固体高分解能NMRを用いた 微量試料分析...16・東レリサーチセンター The TRC...

3
14東レリサーチセンター The TRC News No.115(May.2012) 固体高分解能NMRを用いた微量試料分析 1.はじめに 固体NMRは、構造解析に非常に有用なツールであるに も関わらず、従来は測定に数百ミリグラム程度の試料が 必要であったために、ミリグラムオーダーの微量試料に は適用されてこなかった。このたび、我々は、幣社が参 画したJSTプロジェクトで、微量試料に対応するマイク ロプローブを開発した(図1)。マイクロプローブにより、 0.51mg 程度の微量試料でも測定が可能となった。 マイクロプローブで用いる極細試料管を図1に、試料 管直径と試料量の目安及び試料回転数の関係を 1 に示 す。マイクロプローブでは従来の百分の一以下の試料量 で固体NMR分析が可能になっただけなく、高速試料回転 (~70kHz)が可能になったため(表1)、試料によって は高分解能の 1 H NMRスペクトルを得ることができる。 本稿では、マイクロプローブを用いることで実現した 微量試料の分析結果を紹介する。 図1 マイクロプローブと極細試料管 表1 試料間径と試料量の目安 試料管の直径 試料量の目安 試料回転数 7.5 mm 200 mg 5 kHz 5 mm 100 mg 10kHz 1 mm (極細試料管) 1 mg 70kHz 2.LED部材の構造解析 LED(Light Emitting Diode)は、近年、携帯電話や 液晶テレビのバックライトにとどまらず、自動車、医療、 植物栽培用途、一般照明へと市場を拡大しつつあるが、 性能の信頼性や劣化が課題となっている。これらの課題 を克服するために、各部材の詳細な構造解析が非常に重 要になってきている。しかし、これまでは試料量の少な LED 部材のNMR分析は不可能であった。ここでは、 市販の白色LEDに過電圧劣化試験を行ったものを解体 し、マイクロプローブを用いて封止樹脂と蛍光体のNMR 分析を行った。 過電圧劣化試験は、9Vで行った。これにより全く光 らなくなった試料を劣化試料として、未通電のものをリ ファレンスとして測定に用いた。9Vで通電した場合、す ぐに光らなくなるものや長時間継続して発光するものな ど、点灯時間にかなりのばらつきがあった。 2.1 封止樹脂の構造解析 LEDの輝度低下などの劣化は、封止樹脂の材料劣化に 大きく依存する。例えば、樹脂封止したLEDは、封止樹 脂の透明性低下や寸法安定性などが問題になってきてい る。これらの問題を解決するためには、封止樹脂の構造 解析が非常に重要である。 1個の白色LED (未通電)から取り出した封止樹脂(数 mg)の 1 H MAS NMRスペクトルを図2に示す。ジメチル シロキサンに由来するピークが-0.1 ppm付近に、ジフェ ニルシロキサンに由来するピークが6.97.4 ppmに大き く観測され、これらの構造を主骨格とするシリコーンで あることが分かる。更に縦軸を拡大すると、ビニル基と ヒドロシリル基により形成される架橋構造Si-CH2CH2- Siのピーク(0.4 ppm)の他、未反応ビニル基のピーク 5.5 5.9 ppm)やメトキシ基(3.2 ppm)、エチル基 1.0 ppm)に由来すると考えられるピークが認められ る。定量測定を行うことにより、これらの置換基の存在 比(mol%)を見積もった。得られた結果を表2に示す。 PPM 10 8 6 4 2 0 PPM 6 5 4 3 2 1 0 Si O a b a b b Si O CH 3 CH 3 c c 縦軸拡大 d ef i h g Si-CH=CH 2 -OCH 3 Si-CH 2 CH 2 -Si Si-CH 2 CH 3 d ef h g i i Chemical Shift / ppm 図2 封止樹脂の 1 HMASNMRスペクトル 通電前後の封止樹脂について得られた 1 H MAS NMRペクトルを図3に示す。通電品と未通電品でスペクトル がほぼ重なっていることから、短時間の通電では樹脂の 構造がほぼ保たれていると考えられる。しかし、縦軸拡 大スペクトルより、通電品では未通電品に比べて5.55.9 ppm3.2 ppmのビニル基やメトキシ基に由来すると 考えられるピーク強度が微減、また、1.31.00.6 ppm 固体高分解能NMRを用いた 微量試料分析 構造化学研究部 三好 理子 崎山 庸子

Transcript of 固体高分解能NMRを用いた 微量試料分析...16・東レリサーチセンター The TRC...

14・東レリサーチセンター The TRC News No.115(May.2012)

●固体高分解能NMRを用いた微量試料分析

1.はじめに

 固体NMRは、構造解析に非常に有用なツールであるにも関わらず、従来は測定に数百ミリグラム程度の試料が必要であったために、ミリグラムオーダーの微量試料には適用されてこなかった。このたび、我々は、幣社が参画したJSTプロジェクトで、微量試料に対応するマイクロプローブを開発した(図1)。マイクロプローブにより、0.5~1mg 程度の微量試料でも測定が可能となった。 マイクロプローブで用いる極細試料管を図1に、試料管直径と試料量の目安及び試料回転数の関係を 表1 に示す。マイクロプローブでは従来の百分の一以下の試料量で固体NMR分析が可能になっただけなく、高速試料回転(~70kHz)が可能になったため(表1)、試料によっては高分解能の1H NMRスペクトルを得ることができる。 本稿では、マイクロプローブを用いることで実現した微量試料の分析結果を紹介する。

図1 マイクロプローブと極細試料管

表1 試料間径と試料量の目安

試料管の直径 試料量の目安 試料回転数7.5 mm ~200 mg ~5 kHz

5 mm ~100 mg ~10kHz

1 mm(極細試料管)

~1 mg ~70kHz

2.LED部材の構造解析

 LED(Light Emitting Diode)は、近年、携帯電話や液晶テレビのバックライトにとどまらず、自動車、医療、植物栽培用途、一般照明へと市場を拡大しつつあるが、性能の信頼性や劣化が課題となっている。これらの課題を克服するために、各部材の詳細な構造解析が非常に重

要になってきている。しかし、これまでは試料量の少ないLED 部材のNMR分析は不可能であった。ここでは、市販の白色LEDに過電圧劣化試験を行ったものを解体し、マイクロプローブを用いて封止樹脂と蛍光体のNMR 分析を行った。 過電圧劣化試験は、9Vで行った。これにより全く光らなくなった試料を劣化試料として、未通電のものをリファレンスとして測定に用いた。9Vで通電した場合、すぐに光らなくなるものや長時間継続して発光するものなど、点灯時間にかなりのばらつきがあった。

2.1 封止樹脂の構造解析 LEDの輝度低下などの劣化は、封止樹脂の材料劣化に大きく依存する。例えば、樹脂封止したLEDは、封止樹脂の透明性低下や寸法安定性などが問題になってきている。これらの問題を解決するためには、封止樹脂の構造解析が非常に重要である。 1個の白色LED(未通電)から取り出した封止樹脂(数mg)の1H MAS NMRスペクトルを図2に示す。ジメチルシロキサンに由来するピークが-0.1 ppm付近に、ジフェニルシロキサンに由来するピークが6.9~7.4 ppmに大きく観測され、これらの構造を主骨格とするシリコーンであることが分かる。更に縦軸を拡大すると、ビニル基とヒドロシリル基により形成される架橋構造Si-CH2CH2-Siのピーク(0.4 ppm)の他、未反応ビニル基のピーク(5.5~5.9 ppm)やメトキシ基(3.2 ppm)、エチル基(1.0 ppm)に由来すると考えられるピークが認められる。定量測定を行うことにより、これらの置換基の存在比(mol%)を見積もった。得られた結果を表2に示す。

PPM

10 8 6 4 2 0

PPM6 5 4 3 2 1 0

Si O

ab

a

b

b

Si O

CH3

CH3

c

c

縦軸拡大

d ef

ih

g

≡Si-CH=CH2

-OCH3等

≡Si-CH2CH2-Si≡

≡Si-CH2CH3

d ef

h g

i i

Chemical Shift / ppm図2 封止樹脂の1H�MAS�NMRスペクトル

 通電前後の封止樹脂について得られた1H MAS NMRスペクトルを図3に示す。通電品と未通電品でスペクトルがほぼ重なっていることから、短時間の通電では樹脂の構造がほぼ保たれていると考えられる。しかし、縦軸拡大スペクトルより、通電品では未通電品に比べて5.5~5.9 ppm、3.2 ppmのビニル基やメトキシ基に由来すると考えられるピーク強度が微減、また、1.3、1.0、0.6 ppm

固体高分解能NMRを用いた微量試料分析

構造化学研究部 三好 理子 崎山 庸子

東レリサーチセンター The TRC News No.115(May.2012)・15

●固体高分解能NMRを用いた微量試料分析

付近のピーク強度が微増していることが分かる。化学シフト値から、架橋構造(Si-CH2CH2CH2CH2-Si、Si-CH2CHR-Si)が形成していると考えられる。このように、高いSN比により僅かな構造変化をとらえることが出来る。

表2 封止樹脂における置換基の存在比(mol%)

置換基 存在比メチル基 65.8%

フェニル基 31.5%

ビニル基 0.7%

メトキシ基 0.5%

架橋部(Si-CH2CH2-Si) 1.3%

エチル基 0.2%

PPM10 8 6 4 2 0

6 4 2 0

Si O

ab

a

b

b

Si OCH3

CH3

c

c

縦軸拡大

d ef

ih

g

≡Si-CH=CH2

-OCH3等

≡Si-CH2CH2-Si≡

≡Si-CH2CH3

d ef

h g

i i≡Si-CH2CH2CH2CH2-Si≡

≡Si-CH2CH-Si≡R

j k

j

k

l

l

(a) 未通電品(b) 通電品

Chemical Shift / ppm図3 封止樹脂の1H�MAS�NMR�スペクトル(a)未通電品、(b)通電品(過電圧条件9V)

2.2 蛍光体の構造解析 白色LED の発光効率・演色性および色再現範囲は、関連する蛍光体の発光特性に大きく依存する。また、白色LEDの劣化要因の中で、蛍光体の劣化は、LEDチップやパッケージの劣化に加えて、重要な劣化要因の一つと考えられている。蛍光体の劣化や耐久性は、主に水分や光、熱の影響によると考えられている1)。発光特性改善のためには、蛍光体の構造解析が非常に重要である。 固体高分解能NMRによる蛍光体の分析には、27Al NMRや89Y NMRが有用である。YAGやYAG系蛍光体についても、固体NMRによる分析が活発に行われるようになってきている2︶︲7︶。 ここでは、マイクロプローブより可能となった僅か 1 mg程度のCeをドープしたYAG系蛍光体を用いてNMR分析を行った事例を紹介する。 僅か 1 mgの蛍光体から得られた劣化前後のYAG系蛍光体とYAG単体(non dope)についての27Al MAS NMR

スペクトルを図4.1及び図4.2に示す。40~80 ppmに観測されるピークが4配位のアルミ成分、0 ppm近傍に観測されるピークが6配位のアルミ成分に由来する。ピーク面積から各アルミ成分比を見積もると、劣化前は(4配位アルミ成分:6配位アルミ成分)比が(32:68)であるのに対して、劣化後は(30:70)である。劣化後に若干 4配位のアルミ成分が減少しているが、その差はわずかであることが分かる。 その他にも、スペクトルには劣化前後で差異が認められる。たとえば、図4.1より、劣化前後で比較すると、劣化後にスピニングサイドバンド(SSB)の強度が増加していることが分かる。また、横軸を拡大した図4.2より、6配位アルミ由来のピークが劣化後にブロードになっていることが分かる。これらのスペクトル変化から、劣化後に構造の対称性の低下が生じていると考えられる。その他に、図4.2より、劣化前に認められる20 ppm付近のブロードなピークが劣化後に消失していることが分かる。このように、劣化後のスペクトルがnon-dopeのYAG単体のスペクトルとほぼ重なっていることから、劣化後にはCeが脱離している可能性が考えられる。

PPM400 200 0 -200 -400

* *

*: spinning side band (SSB)

(a)劣化前(b)劣化後(c) YAG 単体

(non dope)

6配位

4配位

Chemical Shift / ppm

図4.1 YAG蛍光体の27Al�MAS�NMRスペクトル(a)劣化前(b)劣化後(c)YAG単体(non�dope)

PPM

100 75 50 25 0 -25 -50

6配位

4配位

Chemical Shift / ppm

(a)劣化前(b)劣化後(c) YAG 単体

(non dope)

図4.2 YAG蛍光体の27Al�MAS�NMRスペクトル(‒50~100�ppm)(a)劣化前(b)劣化後(c)YAG単体(non�dope)

16・東レリサーチセンター The TRC News No.115(May.2012)

●固体高分解能NMRを用いた微量試料分析

3.エポキシ樹脂の表面構造解析

 マイクロプローブを用いることにより、微量の異物やフィルム等の表層の分析が可能となった。 ここでは、まず、2 cm角1 mm厚のエポキシ樹脂をオイルへの浸漬処理を行い、オイル浸漬前後の試料について、表面(~μm)から約1mgの試料を採取し測定を行った。 オイル浸漬前後のエポキシ樹脂について13C CP/MAS NMR測定を行った。得られたスペクトルを図5.1及び図5.2に示す。マイクロプローブを用いることで、1Hや 27Al に比べて測定感度が低い13Cでも数時間でスペクトルを得ることが出来た。図5.1において、エポキシ樹脂に由来するピークが158、144、129、115、73、42、32 ppmに観測される。 図5.2において、試験後のスペクトルにはCH2等の脂肪族成分が検出されており、浸漬処理による微量のオイル吸着成分が確認される。

PPM

175 150 125 100 75 50 25 0

(b) 試験後(表面)

(a) 試験前(表面)

f

cd

e

g

b

aO O

OHa

b

edc f

gg

g

Chemical Shift / ppm

図5.1 エポキシ樹脂の13C�CP/MAS�NMRスペクトル(a)試験前(表面)、(b)試験後(表面)

PP80 60 40 20 0

g

ba

オイル吸着成分

CH2 CH2, CH3

(b) 試験後(表面)

(a) 試験前(表面)

Chemical Shift / ppm

図5.2 エポキシ樹脂の13C�CP/MAS�NMRスペクトル(0~70�ppm)(a)試験前(表面)、(b)試験後(表面)

4.おわりに

 以上のように、マイクロプローブではこれまで測定できなかったわずか0.5~1mg程度の試料について測定が可能である。また、測定感度の高い1H核や27Al核では微小の構造変化を高感度に測定が可能であり、測定感度の低い13C核についても化学構造についての情報が十分得られることをご紹介した。ここではご紹介できなかった

が、測定感度の高い31P核や7Li核の高分解能の測定や、測定感度は低いが構造評価に実績のある29Si核の測定へも適用も可能である。また、マイクロプローブでの測定が600MHzで行えることから、71Ga核や115In核などの測定も有効であると考えられ、無機材料への展開も期待される。このように、マイクロプローブを用いることで、試料入手が困難で少量しか確保出来ない試料の分析や、異物分析、微細化が進み試料量が少量しか確保出来ないエレクトロニクス分野への適用も期待される。これに合わせて、顕微鏡下でのサンプリングや、治具の改良により、サンプリング技術の向上も行っている。

5.謝辞

 本研究の一部は、産学イノベーション加速事業【先端計測分析技術・機器開発】プロトタイプ実証・実用化プログラム 開発課題名「極細試料管固体NMRプローブの製品化」により実施されたものです。東京農工大学 工学研究院 朝倉先生、株式会社JEOL RESONANCE樋岡様をはじめとする関係者各位に感謝致します。

6.参考文献

1) 一ノ瀬昇,中西洋一郎 編著,「次世代照明のための白色LED材料」,日刊工業材料,2010.

2) M. Gervais et al.:J. Mater. Sci., B45(1997)p.108.3) K. J. D. MacKenzie and T. Kemmitt:Thermochimica.

Acta., 325(1999)p.13.4) P. Florian et al.:J. Phys. Chem. B, 105(2001)

pp.379-391.5) C. Martin et al.:Opt. Mater., 25(2005)pp.1793-

1799.₆) M. G. Ahelyapina et al.:J. Phys. Chem. Solid.,

67(2006)pp.720-724.7) R. Kasuya et al.:J. Alloy. Comp., 408-421(2006)

pp.820-823.

■三好 理子(みよし りこ) 構造化学研究部 構造化学第₂研究室 研究員 専門:固体NMR分析 趣味:カメラ

■崎山 庸子(さきやま ようこ) 構造化学研究部 構造化学第₂研究室 研究員 専門:固体NMR分析 趣味:読書、ラグビー観戦