小学校低学年理科設置の論拠づけに関する事例の分析...島根大学教育学部紀要(教育科学)第20巻...

12
島根大学教育学部紀要(教育科学)第20巻 85-96頁 昭和61年12月 小学校低学年理科設置の論拠づけに関する事例の分析 「低学年理科特設運動」の初期における成城小学校の場合 彦* Yosh1h1ko TsURU0KA On the Bas1s of Estab1ユshment of Sc1ence for the Lower Graders in E1ementary Schoo1 Case of Se1jo E1ementary Schoo11n the Ta1sho P Abstmct:Science for the1ower graders in the pub1ic estab11shed at Showaユ6(1941)1n Japan But Se1]o E1ement at Ta1sho6(1917),when sc1ence for the1ower graders has schoo1 In th1s paper,the bas1s of estab11shment of sc1 Se1』o E1ementary Schoo1was ana1yzed,and.then the fo11o (1)The teachers1n Se1]o E1ementary Schoo1be11eved‘r they regarded the1ower grades as the pr1m1t1ve t1mes1n ress. Therefore,they thought that the1ower groders had to (2) They thought that science(study of nature)was base for espec1a11y1anguage and ar1thmet1c(or mathemat1cs) (3) They thought that the1ower graders11ked sc1ence a (4)The then Japanese feader has conta1ned.sc1ent1f1c phenomena),too.But,they thought that science education method.from read.1ng educat1on (5)They thought that estab11shment of sc1ence for the1 to improvement of not on1y physica1but spiritua11ife. I.序 現在,小学校低学年の教科構成の在り方が問題とさ れ,「理科」という教科は廃止される方向である。行政 レヘルの動きを見ると,昭和58年ユ1月,中央教育審議会 教育内容等小委員会の審議経過報告で,「…・・小学校低 学年の教科構成については,国語,算数を中心としなが ら既存の教科の改廃を含む再構成を行う必要がある… ・・」との提言がなされた。そして昭和6ユ年7月,小学校 低学年の教育に関する調査研究協力者会議が,「小学校 *島根大学教育学部理科教育研究室 低学年の教科構成の在り方について(審議のまとめ)」 を発表した。これによると,低学年の教育課程は,国語, 算数,生活科(仮称),音楽,図画工作,体育の各教科, 道徳及び特別活動から編成されることになる。理科と社 会科が廃止され,新教科「生活科」が設けられるわけ で,これが現行学習指導要領と最も異なる点である。 さて,このような教科構成を構想するに当って,上言己 の協力者会議は,「低学年の教科構成等改善の視点」を 5点挙げている。これらを,理科廃止・「生活科」新設 に直接関わる部分について要約すれば,「読み,書き, 算の能力の育成」を中心とした国語・算数を強化する一 方で,理科・社会科をはじめとする他教科の内容は,具

Transcript of 小学校低学年理科設置の論拠づけに関する事例の分析...島根大学教育学部紀要(教育科学)第20巻...

Page 1: 小学校低学年理科設置の論拠づけに関する事例の分析...島根大学教育学部紀要(教育科学)第20巻 85-96頁 昭和61年12月 小学校低学年理科設置の論拠づけに関する事例の分析

島根大学教育学部紀要(教育科学)第20巻 85-96頁 昭和61年12月

小学校低学年理科設置の論拠づけに関する事例の分析

   「低学年理科特設運動」の初期における成城小学校の場合

鶴  岡  義  彦*

         Yosh1h1ko TsURU0KA

 On the Bas1s of Estab1ユshment of Sc1ence for the

    Lower Graders in E1ementary Schoo1

Case of Se1jo E1ementary Schoo11n the Ta1sho Per1od

Abstmct:Science for the1ower graders in the pub1ic e1ementary schoo1has been

estab11shed at Showaユ6(1941)1n Japan But Se1]o E1ementary Schoo1has been founded

at Ta1sho6(1917),when sc1ence for the1ower graders has been estab11shed 1n th1s

schoo1 In th1s paper,the bas1s of estab11shment of sc1ence for the1ower graders1n

Se1』o E1ementary Schoo1was ana1yzed,and.then the fo11ow1ng were made c1ear

 (1)The teachers1n Se1]o E1ementary Schoo1be11eved‘recap1tu1at1on theory’,and

they regarded the1ower grades as the pr1m1t1ve t1mes1n the h1story of human prog-

ress. Therefore,they thought that the1ower groders had to stud.y of nature.

 (2) They thought that science(study of nature)was base for a11subjects in schoo1,

espec1a11y1anguage and ar1thmet1c(or mathemat1cs)

 (3) They thought that the1ower graders11ked sc1ence and cou1d1earn1t

 (4)The then Japanese feader has conta1ned.sc1ent1f1c matters(natura1th1ngs and

phenomena),too.But,they thought that science education was different in aim and

method.from read.1ng educat1on

 (5)They thought that estab11shment of sc1ence for the1ower graders was essent1a1

to improvement of not on1y physica1but spiritua11ife.

I.序   言

 現在,小学校低学年の教科構成の在り方が問題とさ

れ,「理科」という教科は廃止される方向である。行政

レヘルの動きを見ると,昭和58年ユ1月,中央教育審議会

教育内容等小委員会の審議経過報告で,「…・・小学校低

学年の教科構成については,国語,算数を中心としなが

ら既存の教科の改廃を含む再構成を行う必要がある…

・・」との提言がなされた。そして昭和6ユ年7月,小学校

低学年の教育に関する調査研究協力者会議が,「小学校

*島根大学教育学部理科教育研究室

低学年の教科構成の在り方について(審議のまとめ)」

を発表した。これによると,低学年の教育課程は,国語,

算数,生活科(仮称),音楽,図画工作,体育の各教科,

道徳及び特別活動から編成されることになる。理科と社

会科が廃止され,新教科「生活科」が設けられるわけ

で,これが現行学習指導要領と最も異なる点である。

 さて,このような教科構成を構想するに当って,上言己

の協力者会議は,「低学年の教科構成等改善の視点」を

5点挙げている。これらを,理科廃止・「生活科」新設

に直接関わる部分について要約すれば,「読み,書き,

算の能力の育成」を中心とした国語・算数を強化する一

方で,理科・社会科をはじめとする他教科の内容は,具

Page 2: 小学校低学年理科設置の論拠づけに関する事例の分析...島根大学教育学部紀要(教育科学)第20巻 85-96頁 昭和61年12月 小学校低学年理科設置の論拠づけに関する事例の分析

86

c=~~~. -*~1~~~~, ~~:~<4 ・ ~~A=~*4i~ r~t~~~<4J Ic~~;~ ~:~) ~

~~, ~;' c 1*-~~:Ic~t~~:i,~~:~~~f~-~i'~f'[..*~~~~t~*~b*(~)=F~~:~)-~~~

~~~~~:~~;~, ~~~,~0) c=~~~. **o)*-~:i~, r~it~~~1・J

~)~I~~, ~~~ r_~:4~~~t~-'~~-~1~brf~~:~;~i_Uc, ~~~f~_t~L~~

~~~~~~A*o:)~1~~ic~~1,'L・~~~, ~~tL~ ~~ ~~~t,--~~~~)~>

h*~・ ~ Ic~~~~~~・~~~ ~ ~: ~ lc, ~r~)~~:~=~:'iC~~~~ c~t~~~~t~'-

~i~~iJi~)~:-~1'[._~~~~b~~~~~~~Flc~~f, ~~-(~)~~,~=~~~:~ .J

hc J~ < i~~~:~~ tLc~* ~ (*)

~~c~ (~=, c ~ U/~~l~~.~~Jio)~!i~~c~~U c~, ~~!~>4~c

=F~ ~~]~~~~~~:I~ ~P~~~ ~,*~l~J~J~ 1) Ic f~ .c ~ f.."('). '-* c 1-c

I~, ~~~>4~(;~;~~~~ U)~~t~-~~ ~~i~ ~~)~10)-~fS~~ Uc~~:

~FA~~:~;~;~T~(~~f-*v+~i~~~~~"~. ~~i~~!~>4~: U c~:5~~c~~;

~;~~, ~k~l3~~¥j~, 4~;~~~~F~p~~:~~.(~)~~"*"・"~fn*~_*~~~~, ~~:~Eo)

~l~~"**'~~t~~~~:i'i~E~~~~o)~~~~ ~~~~U c~+~ ~f*,

~~:~<4~~=~i~~:5f~-~';~c' (7)4~E~:~~ ~~~~~~:~<4~:=F~~~~~:i~. ~~~~

60~f-8J~1. X~~~i'~~lf.~i~r~~~ii**~~U c~, r~~:~・=<4i~ ~;~,LF',o)~:~~

' ~~~~~,f~~~f-*~l**~:~4~~~~~:H~~~; c ~~l.*~~ v~. ~~~

~f~:~~.-~r ~~~~~~~ f~'_~~~;=F~ ~I~~~ ~ *- ~;L ~~_ ~I ~'~J ~: ~ ~;;~~f

t~~~c~<4 c=~~ ~~, 4~:~:~~ic~~v+c c '-* -* ~)f~:~~~~~/~~~~~ ~

lc~,~~・~:~i~:~~;~J ~~)~~~f~>~, 4~:_._-・--~~:f'~~~~:~<~i・*~~I~1)~~Ij

~~A~~~~~~~(~ +i~'f_~~:.~:Ic U c'~~.U ~~ ~:~)~:~:~~r ~ *- ~ ~;~~

~~~Uf-*(*). ~~f,_'-. ~~~/<~]~~~~:~*4~~=F~~f)~*~~l~, H"*~Q61~r

5 fl , 4~j-~~F~~:~<4lcrD v +~ l~ r~~"*-*~c~~c~)~~:~~:~~ ~~~~~J

(:=~~ ~ ~~ U f--Ji ~=, ~7U ~*~,',**・~.~~~~~~~~~ii~i~~;~~;~~~~* i~,

r ~ ~~;~~~~~~~ U ~ ~~,'~*~~~) ~._~~~:';~Ji~f ~~l ~ U fc~~ii~~'~~~

~~,~~:,:~J ~: ~)~:~:;~;4T. ~ (*)

,~:Ji(7)J~ ~ ic~L~T~lo)~i~;~~~ ~, ~~~~. . ~~~~~4~j~

JJi~~ r~i~~~*4J ~7'~'-'--~~*i~, )~~;~~:c~):7 :/~z :/it;~;~(='~' c~~+

f~L~~~c~c~~~~]~S:~~~;~. ~~/t, ~>~>;~E~~~~1c~~~~~~~~

' ~~~~~)~;~~~~~~~~*~~~~cl*Ic4~tfr._~U c~~*~~>~~:~・, ~~f*~~;~

(~=~5~. ~lJ~~~~, ~~i,~・'~~=F~I~f~fc~~)~~~o)~~,~,~~r~L~~:~~~)

~~ c=~~~l~~o) r~~~:;~~:~*4~c=1~~~~cA~Ff-j~~f~E~:J 1(L-I~, c

*- 10~~~*~, ~;~~~~'-・-.~~<~;~~*~~!~lc~;'"'*^~~~~~;~~~t~~f~~l~)~ c ~~~ c=~ "'~.

t~L~v~. jt~, ~~=F~~~~~l~i~~=F~~~~lc~~1~v+c~~f"~~~~~F"~'~r~; ~ i~

~~~t~-~+U. ~~~c~~~~i~;~,4'~*- c~v+ ~~~t~-v,T~f~~~~+c ~:

~~~~・ c=~~~;. ~l~~~~, ~c=~I~~~~~1~~c=F~~~j~*i(L-4~t~~~

;~ c ~:~~~:~~U~*U. ~~yt~~1・*i~, :~ :/H:z :/~~;~o)t~-~*

~:~~~*~~~:i*-~~~~~~c ~:~~~l~~~tL c~~,~. /J¥~'~'-'--,~i~, ~T ~

Uf*"~f~f~~~)~~~~~n~~1~~j¥~f~~~~o)~)11)c~~~ ~~~

~=F~~~Al~Jii~4~;-~~F1*~~~~~・t~-~・.f*-B~~4-~i*~5v~c ~:

~>4~f~~~~:~~:~~'U~Tyt"* ~~~~~;~,~:~~lt*-/j~*~~+~-)c・-*・ic~~.~i:~;~iC, 4~:

'~~~~~~!~~.-"-'-'-.~~'i~~~iI~L~~'~)~~t_~~~~~ ~i~J~~~=E~T~ ;~~~~ (j=~~ ~. 3~lt."'7~iC

~~~y ~~~;:~~.~~lk~)~J~ lc~~~~(~)~fi~, /J¥~~ (:=E~ ~~>ic ~~

tLt*・・~~~:~!;1)~tiC~~Ui~~IE~~,~~:~~f~ ~~~U ~~~~~i~~:

~c ~J~i~~~:~[~c=F~~~;~~~:~~~:, ~~l~~~~;411"L:'ic~~

~D16~~lc~~:~~ c= rf~;~~~~~~:~*4 ( ~,~t~~*4) ~~~~~~~~1J ~~

~~ ~ r~I~c~) ~<4~~~~~c=~~~~Ji ~~~~lc~;~ ~~li~ ~il~J~:~*~i~

~1J(*) ~~~~~5f~ ~: ~1)c~* ~. /J¥~ c=~~Ji~f~~L~~~~~~/J¥~~~~-

~)c・+'>I~, )~jl~: 6 ~~jcR~?o),~~~~l~c=F~I~A~~~:t~~~~~~c)~~~}cJ~ -

c r~~13~i~o)~{~*~=~]~~/'+~ ~* ~)f~!o) U ~ f,_" ~ Ic-t~J*~ ~~)~~

~ c ~~~)t~~+~?~~*~=F~~)~~~~~~~~')c・+'・J(6) ~c ~ (L-~Ij~:~~:tL~ ~

o) c=, ITE;1c r~d~~~~;~,~~~~・1*-~~~~~~~~;J(') c=~5-

f*-. ~~~~.~~ I k~~~~f~> ~~'-'--'-'~~*i~:u~L~:tL~t~~~, /:1~;¥jc/J'~~~)c'+'>~:I~

~ < ~~t~- ;~ ;~ IJ ~ * ~ ~~~;~: c=~~i~t~~~~~~~~~~ij~~~ILf*'-.

(i~1, 2) --* U~~:t~~/J~~)~~=F~:i~, 4lt~;~)~L~~:~~i・-i~/~;¥

~~/j~~~~)c・~*・1~~ ~~~ ;~, 4~;~~:~~~・ ~ o~)~~~-~・~~~~io)~l~ I(L-~~

f~"~~~!~~l~l~Uf,_-. ~o)=-'-.~z4~~~t~-~~l~cv~;~(*). ~lc~~

~~~/J¥j~, ~~(IE~1lc~~~y~, 4~j~~~F~~~~:~<4~~~~~~~!Jo), ~~~~

~: I ~:~~~'J~~~~'x<CD~C~<4 ~~t~:~~R~~C

~' ~~:~~~c ~~~~:~~~~:~~;~C(~ ~1 * ~~~;(~'~~~~-Ll~ii~;~~*~-'_'n);~*u'Al--_.~C ~~:

+ ~f~lj

~~T

~t~~ ~~~~:~~~~~; ~~~ =

~~f ~ ~

~~I ~ ~~~

/¥ ~ - -~~ll: ~ ~~EE~

/~ ~ ~~~~ ~ ~ ~ ~~ ~ ~ ~ ~ ~ /¥ ~ ~~l ~ Il ~ ~ ~~

~ ~ ~ ~ /~ ~~ ~~~ i~~~ - I: ~ ~l ~

~ Il~~~ - -:~ ~l

~ ~~1 ~ ~ __ ~ ~-~ ~ ~l~~ ~ _~ ~~l

~ ~ ~ ~~~ll ~ ~ ~~f-

-~~~ ~ - ~~l-~ ~ ~ ~ ~~~ ~ - ~~:-~ ~

,~~ ~~4!~~ ///

//' ~~ /'~;~i ~F-

~r

~~~

~~

~~

~ ~~

~~

~f

tJ&

n+,~~~

~~:

~~

~~l

~Eii

JL l~

)~jrn~Fi9j~, 12~~~~~j~-,t*,-~~~~)~~). r~~lJ ~i~ ・~・・.・-・・ ~ ~)~~~~-,~~~ c=1~t~-v~. ~~:~y+~1cA~~~~~ ~~, ~r~)

~~,~: c=~~L~)~~; (~r, ~~Dt~:~ ~i) ~~l)~~~~~~{~~!~ c=~"*・""

< . IH~~~~cD~:~i~, ~b~~Fi・-J~~~~;_~r~-~, ~~J~~;4~;

Page 3: 小学校低学年理科設置の論拠づけに関する事例の分析...島根大学教育学部紀要(教育科学)第20巻 85-96頁 昭和61年12月 小学校低学年理科設置の論拠づけに関する事例の分析

鶴  岡  義  彦 87

表2 公立小学校の教科と授業時数

      (r成城学園五十年」(8)より)

  手裁体唱図理地日算国修            本計            歴  工縫操歌画科理史術語身

  HI四H   1五○二

  H1四 H   1五二二

.五H1三一一   1六二二女男二二  女           一

九七〇二三一一二11六二二女男三二  女   女男

○八目三三二一二二二二四九二女男三二  女   女男

○八目三三二一二ニニニ四九二

教   /科  /目//学

/ 年

大正8年,小学校施行規則の改正に基づく。

この時数は,昭和16年まで変わらなかった。

()内は,「課すことを得」というもの。

を拡大すれば新教育運動・自由主義教育運動のユつの中

心地であった。小論では,大正期・成城小学校に焦点を

定め,主として,低学年理科設置の論拠づけを解明す

る。

皿.新教育運動・低学年理科特設運動と

  成城小学校

 周知のとおり,自然科学関係教科目の始期は,現行小

学校の学年に則して言えは,明治5年のr学制」公布時

には第2学年からであったが,次第に遅くなり,明治ユ9

年~大正8年の間は第5学年開始であった。しかし第1

次世界大戦(大正3~7年)終了後の大正8年に「小学

校令」が改正された時に4学年からの開始となり,始期

を早める方向へと転じ,大平洋戦争に突入する昭和ユ6年

に「国民学校令」の下で,初めて第1学年から学習され

ることになったのである。

 もちろん,「小学校令」の時代において毛,高等師範

学校(明治35年より東尿筒等師範学校)では,棚橋源太

郎を中心に低学年段階を合む実科教授 理科教授の研究

と実践が,主としてドイツ流の教授思想を学びながら行

われていた。だが,低学年理科特設運動としての高まり

を見せるのは第1次世界大戦を契機としてであった。最

初の科学戦と言われるこの大戦によって,一方で科学・

技術振興の気運が高まり,他方では米英流の自由主義教

育思想が急激に流入することになった。そして既に大正

4年10月の第6回全国小学校訓導(理科)協議会におい

て,以下の内容を含むr理科の基礎教授と教授時数の増

加」と題した決議がまとめられ,文部省に建議すること

が決定されている。その内容とは以下のとおりである。

 名称:理科の基礎教授に対しては観察科,直観科,庶

  物科,自然科,理科初歩等幾多の名称あるも委員等

  は之を事物科と称せん。

  時数 尋常小学校第1学年より第3学年までは毎週

  1時間宛之を課すること(10)。

 大正7年1月になると,林博太郎(伯爵,翌年より東

京帝大教授・文学博士)を中心として,半官半民的な理

科教育研究会が,「理科ヲ中心トシテ,之ト関係深キ算

術,地理等ヲ配シ,其ノ教材目的方法二就キテ根本的ノ

研究ヲ試ミ,大二理科教育刷新ノ歩ヲ進メ,以テ柳カ我

ガ教育界二寄与シ,国家ノ進運二貢献」(11)するために

設立された。役員には,林会長以下,顧問として文部次

官や長岡半太郎 池田菊苗ら東呆帝大教授,幹事として

安東寿郎ら高師 師範関係者,常任幹事として東呆女高

師の堀七蔵のほか小学校長が名を連ね,実地教授研究会

・講演会・研究大会の開催,「理科教育」誌の発行など

理科教育の改善に努めたが,低学年理科(自然科)特設

についても度々建議を行うなど大きい役割を果たした。

 ところで低学年理科特設運動に関しては,理科教育研

究会の活動,或はそれ以前からの東京高師及び同附小を

中心とする活動のほかに,第1次世界大戦前後からの私

学の動きを看過することはできない。この時期には成慶

学園,成城学園,明星学園,自由学園などが設立され,

低学年から理科(r理科」という名称とは限らない)が教

えられたのであった。だがこれらの学校における理科教

育は,従来ほとんど考察の対象とされてこなかった。

一成城小は,既述のとおり,大正6年(1917)に沢柳に

よって創設されたが,彼は文部次官,貴族院議員,東北

・京都両帝大総長を歴任した教育束の大御所で;大正5

年からは帝国教育会会長の要職にあった。主著r実際的

教育学』(明治42年)に明らかなように,彼は研究的態

度・実証的態度を重んずる徹底したリベラリストであ

り,成城小を新教育の実験学校として創立し,「小学児

童学といはうか,経験的児壷学といはうか,建設して我

が小学教育界否な世界の教育界に提供しようではない

か」(12)と夢を抱いていた。創設趣意によれば,同校の

教育方針は,

 (1)個性尊重の教育(附・能率の高い教育)一

Page 4: 小学校低学年理科設置の論拠づけに関する事例の分析...島根大学教育学部紀要(教育科学)第20巻 85-96頁 昭和61年12月 小学校低学年理科設置の論拠づけに関する事例の分析

88 小学校低学年理科設置の論拠づけに関する事例の分析

 (2)自然と親しむ教育(附・剛健不携の意志の教育)

 (3)心情の教育(附・鑑賞の教育)

 (4)科学的研究を基にする教育(13)

の4つであった。これによって成城小教育の全体像を窺

い知ることができよう。理科と最も関係の深い「自然と

親しむ教育」の主旨はこうである。成城小は,都会の児

童の教育所であるが,「最近の東呆市の教育上の統計に

よれば,就学児童中,強健者が僅かに男児は百人中41

人,女児童は39人しかないと云ふ」実態であるから,「都

会生活から来る悪影響と戦いつつ・…・・児童をして自然的

な正常的な而して健全な教育を遂げしめることに努めま

す。幸ひ本校の附近には戸山ケ原を始めとして到る所に

田圃林野があります。大空の下,大地の上で出来る限り

多くの時問を与えて自然を相手の教育をします。且,近

来外国で試みられつつある自然科(Nature-Study)を

も課程に採用して児童の自然的要求に応じて教育せうと

思います。又校内にも広い余地があるので学校園に利用

して児童をして自然物を愛する性情を養ふつもり」であ

る。要するに,r教育上の生物学的発生学的見地からし

て児童固有の心身発育の過程を重んじ,なるべく児童を

して遠き祖先の原始的生活を繰返さすことによって,心

身の健全なる発達を図り」,同時にr不捷不屈の精神を

酒養しつつ,将来,剛健敢為の国民となるべき素地を作

りたい」というのである(14)。

 成城小創設時の陣容は,校長が沢柳で,顧問に小西重

直(教育学者),三島通良(医博,校医を兼務)を,主

事兼訓導に平内(藤本)房次郎,訓導には諸見里朝賢

(理科),佐藤武(算数),真篠俊雄(音楽),田中末広

(国語)を据えていた(15)。更に,後には,長田新(教育

学者)と野口援太郎(大正8年帝国教育会専務理事)と

が顧問に加わってい乱大正期・成城小の主な動き舛年

.表(表3)のとおりだが・上記の陣容やこの年表から

も,同校が新教育運動の一大中心地であることがわか

る。因に成城小から派生した新学校を挙げておきたい。

大正13年に赤井米吉が明星学園,野口が児童の村小学校

を,昭和4年に小原国芳が玉川学園を興し,更に清明学

園,和光学園も成城に籍を置いたことのある人々によっ

て創設されている(16)。  .  、

 さて理科教育については,一沢柳の言葉を借りれば,

「多年普通教育に於ける理科教授の改革を考究して居ら

れた和田八重造君の援助と指導とに依り,諸見里訓導は

1学年よりの理科の建設に従事し,平田訓導は玩具に依

る理科教授の研究に努力」u7)した。ここに述べられて

いるように,当時アメリカから帰国したばかりの博物学

者・和田八重造が・沢柳の依頼に応じて,成域小理科教

表3 大正期・成城小学校略史

6年4月・沢柳政太郎によつて東呆市牛込区原町の成(1917)

 8.

9.

10.

11.

ユ2.

13.

14.

15.

2.

412

4ユユ

8

4ユ0

24

610

11

4

1457958

ユ2

4(日召不口)12

城中学校敷地内に創設開校

・平田巧訓導就任

●鰺坂(小原)国芳訓導兼主事に就任

・教育問題研究会発足「教育問題研究」創刊

。第1回教育講習会

・「児童の世紀」創刊

・沢柳校長,小西重直 長田新両顧問らと欧

米教育視察に出発(至11年6月)

・赤井米吉訓導就任

・第2回教育講習会

・ドルトン・プラン研究授業

・赤井監事に就任

・平田東北帝大理学部入学のため休職

・沢柳校長万国教育会議に出席のため渡米

・諸見里死去

・自由学園(羽仁もと子創設)を参観

・ドルトン式学習法の採用を決定

・H.パーカースト,成城と大阪毎日新聞杜

の招きにより来目・来校(至5月)

・赤井明星学園を創設

・アメリカンスクールを参観

・成城玉川小学校,成城第二中学校に併設

・成城幼稚園創設

・パーカースト来日(至9月)

・児童の村小学校(野口援太郎創設)を参観

・女高師附属小学校を参観

・「全人」創刊

・山下(森)徳治主事に就任

りJ、原再び主事に就任

・沢柳校長死去

育の主に理論面を支えていたのである(18)。彼は,大正

9年同校内に教育問題研究会が発足した時には,理科

担当の研究顧問となっている。彼が日本に持ち帰ったの

は,米国流のNature-StudyやGenera1Sc1enceの

考え方で,成城小では前者を基礎にして指導に当ったの

である。この考え方を授業実践にまで具体化したのが諸

見里朝賢で,平田巧は主として算数教育に関わりながら

玩具の活用による理科教育の改善に尽力した。和田は

当時他の学校でも理科(自然科)の指導に当っている

し(19),後には中学校段階の理科教育改善に努めるな

ど(20),Nature-Study,Genera1Scienceの考え方の普

及において貝献している。又,諸見里は,既に板倉が指

摘したとおり,「理科教育研究会が設立されると,そこ

でもっとも戦闘的に低学年理科教育の実施を主張するよ

Page 5: 小学校低学年理科設置の論拠づけに関する事例の分析...島根大学教育学部紀要(教育科学)第20巻 85-96頁 昭和61年12月 小学校低学年理科設置の論拠づけに関する事例の分析

鶴  岡  義  彦 89

うになった」(21)人物である。例えば,第ユ回理科教育

研究大会で,文部省督学官野田義夫が,大正8年から理

科の始期を1年早めて第4学年とすることになった経緯

を説明した際に,1年より実施すべしとの立場から,そ

の科学的根拠を示せと厳しく追究したのである(22)。か

くして成城小理科教育は,低学年理科特設運動を始め当

時の理科教育改善に大きな役割を果たした,と言うこと

ができる。

 なお小論では,大正期,特に12年頃までを中心に考察

したい。それは,同ユ2年に諸見里の死,ユ3年からドルト

ン・プランの全校的採用,昭和2年に沢柳の死があり,

成城小全体がこの頃に,沢柳の成城から小原国芳の成城

へと変質したとの指摘がなされている(23)ことによる。

皿.教育観並びに理科教育目的観

 まず成城小の教育全体を支える教育観を,沢柳と顧問

の小西・長田の見解に即して明らかにしておきたい。

 成城小では,教育の「機械観」(或は「器械観」)を排

して,「教育を生長と見,発育と見,随って教育の方法

等も総て発生的に考える。」(24)即ち,教育は機械のよう

に反復することは不可能であるし,反復できても同一結

果をもたらすとは限らない。教育する側を中心に考えて

はならない。児童の,成人に達するまでの連続的な発育

を,彼らの精神的・身体的要求に応ずることを通して支

援することである。そして,繰り返すことのできない人

生の各時期一「人間精神生活の一回性」(25)  を最大

限に尊重することが大切である。この点について,小西

は次のように論じている。「人間の生活は大局に於ては

不断の生長であって,其問に間隙がないのであるが,其

各瞬間の充実に価値が存するのである。而かも各瞬問の

充実は全体の一部としての価値を有するが全体の生長な

るものは各瞬間の完全なる生長に侯たねばならない。故

に各瞬間各部の価値は夫れ自身としての価値である許

りではなく同時に全体としての価値を有するものであ

る。」(26)このように,被教育者の人生の各瞬間を尊重す

る児童中心主義の教育観に立つわけであるが,その立場

は,次の長田の言葉に示されるように徹底したものであ

る。児童の要求しないものは与えることができない,し

かし,「要求するものを与えることに依て将来杜会生活

にも順応せしめまた文化をも創造せしめ得る」(27)とい

うのである。

 さて,以上のような教育観に立脚した成城小におい

て,如何なる目的のもとに理科教育を実施しようとした

のであろうか。理科教育の目的は,とりもなおさず理科

教育を行う理由づけであるから,低学年理科設置の論拠

づけの前に,成城小の理科教育全体に関わる目的を明ら

かにしておきたいのである。

 成城小の理科教育の目的は,以下の言明に集約され

る。即ち,和田によれば,理科教育の目的は「次代の国  ライフ民の生活を安全に且つ進歩せしむる為に其科学的知能を

啓発酒養する」(28)ことである。諸見里もほとんど全く

同様に,「将来の児童の生活一精神生活並物質生活一

一を安全に且つ進歩せしめる為に,其れに必要なる理科

の知識並に能力を啓発酒養する」(29)ことであると述べ,

平田も和田の見解を引いている(30)。彼らは小学校の理

科を念頭においているわけで,この目的を一見すると,

大人の生活のための準備のようであるが,単なる準備説

でないことは,既述の教育観から明らかである。

 成城小の理科教育の目的は,以上のとおり,究極的に

は,国民の生活の改善であるが,この意味あいを考えて

みよう。生活には物質的側面のみならず精神的側面も含

まれている。世界的に物質文明の発達しつつある時代に

おける生活の改善は,科学を基盤として始めて可能であ

るし,より根底的には,国民の精神が科学的になること

によって達成される。そして,国民の精神が科学的にな

る一科学が国民に根づくならば,生活の物質面のみな

らず,精神面を含んだ生活全般が向上するであろう,と

捉えられているのである。それは,例えば,諸見里の次

に示す進歩的な言葉によく表わされている。即ち,「迷

信の時代は過ぎた。皇室と言えばr神様々々』として済

された時代は泰平であった。之からはそうは行くまい。

国民道徳も宗教も,最進の科学や進歩した人智と衝突し

ない,衝突どころかそれらを打って一丸として築かれね

ばなるまい。」(31)このように成城小では,生活を豊かに

し,また合理的なものとするための大切な基礎として,

理科教育を位置づけたのであった。

 ところで,和田らが「生活の改善」という抽象的・一

般的な目的を真っ先に設定した理由には,従来の理科教

育目的観に対する不満という面もあった。即ち,いろい

ろの目的が挙げられてきたが,それらは皆「畢寛生活の

改善に必要なるが為」であるはずである。「従来往々之

を打忘れて置いて唯能力を練らうとか知識を与へやうと

かした傾きがあったから自然目的が動揺したり,万民に

必須な事項を逸して置て,却て専門学の頷分に踏み入る

といふ様な不都合を生じた。」それ故,「桶に箱を嵌めた

様に」,理科の目的を「頗る安全に且つ強固に且つ厳正

に確立」するために,まず究極的目的をはっきりさせよ

うとしたのである(32)。

 和田は,従来の理科教育目的観の主な4種を取り上げ

Page 6: 小学校低学年理科設置の論拠づけに関する事例の分析...島根大学教育学部紀要(教育科学)第20巻 85-96頁 昭和61年12月 小学校低学年理科設置の論拠づけに関する事例の分析

90 小学校低学年理科設置の論拠づけに関する事例の分析

批判的に検討している。その要点は以下のとおりであ

る。

(1)「日常生活に必要なる理科的知識を多く授くるを主

とするもの」

 日常生活の知識とは言え,それは大人が必要と感ずる

もので,少しも児童生活の面から考えたものでない。そ

れ故,学習意欲が湧かず,与えられた知識の忘却率も高

い。「子供の時に子供らしい理学を程能く教えて置く」

ことが,「大人になった時大人らしい理学を解し得る力

を養う所以」である(33)。

(2)「理科的訓練を与ふると同時に日常生活に必須なる

理科的知識を授けようとするもの」

 後半に対する批判は(1)に同じ。観察や思考の力の訓

練,即ち理科的訓練を,理科の主目的とするのは至当だ

が,「観察の為に観察させ,思考の為に思考させて,児

童自ら観察の必要を感じて観察し,中心禁ずる能はずし

て研究する様に導かない」。例えば,観察力は,「単に細

かい部分を見せたり探らせたりする丈けでは直に精練せ

られるものでない内心に必要を感じ燃ゆるが如き熱心が

加わって一定の目的物を見出さうとするにより此所に始

めて著大な発達を遂げる」のである(34)。

(3)「所謂人格陶冶に重きを置くもの」

 この立場の人々は,自然の美観,生存競争,共生,自

然陶汰或は発明・発見の歴史等を力説し,自然への愛の

感情や畏敬の念を養い,或は一時子供を感奮させる点に

着眼する。確かにどの教科も人格陶冶を無視できないと

はいえ,各科にはそれぞれ「独特の教育価」を認めるべ

きで,理科の主目的は情育・徳育ではない(35)。

(4)「理科的趣味を養へば足るとするもの」

 児童をして,「自然を研究し或は之に関する図書を読

み又は話を聞くことを一種の道楽とする迄に仕立てよ

う」とするのは結構なことだが,それは不可能であっ

て,「万民教育としては之に到達する前に,……生活上

必要ある場合には何時でも相当の観察も実験もすること

ができ又之に関する図書を参考し或は人の話を聞いて理

解し得る丈けの力を養ふこと」が先決である(36)。

 以上が,和田によって取り上げられた代表的な目的観

と,それらに対する彼の批判である。彼によれば,既に

触れたように,従来これら一面的な目的観が並存し,理

科教育の目的の重点が,それらの間を確たる理由もなく

揺れ動いてきた。それ故,それらの根底にある目的一

ここではそれが「生活の改善」 を,まず設定したの

である。しかしながら,「生活の改善」という究極目的の

下に,以上4種の目的がどう構造化され位置づけられる

かについては,明快な議論がなされていない。4種の目

的観に対する和田の批判から読み取れるのは,理科的諸

能力の訓練が中心にあり,次いで児童の日常生活上の必

要に十分配慮した理科的知識が位置する。「人格陶冶」

は理科「独特の教育価」とは言えず,「理科的趣味」の

養成は国民共通の教育目的としては不適当である,とい

うことである。

 ところで,明治以降当時までの理科教育は,単純化の

危険を覚悟して言えば,国家主義という大枠の中で,日

常生活や職業生活に役立つ知識を得させ,延いては殖産

興業への寄与という実質的・実用主義的目的観と,観察

力に代表されるいわゆる形式陶冶主義的目的観とを軸と

して営まれてきた。上述の和田の立場は,後者に力点が

あると思われるが,実質か形式かという点に関しては諸

見里が議論している。その詳細を述べることは,小論の

目的を逸脱するので,省くが,結論はこうである。両者

は「車の両輪」の様であるから;「自然の成行に委せて

も相当に調和して行く様でもあるが実は然らず。」そこ

で,「第一原則を形式陶冶とし,第二原則を実質陶冶と」

する。r教材は重に実質的価値の多いものを採り一児

童の現在並に将来の生活に権威あるもの一教授の方法

は重に形式的に力瘤を入れ,以て両方を調和し児童の為

の理科教育であって大人の為の教育ではなく,よい児童

は他日よい大人になるのである事を標語とし,児童ら

しい理科を学習させて以て完全な人問に迄教育した

い。」(37)というのである。

w.低学年理科設置の論拠つけ

 教育課程の構成並びに各教科の始期は,成城小学校創

設時から最も重要視された問題である。既に表示したと

おり,公立小学校と大いに異なり,例えば,修身を第4

学年開始に遅らせたり,算術はr数学」という名称で第

2学年から実施する一方で,理科は第1学年から設置し

たのであった。以下,初学年からの理科設置の論拠づけ

について,抽出した5つの視点に基づき,その基本的な

ものから順に解明していく。

 1.幼少期は人類史の原始時代に相当する

 「近時多くの心理学者の確めつつある人類の種族発達’

吏と個体発育吏とが大体において一致するとの考及人類

学者,史学者の証する吾等の祖先が文字なく書物なくて

生活して屠った時代が余程長かったとの事実は信を置か

ずには居れない」(38),という和田の認識こそ,成城小の

教育課程の構成や教授法の基礎となっているが,低学年

理科の設置もまずこの捉え方に依拠するのである。即

Page 7: 小学校低学年理科設置の論拠づけに関する事例の分析...島根大学教育学部紀要(教育科学)第20巻 85-96頁 昭和61年12月 小学校低学年理科設置の論拠づけに関する事例の分析

鶴  岡  義  彦 91

ち,人問の精神発達に関してr反復説」(r再現説」,「約

説原理」,「祖先性繰返し説」とも称される)を承認し,

或は参考にして,児童期特に低学年期が人類の歴史の原

始時代に相当する,と捉える。原始人は,生存の必要か

ら衣食住に関するものを中心として自然物・自然現象の

研究を行ったが,幼少期に見られる遊び的活動はその反

復である。今日の文明が,大古祖先の長期にわたる熱心

な研究を経て築かれたように,「観察力鋭く工夫力に富

んだ大入は先ず其児童期に此児戯的研究を充分にやった

者でなければならない。」(39)又諸見里も,ダーウィンや

ヘッケルを引き合いに出しながら,反復説が,児童の精

神発達を理解する上でも最重要の原理であると位置づ

け(40),更に平田も,この立場から,幼少期には旺盛な

「好奇の本能」や「収集の本能」或は興味が認められ,

それらの主な対象が自然の事物現象であり,「児童興味

の対象は実に科学研究の対象と根本に於て一致する」と

さえ述べている(4エ)。そして,既に言及したとおり,人間

の精神生活は一回的である。それ故,低学年児童から,

自然の事物現象について観察実験する機会を取り上げて

しまって,「只文字の発表や数字上の計算の様な形式事

のみを授くるに汲々たるが如きは如何にも不自然で不合

理で且つ神の子に対して罪悪である。」(42)という結論に

到達するのである。これは,つまり,反復説に立脚し

た,教育の適時性の指摘ということができる。

 なお,人間の精神や身体の発達に関する反復説は,ホ

ール(G.S.Ha11)やシュテルン(W.Stem)によって

唱えられ今世紀初頭に流布したものであるが,両名とも

成城小関係者の著作物に引用されており(43),その影響

の大きさを窺い知ることができる。

 2.理科(自然研究)は他の教科の基礎となる

 上述の論拠づけと関わって次の視点が存在する。即

ち,和田によると,r凡そ学校の教課を大別すれば科学,

芸術,文学,修徳の四種類であつて科学は勿論他の三つ

も其源を自然研究に発して居ることは誰も疑ふを得ざる

事実であろう,それ故吾等は小学二年若くは三年の終頃

までは自然研究を中心とし授業時間の大部分を之に当て

他は凡て副とし殊に文字上の発表や数字上の計算の様な

心意を控束すること甚だしい形式事は成る可く後に回は

し生徒をして注意深き教師の下に思う存分に大自然に接

触し大自然より学ばしめ将来修むべき諸学科の根源を

十分に広く大きく且つ確に養い置くのを以て理想とす

る」(44)。当時の教科それぞれが,彼の言う「四種類の教

課」のどこに属するのか説明されていないが,自然研究

こそ全教科の基礎,という捉え方がここに存在する。

 しかしながら,残念なことに,自然研究が,なぜ,ど

のように諸教科の基礎となり得るのかについても,諸見

里,平田を含めて必ずしも十分に論じられていない。彼

らの議論の中心は,当時の低学年における主要教科が国

語と算術であったためと考えられるが,それらより理科

(自然研究)が基礎であり先決である,という点であり,

国語・算術以外の教科と理科との関係についての言及

は,わずかにすぎない。

 まず国語との関係は,次のように捉えられている。

「読本中にあらわれている事物の多くは,実物実地の自

然の研究によって意味を了解することができる。」(45)即

ち,低学年児童の興味の中心は自然の事物現象にあるか

ら,言葉の学習は主に自然に関わる言葉の獲得から始ま

るはずで,その言葉の意味は,自然の事物現象に即して

理解される,というのである。また,成城小では漢字の

教授法として,「興味的児童本位の多量提供主義」,即ち

「百の字を提供して百を収得せしめようとするのでなく

百以上二百或ひは三百の多量提出を行つて児童の興味に

応じてその中より随意に百を収得せしめようとする方

法」を採ったが,当時の常用漢字の読み書きのテストを

行ったところ,興味深い結果が得られた。即ち,児童が

収得する主な漢字は,その画数の多少と関係なく,(1)

「神」,「鬼」,「天狗」,「天馬」など神秘的でおとぎ話に

出てくるような超自然物と,(2)「山」,「太陽」,「風雨」,

「電雷」などの自然事象,及び(3)「大蛇」,「獅子」,「狐」,

「象」などの生物であり,全く「児童の精神内容的興味」

と密接不可分であるという(46)。それ故,児童の興味を

本位とする成城小の国語学習にとっては,自然との接触

が極めて重要な基礎と捉えられたのである。

 次に理科と算術との関係であるが,算術は,当時の公

立小では第1学年から設置されていたのに対して,成城

小では,既述のとおり,設置せず,第2学年からr数学」

を設けてあり,以下のように論じられている。「児童は

自然の研究活動中,距離や時間や物の数等の必要感を起

す。又起す様仕組まねばならぬ。弦に数量的観念が必然

的に起るから自然の物象に就いて,実地に測定させ,数

量観念を得させなけれはならぬ。数学学習の事実的方面

の出発点は自然研究のうちに生まる。」(47)また平田は,

成城小創立10年目に数の知識に関する調査を実施した

が,空で数詞だけを言うことと実物に従って数えること

とを比較すると,「幼児は五つ迄の物さえ数へられなく

とも,数詞は十以上も知っていることがある,空に数詞

だけを言うことの方が易い様に思われるのであるが,此

調査に依つて見ると,実物に従つて数える方が多く進み

得る」という結果を得た。そこで,算術教授の初期にお

Page 8: 小学校低学年理科設置の論拠づけに関する事例の分析...島根大学教育学部紀要(教育科学)第20巻 85-96頁 昭和61年12月 小学校低学年理科設置の論拠づけに関する事例の分析

92 小学校低学年理科設置の論拠づけに関する事例の分析

いては,「実物を離れない,即ち直観的な数え方」が大

切である,と結論づけるとともに,成城小のように,始

期を第2学年にすると算術教授に不利益がないかとの心

配は,「本校の経験では全く杷憂」にすぎない,と述べ

ている(48)。やはり,算術(数学)も,実物と直接交渉

する自然研究が大切な出発点となる,と捉えられている

わけである。

 最後に,国語・算術以外の教科と理科(自然研究)と

の関係について若干言及しておきたい。「教育問題研究」

誌上に,理科関係の論文数篇を発表している谷騰によれ

ば,成城小の児童に,科学的精神の高揚という点は無論

のこと,「綴方,読方等の文科的教科及び図画・手工等

の芸術的教科の学習能率に見るべきものがありとするな

らば,それは,初学年より理科を課設して,児童を自然

界に解放する教育方針より来る影響の大なるものがあ

る」(49),また理科では,「子供を自然の事実に直接親爽せ

しめることによつて,其の中に含まれてゐる美と法則と

調和とを如実に感得し,自然を愛好するの情を起させる

ことが出来る」し,その心はやがて「自然を崇敬するの

念」を生ずると(50),理科(自然研究)が芸術的・宗教

的要素を育む上でも寄与できる,と指摘している。更

に,身体の健康・衛生といった面でも理科が有益であ

る,との指摘もなされている。即ち,成城小の理科教育

では,「教材が児童の前に運ばれるのでなく児童自身が

教材の前に出掛ける」ことが主となり,野原・森林・川

・海などで十分に身体を動かすことになる。故に「理科

教育とは云ひながら,一面から見たら児童へ,新式の児

童本位の体操をさせて居るとも云へる。」のである(51)。

 なお,理科(自然研究)が諸教科・諸方面の基礎とな

る,という捉え方は,諸見里による,理科教授の目的の

分類にもよくあらわれている(52)。

 3.理科は低学年から教えることができる

 2つのポイントがある。第1に,低学年児童は理科が

好きである,という点,即ち,児童の興味を本位とする

成城小の理科にとっての条件である。第2に,理科は,

その内容や方法を彼らに相応させれば,決して困難でな

く十分に教えられる,という点である。

 まず第1点については,反復説に関わっているのはも

ちろんであるが,更に成城小の教師たちの教育実践経験

や以下のような調査に基づいて唱えられていることに留

意したい。この調査とは,例えば,辞書から選択された

6,867語について理解しているか否か,新入生を対象に

して調べたもので,その結果,理解している語彙を内容

の観点から分析すると,「自然界に於ける現象,動植物

に関する語」と「文明の器具機関に関する語彙」,即ち

理科関係の語が多いことがわかった(53)。これは,既述

の漢字調査の結果とも通ずる。成城小では,こうした調

査結果や教育実践経験をも踏まえて,r児童の木質が,

自然を研究し,理解し,愛好せんとする」(54)ところにあ

ると判定して,初学年から児童本位の理科を実施するこ

とができる,と説くのである。

 さて第2の点に移ろう。明治の「学制」「教育令」の時

代の理科では,主に外国書の翻訳本かそれに類するもの

が教科書とされており,その内容は高度なものが多かっ

た。また長い間,理科は高学年になって課される教科で

あった。こうした経緯から,理科は低学年児童には困難

であろう,と考えるのも首肯できる。ところが和田に言

わせれば,「理科は初年生には困難過ぎるから課せない

と主張する人々」は,理科で教える内容は「生物の生理

生態とか理化学上の計算とか云うものも今日の大人向の

書物にある様なことに限るとして居るのではあるまい

か」,「幼童の頭には余り精密な事や大きな現象は理解で

きる筈ないが其処は都合好く児童の方で斯様なことを決

して要求して来ない,吾等の経験によると何時でも中位

の大きさや精密さの事物に要求が始まる。」(55)また,諾

見里は,大音の事を扱う歴史や,外国の事を扱う地理な

どと比べるなら,「児童が教材のあり場所に行って研究

するか,又は児童の前に教材が運ばれてそれをイジリつ

つありの儘の事実を実験観察させ,それに基づいて思考

させる理科教授に六ケ敷所があるか知ら。」(56〕と指摘す

る。児童の要求・興味を本位とする理科教育は,低学年

でも十分可能というのである。

 ここで参考のため,第1,2学年生向けの授業の実例

を2つ簡単に紹介しておきたい。なお和田は,これらに

ついて,程度が低いとは言え立派に生物学的内容も数量

的実験も含まれているし,「幼童は之を好むこと甚しく

従て其結果も決して悪しくない」と述べている。

 (1)豆の種子を数えて播かせ,その日を記録させる。

  発芽したらその日を記録させ,その豆が何目かかっ

  て発芽したかを問う。生長したら爽を収穫させ,そ

  の数を問う。また,一株からできた爽を調べさせ,

  その中の種子の総数を計算させて,一粒から非常に

  多数にまで殖えることを知らせる。

 (2)4枚羽根の風車を作り校庭を走りまわって回転さ

  せる(A)。羽根を逆に反らして走りまわる(A!)。

  羽根の反った向きと回転の向きとの関係を考える。

  羽根を2枚ずつ逆向きに反らしてみる(B)。1枚だ

  け他の3枚と逆に反らす(C)。ここで教師の助言

  を得て,羽根1枚の風車を回転させる力を1とする

Page 9: 小学校低学年理科設置の論拠づけに関する事例の分析...島根大学教育学部紀要(教育科学)第20巻 85-96頁 昭和61年12月 小学校低学年理科設置の論拠づけに関する事例の分析

鶴  岡

と,以上の結果を,「(A,A1)……1+ユ十1+1=4

でよくまわる(B)……2-2二〇でまわらない(C)

   3-1=2で少しまわる」と表わすことがで

きた(57)o

 4.理科には独自の目的 指導法があり,国語科の中

 で扱うのは不合理である

 従来から,国語科「読本」の題材は,「修身,歴史,

地理,理科其ノ他生活二必須ナル事項」から取る,とい

う規定(明治33年「小学校令施行規則」)があった。特

に大正期に入ってからは,児童中心主義の教育思想の影

響もあって,読本中の理科的教材は増加してきた。例え

ば,大正7年から使用された第三期国定教科書「尋常小

学読本」の特色の1つは,r田園趣味的な教材や理科,

実業,経済および公民に関する教材を多くする」(58〕と

いうことであった。そうした中で,「読本に附帯して理

科を教授せよと主張し,御苦労にも読本にある理科的教

材を取り出し選り出し,如何にも立派な理科教育が行は

れる様に書き立てる連中」で出てきて「似非理科教授」

が行われつつある。しかし,こうしたやり方では,国

語教育も理科教育も物にならないと,諸見里が批判す

る(59)。和田は更に詳しく,以下の批判を展開する。即

ち,読方教授の主眼は,「文字を辿つて他人の思想を理

解するに至らしむる」ことであるが,理科教授は「文字

文章の媒介を待たずに直接に自然物及自然現象から知能

を啓かしむる」ことを主眼とするから,たとえ題材が同

じであっても,両者は本質的に「異なつた目的と異なつ

た取扱ひの仕事」なのである。それ故,それらを無理や

り一緒にして達成しようとすれば,両方に大損失を招来

する。読方の側から言えば,「読書力の基礎を造るべき

初めに当り三四年問も斯様なことをやられては児童の心

意が実物実現象に縛せらる\風が出来,単に文字のみを

辿つて滑かに思を万里の外に馳せ自在に幾千年の昔を想

起する様な働きが到底発達しない」ことになり,「国字

難国語難」を抱えた我が国にとって看過できない。他

方,「初年級理科に於ては文宇に牽制せられたり読本に

控東せられることなしに頗自由に且つ広く大自然に直接

せしめねば科学に入るの第一歩を誤らしめ児童をして適

当な知識を得させないばかりでなく何時になつても科学

学習の真意を捉へさせ得ない仕末になる」から,いかに

初年級といえども,理科は理科として独立させ,断じ

て,「国語科と合の子」にしてはならない(60)。

 以上のとおり,成城小では,国語科からの理科の独立

を訴えるのであるが,低学年理科設置の第2の論拠づけ

と考え合わせると,理科は国語科に対しその基礎の1つ

義  彦 93

となるが,その国語科も早めに実物の拘束から離れる必

要がある,と捉えられていることを付言しておきたい。

 5.従来の理科教育が成果をあげていず,国民に科学

 が根づいていない

 明治19年のr小学校令」公布以後,急速に学令児童の

就学率が上昇し,また読本中に理科的題材がとり上げら

れてきたとはいえ,「理科」という教科が義務教育期間

に入ったのは明治40年からであったから,国民般に科

学が根づいていなかったのは当然かも知れない。しか

し,国語科の中で理科教育ができると主張する者は批判

されることになろう。そしてまた,当時は,広く社会に

科学・技術重視の気運が盛り上がった時期であるから,

理科教育関係者が科学普及を訴えるのも当然と言えよ

う。ただ,例えば諸見里が,「日本人は今,科学熱に罹

り出したところだ」が,「単に一時の流行では駄目」で

ある{61),と指摘し,科学を真に根づかせようとしている

点に注目したい。彼によれば,実杜会で活動している国

民の姿を観察すると,あれでも理科教育を受けたのかと

疑いたくなる程,「科学的訓練が貧弱」で,「形式・実質

・情意陶冶も頗る不徹底」であることが明白となり,科

学は未だまだ根づいていない。その実例として彼が挙げ

る事を,以下に2つ引いておきたい。なお,こうした例

からも,理科教育が国民の生活全般の向上に寄与する,

と捉えられていることがわかる。

 (1)天皇が新潟に行幸の折眼疾の多いことを知り,救

  済のために下賜金を与えられたが,そのお金は盲唖

  学校の建設に充当された。一方同様に眼病の多かっ

  た北欧では,その原因が追求され,光線中の紫外線

  によることが突き止められた。そして紫外線を吸収

  するメガネが発明されて患者が減少した。我が国の

  場合,原因の究明という発想が欠けていた。

 (2)我が国で初めて4学年より理科を実施した,その

  翌年,全国小学教師の理科大会が開催された。誰も

  彼も,「四学年児童は五学年児童より観察・思考…

  ・・総て低級だ」と言う。そこで「如何なる方法で調

  査研究し,さう云う断定が出たか」と質問すると,

  「さう思ふ,感じる」と皆が言った。ところが,同

  材料同問題を与えて4,5年児童の能力を調査して

  みると,必ずしも4学年児の方が低級であるとは言

  えなかった(62)。

V.結   語

以上,新教育運動並びに低学年理科特設運動におい

Page 10: 小学校低学年理科設置の論拠づけに関する事例の分析...島根大学教育学部紀要(教育科学)第20巻 85-96頁 昭和61年12月 小学校低学年理科設置の論拠づけに関する事例の分析

94 小学校低学年理科設置の論拠づけに関する事例の分析

て,中心的位置を占める学校の1つである,私立成城小

学校を取り上げ,そこにおける理科教育の目的観,そし

て低学年理科設置の論拠づけを探ってきた。その論拠づ

けは5つの視点から提えることができた。第1に,低学

年児童期は人類吏の原始時代に相当するという反復説に

立ち,この時期には,自然と直接交渉する児戯的活動が

大切である,とされた。これは,教育の適時性の指摘で

あった。第2は,理科が他教科・諸領域の基礎として寄

与するという点であった。特に,当時の低学年の主要教

科,国語・算術への寄与が論じられ,言葉の獲得,数量

観念の形成にとって大切である,と指摘された。第3点

目は,理科は低学年児童にとって学習困難とする論者に

対する批判であった。即ち,彼らは自然研究が好きであ

るから,理科と言った時,直ちに大人向けの科学書を連

想するような固定観念に因われなければ,理科教育は可

能である。そして,彼らの興味・要求に従った理科教育

でも十分に価値ある教育ができる,との議論が展開され

た。第4は,理科は国語科から独立させるべきである,

との主張であった。従来より読本中に理科的題材が存在

し,それは理科の設置されていなかった4学年以下の読

本でもそうであったが,理科と国語科(読方)との性格

の違いから,理科独立の必要性が論じられた。最後の第

5は,低学年からの理科教育が,国民に科学を根づか

せ,精神面を含む生活を改善する上c不可欠である,と

の論点であった。もちろんこれは,低学年児童期こそ理

科教育開始の適期である,という教育の適時性の認識を

前提としたものであった。

 成城小における,このような論拠づけを,現在の低学

年理科を巡る議論と関係づけると,どんなことが言える

であろうか。筆者は最近の議論の全てを吟味しているわ

けではないので,残念ながら,ここでは,主な点を指摘

するに留める。まず,日本理科教育学会や日本初等理科

教育研究会の見解と,成城小における低学年理科の論拠

づけとに認められる顕著な共通点がある。それは,理科

(自然との直接交渉)が他教科に寄与する,との捉え方

である。日本理科教育学会r小学校低学年理科に関する

要望書」では,「文字や数学の理解や活用も低学年にお

いては,特に実物に即して初めて可能」と言い(63),目

本初等理科教育研究会「小学校教育課程改善に関する要

望書」でも「ゆたかな創造カと言語化や数量化,また表

現力などは,自然をみずみずしい感性で受けとめ,主体

的にイメージを得てそれを具現化していくことによって

育成されます。」と述べている〔64)。一次に,大正期と現代

との状況の違いに目を向けよう。成城小における,低学

年理科設置の論拠づけの土台にある反復説は,教育心理

学において,「現在ではほとんど理論的価値は認められ

なくなっている」(65)という点がある。また,幼稚園の

普及度という点が大きく異なっており,小学校に入学す

る時点での児童の知的レベルには相当の差があると推測

される。これが低学年理科に対して如何なる意味をもつ

のかも十分に検討されなければなるまい。なお、成城幼

稚園は大正14年に創立され,その教育方針の1つとし

て,「幼年時代を原始遊牧時代と考えて」,「散歩と園芸

と動物飼養」を重視している(66)。ところで今日まで,幼

稚園には,「自然」という領域があり,それは主として,

小学校における理科と算数に関わっていたが,最近の低

学年の教育課程改革の動きにおいては,幼稚園との連続

を強調し,児童の具体的な活動や体験を力説しながら,

理科と杜会科とを廃止して「生活科」を設け,現行の理

科と社会科の合計授業時数に比べ,「生活科」の授業時

数は大巾に減らされるというのである(第ユ学年の場合

:理科68+杜会科68=136カ)ら「生活科」102へ)。こう

した改革について,賛成であると否とを問わず,その論

拠を十分明らかにする必要がある。

 最後に,筆者の当面の課題として,成城小における低

学年理科設置の論拠つけを一層明瞭にするために,理科

の教科課程の構成や教授法,そして具体的な授業の姿の

解明を挙げておきたい。

 なお,昭和61年3月本学卒業の清水信江嬢には,小論

作成に関わる文献の収集に際し協力を得た。ここに言己し

て,謝意を表する。

注並びに 引用・参考文献

 主要文献は,以下のように略記する。

 ・r改善私見』……和田八重造r小学理科教育改善私

  見」大正8年,非売品

 ・『最新理科』……諸見里朝賢『児童心理に立脚した最

  新理科教授』大正9年,大日本文華

 ・r理想と実際』・一諸見里朝賢r低学年理科教授の理

  想と実際』大正12年,厚生閣

 ・『玩具』一・平田 巧『玩具による理科教授』大正9

  年,大日本文華

 ・r児童中心』……成城小学校編r児童中心主義の教

  育』大正ユO年,大日本文華

 ・『警鐘』……沢柳政太郎編『現代教育の警鐘』昭和2

  年,民友杜

(1)昭和61年7月29日に新聞発表された。『初等理科教

  育』Vo1.20,No.10.1986年にも収録されている。

(2)例えば,r理科の教育』Vo1.33二No.4.1984年,r教

Page 11: 小学校低学年理科設置の論拠づけに関する事例の分析...島根大学教育学部紀要(教育科学)第20巻 85-96頁 昭和61年12月 小学校低学年理科設置の論拠づけに関する事例の分析

鶴  岡  義  彦 95

  育科学・理科教育』Vo1.17,No.11,ユ985年

(3)r理科の教育』Vo1.34,No.ユ2,P.34.1985年

(4)r初等理科教育』Vo1.20,No.9,P.90.1986年

(5)板倉聖宣r目本理科教育史』p.273,昭和43年,第

  一法規

(6)同上,p.282.

(7)蒲生英男r日木理科教育小吏』p.111,ユ969年,国

  土杜

(8)成城学園五十周年史編集委員会r成城学園五十年』

  pp.316-317,昭和42年,成城学園

(9)蒲生,前掲書p.111.

(1①長谷川純三r低学年理科の歴吏〔1〕」,r理科教室』,

  Vo1.9,No.4,P.65,昭和41年

(11)堀七蔵r日本の理科教育史・第二』p.530.1961

  年,福村書店

(12沢柳政太郎「小学教育」,r児童中心』p.287.引用

  文中,旧字体の漢字は新字体に直した。以下同様。

(13成城小学校創設趣意パンフレット,梅根 悟他r資

  料・日本教育実践史1』PP.316-319.1979年,三省

  堂

(1④ 同上

(1a庄司和晃r成城学園小学校の文献目録』P.23,昭和

  30年,成城学園初等学校

(1⑤佐藤元「沢柳政太郎の教育思想と実践について」,

  r上智教育学研究』pp.29-30,ユ975年

(1η沢柳政太郎が『玩具』に寄せた序

(1③和田は,一高,浦和高,武蔵高に勤務した人物で,

  成城小創設当時は一高にいたと思われる。なお彼の

  博物学者としての著作には次のようなものがある。

  共著r原色目本鉱物図譜』昭和11年,松邑三松堂,

  共訳著『現代生物学』昭和25年,新思潮社

(19ベイレー著,山本源之丞訳r自然研究主義小学校理

  科教授の革新』,訳者による緒言pp.ユ1一ユ2,大正

  8年,大日本図書

12①例えば,日本学術協会・理科教育研究会共催の第6

  回講演会(昭和5年)で,「中学自然科学の改善」

  を講演した。堀,前掲書p.648参照。

e11板倉,前掲書p.283.

⑳ 日本科学吏学会『目本科学技術吏大系・9巻・教育

  2』pp.400-403.1965年,第一法規

㈱加藤性孝「成城文化史概論」,成城高等学校同窓会

  編r成城文化吏』pp.7-10,昭和13年,同会発行

勉)沢柳r小学教育」前掲書p.267.

囲 長田 新「児童中心主義の教育説」,r児童中心』P.

  132.

(26)小西重直r教育の内容的意義」,同上書P.209.

(29

e①

θ1)

(鋤

(鋤

幽)

(36)

(3a

ω(41)

ω

長田,前掲書pp.119-120.

『改善私見』p.ユ6.

『最新理科』p200

『玩具』PP.49-50.

『理想と実際』p.25.

『改善私見』p.ユ6、

同上pp.3-5.

同上pp.5-13.

同上pp.13一ユ4.

同上pp.ユ←15.

『最新理科』p.164.

r改善私見』p.34.

同上p.36.

r理想と実際』pp.341-357.

r玩具』PP.61-77.

『改善私見』p.36.

(側Stemはr玩具』P.75,Ha11はr児童中心』P.202

  で言及されている。

幽)

ω

鯛)

(刎

⑭8)

ω

(5⑪

(51)

(52

側)

(55)

『改善私見』P.2.

島田正蔵r低学年教育の研究」,r警鐘』PP.249-

250.

平田 巧他「漢字教授の研究」,同上書PP.7←76.

島田,前掲書pp.248-249.

平田 巧「数に関する知識の調査と算術教授の始期

問題」,『警鐘』pp.96-101.

谷 騰「児童を自然界に解放せよ」,『教育問題研究』

No.15,p.ユ9,大正10年。

谷 騰「理科教育と情意の酒養」,同上誌,No.20,

p.31大正ユO年

『最新理科』pp.198-199.

諸見里朝賢「理科教育の根本的改造」,r児童中心』

PP.166一ユ67に示された,理科教授の目的の分類は

表4(次頁)のとおりである。

田中末広「児童語彙の研究」,r警鐘』P.26.

r理想と実際』p.ユ2.

『改善私見』pp.39-40.

66)諸見里「理科教授け於ける三大禍根」,「教育問題研

  究』No.13,P.54,大正10年

帽7)

(5砂

(59)

(6①

61)

r改善私見』pp.41-42.

東京書籍杜吏編集委員会r近代教科書の変遷一東京

書籍70年史一』p.280,昭和55年,東京書籍

r理想と実際』P.54.

『改善私見』pp.37-39、

『理想と実際』P.18.

Page 12: 小学校低学年理科設置の論拠づけに関する事例の分析...島根大学教育学部紀要(教育科学)第20巻 85-96頁 昭和61年12月 小学校低学年理科設置の論拠づけに関する事例の分析

96 小学校低学年理科設置の論拠づけに関する事例の分析

(62)諸見里「理科教育の根本的改造」r児童中心』pp.

 141-146.

㈱ r理科の教育』Vo1.34,No.ユ2,P.84.1985年

(64)r初等理科教育』Vo1.20,No.9,,P.90、ユ986年

(65〕依田 新監修r新・教育心理学事典』p.633,ユ977

 年,金子書房,浅見千鶴子執筆

㈱小原国芳r日本の新学校』p.458,昭和5年,玉川学

 園出版部

身体

表4 理科教授の目的の分類(諸見里)

16 ユ5 ユ4 13 12 11 10 9  8  7  6  5  4  3  2  1

身宗道自自正思科物物普発創実思観体教徳然然当想学質質遍表造証考察の的的の美な豊的文生的ののののの強信信愛の世富知明活能能能能能能壮念念好識界 識のにカカカカカカ     得観   理必          解要           な           知           識