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2014/1/1 1 手賀沼沿岸の遺跡 古代から中近世(古墳、寺社、城跡) 2013.2.24 1 . そもそも手賀沼とは 手賀沼は「手賀」という地名を冠された沼である 印旛沼は「印旛郡」の「印旛」を冠するが、 手賀沼は一地域の地名に過ぎない (茨城県にも、「手賀」という地名がある) *『沼南町史研究』第7号「所の呼び方について」染谷勝彦氏論文 による 手賀沼の「手賀」は大治5(1150)平経繁が書状 のなかで「手下水海」と使用したのが初出という かつては「香取の海」という内海の一部 寛文年間の海野屋作兵衛ら干拓以前=3200ha 戦後の干拓後=650ha 2 手賀 ・・・ 「津」(つ)のある「処」(か)という意味らしい*

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    手賀沼沿岸の遺跡

    ~ 古代から中近世(古墳、寺社、城跡)

    2013.2.24

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    1. そもそも手賀沼とは

    • 手賀沼は「手賀」という地名を冠された沼である

    → 印旛沼は「印旛郡」の「印旛」を冠するが、

    手賀沼は一地域の地名に過ぎない

    (茨城県にも、「手賀」という地名がある)

    *『沼南町史研究』第7号「所の呼び方について」染谷勝彦氏論文 による

    • 手賀沼の「手賀」は大治5年(1150)平経繁が書状のなかで「手下水海」と使用したのが初出という

    ⇒かつては「香取の海」という内海の一部

    • 寛文年間の海野屋作兵衛ら干拓以前=3200ha

    → 戦後の干拓後=650ha

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    手賀 ・・・ 「津」(つ)のある「処」(か)という意味らしい*

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    手賀沼の自然環境

    • 現在の手賀沼

    ▫ 面積・・・・・6.5K㎡

    ▫ 周囲の長さ・・38Km

    ▫ 沼の深さ・・・平均0.9m、最大3.8m

    ▫ 水の量・・・・560万トン

    ▫ 水の滞留日数・13.9日

    • 手賀沼はかつては魚や水鳥が多く、古代から漁労で生活していた痕跡がある

    • 沼に注ぐ河川とその周囲の谷津も含めて、手賀沼周辺は古代から人の生活に適した場所だった

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    手賀島

    ・手賀沼沿岸地域は、台地と谷の入り組んだ地形

    ・過ごしやすい台地下に集落が形成

    ・香取の海という内海による水上交通、交易の便

    と谷津田開発を背景に中世の集落が成立

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    2. 古代の手賀沼沿岸 ・香取の海と古東京湾という内海が現在の内陸部に入り込んでいる(縄文海進の時代)

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    手賀沼周辺の古代遺跡(柏市域)

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    遺跡名 所在地 時代 種類 特記事項

    戸張遺跡群(一番割遺跡・ 不動山遺跡・城山遺跡・山田台遺跡)

    戸張一番割・城山台ほか

    旧石器・縄文・弥生・古墳

    集落跡・古墳・城館跡

    堀で囲まれたムラ

    中馬場遺跡 北柏二丁目ほか 縄文・弥生・古墳・奈良・平安・中世

    集落跡・城館跡 古代柏の中心地

    若林1)遺跡 藤ヶ谷ほか 奈良 製鉄跡

    石揚遺跡 泉石揚ほか 旧石器・縄文・弥生・古墳

    包蔵地・集落跡 ガラス玉製首飾り

    岩井貝塚 岩井於中山ほか 縄文 貝塚・集落跡

    北ノ作1号2号墳 片山北ノ作 古墳 古墳 東葛最古の前方後方墳

    船戸古墳群 大井新堀込ほか 古墳 古墳 40基の古墳群

    大井東山遺跡 大井東山ほか 旧石器・縄文・古墳・奈良

    集落跡・包蔵地 奈良三彩の小壷・ムラの寺

    松原製鉄遺跡 若白毛ほか 奈良 製鉄跡 古代の沼南工業団地

    宮後原遺跡 大島田宮後原ほか 奈良・平安 製鉄跡 古代の沼南工業団地

    天神向原遺跡 大井天神向原ほか 縄文・奈良・平安 集落跡 古代の沼南工業団地

    桝方遺跡 箕輪桝方ほか 縄文・奈良・平安 集落跡・製鉄跡 ベンケイガイ形の土製腕輪

    柏市HPより手賀沼沿岸および同水系の遺跡を引用 石揚遺跡の遺物(柏市郷土資料展示室)

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    戸張一番割遺跡 • 古墳出現期(3世紀初め)の環濠集落跡

    ▫ 方形の環濠に囲まれた集落跡で、多数の竪穴住居跡があった

    • 古墳は方形周溝墓と共存か ▫ 前方後方墳と方形周溝墓(方墳か)が共存

    ▫ 「重圏文鏡」や銅鏃、多数のタタキ甕などあり

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    戸張一番割遺跡の遺物 ―甕、高杯 (柏市郷土資料展示室)

    遺跡は現在公園と なっている 戸張一番割遺跡の遺物 ―銅鏃、重圏文鏡

    (柏市郷土資料展示室)

    戸張城山遺跡 • 方形周溝墓や竪穴住居跡があった

    ▫ 昭和26年(1951)5月、東葛上代文化研究会が

    戸張城山遺跡の発掘調査で検出した竪穴住居跡(1辺が4.27m×4.40mの隅丸方式)を復元したものがあった→現存せず

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    戸張城山遺跡の遺物 (柏市郷土資料展示室)

    戸張一番割遺跡 戸張城山遺跡

    遺跡の遠景

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    呼塚遺跡 (2011 年11 月26 日(土)当会の見学会) • 古墳出現期(3世紀)の環濠集落跡 ▫ 環濠や住居跡、井戸状の大きな穴などあり

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    遺跡発掘風景(松ヶ崎方面を向いて) 環濠

    住居跡

    2.5mの深さの 穴は用途不明

    出土遺物は土師器 渡辺学芸員の説明によれば、 発掘現場で見つかった住居 跡は23 他に呼塚遺跡の別の場所を あわせると、数百の住居

    集落の大きめの住居は、7m四方位 で、奥にかまど、4つ柱穴あり

    古墳時代とは • 3世紀の古墳出現期から7世紀以降までの時代に古墳が大和地方を中心に日本各地に造成

    • 古墳は大型の盛土墳丘を持つ古代の墓

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    我孫子

    手賀沼沿岸の古墳の時代分類

    200年 300年 400年 500年 600年

    7世紀? 北ノ作 1号墳

    水神山

    船戸

    大井浅間

    金塚 根戸船戸

    腰巻

    北ノ作 2号墳

    方墳 前方後方墳 円墳 前方後円墳

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    北ノ作古墳

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    1号墳:方墳 3世紀後半のもの

    2号墳:前方後方墳 :4世紀のもの

    手賀沼沿岸最大級で最古の古墳

    所在地:柏市片山北ノ作 1号墳:方墳 ◆全長17m 高さ2m ◆埋葬施設 粘土槨(全長2.6m 幅0.75m)

    ◆出土品 直刀1、鉄剣1、刀子、鉄斧2、釶1、銅鏃1、鉄鏃3、勾玉、耳環、土師器 2号墳:前方後方墳 ◆全長30m(前方部:幅5m 高さ2m、後円部:径15m 高さ3m) ◆埋葬施設 粘土槨2(主軸に直交) 1号(全長5.5m 幅0.7m; 出土品 管玉2) 2号(全長1.3m 幅0.5m; 出土品 管玉1、土師器)

    北ノ作1号墳

    2010年11月27日の 歴史散歩

    柏市郷土資料展示室にて 説明する渡辺さん

    水神山古墳

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    手賀沼沿岸最大の古墳

    全長69mの前方後円墳で 手賀沼周辺では最大の古墳

    所在地:我孫子市高野山舟戸台440

    ◆全長69m、前方部幅33m 高さ3m、後円部径36m 高さ5m ◆埋葬施設 粘土槨(割竹形木棺)長さ5.13m 西端幅0.7m 中央幅0.65m(後円部墳頂) ◆出土品 滑石管玉1,ガラス管玉1,ガラス小玉280,刀子2,針,土師器,壷

    我孫子市教育委員会の案内板より

    前方部より後円部をみる

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    船戸古墳群

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    柏市大井にある古墳

    福満寺や二松学舎大学の近く、北に手賀沼を見おろす台地縁辺にあり

    所在地 柏市大井新堀込ほか

    ◆前方後円墳7基ほどと円墳からなる40基ほどの古墳群

    手賀沼里山クラブの

    方々の案内で見学

    (2012・9)

    (概念図:柏市教育委員会)

    船戸37号墳出土の直刀

    (柏市郷土資料展示室)

    大井浅間古墳

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    柏市大井にある古墳 北に大津川を見おろす台地縁辺にある、前方後方墳 所在地:柏市大井浅間山533 ◆推定長さ46m(後方部26.5m) 西側の国道16号線が一部前方部にかかり欠けている(時代は6世紀~7世紀か)

    ◆古墳後方部墳丘は江戸時代に富士塚となり、浅間神社が祀られ、木花開耶姫命や石尊大権現の碑もある ◆出土品 国道16号線西側の住居跡からは「手焙形土器」が出土

    石尊大権現の碑

    墳丘にある浅間神社の祠

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    根戸船戸古墳群

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    我孫子にある古墳時代末期の古墳

    我孫子駅の南、白山中学校のわきを通り、手賀沼方向へ約500mの地点にある 根戸古墳公園に根戸船戸2号墳がある

    所在地:我孫子市白山3丁目 ◆根戸船戸2号墳 前方後円墳 ◆全長22m(前方部幅14m 高さ1.6m、後円部径12m 高さ1.6m) ◆埋葬施設 横穴式石室 ◆出土品 須恵器 根戸船戸2号墳

    根戸古墳公園

    香取神社古墳群

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    香取神社古墳(参道の向こうに1号墳) 100mほど東に水神山古墳 がある 参道脇の大きな方墳と円墳が 2基あるが、3号墳ははっきりしない

    香取神社は貞亨元年(1684年)に 本堂を再建 参道に百庚申がある

    所在地 我孫子市高野山宮脇

    1号墳 方墳(前期のものか)

    ◆大きさ 一辺約26m

    2号墳 円墳

    ◆大きさ 一辺約26m

    3号墳 円墳

    香取神社2号墳

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    小森瓢箪塚古墳

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    墳丘にまつられた蔵王権現

    「墳丘形態の判断にあたっては、木更津市に所在する 高部30号墳および32号墳では確認調査で両古墳共に 円墳であるとの所見がなされ、発掘調査を実施した結果、 出現期の前方後方墳であることが確認されるなど、 慎重を期さなければならない。 本古墳の形態を推定するにあたっては、上記のような 慎重さを求められたが、測量結果及び測量図に基づく 現地確認を実施した結果、前方部も墳丘としての高まり が明瞭であり円墳又は方墳という判断はできなかったこと、 後方部のコンターラインが円形ではなく、四方にコーナーが

    崩れたような形状がみられることから、前方後方憤と 判断した。」 (『千葉県白井市 市内遺跡調査報告書-小森瓢箪塚古墳-』 (白井市教育委員会、2005)

    所在地 白井市平塚字小森

    ◆前方後方墳

    ◆墳丘長 52m (全長不明)

    旧家が森林とともに守る古墳 小森城の狼煙台の伝承あり

    片山古墳群

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    比較的大きな古墳

    手賀の丘公園のなかにある

    道沿いに密集しているものは中世の塚と 思われる 三山碑など石造物も多い

    所在地 柏市片山字馬坂

    ◆前方後円墳1、方墳2、 円墳多数

    (中世の塚が多数まじっている模様)

    塚か?

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    2. 手賀沼沿岸の寺社

    ・手賀の寺台に古代の寺院があった

    → 手賀廃寺(興福院の前身かは不明) 興福院は寺伝では大同年間の創建

    現在の平和共同墓地も近年削平 されるまで台地

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    寺台遺跡 古代瓦等出土 平安-軒丸瓦(素文縁八葉単弁蓮華文、素文縁六華単弁蓮華文)、平瓦、 軒平瓦(唐草文)

    興福院(柏市手賀) 真言宗豊山派 ・真言宗豊山派の古寺

    ・寺伝では平安時代の大同年間創建

    ・手賀原氏の戦勝祈願寺

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    鎌倉時代に再建され、現在の名前の興福院となった。 本尊:十一面観音(仏像は室町時代を下らない制作) ⇒ 十一面観音は妙見神の本地仏 :特に戦国以前はそう言われた

    蟇股に 九曜紋

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    南蔵院(柏市片山) 真言宗豊山派 ・興福院の「隠居寺」として創建

    創建は鎌倉時代末 (記録等から室町期には存在しているのは確認)

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    お寺とは関係ないですが、・・・ 近所のお宅の屋根(2重になっている) 境内の石仏

    兵主八幡神社 • 兵主神社(関西、特に兵庫県に多い神社)と八幡社を合祀した神社

    • 手賀囃し 七月の第一日曜 興福院からここまで神

    輿渡御、山車がひかれる

    • 原氏の馬場が参道になっているとの伝承あり

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    屋根が特徴的な本殿には、細密な彫刻がめぐる

    文化14年(1817)、現在の本殿が手賀、片山両村によって造営、両村の鎮守とされる (經津主命、譽田別命が祭神)

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    ヨタイ観音(柏市片山)

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    三十三観音の三十三体と花山院の一体をあわせて、三十四体 の石仏を祀る(別名:十左衛門観音) 近隣の村田家の所有になるもので、以前は茅ぶきの屋根のお堂 扁額は古いもので、宝暦二年(1752)四月吉日と日付とともに 「西国三拾三所心願成就」とあり

    柳戸六所神社(柏市下柳戸) • 六所神社は創建時期不明なるも、国府祭場の形式

    (手賀沼水運による流通往来と関係したものか)

    • 下柳戸は、相馬義胤の娘土用御前と岩松時兼との娘「とち御前」が藤原氏に嫁して後家になり、

    娘「藤原土用王御前」に譲与した所領の一部

    →建武元年(1334)に岩松直国を養子、下柳戸を譲与?

    • 下柳戸は南北朝期まで遡る中世以来の集落

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    柳戸砦跡

    一ツ井戸

    http://mori-chan.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2011/04/11/jyuzaemonkannon.jpg

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    龍泉院(柏市泉)曹洞宗 • 建長5年(1253年) 相馬氏による創建という

    • 龍泉院の開山は、上総武田氏菩提寺の真如寺6世、量指長英和尚

    • 以前は手賀西小学校に隣接した三夜堂の場所にあったが、近世に移転

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    境内の梅

    福満寺(柏市大井)天台宗 • 奈良時代に尊慶によって開山されたという

    • 享保13年(1728)に建てられたという鐘楼を兼ねた楼門造り山門あり 「大井の晩鐘」

    • 境外地に車ノ前五輪塔(室町期のものと推定)

    • 寺の北側の大井東山遺跡から奈良三彩釉陶器が出土

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    車ノ前五輪塔

    「大井の晩鐘」

    で知られる山門

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    将門神社(柏市岩井) ・将門神社

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    猿島郡石井(いわい)と同音の地名のため、将門関連の伝説が残るのか。 将門神社は本格的な社殿。なお、昔から岩井の人は、桔梗をきらって植えない、着物の柄にも使わない。当然ながら、成田山には参拝しない。

    胴羽目板の 彫刻 右目がない

    我孫子市日秀の将門神社 ・将門神社

    ・将門の井戸

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    ・観音寺の地蔵 成田山への道を聞かれるととぼけたり、逆方向を

    教えたという。 ⇒権力中央への民衆の反発 観音堂に祀る本尊は、将門の守り本尊だった というが、勿論話だけである。

    将門の兵や軍馬の飲み水 としたという。

    将門神社があるのは、相馬郡衙が付近にあったためか。将門が布瀬明神下から騎馬で手賀沼を渡って朝日を拝した場所という。遺臣が、将門の霊を祀ったというが、現在は社殿はなく、石祠のみ。

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    正泉寺(我孫子市湖北台)曹洞宗 • 北条時頼の娘法性尼による弘長3年(1263年)の開基と伝え、もとは法性寺と称す

    • 法性尼の霊夢で、住職が近くの手賀沼から血盆経を得、寺号を正泉寺と改めたとする

    • 江戸時代以降、女人成仏の霊場として信仰を集めた

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    血盆経の文字のある石碑

    • 月待講(十九夜講、二十三夜講など) ▫ 特定の月齢の夜に集まり、講中のメンバーが寄り合って飲食をともにし月の出を待つ月待行事を行った講

    ▫ 多くの場合女性のみの講として行われ、

    安産・子授け祈願などが重なっている ⇒ 十九夜講:ヤングミセスの講

    二十三夜講:ベテラン主婦層の講

    • 子安講 ▫ 江戸後期発生の子供の成長祈願の講

    • 待道(まちどう)講 ▫ 我孫子、柏、取手など利根川流域のみ存在する安産祈願の講 *待道とは「お産の時に産道がたやすく開き安産になるよう待つ」こと

    女人講

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    待道講発祥の我孫子白泉寺

    女人講中の絵馬(本埜村龍湖寺)

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    龍光院(柏市岩井)真言宗豊山派 ・龍光院の地蔵堂

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    将門神社が龍光院の本堂に隣接 地蔵堂は如蔵尼が父将門とその一族を弔って 祀ったという由緒の地蔵尊

    境内に集められた庚申塔

    • 金山道Y字路・泉庚申塔群 庚申塔15基・山神宮2基・馬頭観音3基

    • 箕輪香取神社庚申塔群 庚申塔10基 など

    • 鷲野谷庚申塔群 庚申塔17基

    • 岩井庚申塔群

    • 高柳三叉路、藤庚申などの庚申塔群

    • 柏市街各寺社にある庚申塔 (柏神社など)

    柏市内の庚申塔分布(一部)

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    待道大権現の祠の後ろに庚申塔

    ⇒ 旧柏で約270基、旧沼南町で約190基、百庚申も

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    香取神社と鳥見神社 ・香取神社と鳥見神社の分布

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    ●香取神社(祭神:経津主命) ◆鳥見神社(祭神:饒速日命)

    戸張

    大井 箕輪 鷲野谷

    布瀬

    富塚

    藤ヶ谷

    我孫子

    平塚 浦部 名内

    高野山

    新木

    金山

    鳥見神社の由来については現在の印西市辺りの言美郷・鳥矢郷での創建という説や 大和の等弥(とみ)神社を勧請したという説など諸説あり

    各地にある香取神社 ・香取の海の一部であっただけに、かつての水辺を中心に香取神社が各地に存在

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    柏市箕輪の香取神社

    我孫子市高野山の 香取神社(境内に古墳)

    柏市鷲野谷の香取神社

    波ウサギ 鷲野谷香取神社の社殿

    (彫刻が素晴らしい)

    国道16号線沿いの

    藤ヶ谷香取神社

    箕輪香取神社の社殿

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    3. 手賀沼沿岸の城をめぐる ・手賀沼沿岸と同水系には多くの城が存在した

    → 遺構が良く残る城

    :松ヶ崎城、戸張城、柳戸砦、高野館(柏市)、

    根戸城(我孫子市)、小森城(白井市)など

    → 一部の遺構が残る城

    :箕輪城、箕輪如意寺城、手賀城、藤ヶ谷城(柏市)、

    名内城(白井市)など

    → 遺構が殆どor全く残っていない城

    :鷲野谷城、鹿島城、布瀬城、藤ヶ谷中上城、戸張

    用替城、泉妙見山城、泉城(柏市)、

    法華坊、我孫子城、久寺家城、羽黒前館(我孫子市)

    など

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    根戸城跡

    松ヶ崎城と立地、堀の形状や虎口の位置関係も似ている

    根戸城は、戦国末期に改変されているとはいえ、松ヶ崎城と同じ勢力が 築城したものか(太田道灌が築城したとの伝承あり)

    北柏駅の南東約700メートルの、手賀沼を南に臨む台地先端にあり、 城域は東西120m、南北100m

    東から北へ谷津が入り込み船着場があった可能性あり

    松ヶ崎城跡

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    高野館跡

    台地中ほどにある立地や単純な構造からみて、 室町期の館と推測される

    手賀沼沿岸手賀の東、布瀬の台地中奥の西に谷津を望む場所にあり、一辺40~50mほどの方形居館のような方形の郭をなす土塁(中央に虎口があり)の東側にも土塁がある東西約120m、南北約100mの範囲に館の遺構が残されている

    千野原靖方著『東葛の中世城郭』 掲載の縄張図

    なぜか高野館 を将門の別墅 (べっしょ) とする伝承あり 「高野御殿」

    手賀の史跡めぐり 2010年11月27日(土)実施

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    手賀城跡 ・主郭(本丸)は現在畑で石碑が建っている

    ・手賀の台地の各所に土塁、堀跡、腰郭など

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    主郭近くの 土塁と堀底道

    腰郭

    手賀城 ・手賀の台地全体を占地

    東西680m×南北450mほどの広さ

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    舟戸 (軍船の繋留地)

    虎口

    虎口

    虎口 主郭

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    手賀城跡の地名、屋号、家臣のご子孫方

    ・城跡に住宅が建ち、集落の中心部分は城跡

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    屋号が「陣屋」 家老屋敷とも

    屋号が「松葉(的場)」

    小字が「馬場」

    家老の子孫といい、江戸時代に名主

    「松葉坂」

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    名内城跡 河原子道(旧道)の白井からの延長に手賀沼 → 対岸の柳戸に柳戸砦(六社神社近く)、手賀に手賀城 南へは鎌倉往還とも繋がる ⇒ 手賀沼と河原子道の水陸交通の要衝

    東光院 :手賀の興福院の末寺 → 木造地蔵菩薩立像胎内銘「下総国印西庄平塚郷内名(打)村地蔵本願専識」 仏師は佐津間の真如坊、 檀那中:大三川氏、花嶋氏、秋屋氏

    名内の粟津神社 : 永禄年間に高城氏の家臣伊東左馬介守胤が紀州加太の粟嶋神社を勧請と伝わる→ 二股道の起点に存在 (河原子道、松戸道) 伊東氏(伊藤氏)は本土寺過去帳にみえる佐津間の土豪伊東大和の子孫か? 佐津間との関わり、戦国期高城氏の影

    名内の東光院と近辺の道のクランク

    松戸道は佐津間を通る近世の鮮魚街道 佐津間の伊東氏が物資の輸送や商業行為に関係して、街道の拠点の一つである当地にも進出していたのではないだろうか

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    名内城に関わる石仏

    如山心徹居士 城代俗名伊藤大隅守 秋谷内記 血脇 藤崎 山崎 元禄七甲戌年十月廿六日 名内村

    名内鳥見神社(産砂神社ともいう)にある元禄年間の庚申塔に刻まれた碑文

    秋谷氏らが名内城代伊東氏(伊藤氏)に 仕えた家臣の子孫として、伊藤大隅守の 供養のために建立したものか

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    参考文献他 参考文献 『房総の古墳を歩く』 芝山町町立芝山古墳・はにわ博物館友の会 (2006) 『印旛手賀―印旛手賀沼周辺地域埋蔵文化財調査』 (早稲田大学考古学研究室報告) 早稲田大学出版部 (1985) 『 東葛の中世城郭』 千野原靖方 崙書房出版 (2004) 他 参考HP 柏市HPより「柏市内の主な遺跡」

    手賀沼と松ヶ崎城の歴史を考える会 では、昨年の松ヶ崎城紹介DVDに続き、 周辺遺跡マップなどの作成を予定

  • 2014/1/1

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