平成23年度 戦略研究 実施経過報告書...3.放射線耐性菌であるDeinococcus...

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平成23年度 戦略研究 完了・ 実施経過 報告書 実施組織 東京薬科大学 (大学院生命科学研究科 5年間中4年目 研究プロジ ェクト名 生物の環境適応の分子機構解明に関する総合研究 70,751,928研究代表者 研究室名 細胞機能学 教授 山岸 明彦 研究統括 班長・分子レベルでの環境応答研究の推進 研究分担者 細胞機能学 助教 赤沼 哲史 分子レベルでの環境応答研究の推進 生物情報科学 教授 小島 正樹 分子レベルでの環境応答研究の推進 細胞機能学 講師 横堀 伸一 細胞レベルでの環境応答研究の推進 環境分子生物学 教授 太田 敏博 細胞レベルでの環境応答研究の推進 分子細胞生物学 教授 多賀谷 光男 班長・細胞レベルでの環境応答研究の推進 環境ストレス生理学 准教授 高橋 細胞レベルでの環境応答研究の推進 環境応答生物学 助教 岡田 克彦 細胞レベルでの環境応答研究の推進 基礎生命科学 教授 井上 英史 班長・個体レベルでの環境応答研究の推進 分子生化学 講師 福田 敏史 個体レベルでの環境応答研究の推進 生物有機化学研究室 教授 伊藤 久央 班長・低分子検出高感度化研究の推進 環境衛生化学 准教授 内田 達也 低分子検出高感度化研究の推進 環境衛生化学 助教 熊田 英峰 低分子検出高感度化研究の推進 環境衛生化学 助教 青木 元秀 低分子検出高感度化研究の推進 研究成果の概要 【内容】環境因子の生物に対する影響とそれに対する生物応答を分子、細胞、個体各レベルで研究し た。これに、さらに環境中の無機有機低分子化合物の分析感度向上の為の開発研究を行った。環境因 子は様々なレベルで異なった影響を生物に対して与える。こうした環境因子の影響とそれに対する生 物応答を総合的に検討した。異なった生物種でそれぞれ最も重要な環境因子に焦点をあて、個体、細 胞、分子各レベルで環境応答を総合的に研究した。 【個別研究】 1.昨年度までに明らかにした低温高活性化原理に基づいて、複数の耐熱性酵素の低温高活性化に成 功した。祖先型タンパク質設計法により全生物共通祖先タンパク質が高い耐熱性有していたことを 明らかにした。 2.(beta/alpha) 8 バレルタンパク質である Bacillus circulans 由来キチナーゼ D の溶液中の立体構 造を行い、溶液中の立体構造を SAXS 法を用いて解析した。また別の (beta/alpha) 8 バレルタンパク 質である ePRAI との熱安定性の相関解析を行うため、キチナーゼ D の熱変性シミュレーションを行 った。 3.放射線耐性菌である Deinococcus radiodurans などの菌株の放射線耐性および紫外線耐性の測定 をおこなった。これらの株が宇宙空間で長期間生存できることを推定した。 4.絶対好気性高度好熱菌における DNA の酸化損傷に対する防御系と酸化塩基 8-ヒドロキシグアニン の修復系とのネットワークについて解析した。長鎖ポリアミン合成欠損株、カロテノイド色素合成 欠損株の過酸化水素に対する感受性を調べた。 5.小胞体には syntaxin18 以外に、syntaxin17 および syntaxin5 (long form)が存在する。小胞体に 存在する syntaxin5 (long form)が、微小管結合タンパク質と相互作用し、小胞体の構築に関与し ていることを明らかにした。 6.ストレス応答性転写因子 ATF5 がストレスのみならず IL- 刺激によってもその mRNA の翻訳効率 が上昇し、免疫応答に関する遺伝子の転写を調節していることを明らかにした。 1

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平成23年度 戦略研究 完了・実施経過 報告書

実 施 組 織 東京薬科大学 (大学院生命科学研究科) 年 次 計 画

5年間中4年目

研究プロジ ェクト名

生物の環境適応の分子機構解明に関する総合研究 所 要 経 費

70,751,928円

研究代表者

研究室名 職 名 氏 名 研 究 の 役 割 分 担

細胞機能学 教授 山岸 明彦 研究統括

班長・分子レベルでの環境応答研究の推進

研究分担者

細胞機能学 助教 赤沼 哲史 分子レベルでの環境応答研究の推進

生物情報科学 教授 小島 正樹 分子レベルでの環境応答研究の推進

細胞機能学 講師 横堀 伸一 細胞レベルでの環境応答研究の推進

環境分子生物学 教授 太田 敏博 細胞レベルでの環境応答研究の推進

分子細胞生物学 教授 多賀谷 光男 班長・細胞レベルでの環境応答研究の推進

環境ストレス生理学

准教授 高橋 滋 細胞レベルでの環境応答研究の推進

環境応答生物学 助教 岡田 克彦 細胞レベルでの環境応答研究の推進

基礎生命科学 教授 井上 英史 班長・個体レベルでの環境応答研究の推進

分子生化学 講師 福田 敏史 個体レベルでの環境応答研究の推進

生物有機化学研究室 教授 伊藤 久央 班長・低分子検出高感度化研究の推進

環境衛生化学 准教授 内田 達也 低分子検出高感度化研究の推進

環境衛生化学 助教 熊田 英峰 低分子検出高感度化研究の推進

環境衛生化学 助教 青木 元秀 低分子検出高感度化研究の推進

研究成果の概要

【内容】環境因子の生物に対する影響とそれに対する生物応答を分子、細胞、個体各レベルで研究し

た。これに、さらに環境中の無機有機低分子化合物の分析感度向上の為の開発研究を行った。環境因

子は様々なレベルで異なった影響を生物に対して与える。こうした環境因子の影響とそれに対する生

物応答を総合的に検討した。異なった生物種でそれぞれ最も重要な環境因子に焦点をあて、個体、細

胞、分子各レベルで環境応答を総合的に研究した。

【個別研究】

1.昨年度までに明らかにした低温高活性化原理に基づいて、複数の耐熱性酵素の低温高活性化に成

功した。祖先型タンパク質設計法により全生物共通祖先タンパク質が高い耐熱性有していたことを

明らかにした。

2.(beta/alpha)8バレルタンパク質である Bacillus circulans 由来キチナーゼ D の溶液中の立体構

造を行い、溶液中の立体構造を SAXS法を用いて解析した。また別の (beta/alpha)8バレルタンパク

質である ePRAIとの熱安定性の相関解析を行うため、キチナーゼ Dの熱変性シミュレーションを行

った。

3.放射線耐性菌である Deinococcus radiodurans などの菌株の放射線耐性および紫外線耐性の測定をおこなった。これらの株が宇宙空間で長期間生存できることを推定した。

4.絶対好気性高度好熱菌における DNA の酸化損傷に対する防御系と酸化塩基 8-ヒドロキシグアニン

の修復系とのネットワークについて解析した。長鎖ポリアミン合成欠損株、カロテノイド色素合成

欠損株の過酸化水素に対する感受性を調べた。

5.小胞体には syntaxin18以外に、syntaxin17および syntaxin5 (long form)が存在する。小胞体に

存在する syntaxin5 (long form)が、微小管結合タンパク質と相互作用し、小胞体の構築に関与し

ていることを明らかにした。

6.ストレス応答性転写因子 ATF5がストレスのみならず IL- 刺激によってもその mRNAの翻訳効率

が上昇し、免疫応答に関する遺伝子の転写を調節していることを明らかにした。

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7.シアノバクテリア Synechosysteisの光による解糖系酵素遺伝子の発現のスペクトルの測定に成功した。

8.カカオ抽出物プロシアニジン画分が C.elegans の寿命を延長するが、少なくとも Procyanidin B2

と Procyanidin C1 がその有効成分であることが明らかになった。また、CaMKII/p38 MAP キナー

ゼ経路が CLPrによる長寿命化に必要であることが明らかになった。

9.CAMDIノックアウトマウスの組織学的解析を行なった。樹状突起形成や異常や神経活動の低下など

を見出した。バッククロスが終了し、予備的な行動学的解析も行なった。

10.すでに開発された蛍光分子にリンカーを導入し、亜鉛イオンとルイス塩基に対する応答について

検討した。その結果、リンカーを導入した分子においても亜鉛イオンと2波長性の応答を示し、さ

らに亜鉛錯体に塩基であるリン酸イオンを加えたところ、これもまた2波長性の応答を示すことが

明らかとなった。また、カドミウムイオンに選択的に応答する蛍光分子の開発に成功した。

11,生菌をセンサ上に高密度に固定し、「生きた」バイオセンサを開発した。これによって、細胞外

のタンパク質との結合、ウイルス感染挙動のリアルタイム計測を可能とした。

12. 自然環境中での生命体由来化学情報の取得に関して、土壌中リン脂質の簡易一斉分析方法確立の

前段階として、リン脂質を網羅的に検出するための LC/MS/MS メソッドを確立した。さらに、マツ

科植物樹脂やゴムに由来するジテルペン類(レジン酸)が道路交通で発生する非排ガス粉塵のマー

カー化合物として有用であることを示すことができた。

13.人為的環境ストレスに対する細胞膜脂質構成成分変化の定量化に関して、重金属ストレス条件下に

おけるラン藻 Synechocystisおよび緑藻 Chlorellaの生体膜脂質の挙動を解析し、ストレスに応答する脂質バイオマーカーを同定した。さらに、タリウムによる生育毒性が生体膜脂質代謝と膜構造

の健全性に密接に関連していることが明らかにした。

【研究連携に基づく成果】

細胞機能学研究室が設計した祖先型タンパク質を生物情報研究室の持つ技法である NMR 法および

SAXS法により構造解析した。

環境分子生物学研究室は細胞機能学研究室と連携して、好熱菌のもつポリアミンの分析を行った。

分子細胞生物学研究室は基礎生命化学研究室と連携して線虫(C. elegans)の Syntaxin17ノックダ

ウン実験を行った。リソソームへの影響が推定された。

分子生化学研究室は環境ストレス研究室と連携して、ATF5 ノックアウトマウスの大脳皮質神経細胞

形成に関する研究を行った。神経細胞の移動に異常がみられた。

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タンパク質と酵素の温度適応

山岸 明彦(細胞機能学研究室・教授)

赤沼 哲史(細胞機能学研究室・助教)

1. 当初の研究目標

生物は進化の過程において、環境の変化に応答して新しい環境に適応進化してきた。

とくに、生物は地球表面の温度変化、局所環境の温度変化等の生育環境における温度の

変化に幾度となく直面してきたはずであり、その都度、生物は変化した温度に適応する

ための進化を繰り返してきた。生物の温度変化への適応には、その生物が持つ生体分子

を、変化した環境の温度へと適応させることが必要である。本研究では、タンパク質立

体構造の低温適応、あるいは、高温適応の仕組みを明らかにすることを目的とし、タン

パク質の耐熱化設計と好熱菌由来耐熱性酵素の低温適応設計とを行う。さらには、人工

設計したタンパク質の応用的利用についても検討する。

これまでの研究から、基質あるいは補酵素との結合に関与する非極性アミノ酸側鎖の

体積をわずかに変化させることによって、耐熱性を低下させることなく好熱菌 Thermus

thermophilus 由来耐熱性 3-イソプロピルリンゴ酸脱水素酵素と乳酸脱水素酵素の低温

活性を向上できることを明らかにしてきた。そこで、この高活性化戦略を用いて、

T.thermophilus 由来イソクエン酸脱水素酵素、好熱性古細菌 Thermoplasma

acidophilum 由来グルコース脱水素酵素、T.thermophilus 由来ラッカーゼを低温高活性

化することが可能であるか実験的に検証する。さらに、耐熱性 3-イソプロピルリンゴ酸

脱水素酵素で見出された複数の低温高活性化に寄与するアミノ酸置換の相乗効果につ

いても検討をおこなう。

これまでに、進化系統解析を利用したタンパク質の祖先型設計法により、高い耐熱性

を有するヌクレオシド二リン酸キナーゼ、DNA ジャイレースサブユニット B を合成して

きた。そこで、「細胞レベルでの環境応答」チームの横堀との連携により、解析に用い

る配列数を増やした相同タンパク質のマルチプルアライメントに基づいた進化系統解

析をおこない、これまでよりも信頼性の高いヌクレオシド二リン酸キナーゼの祖先型ア

ミノ酸配列を推定する。推定したアミノ酸配列に対応する遺伝子を合成し、大腸菌内で

発現させる。さらに、祖先型酵素の精製し、耐熱性および触媒活性の解析を行う。祖先

型アミノ酸が一意的には決定できない部位については、複数のアミノ酸を検討する。

さらに、生物情報科学研究室との連携により、タンパク質工学的手法と X 線小角散乱

法、NMR 法を組み合わせた手法による、TIM バレルタンパク質の立体構造、および、

折りたたみ反応の分子環境適応についての研究もおこなう。

2. 研究成果の概要

好熱菌由来乳酸脱水素酵素の補酵素結合、非極性アミノ酸の置換による低温での高活

性化の検証、複数のアミノ酸置換の相乗効果の検討、祖先型アミノ酸配列を持つタンパ

ク質の耐熱性から全生物共通祖先の生育温度の推定、および、生物情報科学研究室と連

携による祖先型タンパク質の耐熱性獲得機構の解明を指向した研究をおこなった。その

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成果の概要は以下のようになる。

(1) 好熱菌由来乳酸脱水素酵素の低温高活性化

既に、好熱菌由来イソプロピルリンゴ酸脱水素酵素と乳酸脱水素酵素において、補

酵素NADのアデニン環と相互作用する非極性アミノ酸の側鎖の大きさをメチル基一

つ分大きくするか小さくすることによって、元々持つ高い耐熱性を損ねることなく、

低温( 25℃)における酵素活性を向上できることを見いだした。そこで、

T.thermophilus 由来イソクエン酸脱水素酵素、好熱性古細菌 T. acidophilum 由来グ

ルコース脱水素酵素、T.thermophilus 由来ラッカーゼの補酵素、あるいは、基質結

合部位の非極性アミノ酸を他の非極性アミノ酸に置換することによって、これらの好

熱菌由来酵素を、耐熱性を損ねることなく 25℃での酵素活性を改善できるか検証し

た。その結果から、イソクエン酸脱水素酵素とグルコース脱水素酵素において、低温

高活性化した改変体の獲得に成功した。この結果から、補酵素結合に関わる非極性ア

ミノ酸の側鎖サイズをわずかに変化させることが、好熱菌由来脱水素酵素の一般的な

低温高活性化法になる可能性が高いことが明らかになった。一方で、好熱菌由来ラッ

カーゼにおいては、現在までのところ、低温高活性化変異体の獲得には至っておらず、

引き続き変異導入部位の検討を進めている。

(2) 低温高活性化に寄与する複数のアミノ酸置換の相乗効果

T.thermophilus 由来耐熱性 3-イソプロピルリンゴ酸脱水素酵素で見出された複数

の低温高活性化に寄与するアミノ酸置換を組み合わせた改変体を作製し、それらのア

ミノ酸置換の相乗効果を検討した。その結果、どの検討したすべての組み合わせにお

いて、単独のアミノ酸置換に比べて、酵素活性の減少が見られた。この結果は、複数

のアミノ酸置換を同時に活性部位近傍に導入すると、活性部位の構造変化が大きくな

りすぎるためであると解釈した。この結果と、補酵素結合残基の置換による低温高活

性化が、いずれもメチル基一つ分の増減という側鎖体積のわずかな変化によってもた

らされているという事実から複数のアミノ酸置換により加算的に高活性化するため

には、活性部位から離れたアミノ酸置換を組み合わせることが必要であることが示唆

された。

(3) 祖先型タンパク質の作製による全生物共通祖先の生育温度の推定

これまでに、比較的少数の現存アミノ酸配列を用いた解析から、真正細菌共通祖先

および古細菌共通祖先型ヌクレオシド二リン酸キナーゼを設計、合成したところ、ど

ちらの祖先型酵素とも高い耐熱性を有することが分かった。しかしながら、実際に進

化の過程で存在したであろうアミノ酸配列を推定するためには、より確度の高い解析

が必要である。特に解析に用いるデータセットが十分に大きいことが重要である。そ

こで、約 500 配列から解析には適さない配列を除き、残った 204 配列を用いて、再

度、真正細菌共通祖先および古細菌共通祖先型ヌクレオシド二リン酸キナーゼのアミ

ノ酸配列を推定した。解析の途中で、尤度に大きな違いのない2つの分子系統樹が得

られたので、両方の樹形を用いて祖先型配列の推定をおこなった。得られた複数の祖

先型アミノ酸配列をすべて逆翻訳し、それぞれのアミノ酸配列をコードする遺伝子を

合成した。これらの遺伝子を大腸菌内で発現させ、祖先型タンパク質を調製した。精

製した祖先型ヌクレオシド二リン酸キナーゼの変性温度を測定したところ、すべての

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祖先型タンパク質において、変性温度が約 100℃、あるいはそれ以上であり、いずれ

も高い耐熱性を有することが示された。この結果は、真正細菌共通祖先生物、古細菌

共通祖先生物ともに(超)好熱菌であったとする仮説と一致した。また、復元した祖

先型ヌクレオシド二リン酸キナーゼのうち、もっとも耐熱性の低いタンパク質の部位

特異的変異導入解析から、全生物の共通祖先生物も(超)好熱菌であった可能性が高

いことが分かった。

(4) 祖先型設計法により合成した祖先型ヌクレオシド二リン酸キナーゼの耐熱化機構

として、コンパクトな変性構造を持つ可能性が考えられた。そこで、生物情報科学研

究室の小島らが開発した SAXS 測定法により、変性構造のコンパクトさを定量する

ための準備をおこなった。今後の研究の進捗により、祖先型ヌクレオシド二リン酸キ

ナーゼが有する高い耐熱性の構造的、熱力学的基盤が明らかとなる可能性がある。

3. 研究評価及び今後の研究計画

複数の好熱菌由来耐熱性脱水素酵素の低温における触媒活性を、補酵素結合に関わる

非極性アミノ酸の側鎖の大きさをメチル基一つ分増減することにより高活性化するこ

とに成功した。このことから、補酵素との結合に関わる非極性アミノ酸側鎖の大きさの

変化が、耐熱性酵素の合理的低温高活性化設計法になり得ることが明らかとなった。こ

の結果は、好熱菌酵素一般に適用可能な合理的低温高活性化設計法を確立するという当

初の目的を達成したことになる。さらに、次年度以降、他の酵素、特に産業利用におい

て低温高活性化が望まれる他の耐熱性酵素への応用の実現が十分に期待できる。

一方で、もう一つの目的である好熱菌酵素の低温活性を常温生物由来酵素並にまで高

めるため、単独で高活性化に寄与する複数のアミノ酸置換を同時に導入することによる

相乗効果の検討からは、期待した結果は得られなかった。しかしながら、この結果から、

好熱菌酵素の低温活性を常温生物由来酵素並に高めるためには、活性部位から離れたア

ミノ酸残基の置換が必要であることを示したので、次年度以降に、活性部位から離れた

部位における低温高活性化変異の探索する必要性が分かった。

200 を超えるアミノ酸配列の解析により作製した異なる系統樹を元に、いくつかの祖

先型ヌクレオシド二リン酸キナーゼを復元したが、いずれの祖先型タンパク質も非常に

高い耐熱性を有していた。このことは、祖先生物が高温環境で生育していたことを示す

重要な証拠となる。しかしながら、祖先配列推定法が祖先アミノ酸を一義的には推定で

きないとい事実から、これまでに推定した祖先型配列が、本当に祖先生物が持っていた

タンパク質の配列と一致するかについて疑問が残っている。そこで、次年度に、推定し

た祖先型アミノ酸の事後確率の低い部位に、事後確率が2番目に高いアミノ酸を導入し

た際に、タンパク質の耐熱性がどのように変化するか調べる。2番目に事後確率が高い

アミノ酸を導入しても、耐熱性に大きな影響がないことが分かれば、祖先生物が持って

いたタンパク質の配列が完全には分からなくても、祖先タンパク質が高い耐熱性を有し

ていたことははっきりと示せるため、現在まで激しい議論の絶えない、祖先生物の常温

菌説、好熱菌説に決着をつけ、全生物共通祖先が好熱性であったことを実験的に証明で

きると期待される。

生物情報科学研究室と連携することにより、タンパク質工学手法と SAXS 法、NMR

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法を組み合わせて、TIM バレルフォールドとい基本構造から2次構造要素を足したり

除いたりすることによって、安定性や折りたたみ反応がどのような影響を受けるか検討

し、セグメントごとの安定性や折りたたみにおける役割を同定した。次年度は、さらに

生物情報科学研究室との連携を強化することで、復元した祖先型ヌクレオシド二リン酸

キナーゼが有する高い耐熱性の構造的、熱力学的基盤を明らにすることができると期待

される。

4. 研究成果の発表

原著論文

(1) Hayashi, S., Akanuma, S., Onuki, W., Tokunaga, C., Yamagishi A.

Substitutions of coenzyme-binding, non-polar residues improve the low-temperature

activity of thermophilic dehydrogenases.

Biochemistry 50, 8583–8593 (2011).

(2) Akanuma, S., Iwami, S., Yokoi, T., Nakamura, N., Watanabe, H., Yokobori, S.,

Yamagishi, A.

Phylogeny-based design of a B-subunit of DNA gyrase and its ATPase domain using a

small set of homologous amino acid sequences.

J. Mol. Biol. 412, 212–225 (2011).

(3) Matsumoto, A.A., Akanuma, S., Motoi, M., Yamagishi, A., Ohno, N.

Partial purification and characterization of polyphenoloxidase from Culinary -Medicinal

Royal Sun Mushroom (the Himematsutake), Agaricus brasiliensis S. Wasser et al.

(Agaricomycetideae).

Int. J. Med. Mush. 13, 73–82 (2011).

国際学会発表

(1) Akanuma, S., Yokobori, S., Yamagishi, A.

Thermal stability and catalytic property of an artificial ATPase domain of DNA gyrase

produced by the ancestral design method.

IXth European Symposium of The Protein Society, 2011/5, Stockholm, Sweden

国内学会発表

(1) 赤沼哲史、徳永千尋、大貫若菜、林清香、山岸明彦

補酵素結合残基の置換による好熱菌由来脱水素酵素の低温高活性化

第 11 回日本蛋白質科学会年会、2011 年6月、大阪

(2) 山口美奈子、赤沼哲史、小林愛美、山岸明彦

祖先型設計した相同性の高い 2 つの酵素の比較から 100℃を超える耐熱性獲得機構

を探る

第 11 回日本蛋白質科学会年会、2011 年6月、大阪

(3) 糸賀響、玉腰雅忠、赤沼哲史、山岸明彦

高度好熱菌 Thermus thermophilus HB27 の線毛構造タンパク質の発現系構築

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第 11 回日本蛋白質科学会年会、2011 年6月、大阪

(4) 赤沼哲史、林清香、大貫若菜、徳永千尋、山岸明彦

補酵素結合非極性残基の置換による好熱菌由来脱水素酵素の低温高活性化

第 63 回日本生物工学会大会、2011 年9月、小金井

(5) 赤沼哲史、岩見祥子、中村奈々、横井珠希、渡辺英哲、横堀伸一、山岸明彦

祖先型設計による耐熱性を有する DNA ジャイレース由来 ATPase ドメインの構築

第 84 回日本生化学会年会、2011 年9月、京都

(6) 徳永千尋、徳田健、赤沼哲史、山岸明彦

Thermoplasma acidophilum 由来グリセロール -1-リン酸デヒドロゲナーゼの構造機能

解析

第 84 回日本生化学会年会、2011 年9月、京都

(7) 島田真実、松江久美、佐藤結、赤沼哲史、山岸明彦

アミノ酸組成を単純化した酵素の作成と解析

第 84 回日本生化学会年会、2011 年9月、京都

(8) 八木創太、福田真己、松本茜、赤沼哲史、山岸明彦

電荷アミノ酸による疎水性表面を持つタンパク質の溶解性の回復

第 84 回日本生化学会年会、2011 年9月、京都

(9) Akanuma, S., Nakajima, Y., Yokobori, S., Yamagishi, A.

Approaching the sequence of the universal common ancestor generates thermally stable

proteins.

International Symposium on Synthesizing Life and Biological Systems & 細胞を創る研究

会 4.0、2011 年 10 月、大阪

(10) Tokunaga, C., Akanuma, S., Onuki, W., Hayashi, S., Yamagishi, A.

Adaptation of a thermophilic enzyme to lower temperature by laboratory evolution .

International Symposium on Synthesizing Life and Biological Systems & 細胞を創る研究

会 4.0、2011 年 10 月、大阪

(11) Nakajima, Y., Akanuma, S., Kimura, M., Yokobori, S., Yamagishi, A.

Ancestral sequence reconstruction to inter the thermostabilities of ancestral proteins .

International Symposium on Synthesizing Life and Biological Systems & 細胞を創る研究

会 4.0、2011 年 10 月、大阪

(12) Shimada, M., Akanuma, S., Yamagishi, A.

Restricting the amino acid usage of a designed ancestral nucleoside diphosphate kinase .

International Symposium on Synthesizing Life and Biological Systems & 細胞を創る研究

会 4.0、2011 年 10 月、大阪

(13) Yagi, S., Fukuda, M., Matsumoto, A., Akanuma, S., Yamagishi, A.

Additional charged residues inhibit protein aggregation caused by a hydrophobic surface .

International Symposium on Synthesizing Life and Biological Systems & 細胞を創る研究

会 4.0、2011 年 10 月、大阪

(14) 赤沼哲史、島田真実、中島慶樹、横堀伸一、山岸明彦

分子系統解析とタンパク質工学による初期タンパク質の復元と解析

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第 4 回アストロバイオロジー・ワークショップ、2011 年 11 月、神戸

(15) 福田真己、小松勇、森河良太、宮川毅、高須昌子、赤沼哲史、山岸明彦

超好熱菌由来タンパク質を用いたタンパク質結合のシミュレーション

第 25 回分子シミュレーション討論会、2011 年 12 月、東京

(16) 赤沼哲史、横堀伸一、山岸明彦

相同アミノ酸配列の分子系統解析による耐熱性タンパク質の設計

第 34 回日本分子生物学会年会、2011 年 12 月、横浜

(17) 坂本さやか、赤沼哲史、宮井沙織、松本明子、山岸明彦、元井益郎、大野尚仁

酵母を用いた Agaricus brasiliensis 由来マンガンペルオキシダーゼの発現と精製

第 34 回日本分子生物学会年会、2011 年 12 月、横浜

(18) 八木創太、福田真己、松本茜、赤沼哲史、山岸明彦

ヘリックスバンドルタンパク質表面の疎水性アミノ酸による凝集と電荷アミノ酸に

よる凝集抑制

第 34 回日本分子生物学会年会、2011 年 12 月、横浜

(19) 島田真実、赤沼哲史、山岸明彦

祖先型ヌクレオチド二リン酸キナーゼのアミノ酸組成を単純化する試み

第 34 回日本分子生物学会年会、2011 年 12 月、横浜

(20) 徳永千尋、赤沼哲史、大貫若菜、林清香、山岸明彦

NAD のアデニン環と相互作用する部位の変異による好熱菌由来酵素の低温高活性化

第 34 回日本分子生物学会年会、2011 年 12 月、横浜

(21) 赤沼哲史、徳永千尋、下田有希子、二宮拓也、中島慶樹、山口美奈子、横堀伸一、

山岸明彦

酵素の温度適応化:好熱菌酵素の低温高活性化と祖先型設計による耐熱性酵素の創出

生物物理関東地区研究会、2012 年3月、小金井

(22) 島田真実、赤沼哲史、山岸明彦

限られたアミノ酸から安定なタンパク質が創れるか?

生物物理関東地区研究会、2012 年3月、小金井

(23) 八木創太、福田真己、松本茜、赤沼哲史、山岸明彦

疎水性表面を持つタンパク質の溶解性の回復

生物物理関東地区研究会、2012 年3月、小金井

(24) 福田真己、小松勇、森河良太、宮川毅、高須昌子、赤沼哲史、山岸明彦

4へリックスバンドル構造をモデルとしたタンパク質結合のシミュレーション

日本物理学会第 67 回年次大会、2012 年3月、西宮

8

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(/)バレルタンパク質の熱安定化機構の解明

小島 正樹(生物情報科学研究室・教授)

1. 当初の研究目標

(/)8バレル(TIMバレル)は、8個のストランドとヘリックスがbarrel状にパッキ

ングした構造をとり、天然で最も高頻度で存在する基本フォールドである。 /8バレ

ル構造を有するタンパク質は殆どが酵素として働くが、触媒する反応は多様である。一

次構造上も必ずしも相同性がある訳ではなく、多様なアミノ酸配列鎖が特定の立体構造

へと折り畳まれる典型例となっている。一般にタンパク質のサイズが大きくなると、複

数のフォールディング単位を持つとされているが、このような単位は部分断片として取

り出しても単独で立体構造を保持することが多い。本研究では、種々の生物由来のタン

パク質の(/)8バレル構造の解明を通じて、その配列・構造とタンパク質の機能および

生物の生育環境との相関を明らかにすることを目的とする。特に好熱菌由来タンパク質

との比較を通じて、バレル構造の熱安定性獲得の仕組みを明らかにする。

以 前 の 研 究 よ り 、 大 腸 菌 の ト リ プ ト フ ァ ン 合 成 系 酵 素 で あ る

N-(5'-phosphoribosyl)anthranilate isomerase(ePRAI)の/8バレル構造に関して、二次

構造セグメント毎に変性の進行が異なること、このうち/3-45領域が最も安定で、バ

レル全体の構造形成過程において重要な役割を担っていることが報告されている( J.

Mol. Biol. 353, 1161-1170 (2005))。またePRAIのNMR解析により、上述の結果がアミノ

酸残基レベルで示唆された。本研究では、 /8バレル・フォールドをとりながら、全

く別の酵素機能を有するキチナーゼに注目し、その構造をSAXS、NMRを用いて解析す

る。/8バレルのうち、ePRAIでは5が欠如し、キチナーゼDでは intactな/8から成

っている。また他のキチナーゼに関しても、基本骨格の /8からの一部セグメントの

欠失や挿入が認められるが、こうした二次構造セグメントの有無と各タンパク質固有の

個性との関連を明らかにする。

2. 研究成果の概要

上記の観点から、Bacillus circulans 由来キチナーゼDの(/)8バレル・フォールド

のSAXS法による構造解析と熱変性シミュレーションを行った。その成果の概要は以下

のようになる。

(1)SAXSデータ解析の検証

昨年度の研究により、高エネルギー加速器研究機構放射光科学研究施設で測定した

同タンパク質2.5mg/mL、5mg/mL、10mg/mLの実測SAXSデータを解析し、Guinierプ

ロットおよびp(r)関数を計算したところ、試料の単分散性が確認でき、慣性半径や分

子量も理論値と一致したことがわかった。さらにab initioモデリングを行い、溶液中

における立体構造の粗視化モデルを構築した。今年度は引き続き、得られた立体構造

モデルと結晶構造との比較およびSAXSデータの検証を行った。

上記各濃度のSAXSデータから得られた粗視化モデルはいずれもよく似た形状を

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示したが、結晶構造との重なりは2.5mg/mLおよび10mg/mLのものが良かった。また

結晶構造と溶液構造とは完全には重ならず、特に結晶構造のC末端部分や周辺部の重

なりが悪かった。結晶構造としてPDBファイルには、2種類のコンフォマーが登録さ

れているが、両コンフォマーを独立に重ね合わせを行ったところ、SAXSデータから

構築した粗視化立体構造モデルと重なりが良かったのはAコンフォマーの方であり、

特に上記周辺部との重なりの違いが顕著であった。

SAXSデータの検証に関しては、感度不均一性の補正過程を見直し、新たに作成し

たKratkyプロットより慣性半径を算出したところ、以前のGuinierプロットおよび

p(r)関数から得た値とほぼ一致した。

(2)キチナーゼDの熱変性シミュレーション

以前に、(/)8バレルフォールドを有する別のタンパク質として、細胞機能学研究

室との共同研究により、大腸菌N-(5’-phosphoribosyl) anthranilate isomerase

(ePRAI)のNMRおよびSAXSによる立体構造解析を行った。またePRAIに関しては、

細胞機能学研究室にて各種変異体を用いた安定性の理論解析(Proteins 58, 538-546

(2005))および実験データによる裏付け(J. Mol. Biol. 382, 458-466(2008))がある。

そこでキチナーゼDの分子動力学法による熱変性シミュレーションを行った。シミュ

レーションの計算条件は、ePRAIの方法をほぼ踏襲したが、プログラムにはAMBER7

を用い、専用にチューニングした計算サーバー上で実行した。初期構造を変えて独立

な計算を繰り返すとともに、現在トラジェクトリを解析している。

3. 研究評価及び今後の研究計画

前年度からの懸念であったキチナーゼ D の SAXS データの問題点を克服し、その立

体構造解析を完遂することができた。キチナーゼ D では、きれいな単分散性を示し、

慣性半径や分子量が理論値と一致した。また、ab initio モデリングの結果より、天然

状態のキチナーゼ D が溶液中と結晶中で、C 末端部分や周辺部を除いてほぼ同じ立体

構造をとっていることが示されたが、これは結晶中のパッキングによるコンフォメーシ

ョンの違いにも影響を受けることが分かった。以上を基に、キチナーゼ D の熱安定性

を解析するために、分子動力学法による熱変性シミュレーションを行ったが、これには

以前細胞機能学研究室で行われた ePRAI の熱変性シミュレーションの知見が十分に活

用することができた。

現段階において、ePRAIに関しては、NMR、SAXSおよび計算機シミュレーション、

円順列置換の解析データが、キチナーゼDに関してはSAXSおよび計算機シミュレーシ

ョンが存在する。このうち上述の通り、ePRAIのSAXSに関しては、問題の原因を究明

し、今回新たに新設されたビームラインで再度測定を行い、解析を完了させる。さらに

安定性が既知の変異体に関して結晶構造解析を行い、その立体構造が野生型と比べてど

のように変化しているのか明らかにする。またキチナーゼに関しては、得られたシミュ

レーションデータを解析し、立体構造形成過程と分子の安定性に関する知見を得る予定

である。一方、バイオインフォマティクスの手法を用いて、キチナーゼのバレル構造を

ePRAIのバレル構造に、ePRAIのバレル構造をキチナーゼのバレル構造に、コンピュー

タ上で変換し、変換前後の構造に対してキチン分子のドッキングシミュレーションを行

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うことにより、コンピュータ上でも酵素機能の変換が起こり得るかどうか解析する。

以上のような計画により蓄積された分子構造に関する知見を総合して、対象タンパク

質の配列・構造・安定性と、そのタンパク質の酵素機能やタンパク質が働く環境との相

関を明らかにすることができると考えられる。

4. 研究成果の発表

原著論文

(1) 細川隆弘、SAXS 法によるキチナーゼの(/)8 バレル構造の解析、東京薬科大学修

士論文(2012)

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宇宙環境に対する微生物の生存に関わる応答

横堀 伸一(細胞機能学研究室・講師)

1. 当初の研究目標

放射線耐性菌であるDeionococcus radiodurans、D. aerius、D. aetheriusを主として、宇

宙環境を模擬した条件下での生存率をコロニーカウンティングその他の方法によって、

計測する。今年度は引き続き、真空、乾燥、高温、その紫外線(真空紫外線)並びに放

射線(特に重粒子線)に対するこれらの菌種の耐性を検討し、宇宙におけるそれらの生

物の生存可能性を検討する。

2. 研究成果の概要

乾燥、紫外線、放射線に高い耐性を示す Deinococcus radiodurans R1、Deinococcus

geothermalis AG-3a、Deinococcus aerius TR125(対流圏最上部単離菌)、Deinococcus

aetherius ST0316(成層圏単離菌)について、高層大気並びに宇宙環境における環境要

因について、その耐性を生存率から検討した。

(放射線耐性)各菌について、重粒子線に対する耐性を検討した。He 線(290 MeV/u)

の場合、D10 は、D. radiodurans R1、D. geothermalis AG-3a、D. aerius TR125、D. aetherius

ST0316 それぞれについて、46 kGy、0.46 kGy、120 kGy、580 kGy であった(ただし乾燥

細胞)。これにより、高々度で単離された D. aerius と D. aetherius の粒子線に対する高

い耐性が明らかとなった。

(紫外線耐性) 主として高々度で問題となる、VUV (172 nm)について各 Deinococcus

細菌の乾燥細胞に対する真空下での影響を検討した。VUV については、D. radiodurans

R1 ≧ D. aetherius > D. aerius ≧ D. geothermalis の順に耐性を示した。

以上の結果は、これらの Deinococcus 属細菌、特に D. radirodurans と D. aetherius の

宇宙での長期の生存可能性を示唆した。

3. 研究評価及び今後の研究計画

Deinococcus 属細菌の重粒子線や短波長紫外線(VUV 並びに UV-C)に対する耐性は

これまで顧みられることが少なかったが、本研究でその耐性の高さの一端が明らかにな

った。最終年度は、異なる線種の重粒子線(Ar 線、C 線等)並びに異なる波長の紫外

線(UV-C、UV-B 等)に対する各 Deinococcus 属細菌の耐性の検討するとともに、これ

までの結果(真空耐性、乾燥耐性等)を再検討し、不足データの補完を行う。以上の結果

を総合的に評価し、宇宙環境下でのこれらの細菌の生存可能性を検討する。

4. 研究成果の発表

原著論文

(1) Tabata. M., Y. Kawaguchi, S. Yokobori, H. Kawai, J. Takahashi, H. Yano, & A.

Yamagishi (2011) Tanpopo cosmic dust collector: silica aerogel production and bacterial

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DNA contamination analysis. Biol .Sci. Space 25: 7 -12. (査読有)

国際学会発表

(1) Yamagishi, A., S. Yokobori, K. Kobayashi, M. Tabata, S. Hasegawa, H. Hashimoto, H .

Yano, M. Yamashita, H. Kawai, K. Okudaira, S. Nakajima, H. Yaubta, H. Mita, K.

Nakagawa. Tanpopo: Astrobiology Exposure and Micrometeoroid Capture Experiments.

Origins 2011. Montpellier, France (2011/07)

(2) Mita, H., K. Kobayashi, K. Ono, K. S. Palash, K. Nakagawa, H. Yabuta, Y. Ogata, S.

Nakashima, K. Hamase, Y. Miyoshi, H. Naraoka, E. Imai, K. Fukushima, K. Saito, K.

Okudaira, Y. Kawaguchi, S. Yokobori, M. Tabata, et al. Organic compounds exposure and

organic compounds analyses of captured particles in TANPOPO mission. Origins 2011.

Montpellier, France (2011/07)

(3) Yokobori, S., Y. Yang, Y. Kawaguchi, T. Sugino, Y. Takahashi, I. Narumi, K. Nakagawa,

M. Tabata, K. Kobayashi, K. Marumo, S. Hasegawa, S. Yoshida, E. Imai, H. Hashimoto, K.

Okudaira, H. Kawai, H. Yano, M. Yamashita, A. Yamagishi, & Tanpopo WG. Capture and

space exposure experiments of microorganisms on the ISS orbit proposed in “TANPOPO”

mission. EANA2011. Köln, Germany (2011/07)

(4) Kobayashi, K, Y. Kawamoto, P. K. Sarker, K. Ono, H. Kuwahara, Y. Obaya shi, T. Kaneko,

H. Mita, H. Yabuta, S. Yoshida, I. Narumi, K. Kanda, S. Yokobori, A. Yamagishi, &

Tanpopo WG. Simulation Experiments on the Ground and in Space. EANA2011. Köln,

Germany (2011/07)

国内学会発表

(1) 春山純一、白尾元理、小林憲正、横堀伸一、岩田隆浩、諸田智克、小林進悟、斎藤

義文、西野真木、橋本博文、山下雅道、川勝康弘。月の縦孔構造~将来月着陸探査

候補地点として~ 日本地球惑星科学連合 2011 年連合大会。幕張。(2011/5)

(2) Ogata, Y., H. Yabuta, S. Nakashima, K. Okudaira, T. Moriwaki, Y. Ikemoto, S. Hasegawa,

S. Yokobori, H. Mita, K. Kobayashi, E. Imai, H. Hashimoto, M. Tabata, Y. Kawaguchi, T.

Sugino, H. Yano, M. Yamashita, A. Yamagishi, TANPOPO Working Group. Infrared and

raman spectroscopic analyses of the chondritic organic matter shot into silica aerogel by

impact experiment. 日本地球惑星科学連合 2011 年連合大会。幕張。(2011/5)

(3) Sugino, T., S. Yokobori, Y. Yang, Y. Kawaguchi, H. Hashimoto, K. Okudaira, M. Tabata,

H. Kawai, Y. Yoshimura, I. Narumi, N. Hayashi, H. Yano, M. Yamashita, K. Kobayashi, &

A. Yamagishi. Detection of microbes in space proposed in “Tanpopo” mission:

Fluorescence microscopic detection of microbes captured by aerogel. 日本地球惑星科学

連合 2011 年連合大会。幕張。(2011/5)

(4) Yokobori, S., Y. Yang, T. Sugino, Y. Kawaguchi, Y. Takahashi, I. Narumi, H. Hashimoto,

N. Hayashi, E. Imai, H. Kawai, K. Kobayashi, K. Marumo, H. Mita, K. Nakagawa, K.

Okudaira, M. Tabata, Y. Takahashi, K. Tomita-Yokotani, M. Yamashita, H. Yano, Y.

Yoshimura, A. Yamagishi, & Tanpopo WG. Microbe space exposure experiments at

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International Space Station (ISS) in the mission “Tanpopo”. 日本地球惑星科学連合 2011

年連合大会。幕張。(2011/5)

(5) Yang, Y., K. Nakagawa, M. Tanabe, Y. Momoki, H. Hashimoto, S. Yokobori & Akihiko

Yamagishi. Prolonged survival of multilayer bacteria under UV radiation and vacuum. 日本

地球惑星科学連合 2011 年連合大会。幕張。(2011/5)

(6) Kawaguchi, Y., T. Sugino, Y. Yang, Y. Yoshimura, T. Tsuji, K. Kobayashi, M. Tabata, H.

Hashimoto, H. Mita, E. Imai, H. Kawai, K. Okudaira, S. Hasegawa, M. Yamashita, H.

Yano, S. Yokobori, and A. Yamagishi, & Tanpopo WG. Microbes captured experiments on

International Space Station (ISS) proposed in “Tanpopo” mission; Establishment of the

molecular biological methods to detect captured microbes. 日本地球惑星科学連合 2011

年連合大会。幕張。(2011/5)

(7) 緒方雄一朗、薮田ひかる、中嶋悟、奥平恭子、森脇太郎、池本夕佳、長谷川直、田端誠、

横堀伸一、今井栄一、橋本博文、三田肇、小林憲正、矢野創、山下雅道、山岸明彦。隕

石有機物の高速衝突変性に関する赤外・ラマン顕微分光研究。日本地球化学会。札幌。

(2011/09)

(8) 河口優子、杉野朋弘、Yinjie Yang、吉村義隆、辻尭、小林憲正、田端誠、橋本博文、

今井栄一、河合秀幸、奥平恭子、山下雅道、矢野創、横堀伸一、山岸明彦。宇宙で

捕集される微生物の分子生物学的な解析方法の確立(たんぽぽ計画)。第 25 回宇宙

生物科学会年会。横浜。(2011/09)

(9) 杉野朋弘、横堀伸一、Yang Yinjie、河口優子、橋本博文、奥平恭子、田端誠、河合

秀幸、吉義隆、鳴海一成、林宣宏、矢野創、山下雅道、小林憲正、山岸明彦。たん

ぽぽ計画における蛍光染色法によるエアロゲル内の微生物検出。 第 25 回宇宙生物

科学会年会。横浜。(2011/09)

(10) 高橋裕一、横山潤、橋本博文、横堀伸一、柴田晋平。宇宙環境に強い地衣類を選別

するための生死判定法・培養法の検討 ― 熱サイクル試験について -。 第4回

アストロバイオロジーワークショップ。神戸。 (2011/11)

(11) 山岸明彦、横堀伸一、矢野創、橋本博文、田端誠、山下雅道、鳴海一成、小林憲正、

奥平恭子、河合秀幸、薮田ひかる、中嶋悟、中川和道、今井栄一、奈良岡浩、三田

肇。アストロバイオロジー微生物有機物曝露,微粒子採集実験 :たんぽぽ計画。第

12 回 宇宙科学シンポジウム。相模原。 (2012/01)

(12) 山岸明彦、矢野創、橋本博文、横堀伸一、小林憲正、河合秀幸、田端誠、太刀川純

孝、奥平恭子、藪田ひかる、保田浩志、中川和道、三田肇、今井栄一。有機物・微

生物の宇宙曝露と宇宙塵・微生物の捕集 (たんぽぽ)。平成 23 年度宇宙利用シンポジ

ウム。

(13) 横堀伸一、春山純一、矢野創、鳴海一成、三田肇、高橋淳一。月における生命探査

の可能性の検討。平成 23 年度宇宙利用シンポジウム。

(14) 小林 憲正、山下 雅道、山岸明彦、丸茂克美、橋本 博文、奈良岡 浩、高橋淳一、

中川和道、奥平恭子、石川洋二、河崎行繁、内海裕一、長沼毅、中嶋悟、三田肇、

今井栄一、本多元、吉村 義隆、宮川厚夫、福島和彦、斉藤香織、小川麻里、河合 秀

幸、藪田 ひかる、才木常正、横堀伸一、金子竹男、大林由美子、春山純一、神田一

14

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浩、高橋裕一、大石雅寿。地球周回軌道におけるアストロバイオロジー実験研究チ

ーム報告:地球外有機物・微生物の検出のための宇宙実験の検討。平成 23 年度宇宙

利用シンポジウム

(15) 横堀伸一、山岸明彦、山下雅道、小林憲正、橋本博文、矢野創、田端誠、奥平恭子、

丸茂克美、奈良岡浩、三田肇、薮田ひかる、今井栄一、大林由美子、中嶋悟、河合

秀幸、Yang Yinjie、河口優子、杉野朋弘、小野恵介、Palash Kumar Sarker、緒方雄

一朗。鉱物、有機物、微生物の高速衝突による変性の研究。平成 23 年度スペースプ

ラズマ研究会。相模原。(2012/02)

(16) 河口優子、杉野朋弘、川尻成俊、白石啓祐、Yang Yinjie、小林憲正、田端誠、長谷

川直、今井栄一、河合秀幸、奥平恭子、橋本博文、山下雅道、矢野創、横堀伸一、

山岸明彦。二段式軽ガス銃を用いた微生物捕集擬実験。第 37 回生命の起原と進化学

会学術講演会。高槻。 (2012/03)

(17) 川尻成俊、白石啓祐、河口優子、杉野朋弘、Yang Yinjie、橋本博文、佐藤勝也、鳴

海一成、中川和道、吉田聡、横堀伸一、山岸明彦。Deinococcus 属の国際宇宙ステー

ション上における生存可能性の検証。第 37 回生命の起原と進化学会学術講演会。高

槻。(2012/03)

(18) 高橋裕一、横山潤、柴田晋平、橋本博文、横堀伸一。宇宙環境に強い地衣類の選別

ー熱サイクル試験、UV 照射試験ー。第 37 回生命の起原と進化学会学術講演会。 高

槻。(2012/03)

(19) 横堀伸一。月と火星の溶岩チューブと生命科学。第 2 回溶岩チューブ探査研究会。

河口湖、山梨。(2012/03)

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DNA 損傷などに対する細胞の適応ネットワーク機構

太田 敏博(環境分子生物学研究室・教授)

1. 当初の研究目標

細胞のゲノム DNA には温度や酸素などの細胞内要因、化学物質や UV などの外的要

因によって様々な損傷が絶え間なく生じている。細胞はこれを修復するため、損傷塩基

のタイプに応じて特異的に認識する酵素系が働いている。一方、これらの修復機能に隠

れて通常は見えていないマイナーな修復酵素も存在し、主要な修復応答が限界に近いと

ころでは重要なバックアップ機能を果たしていると考えられる。本研究では、この修復

システム間のネットワークを解明していくとともに、その機能欠損が及ぼす生体影響に

ついて、微生物細胞、特に高度好熱菌を材料にして調べることを目的とする。また、微

小甲殻類ミジンコにおいては、環境変動に適応するための遺伝子発現調節の様々なネッ

トワークが存在している。このうち、低酸素応答に関与する遺伝子群の同定と機能解析

を通して、生体防御システムのネットワーク全体像の理解を深めることを目的に研究を

進める。平成 23 年度は以下の項目について研究を行う。

1) 昨年度に引き続き、高度好熱菌において見つかった ATL タンパクがメチル化塩基

の修復に関与するメカニズムの解析するため、atl 遺伝子の発現量を定量し、メチル化

剤処理での増減の有無を調べる。新たに、酸化損傷 DNA の修復、並びに酸化損傷の防

御系に関わる遺伝子の解析を始める。特に防御系として高度好熱菌のみが有する特徴的

な長鎖ポリアミン類の関与が明らかになれば、長鎖ポリアミン類の生理機能の一端が解

明されるので、長鎖ポリアミン合成欠損株を分離して調べる。長鎖ポリアミン類の合成

経路に係わる遺伝子や酵素タンパクについては細胞機能学研究室と連携して研究を進

める。

2) ミジンコは湖沼などの水環境変化の著しく変化する水域に広く生息する動物プラ

ンクトンの一種であり、様々な生理的適応の中の一つである低酸素応答機構は生存の為

に重要な意味を持っている。オオミジンコ (Daphnia magna) では、水中の溶存酸素

量の低下に伴い血リンパ内のヘモグロビン (Hb)の発現量と組成を変化させ、低酸素に

適応する。一方で一定の低酸素分圧下では、Hb 量は変動しなくなる。このような遺伝

子発現量の急激な増加は他の水棲生物においても観察例が少なく、その分子機構の解明

を進める。

2. 研究成果の概要

1) 高度好熱菌におけるメチル化塩基の修復遺伝子の発現調節

初年度から行ってきた T. thermophilus の atl 遺伝子欠損変異株の解析から、ATL タ

ンパクはアルキル化塩基 O6-methylguanine (O6-mG) の認識タンパクとして働き、

UvrA タンパクとの相互作用を介して O6-mG がヌクレオチド除去修復系(UvrABC

exinuclease)で修復されるという全く新たな修復メカニズムを明らかにした。もう一

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つの主要修復酵素である 3-methyladenine-DNA glycosylaseをコードする alkA遺伝子

の欠損が O6-mG の修復に与える影響を明らかにした。一方で、メチル化塩基の修復遺

伝子の発現調節を調べた。野生株や atl 遺伝子欠損変異株をメチル化剤で処理した後、

mRNA を分離し、定量 PCR 法およびマイクロアレイ法で関連遺伝子の発現量の増加の

有無を調べ、これを論文発表した[原著論文 (1)]。

2) 高度好熱菌における酸化損傷塩基の修復経路と酸化損傷防御機構

好気性細菌は細胞内で生成する活性酸素によって、DNA が酸化損傷を受けており、

特にグアニンが酸化された 8-oxo-G はアデニンと誤対合して突然変異を引き起こす。

高温では化学反応が進みやすいため、至適生育温度が 70-75℃の高度好熱菌 Thermus

thermophilus では 8-oxo-G の生成頻度も中温菌に較べて高いと推測される。この高度

好熱菌には 8-oxo-G を除去する DNA グリコシラーゼ (MutM)、8-oxo-G と誤対合した

A を除去する DNA グリコシラーゼ (MutY) のホモログが存在する。mutM 遺伝子破

壊株を分離して調べた結果、野生株と比べて G:C→T:A 自然突然変異率が著しく上昇し

たが、mutY 破壊株では自然突然変異率の上昇は観察されなかった。一方、 T.

themophilus はカロテノイド色素を生合成すること、また、高度好熱菌に特有の長鎖

ポリアミン(ペンタミン類やヘキサミン類)を生合成することが知られている。これら

の物質が活性酸素による DNAの酸化損傷の生成を防御しているかを調べるためにポリ

アミン生合成関連遺伝子 speB 破壊株、カロテノイド生合成関連遺伝子 crtB 破壊株を

分離し、同様に G:C→T:A 自然突然変異率を測定した。mutM 欠損下においては、どち

らも自然突然変異率の上昇は観察されなかった。今後、mutM+ 株でも調べる必要があ

るが、防御効果の可能性は低いと示唆された。

3) オオミジンコの低酸素環境適応機構の解析

Hb の mRNA レベルでは、定常低酸素下においても十分量が発現していることが明

らかになっていることから、Hb は低酸素誘導因子 HIF-1 以外の調節因子によって翻

訳抑制されるメカニズムが示唆された。そこで、オオミジンコの 7 個の Hb 遺伝子間

領域についてデータベース検索をした結果、Hb クラスター内の 4 番目と5番目の遺伝

子間領域内に non-coding (nc) RNA をコードする遺伝子が存在し、その構造を解析し

たところ、3つのエキソンと2つのイントロンからなることが分かった。第一エキソン

の上流 40 bp に TATA box が存在し、80 bp と 168 bp 上流には HIF-1 の結合配列

に相同な配列が確認された。nc RNA の二次構造の予測を行ったところ、stem loop 構

造を形成し得るという事がわかった。更に、この stem loop 構造中には、7個の Hb 遺

伝子のタンパク質をコードしている領域と高い相同性を示す配列が確認された。これら

のことから、nc RNA が Hb 遺伝子の調節領域で発現し、Hb mRNA を標的とする mi

RNA として機能する可能性が示唆された。これらの成果の一部は論文発表した[原著

論文(2, 3)]。

3. 研究評価及び今後の研究計画

これまで機能が不明であった atl 遺伝子産物は T. thermophilus においてメチル化塩

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基の修復に関与していることを明らかにした。メチル化損傷塩基である O6-mG を ATL

タンパクが認識して結合し、UvrA タンパクとの相互作用を介してヌクレオチド除去修

復系で修復されるという、新奇な DNA 修復系のネットワークの一端が明らかになった。

遺伝子発現における関連遺伝子とのネットワークについても一部明らかになり、2 つの

論文発表をもって一段落と評価した。

今後は、DNA の酸化損傷に対する防御系と酸化塩基 8-hydoroxy-G の修復系とのネ

ットワークについて研究を引き続き進めていく。今回 8-hydoroxy-G の修復遺伝子であ

る mutM, mutY の欠損株を分離した。さらに、ポリアミン生合成関連遺伝子 speB 破

壊株、カロテノイド生合成関連遺伝子 crtB 破壊株も分離し、G:C→T:A 自然突然変異

率を測定したが、どちらも自然突然変異率の上昇は観察されなかった。したがって現

段階では、長鎖ポリアミンやカロテノイド色素が防御効果を持っている可能性は低い

と判断された。次年度においては、カタラーゼやスーパーオキシドジスムターゼ(SOD)

の遺伝子に着目して、酸化剤処理による発現量を定量することで、その発現制御機構

の有無を解析する予定である。

ミジンコにおける低酸素適応下で Hb 発現調節を調べた結果、タンパク質をコード

しない non-cording RNA を見出し、この遺伝子上流は低酸素応答に関与するシス配列

に高い相同性を持つ配列が存在し、また ncRNA の配列内に Hb mRNA の配列と高い相

同性を持つ配列が存在した。胚における Hb 遺伝子と ncRNA 遺伝子の発現領域は重

なることからも、microRNA としてプロセスされて翻訳の制御を行っているのではな

いかと推定した。低酸素、通常酸素下での ncRNA の配列を解析することで、その配

列に違いが認められれば、酸素濃度に依存して nc RNA が選択されてプロセスされて

いることになる。今後は、選択的スプライシングと選択的なプロセスとの関連性につい

て解析を進める。

4. 研究成果の発表

原著論文

(1) Morita, R., Hishinuma, H., Ohyama, H., Mega, R., Ohta, T., Nakagawa, N.,

Agari, Y., Fukui, K., Shinkai, A., Kuramitsu, S., and Masui, R., An

alkyltransferase-like protein from Thermus thermophilus HB8 affects the

regulation of gene expression in alkylation response. J. Biochem., 150, 327-339

(2011)

(2) Colbourne, JK., Pfrender, ME., Gilbert, D., Thomas, WK., Tucker, A., Oakley,

TH., Tokishita, S., Aerts, A., Arnold, GJ., Basu, MK., Bauer, DJ., Cáceres, CE.,

Carmel, L., Casola, C., Choi, JH., Detter, JC., Dong, Q., Dusheyko, S., Eads, BD.,

Fröhlich, T., Geiler-Samerotte, KA., Gerlach, D., Hatcher, P., Jogdeo, S.,

Krijgsveld, J., Kriventseva, EV., Kültz, D., Laforsch, C., Lindquist, E., Lopez, J.,

Manak, JR., Muller, J., Pangilinan, J., Patwardhan, RP., Pitluck, S., Pritham,

EJ., Rechtsteiner, A., Rho, M., Rogozin, IB., Sakarya, O., Salamov, A., Schaack,

S., Shapiro, H., Shiga, Y., Skalitzky, C., Smith, Z., Souvorov, A., Sung, W., Tang,

Z., Tsuchiya, D., Tu, H., Vos, H., Wang, M., Wolf, YI., Yamagata, H., Yamada, T.,

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Ye Y., Shaw, JR., Andrews, J., Crease, TJ., Tang, H., Lucas, SM., Robertson, HM.,

Bork, P., Koonin, EV., Zdobnov, EM., Grigoriev, IV., Lynch, M., and Boore, JL.,

The Ecoresponsive Genome of Daphnia pulex. Science., 331, 555-561 (2011).

(3) Kato, Y., Shiga, Y., Kobayashi, K., Tokishita, S., Yamagata, H., Iguchi, T., and

Watanabe, H., Development of an RNA interference method in the cladoceran

crustacean Daphnia magna. Dev Genes Evol., 220, 337-45 (2011).

国内学会発表

(1) 小野寺威文 , 中村顕、佐藤勝也、太田敏博、鳴海一成、放射線抵抗性細菌と高度好

熱菌の DNA 修復における ygiD および yeaZ オルソログの機能解析、第 40 回日本

環境変異原学会大会、2011/11、東京

(2) 小野寺威文、中村顕、佐藤勝也、太田敏博、鳴海一成、Deinococcus と Thermus

に共通する新規 DNA 修復遺伝子の機能解析、極限環境生物学会第 12 回年会、

2011/11、長崎

(3) 近藤加奈子、時下進一、太田敏博、好気性高度好熱菌における DNA 酸化損傷の防

御と修復に関する研究、第 40 回日本環境変異原学会大会、2011/11、東京

(4) 米良花香、河東祐季、太田敏博、布柴達男、高度好熱菌のゲノム安定化機構の解析

—相同組換え検出系の樹立-、第 40 回日本環境変異原学会大会、2011/11、東京

(5) 森田慎一、時下進一、志賀靖弘、太田敏博、Spatial and temporal expression of

single-minded homolog during embryogenesis in water flea, Daphnia magna、第

44 回日本発生生物学会年会、2011/5、沖縄

(6) 梶田真生、時下進一、志賀靖弘、太田敏博、オオミジンコ CDC2、PLK ホモログの

生殖腺における発現解析、第 82 回日本動物学会、2011/9、旭川

(7) 森田慎一、時下進一、志賀靖弘、太田敏博、オオミジンコの胚発生過程ににおける

中枢神経系の解析、第 82 回日本動物学会、2011/9、旭川

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環境変化に対する小胞体の応答と形態変化:Syntaxin18複合体を中心として

多賀谷 光男(分子細胞生物学研究室・教授)

1.当初の研究目標

動物細胞の小胞体は、核近傍から細胞の周辺へと放射状に広がる膜構造体であり、細胞内分布は

微小管によって調節されている。小胞体は、分泌系タンパク質や脂質の合成、毒物代謝、カルシウ

ムの貯蔵、小胞体関連分解(立体構造形成に失敗したタンパク質の分解)、アポトーシスなどの多

種多様な機能を有している。小胞体は融合と分裂を繰り返すダイナミックなオルガネラであるが、

種々のサブドメイン構造を有しており、それらのサブドメインが連携を保ちながらも固有の機能を

発揮することで、小胞体の多様な機能が調和して営まれている。

小胞体の構造は組織・臓器ごとに異なっており、内分泌や外分泌を司る細胞では、タンパク質の

合成と分泌のために働く粗面小胞体(主にシート状の構造)や小胞体出芽部位の構造がよく発達し、

毒物代謝に関与する肝臓やステロイドを産生する細胞では滑面小胞体(主に管状の構造)がよく発

達している。小胞体の構造は外部の環境によって大きく変化し、毒物投与によってシトクロム P450

が誘導される際には、滑面小胞体が顕著に増加し、毒物がなくなると小胞体はオートファジーによ

って分解される。環境変化に伴う小胞体構造のこのような変化を理解するためには、小胞体の構築

原理を分子レベルで解明することが重要である。

SNAREは膜融合に関与するタンパク質であり、多くの SNARE は α-ヘリックス構造と、それ

に続く膜貫通領域をその C末端に有する。我々は小胞体に存在する SNAREである syntaxin18 の

解析を進め、このタンパク質がゴルジ体から小胞体への逆行輸送と、滑面小胞体網目状の分布の維

持に関与することを明らかにしてきた。小胞体には、さらに syntaxin17 と syntaxin5という2つ

の syntaxin が存在する(下図:青は SNARE モチーフ(coiled-coil 構造)、紫は膜貫通領域)。

syntaxin17 は滑面小胞体に存在し、Lys-254 で分断される2つの膜貫通領域を有するという特徴

を持つ(通常の syntaxinは C末端に1つの膜貫通領域を有する)。syntaxin5は翻訳開始点の違い

から syntaxin5S(short form:55番目の

Metから翻訳開始)と syntaxin5L(long

form)が存在する。syntaxin5Lの N末端

に は 小 胞 体 局 在 化 シ グ ナ ル

(Arg-Lys-Arg)が存在する。本年度は

syntaxin17 の解析を目指して研究を進め

たが、研究の途中において syntaxin5Lが小胞体構築に関与することも見いだした。

2.研究成果の概要

1)syntaxin17に関する研究

1−1)syntaxin17の細胞内局在の再検討

syntaxin17は滑面小胞体に存在するSNAREとして見いだされたが、最近、小胞体−ゴルジ体中

間区画(ERGIC)に局在することが報告されている。そこで、内在性および発現させたsyntaxin17

の局在を、蛍光抗体法および細胞分画によって調べた。その結果、syntaxin17は滑面小胞体の中

でも、特にミトコンドリアと接触する小胞体領域(MAM:Mitochondrial-Associated Membrane)

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に存在することが判明した。発現させたsyntaxin17は管状の構造を示し、ミトコンドリアの分布

とよく一致するが、一部一致しない管状構造も見られた。

1−2)syntaxin17の脂肪滴形成への関与

昨年度の研究によって、 RNAi法によってsyntaxin17の発現を抑制するとHepG2細胞において

脂肪滴が顕著に減少することを見いだした。この現象が他の細胞でも起こるかどうかを、HeLa細

胞を用いて調べた。HeLa細胞は通常は脂肪滴を持たないが、オレイン酸の添加によって脂肪滴が

誘導される。syntaxin17の発現を抑制後に、培地にオレイン酸を加えると、脂肪滴の形成はほと

んど起こらなかった。RNAi耐性のFLAG- syntaxin17を発現させると、通常細胞と同様に脂肪滴

の形成が起こったことから、RNAi法の特異性が確認された。以上の結果より、syntaxin17が脂肪

滴形成に関与することが証明された。

1−3)syntaxin17の局在におけるC末端細胞質領域の役割

syntaxin17は他のsyntaxinとは異なり、Lys-254を挟んで2つの分断されたC末端膜貫通領域を有

する。昨年度の研究において、Lys-254の変異体を作製し、その局在を調べたところ、変異体は野

生型とは異なり、いずれも通常の小胞体分布を示すことを見いだした。

いくつかのMAM局在タンパク質においては、膜貫通領域の前後の細胞質領域に複数の塩基性ア

ミノ酸が存在することが報告されている。syntaxin17の膜貫通領域後のC末端273-302アミノ酸領

域にも多数の塩基性アミノ酸が存在するので、それらのアミノ酸をそれぞれAlaに変換する変異体

を作製し、その局在を調べた。その結果、Lys-278、-279、-281の変異体はミトコンドリアとの共

局在(MAM局在を反映)が一部失われ、その三重変異体ではミトコンドリアとの共局在が完全に

失われた。以上の結果は、MAM局在には、Lys-254以外に、膜貫通領域後の塩基性アミノ酸クラ

スターが重要であることが判明した。

2)syntaxin5の小胞体構築における役割

2−1)発現抑制による小胞体構造の変化

syntaxin17の発現抑制実験の過程で、syntaxin5の発現抑制によっても小胞体構造が変化するこ

とを見いだした。syntaxin5発現抑制細胞における小胞体のパターンは、微小管を脱重合させた時

のパターンとよく類似しており、通常、主に核周辺部にのみ存在するシート状の構造が細胞周辺部

まで広がっていた。

2−2)過剰発現による小胞体構造の変化

syntaxin5を過剰発現させて、小胞体構造の変化を調べたところ、小胞体に局在するsyntaxin5L

を発現させると、小胞体と微小管が束化して共局在を示すパターンが多く見られた。一方、そのよ

うな分布は、ゴルジ体に存在するsyntaxin5Sではあまり認められなかった。SNAREモチーフを欠

失させたsyntaxin5Lも小胞体と微小管の束化を引き起こしたので、この束化能は膜融合機能とは

無関係と考えられる。

2−3)syntaxin5とCLIMP-63および微小管の相互作用

小胞体と微小管の束化は、微小管結合タンパク質である CLIMP-63 を過剰発現させた時にも生

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じる変化であることから、CLIMP-63および微小管との関連を調べ以下のことが判明した。

a)内在性 syntaxin5と CLIMP-63 は結合する、b)CLIMP-63の発現を抑制すると syntaxin5を

過剰発現させても小胞体と微小管の束化は起こらない。つまり、syntaxin5による小胞体と微小管

の束化には、CLIMP-63 が必要である。一方、CLIMP-63 による小胞体と微小管の束化には、

syntaxin5 は必要ではない。c)syntaxin5L は重合させた微小管と結合する。これらの結果より、

syntaxin5 は CLIMP-63 と協調して、微小管を介した小胞体構造の調節に関与していることが判

明した。

3.研究評価及び今後の研究計画

本年度は、昨年度から引き続いてsyntaxin17の機能解析を行ったが、予期しない結果として、

それまでゴルジ体において膜融合装置として働いていることが知られていたsyntaxin5が、小胞体

構造の調節にも関わっていることを明らかにすることができた。この機能にはSNAREモチーフは

関与しないので、SNAREの新たな機能の一端を示せたと考えている。近年、遺伝性痙性対麻痺の

原因として発見された遺伝子のコードするタンパク質(Atlastin、Reticulon、Reep1等)が互いに

相互作用し、また微小管と結合して、滑面小胞体の構築に関与することが報告されている。

CLIMP-63は主に粗面小胞体に存在するので、このタンパク質が核となり、syntaxin5を含むいく

つかのタンパク質と相互作用して、粗面小胞体の構築に関与している可能性が考えられる。

本年度計画していて予定通り進まなかった実験が2つある。一つは、syntaxin17の管状構造形

成能の検証である。syntaxin17のように、2つの連続した膜貫通領域を持つ膜タンパク質の中に

は、リポソームをチューブ状に変形させる能力を持つものがある。管状構造は滑面小胞体の特徴的

構造であり、syntaxin17がそのような活性を有するかは極めて興味深い。この活性を検出するた

めに、膜貫通領域を有したsyntaxin 17を大腸菌で発現・精製したが、タグとして用いたNASタグ

自身にリポソームを変形させる作用があることが判明したため、現時点ではこの実験を遂行するこ

とができていない。NASタグはトロンビンによって切断可能なので、NASタグ除去後にsyntaxin17

のリポソーム変形活性を検出する予定である。

もう一つの進行しなかった実験は、syntaxin17 結合タンパク質の同定である。SNARE はター

ゲット膜上に3つ、小胞側に1つ存在し、それらが会合して膜融合を引き起こすと考えられている。

syntaxin17 の場合は、Bet1 と Sec22b が結合することが報告されているが、もう一つの SNARE

分子は同定されていない。大腸菌で発現・精製した GST-syntaxin17を用いて pull down実験を行

ったが、特異的に結合しているタンパク質は認められなかった。そこで、FLAG- syntaxin17を安

定に発現する細胞株の樹立を目指して実験を進めたところ、ごく最近、細胞株を得ることができた。

今後、この細胞を増やし、抗 FLAG ビーズを用いて細胞抽出液から FLAG-syntaxin17 を沈降さ

せ、結合タンパク質を同定する予定である。

4.研究成果の発表

(1)学術論文発表

1) Nery, F.C., Armata, I.A., Farley, J.E., Cho, J.A., Yaqub, U., Chen, P., da Hore, C.C., Wang,

Q., Tagaya, M., Klein, C., Tannous, B., Caldwell, K.A., Caldwell, G.A., Lencer, W.I., Ye, Y.,

and Breakefield, X.O. TorsinA participates in endoplasmic reticulum-associated

degradation. Nat. Commun. 2, 393 (2011).

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IL-1刺激による ATF5mRNA の翻訳調節

髙橋 滋(環境ストレス生理学研究室・准教授)

1. 当初の研究目標

急性期応答は感染初期におこる発熱、急性期タンパク質の産生を特徴とする、早期の

感染防御にあずかる反応である。私は今までに転写因子 Activating transcription factor

5 (ATF5)が様々なストレスに応答し、その発現量が eIF2のリン酸化を介した mRNA

の安定化や mRNA 翻訳の効率化。そしてタンパク質の安定化により上昇することを見

いだしている。ATF5 は CREB/ATF ファミリーに属する basic leucine zipper (b-ZIP) 転

写因子であり、顆粒球コロニー刺激因子 (G-CSF)遺伝子のプロモーター領域に存在する、

LPS による転写の活性化に必要な G-CSF promoter element 配列に C/EBPとともに結

合する転写因子として見いだされた。また、マクロファージにおいて LPS 刺激により発

現が上昇する遺伝子として ATF5 が同定されている。最近、私はヒト肝臓癌由来 HepG2

細胞内で ATF5 タンパク質量が IL-1刺激により上昇することを見いだした。更に最近

IL-1刺激により eIF2のリン酸化が更新する事が報告されている。これらの事から、

IL-1刺激による eIF2のリン酸化が ATF5mRNA の翻訳効率を上昇させるとともに

ATF5mRNA の安定化を促し、標的遺伝子の転写を調節している事が予想された。本研

究ではこれらの仮説の検証を試み、ストレス応答性転写因子 ATF5 が標的遺伝子の発現

を調節するメカニズムの一端を解析する。

2. 研究成果の概要

(1) 実験概要

ATF5 は、その C 末端領域に b-ZIP domain 構造を有する cAMP response

element-binding protein (CREB) /ATF family に属する転写因子である。ATF5mRNA

の発現は、マクロファージにおいて LPS 刺激により上昇する事が報告されている。LPS

が体内でマクロファージ等に発現している Toll like receptor 4 (TLR4) によって認識さ

れることによって、炎症性サイトカインである Interleukin 1β (IL-1β)、IL-6、Tumor

necrosis factor α (TNFα) が分泌される。これらの炎症性サイトカインが肝臓に作用

する事で、肝臓から急性期応答タンパク質が血漿中に分泌され、急性期応答が引き起こ

される。そこで私は、細胞レベルで IL-1βが ATF5 の mRNA の翻訳調節に与える影響

を検証した。その結果、IL-1β刺激によって HepG2 細胞内の eIF2がリン酸化される

事。ATF5mRNA の翻訳効率が上昇する事。ATF5 mRNA の発現量が上昇する事を見い

だした。このような ATF5 の IL-1βによる発現上昇が急性期タンパク質である Serum

Amyloid A (SAA) 1、SAA2 の発現に及ぼす影響を調べた。その結果、HepG2 細胞にお

いて ATF5 のノックダウンにより、IL-1β刺激による SAA1,2 の急性期応答が更に促進

された。この事から ATF5 は IL-1β刺激時における SAA1 と SAA2 の mRNA 発現を抑

制していることが示唆された。そこで、急性期応答における ATF5 の機能を調べるため

に、DNA マイクロアレイを用いて急性期応答時の肝臓における ATF5 のターゲット遺

伝子の検出を試みた。その結果、ATF5 ノックアウトマウスにおいて一群の急性期応答

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タンパク質遺伝子の発現上昇が起らなくなることを発見した。

3. 研究評価及び今後の研究計画

すでに、IL-1βにより ATF5 タンパク質の安定性が上昇する事を見いだしている。つ

まり、ATF5 の発現は mRNA の安定性、mRNA の翻訳効率の上昇、およびタンパク質

の安定化という多段階で制御されており、IL-1β刺激により ATF5 の発現が顕著に増幅

されている事が予想される。ATF5 は栄養欠乏、酸化ストレス等のストレスによりその

発現が上昇する事が知られているが、サイトカインによる発現調節の報告はない。ATF5

の生理機能における新展開が期待できる。また、ATF5 には急性期応答を抑制する働き

がある事が予想される事から、慢性炎症や自己免疫疾患等の過度な免疫応答が引き起こ

す疾患の治療のターゲットとなる事が期待できる。しかし、内在性の ATF5 を効率よく

検出する抗体は存在せず、そのため内在性 ATF5 タンパク質の発現を追跡する事ができ

ない現状を打破する必要があると考える。

4. 研究成果の発表

国際学会発表

(1) Umemura, M., Hatano, M., Kimura, N., Yamazaki, T., Takeda, H., Nakano, H.,

Takahashi, S., Takahashi, Y., The 5'-untranslated region regulates the stability

of ATF5mRNA by nonsense-mediated mRNA decay, Cold spring harbor laboratory

the 2011 meeting on eukaryotic mRNA processing, 2011/8, New York, USA

(2) Yamazaki, T., Okawa, Y.,Watanabe, R., Murakoso, S., Nakano, H., Takahashi, S.,

Takahashi, Y., Regulation of C/EBP mRNA stability by environmental stresses,

Cold spring harbor laboratory the 2011 meeting on eukaryotic mRNA processing,

2011/8, New York, USA

国内学会発表

(1) 幡野 仁哉、梅村 真理子、中野春男、高橋 滋、高橋 勇二、ATF5 mRNA 5' 非翻訳

領域を介した NMD による新規ストレス応答性 mRNA 安定化機構、日本農芸化学会

2012 年度大会、2012/3、京都

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原核生物の光環境への応答の解析

岡田 克彦(環境応答生物学研究室・助教)

1. 当初の研究目標

光合成生物は光合成を通じて、地球上の様々な生物の主要な生命活動のエネルギー

源となる有機物質を生産している。自然環境中で、光環境はしばしば、日変化や季節

変化、さらに、他の生物による被陰などにより、光強度や波長成分の組成が大きく変

化する。多くの光合成生物は自然界の光を効率的に利用するために、環境の光条件の

変化に応答する仕組みを持っている。そのため、光合成生物にとって環境中の光は、

光合成を行うエネルギー源として重要であるだけでなく、調節反応の引き金となる入

力信号としても重要である。本研究では、原核光合成生物が持つ光への応答の仕組み

を調べる。光合成生物の代表的なモデル生物であるアノバクテリア・Synechocystis sp.

PCC6803 (Synechocystis )を材料として、光への応答を解析する。

本研究の目的は、光への応答機構を分子レベルで解明する事とする。光応答に関連

する遺伝子を同定し、その遺伝子の機能や調節作用での役割などを解析し、原核生物

の光環境への応答の詳細の解明を目指す。

本研究では単細胞性シアノバクテリア Synechocystis において、グルコース存在下

での光照射により解糖系酵素遺伝子群が発現誘導される系を解析した。Synechocystis

はグルコースを炭素源として従属栄養的にも生育できるが、生育には光照射が必要で

ある。従属栄養的生育に必要な光量は光合成的な生育時と比べて少量であり、一日 5

分間の光照射で十分である。光要求性の原因に関連して、光照射により解糖系酵素の

遺伝子の発現が誘導される事を、以前の研究で明らかにした。

光照射による解糖系酵素の遺伝子の発現誘導の特徴として、以下の事が分かった。

解糖系酵素の遺伝子、フルクトース 1,6-ビスリン酸アルドラーゼ (fbaA) はグルコー

ス存在下で短時間の光を照射すると顕著な発現誘導効果が見られた。本研究では、解

糖系遺伝子 fbaA の遺伝子発現の調節の仕組みを解析する。とくに、調節機構に関与す

る信号伝達成分をコードする遺伝子を同定し、その機能や発現調節を探索することを

目指す。さらに、候補遺伝子を破壊した変異株の光応答を解析し、シアノバクテリア

の光への応答過程の実態を明らかにすることを目指した。

2. 研究成果の概要

(1) 解糖系酵素遺伝子の調節に関わる光の定量的解析・波長の解析

前年度までの研究で、解糖系酵素の遺伝子、フルクトース 1,6-ビスリン酸アルドラ

ーゼ (fbaA) は暗所で発現量が低下し、グルコースを添加しても暗所では発現が誘導さ

れないが、グルコース存在下で短時間の光(パルス光)を照射すると顕著に発現が誘

導されることが分かった。しかし、その光の効果の実体は不明である。そこで、光の

効果の性質について調べるために、光強度や照射時間を変えて、fbaA 発現量を調べた。

グルコース存在下での光照射は、光強度が強く照射時間が長いほど、fbaA 発現誘導に

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効果を示した。そこで、光照射量を一定になるように照射時間を調節し、 fbaA の発現

量を調べると、どの光照射も同程度の発現促進効果が見られ、照射光の光子量と発現

促進効果の関係が高いことが分かった。

さらに、どの波長の光が発現の誘導に効果を持つか光量を一定にそろえて 30 分後の

fbaA 発現量を調べたところ、青(450 nm 近辺)、緑(500 nm 近辺)、赤(600 nm 近

辺)、いずれの波長も発現誘導に有効であった。このことから、この光による発現誘導

系では単一の光受容体のみが関わっているのではなく、複数の光受容体により光信号

を関知し遺伝子発現の発現を誘導していることが推定された。

(2) 解糖系酵素遺伝子の調節に関わる光の光量の解析

さらに、前年度までの研究で、DNA 結合モチーフを持つ二成分制御系のレスポンス

レギュレーターをコードすると推定される遺伝子( sll1330)が、グルコース存在下で

のパルス光による fbaA の発現誘導に関わっていることが分かった。sll1330 はレスポ

ンスレギュレーターと予想され、未同定のヒスチジンキナーゼと対を成し、グルコー

スや光環境の変化に応じてリン酸化反応を介して遺伝子発現を誘導していると推定さ

れる。また、sll1330 は、DNA 結合モチーフを持ち、DNA の調節部位に結合し機能す

ると予想された。sll1330 の破壊株で、 fbaA 発現を解析したところ、グルコース存在

下でパルス光を照射した際の発現誘導効果は失われていたが、グルコースが無い条件

で連続光を照射すると fbaA 発現が誘導された。この条件の fbaA 発現の誘導は連続光

による効果として、グルコース存在下でのパルス光の発現誘導効果とは別のものであ

る事が示された。このことから、 fbaA 発現調節系には 2 つあり、一つは連続光による

系、もう一つはグルコースとパルス光が関与する系であることが示された。

(3) 解糖系酵素遺伝子の調節因子の解析

fbaA の発現誘導の調節因子として同定された sll1330 の発現調節を調べた。sll1330

はグルコースが無い条件ではほとんど発現が見られず、グルコースを存在下で発現量

が大きく上昇する事、グルコース非存在下では光照射してもあまり発現が見られない

事が分かり、sll1330 はグルコースの有無に応答して発現量が変化していることが明ら

かとなった。さらに、sll1330 の発現を調節している遺伝子として、ヒスチジンキナー

ゼをコードすると推定される遺伝子 (Hik8 )が同定された。Hik8 の破壊株では sll1330

の発現量が低下し、グルコースを加えても sll1330 の発現量が上昇しなくなっていた。

さらに、Hik8 の破壊により、グルコース存在下でのパルス光による fbaA 発現の誘導

効果が失われた。この原因として、Hik8 の破壊により、グルコースを添加しても

sll1330 の発現誘導が起こらなくなるため、 fbaA 発現の誘導も起こらなくなったと推

定された。

3. 研究評価及び今後の研究計画

解糖系酵素遺伝子 fbaA の発現調節に関わる光を定量的に解析し、波長についても

解析を行い、複数の光受容体が関与している可能性を指摘できた。さらに、fbaA 発現

調節系には2系統あり、一つは連続光による系、もう一つはグルコースとパルス光が関

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与する系であることが見出された。さらに、解析を進めることにより、光による調節

の実体解明とグルコース感知系がどのように関わるかについても理解が進むと期待さ

れる。

また、 fbaA 発現調節に関与する遺伝子sll1330 を同定し、その発現を調節する遺伝

子の同定に成功し、解析が進める事が出来た。複数の遺伝子の同定と、信号伝達の流

れの一端が解明できたことで、エネルギー代謝の調節の理解を深める上で重要な知見

が得られたと思われる。

今後の研究計画としては、以下の計画を予定している。

○本研究で見出された 2 系統の fbaA 発現調節(一つは連続光による系、もう一つはグ

ルコースとパルス光が関与する系)の両方の、調節機構の解析を進める。特に光情報

伝達系とグルコースの関知機構が sll1330 を介して相互作用していることが推定され

た。この遺伝子発現の詳細な解析を進めて、シアノバクテリアの光情報伝達を整理す

ることを目指す。

○解糖系遺伝子の発現調節とプロモーター配列の解析

sll1330 により調節されている遺伝子として、fbaA 遺伝子以外にも解糖系の酵素群

をコードする遺伝子が見つかった。これらの遺伝子発現の調節には共通の調節機構が

関与していることが推定される。Sll1330 タンパク質が fbaA や他の解糖系の遺伝子の

上流部分の DNA 塩基配列と結合する可能性が考えられるので、プロモーター配列のモ

チーフを探し、さらに、詳細に遺伝子の発現調節との関係について解析する。上流の

配列を一部改変、削除し、その影響を調べる。

○ヒスチジンキナーゼと推定される調節遺伝子 Hik8 の解析

Hik8 の機能は、アミノ酸配列から二成分制御系ヒスチジンキナーゼと推定されてい

る。そのため、Hik8 はグルコースの細胞内の量の増減に、応じて sll1330 の発現を活

性化・抑制を制御していると考えられる。Hik8 がグルコースのセンサーとして働いて

いる可能性について検討する。また、Hik8 と対をなすレスポンスレギュレーターとし

て働いている未知の調節因子が存在すると予想される。そのような調節因子が sll1330

の発現調節を行っていると推定されるので、その未知の調節因子をコードする遺伝子

の同定を試みる。

4. 研究成果の発表

原著論文

(1) Tabei Y, Okada K, Horii E, Mitsui M, Nagashima Y, Sakai T, Yoshida T, Kamiya

A, Fujiwara S, Tsuzuki M., Two Regulatory Networks Mediated by Light and

Glucose Involved in Glycolytic Gene Expression in Cyanobacteria., Plant Cell

Physiol.(査読有 ), (印刷中 ) (2012).

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国内学会発表

(1) 長島祥晃、岡田克彦、都筑幹夫、Synechocystis sp. PCC6803 の従属栄養条件下に

おける sll1334 の役割、日本植物学会第 75 回大会、2011/9、東京.

(2) 岡田克彦、堀井瑛介、田部井陽介、吉田拓也、神谷明男、藤原祥子、都筑幹夫、

Synechocystis sp. PCC6803 の fbaA における二系統の発現誘導光シグナル、第 53

回日本植物生理学会年会、2012/3、京都.

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線虫 C. elegans をモデルとした個体レベルでの研究

井上 英史(基礎生命科学研究室・教授)

1. 当初の研究目標

線虫(C. elegans)は実験モデル生物として様々な利点をもち,特に,個体レベルの応

答と遺伝子レベルでの現象を結びつける上で,最も有効な実験モデル多細胞生物であると

言える.この課題では,実験モデル生物としての線虫の利点を活かして,環境適応の分子

機構解明にアプローチする. まずは,環境因子として種々の低分子有機化合物,ヒ素化合

物を対象とし,生物(線虫)個体の発生、形態・器官形成、行動、生殖、寿命等に与える

影響を検討する.次に適当な化合物に標的を絞り,順遺伝学・逆遺伝学の方法を用いて環

境応答に関与する因子(遺伝子,タンパク質)を同定する.さらにその因子が他の因子と

どのように関連して環境応答に寄与するか,そのメカニズムを分子レベルで明らかにする.

また,このプロジェクトの他の研究者の課題の中で,線虫(C. elegans)の系を活用でき

るものに関して,共同研究によりサポートする.

環境因子(化学物質)との相互作用を解析するにあたり,感受性の高い変異株を用いる

ことは実験の感度を上げる上でメリットがあり,また,その環境因子と生物個体の相互作

用を理解するヒントが得られることも期待される. 今年度は,様々な刺激に高感受性化し

ていると考えられる線虫株を用いて,様々な化合物の影響を評価する系の構築を行う.

第一は,熱ショック応答性遺伝子とGFPレポーターの融合遺伝子を組み込んだ線虫株を利

用する.これは,ERやミトコンドリアにおけるタンパク質変性等のストレスや酸化ストレ

スを感受する.

第二に,インシュリンシグナル系や Ras シグナル伝達系の下流で応答する遺伝子を利用

したシグナル感受性線虫株を利用する.これらを用いることにより,エネルギー代謝や発

生,器官形成の調節系に影響する因子をスクリーニングすることができる.エネルギー代

謝系は寿命や老化とも密接に関係すると考えられ,その調節機構の一端を明らかにする化

学的ツールを得ることを目標に,種々の化合物の活性を測定する.

2. 研究成果の概要

(1) アオイ科植物カカオ抽出物のストレス抵抗性亢進および寿命延長効果とメカニズムの

解析

C. elegans の寿命には,インシュリンシグナル系や自然免疫関連のシグナル系などが関

与することが知られている.エネルギー代謝系は寿命や老化とも密接に関係すると考えら

れ,その調節機構の一端を明らかにする化学的ツールを得ることを目標に,種々の化合物

の活性を測定した.その中で,アオイ科植物カカオの果実に由来するプロシアジニン画分

(CLPr)に寿命を延ばす作用を見出した.C. elegans の寿命は,20℃で4週間程度,25℃

で 3 週間程度であるが,30%程度の平均寿命の延長が見られた.C. elegans の寿命を延ば

す作用をもつ化合物として,赤ワインのポリフェノール成分であるレスベラトロールがよ

く知られているが,CLPr からはレスベラトロールは検出されなかった.レスベラトロー

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ルとは異なるポリフェノールが寿命延長作用を示していることが考えられる.そこで,こ

の果実から同定されているポリフェノールとして量の多いカテキンとエピカテキンについ

ても寿命に対する影響を試験した.その結果,エピカテキンにも寿命延長効果が見られた

が,その作用は,CLPr による長寿命化を説明するに充分なものではなかった.カテキン

やエピカテキン以外の成分の作用が重要であると考えられる.CLPr にはこれらポリフェ

ノールが重合した成分が多種含まれるが,3量体以下を主とする低分子画分と4量体以上

を主とする高分子画分に分離して試験したところ,餌として生きた大腸菌を用いたときに

は高分子画分により強い長寿命化効果が見られ,死菌を用いたときには3量体以下を主と

する低分子画分に長寿命化活性が見られた.また,死菌を餌として用いて,二量体

Procyanidin B2 あるいは三量体 Procyanidin C1 を CLPr の代わりに投与したところ,いず

れの場合も長寿命化が見られた.以上のことから,少なくとも二量体および三量体プロシ

アニジンが C.elegans を長寿命化する活性をもつことが明らかになった.

CLPr の作用機構を明らかにする目的で,寿命•老化に関わることが知られている種々の

シグナル伝達系の変異体を用いて解析を行った.その結果からは,CLPr はインスリン様

シグナル系の欠失変異体に対しても長寿命化活性を示すことから,これとは別のメカニズ

ムによることが考えられる.また食餌制限を起こす変異体に対しても CLPr は長寿命化作

用を示す.一方,unc-43 の変異体に対しては有意な長寿命化作用が見られず,また,unc-43

の下流で機能していることが知られている p38 MAP キナーゼ経路の遺伝子

sek-1/MAPKK の機能喪失変異体においても CLPr による長寿命化は観察されなかった.

これらのことから,CLPr による長寿命化には CaMKII/p38 MAPK 経路が必要である

ことが明らかになった.

(2) Syntaxin17 の脂肪滴形成への関与について:個体レベルでの解析(多賀谷光男との共

同研究)

多賀谷グループは,Syntaxin17 が脂肪滴形成に関与していることを細胞レベルの解析

で見出している.そこで, C. elegans を用いることにより,脂肪滴形成における

Syntaxin17 の関与について個体レベルでの解析を行った. C. elegans の Syntaxin17

をコードする syx-17 遺伝子を摂食法 RNAi によりノックダウンし,種々の染色法により

観察した.C.elegans を固定化してから Nile Red 染色すると脂肪滴が染まることが報告

されている.一方,生きた状態ではリソソームが染色される.また,BODIPY 染色では主

にリソソームが染まるとされている.各染色法による解析を行ったところ,固定化 Nile

Red 染色による蛍光は,RNAi により変化が見られなかったが,Live Nile Red 染色と

BODIPY 染色では RNAi による蛍光の増大が観察された.これらのことから,個体レベル

の解析では Syntaxin17 のノックダウンによる脂肪滴形成への影響は見出せなかったが,

リソソームに何らかの影響を及ぼしていることが示唆された.

3. 研究評価及び今後の研究計画

(1) アオイ科植物カカオ抽出物のストレス抵抗性亢進および寿命延長効果とメカニズムの

解析

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カカオ抽出物による C.elegans の長寿命化における有効成分が,二量体あるいは三量体

のプロシアニジンであることが明らかになった.また,CLPrによる長寿命化には,CaMKII

/ p38 MAPキナーゼ経路が必要であることが明らかになった.CaMKII / p38 MAPキナ

ーゼ経路は,C.elegans の走化性等に関与している感覚神経の分化に寄与していることが

知られている.現在,「CLPr による長寿命化作用点が感覚神経を介している」ことを想定

しており,この仮説の立証を試みている.

(2)Ras シグナル抑制活性をもつ化合物の探索

Ras シグナル系の亢進による陰門形成の異常や,神経機能の異常をエボジアミンやルテ

カルピンが抑えることを見出している.Ras の活性化に必要なファルネシルトランスフェ

ラーゼをエボジアミンやルテカルピンが阻害していることを想定しており,その立証を試

みている.

また,この戦略研究のメンバーである伊藤久央の研究室で合成された亜鉛可視化試薬が,

亜鉛酵素であるファルネシルトランスフェラーゼを阻害することを想定しており,その立

証を試みる.

(3) 環境因子(食物)の感知,脂質代謝,寿命の関連

この研究課題では,いくつかの独立したテーマのもとに研究を進めたが,結果的に共通

のキーワードを有するに至った.すなわち,

○ 感覚神経を介した食物(餌)あるいはそれに関連した化学物質の感知

○ 脂質代謝あるいは脂肪蓄積

○ 老化あるいは寿命

の3つである.これらのキーワード(概念)を軸にすることにより,これまで進めて来た

研究を統合し,発展することができると考えている.そのために,次のような研究を新た

に開始している.

○ 感覚神経で機能する遺伝子の変異が餌の感知や脂質代謝,寿命に及ぼす影響の解析

○ 老化過程での代謝物変動(NMR 多変量解析を用いたメタボローム解析)

このことを介して,「環境因子の変動」への応答として「代謝の変動」と「老化」に着眼し

て,これらを結びつけ,そのメカニズムを明らかにするように研究を展開する.

4. 研究成果の発表

原著論文

(1) Yoshina, S., Sakaki , K., Yonezumi-Hayashi , A., Gengyo-Ando, K., Inoue, H., Iino , Y. ,

Mitani , S. Mol. Biol. Cell 23, 1728-41. Identification of a novel ADAMTS9/GON -1

function for protein transport from the ER to the Golgi. (2012)

国際学会発表

(1) Amagasa, K., Asano, K., Morioka, Y., Kambe, A., and Inoue, H. ,

Indolequinazoline alkaloides evodiamine and rutaecarpine suppress

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multivulva of an activating Ras mutant. 18th International C. elegans Meeting,

2011/6,Los Angels.

(2) Yun, Y.S., Noda, S., Takahashi, S., Umemura, M., Takahashi, Y., and Inoue, H. ,

Compounds from piper nigrum inhibit cAMP/CREB-dependent transcription.

8th AFMC International Medicinal Chemistry Symposium (AIMECS11) ,

2011/11, Tokyo.

国内学会発表:

(1) 井上英史,カカオ由来プロシアニジン画分によるモデル生物 C. elegans の寿命延長,

第 16 回チョコレート・ココア国際栄養シンポジウム,2011/9, 東京 (依頼講演)

(2) 雨笠航介,浅野華穂里,森岡祐介,神部明日香,尹 永淑,井上英史,生薬ゴシュユ

は線虫の Ras/MAPK シグナル経路を阻害する,第 84 回日本生化学会大会,2011/9,

京都

(3) 塩浦麻梨子,尹 永淑,蓮田知代,一柳幸生,高橋 滋,高橋勇二,井上英史,青柳

裕,木下武司,朴 火玄宣,岡田 稔,竹谷孝一,cAMP/CREB 依存的転写を阻害する

天然化合物の探索,日本生薬学会第 58 年会,2011/9,東京

(4) 尹 永淑,野田幸恵,重森源太,栗山龍之介,高橋 滋,梅村真理子,高橋勇二,井

上英史,ローズマリー(Rosmarinus officinalis)から単離した糖新生に関与する

cAMP/CREB 依存的転写を阻害する化合物,第 4 回食品薬学シンポジウム,2011/10,

東京

(5) 片山絵梨,柳 侑希,池田絵理,井上英史,Ubiquitin C-terminal hydrolase UBH-1

is required to maintain osmotic sensitivit y of C. elegans. 第 34 回日本分子生物

学会,2011/12,横浜

(6) 雨笠 航介,神部 明日香,夏目 みどり ,角 公一郎,井上 英史,カカオ由来プロシアニ

ジン画分による線虫 C.elegans の寿命延長,日本薬学会第 132 年会,2012/3,札幌

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遺伝的・環境的ストレスによる統合失調症の発症メカニズムの解明

福田 敏史(分子生化学研究室・講師)

1. 当初の研究目標

統合失調症は、世界人口の約 1%が罹患していると言われる代表的な精神疾患であ

る。要因としては遺伝子の変異に伴う異常蛋白質の発現や発現量変化を伴う遺伝的な

ストレスと、社会や対人的なものを含む環境因子によるストレスとの相互作用によっ

て発症すると考えられている。本研究において、統合失調症関連蛋白質 DISC1 と相互

作用する新規蛋白質 CAMDI を同定した。この遺伝子の発現異常や発現阻害阻害を培

養細胞において確認し、その成果をマウスにおいて解析することを目的としている。

このことにより、遺伝的要因と環境的要因による両ストレスと統合失調症の発症メカ

ニズムとの関連について細胞・個体レベルで明らかにする。また、CAMDI 遺伝子の

存在している染色体領域は自閉症の患者で見つかっている原因ゲノム領域の一つでも

ある。これらのことから、本研究の成果を応用により未だ根本的な治療法のない統合

失調症や自閉症といった精神疾患の発症機構や治療標的分子の同定を期待できる可能

性があると考えられる。

CAMDI 遺伝子は本研究により機能を見いだされた新規遺伝子であり、大脳皮質をは

じめとする脳神経系に多く発現していることが明らかになった。特に胎児期において

大脳皮質の神経細胞が 6 層構造を形成する際に必須の神経細胞移動を始める脳室中間

帯( IZ: Intermediate Zone)に発現していることを報告した(Fukuda T., et al. (2010)

J. Biol. Chem.)。統合失調症では鬱(うつ)や躁(そう)、妄想、記憶障害などの症

状が見られる。また、遺伝や環境要因による影響を受けて発症することから、発生期

における大脳皮質の層構造形成異常や成体新神経細胞の機能的な成熟異常が示唆され

る。更に個体レベルで研究を行うことで、組織学的、行動学的な知見や統合失調症の

発症メカニズムと環境要因との関係を見出すことが可能になる。昨年度までの研究に

より、CAMDI 遺伝子ノックアウトマウスの作出に成功した。そこで平成 23 年度は二

つの目標を掲げた。まず第一に、CAMDI 遺伝子ノックアウトマウスの組織学的解析を

行なう。患者死後脳で頻繁に異常が見られる前脳と海馬に重点を置き、細胞の密度や

脳室拡大の有無、突起形成状況などを詳細に検討する。第二に、CAMDI 遺伝子ノック

アウトマウスの行動学的解析を行なう。バッククロスが完了していないため、予備的

な解析を行なうことを目標とした。

2. 研究成果の概要

上記の観点から、以下の二点において解析を行った。

(1) CAMDI 遺伝子ノックアウトマウスの組織学的解析

CAMDI 遺伝子は新規遺伝子であるため、その個体における機能は不明であ

る。そこで CAMDI 遺伝子のノックアウトマウスの作製を行なったところ、大

脳において、神経細胞移動、樹状突起形成ならびに神経回路網の異常が起きてい

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ることが明らかとなった。そこで、患者死後脳で頻繁に異常が見られる大脳皮質

に重点を置き、細胞の密度や脳室拡大の有無、突起形成状況などを詳細に検討し

た。生後 2 日目と 21 日目の大脳皮質、海馬において大脳全体の大きさや細胞密

度、細胞数の減少に伴う脳室の拡大は観察されなかった。次に子宮内遺伝子導入

法を用いて EGFP 遺伝子を発現させることで、神経軸索の伸張や樹状突起にお

けるシナプス形成(スパイン形成)における影響を観察した。胎生 14 日目の脳

質に EGFP 遺伝子を微量注入して電気パルスをかけることで神経前駆細胞に遺

伝子を導入した。その後、生後 21 日目まで正常発生を行なわせて組織学的解析

を行った。胎生 14 日目に EGFP 遺伝子を導入することで大脳皮質の II/III 層の

細胞の詳細な検討を行った。まず、樹状突起の長さを計測したところ、ノックア

ウトマウスで有意に短くなっていることが明らかとなった。正常に細胞移動を行

なっている細胞で観察されていることから、CAMDI 遺伝子が細胞移動以外の機

能を担っていることが示唆された。次に、樹状突起に形成されるスパイン(シナ

プス形成部位)の形状を詳細に観察した。スパインの頭の大きさを測定したとこ

ろ、ノックアウトマウスで小さい傾向が認められた。また、スパインの密度は有

意に高く、スパインのネックの長さは長い傾向が認められた。これらのようなス

パイン形成の未成熟や形成異常は、精神疾患の患者剖検脳の解析からも明らかに

されており、病態との関連性が指摘されている。以上のことから、CAMDI 遺伝

子ノックアウトマウスでは、樹状突起形成ならびにスパイン形成に異常があるこ

とが明らかとなった。

つぎに、神経細胞の興奮性を比較するために、下記の強制水泳試験後の c-fos

の発現解析を行った。 c-fos は最初期発現遺伝子の一つであり、行動試験に伴う

神経活動の興奮マーカーとして利用されている。野生型マウスでは、強制水泳試

験後に大脳皮質運動野や前帯状皮質、線条体などで c-fos の発現が上昇すること

が知られており、その様子が認められた。一方、CAMDI 遺伝子ノックアウトマ

ウスでは、強制水泳試験における c-fos 発現の上昇は認められず、神経活動の低

下が確認された。海馬における c-fos の発現上昇は野生型とノックアウトマウス

では差が認められず、強制水泳試験における神経活動の差は大脳皮質や線条体に

限られることが明らかとなった。

(2) CAMDI 遺伝子ノックアウトマウスの行動学的解析

CAMDI 遺伝子の個体レベルでの機能を明らかにするために、CAMDI 遺伝子

ノックアウトマウスの行動学的解析を行なった。まず、ノックアウトマウスのバ

ッククロスを行ない、99%以上の純系化を行なったマウスの作出に成功した。一

方で、バッククロスの完成していない個体(〜90%程度)を用いて予備的な行動

解析を行なった。特にうつや意欲、社会性に関する行動を解析することを念頭に

おき、解析系を立ち上げた。また、統合失調症は思春期以降に発症することが多

いので、ノックアウトマウスにおいてもその行動をいくつかの発達段階に分けて

解析することを考えている。そこで、幼児期(生後 21 日目)と思春期以降(生

後 56 日目以降)に焦点を当てて検討を行った。幼児期における匂い嗅ぎ行動(社

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会性)、毛繕いや穴掘り行動(常同性)、思春期以降のオープンフィールド試験

(行動性、恐怖、うつ)、強制水泳試験(うつ)、感覚感受性試験(感覚過敏、

鈍麻)、3 チャンバー試験(社会性)、ガラス玉覆い隠し試験(常同性)などを

行なった。まだ予備的な段階であり結論をつけられないが、現在までに判明して

いる CAMDI 遺伝子ノックアウトマウスの表現型は、精神疾患で見られる表現型

と類似点が多く興味深い結果が得られている。特に幼児期における行動試験で異

常が見られた場合、自閉症等を含む発達障害のモデルと考えられている。CAMDI

遺伝子ノックアウトマウスでも幼児期における行動に異常が認められる傾向が

あるため、精神疾患の中でも発達障害を呈している可能性を示唆するデータを得

つつ有る。

(3) 組織的連携の成果

ATF5 ノックアウトマウスにおける大脳皮質神経細胞と軸索走行、樹状突起形

成に関して解析を行った。神経細胞の移動にやや異常があり、今後詳細な解析

を行う予定である。

3. 研究評価及び今後の研究計画

本年度は、CAMDI 遺伝子ノックアウトマウスの組織学的解析ならびに行動学的解析

を試みた。まず、CAMDI 遺伝子ノックアウトマウスにおける大脳皮質の神経細胞移動

の異常に加え、大脳皮質の樹状突起の形成阻害とスパイン形成の阻害、未成熟が確認

された。精神疾患の患者剖検脳で大脳皮質において同様の異常所見が認められている

ことから、CAMDI 遺伝子ノックアウトマウスが精神疾患のモデルマウスとなる可能性

が示唆された。また、予備的な行動学的解析において、発達障害を疑わせるデータを

得つつ有る。さらに、強制水泳後の c-fos の発現上昇の低下が認められている。これら

の結果を総合すると、CAMDI 遺伝子は大脳皮質の神経細胞の移動、樹状突起やスパイ

ン形成に重要であり、欠損することで神経活動の低下を含む発達障害を呈し、異常な

行動を引き起こしていることが示唆される。このことは、本研究計画で発見した

機能未知の遺伝子 CAMDI が新たな精神疾患関連遺伝子である可能性を示唆し、統

合失調症をはじめとする精神疾患発症の分子メカニズムを解明するために重要な役割

を担うことを示すものである。

これらの結果を踏まえて次年度では、CAMDI 遺伝子ノックアウトマウスの詳細な

行動学的解析と、行動異常を引き起こす分子メカニズムの解析を行う。行動学的解析

に関しては、ノックアウトマウスのバッククロスが完成したため、コロニー数を増や

して解析スピードを上げる。また、様々な行動解析後の状態といった環境因子を変化

させた時に起こる脳内の変化を c-fosを中心とした神経細胞の活動マーカーを用いて解

析を行う。分子メカニズムの解析においては、酵母ツーハイブリッド法を用いた新規

CAMDI 結合蛋白質の同定を行なう予定である。昨年度までの研究で新たに結合蛋白質

として AMPA 受容体のリサイクリングに関与する CBP を同定している。行動学的解

析として記憶試験などを視野に入れる他、新たな結合蛋白質を同定することで CAMDI

の欠損による行動異常のメカニズムを解析する。さらに、CAMDI は DISC1 の結合蛋

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白質として同定したが、DISC1 が核内で転写制御している可能性が示唆されている。

CAMDI が DISC1 の機能を制御していると仮定すると、遺伝子発現の制御が変化して

いる可能性も考えられる。網羅的に DNA チップを用いて発現変化している遺伝子の解

析をしていく予定である。

現在までに判明している CAMDI 遺伝子ノックアウトマウスの表現型は、精神疾患、

特に発達障害で見られる表現型と類似点が多く興味深い。本研究の目的である統合失

調症関連遺伝子の変異に伴う異常蛋白質の発現によるストレスと、環境因子によるス

トレスとの相互作用による発症要因の解明につなげていく予定である。

4. 研究成果の発表

原著論文

(1) Yonashiro, R., Kimijima, Y., Shimura, T., Kawaguchi, K., Fukuda, T.,

Inatome, R., and Yanagi, S.

Mitochondrial ubiquitin ligase MITOL blocks S-nitrosylated MAP1B-light

chain 1-mediated mitochondrial dysfunction and neuronal cell death.

Proc. Natl. Acad. Sci. U.S.A. 109(7), 2382-2387 (2012)

(2) Nagashima, S., Fukuda, T., Kubota, Y., Sugiura, A., Nakao, M., Inatome,

R., and Yanagi, S.

CRAG protects neuronal cells against cytotoxicity of expanded

polyglutamine protein partially via c-fos-dependent AP-1 activation.

J. Biol. Chem. 286(39), 33879-33889 (2011)

国内学会発表

(1) 服部 晶、福田敏史、岩瀬彩香、須田幸司、三浦恒平、山崎紘子、渡部愛美、

長島 駿、稲留涼子、柳 茂

Functional Analysis of CAMDI during hippocampus development.

第 34 回日本分子生物学会年会 , 2011 年 12 月 13 日 , 横浜

(2) 長島 駿、福田敏史、岩瀬彩香、三浦恒平、稲留涼子、柳 茂

CRAG は c-fos 依存的な AP-1 の活性化を介して異常伸長したポリグルタミンの

毒性から細胞を保護する CRAG protects neuronal cells against cytotoxicity

of expanded polyglutamine protein partially via c -fos-dependent AP-1

activation.

第 34 回日本神経科学大会 . 2011 年 9 月 15 日 , 横浜

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環境ストレス因子の生体組織内での動態解明を目的とした

蛍光プローブの創製

伊藤 久央 (生物有機化学研究室・教授)

1.当初の研究目標

金属イオンは,生物の環境応答に密接に関与している因子である.なかでも亜鉛イオンは,生体

内において酵素活性やアポトーシスに関係している重要な金属イオンである.これらの金属の生体

内における動態が解析できれば,生物応答における分子機構解明に役立つと考えられる.本共同研

究ではこの点に着目し,金属イオンを始めとする機能性小分子の可視化解析を可能とする蛍光分子

の開発に関して研究を遂行し,最終的に分子生物学分野,環境計測分野への広い応用の可能性につ

いて検証する.

我々のグループでは,亜鉛イオンに特異的に結合して二波長性の応答を示す蛍光プローブ 1の開

発にすでに成功している.この化合物は亜鉛イオンに対して配位して化合物 2となることにより蛍

光波長が変化する,いわゆる二波長性の応答を示す分子である.平成21年度の検討で,化合物 1

の亜鉛錯体である 2に対し,環境ストレス因子となりうるリンやヒ素(3価ないしは5価)を添加

すると,リンやヒ素がルイス塩基として機能し,錯体より亜鉛を解離させることを明らかとした.

この現象を利用することにより,リン酸やヒ酸に対する二波長性蛍光プローブの開発の可能性が示

唆された.そこでこれらの現象を応用するため,更なる検討を行うことを計画した.

さらに,化合物 1のイオノフォア部位の修飾による金属選択性の変化等について検討を行った.

2.研究成果の概要

平成23年度における研究成果の概略を以下に示す.まず,平成22年度の検討課題であり,化

合物 1 へリンカー導入の足がかりとなる官能基を導入した化合物 3の合成に成功している.このも

のに対し,リンカーとなる分子を導入した化合物の蛍光特性について検討した.また,化合物1の

イオノフォア部位を修飾した化合物を合成し,他の金属イオンとの親和性について検討した.以下

に詳細を示す.

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(1)蛍光プローブへマイケル受容体を導入した化合物の亜鉛イオンとルイス塩基に対する蛍光

応答

我々が開発した蛍光プローブ 1は,亜鉛イオン選択的に二波長性の応答を示す.すなわち,蛍光

プローブ 1は極大波長 450 nm近辺の青色の蛍光を発しているが,蛍光プローブが亜鉛イオンに配

位して上記の化合物 2となることにより,極大波長 550 nm近辺の緑色の蛍光を発する.亜鉛錯体

となった化合物 2に対してルイス塩基を加えると,ルイス塩基が亜鉛イオンと錯体形成し,亜鉛イ

オンと蛍光プローブ 1が解離することによって二波長性の応答を示す.そこで,亜鉛識別形蛍光分

子の分子内にリンカー導入の足がかりとなる官能基を構築した化合物を合成し,上記ルイス塩基型

環境ストレス因子の検出蛍光試薬の開発をめざした.すなわち,蛍光分子のピリジン部位にマイケ

ル受容体となるアクリロイル基を導入し化合物 3の合成に成功した.このものに対し,HSAB理論

に基づきチオールを有するメルカプトエタノールをマイケル受容体にマイケル付加させたところ,

化合物 8が定量的に得られた.

このものに対し,まず亜鉛イオンを作用させ亜鉛錯体とした後,リン酸イオンを加えたところ,

先に述べた化合物1の場合と同様にリン酸イオンに対し二波長性の応答を示すことが明らかとなっ

た.今後はチオール残基を有するリンカーが固定されている樹脂や,さらにはシステイン残基を有

するペプチドに本化合物を導入し,リン酸イオン検出型樹脂やペプチドの開発について検討する.

(2)化合物 1のイオノフォア部位を修飾した蛍光プローブの開発

上記のプロジェクトとは別に,化合物 1のイオノフォア部位の修飾による他の金属への応答を可

能とする蛍光分子の開発について検討した.まず,キノリン部位のメトキシ基を他の置換基へと変

換させた.化合物 1のメトキシ基を水酸基へと変換した化合物がマグネシウムイオン選択的に応答

することを明らかとしているが,その水酸基にメトキシカルボニルメチル基(酢酸メチルユニット)

を導入した化合物 9 を合成した.化合物 9 に対し,種々の金属イオンとの応答を精査したところ,

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亜鉛イオンやマグネシウムイオンに対する応答は減少したが,カドミウムイオンに対し強く二波長

性の応答を示すことが明らかとなった.

3.研究評価及び今後の研究計画

平成23年度は先に説明したように,まず亜鉛イオン識別型蛍光プローブを基盤とし,ルイス塩

基検出型蛍光プローブへの応用について検討した.すなわち,蛍光分子 1に対するマイケル受容体

となる官能基を導入した化合物 3に対し,リンカーのモデルであるメルカプトエタノールを付加さ

せることに成功し,化合物 8を定量的に得た.この化合物は亜鉛イオン存在下,ルイス塩基である

リン酸イオンと二波長性の応答を示すことを明らかとした.今後はチオール残基を有するリンカー

が固定されている樹脂や,さらにはシステイン残基を有するペプチドに本化合物を導入し,リン酸

イオン検出型樹脂やペプチドの開発をめざしたい.

また,化合物 1のイオノフォア部位を修飾,すなわちメトキシカルボニルメチル基を導入した化

合物 9を合成したところ,カドミウムイオンに選択的に二波長性の応答を示すことが明らかとなっ

た.今後さらにイオノフォア部位を修飾し,さらなる金属イオン選択性を検討していく予定である.

4.研究成果の発表

国内学会発表

(1)小林豊晴、篠部歩、阿部秀樹、伊藤久央,亜鉛イオン応答型新規二波長性分子の開発とその

展開,第 2回医薬工 3大学包括連携推進シンポジウム,2012年 3月 10日 東京

(2)篠部歩,小林豊晴,阿部秀樹,工藤佳久,伊藤久央,PKA 活性測定を指向した亜鉛応答型

蛍光ペプチドの開発研究,日本薬学会第 132年会,2012年 3月 30日 札幌

(3)小林豊晴,森口陽介,阿部秀樹,伊藤久央,カドミウム識別型新規二波長性蛍光分子の開発,

日本薬学会第 132年会,2012年 3月 30日 札幌

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化学物質に対するに生体分子の応答ダイナミクス

内田 達也(環境衛生化学研究室・准教授)

1. 当初の研究目標

生菌を水晶振動子マイクロバランスセンサ上に固定化し、化学物質との相互作用、ウイルス

感染挙動の詳細を解明する。特に、生菌としては E.coli を用い、λファージウイルスとの感

染から溶菌に至るまでプロセスをリアルタイムに観測する。また、E.coliに対するタンパク質

の吸着を詳細に検討することで、水晶振動子マイクロバランスセンサの検出感度特性を明らか

にする。

2. 研究成果の概要

前年度、ヒトエストロゲン受容体(hER)タンパク質産性 Escherichia coli(E.coli) をセンサ

面に固定することには成功した。しかし、エストロゲン類との結合を観測できなかった。また、

E.coli体内で hERタンパク質は、十分生産されていた。hERタンパク質とエストロゲン類の結

合が本質的に極めて弱いことが示唆された。これらの結果を踏まえ、E.coliを高密度に固定化

したセンサを「生きた」バイオセンサとして、ウイルス、生体外タンパク質の結合計測に活用

することに注力した。

(1) センサ表面に対する E. coli固定条件の最適化

Anti-E.coli抗体を修飾した金電極表面に、高密度に E. coliに固定するための条件を

最適化した。至適条件で E. coli を固定したセンサ表面をデジタルマイクロスコープで

液中観察したところ、センサ表面に余すとこと無く E.coli固定されていることを確認し

た。同バクテリアを材料表面に固定化したとする報告が数例あるが、それらを著しく上

回る固定化を可能にした。さらに、生理活性を有する細胞に対して蛍光を呈する色素を

用いて、固定した E.coliが生理活性を有することを確認した。

(2) ファージウイルスの検出

E.coli を固定した表面へ、任意の濃度に調整したλphage 溶液を送液したところ、λ

ファージの E.coli に対する吸着が 10 分程度で飽和に達することをリアルタイムで確認

することができた。そのまま、培地の送液を続けたところ、周波数の上昇(質量の減少)

が見られ、E.coli が溶菌していることを顕微鏡で確認した。バクテリアに対するファー

ジウイルスの吸着・感染・溶菌までの全過程を観測することに成功した。

(3) タンパク質の検出

E.coli への結合が予想されるタンパク質分子として、Anti-E.coli 抗体を送液した。

結合を示す明確なセンサ応答を確認することができた。さらに、結合したタンパク質の

局在性を確認するために、蛍光標識二次抗体を送液した。センサ表面を蛍光顕微観察し

たところ、E.coliの外周表面のみから蛍光を確認した。本研究で開発したセンサにより、

バクテリアに対する分子結合のリアルタイム計測が可能であることを実証した。

3. 研究評価及び今後の研究計画

重要な進展があり、当初の目標に対して一定の成果を収めることができた。最終年度では、

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バイクテリア以外に、細胞、オルガネラをセンサ表面に固定し、それらを用いた全く新しいセ

ンサデバイスおよびアッセイを開発する。それと並行して、原子間力顕微鏡によってセンサ表

面の構造をナノレベルで解明しつつ、その機能を制御したナノバイオインターフェイスの構築

を図る。

4. 研究成果の発表

原著論文

(1) Suto, Y., Uchida, T., Kumata, H., Tsuzuki, M., Fujiwara, K., Chemical Sensing of Metal

Ions Using a Silica-Micelle Mesophase Doubly Functionalized by a Fluorogenic

Ionophore and a Masking Agent, Anal. Sci., 27, 673-674(2011).

(2) Kumata, H., Mori, M., Takahashi, S., Takamiya, S., Tsuzuki, M., Uchida, T., Fujiwara,

K., Evaluation of Hydrogenated Resin Acids as Molecular Markers for Tire-wear Debris

in Urban Environments, Environ. Sci. Technol., 45(23), 9990-9997 (2011).

国内学会発表

(1) 秋山勇人、川井祥敬、吉澤智也、秋山潤、藤原祺多夫、内田達也、半導体ナノ微粒子を用い

た超高感度ガスセンサの開発、日本分析化学会第 60年会、2011/9、名古屋

(2) 向井友浩、根田礼子、時下進一、太田敏博、藤原祺多夫、内田達也、フロー型水晶振動子マ

イクロバランス測定装置を用いたリアルタイムウイルス検出、日本分析化学会第 60 年会、

2011/9、名古屋

(3) 川井祥敬、秋山勇人、吉澤智也、秋山潤、藤原祺多夫、内田達也、揮発性有機化合物の超感

度検出を実現とするナノ結晶性半導体センサの開発、日本分析化学会第 60 年会、2011/9、

名古屋

(4) 林由香、向井友浩、藤原祺多夫、内田達也、生細胞を用いた水晶振動子マイクロバランスバ

イオセンサの開発、日本分析化学会第 60年会、2011/9、名古屋

(5) 吉澤智也、秋山勇人、川井祥敬、秋山潤、藤原祺多夫、内田達也、ナノ結晶性半導体センサ

による超低濃度揮発性有機化合物の高速計測、日本分析化学会第 60年会、2011/9、名古屋

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人為的環境ストレスに対する細胞膜脂質構成成分変化の定量化

青木 元秀(環境衛生化学研究室・助教)

熊田 英峰(環境衛生化学研究室・助教)

1. 当初の研究目標

化学物質などの人為的環境ストレスが生命体に及ぼす影響を正確に把握し、その分子

機序を明らかにすることは人類に課せられた喫緊の課題である。本研究課題では、生命

体に化学物質を人為的に暴露した結果と、自然環境中で計測した生命体由来の化学情報

を比較検討することで、化学物質が生命体に及ぼす影響および自然界における人為スト

レスの影響具合を推定することを目的とする。

特に、土壌水界環境中の微生物(真菌・バクテリア・アーキア)は様々な環境ストレ

ス条件において膜脂質を質的・量的に変化させる。化学物質の人為的暴露による膜脂質

成分の種類や組成の変化を探索し、変化の検出に適した成分をバイオマーカーとして土

壌水界環境中での濃度を高感度に定量することができれば、化学物質が自然環境中で生

命に与える影響を評価することが可能となり、将来の環境変動予測に貢献できる。

こうした観点から、本研究課題では以下の2つについて研究を行う。

(1)自然環境中での生命体由来化学情報の取得

土壌水界環境の微生物、陸上高等植物が産生する膜脂質構成成分やその他の低分子有

機化合物について、その自然環境中での種類・組成および存在量を明らかにし、人為

的環境ストレスの影響を定量的に評価することを計画した。

(2)人為的環境ストレスによる脂質成分変化の探索

化石燃料などの燃焼生成物である多環式芳香族炭化水素類 (PAHs)や経済活動に伴う排

水中の重金属類が水圏生態系の第一次生産者である植物プランクトン(藻類)に及ぼす

影響について、その生体膜成分組成の挙動を明らかにし、ストレス影響のメカニズムを

解明する。さらに環境評価に資する脂質バイオマーカーの探索を行い、脂質バイオマー

カー候補に関して、MS2分析機能を利用した脂質成分の構造解析より成分同定に必要

な情報を得る。さらに定量分析による応答特異性について検討することを計画した。

2. 研究成果の概要

(1)自然環境中での生命体由来化学情報の取得

自然環境中に存在する生命体由来低分子有機化合物計測技術の高感度化推進では、①

生体膜成分であるリン脂質とテトラエーテル脂質の簡易一斉分析法の確立と②低分子

量人為および生命体由来マーカー化合物計測による人為起源環境ストレス評価手法の

開発に取り組んでいる。H23年度は①について、土壌中リン脂質一斉分析のための

MS/MSメソッドの確立と、②について、都市大気エアロゾル中のマツ科植物由来ジテ

ルペン類(レジン酸)の解析を行った。その成果の概要は以下のようになる。

①土壌中リン脂質(PL)一斉分析のためのMS/MSメソッドの確立

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市販の卵黄由来PLに含まれる極性頭基の異なる3種のPL(ホスファチジルグリセロ

ール(PG)、ホスファチジルコリン(PC)、ホスファチジルエタノールアミン(PE)

を測定するためのMS/MSメソッドを検討し、PG、PCの極性頭基に由来する特徴的な

フラグメントイオンはm/z=153(ネガティブ)、m/z=184(ポジティブ)であること、

PEでは極性頭基に由来する中性(電荷を持たない)フラグメントが脱離した残基 [M

−141]+が特徴的なフラグメントであることを確認した。これらをターゲットとしてプ

リカーサーイオンスキャン(PG、PCに適用)またはニュートラルロススキャン(PE

に適用)でアシル鎖組成の異なるPLをトラップ、強化分解能スキャン(ER)と強化

プロダクトイオンスキャン(EPI)によりアシル鎖情報を取得する定性分析用の IDA

メソッドを作成した。さらに、このメソッドで土壌中PLを予備的に分析して得たER

マスからQ1、C12—C20アシル鎖のフラグメントをQ3としてMRMチャンネルを作成し

た。また、HPLCによる3種のPLの分離条件を最適化した。このメソッドの定量下限

値(標準溶液列最低濃度の3σとして定義)は、土壌中のPL濃度に対して十分に低い

ことを確認した。これにより、土壌中のPLを一斉分析することが可能となった。

②都市大気エアロゾル中のマツ科植物由来ジテルペン類(レジン酸)の解析

人為及び生命体双方に由来する低分子量化合物をマーカーとして利用し、人為起源

環境ストレスを評価するという観点から、レジン酸について化合物同定、分析方法の

確立、と指標としての評価を行った。レジン酸はマツ科植物樹脂を構成するジテルペ

ノイド骨格を持つ有機酸類で、植物体から直接大気、土壌に、またマツ科植物の燃焼

を経て大気へ放出される。さらに樹脂を化学変性したものがゴム製品の製造に利用さ

れている。これらの起源物質に含まれるレジン酸を抽出、メチル化しGC/MSで保持

指標とMSスペクトルを詳細に検討し、化合物を同定した。その結果、樹脂、燃焼生

成物、ゴム製品それぞれに含まれるレジン酸は共通する成分が多いものの、ゴム製品

においてのみ水素付加体のレジン酸が検出された。レジン酸類の環境分布の解析から、

これらの水素化レジン酸が道路交通由来の有機成分排出を定量的に評価するマーカ

ー物質として利用可能であることが判明した。

(2)人為的環境ストレスによる脂質成分変化の探索

重金属ストレス脂質バイオマーカーの探索では、前年度までに開発された

LC-MS/MS によるラン藻 Synechocystis の生体膜脂質の挙動の一斉分析手法を利用し

て、新たな環境ストレス因子に対する環境評価脂質バイオマーカーの探索に着手した。

重金属ストレス条件下におけるラン藻 Synechocystis の生体膜脂質の挙動を解析し、ス

トレスに応答する脂質バイオマーカーを同定した。さらに、タリウムによる生育毒性が

生体膜脂質代謝と膜構造の健全性に密接に関連していることが明らかにした。また、ラ

ン藻 Synechocystis の生体膜脂質の一種であるスルホキノボシルジアシルグリセロー

ルが DNA 合成に関与することを明らかにした。

原核型藻類であるラン藻以外の藻類の生体膜脂質の挙動を一斉解析する LC-MS/MS

を用いた分析方法に発展させるための検討を行った。新たな分析対象モデル生物として

真核型藻類の緑藻クロレラを用いた。クロレラの生体膜脂質分析では、すでにラン藻で

一斉分析手法を確立している糖脂質3種とリン脂質のホスファチジルグリセロールに

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加えて、ホスファチジルコリン、ホスファチジルエタノールアミンおよびホスファチジ

ルイノシトールの分子種解析のための MS2分析条件を最適化した。さらに、確立され

た分析手法を用いて、ストレス条件下に曝した緑藻クロレラの生体膜脂質の挙動解析に

着手した。

3. 研究評価及び今後の研究計画

「自然環境中での生命体由来化学情報の取得」で開発した LC/MS/MS によるリン脂

質一斉分析法では、検出可能なリン脂質種が限られるため、今後、適用可能範囲を広げ

る必要がある。また、一部のリン脂質については検出感度の面からさらなる改善の余地

がある。今後は、高感度化と検出可能な化合物の範囲を広げるための研究を継続する。

また、ジアシル鎖組成と極性頭基の組み合わせ情報を利用した環境解析方法の確立を目

指し、さまざま微生物種や環境試料について基礎データを拡充して行く。レジン酸を用

いた環境影響評価については、適用例を増やし、多様な環境で適用可能なことを実証し

て行くほか、環境中でのレジン酸の運命を明らかにすることによってレジン酸を用いた

影響評価情報の過誤について検証して行く。

「人為的環境ストレスに対する細胞膜脂質構成成分変化の定量化」で開発された一斉

分析手法は、最終的にバイオマーカーを指標とした人為的環境ストレス物質のスクリー

ニング手段として発展できると考えられる。現在までに、一部のストレス物質しかバイ

オマーカー解析を遂行できていないことから、ストレス条件を変化させたときの藻類群

衆の脂質プロファイルを取得し、ストレス特異的な応答を解析する。さらに、重金属ス

トレス脂質バイオマーカーの探索では、ラン藻 Synechocystis 用に開発した LC-MS/MS

による生体膜脂質の挙動の一斉分析手法をさらに発展させて、水圏中の藻類群衆の生体

膜脂質を一斉分析できる方法として改良することに着手する。

4. 研究成果の発表

原著論文

(1) Aoki, M., Tsuzuki, M., Sato, N.

Involvement of sulfoquinovosyl diacylglycerol in DNA synthesis in

Synechocystis sp. PCC 6803. BMC Research Notes, 5:98 (2012).

doi:10.1186/1756-0500-5-98.

(2) Kumata, H., Mori, M., Takahashi, S., Takamiya, S., Tsuzuki, M., Uchida, T.,

Fujiwara, K.

Evaluation of Hydrogenated Resin Acids as Molecular Markers for Tire-wear

Debris in Urban Environments

Environ. Sci. Technol., 45(23), 9990-9997 (2011).

国際学会発表

(1) Kumata, H., Uchida, M., Saha, M., Kondo, M., Shibata, Y., Takada, H.

Source diagnosis of PAHs from Kolkata canal sediments by using compound

class specific radiocarbon analysis (CCSRA)

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The 4th East Asia AMS Symposium, 2011/12, Tokyo

国内学会発表

(1) 青木元秀 , 藤原祺多夫

SELDI-MS を用いたシアノバクテリアの環境ストレスバイオマーカーの探索 , 第

53 回日本植物生理学会年会 , 2012 年 3 月 , 京都

(2) 高尾有希乃 , 青木元秀 , 熊田英峰 , 藤原祺多夫

低 pH 条件における三価クロム曝露はクロレラの葉緑体膜の異常を引き起こす , 第

53 回日本植物生理学会年会 , 2012 年 3 月 , 京都

(3) 浜出早紀 , 伊藤麻南実 , 熊田英峰 , 青木元秀 , 藤原祺多夫

Window ウォッチによる大気中 PAHs の分布調査:東京都多摩地区の小学校でのケ

ーススタディ

第 20 回日本環境化学討論会 , 2011 年 7 月,熊本

(4) 伊藤麻南実 , 熊田英峰 , 青木元秀 , 藤原祺多夫

パッシブエアサンプラー(PAS)を用いた東京都心・郊外における大気中 PAH の

季節変動評価

第 20 回日本環境化学討論会 , 2011 年 7 月,熊本

(5) 斎藤祥一 , 熊田英峰 , 青木元秀 , 藤原祺多夫

堆積物中 PAHs の PCGC 単離のための前処理法:UCM 除去

第 20 回日本環境化学討論会 , 2011 年 7 月,熊本

(6) Mahua SAHA, 熊田英峰 , 内田昌男 , 柴田康行 , 高田秀重

分子組成解析および化合物群レベル放射性炭素同位体分析(CCSRA)によるイン

ドコルカタ運河堆積物中 PAHs の起源推定 , 熊本県立大学

第 20 回日本環境化学討論会 , 2011 年 7 月,熊本

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