿

がありました。その表情を

見ていると、彼にとっては家

にいる時と何ら変わりない

時間を過ごしているのではな

いかと思えました.病棟で

はあっても家族や友人にHま

れて満足した終木期が送れ

たのではないでしょうか。

沖縄の病院では、最期を

どうしても自宅で迎えたい

という家族を経験しました。

パーキンソン病木期の患者

さんで、頻脈を起こしては

入退院を繰り返すという状

態が、数年続いていました.

ある日、誤嘩性肺炎で人院

したのですが、嘩下機能が

かなり低下していたため経

国摂取は難しい状況でした.

家族にその旨を話し、今後

について話を進めると、経

鼻栄養などの延命を行わず、

自宅で過ごさせたいとの希

望が聞かれました.肺炎の

治療後、病状が安定した時

点で在宅療養とし、家族に

囲まれてゆっくりとした時

間を過ごしてそのまま最期

を迎えられました.

本人 家族ともに望む場

所で、満足した時間を過ご

して最期を迎えることがで

きるよう、医療 看護 介

護の面から支えられれば、

と日々感じています。

(佐藤健

一 

ファミリークリ

ニリックきたなかぐすく)

KENICHI

菫 ハ ^ ハ

ヽ ^ ハ ^イ ラスト0+Ш 川のり子

連載 「新米家庭医の診療所だよりJは、医療法人

社団カレスアライアンス」ヒ海道家庭医療学センター(室蘭市)の卒後臨床研修を終え、2001年、02年に専門家庭医として歩み出した4人の医師たちが交代で執筆します。4人の方々の座談会を2002年 11

月号、12月号に掲載しまじた。ご参照ください。

82 Med:oalASAH1 2003 May

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おばあ

うふいちしみそ‥れl

自分の生ま担首った環境と

は異なる場所で働くとなる

と、いろいろな苦労が伴って

きます。

特に僕の場含は根っからの

道産子

(北海道で生まれ、膏

った人)のため、気候や風土

が金く違う沖縄という土地で

の仕事 生活には馴染んでい

くのが

一苦労でした。

■通訳がいて欲しい時が

ある

診療の中で

一番困るのが

なんといっても方言でしょ

うヽノ。日本本土からの大きな影

響を受けることなく、独特

の琉球文化が発展した沖縄

では、皆さんご存知のよう

に言葉も独特です。いつ頃

から

「うちな―ぐち

(沖縄

の方言のことと

が使われる

ようにな

ったかは分かりま

せんが、クリニックの外来

や病院に入院している多く

の高齢者は、今でも普段は

音ながらのうちな―ぐちを

使っています。

入院中に患者さん同上が

話しているのを脇で聞いて

いても何を話しているか全

く理解ができないのです。

そんな時に僕が話しかける

と、とたんにこちらが分か

るような方言まじりの標準

語で話をしてくれるという

のが悲しい実情です.

しかし、方言しか話せな

い方が脳梗塞などで構音障

害を来したり、痴呆症状の

出てきた高齢者になると切

実です。周りのスタッフに

協力してもらってや

っと話

の内容が理解できるように

なることもまれではありま

せん。

同じ沖縄であ

っても沖縄

本島、宮古、石垣では方言

に大きな違

いがあるため、

離島出身の患者さんへの対

応は、 一段と大作業にな

てきます。うちな―ぐちが

達者なスタッフであっても、

話している内容が理解でき

ないことがあるようです。

外来患者さんの場合は、

付き添

ってきた家族に通訳

をしてもらいながら外来診

療を進められるので、入院

患者さんより、気分的には

楽ではあります。

■方言達者も医師の仕事

中高年になるとさすがに

問題なく診察ができるよう

になります。これは僕の名

前から沖縄の人でないのが

明らかに分かるので、気を

使

って方言を使わないよう

にしてくれているからかも

しれません。それでもたま

に分からない言葉が出てき

て困惑することもあります。

一例を挙げると

「チムドン

ドンする

(胸がドキドキす

るこ、「ひみちある

(痰が絡

んでゴロゴロすると、「ちぶ

るやむん

(頭が痛いご

など

でしょうか。

しかし、患者さんにして

みれば、僕のほうにも北海

道の方言があるのです。例

えば

「体がこわい(つらいと、

「おっちゃんこする

(座ると

などと外来中につい言

って

しま

ったり、それ以外にも

イントネーションが微妙に

っていたりするので、外

来で診察していても不思議

そうな顔をされることがた

まにあります。

こんな経験をすると、家

庭医として働いていく時

研修を行う時には、医療だ

けではなく、その土地の風

上 風習 言葉を合めて勉

強していくということもま

た重要なのではないかと考

えてしまいます。

そう思

っていても、いざ

うちな―ぐちを使

って診療

を行おうとしても、ぎこち

ない発音やおかしな使い方

とな

ってしまうため、つい

つい使うのをためら

ってし

まいます。聴診の時に心の

中で

「おばぁ うふいちし

みそ―れ―」と思

っていて

も、口では

「○○さん、深

呼吸してくださいね」と標

準語で言ってしまいます。

そういう場面で普通にう

ちな―ぐちでおじい、おば

ぁたちと会話をするように

なるまでにはまだまだ時間

がかかりそうです。ちばり

よIH わん。(がんばれ、

自分)

(佐藤健

一 

ファミリークリ

ニックきたなかぐすく)

)ア|

MedioaI ASAH1 2003 」uly 91

Page 5: [kenichi Sato/佐藤健一] メディカル朝日/新米家庭医の診療所だより

新 米 家 庭 医 の

病気は治ったけれど

つい最近までは病院でのリ

ハビリテーションというと、

「訓墾室で重点的に行い、それ

以外はベツドに横になってい

る時間が長く、入院中の時間

をあまり有効に活用していな

いというのが現状でした。

■高齢者には治療と

並行してリハビリを

それでもリハビリが必要

な疾患

(主に整形外科関係

になります)では多少なり

とも体を動かす機会があり

ますが、内科疾患での入院

では、治療のためにベッド

の上で過ごすことが多く、

筋肉がすぐに衷えていきや

すい状況とな

ってしまいま

す。退院間近にな

っていざ

自宅に帰ろうとした時に初

めて、筋力が落ちているこ

とに気付く方々が多数いら

っしゃいますぉもともとの筋

力がある程度維持されてい

る若年

中年では退院後の

日常生活の中で自然に元に

一戻っていくことが多いので

すが、高齢者となってくると

話は全く別になってきまt

一局齢者はすぐに筋力低下

を来しやすい状態にありま

す。その理由としては①も

ともとの筋肉量が減少して

いること、②治療途中に合

併症などを起こしやすいこ

と、③基礎疾患として脳血管

障害などがある方が多く、そ

の点も加わってベッドに寝て

いる時間が長くなりやすい

ことなどが挙げられまt

このような状態に気付か

ないで治療を優先して続け

ていると、入院の原因となっ

た病気は治ったにもかかわら

ず、)右療期間中に生じた筋力

低下のために退院ができな

いといった事態が実際に起こ

ってくるのです。高齢者を受

け持つことの多い今の職場

環境では、治療を行う際に

も筋力低下を来きないよう、

前述の点を常に頭に浮かべな

がら毎日の治療

リハビリプ

ランを立てていまt

しかし、原因となる疾患

の治療のためにはどうして

も安静を保つ必要が出てく

るのが実情です。その場合

には、病状に応じてベッド

上での関節可動域訓練 筋

力維持訓練、食堂までのウ

ォーカーでの歩行、杖など

を使

っての病棟内歩行と、

段階的にリハビリメニュー

を変えていくようにしてい

ます。それでも

一番重要と

なるのは退院後に自宅で生

活を送りながら、いかに安

全にリハビリを行

っていく

かでしょう。

■退院時の家族の

不安の解消法

と、ここまでは医療者側

から見た意見を書きました

が、患者さん 家族の考え

方とはどうしてもずれが出

てきます。家族としては

「安定した歩行となるまで入

院させてほしい」というのが

大部分の方の本音でしょ2́

何度か入退院でかかわ

た方なら比較的速やかに自

宅に戻れるように調整を行

いやすいのですが、入院と

って初めてかかわる方に

は十分に神経を使

って、自

宅でのリハビリの重要性を

説明する必要があります。

当然のことながら家族とし

ては自分たちでリハビリを

行うことに対しては不安感

が強く、それもあ

って病院

でのリハビリを希望するの

かもしれません。しかし、

その不安については退院後

に利用できるようなリハビ

リプログラムを提示するこ

とで多少なりとも軽減する

ことができ、自宅

への復帰

もスムーズにな

っていく場

合が多々あります。

現在、退院後に利用する

ことができるリハビリといえ

ば、在宅リハビリ、外来に通

院してのリハビリ、通所リハ

ビリが挙げられます。おの

おのに利点

・欠点があるので

個人に合わせた形での利用

が必要になりますが、一目齢者

では特に応用力

認知力が

低下していることも多く、自

宅での生活でよくある動き

についてのリハビリを行うこ

とが意外と重要になったりし

ます。そして何よりもリハ

ビリ訓練を行うための生活

ではなく、生活を楽しみな

がら少しず

つリハビリを続

けていくことの大切さを本

・家族に理解してもらう

ことも重要となります。

(佐藤健

一・ファミリークリ

ニックきたなかぐすく)

イラスト

◎宇口川のり子

連載 「新米家庭医の診療所だより」は、医療法人

社団カレスアライアンス・北海道家庭医療学センター(室蘭市)の卒後臨床研修を終え、2001年、02年に専門家庭医として歩み出した4人の医師たちが交代で執筆します。4人の方々の座談会を2002年 11

月号、12月号に掲載しました。ご参照ください。

82 Medical ASAH1 2003 September

Page 6: [kenichi Sato/佐藤健一] メディカル朝日/新米家庭医の診療所だより

「や‥かい」を

沖縄で働くようになって早

いもので2年が過ぎました。

一つの場所で長く働いている

と様々な人との出会いや別れ

があります。楽しい出会いも

あれば、悲しい別れもあり、

その

一つひとつが思い出にな

っています。

「家に帰りたい」希望を

かなえてあげるためには

沖縄に来た当初に北中城

若松病院で受け持っていた

患者さんで、自宅へと退院

し、そのままファミリーク

リニックきたなかぐすくの

外来を受診されている方が

何人かいます。その方々の

カルテを見返していると、

当時、自分が診察していた

様子を思い出してしまい、

懐かしいやら、恥ずかしい

やら複雑な思いがこみ■げ

てきます。それと同時に

「いろいろな問題がありなが

らもこれだけの長

い期間、

自宅で生活できているなあ」

という感慨もあります。

クリニックヘの通院中に

自宅で転んで腰椎圧迫骨折

を起こし、横にな

っている

時間が長くな

っても入院せ

ず、痛みが和らいできた頃

から外来を再び受診されて

いる方もおります。そうい

った例からすると、入院中

の疾患管理 退院時の在宅

調整が完璧であ

ったとして

も、退院後、自宅では医療

者が想定している以上に、

自由に家の中を動き回

って

おり、予想外のことが起き

ているのではないか、と考

えられます。

では、退院後に自宅で安

心して生活できるかどうか

は何によ

って決まるのでし

ょうか。

現在の日本の医療制度で

「家族による介護力」に

っているところがまだ大

きいといえます。介護環境

は介護保険制度によ

ってあ

る程度整備されてきたもの

の、まだまだ十分とはいえ

ない状態にあるでしょう。

特に沖縄は平均所得が低

いこと、共働きの家庭や超

高齢者の独居 二人暮らし

が多いことなどから、家族

の介護力にばかり頼るわけ

にもいきません。それに加

え、地方では介護サービス

も充実しているわけではな

く、24時間体制でのケアプ

ランを立てることができま

せん。家族が弁当屋を営ん

でいて、夜間から早朝にか

けてのケアができないため

に、退院ができなかった方

もいるのです。家族が面会

に来るたび

に、その方が

「や―かい

(家に帰ると

泣いているのを見ると、夜

問の介護力という問題点を

解決する方法がないために、

希望をかなえてあげられな

い現状への悔しさがこみ上

げてきたものでした。

■家族の抱える不安への

気配りも

しかし、ここで気を付け

なければならないのは、在

宅での介護環境を整えるだ

けで安心な

「や―かい」を

実現できるわけではないと

いうことです。その方には

介護が必要とな

っている原

(疾患)があるわけで、

家に帰

ったらその原因が悪

化していかないか、別な間

題が出てこないか、急変し

たらどうしたらよいのかな

ど、家族は数多くの心配を

抱えることになります。そ

の心配の多くは慣れてくれ

ば解消することが多いので

すが、在宅医療初休験の家族

にとっては切実な間題でt

ともすると医療者は自分

が提供できる医療レベルを

基準として、家族が自宅で

行わなければならないレベ

ルを決めてしまいがちです

が、今までに体験したこと

のない不安の中に家族がい

ることを理解してあげる必

要があります。まずは家族

ができる範囲での在宅生活

を支え、経過とともに少し

つできる範囲を広げてい

けるようにサポートしてい

く心構えが医療者には必要

とな

ってくるでしょう。患

者さんだけではなく家族に

も気を配ることで、障害が

ありながらも、充実した自

宅生活を支えられるような

家庭医がこれから増えてく

れることを願

っています。

(佐藤健

一 

フ7ヽヽリークリ

ニックきたなかぐすく)

支えるために

恭家

Medioal ASAH1 2003 November 85