2 大井川鐵道 - BIGLOBE(ビッグローブ)airforce69ers/other/satoh44b.pdf11 2...

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11 2 大井川鐵道 この旅は、これまであまり例のないものだった。小さな旅だというのに、時間に関して、準備 開始の早々から、“戦い”を余儀なくされたのである。しかも、それがしぶとく尾を引いて、実施 の段階に至っても気の抜けない対応が求められる展開となったのだった。 ここ数年、何かと紹介されることが多くなっていたこともあり、大井川鐵道は、そのうち行こ うとしていたところの一つだった。東京や大阪などに出掛ける機会を利用するケースを想定し、 大まかな検討をしてみたことがある。でも、うまく噛み合わず、実行するに至っていなかった。 だからと言って、そこだけを目的に、仙台からわざわざ出向くほど強力な魅力を感じさせる行き 先でもない。そうしたところに聞こえて来たのが、浜松での集まりの話だった。そうとなれば、 これで「決まり!」である。確定した日付を伴った案内がこの1月に届いた時点で、その頃はあ ちこち海外に飛び回っていたこともあって、ノンビリ構えているうちに満杯にならないようにと 思い、寸又峡温泉の宿の予約だけは早々に済ませておいた。 京都から戻った頃から具体的な行程を組み始めたところ、大井川鐵道は恐るべきところに思わ れて来た。実質わずか1日間の行動を定めるだけなのに、経験したことのない面倒な作業となっ たのである。一生に一度限り訪れるからには、してみたいことを時刻表に照らし合わせながら組 み立てようとしても、悉くはじかれて、うまくつながっていかないのだった。希望する事柄と言 っても、始発点の金谷から終点の井川まで乗車すること、奥大井湖上駅で少々の時間を過ごすこ と、寸又峡温泉に泊まることの三点に過ぎず、それほど無理な注文ではないはずだ。冒頭の写真 はネットからの借り物であるが、湖上に跨るこのような鉄橋(レインボーブリッジ)の存在を知ってし まうと、どうしても単純に通過してしまうだけでは物足りない。わずかであっても、そこでの時 間が欲しくなるのは自然なことだろう。本来、このような作業をするときは旅の一部が既に始ま っていて、楽しみながら行うのが常である。そのはずなのに、この時に限ってどこにもそうした 要素がなく、もう行くのを止めてしまおうかと思うほど、嫌気がさすものになっていた。 レインボーブリッジ(半島部の先端に奥大井湖上駅がある) [静岡県観光協会]

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2 大井川鐵道

この旅は、これまであまり例のないものだった。小さな旅だというのに、時間に関して、準備

開始の早々から、“戦い”を余儀なくされたのである。しかも、それがしぶとく尾を引いて、実施

の段階に至っても気の抜けない対応が求められる展開となったのだった。

ここ数年、何かと紹介されることが多くなっていたこともあり、大井川鐵道は、そのうち行こ

うとしていたところの一つだった。東京や大阪などに出掛ける機会を利用するケースを想定し、

大まかな検討をしてみたことがある。でも、うまく噛み合わず、実行するに至っていなかった。

だからと言って、そこだけを目的に、仙台からわざわざ出向くほど強力な魅力を感じさせる行き

先でもない。そうしたところに聞こえて来たのが、浜松での集まりの話だった。そうとなれば、

これで「決まり!」である。確定した日付を伴った案内がこの1月に届いた時点で、その頃はあ

ちこち海外に飛び回っていたこともあって、ノンビリ構えているうちに満杯にならないようにと

思い、寸又峡温泉の宿の予約だけは早々に済ませておいた。

京都から戻った頃から具体的な行程を組み始めたところ、大井川鐵道は恐るべきところに思わ

れて来た。実質わずか1日間の行動を定めるだけなのに、経験したことのない面倒な作業となっ

たのである。一生に一度限り訪れるからには、してみたいことを時刻表に照らし合わせながら組

み立てようとしても、悉くはじかれて、うまくつながっていかないのだった。希望する事柄と言

っても、始発点の金谷から終点の井川まで乗車すること、奥大井湖上駅で少々の時間を過ごすこ

と、寸又峡温泉に泊まることの三点に過ぎず、それほど無理な注文ではないはずだ。冒頭の写真

はネットからの借り物であるが、湖上に跨るこのような鉄橋(レインボーブリッジ)の存在を知ってし

まうと、どうしても単純に通過してしまうだけでは物足りない。わずかであっても、そこでの時

間が欲しくなるのは自然なことだろう。本来、このような作業をするときは旅の一部が既に始ま

っていて、楽しみながら行うのが常である。そのはずなのに、この時に限ってどこにもそうした

要素がなく、もう行くのを止めてしまおうかと思うほど、嫌気がさすものになっていた。

レインボーブリッジ(半島部の先端に奥大井湖上駅がある) [静岡県観光協会]

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聞き慣れない駅名がこれからいくつも出てくるが、次に掲げる路線図にあるように、大井川鐵

道は、金谷と井川の間に大井川線(大井川本線)と井川線の二つの路線を有している。その切り

替えとなるのが、千頭(せんず)だ。通常、前者は電車で、後者は基本的にディーゼル車として運

行されている。また、この鉄道路線の他に、寸又峡線と閑蔵線の二つのバス路線があって、いず

れも千頭が起点となっている。これを基に思い描いた初日の経路は、金谷-千頭-奥大井湖上-

井川-千頭・・・寸又峡温泉というものだった。しかし、計画も実行も何かと思わぬ形で展開した

ことで、区切りとなる三駅以外にも、井川線の奥泉や接岨峡温泉、閑蔵などが絡むことになる。

仙台から出発する場合、6時に自宅を出て朝一番の新幹線を利用すると、乗り換えが順調に進

んで金谷発の列車に乗れたなら、井川への到着は1418となる。でも、そのまま井川から最初

の折り返し便で千頭まで戻ったとしても、寸又峡温泉に行くバスには間に合わないことがまず分

った。これには奥大井湖上駅での途中下車がまだ考慮されておらず、とにかく終点の井川にだけ

は行くという最も単純な乗り方だというのに、もう、この程度のことすら成り立たない。当該列

車は1634に千頭に到着するのだが、その4分前、すなわち、1630には千頭駅発寸又峡温

泉行きの最終バスが既に出発しているのだった。これでは、井川と奥大井湖上の双方が早くも消

えて、千頭から、寸又峡温泉へと意味もなく直行するだけに終わることになる。

だからといって、計画し始めたばかりで壁に突き当たったことに気落ちしているわけにも行か

ず、あれこれ模索しているうちに、寸又峡温泉行きバスの運行注意書きを見付け、そこに「奥泉

駅で乗客がいない場合は、その先は運行しない」とあるのに注目した。幸いなことに、この表記が井

川まで行くことを可能にしてくれたのだった。当初、バスが千頭駅を出た後は、まっしぐら寸又

峡温泉を目指すものとばかり思い込んでいた。だが、どこにあるのか分らないにしても、バス停

に、○○駅の名称のところがとにかく存在するのである。周辺にある駅なら、大井川鐵道かつ井

川線以外にあり得ない。利用する予定がなかったところを含め、改めて各駅名をチェックしたと

ころ、奥泉駅が井川と千頭の間に確かに存在しているのだった。そうであれば、何もわざわざ千

頭まで列車で行く必要がなく、奥泉にバスがやって来るのを待っていれば良いだけになる。

後になって知ったのだが、会社推奨のルートがネット上に紹介されていて、大井川鐵道の賢い

利用の仕方の一つがこのパターンだった。井川方面から戻って寸又峡温泉に行く客には、そのよ

うに利用して貰おうと意図したダイヤが組まれていたのである。不要な先入観を排し、使う予定

になかったところまで承知するなど、立案の際には、面倒がらず、もっと柔軟に向き合うことが

要求されるのだった。それにしても、この程度のことに気付くまで、意味もなく随分悩んだもの

である。列車は奥泉駅に1605に到着し、1640にバスが来るのだから、今度は、逆に持て

余すほどの時間だった。不足してみたり、過剰であったり、こんなにも時間に揺さぶられたこと

で、大井川鐵道は、列車もバスも、他には見られない特異な運行形態にあるように思えてきた。

今、どうでも良いような列車やバスの発着時刻などのことを子細に語っているが、そこまで拘

るのは、ここにもう一つの懸案の解決につながる重要なヒントが潜んでいたからだ。列車とバス

の所要時間の差の中に、おそらく当の大井川鐵道さえも意識していないと思われるカラクリが仕

掛けられていたのである。通常、同じ区間を移動する場合、列車の方がバスよりも少ない時間で

閑蔵

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済む。ところが、大井川鐵道だと、奥泉-千頭間に列車で30分を要するのに、バスならわずか

10分なのである。当初、利用予定だったバス路線は、寸又峡線だけであったことから、もう一

つの閑蔵線については全くのノーマークだった。だが、この稀な特性を使い、奥大井湖上方面に

バスで先回りすることが出来ないものだろうか。そう思って閑蔵線の経路を当たったところ、こ

の路線は確かに奥大井湖上の方へと向かい、望みどおりに接続しそうな格好の便まであったのだ

った。可能性が出て来たとなれば、必ず追求してみたくなる性分は、今も変わっていない。

このように閑蔵線を使うことを思いついたのは、日程表や携行品など一通りの出発準備を終え

て、後は行くだけとなった頃のことである。当初に確定させておいたその日の行程は、自宅の最

寄り駅を出てから鉄道やバスの乗り換えを10回も繰り返すほど、結構込み入ったものだった。

それでも、奥大井湖上駅での時間が多少なりとも確保できることになるのなら、この案を試みな

いままに終わらせる選択はなく、該当の部分をもう一度組み直すことにしたのである。

理解のための補助として、関連する区間の、やや詳

しい列車とバスの経路を左に掲げておく。上にある路

線図の中で、鶯色が列車の井川線であり、黒く太い二

重線がバスの閑蔵線である。下に示す表は、自分の行

動関連の部分を比べたものだ。線路と道路が交錯し、

途中の何カ所かで列車とバス相互の乗り換えが出来る

のだが、それが可能である駅やバス停が、路線図に大

きな印で表示されている。でも、名前が共通していて

も、駅とバス停が存在する位置はそれなりの距離や高

低差があって、簡単に行き来できるものではない。特

に、奥大井湖上駅と湖上入口バス停のところは、そう

した表示さえされていないほど遠く離れている。これは、先のレインボーブリッジの写真を見て

も、容易に想像されるだろう。奥大井湖上駅と湖上入口バス停の間は、確かに道が通じているの

だが、ハイキングに行くのでもない限り、とても歩くようなところではない。

また、所要時間の視点で上の資料を見れば、千頭-閑蔵間でも、バスの方が列車より3倍も速

いことが分る。そこで、予想外に速いバスとゆっくり過ぎる列車というスピードの違いを利用し

て接岨峡温泉までバスで先行し、そこから千頭行きの列車で奥大井湖上に1駅分を戻ることが出

来れば、うまく行きそうに思えて来たのだった。ただし、この路線図は、早い段階から活用でき

ていたものではない。分かり易い記録とするために探し出したものであり、事の最中は、もっと

ボンヤリしたイメージの中だけで進んでいたのだった。

準備的な説明が長くなってしまったが、組み直した結

果を抜粋し、会社推奨のものと対比させて示せば、右の

表のとおりである。左半分が、大井川鐵道が奨めるルー

トであり、自分も当初、これ以外の乗り方がないものと

思い込んでいた。一方、閑蔵線のバスで先回りする形に

変えたのが右半分のものである。千頭発1220の閑蔵

行きのバスに乗って接岨峡温泉まで行き、網掛けした部

分のように、接岨峡温泉駅1309発の列車で逆行して奥大井湖上駅で下車すれば、そこで20

分ほどが生み出せる。そのまま待っていれば、当初の案にあったものと同じ井川行きの列車がや

って来るのだ。これなら、奥大井湖上駅で、念願だった時間が過ごせることになる。

11:04 金谷発 11:04 金谷発

12:18 千頭着 12:18 千頭着

12:28 千頭発 12:20 千頭発

12:46 接岨峡温泉着

13:09 接岨峡温泉発

13:15 奥大井湖上着

13:34 奥大井湖上発 13:34 奥大井湖上発

14:18 井川着 14:18 井川着

採用したルート鉄道会社推奨のルート

千頭 12:28 千頭駅前 12:20

長島ダム 13:24 長島ダム 12:39

奥大井湖上 13:34 湖上入口 12:43

接岨峡温泉 13:40 接岨峡温泉 12:46

閑蔵 14:00 閑蔵駅前 12:50

列車(井川線) バス(閑蔵線)

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接岨峡温泉でやや長めの乗り換え時間になるところが気になるものの、まるで、タイムマシー

ンでも使うことになったような気分だった。あまりにも目論みどおりのプランが得られたので、

本当にそのとおりに成り立っているのか、何度確認し直したか分らない。加齢に伴って自分の行

動が怪しくなり、常々、我が身を疑いの目で見る必要性に気付いているからだ。残る課題は、前

ページ末の表に赤太字で示した、千頭駅でわずか2分しかない乗り換えを、確実かつ安全に成し

遂げることである。その勝負所さえ無難にこなせれば、願いはしっかり叶えられそうだとの期待

が高まった。

当日、予定どおり11時前に金谷駅に到着し、千頭行きに乗り込んだ。購入した切符は、2日

間の共通券である。各駅に停車しながら、ゆっくりと進んでいく。途中、旧地名(ぢな)駅を通過

する辺りで長さ11mの日本一短いトンネル?を通過した。車内で写したものがあまり鮮明でな

くて申し訳ないのだが、次の左の写真で、運転士の顔がミラーに映っている左に見えるボンヤリ

したものがそのトンネル?だ。真ん中の、右端にあるコンクリートの壁面が、その内側である。

余分な「?」が付いているのは、ここが本物のトンネルではないからだ。トンネルとは、本来、

山などをくりぬいて造ったものを言うそうで、これはその定義に合致せず、単に平地に覆いをし

た構造物に過ぎないのだという。この地区では、かつてロープウェーで農産物を輸送していたこ

とがあり、それが落下した場合の影響を避けるために設置されたとのことである。

当日の大井川線車内(日本一短いトンネル?に差し掛かっているところ)[右は、ネットから借用]

平日だったこともあって、乗客は少なかった。幼児を含めた家族連れの、中国人と思われる人

たちも混ざっている。自分が乗った車両には、50代と思われる男性ばかり4人のグループがい

た。そのうちの一人が、「アプト式って、何?」と言い始めた。だが、連れの誰一人反応を示さな

い。すぐ隣に座っていたのだから、かつての自分なら一講義していたかも知れない。でも、少し

は“成長”したところがあるのだろう。最後まで、余計なことをせずにいられたのだった。そし

て、この場で黙っていたことが、その後に、ある種の人間観察をすることになる下準備となって

いる。なお、翌日の寸又峡温泉から戻る頃になって知ったところでは、彼らは不入斗(いりやまず)

など横須賀から訪れたとのことである。交わしていた話から想像すると、旅程は自分たちで作っ

たものではなく、旅行会社が用意したものに従って行動しているようだった。

千頭駅の改札口でバス乗り場を尋ね、直行した。ところが、そこに待機していたバスの出発時

刻は、調べておいた1220ではなく、1320だった。あれ程念入りに確認を繰り返したとい

うのに、こう食い違っては、やはり万全ではなかったと我が身を疑う外はない。しかし、奥大井

湖上駅での時間がとれなくなったとしても、1228発の列車に乗る当初のルートに戻せば良い

だけで、井川まで行くことが出来なくなったわけではない。この程度のことさえこなしきれなく

なった無念さを残しつつ、再び構内へと戻る途中で、まだ諦め切れていない気持ちを駅員に話し

かけてみた。そうしたところ、その男性駅員が慌てて外に飛び出し、バス乗り場へと走って行っ

ている。何のことはない。1220発があるのは間違いのないことで、手前にあった1320発

のバスの陰に隠れていたために、道路の反対側に停車しているのが全く見えていなかったのだ。

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駅員から運転手に声をかけて貰っていたことが効いて、また、これまでの経験などから運転手

が発車時刻を遅らせ気味にしてもいたのだろうが、とにかく乗車することが出来て直ちに出発と

なった。ノンビリした運行が売りの秘境の路線だというのに、一寸の気が抜けないスリリングな

展開となり、これだけの一連の出来事が、わずか2分少々に凝縮されて進行したのだった。こう

した乗り継ぎをした者は他に誰もおらず、しかも、バスの乗客は自分一人だけである。そして、

このことも絡んで、別の形の緊迫の過程がその先にもう一つ待ち受けることになった。

路線バスなのだから、乗客と運転手の間でむやみに話

を交わしたりしない。でも、長島ダムが見えてきた辺り

で、「目の前に、アプト式の区間が見えている」と、肉声

による案内があった。ダムを管理する職員には、島田市

内に宿舎が用意され、事務所との間は年間を通じて公用

車による送り迎えがあるのだという。このようなことま

で教えてくれた。それから以降も、何ということのない

話が続いて、気が付いてみれば、下車する予定だった接

岨峡温泉のバス停をうっかり通り過ぎてしまっていた。

まさかのことで、対応策など、何一つ用意していない。

閑蔵線は、おそらく自分のような乗り方が出来るように考えて時刻が組まれているのではない

のだろう。運転手の対応を見ても、これまで、このように乗車する客を乗せたことがあった様子

は見られない。運転席には列車の時刻表が並べて置いてあって、それを見比べながら、こちらの

希望に沿うよう努力していることは伝わってくるのだが、しかし、何のためにどのように乗りた

がっているのか、当初はなかなか理解して貰えないでいた。ようやくのことで意味が通じたのだ

が、それでも路線バスであるという役目上、もう引き返せるはずがない。

そこで運転手がとった措置は、余分な話を控えて運転だけに集中し、スピードを上げることだ

った。鉄道とバス路線が次に接近する終点の閑蔵に列車より早く着けば、乗り換えに間に合う可

能性が生まれてくるからだ。しかも、当初は余分に思えた接岨峡温泉での待ち時間が、逆に、こ

の難局を救ってくれそうになっている。そこに23分あったのだから、それだけの時間が振り分

けられ、向って来る列車の到着が途中のどの駅でも少々先になる期待が持てることになる。最終

的に、こうして絞り出せた時間は、プラスの1分だった。その1分間に、重たいカバンを提げて

慌てることなく慎重にバスを降り、まだ視界に入って来ない駅を目指して急いで坂道を上った。

無人の閑蔵駅に列車が入って来たのは、自分がホームに到着したのと同時だった。

列車が動き出すとすぐ、車掌が近づいてきた。切符のチェックだけでなく、乗客がどのような

経路をとろうとしているのかを確かめてもいるのだろう。うっかり乗り間違って途方に暮れる前

に、早めの対策をアドバイスすることが彼らにとって大事な役

目のように感じられた。とにかく不便な路線であるだけに、列

車とバス相互の接続に関しては、駅員やバスの運転手に限らず

大井川鐵道のどの職員も、他に増して気を配ってくれている印

象だった。ただし、千頭駅で、すぐに連絡するバスを適切に教

える配慮に欠けていた改札口の女性駅員だけは例外である。閑

蔵―尾盛間を通過中、私鉄としては日本一深い谷底の上に架け

られているという関の沢鉄橋を渡った。その中間部に差し掛か

ったところで、写真がよく撮れるように一旦停車している。

長島ダム(井川線は、堰堤の左岸高台を通っている)

関の沢鉄橋の深い谷底

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奥大井湖上駅は、先に示した写真に見られたと

おり、駅構内の大部分が湖の上に存在するという

他には見られない特徴を有している。早速、鉄橋

の上を許されている範囲で両方向に歩き、半島の

上部にある無人休憩所にも行ってみた。その間の

20分は、短過ぎず長過ぎず、程よい時間であっ

た。そう言えば、計画の当初、静岡県内まで前日

前進しておき、金谷から始発列車に乗ろうと考え

たことがある。でも、やはり、そこまでしなくて

良かったと思う。金谷を朝のうちに発つことが出

来ていたならば、右下に示す、駅構内の写真の時

刻表にあるように、これまでに2本の下り列車が

この駅に到着している。その日の駅で見掛けたの

は、先着していた一組の夫婦だけだった。言葉は

交わしていないので、あくまでも想像上のことで

あるが、時刻表から推測するなら、この二人は昼

時を挿んで2時間以上もここに居続けたことに

なる。売店も食堂も、何一つないところだ。

計画の段階からパズルを解くような形で行程

をひねり出し、千頭駅以来、一連のドタバタを経

てみれば、それほどまでの労力をかけるに値した

かどうかは微妙である。でも、仮にそのような結

果であったとしても、無難にノンビリした乗車を

“満喫”しただけに終わったのと違って、現場で

の緊迫した展開を、無事に二つも切り抜けていた

のだから、思った以上に楽しめたものとしておこ

う。なお、その日の午後は、別の心配があった。

中部以北の本州各地に、広い範囲で雷雨の予報が出されていたのである。遮蔽するものが何もな

い場所で雷が鳴り響く中で、強い風や雨に曝される場合は、全く別の行動を考えていたのだが、

滞在したその時間帯の現地周辺が穏やかだったのは幸運だった。

1228に千頭駅を出発していた列車が、定刻に到着した。車内に

乗り込むと、そこには金谷-千頭間を同乗してきた男性4人の姿があ

った。大井川線と井川線のいずれも乗客が少なかったのだから、無意

識のうちに何かの特徴を覚えてしまうものである。しかし、その4人

を含めて、一度姿が消えたはずの自分がどうしてこの奥大井湖上駅で

待ち受ける形で出現したのか、それを不思議に思ったように見受けら

れた人は誰一人いない。訳もなく自分が目立ったりしない存在だった

ことに安心するにしても、周囲で起きていることにまるで関心が向か

ないのも理解し難いことである。それとも、察知していたとしても、

事柄が小さ過ぎてわざわざ表に出していないのだろうか。あるいは、

こうした疑問を取り上げる自分の方こそがおかしいのだろうか。

ホームから見た井川方向(先は、道が通じている)

ホームから千頭方面を望む(先は、立ち入り禁止)

奥大井湖上駅に到着する井川行き下り列車

駅構内の表示

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井川駅に到着してみると、その先

にはまだ線路が残されているのだが、

現在は既に廃線となっていた。駅の

周辺には大きなダムがあるだけで、

民家は一軒もない。休日だけ開くと

思われる売店には、従業員一人いな

い。商店を覗くことぐらいは出来そ

うに思っていたのだが、ここも何一

つないところだった。

井川から千頭行きに乗って奥泉へと戻る際に、初めてアプト区間を通過することになった。井

川線の他の箇所は基本的にディーゼル車で運行されているのだが、90/1000という急勾配

があるアプトいちしろ―長島ダム間だけはアプト式の電気機関車が増結され、それによって牽引

されている。わずか1駅の区間だけのために、井川行でも千頭行きでも、その都度両駅で付け足

したり切り離したりして難所を乗り切っているのだった。でも、これは鉄道敷設の当初からその

ようになっていたのではない。長島ダムが建

設されることになり、それに伴う付け替え工

事との関連によって現状のようになったと

のことである。90/1000の勾配といっ

ても、左の写真に見られる程度で、車であれ

ば何の苦労もないように見える。だが、鉄道

の場合はこれくらいの傾斜になると通常の

駆動力では足りず、ラックレールを噛ませる

ことによって、ようやく走れているのだとい

う。また、我が国の鉄道営業路線の中で、今

は、ここだけが、アプト式として供用されて

いる唯一の区間ということだった。

付け替えによって経路が変化した様子(赤から青へ)は、次の図に示すとおりである。ダムが

出来ることによって従来の路線が水没することになり、その対策が何案かあった中から、トンネ

ルを掘削するよ

りは経費が安く

済むと見積もら

れたアプト式が

選ばれたそうで

ある。廃線とし

なかったことに

は、この路線を

存続させていく

ことへの並々な

らない決意があ

ったものと思わ

れる。

井川駅の先のところ(廃線となり、鎖が張られている)

アプト区間の急勾配(右側が、長島ダム方向)

井川線の付け替えの様子(赤が旧路線で、青が新路線)

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次の左の写真は長島ダム駅の様子であり、アプト式機関車が、まさに連結されようとしている

ところだ。この機関車は電動なので、ここからの一区間だけは架線が張られている。アプトいち

しろ駅で撮った右側の写真には、その日の予備だった2両が写っているのだが、我が国における

一般営業用のアプト式機関車は全部で3両しかないとのことなので、双方に見えているものが、

日本にあるすべてということになる。

望むことなら、 アプト式機関車の底にある歯車とラックレールが噛み合っているところが見た

いのだが、無理な話である。そこで、走行中のところを写したのだが、右の写真には、線路の中

央に3列のラックレールが並んで見えている。勿論、窓の外に障害物がないことを確認した上で

撮っていて、危険を冒さなくてもこのように出来るのも、自由に窓が開けられ、急なカーブを低

速で走行する井川線だからこそ可能だったことに思う。左の写真から想像できるとおり、谷側に

開けた空間があるところで、手首とカメラだけを窓外に出し、素早く収めている。

アプト区間を走行中の全体編成(配られたカードから) 線路側の主役であるラックレール

日中、どの程度満足したのかはともあれ、温泉宿に入ればまたいつものように落ち着いた気分

に浸ることが出来る。寸又峡温泉は好みの泉質だった。町営の共同浴場にも行ってみたのだが、

一段と驚くほどの湯質に感じられている。あくまでも自分の好みではあっても、これまで国内で

浸かった中で、宮城の鳴子や八甲田山周辺の深沢温泉などと並んで3本の指に入るだろう。夜の

9時頃になってにわかに思い立ち、屋外に出た。天気が良かったので、もしかしたら星空が眺め

られるのではないかと期待したからだった。しかし、街灯に邪魔をされ、周囲の山に視界が遮ら

れて、残念ながら何も見ることが出来ていない。いくらアイディアが良かったとしても、前もっ

てその適地を調べておき、そこに行くための手段を確保しておかないことには無理な話だった。

仙台を出発する日が近づいた頃、宿から電話があった。かなり以前から予約していたので確認

の意味かと思ったのだが、そうではなさそうだ。「おそらく、夢の吊り橋に行く予定があるのでし

アプト式機関車の連結作業(長島ダム駅) 待機中のアプト式機関車(アプトいちしろ駅)

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ょうが、今は、土砂崩れの影響を受けてしまっています。まるでコンクリートでも流れ込んだよ

うに水が濁っているので、日をずらして貰って構いませんよ」と言う。ハッキリとは言わないの

だが、何か大事な用事でも出来て、その日は急遽休業にでもしたいような雰囲気だった。でも、

こちらにとっては動かせない日なのだから、「予定どおりにしたい」と答える他はない。現地に到

着してみたら、その日はやはり、他の客が誰もいなかった。

次の最初の2枚は、その寸又峡の夢の吊り橋であり、電話で聞いていたとおり、水が濁ってい

る。それでも、下段にあるようなまぶしいほどの緑の中を心地よく散策することが出来て、気分

爽快だった。朝早めの時間帯だったこともあって、若い中国人女性の4人以外、他には誰にも出

会わない。それにしても、「夢の吊り橋」とは上手に名付けるものである。何かがありそうに勝手

に思えて、なぜか行ってみたい気持ちになるからだ。でも、同じ名前の吊り橋が、同じ大井川鐵

道沿線の、しかもすぐ近くの井川の周辺にもあるのだから、全国で見れば、同類が無数にあるの

だろう。この辺りは、秋は紅葉の名所のようであり、とにかく、この吊り橋のあるなしに関係な

く、また、水が澄んでいようがいまいが、久々に楽しんで歩けた2時間半だった。

夢の吊り橋(大井川鐵道の終点近くの井川ダムの周辺にも、同名の吊り橋がある)

夢の吊り橋を散策する周囲(右の写真の道端に設置された黒い管は、温泉街に源泉を引き込むもの)

この一帯にある道は、かつて中部電力が発電用のダムの建設資材を運ぶための軌道を敷いてい

たところである。当時から、更に先の山奥にまで人家があって、徒歩での往来しか出来なかった

のだが、動力車が導入された以降は、緊急の患者や、時には花嫁さんの送迎にも一役買ったそう

である。ダムが完成した後も軌道がそのまま残され、今度は、切り出した木材の輸送に使われた

りしたのだという。今は、このとおりの姿へと変わり、路端に黒く見えているパイプは源泉を運

ぶためのものだ。このため、断熱の対策がしっかりとなされているとのことである。

Page 10: 2 大井川鐵道 - BIGLOBE(ビッグローブ)airforce69ers/other/satoh44b.pdf11 2 大井川鐵道 この旅は、これまであまり例のないものだった。小さな旅だというのに、時間に関して、準備

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散策を終えて宿に戻ったころには入浴時間が過ぎていたのだが、他の客がいなかったこともあ

って便宜を図って貰え、一風呂浴びることが出来ている。前夜に顔が見られていた若主人は、朝

から不在だった。やはり、何か用事でも出来ていたのだろう。そう言えば、マキノのときも、後

で触れる群馬県の川原湯温泉も、双方とも建て直しをしたばかりだというのに、客は自分一人だ

けだった。自分にとっては何の支障もないのだが、どこか申し訳なく感じられる。

寸又峡温泉と言えば、金嬉老事件があったところである。事件が発生したのは、昭和43年の

ことだった。立て籠もった宿の名は「ふじみや」で、当時の彼の年齢は39歳である。地元の人

の話によると、逮捕後、有名になった「ふじみや」がかなりはやった時期もあったようだが、そ

の後個人の所有へと変わり、今はひっそりと

存在しているだけのようである。ただ、温泉

街全体が廃れているようには見えなかった。

現役の宿の何軒かは、問題なく営業を続けて

いるような雰囲気であったし、秋になれば予

約が取れない日々も続いていることだろう。

その時期は来訪者が多過ぎて、夢の吊り橋へ

の散策ルートが一方通行になるとのことだっ

た。千頭方面にバスで戻る際に、アプトいち

しろ駅が見下ろせた。対岸に見える建物が、

アプト式機関車の格納施設である。

次の2枚は、井川線と大井川線の車内の様子で、双方から受け取る感じが互いに違っている。

井川線の車両は一般的な鉄道に比べてかなり小ぶりの外観だったのだが、内部を見ても、このと

おり、座席が横に三つしかない。しかし、井川線も大井川線も、ともに軌間は同じ1,067mm

であり、JR 在来線や一部の私鉄と共通の幅なのだ。同じ軌間であっても井川線だけが違っている

のは、急カーブなどへの

対応からのことなのだろ

う。千頭から金谷に戻る

時の車内は、日本一小さ

なトンネル?のところで

乗車した前日のものから

一変して、なぜか立派な

ものに変わっていた。ヘ

ッドレストには、清潔なカバーがしっか

りと掛けられていたのだった。ネット上

の資料によれば、この大井川線では他の

鉄道会社で使い古された車両が再利用

されているのだという。左の写真で、ホ

ームの右に停車しているのがその日に

乗った車両なのだが、かつて近鉄の特急

列車だったものもあるそうなので、これ

がまさにそれであったのだろうか。

奥泉-寸又峡間の峠から見下ろしたアプトいちしろ駅

普通列車の車内(左は井川線で、右は大井川線で使用されたもの)

大井川線金谷行きの電車(千頭駅で)