バスクとバスク人 - 名城大学chiharu/3nen...
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バスクとバスク人渡辺 哲郎著 2004年 平凡社
150781181 横山慶喜
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第1章 バスクとはなにか
1)地理ⅰ)ピレネー山脈のフランス側とスペイン側
a)フランスピレネーアトランティック県
b)スペインバスク自治州(エウスカディ)
c)ナバラ自治州
※以上は行政区分
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2)エウスカレリア( Euskal Herria)
ⅰ)バスク人による地域の呼称
a)バスク語が全域に共通
b)それらの人々の居住地域
c)バスク語は孤立言語
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https://blog.goo.ne.jp/yamansi-satoyama/e/67515d0b002ce21107988654a42eee64
https://vascu.com/vasco/index.html
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3)ナショナリズム
ⅰ)19世紀末の民族運動
a)創始者ザビーノ・アラナ
b)「エウスカディはバスク人の祖国である」と定義
→バスク民族(ネイション)の国家がエウスカディ
c)バスクの地方特権(フエロス/Fueros)
→地方特殊法の復活を主張
ア)地方ごとに独自の行政を展開
イ)自由な連合
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ⅱ)19世紀後半のスペインはこれを均一な統
合体に編入
a)学校教育はスペイン語使用を義務化
b)産業革命によって外からの労働力流
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ⅲ)民族運動は自由なバスクに民族の復権を訴訟
a)重要な手段としてバスク語の復活
b)今日はそれが統一バスク語の導入に帰結
c)近年公立学校に導入され半義務化
ⅳ)バスク民族運動の目的
→伝統の復権のみでなく対象への新解釈や新規の提案によって新たなバスク統合を試行のための政治活動
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4)バスク人種
ⅰ)バスク語話者がバスク人
ⅱ)その領域がバスクの地→言語が原点
ⅲ)血液型の研究
ⅳ)起源はインド、ヨーロッパ語族以前より現在の地
域に居住
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5)バスク語
ⅰ)古代ローマ帝国による占領無
ⅱ)太古以来の伝統を保持
ⅲ)表記はアルファベット
a)隣接するラテン語やロマンス系言語からの
借用語が多数
b)信仰に関する用語はラテン語源が多く存在
→敬虔なカトリック信仰を保持する目的
c)口承言語→文字の記録無
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第1章まとめ
起源の古い独立したバスク語を話す人がバスク人
地域の呼称をエウスカレリア、国家をエウスカディと定義
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第2章バスク社会とバスク人の歴史
1)宗教
ⅰ)自然に存在するものや現象に精霊が宿るとい
う伝承
→そのすべての女主人マリが聖母マリアと同一視
ⅱ)カトリックへの信仰
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ⅲ)3世紀、ローマ兵士たちによってキリスト
教が布教
→やがて牧童がローマ人に接触し入信
ⅳ)キリスト教伝道の隠者たちがエルミタ
(礼拝堂)建設
a)教会は信仰の場だけではなく町や村の
取り決め、コミュニケーションの場所
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2)家と習慣
ⅰ)伝統的な集合家屋カセリオ
a)男女平等に周辺の隣人との共同作業が重視
b)強い同族・家族意識が保持、同郷意識も強固
c)家主は一年ごとに交代、税金徴収も請負
d)カセリオは政権も及ばぬ自由を保持
https://tokuhain.arukikata.co.jp/bilbao/2012/12/post_91.html
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ⅱ)男女平等と直接民主主義
a)一概には男女平等と言うことは不可能
b)住んでいる家屋と敷地は最初に結婚した息子
か娘に譲渡
→長子相続
c)第二子以下は成人に達すると家を出る義務
d)カセリオの名の下家主が全てを相続、監督
e)夫婦=二人の家主が対等に仕事を分担
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3)フエロス地方特殊法
ⅰ)個人の習慣と社会の習慣が合体
ⅱ)現行の法律と地方の習慣が一体
ⅲ)町は王権による直接統括
ⅳ)村は農村の有力家が支配
ⅴ)カスティーリャ王権が付与
ⅵ)特権状、議会、代官を基盤に維持
ⅶ)地方の責任者の同意なくては法も無力
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4)イダルゴ
ⅰ)カスティーリャ王国の領土拡大
a)貢献度に応じてイダルゴと呼ばれる貴族になること
が可能
b)16世紀以降、イダルゴ身分が全バスク人に適用
c)貴族、有力地主が地方議会を占めていた体制に影響
d)16、17世紀以降、金持ちのイダルゴが目立って登場
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ⅱ)カスティーリャにおいて貴族として出世するバス
ク人が登場
a)長子相続が原因の1つ→第二子以下が活躍の場
を要求
b)バスク人は多士多才→海外植民に活躍する武人、
宗教家、航海士
c)バスク人官僚→カスティーリャの発展に貢献
d)カスティーリャ語(スペイン語)で仕事
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5)海外植民
ⅰ)16世紀、海外植民へ出発→イダルゴ身分が多数
ⅱ)植民の最前線で奮闘するバスク人は早出世
ⅲ)副王、聴訴官、隊長、裁判官などに就任
第2章まとめ
独自の文化と文化の受け入れにより主にスペインにて活躍する人物を輩出
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第3章スペイン内戦とバスクの大義1)バスク大統領ホセ・アントニオ・アギーレ
ⅰ)第二共和国時代(1931-36年)プリモ・デ・リベラ
軍事独裁の崩壊後
ⅱ)最初の地方選挙でビルバオ郊外のゲチョ町長
ⅲ)王政が崩壊する契機となり第二共和国が成立
→バスクに自治憲章案作成の可能性が誕生
ⅳ)バスク三県、ナバラの市町村長代表を集めバス
ク自治憲章を作成
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ⅴ)1931年6月総選挙にてバスク民族党から代議士に当選
a)憲法制定義会員伝統主義党と合同でバスク自治憲章
を提出
b)共和左派・社会労働党中心の左派連立政権はそれを廃案
ⅵ)1933年右派が勝利し政権交代
a)アギーレはバスク民族党のリーダーとして右派に接触
b)バスク民族党→分離主義、反自由主義、反民主主義
c)敬虔なキリスト教徒が多数
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ⅶ)1936年人民戦線選挙において左翼連合が勝利、再び政
権交代
a)アギーレたちは社会主義を求め資本主義社会の不正
を批判しながら選挙
b)その後バスク地方は第1党
ⅷ)全国では人民戦線の勝利、左翼が政権を奪還
a)これに反発した右派と軍部の一部がクーデター宣言
b)スペイン内戦開始
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ⅸ)当時のバスク自治政府の領域はビスカヤ
とギプスコアの一部
a)その他は反乱軍、のちのフランコ軍が占領
b)フランス領も占領
c)バスクは拠点であったビルバオを中心に包囲
ⅹ)1937年ビルバオが陥落、バスクは亡命政府化
a)リーダーは「大統領」アギーレ
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2)ゲルニカ事件
ⅰ)1937年4月26日ドイツのコンドル兵団を中心にゲルニカ
を襲撃
ⅱ)中心街の家屋71パーセントが崩壊
ⅲ)死者200前後から1654人
ⅳ)バスク自治政府はこれを非難するキャンペーンを展開
ⅴ)アギーレはバスクの大義(正義)を訴える戦争プロパガ
ンダに利用
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3)戦争難民
ⅰ)スペイン内戦による大量の戦争難民
ⅱ)1939年、フランコ軍が共和国陣営の最後の拠
点カタルーニャを総攻撃
a)大量の難民が北アフリカ、ソ連へ逃亡
b)それ以前にバスク陥落と共にバスク難民がフ
ランスに避難
d)その他はイギリス、オランダ、ソ連、等
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ⅲ)共和国を支援したのはソ連とメキシコ
a)メキシコ大統領カルデナスが支援
b)スペインの知識人を支援、メキシコに
大量移動
ⅳ)バスク難民のアメリカ流入
a)バスク亡命政府はニューヨークが拠点
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4)ETAの結成
ⅰ)スペイン国内のバスクにおいて、
フランコ時代にバスク語の使用禁止
a)一方で破壊を免れた工業施設を利用
ア)バスク産業がスペイン経済発展の原動力
b)それにより亡命政府の指導下のバスク民族
党の活動が穏健化
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ⅱ)1959年に同党青年部の一部とその分派が
離脱
a)「バスク祖国と自由ETA」が誕生
→バスク独立を標榜
b)1960年初頭、民族解放革命運動と自己定義
c)1965年からは左翼思想
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ⅲ)フランコ体制によるバスクとETA弾圧
a)ETAは抵抗組織と認定
b)テロ活動により国政に影響
ⅳ)一方内部で武闘派と政治活動派が対立
a)分裂後、新たなグループが誕生
b)住民生活や経済活動に被害
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ⅴ)フランコの仕事民主化により地方自治が承認
a)テロ戦術は抵抗運動でなく犯罪集団化
ⅵ)バスク州政府による独自の行政展開
a)公用語となったバスク語の普及
b)バスク警察の設立
c)ヨーロッパやアメリカ諸国との経済提携
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ⅶ)ETAは1998年に無期限停戦を発表
a)メンバー予備軍を収集、組織強化
ア)組織的なテロ活動無
b)1998年地方選挙において選挙団体を結成
ア)最初は和平希求の民族派の票を確保
イ)州議会議席を半減→テロ再開の批判が原因
ウ)しかしテロ事件は全国に拡大
エ)スペイン国会はテロ支援党の非合法化を決定
オ)司法当局はその政党の資産を凍結
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第3章まとめ
フランコ体制の下、バスク祖国と自由(ETA)が誕生
バスク独立の意志の下テロ集団化
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第4章言葉とアイデンティティ
1)バスク語の復権
ⅰ)1979年バスク地方自治が法的に承認
ⅱ)独立を望む姿勢
ⅲ)アイデンティティを言語に要求
ⅳ)バスク語の復権が民主化を象徴
第4章まとめ
バスク人はアイデンティティを言語に求めその復権が民主化の象徴
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終章バスクの現在
1)グッゲンハイム・ビルバオ美術館による経済効果2)モンドラゴン協同組合
ⅰ)カセリオを中心とした共同作業の成果→この二つが現在のプラスイメージ
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3)身近なところから住民が参加ⅰ)町の政治や文化活動に反映
4)バスク政治の停滞ⅰ)住民の活動や意識の変化
a)政治システムや政治家が規制の枠内に残留ⅱ)住民参加型の社会
a)バスクの枠を超えて世界の方向性を開拓
ⅲ)地域コミュニティの強烈な個性
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結論
バスク住民は政治的、民族主義的なエウスカディでなく外に拓かれたエウスカレリアの子孫であることを学ぶ時