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1 ナショナリズムの古典的二分法 「国民国家とナショナリズム」第二回:2008107 総合政策学部 田島英一 前「国民国家」時代としての「帝国」 y その文明性・中心性・宗教性 B アンダーソンはナショナリズムに先行B.アンダーソンはナショナリズムに先行ショナリズムがそれに抗いつつ生まれた文化シ ステムとして、「宗教共同体」と「王国」を考 えた。「宗教共同体」の例としてキリスト教世 界、イスラーム共同体、中華があげられている。 そしてこれら共同体なくとも歴史のある そしてこれら共同体なくとも歴史のある 時期において、「帝国」として具現化している。 y 文明性:広大無辺な領域、その外に広がる空間 は「野蛮」と「非人間性」が支配。 ex. 「四海」の「海」と「晦」。

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ナショナリズムの古典的二分法

「国民国家とナショナリズム」第二回:2008年10月7日

総合政策学部

田島英一

前「国民国家」時代としての「帝国」

その文明性・中心性・宗教性

Bアンダーソンはナショナリズムに先行し ナB.アンダーソンはナショナリズムに先行し、ナ

ショナリズムがそれに抗いつつ生まれた文化システムとして、「宗教共同体」と「王国」を考えた。「宗教共同体」の例としてキリスト教世界、イスラーム共同体、中華があげられている。そしてこれら共同体は、少なくとも歴史のあるそしてこれら共同体は、少なくとも歴史のある時期において、「帝国」として具現化している。

文明性:広大無辺な領域、その外に広がる空間は「野蛮」と「非人間性」が支配。

ex. 「四海」の「海」と「晦」。

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世界の中心性と宗教的文明

帝都の多くは聖地であり、文明の精髄であり、世界の中心である。界

ローマ、メッカ、天子

エリアーデの宗教論

「均質な俗空間のなかでこのような裂目によって創られる<中心>から、人は超世界的なものとの交流に入る…世界はそれが聖なる世界として啓 される限り 世界 な し (宇啓示される限り<世界>ないし<コスモス(宇宙)>と認められるのである。(『聖と俗』より)

ナショナリズムとは、世界の多中心化、(表面的)世俗化、文化化の契機であった。

帝国から国民国家へ

「聖なる言語」:文字を司る神官→文官。

「国民」ないし「民族」の創成は 脱宗教 脱「国民」ないし「民族」の創成は、脱宗教、脱中心、脱文明、脱書記語という方向になりがち。

あらたな「中心」の設定とともに生まれる「国語」。

フランス大革命(1789年)による「国民国家」フ

ランス共和国の誕生は やがてドイツを中心にランス共和国の誕生は、やがてドイツを中心に宗教的権威によって支えられた神聖ローマ帝国の滅亡(1806年)をもたらした。(フランスとドイツの因縁)

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ナショナリズムは生むのか、生まれるのか?

生む

帝国の意図的、発展的解消としての国民国家。帝国の意図的、発展的解消としての国民国家。

学術的立場としては、後の近代主義に。

生まれる

帝国の宿命的崩壊から生まれる、必然としての民族。

学術的立場としては、後の原初主義に。学術的立場としては、後の原初主義に。

よく言われるのは…生むフランス、生まれるドイツ。

ジャン=ジャック・ルソー(Jean‐Jacques Rousseau)…フランス的「国民」観1

1712年-1778年。

フランス革命(1789年)の“教祖”フランス革命(1789年)の 教祖 。

『社会契約論』(1762年)

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J.J.ルソーの国家構想

生得的権利の意図的譲渡(社会契約)

奴隷なき社会の「奴隷の自由」奴隷なき社会の「奴隷の自由」

一般意志という仮構

cf. 国家無答責原則、米国的民主主義との違い。

中間組織の排除

cf. A.トクヴィルが見た米国の意味。

宗教の制限宗教の制限

「人間の宗教」「市民の宗教」「僧侶の宗教」と、「僧侶の宗教」に対する敵意。ナショナリズムの情念的側面を引き受けうる「市民の宗教」。

E.ルナン(Joseph Ernest Renan)…フランス的「国民」観2

1823年-1892年。

『イエス伝』を執筆した自由主義神学の祖『イエス伝』を執筆した自由主義神学の祖。

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E.ルナンの国民国家観

『国民とは何か?』(ソルボンヌ講演)

帝国:勝利するたびにトルコは滅んでゆく帝国:勝利するたびにトルコは滅んでゆく。

歴史:国民の本質とは、すべての個人が多くの事柄を共有し、また全員が多くのことを忘れていることである。

ヴォランタリィーな「国民」:個人の存在が絶えざる肯定であると同じく 国民の存在は日々えざる肯定であると同じく、国民の存在は日々の人民投票である。(強制的統一の否定)

意志的行為であるという意味においてルソーに近似。

J.G.フィヒテ(Johann Gottlieb Fichte)…ドイツ的「国民」観

1762年-1814年。

ナポレオン軍占領下における講演『ドイツ国民ナポレオン軍占領下における講演『ドイツ国民に告ぐ』(1807年-1808年)。

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フィヒテ:NationではなくVolk

自然発生的な言語共同体としてのVolk。自然言語としてのドイツ語 (cf「死語」)自然言語としてのドイツ語。(cf.「死語」)

不純物としての「ラテン」。

原始回帰による「公」の復興。

それを担保するのは旧来の教会ではなく国家。

つまり、純粋にして自然な言語共同体としてのVolkを維持発展せしめ、「精神的教養」(公共

精神)が「生活」(私人空間)に浸透する条件を整えるのが国家。

インヴォランタリーな共同体。

H.コーン(HansKohn)

1891年-1971年。

プラハ生まれ、NYシティ・カレッジ歴史学教授。

『ナショナリズムの思想』(1944年)

近代主義の基礎を築く。

コーンのダイコトミー

「よい」ナシ ナリズムとしての「西型」「よい」ナショナリズムとしての「西型」、「悪い」ナショナリズムとしての「東型」。

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楽天主義と東方蔑視

大西洋海岸地域が生んだとする「近代」とナショナリズムへの積極評価。リズムへの積極評価。

“個人としての市民の権利を、政治の権利や宗教の教条主義から守るための闘い”(cf. ルソー的民主主義と国民国家観)

西欧化された他者としてのロシア。

異なる伝統と社会構造を持つ世界(ドイツ→ロシアアジア)へのナショナリズム拡散と 近代蔑視と→アジア)へのナショナリズム拡散と、近代蔑視と

しての共産主義、ファシズムの誕生。

社会不在の国民-国家という西型契約システムに、危険はないのか?奴隷が支えた英仏米の繁栄という側面を、無視してもよいのか?

参考文献

ルナン等『国民とは何か』(インスクリプト)ルナン等『国民とは何か』(インスクリプト)

ルソー『社会契約論』(岩波文庫)

フィヒテ『ドイツ国民に告ぐ』(岩波文庫)

コーン『自由西欧は没落するか』(公論社)

エリアーデ『聖と俗』(法政大学出版局)