国際センター年報 - Osaka Kyoiku University · 2017-03-02 ·...

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国際センター年報 16号 2009 大阪教育大学国際センター

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Page 1: 国際センター年報 - Osaka Kyoiku University · 2017-03-02 · インド・メガラヤ訪問記 向 井 康 比 己 国際センター長 自然研究講座 1. はじめに

国 際 セ ン タ ー 年 報

第 16号

2009

大阪教育大学国際センター

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目 次

第一部 寄 稿

巻頭言 ······································································ 向 井 康 比 己 ············· 1

(国際センター長)

インド・メガラヤ訪問記 ·············································· 向 井 康 比 己 ············· 3

(国際センター長・自然研究講座)

e ラーニングを利用した日本語教育 ······························· 長 谷 川 ユ リ ············ 10

(国際センター 国際教育部門)

台湾の高等技術教育の法制と実態 ··········································· 城 地 茂 ············ 14

(国際センター 国際事業部門)

今年度の活動を振り返って ················································ 赤 木 登 代 ············ 23

(国際センター 国際事業部門)

オーストリアのシティズンシップ教育

-2009 年 11 月の調査訪問から- ·································· 中 山 あ お い ············ 27

(国際センター 国際教育部門)

韓国嶺南地方における文化体験研修の成果と課題 ················· 若 生 正 和 ············ 32

(国際センター 国際教育部門)

第二部 学生便り

留学生の声

大教大メモワール ································································ 馮 思 遠 ············ 40

(教養学科 社会文化コース 中国)

大学生活の思い出 ····································································· 趙 婉 ············ 44

(大学院教育学研究科 国際文化専攻 中国)

明日もまたいい出会いを! ··························································· 劉 佳 ············ 46

(研究留学生 中国)

My OKU Experience ············································ レガヤマー・ハーシー ············ 50

(教員研修留学生 フィリピン)

大阪教育大学の思い出 ······························· ディン・ティ・マイ・フォン ············ 53

(日本語日本文化研修留学生 ベトナム)

1 年間の大阪教育大学での留学を思い出す

······················································· ブッダーチャック・ソムルディー ············ 56

(日本語日本文化研修留学生 タイ)

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交換留学体験記 ········································ アピチャート・ガータウィー ············ 58

(交換留学生 タイ)

日本人学生の声

中国留学を振り返って ······················································ 小 田 芳 弘 ············ 60

(大学院教育学研究科 社会科教育専攻)

留学体験記(ドイツ) ·························································· 小 嶋 和 代 ············ 63

(教養学科 文化研究専攻 欧米言語文化コース)

グリフィス大学交換留学記 ················································ 岩 永 慶 子 ············ 66

(第二部 小学校教員養成 5 年課程)

平成 20 年度オーストラリア語学研修参加者の報告

······· 青木美月/白川阿弓/桶谷有輝/松浦虎太郎/吉田茉由/伊藤麻衣子 ············ 68

第三部 国際センター記録

平成 21 年度 国際教育部門活動報告 ······························································· 72

平成 21 年度 国際事業部門活動報告 ······························································· 78

平成 21 年度 国際センター行事 ····································································· 82

付 記

国際センター運営委員会名簿 ·········································································· 97

留学生宿舎運営会議名簿 ················································································ 97

国際交流委員会委員名簿 ················································································ 98

留学生推薦選考会議名簿 ················································································ 98

留学生推薦選考会議語学評価委員名簿 ······························································ 99

私費留学生奨学金等推薦選考会議名簿 ······························································ 99

編集後記 ··································································································· 100

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巻 頭 言

向 井 康 比 己

国際センター長

2009 年度は、国際センターの前身である旧留学生指導センターが 1989 年に発足してか

らちょうど 20 年になるとともに、国際事業部門や国際係に新しいスタッフが加わることで

国際センターとして軌道に乗った年でもありました。また、大阪教育大学開学 60 周年の記

念すべき年でもあり、法人化 1 期目の最終年度でもありました。国際センターとして留学

生や国際交流に関する日常的な業務以外にも、第 4 回東アジア教員養成国際シンポジウム

や第 4 回国際交流フェスティバルなど数多くの行事を行うことができました。さらに、新

しい取り組みとして韓国文化体験研修プログラムを実施することができました。交流協定

を結んでいる大邱韓医大学の招聘によるもので本学学生 10 名が参加しました。以上のこと

がスムーズに実施できたのは、国際センターの教職員はもとより国際センター運営委員お

よび国際交流委員の方全員のおかげであると思います。

留学生 30 万人計画により大学の国際化はどの大学も重点項目に入れられております。本

学の受入留学生数は 100 人~120 人でここ数年横ばい状態が続いています。留学生 30 万人

計画の目標を達成するためには、本学でも少なくとも 250 人ぐらいの留学生を引き受けな

ければならないと思います。大学の真の国際化を達成するためには学生の 1 割を留学生に

すべきであり、教職員に関しても外国人を積極的に採用すべきでしょう。留学生を増やす

ためには学部あるいは大学院の正規学生を恒常的に受け入れなければなりません。現在の

講座での受け入れ体制では留学生の増加はそれほど見込めないので、たとえば教養学科に

おいて定員の 1 割程度(40 名)に相当する留学生を別コース(国際教養コース)で入学させて

はいかがでしょうか。一方、留学生の比重が学部から大学院に移っていくと予想されます

ので、大学院での受け入れをもっと留学生のニーズにあったものにする必要があります。

たとえば、最先端の科学技術、情報分野、特別支援分野、経済、美術、日本語・日本文化な

どがニーズの高い分野ですので、これらの分野での新しいプログラムの開発が望まれます。

留学生受入だけではなく、本学学生の海外派遣ももっと積極的に行わなければなりませ

ん。この数年、派遣学生は年間十数名程度派遣しています。しかし国際的視野をもつ教師

や社会人の育成のためには、より多くの学生に対して卒業までに海外経験をさせることを

真剣に考えてもよいのではないでしょうか。教員の英語による講義も充実させる必要があ

り、現在の教研生や日研生向けの授業を日本人の学生にも受講できるように単位化すべき

です。国際共同研究の実施や国際シンポジウム開催、海外からの研究者や研修生の受け入

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れなどに対してもセンターとして積極的に支援していきたいと思います。

本学は現在 11 カ国・地域の 26 機関と交流協定を結んでいます。今後さらに、アジアでは

インド、ベトナムおよびフィリッピン、中南米の 1 カ国、ニュージーランドまたはカナダ

などの英語圏の大学と国際交流を行いたいと考えています。国際センターにおける法人化

1 期目の問題点をきちんと総括し、法人化 2 期目に向かっての方策を立てる必要がありま

す。そのためにはセンターの構成員が知恵を出し合い、全学の教職員が一丸となって協力

していかなければならないと思います。

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インド・メガラヤ訪問記

向 井 康 比 己

国際センター長 自然研究講座

1. はじめに

インドへの渡航は今回で 8 回目ですが、東北部を旅するのは初めてでした。子どもの時

からヒマラヤにあこがれており、これまでネパール・ヒマラヤと西北インド・ヒマラヤには

行きましたが、シッキムより東のヒマラヤ地域は未経験でした。とくに、学生の時に中尾

佐助先生の著書「秘境ブータン」(現代教養文庫)を読んで以来、ブータンを含む東ヒマラヤ

に一度は行ってみたいと思っていました。偶然にも昨年の 4 月、10 年ほど前に私の研究室

で 4 年間研究していたビシュト博士(写真 4、左から 2 人目)がデリー大学からメガラヤ州シ

ロン市にあるノース・イースタン・ヒル大学(NEHU)に移ったという連絡を受け取りました。

最初は、メガラヤ州がどこにあるのかわからず、地図で調べたところアッサム州とバング

ラデッシュの間に位置し、まさにアッサム州を挟んですぐ反対側はブータンです。ビシュ

ト教授から、雨が非常に多いため植物相が多様で生物学的にも面白いので、是非訪れるよ

うに誘いを受けました。このような経緯で、今回のインド訪問はメガラヤ州シロン市の

NEHU を訪ね、植物の多様性の研究を行うとともに NEHU との交流の可能性を探るのが目

的でした。本報告では、メガラヤ州の自然ならびに文化と NEHU 大学について紹介したい

と思います。

2. メガラヤ

メガラヤ「Meghalaya」とはサンスクリット語で「The Abode of Clouds=雲のすみか」と

いう意味です。面積は 22720km2で東西におよそ 300km 南北に 100km で、人口は 230 万人で

す。19 世紀からイギリスの統治下におかれ、第2次世界大戦後アッサム州の一部でしたが、

1972 年にメガラヤ州として分離しました。カーシ、ガロ、ジャインティアの3民族が主要

民族であり、それぞれ丘陵の中部、西部、東部に居住しています。カーシ語、ガロ語、英

語が公用語です。

メガラヤまでは、大阪(関西空港)からデリー経由で2日かかります。デリーからアッ

サム州の州都であるグワハティーまで3時間飛び、グワハティーからメガラヤ州の州都シ

ロン市まで車で 3~4 時間です。ビシュト教授や旅行会社に尋ねてもシロンへのルートはこ

の陸路しかないという返事でした。ところが、インターネットで検索して調べてみるとコ

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ルカタ(カルカッタ)からシロンまで1日おきに飛行機があることがわかり、今回シロン

へはコルカタ経由で空路で入りました。デリーで1泊し、デリーからコルカタまでは2時

間足らずで着きます。デリーの朝はかなり冷えたのですが、コルカタは少し蒸し暑く日本

の春のような気候でした。また、コルカタはインド東北部へのフライトの起点であるため

か、空港で待っている人の 7 割ぐらいの人は私たちと同じような顔つきでした。シロンへ

の飛行機はプロペラ機で、1 時間半遅れで離陸しました。コルカタからバングラデッシュの

ガンジス川のデルタ地帯を北上し、眼下には茶色の大地だけが見え、乾期のために幅広い

川の一部にしか水が流れていませんでした。1 時間半ほどして飛行機が着陸態勢に入ると、

突如として緑色の丘陵が見え始め、メガラヤ州に入ったことがわかりました。山腹すれす

れに飛行し、雨量が世界一多い地域にもかかわらず、所々にしか深い森がありません。シロ

ン空港にはビシュト教授が迎えにきてくれており、空港のあたりは海抜 1000mほどでした

が、シロン市内まではさらに高度で 500m上ることになり、車で 1 時間かかりました。その

途中、グワハティーからの幹線道路に入りましたが、ヘアピンカーブの連続でひっきりな

しに大型トラックとすれ違います。州内は鉄道がなく、幹線道路もこれ一本しかなく、生

活物質の輸送は陸路でしかできないので、交通渋滞が問題になっているそうです。道路沿

いではサクラが咲いており、数日前は満開だったそうです。日本のサクラと比べて背は高

いですが、花はやや小さく実をつけます。

3. シロン

シロンの町は 1874 年から 1972 年まで英領アッサムの都であったため、高原避暑地とし

て有名でイギリス風の建物が数多く残っています。教会が非常に多く、よく整備された公

園やゴルフ場があります。東洋のスコットランドともいわれています。住民たちも私たち

と同じモンゴロイドで、州の半数以上の住民がキリスト教徒です。いわゆるインドの雑多

な騒がしさというバイタリティが感じられず、落ち着いた静かな町並みで、日本人好みの

町だと思います。人口は 26 万でインド東北部の教育の中心地でもあり、東北部他州から多

くの学生が学びに来ます。多くのカレッジやスクールがあり、その最高学府が今回訪問し

た NEHU です。

気候も温暖で、私が訪れた 12 月中旬は最高気温 15℃、最低気温 6℃でした。冬の間はほ

とんど雨が降りません。4 月から 9 月までは最高気温が 24℃で安定していますが、6 月から

8 月までのモンスーン時期はすごい量の雨が降り、一年中いろいろな花が咲き乱れています。

特にオーッキドシティと呼ばれるように、町の中の樹木には蘭が着生しており、郊外の森

には野生の蘭が豊富です。市の南部にはシロン・ピークと呼ばれる平たい山頂(標高 1960

m)があり、インド空軍の基地になっています。基地の中にある公園は許可を受けて中に

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入ることができ、ここからシロン市内が一望できました(写真 1)。

4. ノース・イースタン・ヒル大学(NEHU)

NEHUは 1973年に設立された国立大学で、インド北東部における最初のCentral University

です。Central University とはインドの基幹大学で、当初はデリー大学、カルカッタ大学、ハ

イデラバード大学など 5 つしかありませんでしたが、現在では各州に 1 つは設置され全国

では 40 大学あります。インド北東部には現在 8 つの Central University が存在します。NEHU

のキャンパスは市の東部の広大な丘陵地帯に位置し、建物は学科ごとにまとまって松林の

中にあります。このあたりの松は成長が速いため非常に背が高いのが特徴です(写真 2)。

NEHU の学長(Vice-Chancellor)である Tandon 教授は、私と同じ生物学者で専門は植物

の生理学や組織培養学だそうです(写真 3)。研究で日本を毎年のように訪問しておられ、

日本には多くの知人がいるそうです。今回の表敬訪問は大学が冬休みに入ったところで、

おまけに教職員のストライキで事務局棟には誰もおらず、学長自らお茶とお菓子を出して

くれました。大学説明の際には、事務職員がいないので大学のパンフレット類や資料の場

所がわからず一生懸命探して下さいました。非常に気さくな方で日本のことにも詳しく、

大阪教育大学や国際センターについて説明したところ、興味深く熱心に聞いていただきま

した。NEHU は現在海外のどの大学とも交流協定を結んでいないということでしたので、

さらに本学との交流協定の可能性を伺ったところ、大阪教育大学とはいろいろな分野での

協力が期待できるので是非協定を結びたいという返答をいただきました。NEHU の国際協

定手続きについては、こちらが具体的な協定書の内容を作成して学長に送り、7 人の学部長

で構成される協議会で了承されればよいそうです。本学の国際センターのような組織はな

いそうですが、学部長協議会が国際交流に責任を負うしくみになっています。最後に、

Tandon 学長は大阪教育大学の学長がシロンを訪れるならば招待したいと、また日本に行く

機会があれば本学を是非訪問したいと言われました。

NEHU は 7 つの学部(School)からなる大学院大学です。すなわち、Social Science、Life

Science、Physical Science、Humanities & Education、Human & Environmental Science、

Economics・Management & Information、Science Technology の 7 つがあり、修士号や博士号

が取得できます。さらに、Science Education、Environmental Studies、Adult & Continuing

Education、Distance Education、Cultural & Creative Studies の5センターが設置されています。

センターでも同様の学位が取れます。ちなみに、ビシュト教授は理科教育センターに所属

しています。ビシュト教授とは共同研究を行うことで話がまとまりました。テーマはチョ

ウセンニンジン属植物やヒマラヤに自生する蘭科植物の分子細胞遺伝学的研究です。また、

私は生命科学部のバイオテクノロジー・バイオインフォマティクス学科において特別講演

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を行いました。学科長のラオ教授はビシュト教授の大学時代の 1 年先輩だそうです。また、

二人の学生時代の指導教授であるライナ教授は、10 数年前に JSPS の短期招聘研究者として

大阪教育大学で研究したことのある人です。ライナ教授は私が初めて引き受けたインド人

研究者で、4 カ月の滞在中にいくつもの実験を行い、共同研究の成果は国際雑誌に 4 つの論

文として発表されました。そのとき以来、インド人研究者の優秀さを知り、インドからの

研究者を多く受け入れています。ラオ教授の研究室には博士課程の院生が 5 名在籍してお

り、4 名が女性です(写真4)。そのうち 1 名は地元のメガラヤ州出身ですが、他の3名は

同じ東北部のマニプル州出身です。マニプル州はアッサム州とミャンマーに挟まれており、

州都は日本人には馴染みが深いインパールです。彼女たちが言うには、故郷は反政府ゲリ

ラが多く、安心して勉強できる環境ではないそうです。

5. 多様な文化と生物

シロンでは大学以外にドンバスコ博物館と生物多様性生物資源研究所を見学しました。

ドンバスコ博物館は、インド東北部諸州の文化人類学的研究でも有名で、展示なども充実

しています。専門のガイドが付き添って丁寧に説明してくれました。アルナチャルプラデ

ッシュ、アッサム、メガラヤ、マニプル、ミゾラム、ナガランド、シッキム、トリプラの 8

州の歴史や文化の資料が数多く集められています。これらの州ではいろいろな面でお互い

に異なっており、この地域の多様性をあらためて認識いたしました(写真 5)。メガラヤの

カーシ族は、母系社会で子供は母親の姓を名乗り、末娘が財産を受け継ぐそうです。典型

的なインド料理では、肉はマトンか鳥ですが、この地域では豚肉も牛肉も食べます。レス

トランでの食事は、インドの典型的なスパイスのきいた料理と違って私たちの口に合うも

のでした。

メガラヤ州ではいたるところにランの仲間が自生しており、「A Land of Orchids」と呼ば

れています。ラン科植物は全世界で 3 万種以上あり、インドでは 1250 種ほど知られており、

州内には 325 種のランが見つかっています。次に述べるチェラプンジーにある森はランの

種類の密度が高く、植物学者のパラダイスとして有名です。1本の老木を調べると 10 種類

もの着生ランが見つかることもあります(写真 6)。生物多様性生物資源研究所では蘭科植

物の収集と保全を行っており、研究所内には多くの野生ランが植えられて保護されていま

した。

6. チェラプンジー

チェラプンジーはメガラヤ丘陵の南縁に位置し、シロンから車で 2 時間のところです。

チェラプンジーが有名なのは世界一降水量が多いということです(写真 7)。私は NEHU の

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植物研究者たちと一緒に植物の多様性と生態系の調査のためチェラプンジーに出かけまし

た。シロンからの道中は木や森がほとんどなく、乾燥した台地でした。ほとんど何もない

荒れた土地でたまに石灰岩や石炭の採掘場やセメント工場があるくらいで、私は緑の大地

と原生林を期待していました。これは、過去に焼畑農業が行われていて森林を完全に破壊

したためと言われています。

チェラプンジーでは、年間平均降水量が 11937mm(1973-2008)です。ちなみに大阪の

年間降水量は 1300mm ほどです。特に、1860 年 8 月~1861 年 7 月の 12 カ月間の降水量は

世界最高の 26461mm を記録しました。そのときの 7 月の月間降水量の最高は 9360mm でし

た。1 日に 300mm も降れば日本では集中豪雨で大変です。それが毎日一カ月続くのですか

ら。しかし最近は、気候変動のためか年間降水量の世界一の座はチェラプンジーの西 40km

にあるマウシンラムに譲ったそうです。丘陵の南側は切り立っていて、ところどころ深い

峡谷が発達しており、その部分だけが深い森が形成されています。切り立った側壁のとこ

ろどころには滝があります。チェラプンジーを訪問した 12 月は乾期でしたので、滝の水量

は少なく、迫力は感じられませんでした。しかし、最後に訪れたノーカリカイの滝は渇水

期にもかかわらず見事でした(写真 8)。滝の展望台で子どもたちの団体にであったので、

どちらから来たかと聞いたところ、滝の下のほうから来たという答えしか返って来ません

でした。子どもたちが制服らしいものを着ていたことから、おそらく学校の遠足のようで

した。私がカメラを向けると子どもたちは恥ずかしそうにし、大人たちも逃げようとした

ので引き止めて写真を撮らせてもらいました(写真 9)。滝の展望台は上にあるので、私た

ちは滝つぼに向かって降りていきました。道らしきものはあるのですが、非常に急でした。

周りは薄暗くて湿気も多く、木生シダが生い茂り、まさにジャングルそのものでした。ウ

ツボカズラ(Pitcher Plant)の 1 種でメガラヤに固有の Nepenthes khasiana もこのような環境

で自生しています(写真 10)。ウツボカズラは食虫植物として有名で世界に 70 種ほど存在

します。植物相も台地の上とはずいぶん違いました。

7. おわりに

メガラヤでの滞在はわずか 5 日でしたが、インド東北部の自然や文化について多くのこ

とを学ぶことができ、またシロン市にあるノース・イースタン・ヒル大学の皆さんとの交流

もでき、非常に有意義でした。このあと、次の目的地であるウッタープラデッシュ州の州

都ラクノウ市へ移動しました。シロンからは陸路でアッサム州のグワハティに行き、そこ

からデリー経由でラクノウ市まで飛びました。グワハティからデリーまでのフライトでは、

ヒマラヤ山脈のすぐ南を東から西へと飛行し、約3時間の「ヒマラヤ・スペクタル眺望の

旅」を満喫しました(写真 11)。

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eラーニングを利用した日本語教育

長 谷 川 ユ リ

国際センター 国際教育部門

1.eラーニングを用いた日本語科目の開設

2009 年度後期にeラーニングを利用した留学生向けの「総合日本語演習」が兵庫教育大

学で開講され、近畿地区4教育大学で単位互換が認められていることにより、奈良教育大

学、京都教育大学、大阪教育大学の学生も受講することが可能となった。本学では学部留

学生2名が受講し、Web 教材の学習、課題レポートの提出を全て終え、3回行われた対面

授業にも出席した。

近畿地区4教育大学連携によるeラーニングを用いた単位互換科目としては、他に本学

が 2009 年度に他大学に提供を開始した学校安全科目があるが、「総合日本語演習」は兵庫

教育大学が提供している科目である。本稿では、本学の留学生が履修したeラーニングに

よる日本語科目について、授業の概要とテレビ会議システムを利用した対面授業の内容を

報告し、学部留学生向けのeラーニング授業のあり方を探る。

2.これまでの経緯

4 大学では、兵庫教育大学が中心となって「総合日本語演習」開設に向けて準備を行っ

てきた。これまでの経緯は以下の通りである。

2004 年度 5 月に4教育大学 E-learning プロジェクト日本語教育グループ立ち上げ

2005 年度 7 月に2地点(兵庫教育大学と大阪教育大学)を結んでの授業

11 月に多地点(4大学)での授業

2006 年度 単位互換が可能な日本語授業の形態、どの学生を対象とするかについて、

4 大学で協議

2007 年度 授業形態は Web 教材と同期的な授業の組み合わせにすることに決定

2008 年度 Web 教材のコンテンツ、開講時期と日程について 4 大学で協議

2009 年度 開講に向けての 4 大学での協議

11 月に兵庫教育大学提供による授業の開始

4 大学はそれぞれ身分や日本語力の異なる多様な留学生が在籍するため、どの学生を対

象にどのような授業を提供するか、4 大学間でまとめるのに時間がかかった。また、4 大

学の授業時間が異なるため、対面授業の時間設定の調整にも手間取った。

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3.「総合日本語演習」の概要

兵庫教育大学提供による「総合日本語演習」の概要は以下の通りである。

(1) 対象学生:学部正規生

(2) 開講時期:2009 年度後期、集中

Web 教材が試聴できる時期は 11 月 2 日から 11 月 27 日

(3) 授業形態:10 回の Web 教材による授業と 5 回の対面授業

(4) 単位数等:自由選択科目に含めることができる 1 単位

(5) 授業の目標:大学での専門の授業および研究に必要な①講義理解能力、②読解能

力、③発表能力、④コミュニケーション能力などの言語運用能力を

高めること(シラバスより)

Web 教材による授業は、履修を認められた学生に前もって与えられる ID とパスワード

で各自兵庫教育大学の教務システムにアクセスし、Web 教材を試聴してから課題を提出す

るという形式である。兵庫教育大学の授業担当教員が、Web 教材の試聴時間や課題のチェ

ックなど、全て行った。奈良教育大学から1名、本学からは学部 2 回生 2 名が履修登録を

した。今年度は京都教育大学からの受講生はいなかった。

Web 教材は、兵庫教育大学が開発したビデオ教材、著作権フリーの読解教材、既存のホ

ームページ上に公開されている日本語学習用教材の中から選んだ教材の 3 種類に分かれて

いる。ビデオ教材は講義タイプの教材が 1 つとトピック型会話教材が 4 つであり、毎回ビ

デオ教材か読解教材が用意され、課題提出が求められる。読解教材の代わりに、リストに

ある教材から一つ選んで試聴し、学んだことをレポートにして提出してもよい。1ヶ月間

の間、学習者は指示に従い、各自の都合のいい時間帯に自分のペースで学べるようになっ

ている。

対面授業はテレビ会議システムで 4 大学をつないで行うものである。今回は、兵庫教育

大学の担当教員から事前に出された課題に関する意見交換や質疑応答を中心に授業が行わ

れた。履修できる学生は学部留学生に限られるが、興味を持った交換留学生、日研生など

が一部の授業を聴講した。

4.テレビ会議システムを利用した対面授業

今年度の対面授業は 5 コマ分、以下の日程で行われた。

11 月 5 日(木)16:30~18:00 イントロダクション、自己紹介

11 月 11 日(水)15:00~18:00 3 時間、2 コマ分

11 月 25 日(水)15:00~18:00 3 時間、2 コマ分

初日は、イントロダクションのあと自己紹介が行われた。ほとんどの学生にとってビデ

オ会議システムを利用した授業は初めての経験であり、通常は会う機会がない他大学の学

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生の生活、大学の環境などについて情報交換を行った。本学の学生も、授業開始前からメ

ールでのやりとりをしていた兵庫教育大学の担当教員と初めて顔を合わせた。この授業用

に本学で確保していた教室が、カメラの位置がスクリーンと離れていたため、スクリーン

に映し出された他大学の様子を見ながら同時に発言することができず、演習形式の語学授

業には不適当であることが判明し、残りの 2 日間は教室変更することになった。初回は、

正規に登録している学生以外にも、単位が不要の交換留学生、日研生等が何名か聴講した。

2 日目と最終日は、事前に与えられたテーマに基づき受講生が発表を行い、そのあと質

疑応答をするという形式で進められた。発表のテーマは、アルバイト、私のふるさと、将

来の仕事、日本の住宅事情等であった。途中で接続が途切れたために再接続を行い、授業

が中断する、という技術的な問題が発生した。また、発表者がスピーチをしている時に、

他大学の集音マイクが不要な音を拾ってしまい、発表者の邪魔になっていることに気付か

ないという、多地点接続の授業ならではの問題も起こった。

一方で、1 つの大学の授業では、すでによく知っている学生同士が発言し合うために、

相手の発言内容が予測できる等、緊張感がうすれてしまうこともあるが、他大学の学生と

の意見交換では、本当に知りたいことを相手に伝え、知りたい情報を得るという本来のコ

ミュニケーションのあるべき姿が見受けられた。学生たちが、自分たちが持てる力を最大

限出せるよう努力したことは、大きな成果であったと思われる。

5.学部留学生向けのeラーニング授業

今回、本学とは少し異なる他大学の授業形式に接することにより、他大学が重点をおい

ていることを知ることができ、本学のプログラムについて考えるきっかけとなったことは、

教員側の大きな収穫である。本学では、毎年交換留学生を受け入れているが、年々交換留

学生の日本語力が向上し、すでに本国で日本語能力試験 1 級を取得している学生も増えて

いる。そのために、学部留学生向けの上級日本語クラスを数多くの交換留学生が受講して

おり、本来の受講生である学部留学生のニーズに応えられていないのではないか、という

ことを常々感じていた。学部留学生も交換留学生も、どちらも日本語力の向上を目指して

いるが、学部留学生のために必要な日本語力とは何か、どのようにしてそのような日本語

力をつけさせることができるのか、あらためて整理し直す必要があるだろう。

そこで、学部留学生用の授業にどのようにeラーニングを組み入れていくか、というこ

とを考えてみたい。学部留学生の場合、日本での生活が長いために、日本人学生との接触、

アルバイト、クラブ活動等様々な体験を通じて日本についてよく知っていることが多い。

しかし、日本語力に関しては、語彙力、文法力、表現力、理解力等、全ての面においてま

だのびる余地があるにも関わらず、教養基礎科目、専攻の必修科目、選択科目の単位修得

に追われ、日本語を向上させる余裕がないのが実情であろう。語学力の向上には自律的な

12

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学習と的確なフィードバックが不可欠であるが、1、2 回生のうちに、eラーニングを利用

することによってそれぞれの学生が自分の弱点を克服できるように集中的に学習すること

も一つの方法である。

そのためには、Web 教材のコンテンツの充実が欠かせない。例えば、対面授業での発表

や議論を活性化させることが授業の目標の 1 つであるとすれば、効果的な発表や活発な議

論を行うために必要なことが学べるような素材をそろえなければならない。Web 教材によ

る学習と対面従業が有機的につながるような流れができれば、学習者にとって何よりの励

みとなり、教員からのフィードバックもスムーズに行くと思われる。

これからは、海外の協定校とビデオ会議システムでつないで授業を行う機会も出てくる

であろう。そのような場合でも、1、2 回の実験的なやりとりではなく、カリキュラムの中

にどのように組み入れていくのかということが課題となる。eラーニングのよさを語学学

習に生かすための方法について、今後も考えていきたい。

最後に、本学の学生に貴重な学習の場を与えてくださった、兵庫教育大学の寺尾裕子先

生に感謝申し上げたい。

13

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台湾の高等技術教育の法制と実態

城 地 茂

国際センター 国際事業部門

1.緒論

台湾は、地理的に言っても、日本と中国の間に位置し、教育制度も中国と日本の中間的

なものとなっている。これは、日本統治時代の学校が数多く残り、日本の教育制度の影響

を受けているからでもある。また、戦後、米国の教育制度を受け入れたのも日本と似た大

きな原因だろう。

しかし、台湾は、貿易立国を目指すための独自の技術教育体系をも形作っている。国際

化の第一歩は、相互に理解することであるが、日台の教育制度がなまじ似ているため、先

験的に日本と台湾の教育制度は同じものと考え、研究の対象とはなりにくかった1。

数少ない論考として、科学論の観点から、ブレイン・リバース(頭脳還流)2の台湾での

現象として、助理教授の新設を論じた論考がある3。ここでは、1990 年代後半から、還流

する人材が急増し、ポスト難となる構造が分析されている。また、科学史の観点からは、

西欧の近代科学技術パラダイムが、日本へ伝播するが、台湾ではさらに伝播したため、段

階的であるべき科学パラダイムが台湾ではスキップし、「パラダイム・スキップ」を起こす

過程が述べられた論考もある4が、科学の発展と教育制度との関係には触れられていない。

そこで、本稿では、日本と台湾で教育システムが比較的異なっている高等技術教育の法

制と実態を紹介し、国際交流の一助としたい。

なお、台湾では、デジタル化の進捗は国家的に進められ、法律などは、『全国法規資料

庫5』で閲覧が可能であり、本稿では、これらのデジタル化資料を用い、筆者の体験した実

態も合わせて報告したい。

1 日本での研究では、ほとんどが日本統治時代のしかも日本語教育の研究が多く、戦後の台湾

を扱ったものでは、たとえば、山崎直也(2001)「九年国民教育政策の研究—戦後台湾教育の二

面性の起源に関する考察」などが数少ない研究である。また、日本統治時代の日本語教育以外

の教育の論考には、城地 茂(2003)「台湾における日本統治時代の珠算教育」などがある。 2 従来、アメリカなどに頭脳流出した人材が、アジアを中心に還流する現象。母国の経済状況

が好転し、高待遇で迎えられた。 3 城地 茂(2001)「台湾の助理教授の法制と実態:アジアの頭脳環流を軸として」。 4 城地茂・劉伯雯(待出版)「日台の高速鉄道公共輸送の比較:パラダイムキャッチアップのタ

イムラグに見る公共性の差異」. 5 台湾法規データベース http://law.moj.gov.tw/

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2.台湾の「高等」教育-複線教育システム

ここで括弧つきの高等教育としたのは、台湾の学士学位を授与する機関は、教育部6の高

等教育司7の所轄だけではないからである。教育部の内部部局は以下のようになっている8。

教育部

秘書室(大臣官房に相当) 高等教育司

技術及職業教育司 中等教育司

国民教育司(初等中等教育局に近い) 社会教育司(社会教育局に相当)

体育司(スポーツ・青少年局に相当) 総務司 (大臣官房に相当)

国際文化教育事業処 学生軍訓処

人事処 会計処

統計処 政風処(監察部門)

電子計算機中心

実際に学校を所轄しているのは、高等教育司、技術及職業教育司、中等教育司、国民教

育司であるが、それぞれ、

高等教育司 一般大学、独立学院

技術及職業教育司 科技大学、技術学院、専科学校9、高級職業学校

中等教育司 高級中学(高等学校)、師範教育

国民教育司 国民中学(中学校)、国民小学(小学校)

を所轄している。このうち、学士以上(修士、博士も可能)の学位を授与することができ

るのは、高等教育司所轄の学校以外に、師範大学、教育大学、科技大学、技術学院がある

6 日本の文部科学省に相当する。行政院(内閣に相当)は、8部や2つの大臣級が主任委員を

務める委員会などで構成されている。8 部とは、内政部(総務省に相当)、外交部(外務省に相

当)、国防部(防衛省に相当)、財政部(財務省に相当)、教育部(文部科学省に相当)、法務部

(法務省に相当)、経済部(経済産業省に相当)、交通部(国土交通省に相当)である。 7 司は日本の省庁の内部部局に相当する。 8 この他に審議委員会や国家図書館など施設がある。研究機関が少ないのは、研究は総統(大

統領)直轄の中央研究院が担っており、教育部は教育が主な業務だからである。このあたりは、

大陸(旧ソ連や中国)のシステムに似ているといえる。もちろん、研究と教育を完全に分離す

ると効率が悪いため、中央研究院でも大学院生を受け入れたりはしている。しかし、一般に大

学における「研究所」とは研究専門機関ではなく、大学院生の教育が主な機能である。 9 2004 年、五年制専科学校(五専)卒業生と二年制専科学校(二専)卒業生に副学士の学位が

授与されるようになった。

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のである。

このうち、大学、独立学院、師範大学、教育大学は高級中学から、科技大学と技術学院

は、高級職業学校から進学10するという複線教育になっているのである。

ここで、外部から分かりづらいのは、『大学法』(1948 年1月 12 日、国府公報第 3028 号)

第2条には、「本法にさだめる大学とは、本法によって設立され、ならびに学士以上の学位

を授与する高等教育機構をいう。11」となっており、一括して高等教育機構は『大学法』

が管轄しているように見える。しかし、同法第 3 条には、「本法の主管機関は教育部とする。

12」と教育部が管轄とだけしか規定がなく、実際は、上記のように各司に分かれているた

めである。第三者評価(評鑑)のしくみや、細かなところでは卒業式の来賓にどの司長が

招かれるなど、一般大学と科技大学には差がある。

逆に、日本では「学院」というと専門学校か専修学校の名称であるが、大学と独立学院

(科技大学と技術学院)に本質的な違いは無い。学長(校長)の職等に差異が見られるぐ

らいで、法的には、総合大学と単科大学としての差異しかないのである。(表 1 参照)

しかし、少子化が進行している台湾では、学生の募集では、大学と学院のイメージの差

は大きくなっている。

また、台湾では二つの教育体系間の移行は難しい。それは、高等教育機構の試験が、大

学学科能力測験13と四技二専統一入学測験に完全に別れて全国試験を実施するためである

14。つまり、全国統一の国民中学学生基本学力測験により、高級中学と高級職業学校に進

路が決まってしまうと、相互に方向転換ができにくいシステムになっているのである。そ

こで、俗称で高速道路に例えて、技術職業体系は「第二国道」15と言われている。科挙の

伝統で学歴重視の国柄にあって、大学を卒業するということは、高速道路の切符を手に入

れたようなものである。しかし、学位を取得するもう一つのルートが存在するという意味

である。これには、大学院入試では基本的に差別16がなく、到達先は同じという意味も込

められている。

10 技術職業教育では、五年制専科学校(五専)は、中学校(国民中学)から進学する。 11 原文は、「本法所稱大學,指依本法設立並授予學士以上學位之高等教育機構。」である。 12 原文は、「本法之主管機關為教育部。」である。 13 従来は、1994 年、大学学科能力測験と改編された。 14 近年では、推薦入試などで、両者の垣根は低くなりつつある。 15 国道は高速道路の意味で使われる。最上位の一般道路は、(台湾)省道と言われる。 16 後述するが、技職体系の大学では、学科名に「学」を使わないという暗黙の規定がある。ま

た、「応用」を付けることも多い。したがって、一般大学では、英文学系となり、技職体系の大

学では、応用英語系となるのである。そのため、大学院入試で、応用英語系卒業生を排除する

動きが実在し、こうした差別を設けることも可能ではある。

16

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等級

( 教 育

職)

薪領17

( 教 育

職)

職等18

( 一 般

職)19

助理

教授

講師 助教

20

大 学 行

政兼任21

独立学

院行政

兼任

専科学

校行政

兼任

770 年功

薪22

740

710 年 功

1 680 14 本薪 校長23

2 650 13 年 功

副校長 校長

3 625 年 功

4 600 12 本薪 院長、

主任等24

副校長

主任

校長

5 575

6 550 11 主任25 主任26 学科主任

7 525

8 500 10 本薪 学科主任27

9 475

17 『教師法』第 19 条に、教師の「待遇」(給与)には、この「本薪(年功薪を含む)」以外に、

職務や学術研究、地域などの「加給」および「奨金」(ボーナス)と規定されている。したがっ

て、同じ等級であっても、教授と副教授・助理教授の学術研究加給は異なり、給与は異なって

くる。 18 職等への換算は、『行政、教育及公営事業人員相互転任採計年資提叙官職等級対照表』によ

る。但し、これには、6 職等までの規定しかないため、5職等以下は、『現職公務人員改任官等

職等對照表』(『現職公務人員改任弁法』第 3 条付録)『公立学校教職員敘薪弁法』(1973 年 9 月

13 日教育部(62)台参字第 23401 号令発布、2004 年 12 月 22 日教育部台参字 0930171496A 号

令修正)によるが、例えば「警察人員」の俸給の領薪は「教育人員」と同じ体系だが、これでは、

「警佐」(委任相当)は4階に分かれているなど、若干の差異がある。 19 『公務人員任用法』(1949年1月1日総統令公布、2010年1月6日総統華総一義字第09800326941号令修正)第 13 条。 20 『教育人員任用条例』(1985 年 5 月 1 日総統華総(一)義字第 2082 号令公布、1997 年 3 月

19 日総統華総(一)義字第 8600065380 号令修正公布)の修正(このとき助理教授制度が実効

化した)以降、新規採用は無い。 21 行政院 1999 年 3 月 15 日、台 88 人政給 005064 函より作成。 22 年功薪とは、実際に支給されるが、待遇的には認められない範囲の給与の事。たとえば、「助

理教授」の場合、給与的には 13 職等 650 まで支給されるが、最高で 10 職等待遇という事にな

る。したがって、主任にはなれないことになる。 23 『教育人員任用条例』第 11 条には、「師範大學、師範學院、師範專科學校校長、院長,除應

具備本條例相關各條規定之資格外,並以修習教育者為原則。」とあり、師範大学などでは、教育

行政者ではなく、教育者を原則として学長などに任命する規定になっている。 24 三長、主任秘書、図書館長、研究所所長など。 25 副教授兼任の場合。 26 副教授兼任の場合。 27 副教授兼任の場合。

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10 450 9 本薪 年 功

組長28

11 430

12 410

13 390 8 組長

14 370

15 350

16 330 7 本薪

17 310

18 290

19 275 6

20 260

21 245

22 230 5

23 220

24 210

25 200 4

26 190

27 180

28 170 3

29 160

30 150

31 140 2

32 130

33 120

34 110 1

35 100

36 90

雇員

表 1 大学学長および教員(管理職兼任を含む)の給与標準表

28 副教授以上兼任の場合。

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台湾国内でも誤解されがちであるが、科技大学、技術学院、専科学校は、『専科学校法』

(1948 年1月 12 日国民政府公布、2004 年 1 月 14 日総統華総一義字第 09300002911 号令

修正)のみで規定されていると思われていることである。確かに同法 7 条には、「実務専門

家の資質を向上させ、技術職業教育の品質を増進させるため、教育部は、法律によって大

学および分校設置基準に合う専科学校を技術学院とすることができる。その基準、手順お

よび審査は教育部がこれを定める。29」と専科学校で基準を満たすと技術学院に昇格する

ことが明記されており、現在の大部分の技術学院がこの規定で昇格したものである。しか

し、この改正である 1995 年 11 月 8 日総統(84)華総(一)義字第 8753 号令30以前に技術

学院として設立されていた学校が、国立 4 校、私立 1 校が存在していたのである。これら

の学校では、たとえば国立高雄技術学院の例では、『国立高雄技術学院籌備処組織規程』

(1993 年 5 月 7 日教育部(82)台参字第 024661 号令発布、1995 年 9 月 13 日教育部(84)

台参字第 045006 号令廃止)というように特別規定で設置している31。

3.科技大学と技術学院

一般大学でも(総合)大学と独立学院とに区別されているように、技術職業システムで

は、科技大学と技術学院に分けられる32。これは、学部(学院)の数によって機械的に分

けられる。学部が 3 つ以上あるものが、科技大学で、学部が 1 つしかない独立した学院が

技術学院である。基本的に、一般大学と同じ規定である。異なるのは、技術学院になって

3 年以上経過しないと大学へ改名ができないという内規が技術学院には存在しているとい

うことである33。これは、専科学校から改編した技術学院が多く、学部を増設することに

よって、安易に科技大学への改編を許認可しなかったためと考えられる。また、現在では

緩和されてきたが、基本的に 1 学部に 3 学科(系)がなければならず、最低でも 9 学科(系)

以上なければ科技大学に昇格できない仕組みになっている。また、規定的には 2 学院ある

複合大学(学院?)が存在してもいいはずであるが、現在までのところ実在していない。

29 原文は、「為提升實用專業人才素質,增進技術職業教育品質,教育部得依法核准符合大學及

分部設立標準之專科學校,改制為技術學院;其標準、程序及審核辦法,由教育部定之。」である。 30 このときの技術学院の規定は、第 3-1 条にあった。 31 『国立高雄技術学院籌備処組織規程』第 1 条に、「教育部依大學法第二條規定,籌設國立高

雄技術學院,特設國立高雄技術學院籌備處 (以下簡稱本處) 。」と、『大学法』に基づいた特別

規定であることが明記されている。 32 師範教育でも、師範大学と師範学院に分けられていたが、2005 年、師範学院が教育大学に改

編されている。また、それ以前にも嘉義師範学院が嘉義技術学院と合併して、一般大学の嘉義

大学へ、台南師範学院が台南大学へと改編されている。 33 このため、国立高雄第一科技大学は、国立高雄技術学院が設立されて 3 年目の 1998 年まで

改名が見送られた。

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4.科技大学の組織

組織は、大学組織規定に基づき、各大学が定めるので、学校ごとに差異がある。しかし、

基となる『大学法』(1948 年 1 月 12 日国府公報第 3028 号公布、2009 年 11 月 18 日総統華

総一義字第 09800284791 号令修正)の規定があるため、大学ごとの差異はそれほど大きく

ない。ここでは、筆者が勤務した国立高雄第一科技大学を念頭に記述することにする。

基本的に一般大学との差はなく、学術部門と行政部門がある。学長(校長)の下、これ

らの部門を統括する副校長2名が置かれることが多い。学術副校長と行政副校長となる。

学術の一級単位は、学部(学院)である。第 3 節で述べたように 3 学部以上がある。ま

た、この学院レベルの機構として教養部(通識中心)が置かれることもある。学院の下に

学科(系)が置かれる。独立した技術学院の場合は、系が一級単位になるわけである。院

長は教授職、系の主任は教授または副教授職である。系の中に大学院(碩士班、博士班)

が置かれることが多くなったが、独立した大学院(研究所となるので名称に注意が必要)

もある。この場合は所長となり、教授職である。

行政の一級単位には、設置が必須の 3 部(処)と図書館などがある。3 処とは、教務処

(学務部に相当)、学生事務処(寮の管理や配属将校部門)、総務処(管理部に相当)であ

る。これらの長は三長と公称され、校長が任命し、いわば学内の内閣を構成している。し

かし、近年は、大学でも研究が重視され研究発展処が置かれたり、国際交流が重視されて

国際事務処が置かれることも増えてきた。これらの人事も校長の任命である。総務長を除

き、教員の兼任職となっている。なお、総務長は教員が兼任することもできる。

大学の設置基準には、図書の量的基準があるため、図書館の設置は必須であり、図書館

長は一級主管である。

この他に人事室と会計室が独立しており、各主任は一般職員で充てる規定になっている。

秘書室もあり、その長である主任秘書は、教員の兼任でも一般職員でも構わない。

これら一級単位の下に、二級単位が置かれ、その名称は組となる。したがって、課長に

相当する職位は組長となり、日本では誤解を生む名称になっている。

一級主管は教授または副教授職の規定になっている。これは、12 職等もしくは 11 職等

職となるからである。二級主管は副教授または助理教授職が基本であるが、教授が務める

こともできる。また、反対に講師が兼任した例もある。これは、9 職等(副教授以上が兼

任した場合)もしくは 8 職等職となるからである。

5.科技大学設置の目的

設置の目的は、先に述べたように、実務専門家の資質の向上と技術職業教育の品質増進

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である34。これは、先進科学技術のパラダイムをキャッチアップし、実務的な応用を行い

うる人材を養成することと考えられる。そのためには、英語力は必須になり、日本語を含

めた他の外国語は犠牲になる趨勢にある。しかし、科技大学のほとんどの学生は高級職業

学校出身者であり、中学校時代、英語の成績が理想的ではなかったために、技術職業体系

へ進んだ学生が多い。五年制専科学校が激減し、一般大学卒業より早く専門家となる課程

として技術職業体系を選ぶ必要性がなくなってしまったのである。こうした語学力の問題

が将来顕在化してくるのではないかと予想される。

日本の立場から言えば、日本の技術力をバックアップする人材も必要であると思える。

実際、1997 年から応用日語系が各技術学院、科技大学に設置されている。しかし、日本語

教育や文学などに偏重している大学が多く、一般大学との差別化が成功しているとは言え

ない。

6.まとめ

従来は、高校 3 年、大学 4 年で社会へ巣立つ課程と平行して、通算 5 年程度で社会に対

応できる人材を養成していた技術職業課程としての意義があった。しかし、現在では 7 年

かかるため、修業年数の短縮を図るという機能35が、技術職業体系から喪失しつつある。

また、専科学校から多数の学校が昇格したため、近隣に多くの科技大学が存在する現象

が見られる。たとえば、高雄地区に国立だけで科技大学3校、技術学院 1 校が存在してい

る。教育部として、合併を指導するのは、必然的な成り行きである。適正規模は、学生数

1 万と言われるが、単に数値的に区切りがいいだけで、科学的な根拠があるとは思えない

が、上記 4 校ともその規模に達していないのも事実である。

技術学院同士の合併ならば科技大学へ改名の機会であり、合併に伴うメリットもあるが、

すでに科技大学になっていると、そのメリットもなく、大学側として合併に消極的である。

科技大学 3 校の合併案もあったが、結局、失敗に終わった。

現在の嘉義大学は、2000 年に嘉義師範学院と嘉義技術学院が合併した例である。師範系

の学院と技術職業系の学院が合併し、一般大学へ移行した稀有な例でもある。しかし、2005

年にすべての師範学院が教育大学に改編されてしまい、今後、この手法により科技大学が

一般大学に改編される可能性は少ない。

学生の募集を考えて一般大学へ組織改編を望んでいるとすれば、一般大学と科技大学が

合併するしか方法はないだろう。だが、これも、一般大学と科技大学では、教員の評価な

34 『専科学校法』第 7 条。 35 大学院の受験資格は、専科学校卒業後 3 年で得られる。台湾では徴兵制があるため、仮に 3年間服役すれば、退役後、直ちに受験することが可能である。

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どで異なる部分が多く、実現は困難である。

台湾の少子化は、日本以上の速度で進行しており、科技大学の生き残り戦略の一つとし

て、一般大学との合併が現れてくるかもしれない。台湾でも、日本のように法人化が行な

われれば、現在の公立、私立の垣根を越えた合併が進むかもしれない。

参考文献

山崎 直也(2001.5)「九年国民教育政策の研究—戦後台湾教育の二面性の起源に関する考

察」『日本台湾学会報』3:50-69

城地 茂(2001.3)「台湾の助理教授の法制と実態:アジアの頭脳環流を軸として」『現代台

湾研究』21:149-158.

城地 茂(2003.3)「台湾における日本統治時代の珠算教育」『台湾応用日語研究』1:1-24.

劉 伯雯・城地 茂(2001.6)「科技大学における日本語・中国語および英語能力の相関につ

いて」『朝陽学報』366:113-128.

城地 茂・劉 伯雯(待出版)「日台の高速鉄道公共輸送の比較:パラダイムキャッチアップ

のタイムラグに見る公共性の差異」、藤田弘夫(編)『グローバリゼーションと東ア

ジアにおける公共性の変化』、慶応大学出版会.

36 ISSN 1026-244X。THCI 臺灣人文學引用文獻資料庫(Taiwan Humanities Citation Index)登録雑

誌。

22

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今年度の活動を振り返って

赤 木 登 代

国際センター 国際事業部門

今年度は一昨年の 10 月に国際センターの国際事業部門に配属されて以来、「国際事業」

という意味で本当に充実した活動をすることができたと思える 1 年であった。ここではそ

の仕事の中から 2 つに絞って振り返りたい。

Ⅰ.第 4 回東アジア教員養成国際シンポジウム

このシンポジウムは、大阪教育大学にとってこれまで大学が主催した中でもっとも大規

模な国際シンポジウムであるといっていいだろう。国際センターが中心となり全学を挙げ

て取り組んだからこそ、意欲的な発表とそれに続く活発な議論が実現し、そして何よりそ

れぞれの参加者が笑顔で会場を後にすることができたのだと確信している。

まずシンポジウムの概要を紹介しておこう。2009 年 12 月に日本・韓国・中国・台湾が

参加する「東アジア教員養成国際コンソーシアム」(International Consortium for Universities

of Education in East Asia、以下「国際コンソーシアム」ICUE と呼ぶ)が結成された。しか

し、この国際コンソーシアムが結成される約 5 年前から、各国から教員養成系の大学が集

まり、主に年に一度 3 ヶ国が持ち回りで国際シンポジウムを開催することを活動の中心と

してきた。すなわち、

・ 第 1 回東アジア教員養成国際シンポジウム(2006) 日本・東京(東京学芸大学主催)

・ 第 2 回東アジア教員養成国際シンポジウム(2007) 中国・上海(華東師範大学主催)

・ 第 3 回東アジア教員養成国際シンポジウム(2008) 韓国・公州(公州大学校主催)

・ 第 4 回東アジア教員養成国際シンポジウム(2009) 日本・大阪(大阪教育大学・京都

教育大学・奈良教育大学 主催)

である。

そして、今後も継続して

・ 第 5 回東アジア教員養成国際シンポジウム(2010) 中国・北京(北京師範大学主催)

・ 第 6 回東アジア教員養成国際シンポジウム(2011) 韓国・ソウル(ソウル教育大学

校主催)

という計画がある。

これらの国々は単に「東アジア」という同じ地域にあり、歴史的な関わりが深いだけで

なく、古来より現在に至るまで一貫して「人の教育こそ国の根幹となる事業である」とい

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う同じ信念を持つ、すなわち実に教育熱心な国民性という大きな共通点があるのである。

そこで、グローバル化していく中で生じる様々な困難な問題に「教育」、ひいては教育を

担う人材を養成する「教員養成」という立場から協力して取り組むことができるのではな

いか、またそれはアジア全体の平和と発展に寄与するに違いないとの強い信念から、シン

ポジウムやフォーラムの開催、学生あるいは研究者交流、共同研究事業といった幅広い活

動を展開していこうとしているのである。

さて、第 4 回東アジア教員養成国際シンポジウムは、京都教育大学と奈良教育大学との

3 大学共催であったが、本学が近畿地区におけるもっとも大規模な教員養成大学であるこ

と、かつ国際コンソーシアムにおいても東京学芸大学と並んで日本の責任幹事校になるこ

とがすでに内定していたこともあり、シンポジウム開催にあたっては中心となってすべて

の準備を行った。

シンポジウムは 2009 年の 11 月 14、15 日の 2 日間、初日は本学柏原キャンパス、2 日目

は大阪市内にあるホテル大阪ベイ・タワーを会場として行われた。参加大学は中国から 9

大学、韓国から 10 大学、台湾から1大学、そして日本から主催校も含めて 13 大学であっ

た。その共通テーマは「教師教育の質の向上と高度化に向けた今日的課題」であり、3 つ

のセッション

1.「教師教育の質の向上と高度化に向けた今日的課題」

2.「教師教育における質的保証の内容とシステムについて」

3.「教師の継続教育をめぐる今日的課題」

に分かれて、それぞれの国・地域から 3 大学ずつ、つまり各セッションで 9 大学ずつが

発表するという形であった。

各セッションでの発表は、それぞれ各国における教員養成の現状を紹介しつつ、よりよ

い未来を見据えた実際的な内容であった。例をあげると、大学における教員養成カリキュ

ラムやその問題点、改善事例、そしてさらなる改善計画の紹介から、継続教育の実践事例、

今後の展開、そして国際コンソーシアムにおける活動提案にまで及んでいた。発表後の質

疑応答になると、議論が過熱するあまり、話の途中で時間切れになってしまったのが残念

であった。

セッションでの意見交換に加えて、シンポジウムのもうひとつの重要な行事は「学長フ

ォーラム」である。これは、シンポジウムの実りある運営のために各大学の総長・学長が

一同に会する年に一度の貴重な機会である。その際、今後のシンポジウムの継続には満場

一致であったが、ただ会議開催には「主催大学の財政的な負担が重く、それを今後どうす

べきか」が解決すべき課題として残った。またもう一点、現在はシンポジウムでの使用言

語は参加国の言語「中国語・韓国語・日本語」と定められており、すべて逐次通訳を介し

て実施されており、すべての発言に対し 3 倍の時間を要してしまうのが大きな問題である。

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これには「同時通訳を用いる」、あるいは「共通言語を英語とする」などの方策が考えられ

るが、同時通訳採用にかかる費用や参加者の英語能力の問題、つまり英語が十分にできな

ければ参加できないのであれば、発表者が限定されてしまうという懸念があり、解決は今

後に見送られた。

大学で行う初めての大規模な国際シンポジウムということで、準備段階では様々な苦労

があった。まず、参加大学の決定の段階から、やはり言語の問題もあり、連絡がスムーズ

にとれないことが一番不自由であり、それに加えて習慣の相違からなのか「締め切り」に

関する感覚にも大きなずれを感じ、苛立ちや「果たして間に合うのだろうか」という不安

を感じることが少なくなかった。

しかしシンポジウム当日になってみると、日本でのシンポジウムに期待を持ってか、実

に元気いっぱい、溌剌とした面持ちで到着され、感謝の言葉でもってにこやかにあいさつ

されるのを聞き、その後のセッションでの熱意あふれる発表と質疑応答、それにレセプシ

ョンでの楽しいスピーチなどを聞くにつけ、それまでの様々な苦労など一気に吹き飛んで

しまったのであった。

来年度の北京シンポジウムは、中国の幹事校のひとつである北京師範大学がその面子を

かけ、きっと今回にもまして盛大なシンポジウムを開いてくれるに違いないと今から期待

している。

ホテルでのシンポジウム・セッションの様子

Ⅱ.アフガニスタン教員養成支援プロジェクト

本学では日本の国際協力支援活動に教育面で寄与したいとの考えから、アフガニスタン

に対する教育支援活動を実施している。2006 年にアフガニスタンの教育省教員養成局とカ

ブール教育大学と交流協定を結び、これまで 2007、2008 年の 2 回、カブール教育大学から

教員を招いて、理科教育の短期研修(約 2 週間)を実施した。

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しかしながら、アフガニスタンとの交流は、先に述べた中国や韓国との国際コンソーシ

アム活動に伴うものとは比較にならないほどの困難があり、解決すべき課題が山積してい

る状況である。連日のように各メディアが報じている通り、アフガニスタンの復興は遅々

として進まず、テロの撲滅どころか、テロ行為が相次ぎ、治安は日々悪化している。本来

なら国際支援活動はこちらが相手国に赴き、状況を把握した上で直接行うのがもっとも効

果的な方法であるが(実際、本学の井坂行男准教授(特別支援教育講座所属)は JICA と

のプロジェクトでアフガニスタンを数回訪問し、支援活動を行っている)、その国情ゆえに、

少数の教員を招いて研修を行うことでようやく支援の継続を図っているところである。

今年度は、カブール教育大学に新しい学長が着任したこともあり(おそらく 2006 年から

数えて 3 人目)、2 回にわたる理科教育研修の経験から、一度学長を招聘し、相手の要望を

確認の上、もう一度支援活動を見直してみようと考えた。そこで 2010 年 1 月 7 日から 11

日にかけてハミザイ(Amanullah Hamidzai)学長が来日された。

ハミザイ学長は母国の混乱からやむなくアメリカへ亡命し、20 数年を過ごし、市民権を

取得したアメリカ人である。しかし、70 歳の齢を過ぎた現在、母国の復興のために単身カ

ブールにもどり、現在学長としてその手腕を振るっている愛国者である。昔アフガニスタ

ンを後にした際の悲惨な亡命体験やまた今回帰国後も銃撃や爆破といったテロから奇跡的

に助かった話などを聞くと、あらためてアフガンの政治状況の深刻さに愕然とするばかり

であった。しかし同時に、母国のためにあふれんばかりの熱意で今後の支援を要請する姿

を見ていると、たとえ予算上の制約があっても、できる限りこの支援活動を続け、発展さ

せていかねばならないという決意を新たにしたのであった。

左から 2 番目がハミザイ学長、学長表敬訪問にて

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オーストリアのシティズンシップ教育

-2009 年 10 月の調査訪問から―

中山あおい

国際センター

はじめに

1997 年、欧州評議会(Council of Europe)は「民主的シティズンシップ教育 (Education for

democratic citizenship);以下 EDC と略す」を各国で推進することを決議し、2002 年には EDC

の勧告を出している。その背景には、戦後多くの移民を受け入れただけではなく、1993 年

のマーストリヒト条約によって EU 域内の人の移動が促進され、価値の多元化が進んでいる

ヨーロッパにおいて、社会的結束が求められていることが考えられる。さらに、人口移動

だけではなく、グローバル化する経済や環境問題など今日の様々な課題に対応できる市民

の育成が期待されている。そのため、ヨーロッパでは欧州評議会や EU などの超国家機関が

シティズンシップ教育の推進に努めるとともに、各国での取り組みが活発化している(1)。シ

ティズンシップ教育は、イギリスのように教科になっている国もあれば、ドイツのように

「政治教育(politische Bildung)」という伝統的な教科を中心に取り組まれている場合もあり、

実践の形態は国によって様々である。ここではドイツとは異なり、戦後シティズンシップ

教育が全教科の「授業指針(Unterrichtprinzip)」となりながらも、それを担う教科がなかった

オーストリアに注目し、近年になって教科として「政治教育」を取り入れるなどシティズ

ンシップ教育が活発化している現状と課題について、2009 年 10 月下旬に行った訪問調査か

ら報告する(2)。

1. 訪問調査の背景

オーストリアでは 2008 年 9 月から、第 8 学年を対象にした「歴史」教科のなかに「政治

教育」が導入されることになった。それまでの「政治教育」は、1978 年にすべての教科の

「授業方針」と位置づけられたものの、教科としては商業学校などの職業学校にあるだけ

で、全児童・生徒を対象にしたものではなかった。このように、シティズンシップ教育を

中心的に担う教科がないにもかかわらず、オーストリアは欧州評議会の EDC の取り組みに

は積極的な姿勢を見せている。例えば、欧州評議会の呼びかけによる 2005 年の「教育を通

したシティズンシップ・ヨーロッパ年(European Year of Citizenship through Education)」では、

ヨーロッパ各地でシティズンシップ教育に関するシンポジウムやプログラムが行われたが、

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それに向けてオーストリアも EDC のアクションデイを開催したり、各国の EDC コーディ

ネーターの国際会議を主催するなど、積極的に活動している(3)。

このように、オーストリアでシティズンシップ教育が活発化するなか、学校においても

教科としての「政治教育」が導入されるにあたり、ウィーン大学の教員養成課程に初めて

「政治教育」担当の教授ポストが新設された。そして、それまでオーストリアには「政治

教育」を専門とする教授がいなかったため、ドイツのギーセン大学からヴォルフガング・

ザンダー教授(Prof. Wolfgang Sander)が招聘された。訪問調査では、ウィーン大学のザン

ダー教授へのインタビューを中心に、教師教育やインフォーマル教育でシティズンシップ

教育がどのように導入されているのか調査した。以下では、2009 年 10 月 28 日に訪れたウ

ィーン大学のザンダー教授へのインタビュー内容を紹介しながら、オーストリアのシティ

ズンシップ教育の一端を明らかにしたい。

2. インタビュー調査

2.1. 教科としての「政治教育」への動き

オーストリアに教科としての「政治教育」がなぜなかったのかという質問に対して、ザ

ンダー教授は次のように述べている。

オーストリアにおいて、二度ほど「政治教育」を教科にしようとする動きがあった。戦

後、特に 70 年代に「政治教育」を教科にすべきとの意見があったが、教科として導入する

と内容が一面的になるのではないかという恐れがあった。というのもオーストリアには二

大政党があり、一方の政党に「政治教育」が利用されるのを恐れて大論争に発展した。こ

の論争は、1978 年に「政治教育」を教科ではなくすべての教科の「授業指針」とすること

で終止符が打たれた。そして近年になって、2006 年、2007 年に再び政治教育を教科にしよ

うとする議論がおきた。単独の教科にはならなかったものの、従来の教科である「歴史」

において「政治教育」の側面が強化され、「政治教育」のテーマが学習指導要領に盛り込ま

れた。このようにして 8 学年を対象に、一般教育の学校では統合教科としての「歴史と政

治教育」が、職業学校では「法と政治教育」が教えられるようになった。

それまでオーストリアに「政治教育」がなかったのは、ドイツとは対照的である。戦後

すぐにドイツでは学校を民主化しようとする試みがあり、50 年代から民主主義を強調した

新たな「政治教育」が教科として導入されたのに対し、オーストリアではそのような議論

がおきなかった。というのもオーストリアでは自分たちをナチスの最初の「被害者」であ

るとみなし、再教育(reeducation)が行われなかったのである。

2.2. 「政治教育」の背景

次に、近年になって「政治教育」が重要視されるようになった契機について尋ねたとこ

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ろ、ザンダー教授は、前回の選挙から投票できる年齢が 18 歳から 16 歳に引き下げられた

ことを指摘した。

若者を選挙に備えさせるためには早くから「政治教育」を行う必要があり、2006 年、2007

年に政府はいわゆる「民主主義のためのイニシャチブ」として、まず学校の「歴史と政治

教育」において「政治教育」を強化するとともに、「政治教育」のコンピテンシー・モデル

を導入し、さらに「政治教育」の教授ポストを新設した。それ以来、「政治教育」について

活発な議論が行われているという。

右翼の若者への対応としての「政治教育」の必要性について質問したところ、ザンダー

教授は、右翼のオーストリア自由党(FPÖ)が若者の票を取り込もうとしている点に言及し、

それも「政治教育」が重視される背景として考えられるかもしれないと述べた。しかしな

がら FPÖ は以前からあり、近年の新たな「政治教育」の議論を導いた主要な要因とはいえ

ないと語った。

2.3. 教員養成における「政治教育」の課題

オーストリアで初めての「政治教育」の教授として、教員養成や教師教育で難しい点に

ついて尋ねたところ、いままでの教員養成では「歴史」のみが学ばれており、新たな「政

治教育」のカリキュラムを開発するのに時間がかかるとザンダー教授は述べた。また、教

師教育にも力を入れているという。現職の教員研修を行ったり、教員養成大学の教員への

研修も計画している。なぜなら、オーストリアには 12 の教員養成大学があり、ウィーンか

らオーストリア全体に広げていくことが重要な課題となっているからである。その他にも、

2009 年には「政治教育」の学会が立ち上げられた。「政治教育」に興味のある人々を集め、

「政治教育」の専門化及び質の強化を課題として、2010 年 2 月には全国レベルの大会が開

かれる。ウィーン大学の学生を養成する以上に、オーストリア全体に働きかけていくこと

が重要である。

以上の話から、一大学の教授としてだけではなく、オーストリア全体の「政治教育」の

専門性を高めていこうとするザンダー教授の意気込みがわかる。

2.4. ヨーロッパのシティズンシップ教育の動き

オーストリアのみならず、ドイツやイギリスなど各国でシティズンシップ教育が議論さ

れている背景はなにかという問いに対して、ザンダー教授はヨーロッパ社会の変化につい

て言及した。

特に移民を多く受け入れたことにより、ヨーロッパでは移民の統合や外国人嫌悪、人種

差別などの問題が生じている。また、グローバル化が大きな役割を果たしている。グロー

バル化により産業社会が終焉を迎え、ヨーロッパ社会が大きく変化していくなかで、ヨー

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ロッパ各地に不安や政治不信が見受けられる。政治離れや右翼政党の台頭に対してなにか

しなければならないと人々は思い始めている。さらに東欧で民主主義が始まっていること

も要因である。こうした移民の統合やグローバル化、社会構造の変化など、学校も向き合

わなければならない。

ザンダー教授の話からも、シティズンシップ教育が活発化する背景には、グローバル化

がもたらす社会変化への危機意識が読み取れよう。

2.5. コンピテンシー

21 世紀の市民となるために必要なコンピテンシーはなにかという問いに対して、ザンダ

ー教授は 2008 年にオーストリア文科省で定められたコンピテンシーについて語った(4)。そ

のなかでも大切なのは「政治的判断能力」であり、自分で判断し、政治的状況を分析し、

判断するための根拠を見つけることである。さらに「政治的行動能力」が重要であり、自

分の自由意思で参加する能力である。これら二つの能力が市民の核となるコンピテンシー

であり、「政治教育」において生徒に培いたいものであるとザンダー教授は語った。

3. まとめにかえて

以上、ウィーン大学ザンダー教授へのインタビューから、オーストリアではドイツとは

異なり、戦後に「犠牲者」としての認識があったことや二大政党の軋轢など、教科として

の「政治教育」を阻む要因があったことがわかった。しかしながら、選挙権をもつ年齢の

引き下げがきっかけとなり、シティズンシップ教育が重視されるようになった結果、「政治

教育」が教科として導入されるに至ったが、その背景には移民やグローバル化の影響で、

ヨーロッパ社会が変化していくなかで、それに対応できる新たな市民像が求められている

ことが窺われる。

オーストリアでただ一人の「政治教育」の教授として、オーストリア全体で「政治教育」

の専門性を高めていこうとするザンダー教授は、「私がいなくなっても、誰が来ても大丈夫

な構造を作らなければならない」と語り、「政治教育」の学会の創設や教師教育に余念がな

い。ザンダー教授の任期は 2 年と限りがあるため、ザンダー教授の後に、どのように「政

治教育」講座や教師教育が継承されていくのかが、今後の大きな課題になるであろう。ま

た、ドイツから教授を招聘していることもあり、「政治教育」の理念や教授法などはドイツ

の影響を強く受けることが予想されるが、両国は「政治教育」が教科として導入された歴

史的経緯も、教科としての位置づけも異なるため、どのようにドイツの「政治教育」が受

容され、またオーストリアの独自性が展開していくのか、今後の動向が注目される。

さらに、教科としては 2008 年から「歴史」と統合する形で導入されたばかりの「政治教

育」には、専門的な教員の養成という課題の他にも、「歴史」教育との時間配分や連携の仕

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方など、多くの課題がある。ここでは紙面の都合上、ザンダー教授へのインタビューしか

取り上げられなかったが、現職教員へのインタビューやインフォーマル教育での取り組み

については、また別の機会に述べたい。

(1) 欧州評議会の取り組みについては、拙稿(2008)「欧州評議会のシティズンシップ教育」嶺

井明子編著『世界のシティズンシップ教育』、東信堂、を参照されたい。

(2) 本調査は科学研究費補助金(基盤研究(C)、シチズンシップ教育の再構築‐ドイツとオ

ーストリアの事例から-」)研究の一環として 2009 年 10 月 27 日から 11 月 3 日に行われ

た。

(3) Zentrum polis (Hrsg.) (2008)Politische Bildung in Österreich. Wie Wer Was, Wien: Edition polis

(4) 2008 年オーストリア文科省は、政治教育のためのコンピテンシー・モデルとして、「政

治的判断能力」「政治的行動能力」「方法(を知り、活用する)能力」「事実(関係を認識

する)能力」を定めている。Wolfgang Sander (2009), Über politische Bildung, Wien:

Wochenschau Wissenschaft, S.41.

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韓国嶺南地方における文化体験研修の成果と課題

若 生 正 和

国際センター 国際教育部門

1 はじめに

昨年、民主党政権が誕生すると「東アジア共同体構想」が打ち出され、しばしば話題に

なった。東アジアの国々との交流が重要であることは疑問の余地はない。それは大学にお

いても同じである。

東アジアに含まれる国のうち、韓国について本学の交流状況を見てみると、梨花女子大

学・ソウル教育大学・大邱韓医大学の 3 大学と学術・学生交流協定を締結しており、韓国

側からの交換留学生の受入や相互の教員訪問など、一定の成果を上げてきた。

しかし学生交流については、日本(本学)から韓国へ派遣される交換留学生が非常に少ない

という問題点がある。これまで 1 名、梨花女子大学に派遣しているが、韓国への交換留学

を希望する者は最近までなかなかいなかった1。

そのような状況が続いていた中、昨年、大邱韓医大学からのご提案と全面的なご協力に

より、第 1 回韓国文化体験研修を実施することができた。本稿ではこの研修について報告

するとともに、今後の研修および、韓国との学生交流の課題などを考えてみたい。

2 研修実施までの経緯と研修費用

この節では、まず、今回の研修が企画・実施された経緯について記した後、研修の費用

についてまとめる。

2.1 大邱韓医大学校2

今回の研修を全面的にサポートしていただいた、本学の海外協定校である大邱韓医大学

校について、まず概要を記しておく。大邱韓医大学校のメインキャンパスは、大邱広域市

に隣接する、慶尚北道慶山市に位置する。韓医科大学3の他、韓方産業大学、保健治療大学、

1 2010 年 3 月より 1 名、大邱韓医大学へ派遣。また、2010 年度にも 1 名、梨花女子大学へ

派遣予定。少しずつ、韓国への交換留学希望者が起こされてきている。

2 本節では「大学」との区別のために大学名を「大邱韓医大学校」とするが、次節以降、特

に必要がなければ「大邱韓医大学」と表記する。

3 「大学」は日本の「学部」に相当。

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ウェルビーン福祉大学、文化・情報大学があり、東洋医学のみならず、幅広い分野の専攻

が存在する。本学とは 2006 年に学術・学生交流協定締結以降、毎年 3~5 名の交換留学生

が本学に派遣され、勉強している。1981 年設立。今年、2010 年は開学 30 周年にあたる。

2.2 研修企画・実施の経緯

大邱韓医大学から「韓国文化体験研修」の提案をいただいたのは、昨年の春の初めだっ

たかと思う。この提案の大きなポイントは、プログラムの立案・提供だけではなく、航空

運賃・海外旅行保険以外の全ての費用を大邱韓医大学側が負担するという点であった。こ

れまで、本学との学生交流は、大邱側から毎年交換留学生を一方的に派遣するという状態

が続いていたため、大邱韓医大学側が双方向的な交流を進められるようにご配慮くださっ

たということもあるかと思う。

この提案を受けて、09 年度前期に参加者募集を行い、書類による選考を経て最終的に 10

名の参加者が与えられ、2009 年 8 月 17 日から 23 日までの 7 日間、韓国における文化体験

研修が実施された。

2.3 研修費用

次に、費用についてまとめる。申し込み受付時には研修代金を 1 人あたり 55,000 円に設

定した。55,000 円の内訳は表 1 の通りである。

表 1 韓国文化体験研修 研修代金内訳

――――――――――――――――――――

項目 金額

――――――――――――――――――――

航空運賃 39,000 円

空港利用料・航空保険料等 4,970 円

海外旅行保険料 6,400 円

諸手続・現地引率費用等 4,630 円

――――――――――――――――――――

合計 55,000 円

――――――――――――――――――――

表 1 を見て分かるとおり、当初確定していた必要経費は 50,370 円である。それに「諸手

続・現地引率費用等」を追加したのは、研修中に不測の事態が発生した場合のためである。

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本年度の研修では、実際にそのような理由でこの項目のお金を使用することはなかった。

ただし、大邱韓医大学校総長への表敬訪問があったため、総長およびお世話になる教職員

の皆様へのお土産をこの費用から購入した。また、旅行代金の振り込み手数料をこの中か

ら支払い、合計で 20,050 円を「諸手続・現地引率費用等」から支出した。その結果、研修

後に参加学生たちに 1 人あたり 2,625 円を返金した。

費用については、現地での宿泊費、見学施設入場料、交通費など全て大邱韓医大学にご

負担いただいたため、最低限必要な経費は航空運賃、空港使用料等と海外保険加入料のみ

であった。せっかくの大邱韓医大学のご厚意を最大限に生かし、一人でも多くの学生に参

加してもらえるよう、今回はあまり多額の追加費用は上乗せしなかった。しかし、今後も

研修を継続するなら、参加者の負担が若干増えても、不測の事態に備えた「現地引率費用」

をもう少し多めに確保しておいた方が良いであろう。後に記すように、今回の研修で数名

の体調不良者が発生した。帰国間際だったこともあり、今回は現地での病院受診はなかっ

た。しかし現地での対応が必要だった場合を考えると、今回参加者から預かっていた予備

費用は十分であったとは言えない。そこは反省点の一つである。

3 研修地と研修プログラム

本節では、今回の研修の舞台となった韓国・嶺南地方や大邱についてまとめた後、研修

プログラムについて述べる。

3.1 嶺南地方

3.3 節で詳細を提示するが、今回の研修地は大邱をベースキャンプとしながら釜山・慶州・

安東などを回った。この地域は、伝統的には「嶺南地方」と呼ばれている。以下、『韓国民

族文化大百科事典 (한국민족문화대백과사전)』4をもとに嶺南地方について簡単にまとめる。

嶺南地方とは、現在の慶尚南北道、大邱広域市と釜山広域市が含まれる、朝鮮半島南東

部の地域である。「嶺南」という地名は、鳥嶺山の南側という意味である。鳥嶺山は忠清北

道と慶尚北道の道境に位置する。実際には鳥嶺山から太白山脈5南端に位置する太白山を結

ぶ線が嶺南地方の北の境界をなすと言える。西側の境界は、朝鮮半島南部の中央を俗離山

から智異山へと向かって伸びる小白山脈である。

元々この地方は三韓時代の辰韓・弁韓の地であった、その後新羅・伽倻の領土となり、

統一新羅時代には慶州・良州(現在の梁山)・晋州・尚州に属する地域だった。高麗時代の 995

4 韓国民族文化大百科事典編纂部編、韓国精神文化研究院、1991 年。

5江原道の海岸沿いを南北に伸びる山脈。

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年には尚州中心の嶺南道、慶州中心の嶺東道、晋州中心の山南道に三分された。この時は

じめて嶺南という言葉が登場する。なお、慶尚道という地名は 1314 年にこの地方の統治中

心地である慶州と尚州の頭文字を取って通用するようになった。

3.2 大邱

次に、大邱について『2009 市政現況』6からまとめる。

新羅時代の後半に入るまで、大邱は「達句伐 (달구벌/tal.kwu.pel 7 )」、「達句火

(달구불/tal.kwu.pwul)」、「達弗 (달불/tal.pwul)」などと呼ばれていた。「テグ (대구/tay.kwu)」

という地名は、757 年(景徳王 16 年)に州・郡・県の名称を漢字名に直した時、はじめて使用

されたものであり、当初の漢字表記は「大丘」であった。現在のような「大邱」という表

記が『朝鮮王朝実録』に本格的に表記されるようになったのは 1778 年(正祖 2 年)からであ

る。

大邱が市となったのは 1949 年のことである。その後、1981 年に直轄市に昇格し、1995

年には地方自治法の改正にともない、現在の大邱広域市となった。行政区域は中句・東区・

西区・南区・北区・寿城区・達西区・達城区の 8 区に分かれている。人口は 2,512,604 人。

3.3 研修プログラム

今回の研修は、6 泊 7 日の、そう長くはない日程に比して盛りだくさんの内容であった。

表 2 に訪問先と研修プログラムをまとめる。南は釜山から北は安東まで、嶺南地方をくま

なく巡ったと言える。研修中の移動には大邱韓医大学のバスが提供された。

嶺南地方の文化的特徴としては、新羅時代から仏教文化が広く普及していた関係で、当

時の都であった慶州を中心に有名な寺刹と仏像・塔などの仏教関係文化遺産が多い。今回

も世界遺跡群に含まれる仏国寺、石窟庵を見学することができた。

仏教は高麗時代までは国教とされるなど、朝鮮半島文化に大きな影響を与えたが、朝鮮

王朝(李朝)時代に入り、抑仏崇儒政策をとった関係により多くの郷校と書院が建った。慶尚

北道には全国の道の中で最も多くの 43 箇所の郷校を初め、多くの有名書院が集中している。

特に、安東は嶺南第一の学郷としてここを中心に多くの巨儒が輩出された。そのため嶺南

地方の儒林は全体儒林中 31.8%を占め、慶尚北道は 16.7%も占めており、道の中では最も

多い8。研修 5 日目に千ウォン札の肖像にもなっている李退渓9ゆかりの陶山書院を見学した

6大邱広域市編。http://www.daegu.go.kr/Plan/fileupload/2009시정현황.pdf

7 本稿のハングルローマ字転記には Yale 式ローマ字を使用。

8韓国民族文化大百科事典編纂部『韓国民族文化大百科事典』韓国精神文化研究院、1991.

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が、今回は幸運にも、さらに李退渓宗宅も訪問し、退渓の直系子孫である李必根氏(第 16代)、

李致億氏(第 17代)と直に対面する機会が与えられた。まさに生きた歴史との出会いである。

表 2 訪問地と研修プログラム

日付 主な研修地 訪問先・研修プログラム

8 月 17 日 釜山

・龍頭山(ヨンドゥサン)公園

・海雲台(ヘウンデ)APEC ハウス

・広安里(クァンアンリ)海水浴場

18 日 大邱

・大邱韓医大学総長表敬訪問

・大邱韓医大学校付属漢方病院 ・国立大邱博物館

・ホームステイ

19 日 慶州 ・仏国寺(プルグックサ) ・石窟庵(ソックラム)

・天馬塚(チョンマチョン) ・瞻星台(チョムソンデ)

20 日 大邱

清道

・日韓大学生討論会Ⅰ(主題:韓流と日流の今日と明日)

・韓屋学校 ・雲門寺(ウンムンサ)

21 日 安東

・河回(ハフェ)マウル(伝統家屋集落)

・安東礼節学校(韓服着付け) ・陶山書院

・水涯堂(スエダン)韓屋宿泊体験

・日韓大学生討論会Ⅱ(自由討論)

22 日 大邱 ・鹿洞(ノックトン)書院 ・西門(ソムン)市場

書院と言えば、6 日目に訪問した、大邱・鹿洞書院は、儒教文化とはまた違う、歴史的視

点から見て興味深い見学地である。この書院には、慶長の役(壬辰倭乱)の際に加藤清正に従

い朝鮮に渡り、朝鮮軍に帰順した後に朝鮮の武将として戦功を上げた金忠善(日本名は沙也

可(さやか)と言われる)が祀られている10。

日韓の交流史の視点からは、初日に訪問した釜山の龍頭山公園も面白い場所である。龍

頭山を中心とする地には、江戸時代、朝鮮との交易等に従事する日本人が滞在した「倭館(草

9 <東方の小朱子>と称される朝鮮、李朝の代表的文臣、儒者。1501-70。本名は李滉。その

学説は日本の林羅山、藤原惺窩、山崎闇斎らにも大きな影響を与えた。(伊藤亜人他監修『新

訂増補 朝鮮を知る辞典』平凡社、2000.)

10韓国民族文化大百科事典編纂部『韓国民族文化大百科事典』韓国精神文化研究院、1991.

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梁倭館)」が存在した11。私が見た限りでは、そのことに触れる説明文は公園内に見られな

かったし、また日本で出版されているガイドブック等でもほとんど言及されていないよう

に思う。日本植民地統治時代、この地には龍頭山神社が建てられ、光復(解放)後に撤去され

た経緯もあるため、日本人がこの地で生活していたことは、韓国併合以前のことであって

も、韓国人にとって心穏やかには受け止められない事実なのかもしれない。しかし、その

ような背景を丁寧に説明しながら見学することで、ただの観光名所も興味深い歴史の教材

に変わるのではないだろうか。

以上、見てみたように、大邱を中心とする嶺南地域は朝鮮半島の文化を深く学ぶのに最

適な地であると言える。また、朝鮮半島と日本との関係を考える上でも、非常に示唆に富

んだ土地である。

4 アンケート結果

本研修終了後、参加学生にアンケートをお願いし、回答してもらった。以下、その結果

について簡単に触れたい。本アンケートでは複数回答で、どの見学地・プログラムが良か

ったかを質問した。表 2 に示した見学地・プログラムを並べ、良かったと思うものに丸を

つける形で回答してもらった。5 名以上の学生が丸をつけた項目を表 3 に示す。

表 3 学生アンケート結果(印象に残った見学地・プログラム)

―――――――――――――――――――――――――――――

項目 人数

―――――――――――――――――――――――――――――

・ホームステイ 8

・仏国寺 5

・日韓大学生討論会Ⅰ(主題:韓流と日流の今日と明日) 5

・河回マウル(伝統家屋集落) 5

・安東礼節学校(韓服着付け) 5

・日韓大学生討論会Ⅱ(自由討論) 5

・西門市場 5

―――――――――――――――――――――――――――――

ホームステイ(8 名)および日韓大学生討論会Ⅰ・Ⅱ(各 5 名)が全て上位に入っていること

11 田代和生『倭館』文春新書、2002.

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から、今回の研修に、学生たちは第一に韓国の学生との交流を期待し、また満足したこと

が分かる。今回の研修の目的の中に日韓学生交流および大邱韓医大学と本学との交流進展

があったことを考えると、このアンケート結果は本研修の大事な目的の一つが達成できた

ことを示している。また、安東礼節学校に 5 名が丸をつけており、体験型の研修に学生た

ちは好感を持ったようである。その一方で、龍頭山公園や陶山書院、鹿洞書院など歴史的

な背景の理解が必要な見学地は、短期間の研修では印象に残りにくかったかもしれない。

これらの見学地については、事前オリエンテーションで簡単なレクチャーがあった方がい

いであろう。

5 健康上の問題

本研修はほぼ順調に進んだのであるが、最後に数名の学生が体調不良を訴えた。その点

についてまとめておく。

研修 6 日目、8 月 22 日(土)の深夜から 23 日(日)朝にかけて、3 名の学生が腹痛・下痢・嘔

吐・発熱などの症状を示した。また、帰国後に同様の症状を訴えた学生も 1 名いた。先に

症状が出た 3 名中 1 名は空港行きのバスでも苦しそうであったが、何とか全員揃って帰国

した。

帰国後、2 名は病院で受診、治療を受けた。うち、1 名は食中毒と診断された。もう 1 名

は、はっきりとした診断は出なかったが、食中毒が疑われた。

帰国直前のことだったので、今回は症状が重い学生にも我慢してもらい全員一緒に帰国

したが、学生の体調管理に課題が残る結果となった。学生の症状・体調によっては帰国を

延ばしてでも現地で治療を受けた方が良いケースがあるかもしれない。韓国文化体験研修

はもちろん、その他の国・地域で実施される語学研修・海外研修でも、その辺の判断基準

を事前にシミュレーションしておく必要がある。

また、今回は食中毒と診断された学生がいたため、食事への配慮も反省点の一つである。

韓国は食文化が豊かな国であり、それを学び楽しむのも大切であるが、できる限り生もの

などは避けた方がいいであろう。

治療費については、全員に海外旅行保険に加入してもらっていたため、体調不良を示し

た学生については保険会社から書類を取り寄せ、大学から学生へ送った。帰国後 72 時間以

内に受診すれば、帰国後の発症でも、負担した治療費は保険会社から後日支払われるとの

ことである。

体調管理という点から幸いだったのは、今回、バスでの移動が非常に多かったにもかか

わらず、車酔いに苦しむ参加者が一人もいなかったことである。しかし、すでに見たよう

に、研修期間中は連日盛りだくさんのプログラムで、さらにバスでの移動の繰り返しが重

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なったため、どうしても体力は落ち気味になったかもしれない。今後は体力への過度な負

担がかからないよう、プログラムを調整する必要がある。

6 おわりに

今回の研修では健康面での課題が残ったが、研修プログラム自体は非常に充実しており、

参加学生たちもそれぞれに学び、また良き思い出を作ることができたと思われる。大邱韓

医大学との協力による韓国文化体験研修は、2010 年度も 8 月に実施する方向で協議を進め

ている。今回得た反省点を生かしながら、学生がさらに韓国文化を満喫できるプログラム

に育てていくことで、大邱韓医大学と本学、そして韓国と日本の間の学生交流がさらに発

展していくことを願う。

最後に、本研修プログラムのために費用負担をしていただいた大邱韓医大学校に改めて

感謝の意を表するとともに、研修の企画・実施においてお世話になった文化・情報大学外

国語学部日本語専攻の崔英淑教授、朴洪植教授、金英教授、佐藤綾教授、そしてお世話い

ただいた全ての教職員の皆様に心からお礼を申し上げたい。ありがとうございました。

写真 1 大邱韓医大付属病院見学 写真 2 学生討論会のようす

写真 3 水涯堂韓屋宿泊体験 写真 4 安東礼節学校で韓服着付と大礼の体験

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大教メモワール

馮 思 遠

教養学科 文化研究専攻 社会文化コース

(平成 21 年度卒業 中国)

私は 2004 年 10 月に来日して、和歌山の語学学校で日本語を学び、2006 年の 4 月に大阪

教育大学教養学科の文化研究専攻社会文化コースに入学しました。大阪教育大学での 4年

間の留学生活は瞬く間に過ぎ去り、あと 1ヶ月あまりで私は卒業を迎え、そして次の進学

先である横浜国立大学の国際社会科学研究科に進学することになります。

大阪教育大学での留学生活を振り返ってみると、感懐深い 4 年間でした。一年半しか日

本語を学習したことのない私は新入生として異国の大学に入学し、いきなり大阪弁の匂い

が漂う学園に入ったとき、戸惑うばかりでした。しかし、国際センターの教員の方々や職

員たちが学習また生活の面倒を見て下さったことで、苦労しながらも無事に大学生活に溶

け込むことができました。入学したばかりの頃、剣道の練習で右手の薬指を骨折させてし

まった時の記憶はまだ新しい。包帯を巻いた右手ではペンを掴むことさえできないことで

精神的に落ち込み、お酒に浸る日々が続いたときに先生たちから一通の電話があって、そ

の後部屋までお見舞いしてもらいました。「入学したばかりで骨折して大変だね。アルバイ

トもできなくなったと思いますが、生活に支障があれば遠慮なく相談に来て。がんばって

くださいね。」との一言に、私には再び闘志に燃え、朝から晩まで教室や図書館で勉強に励

むようになりました。

(第 1 回かしわら国際交流フェスティバルに参加)

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留学生宿舎に入居したことも素晴らしい経験でした。宿舎の皆は平素助け合う習慣があ

り、日本での生活のコツや授業のとり方などを教えてくれるだけではなく、たまにパーテ

ィーにも誘ってくれます。単調な一人暮らしに彩が添えるようになり、大切な友人がたく

さんできました。二年生になって私は留学生宿舎の寮長に選ばれました。あれから、落ち

込んでいる留学生の姿を見つければ私は積極的に声をかけるように気を遣っています。二

年生の後半になったと時に、留学生寮の隣の部屋にあるアメリカからの留学生がきました。

言葉の障壁を乗り越えることができず、授業以外には部屋から出てきません。私はそれが

気になって、ある日ドアを叩いて「一緒に晩御飯を食べませんか。」とたずねました。彼は

ようやく日本で声をかけてくれる人と出会ったようで、嬉しげに誘いを受け入れてくれま

した。その後私は彼のチューターとなり、共に勉強や外出をして、今も大事な友として付

き合っています。

(友人のジョシュアさんと外出)

大学院への進学や卒業論文の作成にあたり、数多くの先生方のお世話になったことも忘

れがたいです。論文の研究対象や将来における研究の方向性を見出すために先生方は自ら

のことのように真剣に悩んでくれました。また、私が希望校の合格通知書をもらったとき、

無事に卒業論文を提出したとき、自分の子供のように可愛がってくれました。これらのす

べては私の心の中の下支えとなり、日本で学業を遂行させるための力ともなります。

日中戦争の時に数多くの日本人の孤児が中国に残され、現在彼らは子孫と共に日本に帰

国することができましたが、文化の違いや言葉の問題で一般の日本人との間に隔たりを感

じ、なかなか生活をスムーズに進めることができないと聞きました。この人たちのために

私には何かできることがないかと考え、先生の紹介で八尾市の二つの小学校において帰国

児童のための日本語指導や放課後学習の手伝いをはじめました。三年半にも続く小学校で

のこれらの活動は、私の日本そして日本人に対する認識を深め、自分が子供たちに教える

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代わりに、小学校の先生や幅広い面の日本人に触れたことにより、逆に教わったことのほ

うが多いようにも思います。今後横浜に行ってもこのような機会があれば、是非とも続け

ていきたいと思います。

(八尾市長池小学校での支援活動)

三年生から留学生宿舎を出た私は大阪市内にある大阪国際交流センターが運営する留学

生向けの賃貸住宅に入居しました。そこでも日本人の親切さを身に感じます。社会活動の

参加に呼びかけられた私は大阪国際交流センターが主催する「アジアの隣人」というプロ

グラムに出ました。市内にある中学校で中国の言葉・文化・風習を紹介し、中学生と触れ

合う機会ができました。そればかりでなく、大阪国際交流センターの職員たちとも友人に

なり、大学という場だけではなく社会人とも親しくなったことで、日本社会に対する親近

感を感じます。彼らに日本の会社や法人の仕事の流れを教えてもらい、日本社会の仕事の

効率にしばしば刮目したこともありました。

(大阪市立東中学校での発表)

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人間の一生に比べて、4 年間は短いかも知れません。しかし、私はこの 4 年間に経験し

たことはこれまでにないほど豊富なもので、きっと記憶として鮮明に記憶に残るだけでは

なく、これからの人生にとっても貴重な宝物になるのだと信じています。私はこの宝物を

くださった皆さんに感謝し、これからも学業に励み、人格の陶冶に努めていきたいと思い

ます。

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大学生活の思い出

趙 婉

大学院教育学研究科 国際文化専攻 欧米文化研究

(平成 21 年度修了 中国)

―「あっという間の 6 年間」―これは私が大阪教育大学の学生生活を振り返った時、最

初に思いついた言葉です。学部生活 4 年、それに大学院の 2 年間。新しいスーツに袖を通

し、新たな留学生活に対する不安を抱えながら、憧れのキャンパスライフに胸をときめか

せていた 6 年前の自分を思い出されます。

私は、この長いようで短かった留学生活の中で、すばらしく貴重な経験ができました。

それは入学まもなく頃に柏原市立国分小学校での見学でした。「子どもたちに何の話をしょ

うかな」、「子どもたちは外国人のことどう思うのか…。」はじめて日本の小学生に触れ合う

私は、とてもドキドキしていました。

見学の内容は、私を含めて 8 人の留学生がそれぞれ違う学年の異なるクラスに行き、ク

ラスの一員として、子どもたちと共に授業を受け、一日を共有するのです。この有意義な

一日は私の自己紹介で始まりました。自己紹介の後、皆は私の故郷である「天津」に大変

興味を持つようになったようです。「天津の人は皆あなたみたい背が高いのですか」、「いつ

も天津飯を食べていますか」などさまざまな質問を聞かれました。楽しい会話が進む中、

自分がこのクラスにだんだん溶け込んでいくように感じました。

昼食後は体育の授業でした。今日は特別にタッチボール大会が行われます。各クラスを

一つのチームとして、勝敗を競います。もちろん私どもの 8 人の留学生もチームメンバー

となりました。試合開始となると、食事するときの楽な笑顔はすぐに真剣な顔に変わり、

子どもたちは勝利を手に入れるために、一生懸命タッチボールの試合に取り組んでいまし

た。彼たちの努力に共感し、私も必死になりました。その結果、私たちのチームは最高の

チームワークを発揮できました。タッチボールを通して、私も子どもたちもチームワーク

の大切さを理解できたと思います。そして、自分は本当に彼たちの仲間として認められた

ことも、何より嬉しく感じました。

この大学に入学できてよかったと思うのは、小学校見学だけでなく、大学祭や留学生の

旅行などの楽しい思い出ばかりです。私にとって大学生活は「あっという間の 6 年間」に

思えたのは、きっと充実した日々を過ごしていたからかもしれません。卒業、就職が迫っ

ている今、私は寂しさと同時に、大阪教育大学に入学し、たくさん素敵な経験ができたこ

とを本当に嬉しく思っています。今後も大教大の卒業生として、新たな目標に邁進したい

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と思います。

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明日もまたいい出会いを!

劉 佳

研究留学生

(平成 20 年度 中国)

私は2008年10月から大阪教育大学で研究留学生として一年半の留学生活を始めました。

留学は初めてですが、日本は二回目です。2006 年 7 月に、大阪の池田市で一週間のホーム

ステーを体験して、チャンスがあれば絶対また日本に戻って、お世話になった皆さんと会

いたい、もっと日本の生活を体験したいという気持ちで国の大学に帰りました。二年後、

留学生としてまた日本に来られる、大阪教育大学に来られることは夢みたいでとてもあり

がたいと思っていました。いよいよ私の留学生活もあっという間に終わりますが、残り惜

しい気持ちがいっぱいです。振り返ってみると、この一年半はたくさんの「出会い」で繋

がっているすばらしい経験なのだと思います。大阪教育大学との出会いをきっかけに、楽

しく、充実した留学生活を送ってきました。

キャンパスが山の上にあるのは中国ではまれですが、私にとっては、大阪教育大学への

通学路も面白くなりました。自然に囲まれているキャンパスが独特の穏やかさを持ってい

ると同時に、忙しくて活発に動いている学生たちがその若い活力を大学に与えているよう

な感じもします。こんな大学が大好きです。また、季節によって、変わってくるキャンパ

スの景色は別の観光地にもまけずに、とてもきれいだと思います。私はいつも国の友人に

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「花見したいなら、わざわざほかの所にいかなくても、うちの大学も絶対いい場所ですよ」

と自慢しています。大学の山を降りる時、必ず見える「明日もまたいい出会いを!」とい

うスローガンがとても気にいる言葉になって、「毎日を大切にして、明日を楽しみにする」

気持ちも湧いてきました。こんなにいい雰囲気の中で、優しい先生方や可愛い留学生たち

や親切なボランティアのお母さんたちなどと出会ったからこそ、楽しい留学生活があるの

です。

期待と不安が入り混じった複雑な気持ちのままで、日本と再会しました。一年半の留学

はやはり一週間のホームステーと違って、卒論のために研究をちゃんと進める目標もあり、

本格的に生活の面でも、頑張らないといけないところもたくさんありました。しかし、こ

の一年半の間で、こういう心配やストレスなどは、ずっとそばにいてくれて、支えてくれ

る友達やボランティーのお母さんたちや先生方のおかげで、一つ一つ乗り越えて、自分も

もっと成長してきたように感じています。

私にとっては、この一年半の留学生活を通して、勉強も順調に進んで、学業を無事に終

えたとともに、一番大切な収穫というのはやはり友情の収穫です。大阪教育大学にきてか

ら、私は国境を越えて、沢山の国々の友達ができました。国籍や文化が違うにもかかわら

ず、お互いに心を込めて、理解しあったり支えたりして、国の親友と同じようにいい友達

ができたと思います。

私にはこのような異国の親友がいます。2008 年の留学生の中で、私一人が皆と離れて、

別のところに住むことになっていました。日本に来たばかりの時は、やはり心細くて、日

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本の生活にもすべて慣れていなかったし、何をしたほうがいいかわからなかった状態でし

た。こんな時に、五位堂に住んでいる日研生の友達は「劉佳も私たちの料理パーティーに

参加したらどう?」と誘ってくれました。それは私たちの初めてのパーティーですが、そ

れも私のキルギズ、グルジア、ベトナム、カンボジアの家庭料理の初体験です。最初はお

互いにそんなに詳しく知らなかったですが、一緒に何かをするチャンスを自ら作って、お

互いに心を開けてもっともっと親しくなってきました。その後、私たちはずっと一緒に計

画を立てて旅行したり、イベントに参加したりして、日本や日本文化に対する理解も深ま

ってきました。これらの友達は一年間の留学で早めに帰国しましたが、別れの辛さと悲し

さはまだしみじみ覚えています。しかし、その別れは皆にとっては、新しい出発じゃない

かなとも思っていました。皆さんはそれぞれ自分の国に帰っても、日本での経験をひとつ

の支えとして、また新しい出会いがあって、前向きに進んでいくと私は信じています。

それから、グローバル香芝の皆さんとの出会いで私たちの留学生活がもっと意味深いも

のでした。グローバル香芝は留学生の

ために、たくさんのイベントを催して

くれます。ホームビジットや日本文化

体験などを通して、私たちは日本文化

に触れるチャンスが増えました。私の

場合は、近くに住んでいるグローバル

のメンバーの田中お母さんと山下お母

さんに大変お世話になりました。お母

さんたちは私たち留学生がまるで自分

の子供であるかのようにたくさん面倒

を見てくれました。体調が崩れた時に、

お母さんたちは運転して病院まで送っ

てくれたり、暇な時に、私たちを連れ

て祭りに参加したり、お母さんのお家

で料理を作ったりするのがすごく幸せ

に感じさせられます。日本のお母さん

がそばにいてくれることで留学生活がもっと快適になりました。

最後に快適な留学環境を作ってくれた国際センターの先生方や係の皆さんに心より感謝

いたします。先生方のご教示を心に銘記し、学んだ知識を将来の学習や生活に生かしたい

と思っております。

「出会い」というものは本当に不思議だと感じています。大阪教育大学での留学をきっ

かけに、たくさんの人たちとの出会いがあり、多くの素敵な思い出を作ることができまし

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た。しかも、これらの思い出は過去の記念だけではなく、日本から離れても続けて頑張っ

ていく勇気になると思います。

素晴らしい出会いがあったからこそ、その時の辛い別れがあるのだと私は思います。辛

かった別れは別れではなく、出会いの始まりのではないでしょうか?国境を越えて、お互

いに心が通じ合うと、絶対また会えると信じています。

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My OKU Experience

レガヤマー・ハーシー

教員研修留学生

(平成 21 年度 フィリピン)

Who would have thought that I would willingly write about my experience in (Osaka

Kyoiku University) OKU when the first time I came here I was full of apprehensions. The place is

so different from Toyonaka and Suita shi (cities) where I studied Nihongo (Japanese language) for

six months in Osaka University.

I was shocked to find the long queue of escalators to reach the campus of OKU. I saw the

mountains surrounding the campus and an atmosphere of serenity pervaded. I was told that if I am

lucky I could see an inoshishi (wild pig) in the campus.

I couldn’t believe that I have to ride a train just to be able to do my groceries at the nearest

suupaa (supermarket) in Kokubu. On my way back, I was clueless of the ordeal I had to go through.

It was a weekend and there was no school bus, from the entrance of OKU (foot of the mountain) I

had to I climb up the mountain to reach the dorm. With all the grocery bags entwined in both hands,

and the uphill climb, I didn’t know how I made it back to my room.

At last first day of school. Aside from my previous classmates from my former university I

had to meet new people from different countries, probably as clueless as I was on what’s in store

for us in this university. I received my schedule and excited to attend the Nihongo classes.

Surprisingly, I was impressed by my first day of class. The teachers were dynamic, people were

friendly, and there were many activities here and there. I loved the energy. I finally saw OKU

coming to life!

That impression continued as I went on with my daily classes; I loved to see students

frolicking here and there during breaks; occasionally there were music played near the canteen at

lunch breaks adding to the vibrancy of the place; I loved to hear the shouts of the students from the

gymnasium doing their kendo and karate classes and also the sound of the trumpet or saxophone

coming from the extracurricular building. I was inspired to see people jogging or running around

the campus, playing tennis, practicing baseball, football, and other sports. And the best part was, I

did not feel lost in all these frenzied and bustling activities, in fact I felt at home.

Little by little I was adjusting to my new home. I found myself jogging around the field;

my friends and I would play badminton at the gymnasium. Afterwards, we would cook our own

country dishes and share them with each other. It had become a habit that by now I have learned

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many delicious recipes from my dorm mates from China, Korea, Thailand, Malaysia and Japan. We

had delicious and sumptuous gastronomic experience at the third floor kitchen of the international

students’ dormitory.

Being an international student at OKU is such a breeze. The facilities are up-to-date and

efficient. I would not forget my first visit in the library. I was simply looking for a physics journal

and I ended up on the basement full of shelves with books and journals, etc. I was still not so used

to all these automation cum hi-tech gadgets, suddenly a button was pressed and I was awed to see

shelves parting ways, slowly presenting themselves before me, there I saw an array of folders with

all the physics journals and magazines any physics enthusiast would ask for. I felt like a child let

loose in a candy shop so to speak. The dormitory room is compact yet functional and very

affordable. Canteen and Coop sell food and other items which are just within the student’s budget.

And yes the school being on top of the mountain, one can concentrate very much on his studies if

he wants to. But one can readily go to Namba, the place to shop and wander especially on

weekends which is just a good 40-minute train ride from OKU.

My physics colleagues (the undergraduates and the graduate students) were very

accommodating and supportive. Every Friday we had a reporting and my tutor would patiently

translate it to me in English. They also helped me on how to operate most of the equipment in the

physics room. I have so much respect for my sensei, Professor Kunio Koshigiri who inspired me of

his dedication, intelligence and humility. I certainly would like to adopt some of his traits as I

continue to be a physics teacher.

All these regular activities were peppered with exciting events organized by the

International Center (ISC). I will never forget the numerous field trips we had in Kyoto, Kaiyukan

(aquarium) and Amanohashidate. Soon we will be going to a three-day trip in Okinawa and sumo-

watching in Namba. In partnership with some local volunteer groups, we also enjoyed the many

mutli-cultural events like the tea ceremony, summer festival, host-family program (thanks to the

Ishida Family), kadomatsu-making, one-on-one speaking session with a volunteer (thanks to Imura

san), kimono-wearing, and a lot more. I also enjoyed the kokusai matsuri (international festival)

where I got to shout with pleasure “irasshaimase” to people cajoling them to buy my champorado,

a Filipino snack. Together with some international students we wore our traditional costumes,

while others performed song and dance numbers of their respective countries. In the end we were

privileged to wear the Japanese kimono which was a bit discomforting but very interesting and

elegant. Of course, OKU itself organized seminars and school festivals with many activities like

concerts, song and dance events, food stalls, bazaars and parties which furthermore enhanced my

stay in OKU.

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I must say that another memorable event is my experience with Mito Elementary School. I

was lucky to be part of this project where I got to teach grades 5 and 6 students, three times in

November. The experience was first-hand and such an eye-opener. I was impressed by the hard

work and dedication of the Japanese teachers and the humility and excellent sense of service of the

school principal and vice-principal. But the kids won me over by their docility and spontaneity. I

was on the verge of tears when I read their heart-warming farewell notes to me. I would like to

thank Takai sensei who gave me this opportunity and for the friendship that goes beyond the

project.

Needless to say, all my Nihongo teachers were role models of dedication and efficiency. I

must say my Nihongo improved a lot in OKU. I appreciated the lecture series on Japan which made

me understand better Japan culture. Also the school visits I had in Tennoji Campus, Ikeda High

School and Hirano Elementary School. All these made me yearn that someday my country could

attain such standard of education in a public school system.

My stay is nearing the end. I look back and remember the first days in OKU. Now I don’t

mind having to climb this mountain on foot, the occasional silence that pervades, the train ride to

do the groceries in Kokubu, all these made me a better person in mind and body. I will miss the

mountain that greets me everyday by my glass window changing hues with the changing seasons,

but nevertheless has been my constant buddy. I heard somewhere that mountains have healing

powers, and it just happened to me.

I love my OKU experience and I wouldn’t have it any other way. I will bring home with

me the academic experience, the multi-cultural exchange, the friendship that was forged. I am

grateful to the Monbukagakusho teacher training program for this wonderful opportunity.

If there is just one thing I am not so happy about is the fact that I still have to see for

myself an inoshishi....

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大阪教育大学の思い出

ディン・ティ・マイ・フォン

日本語日本文化研修留学生

(平成 20 年度 ベトナム)

ベトナムに帰ってから、もうすぐ 4 ヶ月になってしまいますが、日本に留学した 1 年間

が 4 ヶ月前の話でなく、本当に昨日の話しのようだと、いつも思っています。今ハノイに

いますが、毎朝大阪教育大学前駅に止まった電車の音、山をのぼるバスの姿、国際センタ

ーの皆様の声、授業の雰囲気、真美ヶ丘六丁目団地の近所の方々の姿はすべて目の前にあ

るような感じがしています。日本に留学した去年は本当に思い出いっぱいの1年間でした。

ベトナムからの飛行機を降りて大阪教育大学へ直行し、着いて最初の印象は正直にがっ

かりでした。ハノイに住んでいる私は山、そしてあんなに多い木に囲まれる学校に通った

ことがないから、「なんでこんな大学に留学したんだろう?」と思いました。最初の頃は、

毎日 10 分ぐらい山を登るのが大変でした。しかし、時間が経ち、慣れてきた時には、この

「光と風のキャンパス」が好きになりました。秋の紅葉、冬の雪、春の桜、夏の緑など、

日本の自然の移りかわりの全てを大阪教育大学のキャンパスから感じることが出来ました。

そして、この大学では、多くの日本人と会い、色々な日本人の習慣・文化を見ることが出

来ました。何よりも大切なのは世界の国々からの友達がたくさん出来たことです。大教大

に関して、今もっとも思い出すのは修了式です。修了式で発表した時、泣いてしまいまし

た。今考えてもちょっと恥ずかしいですが、お別れ・帰国のことを考えて、やはり寂しか

ったです。多分今発表させていただいても泣いてしまうかもしれません。

幸いに、文部省の奨学金を受けました。そのために、バイトをしてないといけない多く

の留学生より、私は経済の問題を気にしなくてもよく、毎日たくさんの時間があって、日

本の文化と日本人の習慣と日本の社会変化を自分の目で体験することが出来ました。本当

に良かったです。大学の見学旅行、そして、友達との旅行をしたり、日本人の知り合い・

ボランティアの方にこっちあっちに案内してもらったりしました。日本に来る前に本・イ

ンターネットから見たり読んだりして知っていた日本・日本人の姿が目の前にありました。

日本はきれいな国で、穏やかな国だと思っています。日本よりベトナムとベトナム人が元

気で、若者の元気さを感じることが出来ると言っている日本人も多いですが、ベトナム人

としての私は穏やかな日本の方が好きです。北海道、東京、京都、広島などといった日本

の色々な所に行っていました。あっちこっちに行って、様々なことを発見しました。例え

ば、「雪国―北海道」の特別な美しさを見、東京の忙しさを感じるようになり、爆弾を投下

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された広島の変化を見ました。行ったことがある所の中で、一番好きな所は京都です。京

都は現代的な都市ですが、伝統的な文化・建物を持っています。何回も京都に行きました

が、日本に行くチャンスがあれば、また京都に行きたいです。日本人の色々な習慣もわか

ってきました。お正月にベトナム人は親戚・友達を訪れる一方で、多くの日本人はデパー

トに行き、買い物に行くという習慣に私はびっくりしました。そして、ベトナム人のお坊

さんと違って、日本人のお坊さんが結婚でき、お肉も食べられることも面白いです。1 年

間で日本のことを全部理解できるとは言えませんが、「日本のことがよくわかりますね」と

か「日本人の感覚がありますね」と日本人の方に言われたことがあります。これは大阪教

育大学での留学のお陰で日本のことに対する私の知識が増えてきたのでしょうか。

日本に行く前に、「外国人」はどうしても「外」の人というか、非常に遠い感じがしまし

た。そのために、家族は一人でベトナム人のいない学校に留学した私のことについて色々

心配してくれました。しかし、大教大に行って、親切な方ばかりと会いました。先生方、

そして国際係のみんなさんも非常に親切にしてくれました。大阪に行った最初から、親切

にしてくれて、本当に安心しました。新型インフルエンザによる休校の時は、国際係の方

はマスクや消毒剤などを持って来てくれました。感動しました。祇園祭を見に行きたかっ

たのですが、その日はどうしてもアンケートを配らないといけませんでした。しかし、国

際センターの長谷川先生は私に祇園祭を見に行かせるために、私の代わりにそれを配って

くれて、本当によかったです。1 年間で多くの日本人にも会いました。その中では今でも

私の日本人のお母さん・お父さんだと思っている方もいます。日本のこと、日本人のこと、

また日本語を色々教えてくれて、いつもお世話してくれて、自分が外人でないという感じ

を与えてくれました。いつも心から感謝しています。日本に行って、世界からの友達と一

緒に住んでいました。外国人と一緒に住むのが大丈夫かなと心配していた私は本当にいい

外国人の友達ができ、国籍や言語を問わず、色々楽しいこと・悲しいことを全部一緒に体

験し、一緒に 1 年間の生活を送りました。今、帰国しても、ネットや電話でお互いに心を

支えています。中国人や日本人やドイツ人やアメリカ人などの友達は私の自慢になりまし

た。それに、高校生の時から、ずっと家族と離れていましたが、今回のベトナムと日本の

距離は前の距離よりもっと遠かったです。こんなに遠い場所にいるおかげで、家族の大切

さ、そして、日本にいて、いつも応援してくれている友達の大切さを感じることが出来ま

した。日本という国のおかげで、このように大切なことに気づきました。

1年間の日本での留学後、色々な日本のことが分かってきて、又、違う角度から自分の

国のことを見ることができたのは私の生活の中で大きな成長ではないかと思っています。

このような成長が出来たのは「光と風のキャンパス」の先生の方々と国際係のみんなさん

と日本人の知り合いと世界からの友達のお陰です。いつも感謝しています。又頑張って日

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本に戻り、大阪教育大学に戻りますのでよろしくお願いします。

長谷川先生と大好きな友達

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1年間の大阪教育大学で留学を思い出す

ブッダーチャック・ソムルディー

日本語日本文化研修留学生

(平成 20 年度 タイ)

この1年間の大阪教育大学で留学は、私の物事に対する思考、生活態度や将来の生き方

などのあらゆる方面において多大な影響を与えるすばらしい体験となった。私は、まず、

あまり飛行機に乗ったことがなかった。まして海外に1人で行くのが初めてで「楽しみだ

な」と「怖いなあ・・・」という気持ちでいっぱいだった。日本で一体どんな生活になる

のか、はっきりと予想することはできなかった。その当時、非常に不安感があった。ただ、

私にとって大きな挑戦だということはわかっていた。

日本での生活が始まり、私は不自由なく日本語を使う事が出来ないので、日本語を使う

のが怖くなった。しかし、優しく一生懸命教えてくださる先生や世界各国から来た留学生

たちがいるので、自信を持って日本語を話せた。大阪教育大学は私に様々な事、日本の伝

統や日本文化の面白さなどを教えてくれた。一年間、勉強のことだけではなく、勉強以外

にも、留学生としての1年間の勉強は、私に強い影響を与えた。まず、どんな困難にあっ

ても最後まで決して諦めないという信念である。それは自分の留学生活から感じたことだ

った。遠い異郷にいる留学生にとって勉強すると同時に、積極的に生活するのは非常に大

切なことだと思う。いくら苦しい状態でも諦めてはいけない。苦しいときは必ず終わると

思う。頑張ったら、何でも乗り越えられる。また、大切な留学生の友人たちである。多く

の世界中の友達と知り合うことは大変うれしかった。いろいろな国からの留学生達と毎日

一緒に勉強し、多くの違う文化を体験できたことで、世界への視野を広めることもできた

と思う。友達はただ一緒に勉強するだけではなく、私が困っているとき、苦しいとき、話

を聞いてくれたり、問題を改善の方法を考えてくれたりして非常にありがたかった。異国

の地で出会った人たちは非常に大切な人ばかりだ。

留学生としての一年間の勉強はすごく充実しており、様々な分野の事に触れることが出

来、本当に楽しかった。また、ありがたかった事は親切な先生たちのご指導をいただいた

り、時にはやる気を起こしていただいたり、まさに私が憧れていた勉強環境だった。タイ

に帰ってきてからも日本に関するものを見たり聞いたりすると釘付けになってしまった。

日本で会った人たちと別れるのがたいへん悲しく、帰る前日と当日は泣いて涙が止まらな

かった。大阪教育大学で 1 年間は本当にあっという間でまるで夢を見ていたような気がす

る。行く前は不安で仕方なかった。だか、日本へ留学してよかったと思う。タイでは絶対

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に体験できないことをしたし、自分自身の視野が広がり、大きく成長でき、自分自身が少

し強くなれた。このようなチャンスは二度とないかもしれないので、大阪教育大学留学生

での幸せなこと、楽しかったこと、苦しかったこと、辛かったことなどを大事な思い出に

し、宝物にして持っている。

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交換留学体験記

アピチャート・ガータウィー

交換留学生

(平成 20 年度 タイ テープサトリーラジャパット大学)

皆さん、こんにちは。ご無沙汰しております。

日本に留学していた一年は、あっという間に時間が過ぎてしまいました。今考えてみる

と本当に夢みたいです。やっぱり幸せな時間は早いものです。大阪教育大学に留学して、

今までの僕の人生の中で一番幸せな時間を過ごしたと思います。日本は僕の初めての海外

の旅でした。だから日本に行く前の日には「もう明日日本に留学しに行くの?」と考えも

しました。それに日本で初めて一人暮らしをしてみて楽しい事も辛い事もあったのですが、

それは僕にとってはとてもいい経験だったと思います。今は帰国してしまったのですけれ

ども、留学した時に毎日書いた日記を見るとすごく懐かしいです。

初めての日、大阪教育大学に到着して国際センターの係や留学生の先輩に大学を案内し

てもらって、盛んに歓迎してくれてすごく感動しました。その時「これから楽しい1年が

始まる。」と僕は思いました。

留学するとなると、国から離れて自分だけでいろいろやらなければならないし、最初は

留学生同士あまり親しくなかったので大変でした。日本での生活にも慣れていなかったの

ですが、特に大変だったのはタイとは違う、とても寒い日本の冬でした。冷たい冬の風に

吹かれてホームシックになったりもしましたが、2、3 ヶ月経って留学生同士と親しくなり、

グローバル香芝の方々と出会って一緒に活動をするとホームシックはだんだん無くなりま

した。日本語以外に日本の文化なども勉強できてとてもいい経験でした。僕はいろんな国

の友だちができてすごく嬉しいです。みんなと遊んだり、一緒に授業を受けたりして本当

にいい思い出でした。そんな思い出は絶対タイでも作れないと思います。更に、いろんな

国の友達との付き合いはやはりお互いの思想や考えや習慣などの勉強になりました。お互

い心を開いて話すので、みんなの日本語が完璧じゃなくても言いたいことは全部通じまし

た。そして自分の世界がもっと広くなりました。きっと将来の仕事に役に立つと思います。

半年経ってから、僕は勉強しながらアルバイトもしました。大阪難波にあるタイのレス

トランでアルバイトをして、仕事は少し疲れました。しかしただお金をもらうだけではな

く、いい経験をしたのが僕にとっては一番大切なことでした。アルバイトをすることで日

本語の勉強にもなったし、責任感も要るので自分は前より大人になった気がしました。

最後に一年間日本に留学した時の指導教員をはじめ、国際センターの先生、国際係、グ

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ローバル香芝の方々にいつも面倒をみて頂いて誠に有難う御座いました。困った時に助け

てくれた皆さんは僕の家族みたいです。皆さんのおかげで日本にいても母国に住んでいる

気がしました。皆さんと活動をして、一緒に微笑みを作った日本での一年間は宝ものです。

皆さんの微笑みはずっと僕の思い出に残っています。日本での一年間は一生忘れられませ

ん。今タイに住んでいてもずっと皆さんのことを思い出します。日本でまた皆なさんに会

えるように頑張ります。お会いできる日を楽しみにしています。

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中国留学を振り返って

小 田 芳 弘

大学院教育研究科 社会科教育専攻

(平成 20 年度 派遣留学生)

私は 2008 年 9 月から 1 年間、中国の長春にある東北師範大学に留学していました。長

春は中国東北部に位置する吉林省の省都で、過去には満州国の都である新京が置かれたと

ころです。この街には満州国時代の建物が多く現存し、大学や病院などとして利用されて

います。気候をみると、春は乾燥していて風が強く、夏は湿熱で雨が多く、秋は涼しくて

昼夜の気温差が大きく、冬は寒くて長いというように、四季がはっきりしています。東北

師範大学には 2 つのキャンパス(本部、净月校区)がありますが、語学留学生は本部のキ

ャンパスに通います。そして多くの留学生が在籍していますが、その大部分が韓国人留学

生でした。標準的な普通語を使うことができる先生が多く、また教室や図書館などの施設・

設備も整っており、中国語を学ぶ環境は整っていたと思います。

私が中国に留学した主な目的は次の 2 点です。1 点目は遺跡や博物館に足を運び、古代

墓葬に関する知見を広げることで、2 点目はそのために必要な中国語能力(特に口語と聴

力)を鍛えることでした。中国に留学する前には中国語の文献を読む機会が多かったため、

簡単な中国語を読むことはできましたが、中国語を話したり聞き取ったりすることは全然

できませんでした。だから中国留学時には、普段は大学で中国語を勉強し、長期休暇には

各地の遺跡や博物館をめぐって、中国考古の勉強をしていました。

東北師範大学での語学留学生向けの授業には必修と選択の 2 つがあり、必修は「漢語」、

「口語」、「聴力」、「閲読」といった語学の授業で、選択は「書道」、「二胡」、「太極拳」、「中

国文化」などの中国文化を学ぶ授業と、「HSK(漢語水平考試)対策」という試験対策の授

業でした。必須の語学は週に 10 コマ(15 時間)で、選択授業は、HSK 対策(週 4 コマ)

を除き、週に 1 コマでした。

語学の授業では、(当たり前のことですが、)先生の話す言葉が全て中国語であったため、

秋学期(前期)が始まったばかりの頃はとても戸惑いました。そして、先生の話を全然聞

き取れないため、講義内容がよくわからないという日々が続きました。また、中国語を話

そうにも口から言葉が出てこないため、他の外国人留学生と簡単な会話すらできませんで

した。しかし、わからないなりにも先生の言葉に耳を傾け、毎日予習と復習を続けている

と、1 か月ほどで先生の話の大部分が聞き取れるようになりました。また、同じクラスの

留学生たちと習いたての表現で話をしたり、ルームメイトや知り合った中国人たちと交流

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したりすることで、だんだんと拙いながらも中国語を話せるようになりました。そうして

勉強を続けた結果、秋学期の終わる頃には、中国語を話すことに対してある程度自信をも

つことができました。

秋学期には初級のクラスで授業に出ていましたが、春学期(後期)には中級のクラスで

授業を受けました。初級では簡単で実用的な単語や語法、表現が中心であったのに対し、

中級では難しいものが増えたため、授業についていくのが大変でした。特に聴力の授業で

は、単語や語法などが難しいだけでなく、リスニングテープの音声が速すぎたため、「看得

懂,但是听不懂(目で見たらわかるが、耳で聞いてわからない)」ということが頻繁にあり

ました。毎日テープを聞き続けることで、その速度に慣れることはできましたが、完璧に

聞き取れるということはほとんどなく、繰り返し聞いて、やっと大体の意味がつかめると

いうことが多かったです。一方、口語の方は、単語や語法などを覚えていくにつれて、色々

なことを話せたので、拙いながらも上達していたと思います。なお、この春学期には HSK

を 2 回受験し、2 回とも成績は 6 級(中等 C 級)でした。

冬と夏の長期休暇には、中国の古代墓葬に関する知見を広げるため、中国各地の遺跡や

博物館を見学してまわりました。私は古代墓葬のうち、伝統的な墓葬である「木槨墓」に

関心を抱いているので、その埋葬施設である「木槨」を実見できる博物館に足を運びまし

た。例えば広州博物館や湖南省博物館、大堡台西漢墓博物館、日照市博物館などで木槨の

実物が展示されていましたが、日本ではまず目にすることができない木槨の実物を見るこ

とができて興奮しました。さらに、その構造をじっくり観察することができて勉強になり

ました。木槨以外には、青銅器や陶器、玉器などの副葬品を見たいと思っていたので、規

模の大きな博物館を訪れ、それらを観察しました。湖北省博物館や南京博物院、虢国博物

館、陝西歴史博物館などでの展示が印象に強く残っています。

また、この冬と夏の旅行中には、一般の中国人と会話する機会がたくさんありました。

例えば列車に乗ったとき、食事をしたとき、博物館に行ったとき、ドミトリーに泊まった

とき、困難に遭遇したときなど、実に様々な場面で言葉を交わしました。それらの経験を

通して、私は「中国人はみな、日本人に対して悪いイメージをもっている」という先入観

は誤りなのではないだろうかと感じました。中国に留学する前は、今の中国人も反日感情

を抱いているだろうから、日本人に対しては良くない態度を取るかもしれないと懸念して

いましたが、幸か不幸か、私がそのような場面に出くわすことはありませんでした。私が

拙い中国語で質問すると、簡単な中国語で答えてくれ、私が困難に遭遇したときは、親切

に手助けをしてくれました。中国へ来ることがなければ、私の誤った先入観に気付かない

可能性もあったので、実際に自分の目で確かめることの大事さを再認識することとなりま

した。

最後に、この 1 年の留学では、中国に来たからこそ経験できたこと、気付けたこと、知

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り合えた人など、様々なものを得ることができました。その意味では非常に意義があった

と私は思います。この留学で得たものを今後の人生で活かしていきたいです。また、この

留学を無事に終えることができたのは、両親、大阪教育大学と東北師範大学の先生方、中

国で知り合った中国人学生や留学生たち、そして困ったときに助けてくれた中国人たちの

おかげです。みなさんには本当に感謝しています。ありがとうございました。谢谢!

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留学体験記(ドイツ)

小 嶋 和 代

教養学科 文化研究専攻 欧米言語文化コース

(平成 20 年度 派遣留学生)

留学することを決める

3 回生になり、そろそろ進路を考えなくてはならなくなった時はまだ、留学しようとは

思っていなかった。ただただ、「社会に出るのは私には早すぎる」と焦っていた。せっかく

大学に入ったのに何も身に付いていない、ロクに勉強もしてこなかった、専門であるはず

のドイツ語力は悲惨なもの。いろいろな事に挑戦してきたけれど何をしても中途半端、体

育会クラブにも所属していたが途中で辞めてしまった。私の大学生活にはつまり、「こんな

事を頑張ってきました!こんな事を学びました!」と自信を持って言える事が無かったの

だ。そんな自分が情けなかったし、何とかしなければ、といつも思っていた。

そんな頃、ドイツ語の授業で知り合った先輩に交換留学説明会が実施されるという事を

教えて頂いた。実は、私は1回生の時に交換留学を志望し選考試験を受けている。結果は

残念ながら不合格で、それ以降は留学への興味をすっかり失ってしまっていた。教えて頂

いた説明会にもあまり興味は無かったのだが、せっかくなので参加してみた。まさか本当

に留学するとはその時は思ってもみなかったが、留学先から帰国した方々は生き生きして

おり、体験談も興味深いものであった。

それから 4 ヶ月間ほど、また以前と同じように思い悩む日々が続いた。そうこうするう

ちに交換留学志望者の募集が始まり、ドイツ語の先生に「この学年からは誰も留学しない

の?」と聞かれたのだが、その時私はとっさに「私、行きます!!」と答えてしまった。

このまま悩んでいても仕方が無い。全く違う環境で、違う社会で、知らない人々の中で生

活してみよう。もしかしたら今よりは良くなるかもしれない、そう思ったのだ。

エアランゲンでの生活

留学予定期間は 2008 年 9 月~2009 年 8 月の 1 年間。エアランゲンは、ドイツ南部のバ

イエルン州に位置する小さな街だ。学生寮の 1 人部屋で、初めての一人暮らし。交換留学

生は、初めの1ヶ月程は大学主催のドイツ語集中クラスに参加し、10 月からは各自の語学

レベルに応じて時間割を決める。ドイツ人学生に混ざって学部の授業に出席しても良いが、

私の場合は十分な語学力が無かったので引き続き大学主催の語学クラスに通った。日本人

留学生とはすぐに仲良くなり、他の国からの留学生とも次第に交流が生まれた。交換留学

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生は恵まれた待遇で、自分で家を探す必要もないし、住民登録や保険加入もチューターの

方が手伝って下さるので、思っていたよりもスムーズに生活を始めることができた。

留学といえば、どのようなイメージを持つだろうか。希望に満ち溢れた、楽しく明るい

日々?私はそう思っていた。しかし実際は、1 年間の留学生活のうち約 7 ヶ月間、私は早

く日本に帰りたいとばかり思っていた。とにかく辛かった。なぜドイツにいるのか、何の

為に留学しているのか、目的を見失ってしまっていたのだ。半ば思いつきで留学を決めた

ようなものだから、当然と言えば当然の結果かもしれない。

しかし、このような状態になったのには他にもいくつかの要因がある。まず、大きな問

題は言葉の壁だ。初級と中級の間くらいの語学力だった私は、現地の人々や他国からの留

学生達とのコミュニケーションが満足にできる状態ではなかった。それは想像以上にもど

かしいものである。また、何人かで話している時に自分だけが理解できないという状況も

多々あり、それは私にとって耐え難いものであった。第二の問題は、気温の低さと日照時

間の短さである。2009 年は夏の終わりが早く、9 月末にはダウンジャケットが必要になる

ほど寒かった。また、真冬は日本(大阪)とくらべて極端に日照時間が短くなる。これは

帰国してから調べた事なのだが、人は日光に当たる時間が短くなると、セロトニンと呼ば

れる脳内神経伝達物質が減少する。それによって鬱状態になってしまうらしい。ヨーロッ

パ等の日照時間が短い地域に滞在予定の方は、寒くても積極的に太陽に当たるよう心がけ

るべきだろう。

街の中心部にある大学の校舎

悲観的なことばかり書いてしまったが、留学して良かったと今では心から思っている。4

月頃には鬱状態から回復し、残りの約 5 ヶ月間は本当に楽しく、有意義な時間を過ごせた。

エアランゲンを離れるのが惜しくて、予定していた帰国日を大幅に延ばしたほどだ。留学

生活を通して、様々なものを得たと思う。

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まず、多くの良い出会いがあった。留学しなければ出会うことも無かったであろう人々。

これからも親交を絶やしたくないと思える友人が何人もできた。また様々な人との交流に

より、今までぼんやりとしていた自分自身の価値観をはっきりと認識できた。将来に対し

ての不安が無くなったわけではないが、以前のように思い悩む状態からは脱出した。世の

中には、自分が考えもしなかった様々な選択肢があるのだ、と思えた。とにかく、出会い

に感謝した1年間であった。

これから留学する人へ

1 つ覚えていてほしいのは、「自分で自分の可能性を潰すのはもったいない」という事。

私の場合は言葉の面で、「1年間現地にいても、伸びるのはせいぜいこの程度だろう」と最

初から勝手に限界を決めてしまっていた。結果、私のドイツ語会話力はあまり伸びなかっ

た。しかし他大学から来ていた 1 人の学生は違った。ドイツに到着した時彼女はドイツ語

をほとんど知らない状態だったにも関わらず、1 年後にはほぼ不自由なくドイツ語を話せ

るようになり、専門の講義にもたくさん参加していた。現地の友人もたくさんいた。彼女

は自分で限界など決めず、必ず伸びると信じてずっと頑張っていたのだ。

自分の可能性を低く見積もってはいけない。言葉に限らず全てにおいて、当てはまる事

だと思う。

最後に

日本に帰国してからは、エアランゲンでの生活が本当に懐かしくて仕方ない。毎日ゆっ

くりと時間が流れた。あのような生活は、もう一生できないかもしれないと思う。たくさ

ん悩み、いろいろな人と話し合い、勉強し、本当に貴重な 1 年間だった。綺麗な街並みも、

街を歩く人々も、今となってはただ思い出すことしかできないのが寂しい。

私の留学生活を支えて下さった全ての方々、現地で出会った人々に、心から感謝します。

よく散歩した公園

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グリフィス大学交換留学記

岩 永 慶 子

第二部 小学校教員養成 5 年課程

(平成 20 年 度派遣学生)

昨年の 2 月から 12 月までの、約 10 カ月間、オーストラリアのブリスベンにあるグリフ

ィス大学に交換留学生として、留学しました。帰国した今、振り返るとあっという間の 10

カ月でした。オーストラリアに旅立つ前、関西空港で家族に見送ってもらった事、飛行機

の乗り換えで過ごしたシンガポールの空港で英語がうまく喋れずに困った事など、昨日の

事のように感じられます。

私が、オーストラリアのグリフィス大学で学びたいと思ったのには二つの理由がありま

す。まず一つ目は、英語が話せるようになりたかったからです。英語を使って、様々な国

の人と自分の意見を交換したり、自分の国の文化習慣を伝えたりする事はとても素晴らし

い事であると思いますし、重要なことであるとも思います。これは、オーストラリアでは

なくても達成できたかもしれませんが、オーストラリアは特に、色んな国から移り住んで

いる人達がいて、オーストラリア以外の国の文化にも触れる事ができるだろうと考えたか

らです。二つ目の理由は、交換留学に行く 3 年前に大学の短期の語学研修で、グリフィス

大学付属の語学学校で 1 カ月学び、そこでキャンパスで学ぶ、学生の生き生きとした雰囲

気に魅力を感じたためです。短期の語学研修に行く以前から、漠然と留学したい、という

気持ちはあったのですが、実際に 1 カ月語学学校に通い、ブリスベンに住んでみて、交換

留学でもっと長い期間住んで、この国で英語を学びたいという気持ちが確固たるものにな

りました。短期語学研修の 1 カ月は、交換留学につながるいいきっかけになったと思いま

す。

オーストラリアでの 10 カ月は、友達や周りの人に恵まれ、とても充実した期間になりま

した。もちろん始めは、言ってる事も分からず、自分の言いたい事も言えず、とてもくや

しい思いもしたし、もどかしい思いもしました。しかし、困った時はいつも友達が助けて

くれたし、オーストラリアの人も私がわからないとゆっくり喋ってくれたり、としたので

辛い思いをする事はありませんでした。大学の授業についていくのは、予想以上にたいへ

んでした。毎回の宿題に加えて、ネイティブと混じって授業をするので、先生の言ってる

事が聞き取れなかったり、何をする時間なのかわからなかったり、と今思うとよくあんな

状態で授業を受けていたなぁと思います。先生の言ってる事がわからない時も、周りの人

に聞いたら、親切に教えてくれるので、何事もためらわず、躊躇せずに聞く事が大事だな

66

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と思いました。セメスター1 はどうにか、周りの助けに頼りながら授業にしがみついてい

きました。セメスター2 になると、英語もだいぶ改善されてきていたので、ちょっとだけ

余裕を持って授業を受ける事ができました。私のとっていた授業に、日本の文化や歴史を

学ぶ、という授業があったのですが、日本人ではないのに私以上に日本の歴史や文化を知

っている学生がたくさんいて、日本人として、もっと自分の国の事をしらないといけない

な、と痛感しました。その授業では、日本という国が他の国からどう思われているのか、

外国では日本の文化、歴史をどう教えるのか、という興味深いものが得られたので、受講

してとても良かったと思います。

オーストラリアに留学して、もちろん、オーストラリアののんびりとして温かい文化を

たくさん知る事ができました。また同時に、日本人の勤勉さ、日本の文化の素晴らしさも、

改めて知る事ができました。オーストラリアで学んだ事をこれからの自分の仕事、人生に

活かしていけるよう、学んだ事が無駄にならないよう、自分の夢に向かって努力していこ

うと思います。

67

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平成 20 年度オーストラリア語学研修参加者の報告

オーストラリア研修での思い出

青木美月(教養学科 人間科学専攻 生涯教育論コース)

オーストラリアでの語学研修の思い出は一生の宝物です。毎日がとても充実していまし

た。そして 1 番私が感じたことが世界は 1 つだということです。多民族国家であるオース

トラリアでは様々な人種の方たちが共存しています。学校のキャンパス内や、駅やバス、

近くのスーパーなどごく自然にあらゆる文化が溶け込んでいます。それぞれが伝統を保ち

ながら、オーストラリアという 1 つの塊となって存在しています。このことは日本に住ん

でいるだけでは決して味わえなかった貴重な体験となりました。また私たちが滞在したブ

リスベンの街の中にはどこか都会的でありながらも自然が色濃く残っており、とても魅力

的な街でした。語学の面についてですが、最初は誰でも英語を話すことに抵抗を感じるし、

気持ちが億劫になりがちだと思います。ですが、二度とないこの機会にできるだけ多くの

知識を吸収して日本に帰ろうと私は思いました。ホームステイ先はとてもよい英会話上達

の場でした。自分の部屋に篭らずに積極的にリビングに出て家族の方々と会話を楽しみま

した。学校でも同じです。まずは挨拶から始めて、一緒にバスケットボールを楽しんだり、

映画やご飯を食べに行ったり、BBQ をしました。言葉は 100 パーセント伝わるわけではあ

りませんが、共に笑い、時間を共有したことで世界各国の友達を作ることができました。

最後に、英語は世界共通語です。だからこそ英語が少しでも話せたら自分の世界は大きく

広がると思います。これからも語学の勉強を続けていきます!

体験談

白川阿弓(教養学科 芸術専攻 芸術コース)

私がオーストラリア語学研修で一番良かったと思うのは、世界の友達ができたことです。

サウジアラビアやドバイの子と友達になれるな

んて思ってもいませんでした。クラスの友達と

話していると、日本にはないその国独自の文化

が分かり、毎日たくさんの発見がありました。

アラビア語や韓国語、中国語、スペイン語のあ

いさつも教えてもらいました。みんなで公園で

BBQ をしたり、授業を早く切り上げてサプライ

ズのバースデーパーティーを開いたり、初めは

68

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よそよそしかったクラスも最後にはとても仲良くなりました。1 か月という期間はあっと

いう間でしたが、中身の濃い楽しい語学研修でした。

語学研修で得たもの

桶谷有輝(中学校教員養成課程 教育科学専攻)

一ヶ月半のオーストラリア滞在で私が得たものは、英語のスキルやボキャブラリよりも、

英語を使おうとする姿勢でした。英語でないとホストファミリーや他国の留学生とコミュ

ニケーションがとれません。日本人留学生と話すには日本語でいいので、そちらのほうが

もちろん楽でしたが、それでは自分の為にならないと分かっていたし、オーストラリアに

来た意味がないと思い、英語を使うチャンスを逃さないようにしていました。

感情や微妙なニュアンスを伝えたり、読み取ったりすることは難しかったし、それがで

きないときにはストレスになることもありましたが、滞在終盤にはコミュニケーションが

楽しいと思えるようになりました。

オーストラリア体験記

松浦虎太郎(小学校教員養成課程 理数・生活系)

「どんな世界が待っているのだろう」「うまくやっていけるかな」そんな期待と不安に

胸を膨らませ、オーストラリアに旅立ちました。

僕の場合、オーストラリアで一番困ったことは、やっぱり会話することでした。「聴く」

ということが、それはそれはもうとても大変でした。聞き慣れない英単語、とても早口な

発言。いじめられているかと思う毎日でした。当然聞くことができなければ、返事するこ

ともできませんでした。全てが苦痛でした。しかし、日

が経つにつれてだんだんと慣れていきました。慣れは怖

いですね。意味がわからない単語でも意味がわかるよう

になり、早くて聞き取れなくても何が言いたいのかわか

る。そんな風になりました。

オーストラリアでは困ったことというのは、ほんの一

部でほとんどが楽しいことでした。

身近に触れ合える動物たち、ビルが立ち並ぶ街、他の国々

出身の友達、そして温かく迎えてくれた家族がそこには

ありました。

69

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新しいもの好きには飽きない1ヶ月半。

かけがえのないものが手に入る1ヶ月半。

自分に足りないものが見つかる1ヶ月半。

自分を大きく成長させてくれる1ヶ月半。

ほんの短い時間でしたが、僕の人生にとっては大きな影響を与えてくれたものになりま

した。

オーストラリアで得たもの

吉田茉由(小学校教員養成課程 教育科学系)

6 週間オーストラリアに滞在して自分が一番変

化したと思うことは、世界の国の人々を身近に感

じることができるようになったことです。普段あ

まり外国人と接する機会のない人なら、いざ外国

人と接するとなると構えてしまいます。私もそん

な一人でしたが、この語学研修を通してその意識

が変わりました。変わったきっかけは、向こうで

出来た友達でした。語学研修のクラスメイトは、

皆英語が流暢ではありません。しかし、一生懸命に自分の考えを伝えようとします。たと

え文法が正しくなくても、お互い伝えたいことは案外伝わるもので、一緒に笑いあうこと

も出来ます。私は最初、文法ばかり気にして人とのコミュニケーションも消極的でしたが、

次第に、「伝える」ことを第一に考え、積極的に話ができるようになると、英語を話す楽し

さや、「もっと英語を上達したい」と思えるようになりました。

結局 6 週間ではそれほど語学の上達はあ

りませんでしたが、英語に対する意識は確

実に変化しました。また、1 年経ってもメ

ッセージを交換し合えるかけがえのない友

人も得ることが出来ました。

私にとってオーストラリアの語学研修は、

自分が世界に踏み出す第一歩となったと思

います。この貴重な経験を糧に、これから

社会に出ても世界に目を向け積極的に国際

交流していきたいと思います。

70

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第二の故郷ができました!

伊藤麻依子(教養学科 人間科学専攻 生涯教育論コース) オーストラリアは私の第二の故郷であると密かに思っています。滞在期間はたった一ヵ

月半でしたが、ホストファミリーや友人とは一年経った今でもメールや電話のやり取りは

続いており、ホストファミリーの子供たちの写真を見ては「大きくなったなぁ」とか、「歯

が抜けた」などと成長を楽しんでいます。

また先日はサウジアラビア人の友人が日本に遊びに来てくれるなんてこともありまし

た。そのような環境の中で必然的に英語への意欲は上がりました。

英語をもっと上達させて、近々私の第二の故郷を再び訪れたいと思います。

71

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平成 21 年度 国際教育部門 活動報告

1.日本語教育

平成 21 年度に留学生のために開講した授業、及び受講者の内訳は下記の通りである。

学部留学生のための授業

学年 科目名 単位(期間) 曜日・時限 担当教員

1回生

日本語読解Ⅰ・Ⅱ

日本語作文Ⅰ・Ⅱ

日本語聴解Ⅰ・Ⅱ

2×2(前・後)

2×2(前・後)

2×2(前・後)

火・Ⅰ

木・Ⅱ

火・Ⅱ

村井巻子

長谷川ユリ

若生正和

2回生 日本語演習Ⅰ・Ⅱ 2×2(前・後) 月・Ⅲ 中山あおい

学部留学生のための授業(兵庫教育大によるEラーニング授業)

学年 科目名 単位(期間) 曜日・時限 担当教員

1回生 総合日本語演習 1(後) 集中 寺尾裕子(兵庫教育大)

教養基礎科目・専門科目(※日本人学生とともに受講できる授業)

学年 科目名 単位(期間) 曜日・時限 担当教員

1回生 日本事情

東アジア言語文化論

国際理解

日本科学技術史

2(前)

2(前)

2(後)

2(後)

水・Ⅱ

水・Ⅰ

水・Ⅱ

月・Ⅲ

長谷川ユリ

若生正和

中山あおい

城地茂

3回生 日本語教育 2(後) 木・Ⅳ 長谷川ユリ

日本語日本文化研修留学生、交換留学生のための授業

レベル 科目名 単位(期間) 曜日・時限 担当教員

中上級

日本語中上級聴解Ⅰ・Ⅱ

日本語中上級読解Ⅰ・Ⅱ

日本の社会と文化Ⅰ・Ⅱ

日本の言語と文化Ⅰ・Ⅱ

日本文化史

2×2(前・後)

2×2(前・後)

2×2(前・後)

2×2(前・後)

2(後)

火・Ⅱ

月・Ⅱ

火・Ⅲ

金・Ⅳ

金・Ⅲ

村井巻子

長谷川ユリ、間晶子

中山あおい

若生正和

城地茂

中級 日本語中級文法Ⅰ・Ⅱ

日本語中級会話Ⅰ・Ⅱ

2×2(前・後)

2×2(前・後)

木・Ⅲ

月・Ⅰ

長谷川ユリ

間晶子

初中級 日本語初中級会話aⅠ・Ⅱ

日本語初中級会話bⅠ・Ⅱ

日本語漢字Ⅰ・Ⅱ

2×2(前・後)

2×2(前・後)

2×2(前・後)

月・Ⅲ

水・Ⅰ

金・Ⅱ

長谷川ユリ

長谷川ユリ

若生正和

日本文化研究 2 (前・後) 指導教員

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教員研修留学生のための授業(補講)

科目名 曜日・時限 担当教員

教研生用日本語

教研生用授業

月・Ⅱ、火・Ⅱ、火・Ⅲ

水・Ⅱ(前)

長谷川ユリ、間晶子、井ノ口智佳、

中山あおい

前期受講者数(実数) 後期受講者数(実数)

身分 人数

学部生 20

研究生 1

研究留学生 1

教研生 4

日研生 7

交換留学生 29

計 62

2.修了レポート発表会

平成 21 年度も、教員研修留学生、研究留学生、日本語日本文化研修留学生、交換留学生の

勉学・研究の集大成として「修了レポート発表会」を行った。前期・後期それぞれ、優れた発

表を行った学生を3名選び、修了式において表彰した。

前期 2009/8/4

9:00 ~ 17:00

日研生 7

交換留学生 20

後期 2010/2/2

13:00 ~ 17:00

教研生 4

研究留学生 1

交換留学生 7

身分 人数

学部生 15

研究生・科目等履修生 2

研究留学生 1

教研生 4

日研生 3

交換留学生 25

計 50

73

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3.英語による授業 (Lecture Series on Japan)

英語による授業は、主に教員研修留学生のため平成 18 年度より開講された。今年度は前期

10回、後期 12 回にわたって行われた「オムニバス形式」の授業内容は以下の通りである。

No. 実施日 担当教員 テーマ

1 4/21 中山 あおい Field Tour in the Library

2 4/28 長谷川 ユリ Festivals in Japan

3 5/12 若生 正和 The First Japanese/Korean Bible: Who Helped the Translators?

4 5/26 向井 康比己 Field Tour in the experimental farm

5 6/2 戸田 有一 Intervention for School Bullying 1: western and eastern approaches

6 6/16 戸田 有一 Intervention for School Bullying 2: western and eastern approaches

7 6/23 松本 マスミ Language and Plants

8 6/30 吉田 晴世 Podcasting and EFL Learning in Japan

9 7/7 赤木 登代 A History of Women in Japan

10 7/21 永田 元康 Computer and Database

11 10/6 デビッド・ブロ

ック(ロンドン大学) A Reflection on Globalization and English Language Teaching

12 10/13 馬 曉華 Asia and the United States in a Global Era

13 10/20 中山 あおい School Visit at the attached Schools in Tennoji

14 10/27 谷口 一美 How Communication works

15 11/10 水野 治久 Guidance and School Counseling in Japan

74

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No. 実施日 担当教員 テーマ

16 11/17 米川 英樹 Teacher Education in Japan

17 11/24 城地 茂 “Wasan” Mathematicians, Technocrats and Samurai

during the Edo Period in Japan

18 12/1 横井 邦彦 An Introduction to Analytical Chemistry

19 12/8 安部 文司 Why did the Black Ships come to Japan?

20 12/15 入口 豊 Japanese and Sports

21 12/22 小松 孝至 A Psychological Inquiry into the 'Gitai-go' in the Japanese language

22 12/16 中山 あおい Intercultural Education in Japan

4.交換留学

平成 21 年度の受入・派遣の実績は以下の通りである。

受入

中国 4

25 名

韓国 11

台湾 3

タイ 1

アメリカ 2

フランス 3

ドイツ 1

派遣

中国 1

11 名

韓国 1

タイ 2

アメリカ 3

ドイツ 1

スウェーデン 3

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5.語学研修・文化研修 平成 21 年度は、アメリカとオーストラリアで語学研修を実施した。また、文化研修は、こ

れまでにも行ってきたタイに加え、韓国と台湾でも初めて実施した。

研修先 大学名 研修期間 参加者数

ア メ リ カ University of North Carolina Wilmington 2009/8/25 ~2009/9/27 13 名

オーストラリア Griffith University 2010/2/16~2010/3/28 17 名

タ イ Chiang Mai Rajabhat University 他 2009/8/6~2009/8/23 5 名

韓 国 大邱韓医大学 2009/8/17 ~2009/8/23 10 名

台 湾 国立台北教育大学 2010/3/1~2010/3/10 2 名

76

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0

5

10

15

20

25

30

35

4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月 1月 2月

その他

チューター

生活

宿舎

健康

授業料・授業料免除

奨学金

進路(就職)

進路(進学)

勉学・研究

0

5

10

15

20

4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月 1月 2月

その他

チューター

勉学

語学研修

交換留学・留学

6.オフィスアワー相談件数(平成 21 年 4 月~平成 22 年 2 月)

(1) 留学生

(2) 日本人学生

77

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平成 21 年度 国際事業部門活動報告

1.第 4 回東アジア教員養成国際シンポジウム

2009 年 12 月に日本・韓国・中国・台湾が参加する「東アジア教員養成国際コンソーシ

アム」(International Consortium for Universities of Education in East Asia、以下「国際コンソー

シアム」ICUE と呼ぶ)が結成されたが、これに先立ち、各国から教員養成系の大学が集

い、国際シンポジウムを開催してきた。そして本年度、第 4 回東アジア教員養成国際シン

ポジウムが大阪教育大学を中心に京都教育大学・奈良教育大学の主催で開催された。

シンポジウムは 2009 年の 11 月 14、15 日の 2 日間、初日は本学柏原キャンパス、2 日目

は大阪市内のホテル大阪ベイ・タワーを会場として行われた。参加大学は中国から 9 校、

韓国から 10 校、台湾から 1 校、そして日本から主催校も含めて 13 校であった。共通テー

マとして、「教師教育の質の向上と高度化に向けた今日的課題」を掲げ、3 つのセッション

1.「教師教育の質の向上と高度化に向けた今日的課題」

2.「教師教育における質的保証の内容とシステムについて」

3.「教師の継続教育をめぐる今日的課題」

に分かれて、それぞれの国・地域から 3 校ずつが発表した。

大学における教員養成カリキュラムやその問題点、改善事例、そしてさらなる改善計画

の紹介から、継続教育の実践事例、今後の展開、そして国際コンソーシアムにおける活動

提案にまで活発な討議が行われた。

こうした討論に加え、このシンポジウムは各大学の総長・学長が一同に会する機会であ

り、「学長フォーラム」も開かれた。満場一致でシンポジウムの継続を議決したが、主催大

学の経費の問題、使用言語の問題が浮き彫りとなった。

本学で行う初めての大規模な国際シンポジウムであったが、熱意あふれる発表と質疑応

答が行われ、成功裏に閉幕した。「学長フォーラム」の議決通り、来年度は、北京師範大学

での開催が決定し、国際事業部門では引き続き、積極的に参画する予定である。

学長フォーラム 東アジア教員養成シンポジウム

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2.アフガニスタン教員養成支援プロジェクト

アフガニスタンの復興は国際社会の注目集めているが、テロ行為が相次ぎ、治安は日々

悪化している。本学では日本の国際協力支援活動に教育面で寄与すべく、アフガニスタン

に対する教育支援活動を実施している。2006 年にアフガニスタンの教育省教員養成局とカ

ブール教育大学と交流協定を結び、これまで 2007、2008 年の 2 回、カブール教育大学から

教員を招いて、理科教育の短期研修を実施している。

今年度は、アフガニスタンの要望を再確認して教育支援の充実を図るべく、カブール教

育大学の新任学長を招いた。2010 年 1 月 7 日から 11 日にかけてハミザイ(Amanullah

Hamidzai)学長が来日された。

アフガニスタンで必要とされているのは、特別支援教育と理科教育という事であった。

テロなどの暴力行為以外にも医薬品の欠乏から、心身に障害を残す児童・生徒が多く、彼

らの自立のための教育は、焦眉の急である。また、理科教育のための実験器材、試薬の欠

乏も深刻な問題である。そこで、本学では、こうした物質的支援を行うことで、合意が得

られた。

しかし、何より必要とされているのは人材である。アフガニスタンでは、大学卒業と同

時に大学で教職に就くことが多く、こうした若手教育者の大学院教育が必要である。その

ため、本学としてもこうした方面での支援を模索中である。また、すでに大学教員となっ

ている中堅以上の教育者に対する短期研修も必要であり、この方面では、本学としても支

援が可能だろう。

また、ハミザイ学長は、アフガニスタンの教育について講演をされ、アフガニスタンの

現況を英語で紹介した。その後、アフガニスタン復興支援について、活発な討議がなされ

た。

理科教育を見学 ハミザイ学長の講演

79

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3.国際交流関係来学者(団体)一覧

日程 来学団体 国名 人数

2009/4/21 中国教育関係者代表団 中国 28

2009/6/12 JICA 研修員 アフガニスタン 7

2009/6/24 Perkins, Adrienne B.、ジョージア州立大学 米国 1

2009/6/26 ECU 関係者 米国 15

2009/7/22 ECU 関係者 米国 3

2009/9/25

2009/12/4

ガナップ フィクトリウス

インドネシア芸術大学上演芸術学部 インドネシア 1

2009/9/28

2009/9/30

エアランゲン・ニュルンベルク大学

アッカーマン教授 ドイツ 1

2009/10/2 同済大学 黄暁潔 中国 1

2009/10/17

2009/11/16

Galini Rekalidou,School of Sciences in Pre-School

Age Education, Democritus University of Thrace,

Alexandroupolis

ギリシャ 1

2009/10/23 東北師範大学関係者 中国 2

2009/11/4 同済大学関係者 中国 3

2009/11/9

2010/8/6

デイビッド・スクワイヤーズ

アイダホ州立大学 教育学部 教育心理学・リテ

ラシー・障害児教育学科 准教授

米国 1

2009/11/13

2009/11/15 東アジア教員養成国際シンポジウム 中国、韓国、台湾 52

2009/11/17 光州教育大学 学長ほか 韓国 3

2009/11/20

2009/11/23 北京師範大学関係者 中国 4

2009/11/24

2009/12/18 JICA 研修員

ベナン、ブルキナファソ、ニジ

ェール、ルワンダ、セネガル 14

2010/1/6

2010/1/11 カブール教育大学 ハミザイ学長 アフガニスタン 1

2010/1/19 ソウル教育大学関係者 韓国 12

2010/1/20 大韓民国 訪問調査団 韓国 9

2010/1/28 大邱韓医大学 崔英淑教授 韓国 1

2010/2/5 JICA 研修員 フィリピン 16

80

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日程 来学団体 国名 人数

2010/2/19

2010/2/22 エアランゲン・ニュルンベルク大学関係者ほか ドイツ、スイス 3

81

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平成 21 年度 国際センター行事

平成 21 年度 新入生オリエンテーション・歓迎会

前期 平成 21 年 4 月 6 日(月)

後期 平成 21 年 10 月 5 日(月)

平成 21 年度 4 月、10 月の入学者に対するオリエンテ

ーションを、教養学科棟 1 階の会議室で開催しました。

これは、新入生に対して留学生活や大学生活全般にわた

って案内を行うもので、今年の新入生は、右表のとおり

55 名でした。

向井国際センター長の歓迎あいさつにはじまり、日本

語の授業や図書館の利用方法、資格外活動、国民健康保

険、奨学金に関すること等について説明を行いました。

夕方からは、指導教員や先輩留学生を交えた歓迎会が

開催され、新入生の自己紹介、教員・先輩の紹介等を行

いました。和やかな雰囲気の中で互いに交流し、新入生の緊張もいくぶんかほぐれた様子

でした。

中国教育関係者代表団が来学

平成 21 年 4 月 21 日(火)

外務省「21 世紀東アジア青少年大交流計画」の一環として、中国教育関係者代表団 28 名

が来学しました。

当日は施設見学の後、懇談会を行いました。懇談会では、向井康比己国際センター長と

馮琦琳団長の挨拶、長谷川ユリ教授による大学概要と学生交流状況の説明に続き、宮野安

区分 前期 後期

学 部 生 6 -

大学院生 13 -

教 研 生 4 -

日 研 生 - 3

研究留学生 - 1

特別聴講学生 8 18

研 究 生 2 1

計 33 22

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治教員養成課程長による教員養成システム等に関する説明が行われ、その後、大学の管理

運営体制や大学評価、日本の道徳教育等について、活発な意見交換が行われました。

春の新入生歓迎行事(日帰りバスツアー)

-京都、金閣寺・嵐山・八つ橋庵を訪ねる-

平成 21 年 5 月 15 日(金)

前期新入生のための歓迎行事として、「京都、金閣寺・嵐山・八つ橋庵」を訪ねる日帰

りバスツアーを実施し、留学生 54 人と日本人学生チューター13 人が参加しました。

この日は天候にも恵まれ、一日を通じて初夏の陽気が感じられる絶好の旅行日和でした。

日本について間もない留学生は金閣寺をはじめとする文化遺産に目を見張り、先輩の留学

生や日本人学生と一緒にお互いにポーズをとりあい、親交を深めている様子でした。

昼食では、初めて日本料理を口にする留学生もおり、料理の一つ一つに興味津々といっ

た様子で口に運んでいました。嵐山の散策を楽しんだ後、八つ橋庵で「生八つ橋」作りに

挑戦し、出来上がった三色の八つ橋を手土産に、満足そうに帰路につきました。

留学生による無料語学教室(Language Table)

第 7 回: 6 月 8 日(月)~ 8 月 6 日(木)

第 8 回:11 月 9 日(月)~12 月 24 日(木)

本学で学ぶ留学生と日本人学生の交流促進を目

的として、平成 19 年にスタートした「留学生によ

る無料語学教室」も、今年で 3 年目を迎えました。

第 7回・8回目の受講生は計125名と大盛況でした。

講座認知度が徐々に高まるなか、今年度は本学職

員にも受講の場を開放し、職員・学生・留学生が

外国語をとおして交流を深めました。教室は和や

かな雰囲気で進められ、言語学習のほか若者言葉

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や流行事情など、留学生の目線で語られる各国の最新情報に、毎回感嘆や笑い声が絶えま

せん。留学生にとっても貴重な経験となる本講座。今後も多くの日本人と留学生の架け橋

となるべく、継続していけたらと願っています。

米国イーストカロライナ大学(ECU)一行が来学

平成 21 年 6 月 26 日(金)

イーストカロライナ大学(ECU)のタッカー教授、同大学教育学部学生及び地元で現職

教員を勤める一行 15 名が、本学附属学校及び柏原キャンパスを訪問しました。

現職教員の教育研修を目的とした今回の訪問では、午前中に附属天王寺小学校を視察し、

八木義仁副校長等による同校紹介のあと授業見学・給食体験を行い、午後は柏原キャンパ

スにおいて、大学紹介・意見交換会が開催されました。

意見交換会では、中西修一教授(教職教育研究開発センター)等から、最新の日本教育

制度等が紹介され、ECU 訪問団からは、我

が国の最新教育事情、教員養成に関わる日

米比較、学校における保護者とのあり方に

ついて等、様々な質問が寄せられ、活発な

議論に終始しました。

一行はその後附属図書館を訪問し、展示

された歴代教科書をじっくり観察した他、

係員による日本古来の雅楽器「篳篥(ひち

りき)」の音色に耳を傾けていました。

留学生向け大学案内を作成

平成 21 年 7 月

今年度の新たな取り組みとして、留学生の募集に特化した「留学生向け大学案内」を作

成しました。これは日本国内の開催されている進学説明会や韓国及び台湾で開催される日

本留学フェアで興味ある学生に配布し、本学の魅力を積極的にアピールする目的で作成し

たものです。

各課程・専攻のアドミッションポリシーや求める学生像だけでなく、国際センターの紹

介や Q&A、留学生生活の紹介、キャンパスマップなど、在籍している留学生や日本人学生

が多数登場し、勉強や生活に関するコメントを掲載することで、本学の魅力ある留学生活

を紹介しています。

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この冊子は、まず国内の進学説明会用として日本語版を作成し、完成した日本語版に基

づいて、各国語版を並行して作成しました。従って、短期間で中国語繁体字、韓国語、英

語の 3 カ国版を作成することができました。なお、写真については吉田国際係長が撮影を

担当しました。

オープンキャンパス

平成 21 年 7 月 26 日(日)

今年も開催された「オープンキャンパス」で留学生向けの受験説明会を開催し、近畿圏

の日本語学校等から留学生 43 人、留学等を希望する日本人受験者 34 人の参加がありまし

た。

また、留学生には、1 人 1 人に在籍留学生がチューターとなって、本学への進学を希望す

る留学生に対して大学内施設の案内や説明会の通訳補助等を行い、活躍しました。

留学生向けの全体説明会では、本学の特色や施設、行事、留学生支援についての説明の

他に、私費外国人留学生試験に関する受験資格や入学試験、注意事項についての説明が行

われました。その後、先輩留学生として、大学院自然研究コースの范暉さんが教養学科芸

術専攻の金美蘭さんが本学の良さや体験談を語ってくれました。

並行して開催されていた交換留学や語学研修に興味のある日本人受験生に対しても「留

学相談」を行い、盛況のうちに全日程を終了しました。

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日本文化を楽しむ会 -プロ野球観戦-

平成 21 年 8 月 5 日(水)

留学生が日本事情・日本文化にふれる一環として、京セラ

ドームで日本のプロ野球を観戦しました。試合は、オリック

ス対楽天のナイター戦、25 名の留学生が参加しました。

日本では、国民的スポーツの一つとされる野球ですが、留

学生にとっては、今回が初めての観戦だったり、そのルール

をよく知らないという者も中にはちらほら。京セラドーム独

特の外観と場内の応援の熱気、そしてプロの選手たちの好プ

レーを目の当たりにし、野球観戦を満喫した夏の夕べでした。

台湾・韓国留学フェアに参加

台湾 平成 21 年 7 月 18 日(土)~19 日(日)

韓国 平成 21 年 9 月 12 日(土)~13 日(日)

海外において日本へ留学を希望している者及び進学指導者

を対象に、日本学生支援機構(JASSO)が主催する日本留学

フェアに「台湾(高雄・台北会場)」と「韓国(釜山・ソウ

ル会場)」を選び本学の広報活動、リクルーティングを行い

ました。

留学フェアには、日本の各大学等高等教育に関する最新の

情報が一堂に会するとあって、オープニング前から長い列ができ、各会場とも 1 日で 3、000

人を超える入場者がありました。本学ブースにも人の波が途切れることなく、通訳を交え 3

名体制で本学の PR、大学院・学部の概要説明を行い、また個々の質問に答えました。来場

者は、関心ある大学の教育・研究上の特色を事前によく調べており、入試や入学後の生活

面、受入れ体制等について説明を受けていました。

なお、「留学生 30 万人計画」政策を見据え、各大学とも案内資料やブース、大学グッズ

等に工夫を凝らしており、本学も今回リニューアルした「留学生向け大学案内」が大好評

でした。

留学生向け就職支援ガイダンスを開催

平成 21 年 9 月 29 日(火)

9 月 29 日(水)に留学生向け就職支援ガイダンスを開催しました。政府が推進する「留

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学生 30 万人計画」の大きな柱として、就職支援を積極的に推進することが打ち出されてお

り、本学としても初めての試みとして開催しました。

日経就職ナビを運営している株式会社ディスコの中川浩一氏を講師としてお招きし、日

本での就職活動の基礎知識や留学生特有の問題点等について講演していただき、その後は、

本学卒業生 1 名と就職内定者 2 名による体験談パネルディスカッションを行いました。

参加した 15 名の留学生からは「留学生にとって

日本の就職活動は非常に厳しいと感じた、早くか

ら取り組みたい。」「先輩の体験談に非常に勇気

づけられた。」「留学生特有の情報がほしかった

ので良かった。」といった感想が寄せられました。

国際センターでは、今後も就職支援実施委員会

と協力し、このような取り組みを継続して開催し

ていく予定です。

ロンドン大学デビッド・ブロック教授による講演会を開催

平成 21 年 10 月 6 日(火)

10 月 6 日(火)、本学が学術交流協定を締結しているロンドン大学から、デビッド・ブロ

ック教授(教育学博士)をお迎えして特別講演会を開催しました。ブロック教授は、現在

ロンドン大学教育研究所文化・教育学部に所属され、グローバル化とその社会的・社会言

語学的・教育学的影響、言語学習とアイデンティ

ティの相互関係など、言語活動に係る様々な事例

について研究されています。

当日は、本学学生をはじめ学内外で英語教育に

携わる約 50 名の参加者を前に、『グローバル化

と英語教育に関する考察』と題したテーマで約

60 分間ご講演いただきました。参加者は、ブロ

ック教授の考察に熱心に耳を傾け、講義の後には

活発な質疑応答が行われました。

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秋の新入生歓迎行事(日帰りバスツアー)

-大阪「海遊館」と「サンタマリア号」を訪ねて-

平成 21 年 10 月 21 日(水)

後期新入生のための歓迎行事として、大阪「海遊館」と「サンタマリア号」を訪ねる日

帰りバスツアーを実施しました。留学生 38 人と日本人学生チューター19 人に加えて、タイ

王国地域総合大学からの短期受入留学生 7 名も参加しました。

午前中の授業が終わってすぐにバスで出発し、車内でお弁当を食べながら現地へ移動。

まず、世界最大級の水族館「海遊館」を訪ねました。留学生たちは、最大長 34m、深さ 9m、

水量 5、400m³という巨大水槽「太平洋」に驚き、その中で世界最大級の魚「ジンベイザメ」

や「マンタ」、「クロマグロ」が悠々と泳ぐ海さながらの光景にじっくりと見とれていま

した。

その後、天保山ハーバービレッジから出航する観光遊覧船「サンタマリア号」に乗船し、

大阪ベイエリアをクルーズしました。「サンタマリア号」は、コロンブスがアメリカ大陸

発見のときに使っていた船の名前で、今回乗船した「サンタマリア号」は、コロンブスの

サンタマリア号の約 2 倍の大きさで復元された観光船です。約 50 分の遊覧では、「ユニバ

ーサルスタジオ」や「ATC」、「WTC」、日本最長のトラス橋「港大橋」といった大阪ベ

イエリアの名所を巡りながら、留学生と日本人学生が楽しそうに交流を深めていました。

この行事は、新入学の留学生が日本人チューターや他の留学生と交流を深めることで、

孤立化を防ぎ充実した留学生活を送ることを目的として実施しています。

留学生見学旅行

-京都「天の橋立」と但馬「出石」を訪ねて-

平成 21 年 10 月 30 日(金)~31 日(土)

留学生の文化研修として、国際センター恒例となる留学生見学旅行を今秋も実施しまし

た。今回の行き先は京都「天の橋立」と但馬「出石」、留学生 65 名に引率 4 名を加え、69

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名でバスに乗り込みました。初日最初の訪問先は日本三景として名高い「天の橋立」。智

恩寺散策後、天橋立観光船でカモメの群れと戯れながら笠松公園へ。大はしゃぎでケーブ

ルカーとリフトに分かれ、展望スポットを目指します。言わずと知れた名所ですが、留学

生の間では案外知られておらず、名物「股のぞき」に見よう見真似で挑戦し、天に架かる

橋のような絶景を見て驚きの声をあげていました。この日は秋の晴天に恵まれ、天にかか

る橋が綺麗に一望できました。空に架かる橋…留学生の心に深く刻まれたことでしょう。

続いて一行が向かうのは伊根の舟屋。全国初の重要伝統的建造物群保存地区に指定され

た同湾の海面すれすれに立ち並ぶ民家、舟屋。夕日を背に湾内を静かに巡る船の中、悠然

と広がる景色にしばし時間を忘れる留学生たちでした。

二日目の見学先は但馬「出石」です。出石城の城下町として栄え、整備された町割が碁

盤の目状であることなどから、但馬の小京都とも呼ばれています。学生たちは大手前通り

から辰鼓楼を眺め、出石城跡を始めとする歴史的町並みを早足で散策しました。1 泊 2 日の

文化研修を締めくくるのは、出石と言えばの蕎麦打ち体験です。蕎麦屋さんの指導を仰ぎ、

4 人 1 グループで四苦八苦しながらソバを打ち…ソバ粉まみれの笑顔が印象的でした。テー

ブルを飾るひとり 5 枚の皿蕎麦、正真正銘手打ち蕎麦のお味は…?学生たちの朗らかな表

情が物語っていました。

たっぷり日本文化に触れる 2 日間。新たな学びとともに、本研修は、留学生同士の絆を

深める意味でも大切な役割を担っています。

柏原市民に講演

-異文化の暮らしを学習しよう-

平成 21 年 6 月 17 日(水)

平成 21 年 10 月 28 日(水)

毎年 2 回、柏原市が主催している市民向けの国際理解のための講座に、本学の留学生を

講師として派遣しているが、今年度は、6 月にカンボジア編、10 月に中国・内モンゴル編

が開催され、日本語・日本文化研修留学生のホック・ウォッターさん、教養学科健康科学

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専攻 4 回生のチリムゲさんがそれぞれ講師を担当しました。

2 回とも 35 人を超える市民が集まり、それぞれの出身地の文化や歴史、人々の生活につ

いて説明する本学の学生の話に熱心に耳をかたむけてくださいました。参加者からは、「カ

ンボジアといえばアンコールワットしか思いつか

なかったが、生活、宗教、教育などいろいろな様

子が分かって勉強になった」「中国のモンゴル民

族の文化や言語について新たな認識ができた」「日

本語が上手でわかりやすかった」などの感想がよ

せられ、大変好評でした。

第 4 回東アジア教員養成シンポジウムを開催

平成 21 年 11 月 14 日(金)~15 日(日)

大阪教育大学柏原キャンパス及び大阪市内において第 4 回東アジア教員養成国際シンポ

ジウムが開催されました。

本シンポジウムは、日中韓の教員養成系大学により、東アジアにおける教員養成の現状

と課題について討議することを目的とするもので、本年は、「教師教育の質の向上と高度

化に向けた今日的課題」をテーマとし、大阪教育大学、京都教育大学及び奈良教育大学の

共同主催により開催され、中国 10 大学、台湾 1 大学、韓国 10 大学、日本 13 大学から延べ

170 名の参加がありました。

シンポジウムでは、冒頭、位藤京都教育大学長から開会の挨拶、長尾大阪教育大学長か

ら「日本における教員養成の新しい動向と課題」について基調講演があり、引き続き、各

国の大学から教員養成の質の向上・高度化、質的保証の内容とシステムなどについて 2 日

間にかけ発表があり、参加者との間で活発な意見交換が行われました。

最後に、長友奈良教育大学長から閉会の挨拶があり 2 日間にわたるシンポジウムは大盛

況の内に終了しました。来年は北京師範大学で開催される予定です。

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留学生後援会から留学生に奨学金が授与

平成 21 年 11 月 18 日(水)

大阪教育大学留学生後援会 2009 年度奨学金贈呈式が 11 月 18 日(水)に開催され、12 人の

私費外国人留学生に 1 人 18 万円(月額 3 万円 6 ヶ月分)の奨学金が授与されました。今年

度は、冠奨学金 5 人分と合わせ、過去最多の 12 人に奨学金が贈呈されました。

奨学生代表として挨拶した学部 4 回生のリーチェンハンさん(マレーシア)からは、「経

済不況で援助が必要な時に奨学金を与えてくださった皆様に心から深く感謝しておりま

す。この奨学金のおかげでこれからも留学生生活を続けていく勇気

が持てました。もっと勉強に励んで、頑張っていきたいと思います。

本当にありがとうございました。」と感謝の言葉が述べられました。

留学生後援会は、留学生への経済的支援、地域との国際交流活動

促進を目的として、本学教職員及び地域の支援団体等により構成さ

れた組織で、平成 15 年度から毎年、留学生に対し奨学金を授与して

います。今後もこの制度の拡充を目指し支援の輪を広げていく予定です。

冠奨学金提供者・提供団体

大阪柏原ロータリークラブ

国際ソロプチミスト大阪-柏原

柏原ライオンズクラブ

大阪教育大学生協

大阪教育大学職員 OB

第 4 回かしわら国際フェスティバルを開催

平成 21 年 12 月 12 日(土)

大阪教育大学と柏原市との共催により「第 4 回かしわら国際交流フェスティバル-世界

とふれあう喜び、ここにあります!-」を 12 月 12 日(土)、JR 柏原駅前にある柏原市立

市民プラザ「アゼリア」で開催しました。

この事業は、大阪教育大学と柏原市のさらなる国際化を推進するため、柏原市在住の外

国籍住民の方や大阪教育大学に在籍する留学生が市民と交流を図り、相互の異文化理解、

国際理解に寄与することを目的としているもので、4 回目となる今年は約 600 人の来場者が

あり、留学生が中心となって自国の文化や料理を紹介しました。

今回は、会場であるアゼリア 6 階でメインステージとふれあいコーナーを設定し、1 階の

屋外テントで料理ブースを展開しました。メインステージでは、本学吹奏楽部によるオー

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プニング演奏に始まり、柏原市の岡本市長によるご挨拶を頂いた後、まどか保育園園児に

よる歌と演奏、留学生より民族衣装の紹介、中国・アメリカの歌、マレーシア・テコンド

ーショー、着物着付けなどが披露されました。また市民のゴスペル隊によるゴスペルソン

グが歌われ、最後に本学「いちゃりばちょーでーエイサー隊」による沖縄の伝統芸能エイ

サーで締めくくられました。

ふれあいコーナーでは、市民の方々と留学生が一緒になって、韓国の折り紙や双六(すご

ろく)で遊んだり、台湾の正月飾り「シュンレン」の作り方や疲労回復マッサージを体験し、

大人から子どもまでが幅広く異文化にふれる空間が用意されました。また、留学生の描い

た絵画や世界各国の写真が展示されている部屋で世界のお茶やお菓子が楽しめる「Art &

Cafe」が設置され、会話をはずませました。

1 階の料理ブースでは、チョコフルーツ(ドイツ)、情熱おでん(中国)、グリーンカレ

ー(タイ)、フレンチトースト(フランス)、フィリピン風おはぎ(フィリピン)、チヂ

ミ・トッポキ(韓国)といった 6 カ国 7 種類の料理が提供され、多くの方々が各国の自慢

料理に舌鼓を打っていました。

市民の方々と留学生がふれあい、多様な文化を身近に体験し、「世界とふれあう喜び」

を感じる一日となりました。ご協力いただきました団体様、ボランティアの皆様には厚く

御礼申し上げます。

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門松づくり シニア CITY カレッジ主催

平成 21 年 12 月 16 日(水)

12 月 16 日(水)、シニア CITY カレッジ(NPO 法人シニア自然大学校)の皆さんが本学に

来てくださり、留学生に門松作りの体験をする機会を提供してくださいました。製作過程

ではかなりの部分をカレッジの方に手伝っていただいた学生も少なくなかったようです

が、それでも自分でのこぎりをひいて竹を切ったりと、大奮闘していました。交流会後は、

それぞれ自分で作った門松をうれしそうに持ち帰りました。製作指導のみならず、材料ま

でそろえ準備してくださったシニア CITY カレッジの皆さん、ありがとうございました。

第 3 回京都教育大学・大阪教育大学タイ国帰国留学生の会

平成 22 年 1 月 23 日(土)

京都教育大学との共催でタイ国帰国留学生の会(同窓会)をタイ国バンコク・アンバサ

ダーホテルで開催しました。これは、関西の教員養成系学部を持つ 5 大学(大阪教育大学・

京都教育大学・滋賀大学・兵庫教育大学・和歌山大学)とタイ国・ラジャパット地域総合

大学(RU)による学生交流協定に基づき日本へ留学していたタイ人学生の同窓会として、

京都教育大学が中心となって、ほぼ毎年開催しているもので、大阪教育大学との共催とし

ては第 3 回となります。

本学からは向井康比己国際センター長、若生正和国際センター講師、吉田憲市国際係長

が出席、京都教育大学からは位藤紀美子学長、武蔵野實理事、堀内孜教授、佐々木真理准

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教授が出席しました。各地から集まった同窓生らは久しぶりに会って旧交を温めたり、懐

かしい恩師と再会して近況を報告しました。

また、今回の訪問に併せて、スアンスナンタ RU とアユタヤ RU にも訪問し、今後の学生

交流や学術交流について活発な意見交換を行いました。

留学生見学旅行

-沖縄「美ら海水族館」と「首里城公園」他を訪ねて-

平成 22 年 2 月 9 日(火)~11 日(木)

まさかの夢の「沖縄」旅行が実現しました。今回の企画には、多くの留学生が歓喜の声

を上げ、申込日には大勢の人が殺到しました。

最大の難関は、集合時間が関西空港・朝 7 時ということでした。通常の公共交通機関を

利用していては、始発に乗っても間に合わない可能性が高かったため、留学生寮前からバ

スをチャーターして関西空港まで走らせました。おかげで当日は、スムーズにチェックイ

ンすることができ、全員が無事に飛行機に乗ることができました。

約 2 時間のフライトで那覇空港へ到着。多くの留学生の第一声は「あつい~!」でした。

大阪とは違って、暖かく過ごしやすい気候に留学生だけでなく、引率の教職員も興奮気味。

昼食後、「琉球村」で伝統的な家屋や工芸品、踊りなどを見学し、迫力あるハブ(へび)

とマングースの 3D 決闘ショーを楽しみました。初日の宿泊は海に面したリゾートホテル。

部屋の窓から眺める東シナ海のサンセットには、多くの留学生がうっとりした様子で、美

しい光景を写真に残していました。

二日目は、沖縄きっての景勝地「万座毛」、パイナップルのテーマパーク「名護パイナ

ップルパーク」、世界最大級の大型水槽を有する「美ら海水族館」、世界遺産としても有

名な琉球王国の象徴「首里城公園」を見学しました。「美ら海水族館」の巨大水槽で泳ぐ

ジンベイザメとエイの様子は何時間見ていても飽きることがない様子で出発時間が少し遅

れてしまったほどでした。また、「首里城公園」では、中国の影響を強く受けている建築

様式に興味津々で見学していました。宿泊は沖縄市内のメインストリート「国際通り」に

面したシティホテルでしたので、沖縄の名物料理店や土産物店へのアクセスも良く、夕食

は各自で沖縄の食文化を堪能した様子です。

本土とは違った沖縄の自然や伝統文化に触れることができ、沖縄の人の優しさにもふれ

ることができた旅行でした。3 月末で本学での留学を終える学生にとっては、一生の大きな

思い出となる見学旅行となってくれたのではないかと思います。

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日本文化を楽しむ会 グローバル香芝主催

平成 22 年 2 月 14 日(日)

地域の支援団体として、いつも留学生に温かいお心遣いをくださるグローバル香芝様。

「日本文化を楽しむ会~着物と茶道体験~」もすっかり留学生の間で定着し、先輩留学生

から後輩留学生へ、毎年語り継がれる行事となっています。本年は女子留学生 19 名、男子

留学生 4 名の合計 23 名が伝統文化体験に訪れました。

第 1 回国際センターシンポジウム

-日独教員養成シンポジウム-

平成 22 年 2 月 20 日(土)

国際センター主催の国際シンポジウム「ボローニャ・プロセスの光と影―ドイツ、スイ

ス、日本における教員養成制度改革-」を天王寺キャンパス・ミレニアムホールにて開催

しました。

協定校であるエアランゲン・ニュルンベルク大学(ドイツ)の協力を受け、「ボローニ

ャ・プロセスの光と影」というテーマで、ドイツの大学における教員養成課程およびスイ

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スのギムナジウムという 2 つの教育現場からの例を取り上げながら、ヨーロッパの高等教

育における共通の枠組みを構築し、教育の質向上を目指したこのプログラムが、教員養成

制度にどのような影響を及ぼしたのかについて発表があり、活発な意見交換が行われまし

た。

留学生修了証書等授与式

前期 平成 21 年 9 月 4 日(金)

後期 平成 22 年 3 月 2 日(火)

平成 21 年 9 月期、3 月期の留学生修了式が事務局棟 4 階大会議室におい

て執り行われました。9 月には、日本語・日本文化研修留学生 7 名、特別聴

講学生(院・学部)21 名(8 名は早期帰国のため欠席)が、3 月には、教員

研修留学生 4 名、研究留学生 1 名、特別聴講学生 7 名がそれぞれ修了を迎

えました。長尾彰夫学長から一人ずつ名前が呼ばれると、修了生は緊張し

た面持ちで修了証書等を受け取っていました。

その後、会場を大学会館 1 階第一食堂に移し、常日頃お世話になった諸

先生方はじめ、地域の国際交流団体の皆様とともに交流会が開かれました。

そこでは、留学生達の軌跡を振り返るスライドショーに歓喜し、授業の関

係で早期帰国した修了生からのビデオレターに涙する一幕もありました。今回も、国際交

流団体の皆様、留学生や国際グループの日

本人学生有志が歌や楽器演奏で場を盛り

上げ、心温まる交流会となりました。最後

は、国際センター教員から修了生・卒業生

に記念品と花一輪が手渡され、列席者全員

がつくる花道を参列者のアーチで飾り、修

了生たちの前途を祝して送り出しました。

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平成 21 年度国際センター運営委員会名簿 平成 21 年 10 月1日現在

区 分 氏 名 所 属 備 考

国際センター長 向 井 康比己 自然研究講座(兼任) 委員長

国際センター専任教員

赤 木 登 代 国際センター

城 地 茂 国際センター

中 山 あおい 国際センター (宿舎運営)

長谷川 ユ リ 国際センター

若 生 正 和 国際センター (宿舎運営)

国際センター兼任教員

加 藤 可奈衛 美術教育講座 (宿舎運営)

小 林 和 美 社会科教育講座

水 野 治 久 学校教育講座

石 橋 紀 俊 日本・アジア言語文化講座 (宿舎運営)

住 谷 裕 文 欧米言語文化講座(仏)

松 本 マスミ 欧米言語文化講座(英)

学 長 指 名 委 員

安 部 文 司 欧米言語文化講座(英)

縣 猛 男 学術連携課

*任期:平成 20 年7月1日~平成 22 年3月 31 日

平成 21 年度留学生宿舎運営会議名簿 氏 名 所 属 備 考

中 山 あおい 国際センター 委員長

若 生 正 和 国際センター

加 藤 可奈衛 美術教育講座

石 橋 紀 俊 日本・アジア言語文化講座

任期:平成 20 年 7 月1日~平成 22 年3月 31 日

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国際交流委員会委員名簿

氏 名 備 考

副学長 栗 林 澄 夫 委員長

国際センター長 向 井 康比己 副委員長

国際センター 専任教員 長谷川 ユ リ 国際教育部門

国際センター 専任教員 城 地 茂 国際事業部門

国際センター 専任教員 赤 木 登 代 国際事業部門

国際センター 専任教員 中 山 あおい 国際教育部門

国際センター 専任教員 若 生 正 和 国際教育部門

国際センター兼任教員 松 本 マスミ

国際センター兼任教員 水 野 治 久

教員養成課程 吉 田 晴 世

教員養成課程 米 川 英 樹

教養学科 中 山 匡

教養学科 中 野 知 洋

夜間学部 裴 光 雄

学術部長 堺 弘 次 学長指名

平成 21 年度留学生推薦選考会議名簿

所 属 等 氏 名 備 考

国際センター長 向 井 康比己 自然研究講座

国際センター(国際教育) 長谷川 ユ リ 国際センター

松 本 マスミ 欧米言語文化講座

中 野 知 洋 日本アジア言語文化講座

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平成 21 年度留学生推薦選考会議語学評価委員名簿

担当言語 氏名 所属

英 語 松 本 マスミ 欧米言語文化講座

中 国 語 中 野 知 洋 日本アジア言語文化講座

ドイツ語 赤 木 登 代 国際センター

韓 国 語 若 生 正 和 国際センター

平成 21 年度私費留学生奨学金等推薦選考会議名簿

所 属 等 氏 名 備 考

国際センター長 向 井 康比己 自然研究講座

国際センター(国際教育) 中 山 あおい 国際センター

水 野 治 久 学校教育講座

裴 光 雄

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編 集 後 記

1 月にタイへ行かせていただいた。協定校訪問と、京都教育大学と合同の帰国留学生同

窓会への参加のためである。本学で交換留学生として学んだ方たちとの再会。今号で留学

報告を書いてくれたチャートさん(アピチャート・ガータウィーさん)は昨年 9 月の帰国だ

が、すでに就職して日系企業で通訳・翻訳に従事しているとのこと。その他に 2 名、チャ

ートさんの先輩たちが来てくれたが、お二人とも日本と関わりのあるお仕事をされていた。

ここ 2,3 年、日本学生支援機構主催の留学フェアで韓国に行く時に、別の楽しみが加わ

った。本学に交換留学で来ていた学生たちに声をかけると、みんな集まってくれるのだ。

教員任用試験直前で忙しい学生も来てくれる。昨年は、ついに 2 名が現職教員となって会

いに来てくれた。また、帰りの仁川空港の免税店に就職した学生も数名おり、彼女たちの

顔を見に行くのもまた楽しみの一つとなった。

私は国際教育部門所属のため、どうしても留学生の方に目が行きがちだが、今回の年報

をまとめていて、留学生交流以外にも多くの国際交流の実が結ばれていることを実感した。

後半だけを振り返っても、11 月の東アジア教員養成シンポジウム、12 月のかしわら国際

交流フェスティバル、そして年が変わり 2 月には国際センター初主催のシンポジウム「ボ

ローニャ・プロセスの光と影―ドイツ、スイス、日本における教員養成制度改革-」の開

催。その他にも、地域と留学生との交流や、海外からの来訪客など、大きなイベントの合

間にも様々な成果がある。

日々忙しさの中で、一つ一つの仕事をゆっくり振り返っている余裕はあまりない。しか

し年報編集を機会に顧みた一年間には、たくさんの反省点と同時に、たくさんの励ましも

あった。年報が刷り上がってくる頃には新年度、新規渡日留学生受入の準備に追われてい

ることだろう。皆さんの原稿からいただいた反省と励ましを生かし、新年度も頑張りたい。

最後に、本年報に原稿を寄せてくださった先生方、学生の皆さんに心からお礼を申し上

げたい。本当にありがとうございました。

(若生)

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次号原稿募集

本年報は、留学生教育や国際交流についての多様な考え方や意見を幅広く取り上

げていくために企画したものです。次の要領で投稿を募集いたします。お問い合

わせは国際センターまで。

枚 数:論 文 10 枚程度(ワード、40 字×34 行)

その他 2 枚~7 枚

(原稿の入ったディスク等と印字した原稿を頂ければ幸いです。)

2010 年 3 月 25 日 印刷

2010 年 3 月 31 日 発行

大阪教育大学国際センター年報 第 16 号

Bulletin of Osaka Kyoiku University

International Center No.16

編集兼発行者

大阪教育大学国際センター

〒582-8582 大阪府柏原市旭ヶ丘 4-698-1

電話 (072)978-3299, 3300

印刷所

カ ツ ヤ マ 印 刷

〒543-0044 大阪市天王寺区国分町 5-1

電話 (06)6771-1000