[kenichi Sato/佐藤健一]...

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「あなたが専門」と 家庭医 二二 モデルt 4人の 発進 (上 ) 蘇鍵 ∬:詈 ξtti:χ ξttiiξ 曇ξ:裂誰胃F部 O 医療法人社団カ レスアライアンスの 北海道家庭医療学センタ ー (室 蘭市) は、1997年 に家庭医 を育 てる 4年間 の研修 コースを開設 した。このコース を修了 してさらに家庭医療学専門医 (専 門家庭医)の試験 に合格 した医師が昨 年 2人、今年も 2人誕生 した。佐藤健 (31)、 守屋文香 (30)、 守屋章成 (30)、 山田康介 (28)の 各医師 と葛西龍樹 同センタ 所長は日本の医療にどんな 新風を吹 き込んで くれるのだろうか。 葛西 きようは、文字通 り北 は北海道 か ら南は沖縄 まで、集 まって くれてあ りがとう ございました。まずは、みん なに簡単に自己紹介 をして もらって、 このコ ースにやってきた動機を話 して もらいたいと思 います。 置き去りにされた 医療の原点を補うには 守屋 (文 ) 岐阜大学出身です。家庭 医にな りた くてこのコースを選びまし た。学生のころにさかのぼ りますけれ ども、大学病院の臨床実習で、患者 さ ん とじか に話 をす る機会が あ りま し た。大学病院では臓器別に各科が分か れ、同 じ病院の中で も他の科で何 をや っているのかわか らない とい う状態 で 12 Medical ASAH1 2002 November(D した。そう う状態 で、患者さんの体 全体、個人 として診る医者、そう 存在が必要だと考えたことが 一つ 。も 一つ は、治療を受けた患者さんがそ の治療に必ず しも満足 していたわけで はなく、疑問 不満を抱 いたままだっ たのですね。そしてその気持ちを医療 者に伝えているかとい うと、そうでは なかったのです。主治医の先生は忙 し くて タ動 き回っていて、そう う話をするゆとりもなかった。それで 学生である私に話をして くれたとい 状況だったのです。医療の目的は病ん だ人の体を治すのはもちろんですけれ ども、心を癒す、心配 不安を和 らげ る、そう ことも原点 としてあった はずなのですけれども、それが少 し置 き去 りにされているのではないかと思 ったんですね。 その 2つをカバーし、補えるような 存在が必要なのではな いかと思ってい たところ、たまたま家庭医療学研究会 の夏期 セ ミナーに参加 して、家庭医が その存在に一番ぴった りくるのではな いかと考えました。その後、全国 いろ いろな家庭医 の研修プ ログラムや、臨 床研修病院などを調 た り見学に行っ た りしたんですけれども、やはり家庭 医になるのであれば、このコースが いいのではな いかとい ことで選び ました。 ―一 家庭医という名称は、医学生の間 では一 般的で したか 。家庭医といえば こういうものだというイメ ジは、皆 さんそれぞれもっていらっしゃったの で しょうか 守屋 (文 ) まった くなかったですね (笑い )。たまたま大学に家庭医療学 ミナーのポスターが張ってあって、そ れに「家庭医」と書 いてあって、暇な 5年生だったものですか ら、ちょっと どんなものかなとい う興味半分で参加 したとい うのが事実です。大学 のなか で、そう う教育 もまったくなかった です し、同級生のなかで、家庭医とい う言葉を知っている人 も いなかった。 今は多少変わってきているかもしれま せん。 スーバ ージェネラリス トに なつてやろう 守屋 (章 ) 私は京都大学出身です。 大学の 3回生か 4回生のころに大学病 院に総合診療部 とい うのがで きたので す。 7~8年前にな ります。た しか国 公立では 日本で 2番目にで きた総合診 療部で、まだ 「総診」 とい う言葉 自休 も日本でほとん ど知 られていなかった

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メディカル朝日に特集として取り上げられた座談会についての記事です.

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Page 1: [kenichi Sato/佐藤健一] メディカル朝日/「あなたが専門」と言える医師を創る

「あなたが専門」と目

家庭医二二一モデルt4人 の発進 (上)

蘇鍵∬:詈ξtti:χξttiiξ曇ξ:裂誰胃F部こ了O

医療法人社団カレスアライアンスの

北海道家庭医療学センター (室蘭市)

は、1997年 に家庭医を育てる4年 間

の研修コースを開設した。このコース

を修了してさらに家庭医療学専門医 (専

門家庭医)の試験に合格した医師が昨

年2人、今年も2人誕生した。佐藤健

一(31)、守屋文香(30)、守屋章成(30)、

山田康介 (28)の 各医師と葛西龍樹 ・

同センター所長は日本の医療にどんな

新風を吹き込んでくれるのだろうか。

葛西 きようは、文字通り北は北海道

から南は沖縄まで、集まってくれてあ

りがとうございました。まずは、みん

なに簡単に自己紹介をしてもらって、

このコースにやってきた動機を話して

もらいたいと思います。

置き去りにされた医療の原点を補うには

守屋 (文) 岐阜大学出身です。家庭

医になりたくてこのコースを選びまし

た。学生のころにさかのぼりますけれ

ども、大学病院の臨床実習で、患者さ

んとじかに話をする機会がありまし

た。大学病院では臓器別に各科が分か

れ、同じ病院の中でも他の科で何をや

っているのかわからないという状態で

12 Medical ASAH1 2002 November(D

した。そういう状態で、患者さんの体

全体、個人として診る医者、そういう

存在が必要だと考えたことが一つ。も

う一つは、治療を受けた患者さんがそ

の治療に必ずしも満足していたわけで

はなく、疑問。不満を抱いたままだっ

たのですね。そしてその気持ちを医療

者に伝えているかというと、そうでは

なかったのです。主治医の先生は忙し

くてバタバタ動き回っていて、そうい

う話をするゆとりもなかった。それで

学生である私に話をしてくれたという

状況だったのです。医療の目的は病ん

だ人の体を治すのはもちろんですけれ

ども、心を癒す、心配 ・不安を和らげ

る、そういうことも原点としてあった

はずなのですけれども、それが少し置

き去りにされているのではないかと思

ったんですね。

その2つをカバーし、補えるような

存在が必要なのではないかと思ってい

たところ、たまたま家庭医療学研究会

の夏期セミナーに参加して、家庭医が

その存在に一番ぴったりくるのではな

いかと考えました。その後、全国いろ

いろな家庭医の研修プログラムや、臨

床研修病院などを調べたり見学に行っ

たりしたんですけれども、やはり家庭

医になるのであれば、このコースが一

番いいのではないかということで選び

ました。

―一家庭医という名称は、医学生の間

では一般的でしたか。家庭医といえば

こういうものだというイメージは、皆

さんそれぞれもっていらっしゃったの

でしょうか。

守屋 (文) まったくなかったですね

(笑い)。たまたま大学に家庭医療学セ

ミナーのポスターが張ってあって、そ

れに 「家庭医」と書いてあって、暇な

5年生だったものですから、ちょっと

どんなものかなという興味半分で参加

したというのが事実です。大学のなか

で、そういう教育もまったくなかった

ですし、同級生のなかで、家庭医とい

う言葉を知っている人もいなかった。

今は多少変わってきているかもしれま

せん。

スーバージェネラリストになつてやろう

守屋 (章) 私は京都大学出身です。

大学の3回生か4回生のころに大学病

院に総合診療部というのができたので

す。 7~ 8年前になります。たしか国

公立では日本で2番 目にできた総合診

療部で、まだ 「総診」という言葉自休

も日本でほとんど知られていなかった

Page 2: [kenichi Sato/佐藤健一] メディカル朝日/「あなたが専門」と言える医師を創る

と言える医師を創る

ころです。たまたま自分のひざ元にで

きて、そのときに初めてジェネラリス

トという専門科があるということを知

りました。それまでは医者といったら、

必ず何らかの臓器などの専門に分かれ

ているものだと思い込んでいたので、

何科の医者になろうかなとぼんやり思

いながら、でも、○○科医になってい

る自分をイメージできないまま3年 目

が過ぎていた。そこへ 「総診」は何で

も診るのが専門だと聞いて、単純にか

っこいいなと思ったのです。

何らかの専門医になるということ

は、その専門以外わからなくなるとい

うことなので、そうすると、「それは

自分の専門外なので診られませんJと

いうせりふを吐かなければいけない、

医者のイメージとして、それがすごく

嫌だったのですね。

医学生をやっていると、まだ医者の

免許をもってないのに、知人とか親戚

がいろいろ医療相談をもちかけてきま

す。しかもどこかの医者にかかってい

て、それでもらちが明かなくて、とう

とう知り合いの医学生にまで聞いてく

るぐらいの内容なんで、かなり込み入

った、たとえば 「神経難病で余命幾ば

くもないんだけれども何か治療法はな

いか」と聞かれたり、知り合いが重い

精神病なんだけれどもどうしたらいい

かとか・……・。

そういう質問に、医学生なりの知識

と責任とで何とか答えられるところを

答えていたのですけれども、そういう

体験を通して 「いや、それは僕の専門

タトだからわからないよ」というせりふ

は吐きたくないなという思いがあっ

て、そういう思いがあったところに総

合診療部ができたので、とにかく自分

はスーパージェネラリストになろう、

ジェネラリストとしてのスペシャリス

トになろうと決めました。それが最初

のきっかけですね。

ただ京都大学の総合診療部が目指し

ていたのは、いわゆる一般内科だった

んです。内科領域はそこで診る、それ

以タトの領域はさほど専門とするわけで

はないι診断が未定な状態の患者さん

を受け入れて診断をつけるとか、ある

いは複数の疾患をもっていて、単一の

専門、臓器別の内科では対応できない、

しきれない患者を診るとか、そういう

コンセプトだったと当時僕は理解して

いました。どうもそれではちょっと寂

しいなと思っていたところへ、家庭医

というのがあるどいうことをどこかか

ら聞いて……。

一―どこかから何となく?(笑 い)

守屋 (章) 当時は、インターネット

で 「家庭医」とか 「家庭医療」とか日

本語で入れて検索しても、出てこなか

った。せいぜい10件 ぐらいしかヒッ

トしない。今、多分 「家庭医」と入れ

たら、数千件か数万件ヒットするでし

ょう。

山田 きのうやってみたら、ヤフーで

2千何イ牛ぐらいありましたよ。

守屋 (章) そういう時代なので、情

報源もないし困ったなと思っていた

ら、ちょうど守屋 (文)と 同じく、学

内にたまたま家庭医療学セミナーの張

り紙があって……。しかも医学部図書

館の掲示板に張ってあったんですよ。

多分、郵送されてきた案内状を、どこ

の医局に回したらいいのかわからなく

て、仕方なく医学部図書館に回したの

ではないでしょうか。それを見て参加

して、家庭医というのはこういう仕事

なのかと。内科に限らず何でも診るし、

病気の背景に隠れた悩みとか、そこま

葛西龍欄氏 北海道家庭医療学センター所長1984年北海道大学卒カナダ家庭医学会認定家庭医療学専門医課程

修了 (ブリティッシュ ・コロンビア大学)

で対応するのが専門か、じゃ、これし

かないな、と。当時、それを研修する

機関といったら、川崎医科大学か北海

道家庭医療学センターしかありません

でした。

診療所の医師を

育てる教育はどこに

山田 私は北海道大学卒業です。中学

生のころから自分は将来何者になるの

かという悩みがありまして、自分らし

さを出せない仕事には絶対就きたくな

いということと、生身の人間と一緒に

やり得る仕事ということだけ決めてい

ました。高校のとき、あ、お医者さん

だったらそういう仕事ができるのでは

ないかなと、まず真っ先にイメージし

たのが診療所の先生です。困ったら何

でも相談できる、医者になるのだった

らそういう先生になろう、と。

ところが医学部の教育のなかで、一

度たりとも診療所の先生になるための

教育はなされたことはなくて、その悩

みは深刻になるばかり。内科、小児科、

Medical ASAH1 2002 November(D 13

Page 3: [kenichi Sato/佐藤健一] メディカル朝日/「あなたが専門」と言える医師を創る

外科の臨床実習がはじまっていた大学

5年生になっても、魅力を感じられな

いまま過ごしていて、いよいよ6年生

だな、まずいなといったときに、僕も

たまたまポスターを……・(笑い)。北

海道大学には僕が学生のときから、葛

西所長力Ⅵ児ヽ科の枠で家庭医療の講義

に来校されていたにもかわらず、不真

面目な学生だったので 「家庭医療」な

どという言葉は、そのポスターを見る

まで何も知らずに、その言葉の響きだ

けに甘い魅力を感じたのです。

そのとき、 6年 生になる春休みにワ

ラをもつかむ思いで家庭医療学センタ

ーのエクスターンシップという学生向

けの実習に参加したということです。

そこで初めて、自分がなりたい診療所

の医者というのは、こういう学問をも

った人たちだなということを知って、

すぐ進路を決めてしまった、ここに来

ようと決めました。

学生のとき、診療所の先生たちも実

は臓器別の専門医だったということを

知ったのがショックでしたね。「えっ、

そうなの」。全国にはそのような専門

医の教育を受けてきたけれども、自分

で一生懸命勉強されて努力して立派

な、僕がなりたかった診療所の医者に

なっておられる先生がいるんですけれ

ども、ああ、(診療所の医師の教育力⇒

こんなことでいいのかなと学生時代は

思っていましたね。

一-6年 生にして、自分が望んでいた

いろいろな知識とか技能とか、あるい

は医師としての哲学とか理念とか、そ

ういうものをちゃんと研修できるコー

スが見つかったということですね。

山田 というより、僕がエクスターシ

に行ったときはまだ、研修医は1人も

いないとき。「どうせ」と言うと葛西

14 Medical ASAH1 2002 November(D

先生にたいへん失礼ですけれども、ど

うせでき上がったきれいな美しい教育

システムはないだろうという見込み

で、そういうのは自分たちがつくりあ

げるものだという気持ちで来ました。

葛西 エクスターンシップといっの

は、年間3回、春休み1回と夏休み2

回、各8名ずつ全国から医学生を募集

して行う4泊 5日 の見学研修です。

1996年からはじめて今夏で通算21回

になります。2回続けた人もいるので、

大体150人ぐらいの学生が参加してい

ます。今ここにいる全員がエクスター

ンシップを経験しています。

データ頼みの医療に

疑問を感じて

佐藤 山田と同じく北海道の出身で、

札幌医科大学卒業です。北海道での4

年間の研修コース修了後沖縄に行き、

アメリカで家庭医のトレーニングを受

けた涌波満医師のもとでグループプラ

クティスを実践しています。

僕が室蘭の家庭医療学センターに入

った理由は、だいたいみんなと似たり

佐藤健―氏 1997年 札幌医科大学卒 1期 生ファミリークリニックきたなかぐすく(沖縄県)勤務

よったりです。医学生のとき、病院で

臨床実習がはじまると、病気のデータ

とか症状とかばかりを追っていて、ほ

んとうに患者さんが満足できる医療を

やっているのかどうかというのが、大

きな疑問になりました。ヵンファレン

スなどではデ,夕 が話題になり、デー

タがよくなったから退院しましょうと

いう形で物事が進むこともありまし

た。そういう悶々とした状態もあって、

自分が将来どんな医者になりたいかと

いうのを考えていたんです。それが大

学の5年の夏ぐらいでした。

その後、僕の場合ははっきりとした

出会いがありました。夏休み後、小児

科の講義のときに葛西先生が講師とし

て見えて、家庭医療学についての話を

してくれました。室蘭で専門家庭医の

卒後臨床研修コースを開設する予定で

あることもそのときに聞きました。ま

ずエクスターンシップに参加し、将来

的に自分のやりたい医療はこういう医

療だなと、卒後研修もすぐ決めたわけ

です。

そうはいっても、また大学に戻って

各科のローテーシヨンをしていると医

局から勧誘を受けるわけですね。その

ようなときに家庭医療学をやりたいか

らと話すのですが、大学の医者は当時、

家庭医療学をよく知らず、「何でも診

られる医者には、誰でもなれる」とい

う人もいれば、「そんな医者には誰も

なれない」という人もいて、混乱や戸

惑いが生じました。先々どうなるかわ

からないという不安がありましたが、

将来的に患者さんにとって必要とされ

る医師像だと思うし、そういう家庭医

療学を行う基礎づくりを僕たちがすれ

ばいいのかなという考えで、4年間の

研修を受けたわけです。

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医師なら誰でもなれる?

いや、誰もなれない?

葛西 ここの研修は内容が盛りだくさ

んですが、研修が進んでいくなかで、

家庭医の専門性が徐々にわかっていっ

たエピソードやプログラム内容を話し

てもらえますか。

佐藤 後期研修ぐらいになってやっと

わかってきたのかなという気がしま

す。

葛西 後期研修のどんなところでそれ

を感じたんですか。

佐藤 やはり1年 目は僕らも各科の医

者も、家庭医に対して漠然としたイメ

ージしかなかったので、家庭医につい

て必要な知識を教えてくれと言われて

も……、という状態でした。

―‐初期研修は日鋼記念病院 (北海道

室蘭市)の 各科を回って研修するわけ

ですね。同じ医療法人の機関だから、

家庭医についても病院の先生方は知っ

ていらっしゃると受けとめていました

けれども、そうではないということで

しょうか。

山田 私たちは1期生と2期生ですか

ら、初期研修のときは、各科の専門医

の家庭医療についての知識は僕たちと

同程度です。今はもう研修 1年 目の医

者が6期生になるので、家庭医という

ものの存在に理解を示してくれて、変

わってきています。

初期にも 「ハーフデイ ・バック」と

いう形で、週に半日クリニックに来て

タト来や訪問診療をして、自分たちは少

しずつわかってくるのですけれども、

家庭医としてやっていくにはこういう

ことが必要なんだ、ということを専門

医の先生に伝えて理解してもらうのに

時間がかかりました。自分たちが実際

守屋文香氏 1997年 岐阜大学卒 1期 生家庭医療クリニック西岡(北海道札幌市)所長

にタト来でやりながら、あ、こういう知

識が必要だなとか、こういう技術が必

要だなということを各科ローテーショ

ンしているときに、ちよっとずつま旨導

医に話をしていって、それならこうい

うことを中心にしたプログラムで研修

をやっていきましょうか、という具合

に少しずつつくりながら進めていった。

6期までいくと、専門医との交流の

積み重ねが研修にフイードバックされ

ています。だから、もう1回獣修した

いくらいです。

ハーフデイ・バック、病院の各科ロ

ーテーション、 1カ 月間特定の診療所

への張りつきなどの初期研修で、患者

さんを継続して診ていくと、状態がよ

くなったり、悪くなったりする。その

経過の原因を後で振り返ってみたりす

る。振り返るというのは何をするかと

いうと、僕たちがいつもバイブルのよ

うに持ち歩いているある教科書 (“A

Textbook of Fanlily �ledicine" Ian

R.McWhinney著 )が ありますが、

それを見返してみるのですね。すると、

あのとき所長からもらったアドバイス

「あなたが専門」と言える医師を創る

や、同僚がこうしたらいいんじゃない

かと言ってきたことは、家庭医療学の

方向なのだというのがずばり書いてあ

って、家庭医療に大事なところはこう

いうことだというのがわかって、確認

しながら学んできたということですね。

僕は初期研修2年 目からその教科書

の勉強会にずっと加わっていたんです

けれども、そういう場で教科書を読み

ながら、自分が実際の現場で経験した

ことと照らし合わせながら、あ、これ

がそうだったんだと、経験と学間が溶

け合って家庭医療を理解していくこと

を知ったと僕は思っていますが、いか

がでしょうか。

愚者から教わる場の設定とローJレモデルとの出会い

守屋 (章) プログラムの特定の何か

がきっかけというのはなかったです

ね。ああ、これこそがと思ったのは、

それは患者さんから教えていただいた

という感じですね。患者さんから教わ

るような場がプログラムに設けられて

いたということです。ハーフデイ・バ

ックとか、初期研修のうちの1カ月は

本輪西サテライトクリニックに通うと

きがあるとか、後期研修であちこちの

診療所を回るとか。 .

山田 後期研修で、ああ、これが家庭

医なんだというふうに感じる人、モデ

ルに出会った。それは大きいですね。

守屋 (文) それはありますね。初期

研修の間は、自分たちが診療をすると

いう経験を積む必要があって、ロール

モデルの方に、葛西先生はそうなんで

すけれども、なかなか出会うことがで

きなかった。後期研修に入ってから、

岐阜の久瀬村という人口1,600人の山

間の村に行ったのですけれども、そこ

Medica:ASAH1 2002 November(D 15

Page 5: [kenichi Sato/佐藤健一] メディカル朝日/「あなたが専門」と言える医師を創る

で18年 ぐらいずっと診療している山

田隆司先生がいらっしゃって、その診

療を見たときに、「これが家庭医なの

か」ということがありました。患者さ

んが来て、先生と話をするだけで何か

満足して帰?て いくというような場面

がありました。

守屋 (章) たとえ|よ 本輪西サテラ

イトクリニックでタト来研修をやってい

ますと、いろいろな患者さんに出会っ

て、その患者さんには、日鋼記念病院

にも通っていたり、あるいは通った経

験があったりという方が多いんです。

そうすると、病院での受診休験をクリ

ニックで話される機会が結構多くあり

ます。たとえ|よ 自分はこういうちょ

っとややこしそうな病気をもってい

て、いろいろ心配なことがあるとか、

この間検査の結果がこうだとか言われ

たりするのだけれども、あっちの病院

も忙しくて、先生はゆっくり話を聞い

てくれないし、という。患者さんのほ

うからも遠慮してしまうのですね。後

ろにも待っている人がいるからと思っ

て、実はちょっと辛かったんだけれど

も、ついつい 「何でもないです」と言

って帰ってきちゃいましたとか、何か

よくわからないお薬をもらって、心配

なんで(結 局飲んでいませんとか。そ

れが実はとても大事な薬だったりと

か。そういう話を聞くと、臓器別の専

門医と患者さんとの間の橋渡しをする

のも家庭医の大事な仕事なのだなとい

うことを実感します。

たとえ罹っている病気が同じだとし

ても、患者さん一人ひとりが抱えてい

る心配とか疑問とか不安はほんとうに

千差万別で、それぞれイ固別にきちんと

読み取り聞き取って対応しないとヾ ほ

んとうの意味での医療にはならないわ

16 Medical ASAH1 2002 November(D

けで、それをすることこそ家庭医の仕

事だと思うし、そういうことを患者さ

んに気づかせてもらって、ああ、これ

こそがたしかに自分がやりたかった仕

事だな、と。

一方で、これこそ家庭医の仕事だと

思っても、それは優しい気持ちとか人

情だけでは決して務まらない。たとえ

ば患者さんの心配を聞き出すにも技術

が必要です。あ、この先生はわかって

くれているという思いを患者さんに抱

いてもらわないと、ほんとうの気持ち

を語ってくれないわけで、そういう態

度をいかに示すかとか、態度だけでは

なく、自分自身の気持ちをどうやって

患者さんと同じところへもっていくか

とか、それは一つの技術であり、経験

の積み上げがないとできないことで

す。それを家庭医療の幾つかの理念や

技術が下支えしている。それを僕らは

4年間かけて、葛西先生や書物を通じ

て教わり、教わりながらそれを実践す

る場を与えてもらっている。一番の教

科書は、一人ひとりの患者さんだった

守屋章成氏 1998年 京都大学卒 2期 生家庭医療クリニック西岡勤務

ということです。

要求される仕事の

幅広さを痛感

守屋 (文)私 も患者さんから教わっ

たという気持ちが強いです。ああ、こ

れは家庭医になってよかったなと感じ

させてくれた患者さんのなかで、まず

一番に思い出す方がいらっしゃるんで

す。70歳 ぐらいの女性で、腹部の大

動脈瘤を手術した後で外科にときどき

通っていました。おなかが痛いと言っ

ては′き配をよく口にされる方で、外科

で訴えても 「手術したのだからしょう

がないよ」と言われ、けれどもそれで

は納得できなくてずっと不安な気持ち

を抱いたままでした。

家庭医のタト来だと病院の外来と違っ

て時間がかけられるので、少し時間を

かけて話を伺ってみました。腸がぐる

ぐる動いている、動いているところが

傷の跡の痛みなのではないか、血管が

動いているのではないか、と思われて

いたようです。それは医者からすると

ちょっと変なのですが、その方はそう

いう解釈でした。絵を見せながら、血

管はここにあって、く゛るぐる動いてい

るのは腸なんだよとお話ししました

ら、安心されてにっこり笑って帰られ

たんです6そ れが自分ではすごくうれ

しくて。何を不安に思っているかとか、

不安をもっていること自体も言わない

方も多いのですが、それを聞き出せて

解消できれば、毎日の生活がまったく

変わります。それが家庭医の役割とし

て大事なところだなと思いました。

‐アメリカの家庭医療界の権威である

ドクター ・テーラー (Robert B

Taylor)か ら話を聞いたことがあり

ます。一時期、頭痛タト来を開いていた

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山田康介氏 1998年 北海道大学卒 2期 生更別村国民健康保険診療所 (北海道)勤 務

らしいのですカミ頭痛を訴える患者さ

んばかり毎日診ていると、その人では

なく病気を見てしまう、「また頭痛か」

と嫌になってしまうという話をしてく

れました。私自身も専門医の外来を見

学したりすると、そういう場ではやは

り病気を見てしまいます。専門外来で

は時間が限られていますから、疾患を

診るということが第一なのです。場と

いうものの大事さを感じました。いろ

いろな訴えを聞くことができる場で研

修することが大事だと思いました。

一―家庭医療学では、コンテクスト、

文脈のなかで、同じ背景のなかで学ば

なければいけない、スキーを習うのに、

スキー場でなくてプールで習ってもし

ょうがないといわれているそうです

が、そういうような部分をとても強く

感じられたとぃうことでしょうか。

山田 付け加えると、研修医4年 目の

最初に現在勤めている更別村国保診療

所で仕事をはじめたのも、これ力塚庭

医だというのを学ぶとても大きないい

チャンスを与えてもらったなという気

がします。僕にとっては大きなチャレ

ンジでした。

自分に要求される仕事の幅カミ それ

まで自分力洋 んできたものよりもっと

広いという、ここまでできなければ家

庭医は務まらないのだということを学

ばせてもらいました。更別オ寸国保診療

所は、人口3,400~3,500人の村の唯

一の医療機関で、ありとあらゆる患者

を受け入れ、同時に乳幼児健診、学校

の児童健診、高齢者健診など村民全体

の健康管理を担っています。先ほど佐

藤先生がおっしゃった 「医師なら誰で

もできる」わけではなかったのです。

家庭医の目印は

“How to be''

守屋 (章) 日本の医学教育の現実と

しては、免許を取ったところで何もで

きない連中ばっかりなんですよ、はっ

きり言って、ほんとうに。

山田 役立たず。「給料どろぼう」と

言っているんです (笑い)。

守屋 (章) 各科に要求される研修年

限を終えて初めて、人の監視なくして

どうにかやれる。医者のほんとうの

OJT 10n the Job Trainingl は、

研修を終えてからだと僕は思っていま

す。僕も研惨を終えてここに来て、初

めて、ああ、やっと今自分は0」Tを

はじめたな、と。それまではそのため

の準備期間と言うべきか、つまり、そ

れは人の命が絡んでいるからなのです

ね。ひとりでOJTで きるようになる

ための研修として何が必要かといえ

|よ やはりほんとうに家庭医のもとで

学ぶことでしょう。究極の家庭医、家

庭医の専門性については、世界中の家

庭医がいろいろ唱えていますけれど

も、目に見えてやっていることのもと

をたどっていけ|よ結局、家庭医を名

未る医者の感性や態度であって、見た

目家庭医だけれども実は家庭医ではな

いとか、気の持ちようひとつでそれが

わかれてしまうのですね。その気の持

ちようというのは、自分の目の前に座

っている患者さんにとって最も役に立

つ医療って何だろうということを、医

療技術のレベルだけではなくて、その

人のもっている不安や背景も含めて考

えて、治療法や診療方針を選択してい

けるかどうかということでしょう。そ

こまで考えるのが家庭医で、そこまで

考える態度は、結局それを日ごろから

実践している人のもとでないと、受け

継がれないし、身につかない。

守屋 (文) なかなか言葉にしづらい

ところもあるので、本を読んでも、話

を聞いても、そこから漏れてしまうと

ころというか、実際に見てもらう、感

じてもらう̈ …。

山田 生ものですので … 。

守屋 (章) 家庭医は、ホヮット・ト

ウ・ドウではなくて、ハウ・トゥ・ビ

ーで定義されると誰かが言っていま

す。そのハウ・トゥ・ビーがなかなか

言葉にしづらいんですよ。家庭医のこ

とをなかなか理解してくれない他の科

の先生などが 「家庭医って、結局何し

ているのJと 聞いてきます。その質問

は結局ホワット・トゥ・ドゥと聞いて

いるのですね。1幅広く診ていて、と答

えるのですけれども、そうすると 「そ

れってどこの科の先生でも、たとえば

当直のときなんかにやっているじゃ

ん」と言われる。気の持ちようひとつ

なのだ、その気の持ちようひとつとい

うあたリカヽ わからない人にはいつま

でたってもわからないのです。

(次号へ続く/ま とめ 本誌 吉野

かおる)

Medical ASAH1 2002 November① 17

Page 7: [kenichi Sato/佐藤健一] メディカル朝日/「あなたが専門」と言える医師を創る

専門」とロ える医師を創る

なぜ専門家庭医か―一 “箱"と “中身"

わが国の医療制度は、国民皆保険、

フリーアクセス、自由開業の31・l■で

■lみ立てられている点で世界に冠たる

制度とされてきた。しかし、私流に言

えば制度はあくまでも ・箱'で あり、・中身'は 別である11す なわち、ll

度というストラクチャーは高く評仙さ

れていても、その で働くプロセスや

その成果としてのアウトカムカ泄 界に

誇れるものかどうかは、はなはだ疑円

表 家庭医機能 (家庭医に関する懇談会 1987年)

1■効謬意者だ+ぢ`応=墓=LL・.|

1腑舅IItti露[I[1譲|‐誘曾2穂も猪島=鶴鳩瑯

~2堪晨晶獣ぉょぉ旨』を|^に1尭:

31菖着あ城結性瑳讐寝す:=ど:・11′ 総合l●・包括|1医療を言視するとと:

暮誦菫層ζ[よ]」|?:「|?'‐1継鳥3鸞:鮮″電雙■6 :菖

角享をtよ域住民との信頼関

r

λ藪£慮鎌事ξξダレロ都こ:

‐8 診療につぃで0説明を十分にするtl

9 怠要なときはもでも蓮蔽 とれ:

ヽ l婁ぁ1晶を皐する三と ||: ‐

‐ .|

である.「箱は ・すごい'が 、中身は

`せこい'J`まわが回の政治 経済 社

会に共通する病理であり、医療も残念

ながら例外ではない.

医療はサービス業の一つとして、提

り単鯛1の都合でなく、受療者側の満足

に向けて、言葉のうえでは転換が図ら

れているものの、実態的にはまだ本当

の姿が見えないのが現状であろう。こ

こで最も強く求められるべきは、医療

側の改革を辛抱強く待つことでなく、

サービスを受ける主休者たる匡1民の意

識改革と行動にほかならない.医 療サ

ービスにどのようなあり方を望むの

か、自己がその対象者になる||に現実

的に考え、明確に表月すべきである.

このように重要な」民ll論議のなか

で、専門家庭医に光が ・再度・当てら

れること力切望される.

たものの、地域にあってプライマリ

ケアを住民と密着して担当する家庭医

機能が立ち遅れている状況にかんが

み、その育成 強化を図る具体策を検

.lする趣意で設けられた.そ して 「家

庭医に関する懇談会報告■Jにおいて、

家Ii医の基木的機能 ]o項 日が示され

た。今日でも全面的に通川する立派な

●容である (表).と ころが、日本医

師会や日本臨床内科医会力茨 政‖こ猛反

発して、政治手段などを講じ、懇談会

の成果を事実上骨抜きにした。そして

「家庭医の制度化に歯 「めをかけたJ

とし、以来、「家庭医Jな る言葉白休

が禁語扱いにされたのである.

■西村昭男医療法人社団カレスアライアンス理事長

■葛西龍樹北海道家庭医療学センター所長

担い手の育成こそ急務

「家庭医に関する懇談会」

私は、このような経緯はわが国の医

療に理不尽な至みを強いた悲劇と考

え、表瞭と執念をもって原状復帰を志

す者である.そ の後、1994年の日本

ブライマリ ケア学会 (千栞 幕張メ

ッセ)で偶然に葛西龍樹医師に再会し、

彼の情熱と行●Jl力によって専円家庭F‐

の育lJAに向けてJヒ海道家庭医療学セン

ターの設立に迷うことなく漕ぎ着け

た.こ れは まさに数々の素1青らしい

幸運な出会いの賜であった.私 どもは

きわめて囚難な道を選んだわけである

が、わ力刊」の医療を真剣に考える多数

ここで ・再度・としたのは、1985

年 6月 に厚生省が 「家庭医に関する懇

談会Jを 設置して、各界の委員による

2年 問にわたる検刊結果をまとめた報

告書力ヽ鯨 政策局長に提出された (87

年 4月 24日 )前 後の経組を踏まえて

のことである.

この懇談会は、医療の高度化 専Pl

分化が進み、病院の機|ヒが充実してき

18 MedOa ASAH 2002 N∝ ember0

Page 8: [kenichi Sato/佐藤健一] メディカル朝日/「あなたが専門」と言える医師を創る

「あなたが専門Jと言える医師を創る

4年 度

図 1 専門医家應医の臨床IIl修プログラム

●認定医試験 (MCQ、ェッセィ レクチャー

サテライ トクリニック

6カ 月

サテライ トクリニック6カ 月

OSCE 学会発表 論文)

地域医療 選択研修3カ 月 3カ 月

地域医療 サテライ ト3カ 月 3カ 月

(日銅記念病院)は 、1996年 4月 に厚

生省から臨床研修病院の認可を受け

た,そ れとFl時に法人のシステムの中

に北海道家庭医療学センター (以下、

「当七ンターJと 言己す)を 設立し、今

同公募の採用試験で志ある若い臨Ill「

修医 (レジデント)を 選抜し、97年 5

月から4年 間の臨床研修プログラム

(レジデンシー)を 開始した。当セン

ターは、日本で本格的に家庭医療学の

診療 教育 研究を推進することをミ

ッションとしている,こ のレジデンシ

ーは、世界の家庭医療学の伝統とスタ

ンダードを正しく継承し、最初から地

域を基盤としたセッティングで教育が

行われる家庭医療学レジデンシーとし

ては、日本で最初のものである。

前期2年 間の研修の特長

当センターの仰 参プログラム(図1)

の前期2年 間は、厚生労働省指定の初

期臨床卿 多に相当するスーパーローテ

ー ト方式のり「修であるが、家庭医療学

のローテーションカ'あ

ることが日本の

他施設の研修プログラムと異なる第―

の特長である.こ の家庭医療学ローテ

ーションは毎年 1カ 月あり、当法人の

もつサテライトクリニック (日鋼論

病院からTで lo~ 20分 の距FAfにある

地域密着Il診療所)で の研修で、「専

門家庭医は最Flから地域で養成するJ

というポリシーに_●づいてぃる.こ の

期間には、実際の家庭医の診療に沿っ

て、外来診療、訪問診療、入院 人所

先への訪問、fL●児健診などを経験す

る.

もう一つ他施設の研修プログラムに

ない特長が、「ハーフデイ バック制

I倒 である。ハーフデイ バック制度

とは、レジデントが今仰 参期間中どこ

MedicalASAH1 2002 November0 19

3年 度

″度1勇~身

「喩'義,寡曹1睫魂1肇毒|||1纂| :'曹厄撃

'」魂

●採用試験 (llCQ 論述 エッセイ 適ェ検査 面接,エ クスターンシップ

U墨:畔鷺ξ艦&腑棉lltte×am詰:1。:Rl♀どξ:Rlll力!J]1::」♀曽∫嶋∫:lξ:『:::I

の区療力係者、医学生、市民の参加や

協力を得て、よりよき「療提供休制を

視野に置いて家庭医養成プログラムの

推進に雰力を重ねている.

先ほどはlo数 年前に立ち戻ってと

述べたが、医療制度や医療経済のF71塞

状況を打破して、国民に信頼され、安

心できる医療への改革を進めるため

に、今日ほど 「専門家庭医の養成Jが

切り札となる重大な時局はないと考え

る。

最も多くの日民力咤 む医療への入り

「は、家庭医機能lo項 目を満足する

担い手の存■にほかならない.ま た、

横糸の専ll医である家ll医と、lt糸の

部門別専「1医とのF.lの凛とした連携こ

そ力湘 織医療の基本であり、両者が切

磋琢磨 しながら共生するのが当然の条

理であろう。

また、専門家庭医と部Pl別専Fi医と

の適l」な連携は、医療そのものの質を

高めるばかりでなく、医療貨の無駄を

省いて医療資源の効率的な迎川を図る

うえでも、きわめて高い訥而を受ける

はずである.さ らに、今年7月に成立

した 「健康増進法Jを 受けて、家庭医

は健康増進のアドバイザーとして重要

な役割を最も適切に担うことになるで

あろう。

これまで述べたように、「専Fl家IT

医の養成Jは わが国21世紀医療の中

長期展望においても累急度の最も高い

今日llな最重要.l題であると考える。

その到達点を愚直に表現すれ|よ fam

ny physicianは「家庭医Jと 割(され、

「かかりつけ「Jは 「「Jを 外して国

語辞共にお返しする日である。そして

・To err is human & ils or

ganizatiOn・というフレーズカ'4半世

紀の満の橋渡しにはあまりにも短すぎ

ることを悟る日にもなろう。(71村昭

男)

北海道家庭医療学センターの設立

Fffrid:.t', ff|/t v ^t

1.1 t > z

Page 9: [kenichi Sato/佐藤健一] メディカル朝日/「あなたが専門」と言える医師を創る

後期 2年 間は 「家庭医療学専門医コ

ースJと 称しており、前期 2年 間の研

修を修了して研修中期調価に合格した

のローテーションで硼 蓼していても毎

週半日、サテライトクリニックに戻っ

てきて家庭医療の研修を継続するシス

テムである。これによって、lI続した

診療 (外来 在宅 施設内)を 経験す

ること力'でき、良好な医師―思者 家

族関係を保つことができ、lH当する忠

者 家族への理解力深 まり、家庭医と

してのアイデンティティー形成に非常

に有益である。さらにこのハーフデ

イ バックの機会を利用して、医療面

接技法、家腕志向型医療の実践法、患

者中心の医療の方法の実際なユ 家庭

医療のコアとなる教育やEBMの 教育

も継続して提供できる。

者を対象に、将来専門家庭医として自

立するための教育を展開している。前

期の「ジュニアレジデント」に対して、

この期間のレジデントを 「シニアレジ

デントJと 称している。2002年 度は

4年 目まで合計15名のレジデントが

在籍しており、指導医の直接指導のほ

かに、 2年 目が1年 目を教育し、 3年

目が2年 目と1年目を教育し、 4年 目

が3年 目と2年 目と1年 目を教育す

る、という 「屋根瓦式教育J力漢施さ

れている。

6カ月ずつ2カ所のサテライトクリ

ニックを舞台とする家庭医療学研修で

は、指導医のバックアップのもとに、

それぞれのクリニックの診療すべてに

わたってFl■をもって統括してみる研

修力γテわれている。さらに、り印参は診

療面だけでなく、ジュニアレジデント

の教育、自己啓発学習システムの開ゑ

家庭医療学の研究発表、地域の人びと

■室蘭サイ ト

曰鋼記念病院

本輪西サテライ トクリニック

東室商サテライ トクリニック

ロオし幌サイ ト

家庭医療クリニック西同

■十勝更別サイ ト

更別●国民健康保険診療所

■千莱鴨川サイ ト

亀ロメディカルセンター

■東京サイ ト

北部東京家庭医療学センター

■岐阜サイ ト

揖斐都|ヒ西部地域医療センター

■沖縄サイ ト

ファミリ=ク リニックきたなかぐすく

ちばなクリニック家庭医療センター

今後5年間で15サイ ト 各サイ ト6人

毎年90人のレジテン トを教育する予定

との交流、クリニック運営上のr・b脚平

決、診療の質改善活動、スタッフのマ

ネージメント、レセプトの点検から経

営管理にまで及ぶ、いわば 「家庭医と

して生きることJを 中心に据えた教育

である。

後期研修では、文化 社会的背景、

ケア資源、住民の健康間題の種類と分

布、および年齢構成比など力哄 なる地

域での家庭医療を経験するために、岐

阜県の揖斐副Чヒ西部地域医療センター

およυヽ中縄県の医療法人アガペ会地域

支援局ファミリークリニックきたなか

ぐすくとで 「開かれたネットワーク」

を構築し、それぞれにシニアレジデン

トを3カ月ずつ派遣して特色ある教育

を展開している (図2)。

さらに、日高山脈を一望する十勝平

野に位置する大規模農業の村、北海道

河西郡更別村 (人口l13400人 )と 当

法人力業務提携することにより実現し

た十勝更別サイトでの研修もある。こ

の研修は、村の唯―の医療機関である

国民健康保険診痴所を舞台としている

が、医療のみならず、村の福祉 保

健 介護の部門との連携も含めて、当

センターカ=船 的に社会保障を支援す ,

る形で、比較的限られた地域で完結す

るタイプの肖 寸型家庭医療力漢践でき

る。

認証プロセスの国際標準化

家庭医療学専門医コース

北海道家庭医療学センターの教育連携サイト「開かれたネットワークJ

図 2

当センターの家庭医療学専門医コー

スを満足のいく評価で終え、 2カ 月に

わたる認定医試験に合格 した者には

「医療法人社団カレスアライアンス

北海道家庭医療学センター認定家庭医

療学専門医」(「フェローJと も称する)

の認証をしている。2001年 6月 1日

に、日本で初めて2名 を認証しており、

20 Med calASAH1 2oo2 November0

Page 10: [kenichi Sato/佐藤健一] メディカル朝日/「あなたが専門」と言える医師を創る

021iに 認証 された者 も含め 4名 の

「家庭医療学専「1医J力i座談会 (12~

17ページ)に 参力1している。

現在はまだ一医17法人による認定で

あるが、02年 からは、家庭医療学専

りLコ ースの教育に協力していただい

ている施設から外部調験官を派遣して

いただき、いわば 馳 ,臨武創 のよう

にして認定試験のレベルアップを図つ

ている。

こうした認証プロセスの質の高い標

準イヒヘの努力は、世界家庭医機構(W()NCA)、英国家庭医学会CCGP)、

カナダ家庭医学会 (CFPC)、 米国家

|・F医学会 (AAFP)、 オース トラリア

家庭医学会 lRACGP)を はじめとし

たL界 の家庭医からの支援にも支えら

れており、とくに02年 に創立50周年

を迎えた英回家庭医学会では、私たち

のm未 教育のレベルと言鮨正ブロセスを

査祭して、将来その認定医には英F家

庭医学会認定医 (lIRCGP IUKpと

同等のタイトル (MRCGP「 nterna

●onall)を授与することを検討してい

る。

英国家庭戻学会の指導で、指導医の

ためのワークショップも開催される予

定である.

再教育 ・生涯教育へもJL戦

どの料をとっても標準化されたレジ

デンンーのない 「臨床教育後進国J日

本にあっては、当センターのこのよう

な取り組みは 「そこまでしなくてもい

いんじゃないかJ「敷居が高いJ「モチ

ベーションの高い者しか入れないJな

どと言われることがある。一方で 「卒

後初期臨剛 が必傷 ヒされればブラ

イマリ ケアを担 う医師が養成され

るJ「F家庭医マインド』をもっていれ

`よどこで研修してもそれなりに家庭

医療はできるJなどとも言われている.

しかし、カリキュラムもなく見通しも

ない、何となくジェネラルに見える曖

昧な研修 (らしきもの)を 続けていく

だけでいいのだろうか.Jiセンターで国際的な認定まで含め

た専門家庭医の養成システムのモデル

を示していくことは、今後、他の施設

力双 り刑1む際におおいに参考になるで

あろうし、真剣に家庭医療を目指す医

学生や研修匡に、やりがいのある日標

を提供することになるはずである。そ

して何よりも、標準化された教育で質

が高く、よくトレーニングされた家庭

あなたが専門Jと言える医師を創る

医を養成することが、次世代の国民の

健康に寄与することであると信じてい

るからにほかならない.

まだまだ限られたマンパヮーではあ

るが、幸い、まず力を集中させた標準

化したレジデンシー プログラムづく

りが成功したので、2002年 からは、

他施設で初期研修を修丁した者を対象

に3年 問の家庭医療の専門教育を提供

する 「後期レジデンシーJを 新設した。

さらに、あるli,=紺験を積んだ医師が

自分の診療を基盤としながら通信教育

とヮークショッブなどを受講して、 5

年で家庭医療学専円「の認定調験を受

けることができる再教育プログラム

や、家庭医療学専門医 (フェロー)と

なった家庭医がレベルを維持するため

の生涯教育プログラムなどを開発し、

家庭医の教育をいっそう充実させ、多

くの人に家庭医となるチャンスを提l■

することを目指している。(葛西龍

lil) ん|●

文献1)西 ォ,l“

":「

箱J と 1 身J― テレビcMヵ

ら学ぶ

"iC口

:H本 満掟会 Il誌43を ="

2)02

2)1,西 也世 |オ庭医

"―

家庭ヽをめざす人 家

にヽと慟 (の ために~ :ラ イフメティコム

"京

2002

Medical ASAH: 2002 November0 21

月lalのレジデン ト フォー

ラムのひとこま(写真右).

家庭医療学研修施設の―つ 本輪サテライ トクリニ ′ク C真 下).

Page 11: [kenichi Sato/佐藤健一] メディカル朝日/「あなたが専門」と言える医師を創る

家庭医ニユーモデル、4人 の発進 (下)

守屋文香 章成両医師が運営する家庭医療クリニック西岡にて。左から佐藤さん、山田さん、葛西さん、章成さん、文香さん。

医療法人社団カレスアライアンス ・

北海道家庭医療学センターの研修を終

え、割門家庭医として歩み出した4人

の医師たち。家庭医をめぐる日本と海

外の落差に驚きながらも、フロンティ

アをさらに前進させる。

一―卒後研修は大学病院で研修なさる

方々が多いわけですね。皆さんは少数

派ですか。

山田 今はまだ少数派ですね。

守屋 (章)同 学年で100人が卒業し、

家庭医になったのは僕 1人 だけでし

た。家庭医という言葉を知っていたや

つがだいたい5人 ぐらい。家庭医のほ

んとうの存在意義、今言ったようなハ

ウ ・トゥ・ビー (11月号座談会 (上)

参照)あ たりの専門性をほんとうに理

解しているのは、僕以夕Ilこ1人、2人。

ほかの連中は「僕は家庭医になるんだ」

と言っても、「何それ ?何 科なの ?」

「いや、何科 じゃなくて……」。そこ

から先のハウ ・トゥ・ビーも、説明し

ようと思っても、こいつ、通じないだ

ろうという連中のほうが多かったの

で、最初から諦めちゃった。

自分のいた大学は研究志向が強い

学生が多く、そういう環境で、たとえ

ば難しそうな病気の原因をい力■こ探る

かとか、いかに最先端の治療法を開発

34 Medioa:ASAH1 2002 December⑫

するかというようなことに血道をあげ

ているような環境で、「一人ひとりの

患者さんの不安に」というようなこと

を言おうとしても、そもそも悪く言えば

お門違いみたいなところがあるわけで

す。土着的な、土俗的な雰囲気が京大

からリト除されているような気がします。

山田 そこに、ものすごい学問がある

にもかかわらず、そこを学問としてあ

まり扱いたがらないとか。

守屋 (章) とか、ちよっと耳を傾け

てくれても、まあ、一人ひとりの不安

を解消するには、君が高度な専門医に

なってその病気を治してあげないとと

か、結局、そっちに論調をもっていか

れちゃうとか、そういう雰囲気がある。

家庭医志向の学生は急増

―方、研修ポストは不足

―一皆さんが目指しているようなお医

者さんに対する患者サイ ドからの要求

度は非常に高いと感じます。皆さんは

このコースに出会いましたけれども、

出会わなかった人のなかにも家庭医志

向の人は結構いるのではないかなと思

います。守屋 (文)さ んの同学年はど

うでしたか。

守屋 (文) 岐阜大学には港在的にそ

ういう志向をもっている学生は結構い

ると思います。外科なり内利なり自分

のキャリアとし

て選んだところ

で仕事をしてい

るなかで、矛盾

を感じていると

話していた人は

何人かはいたん

です。これでほ

んとうに十分な

北海道家庭医療学セン

ター所長

医療ができているんだろうかとか、患

者さんに対して満足を与えられている

んだろうかというような疑問をもって

いる人はいます。

葛西 家庭医療学研究会という団体が

あって、毎年、医学生を対象とした夏

期セミナーというのをやっています。

その参加者はここ数年爆発的に伸びて

きて、100人を超える人が集まってく

るんです。けれども問題は、その100

人が卒業したときに、家庭医の研修を

受けられる場所が非常に限られてい

て、その1割も研修ポストはないわけ

です。家庭医に限らず、日本にはしっ

かりしたレジデンシーのポストがあり

ません。家庭医の研修をしたい人にポ

ストが当たるように、全国の研修プロ

グラムの立ち上げを支援したいと思っ

ています。

一―全国に家庭医的な診療所の医師は

たくさんいますね。そういう方々は、

葛西龍欄氏

Page 12: [kenichi Sato/佐藤健一] メディカル朝日/「あなたが専門」と言える医師を創る

ューモデル、4人の発進(下)

家庭医療学という専門分野を学んだわ

けではないけれども、それと同じよう

な精神と技術、知識をもうて仕事を続

けていらっしゃいますね。

守屋 (章) それはたくさんいらっし

ゃいます。メーリングリス トが一つあ

りまして、参加しているのは主に開業

医で、そのなかでも自分こそは家庭医

だとか、正規の トレーニングは受けて

ないけれども、開業したからにはそう

いう家庭医に近づきたいというような

意思をもった先生たちを中心に、各病

院の勤務医とか大学病院の専門医を含

めてかなりの数の医者が熟 さに議論を

交わしています。たとえ|よ ついこの

間まで大学病院にいてバリバリの循環

器の専門医だった人が、開業を機に医

者としてのスタンスをがらっと変え

て、一生懸急 地域のなかでの医者と

して求められるものに、自分をどんど

ん変えていっている。そういう医者の

姿をメーリングリストを通じて知ると、

ほんとうにすごいなと尊敬しますね。

先輩たちの苦労を

繰り返さない道づくり

佐藤 大事なのは、僕たちの手で、あ

とに続く人たちが音労しなくてもすむ

ようにすることです。そうやって苦労

してこられた先生と同じ道を歩む必要

はもうないということを示さなければ

しヽけなV 。ヽ

山田 この間の夏期セミナーに参加し

た後輩から聞いたところ、家庭医はマ

インドをもっていればなれるんだと声

高らかに話した人がいて、守屋(章)が

言った「気のもちよう」をみんな勘違い

してしまったかもしれませんね。膨大

な量の知識と技術のバックグラウンドが

あっての「気のもちようJなんですが、

学生たちは、マインドを忘れなければ

家庭医になれるというふうに解釈した

可能l■/1洋蔚い。

昌四 読者の方々にはなかなかわかり

づらいと思いますが、セミナー参加者

100人に対し、研修医のポストカ潤ヒ海

道家庭医療学センターと、あと幾つか

ぐらいしかない。彼らには家庭医にな

りたいのだけれどもなれないのではな

いかという不安がありますね。それを

払拭するために、どこで研修しても家

庭医のマインドをもっていれば家庭医

になれるんだと、ほかのところで研修

している先輩医師が言ってしまったと

いうことです。

山田 そうなると、家庭医の専門性を

打ち出すことができずに、また消えて

いく可能性がありますよね。

マインドの維持は

仲間に助けられる

守屋 (章) マインドをもって維持す

るのがたいへんなことです。たとえば、

悪い例をあげれ|よ 学生時代に、いろ

いろなセミナーで出会ったある一人の

仲間がいて、そいつも家庭医になりた

い と思 ってい

た。ただ卒業の

時点では、いろ

いろな事情があ

って家庭医療学

センタニには来

ずに、大学の医

局に入った。残

念ながら二緒の

山田康介氏更別村国民fl・康保険診療所 (北海道)勤 務

職場にはなれなかったけれども、元気

にやっているのかなと思いながら、数

年たったあるときに何人かの患者さん

を通じて、一緒に仕事をする機会があ

ったんです。そうしたら、マインドは

どこへやら。たとえ|よ とある末期癌

の患者さん一人をめぐって、ぽそりと

「緩和医療って、医療じゃないよね」

と言っていたり、「ホスピスなんて医

療じゃないよね、医者のすることじゃ

ないよね」みたいに言ってみたり。ま

た別の高齢の患者さんがどうやら肺炎

になっているらしくて、さあ、このま

ま家で看取ろうか、やっぱり病院で1

回立て直そうかと家族力゙悩んで悩んで

悩んだ末に、「病院で治療してくださ

更別村国民健康保険診療所. (山

田康介医師)

更別村は北海道の十勝地方にある人口3400人 の農村。]933年 に有床の国民健康保険診療所が開設

された.医療法人社団カレスアライアンスと更別村の業務提携により2001年 5月1日 北海道家庭医療学

センターからの医師派遣が決定し地域における家庭医療クリニックとじて新たにスタートじた。医師2名

で診療.村唯―の医療機関でもあり大人から子供まで多くの住民が利用する。保健 福祉との連携を密に

行い、より包括的なケアを提供できるよう努力し続けている。家庭医療 地域医療を志す学生 研修医にそ

の魅力を伝えるため 見学 実習の受け入れも多い。

MedioalASAH1 2002 December① 35

Page 13: [kenichi Sato/佐藤健一] メディカル朝日/「あなたが専門」と言える医師を創る

い」とお願いして入院させたら、一言

「何でこんな状態になって連れてくる

んだJと 言って怒ったり、すごく変節

していて。学生時代には、彼がこんな

医者になることはないと少なくとも僕

は思っていたんですけれども、ああ、

やっぱり環境ってすごく大事なんだな

と。医師免許を取って最初の数年間は、

鳥のヒナが殻からかえったときの刷り

込みと一緒で、医者としての刷り込み

の期間だと思うんですよ。その刷り込

みの期間に家庭医としてのマインドを

きちんともって維持できる場をもつこ

とがすごく重要で、それはさっきも言

ったようにヽ 本物の家庭医のもとで研

修しなければ物にならんと。

佐藤 1期 生は上にもいないし下にも

いない状態が1

年続いたわけな

んですよ。相談

する相手も少な

く、自分が進も

うとしている医

療に対して不安

な気持ちがいっ

2002 Deoember⑫

ぱいになっていく。そういうときに、

世界の家庭医療の学会などに出席し

て、海外の家庭医に会って話をすると、

またやる気になってきたり、病院に戻

って現実を目の当たりにするとまた気

分が落ち込んでいったり、その繰り返

しでした。2年 目、 3年 目になると、

下力奮 えてきてそこから力をもらった

りしてやっと気分的に落ち着いてきま

したから、専門医ばかりのところでマ

インドをもち続けるのは、かなり難し

いのではないかなという気がします。

英米で診療所とプライマリーケア教育を休験

葛西 研修プログラムには、家庭医療

がすでに発展している国々で研修する

機会がありまして、守屋文香さん、守

屋章成さんがそれぞれ英米へ行ってい

ますので、現地の医療を見て日本の家

庭医をどう考えたかというあたりをコ

メントしてもらいたいと思います。

守屋 (文) 私は4年 目のときに、イ

ギリスのサレーという人口1万人ぐら

いの町に行きました。GP(General

医療法人アガペ会 ファミリークリニツクきたなかぐすく(佐藤健―医師)

人口1万5000人 高齢化率14%の 沖縄県北中城村にある。外来には高齢者 成人 小児がほば均等に

受診しており 受診理由と

`る

疾患は内科(消化器 呼吸器 循環器)小 児科、整形外科(り八ビリ)、皮膚科

など多岐にわたる。クリニックには訪問看護ステーション ヘルパーステーション 通所り′ヽビリも併設され

ており患者さんを中心に福祉 看護 介護 医療が互しЧこ連携をとり 同時に介護する家族を支える役割も

果たじてUlる。外来のみならず、離島医療への医療 福祉面での支援や家庭医療学を志す学生への研修も

積極的に行い 沖縄での家庭医療学の発展に力を注ぐ。写真(左)ま涌波満院長。

Practiioner;家 庭医)5~ 6人 のグ

ループによる地域家庭医療センター

で、 1カ 月間研修しました。医療行為

はできないので見学だけなんですが、

ここは総勢で40人 の所帯で、研修医、

看護師、助産師、保健師、カウンセラ

ー、それに事務と、多職種の人たちが

一つの診療所の中で働いていて、地域

の医療をほとんど担っているという状

況でした。

イギリスには家庭医療の長い歴史が

あるので、システム全体の改善もどん

どん行われており、そのシステムのな

かに個々の医者の技術を向上させる仕

組みもしっかりあります。たとえば、

研修医教育にしても、基本的に診療所

で1年 ぐらい教えます。指導者にも試

験があり、何年かごとに更新しなけれ

ばいけない。医者の質を保つという点

で、日本とは天と地ぐらいの違いがあ

ります。これから日本での家庭医のモ

デルにしていきたいと思いました。

看護師の役割も大きい。医師とは別

に、糖尿病とかpi・息などの慢性疾患に

対する指導だとか、子官癌検診などを

します。日本の診療所q動 く看護師に

比べると、役割をもたされていて、そ

れも一つの方向として参考にすべき点

だと思います。

守屋 (章) 僕は去年の9月 に、アメ

リカのオレゴン州にあるオレゴン健康

科学大学 (略称OHSU)、 家庭医療学

科というところに行ってきました。ア

メリカにおける家庭医療のメッカみた

いなところです。アメリカでは毎年大

学のランキングが出ますが、プライマ

リーケア系統とリサーチ系統の2つに

分かれるメディカル ・スクールのラン

キングの、(プライマリーケアの)常

時2位 ぐらいにつけている非常に名の

ある大学で九 さっきもちょっと話が出ファミリークリニックきたなかぐすく(沖縄県)勤務

36 Medioal ASAHl

佐藤健―氏

Page 14: [kenichi Sato/佐藤健一] メディカル朝日/「あなたが専門」と言える医師を創る

のです、と具体的に説明したところ

「ほんとうはかからないつもりだった

んだけaあ の話を聞いて来たんだよ」

という方がいらっしゃったわけです。

理解 。評価を得て

やがて制度ヘ

守屋 (章)医 療者同士でも言葉で伝

え切れないことがあるぐらいですか

ら、来てもらって体験してもらって

「ああ、これが家庭医なのか、結構い

いじゃないのJと 思っていただかない

ことには、どうしようもないわけです。

まず来ていただく。そのときに、家庭

医として目いっぱい力を込めて診療さ

せてもらう。来てもらうためのノウハ

ウといいますか、PR活 動の仕方とか、

そういうことから試行錯誤です。

「家庭医療Jと いう標榜も許されない

ので、内科、小児科のみを標傍してい

ます。心療内科とか皮膚科ぐらいの標

榜を加えれIよ 一般の方へのアピール

度が高くなると思うんですけれども、

その辺もいろいろ規制があります。だ

からやってきた人には、診察が終わっ

て 「ほかにお困りのことないですか」

と聞きます。すると 「いや、腰も痛い

んだけれども、ここ内科でしょうJと。

「いやいや、二応名未っているのは内

科だけど、僕、何でも診てますよ」と

言って説明して、とにかく診せてくだ

さいなと腰に関する診察もして、必要

があればレントゲンも撮って説明して

「あ、何だ、この先生、腰も診てくれ

るんだ」と。初めてそこでやっとわか

ってもらえる。者団嗜脇ですから、ちょ

っと行けば整形外科がある、皮膚科が

あるという、その状況で、全科診療し

ていますよということをアピールする

のは、非常にたいへんですね。

佐藤 沖縄のファミリークリニックき

38 MedicalASAH1 2002 December⑫

たなかぐすくも、ことしで3年 目なん

ですよ。まだ、黒字にはなってないみ

たいですね。家庭医のよさをわかって

もらうのはすぐには無理だと思うの

で、時間を力ヽ ナて健康教育とか予防活

動などを経て、やっと安定してくるか

なと考えています。

守屋 (章) たしかに家庭医は、決し

て華やかにもうかるような分野ではあ

りません。ただ、「家庭医は赤字で当

然」みたいなことは絶対あってはいけ

ないことで、健全な経営をすることも(

その地域の健康を守るという家庭医の

使命の一つだと思うんです。そのノウ

ハウを僕らは今つくつている最中だと

思うんです。

葛西 読者の方は気づかれたと思うん

ですが、日本は稀にみる家庭医療学の

後進国なんですね。この4人のような

人たちがいたのは20年前、30年前と

いう国がいっぱいあります。そういう

意味で僕は、4人が4年間のトレーニ

ングを終えて、その後も家庭医として

やり続けているということに大きな敬

意を払います。日本の社会全体に、困

難を越えながら

歩んでいる彼ら

のいいサポータ

ーになってもら

えるとありがた

υヽ。

第 2回の家庭

医療学専門医の

認証式には、厚

守屋章成氏家庭医療クリニック

西岡勤務

生労働省から内閣官房審議官 (当時)

の中村秀一さんが来てくださいまし

た。彼はスピーチのなかで、日本に家

庭医の教育をしているこういうモデル

があるということは、政府にとっても

勇気づけられることだと言っていまし

た。まだ足りないところ、もっともっ

と改善すべきところは多くありますけ

れども、ここの家庭医療学センターと

その卒業生たちがいいモデルになっ

て、全国に続く人たちがいて、国民か

らも評価を得て制度になっていくとい

うところが大事かなと思います。

きょうは、ほんとうに皆さんありが

とうごさヽ まヽした。

(まとめ 本誌 吉野かおる)

‐ ‐ ‐

家庭医療クリニック西岡 ‐

|■ |‐ (守 屋文香 章成医師)

2001年 6月 l日に 医療法人社団カレスサッポロの法人内の―施設として開設。家庭医療の実践の場と

じてつくられ 日本で初めてクリニック名に「家庭医療Jの名称を冠した。医療法人社団カレスアライアンス

北海道家庭医療学センター(室蘭市)での研修を修了じた専門家庭医2名で診療を行つており同センター

の関連施設でもある。診療所は本L幌市の市街地南端に位置じ診療地域である西岡 澄川地区は30年 ほど

前から住宅街とじて発展してきた。若年家族も多く居住する―方で 徐々に高齢化も進みつつある典型的な

「都市型Jの診療地域である。