遊びと創造性 -...

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遊びと創造性 妙木浩之 *この資料(文字のみ)は「フロイト以後100年」ブログサイトに掲載。 http://winnicott.cocolog-nifty.com/psychoanalysis3/ D.W.Winnicott 1896-1971

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遊びと創造性妙木浩之

*この資料(文字のみ)は「フロイト以後100年」ブログサイトに掲載。http://winnicott.cocolog-nifty.com/psychoanalysis3/

D.W.Winnicott1896年-1971年

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『北山理論の発見』から考えるu 北山理論は、日本の精神分析のなかで独自の発展をしている領域である。

1. 見るなの禁止⇒タブー研究の発展2. 心身両義性の体験⇒強迫の研究3. 橋渡し機能の言語技法⇒あいまいさの言語論やメタファーの技法論

4. 覆いの技法論:精神分析設定と退行の理論5. 共視論と治療同盟のプロセス6. 遊びと創造性

⇒ウィニコットの理論的発展

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動物と人間の間、移行的存在

人間

さまざまな異形たち

動物

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身体の境界線のなかで性感帯でもある場所は、心と体のあいまいな領域

内心

間としての心身両義性

体外

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心身両義性

身体語を用いることで、心身的な体験を比喩として用いることができる⇒言葉のあいまい機能やメタファーの橋渡し機能の発見

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1984両義的な言葉の橋渡し機能1983年「国語発想論的解釈」解釈はあくまで日常語である

→『日常臨床語辞典』1984年ハコとかカベ

比喩の発生1985年「妄想患者の治療における比喩の発生」1985年「文字通りの体験が比喩になる過程」1986「冗談と比ゆ」1986年「開業精神療法:治療の最小単位として」

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比喩の相互作用機能(Black)

おおかみ 男

男は狼である(AはBである)によって、AとBとが相互作用を受ける。

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北山理論のウィニコット的背景u『錯覚と脱錯覚』(1985)はウィニコット研究の本としておそらく、最も優れた業績のひとつである⇒北山理論の発想の基盤に「遊ぶことと現実」の理論がある。

uウィニコットは、おそらく精神分析の現在を考える上で重要な三人の精神分析かのひとりである(ラカン、ビオンと並んで)。

uウィニコットの理論は、精神分析の理論を拡張する。ただしそれは、精神分析全体を刷新するので、さまざまな齟齬を他の理論との間で起こす⇒北山理論はその点で革新的な部分を引き受けている。

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遊びの理論1uHuizinga(1872-1945)オランダの文化論・歴史学者:『中世の秋』という代表作で、文化論的な発想を革新した。彼によって、中世からルネッサンスの文化史は、ブルクハルトのルネッサンス期観に対して一石を投じたものになった。その後国連で働くなどしながら、『ホモ・ルーデンス』(1938)で文化の本質に「遊び」があるという主張を行った。オランダへのナチス侵攻によって大学職を失い、一時期強制収容所に、その後軟禁状態のまま、亡くなった。

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遊び=ホモ・ルーデンスu「文化は遊びの形式の中で発生し、はじめのうち、文化は遊ばれた、とうことだ」「文化は遊びとして、もしくは遊びから始まったのではない。言うなれば遊びの中で始まったのだ」「形式について考察したところをまとめて述べてみれば、遊びは自由な行為であり、『本当のことではない』としてありきたりの生活の埒外にあると考えられる。にもかかわらずそれは遊ぶ人を完全にとりこにするが、だからといってそれが物質的な利益と結びつくわけでは全くなく、また他面何の効用を織り込まれているものでもない。それは自ら進んで限定した時間と空間の中で遂行され、一定の法則にしたがって秩序正しく進行し、しかも共同体的規範を作り出す。それは自らを好んで秘密で取り囲み、あるいは仮装をもってありきたりの世界とは別のものであることを強調する」

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遊びの理論2Roger Caillois 1913–1978uフランスの文芸批評家・社会学者高等研究実習院でディジメルやコジューヴ、そしてマルセル・モースなどに学んだ。そのころ、初期においてはアンドレ・ブルトンやラカンといったシュールリアリズム運動に関係していたが、すぐにわかれ、そのごバタイユを発起人とする社会学研究会に参加した。第二次世界大戦の間はナチスを逃れてアルゼンチンで過ごし、戦後1948年からユネスコで働きながら、フランスの社会学的な研究を推進した。社会学的な研究では『聖なるもの』についての著作が有名。『ホモ・ルーデンス』に啓発されて書いた『遊びと人間』(1958)は、遊び論の金字塔と言われている。

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遊びはさまざまな側面をもつ聖なるものの出現と遊びとの関連性について研究しつつ、遊びとはルドゥスに起源を持ちつつ、そこにさまざまな発展をもつが、それは

1. 自由な活動

2. 隔離された活動

3. 未確定の活動

4. 非生産的活動

5. 規則を持った活動

6. 虚構の活動

アゴン(競争:文字通り徒競走など)

アレア(偶然:ルーレットなど)

ミミクリー(模倣:演劇やRPGなど)

イリンクス(眩暈:絶叫マシーンなど)

競争

(アゴン)

模擬

(ミミクリ)

偶然

(アレア)

眩暈

(イリンクス)

計算(脱所属)

混沌(脱自我)

脱意志

意志

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遊びの理論3Gregory Bateson(1904-1980)イギリス出身で、第二次世界大戦後、アメリカに移住。コミュニケーションの研究を行い、文化人類学者マーガレット・ミードの公私にわたるパートナーであった。集団や個人のダイナミックスを分析する中で、「ダブルバインド」という概念を生みだし、統合失調症をコミュニケーション論から分析した。彼はパラドクスの概念を「遊び」に応用して、メタコミュニケーションにおけるフレームに対するパラドクスの導入と言う視点から、生物における遊びを定式化した。

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遊びとはメタコミュニケーションMental research instituteuベイトソンを中心として、統合失調症の原因論についてのモデルを、家族のコミュニケーションから再構成しようとした。

uその結果、システム論的な家族療法が登場した。⇒ブリーフセラピーに。

BatsonWeakland

Haley

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分裂生成的コミュニケーションu「好き」という言葉(メッセージ)に対しては好きという態度(メタ・メッセージ)があることが一貫性がある。 例外:社交辞令

u遊びはフレームの真偽についてのパラドクスである。

言葉「好き」

態度:嫌いA B

拘束関係

どっち??????

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この枠の中で語

られる言葉は偽で

ある。

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つまり遊びには定義上、以下のような条件が必要だ。u遊びの空間と時間には場=枠組み=規則があるu枠や規則があれば、そのなかでは、あれもこれもありえる、なんでもいろいろなこと、つまり自由な活動ができる

uそこには心理的に空想的な側面や夢中な気持ちがあるu不確実さや未決定がありそれを楽しむことができる(興奮がある)

u非生産的、まじめではない世界であり、その意味で労働とは異なる

uパラドクスがあり、うそか本当かについての逆説を生きるuそれがうそやあり得ないことを可能にしてくれる⇒「創造性creativity」につながっている(Winnicott)

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遊びの理論の周辺:精神分析u Freudはフォートーダ遊びを記述したが、それは対象と欲望の説明のためで、遊びそのものを理論化しなかった。文化的な活動を精神の基本に据えたが現実的な発展のなかには空想や夢想はむしろ前文化的なものとみなした。

u その後M.KleinとA.Freudの論争が起きて、Klein学は空想や夢想が理論の中心と捕らえるようになった。ただそこでは遊びはそのなかで二次的な議論であった。

u Anna Freudは遊びを重要な道具と捕らえたが、それを理論の中心にはおかず、退行論と昇華の理論が中心だった。自我心理学が述べたのは「創造性」との関連で、「治療的退行regression」、「自我のための自我の退行A Regression in the service of ego」(Kris)あるいは「創造的退行」(Schafer)の理論であった。

u D.W.Winnicottが登場して、「遊ぶこと」をすることとして積極的に捕らえなおして、精神分析の中心にすえた。

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児童分析の出発点u Freudの周辺にいたHug-Helmuthは、児童養施設で、児童分析をはじめた。

u 精神分析の祖、Freudの娘Anna Freudは保母だったが、その仕事を延長として、児童の分析を始めた。

u でもFreudが倒れる事件が1923年、Hug-Helmuth事件が1924年に起きた。

u M.Kleinは自分のうつ病を治している間に、精神分析家になる決意をして、特に子どもの分析を始めた。

⇒この二人の論争は、児童分析の大論争になり、そこから新しいWinnicottの視点が生み出された。

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Hellmuth事件Freudは、娘が問題を持っていることを1918年代、つまり思春期に発見する。そして彼女を治療的な理由で分析した。Freudは、孤立しやすいAnnaを心配して、いろいろな女性の分析家を紹介したが、その後1923年にFreud自身が倒れ、死にかける。そしてAnnaは彼の秘書のような役割をし始めるが、その折、1924年9月にHug-Helmuth事件がおきる。Helmuthは甥のRudolfによって殺害されていることが発見される。Helmuthは養護施設を作り、子供たちの治療をそこで行っていたので、子供への精神分析への懐疑的な雰囲気がそこで出来上がった。Annaはイギリスに留学して、保母の資格を持っていたが、それに対して慎重な立場をとる。

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Anna Freud(1895-1982)1914年にイギリス留学して保母の資格を取り、ウィーンで戻ってから教鞭を取り、1918年に思春期以降の問題が明らかになってきたので、父親から分析を受ける。23年以後、Freudのがんが発覚した後は、彼女が精神分析の秘書になっていく。父親から二度目の分析を受けることで、分析家になる。u 1925年ごろより分析の秘書:児童分析のセミナー25年に出版

u 1936年『自我と防衛』を出版u 1938年にロンドン亡命して、ハムステッドクリニックにおける研究 →発達ライン

u ハムステッド孤児院における愛着研究⇒今日のAnna・Freudセンターにつながる。

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論争の始まり:1927年英国精神分析協会における児童分析セミナーu 1925年にAnna・Freudがその本でKleinを批判⇒児童分析は特別な配慮(導入が必要)ベルリンから英国に招聘されていたKleinu 1927年英国協会のセミナーで、Kleinが児童分析について、Anna・Freudを批判→ロンドン学派対ウィーン学派の対立が生まれる。遊びについては、双方とも詳しい議論をしていなかったが、実際にAnnaの技法には子供と一緒に遊ぶことが含まれていた。Kleinは、小さなおもちゃを用いて、それを分析に用いた。

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発達ラインAnna Freudの研究の中でもっとも重要なのは児童の異常についての発達心理学的な精神分析であった。そのときに彼女が用いた概念として「発達ラインdevelopmental lines」がある。u依存から成熟へのリビドー発達のラインu絶対的依存状態から自立のラインu対象世界における自己中心性から仲間の獲得u移行対象を通じて、遊びや仕事に向かうライン

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Melanie・Kleinの仕事

子どもの治療、児童分析のための基本的な技法を開発した。小さなおもちゃを通して展開する遊びを通して、それを解釈していくことで、子どもに無意識的な表現の場所とした。彼女の技法は、今日の児童分析の標準的な技法になっている。『Melanie Klein著作集』が刊行されている。

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Melanie Klein 1882-1960

1882年ウィーンに四人兄弟の末っ子として生まれる。4歳時、二姉のシドニー(四歳上)が死去18歳時、父親モーリス肺炎で死去19歳時に婚約20歳時、兄のエマニュエル、心臓発作で死去22歳時、長女メリッサを出産24歳時、第二子(長男ハンス)妊娠時に抑うつ状態27歳時、抑うつでスイスのサナトリウムに二ヶ月静養

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32歳時、次男エーリッヒを出産、母親リブッサ死去。ハンガリーで分析家フェレンチィを尋ねる、精神分析を受ける。

36歳、国際精神分析会議でFreudの発表を聞く。37歳「誕生における家族ロマンス」を提出。38歳、アブラハムに出会い、39歳、夫のスウェーデン移住を契機にベルリンに移住。メリッタはベルリン大学に入学。

41歳、ベルリン精神分析研究所の会員⇒small toy technique

42歳(1924) アブラハムとの教育分析開始。メリッタがシュミドバーグと結婚。

43歳、アブラハムの死。妻子あるジャーナリストとの交際、児童分析のセミナーをロンドンで開く。これを契機にイギリス移住。クラインの仕事を紹介し続ける

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ロンドンへの移住によるKleinの発展44歳(1926)、夫と正式に離婚。恋人との破局。ロンドンに招聘移住。Anna・Freudによる早期分析批判に対してショックを受けるが、すぐさまその反論をイギリスで展開する。彼女の発想は基本的に精神分析を進歩させたという指摘をFreud自身が行っている。おもちゃ=対象アブラハムの指摘した対象関係早期の不安を解釈すること⇒ロンドンのブルームズベリー・グループ

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Small toys

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Kleinの発展:抑うつポジション

46歳 「エディプス葛藤の早期段階」50歳(1932)『児童の精神分析』を発表51歳(1933)メリッタとグラウバーとの対立52歳(1934)長男ハンス、タトラ山登山中に転落死「躁鬱状態の心因論に関する寄与」

→抑うつポジションの発見早期のエディプス・コンプレックス

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Kleinによる1934(1935)年の「躁鬱状態の心因論」論文

抑うつポジションー抑うつ不安

内的対象internal object

1938年にフロイト家の亡命:移住と対立の激化

57歳(1939)戦争のためケンブリッジに転居、元夫アーサー、スイスで死去。

58歳、姉エミリー、ロンドンで死去。スコットランドに疎開。

59歳、症例リチャードを治療。

1941年 Anna Freud-Klein論争がはじまる。⇒感情的な対立が激化していく。

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症例リチャードイギリスにおけるクラインの仕事は、多くの人たちに注目されるようになった。なかでも「症例リチャード」は精神分析の有効性を世の中に示した。

4,5歳から興味と能力の抑制、心気症的、抑うつ傾向が強まる。他の子たちを怖がり、外出できなくなった。8歳以降不登校。 1941年4月28日から8月23日までの期間。週六回(時に七回)のペースで行われた、全93セッションの事例である。当初、きわめて前性器的な表現から、Kleinの原光景や早期不安の分析を通じて、次第に統合されていく姿が描かれている。

Freudたちが亡命してくる危機的な状況で戦火のなかで亡命先でKleinが行った精神分析⇒

⇒クライン学派の形成抑うつポジションといった独自の概念

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投影と摂取、分裂と否認などの原始的な防衛u 症例リチャードによる良い対象の取り入れu 抑うつの痛みを耐えるためのメカニズム悪いものを取り入れることの反対が治療であり、それは統合を意味している。

ここで分析の技法は飛躍的に進歩した。部分対象と象徴形成というモデル

⇒おもちゃ 原始的な取り入れその分析 原始的は排出

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Klein派の技法的発想転移のプロセスを取り扱うときに、大人の分析手法が、おもちゃと遊びを通して子供にも応用可能であり、その技法を拡張するには、乳児水準でのプロセスに注目する。

1.解釈は食物=良い授乳で、治療者は良い乳房である2.治療者は投影を引き受ける悪い乳房でもある。

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Freud-Klein論争の初期の論点1)児童分析における導入期の必要性A.Freud(以下A)=児童は自発的な決心で治療に訪れないし、病気に対して洞察を持たず、治療への意志を持たない。患者の気分に適応して、分析者を興味ある人物と思わせて、患者にその有用性を伝え、現実的な利益を確認させる「導入期」の必要性

M.Klein(以下M)=その必要性はない。子どもの治療は原理的に大人と一緒である。

2)児童分析における家族の参加A=情報の収集や状態を把握するために、そして教育的な面でも有用

M=家族の葛藤を巻き込むためにマイナス

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3)児童の感情転移A=児童分析では治療者は鏡というよりも、積極的に働きかけていることが多い。しかも子どもは起源的な対象関係の神経症的な関係を発展させている途上にあるのであって、まだそれは実際の両親との間で現在進行中で、古い版になっていない。そのため感情転移は起こりにくい。

M=3才までに対象関係の原型は作られているので、それ以後においてはすべて起源の神経症を大人の神経症と同様に形成している。感情転移、特に陰性の感情転移こそ治療において重要である。

4)エディプス・コンプレックスA=3-6才の間に形成される。超自我はエディプス葛藤の解決によって形成される(攻撃者との同一化)

M=早期エディプスコンプレックスの形成。3才までに完成している。これ以後の子どもは処罰不安を持っている理由はそのためである

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5)児童分析での教育A=教育的要素の必要性。児童は現在も自分のモデルを取り入れ中で、治療者が教育的な視点から「自我理想」であることが重要。

M=分析と教育は違う。早期から形成されている罪悪感や対象関係を深く扱うのが精神分析である。

6)死の本能A=死の本能よりも自我と精神装置を重視M=死の本能を理論の根幹に据える7)解釈A=自我から本能へ。防衛の解釈からイド解釈へM=超自我を緩めるための深層解釈。象徴解釈を多用する。

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論争の果実:遊びの視点からu Kleinは独自の分析手法を開発する方向に行った。それはおもちゃを部分対象として扱う可能性にある=遊びの中での象徴や対象の取り扱いを分析できるようになった。その結果空想とは異なる幻想phantasyの分析が可能になり、理論が進化して、「抑うつポジション」「妄想分裂ポジション」といった精神病理解が進歩した。

u Anna Freudは初期の導入は不要だと考えたので、遊びは少なくなっていった、ただ遊びを観察に使うようにはなり、より診断や査定を重視するようになり、一般心理学の発達に関する知見を増やしていった。その結果「発達ライン」概念が明確になり、精神分析が発達心理や乳幼児精神医学の中心を占めるようになった。

u この論争は家族をイギリスに場を移してからは、訓練の問題になり、さらにKleinの家族が周囲を巻き込む感情的な対立になっていったので、Anna Freudは英国協会を脱退して、スイス精神分析協会に所属した。イギリスではこうした対立を納める形で、間に立ち、中間学派が作られるようになった。こうして小児科医であり、精神分析を学んだWinnicottが登場してくる。

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Winnicottの理論u彼は小児科医であったために、精神分析治療の利点を知っていたが、それがつねにどんな子供にも提供できるわけではないという現実的な視点をもった。

u第二次世界大戦の疎開計画の中で、子供の心をどう守るかということを独自に考えるようになった。

uもともと内的幻想中心のKlein学派から出発したが、そこから環境を含めた子供の全体的なあり方を考えるようになった。そのため晩年の技法はより短期の「精神療法的コンサルテーション」に特化しはじめた。

u遊べること、夢見れることができる可能性空間を重視するようになった。

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ウィニコットの理論的発展1. ストレイチーの分析(1923-33)

古典的なFreud的解釈

2. Klein派の時代(1935-46)

「躁的防衛」(35)「設定状況」(41)

3. 母性的環境仮説の着想(41-46)

定型的な治療構造から疎開計画の体験

4. 理論的な進歩(46-51)

環境としての母親、Kleinから離脱

5. ウィニコットの臨床的な貢献(52-71)

治療的な技法の定式化

→リトル(49-)、カーン(51-66)

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治療相談therapeutic consultation精神療法面接とは異なる技法二三回あえば治る症例に対するもので転移と抵抗を扱うよりも間の体験のなかでクライアントのニードに合わせた体験を提供する。

uスクィグル技法uオンディマンド法u在宅などの環境の活用

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症例ルース 8歳u父親が相談に来た。相談は二つ。ーっは,三人の子どものうち真ん中の娘が学校で盗みをするようになり.これに伴って彼女の性格が変わり隠しごとをしたり,こそこそするようになったことである。そして学業成績はさがり,学校は彼女の転校を求めてきた。もう一つは,仕事をやりながら家族の世話もしてきたこの人が,妻の病気の管理に混乱するようになったことである。彼の妻は三つの病気をもっていて,そのため彼は三つの病院状況にかかわっていたが,どういうわけかその3病院のソーシャルワーク部門聞のコミュニケーションが欠如していた。

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1.主観的対象としての医師2.オンディマンドの対象として治療者3.枠組みとして面接室を使う

⇒ルースはすぐにくつろいだ。彼女は,姉のことや,学校に通っている妹のことを話してくれた。彼女は私のところに来るために学校を休んだことを,それほど気にしていないと言った。学校に出ていたとしたら国語の授業を受けているはずだった。彼女はゲームをやろうという私の提案を受け入れた。そこで,私はスクイグルを描いた。

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遊びは交流の枠組みを作ることから場を作る⇒u子供は自分の問題(痛みや苦しみ)をもってくる。u治療者はそれを一緒に見る(共視論)という関係の中で、子供の情報を聞き、アセスメントする(兄弟)

u治療者との間に交流を生み出す。u彼女は自分の問題を象徴的に語る(乳母車=母子一体)

u場を作るためには、環境に配慮する(ゼラニウム)

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交流にはズレと一致とが生まれるuコミュニケーションにおける一致とズレは最近の関係的精神分析で発見されたことだが、ウィニコットははやくから、ここに交流する側面と交流しない側面があることを知っていた。⇒一人でいられる能力 capacity to be alone

無慈悲から思いやりの段階への発達偽りの自己の形成環境からの侵襲に対して組織される自己交流する領域と一人の領域:交流と内省

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関係の指標(交流の領域と言語化の領域)u ウィニコットは「信頼の確立」と解説している。u 治療関係での同調tuning inによって、主題が一致していく、それは同時に内側で起きていることにアクセスするための機会

u 信頼という枠組みと攻撃的な関係性という内容は一種のパラドクスだが、それが遊びのなかで可能になっていく。

⇒この結果私は大胆になり,作為的にメチヤメチャのスクイグルを描いた。彼女はその周囲に桶を描き加えて.それが桶に入っている水となるようにした。ここにはパーソナルな空想がみられ,私はルースの夢の世界に近づくことができるようになった。彼女が夢を見る時これと似たものの夢を見たことがあるかどうか尋ねた。彼女はテレピでなら見たことがあると言ったが,その時見たのは穴の聞いた桶に入っている魚だった。私は夢というアイデイアを諦めないで「おかしな夢とか,恐ろしい夢はどうかなJと訊いた。ここで,彼女の話題は夢生活に切り替わった。「私の夢ほほとんど同じなの。毎晩夢をみるわ。Jこの夢を図にして説明するために,彼女は大きい紙を1枚取った。

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混乱=カオスから夢の入り口15)大昔の船が水とともにやってくる。「妹が腕に抱かれている赤ちゃんだった時,私は走っていたの。それはお母さんが脚を悪くする前だったの。水が押し寄せて来ているの。私はいろいろな品物や,赤ちゃんのベビーフードを持っているの。赤ちゃんのために,ベビーフードを他の品物と一緒にしておいたのね。夢は良い終わり方をしたのよ。お父さんが自動車で帰って来て,車庫にバックで入れたの。お父さんが船に体当たりして,船を粉々に壊したの。すると,水が全部引いていったの。こんなふうに夢は良い終わり方をしたの。」父親が帰って来てその状況を救ってくれるまでの。この夢の中間の部分の叙述には,かなりの不安がみられた。⇒夢のなかで繰り返される「外傷」

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夢の悪いヴァージョンこの夢は楽観的で,結末はすべてうまくいっていた。だから,同じ夢の悲観的な表現形がどこかにあるはずだった。私にはこれが必要だ、ったので,ルースに最悪の場合を描くように頼んだ。(16)

再びルースの描いた絵。この絵には,赤ん坊を抱いた母親が現われているが,ルースは描きながら自分で驚いていた。「あれ,すごく小さいチピだ。」彼女は,自分の後ろにある海には,赤ん坊を縮ませる毒が入っている,と言った。母親も縮んでしまうのだろう。「あっ見て.私,どんどんお母さんから離れていくわ。」この絵は,ルースの分離の最も深刻な領域と,絶望感の出現を直接的に見せてくれているとウィニコットは言う。

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遊びの交流の場:スクィグルの特徴u 治療者のほうが子供たちよりもなぐりがきが上手で、子供のほうがたいてい絵を描くのが上手である。

u スクィグルには衝動的な動きが含まれている。u スクィグルは、正気の者が描いたのでない場合には狂気じみている。そのためスクィグルが怖いと思う子供もいる。

u スクィグルは制約をつけることはできるが、それ自体は制約のないものである。だからそれがいたずら描きだと思う子供もいる。これは形式と内容という主題に関係している。用紙の大きさと形がひとつの決め手となる。

u それぞれのスクイグルにはある統合が見られるが、それは「私」の側にある統合から生じるものである。これはよくある強迫的統合ではない。よくある強迫的統合には混沌の否認が含まれていると思われるからである。

u ひとつのスクィグルのできばえは、それ自体が満足のいくものであることが多い。そういうのは例えば、彫刻家が石や古い木片をひとつ見つけて、手を加えずに一種の表現としてそれを置いたような「見出されたオブジェ」のようなものとなる。

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遊びの理論4Donald Winnicott(1896-1971)u 遊ぶことにひとつの場所を与えるために,私は赤ちゃんと母親のあいだの可能性空間を仮定した。この可能性空間は,母親あるいは母親的人物との関係における赤ちゃんの生活体験によつて実に大きく違ってくる。そして私は,この可能性空間を以下の二つと対比した。(a)内的世界(心―身のあいだのパートナーシップに関連している)と,(b)実際のあるいは外的な現実(それ自体の諸側面を持ち,客観的に研究することができ,どんなに観察する側の個人の状態によって変化するように見えても実際に恒常的に存在し続ける)である。

u 心理療法は二つの遊ぶことの領域、つまり、患者の領域と治療者の領域が重なりあうことで成立する。心理療法は一緒に遊んでいる二人に関係するものである。以上のことの当然の帰結として、遊ぶことがあり得ない場合に、治療者のなすべき作業は、患者を遊べない状態から遊べる状態へ導くように努力することである。(ウィニコット『遊ぶことと現実』)

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「遊び」と創造性u間にある遊びの空間

主体 対象

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「強迫症」を生み出すもの

u対象aと主体の世界

主体

対象a

強迫の穴

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「あい間」を生み出すもの

主体 対象

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「ヒステリー」を生み出すもの

対象ヒステリーの穴

対象a

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「移行対象」を生み出すもの

u間にあるsmotherやattachmentの空間

主体 対象移行対象

可能性空間(対象a)

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スクリーン・モデル(共視論)⇒見るなの禁止から一貫した交わりのモデル

Th Cl(x)

対象 主体

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自生モデル:生き生きとした接触

Th Cl

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『北山理論の発見』補遺u 北山理論のように、文化のなかで遊ぶことが交わりの部分に新しい文化を生み出す。北山修ときたやまおさむにおいては、二重の世界が下敷きにある。

u 遊ぶために場、規則などの枠組みが必要であるu にもかかわらずそこに夢や空想が守られている必要がある(錯覚)u 遊びは一致とズレの間にあるので、しばしば覚めることと遊びを行き来する(脱錯覚)

u 遊ぶことには、自発的な活動であり、そこに興奮や夢中を伴うu 対話によって交流が生み出されるが、同時にズレによって外に目が向く、そして外に目を向けるためには、混乱や混沌が必要になる

u 破壊や破滅として遊びが使われることもあるu 混乱や混沌から創造的なものが自生されるときに対象が新しく生き残る