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情報技術思想論 赤尾② 『善き人のためのソナタ』

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情報技術思想論 赤尾②

『善き人のためのソナタ』

『善き人のためのソナタ』

2006年,ドイツ映画2007年アカデミー外国語映画賞フロリアン・ドナースマルク監督。138分1989年の“ベルリンの壁崩壊”から15年以

上経過して,ようやく描くことができた東ドイツ(民主共和国)の国家保安省(シュタージ)が芸術家に牙を剥いた“監視国家”の実態。舞台は東ベルリン

東ドイツとは

ドイツ社会主義統一党(SED)を核とするヘゲモニー政党制。ソ連軍が駐屯し,東西冷戦の最前線で,政治思想もソ連的

国家保安省(シュタージ)は,職場や家庭内に非公式協力者 (IM) を約10万人配置し,20万人の情報提供者とともに相互監視の網を張り巡らせた。近くに(身内に)“国家のスパイ”がいるのでは…という疑念が萎縮効果を生んだ経済的には「東欧の優等生」と呼ばれた

1976-1989年の国家元首(国家評議会議長)のエーリッヒ・ホーネッカー

完全監視国家保安省は劇作家のゲオルク・ドライマンに目を付け,主人公・ヴィースラー大尉に完全監視を命令ハムプフ保安省大臣は,ゲオルクを失脚させて,同棲相手の女優(クリスタ=マリア)を手に入れたいとの公私混同の欲望も(監視対象は恣意的に選ばれる?)グルビッツ中佐は出世のため(党で,より高位へと自らを導くため)ヴィースラー(直接の監視者)にとって監視とは,実務官僚としてのプロフェッショナル・ワーク

論点①監視の目的とは何か

監視の目的は「国家の安全と国民の安寧のため」とされ,自由主義を唱えたり,反政府的活動を試みたりする者たちは,社会秩序を脅かす反国家分子として取り締まらなくてはならないだが,この映画の監視には(政権末期とはいえ)儀礼的・刹那的・恣意的(気紛れ)な感じが残る正当化しうる,国家による監視の理念や目的とは何か?

論点②「20万人」の圧力

シュタージの“恐怖政治”は単に“上から”押しつけられたものではない住民同士,職場や党の同僚,家族・恋人といった親密な相手からの“横から”の監視(20万人に及ぶ密告者/通報者)によって支えられた人々の間に際限なく広がる“相互不信”こそが恐怖の正体なのか? 逮捕・投獄・処刑しなくとも,生きる活力を失い,自ら命を絶つ人が増えていった(旧社会主義国は現在も自殺大国)

主人公・ヴィースラーが大学(国家保安省幹部養成所?)で講義する。

演劇『愛の表情』を見たハムプフ大臣の命により,劇作家ゲオルク・ドライマンを監視する「ラズロ作戦」が決定される。出世欲が強いグルビッツ中佐は,大臣の意に沿った捜査を指向した。かねてマークしていたジャーナリストのパウル・ハウザーとゲオルクが親しいことから,ヴィースラーは盗聴を志願する。ゲオルクが不在中に,自宅の至る所に盗聴器が仕掛けられ,屋根裏部屋に捜査拠点が設置された。交代要員はいるものの,ヴィースラーは孤独な諜報活動を始める。その一部始終はタイプライターで即座に報告書にまとめられ,グルビッツらに伝えられる。ただ,この「ラズロ作戦」には裏があった。ゲオルクと同棲している女優のクリスタ=マリア・ジーラント(CMS)にハムプフ大臣がご執心で,ゲオルクの芸術家生命を絶つことで,CMSを我が物にしようという,どす黒くも桃色な野望が潜んでいたのである。

盗聴用機器の設置

芸術家仲間との誕生パーティ。ゲオルクの友人で演出家のイェルスカは当局の示唆による活動制限で憔悴しきっている。パーティは「相互監視/相互不信」の巣だ。

ゲオルク(ラズロ)らの行動の一部始終が淡々と報告書に綴られる。「23:04 ラズロとCMSはプレゼントを開けた後,セックスする」と。

イェルスカの自殺の知らせ。彼が贈った『熱情のソナタ』の楽譜を奏でるゲオルク。ゲオルクもある決断をし,ヴィースラーもその曲で変わる? 彼はブレヒトを読むなど,文学の世界に目を向け始めた。

大臣と密会するために,外出しようとするクリスタ。思い詰めたようなゲオルク。

交代要員がきたので,ヴィースラーは酒場に入る。すると,クリスタがやってくる。そして……

ゲオルクは東ドイツの自殺の現状を西側諸国に訴えたいと決意した。ハウザーが「シュピーゲル」誌の編集者を紹介する。自宅が盗聴されているか否かを確かめるため,嘘の逃亡計画を実行することに。「国家安全省がこれほど無能とはな」と喜ぶゲオルク。ヴィースラーは怒りが込み上げるが特記してはいない。報告書には「報告に値する出来事はとくになし」と綴られた

タイプライターも偽装することに

タイプライターの隠し場所

「シュピーゲル」誌への寄稿が発覚!

ハムプフ大臣の命でクリスタは逮捕され,グルビッツ中佐の尋問を受ける。

ヴィースラーに与えられた最後のチャンス

クリスタは帰され,再びの家宅捜索

ヴィースラーは“失脚”し,郵便仕分け係に左遷された。そして,1989年11月,ベルリンの壁は崩れ,“東ドイツ”という国家も消滅する。

壁崩壊から2年,かつてクリスタが主演した『愛の表情』の再演会場で,ゲオルクはハムプフ元大臣と出会う。

自宅に確かに残る盗聴の痕跡。卑劣だ。だが,なぜ自分は無事だったのだろうか?

国家保安省が収集した情報が保管されている公文書館(!)で,ゲオルクは自分に関する捜査資料を公開請求して閲覧する。そこにはHGW XX/7なる人物による「虚偽の報告書」ともに驚愕の事実が……

HGW XX/7は地方都市で郵便配達員(ポスティングマン?)になっていたが……

ゲオルクが久々に書いた本(『善き人のためのソナタ』)には……「感謝を込めて HGW XX/7に捧げる」との献辞があった。

論点③監視は反転する

ミイラ取りがミイラになるのと同様に,日常生活の細部まで徹底監視すると,盗聴者は盗聴対象者に感化してしまうのだろうか?機械ではなく人間による監視(盗聴)だからこそ,そうした“反転”が起こりうるむろん,映画になるぐらいだから,そうした“反転”そのものが例外的なのかもしれない

論点④監視にエロスはあるのか

ハムプフ大臣とヴィースラーは監視対象(女性)にある種の「エロス」を感じ,結果的に運命を大きく回転させていく(グルビッツ中佐はこのクリスタに関してはエロスの虜になってはいない)監視(見張る/見守る)への欲望が,実は何かしら(事前に/結果として)性愛的であるのではないか対象への“愛”が育まれてしまうなら,国家にとって「人による監視」は最も危険なのかも