一鯛‐ · 一鯛‐ 池 口‐ 8.0 608‐006 ......

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ガグァテマラって恋/6,tか?~グァテマラの基礎知織~

蝉威鰐銭ノリWにつし'て(ロナノノーナ・トクニクノ

愚露二部グァテマラ仁生きる鎌々な女盤の声を通じて

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生藤

近代化の中で

マヤの文化/女醤の繍承y

三部グァテマラの鼻獄から国/轍離民として・そのゆでの女291の声

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教育・労働。合意文審から

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1万1う)i)M'1 Cの利権と衝突することになり、1954年、アメ

リカ合州国の支援を受けたアルマス大佐がクーデ

ターを起こし政権を握りますb以後1985年まで

アテマラの基礎知識

◇歴

スペイン人の征服以前にはこの地域にはマヤ文明 い》蝋が栄え、4~6世紀、10~12世紀ごろに繁栄し

ました。今でもテイカル(グァテマラ)・コパン(ホ

ンデュラス)・パレンケ(メキシコ)といった巨大

●▲

な遺跡に当時をしのぶことができます。 1492年

のコロンブスのアメリカ

大陸到達後、この地はスペ軍政が続きます。これに し、

改革派の軍人たちを中心に反政イン人に征服されます。こ ①フローレス 府闘争が始まり、 内戦が今日に

嘩に長い植民地時代が始

りました。先住民族は

インディオ"と呼ばれ、

いたるまで続いています。19

76年、2万人以上が死亡する“

大規模な地震が中央高地で起こ

りましたが、この復興の中で多キリスト教化の対象とな 。バン●

囹妙

ルトパリオスるとともに、貢献 GMTEMALAによって くの民衆組織が頭角をあらわし植民地経済の中枢と結び 始めます。し⑥ケツァルテナンゴ

・グアテマラシティ

かしこのような民

付けられました。18世紀、 衆運動に対して軍は厳しい弾圧スペイン本国の行政改革 を加えました。440以上の村

が破壊され、100万人以上のにより中米地域は、 グァテ

マラを始めとする5つの

監察官領に分けられました。これが現在の中米各国

の原形です61821年、グアテマラは独立を宣言

しますが、これはクリオージョ(植民地生まれのス

ペイン人)が権益を保持するために行ったものであ

り、多くの先住民族にとっては何の変化もありませ

んでした。1871年から始まる「自由主義」改革

により輸出産業としてのコーヒー栽培が導入され、

鰯裟擁藻鵡鰯鰯纈蓋競るようになりました。20世紀に入るとコーヒーと

国内難民と15万人以上の外国

への難民が発生しました。1985年には民政への

移管が実現しますが、軍部の政治支配は変わらず、深刻な人権侵害がいまも続いています。

◇地理

国土は大きく三つの地域に分けられます。ペテン県

を中心とした北部低地は、人口が少なく熱帯雨林地

域ですが破壊が急速に進んでいます。中央部から西

部にかけて広がる高地には総人口の半分以上が住

んでいます。ここでは自給用のとうもろこしを始め

として、小麦とジャガイモなどのほか果物なども栽同様、輸出作物としての

バナナのプランテーシ

ョンが形成され、ユナイ

テッド・フルーツ・カン

パニー(uFC)に代表さ

れるアメリカ合州国資

本の権益が確立されて

いきます。1940年代

から50年代にかけて

アレバロ・アルベンス両

政権の下、それまでの独

裁政権に代わり民主化

の時代に入ります。農地i

培されています。

太平洋にかけての

傾斜地では、火山

よって作られた肥

沃な土地でコーヒ

ーのプランテーシ

ョン経営が行われ

ています。さらに

下っていくとさと

うきび、綿花など

の栽培、そして放

牧地が広がってい

面積:10万gOOOknf

人口:990万人(1992年推定)年間増加率2.9%

首都:グァテマラ市

一人あたりGNP:930ドル(1991年推定)

通貨:ケツァル(quotzaI)1993年末交換率約$1=05.85

宗教:カトリック、プロテスタントマヤの伝統宗教

識字率:55%(農村部女性では28%)

貧困者:総人口の75%(内54%が絶対的貧困層)農村部では84%・

都市部では64%

平均余命:64才(1990年)

5才未満児死亡率:1000人あたり60人(1993年)

の時代に入ります。農地改革が進められ、土地利用

の効率化が進められました。しかしこれがU、F、

ます゜何れも大農場で、収穫期になると高地から先

住民族の人々が季節労働者としてやってきます。

-1-

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CとUPiツセ`ん7.

第一部

フェルミーナさんの語夕を通して

コナビグァの濫鰯を見つめる

;コナピグァ創設の経緯

;グァテマラでは1960年から内戦の時代へと突入しましたが、それ以降軍部:

;による虐殺、誘拐などがはびこる恐怖の時代を人々は生きつづけてきました。そ;

;の歴史の中でも70年代末から80年初頭にかけては先住民族の村々を中心にゲi

1リラ掃討を名目とした徹底的な弾圧が行われ、440の村が破壊され、数万人のi

i死者、そして数多くの難民が生まれました。こうした軍による弾圧の中で多くの!

;女性がその連れ合いを奪われましたしかしこうした同じ痛みをわかちあう女性だ…、)

;ちが集まって一つの組織を作りました。それがコナピグァです。、。●の□●。●守■□●⑤・・。P●の●■●・●●●・■●の。●●●●●●■●●●●●●■●●●■●●●●●●B●・●●●●。●●●●●●●●●●●●●●●の。●Sc●●●●●●■●●●c●・●・ひの中・・申■。■⑪⑩・・●。■●。●●●P●●■・■・ロ・・・p・●・・P・・・・■・●。・・・p●。●●●■●。⑪。-■・巾●・び・pFo・・・■●●●●・P●●。●●●$●。■■・●・・じゎ中●■●●●■・●・・■●●●。。・・・s・巳●■O

なぜ、コナピグァが誕生し、女性の組織を育ててきたのか

それは女性がひとり残された時に、すべての仕事を担っていかなくてはならないとい

う苦い経験から生まれたのです。私たちは数え切れないほどの問題に直面し、その解決

に向けて模索しなければなりませんでした。女性には仕事も給料もなく、子どもを食べ

させることもできず、どうにもならない状態だったのです。ですがそうした状況の中で

も、私たちはどうにか生きていく道を探し、少なくとも子どもたちを一緒に育てること

ができました。これが男性だったら子どもたちを一緒に育てるなんていうことはできず

に、どこかへ預けるなりして面倒など見ないことでしょう。

こうした様々な問題をどうやって解決していくか、そこから私たちは組織していくこ

とになったのです。またそれとは別に、女性がそれまで全く社会の中に参加するこ報できないでいたこともあります。女性はいつも「おまえの仕事は子どもと動物の世記と

して家にいることだ」と言われてきました。

そのような訳で、コナピグァが生まれたとき、多くの人にとって女性が組織するなん

ていうのは狂気の沙汰と見えたようです。「委員会をつくることも、執行部をつくるこ

とも、とにかく何もできないだろう」と言われたものです。ですが実践の中で私たちは

仕事をこなし、参加を実現してきました。

こうした中で明らかな変化を前に、自警団のリーダーや村の軍事委員は「女性の問題を

解決しなくちゃならない。なにより彼女たちがこんなばかげたことを始めたのは夫がい

ないからだ。女性のグループをつくってあてがおう」などと言い出す有り様でした。

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ローイォl=り ⅢへのI直菩

幽國

最大の髄は読み書誉がで…とで…働くた…棚ける場、雪i雪所がないことも大きな壁となっていると思います。

また女性の参加がたいへん難しい理由は、女性を参加させるかどうかを決定するのは男性だ、

という世界に生きているからですbこうした点で世の中の多くの男性に対する意識化も必要だと

思います。

もちろんコナピグアをはじめとして、女性の組織は前進してきた訳ですが、まだまだ十分では

ありません。

]平合意後の社会へ向けて100

私たちは今、出発点にいます。すべてはこれから始めなくてはなりません。これまでの闘争の

時代が終わり、新しい仕事を始める段階に入りました。今までとは異なるメカニズムや手法が必

要とされています。しかしこれも私たちが続けて行かなくてはならない闘争であり、私たちには

組織していくことが必要です。

と言うのも私たち民衆が組織することを通じて、現在の状況をつくりだしたと考えられるから

です。ですが大きな変化が起きたとはいえ、これで平和が約束されるというわけではありません。

この和平合意の文書が紙の上のことに終わってしまう可能性もあるのです6ですから調印は平和

へのプロセスの始まりに過ぎません。

真の平和をいうならばそこでは貧困がなくならねばならないと考えます。もし土地も仕事もな

い人がいるならばどうしてそれを平和と呼ぶことができるのでしょう。

ITU

これまでのコナピグァの活動の大半は告発やデモなどでした。というのもそれが私たちのかか

える様々な必要性を表現する唯一の方法だったのです。しかし和平合意を得て、参加の可能性が

開けるものと考えます。

そこで今後は、和平合意に関わる仕事を始めなければならないと考えています。「先住民族の

アイデンティティーと諸権利に関する合意」や「社会経済合意は」は特に重要だと思いますbそ

こでは女性の権利や教育についてもかなり言及されています。

どうやってこうした課題にとりかかればいいか。まず女'性に研修を行い、教育を行っていくこ

とが必要だろうと考えています。というのも農村部のマヤ女性の多くは読み書きができないので

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シQPMブ.きないのです。そこで女性たちに対する識字教育をすすめることが重要だと考えてい

ます。

や炉〆年●

政治参加について・・・ロサリーナ・トウユク`雨(□サリー丁さんはコナビグァの代表で、95年に行われた選挙に「新しいグアテ

マラ民主戦線(FDNG)」より立候補し、現在国会で活躍している。)

この国の暦史のゆで、私たち女牲は今、太さを汐1k鱗をして

いるのだ.と思い主す。滋たち女牲の声と参わが必要とされる

あらゆるスペースへ参力していかzi・〈てば2t、らZrいのです。

時として私たち回攻治的Zrもの/二恐れを撞いたクし主すが,

私たちは子どもたちのだめ/ころ何かを創ク出さ堂、〈てはから

をい時代を生きているのでプ。とクわノブこの96年、97年

という年は私たちの国/ごとってとても重要か変化の時斯でも

あるのです汎二の未来への正義の基盤を作るといぅ大事Zr

時/こ、その場/二女姓たちの姿がZr〈、その変化/ご参力してい

かziいとすれば、それは何かを夫ブことを意銃するのです。

私左ろばそれぞれの場所で、一人一人が少しずつ時代を〃ク

上/プていかzi・〈てばZrらZi、いのです。

農民も、労鰯春も、学者も、新聞記考古、主婦も全ての葦

往がその声を一つにして在会/ご参加していかを〈てばなら古、

いのです。議会仁女性のだめの法を作るという涛任を果たさ

せるだめ/こは、誰かがやってくれるのを待っている定/プで在

〈、提言をしていかzi・〈てば玄、らをいのです。と/こが〈全て

の場所から女牲/ご対する差〃がzi、〈Zrろよう/こ翻っていか汝。

〈てはZセリまぜん。

(NoticiasdeGuatemala9amarzo号より)

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鵜第二部グァテマラに生きる様々な女性の声を通じて第二部では、女性へのインタビューを通じて、彼女たちの抱える様々な問題を

伝えたいと思います。

.….………….…・….……………………~…..……………..….…..…………….….…… ̄……….……….………….…………….………..……..…….….…….………;

;イサベルさん22蟻マヤの極利を守る会

:フランシスカさん40歳AnANCSO(社会科学振興協会)元研究員。以前、マヤの組織で働く

;エンマさん36歯AVANCSO元研究員。以前、農村部で保健プロモーターとして働く

:マリアさん32歳現在、マママキン(メキシコ難民の女性組織)グァテマラ首都事務所

;ホセファさんコナビグァ$・・・・-.●。。●●・・・・。・・○・・o・・・・・・・・・cc・Soo・・・・・・・・・・・・・・・・。・・・・・・・・・・・・・・Ce....c・・c・・・・・・・・・・・■・・・c0OooQ・o-opQooOo・・..-.CGcooCoo.・・○・・・.coo。。・・・・CCC・・・・。・・...oocooc.。.。.G-...の0..0...............勺。..。...・・..■-8

鑓村でのマヤ女性の生活 (母親の思い出・ホセフア)

母は朝はいつも暗いうちから起き出して、かまどに火を起こし、昨夜のうちに苑でておいた

トウモロコシを2回3回と石で挽いていました。それからコーヒーかアトル(挽いたトウモロ

コシからつくる飲み物)とトルテイージャを準備したものです。その頃の食事はトルテイージ

ヤにフリホーレス(塩ゆでにしたインゲンマメ)菜つばがつくぐらいでした。お金がなかった

のでトルテイージヤに塩だけという食事もしばしばでした。

朝食が済むと、豚のえさに節でたトウモロコシの軸を石で挽いたり、羊や牛に草をはませに

出たりしました。また時間があればヤシの葉を編んだ(トレンサ)ものです。またノⅡへ洗濯へ

いったり井戸へ水くみへいつたりという仕事もやっていました。昼食の準備のあとは、また朝

と同じような仕事を続け、夕食のあとは翌日のトウモロコシを火にかけると、床につくまでま

たトレンサ作りを続けました。

,畑仕事の多いときは、トウモロコシやフリホーレスの植え付けや施肥、草刈り収穫など、父

を手伝っていましたし、それ以外にも近所の家へ働きにいったりもしました。その家で洗濯や

子どもの世話などをして小銭を稼いでいたのです。

私の家では、食べるものも着るものも、母がすべての生活費を稼いでいたのです。父はいつ

も酔っぱらっていて、私たちや母に殴る、蹴るといった有り様でした。酒を買うから金を出せ

と、母親によくつかみかかったけれども、家にはお金なんかありませんでした。お金が入ると

いえば、年に-度か二度家畜を売るときぐらいで、あとは近所の家での賃仕事か、決して休ま

せることなく編み続けるトレンサを売るぐらいですが、稼げるお金などごくわずかでした。

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そんな母親に怒鳴って殴りかかる父を見ていて、悲しかった。どうしてなのかっていつも考えてい

たけれども・・・今でもわからない。

(農村部での女性の仕事は基本的には家事だと言われています。食事の準備、洗濯など。ですがそ

の他にも畑の手伝いをしたり、家畜の世話をしたり、トレンサなどの内職や織物、地域によっては

素焼きの鍋を作ったり様々な仕事をしています。)

コーヒー農園にて(あるコーヒー農園での女性の声)

女性は朝の3時とか3時半とかに起きて、火をおこし、コーヒーを入れて、トウモロコシを挽い

て、トルティージャをつくり、食事の準備をしなくてはいけません。そして6時頃には(男性とと

もに)農園まで仕事に行かなくてはなりません。農園では肥料をやったり苗畑の手入れをしたり。

だけど給料は男の半分しかもらえず、そのお金も家族を支えるために父親に渡していました。昼の

2時に帰ってくると食事の準備をしたり、洗濯をしたり、そして気づいたらもう夜の9時とかにな

ってしまいます。

懸鍾鑑

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クアテマラの女Z、子

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蕊農村部での生活は都市とは全く異なっています6農村ではガス台とかはな<、、

薪を使い、火を起こします。少し生活が良くなった家では水道があったりするけ

れども、多くの女性は川まで洗濯に行かなくてはなりません。そして多くの村では電気もありま

せん。街に近いところでは少しずつ生活も変わりつつありますが。

(最初ははじめてのものばかりだとしても)都市の生活に慣れると、村に帰ったとき都市のも

のが恋しくなることもありますo私なんかも村では夜は真っ暗なので電気が恋しくなります。だ

けど村の家に住んでいる人は自分の生活を維持していこうと考えています。街でいろんなものを

腰FM橘、こともできるけれども、決して寵をガス台で置き換えようとは思っていません。村の家に住んでいる人は、ガス台で作った料理と竃で作った料理に違いを感じて、竃の火で作った料理の方

が美味しいと言うし、またガス台では普段使っている素焼きの鍋を使うことはできないのです。

そんな訳ですべてを変えるということはできません。私たちの生活を、私たちのものではない

他のものとかえることはできないのです。まあ、変えたいと思う人がいるとしても、できないこ

ともあるのです。文化の一部として、農村の家の一部として変えることができないものがあるの

です。

村の生活は違うのです。村ではどのように生きていくか、例えば薬に依存するのではなく、自

分たちの薬草もありますし・・・街の近くにいても経済的な問題もあり、薬草を使ったりします。

いずれにせよ自分たちの使ってきたものを大事にする必要を感じます。それに今は何もかも高く

て・・・

とにかく竃・火の問題は、私のおばあちゃんなら一言ではねつけてしまうことでしょう。あれ

オ搾ない、これができない、と言って..、都市にいるのと、村の生活は別のものなのです。そして村の生活は村で生きている者が保って

いるのです。

とても不便な農村から出てくると、都市に来たどき、はじめて目にするものばかりということ

もあります。私もはじめて都市に来たときは、どうやってガス台に火を付けていいのかわかりま

せんでした。そんなもの使ったことはなかったし。また街を歩くにも車が多くて。:そんなわけで

農村で生きてきた人は、自分の土地でどうやって生きていけばいいかは知っていても、ここへ出

てくると、どうしていいのだかわからず、そんなわけで仕事もできず、村へ帰ってしまう人もい

ます。,

二句《-1.昔、

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…Cと?戸施ん2.

メキシコで育った女性にとってグァテマラの生活は(マリア)0.「

メキシコにいたときは、男女の賃金は平等だったし、レストランや、会社や商店など女性にも

があり、その中で学ぶこともできました。

そしてグァテマラへの帰還後、多くの若い女性が再びメヒコに戻りました。例えばグァテマラ

トルテイージヤを手で作らなくてはならないのです。メヒコではトルティージヤ屋さんで買って

トルテイージヤだけなのです。というのもメキシコにいる時は挽き石を見つけることもできず、

テイージヤを作ることができませんでした。そんなわけで向こうでは、(トウモロコシ粉と)押

(プレンサ)で作らざるを得ませんでした。こうして私たちのように世代が少し上でもトルテイ

ヤを作る習慣を失ってしまったのですから、若い娘はなおさらです。そんなわけでグァテマラの

ティージャ屋で仕事をしようにも適応できないのです。その上、グァテマラのトルテイージャ屋

14時間も仕事をしなくてはならない。メヒコでは7時から5時までの労働なのに、ここでは6

ら夜の9時、10時まで仕事しなくてはならないのですbこの国ではそんな問題もあります。

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鍵マヤの文化/女性の権利マヤの世界における男女は平等なのか?(エンマ)

「マヤ文化の中には差別などなく、マヤ文化は平等で調和をしている。」という人

があります。それだったらなぜ女性たちの間では読み書きをできないものが多いのでしょう

か。教育について話すときに、教育を受ける権利があるのは男性であり女性ではないという話

になるのでしょうか。そして健康や栄養の問題でも、先住民の中でも特に女性が打ちのめされ

るのはどうしてなのでしょうか。

なぜ家族の中でも仕事をしているものに食べる権利があるといわれ、家族の中でも女性にで

幟なく男性に肉の一切れが回っていくことになるのでしょうか。外へ仕事へいく者は栄養が必

要だと言われ、家にいる女性は栄養をとらなくてもいいというのです。その一方で乳幼児や妊

産婦の死亡率が高いのです、なぜこうして母親たちが死んでいくのでしょうか?

あるいは「マチスモはスペイン人が持ち込んだものだ」と言う人がいます。だったらなぜこ

れほどまでにマチスモの実践が浸透して、日々行われているのでしょうか。私は多くの女性が

暴力を受けていることを知っていますし、家の中では男だけが命じて、女性は何も発言できな

いといったこともあるのです。

差別は家族の中からも(イサベル)

女性は二重の差別の中を生きています。これは家族からも来ていています。それは社会的な

問題だけではないのです。例えば、父親は女の子に学校へ行かせず、それは女性だからという

(mmM1?です。そこから差別を見ることができます。家族が言うには男は男だから学校へ行く権利がめり、それは働かなくてはならないし、その後、家族を支えて行かなくてはいけないからだと

いうのです。

また父親は男の子たちに対して姉妹が同等な価値を有することを教えず、まるで召使いのよ

うに扱うのです。そして兄弟姉妹の中でも、男の子は学校から帰ってくると当然のように姉妹

に食べ物を出すように命ずるのです。

こうした差別はスペイン人が500年以上前にやってきて以来生まれたもので、それはスペ

イン人の考え方で、先住民の考え方ではないのです。」

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※女性の問題は、マヤの組織の中でも議論があるところです。例えば補完性だとか、平等だ

とか、父母とか男性と女性とか、違いはあるとか、ないとか・・・ですが全面の舞台(ある

マヤ組織の集会で)を見ればそこに女性の姿はないし、女性は秘書だとか、食事の準備だと

かばかりでリーダーの中には姿がないのです。これが事実。だけどこれを公式に話すか?と

いったらこの話は忘れてもらったほうがいいと思います。これは実際には難しい問題で、多

くの人はこういう話を好まないのです。

女性の権利について

。・・メキシコでの難民生活の経験から(マリア)

メキシコにいたときは女性の権利が考慮されていたように思います。例えば、国連機関など

が女性に対しても貸し付けを行っていたように、男女の差はなかったのです。しかし、ここ

グァテマラでは女性はわずかな士地にしろ、融資にしろ、その権利が閉ざされているのです。

女性は士地を得るために働きかけることすらできないのです。いつも女性は支払い能力がな

いとみなされ、商売をやるために土地を手に入れようとしても同じことなのです。しかしメ

キシコでは異なっていました。

そして今、こうして戻ってきて、帰還民だけではなく、回りの村々の人々とも仕事をして

いきたいと考えています。他の仲間たちも一緒に女性の権利について知ってもらい、私たち

の権利をいかに守るかについて考えたいと思います。

ですがグァテマラでは、権力の側からだけではなく、同じコミュニティーの中でも、女性

の権利は尊重されていません。私たちは、メキシコから活動してきて、少し学ぶこともでき

ましたし、女性の参加のスペースを広げてきましたが、完全に実現されたわけではありませ

ん。私たちは女性の権利や、参加等について学んできて、今では総会などでも、私たち女性

は発言と投票の権利を持っているし、そこで主張することもできます。

しかし父親や夫と問題があるケースもあります。嫉妬するのです。女性は家の外へ行くべ

きではないとか、夫のそばから離れるべきではないというのです。女性が外へ出ると他の男

を探していると考えるのです。まあ、こうした世代が、ずっと前から続いているわけで、そ

れがあっという間に消えてしまうということはなく、それには時間がかかると思います。

/、鰯、!

男性の意識を変えるには(イサベル)

必要なことは女性へと同時に男性へも教育活動を行うことです。女性は家を守るだけでは

なく、コミュニティーの様々な活動に参加する権利があることを教える必要があります。女

性に対して許可!?を与えるようにと話をしています。結局は男性の許可が必要なので

すp・・・・実際多くの男性が女性が参加することを許可しないのです。他のことをしに行

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鍵<のだろうと疑うのです。そこで男性の考え方を変えなくてはなりません。

とりあえず、組織の中ではそうした話をしているからいいのですが、組織

に参加していない男性の場合にはもっと大変です。

グァテマラでは女性が参加するというのはとても難しいのです。私の友

人でも教育を受けて、独身の時は様々な活動に参加していたのに、結婚し】人でも教育を受けて、独身の時は様々な活動に参加していたのに、結婚したあとはもう外へ出

ることはできず、男性もそんな話をさんざん聞いていたとしても結局許可しないのです。そん

なわけで女性の参加はとても難しいものがあります。男性の意識が高くないと・・・というと

ころです。

マヤの女性は文化の担い手なのか(フランシスカ)

紗マヤの文化・伝統が語られる中で、マヤ女性が文化が担い手だ云々といわれて、女性の振る

舞いが「手のふれられない」ものとされてしまう危険を感じます。私たちだけが別に文化の担

い手ではないはずですが、男性は酔っぱらって、女遊びをして・・・その一方で女性は品行方

正に振る舞うべきだと見張るのです。

また子どもたちは、文化の運び手で、女性はそうした子どもの世話をすべきとされてます。

こうしたことは女性に重荷となると同時に、時としては女性自身がそれを誇りに思ったりする

こともあります。これは語りとしてはきれいに響くかもしれないけれども、現実となると女性

にとって複雑な問題を引き起こします。男性は好きなことをやってる一方で、女性だけがあれ

これと強いられるのです。

例えば、伝統的な衣服(トラへ)の使い方一つとってみても、男達がどうこうといって、私

たちに女性に文化の保全のすべてを押しつけ、それを彼らが決めるのです。結局男達が、マヤ

女性の理想像をかってに決めつけるのです。

《mmmm民族差別の中で(エンマ)私たちは文化の担い手だと言われます。ですが私たちは実際に文化を伝えていくなかで多く

の犠牲を払っています。例えばマヤの衣服というのはグァテマラ社会では差別の対象そのもの

なのです。

難民女性にとっての文化(マリア)

長いこと難民として生活してきて、多くの文化を失いました。例えばメキシコで生まれ育っ

た子どもたちはそんな物には触れてはいませんし、(そうしたなかで育った)若い女性たちに

もすでに子どもがいる年になり、そうした子どもたちは言葉や文化なども失ってしまいまし

た。それでも今後文化を尊重したいとは考えています。ですが国から離れなかった人々は、そ

の文化を引き継いでいる一方で、彼女たちはスペイン語を話すことができず、どのように向上

していけるのかと思わなくはありません。

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繰乙とP胸ルョ.

玉1mp崖

-グァテマラの高地の農村と、国内難民としてそこから出ていった女性たちの姿を、研究者で

ある-人の女性の目を通して伝えてもらいました。-

様々な世代の女性を通じてきたくその生活の歴史には、様々な変化があったと思います。その

変化は生きてきた士地や村と切り離されたことから生じていると思います。女性たちは村の空間

が保障していた様々なものを失うとともに、新しい空間を獲得しつつあると言えると思います6

キチエ県のある村では、70年代初頭にはまだ結婚とは女性が「買われる」ものでした。男性

の求婚者が地酒やタバコや七面鳥や羊や豚をもって女性の父親に頼み込むのです。女性にとって

夫を持つということは、男性がやってきて、求婚し、女を連れていくということだったのです。

もちろん女性にとっても結婚はとても重要な人生の転機ですが、それは少女から女になるという

こと、つまり夫を持つと言うことで、思春期という期間や一人の女性という存在はあり得なかっ

たのです。

求婚期は長老やおじいさんたちが、夫のそして妻の義務を話し、教える期間でもありました.

その中で夫婦という関係の中でのルールが定められたのです。

男性に対しては、女性にウイピルやコルテを買ってあげなくてはならない事、食べるためのト

ウモロコシや住むところを与えること、そして彼女を殴ったりしてはいけないといった事が言わぎ

れました。女性には、もちろん、自分の夫に従い、食事の支度をし、色々と面倒を見てあげなく

てはならない事を教えたのです。

明らかに女性が男性に従うという関係がありましたが、それと同時に女性は共同体の監視とい

う保障も受け取っていたのです。男性が妻を殴ったりする事がないよう、経済的にきちんと支え

ていくように共同体が見張っていたのです。それはマヤのインテリが言うような調和だとか補完

性だとかそんな美しいものではないのです。例えば、私の知っているある女性は、夫が酔っぱら

って、彼女を殴ったりした事を話してくれると同時に、彼女は、自分の叔父、祖父、父親、姑の

ところに行って、文句を行ってきたという事も言っています。するとそうした男性たちは彼女の

夫を呼んで、「どうしたんだ」と尋ねるわけです。つまり、そこには規範がきちんとまっとうさ

れるよう見つめる共同体というものが存在していたのです。

12

その中での女性の声(語り:マティルデ・ゴンサレス)

ji灘『。。。それそカノzの賃デ凸PifF共励if》オ塩つめる

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 ̄、

蕊国内難民として低地の大農園地帯や首都への移動が起こった時、夫婦間や親と子

どもの間でまっとうされるぺき規範を監視する共同体の存在がなくなってしまった

のです。

このことで女性たちが自ら男性を選ぶことができるようになりました。これまで|-uノーとぐ又1王7こらか曰0つ男性を選ぶことができるようになりました。これまでそういった機

「会を持たなかった女性たちにとって、それはいいことだといえるでしょう。ですがその一方で他

)の士地の男性たちは、「求婚」する事なしに、つまり酒やら鶏といった求婚の品なしに、女性を連れていく訳で、つまり女性は「ただ」だというのです。

こうして男性は簡単に女性を連れて行きますが、その一方で女性を妊娠させたままほったらか《1,mm鳥、たり、暴力を振るったりという事がしょっちゅう起きているのです。男性は、女性にウイピルも、コルテも、食べ物も、トウモロコシも何も与える事なしに。そして、女性は一体誰にそれを

訴えたら良いのでしょう?今や訴えに行く相手が誰もいないのです。

つまり、女性は自分の人生を決めると言う可能性を持ち始めた訳で、そのこと自体はとても重

要な事ですし、私はそれを非常に肯定的に見ていますが、それは同時に女性たちが自分たちを守

ってくれるものも失ってしまったという事でもあるのです6つまり男性に力:最低限の事をまっと

うさせる共同体というものがなくなってしまったのです。そして暴力のレベルも上がったといい

ます。それが都市でよく聞かれる女性たちの声の一つです。

録町では生き続けるために女性たちは二重の仕事をしなくてはなりません。家の外での仕事をや

って、その上に家の中の仕事もしなくてはなりません。ここ首都では、女性たちは、トルテイー

ジャ屋で働いたり、家事仕事を請け負ったり、店番をしたり、それは2倍の仕事なのです。それ

は男性が家の中での自分の責任を果たさないせいでもあるのです。彼女たちは士曜日も日曜日も

働かなくてはならないのです。トルテイージヤ屋は日曜日も働かなくてはならないのです。女性

たちに過重な労働が課されているのです。それに〈村の生活では水も薪もありましたし、もしお

金がなくってトウモロコシが買えなければ、山に行って野草を取ってくる事ができました。で

も、今は違うのです。全てを買い、お金を払わなくてはならないのです。

13

翻而へメガFカブZ、ノ穂ii厩zクji解ソ;にしたとき

jiMiij方で生活を藁、てるために

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i打でのソWi肋樟造そして暴力の支配

1兵役に送り込まれた男の子、軍や自警団のリーダーたちに何が起こったのか検証i

lする事はとても重要な事だと思います。何故なら、自警団や軍に行く若い男の子に!

iついて語る時、彼らの政治的な話ばかりに焦点が行ってしまいますが、彼らの思考!

;にいったい何が起こっているのかについては焦点が当てられていません。彼らは兵!

;役に送り込まれ、暴力的な規範をたたき込まれるのです。その中で年長者や女性と1

1のどのように関係していくかという考え方を変えられてしまうのです。そして暴行!

;も増えていきます。彼ら自身が軍の一部であるというところから生じる権力を背景1

1としているからです。

↑そして軍にいる若者は…場所だけ…《脳的な場所て…的鞍磯iを広げています。内戦が始まってから、以前はなかったような小さい町まで買春宿I

iが増えた事も偶然ではないのです。女性をただ性的対象と見なす視点は私たちの文I

化のものではありませんでした。それは軍の教育の結果なのです。

!もし、平和について話し合うのなら、こうした夫婦関係や共同体における人間関!

;係、親子関係の中での健康な精神を取り戻すようにしなければなりません。;

;老人たちは言います。この村は変わったと。以前は若い男の子たちは女性をもつi

iと尊重していたし、さらには年長の人をもっと尊重していました。でも今は違いま!

;す。今や男たちは武器を手にし、自分たちこそが正しいのだと信じています。1

1そして男性たちは今や女性に対する自分の責任を果たさないのです。妊娠させてi

iも責任をとらず。例えばその村の自警団の指揮官は4人も女性をつくっています。;

!そしてその村の寡婦の女性たちは、もう一人で村を歩けなくなったと言います。i

i自馨団の男たちが何をするか分かったものではないからです。そして彼女たちオ弓i人で居ろという事は彼女たちには”持ち主”がいないのであり、彼らが彼女たちの1

1"主''であり、彼女たちに対する権利があると思い込んでいるのです。こういった;

'ことは軍によるの「暴力の教育」から伝えられているのです。

!さらに彼女たちは言います。以前は集会に彼女たちも参加していたと。何かを発i

1首したりという事はなかったかも知れないけれど、でも、少なくともその場にいく

Iて、話を聞いていたのです。そして、家に帰ってから自分の考えている事を話すこ!

iとはて゛きたのです。でも今は違うのです。今は自警団の男たちは場を閉じてしま!

iい、女性たちはそこで何が話されているかわからないのです。そしてその後何かが1

1起こるのを、そして時に醜い事が、起こみづいろだけなのです。

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鍵伊騨鰯獺鱸繭露:董露iillなのです。女性たちは言います。今や静かな生活はなくなったと。常に自i-

I響団が彼女たちを監視しているからです。もし、ある女性が何かのプロジi

lエクトに参加すれば、その資金はどこから来たのか、それで何をしている1

1のか、といった事を監視して回るのです。

iとにかく、兵役に行く若い男の子や、自警団に属する男性の思考は変えi

iられているのです。そして彼らの行う暴力のレベル、特に女性に対する蕊

i力は非常に高いのです。女性をもっぱら性的対象としてしか見ないので!

;す。

'鰔・蝉嶌壱二:二二三思:薫二4:艦鰯≦Lニトニ霧iは彼らにはそういった事は重要な事ではなくなってしまったのです。軍が!

|彼らに与えた武器というものによって、権力を握ったと信じてしまってい;

iろのです。だから私たちは平和について話すのなら、平和の教育についi

;て、そして自警団や軍に関係してきた人たちの思考からどうやって暴力性!

iというものを取り除くかについて考えなくてはならないのです。もちろんi

:武力の問題を解決するのは簡単な事ではありません。例えば、その村では!

;自警団の指揮官は実際大変な権力をもっていました。内戦の時期などには!

i彼は、それを女性関係にも利用したのです。彼はある女性の所に行き、「自!

{分の言いなりになるか、それと塗自警団の皆にくれてやろうか」と言って!i彼女を脅したのです。今、自警団①指揮官のⅧモノⅧとなっていろ-人の1

1女性がそうなのです。また他の女性の一人には夫がいたのですが、夫は避iimm際、i難民となっていました。そしてその自細の指揮官は彼女に、「あんたのi

i夫は我々が殺した。俺と一緒に来るMれとも自警団の皆にくれて壱ろilうか?」と言ったのです。しかし後になって彼女は自分の劫i生きているiI事を知りました。その後、その夫は村に帰ってきたものの、そういった人;

閲関係をどうすることもてけに同じ-つの村…状況を髭け又れてii生活し続けているのです。指揮官の方は多くの人を殺した賛任者で、武器i

;を持っているのです。どうする事も出来ないのです。そしてその女性には;

I子どもがいたのですが、指揮官はその子たちを彼女の夫に返せと言ったの!

iです。自分の子じゃないのだから、と。

iそしてこういったことはこの村だけではなく至るところそ起こっていiiろのです。

_…………………----………………_…_………---…二………--……

15

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御CQP胸ルョ,

さらに、共同体の生活では、確かに従属関係はありましたけれども、それでも女性は自分のス

ペースを持っていました。そして自分の役割というものを持っていましたし、そこで、自分が共

同体の一部であると感じていたのです。でも、都市や、大農園のなかでは、自身が誰であるのか

を感じとるのは難しいのです。スラムのなかで共同体的空間はどこにあるのでしょう?その上に

先住民であるが故の差別もあります。また80年代初頭の内戦による国内難民という二重の印づけが成される中で、自分が誰であるかを隠さなくてはならなかった人も多かったのです。

だから、彼女たちは言います。「私たちは都市をよく知らない。読み書きも出来ないし、バス

が通ってもどこに行くのも知りません。」 …}~

空間が、世界が広がりすぎたのかも知れません。そこでは人間関係や新たな共同体を作るのは

難しいのです。さらに難しいのは自分たち独自の文化を再興する事です。例えば、国内難民向けの生活改善プロジェクトにしても食事や生産、保健といった面を考慮してはいますが、人間関係

やアイデンティティーや文化といった問題や、この内戦が彼女たちに残した精神的な影響、彼女たちが共同体と分断され、全く違った世界、都市に来なくてはならなかったという事への配慮は

なされていないのです。

私はある時、スラム地域に住む55才ほどの寡婦の女性を訪ねたことがあります。その少し前に彼女の孫が、道端でてんかんの発作で死んでしまいました。自分の家族の誰かが死ぬという事それ自体つらい事ではあるのですが、彼女はさらに二つの深い痛みを受けたのです。一つは彼女

の孫が道端で死んでいて、誰にも顧みられることなくそのままに放置されていたという事です。たまたま近所の人が通りかかったけれども、もしその人がそこを通らなかったら、その子は誰かもわからないままそのまま放ったらかしにされていたでしょう。村だったら、誰が誰だか皆詞、りあっていたのに。もう一つの彼女の痛みの理由は、「ほら、私は独りでお祈りをしているでし

よ。孫が死んで3日目なのに、誰が私と一緒に孫のために祈ってくれてるの?誰もいないでしよ。だってこのコロニア(居住区)では、人々は誰かと一緒にお祈りするって事を知らないのだから。もし私の村で孫が死んでいたら、村の入みんなが9日間は私と一緒にロサリオを持って祈ってく

れてるでしょうに。」・・・共同体という場所は、痛みを、あるいは喜びを人と一緒に分かち合う社会的な場所なのです。ですが都市にはそんな場所がないのです。

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薪LJMff界でつながりを〃zi7できるのか

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鵜こんな話を聞いて共同体を新たに作り直す必要を感じています。政治的議論を

目的とするのではなくて、日常性や普通の人間関係も大事にした共同体を生み出

す必要があるのです。心理・社会、文化、アイデンティティーといった観点から、

「変化」を捉えていかなくてはならないのです。こういった事ははっきりと形に現

れて理解されるものではありません。こういった女性たちが貧困の中に生き、住むところもな

く、種を蒔く土地も持っていないといった事は目に見えるものであるけれども、でも、孫の死

の痛みを一緒に分かち合う相手がいないといった事は目には見えないのです。ですからこうし

た人たちと働くということは、こうしたことにスペースを与えていかなくてはならないという

ことだと思います。

もちろんこういった女性たちが今や、家の中で4枚の壁に囲まれて、家と共同体の中だけと

いう世界から、動くこと参加することを通じて、自分たちの世界を広げていることは積極的に

評価しなくてはいけないと思います。どんなことにしても利点と欠点があり、百共同体の規範は

女性の参加を制約することもあるし、それがなくなって初めて女性がスペースを獲得するとい

うこともあるのです6

彼女たちを捉えるときに犠牲者としての視点、貧困に苦しむものという視点は簡単です。で

すがそういった経験の中で抵抗の力を彼女達が獲得してきたという事はほとんど評価されて

いません。彼女たちの経験は大変なものだったのです。戦争から逃れ、村を捨て、農園や都市

に移り住み、新しい土地で、子どもを育て、家計を支え・・・こういった勇気ある経験をいま

だ彼女たち自身が評価していないのです。

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女盤のjZrl市に光を当てること

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和平合意の中の女性先住民族のアイデンティティーと諸権利合意から一部抜粋

11差別反対の闘い

B先住民女性の権利

1先住民女性は、貧困と搾取の悪化しつつある社会状況の中で、女性として、そして先住民としての二重の差別にさらされていることを特に認める。政府は以下の措置を取ることに合意する

i)性的虐待を犯罪として認め、先住民女性に行われた性犯罪への処罰を強化するような法の制定を推進する。

ii〉法律相談や社会福祉のサービスを含む先住民女性の権利擁護機関を彼女らの参加を持って設立する

iii)女性に対するあらゆる差別撤廃条約の普及と誠実な遵守を促進する。2ここに挙げられている目標を達成するために報道機関と人権組織に協力を依頼する。

社会経済合意(一部抜粋)

B・経済・社会開発の中での女性の参加

11・グァテマラにおける経済・社会開発の中で女性の活発な参加は不可欠なものであり、女性に対するあらゆる形の差別の撤廃に向けて努力することは国家の義務である。

12.社会的、経済的活動のあらゆる側面で、評価されていない女性の貢献を再評価すること・・・

13.開発計画の中で女性の置かれた特別な社会経済状況を配慮し・・・a)家庭、労働、生産、社会生活、政治の中で女性と男性の同等の権利を認め、融資、土地取得、その他の生産・技術資源への男性と同等のアクセスの可能性を保証する。

b)女性に対して平等な教育、技術教育軒会を保証する。c)借家、融資、建築などに関する障害を取り除き、住居への平等なアクセスを保証する。

。)女性に対する統合的な保健計画を行う。e)女性に対する労働の権利を保障する。1)女性への技術教育の振興

11)労働法を見直し、男女に同等の権利と機会を保証するjli)農村部において農業労働者としての女性を認知し、その労働を評価し補

償する。

1V)家政婦として働いている女性労働者の権利を守る法を整備すること。f)地方・国家機関における意志決定と権能の中で、女性に対して男性と同等に参加し、組織する権利を保障すること。

g)政府の職務、特に政策の立案・実施の中における女性の参加を促進すること

h)経済、社会、文化、政治の全ての側面における女性の参加を妨げるあらゆる差別を撤廃するための法制度を見直す。

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18

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女性の軽済i昏勤率(15歳以上人口で経済活動に参加している人の数)

グァテマラはラテンアメリカでもっとも低い

21%という数字があげられていますが、この数字

は女性が経済活動に参加していないという意味では

なく、いかに女性の経済活動が評価されていないか

ということを表しています。

グァテマラ農行部での男女)別(労働時/野と、うち国民綴繍L算に算入される割合(1977年の数字)

*女性の労働時間は男性より長いもの、経済統計には現れにくい。

 ̄弘一ゲーーーーーー汐一一一一一一一一一一一一一一グーーーーーーグーツーーグー------- ̄

グ.アテマラの女jif組織

CONAVIGUA(CoordlnadoraNacionaldeV1udasdeGuatemala)

(つれあいを奪われた女性たちの会〉

1988年に結成された、内戦などによってつれあいを奪われた女性たちの組

織。これまで、グァテマラの人権侵害の問題を積極的に取り上げ、自警団の廃止、強制的徴兵制の廃止、良心的兵役忌避の法制化などを訴えてきた。

/`mmm9、

MAMAMAQUIN

ママ・マキンは1990年にメヒコに逃れていた難民の女性たちによって組織

された。難民帰還が進む中で現在はグァテマラ国内でも活動を展開している。

マキンの名は、1978年にパンソスで虐殺されたケクチの女性の名から。

TIERRAVIVA

グアテマラで女性の権利のため活動する団体。北京女性会議へも参加。

図書資料室なども持っている。

NUEVOSHORIZONTES

暴行、暴力を被る女性たちへの支援活動を行っている。法的な支援の他、シェルターの提供、精神的リハビリ、また女性の自立のための技術教育なども行っている。

。--汐一一一J-------二一”-ヅーーーーーー秘一一一一ソーーア一一一一一一一一一一'--------

日本のODAによる女子教育プロジェクノミ

日米包括経済協議コモンアジェンダの中から生み出された日米協調案件として1995年から日本のODAによりグアテマラの女子教育促進のプロジェクトが進められつつあります。

このプロジェクトでは教材開発なども行うという話ですが、今後、多民族・多

言語社会への歩みを進めるグアテマラでどのような支援を行っていくのか見守っていく必要があると考えます。

19

日本

チリ

ニカラグア

エクアドル

グァテマラ %%%%%4974163332女性 男性

678分/日(37%〉 579分/日(84%〉

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2.グァテマラ女性の状況を知るための基本的データ

(1995年人間開発報告に主として依拠)女性の教育機会

ラテンアメリオ諸画「での成人の譲与蜜率(1992ノ

女性の小申高離合就学事(1990)…1

中等教育同等教育総合就学率

先住民であることからくる更なる困難:グァテマラにおける先住民の教育機会

グァテマラの学齢人口言語クループ,jWの就学可E数(成人ノ …、グァテマラの学齢人口

に汀する就学者割合

先住民非先住民

20

女性 男性 -人当たりGNP

メキシコ

チリ

コスタリカ

エクアドル

グァテマラ

ボリビア

オンデュラス

ニカラグア

キューバ

ハイチ

02421●●●●●644778998494526●●●0●2054977693

78213□●、●●04411999968075800□●●8135587694

初等教育 中等教育 高等教育 総合就学率

メキシコ

チリ

コスタリカ

エクアドル

グアテマラ(女`性)

(男性)

ボリビア

オンデュラス

ニカラグア

キューバ

ハイチ

091680●■●●03722088951

17560400■●●■6501065887021

54478●●□●■9401758573

1301420■●●●●190672535574555230●●●●681591223

312034●●00●●9581621112315747400●●●1558666563

51746●●00●0325755562

キチェ

カクチケル

マム

ケクチ

その他マヤ

スペイン語

1年く

937752●●●●ロロ233336先住民 非先住民

小学校

中学校

高校

大学 678560●ロ986152

0436●0■●0165852

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11月9日東京~日本ラテンアメリカ鰯カネットワータ

助成「:財団銭ル東京国際糞涜財団liii間13:00へ←

場所早稲田奉仕園レセプションホール

11月15日京都主催r中南シ16の人々と交流寸壗京iiiKの鐘」時間[18:00~

溺爾同志社大学(今出川キャンパ蕊)学生会j館分」室4,1号一

i霞滞先ニニO75-316-2657(達久斎志)11月1n日仙台主催二「中米醤考える会:.仙台J時間14:00~

場所仙台市中央J17尾センターセミナー室C

11月16日長野

主催「屯魔r米と交流する長野の会』時間188:30~

場所長野県蝋労者福祉センター運路先肱62-221-6676

/夜O26Z-221-O998(中村,

11月11日松山主催『風の記憶』中米の人々と手をつ

なぐ松山の会

時間18;30~

鍾鬘奉職皇工騨嚇漁寧) 11月17日松本主催指へ1,,実行委員会(仮;称)連絡先桧本論一水汲16-2日

(田口)O263-46-j269511月12日広T島主催「グループ・ニカラグアの風」時間18830~

場所アステール・プラザ中会議室

連鰭先O82-264-3201(河合)

11月19日一横浜主催「(財)神奈川県国際交流協会」時間18:30~

場所神奈川県圃際交轆センター獅洲一連」絡先同上字045-671-7”O;,1,1月14日大'腹、、

主,縄MgO大学第9期グルーアヮーク時間19300~ ̄

場所日本キリスト教海外医療協力会関西事溌局2F

運:鰭先i巖木0722-58戸6896(どちらも

古山O6-421-4152夜間のみ).'f耐1m、

グァテマラα)微笑iみを丁私jEちの微ご笑みに

-グアテマラ基金にご協力<鑓きい-

しゴムで二斤は「コナどグア:つれあ脇、憲噺iわれた女性たち②会』,や『ヨニック:先住鐸壊〈・農民

全国鬮整委員会』などの民霧団体を通じて鰯アデマラ。、実援活動を糠づています。平和に生きる櫓利巻求めるグアテマラの人々を支援するための募金に趨ひ言憾力<鱈さい。~

掴込鵠:郵便擾替ooloc-eBsdi熱27『グアテマラ基金」

なおこの基金のうちz◎船は国内での翼援活勘に使わせて頂きます。」

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…2号一一一一一

レームは中南米、カリプ地域において社会的、経済的に困難な状況におかれている人Ar、そしてそれをはねかえす1Eめに運動をしている人々とのネットワークを築き、相互理解を深めるとともに、直接あるいは間接的に支援活動を行うことを目的としています。活勘の主人公はその地に生きる人々です。私たちは現地の人潅らによる「社会を創っていく1通勘に共感し、支授していきますb具体的には、彼らの運動を支えるために海外から声を上げる。(人穂優霄に対応して意見広告を掲載したり抗駿ハガキを送付)、その地に生きる人茸をより深く率するために、彼ら/彼女らの声を『日本」に生きる人たちに伝えていきます(ニュースレターの発行、スタディーツアーの実施、招聰事業など)。

こうしたレコムの祷繭は、会員の「意志」によって支えられています。会員のひとりひとりがそれ竃れの生きる場所から、それぞれのスタイルで中南米の人惹とつながっていこうとしています。寵た違うした活!#bを行うなかで私たちの生きる「日本止「どいう社会、そして'鰯ILを見つめ直し、私たち自身が新たな{樋H閨miK、社会を創り出していければと考えています。

ヴー■ ̄ ̄■■ ̄■■ロロ■ロー ̄ ̄座一一■ ̄ロ■P■■■■D ̄●■、ロ■⑤ ̄■■■ ̄唾ロ■= ̄ ̄■■ ̄ ̄の● ̄■■■ ̄.わ ̄P・申~■中■⑤! ̄、心 ■

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I次回Ⅲ月2S曰(土。■祝)12眉7日(土)U.

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…レコム東京寧務所にて(下図参照)ロU

L'。人の活動やグァテマラについてもう少し群L,<知り危い方はぜひどうぞ‘、、

ゴS:。。~ビラ弓オ上映会16:00~オリエンテーション。■--..-二’-,...口.-.---伜P-口.ロ-,、面.-⑰-.側..’字一.缶.句ロ。.⑤-..の---●...“一;.--戸一年一‐..1- ̄、

I園

’1y'im1L摸ii誘讓if昂E二:》鰯鰐:i:Yi:鮭参、、、会員:年会餐8000円会運営、総会への参加機関誌鴎読i灘料閲覧会員(学生):年会費5000円同上

雲::i〔三鑿iiii鑿溌鍵ン 、̄

リカ

〒101

東京都千代田区三崎町2-13為5影山ビル205号mMFAXO騒躯22台0433

(専従職員ば層譽,;議せんので留守番電鯖が多くなりますがご了承下さい。)

寄り下さい。