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19
-・・・・・.. きレッ (一一〉 〈六四九 若き V ミ/ (一一) IV 宗教思想 ( 1 性格 ( 2 カルダ l ヌスによる四宗 教の 代表者たちの論争の中、最 も強硬なキリス ト教徒と回教徒の主張について少しく吟味し てみたい。 キリスト教徒は自己の宗教の卓越性の根拠を四つ挙げる o( 1 〉予言の成就 2 〉奇蹟、 (3) キリスト教の合理性と倫 理性、 (4 〉キリスト 教伝播の仕方。ーーた しか にこれらめ根拠は 、い つの時 代に も護教家により挙げられるものである 特に我々の興味をひくのは これらの根拠がかの理神論者たちにより 自然宗教と既成キリス 教との関聯に於い て常に問題とされてい る事実である o 我々はこ L で一応理神論及び理 神論者と若きレッシングとの交渉を考えてみ円い o 理神論については後掲の 8ZP 虫吉守♂玄 nCRop 吋円 ooE などの著作に拠った。 ( 1 以下、 ヨーロッパの知識層にひろく奉ぜられた合理主義的な宗教思想は 英国に 発しオランダ フランスを経てドイツに至った理神論である。歴史上の具体的な理神論には種々の段階 方向があり決 して一様ではないがバその本来の面白はいわゆる「自然宗教の七要民」により簡潔に一 ( 1 〉万物の創造主たる唯一 ・無限・永遠の神が存在 すべきこと、〈 2 〉神は摂理により世界を支配統 御すること、 3 〉神への崇拝 と服従か我々の義務であること、 (4 〉その崇拝は祈りと讃美からなるべきこと、 (5 〉その服従は正しき理性の支配からなり、道徳 十七 世紀中葉から十八世紀前半にかけて

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-・・・・・..

若きレッシシグの宗教思想

(一一〉

〈六四九)

若きVツ

ミ/

(

)

IV

宗教思想

(1〉

性格

(2〉

カルダ

lヌスによる四宗教の代表者たちの論争の中、最も強硬なキリス

ト教徒と回教徒の主張について少しく吟味し

てみたい。

キリスト教徒は自己の宗教の卓越性の根拠を四つ挙げるo(1〉予言の成就、〈2〉奇蹟、

(3)キリスト教の合理性と倫

理性、

(4〉キリスト教伝播の仕方。ーーたしか

にこれらめ根拠は、い

つの時代にも護教家により挙げられるものである

が、特に我々の興味をひくのは、これらの根拠がかの理神論者たちにより、自然宗教と既成キリス

ト教との関聯に於い

て常に問題とされてい

る事実であるo

我々はこ

Lで一応理神論及び理神論者と若きレッシングとの交渉を考えてみ円いo

理神論については後掲の

8ZP虫吉守♂玄

nCRop吋円

ooE♀などの著作に拠った。

註(1〉

以下、

ヨーロッパの知識層にひろく奉ぜられた合理主義的な宗教思想は、英国に

発しオランダ

・フランスを経てドイツに至った理神論である。歴史上の具体的な理神論には種々の段階

・方向があり決

して一様ではないがバその本来の面白はいわゆる「自然宗教の七要民」により簡潔に一一小されていよう。即ち、

(1〉万物の創造主たる唯一

・無限・永遠の神が存在すべきこと、〈2〉神は摂理により世界を支配統御すること、

〈3〉神への崇拝

と服従か我々の義務であること、

(4〉その崇拝は祈りと讃美からなるべきこと、

(5〉その服従は正しき理性の支配からなり、道徳

十七世紀中葉から十八世紀前半にかけて、

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的実践により表現さるべきこと、〈6〉来世の応報を期待すべきこと、

(7〉神の慈悲に信頼し罪を悔改むべきこと。

この七要点を理神論者たちは、「健全な人間理性ハ

50ω。己ロ仏宮HBmwロgmwg口〉が承服せざるを得ない、氷遠・普遍の真

理」として万人に要求するo

歴史上の具体的な理神論はこの七要点から出発して、既成キリスト教が代表する有神論、

汎神論、懐疑論、無神論の各ミに種々な程度で近、ずくのであるが、そこに一一貫するこつの特色は、健全な人間理性に信

頼し、これを用いて既成宗教(特にキリスト教〉の諸教理を再吟味し、これに耐えぬ(と思われる〉ものは爽雑物として

破棄する合理主義的な態度、並に、宗教の本質をその道徳性に求め、その功用を有徳な人聞をつくる点に認める倫理主

義的な態度である。上述の自然宗教は、実はこの二傾向が要請する一種の理想宗教であるが、一般に理神論者はこれを

人類生活め最初から存在するものと断定し、既成宗教は||僧侶・祭司階毅が私利を計るため、「啓示」によると称して

或る特定の人為的な教理・儀式を附加した結果||

自然宗教が不純となり堕落したものと主張するo

キリスト教につい

てみれば、歴史上のキリストには本来の自然宗教に何物をも附加する意図はなく、むしろ当時の自然宗教を本来の面白

に回浮るのが彼の目的であったo

即ち彼はこの目的のために遣わされた神の崇高な使者であり、人類の偉大な指導者

である。彼の

司O一円

ω。ロ

(神の子としての〉と

ho宵σ(啓一示としての〉の神聖性を保証するものは、あくまで彼の言説・

行動そのものL合理性と倫理性であり、、立れに対し、彼に於ける予言の成就や彼の行った奇蹟は次第にその完全性・可

能性を疑われ、遂には否定されるに至った。こうして彼の伝えた福音内容こそ「真のキリスト教

ksomgzEOC宵ぽa

tg片付可〉、即ち本来の自然宗教であり、既成キリスト教は特定の教理・儀式によって不純となり堕落したものである以上、

これを純化・向上せしめることこそ理神論者の使命である、とされた。

註〈1〉

前期の理神論者。

Eユg巴ocEハHOUA18〉による。

殆ど同

一内容のものは理神論の始祖の

一入門O

三国2Z30町

(UVRσロミ

〈広∞

HlH28に既にみられる。

ハ2〉

理神論者によれば、木来の自然宗教は

「キリスト自身も奉じた宗教」

(UB問。-MmgロハUV吋互。であり、

いわゆる

「キリス

ト教」ハヨゅのげ巳ω径のVOHNOロ柱。ロ〉とは区別される0.Fg回目ロ

m晩年の断片、

30MO

河内法柱。ロのHEmqh

(の・見∞。〉参照。

..

若きレッ

シシ

グの宗教思想

)

一五

ハムハ五

υ〉

_,

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-

若きレヅシジグの宗教思想

〈一一〉

一六

(六五一

一〉

(3〉一世紀半にわたる理神論の歴史は、啓示論

-奇蹟論・予言論の変遷史として考えることができようo

即ち大別して、

(a〉

啓示は自然理性を超える諸真理を教えるが、その内容は自然理性が教える諸真理

li即ち自然宗教の内容

lJに反してはなら

ず、且つ奇蹟により啓示たることを保証されねは万らぬ、とする前期(己

038wFREなど)

O

〈b)啓一定自然理性が教いる

諸真理には何物をも加えないとし、したがって奇蹟の護教的意義を認めぬ中期(吋百円芝など〉O

(

C

〉啓示と奇蹟に関する証明

の可能性を否定する後期〈出口BO〉0

予一一一一口論の変遷については後述。

更に、

既成宗教を以上のようにみなす結果、既成宗教聞の不利や迫害はきびしく非難され、「寛容の精神」(寸色0・

3尽〉、「既成宗教の組対性」(色。何色白広三

g仏

23ω丘三口月色柱。ロ

8〉がつとめて強調されるo

これはまた理神論

の倫理主義から生れる当然の結果でもあろうo

即ち、宗教の本質をその道徳性に求める以上、或る個人がいかなる既成

宗教〈派〉に属しようとも、彼が自然宗教の教える有徳な生活を送り、活綾な倫理的実践

ll特に「博愛」

QEEロ・

け可。匂己ーーを行う限り、その個人は人間として尊敬さるべきであり、同時に、或る既成宗教がこの目的に資する限り

t

ーその教理・儀式の特殊性には拘らず

li一示教として価値あり、とされるからであるo

すぐれた個人ハ選良〉が宗派

・人種・国籍を超えて粗互に精神の紳によって結ばれる「世界市民性」(巧色号待ぬ

22B)の理想も、このような理神

論の必然の所産であろう。

註〈1〉発生の歴史から云えば、十七世紀英国で

il多分に政治的・社会的な理由から

の相対性」が先であり、その要請としての自然宗教(理神論〉は後である。

強調された「寛容の精神」、「既成宗教

十八世紀前半のドイツでは、

この理神論が宗教に於ける合理主義の主流となり、

放と一広う点で当時のグォルフ哲学や敬慶主義と結んで正統信仰に対抗し、他方では木来の合理主義の故に敬度主義とは

両立せず、学的方法。体系の点からグォルフ哲学と結んだ正統信仰にむしろ並行した。しかも世間一般にひろく親しま

れたのはグォルフ哲学の系統である、いわゆる通俗哲学及びこれに繋がる通俗神学であり、より安易な合理主義と倫理

主義がその特徴であった。このように、所詮相容れぬ由来と性格の諸思想が錯綜する時代にレッシングは少・青年時代

一方では教会の権威からの個人の解

.

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• 、1

'一一,_J

~

を過したのである。

F

評伝家はこれを既に十三才の彼の主飢の中に指

彼の宗教思想について注目されるのは、この批判精神が理性を武器とすることである。即ち理性を用い

て宗教上の窮極的な問題を解決しようとする態度である。批判精神が強烈であり、理性が鋭利であるだけに、彼の場合、

安易な妥協は許されなかった。やはり評伝家は、彼が既に一フイプチy

ヒ遊学時代(勾怠ム∞〉に、一フイプニヅツ・グオ

・ルフ哲学と共に程一神論者チンダルや懐疑論者ベイルのまがに親しみ、これらを基礎として父祖伝来の正統信仰の教理内

容を理性による批判の対象とした結果、次第に懐疑を深めた事実を指摘していれトこのように、理性を武器とする批判

精神が「合理主義」と呼ばれるとすれば、守一mきレッシングはまず彼の合理主義の故に次第に正統信仰を離れて理神論に

近ずいたと云えよう。

さてレッシングの強烈な批判精神については前述したところであり、

摘しているが、

註(1〉父親宛の

32c会者ロロωのVB色。ぴ包含自白ロ仲門戸3emH寸恥

ω28H岱吋g・2

啓蒙主義の子

FommEぬは、かつては「黄金

時代」にあった人類が次第に堕落し、今や「鉄の時代」にある、と云う俗説を「理性」ハ巧

05哲学〉、「経験」(歴史観察)、

「聖書」の三つから論破し、「毎年が時間的にも、自然現象的にも、倫理的にも等しいこと」を結論しようとする。文体は後年

の彼のそれと驚くほど一致している。

なお、こ与では何の矛盾もなく融合している理性・経験・聖書が数年後には分裂したと

みると面白い。

2〉富山件HHO話回ロハ芝の

3《

UHHE2EEqmm

。sssoの円。釦一位。ロミ一(HQ∞。〉は一七四七年に、前出の

E25切邸玄oの3

0刊のt

toロロ印可ohh〈

Hog-笥〉は一七四二・l四四年にそれぞれの

05。va一一派によって独訳された。

(3〉当時この方面での

FgmEmの指導者は従兄のの町民怠ov営三宮切であった。彼が

Fonzw

理神論を深く研究したのは、数年後

gg診-mmovpの手引によると云われる。

o-sp

彼をしてこの過程をとらしめた他の原因が彼の倫理的性格に求められるのではないかと思う。

より彼はよきキリスト教徒にふさわしい禁欲的・道徳的な日常生活を送る性質の人間ではなかった。例えば我々は、当

更に我々は、

若きレヅシシグの宗教思想

(一一〉

ωvmm同町田ぴロ吋一司

などの

もと

〈六五二〉

t

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t

若きレッシシグの宗教思想

(一一〉

ハ六五三〉

~

時「小バリ」

I

と称された一フイプチッヒで、十七才の新来者の彼がいかに自分の容姿・挙動・趣味の田舎臭さに苦しみ、

人並の承認と讃辞を得るため舞踏・剣術・体操に励んだか、また彼自身の処女作、喜劇「若い学者」

(UR守口ぬoco-

-$20L記ヴ

の主人公ダミス(ロhwB2〉のバうな「書物の虫」になることの無意味を悟り、生きた楽しい実人生(文筆

と演劇の世界〉に飛びこんだか、を知っていんみ。当時の彼のアナクレオン風の詩について、彼自身、「人生は厳粛、芸術

は軽快」

(5SS吋。。g仏印、、窓口ωω

088〉であJド

J

詩人は乾さざる査、抱かざる女をも歌う、したがって読者は「詩

と真実」の区別"を知らねばならぬ、と弁明してい及、が、一元来彼の性格に或る(健康な〉亨楽的要素がなければ、これら

の詩の成立は説明されないであろうo

このような性格要素は、諮諺(出口目。ろ

を好む性格要素と共に、たしかに前述し

た芳きレッシングの「喜ばしい生活感情」を形ずくっていると一広丸ょう。

註(1〉書簡

l弓怠-

H

・8(母親宛〉参照。

〈2〉

!口怠・仏-N吋(父親宛)参照。

3〉

出O円回江口ω

「健全な快楽主義者」として

h28Rしようとする

3MNZZロ問。ロハゲ由民忠良公は、同時に、すべての快楽を

.蛇掲視する当時の敬度主義的風潮に対する彼の抗議であり自己弁明である、ともみられよう。

しかしこL

で特に「レッシングの倫理的性格」と名什けて問題にしたいのは、このような生活感情||当時の厳格な

宗教的禁欲主義の明らかな非離の対象ともなる

l!と共存する、正義・自由・義務

・廉恥・犠牲・誠実・友愛などの深

い倫理感情が形ずくる彼の性格であるo

(真理愛については前述のとおりであるo〉即ち我々は前述の作品や季、その

他の書簡に彼の強い正義心・友愛心を認めることができるが、更に、ペルン市の市政改革を謀って処刑された詩人・民

主々義者サ『ミュエル・ヘンツィ

(ωωBzo-図。

E土足。〉を悼む同名の悲的

228の中に自由・義務などの理念、が、

また一身、を郷って自国の勝利を確保するギリシャ太子を扱う悲劇「ブイロータ

(39Ezgh58の中に廉恥・犠牲

などの理念が息、ずまる強烈さで展開するのをみる時、我々は評伝家に教えられるまでもなく、何より作者自身にひそむ

これらの倫理感情の深さを予想せずにはいられない。このような彼の倫理的性格

それはまず正統派牧師の家庭に於

ける厳格な宗教々育に培われたものであろうが

キリスト教の教理内容に対する理性の疑惑にも拘らず、その崇高

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t ,

・、 .

な倫理性によって最後まで捉えられたこと、否むしる

「ヘルンフ

iト派について」などに明瞭にみられるよう

人間の使命を思考よりは行動に認めようとする彼の活動的な性格と相まって、

キリスト教の至上権威が難解な思弊

的・神一円切体系によりは、簡明な実践的

・倫理的教説に求められたことは想像にかたくない。そこで当時の正統教会の

一般状態|

!神学者の論争癖、形式主義、不寛容、信者の群の無自覚と不道徳ー

ーを也考慮すると、レ

y

シングが父祖

伝来の正統教会を難れて、理神論||キリスト教の倫理性、寛容と博愛の精神、選良、止がを標傍することにより一種理

想主義の性格を帯びる本来の理神論に傾いたこ

とは

一応理解されよう。

註〈1〉

彼が自分で選んだ友人たちに対しては、

の書簡はすべて高貴な友情に満ちている。

2〉3

切片山内wmohhhMWNWMWω

・二幕四場oktoMg母ER形式。主人公図。ロ訟と同志との聞に交わされる、熱烈な自由論、義務論に

終始している。

3)

内容

・形式共に、当時七年戦役に際し

司巴包包会大王以下全プロシアに渡った英雄的

・男性的気風を強く反映すると云

われる一幕入場の小品であるが、科白全体の倫理的色彩が著しく目立っている。

〈4〉

これらを示す一

つの資料は、〈

gω紙

〈UHO切。巴EEのVOU丘三-omH25Nag口問〉上の彼の新刊批評

(見mHl切切)であろう。

これはまた、諸思想が錯綜する当時のドイ

y精神界を如実に伝える貴重な、資料でもある。

(5〉

Fomm山口問

wd司色号位同mREShを直接に一示すものは、例えば書簡|見切∞-HN・5w見切。-Ne

である。彼はこ与で、「プロシ

ア腐弾丘〈の歌」の作者

2agに向って、自分が

一人のw

巧05忌吋moq

でφ

めることを明言し、思慮なき兵士の

匂民江O片山間口口九

をきびしく批判し、自分が句巳吋向。片山岳ロえにもまして匂

55含岳山内ぺを一向く評価することを誇っている。

いかに誠実な友であったかは評伝から知られるo

特に富。ロ〈凶ozmOHHロに宛てた彼

一七四九年の春レツシング川切にベルリンに出ていた彼と父親との聞には、特に信仰生活に関して非難と弁

明の書簡が数通とり交わされている。

その一通(五月三十日附)は若きレッシングの宗教思想を知る貴重な資料として

この中で彼は、父親が息子をば「最も卑しい、最も恥、ずべき、最も不屈・不

研究家がしば/¥引用するものであるが、

敬震な人間」

と考えるべく自分でも努め、他人からも仕向けられているのを慨歎し、次にこう弁明する。

若きレ

ッシシグの宗教思想

(一一)

一九

(六五四)

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若きレッシジグの宗教思想

〈六五五〉

(一一〉

二O

「キリスト教の根本的教理を覚えこみ、しば/¥それを理解もせずに唱え、教会に通い、すべての勤行を、たどそれが普通に行わ

れているからとの理由で共にする人聞かよきキリスト教徒であるのか、或は、ひと度賢明に疑い、探究の道を辿って始めて確信に

達した人問、乃至は達しようと努力している人聞かよりよきキリスト教徒であるのか、それは時が来れば分かることです。キリス

ト教は両親からそっくり鵜呑みにして受け取らるべきものではありません。なるほど大多数の人々は、財産を相続するのと変らず

キリスト教をも両親から相続しますが、彼らはまた実践によ

ってどのようなキ

リスト教徒であるかを証明します。私としては、キ

(2)

リスト教の最もすぐれた提、『汝の敵を愛せよ』がよく守られぬ限り、彼らが果して自称どおりのキリスト教徒であるか否かを疑い

ます・・・・・・。」

この数行は上述した若きレヅシングの傾向を大体よく物語っていよう。

....

註〈1〉

月色・仏・ロM

A

-

N∞wu・

8(父親宛)

(2〉愛がキリスト教の木質であり、キリスト教従のいちばん確実な標識であると云う彼の信念は生涯変らなかった。その最も

熱烈な告白は

308同,

ggg巾EMogロロ山由主〈見ud)でφ

めろう。

そこで今、さきにカルダ

iヌスが挙げた根拠に対してレッシングがいかなる意見を述べるかは、彼の理神論に対する

bu山手乙、

ム問問パ

.HB

したがって当時の彼の宗教思想をより具体的に知る上に興味深いと思われる。

レッシングはカルグ!ヌスが非難される理由が「正しい宗教の諸根拠を軽視した」点にあるか否かを吟味するにあた

キリスト教徒の挙げる四つの根拠の中を一括して歴史的根拠、(三〉を理性的根拠とし、そのい

(一〉合己(四〉

ずれからするもカルダ

iヌスはキリスト教の最上の弁護者であると極二一目する。しかし我々は、後に「誤てる宗教の諸根

拠を強調した」か否かの部分でレッシングが回教従に主張せしめる内容をも考慮する時、彼がキリス

ト教の卓越性の根

拠として特に主張しようとするのは、予一一一一?啓示・奇蹟などではなく、

たど合理性と倫理性の二つであることに気付く

であろう。

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ー,

守、

F

.-,

「彼ら〈多神教徒・ユデア教徒・キリスト教徒〉は常に啓示に頼ろうとするが、その可能性はかつて証明された例がない。しかる

に彼らは啓示によって諸真理を与えられたと称するo:::彼らはこれを秘義(玄義〉と名付けるo

しかしこれはそれ自体として矛

盾を含む言葉であり;:精神に『信仰と称する怪物』を生むもので為るo」「各人がその試金石を有する事柄をのみ教理として説く

者は奇蹟など必要としない。」

こL

に我々はかの理神論者たちの声を聞かぬだろうか。号してこれは回教徒の口を借りて語られたレッシング自身の

確信でもないだろうか。予言についても、理神論者たちは「字義的

283σ解釈」によっては勿論、「盛田験的守口oa

mRW包〉解釈L

によっても、キリストに於け,る

完全な成就を見出すことができず、その結果キリスト並にキリスト教の

神聖性の根拠としての予言の意義を次第に否定していった過程を、、レヅシングはよく知っていたであろう。予言に関す

る彼らの論争について、「予言の数は少べする程よいっもし増せば明白に確かな予一一言と明白に偽りの予言とが混同されて、

前者まで疑わしい様相を呈するに至るから、」と一式う彼の一何があるが、これが予言に対する当時の彼の態度を示してい

るとみられようo

彼は「カルダ

lヌス弁護」と同じ境、神学論文「啓示宗教の成立について」

(doσqao岡山口釘SF己ロぬ

仏O吋

mgほoロσMW30ロ河σロ柱。口一。・弓ωω〉の中で、「啓一示宗教・既成宗教は、直接に各人の理性に基ずく

wdqoωσロ岳会副な

もの以外に、始祖を通して神より来ると称せられる

wgロ40ロ位。ロo-Tなものを含む。最上の啓示宗教

・既成宗教とは、

自然宗教子、。ロ40ロ位。

no弓な

属物を附加すること最も少きもの、即ち自然宗教のよき効果、を制約すること最も少ま

ものである、」と明言している。これによっても、彼が大休理神論に一致していること、したがって、啓示宗教に特有

な啓示・予言・奇蹟の意義を重視していないことが結論されよう。

註(1〉

護教家三日目

M54司Z20ロ(↓

HaN〉ム理神論者

E50ロ205ロω〈古

NSの著名な線。

への移行は、例えば斗

HHogg巧OOH280(33どにみられる。これらは当時の

Fgm山口問

(2〉

ロ臼-uJMWP

〈omm紙上の新刊批評。

〈3〉同じ内容が既に遣の

&gW880門会。問。吋

BEg-h

奇蹟の字義的解釈から響験的解釈

の著作に散在する名前である。

の中で一そう大胆な調子で述べられて

いる。Fmw由民ロぬ

が啓一示・奇蹟

若きレッシシグの宗教思想

〈一一〉

-幽・4・一一

ハ六五六〉

t

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司t

/

若きレヅシングの宗教思想

(一一)

一一一一(六五七〉

-予言の問題をより詳細に扱うのは、最後の

君。]向。ロ

gzo--時代〈H301∞同)の一連の神学論文に於いてである。

結局、

「キりストの戒律は道徳、並に自然理性による哲学に矛盾するものは何

一つ含まないo」「人はキリストの範例から遠ざかる程、そ

れだけ一そう悪しき人聞になるよ

これらカルダ

iヌスの言葉がキリスト教の合理性と倫理性の最も簡潔な表現として、

ツシングが重視するものであろう。そして彼が更に回教徒をして、

「神を-認識すること、並に有徳であること

11理性が人聞に与えられたのは、まさしくこの二つを人聞に教えるためである、」

と誇らしめる時、これも実は理神論者の一一一一口葉であり、

理神論者たちと共に若きレ

こL

に我々はレッシングの単に信仰ならざる深い確信を聴くの

ではなかろうか。

V

回11晶、

ハ2〉

また我々は「カルダ

12弁護」にレッシングの殉教手を知る一つの機会を得たが、これはひろく宗教上の「狂信」

a

(ωのyd司似円

BqoC、「感傷主義」(肘-BM〉由一口仏

SBwog〉、「神秘主義」

(ζMaS内〉に対する彼の態度を暗示するものである。

合理主義的傾向の強い彼が、これらを「健全な人間理性」のために排斥するであろうことは容易に想像されるが、我々

はやはり修業時代の資料から、これらに対する彼の態度を簡単にまとめてみよう。

狂信。

l

l当時レッシングにとって狂信を代表するものは悪しき敬度主義であった。一冗来敬慶主義は、体系化すると

同時に固定化した正統信仰に対する実践的反動であり、十八惟紀前半にはドイツ宗教界の主潮をなしていたが、その特

徴として個人の生きた宗教感情を重視し、積極的な倫理活動を強制する反面、冷静・厳密な思索を軽視し、往々にして

危険な狂信に走る傾向があった。レッシングが当時の正統信仰に対する反感からも、敬慶主義の第一の面に同情を寄せ

たことは、例えば前記「へルンフ

lト派についてL

が示すとおりであるが、彼の合理主義・主知主義はその第二の面を

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認容できなかなった。そこで彼はブ無抵抗のへルンフ!ト派を攻撃する正統派神学者の倣慢を責めると同時に、前者を

ば、「熱狂のた~ゆいおよそ組織だった概念や節度ある表現には適さぬ者であり・・:時の経過と共に自然消滅すべき存在」

として憐んでいる。

註(1〉

ωω・∞・

5w〈

og紙上の新刊批評をも参照。

〈2)

弓臼・

ω-Nωw〈

omω紙上の新刊批評

opva去は

wbaszロ52門出。出

25ES円hh、が断片に終った主要な原因を、.こ

の第二の面に対する

Twω包ロぬの嫌悪に求めている。

感傷主義olJこれに対する彼の態度は、本質的には狂信に対する態度と変らない。十八世紀に除、情性を偏重する

いわゆる啓蒙主義の主流と並んで、感情を偏重する感傷主義が傍流として存在するが、生来男性的でストイックなレヅ

(

1

)

シン

グが一般に感情の過多を嫌うのは当然として、彼がその代表者クロヅプシュトγ

クやグィ

lラントについて特に不

満なのは、詩人である彼らが、の

OBEi何回窓口含ロぬ噛一明日ロ

σEgmωwspugW8180W巳色。ロなどの用語の区別さえ

弊えることなく、

キリスト教の教理内容をほしいまLに解釈し再構成し、それを信仰対象として「甘美な悦惚感」守山口

ωロωωO円切口径ロ

ω宮ωBCω〉に浸り、この悦惚感を「真の宗教感情」と誤認することである。そこでレッシングは、宗教上

の真理はこのような「誤れる宗教感情」の陶酔によっては得られぬこと、「正しき宗教感情」は冷静な形而上学的思索を

(2)

試金石とし、これにより吟味されたものであることを断乎として主張する。

註〈1)

その他の代表的人物として、のゆロ

02wのSEEm-の05m三吋32SぬopyロぬωSロロmwF2ω件。吋などが挙げられよう

oFg』

回目白問、が詩人として人間としての

Eoumgのグ当

ES仏に敬意と愛情をいだいたことは周知のとおりである。

(2〉

852円切

Eomon∞(弓

g-rgw巧ES仏の

ww開

BBロ仏ロロぬ仏mmの同区

ω件。ロ去を批判。同じく怠〈

qg・∞・

3wE8a

m円

ouwのミロ円

akp円件。ロロぴ叩円。。尽き《凶

gwghhを批判。その他彼らの

hgu出ロ仏ggwaぺに対する

Fm即位ロぬ一流の諸龍に満ち

た皮肉が書簡

l見可・。・

MWHパ

20Mg宛〉、

rzgg円切吋町民命日臼

wgなどにみられる。その他切吋町民O

M吋

wH∞〈5822w

の3

一言。ω白山mwm去を批評〉をも参照。なお

Z巳

MMgは、自分を火中から救い出した霊殿騎士を天使と信じこむ問

REの

-ωの守

護身

520忙を

ko又h、と祖国

2NRの倒錯として巧みに説明している

Q

V同

ω。R・〉

.‘

若きレ

ッシ

シグの宗教思想

(一一〉

一・・・・・4・.

一一・・・・_.・.

(六五八〉

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'

1

若きレッシシグの宗教思想

(一一〉

二四

(六五九)

神秘主義。

ー若きレッシングが殊にドイツ神秘主義をどの程度に研究し理解したか我々は知ることができないが、

神秘主義、乃至神秘主義者に対する彼の根本的態度は、狂信や感傷主義に対する態度から推測されると思うo

こ与では

彼の著作のそここもふにみられるヤ!コプ・ぺ

lメ批評の一つを引用するにとどめたい。

身でありながら、光明を受けた結果、その馬鹿げた教説によって一宗派の頭目となりドイツ接神術者となったグ

lルリ

(1〉

ッツの幸運な靴屋」である。、

註(1〉

ペ!メは「無智・無教養の

wwMN03ロロ向島wmHZMW句、吋同問切戸阿のHOω同

hh

VI

宗教感情

(1〉

宗教思想

(3〉

以上のように、敬慶主義、感傷主義、神秘主義に対する彼の態度から彼の合理主義・主知主義的傾向が更に明瞭にな

るにつれて、我々は彼のいわゆる「正しい宗教感情」〈仏印ω43E・0のえロ匡仏待問。ロぬ守口一

ωロω件以ロ島問。岡山田匂一山口仏己口問。ロ

〈。口。。件付〉をもう少し吟味する必要を感じる。

一体レッシングの宗教感情は根源的に何であったか。

それは同時に、

レッシングを駆って宗教問題と取り組まし

た情熱(パトス〉が何であったか、を問うことである。もとより、「一切の倫理概念、人生理想、世界観が神学正統

的神学にせよ啓蒙的神学にせよ|の影響下にあり、ドイツに於ける全教養が神学の色彩、を帯びていだ時色)である以

上、

すべての精神的分野で何らか新しい一歩を踏み出そうとする人間は、すべて必然的に宗教問題との対決を迫られた

ことであろう。したがって、この場合にもレγ

シングを駆った情熱として前述のような彼の強烈な真理愛||批判精神

を第一に挙げるのは順当であろう。しかし特に彼の場合、幼少から受けた宗教々育から云っても、またその後に身につ

(2)

けた神学的教養から一式つでも、宗教は第三者の単なる知識の問題ではなかった筈であり、そこ

に真理愛一般の他になお

何らか

の宗教的情熱を考えるのが自然であろう。そして、周囲の諸思想に対して前述のような反応の仕方が一示されると

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'

• -,_

t

、.

仏人、、4

7

ミ、昔、、、、

ころから、

それは何かレγ

シング独自の宗教的情熱であることも予想されよう。これを宗教感情として明確にするには、

勿論彼の歩んだ道を最後まできてみる必要があろうが、ごで対きする青年時代については、

17三

ー次のように考えてみたい。

註〈1〉ロ

va

2〉前出の

wbE会者

82zaohhにみられる、父親へのよそ/¥しい程の恭順ぶり、聖書の権威への絶対服従からも、幼少の

Fogsmが受けた宗教々育がほど察せられよう。

3〉

Fmmaロぬの

「宗教感情」に関する研究家の見解には後述のように否定的なものが多い。これは、彼らの多くが神学者、聖

職者である以上ごく自然のことでもあろうが、ともかくこの事実を無視することはできないので、以下の論は.後日に再吟味さ

るべき仮説h

としておきたい。

て'

まず宗教感情と云えば、我々は若きレッシングが宗教問題を論ずる場合に、「理性・悟性」〈〈句ロロロ戸

並行して常に「心・心情」(問。吋れのOBC3を重視するのを思い出すo

「ヘルンフ

lト派について」の中の辛煉な一一言葉、

「こうして彼ら(哲学者〉は頭(問。又〉を満たす。そして心(出旬。は空である。彼らは精神(の忠弘〉をいや果ての

天上まで導く。しかし心情(のOB位。は欲情のため家畜にも劣るo」喜劇「自白思想家」(巴将司円。紅色丘一口怠〉の主人

公アドラスト(〉今

83は、華かな自由思想に心酔する理(悟〉性(〈今ロロロ片付〉の他に、「自分でも意識せぬすぐれた

心(出

2N〉の持主」でる。ブ

オス紙上の新刊批評の一僻肝では、言葉争いにすぎぬ論争に杭り、たど浅薄た自由思想家

たちに噺笑の材料を与えるばかりの神学者たちに向って、「まず心(国待。が念滋・不和・中傷・圧迫などから浄めらず、

キーリスト教徒花帰す唯一の本質的な標識たる愛を実践せずして、諸宗派の統合をどうして望めようか、」と警告される。

同じく他竺個所では、「大袈裟に学識を誇ることなく飾らざる調子で読者の||頭(問。ろ

にではなくl

ai

に迫り、宗教の要求する義務を『快よき報』として印象、ずける一冊の書物は、現代では、実人生に何の益もない煩瑛な

論弁めいた二十冊の神学書や、たど各宗派の憎悪を蒙るにすぎぬ百冊の論争書に値する、」とも極言されている。

見切H

・ω・8wこれは一万来軽率な折衷主義者に向けられている。

〈⑦円ωけωロ《同)

註〈1〉

(2〉

HU可切一{・∞・N

若きレヅシシグの宗教思想

〈一一〉

二五

(六六

O)

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h

若きレッシジグ,の宗教思想

〈一一〉

一一六

〈ムノムハ一

こL

に引用した

いくつかの

「心」は必ずしも同義的に使われてはいないが、これらから、

レッシングが特に宗教問題

に於いて「心」

として強調しようとするものは、「倫理的活動の源泉となり得る、或る素朴

・熱烈・敬慶な感情」である

これはまた、「心」について誇る多くの場合に、彼の

口調が極めて厳粛・謙虚であり、他

と結論することは許されよう。

の場合の皮肉

・明笑と著しい対照をなすことから、より直接に感得できるようにも思われるo

今この感情を

き存在との関係に於いて

11「宗教的感情」とみなす時、それが

「正しい」

.ものであるためには、

レッシングによれ説、

まず

「冷静な形而上学的日?

と両立し、

より高き存在に関する「奔放な空想力」や、それから生ずる「豆大な悦惚感」

とは峻別されねばならないσ

註(1〉

「空想力が活援な時、心は空虚

・冷淡である」とも一去

っているo

(

ピggg号門真。“∞〉

こL

で我

々は、端的に、

このような告示教感情を「より雪存在に向う畏敬の念」と同一視した

、ー

が心理的にいかなる性質のものであり、道徳的

・宗教的にいかなる意義を持っかをこ

L

で深く追究することはできない

レッシングにこの宗教感情を予想することに

より、少くとも彼の性格と宗教思想は次のように理解しゃ

より高

けれども、

すくなると思われるからである。

註(1〉

これにつ

いては

同・ω色

に示唆されるところが多い。彼はいわゆる

込町。河急性Oロ含円周己gggq

の先駆者・代表者と

‘しての岡、巾mm山口ぬl図。円色。?ωの

HH山口。?のO巾任命

に共通する最も深い宗教感情の表現として

の0080の「富良ぽロぴ怠悲歌」の有名

な一一節を引用している。

同ロロロω23切口mg印刷在忠実話件mw山口ωgwぴgw¥ωRV55自国

AMVOBWHNaロOHPCロσowgロ窓口¥kpgugwg円志向仲町吋命日若干

ZHH山口Nロmogp¥開ロ一件込20】ロ仏ωKMM仏80項目mdロmgBEg-¥巧可

F058ぷ同門OBSSE-

木文で一式う

「畏敬」ハ開RPRZ〉とこの

「敬慶」(町吋OBBtgFFOBHHMMmwoSとは区別されるものではないと思う。

第一に、たしかに畏敬の念は冷静な思索と矛盾するものではなく、むしろその原動力となるものに畑違ない。更にま

た、長敬は個々の倫理感情、徳に

比して一日'セう不定な、

いわば前者の活

それだけ

一そう根源的な倫理感情、徳であり、

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芳きνγγvJグの宗教思想

r.....

'-ノ

二七

(六六一一〉

動の場として予想することができるからである。そこで宗教思想に於ける合理主義と倫理主義の根底にひそむ宗教感情

として「畏敬」を考えることは不自然でないであろう。実際、す、ぐれた理神論者を駆ったのも畏敬の念ではなかったか

と思われるo

彼らはこの畏敬の念から、ひたすら唯一・無限

・永遠の存在者(神)を追究し、

これと人尚叱の間の一切

の仲介的要素(彼らの一式う既成宗教〉を担否したのではなかったろうか。そして理神論の理想主義的な性格は結局この

一点に帰するのではないだろうか。

以上のことはレッシングにも妥当するであろう。

註(1〉

み.すから

bzzロguozhを名乗った

dEm-の主著

wbv巴ω昨日83mm

。EgpoQgロoqhの序文はたしかに真撃な

理想主義者の言葉とみることができる。(宮。CRRけ参照。〉

なお

ω岳山口2の

之宮命日ロの目印ロぴ叩hh(wwぐO片山〈仲良OHhhより〉をも参照。

!l迫。目。

Z列。】向性Oロ芯Vσowoロロえ問。E.48色。ロ

¥go含包吋ロωロロω?dEggs志向ロえ¥〉gHNOH円柱。ロ-h

,,-.

レッシングの場合、彼が一般の自由思想家とは異り、

一方ではキリスト教の伝統的な教理内容を理性による

懐疑の対象となしつトも、なお他方ではし

1「カルダ

iヌス弁護」の中でも一式われているようにし

1これが「単なる理

(2)

性を超える具製」を含むものとしだ慎重な、時として保守的な印象をさえ与える態度をとる一つの原因が、やはり彼の

畏敬の念にあるのではないか、と考えられる。(他の原因はもとより彼のす、ぐれた批判精神そのものであろうが。)実際、

群小の自由思想家に対する彼の軽蔑は想像以上である。単なる「思い付き」(回忌色目〉や「気紛れ」(の江口0〉からキリ

スト教の教理内容を批判したり、啓示宗教を単に自分が信ぜられぬからとの理由でその弁護者を噺笑ずる彼らは、

レッ

シングの眼には、「宗教ばかりか理性さえ欠いた馬鹿者」であい、暇潰しに.適する「批判辞典」(ペイル〉が百人の読者

理解に難しい「弁神論」(一フイプニツ

ツ〉-は

一人の読者しか得られぬ一般世間に迎合する輩であるO).

第二に、

を得るに反して、

註(1〉

周知のように、FRW9Faσロぽ

以来信仰と理性の関係に

ついては

h

〈a〉超理的公ggRSoロ二号。吋〈mSEEm〉〈b〉

合理的

(ω22含μmS388uSEEgm〉(C

〉反理的

〈の8

5ミ

S280ロ二

Rロロロ同持者向仏巴m,mmmggg口氏

tm〉の分類

が行われている。

(2〉

見切H

・mv・8L斗

S・g・8w〈

8切紙上の新刊批評など参照。これらの中で

Fg回目ロぬは、

宮omgを詐欺師とみなす理神論者、

kI

d

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...

若きレヅシシグの宗教思想

〈一一〉

二八

(六六一ニ)

天地創造・

ノアの洪水・世界の終末に関する伝統的教理や教説を一笑に附する理神論者を反駁する著者をむしろ弁護している。

彼の「保守的な態度」は後年までつどく。これに関して書簡!口三-N・N(弟

関山ユ

宛〉は有名であるnv

こL

で彼は、「もはや使

いものにならぬ汚水であっても、どこから別の潜水を汲んで来るかど分かるまでは、無雑作に捨てたくはない」と云っている。

3〉

戸広巾同巳ロ吋

σユ02HAS

(4〉

8・rHO

og紙上の新刊批評。同じく

口忠・ロ・吋

など参照。これらから

Fg色ロぬ

が非難するのは常に群小の自由思

想家

・護教家であり、逆に著者がいずれの陣営に属し立うとも、

WRE吋同

hwqE舎のVhな著作には讃辞を惜しまぬことが分かる。

彼はあくまで「批判的」、である。

第三に、更に重要なことであるが、レγ

シングが宗教に於ける安易な倫理主義・を以て満足せぬ事実が、やはりこの畏

敬の念から説明されるのではないかと思われる。当時、一

般の理神論者、

通俗哲学者並に神学者

ll即ちいわゆる啓蒙

主義者たちーーの著しい特徴の一つは、自然と人生の至上目的を個人の「浄福」〈の円台ぽ色町付色。

におき、道徳はそれ

に到達する道、更に宗教はこの道徳を促進する合目的な手段とみなす傾向であいo

元来これは、名目にすぎぬ信仰生活

に対して内容ある実践生活を強調する意図からも起ったよき傾向であったろうが、このため宗教の悪しき通俗化

・平板

化を来たし、宗教と倫理の区別が軽視されるに至った

ことは事実である。レッシングの畏敬の念は、このような宗教の

手段化、

宗教と倫理の同一視に激しい反感をおぼえる。そしてこの反感は、深遠なるべきキリス

ト教の教理内容を特に

倫理主義の名目の下にほしいま与に批判

・解釈する当時の風潮により、

'一そう募ったと思われる。そこで彼は、「宗教な

くしてなお正しき人聞はあり得るか?」

llーと一式う問に対しては、敢て「然り」と答える。なぜなら、「(個人の倫理生

活に於いて)宗教は正しく行動する動機を増すけれども、このことは理性によっても可能である。

・;:宗教は正しき人

間をつくる以上のはるかに高き目的を有する。

即ち正しき人聞に

『より高き洞察』

〈FOVめ

5明日ロωいの耳σ〉を与えること

であるo

むしろ宗教は正しき人聞を前提としていやにこれは、

レγ

シングが宗教の倫理性をあれほど重視するにも拘

らず、なお宗教と倫理の粗互独立を説き、前者に後者を超える本来の神学的

・形而上学的な領域|「より高き洞察」

の内答として、神の認識

・自然の理解

・神と人聞の関係の把握などーーを認める重要な言葉であり、当時の群小「啓蒙

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E _.,.,.

,便

主義者」と彼とを明瞭に分かっている。

註〈1〉

このような安易な傾向をよく描いているのは

302司円何百色己主同ぐ守〉仏

S2と守口ωロoとの対話であろう。また当時、神の

存在証明として「目的論〈吋色。oZ柱。)的証明」が流行したのもこの傾向の現われであるが、その一つ「魚神学」(阿のvqaHMOo-

-。向日ろに対する

Fom即日ロぬ

の辛錬な批評が

吋忠・吋・ロw

〈。的白紙上の新刊批評にみられる。なおこの分野の代表的な詩作品とし

ては、

切・出・切円。。wom(HO∞。lH吋Apdのものが挙、げられよう。

〈2〉

岡、同件。吋州民口同σ巳omOHAFmw

〈3〉

阿σ広・こ

の問題は詳しくは、「Fr宗教なくしてなお正しき人聞はあり得るか?」であるoFgmMロぬはこれを「一

mrb宗教

なくして:::」にまで拡張して論じている。また「善のための善」を強調する

Fgaロぬ

が、

正しく生きる動機としての「来世

の応報」を重視しなかったことが同じ書簡からわかるoF芹

OBE吋耳目。向。“お122agwHOωーロNQao〉は、関

88vmmg発

行の通俗的道徳雑誌

3U220三日R

E〉cmωovo-(その編纂者の一

人は

EoumgのF協賛者の一人は

Hoy-切・回ωω&04司〉の感

傷主義

・合理主義

・倫

翁駁文であり、彼の性格と宗教思想を知るための重要な資料である。

岡、命的明日ロぬ

由一小

(2〉

感、

'

この言葉はレッシングのより徹底した倫理主義を表現している、i

る。」〈3goHN色佐山。ロ

ωORT凶Oロ吋⑦のVS各州wmmロOロZOロωのVOロ405ロω・3

〉最後に我々は、

しかし同時に、

「宗教は正しい人聞を前提とす

彼の畏敬の念に関聯して、

彼の

咽h

宗教思想を考える上に極めて重要と思われる問題を取り上げたい。

たしかに彼の長恨の念は、宗教が倫理を点以る神学的・形而上学的な領域を有することを認め、

dfi叩ょうとする。神学論文「理性のキリスト教」(ロ訟の

EagEB己

85時三。・

Hagに於いて、

ッ、更に湖って、プル

iノの単子論的概念から神の本質・三位一体の教義

・世界の成立と構造

・悪の起源などの説明を

試みるのはその一例であり、こL

に後年の一フイプニヅツ・スピノザ研究への発展方向が既に認められもする。しかし彼

の畏敬の念は、宗教と倫理とのより本質的な紹異には触れないように見えるω即ちそれは「罪と救済」の問題であり、

多くの偉大な宗教家の出発点

この領域での思索を

ライブニッ

我々はこれが若きレヅシジグによって殆ど論じられていないのに気付く。しかも我々は、

r

ザ一ねきレッ

γジグの宗教思想

〈六六四〉

〈一一〉

二九

, 、

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若きレッシシグの宗教思想

〈一一〉

L

三O

(六六五)

が深刻な罪の意識であること、

彼らの宗教的情熱の源泉は、自己と他人の霊魂を罪から救済し神と和解せしめんとする

念願であることを知っているo

芳、品C

レγ

シングに果して深刻な罪の休験や意識があったであろうかo

に対して明瞭な答は与えられないo

例えば教訓詩「{一九一拠」(口広岡山色町柱。ロいの・

53が挙げられ、たしか乙そこにま、

有徳ならんと願いつふも悪徳に陥る人間の宿命的な弱さが聖バワロめいた調子で歌われているけれどぷり人恥十

この重要な問

すよcる詩的技巧、

不自然な偽悪の趣などからみて、

事実による裏付けがない限り疑問にとどまろうo

むしろ我々は、前述した「喜ばしい生活感情」、

どを重視して、若きレ

γ

シングには少くとも深刻な罪の体験や意識はなかった、と推定しか4

ト。したがって、もし罪か

らの救済の要求、神との

WWの念願が「本来の意味で均一一示教的情熱」

22a窓口岳会三笠

gggろであるとす

れば、「レ

y

シングにはこれが欠けている、」と云う批一時ぽ一応認めらるベさであろうo

我々はさきにレアジングの宗教

思想を

.吟味する上に、特に真理愛と畏敬の念に注目し、今これに「罪の意識、救済の要求の欠如」を加えるのであるが、

この三つは、彼の以後の宗教思想を理解するのに極めて重要であると思うo

註〈1)

切ゆい討

の断片。その中

台仏iN寸〈世界の成立に関する部分)はのMO三80切円ロロO

の著作からの殆ど直接引用であることが

指摘されている。

〈2〉

TWMσ口町は

Fmm包ロぬが円。同友夜、遊学時代以来最も影響された哲学者であるo

当時彼の円。σロぽ研究の他の所産はと司

ouo

aロzogv志向宏之

hhcg〉であり、

FE学士院を掌握していたプラシス唯物論者たちに向けられている。なお

FOE-

5ロ伎の「弁神論」

(322に言及するが、その堅一一一ロ

985の宗教観を最もよく示すと一

52にν

られるような、

(内的な〉信仰内容を〈外的な〉信仰形式の束縛から解放し、真の信仰の木質を感情〈神への愛〉と実践(隣人

愛ゾに求め、且つ神の認識を神への愛の前提とする態度、即ち、「神の認識↓神への愛↓徳の実践」の態度は、若きレッシシグ

にも強い影響を及ぼしたことか考えられる。

(3〉

人聞の内的・外的悲惨から生ずる神への疑惑に答えんとする一種の弁神論であるが、第1歌しか残っていず、結局、疑惑の

みあって弁神はない。〉】良ωロ今日ロ

2形式。約三五

O行。この詩の意義についての諸家の意見は必ずしも一致しない。

ω色は、

果して詩人自身がどれほど真実に表現されているかは、

他の資料や

「活綾な行動主義」な

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'‘ 可.、l' '.

‘ ,;.

、、

・、

ミ向や

l

、、哨ロー

ミミ、民耳、、防kaH叫同

1

4

とσ円ぬの宮〈・出mw--o円

の文体で霊園かれたこの哲学的教訓詩は、

いかに彼が神に対する徹底した疑惑によって宗教への道を切拓

こうと苦しんでいるかを示している、と評し、ハUHM

吋・

ωのV55又

は、

Fomm山ロぬ

がいかにして宗教的懐疑に陥ったかは不明であ

るが、これによって自己の一そう深い確信に達しようとしたかは、この

と列。ロ柱。ロhhも示している、とする。しかしこの詩そ

のものの内容となっている

「体験」は作為であり、調子は聖

忠三

8からの借物と断じている。彼はまた

Fg巴ロぬ

による

58a8wの

ミ忽g包

mmhh批評〈切巴omonH3を取上げ、Fmm即日ロぬ

には罪と救済の問題が存しなかったことを指摘している。句・

君。日目。

は、含ニEmogHUOEoの教訓詩

ト同窓口柱。ロE

ハロお〉を通じて若き

Hhg釘

に及ぼされた

忠虫色

M88ロ互

たちの「影響」〈束の間の!〉の所産とし、作者

Fg巴ロぬ

の存在を全く否定する。

ハ4〉これはまた彼の理神論への共鳴からも裏書きされよう。即ち、多くの理神論者は元来宗教家よりは倫理家であり、それ故

にこそ、理神論に於いてはキリストの神子性、

キリストによる臆罪などの伝統的教義が軽視戒は無視されたのである。もし若

Fgω宙開

に深刻な罪の体験と意識、救済の要求があったとすれば、彼の合理主義と倫理主義を以てしても、このような理

神論

への共鳴は十分に説明されぬのではなかろうか。

ハ5〉

ω色

の批評。。各界。,も若き

Fom切山口ぬ

wmg町mnvo州内片山忠良

を体験しなかったらしい、と述べている。同じく彼が、

Fgaロぬ

が書いたのは

弘待問。白色ORでもなく

wmomgMNO白色ORでもなく

bσR同。円前日0民

であった、と一云うのも同じ意味

であろう。ωnV55又

も朗らかに否史的であるoFgaロぬ

に対する

当。

BZの態度は最も冷たく、宗教感情などは問題にも

しない。この著名なスイスの神学者の態度は

-saの感激に満ちた態度と対腺をなす。彼自身、

ロロ

vaのwb

g開門戸。σロ広

口・仏向。

URVZロmzからは期待したものを得られなかった、と述べている。

×

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1

×

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×

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.

以上、

我々は「カルダ!

ヌス

弁護」から出発して芳きレッシングの根本的性格、

一般生活感情と宗教感情を考え、

の宗教思想が大体に於いて理神論に

一致するが、なお正統信仰を否定しきらぬ立場にあることを述べた。

こLから最晩

年の「腎者ナ

iタン」と「人類の教育」を目指して延びてゆく幾木かの線、

これをもう一度丹念に跡ずける

こと

により、

これら

の作品

・著作をより正しく理解できることを願

ってや

(

九五二

・九・一五〉

同〉

山一週「叫

Th3hv・船会

-l-

若きレγ

シシグの宗教思想

(一

一〉

一一一・ー 園開直

(ムハムハムノ

)

Page 19: IV Vdlisv03.media.osaka-cu.ac.jp/contents/osakacu/kiyo/DBd0040702.pdf · 神の慈悲に信頼し罪を悔改むべきこと〉 。 この七要点を理神論者たちは、「健全な人間理性ハ

、・.

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主、Q~終報国3隠

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1:

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Gluckwunschrede

54

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47

Der junge Gelehrte

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etaphysiker!

49

Die Juden

四DerFreigeist-Samuel H

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Religion 55

(Miss Sara Sampson)-Ueber die Entstehung der

geof-

50

Gedanken uber die

Herrnhuter

fenbarten Religion

58-59 Dr. Faust

59

PhiI

otas-(Fabeln)

51-55 Recensionen in d

er Berlinischen privilegier-

ten (Vossischen)

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53

Das Christentum der Vernunft

59-65 Briefe , die

neueste Literatur betreffend (Literaturbrie-

fe)

Briefe (1-9

: s.

~emnius ;22,

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amuel Henzi)

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