上原記念生命科学財団研究報告集, 28 (2014) ·...

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143. 老化性筋萎縮に対する新規治療薬の探索 中川 健太郎 Key words:Hippo pathway,サルコペニア,     化合物スクリーニング 東京医科歯科大学 大学院医歯学総合研究科 病態代謝解析学分野 緒 言 転写コアクチベーター TAZ は N 末端に転写因子 TEAD と結合する領域,分子中央に PPXY モチーフを含む転写因 子と結合する WW 領域,C 末端に DNA 転写活性領域をもち,パラログである YAP1 と類似の分子構造を有する. TAZ は YAP1 と同様に腫瘍抑制シグナル Hippo pathway により制御される.TAZ は Hippo pathway を構成するキ ナーゼである LATS1/2 によってリン酸化されると 14-3-3 に結合して細胞質に移行し分解される.ヒト癌では Hippo pathway の構成分子の発現抑制や変異によって TAZ の活性増強が認められる.TAZ をコードする遺伝子の増幅も認 められる.TAZ の活性増強は癌細胞の間葉細胞化を引き起こし,癌幹細胞性の獲得につながり,臨床的予後を悪化さ せるため,TAZ は癌治療の分子標的として注目されている.しかし,TAZ は TEAD のほか,SMAD2/3 など多種多 様の転写因子と共役し,個体発生における臓器形成や組織幹細胞の制御に重要な生理的役割も果たしている.骨格筋組 織においては,TAZ は筋分化制御に重要な Pax3,MyoD と共役する.TEAD も筋組織においては,筋特異的遺伝子 転写を高める.筋細胞では SMAD2/3 は筋分化を抑制するサイトカインである myostatin のシグナルを担っている が,TAZ は全体としては筋分化を促進する.これに対して YAP1 は筋分化を抑制し,その活性増強は筋萎縮を起こ す. 老化に伴う筋萎縮は高齢化社会が直面している重要な医療課題である.適正な栄養と運動による予防が重要だが,外 傷,疾病などにより一度筋萎縮が始まると,筋萎縮による運動制限,運動制限による筋萎縮という悪循環に陥るので, リハビリを可能にする筋量の回復を達成する薬剤も必要である.アンドロゲン受容体刺激剤やペプチドホルモンであ るグレリンの応用が試みられているが,私たちは TAZ 活性化剤がサルコペニア治療に有用な新しいカテゴリ―の薬剤 になるのでないかと期待している.そこで,本研究では細胞表現型依存的な TAZ 活性化剤スクリーニング系を構築 し,東京医科歯科大学所有の化合物ライブラリーを用いて,TAZ 活性化候補化合物を取得した.さらに,その中から マウス筋芽 C2C12 細胞の筋分化を促進する作用のある化合物を選択し,筋萎縮治療薬として展開する可能性を検討し 1) 方法および結果 1.TAZ 活性化化合物の探索と C2C12 マウス筋芽細胞の筋分化に対する TAZ 活性化化合物の効果の検討 ヒト不死化乳腺上皮細胞株である MCF10A 細胞に TAZ の 89 番目のセリンをアラニンに置換した恒常的活性化型 TAZ を発現させた MCF10A 細胞(MCF10A-TAZ SA)は,浮遊培養条件下でスフィアとよばれる細胞塊を形成し増 殖する様子が観察される(図1 A).野生型の TAZ を過剰発現させた細胞(MCF10A-TAZ)はそれ自体にはスフィア 形成能がないが,この細胞も TAZ をリン酸化し機能抑制するキナーゼである LATS1/2 をノックダウンするとスフィ ア形成能を獲得する(図1 B).TAZ を強制発現させていない MCF10A 細胞において LATS1/2 の発現を抑制しても スフィアの形成は誘導されない.またスフィア形成能を持つ LATS1/2 を発現抑制した MCF10A-TAZ 細胞で TAZ をノックダウンするとやはりスフィアの形成能は失われる(図1C). 1 上原記念生命科学財団研究報告集, 28 (2014)

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143. 老化性筋萎縮に対する新規治療薬の探索

中川 健太郎

Key words:Hippo pathway,サルコペニア,    化合物スクリーニング

  東京医科歯科大学  大学院医歯学総合研究科  病態代謝解析学分野

緒 言

 転写コアクチベーター TAZ は N 末端に転写因子 TEAD と結合する領域,分子中央に PPXY モチーフを含む転写因子と結合する WW 領域,C 末端に DNA 転写活性領域をもち,パラログである YAP1 と類似の分子構造を有する.TAZ は YAP1 と同様に腫瘍抑制シグナル Hippo pathway により制御される.TAZ は Hippo pathway を構成するキナーゼである LATS1/2 によってリン酸化されると 14-3-3 に結合して細胞質に移行し分解される.ヒト癌では Hippopathway の構成分子の発現抑制や変異によって TAZ の活性増強が認められる.TAZ をコードする遺伝子の増幅も認められる.TAZ の活性増強は癌細胞の間葉細胞化を引き起こし,癌幹細胞性の獲得につながり,臨床的予後を悪化させるため,TAZ は癌治療の分子標的として注目されている.しかし,TAZ は TEAD のほか,SMAD2/3 など多種多様の転写因子と共役し,個体発生における臓器形成や組織幹細胞の制御に重要な生理的役割も果たしている.骨格筋組織においては,TAZ は筋分化制御に重要な Pax3,MyoD と共役する.TEAD も筋組織においては,筋特異的遺伝子転写を高める.筋細胞では SMAD2/3 は筋分化を抑制するサイトカインである myostatin のシグナルを担っているが,TAZ は全体としては筋分化を促進する.これに対して YAP1 は筋分化を抑制し,その活性増強は筋萎縮を起こす. 老化に伴う筋萎縮は高齢化社会が直面している重要な医療課題である.適正な栄養と運動による予防が重要だが,外傷,疾病などにより一度筋萎縮が始まると,筋萎縮による運動制限,運動制限による筋萎縮という悪循環に陥るので,リハビリを可能にする筋量の回復を達成する薬剤も必要である.アンドロゲン受容体刺激剤やペプチドホルモンであるグレリンの応用が試みられているが,私たちは TAZ 活性化剤がサルコペニア治療に有用な新しいカテゴリ―の薬剤になるのでないかと期待している.そこで,本研究では細胞表現型依存的な TAZ 活性化剤スクリーニング系を構築し,東京医科歯科大学所有の化合物ライブラリーを用いて,TAZ 活性化候補化合物を取得した.さらに,その中からマウス筋芽 C2C12 細胞の筋分化を促進する作用のある化合物を選択し,筋萎縮治療薬として展開する可能性を検討した 1).

方法および結果

1.TAZ 活性化化合物の探索と C2C12 マウス筋芽細胞の筋分化に対する TAZ 活性化化合物の効果の検討 ヒト不死化乳腺上皮細胞株である MCF10A 細胞に TAZ の 89 番目のセリンをアラニンに置換した恒常的活性化型TAZ を発現させた MCF10A 細胞(MCF10A-TAZ SA)は,浮遊培養条件下でスフィアとよばれる細胞塊を形成し増殖する様子が観察される(図1 A).野生型の TAZ を過剰発現させた細胞(MCF10A-TAZ)はそれ自体にはスフィア形成能がないが,この細胞も TAZ をリン酸化し機能抑制するキナーゼである LATS1/2 をノックダウンするとスフィア形成能を獲得する(図1 B).TAZ を強制発現させていない MCF10A 細胞において LATS1/2 の発現を抑制してもスフィアの形成は誘導されない.またスフィア形成能を持つ LATS1/2 を発現抑制した MCF10A-TAZ 細胞で TAZをノックダウンするとやはりスフィアの形成能は失われる(図1 C).

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 上原記念生命科学財団研究報告集, 28 (2014)

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図 1. MCF10A 細胞は TAZ の活性化依存的にスフィアを形成する.A) MCF10A 細胞に野生型の TAZ および活性化型の TAZ (TAZ SA) を導入し,非接着条件下で培養を行うと,TAZ SA を導入した細胞はスフィアを形成する.B) 野生型の TAZ を強制発現させた MCF10A 細胞

(MCF10A-TAZ)は LATS1/2 のノックダウン (LATS1/2 KD) によりスフィアの形成能を獲得する.C)LATS1/2 ノックダウンによりスフィア形成能を獲得した MCF10A-TAZ は TAZ のノックダウン (siTAZ) によりスフィア形成能を失う.Scale bars : 200μm.

 TAZ の活性化によりスフィアを形成する MCF10A-TAZ 細胞を利用し 18,548 個の化合物からスフィア形成を誘導する化合物を 50 個獲得した.HEK293 細胞を用いた TEAD 応答レポーターアッセイにより TAZ の転写活性化に対するこの 50 個の化合物の影響を検討し,化合物の絞り込みを行った.TAZ を共発現させるとレポーター活性が上昇するが,47 個の化合物の添加により更に活性の上昇が確認された.この 47 個の化合物に関して 10μM の化合物存在下で C2C12 細胞の筋管形成を誘導し,myofusion index により化合物の筋分化促進効果を定量した.さらに,筋分化マーカーである myosin heavy chain (MHC),myogenin の発現を比較し,筋分化促進活性の高い IBS008738 という化合物を本研究の解析対象とした(図2 A).

2.化合物 IBS008738 の C2C12 細胞の筋分化に対する作用 C2C12 細胞は細胞密度が高くなっている状態で2%ウマ血清を含む分化誘導培地で培養すると,細胞が融合し多核の筋管細胞へと分化する.この分化誘導時に IBS008738 を添加するとコントロールの DMSO を添加した細胞に比べて形成される筋管の太さ,長さともに増大している様子が観察された(図2 B).筋分化マーカーである myogenin やMHC の免疫蛍光染色画像からも IBS008738 によりこれらのマーカーを発現する細胞が増えている様子が観察された.筋管細胞分化の指標である fusion index を用いて IBS008738 の添加効果を定量したところ,1μM の濃度で筋分化を促進していることが認められた(図2 C).この IBS008738 による筋分化促進効果は TAZ をノックダウンすると認められなくなることから TAZ を介した作用であると考えられる(図2 D).

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図 2. TAZ 活性化化合物 IBS008738 は C2C12 細胞の筋分化を促進する.A) TAZ を活性化する化合物の探索から得られた IBS008738 の構造式.B) C2C12 細胞を 10μM IBS008738 存在下,3日間筋管細胞へと分化誘導を行い経時変化を位相差顕微鏡画像および myogenin と myosin heavychain (MHC) の免疫蛍光染色像により観察した.C) 1, 3, 10μM IBS008738 存在下,72 時間分化誘導を行い,C2C12 細胞の分化状態を多核となった細胞の割合を示す fusion index を用いて測定した.Dunnett's test ***P <0.001.D) C2C12 細胞の TAZ を siRNA を用いてノックダウンし,IBS008738 の筋管細胞分化に対する影響を検討した.Scale bars : 100μm.

3.マウス筋損傷・再生モデルとステロイド誘発性筋萎縮モデルに対する IBS008738 の投与効果 個体レベルでの IBS008738 の骨格筋に対する作用の解析を行った.蛇毒 cardiotoxin を DMSO もしくは IBS008738と共にマウスの前脛骨筋に局所投与して筋壊死を惹起し,その後の筋再生における IBS008738 の効果を検討した.Hematoxylin-eosin (HE) 染色像から,IBS008738 を投与したマウスにおいて再生後の骨格筋に特徴的な中心核を有する筋線維が増えていることが認められた(図3 A).筋線維基底膜を構成する分子の一つである laminin の染色画像から筋線維横断面積を画像処理ソフトである Image J を用いて計測したところ,IBS008738 投与マウスでは個々の筋線維がコントロールのマウスにくらべて肥大している様子が観察された(図3 B).成体マウスでは筋衛星細胞が組織幹細胞として機能し,筋損傷からの回復時に増殖して筋芽細胞に分化し筋線維の回復に寄与することが知られている.IBS008738 を投与したマウスの骨格筋では基底膜下に存在する Pax7 陽性の筋衛星細胞が5日目には増加しており,7

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日目には 14 日後と同様の割合まで低下している様子が認められた.このことは,IBS008738 投与により筋損傷に応じて早い段階で筋衛星細胞が増加していることが示唆する(図3 C).

図 3. IBS008738 は cardiotoxin による骨格筋損傷からの回復を促進する.IBS008738 を筋損傷を誘導する cardiotoxin と共に前脛骨筋に筋注し,骨格筋損傷からの回復の経時変化を観察した.A) Hematoxylin-eosin (HE) 染色像.再生筋線維の特徴である中心核を有する線維を計測した. B) 筋線維基底膜を構成する laminin 染色像.グラフは筋線維横断面積 (CSA) の比較を表している.C) Pax7 (赤) とlaminin (緑) による染色像.Student's t-test *P < 0.05 **P < 0.01 Scale bars : 50μm.

 さらに Dexamethasone (Dex) 25 mg/kg/day の1週間連日腹腔投与によりステロイド筋萎縮モデルを作製し,Dex連日投与後にマウス下肢に IBS008738 ないし DMSO を隔日投与,14 日目に効果を判定した.Dex 投与により筋線維が細くなり筋線維間に間隙が生じるが,IBS008738 を筋注したマウスの骨格筋ではこの筋線維の萎縮が緩和している様子が認められる(図4 A).図3と同様に laminin で染色し,筋線維の筋線維横断面積を計測したところ,IBS008738 を

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投与した骨格筋では筋線維横断面積が大きい細胞が対照群に比べて多く存在していることが判明した(図4 B).このことから IBS008738 にはステロイド筋萎縮からの回復を促進する作用があることが示唆される.

図 4. IBS008738 はステロイド誘導性筋萎縮を抑制する.Dexamethasone (Dexa) 25 mg/kg/day をマウスに1週間腹腔投与を行い,その後 DMSO もしくは IBS008738を後肢に隔日注射投与し 14 日目に骨格筋を固定した. A) HE 染色像.Scale bar : 50μm.B) laminin 染色像および筋線維横断面積 (CSA) の比較.Scale bar : 20μm.

考 察

 ヒト不死化乳腺上皮細胞のスフィア形成という表現型を利用し独自の細胞表現型スクリーニングを行い,in vitro でC2C12 細胞の筋分化を促進し,また in vivo 試験で個体の筋損傷時の修復を高め,ステロイドによる筋萎縮を防止する化合物を獲得した.得られた化合物の直接の分子標的はまだ決定されていないが,これまでに C2C12 細胞においてはTAZ と共役する転写因子の中でも,MyoD との作用に比較的選択的に作用していることを見出している.間葉組織幹細胞において TAZ は筋細胞分化のほか,骨細胞分化を促進し,脂肪細胞分化を抑制するので,TAZ 活性化剤は骨そしょう症,肥満に応用可能と推論される.しかし,TAZ のもつ腫瘍源性は無視できない.加齢に伴う筋萎縮治療においては超高齢者が対象となり,リハビリ可能な筋量が獲得されれば薬剤投与を中止でき,長期投与の必要がなく,局所投与で十分な可能性もある.従って,TAZ 活性化剤の筋萎縮治療への適用は現実性が高い.現在,IBS008738 の誘導体を対象として活性に必要な構造の決定と,より活性の高い化合物の作製を試みている.今後は,IBS008738 の直接の分子標的の決定と共に,老化マウスを用いて加齢による筋萎縮治療に対する有用性を検討したい.

共同研究者

本研究の共同研究者は,東京医科歯科大学医歯学総合研究科の畑 裕教授,楊 沢宇博士および生体材料工学研究所の影近弘之教授である.最後に,上原記念生命科学財団よりご支援頂きましたことを深く感謝申し上げます.

文 献

1) Yang, Z., Nakagawa, K., Sarkar, A., Maruyama, J., Iwasa, H., Bao, Y., Ishigami-Yuasa, M., Ito. S., Kagechika,H., Hata, S., Nishina, H., Abe, S., Kitagawa, M. & Hata, Y. : Screening with a Nnvel cell-based assay for TAZactivators identifies a compound that enhances myogenesis in C2C12 cells and facilitates muscle repair in amuscle injury model. Mol. Cell Biol., 34 : 1607-21, 2014.

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