箏曲十二の段物とグレゴリオ聖歌takayama-ukon.sakura.ne.jp/pdf/booklet/pdf-takata/2017... ·...

33
1 箏曲十二の段物とグレゴリオ聖歌 髙田重孝 グレゴリオ聖歌と十二の段物との比較研究により解明された成果 琉球箏曲 1、 瀧落管撹・一段 『アヴェ・マリア・Ave Maria2、 地管撹・二段 『めでたし元后・サルヴェ・レジナ・Salve Regina3、江戸管撹・三段『麗し救い主の御母・アルマ・レッデムプトリス・Alma Redemptoris4、拍子管撹・四段 『天の元后・レジナ・チェエリ・Regina caeli 5、佐武也管撹・五段 『めでたし憐れみ深い御母・サルヴェ・マーテル・Salve Mater 6、六段管撹 『信仰宣言・クレド・Credo』【原曲と推察される・陽旋法】 7、七段管撹 『ミサ通常文第 1・聖母マリアの祝祭日より・キリエ・Kyrie本土箏曲 1、 五段 『ミサ通常文第 1・聖母マリアの祝祭日より・Sanctus 2、六段 『信仰宣言・クレド・Credo』【原曲を装飾している・陰旋法】 3、七段 『めでたし天の元后・アヴェ・レジナ・Ave Regina caelorum4、八段 『ミサ通常文第 1・聖母マリアの祝祭日より・Agnus Dei5、九段 『ミサ通常文第 1・聖母マリアの祝祭日より・グローリア・Gloria6、みだれ・山田流 12 『主の祈り・Pater Noster『めでたし海の星・アヴェ・マリス・ステラ・Ave Maris Stella『聖母連祈・LitaniaeLauretanaeLaudate DominumLauda Sion Salvetorem』他等のグレゴリオ聖歌旋律と段物の楽譜との対比、旋律に対して 琴の音の割振りはうまくいかなかった。 聖母マリアのための交唱と讃歌 ベネディクト会が定めた聖務日課の最後の祈り(就寝前の祈り)、終課の最後で歌われる聖母マ リアを称える歌、ラテン語の表題は『聖母マリアへの結びの交唱』 この聖務日課は朝課、一時課(午前 6 時)三時課(午前 9 時)六時課(正午)九時課(午後 3 時)晩課(午後 6 時)終課(午後 9 時)、暁課から構成されていて、詩編の唱和が中心となっ ている。終課の最後で歌われる聖母マリアのための交唱歌は 4 曲あり、教会暦の季節ごとに異 なった美しい交唱が歌われる。

Transcript of 箏曲十二の段物とグレゴリオ聖歌takayama-ukon.sakura.ne.jp/pdf/booklet/pdf-takata/2017... ·...

Page 1: 箏曲十二の段物とグレゴリオ聖歌takayama-ukon.sakura.ne.jp/pdf/booklet/pdf-takata/2017... · 2017-08-21 · 1 箏曲十二の段物とグレゴリオ聖歌 髙田重孝

1

箏曲十二の段物とグレゴリオ聖歌

髙田重孝

グレゴリオ聖歌と十二の段物との比較研究により解明された成果

琉球箏曲

1、 瀧落管撹・一段 『アヴェ・マリア・Ave Maria』

2、 地管撹・二段 『めでたし元后・サルヴェ・レジナ・Salve Regina』

3、江戸管撹・三段『麗し救い主の御母・アルマ・レッデムプトリス・Alma Redemptoris』

4、拍子管撹・四段 『天の元后・レジナ・チェエリ・Regina caeli

5、佐武也管撹・五段 『めでたし憐れみ深い御母・サルヴェ・マーテル・Salve Mater 』

6、六段管撹 『信仰宣言・クレド・Credo』【原曲と推察される・陽旋法】

7、七段管撹 『ミサ通常文第 1・聖母マリアの祝祭日より・キリエ・Kyrie』

本土箏曲

1、 五段 『ミサ通常文第 1・聖母マリアの祝祭日より・Sanctus 』

2、六段 『信仰宣言・クレド・Credo』【原曲を装飾している・陰旋法】

3、七段 『めでたし天の元后・アヴェ・レジナ・Ave Regina caelorum』

4、八段 『ミサ通常文第 1・聖母マリアの祝祭日より・Agnus Dei』

5、九段 『ミサ通常文第 1・聖母マリアの祝祭日より・グローリア・Gloria』

6、みだれ・山田流 12段 『主の祈り・Pater Noster』

『めでたし海の星・アヴェ・マリス・ステラ・Ave Maris Stella』

『聖母連祈・LitaniaeLauretanae』

『Laudate Dominum』

『Lauda Sion Salvetorem』他等のグレゴリオ聖歌旋律と段物の楽譜との対比、旋律に対して

琴の音の割振りはうまくいかなかった。

聖母マリアのための交唱と讃歌

ベネディクト会が定めた聖務日課の最後の祈り(就寝前の祈り)、終課の最後で歌われる聖母マ

リアを称える歌、ラテン語の表題は『聖母マリアへの結びの交唱』

この聖務日課は朝課、一時課(午前 6時)三時課(午前 9時)六時課(正午)九時課(午後 3

時)晩課(午後 6 時)終課(午後 9 時)、暁課から構成されていて、詩編の唱和が中心となっ

ている。終課の最後で歌われる聖母マリアのための交唱歌は 4曲あり、教会暦の季節ごとに異

なった美しい交唱が歌われる。

Page 2: 箏曲十二の段物とグレゴリオ聖歌takayama-ukon.sakura.ne.jp/pdf/booklet/pdf-takata/2017... · 2017-08-21 · 1 箏曲十二の段物とグレゴリオ聖歌 髙田重孝

2

『麗し救い主の御母・アルマ・レッデムプトリス・Alma Redemptoris Mater』

待降節から 2月 2日の聖母マリア潔めの祝日までの間に歌われる。

『めでたし天の元后・アヴェ・レジナ・Ave Regina caelorum』

2月 2日から聖週間(復活祭のための週)の水曜日までの期間

『天の元后・レジナ・チェエリ・Regina caeli』

聖土曜日(復活祭の前の土曜日)から三位一体主日までの期間

『めでたし元后・サルヴェ・レジナ・Salve Regina Mater misericordiae』

三位一体主日後から待降節第一主日の前の日までの期間

☆琉球箏曲解説

『瀧落管撹・一段』

原曲は『アヴェ・マリア・Ave Maria』

【楽譜】

瀧落管撹は 46小節(45小節+2拍)(182拍)で作られている。

アヴェ・マリアはラテン語分節では 9 小節で構成されていて、アヴェ・マリアの旋

律を繰り返して 5回歌うことにより瀧落管撹の 46小節と合い伴奏譜として成立す

る。

曲の構成表

1回、 1小節~ 9小節

2回、10小節~18小節

3回、19小節~27小節

4回、28小節~36小節

5回、37小節~46小節

【考察】

当時の豊後府内でのイエズス会の記録の中に『アヴェ・マリアを 5回歌った』と言う記述があ

る。その記述に従い『アヴェ・マリア』の伴奏譜である『瀧落管撹』の 46 小節を 5 回で割る

と 9小節が 1回の旋律に対して割り振ることができる。イエズス会の記述に従って作った【楽

譜】が、当時の豊後府内教会でロレンソ了斎の演奏していた『アヴェ・マリアの伴奏譜』を再

現していると考えられる。

(証言記録・イエズス会の記録より)

下記のイエズス会の記録はロレンソ了斎と諸田賢順が府内に滞在していた当時の記録である。

『当時、我らの同僚たちの司祭館では、キリシタンたちに信心を教え、彼らがデウスのこ

とを喜ぶように導くために、一日の七度の聖務日課の時間に合わせて、七回、ちいさな鈴

Page 3: 箏曲十二の段物とグレゴリオ聖歌takayama-ukon.sakura.ne.jp/pdf/booklet/pdf-takata/2017... · 2017-08-21 · 1 箏曲十二の段物とグレゴリオ聖歌 髙田重孝

3

を鳴らす習わしであった。それを聞くと、司祭館にいる全員は聖堂に参集し、一人の少年

が大声で主の御苦難の物語の一ヵ所を朗読する。そしておのおのは、その御受難を追想し

ながら、当地方のために「パーテル・ノステル」を五回、「アヴェ・マリア」を五回唱え

て祈った。そしてこれは多年にわたってキリシタンの間に広まり、いろいろの地方で彼ら

は自分たちの家で同様のことを行った。』

*ルイス・フロイス著『フロイス日本史』第 6巻 大友宗麟編 I 第 17章(第 I部 19章)

173~174頁

コスメ・デ・トーレス神父が修道士達とともに豊後府内の司祭館で行った修行について

『当地では一定の時間に鈴が鳴らされ、キリシタンたちに、お祈りをし、ついで「パーテ

ル・ノステル」と「アヴェ・マリア」の祈りを五度唱える合図がなされますと、理性を働

かせ得る大人たちが跪いて敬虔に祈りをささげるばかりでなく、まだ理性を欠いていると

思われる幼児たちも同様にいたします。あるキリシタンは私に次のような話をしてくれま

した。彼は先日、自分の幼い娘を一人の異教徒の家へわずかばかりの酒を買いにやらせた

のですが、その時、店の人が酒の量を量っていた時、たまたまお告げの鈴が鳴りました。

その少女は合図を聴きますと、ただちに酒瓶を置いて跪き、両手を合わせて祈り、『パー

テル・ノステル』を五回、『アヴェ・マリア』を五回、終わりまで祈ってしまうまでふた

たび立ちあがりませんでした。異教徒たちはそれを見て驚嘆し心を打たれ、そして申しま

した。『キリシタンたちは子供たちまで良い習慣を教えているのだから、彼らの神以外に神

はあり得ない』と。そこまでがコスメ・デ・トーレス師の言葉(の引用)である。』

『ミサの後、一人が「パーテル・ノステル」、「アヴェ・マリア」、「クレド」、「サルヴェ・

レジナ」、デウスと教会の掟,大罪とそれに反する諸徳,慈悲の所作などを彼らの日本の言

葉で述べ、他の人々がそれに応誦する。』

*ルイス・フロイス著『フロイス 日本史』第 6 巻 大友宗麟編 I 第 21 章(第 I 部 30

章)213~214頁、 1561年に豊後、および下の諸地方で生じたことについて

『アヴェ・マリア・Ave Maria』

交唱歌『アヴェ・マリア・Ave Maria』は天使祝詞と言われているルカによる福音書 1 章 28

節から 38 節までの『マリアの讃歌』の言葉の中から引用されている。28節のラテン語の冒頭

の言葉が『アヴェ・マリア』で始まっている。

この交唱歌『アヴェ・マリア』は三つの部分から構成されている。

前半の言葉は、ルカによる福音書 1章 28節からの引用『恵まれた女、マリアよ、おめでとう、

主があなたと共におられます。』大天使ガブリエルが乙女マリアに受胎告知をする時の言葉の冒

頭句である。

Page 4: 箏曲十二の段物とグレゴリオ聖歌takayama-ukon.sakura.ne.jp/pdf/booklet/pdf-takata/2017... · 2017-08-21 · 1 箏曲十二の段物とグレゴリオ聖歌 髙田重孝

4

次の言葉は身ごもったマリアが従姉妹のエリサベツ(洗礼者ヨハネの母)を訪ねた時に、エリ

サベツが聖霊に満たされて言った言葉の引用で、ルカによる福音書 1 章 42 節『あなたは女の

中で祝福されたかた、あなたの胎の実も祝福されています。』

後半の部分は聖母マリアに神へのとりなしを願う祈りの言葉になっていて、言葉と旋律は 15

世紀に加えられた。『神の母聖マリア、罪深い私たちのために、今も、死を迎えるときも祈って

ください。アーメン。』(クリスマス直前の主日)のミサの中で歌われる奉納唱である。

また一日八回(今日では七回)、定時の祈りに時間に捧げられる聖務日課のなかの最後の祈り終

課にマリア交唱が歌われる。

有名な『アヴェ・マリア』の旋律は 11世紀初頭の写本(ハルトカ―390~391, f, 38 )にネウマ

符で記されている古い旋律である。旋律の始めの箇所に非常に印象的な 5度の跳躍があり、第

1 教会旋法ドリア旋法がもつ荘厳性、深い崇敬性、奥床しい色調が特徴的に旋律に表われてい

る。後半の聖母マリアに神へのとりなしを願う言葉と旋律は 15 世紀に加えられた箇所で、言

葉に合わせて旋律も嘆願調になっている。

交唱『アヴェ・マリア』は聖母の祝祭日の聖務日課の他、お告げの祈りとして、また、様々な

機会に非常に多く歌われている。

日本にはキリシタン時代の教理門答書『どちりいなきりしたん』(1600 年)のなかに、現在の

形とほとんど同じ形で書かれていて、フランシスコ・ザビエルが日本に来た 1549 年以来、同

じ形式の祈祷文として唱えられていたことがわかる。

使用した楽譜の出典は『グラドゥアーレ・トリプレクス・Graduale Triplex 』(1979年ソレム

修道院出版) 1861頁、聖母讃歌(Honorem B Mariae V )マリア交唱歌(Antiphonae B.

Mariae Virginis )単純調(tonus simplex )第 1旋法ドリア旋法による。

*カトリック聖歌集 282~283頁。ハ長調.調合無し。ただし冒頭の Ave Mariaの B音に♭

が付く。

*『アヴェ・マリア』の教会第 1旋法のドリア旋律では、始まりの音が F音であるために、伴

奏譜としての琉球箏曲『瀧落管撹第 1 段』の本調子の調性 G 音とは、1 音のズレがあるため、

旋律を 1音上げて G音から始まるように書き直す必要がある。書き直した曲の調性はニ長調に

近くなり、F音と C音とに#が付く。

この旋律は後世の作曲家たちに定旋律としてモテットやミサ曲によく使用されている。

ロレンソ了斎は『アヴェ・マリア』の旋律に伴奏を付け、それが段物の『琉球箏曲一段・瀧落

管撹』に相当する。

Page 5: 箏曲十二の段物とグレゴリオ聖歌takayama-ukon.sakura.ne.jp/pdf/booklet/pdf-takata/2017... · 2017-08-21 · 1 箏曲十二の段物とグレゴリオ聖歌 髙田重孝

5

『地管撹・二段』

原曲は『めでたし元后・サルヴェ・レジナ・Salve Regina』

地管撹は 53小節(52小節+1拍)(209拍)で作られている。

めでたし元后・サルヴェ・レジナ・Salve Regina はラテン語分節では 13小節で構

成されていて、サルヴェ・レジナの旋律を繰り返して 4回歌うことにより、地管撹

の 52小節+1拍と合い伴奏譜として成立する。

『めでたし元后・サルヴェ・レジナ・Salve Regina Mater misericordiae』

三位一体主日後(その前夜土曜日)から待降節第一主日の直前の金曜日夜までの期間の終課(就

寝前の祈り)の最後に歌われるマリア交唱歌。

ベネディクト会が定めた聖務日課の最後の祈り(就寝前の祈り)、終課の最後で歌われる聖母マ

リアを称える歌、ラテン語の表題は『聖母マリアへの結びの交唱』

この名曲はグレゴリオ聖歌の中で最も美しい旋律を持つ有名なマリア交唱歌。最も古い聖母讃

歌のひとつで、天の元后(女王)、神の母、取次者である聖母マリアを称え祈る讃歌。

最古の史料は 11 世紀のもので、歌詞、旋律共にフランスのル・ピュイの司教・アデマール作

と言われている。この Salve Reginaが典礼において用いられるようになったのは 1135年、ク

リュニーに於いてペトルス・ヴェネラピリスが定めた行列聖歌であった。1218年以降、シトー

会がこの曲を毎日の行列聖歌と定め、1230年からはドミニコ会でも毎日の終課の後で歌うこと

を定めた。またこの曲は『神のお告げの祝日』のマグニフィカト(マリアの賛歌・ルカによる

福音書第 1章 46節~55節)のアンティフォナ Antiphonとして用いられていた。13世紀にシ

トー会、ドミニコ会等の修道会がそれぞれに日々の祈りの中に取り入れるようになり、教皇グ

レゴリウス 9 世(在位 1227~1241)がこの曲を毎金曜日の終課の後に唱えるように定めた。

14世紀以降は、すべての終課の後に唱えられるようになった。

修道士たちは全員聖堂に集まり、一日を神の御恵みのうちに過ごすことができた感謝と共に、

この日の最後の聖歌を聖母マリアへの誉れのために捧げる。

使用した楽譜の出典は『グラドゥアーレ・トリプレクス・Graduale Triplex 』(1979年ソレム

修道院出版) 279頁、マリア交唱歌(Antiphonae B. Mariae Virginis )単純調(tonus simplex )

原曲は第 5旋法リディア旋法による。はじめの音は C音。

*カトリック聖歌集 284~285頁。ハ長調。はじめの音は C音。

ロレンソ了斎は『めでたし元后・サルヴェ・レジナ・Salve Regina』の旋律に伴奏を付け、4

回繰り返し歌うことで段物の『琉球箏曲二段・地管撹』に相当する。

Page 6: 箏曲十二の段物とグレゴリオ聖歌takayama-ukon.sakura.ne.jp/pdf/booklet/pdf-takata/2017... · 2017-08-21 · 1 箏曲十二の段物とグレゴリオ聖歌 髙田重孝

6

『江戸管撹・三段』

原曲は『麗し救い主の御母・アルマ・レッデムプトリス・Alma Redemptoris』

江戸管撹は 48小節(47小節+1拍)(189拍)で作られている。

麗し救い主の御母・アルマ・レッデムプトリス・Alma Redemptoris はラテン語分

節では 12小節で構成されていて、アルマ・レッデムプトリスの旋律を繰り返して

4回歌うことにより、江戸管撹の 48小節と合い伴奏譜として成立する。

『麗し救い主の御母・アルマ・レッデムプトリス・Alma Redemptoris Mater』

待降節第1主日から2月2日の聖母マリア潔めの祝日までの間に歌われる終課(就寝前の祈り)

の最後に歌われるマリア交唱歌(Antiphonae B. Mariae Virginis )。ベネディクト会が定めた

聖務日課の最後の祈り(就寝前の祈り)、終課の最後で歌われる聖母マリアを称える歌、ラテン

語の表題は『聖母マリアへの結びの交唱』

最古の写本は 12世紀で、本来聖母被昇天祭の六時課(正午)の賛歌として用いられていた。

本来、詩編やカンティクムの前後に歌われていた。稀に見る美しさと独創性を持つ旋律は、中

世・ルネサンス期に多くの多声楽曲の基礎に使われた。

作者はライヘナウの修道士ヘルマンヌス・コントラクトゥス(1013~1054)と考えられている

が確証はない。

使用した楽譜の出典は『グラドゥアーレ・トリプレクス・Graduale Triplex 』(1979年ソレム

修道院出版) 277頁、マリア交唱歌(Antiphonae B. Mariae Virginis )単純調(tonus simplex )

原曲は第 5旋法リディア旋法による。はじめの音は C音。

ロレンソ了斎は『麗し救い主の御母・アルマ・レッデムプトリス・Alma Redemptoris Mater』

の旋律・単純調(tonus simplex )に伴奏を付け、それが段物の『琉球箏曲三段・江戸菅撹』

に相当する。

『四段・拍子管撹』

原曲は『天の元后・レジナ・チェエリ・Regina caeli』

拍子管撹は 57小節(56小節+2拍)(226拍)で作られている。

天の元后・レジナ・チェエリ・Regina caeliはラテン語分節では7小節で構成され

ていて、レジナ・チェエリの旋律を繰り返して 8 回歌うことにより、地管撹の 57

小節と合い伴奏譜として成立する。

拍子管撹は 57小節(56小節+2拍)(226拍)で作られている。

Page 7: 箏曲十二の段物とグレゴリオ聖歌takayama-ukon.sakura.ne.jp/pdf/booklet/pdf-takata/2017... · 2017-08-21 · 1 箏曲十二の段物とグレゴリオ聖歌 髙田重孝

7

『天の元后・レジナ・チェエリ・Regina caeli』

復活の主日(現:至聖なる主キリストの過ぎ越しの徹夜・聖土曜日(復活祭の前の土曜日)の

終課から 50日後の聖霊降臨祭の祝日後の金曜日の終課まで。

イエス・キリストの復活の時の聖母マリアの喜びを記念する曲。本来は復活祭晩課マニフィカ

ト(マリアの讃歌)用の交唱歌だったが、13世紀半ばから復活祭の終課に用いられるようにな

った。教会の祈りでは復活祭中、寝る前の祈りの結びとして歌われる。詩の成立は 9~12世紀

で作詞者は不明。グレゴリオ聖歌では 13世紀中頃に由来する荘厳旋律と 17世紀に作られた簡

素な旋律の聖歌が伝わっている。

使用した楽譜の出典は『グラドゥアーレ・トリプレクス・Graduale Triplex 』(1979年ソレム

修道院出版) 278頁、マリア交唱歌(Antiphonae B. Mariae Virginis )単純調(tonus simplex )

原曲は第 6旋法ヒポリディア旋法による。はじめの音は F音。

琉球箏曲四段:伴奏譜としての琉球箏曲『瀧落管撹第 1段』の本調子の調性 G音と、『Regina

caeli]、とは 1音のズレがあるため、旋律を 1音上げて G音から始まるように書き直す必要が

ある。書き直した曲の調性はト長調に近くなり、F音に#が付く。

ロレンソ了斎は『天の元后・レジナ・チェエリ・Regina caeli』の荘厳旋律に伴奏を付け、そ

れが段物の『琉球箏曲四段・拍子菅撹』に相当する。

『佐武也管撹・五段』

原曲は『めでたし憐れみ深い御母・サルヴェ・マーテル・Salve Mater 』

佐武也管撹は 54小節(53小節+2拍)(214拍)で作られている。

めでたし憐れみ深い御母・サルヴェ・マーテル・Salve Materは最初の繰り返しの

部分(A)を 1 度歌い(A)の繰り返しを再度歌い(B)の祈祷文を続けて歌う。

(A)(B) を 4回繰り返して歌うことで曲が構成されている。

曲の構成表

(A)6小節(24拍)

(A)6小節+2拍(26拍) (B)5小節+2 拍(22拍)

(A)6小節+2拍(26拍) (B)5小節+2 拍(22拍)

(A)7小節(28拍) (B)5小節(20拍)

Page 8: 箏曲十二の段物とグレゴリオ聖歌takayama-ukon.sakura.ne.jp/pdf/booklet/pdf-takata/2017... · 2017-08-21 · 1 箏曲十二の段物とグレゴリオ聖歌 髙田重孝

8

(A)6小節(24拍) (B)5小節+2 拍(22拍)

『めでたし憐れみ深い御母・サルヴェ・マーテル・Salve Mater misericordiae』

美しい旋律を持つこの曲は、グレゴリオ聖歌の中で最も美しい旋律のひとつと言われている有

名なマリア交唱歌。最も古い聖母讃歌のひとつで、天の元后(女王)、神の母、取次者である聖

母マリアを称え祈る讃歌。

最古の史料は 11世紀のもので 13世紀にシトー会、ドミニコ会等の修道会がそれぞれに日々の

祈りの中に取り入れるようになり、教皇グレゴリウス 9 世(在位 1227~1241)がこの曲を毎

金曜日の終課の後に唱えるように定めた。14世紀以降は、すべての終課の後に唱えられるよう

になった。

ロレンソ了斎は『めでたし憐れみ深い御母・サルヴェ・マーテル・Salve Mater misericordiae』

の旋律に伴奏を付け、それが段物の『琉球箏曲五段・佐武也管撹』に相当する。

『六段管撹』

原曲は『クレド・Credo・信仰宣言』

六段管撹は、六段で構成されている。

一段 27小節、二段 27小節、三段 27小節、四段 26小節、五段 27小節、六段 27小節、

『クレド』の旋律のラテン語分節に従って六段菅撹を当てはめると、前半部分が一段(27 小

節)ほぼ真中の『Et resurrexit tertia die』から二段(27小節)が当てはまる。

二段の 27小節は『アーメン』、四段の 26小節は『アーメン』、六段の 27小節は『アーメン』

に相当している。ただし、初段 1小節の先唱は、3段目と 5段目の始まりには省略されていて

いる。3段目と 5段目の先唱が省略されているからと言っても、2段目と 4段目に『アーメン』

があるということは、『クレド』の伴奏譜が 3 種類あるということで、皆川氏が主張する『ク

レド』を続けて 3回繰り返し歌うとの理論とは相いれない。諸田賢順が『クレド』の伴奏譜を

編集する際に、初段 1小節目の先唱と同じ、3段目と 5段目の先唱の小節を省略したと思われ

る。

六段管撹・曲の構成表 (本土)箏曲六段・曲の構成表

1、一段 27小節、二段 27小節(アーメン)1、一段 27小節、二段 26小節(アーメン)

2、三段 27小節、四段 26小節(アーメン)2、三段 26小節、四段 26小節(アーメン)

3、 五段 27小節、六段 27小節(アーメン)3、五段 26小節、六段 26小節(アーメン)

六段管撹と(本土)箏曲六段の曲の構成表を見て判る通り、本土箏曲の六段の方が、一段の

27小節の他は、各段 26小節に統一されている。六段管撹が元の形だと仮定した場合、本土の

Page 9: 箏曲十二の段物とグレゴリオ聖歌takayama-ukon.sakura.ne.jp/pdf/booklet/pdf-takata/2017... · 2017-08-21 · 1 箏曲十二の段物とグレゴリオ聖歌 髙田重孝

9

箏曲六段は、1700 年以降、元禄時代になってから、より段物として演奏しやすいように、一

段の小節数を 26に揃えたと考えられる。

『クレド・Credo・信仰宣言』

カトリック教会のミサ典礼における、ミサ通常文の第 3番目に唱えられる『信仰宣言・クレド』。

『会衆が神の言葉に応えて信仰の規範を思い起こし、信仰を新たにするために,信条を唱える

こと』と規定されている。

司祭が『われは信ず、唯一の神 Credo in unum Deum』と唱えて歌い出し、信者達が『全能の

神 Patrem omnipotentem』と続く。前半部では創造主である父なる全能の神と、人間の姿で

誕生して十字架の上で我らの罪をあがない給うたイエス・キリストへの信仰を、後半部では死

に勝利したキリストの復活、父と子と三位一体の聖霊への信仰告白を旋律に乗せて歌っていく。

信仰宣言【クレド】

私は天地の造り主、全能の父なる神を信じます。私はその独り子、私たちの主、イエス・キリ

ストを信じます。主は聖霊によってやどり、おとめマリアより生まれ、ポンテオ・ピラトのも

とに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ,蔭府(よみ)にくだり、三日目に死人

の内よりよみがえり、天に上り、全能の父なる神の右に座しておられます。

かしこよりきたりて生きている者と死んだ者とを裁かれます。私は聖霊を信じます。聖なる普

遍の教会、聖徒の交わり、罪の許し、体のよみがえり、とこしえの命を信じます。アーメン

クレド・信仰宣言の歴史的成立過程

信仰宣言とは、イエス・キリストの弟子たちの時代から使徒時代を経て、信仰の基本は色々な

形でまとめられてきたが、洗礼の確立と共に信徒になる人の信条の告白も定式化されていった。

洗礼を受けるに先立ち、洗礼志願者にキリスト者の秘儀が伝えられ、志願者は共同体(教会)

の面前でそれを唱え返す式があった。更に、洗礼そのものが『父と子と聖霊を信じます』と言

う信仰表明の後に授けられた。215 年、ローマの『ヒッポリュトスの使徒伝承』の時代には、

この形式は確立されていた。

325年、ニカイア(現・トルコのイズニク Iznik )で開催された第1回公会議で信条が作成さ

れ、381 年、コンスタンティノポリス(現・トルコのイスタンブール)で開催された公会議に

おいて『聖霊に関する補足』が補足付加されて『ニカイア・コンスタンティノポリス信条』の

式文が成立して、教会で唱えられ、ラテン語聖歌の旋律によって歌われてきた。

東方教会では 568 年、皇帝ユスティニアヌス 2 世の命令で、『主の祈り』の前に『ニカイア・

コンスタンティノポリス信条』を歌うことが義務付けられた。西方教会でもスペインとガリア

で 6世紀終わりころから、この信条を歌うように決められた。信条を歌う習慣は 9世紀にアイ

ルランドで広まり,福音書の朗読の後に歌うようになった。イングランドを経てドイツに入り、

ヨーロッパ全域の教会において習慣化された。1014 年、皇帝ハインリヒ 2 世が戴冠式のため

Page 10: 箏曲十二の段物とグレゴリオ聖歌takayama-ukon.sakura.ne.jp/pdf/booklet/pdf-takata/2017... · 2017-08-21 · 1 箏曲十二の段物とグレゴリオ聖歌 髙田重孝

10

にローマに行き、主日と大祝日にニカイア・コンスタンティノポリス信条を唱えることを西方

教会に義務付け、以後西方教会全域において信条が正式に典礼に組込まれた。

クレドの音楽的成立過程

『ニカイア・コンスタンティノポリス信条』による『クレド』を歌うラテン語聖歌には、中世

に作成された写本の中に 8 種類の旋律が確認されている。1974 年に出版された現行のグレゴ

リオ聖歌集『グラドゥアーレ・ロマーヌム Graduale Romanum 』には、11世紀から 17世紀

に作られた 6種類の旋律が、ネウマ楽譜付で記載されている。

6 種類の旋律はそれぞれが教会旋法によって、固有の旋律を持っている。6 種類の旋律を教会

旋法ごとに分けると、3種類の教会旋法に分類できる。

第 4旋法ヒポフリギア旋法、第 1番、第 2番、第 5番、第 6番、

第 5旋法リディア旋法、第 3番、

第 1旋法ドリア旋法、第 4番、

第 4旋法のヒポフリギア旋法による 4種類の旋律は基本的には極めて類似した旋律であり、類

似した旋律の上にそれぞれが独自の装飾的な動きを旋律内に持っている。つまり第 1番の旋律

が基本の旋律であり、第 2番、第 5番、第 6番の 3種類の旋律は第 1番旋律の変形であり、中

世の時代に広範囲の地域において歌われていた第 1番旋律が、時代的地域的変遷を経て伝承さ

れ変形して定着した相違によると考えられる。

第 5旋法のリディア旋法による第 3番は、第 4旋法のヒポフリジア旋法の 4曲とは旋法そのも

のが持っている旋法の性格が異なるために、比べるとより明るく軽快な調性を持ち、へ長調(F

major )に近い調性に感じる。

第 1旋法のドリア旋法による第 4番は、荘厳で重厚な調性を持ち,ニ短調(d minor )に近い

調性を持っている。

『クレド』の旋律の中で『Authenticus=正統的・基準的・本来的』とされてきたのが、第 1番

の第 4 旋法ヒポフリジア旋法による旋律である。年代的にも一番古く 11 世紀に成立したと言

われている。6 種類の旋律はそれぞれが属する旋法に応じた動きや装飾的音符の長さの違い等

があるが、言葉からくる制約や音楽的区切り方等から比較した場合、構造的には同一の形式に

統一される。

クレド(Credo)と六段の関係の発見

『クレド』に『六段』を重ね合わせると、司祭が先唱する『われは信ず、唯一の神』が『六段』

では導入序奏の『テーントンシャーン』に対応する。信者が歌う前半部と後半部が『六段』の

初段と二段とに重なりあう。『クレド』の旋律のラテン語分節に従って六段菅撹を当てはめる

と、前半部分が一段(27小節)ほぼ真中の『Et resurrexit tertia die』から二段(27小節)が

当てはまる。二段の 27小節は『アーメン』、四段の 26小節は『アーメン』、六段の 27小節は

Page 11: 箏曲十二の段物とグレゴリオ聖歌takayama-ukon.sakura.ne.jp/pdf/booklet/pdf-takata/2017... · 2017-08-21 · 1 箏曲十二の段物とグレゴリオ聖歌 髙田重孝

11

『アーメン』に相当している。ただし、初段 1小節の先唱は、3段目と 5段目の始まりには省

略されていている。3 段目と 5 段目の先唱が省略されているからと言っても、2 段目と 4 段目

に『アーメン』があるということは、『クレド』の伴奏譜が 3 種類あるということで、皆川氏

が主張する『クレド』を続けて 3回繰り返し歌うとの理論とは相いれない。諸田賢順が『クレ

ド』の伴奏譜を編集する際に、初段 1小節目の先唱と同じ、3段目と 5段目の先唱の小節を省

略したと考えられる。

福岡県大牟田市の筝奏者・故坪井光枝氏が『クレド第 3 番』と『六段』の類似性を 1995 年頃

に指摘され、2006年 10月リサイタルにおいて、『大牟田宮部に生まれた箏の祖 賢順を記念

して』と題してコンサートプログラムに『箏の祖 賢順』の論文を掲載された。この報告を受

けて皆川達夫氏が『クレドと六段』の関係を詳しく調べられ、邦楽ジャーナル 2010年 10月号

に『『六段の調べ』はキリシタン音楽だった!』と題して、聖歌『クレド』と合致する『六段

の調べ』の論文を発表され、続いて 2011 年 1 月に CD 箏曲『六段』とグレゴリオ聖歌『クレ

ド』を発売された。この CDでの演奏の特徴は『六段』を譜面通りに演奏するために、グレゴ

リオ聖歌『クレド』の旋律が多くの 3連譜や付点 16分音符、4連譜、5連譜を用いて変形され

ていることがあげられる。確かに『六段』の現在の姿を崩さずに『クレド』と合致させるには、

『クレド』の旋律のリズムを変える方法しかないと理解できるし、『クレド』と『六段』の合致

点、落とし所としての結果がこの CDに集約されていることを認める。『六段』を譜面通り演奏

して、それに『クレドの旋律』を当てはめることで、『六段』が『クレド』の伴奏譜だったこと

が証明された。

皆川氏の作成された『クレドと六段』の比較楽譜の矛盾点

矛盾した疑問点

① CD解説文と洋楽渡来考再論に『クレドと六段』との対照楽譜が掲載されていたが、『六段』

の最初の音がミ(E 音)になっている。箏譜面の『六段』は平調子で五の音になっている

ので 3 度高いソ(G 音)から始まるはずである.伴奏譜である『六段』全てが 3 度低く書

かれているのは間違いである。460 年前『クレド』が歌われていた当時、伴奏が E 音を出

して、信徒が 3度高い G音から歌いだしていたのだろうか?『日本人は和声を取ることが

難しく困難である。』とのイエズス会の報告を読むとき、伴奏の琵琶、あるいはヴィオラス・

デ・アルコ(violas de arco)で歌う旋律をなぞっていたとの記述のとおり、曲の初めと同

じ音を出していたと考える方が自然だと思われる。

② また皆川氏は、『クレド』は 3 度繰り返して歌っていたとの見解を示しているが、『六段と

クレド』の対比楽譜を和声的に作った結果、皆川氏の主張されている 2 段目、4 段目の省

略されているはずの『アーメン』が楽譜の中に存在していた。正確に言えば 2段目の 26小

節、4段目の 26小節が『アーメン』に該当している。

2段目の 26小節、4段目の 26小節の『アーメン』を 2段目と 4段目に入れ込んだことで

Page 12: 箏曲十二の段物とグレゴリオ聖歌takayama-ukon.sakura.ne.jp/pdf/booklet/pdf-takata/2017... · 2017-08-21 · 1 箏曲十二の段物とグレゴリオ聖歌 髙田重孝

12

和声的な展開が正しくできていないことは明白の事で、不協和音を多くする結果となって

いて、本来クレドの旋律に対して美しく響くはずの和声が姿を消してしまっている。

③ 皆川氏の作成した楽譜(洋楽渡来考再論)129~131頁の六段目、154小節 2拍目から 2小

節に渡って不明になっていて、154 小節目の 3 拍目が行き成り『アーメン』に持ち込まれ

ている。完全に和声的展開の失敗を、強引に辻褄合わせをしていることは楽譜上からも明

白で、なぜこのような展開ができるのかが理解できない。これではクレドの正しい伴奏譜

とは言えないと結論するしかない。

④ 1段目の冒頭『Credo in unum Deum』の先唱は、3段目の冒頭と 5段目の冒頭が省略さ

れている。おそらく、はじめはこの 3段目と 5段目にも先唱があったはずだが、諸田賢順

が六段の形を整える時に、この冒頭の同じ形の 2 ヵ所の先唱を省略したと考えられる。2

段目と 4段目の『アーメン』が存在する事実と、3 段目と 5 段目の先唱が省略されている

事実から、ロレンソ了斎が『クレドの伴奏譜』を作った時には、3 種類の『クレド』の伴

奏譜を作ったと結論することができる。

別の証明の方法

この CDの証明方法しか音楽的解決策は存在しないのだろうか?

上記の文献を参考に CDの演奏とは正反対の考え方に基づき、グレゴリオ聖歌『クレド』【信仰

宣言】の旋律の歌い方はこの 400年間変わっていないとの前提の上に、グレゴリオ聖歌『クレ

ド』の旋律に合わせて『六段』の初段と二段の音符を割り振る形で、『クレド』第一番の伴奏譜

を作成した。1557年頃の豊後府内でどの『クレド』が歌われていたのかを特定すること、断定

することは非常に難しい。イエズス会の記録に『クレド』が歌われていたとの記述はあるが、

それがどの『クレド』,何番の『クレド』とまでは言及していない。時代的に見て、1557 年当

時、日本で【豊後府内あるいは山口で】歌われていた可能性が最も高いのが 11 世紀頃から典

礼に採用されて歌われている『クレド』第一番と考えられる。他の可能性もあるので、時代的

に矛盾しない『クレド第三番』、『クレド第四番』にも『六段』を割り振った。

箏曲『六段』はディフェレンシアス(変奏曲)なのか?

箏曲『六段』は日本の箏曲・伝統音楽の中で特に広く知られ親しまれている。

『六段』の構成が変奏曲、16世紀スペインの「ディフェレンシアス」に類以している事、

【変奏曲 Diferenciasとは主題が最初から変奏されて提示され、6つの変奏の形式をとる】

それゆえに、箏曲『六段』も同じ形を持っていることが以前から指摘されてきた。しかし、本

当に『六段』は『ディフェレンシアス』と同じ形式を有するのだろうか?では他の『段物』の

形式と『ディフェレンシアス』の関係をどの様に説明するのだろうか?重ねてたずねるならば、

他の段物、5 段や 7 段、8 段と『ディファレンシアス』との関係をどの様に説明するのだろう

か? たまたま『六段』と言う段物が『ディフェレンシアス・6 つの変奏の形式』と言う形式

と似通った形を有するだけのことではなかったのか? 段物の原曲が『聖母マリアのミサ曲の

Page 13: 箏曲十二の段物とグレゴリオ聖歌takayama-ukon.sakura.ne.jp/pdf/booklet/pdf-takata/2017... · 2017-08-21 · 1 箏曲十二の段物とグレゴリオ聖歌 髙田重孝

13

通常文』の中の『クレド』の伴奏譜だったこと、ロレンソ了斎は 3種類のクレドの伴奏譜を作

ったと明らかになった今『ディフェレンシアス』との関係は無かったということができる。

【考察】

ロレンソ了斎の時代の『クレド』の演奏方法

皆川氏により『六段』が『クレド』の伴奏譜と判ったときは「クレドを続けて 3 度繰り返す」

と考えていたが、研究が進むにつれて,クレドの旋律に対して六段の音を和声的に割り振った

ところ、2 段目の 26 小節、4 段目の 26 小節が『アーメン』に当てはまることが楽譜から証明

された。つまり、3段目と 5段目の冒頭の『先唱・Credo in unum Deum』は省略されている

が、2 段目と 4 段目の 26 小節『アーメン』は存在している。つまり、ロレンソ了斎は 3 種類

の『クレド』の伴奏譜を作っていたと考えることができる。長大なクレドを 3度もミサの中で

繰り返して歌っていたのではないことが証明された。

琉球箏曲七段が『聖母マリアの祝祭日、通常文第1ミサ、キリエ・エレイソン、主よ、憐れみ

たまえ』、本土の箏曲・五段『ミサ通常文第 1・聖母マリアの祝祭日より・Sanctus 』、八段

『ミサ通常文第 1・聖母マリアの祝祭日より・Agnus Dei』、九段『ミサ通常文第 1・聖母マ

リアの祝祭日より・グローリア・Gloria』と判明した。

ミサにおいて歌われる各歌は繰り返しなしで歌われるのが普通である。通常ミサにおいては、

『キリエ・エレイソン』『グローリア』『クレド』『サンクトゥス』『アニュス・デイ』は1

回だけ歌われる。従って、ミサにおいて『クレド』も通常は1回だけ歌われていたはずである。

その様に考えると、ロレンソ了斎は 3種類の『クレド』の伴奏譜を作ったと考えられ、初段の

冒頭にある序奏(テーントンシャン)が 3段と 5段の冒頭にも先唱があったはずだが、しかし

六段と同じ結尾(コーダ)(アーメン)が 2段と 4段には存在している。いつの時点で 3段と

5 段の先唱が省略されたかは推測の域を出ないが、おそらく、諸田賢順がクレドの伴奏譜だっ

た六段を編集する際に、3段と 5段の『先唱』を省略して、段物としての形を整えたと考えら

れる。

使用した楽譜の出典は『グラドゥアーレ・トリプレクス・Graduale Triplex 』(1979年ソレ

ム修道院出版) 64~66頁、Credo・クレド・第 1番、第 4ヒポフリギア教会旋法。

*カトリック聖歌集 266~269 頁。ヘ長調。はじめの音は D 音になっているために、伴奏譜

としての琉球箏曲『管撹第七段』の本調子の調性 G音とは、1音のズレがあるため、旋律を 1

音上げて E音から始まるように書き直す必要がある。書き直した曲の調性ハ長調にト長調にな

り、F音に#が付く。

『クレド』の楽譜化と演奏の再現化

グレゴリオ聖歌『クレド』【信仰宣言】の旋律はこの 400年間変わっていないとの前提の上に

Page 14: 箏曲十二の段物とグレゴリオ聖歌takayama-ukon.sakura.ne.jp/pdf/booklet/pdf-takata/2017... · 2017-08-21 · 1 箏曲十二の段物とグレゴリオ聖歌 髙田重孝

14

グレゴリオ聖歌『クレド』の旋律に合わせて『六段』の音符を割り振る形で楽譜化すると、『ク

レド』の旋律に合わせて極端に『六段』が延びる箇所と極端に音符が詰まる箇所ができるとい

う音楽的問題が生じる。現在箏曲で演奏されている『六段』の音符の間隔がある個所では倍の

長さに延び、ある個所は音符が極端に詰まってしまう。おそらく 1614 年以来のキリスト教禁

教令により『六段』が『クレド』の旋律と歌詞を失った時から、伴奏譜としての『六段』がよ

り自由になり、旋律に合わせて間延びしていた音と音との間隔が、音楽性を保持するために感

覚的に縮んだり伸びたりして変化していき,徐々に整えられて独立したひとつの楽曲となって

いったのではないだろうか。ロレンソ了斎から教えられた諸田賢順が、『クレド』の伴奏譜を

今の形の『六段』に整えた可能性は非常に高い。なぜなら、賢順が 53歳の時、1587年(天正

15)、多久安順より多久に招かれて、安順の妻『千鶴姫』に箏を教授する役目を仰せつかり、

多久梶峰城の下に屋敷が与えられ住むことになった。

しかし、時代はキリシタン禁教に向かって徐々に進み始め、キリシタン信仰の故に殉教する人

達が増えてきた。これらの殉教報告を受けて、賢順はロレンソ了斎から学んだグレゴリオ聖歌

の伴奏譜の取り扱いをどの様に考えただろうか?

これら多くの殉教報告を聞いた賢順は、自分の受け継いだ音楽がキリシタンと深く関係してい

ることを知っているが故に、玄恕に段物の本当の意味を知らせることは、幼い玄恕にとって命

を危険にさらすことになる故に『段物』と言う音楽の形だけを継承させたと考えられる。

賢順が玄恕に段物を伝えた時、すでにキリシタン音楽と判らなくするために、すでに現在の『六

段』の形に姿を変えて伝えたと考察され推測される。門弟の玄恕を経て、八橋検校(1614~1685)

へ伝えられた時には、すでに現在の『六段』の形に姿を変えた楽曲を継承させたと思われる。

あるいは八橋検校がクレドの伴奏譜を独立した楽曲『六段』の演奏スタイル(速度を速たり、

ゆっくりした個所の指定等)を現在の演奏スタイルに確立したのかもしれない。それゆえに『六

段』は八橋検校作曲と言い伝えられたのであろう。

最も日本的と考えられていた箏曲『六段』を元の姿に返したとき、フランシスコ・ザビエルか

らグレゴリオ聖歌を学んだロレンソ了斎の心の中に入り込んで留まり、徐々に熟成され、ある

時を経て『クレド』の日本的伴奏譜となって結晶した。ロレンソ了斎の心の中で西洋音楽と日

本音楽が出会い邂逅して混ざり合い、徐々に時間の純化を経て新たな形として姿を現した。

『六段』の中に『クレド』を見出し、ロレンソ了斎の『クレドに付けた伴奏』の姿を再現でき

たとき、キリシタン音楽が日本音楽と初めて融合した 1550 年当時の姿の残り香を感じること

ができるのではないだろうか。

キリスト教が 1549年に日本に入ってきてわずか 20年の間のなかに、諸田賢順が大友宗麟の招

きで豊後府内に在住した 1556年~1569年(弘治 2年~永禄 12年)の 14年がある。

1556年、府内に於いて諸田賢順は日本人で初めてイルマン・修道士になったロレンソ了斎・元

琵琶法師に出会い、ロレンソ了斎から西洋音楽である『クレドとその伴奏』を学び記譜をした。

諸田賢順の府内で過ごした時期はキリスト教会の発展の時期と重なっている。その後、諸田賢

Page 15: 箏曲十二の段物とグレゴリオ聖歌takayama-ukon.sakura.ne.jp/pdf/booklet/pdf-takata/2017... · 2017-08-21 · 1 箏曲十二の段物とグレゴリオ聖歌 髙田重孝

15

順は 1569 年(永禄 12)に豊後府内から郷里の佐嘉南里に戻り 17 年を三根の東津で過ごし、

1587年(天正 15)9月、多久邑主多久安順に招きで多久に移住、1623年(元和 9)7月 13日、

多久に於いて 90年の生涯を閉じた。

箏曲『六段』は日本が誇る音楽文化遺産である。たとえそれがグレゴリオ聖歌の影響を受けて

生まれたとしても、『六段』の真価を何一つ傷つけるものではなく、むしろ 1550 年代の日本

に入ってきた西洋音楽文化が日本音楽の中に融合してひとつの形を生み、『六段』という作品

に結実した。『六段』における『クレド』との融合の存在意義は限りなく深く尊いと考える。

歴史の中でキリシタン音楽『クレド』は 1614 年の禁教令のために表面的には歌われなくなり

消えていき、一方の『クレドの伴奏譜』は独立した器樂曲『六段』となって受け継がれていっ

たことを考えると、音楽の世界においても 1550 年にキリスト教が日本に来た時に、西洋音楽

(教会旋法)と日本音楽(5 音階旋法)の奇跡のような出会いがあり、その後このことに携わ

った人々や音楽が辿った全く違うそれぞれの道にはとても深い意味と神の深遠な摂理が存在す

る。460 年の時を経て、今、神は長い間隠しておられた真実を明らかにされようとしておられ

る。こののち、このことに携わる人々は,神の聖なる領域の問題として敬虔にこの問題と向か

い合わなければならない。

演奏上の問題点

『クレド第 1番』は第 4ヒポフリギア教会旋法によって書かれている。教会旋法は、古代ギリ

シャ音楽に源を持ち中世の教会で発展して、現代の長調や短調とも違う教会独自の旋法である。

ヒポフリギア教会旋法とはミ【E】の音を終止音として、終止音上の 5 度を中心として、その

下に広がる音域をもつ旋法である。終止音とは、曲が終止する音であり、ラ【A】の音を属音

と呼び旋律の流れの中心となる音である。音階は、シドレミ【終止音】ファソラ【属音】シ、

により構成されている。

『六段』の平調子【平調律】は箏の最も基本的で最も多く使われる調弦法。日本の音階はミ【E】

を基本音として、ラシドミファの 5の音により音階が構成されていて、現代音階で言う、レ【D】

とソ【G】の音が抜けている。(俗にいう四七抜きの音階)

『六段』の平調子から、四、六、九、斗の弦を半音あげると『クレド』の音階と一致する。

全ての箏曲の段物をグレゴリオ聖歌の教会旋法と同じ音階にしようとすると『平調子』から『乃

木調子』にする必要がある。『乃木調子』の音階に、教会旋法の半音になっている音と同じ音を

半音にすることで音階が統一される。

琉球箏曲六段菅撹と箏曲六段との違い

グレゴリオ聖歌『クレド』の旋律と対比させた時に、琉球箏曲六段菅撹の方が、本土の筝曲

六段よりも、旋律的にも調性的にも音楽的にクレドの旋律に馴染むことは否めない事実である。

Page 16: 箏曲十二の段物とグレゴリオ聖歌takayama-ukon.sakura.ne.jp/pdf/booklet/pdf-takata/2017... · 2017-08-21 · 1 箏曲十二の段物とグレゴリオ聖歌 髙田重孝

16

琉球箏曲六段菅撹と箏曲六段を小節ごとに比べた場合、琉球箏曲六段菅撹の方が単純(シンプ

ル)に書かれていて、箏曲六段(本土)は、同じ小節の同じ音に装飾された形が至る所に見受

けられる。装飾された形が示していることは、初めは単純な音の形だった曲が、音を装飾させ

ることにより、より華やかに演奏しようとしたことの現われと考えられる。

もう一つの問題点は、琉球箏曲六段菅撹の陽調性と箏曲六段の陰調性があげられる。

おそらく、諸田賢順から玄恕、玄恕から八橋検校、八橋検校から吉部座頭,吉部座頭から薩摩

藩士・服部清左衛門政真、武右衛門政寛父子へ継承され、1700年(元禄 13年)稲嶺盛淳(い

なみねせいじゅん・1679・7・25~1715・9・2)が薩摩に派遣され、薩摩藩士・服部清左衛門

政真、武右衛門政寛父子から八橋流筝曲の演奏法を学んで帰国した時まで『六段』を含めて『す

べての段物』は、琉球箏曲に伝えられている陽の調性ではなかったかと推測される。本土では

その後 1700 年代の元禄時代、上方で流行した陰の調性の影響を受けて『段物』にも手が加え

られ、現在の『段物』の調性に変えられていったのではないかと考えられる。

*『康煕三十九年庚辰、寛陽院公の七回忌の進香のために、翁氏稲嶺親雲上盛淳を薩州へ派遣

した。』『中山世譜』(原田禹雄注、榕樹書林、201頁)

康煕三十九年庚辰は 1700 年、寛陽院公とは薩摩藩主・島津光久公の事である。この記述によ

り稲嶺盛淳が王命により、薩摩に派遣されて事が解る。

*『(略)翁氏稲嶺盛淳親方家系譜に依れば、薩州の士に服部清左衛門政真、其武右衛門政寛

なる者あり、父子曽て京都に赴き八橋検校の弟子吉部座頭に付いて琴曲を学び其奥伝を得て帰

る。時に稲嶺盛淳王命を奉じて鹿児島府に使し父子に就いて之を学び、後再び出府せし時更に

学んで秘書五巻薀奥神秘之二巻を授けられて帰る。』

琉球箏曲興陽会『琉球箏曲工工四』の世礼国男の序文より

*『世礼国男の序文は、稲嶺盛淳が薩摩から八橋流筝曲を琉球に伝えたことを具体的に述べて

いる。ここで重要なことは、吉部座頭が八橋検校(1614~1685)の直弟子であることである。

服部父子は京都でこの吉部座頭から八橋流を学んだ。』

琉球箏曲の研究 仲嶺貞夫著 74頁 琉球箏曲の伝来

『七段管撹』

原曲は『ミサ通常文第 1・聖母マリアの祝祭日より・キリエ・Kyrie』

『喜びを持って・Cum jubilo』

七段管撹は各段のばらつきが多く、旋律に対しても、ラテン語分節に対しても一定

の法則を持っていない。しかし小節数からある一定の区分け方が見えてくる。

Page 17: 箏曲十二の段物とグレゴリオ聖歌takayama-ukon.sakura.ne.jp/pdf/booklet/pdf-takata/2017... · 2017-08-21 · 1 箏曲十二の段物とグレゴリオ聖歌 髙田重孝

17

*小節数の多い少ないにかかわらず各段に対してキリエの旋律は 1度だけ歌う。

少ない小節:六段 19小節、四段 20小節、

中庸の形 :五段 23小節

ほぼ同じ形:三段 25小節、二段 26小節、

数の多い形:一段 28小節、*七段 31小節、

*七段 31小節については

(24小節 2拍休み、25小節 3拍休み、28小節 4 拍休みを省いて続けて演奏する)

カトリック教会のミサ典礼における、ミサ通常文第 1・第 9番目のミサ『聖母マリ

アの祝祭日』のための第 1 曲・『Kyrie eleison・キリエ・エレイソン・主よ、憐れ

みたまえ』『Cum jubilo・喜びを持って』

『Missa・ミサ』と言う言葉の語源は、ラテン語の動詞「Mittere 送る」に由来している。ミ

サ聖祭の終わりに司祭が継げる言葉「Ite,missa est イテ・ミッサ・エスト・行きなさい、あな

た方は遣わされています」に由来する。

ミサはカトリック教会の典礼で聖務日課(現:教会の祈り)と共に中心的な礼拝で、イエス・

キリストが最後の晩餐で定められたキリストの御血と御肉の象徴であるぶどう酒とパンとによ

って、キリストの受難と復活を記念する聖体祭儀である。

ミサには、日曜のミサである『主日のミサ』、典礼暦の『祝祭日のためのミサ』、『聖人のミサ』、

『記念日のミサ』、『冠婚葬祭のミサ』等がある。

ミサでは様々な祈りや歌が捧げられるが、ミサ式文は、原則として一年を通して変わらない言

葉の部分の『通常文・Ordinarium missae (通称 ordinarium オルディナリウム)』と、日に

よって言葉が変わる部分の『固有文・Proprium missae (通称 oroprium プロプリウム)』に

よって構成されている。固有文は主日や祝祭日の特徴を表し、祝日や典礼の季節に応じて変わ

って行く。通常文、固有文は、聖職者によって唱えられる。もしくは歌われるものと聖歌隊に

よって歌われるものとに区別されている。そのうち原則として、聖歌隊によって歌われるもの

に限り、通常文を挙げると以下のようになっている。

・通常文(唱)キリエ、グローリア、クレド、サンクトゥス、アニュス・デイ、

14世紀以降、通常文(唱)のキリエ、グローリア、クレド、サンクトゥス、アニュス・デイの

5 つを一組としてミサで歌われるようになった。多くの作曲家により多声ミサ曲として作曲さ

れるようになり、今日に至っている。

『キリエ・Kyrie』現:あわれみの讃歌

『Kyrie eleison』 ギリシャ語で『主よ、憐れみたまえ』の意味。『Kyrie』はギリシャ語の

(Kyrios・主)の呼格をラテン語読みしたもので『主よ』を意味する。

Page 18: 箏曲十二の段物とグレゴリオ聖歌takayama-ukon.sakura.ne.jp/pdf/booklet/pdf-takata/2017... · 2017-08-21 · 1 箏曲十二の段物とグレゴリオ聖歌 髙田重孝

18

東方教会の伝統を引き継ぎ、ギリシャ語の典礼に残っている、御父、御子、聖霊に憐れみを求

める祈り。初代キリスト教会時代からの伝統に従い『キリエ・エレイソン』『クリステ・エレイ

ソン』『キリエ・エレイソン』の各フレーズを各 3回、計 9回唱えていた。

使用した楽譜の出典は『グラドゥアーレ・トリプレクス・Graduale Triplex 』(1979年ソレム

修道院出版) 40頁、ミサ通常文第1・第 9番目のミサ『聖母マリアの祝祭日』

(IX In festis B. Mariae Virginis 1)(Cum jubilo・喜びを持って)単純調(tonus simplex )

原曲は第 1旋法ドリア旋法による。はじめの音は D音。

*カトリック聖歌集 256~257頁。ヘ長調、はじめの音は D音。

第 1旋法のドリア旋法による『キリエ・エレイソン』は、荘厳で重厚な調性を持ち,ニ短調(d

minor )に近い調性を持っている。調性としては♭が B 音にひとつ付くヘ長調であるが、D

音から始まっているのでニ短調に近い音階の調性である。

*原曲『キリエ・エレイソン』の初めの音は D・レから始まっているので、そのままの調性で

は箏曲七段菅撹と合わないために、1音上げて E音から始まる、変ホ短調(e♭minor)に書き

換える必要がある。

『ミサ通常文第 1・聖母マリアの祝祭日より・キリエ・Kyrie』『喜びを持って・Cum jubilo』

の旋律はあまりにも有名な旋律であり、多くの作曲家たちが、この旋律を用いてミサ曲を書い

ている。同じ時代、特に有名なミサ曲は、ジローラモ・フレスコバルディ(Girolamo Frescobaldi

1583~1643)が 1635年にローマで出版された『音楽の花束』の中の『聖母のミサ曲』である。

オルガン・ミサ曲の冒頭『キリエ』には『聖母マリアの祝祭日用第 1の『キリエ』『喜びを持

って・Cum jubilo』が使用されている。

ロレンソ了斎は『ミサ通常文第 1・聖母マリアの祝祭日より・キリエ・Kyrie』の旋

律に 7種類の伴奏を付け、それが段物の『琉球箏曲七段・七段管撹』に相当する。

☆六つの箏曲

六つの箏曲(本土に伝わっている)

1、 五段 『ミサ通常文第 1・聖母マリアの祝祭日より・Sanctus 』

2、六段 『信仰宣言・クレド・Credo』【原曲を装飾している・陰旋法】

3、七段 『めでたし天の元后・アヴェ・レジナ・Ave Regina caelorum』

4、八段 『ミサ通常文第 1・聖母マリアの祝祭日より・Agnus Dei』

5、九段 『ミサ通常文第 1・聖母マリアの祝祭日より・グローリア・Gloria』

6、みだれ・山田流 12段 『主の祈り・Pater Noster』

Page 19: 箏曲十二の段物とグレゴリオ聖歌takayama-ukon.sakura.ne.jp/pdf/booklet/pdf-takata/2017... · 2017-08-21 · 1 箏曲十二の段物とグレゴリオ聖歌 髙田重孝

19

琉球箏曲の特徴

琉球箏曲とグレゴリオ聖歌の比較研究,解析の結果、琉球箏曲の全てが、本土では失われたと

思われていた『聖母マリア讃歌・聖母マリアのための交唱と讃歌』だったことが音楽の視点か

ら解析され証明された。有名な『聖母マリア讃歌』は 6曲あるが、そのうちの 5曲の伴奏譜が

琉球箏曲の中に存在していた。

本土の箏曲の段物の特徴

琉球箏曲の原曲が『聖母マリアのための交唱と讃歌』の 5曲だったことは、解析の結果判明し

たが、6曲あるはずの『聖母マリアのための讃歌』から『めでたし天の元后・アヴェ・レジナ・

Ave Regina caelorum』が抜け落ちている。琉球箏曲の中に無いならば、本土にある箏曲の段

物の中にあるはずで、すでに『六段』が『クレド・信仰宣言』と判明しているから、残りの五

段、七段、八段、九段、十段(または十二段)のいずれかに該当するはずである。

始めは、琉球箏曲の七段菅撹が『めでたし天の元后・アヴェ・レジナ・Ave Regina caelorum』

ではないかと思い分析を進めたが、七段菅撹の小節数が『めでたし天の元后・アヴェ・レジナ・

Ave Regina caelorum』のラテン語分節からも旋律の小節数からも和声からも合うことはなく

違う曲だと解った。その時点では『七段菅撹』の原曲は不明のまま保留し、まずは『めでたし

天の元后・アヴェ・レジナ・Ave Regina caelorum』に合う本土の段物の解析を始めた。

『五段』はラテン語分節からも旋律の小節数からも和声からも合うことはなく違う曲だと解っ

た。『七段』に合わせてみると、ラテン語分節も旋律の小節数も和声も見事に合った。

これで『聖母マリアのための交唱と讃歌』の 6曲全てが揃った。『聖母マリアのための交唱と

讃歌』の 6曲全てが『段物』として箏曲の中にあるということは、『聖母のためのミサ曲』も

あるはずである。しかし、『聖母のためのミサ曲』も 3種類『聖母マリア被昇天祭のミサ』『聖

母マリアの汚れなき心のミサ』『ミサ通常文第 1・聖母マリアのミサ』があり、残りの『段物』

にどのミサ曲が該当するのか、1 曲ずつ調べて答えを探す作業が続いた。その結果、『ミサ通

常文第1・聖母マリアのためのミサ・In festis B. M. V.』が該当することが解った。

『通常文第 1・聖母マリアのためのミサ』曲には『キリエ・Kyrie』『グローリア・Gloria』

『サンクトゥス・Sanctus』『アニュス・デイ・Agnus Dei』『クレド・Credo』『主の祈り・

Pater Noster』がある。

『ミサ』の順番に従い最初の『キリエ・Kyrie』より調べ始めたが、『五段』『七段』『八段』

『九段』『十段』のどれにも合わない。もしかして保留にしていた琉球箏曲の『七段菅撹』で

はないか?『七段菅撹』の各段の小節数の大きな違いに悩まされながらも『七段菅撹』が『通

常文第 1・聖母マリアのためのミサ曲』の『キリエ・Kyrie』であることが解った。

『グローリア・Gloria』は『九段』、『サンクトゥス・Sanctus』は『五段』、『アニュス・

デイ・Agnus Dei』には『八段』がそれぞれ該当した。

残りのミサ曲は『主の祈り・パーテル・ノステルPater Noster』だが、『主の祈り・Pater Noster』

Page 20: 箏曲十二の段物とグレゴリオ聖歌takayama-ukon.sakura.ne.jp/pdf/booklet/pdf-takata/2017... · 2017-08-21 · 1 箏曲十二の段物とグレゴリオ聖歌 髙田重孝

20

も 3種類ありグレゴリオ聖歌のなかで広く用いられている旋律は 2つある。ひとつは祝祭日用、

もうひとつは週日用である。

祝祭日用の旋律(A)の最古の写本は、南イタリアに伝わる 11世紀のもので、非常に古くから

歌われていた旋律である。13世紀には、フランシスコ会とドミニコ会が採用して、広く公に用

いられるようになった。祝祭日用の旋律は複雑な詩編唱定型に似ているが、朗唱する際、言葉

のほとんどを B音で歌い、曲の終わり近くになって A音が用いられる特徴を持つ。終止音は G

音か A音で終わる。

週日用の旋律(B)は、祝祭日用の旋律を簡素にした形を持つ旋律で、最古の古い写本は 12世

紀中期のカルトゥジオ会の写本の中に書かれている。

あとひとつの旋律(C)は 9~13世紀に作られた旋律(*トロープス付)の『主の祈り』(F-LA

263, f.138r~138v)で、主の祈り自体の本文が非常に単純な旋律の定型に付けられていて、同

じ装飾音(メリスマ)が各小節の終わりに出てくる形を持っている。既存の週日用の『主の祈

り』の旋律に自由な変奏を用いた旋律と思われる。

ロレンソ了斎はどの旋律の『主の祈り・パーテル・ノステル Pater Noster』を用いたのだ

ろうか? 3種類の旋律と『十段』を合わせようとしたが、『主の祈り』のラテン語分節か

らも旋律の小節数からも和声からも非常に合せづらく『十段』は違う曲だと解った。

では『十二段』ではどうだろうか?『主の祈り』は(A)の『祝祭日用の旋律』を使用したが、

『十二段』は段ごとに小節数の数が違うので、一番少ない『二段』の 12 小節、『初段』の 13

小節と 2 拍、『五段』の 14 小節と 1 拍、『11 段』の 15 小節と 2 拍、多い小節数を持つ『三

段』の 18小節、以上の 5種類の小節数を『主の祈り』1曲の基本小節数とした。その法則に従

うと『主の祈り』を 2 回繰り返す段は、3 段、6 段、7 段、8 段、9 段。3 回繰り返す段は 10

段と 12段となり、見事に『主の祈り』の伴奏譜としての『12段』が姿を現した。

*トロープス Trope

中世において、既存の斉唱聖歌、ことにミサの通常文聖歌と固有文聖歌に挿入されたテキスト、

テキストと旋律、あるいは旋律。一般的にその部分は独唱者に割り当てられた。トロープスに

は地方色が色濃く反映される傾向が強かった。

だれが『十二段』を『十段』に組み替えたのか?

このことから、ロレンソ了斎が『主の祈り』の伴奏譜として作ったのは『十二段』だったと結

論付けられる。ではだれが『十二段』を『十段』に変更したのだろうか?と言う問題が起きて

きた。ロレンソ了斎は諸田賢順にグレゴリオ聖歌の伴奏譜として『十二段』を伝え、諸田賢順

も玄恕にそのまま『十二段』を伝えたと考えられる。しかし賢順はキリシタン聖歌【グレゴリ

オ聖歌】の伴奏としての『段物』の深い意味を知っていたが、キリシタン禁教令と殉教の危機

から玄恕には『段物』の音楽だけを伝えたと推測される。玄恕は賢順より秘曲として学んだ『段

物』を大切に扱いそれを八橋検校に伝えた。これ以後の継承は推測の域を出ないが、八橋検校

Page 21: 箏曲十二の段物とグレゴリオ聖歌takayama-ukon.sakura.ne.jp/pdf/booklet/pdf-takata/2017... · 2017-08-21 · 1 箏曲十二の段物とグレゴリオ聖歌 髙田重孝

21

が『段物』を教え始めた時から、『十二段』を整理して『十段』に組み直したのかもしれない。

また琉球箏曲の伝承経路から考えると『六段菅撹』と『六段』を比較した場合に判ることだが、

『六段菅撹』の陽旋法と装飾が少ない単純な音型と『六段』の陰旋法と装飾が華美に施された

音型等から推測すると 1700 年頃までは『十段』は『十二段』の姿ではなかったのだろうか?

琉球箏曲の『六段菅撹』と『六段』を比較すれば解ることだが、元禄時代に上方の陰旋法の影

響を受けて『六段』が陰旋法に変化していったように、同じ頃に『十二段』が『十段』へ組み

直されたのかもしれない。

☆箏曲解説

『五段』

原曲は『ミサ通常文第 1・聖母マリアの祝祭日より・サンクトゥス・Sanctus 』

『喜びを持って・Cum jubilo』

カトリック教会のミサ典礼における、ミサ通常文第 1・第 9番目のミサ『聖母マリアの祝祭日』

のための第 3曲・『Sanctus・サンクトゥス・聖なるかな』

『Missa・ミサ』と言う言葉の語源は、ラテン語の動詞「Mittere 送る」に由来している。ミ

サ聖祭の終わりに司祭が継げる言葉「Ite,missa est イテ・ミッサ・エスト・行きなさい、あな

た方は遣わされています」に由来する。ミサはカトリック教会の典礼で聖務日課(現:教会の

祈り)と共に中心的な礼拝で、イエス・キリストが最後の晩餐で定められたキリストの御血と

御肉の象徴であるぶどう酒とパンとによって、キリストの受難と復活を記念する聖体祭儀であ

る。ミサには、日曜のミサである『主日のミサ』、典礼暦の『祝祭日のためのミサ』、『聖人のミ

サ』、『記念日のミサ』、『冠婚葬祭のミサ』等がある。ミサでは様々な祈りや歌が捧げられるが、

ミサ式文は、原則として一年を通して変わらない言葉の部分の『通常文・Ordinarium missae

(通称 ordinarium オルディナリウム)』と、日によって言葉が変わる部分の『固有文・Proprium

missae (通称 oroprium プロプリウム)』によって構成されている。固有文は主日や祝祭日

の特徴を表し、祝日や典礼の季節に応じて変わって行く。通常文、固有文は、聖職者によって

唱えられる。もしくは歌われるものと聖歌隊によって歌われるものとに区別されている。その

うち原則として、聖歌隊によって歌われるものに限り、通常文を挙げると以下のようになって

いる。

・通常文(唱)キリエ、グローリア、クレド、サンクトゥス、アニュス・デイ、

14世紀以降、通常文(唱)のキリエ、グローリア、クレド、サンクトゥス、アニュス・デイの

5 つを一組としてミサで歌われるようになった。多くの作曲家により多声ミサ曲として作曲さ

れるようになり、今日に至っている。

使用した楽譜の出典は『グラドゥアーレ・トリプレクス・Graduale Triplex 』(1979年ソレム

修道院出版) 42頁、ミサ通常文第1・第 9番目のミサ『聖母マリアの祝祭日・Sanctus』

(IX In festis B. Mariae Virginis 1)(Cum jubilo・喜びを持って)単純調(tonus simplex )

Page 22: 箏曲十二の段物とグレゴリオ聖歌takayama-ukon.sakura.ne.jp/pdf/booklet/pdf-takata/2017... · 2017-08-21 · 1 箏曲十二の段物とグレゴリオ聖歌 髙田重孝

22

原曲は 14世紀に成立した第 5旋法リディア旋法による。はじめの音は C音。

第 5旋法のリディア旋法による『サンクトゥス・Sancyus』は、第 4旋法のヒポフリジア旋法

そのものが持っている旋法の性格が異なるために、比べるとより明るく軽快な調性の性格を持

ちへ長調(F major )に近い調性に感じる。

*カトリック聖歌集 260頁。ニ長調。はじめの音は A音。

ロレンソ了斎は『ミサ通常文第1・聖母マリアの祝祭日・第 3 曲・Sanctus・サンクトゥス・

聖なるかな』の旋律に 5種類の伴奏を付け、それが段物の『箏曲五段』に相当する。

*原曲『サンクトゥス』の初めは C音(ド)から始まっているが、このままの調性だと筝曲五

段とは合わない。音の高さを五段と同じにするために C 音から G 音に 4 度下げて書き直す必

要がある。

『五段』と『サンクトゥス・Sanctus』との音楽の構成関係

曲の構成表

『五段』 『サンクトゥス・Sanctus』

初段、27小節、 13小節と 2拍+13小節と 2拍

2段、26小節、 13小節+13小節

3段、26小節、 13小節+13小節

4段、26小節、 13小節+13小節

5段、26小節、 13小節+13小節

*5 段の構成表から判ることだが、キリスト教が日本に入ってきた当初は『サンクトゥス・

Sanctus』は短い曲なので 2 度繰り返して歌っていたことが、段物の構成表から伺い知ること

ができる。初段だけが 27小節と他の 2段~5段【26 小節】より 1小節多い。サンクトゥスの

旋律に対して和声的に初段の 27小節の音を割り振ると、1回目は 13小節と 2拍、2回目も 13

小節と 2拍と割り振ることができた。

☆『六段』は琉球箏曲の稿の頁を参照のこと。

『七段』

原曲は『めでたし天の元后・アヴェ・レジナ・Ave Regina caelorum』

聖母マリアが天の元后になられたことを祝い、救いの取次ぎを願う歌。本来、聖母被昇天の祭

日の九時課の讃歌として用いられた。作者、作曲時期、共に不明だが 12 世紀から唱えられて

いる。

Page 23: 箏曲十二の段物とグレゴリオ聖歌takayama-ukon.sakura.ne.jp/pdf/booklet/pdf-takata/2017... · 2017-08-21 · 1 箏曲十二の段物とグレゴリオ聖歌 髙田重孝

23

琉球箏曲にはない『めでたし天の元后・アヴェ・レジナ・Ave Regina caelorum』

(2月 2日から聖週間(復活祭のための週)の水曜日までの期間)は、本土の箏曲七段にある。

本来ならば、琉球箏曲の七段菅撹が『めでたし天の元后・アヴェ・レジナ・Ave Regina caelorum』

であるはずだが、代わりに七段管撹には『ミサ通常文第一・聖母マリアの祝祭日より・キリエ・

Kyrie』が伝えられて入っている。

聖母への結びの交唱(Antiphonae finales)は終課(現:寝る前の祈り)の結びに歌われる聖

母讃歌。終課の歌は、詩編3編(共通の交唱付)、讃歌、「私たちは光の消える前にお願いしま

す・Te lucis ante terminum 」、「シメオンの讃歌」(交唱付),終課終了後に聖母への交唱を 1

曲歌う。下記の 4曲の聖母讃歌は、1568年、ローマ聖務日課書で歌われる時期が定められた。

『麗し救い主の御母・アルマ・レッデムプトリス・Alma Redemptoris Mater』

待降節から 2月 2日の聖母マリア潔めの祝日までの間に歌われる。

『めでたし天の元后・アヴェ・レジナ・Ave Regina caelorum』

2月 2日から聖週間(復活祭のための週)の水曜日までの期間

『天の元后・レジナ・チェエリ・Regina caeli』

聖土曜日(復活祭の前の土曜日)から三位一体主日までの期間

『めでたし元后・サルヴェ・レジナ・Salve Regina Mater misericordiae』

三位一体主日後から待降節第一主日の前の日までの期間

これら 4曲の『聖母マリア讃歌』はベネディクト会が定めた聖務日課の最後の祈り(就寝前の

祈り)、終課の最後で歌われる聖母マリアを称える歌、ラテン語の表題は『聖母マリアへの結び

の交唱』である。

この聖務日課は朝課、一時課(午前 6時)三時課(午前 9時)六時課(正午)九時課(午後 3

時)晩課(午後 6 時)終課(午後 9 時)、暁課から構成されていて、詩編の唱和が中心となっ

ている。終課の最後で歌われる聖母マリアのための交唱歌は 4曲あり、教会暦の季節ごとに異

なった美しい交唱が歌われる。

ロレンソ了斎は『めでたし天の元后・アヴェ・レジナ・Ave Regina caelorum』の旋律に伴奏

を付け、それが段物の『箏曲七段』に相当する。

使用した楽譜の出典は『グラドゥアーレ・トリプレクス・Graduale Triplex 』(1979年ソレム

修道院出版) 278頁、マリア交唱歌(Antiphonae B. Mariae Virginis )単純調(tonus simplex )

原曲は第 6旋法ヒポリディア旋法による。はじめの音は C音。

『七段』と『めでたし天の元后・アヴェ・レジナ・Ave Regina caelorum』との音

楽の構成関係

Page 24: 箏曲十二の段物とグレゴリオ聖歌takayama-ukon.sakura.ne.jp/pdf/booklet/pdf-takata/2017... · 2017-08-21 · 1 箏曲十二の段物とグレゴリオ聖歌 髙田重孝

24

曲の構成表

『七段』 『めでたし天の元后・アヴェ・レジナ・Ave Regina caelorum』

初段、27小節、 9小節×3回繰り返し

2段、26小節、 9小節+9小節+8小節・3回繰り返し

3段、26小節、 9小節+9小節+8小節・3回繰り返し

4段、26小節、 9小節+9小節+8小節・3回繰り返し

5段、26小節、 9小節+9小節+8小節・3回繰り返し

6段、26小節、 9小節+9小節+8小節・3回繰り返し

7段、26小節、 9小節+9小節+8小節・3回繰り返し

初段は『めでたし天の元后・アヴェ・レジナ・Ave Regina caelorum』の旋律 1回に対して、

9小節が割り振られ、9小節を 3回繰り返すことで、初段の 27小節と和声的にも合い、七段が

『めでたし天の元后・アヴェ・レジナ・Ave Regina caelorum』の伴奏譜だったことが証明で

きる。しかし、二段から七段までは 1 小節少ない 26 段で曲が構成されていて、初段と同様の

割り振りができない。和声の関係から『めでたし天の元后・アヴェ・レジナ・Ave Regina

caelorum』の旋律 1回に対して、9小節を割り振り、2回目は 10小節から 18小節目で終わり、

3回目は 19小節目から初めて 26小節で終わるように、9小節+9小節+8小節・3回繰り返し

で割り振ると、和声的にも収まることができた。

二段から七段までの構成表

1回目、1小節から 9小節

2回目、10小節から 18小節で終わり、

3回目、19小節から初めて 26小節で終わる。

『八段』

原曲は『ミサ通常文第 1・聖母マリアの祝祭日より・アニュス・デイ・Agnus Dei 』

『喜びを持って・Cum jubilo』

カトリック教会のミサ典礼における、ミサ通常文第 1・第 9番目のミサ『聖母マリアの祝祭日』

のための第 5曲・『Agnus Dei・アニュス・デイ・神の小羊』

通常文、固有文は、聖職者によって唱えられる。もしくは歌われるものと聖歌隊によって歌わ

れるものとに区別されている。そのうち原則として、聖歌隊によって歌われるものに限り、通

常文を挙げると以下のようになっている。

・通常文(唱)キリエ、グローリア、クレド、サンクトゥス、アニュス・デイ、

14世紀以降、通常文(唱)のキリエ、グローリア、クレド、サンクトゥス、アニュス・デイの

5 つを一組としてミサで歌われるようになった。多くの作曲家により多声ミサ曲として作曲さ

れるようになり、今日に至っている。

Page 25: 箏曲十二の段物とグレゴリオ聖歌takayama-ukon.sakura.ne.jp/pdf/booklet/pdf-takata/2017... · 2017-08-21 · 1 箏曲十二の段物とグレゴリオ聖歌 髙田重孝

25

使用した楽譜の出典は『グラドゥアーレ・トリプレクス・Graduale Triplex 』(1979年ソレム

修道院出版) 42頁、ミサ通常文第1・第 9番目のミサ『聖母マリアの祝祭日・Agnus Dei』

(IX In festis B. Mariae Virginis 1)(Cum jubilo・喜びを持って)単純調(tonus simplex )

原曲は第 5旋法リディア旋法による。はじめの音は F音。

第 5旋法のリディア旋法による『神の小羊・Agnus Dei』は、第 4旋法のヒポフリジア旋法そ

のものが持っている旋法の性格が異なるために、比べるとより明るく軽快な調性を持ちへ長調

(F major )に近い調性に感じる。

*カトリック聖歌集 260~261頁。ニ長調。はじめの音は D音。

ロレンソ了斎は『ミサ通常文第 1・聖母マリアの祝祭日より・第 5曲・Agnus Dei・アニュス・

デイ・神の小羊』の旋律に 8種類の伴奏を付け、それが段物の『箏曲八段』に相当する。

*原曲『アニュス・デイ』の初めは F音(ファ)から始まっているが、このままの調性だと筝

曲八段とは合わない。音の高さを八段と和声的に合わせるために F音から E♭音に1度下げて

変ホ長調に書き直す必要がある。現在のカトリック聖歌伴奏譜の『アニュス・デイ』260頁で

は原曲より 3度低い D音で書き直されている。

『八段』と『アニュス・デイ』との音楽の構成関係

曲の構成表

『八段』 『アニュス・デイ・Agnus Dei』

初段、28小節半、 *14小節+14小節、2回繰り返し

2段、26小節、 13小節+13小節、2回繰り返し

3段、26小節、 13小節+13小節

4段、26小節、 13小節+13小節

5段、26小節、 13小節+13小節

6段、26小節、 13小節+13小節

7段、26小節、 13小節+13小節

8段、26小節、 13小節+13小節

*初段だけは 28小節半【27小節+2拍】と変則的小節数なので、1回目を 14小節 1拍

までとし、2回目を 14小節 2拍から始め 28小節の 2拍で終わるようにした。

二段以降は 13小節を 1回として 2回繰り返して終るようにした。

*8 段の構成表から判ることだが、キリスト教が日本に入ってきた当初は『アニュス・デイ、

Agnus Dei, 神の小羊』は短い曲なので 2度繰り返して歌っていたことが、段物の構成表から

知ることができる。

Page 26: 箏曲十二の段物とグレゴリオ聖歌takayama-ukon.sakura.ne.jp/pdf/booklet/pdf-takata/2017... · 2017-08-21 · 1 箏曲十二の段物とグレゴリオ聖歌 髙田重孝

26

『九段』

原曲は『ミサ通常文第 1・聖母マリアの祝祭日より・グローリア・Gloria in excelsis

Deo 』『喜びを持って・Cum jubilo』

カトリック教会のミサ典礼における、ミサ通常文第 1・第 9番目のミサ『聖母マリアの祝祭日』

のための第 2曲・『Gloria in excelsis Deo・グローリア・栄光唱』

通常文、固有文は、聖職者によって唱えられる。もしくは歌われるものと聖歌隊によって歌わ

れるものとに区別されている。そのうち原則として、聖歌隊によって歌われるものに限り、通

常文を挙げると以下のようになっている。

・通常文(唱)キリエ、グローリア、クレド、サンクトゥス、アニュス・デイ、

14世紀以降、通常文(唱)のキリエ、グローリア、クレド、サンクトゥス、アニュス・デイの

5 つを一組としてミサで歌われるようになった。多くの作曲家により多声ミサ曲として作曲さ

れるようになり、今日に至っている。

使用した楽譜の出典は『グラドゥアーレ・トリプレクス・Graduale Triplex 』(1979年ソレム

修道院出版) 41頁、ミサ通常文第1・第 9番目のミサ『聖母マリアの祝祭日・Gloria in excelsis』

(IX In festis B. Mariae Virginis 1)(Cum jubilo・喜びを持って)単純調(tonus simplex )

原曲は第 7旋法ミクソリディア旋法による。はじめの音は G音。原曲は喜びを表す曲なのでか

なり高い音域に展開している。最高音は A音。

*原曲『グローリア』は第 7教会旋法のミクソリディア旋法により、初めは G音(ソ)から始

まっているが、このままの調性で筝曲九段とは和声的に合う。原曲の『グローリア』の音の高

さの楽譜が無いのでグレゴリオ聖歌から 5線譜した。現在のカトリック聖歌伴奏譜の『グロー

リア』257~259頁では 4度低い D音で書き直されていて使用できない。

当時もこの調性で歌っていたのだろうか?なぜなら G 音での調性では、最高音は A 音(ラ)

になり、非常に高く、現在でも訓練を積んだ声楽家、ソプラノ、テノールの高音域であり、当

時のキリシタンたちが歌える音域ではないと考えられるので、当時は旋律を 1オクターブ低く

してキリシタンたちは歌っていたと考える方が妥当と思われる。

ロレンソ了斎は『ミサ通常文第 1・聖母マリアの祝祭日より・第 5曲・Gloria in excelsis Deo・

グローリア・栄光唱』の旋律に 9種類の伴奏を付け、それが段物の『箏曲九段』に相当する。

『九段』と『グローリア・栄光唱』との音楽の構成関係

曲の構成表

『九段』 『グローリア・栄光唱』

Page 27: 箏曲十二の段物とグレゴリオ聖歌takayama-ukon.sakura.ne.jp/pdf/booklet/pdf-takata/2017... · 2017-08-21 · 1 箏曲十二の段物とグレゴリオ聖歌 髙田重孝

27

初段、27小節、 1小節~26小節、27小節・アーメン、

2段、26小節、 1小節~25小節、26小節・アーメン、

3段、26小節、 1小節~25小節、26小節・アーメン、

4段、26小節、 1小節~25小節、26小節・アーメン、

5段、26小節、 1小節~25小節、26小節・アーメン、

6段、26小節、 1小節~25小節、26小節・アーメン、

7段、26小節、 1小節~25小節、26小節・アーメン、

8段、26小節、 1小節~25小節、26小節・アーメン、

9段、26小節、 1小節~25小節、26小節・アーメン、

*『グローリア・栄光唱』は比較的曲が長いので、当時は通しで 1回だけ歌っていたと考えら

れる。

『十二段』『みだれ・山田流 12段』

原曲は『主の祈り・Pater Noster』

『主の祈り・oratio dominica Pater noster 』

イエス・キリストがみずから弟子たちに教えられた祈り。『主の祈り』はマタイによる福音書 5

章1節から始まる『山上の垂訓・3節~11節』の続きとして 6章 9節~15節に書いてある。

ルカによる福音書 11章 2~4節にも同様の祈りが記されている。マタイでは群衆に対して、ル

カでは特定の弟子たちに対して教えられている。

主の祈り【Pater noster 】

天にいますわれらの父よ、御名があがめられますように。御国がきますように。

みこころが天に行われるとおり、地にもおこなわれますように。

わたしたちの日ごとの食物をきょうもお与えください。

わたしたちに負債のある者をゆるしましたように、わたしたちの負債をもおゆるしください。

わたしたちを試みに会わせないで、悪しき者からお救いください。

もしも、あなたがたが、人々のあやまちをゆるすならば、あなた方の天の父も、あなたがたを

ゆるしてくださるであろう。

もし、人をゆるさないならば、あなたがたの父も、あなたがたのあやまちをゆるしてくださら

ないであろう。

国と力と栄光はとこしえにあなたのものだからです。アーメン。

『主の祈り』はイエス・キリストが語っていたアラム語で語られた。『主の祈り』の最古の写本

Page 28: 箏曲十二の段物とグレゴリオ聖歌takayama-ukon.sakura.ne.jp/pdf/booklet/pdf-takata/2017... · 2017-08-21 · 1 箏曲十二の段物とグレゴリオ聖歌 髙田重孝

28

は 1 世紀末まで遡ることができ、『主の祈り』の書いてある『12 使徒の教訓』には、主の祈り

を示してから、日に 3回、主の祈りを唱えるように指示してあり、使徒時代の信者たちが主の

祈りをどれほどの畏敬と感謝を持って唱えていたかが推測される。この『12使徒の教訓』にマ

タイによる福音書にはない『国と力と栄光はとこしえにあなたのものだからです。アーメン。』

と言う栄唱が付加されていて、初代教会の礼拝でこの『主の祈り』はすでに形式化されて用い

られていた。東教会でも西教会でも教会組織ができた当初から『主の祈り』は採用されていた。

東教会、西教会、両方の教会の『主の祈り』の導入句『わたしたちはあえて言います。』(audemus

dicere )と言うラテン語の言葉がその名残をとどめている。

『12使徒の教訓』に記されている、日に 3度『主の祈り』を唱える実践は、後の教会の祈り『聖

務日課』の最古の姿を伝えている。朝と晩に教会に信徒が集まり共に祈る慣習も古く、その中

で『主の祈り』を共に唱えることは、信者であることの証しとして尊ばれていた。6 世紀に修

道院聖務日課の形式を定めたヌルシアのベネディクトゥスは、すべての主要な時課の終わりに

『主の祈り』を唱えることを定めている。『主の祈り』を唱えることは、中世時代を通じて現代

まで伝統的に受け継がれてきた。

『主の祈り』は、イエス・キリスト自身が教えて下さった祈りの原型であり、人には作ること

ができない最高の祈りである。キリストによって選ばれて集められ、キリストの弟子としての

お互いを兄弟姉妹と自覚した信徒が集まって教会を形作り、キリストの救いの完成を待望しつ

つ共に祈る祈りである。『主の祈り』は神の国の福音に支えられて,終末における神の国の到来

を待ち望む心を表わしている。また『主の祈り』を唱えることは自分のキリストに対する信仰

を公に表わすことでもある。

トリエント式典礼では、司祭が節を付けて唱え『Sed libera nos a malo・私たちを悪より救い

たまえ』の箇所のみを会衆が唱和していたが、第 2ヴァチカン会議後は、全員で全文を唱える

ようになった。

グレゴリオ聖歌のなかで広く用いられている旋律は 2つある。ひとつは祝祭日用、もうひとつ

は週日用である。

祝祭日用の旋律(A)の最古の写本は、南イタリアに伝わる 11世紀のもので、非常に古くから

歌われていた旋律である。13世紀には、フランシスコ会とドミニコ会が採用して、広く公に用

いられるようになった。祝祭日用の旋律は複雑な詩編唱定型に似ているが、朗唱する際、言葉

のほとんどを B音で歌い、曲の終わり近くになって A音が用いられる特徴を持つ。終止音は G

音か A音で終わる。

週日用の旋律(B)は、祝祭日用の旋律を簡素にした形を持つ旋律で、最古の古い写本は 12世

紀中期のカルトゥジオ会の写本の中に書かれている。

あとひとつの旋律(C)は 9~13世紀に作られた旋律(*トロープス付)の『主の祈り』(F-LA

263, f.138r~138v)で、主の祈り自体の本文が非常に単純な旋律の定型に付けられていて同じ

装飾音(メリスマ)が各小節の終わりに出てくる形を持っている。既存の週日用の『主の祈り』

Page 29: 箏曲十二の段物とグレゴリオ聖歌takayama-ukon.sakura.ne.jp/pdf/booklet/pdf-takata/2017... · 2017-08-21 · 1 箏曲十二の段物とグレゴリオ聖歌 髙田重孝

29

の旋律に自由な変奏を用いた旋律と思われる。

*トロープス Trope

中世において、既存の斉唱聖歌、ことにミサの通常文聖歌と固有文聖歌に挿入されたテキスト、

テキストと旋律、あるいは旋律。一般的にその部分は独唱者に割り当てられた。トロープスに

は地方色が色濃く反映される傾向が強かった。

原典は GRADUALE TRIPLEX 812~814頁 『Cantus in Ordine Missae Occurrntes』、

V. AD RITUS COMMUNIONIS、 TONI ORATIONIS DOMINICAE、Aの Pater Noster 。

ロレンソ了斎は祝祭用の旋律(A)の「主の祈り・Pater Noster」に伴奏を付け、それが段物

の『山田流 12段』に相当する。

『みだれ』の原典は 1779年(安永 8)『筝曲大意抄』に記されている『みだれ』を、宮崎まゆ

み氏が五線譜に訳した楽譜(便宜上 2拍ずつ区切っている)を、4拍ずつ 1 小節として書き直

した。また宮崎まゆみ氏の書かれている楽譜の最初の音は E 音なので、『みだれ』本来の五の

音・G音から演奏できるように 3度高く全曲を書き直した。

出典:筝曲<みだれ>に関する一考察、宮崎まゆみ著

山田流箏譜 乱輪舌 中能島欣一著

生田流筝曲 みだれ 宮城道雄著 邦楽社刊行

ロレンソ了斎はどの旋律の『主の祈り・パーテル・ノステル Pater Noster』を用いたのだ

ろうか? 3種類の旋律と『十段』を合わせようとしたが、『主の祈り』のラテン語分節か

らも旋律の小節数からも和声からも合うことはなく『十段』は違う曲だと解った。

では『十二段』ではどうだろうか?『主の祈り』は(A)の『祝祭日用の旋律』を使用したが、

『十二段』は段ごとに小節数の数が違うので、一番少ない『二段』の 12 小節、『初段』の 13

小節と 2 拍、『五段』の 14 小節と 1 拍、『11 段』の 15 小節と 2 拍、多い小節数を持つ『三

段』の 18小節、以上の 5種類の小節数を『主の祈り』1曲の基本小節数とした。その法則に従

うと『主の祈り』を 2 回繰り返す段は、3 段、6 段、7 段、8 段、9 段。3 回繰り返す段は 10

段と 12段となり、見事に『主の祈り』の伴奏譜としての『12段』が姿を現した。

だれが『十二段』を『十段』に組み替えたのか?

このことから、ロレンソ了斎が『主の祈り』の伴奏譜として作ったのは『十二段』だったと結

論付けられる。ではだれが『十二段』を『十段』に変更したのだろうか?と言う問題が起きて

きた。ロレンソ了斎は諸田賢順にグレゴリオ聖歌の伴奏譜として『十二段』を伝え、諸田賢順

も玄恕にそのまま『十二段』を伝えたと考えられる。しかし賢順はキリシタン聖歌【グレゴリ

オ聖歌】の伴奏としての『段物』の深い意味を知っていたが、キリシタン禁教令と殉教の危機

Page 30: 箏曲十二の段物とグレゴリオ聖歌takayama-ukon.sakura.ne.jp/pdf/booklet/pdf-takata/2017... · 2017-08-21 · 1 箏曲十二の段物とグレゴリオ聖歌 髙田重孝

30

から玄恕には『段物』の音楽だけを伝えたと推測される。玄恕は賢順より秘曲として学んだ『段

物』を大切に扱いそれを八橋検校に伝えた。これ以後の継承は推測の域を出ないが、八橋検校

が『段物』を教え始めた時から、『十二段』を整理して『十段』に組み直したのかもしれない。

また琉球箏曲の伝来からも推測されるが、1700年頃までは『十段』は『十二段』の姿ではなか

ったのだろうか?琉球箏曲の『六段菅撹』と『六段』を比較すれば解ることだが、元禄時代に

上方の陰旋法の影響を受けて『六段』が陰旋法に変化していったように、同じ頃に『十二段』

が『十段』へ組み直されたのかもしれない。

琉球箏曲六段菅撹と箏曲六段との違い

グレゴリオ聖歌『クレド』の旋律と対比させた時に、琉球箏曲六段菅撹の方が、本土の箏曲

六段よりも、旋律的にも調性的にも音楽的にクレドの旋律に馴染むことは否めない事実である。

琉球箏曲六段菅撹と箏曲六段を小節ごとに比べた場合、琉球箏曲六段菅撹の方が単純(シンプ

ル)に書かれていて、箏曲六段(本土)は、同じ小節の同じ音に装飾された形が至る所に見受

けられる。装飾された形が示していることは、初めは単純な音の形だった曲が、音を装飾させ

ることにより、より華やかに演奏しようとしたことの現われと考えられる。

もう一つの問題点は、琉球箏曲六段菅撹の陽調性と箏曲六段の陰調性があげられる。

おそらく、諸田賢順から玄恕、玄恕から八橋検校、八橋検校から吉部座頭,吉部座頭から薩摩

藩士・服部清左衛門政真、武右衛門政実父子へ継承され、1700年(元禄 13年)稲嶺盛淳(い

なみねせいじゅん・生没年不明)が薩摩に派遣され、薩摩藩士・服部清左衛門政真、武右衛門

政実父子から八橋流筝曲の演奏法を学んで帰国した時まで『六段』を含めて『すべての段物』

は、琉球箏曲に伝えられている陽の調性ではなかったかと推測される。本土ではその後 1700

年代の元禄時代、上方で流行した陰の調性の影響を受けて『段物』にも手が加えられ、現在の

『段物』の調性に変えられていったのではないかと考えられる。

『十二段』と『主の祈り・Pater Noster』との音楽の構成関係

曲の構成表

『十二段』 『主の祈り・Pater Noster』

初段、14小節(13小節+2拍) 1回

2段、12小節、 1回

3段、24小節(12小節+12小節) 2回繰り返し

4段、18小節、 1回

5段、15小節(14小節+1拍) 1回

6段、23小節(12小節+11小節) 2回繰り返し

7段、23小節 (12小節+11小節) 2回繰り返し

8段、26小節(14小節+12小節) 2回繰り返し

9段、23小節(12小節+11小節) 2回繰り返し

Page 31: 箏曲十二の段物とグレゴリオ聖歌takayama-ukon.sakura.ne.jp/pdf/booklet/pdf-takata/2017... · 2017-08-21 · 1 箏曲十二の段物とグレゴリオ聖歌 髙田重孝

31

10段、40小節(14小節+14小節+12小節) 3回繰り返し

11段、16小節(15小節+2拍) 1回

12段、35小節(12小節+12小節+11小節) 3回繰り返し

十二段の各段はばらつきが多く、旋律に対しても、ラテン語分節に対しても一定の法則を持っ

ていない。しかし曲の小節数からある一定の区分け方が見えてくる。

1回のみ

*小節数の多い少ないにかかわらず各段に対して主の祈りの旋律を 1度だけ歌う段。

2段 12小節、初段 14小節(13小節+2拍)、11段 16小節(15小節+2拍)、4段 18小節。

2回繰り返す段

8段(14小節+12小節)、3段(12小節+12小節)、6段(12小節+11小節)、

7段(12小節+11小節)、9段(12小節+11小節)、

3回繰り返す段

12段(12小節+12小節+11小節),10段(14小節+14小節+12小節)、

☆『主の祈り』の小節数の配分の仕方に一定の法則は見いだせないが、もしロレンソ了斎が聖

書に記されている数字の神学的意味を知っていたとすると、その数字の神学的意味合いから配

分したと考えられる。多用されている基本の 12は象徴的に 12弟子を表わしていて『主の祈り』

はキリストがまず 12 弟子たちに最初に教えた祈りである。11 はユダの裏切りによって 12 弟

子から 11人になった数。13は神の与えたもう 10の掟(モーセの 10戒)と三位一体の結びつ

いた数字。14は神の完全数 7 の倍数。18は三位一体を表わす 3 の倍数。

『10段・みだれ』は『主の祈り』に合わなくはないが、和声的にも納得できない個所が多くあ

り、『12 段』と『10 段』を比較した時に、より和声的にも合い調和が取れている『12 段』を

選ぶ方が音楽的に的確な選択と思われる。

『10段』の曲の構成表

初段 22小節、(11小節+10小節+2拍)、2回繰り返し

2段 28小節、(14小節+14小節)、2回繰り返し

3段 26小節(13小節+13小節)、2回繰り返し

4段 19小節、1回のみ、

5段 36小節、(12小節+12小節+12小節)、3回繰り返し、

6段 25小節、(13小節+12小節)、2回繰り返し、

Page 32: 箏曲十二の段物とグレゴリオ聖歌takayama-ukon.sakura.ne.jp/pdf/booklet/pdf-takata/2017... · 2017-08-21 · 1 箏曲十二の段物とグレゴリオ聖歌 髙田重孝

32

7段 24小節、(12小節+11小節+2拍)、

8段 40小節、(10小節×4回)、4回繰り返し、

9段 23小節、(12小節+11小節)、2回繰り返し、

10段 29小節、(14小節+14小節+2拍)、3回繰り返し、

キリシタン初期の文献に見るグレゴリオ聖歌の記録

『主の祈り・パーテル・ノステル Pater Noster』『天使祝祷・アヴェ・マリア Ave Maria』

『信仰宣言・クレド Credo』『めでたし天の元后・サルヴェ・レジナ Salve Regina』等

『当修道院に居住する日本人の同宿たちは、昼間は来訪者たちに「日本語とその文字で書かれ

た本」によってドチリナ(教理)を教え、夜、アヴェ・マリアの時刻に、つづいて、パードレ

(神父たち)と共に、我ら一同はパーテル・ノステル、アヴェ・マリア、クレド(使徒信教)

サルヴェ・レジナの祈祷(オラショ)を行い、また、航海者、特に日本に来る司祭と修道士の

ため、パーテル・ノステルを一度唱えたのち、ラダイニャス(聖母連禱)をともに唱えていた。』

*1555年 9月 20日付け 豊後(大分)発 ドゥアルテ・ダ・シルヴァ修道士書簡

『16・17世紀イエズス会日本報告集』第Ⅲ期第Ⅰ巻 214頁

『かつまた教会の国と当地方の発展のため、パーテル・ノステルとアヴェ・マリアを三度唱え

る』『我らが死者とともに修道院を出る前に、私は留まって少し祈り,三度パーテル・ノステル

を称えると、キリシタンも唱和し、墓所においても死者を葬る前に同じことをなす。』

*1555年 9月 23日付け 豊後(大分)発 バルタザール・ガーゴ神父書簡

『16・17世紀イエズス会日本報告集』第Ⅲ期第Ⅰ巻 182~183頁

『彼らに(教える際に)とる順序は以下のようである。ミサを聴いた後、毎日交代で一人が唱

えて他の者が応誦するが、キリストの教えに内主要なもの、すなわちパーテル・ノステル、ア

ヴェ・マリア、クレド、サルヴェ・レジナをラテン語で、また、デウスの十誡と教会の掟,大

罪とこれに対する徳、ならびに慈悲の所作をかれらの言語で唱えるに止める。』

*1561年 10月 8日付け 豊後(大分)発 ジョアン・フェルナンデス修道士書簡

『16・17世紀イエズス会日本報告集』第Ⅲ期第Ⅰ巻 350頁

『当時、我らの同僚たちの司祭館では、キリシタンたちに信心を教え、彼らがデウスのこ

とを喜ぶように導くために、一日の七度の聖務日課の時間に合わせて、七回、ちいさな鈴

を鳴らす習わしであった。それを聞くと、司祭館にいる全員は聖堂に参集し、一人の少年

が大声で主の御苦難の物語の一ヵ所を朗読する。そしておのおのは、その御受難を追想し

ながら、当地方のために「パーテル・ノステル」を五回、「アヴェ・マリア」を五回唱え

Page 33: 箏曲十二の段物とグレゴリオ聖歌takayama-ukon.sakura.ne.jp/pdf/booklet/pdf-takata/2017... · 2017-08-21 · 1 箏曲十二の段物とグレゴリオ聖歌 髙田重孝

33

て祈った。そしてこれは多年にわたってキリシタンの間に広まり、いろいろの地方で彼ら

は自分たちの家で同様のことを行った。』

*ルイス・フロイス著『フロイス日本史』第 6巻 大友宗麟編 I 第 17章(第 I部 19章)

173~174頁

コスメ・デ・トーレス神父が修道士達とともに豊後府内の司祭館で行った修行について

『当地では一定の時間に鈴が鳴らされ、キリシタンたちに、お祈りをし、ついで「パーテ

ル・ノステル」と「アヴェ・マリア」の祈りを五度唱える合図がなされますと、理性を働

かせ得る大人たちが跪いて敬虔に祈りをささげるばかりでなく、まだ理性を欠いていると

思われる幼児たちも同様にいたします。あるキリシタンは私に次のような話をしてくれま

した。彼は先日、自分の幼い娘を一人の異教徒の家へわずかばかりの酒を買いにやらせた

のですが、その時、店の人が酒の量を量っていた時、たまたまお告げの鈴が鳴りました。

その少女は合図を聴きますと、ただちに酒瓶を置いて跪き、両手を合わせて祈り、『パーテ

ル・ノステル』を五回、『アヴェ・マリア』を五回、終わりまで祈ってしまうまでふたたび

立ちあがりませんでした。異教徒たちはそれを見て驚嘆し心を打たれ、そして申しました。

『キリシタンたちは子供たちまで良い習慣を教えているのだから、彼らの神以外に神はあ

り得ない』と。そこまでがコスメ・デ・トーレス師の言葉(の引用)である。』

『ミサの後、一人が「パーテル・ノステル」、「アヴェ・マリア」、「クレド」、「サルヴェ・

レジナ」、デウスと教会の掟,大罪とそれに反する諸徳,慈悲の所作などを彼らの日本の言

葉で述べ、他の人々がそれに応誦する。』

*ルイス・フロイス著『フロイス 日本史』第 6 巻 大友宗麟編 I 第 21 章(第 I 部 30

章)213~214頁

1561年に豊後、および下の諸地方で生じたことについて

『正午過ぎの一時に、子供たちがドチリナ(を学ぶ)ために来る。彼らはドチリナやクレ

ド、パーテル・ノステル、アヴェ・マリア、サルヴェ・レジナをラテン語で、またその他

のものを彼らの言葉(日本語)で暗唱している。彼らはミサで手伝いをすることができ、

さらに司祭に伴って死者を埋葬する時に唱えるために、ミゼレレ・メイ・デウスやヴェニ・

クレアトール,連禱を暗記している。』

*1565年 9月 23日付け 平戸発 ジョアン・フェルナンデス修道士書簡

『16・17世紀イエズス会日本報告集』第Ⅲ期第Ⅲ巻 46頁