分子標的治療薬の副作用対策と...

2
分子標的治療薬の副作用対策と 治療ストラテジー 鶴 谷 純 司 ESM-1 (近畿大学医学部 腫瘍内科) 第22回日本癌治療学会教育セミナー「分子標的治療薬の副作用とその対策」 近年、新規薬剤開発によりがん患者の予後は改善し てきている。分子標的薬の開発が多くの部分を占めてお り、このためがん患者の多くが特定の分子をターゲット にした分子標的薬に接するものと思われる。様々な分子 をターゲットにした薬剤が開発されており、ターゲット 分子ごとに特徴的な副作用を示すものが多い。副作用対 策を行い患者のコンプライアンスを上げることが治療効 果を得るためには重要である。ここでは症候別に原因薬 剤や対処方法について述べる。 皮膚障害 皮膚障害の種類としては痤瘡様皮疹、皮膚乾燥症、爪 囲炎、手足症候群などが高頻度であり、予防や治療が求 められる。EGFRをターゲットにしたチロシンキナーゼ 阻害剤やセツキシマブなどの抗体薬の使用により痤瘡様 の皮疹を高頻度に認める。また、ソラフェニブでは手足 症候群に注意が必要である。近年、特定の遺伝子変異を 有するEGFRチロシンキナーゼ阻害剤(オシメルチニブ などいわゆる3世代EGFR-TKI)が開発されており、これ らは野生型EGFRへの阻害効果は低く、正常皮膚への毒 性は抑えられている。この他、HER2や下流のmTORの 阻害剤でも皮疹を来す。予防や治療の原則は保清、保湿、 保護である。清潔を保ち軽症例や予防のために尿素やヘ パリン類似物質を含有した塗布剤を用いる。軟膏、ク リーム、ローションの使い分けは、部位にもよるがアル コールを含まず刺激の少ないワセリン基質の使用が基本 である。中等症以上ではステロイド塗布を用いるが、部 位に応じて含有量の異なる物を使い分ける。顔面の上皮 は薄く、浸透性が高いため力価の比較的低いステロイド 塗布剤を用いる。用いる回数は1日3 - 5回程度で、一回に 用いる量は面積に比例して決める。軟膏やクリームは第 二指のDIP関節より抹消の指掌を、また、ローションの 場合は一円玉を一単位として部位ごとに使用量を計る。 保湿剤を塗布した後、ステロイドを用いるが、傷のある 場合にはステロイドを先に使用する。重症例ではテトラ サイクリン系抗生剤を用いることもある。 口内炎 mTOR阻害剤が原因薬剤として有名である。内服開 始後1 - 2週以内に起こることが多く、開始にあたり患者 に対処方法を説明しておく必要がある。説明を怠ると、 重篤な口内炎のため薬剤を長期間の休薬が必要になる こともあり注意が必要である。軽症例や予防のためには 生理食塩水やハチアズレン水による1日5回前後の含嗽が 疼痛コントロールに有効である。アルコールを含んでい る市販の含嗽剤やヨード類などは慎むべきである。中等 症以上の場合には局所へのステロイド塗布が効果的で ある。 下痢 EGFR阻害剤、ある種のCDK4/6阻害剤で高頻度に経 験される副作用である。これらの分子は腸上皮細胞の再 生に重要な役割を果たしているため阻害が起こると粘膜 が障害され下痢が起こると考えられている。発症した場 合は水分の摂取を積極的に行うことが重要であるがさら なる下痢の誘発を恐れるため摂取を控える患者もいるの で注意が必要である。ASCOの薬剤性下痢に関するガイ ドラインでは止痢剤ロペラミドの使用を勧めている(1)。 初回量はmgを服用し、以降は下痢がなくなるまでロペ ラミドの内服を2時間ごとに行う。軽症例はタンニン酸、 アドソルビン内服も有効である。 心毒性 HER2阻害薬のトラスツズマブ、ペルツズマブ、ラパ チニブで経験されることが多い。アンスラサイクリンと 併用することで発症頻度が上昇することが知られており 同時併用は禁忌と考えられている。アンスラサイクリン による不可逆性の心筋症と異なり、薬剤の中止により心 機能は回復することが多い。これらの薬剤を使用する前 と使用中には定期的な新エコーでLeft Ventricular Ejec- tion Fraction(LVEF)のモニタリングが勧められている。 LVEFが50%を下回るか、基礎値より10%以上の低下を 認める場合には一旦休薬を行い引き続きモニタリングを 359 JSCO 第51巻第2号 第54回 日本癌治療学会学術集会Educational Book

Transcript of 分子標的治療薬の副作用対策と...

Page 1: 分子標的治療薬の副作用対策と 治療ストラテジーarchive.jsco.or.jp/data/jp/detail_images/54/ESM-1.pdf · 2016. 11. 28. · 過敏症反応はアレルギー反応とサイトカイン放出症

分子標的治療薬の副作用対策と治療ストラテジー鶴 谷 純 司

ESM-1

(近畿大学医学部 腫瘍内科)

第22回日本癌治療学会教育セミナー 「分子標的治療薬の副作用とその対策」

近年、新規薬剤開発によりがん患者の予後は改善してきている。分子標的薬の開発が多くの部分を占めており、このためがん患者の多くが特定の分子をターゲットにした分子標的薬に接するものと思われる。様々な分子をターゲットにした薬剤が開発されており、ターゲット分子ごとに特徴的な副作用を示すものが多い。副作用対策を行い患者のコンプライアンスを上げることが治療効果を得るためには重要である。ここでは症候別に原因薬剤や対処方法について述べる。

皮膚障害皮膚障害の種類としては痤瘡様皮疹、皮膚乾燥症、爪

囲炎、手足症候群などが高頻度であり、予防や治療が求められる。EGFRをターゲットにしたチロシンキナーゼ阻害剤やセツキシマブなどの抗体薬の使用により痤瘡様の皮疹を高頻度に認める。また、ソラフェニブでは手足症候群に注意が必要である。近年、特定の遺伝子変異を有するEGFRチロシンキナーゼ阻害剤(オシメルチニブなどいわゆる3世代EGFR-TKI)が開発されており、これらは野生型EGFRへの阻害効果は低く、正常皮膚への毒性は抑えられている。この他、HER2や下流のmTORの阻害剤でも皮疹を来す。予防や治療の原則は保清、保湿、保護である。清潔を保ち軽症例や予防のために尿素やヘパリン類似物質を含有した塗布剤を用いる。軟膏、クリーム、ローションの使い分けは、部位にもよるがアルコールを含まず刺激の少ないワセリン基質の使用が基本である。中等症以上ではステロイド塗布を用いるが、部位に応じて含有量の異なる物を使い分ける。顔面の上皮は薄く、浸透性が高いため力価の比較的低いステロイド塗布剤を用いる。用いる回数は1日3-5回程度で、一回に用いる量は面積に比例して決める。軟膏やクリームは第二指のDIP関節より抹消の指掌を、また、ローションの場合は一円玉を一単位として部位ごとに使用量を計る。保湿剤を塗布した後、ステロイドを用いるが、傷のある場合にはステロイドを先に使用する。重症例ではテトラサイクリン系抗生剤を用いることもある。

口内炎mTOR阻害剤が原因薬剤として有名である。内服開

始後1-2週以内に起こることが多く、開始にあたり患者に対処方法を説明しておく必要がある。説明を怠ると、重篤な口内炎のため薬剤を長期間の休薬が必要になることもあり注意が必要である。軽症例や予防のためには生理食塩水やハチアズレン水による1日5回前後の含嗽が疼痛コントロールに有効である。アルコールを含んでいる市販の含嗽剤やヨード類などは慎むべきである。中等症以上の場合には局所へのステロイド塗布が効果的である。

下痢EGFR阻害剤、ある種のCDK4/6阻害剤で高頻度に経

験される副作用である。これらの分子は腸上皮細胞の再生に重要な役割を果たしているため阻害が起こると粘膜が障害され下痢が起こると考えられている。発症した場合は水分の摂取を積極的に行うことが重要であるがさらなる下痢の誘発を恐れるため摂取を控える患者もいるので注意が必要である。ASCOの薬剤性下痢に関するガイドラインでは止痢剤ロペラミドの使用を勧めている(1)。初回量はmgを服用し、以降は下痢がなくなるまでロペラミドの内服を2時間ごとに行う。軽症例はタンニン酸、アドソルビン内服も有効である。

心毒性HER2阻害薬のトラスツズマブ、ペルツズマブ、ラパ

チニブで経験されることが多い。アンスラサイクリンと併用することで発症頻度が上昇することが知られており同時併用は禁忌と考えられている。アンスラサイクリンによる不可逆性の心筋症と異なり、薬剤の中止により心機能は回復することが多い。これらの薬剤を使用する前と使用中には定期的な新エコーでLeft Ventricular Ejec-tion Fraction(LVEF)のモニタリングが勧められている。LVEFが50%を下回るか、基礎値より10%以上の低下を認める場合には一旦休薬を行い引き続きモニタリングを

359JSCO 第51巻第2号

第54回 日本癌治療学会学術集会Educational Book

Page 2: 分子標的治療薬の副作用対策と 治療ストラテジーarchive.jsco.or.jp/data/jp/detail_images/54/ESM-1.pdf · 2016. 11. 28. · 過敏症反応はアレルギー反応とサイトカイン放出症

行い、回復を待つ。50%以上で基礎値の10%未満の低下まで回復が認められれば、薬剤を再開する。

高血圧VEGF受容体やそのリガンド阻害剤で見られる副作用

である。出血や心不全などの二次的な合併症の予防のために降圧薬を併用する。カルシウム拮抗剤やARBが用いられる。

腎障害VEGF受容体やそのリガンド阻害剤の使用に伴い尿

蛋白が見られる。尿検査で2+以上が見られた場合には休薬を行う。1+以下に回復すれば再開も可能であるが、再び休薬が必要になることが多く、長期間再開が難しい場合には中止せざるを得ない。

電解質異常セツキシマブは腎の遠位尿細管を障害することによ

りマグネシウムの再吸収を阻害し、低マグネシウム血症を来す。定期的な血液検査によるチェックを行う。QT延長の原因となりうるので注意が必要である。発症した場合は休薬し補充を行う。

間質性肺炎EGFR-TKI や mTOR阻害剤で起こることが多い。

EGFR-TKIによるものは喫煙歴を有する患者に起こりやすく、多くの場合は内服開始から1月以内に発症する。定期的な問診、胸部レントゲン写真撮影を行い、早期発見に努める。発症を認めた場合には服薬を中止しステロイドの使用を検討する。半数が不可逆性に進行し致死的である。一方、mTOR阻害剤では可逆性の場合がほとんどで、感染性肺炎と鑑別が必要なこともあり、ステロイドの使用を慎重に検討する。感染を合併している場合も多いため適切な抗生剤を用いる。

インフュージョンリアクション過敏症反応はアレルギー反応とサイトカイン放出症

候群に分類され、リツキシマブ、トラスツズマブなどの抗体薬やタキサンやプラチナ製剤の投与時に認める。症状は主な症状は発熱、寒け、頭痛、発疹、呼吸困難、血圧低下、アナフィキシーである。初回投与の24時間以内に起こるものが大部分であるが、2回目の投与後に起こることも経験される。プラチナ製剤は投与回数が増えるごとにその頻度が高まる。初回投与後の慎重な症状の観察が重要である。発熱は3回目までには収まることが多く、この間はNSAIDなどの解熱剤の予防投与を行う。アナフィラキシー反応を認めた場合には原則としてリ

チャレンジは勧められない。血圧低下、呼吸困難などをきたす場合には速やかにエピネフリン0.3mg(成人)を皮下投与する。原因薬剤と思われる点滴ラインを抜去し、他の部位からライン再確保を行う。頭部を低くし下肢を挙上する体位や輸液が有用である。

免疫関連毒性免疫チェックポイント阻害剤(抗PD-1抗体、抗PD-L1

抗体、抗CTLA-4抗体)では内分泌障害(下垂体機能低下症、甲状腺機能低下症)、肝障害、間質性肺炎、腸炎、重症筋無力症、劇症1型糖尿病などが報告されている。重症度に応じて休薬、ステロイド治療が行われるが、内分泌障害、糖尿病の場合は不可逆的でステロイドは無効であり、ホルモン補充療法やインシュリン注射が必要となる。使用にあたり適正使用ガイドラインを参照いただきたい(2)。

B型肝炎再活性化2016年5月に改訂された日本肝臓学会によるB型肝炎

治療ガイドラインによれば、HBVキャリアおよび既感染者では、免疫抑制・化学療法時にHBVの再活性化が起こることがある(3)。分子標的薬のなかではリツキシマブやエベロリムスでは注意が必要である。したがって、まずHBs抗原を測定して、HBVキャリアかどうか確認する。HBs抗原陰性の場合には、HBc抗体およびHBs抗体を測定して、既感染者かどうか確認する。HBs抗原・HBc抗体およびHBs抗体の測定は、高感度の測定法を用いて検査することが望ましい。HBs抗原陽性の場合には核酸アナログを処方するが、肝臓専門医にコンサルテーションして行うこうことが推奨されている。また、HBs抗原陰性、抗体陽性、あるいはHBc抗体陽性者はHBV-DNA定量をPCR法およびリアルタイムPCR法により実施する。より検出感度の高いリアルタイムPCR 法が望ましい。核酸アナログはエンテカビルの使用を推奨する。検出感度未満のものは毎月HBV-DNA定量を行い、核酸アナログ投与中は原則として1〜3 ヶ月に1回、HBV-DNA定量検査を行う。

文献1. Benson AB 3rd, Ajani JA, Catalano RB, et al.

Recommended guidelines for the treatment of cancer treatment-induced diarrhea. J Clin Oncol. 2004 Jul 15;22(14):2918-26.

2. https://www.opdivo.jp/contents/report/3. B型肝炎治療ガイドライン(第2.2版)日本肝臓学会

肝炎診療ガイドライン作成委員会 2016年5月

360 JSCO 第51巻第2号