鬼平 感激の作品あれこれ…………4鬼平、大好き人間、集まれ ......― 4 ― 特集「鬼平犯科帳」 兇賊 三田村善衛 「オヤジご苦労」のセリフで有
11089 今昔百鬼拾遺 鬼 01 - 大極宮5 鬼 1 「迚 とて も 恐こわ い ―と 云...
Transcript of 11089 今昔百鬼拾遺 鬼 01 - 大極宮5 鬼 1 「迚 とて も 恐こわ い ―と 云...
今昔百鬼拾遺
鬼
鬼
鬼お
に―
世よ
に丑う
し
寅とら
の方を鬼き
門もん
といふ
今鬼お
に
の形か
たちを画ゑ
が
くにハ
頭かしらに牛う
しのつの角をいたゞき
腰こし
に虎と
らのかハ皮をまとふ
是丑う
し
と寅と
ら
との二ツを合せて
この形をなせりといへり
―
今昔畵圖續百鬼雨
鳥山石燕安永八年
5 鬼
1「迚と
て
も恐こ
わ
い―と云っていました」
少女はそう云った
姿勢も良く毅き
然ぜん
としているから訴えかけると云うよりも抗議すると云う体て
い
なのだけれ
ど少女は興奮している訳でもなくまた決して怒っている訳でもなかった兎と
に角か
く
この
娘は生き
真ま
面じ
目め
なのだ
会ってから一度も目を逸そ
らさない
気恥ずかしくなってこちらが視軸を外は
ず
してしまう程である
まだ十四だと云う
中ちゅう
禅ぜん
寺じ
敦あつ
子こ
はその頃の自分を思い浮かべる自分も矢や
張は
りこんな顔をしていたのだ
ろうか前向きだけれど融ゆ
う
通ずう
の利かない頑迷ではないけれど納得するまでは引き下がら
ない―
敦子もそう云う娘だっただからきっと頻繁にこんな相手に
か
み付きそうな態
度を取っていたのだろうと思う
6
でもそこ以外は全く似ていない
小柄な敦子と違って目の前の娘は背も高く手足も長いそれだけでもう随分と活
動的に見える身長は敦子の方が低いだろう齢と
し
上うえ
の方が背丈が大きいと云うのはそれ
こそ児こ
ども童の発想なのだろうと思うしそれこそどうでも良いことだとは思うけれどもこ
の外見が齎も
たらす潑は
つ
剌らつ
とした印象に対しては然さ
したる理由もなく劣等感を覚えてしまう
「あの」
少女―
呉くれ
美み
由ゆ
紀き
は小首を傾か
し
げた
ご免なさいと敦子は取り繕つ
くろう
聞いていなかった訳ではない
「一つ確認させてくださいその迚と
て
も怖いと云っていたと云うのはどちらの方なん
でしょう被害者の片か
た
倉くら
さんですかそれとも加害者の宇う
野の
さんですか」
あ私こそご免なさいと美由紀は円ま
る
い目を更に円く見開いた
「夢中になって話してしまって私順序立てて話そう話そうと心掛けていたんですけ
どいつの間にか興奮してしまって何かその支離滅裂ですか」
そんなことはないですよと敦子は云う
凡およ
そ十四五の娘とは思えない話し振りである
中禅寺さんのように上手には話せませんと美由紀は云った
7 鬼
一瞬何のことかと思った美由紀とは初対面だし会ってから敦子はまだ殆ほ
とんど喋って
いないからだ
しかし美由紀が云う中禅寺とは兄のことだと敦子はすぐに察した
敦子の兄は小さな神社の神職を務める傍か
たわら古書店を営んでいる
つまり兄はただの一市井人に過ぎないのだけれど刑事や探偵事件記者などただ
の一市井人とは云えない特殊な人人と懇意にしているものだから犯罪性を帯びた騒動に
巻き込まれることも少なくないし事件解決のために担ぎ出されることも多いのだ一般
的には古本屋兼神主がそうしたことに役立つとは思えないのだがどうも兄に限っては役
に立つようである
兄は余計なことを何でも識し
っている
そして悪魔的に弁が立つ
非力で体力もない兄の武器は言葉だ繰り出される言の葉の渦の力は強い時に人心
は揺れ場は覆
くつがえり事件は解体する
兄は多分言葉で出来ている
だから記憶の中の兄の貌か
お
はまま曖あ
い
昧まい
になるのだが声だけは常に明瞭であるその声は
いつも理路整然とした文脈で揺るぎなき理
ことわりを語っている
去年の春全寮制の女学院を舞台にした連続猟奇殺人事件が起きた
8
美由紀はその事件の関係者なのである仲の良かった友人を含めて何人もが目の前で殺
され通っていた学院も閉鎖されたと聞いている
敦子の兄はその事件の収束に手を貸している
美由紀はだから兄の長広舌を実際に現場で耳にしているのだ
敦子は少し笑った
「あんなに能よ
く喋る人はいません兄のように話したりしたら周ま
わり囲が引きます」
「女だからですか
それとも小娘だから」
美由紀の眼は益々円くなる
敦子は首を振る
「女だからとか男だからとかそう云う区別は無意味だと思う私はそう云う括く
く
り方が嫌
いだから―
いや好き嫌いじゃなくてそんなの関係ないわ」
「関係ないですか」
「いいえ―
世間的にはそうやって分けちゃった方が都合の良い人が多いから分けたいん
でしょうけどだから関係ないって云って生きて行くのは結構面倒なんだけどでも関
係ないでしょ序つ
い
でに云えば年齢も関係ない」
半分以上は自分に言い聞かせているようなものだと敦子は思う
性差を超え年功序列を素ッ飛ばして今の世を生きるのは正直結構しんどい
9 鬼
「兄貴は―
変なの」
敦子は兄を思い浮かべる
矢や
っ張ぱ
り声しか浮かんでこない
変だったでしょと問うと美由紀は苦笑してええまあと答えた
「でもあんなに沢山難しいことばっかり話しててちゃんと意味が通じるって凄いなと
思って私ちゃんと理解出来たんですよでも言ってることは結構難解で知らない言
葉なんかもいっぱい雑ま
じっているのに何故解ったのか自分でも解らなくって」
「煙に巻かれただけじゃないの」
そう云う人なのだ兄は違いますと美由紀は云った
「意味は解らなくても理屈は通じたと云うかいいえもう一度説明してみろと言われて
も私には上手に出来ないんですけど私語ご
彙い
と云うんですかそれがその少ないん
ですでもじゃあ一知半解で解った気になっているだけかと云うとそんなことはなく
て理解そのものは出来てると思うんですよねそれはつまり論理的と云うか理詰め
と云うかそういう形ではちゃんと通じていて単に私が言葉知らずだから説明出来ない
だけだと思ったんです」
「そんなことはないと思うけど」
いいえと美由紀は首を振る
10
「あの事件の時も私の話は大人には通じなくて―
でも能よ
く考えて言葉を選んでき
ちんと話したら通じたんですもっと早くにそう出来ていれば少しは事件解決に貢献出
来たんじゃないかってそれが」
悔いているのか
知る限りこの娘には何の責任もない寧む
し
ろ被害者である学院内だけでも生徒が三
人職員が二人殺され怪我人も出ている皆この潑剌とした少女の眼前で起きたこと
なのだ普通ならどうだろうと思う否普通などと云うものはない自分ならどうだろ
う惨劇からまだ一年経っていないのであるこんなに気丈に振る舞えるだろうかそれ
以前に自分の立ち居振る舞いを反省するなどと云う殊勝な態度が取れるだろうか
それは―
そうするだろう
この辺は似ているのかもしれない
「人に何かを伝えるためにはそして信じて貰うためには言葉って大事なんだなと思っ
て言葉知らずでも順序立てて論理的に説明することは大切だって痛感して―
」
「それはその通りだと思うけど兄貴を見習うのは止よ
した方がいいですよ真似しようと
しても出来ないし言葉って過信しちゃいけないものだと思う私も同じように考える
ことはあるけど結局言葉の迷路に迷いこんじゃって出られなくなるもの順序立てて話
すことはいいことだけど身の丈に合った言葉を使えばいいと思う」
11 鬼
やっぱりご兄き
ょうだい妹ですよねえと美由紀は感心したように云う
「何か似てます中禅寺さん」
今度の中禅寺は敦子のことだろう敦子でいいわよと云った
不思議な空間である
所いわゆる謂裏露地でしかも駄菓子屋の前だ粗そ
末まつ
な木机が出してありそれを挿は
さ
んで更に粗
末な縁台が置かれている敦子と美由紀はそこに差し向いで座っている径み
ち
幅はば
は偉く狭い
から明らかに通行の邪魔だし入店の妨害にもなっていると思うのだがどうもそうで
もないらしい少し先で袋小路になっているようだし見る限り塀ばかりだからそもそ
も通行する者は少ないのだろう
普段はここで児こ
ども童達が座って駄菓子を食べたりしているのだと思う
今はラムネの瓶が二つ載っている暑い時期でもないから―
と云うより明らかにまだ
寒いのだから敦子はラムネなど飲みたいとは思わなかったのだが選択の余地は全くな
かった
美由紀の後ろの板塀にはジュースソーダと書いた貼り紙が覗いているのだがそれは
共に粉末ジュースのことだった勿論お茶も珈琲もない
ここは美由紀の秘密の場所らしい学友達は甘味屋なんかに行くらしいのだが美由紀
は苦手なのだそうだここで子供相手に遊んでいた方が性に合っているのだと云う
12
駄菓子屋は屋号を子こ
供ども
屋や
と云うそのまま―
と云うか考えように依っては巫ふ
ざ
け
山戯た
名前のようにも思えるのだが元は餅屋で開業以来ずっとこの名なのだそうだ先の戦
争で働き手を失って餅が作れなくなり残った老寡婦が一人で出来る商売として駄菓子屋
を開業したと云うことらしい
待ち合わせ場所を最初に聞いた時敦子は少しばかり驚いた駄菓子屋で待ち合わせな
どしたことがないしかし相手はまだ子供なのだからそう云うこともあるかと思い直した
のだったしかし待っていた美由紀は背も高く考えていたよりもずっと大人びてい
てもう一度驚いた制服を着た美由紀の佇まいはどう見てもうらぶれた景色と釣り合っ
てはいなかったのだが何故か馴染んではいた
子供屋は上か
み
馬うま
にある敦子の住まいからそう遠くはない前の大きな通りは能よ
く通るた
だ横道に入ったことなどない用がない何ごとにも194780子定規で何につけあそび
0
0
0
のない人
生を歩んでいる敦子は意味もなく回り道などしないのが常であるそんな己じ
ぶんに嫌気が差
して昨年の秋に横道に逸れてみたりしたのだがその所せ
為い
で手て
酷ひど
い目に遭った
それから横道には入らない
だから情ロ
ケーション景は新鮮である
「それで―
もう一度尋き
くけど」
恐がっていたのは誰と敦子は問うた
13 鬼
「片倉さんです」
「被害者ですね」
「ええ殺された片倉ハル子さん高等部の一年生です」
「貴女は―」
もうすぐ高等部ですと美由紀は云った
「今の学校は中等部の三年で編入したのですぐには中中お友達とか出来なくって前の
学校のこともそれなりに知られていたので―
」
それは理解出来る
同年代の同性ばかりの集団と云うのはそれなりに難儀なものなのだ仲良くするにも
面倒な手続きが必要だったりするし時に陰湿な悶着も起きる違うものではなく似た
ものばかりが集まっているような場合僅かな差異が大きな隔たりと錯覚されてしまうこ
ともあるし逆に均な
ら
されて同質化してしまったりもするどちらにしても普通にはしてい
られない何ごとにも負荷がかかるのだ
美由紀は人殺しの学校から来た子と呼ばれたそうである
美由紀がそれまで在籍していた学校の生徒は殆どが良家の子女で皆学校が閉鎖され
た後もそれなりの学校に移籍し然るべき待遇を受けているらしい彼女達は皆被害者
として扱われているのであるしかし美由紀の場合は少少違っていたようだ
14
美由紀の実家は美由紀の言葉を借りるなら貧乏とまでは云えないが決して裕福では
ない―
のだと云う前の学院に入学する際はかなり無理をしたようである学院の閉鎖
が決定した時美由紀はこれ以上の勉学を諦めたと云う
今の学校への編入が叶ったのは閉鎖された学院の理事長代理が便宜を計ってくれたか
らなのだそうだその人はあくまで個人的な行為とした上で経済的な援助までしてくれ
たらしい敦子の知る限りその人物はかなりの大物である筈なのだがこれも美由紀の
言葉を借りるならその理事長代理と云う人はとびきりの正義漢で極めて善人なのだけれ
ど底抜けに鈍感で頗す
こぶる楽観的な人物―
であるらしい
中中辛辣である
苛いじ
められたりしたのと敦子は尋いた
「さあ無視とか陰口とかそう云うのはそんなに気にならない性た
ち質だし私叩かれ
たら叩き返しちゃう口なのでと云うか殺された友達を悪く云われた時なんかは頭に
来て相手を蹴っ飛ばしちゃって逆に134047られましたそんなだから苛められたと云う実感
はなくて暫し
ばらくの間孤立してはいましたけど―
」
今は結構普通にしてますと美由紀は云った
「半年くらいは誰とも口を利きませんでしたでもハル子さんだけは別で最初から迚と
て
も
親切にしてくれました」
15 鬼
「最初から
学年は一級上よね」
「ええ編入してすぐに声を掛けられたんです」
「そんな風に上級生とは普通に交流があるの」
「あると云えばありますけど―
何と云うんですかそのエスじゃないかとか謂い
われた
りもしたんですけどそんな訳ないんですエスって上級の人が下級の可愛い子を愛す
るって云うような意味ですよね」
「うーん」
間違ってはいないが美由紀の云う愛するがどの程度の意味なのか諮は
か
り兼ねて敦子は
口籠ってしまった
エス―
シスターの頭文字のS―
である女学生の世界ではかなり古くから使われて
いる隠語で単に好意を持つとか仲が良いとか云うだけに留まらず時に肉体関係を伴
う間柄も指し示す敦子が学生だった頃も使われていたからすっかり定着しているのだ
ろう少女小説の題材に取り上げられそれらが人気を博したことも大きいと思う
ただ現在も同じような意味で使われているのかどうかは判らない
「そうだとしてそうじゃなかったってことなの」
私可愛くないですもんと美由紀はあっけらかんとした口調で云った
「そう―
かな」
16
「そうですよだってどんどん丈が伸びるんですものこの一年でまた伸びました竹馬
女です」
身長は関係あるのと問うとそうですよと云われた
「可愛いというのはやっぱり小さいものに対して適用する言葉ですハル子さん―
片
倉さんは私より背が小さかったんですもの丁度敦子さんくらい」
死んでしまいましたけどと美由紀は云う
途端に話題は血ち
腥なまぐささを帯びる
「前の学校で仲良くしていた娘こ
は絞殺魔に頸く
び
を絞められて死にました仲良くなりかけ
た娘は転落死して私が疑いをかけた人は目潰し魔に殺されました今度は辻斬り―
」
そう
それは昭和の辻斬り事件と呼ばれている
私殆ど死に神ですねと美由紀は自嘲するかのように云った
統計をとった訳ではないから正確なことは判らないけれど身の周りで殺人事件が起き
る確率と云うのはかなり低いものだろうと思う天災や事故などで肉親や知人友人を一度
に多数失うことはあるだろうし悲しみは数値化出来ないから数の問題でもないとは思う
けれどもそうした不幸な奇き
禍か
に遭う可能性とて多くはないし況ま
し
てや複数回体験する確
率と云うのは高くないだろう
17 鬼
「死に神と云うならうちの兄貴の方じゃない貴女は違う」
こんな潑剌とした死に神はいないだろう
そう云うと美由紀は笑ってハル子さんにも云われましたと答えた
「美由紀さんのような元気な死に神なんかいないって死に神がそんなにはきはきしてい
たのじゃあ死ぬ人も死ねないって云われました」
「そうでしょうみんなそう思うのじゃない―
」
いや
と云うことは
「美由紀さん片倉さんに前の事件のことを話したの」
色色訊かれたので話しましたと美由紀は答えた
「それは丁寧に詳しく聞いてくださったんです勿論云ってはいけないことは云いま
せんでしたし話したくないことは話しませんでしたけどお話しすることで気持ちに整
理がついたと云うか―
やっと自分の中で事件が終ったと云うか」
それは幾つかの独立した事象が複雑に交錯したそれは難解な事件だったようだ一
応実行犯は捕まったもののそれですっきり終わってしまうような事件ではなかったのだ
と聞いている
「それなのにそのハル子さんが死んでしまいました」
18
昭和の辻斬り事件は出来たばかりの駒こ
ま
澤ざわ
野や
球きゅう
場じょう
周辺で発生している
被害者は七人うち四人は死亡し二名は重傷一人は軽傷であった
報道に拠よ
れば最初の事件が起きたのは昨年の九月
最初の被害者は胸と左二の腕を切られただけで命に別状はなくその時点では単なる通
り魔強盗の類いと考えられていたようだ
その二箇月後二件の傷害事件が起きた一人は左腕をほぼ切断されるという重傷も
う一人は左脇腹を切られ同じく重傷であった目撃証言から犯人は同一人と思われ凶
器も日本刀と断定された警察は金品を目当てとした強盗ではないと判断先に起きた一
件と併せた連続通り魔事件として報道がなされた
更に二箇月後年を跨いだ本年マリリンモンロー来日で世間が沸いていた頃
一月三十日を皮切りに立て続けに三人が殺害された一人目と二人目は病院に搬送さ
れたものの出血多量で死亡三人目は即死に近かったと云う犯行はほぼ一週間置きに行
われいずれも所い
わゆる謂袈け
裟さ
懸が
けに斬られていたそうであるこちらも凶器を含む状況証拠か
ら先行する三件と同一犯の仕業とされた
昭和の辻斬りと云うあまりセンスが良いとは思えない命名は最初の死亡者が出た段
階でなされたものであるどこかの新聞社が見出しに書いたもので他社が倣い三人目
の死亡者が出た段階ではほぼ全社がその呼称を採用していた
19 鬼
そして七日前二月二十七日
美由紀の先輩である片倉ハル子が殺された
昭和の辻斬り最後の被害者である
犯人は逮捕されたのだ
新聞などに拠ればハル子を殺害したのは十九歳の旋盤工宇野憲け
ん
一いち
宇野は犯行現場
で立ち竦す
く
んでいるところを駆け付けた警官に依って現行犯逮捕されている宇野はハル子
殺害の他過去六件全ての犯行を認めまたハル子と交際していたことも告白している
動機等に就いては不明であると云う
猶なお
ハル子殺害現場にはハル子の母である片倉勢せ
い
子こ
もいたと云う
報道されたのはそれだけである
何だか釈然としない感じはした
十六歳の女学生が日本刀で斬り殺されたと云うだけで充分センセーショナルではあった
し殺害したのは未成年の交際相手しかも連続殺人鬼だったと云う付録まで付いていた
訳だから当然のように世間は沸いた号外こそ出なかったけれど事件翌日の一面は昭
和の辻斬り逮捕交際相手の女学生を斬殺―
と云う大見出しになった
とは云うもののその後はあまり報道する意味のない憶測記事が幾つか載っただけで
ある
20
ハル子殺しは痴情の縺も
つ
れであり宇野は痴ち
話わ
喧げん
嘩か
の末にそれまで隠していた殺人鬼の本
性を剝む
き出しにしてハル子を斬り殺したのであると云うようなことに―
なっていた
0
0
0
0
0
と思う
まあそうだと云われればそうなのだろうそう云うこともあるかもしれないありそ
うな話ではあるけれども敦子は何だか気に入らなかった
宇野と云う青年が殺人者であったとしても
更に痴情の縺れの結果の犯行であったとしても
痴話喧嘩の末に興奮して犯行に及んだとするならば
何か
みあっていない気がしたしかしそれ以上は考えなかった所し
ょ
詮せん
は下世話な想像
にしかならないからである
そんな敦子の許に義姉から連絡があったのは一昨日のことだった
美由紀は元来兄か兄の友人の探偵に相談するつもりだったのであるしかし双方共
に不在だったのだ兄とその友人達は旅先で例に因って面倒な事件に巻き込まれているの
だそうであるそちらはそちらで混迷しているようなのだが頼って来たのが他ならぬあ0
の事件
0
0
0
の関係者であり況ま
し
て昭和の辻斬り事件に関わることならば余計に捨ててはおけな
いと―
代わりに敦子が駆り出されたと云う訳である
面倒臭いなと一瞬敦子は思った
21 鬼
どことなく釈然としない想いを持っていたくらいだから事件自体には多少なりとも興
味はあったのだ敦子は雑誌記者だ取材は馴れている聞き取りも現場の視察も仕事の
うちである
面倒だと感じたのは相談したいと云っているのが十四歳の少女と聞いたからなのだ
敦子は若い娘が苦手なのである
学生の頃からそうだった
情より理夢より実美しさより機能性少女雑誌より科学雑誌が好きだった空想す
るより推理する方が好きだったそう云う娘だった
だから女学生の時分も女同士のふわふわした会話やふわふわした関係には随分と辟へ
き
易えき
したものである
嫌いなのではない認めない訳でもない苦手なのである
敦子はそうしたふわふわしたものをかなり幼い頃に捨ててしまったのだと思う捨
てていないのだとしたら何かつまらないものですっかり糊こ
塗と
してしまったのだろう
だからそう云うものを前面に出して生きている人達と出会うとどうしても距離を置
いてしまうのである女学生はきっとふわふわしている
そう思ったのだ敦子が面倒臭いと感じたのはだから女学生そのものに対して感じた
訳ではないのだそれは女学生と対た
い
峙じ
した時の己に対して感じた面倒臭さなのである
22
でも
それは杞憂に終わった
呉美由紀と云う少女は敦子よりも活発で敦子よりも―
敦子っぽかった
「彼女は何を恐がっていたのかしら」
ならばこの娘に沈んだ顔は似合わないと敦子は勝手に判断した
「迚と
て
も怖いってその辻斬り事件を恐れていたと云うことなの
慥たし
かに犯行現場はどれ
も貴女達の学校の近くばかりだしそれに宿舎は学校の敷地内にあるんでしょう
な
ら眼と鼻の先でしょう当然それなりに警戒もしていたのでしょうけど」
みんな恐がってはいましたけどと云った後美由紀は小首を傾か
し
げた
「でもどうなんだろう」
「それは」
「本気かどうか判らないですねみんな学校の外の出来ごとは中とは関係ないと半分
くらい思っていて―
恐ろしいわ怖いわと口では云うんですけど何だか実感はなかった
みたいに思うんですお休みの日以外で宿舎から出ることは殆どないですし自分の身に
災難が降りかかることがあるなんて考えている人はあんまりいなかったんじゃないかと
思います怖いと云っても他人ごとなんです鼠を咥く
わ
えた猫を見ても怖い怖い云うんです
からそれと同じじゃないかと思う」
23 鬼
「片倉さんは違ったのね」
「ええその辻斬りの話をしていた時にそう呟いていたのでまるで関係がないとは思
えませんけども犯人が怖いとか人殺しが怖いとか―
そう云うことではなかったと思
うんです」
「では何が恐かったのかしら」
「その祟た
た
りとか呪いとかその手のものだと思うんですけど」
「祟り」
どうも話が見えない
美由紀は混乱してはいない本人も云っていたが順序立てて論理的に話す努力もして
いるようだそれ以前にこの娘は聡明なのだだから話が見えないのはそもそも見え難に
く
い話だからなのだろう自己申告の通り語彙が少ないのか美由紀自身見聞きしたことの
整理がついていないのだろう
「もう少し細かく話してくれる
執しつこ拗いと思うかもしれないけど片倉さんの辻斬り事
件に対する反応は他の生徒達とは少し違っていた―
と云うことでいい」
はいと美由紀は答える
「それで貴あ
なた女の見る限り彼女は明らかに何かを恐れていた―
これもいい」
「そうですハル子さんは恐がっていました」
24
「それは残酷な凶行が身近で起きていることに対する恐怖でも殺人と云う行為自体に
対する恐怖でも犯人に対する恐怖でも―
ないのね」
「ええハル子さんは他の娘こ
と違って人殺し自体を恐がったりするタイプではなかった
と思います私が話した去年の事件の話だって普通に聞いてくれましたいいえ寧ろ
あれこれ尋き返されて必要以上に詳しく話しちゃったくらいです他の娘は人殺しと聞
いただけで耳を塞いで怖いからやめてと云う感じだったけど―
」
「自分が被害者になるかもしれないと云う恐がり方でもないの」
「それは何とも云えません」
明瞭だ
この少女は判ることは判る判らないことは判らないときちんと峻別し正しく伝
えようとしている
「でその祟りと云うのは何処から出て来たのかな」
「はいハル子さんは自分は善くない生れ
0
0
0
0
0
0
なんだと何度も云っていたんです」
「善くない生れ」
旧きゅう
弊へい
的な身分のことかそれとも迷信俗信の類い―
憑き物筋のようなものだろうか
「それって」
「いいえ差別とかそう云うことじゃないみたいでしたいやそうなのかな」
25 鬼
美由紀は顎に人差指を当てる
「血統がどうとか家柄がどうとか云うのは差別的な事柄ですか」
「そうとも云えると思うただそうでない場合もあるとは思うけどいずれにしても出
自で個人を規定することは場合に拠っては差別的だと思うまだまだ根強いけど私は
感心しない人種や性別も含めての話だけど個人の努力で変えられない属性を評価の基
準にするのは前近代的な考え方だと思う」
はあと美由紀は口を小さく開けた
「私解り難いこと云った」
「いいえ能よ
く解りますただ敦子さん矢っ張りお兄さんの血筋―
あこれがいけ
ないって話ですよね」
敦子は微笑む
「兄妹が似てるって指摘するのは差別とは違うから」
似て―
いるのだろうか
「そうですよねでもそれに近い話みたいなんです近くもないのかなその先祖代
代片倉家の女は殺される定めだとか」
「ああ―
」
「しかも斬り殺される
0
0
0
0
0
0
んだと云う話でした」
鬼
鬼お
に―
世よ
に丑う
し
寅とら
の方を鬼き
門もん
といふ
今鬼お
に
の形か
たちを画ゑ
が
くにハ
頭かしらに牛う
しのつの角をいたゞき
腰こし
に虎と
らのかハ皮をまとふ
是丑う
し
と寅と
ら
との二ツを合せて
この形をなせりといへり
―
今昔畵圖續百鬼雨
鳥山石燕安永八年
5 鬼
1「迚と
て
も恐こ
わ
い―と云っていました」
少女はそう云った
姿勢も良く毅き
然ぜん
としているから訴えかけると云うよりも抗議すると云う体て
い
なのだけれ
ど少女は興奮している訳でもなくまた決して怒っている訳でもなかった兎と
に角か
く
この
娘は生き
真ま
面じ
目め
なのだ
会ってから一度も目を逸そ
らさない
気恥ずかしくなってこちらが視軸を外は
ず
してしまう程である
まだ十四だと云う
中ちゅう
禅ぜん
寺じ
敦あつ
子こ
はその頃の自分を思い浮かべる自分も矢や
張は
りこんな顔をしていたのだ
ろうか前向きだけれど融ゆ
う
通ずう
の利かない頑迷ではないけれど納得するまでは引き下がら
ない―
敦子もそう云う娘だっただからきっと頻繁にこんな相手に
か
み付きそうな態
度を取っていたのだろうと思う
6
でもそこ以外は全く似ていない
小柄な敦子と違って目の前の娘は背も高く手足も長いそれだけでもう随分と活
動的に見える身長は敦子の方が低いだろう齢と
し
上うえ
の方が背丈が大きいと云うのはそれ
こそ児こ
ども童の発想なのだろうと思うしそれこそどうでも良いことだとは思うけれどもこ
の外見が齎も
たらす潑は
つ
剌らつ
とした印象に対しては然さ
したる理由もなく劣等感を覚えてしまう
「あの」
少女―
呉くれ
美み
由ゆ
紀き
は小首を傾か
し
げた
ご免なさいと敦子は取り繕つ
くろう
聞いていなかった訳ではない
「一つ確認させてくださいその迚と
て
も怖いと云っていたと云うのはどちらの方なん
でしょう被害者の片か
た
倉くら
さんですかそれとも加害者の宇う
野の
さんですか」
あ私こそご免なさいと美由紀は円ま
る
い目を更に円く見開いた
「夢中になって話してしまって私順序立てて話そう話そうと心掛けていたんですけ
どいつの間にか興奮してしまって何かその支離滅裂ですか」
そんなことはないですよと敦子は云う
凡およ
そ十四五の娘とは思えない話し振りである
中禅寺さんのように上手には話せませんと美由紀は云った
7 鬼
一瞬何のことかと思った美由紀とは初対面だし会ってから敦子はまだ殆ほ
とんど喋って
いないからだ
しかし美由紀が云う中禅寺とは兄のことだと敦子はすぐに察した
敦子の兄は小さな神社の神職を務める傍か
たわら古書店を営んでいる
つまり兄はただの一市井人に過ぎないのだけれど刑事や探偵事件記者などただ
の一市井人とは云えない特殊な人人と懇意にしているものだから犯罪性を帯びた騒動に
巻き込まれることも少なくないし事件解決のために担ぎ出されることも多いのだ一般
的には古本屋兼神主がそうしたことに役立つとは思えないのだがどうも兄に限っては役
に立つようである
兄は余計なことを何でも識し
っている
そして悪魔的に弁が立つ
非力で体力もない兄の武器は言葉だ繰り出される言の葉の渦の力は強い時に人心
は揺れ場は覆
くつがえり事件は解体する
兄は多分言葉で出来ている
だから記憶の中の兄の貌か
お
はまま曖あ
い
昧まい
になるのだが声だけは常に明瞭であるその声は
いつも理路整然とした文脈で揺るぎなき理
ことわりを語っている
去年の春全寮制の女学院を舞台にした連続猟奇殺人事件が起きた
8
美由紀はその事件の関係者なのである仲の良かった友人を含めて何人もが目の前で殺
され通っていた学院も閉鎖されたと聞いている
敦子の兄はその事件の収束に手を貸している
美由紀はだから兄の長広舌を実際に現場で耳にしているのだ
敦子は少し笑った
「あんなに能よ
く喋る人はいません兄のように話したりしたら周ま
わり囲が引きます」
「女だからですか
それとも小娘だから」
美由紀の眼は益々円くなる
敦子は首を振る
「女だからとか男だからとかそう云う区別は無意味だと思う私はそう云う括く
く
り方が嫌
いだから―
いや好き嫌いじゃなくてそんなの関係ないわ」
「関係ないですか」
「いいえ―
世間的にはそうやって分けちゃった方が都合の良い人が多いから分けたいん
でしょうけどだから関係ないって云って生きて行くのは結構面倒なんだけどでも関
係ないでしょ序つ
い
でに云えば年齢も関係ない」
半分以上は自分に言い聞かせているようなものだと敦子は思う
性差を超え年功序列を素ッ飛ばして今の世を生きるのは正直結構しんどい
9 鬼
「兄貴は―
変なの」
敦子は兄を思い浮かべる
矢や
っ張ぱ
り声しか浮かんでこない
変だったでしょと問うと美由紀は苦笑してええまあと答えた
「でもあんなに沢山難しいことばっかり話しててちゃんと意味が通じるって凄いなと
思って私ちゃんと理解出来たんですよでも言ってることは結構難解で知らない言
葉なんかもいっぱい雑ま
じっているのに何故解ったのか自分でも解らなくって」
「煙に巻かれただけじゃないの」
そう云う人なのだ兄は違いますと美由紀は云った
「意味は解らなくても理屈は通じたと云うかいいえもう一度説明してみろと言われて
も私には上手に出来ないんですけど私語ご
彙い
と云うんですかそれがその少ないん
ですでもじゃあ一知半解で解った気になっているだけかと云うとそんなことはなく
て理解そのものは出来てると思うんですよねそれはつまり論理的と云うか理詰め
と云うかそういう形ではちゃんと通じていて単に私が言葉知らずだから説明出来ない
だけだと思ったんです」
「そんなことはないと思うけど」
いいえと美由紀は首を振る
10
「あの事件の時も私の話は大人には通じなくて―
でも能よ
く考えて言葉を選んでき
ちんと話したら通じたんですもっと早くにそう出来ていれば少しは事件解決に貢献出
来たんじゃないかってそれが」
悔いているのか
知る限りこの娘には何の責任もない寧む
し
ろ被害者である学院内だけでも生徒が三
人職員が二人殺され怪我人も出ている皆この潑剌とした少女の眼前で起きたこと
なのだ普通ならどうだろうと思う否普通などと云うものはない自分ならどうだろ
う惨劇からまだ一年経っていないのであるこんなに気丈に振る舞えるだろうかそれ
以前に自分の立ち居振る舞いを反省するなどと云う殊勝な態度が取れるだろうか
それは―
そうするだろう
この辺は似ているのかもしれない
「人に何かを伝えるためにはそして信じて貰うためには言葉って大事なんだなと思っ
て言葉知らずでも順序立てて論理的に説明することは大切だって痛感して―
」
「それはその通りだと思うけど兄貴を見習うのは止よ
した方がいいですよ真似しようと
しても出来ないし言葉って過信しちゃいけないものだと思う私も同じように考える
ことはあるけど結局言葉の迷路に迷いこんじゃって出られなくなるもの順序立てて話
すことはいいことだけど身の丈に合った言葉を使えばいいと思う」
11 鬼
やっぱりご兄き
ょうだい妹ですよねえと美由紀は感心したように云う
「何か似てます中禅寺さん」
今度の中禅寺は敦子のことだろう敦子でいいわよと云った
不思議な空間である
所いわゆる謂裏露地でしかも駄菓子屋の前だ粗そ
末まつ
な木机が出してありそれを挿は
さ
んで更に粗
末な縁台が置かれている敦子と美由紀はそこに差し向いで座っている径み
ち
幅はば
は偉く狭い
から明らかに通行の邪魔だし入店の妨害にもなっていると思うのだがどうもそうで
もないらしい少し先で袋小路になっているようだし見る限り塀ばかりだからそもそ
も通行する者は少ないのだろう
普段はここで児こ
ども童達が座って駄菓子を食べたりしているのだと思う
今はラムネの瓶が二つ載っている暑い時期でもないから―
と云うより明らかにまだ
寒いのだから敦子はラムネなど飲みたいとは思わなかったのだが選択の余地は全くな
かった
美由紀の後ろの板塀にはジュースソーダと書いた貼り紙が覗いているのだがそれは
共に粉末ジュースのことだった勿論お茶も珈琲もない
ここは美由紀の秘密の場所らしい学友達は甘味屋なんかに行くらしいのだが美由紀
は苦手なのだそうだここで子供相手に遊んでいた方が性に合っているのだと云う
12
駄菓子屋は屋号を子こ
供ども
屋や
と云うそのまま―
と云うか考えように依っては巫ふ
ざ
け
山戯た
名前のようにも思えるのだが元は餅屋で開業以来ずっとこの名なのだそうだ先の戦
争で働き手を失って餅が作れなくなり残った老寡婦が一人で出来る商売として駄菓子屋
を開業したと云うことらしい
待ち合わせ場所を最初に聞いた時敦子は少しばかり驚いた駄菓子屋で待ち合わせな
どしたことがないしかし相手はまだ子供なのだからそう云うこともあるかと思い直した
のだったしかし待っていた美由紀は背も高く考えていたよりもずっと大人びてい
てもう一度驚いた制服を着た美由紀の佇まいはどう見てもうらぶれた景色と釣り合っ
てはいなかったのだが何故か馴染んではいた
子供屋は上か
み
馬うま
にある敦子の住まいからそう遠くはない前の大きな通りは能よ
く通るた
だ横道に入ったことなどない用がない何ごとにも194780子定規で何につけあそび
0
0
0
のない人
生を歩んでいる敦子は意味もなく回り道などしないのが常であるそんな己じ
ぶんに嫌気が差
して昨年の秋に横道に逸れてみたりしたのだがその所せ
為い
で手て
酷ひど
い目に遭った
それから横道には入らない
だから情ロ
ケーション景は新鮮である
「それで―
もう一度尋き
くけど」
恐がっていたのは誰と敦子は問うた
13 鬼
「片倉さんです」
「被害者ですね」
「ええ殺された片倉ハル子さん高等部の一年生です」
「貴女は―」
もうすぐ高等部ですと美由紀は云った
「今の学校は中等部の三年で編入したのですぐには中中お友達とか出来なくって前の
学校のこともそれなりに知られていたので―
」
それは理解出来る
同年代の同性ばかりの集団と云うのはそれなりに難儀なものなのだ仲良くするにも
面倒な手続きが必要だったりするし時に陰湿な悶着も起きる違うものではなく似た
ものばかりが集まっているような場合僅かな差異が大きな隔たりと錯覚されてしまうこ
ともあるし逆に均な
ら
されて同質化してしまったりもするどちらにしても普通にはしてい
られない何ごとにも負荷がかかるのだ
美由紀は人殺しの学校から来た子と呼ばれたそうである
美由紀がそれまで在籍していた学校の生徒は殆どが良家の子女で皆学校が閉鎖され
た後もそれなりの学校に移籍し然るべき待遇を受けているらしい彼女達は皆被害者
として扱われているのであるしかし美由紀の場合は少少違っていたようだ
14
美由紀の実家は美由紀の言葉を借りるなら貧乏とまでは云えないが決して裕福では
ない―
のだと云う前の学院に入学する際はかなり無理をしたようである学院の閉鎖
が決定した時美由紀はこれ以上の勉学を諦めたと云う
今の学校への編入が叶ったのは閉鎖された学院の理事長代理が便宜を計ってくれたか
らなのだそうだその人はあくまで個人的な行為とした上で経済的な援助までしてくれ
たらしい敦子の知る限りその人物はかなりの大物である筈なのだがこれも美由紀の
言葉を借りるならその理事長代理と云う人はとびきりの正義漢で極めて善人なのだけれ
ど底抜けに鈍感で頗す
こぶる楽観的な人物―
であるらしい
中中辛辣である
苛いじ
められたりしたのと敦子は尋いた
「さあ無視とか陰口とかそう云うのはそんなに気にならない性た
ち質だし私叩かれ
たら叩き返しちゃう口なのでと云うか殺された友達を悪く云われた時なんかは頭に
来て相手を蹴っ飛ばしちゃって逆に134047られましたそんなだから苛められたと云う実感
はなくて暫し
ばらくの間孤立してはいましたけど―
」
今は結構普通にしてますと美由紀は云った
「半年くらいは誰とも口を利きませんでしたでもハル子さんだけは別で最初から迚と
て
も
親切にしてくれました」
15 鬼
「最初から
学年は一級上よね」
「ええ編入してすぐに声を掛けられたんです」
「そんな風に上級生とは普通に交流があるの」
「あると云えばありますけど―
何と云うんですかそのエスじゃないかとか謂い
われた
りもしたんですけどそんな訳ないんですエスって上級の人が下級の可愛い子を愛す
るって云うような意味ですよね」
「うーん」
間違ってはいないが美由紀の云う愛するがどの程度の意味なのか諮は
か
り兼ねて敦子は
口籠ってしまった
エス―
シスターの頭文字のS―
である女学生の世界ではかなり古くから使われて
いる隠語で単に好意を持つとか仲が良いとか云うだけに留まらず時に肉体関係を伴
う間柄も指し示す敦子が学生だった頃も使われていたからすっかり定着しているのだ
ろう少女小説の題材に取り上げられそれらが人気を博したことも大きいと思う
ただ現在も同じような意味で使われているのかどうかは判らない
「そうだとしてそうじゃなかったってことなの」
私可愛くないですもんと美由紀はあっけらかんとした口調で云った
「そう―
かな」
16
「そうですよだってどんどん丈が伸びるんですものこの一年でまた伸びました竹馬
女です」
身長は関係あるのと問うとそうですよと云われた
「可愛いというのはやっぱり小さいものに対して適用する言葉ですハル子さん―
片
倉さんは私より背が小さかったんですもの丁度敦子さんくらい」
死んでしまいましたけどと美由紀は云う
途端に話題は血ち
腥なまぐささを帯びる
「前の学校で仲良くしていた娘こ
は絞殺魔に頸く
び
を絞められて死にました仲良くなりかけ
た娘は転落死して私が疑いをかけた人は目潰し魔に殺されました今度は辻斬り―
」
そう
それは昭和の辻斬り事件と呼ばれている
私殆ど死に神ですねと美由紀は自嘲するかのように云った
統計をとった訳ではないから正確なことは判らないけれど身の周りで殺人事件が起き
る確率と云うのはかなり低いものだろうと思う天災や事故などで肉親や知人友人を一度
に多数失うことはあるだろうし悲しみは数値化出来ないから数の問題でもないとは思う
けれどもそうした不幸な奇き
禍か
に遭う可能性とて多くはないし況ま
し
てや複数回体験する確
率と云うのは高くないだろう
17 鬼
「死に神と云うならうちの兄貴の方じゃない貴女は違う」
こんな潑剌とした死に神はいないだろう
そう云うと美由紀は笑ってハル子さんにも云われましたと答えた
「美由紀さんのような元気な死に神なんかいないって死に神がそんなにはきはきしてい
たのじゃあ死ぬ人も死ねないって云われました」
「そうでしょうみんなそう思うのじゃない―
」
いや
と云うことは
「美由紀さん片倉さんに前の事件のことを話したの」
色色訊かれたので話しましたと美由紀は答えた
「それは丁寧に詳しく聞いてくださったんです勿論云ってはいけないことは云いま
せんでしたし話したくないことは話しませんでしたけどお話しすることで気持ちに整
理がついたと云うか―
やっと自分の中で事件が終ったと云うか」
それは幾つかの独立した事象が複雑に交錯したそれは難解な事件だったようだ一
応実行犯は捕まったもののそれですっきり終わってしまうような事件ではなかったのだ
と聞いている
「それなのにそのハル子さんが死んでしまいました」
18
昭和の辻斬り事件は出来たばかりの駒こ
ま
澤ざわ
野や
球きゅう
場じょう
周辺で発生している
被害者は七人うち四人は死亡し二名は重傷一人は軽傷であった
報道に拠よ
れば最初の事件が起きたのは昨年の九月
最初の被害者は胸と左二の腕を切られただけで命に別状はなくその時点では単なる通
り魔強盗の類いと考えられていたようだ
その二箇月後二件の傷害事件が起きた一人は左腕をほぼ切断されるという重傷も
う一人は左脇腹を切られ同じく重傷であった目撃証言から犯人は同一人と思われ凶
器も日本刀と断定された警察は金品を目当てとした強盗ではないと判断先に起きた一
件と併せた連続通り魔事件として報道がなされた
更に二箇月後年を跨いだ本年マリリンモンロー来日で世間が沸いていた頃
一月三十日を皮切りに立て続けに三人が殺害された一人目と二人目は病院に搬送さ
れたものの出血多量で死亡三人目は即死に近かったと云う犯行はほぼ一週間置きに行
われいずれも所い
わゆる謂袈け
裟さ
懸が
けに斬られていたそうであるこちらも凶器を含む状況証拠か
ら先行する三件と同一犯の仕業とされた
昭和の辻斬りと云うあまりセンスが良いとは思えない命名は最初の死亡者が出た段
階でなされたものであるどこかの新聞社が見出しに書いたもので他社が倣い三人目
の死亡者が出た段階ではほぼ全社がその呼称を採用していた
19 鬼
そして七日前二月二十七日
美由紀の先輩である片倉ハル子が殺された
昭和の辻斬り最後の被害者である
犯人は逮捕されたのだ
新聞などに拠ればハル子を殺害したのは十九歳の旋盤工宇野憲け
ん
一いち
宇野は犯行現場
で立ち竦す
く
んでいるところを駆け付けた警官に依って現行犯逮捕されている宇野はハル子
殺害の他過去六件全ての犯行を認めまたハル子と交際していたことも告白している
動機等に就いては不明であると云う
猶なお
ハル子殺害現場にはハル子の母である片倉勢せ
い
子こ
もいたと云う
報道されたのはそれだけである
何だか釈然としない感じはした
十六歳の女学生が日本刀で斬り殺されたと云うだけで充分センセーショナルではあった
し殺害したのは未成年の交際相手しかも連続殺人鬼だったと云う付録まで付いていた
訳だから当然のように世間は沸いた号外こそ出なかったけれど事件翌日の一面は昭
和の辻斬り逮捕交際相手の女学生を斬殺―
と云う大見出しになった
とは云うもののその後はあまり報道する意味のない憶測記事が幾つか載っただけで
ある
20
ハル子殺しは痴情の縺も
つ
れであり宇野は痴ち
話わ
喧げん
嘩か
の末にそれまで隠していた殺人鬼の本
性を剝む
き出しにしてハル子を斬り殺したのであると云うようなことに―
なっていた
0
0
0
0
0
と思う
まあそうだと云われればそうなのだろうそう云うこともあるかもしれないありそ
うな話ではあるけれども敦子は何だか気に入らなかった
宇野と云う青年が殺人者であったとしても
更に痴情の縺れの結果の犯行であったとしても
痴話喧嘩の末に興奮して犯行に及んだとするならば
何か
みあっていない気がしたしかしそれ以上は考えなかった所し
ょ
詮せん
は下世話な想像
にしかならないからである
そんな敦子の許に義姉から連絡があったのは一昨日のことだった
美由紀は元来兄か兄の友人の探偵に相談するつもりだったのであるしかし双方共
に不在だったのだ兄とその友人達は旅先で例に因って面倒な事件に巻き込まれているの
だそうであるそちらはそちらで混迷しているようなのだが頼って来たのが他ならぬあ0
の事件
0
0
0
の関係者であり況ま
し
て昭和の辻斬り事件に関わることならば余計に捨ててはおけな
いと―
代わりに敦子が駆り出されたと云う訳である
面倒臭いなと一瞬敦子は思った
21 鬼
どことなく釈然としない想いを持っていたくらいだから事件自体には多少なりとも興
味はあったのだ敦子は雑誌記者だ取材は馴れている聞き取りも現場の視察も仕事の
うちである
面倒だと感じたのは相談したいと云っているのが十四歳の少女と聞いたからなのだ
敦子は若い娘が苦手なのである
学生の頃からそうだった
情より理夢より実美しさより機能性少女雑誌より科学雑誌が好きだった空想す
るより推理する方が好きだったそう云う娘だった
だから女学生の時分も女同士のふわふわした会話やふわふわした関係には随分と辟へ
き
易えき
したものである
嫌いなのではない認めない訳でもない苦手なのである
敦子はそうしたふわふわしたものをかなり幼い頃に捨ててしまったのだと思う捨
てていないのだとしたら何かつまらないものですっかり糊こ
塗と
してしまったのだろう
だからそう云うものを前面に出して生きている人達と出会うとどうしても距離を置
いてしまうのである女学生はきっとふわふわしている
そう思ったのだ敦子が面倒臭いと感じたのはだから女学生そのものに対して感じた
訳ではないのだそれは女学生と対た
い
峙じ
した時の己に対して感じた面倒臭さなのである
22
でも
それは杞憂に終わった
呉美由紀と云う少女は敦子よりも活発で敦子よりも―
敦子っぽかった
「彼女は何を恐がっていたのかしら」
ならばこの娘に沈んだ顔は似合わないと敦子は勝手に判断した
「迚と
て
も怖いってその辻斬り事件を恐れていたと云うことなの
慥たし
かに犯行現場はどれ
も貴女達の学校の近くばかりだしそれに宿舎は学校の敷地内にあるんでしょう
な
ら眼と鼻の先でしょう当然それなりに警戒もしていたのでしょうけど」
みんな恐がってはいましたけどと云った後美由紀は小首を傾か
し
げた
「でもどうなんだろう」
「それは」
「本気かどうか判らないですねみんな学校の外の出来ごとは中とは関係ないと半分
くらい思っていて―
恐ろしいわ怖いわと口では云うんですけど何だか実感はなかった
みたいに思うんですお休みの日以外で宿舎から出ることは殆どないですし自分の身に
災難が降りかかることがあるなんて考えている人はあんまりいなかったんじゃないかと
思います怖いと云っても他人ごとなんです鼠を咥く
わ
えた猫を見ても怖い怖い云うんです
からそれと同じじゃないかと思う」
23 鬼
「片倉さんは違ったのね」
「ええその辻斬りの話をしていた時にそう呟いていたのでまるで関係がないとは思
えませんけども犯人が怖いとか人殺しが怖いとか―
そう云うことではなかったと思
うんです」
「では何が恐かったのかしら」
「その祟た
た
りとか呪いとかその手のものだと思うんですけど」
「祟り」
どうも話が見えない
美由紀は混乱してはいない本人も云っていたが順序立てて論理的に話す努力もして
いるようだそれ以前にこの娘は聡明なのだだから話が見えないのはそもそも見え難に
く
い話だからなのだろう自己申告の通り語彙が少ないのか美由紀自身見聞きしたことの
整理がついていないのだろう
「もう少し細かく話してくれる
執しつこ拗いと思うかもしれないけど片倉さんの辻斬り事
件に対する反応は他の生徒達とは少し違っていた―
と云うことでいい」
はいと美由紀は答える
「それで貴あ
なた女の見る限り彼女は明らかに何かを恐れていた―
これもいい」
「そうですハル子さんは恐がっていました」
24
「それは残酷な凶行が身近で起きていることに対する恐怖でも殺人と云う行為自体に
対する恐怖でも犯人に対する恐怖でも―
ないのね」
「ええハル子さんは他の娘こ
と違って人殺し自体を恐がったりするタイプではなかった
と思います私が話した去年の事件の話だって普通に聞いてくれましたいいえ寧ろ
あれこれ尋き返されて必要以上に詳しく話しちゃったくらいです他の娘は人殺しと聞
いただけで耳を塞いで怖いからやめてと云う感じだったけど―
」
「自分が被害者になるかもしれないと云う恐がり方でもないの」
「それは何とも云えません」
明瞭だ
この少女は判ることは判る判らないことは判らないときちんと峻別し正しく伝
えようとしている
「でその祟りと云うのは何処から出て来たのかな」
「はいハル子さんは自分は善くない生れ
0
0
0
0
0
0
なんだと何度も云っていたんです」
「善くない生れ」
旧きゅう
弊へい
的な身分のことかそれとも迷信俗信の類い―
憑き物筋のようなものだろうか
「それって」
「いいえ差別とかそう云うことじゃないみたいでしたいやそうなのかな」
25 鬼
美由紀は顎に人差指を当てる
「血統がどうとか家柄がどうとか云うのは差別的な事柄ですか」
「そうとも云えると思うただそうでない場合もあるとは思うけどいずれにしても出
自で個人を規定することは場合に拠っては差別的だと思うまだまだ根強いけど私は
感心しない人種や性別も含めての話だけど個人の努力で変えられない属性を評価の基
準にするのは前近代的な考え方だと思う」
はあと美由紀は口を小さく開けた
「私解り難いこと云った」
「いいえ能よ
く解りますただ敦子さん矢っ張りお兄さんの血筋―
あこれがいけ
ないって話ですよね」
敦子は微笑む
「兄妹が似てるって指摘するのは差別とは違うから」
似て―
いるのだろうか
「そうですよねでもそれに近い話みたいなんです近くもないのかなその先祖代
代片倉家の女は殺される定めだとか」
「ああ―
」
「しかも斬り殺される
0
0
0
0
0
0
んだと云う話でした」
5 鬼
1「迚と
て
も恐こ
わ
い―と云っていました」
少女はそう云った
姿勢も良く毅き
然ぜん
としているから訴えかけると云うよりも抗議すると云う体て
い
なのだけれ
ど少女は興奮している訳でもなくまた決して怒っている訳でもなかった兎と
に角か
く
この
娘は生き
真ま
面じ
目め
なのだ
会ってから一度も目を逸そ
らさない
気恥ずかしくなってこちらが視軸を外は
ず
してしまう程である
まだ十四だと云う
中ちゅう
禅ぜん
寺じ
敦あつ
子こ
はその頃の自分を思い浮かべる自分も矢や
張は
りこんな顔をしていたのだ
ろうか前向きだけれど融ゆ
う
通ずう
の利かない頑迷ではないけれど納得するまでは引き下がら
ない―
敦子もそう云う娘だっただからきっと頻繁にこんな相手に
か
み付きそうな態
度を取っていたのだろうと思う
6
でもそこ以外は全く似ていない
小柄な敦子と違って目の前の娘は背も高く手足も長いそれだけでもう随分と活
動的に見える身長は敦子の方が低いだろう齢と
し
上うえ
の方が背丈が大きいと云うのはそれ
こそ児こ
ども童の発想なのだろうと思うしそれこそどうでも良いことだとは思うけれどもこ
の外見が齎も
たらす潑は
つ
剌らつ
とした印象に対しては然さ
したる理由もなく劣等感を覚えてしまう
「あの」
少女―
呉くれ
美み
由ゆ
紀き
は小首を傾か
し
げた
ご免なさいと敦子は取り繕つ
くろう
聞いていなかった訳ではない
「一つ確認させてくださいその迚と
て
も怖いと云っていたと云うのはどちらの方なん
でしょう被害者の片か
た
倉くら
さんですかそれとも加害者の宇う
野の
さんですか」
あ私こそご免なさいと美由紀は円ま
る
い目を更に円く見開いた
「夢中になって話してしまって私順序立てて話そう話そうと心掛けていたんですけ
どいつの間にか興奮してしまって何かその支離滅裂ですか」
そんなことはないですよと敦子は云う
凡およ
そ十四五の娘とは思えない話し振りである
中禅寺さんのように上手には話せませんと美由紀は云った
7 鬼
一瞬何のことかと思った美由紀とは初対面だし会ってから敦子はまだ殆ほ
とんど喋って
いないからだ
しかし美由紀が云う中禅寺とは兄のことだと敦子はすぐに察した
敦子の兄は小さな神社の神職を務める傍か
たわら古書店を営んでいる
つまり兄はただの一市井人に過ぎないのだけれど刑事や探偵事件記者などただ
の一市井人とは云えない特殊な人人と懇意にしているものだから犯罪性を帯びた騒動に
巻き込まれることも少なくないし事件解決のために担ぎ出されることも多いのだ一般
的には古本屋兼神主がそうしたことに役立つとは思えないのだがどうも兄に限っては役
に立つようである
兄は余計なことを何でも識し
っている
そして悪魔的に弁が立つ
非力で体力もない兄の武器は言葉だ繰り出される言の葉の渦の力は強い時に人心
は揺れ場は覆
くつがえり事件は解体する
兄は多分言葉で出来ている
だから記憶の中の兄の貌か
お
はまま曖あ
い
昧まい
になるのだが声だけは常に明瞭であるその声は
いつも理路整然とした文脈で揺るぎなき理
ことわりを語っている
去年の春全寮制の女学院を舞台にした連続猟奇殺人事件が起きた
8
美由紀はその事件の関係者なのである仲の良かった友人を含めて何人もが目の前で殺
され通っていた学院も閉鎖されたと聞いている
敦子の兄はその事件の収束に手を貸している
美由紀はだから兄の長広舌を実際に現場で耳にしているのだ
敦子は少し笑った
「あんなに能よ
く喋る人はいません兄のように話したりしたら周ま
わり囲が引きます」
「女だからですか
それとも小娘だから」
美由紀の眼は益々円くなる
敦子は首を振る
「女だからとか男だからとかそう云う区別は無意味だと思う私はそう云う括く
く
り方が嫌
いだから―
いや好き嫌いじゃなくてそんなの関係ないわ」
「関係ないですか」
「いいえ―
世間的にはそうやって分けちゃった方が都合の良い人が多いから分けたいん
でしょうけどだから関係ないって云って生きて行くのは結構面倒なんだけどでも関
係ないでしょ序つ
い
でに云えば年齢も関係ない」
半分以上は自分に言い聞かせているようなものだと敦子は思う
性差を超え年功序列を素ッ飛ばして今の世を生きるのは正直結構しんどい
9 鬼
「兄貴は―
変なの」
敦子は兄を思い浮かべる
矢や
っ張ぱ
り声しか浮かんでこない
変だったでしょと問うと美由紀は苦笑してええまあと答えた
「でもあんなに沢山難しいことばっかり話しててちゃんと意味が通じるって凄いなと
思って私ちゃんと理解出来たんですよでも言ってることは結構難解で知らない言
葉なんかもいっぱい雑ま
じっているのに何故解ったのか自分でも解らなくって」
「煙に巻かれただけじゃないの」
そう云う人なのだ兄は違いますと美由紀は云った
「意味は解らなくても理屈は通じたと云うかいいえもう一度説明してみろと言われて
も私には上手に出来ないんですけど私語ご
彙い
と云うんですかそれがその少ないん
ですでもじゃあ一知半解で解った気になっているだけかと云うとそんなことはなく
て理解そのものは出来てると思うんですよねそれはつまり論理的と云うか理詰め
と云うかそういう形ではちゃんと通じていて単に私が言葉知らずだから説明出来ない
だけだと思ったんです」
「そんなことはないと思うけど」
いいえと美由紀は首を振る
10
「あの事件の時も私の話は大人には通じなくて―
でも能よ
く考えて言葉を選んでき
ちんと話したら通じたんですもっと早くにそう出来ていれば少しは事件解決に貢献出
来たんじゃないかってそれが」
悔いているのか
知る限りこの娘には何の責任もない寧む
し
ろ被害者である学院内だけでも生徒が三
人職員が二人殺され怪我人も出ている皆この潑剌とした少女の眼前で起きたこと
なのだ普通ならどうだろうと思う否普通などと云うものはない自分ならどうだろ
う惨劇からまだ一年経っていないのであるこんなに気丈に振る舞えるだろうかそれ
以前に自分の立ち居振る舞いを反省するなどと云う殊勝な態度が取れるだろうか
それは―
そうするだろう
この辺は似ているのかもしれない
「人に何かを伝えるためにはそして信じて貰うためには言葉って大事なんだなと思っ
て言葉知らずでも順序立てて論理的に説明することは大切だって痛感して―
」
「それはその通りだと思うけど兄貴を見習うのは止よ
した方がいいですよ真似しようと
しても出来ないし言葉って過信しちゃいけないものだと思う私も同じように考える
ことはあるけど結局言葉の迷路に迷いこんじゃって出られなくなるもの順序立てて話
すことはいいことだけど身の丈に合った言葉を使えばいいと思う」
11 鬼
やっぱりご兄き
ょうだい妹ですよねえと美由紀は感心したように云う
「何か似てます中禅寺さん」
今度の中禅寺は敦子のことだろう敦子でいいわよと云った
不思議な空間である
所いわゆる謂裏露地でしかも駄菓子屋の前だ粗そ
末まつ
な木机が出してありそれを挿は
さ
んで更に粗
末な縁台が置かれている敦子と美由紀はそこに差し向いで座っている径み
ち
幅はば
は偉く狭い
から明らかに通行の邪魔だし入店の妨害にもなっていると思うのだがどうもそうで
もないらしい少し先で袋小路になっているようだし見る限り塀ばかりだからそもそ
も通行する者は少ないのだろう
普段はここで児こ
ども童達が座って駄菓子を食べたりしているのだと思う
今はラムネの瓶が二つ載っている暑い時期でもないから―
と云うより明らかにまだ
寒いのだから敦子はラムネなど飲みたいとは思わなかったのだが選択の余地は全くな
かった
美由紀の後ろの板塀にはジュースソーダと書いた貼り紙が覗いているのだがそれは
共に粉末ジュースのことだった勿論お茶も珈琲もない
ここは美由紀の秘密の場所らしい学友達は甘味屋なんかに行くらしいのだが美由紀
は苦手なのだそうだここで子供相手に遊んでいた方が性に合っているのだと云う
12
駄菓子屋は屋号を子こ
供ども
屋や
と云うそのまま―
と云うか考えように依っては巫ふ
ざ
け
山戯た
名前のようにも思えるのだが元は餅屋で開業以来ずっとこの名なのだそうだ先の戦
争で働き手を失って餅が作れなくなり残った老寡婦が一人で出来る商売として駄菓子屋
を開業したと云うことらしい
待ち合わせ場所を最初に聞いた時敦子は少しばかり驚いた駄菓子屋で待ち合わせな
どしたことがないしかし相手はまだ子供なのだからそう云うこともあるかと思い直した
のだったしかし待っていた美由紀は背も高く考えていたよりもずっと大人びてい
てもう一度驚いた制服を着た美由紀の佇まいはどう見てもうらぶれた景色と釣り合っ
てはいなかったのだが何故か馴染んではいた
子供屋は上か
み
馬うま
にある敦子の住まいからそう遠くはない前の大きな通りは能よ
く通るた
だ横道に入ったことなどない用がない何ごとにも194780子定規で何につけあそび
0
0
0
のない人
生を歩んでいる敦子は意味もなく回り道などしないのが常であるそんな己じ
ぶんに嫌気が差
して昨年の秋に横道に逸れてみたりしたのだがその所せ
為い
で手て
酷ひど
い目に遭った
それから横道には入らない
だから情ロ
ケーション景は新鮮である
「それで―
もう一度尋き
くけど」
恐がっていたのは誰と敦子は問うた
13 鬼
「片倉さんです」
「被害者ですね」
「ええ殺された片倉ハル子さん高等部の一年生です」
「貴女は―」
もうすぐ高等部ですと美由紀は云った
「今の学校は中等部の三年で編入したのですぐには中中お友達とか出来なくって前の
学校のこともそれなりに知られていたので―
」
それは理解出来る
同年代の同性ばかりの集団と云うのはそれなりに難儀なものなのだ仲良くするにも
面倒な手続きが必要だったりするし時に陰湿な悶着も起きる違うものではなく似た
ものばかりが集まっているような場合僅かな差異が大きな隔たりと錯覚されてしまうこ
ともあるし逆に均な
ら
されて同質化してしまったりもするどちらにしても普通にはしてい
られない何ごとにも負荷がかかるのだ
美由紀は人殺しの学校から来た子と呼ばれたそうである
美由紀がそれまで在籍していた学校の生徒は殆どが良家の子女で皆学校が閉鎖され
た後もそれなりの学校に移籍し然るべき待遇を受けているらしい彼女達は皆被害者
として扱われているのであるしかし美由紀の場合は少少違っていたようだ
14
美由紀の実家は美由紀の言葉を借りるなら貧乏とまでは云えないが決して裕福では
ない―
のだと云う前の学院に入学する際はかなり無理をしたようである学院の閉鎖
が決定した時美由紀はこれ以上の勉学を諦めたと云う
今の学校への編入が叶ったのは閉鎖された学院の理事長代理が便宜を計ってくれたか
らなのだそうだその人はあくまで個人的な行為とした上で経済的な援助までしてくれ
たらしい敦子の知る限りその人物はかなりの大物である筈なのだがこれも美由紀の
言葉を借りるならその理事長代理と云う人はとびきりの正義漢で極めて善人なのだけれ
ど底抜けに鈍感で頗す
こぶる楽観的な人物―
であるらしい
中中辛辣である
苛いじ
められたりしたのと敦子は尋いた
「さあ無視とか陰口とかそう云うのはそんなに気にならない性た
ち質だし私叩かれ
たら叩き返しちゃう口なのでと云うか殺された友達を悪く云われた時なんかは頭に
来て相手を蹴っ飛ばしちゃって逆に134047られましたそんなだから苛められたと云う実感
はなくて暫し
ばらくの間孤立してはいましたけど―
」
今は結構普通にしてますと美由紀は云った
「半年くらいは誰とも口を利きませんでしたでもハル子さんだけは別で最初から迚と
て
も
親切にしてくれました」
15 鬼
「最初から
学年は一級上よね」
「ええ編入してすぐに声を掛けられたんです」
「そんな風に上級生とは普通に交流があるの」
「あると云えばありますけど―
何と云うんですかそのエスじゃないかとか謂い
われた
りもしたんですけどそんな訳ないんですエスって上級の人が下級の可愛い子を愛す
るって云うような意味ですよね」
「うーん」
間違ってはいないが美由紀の云う愛するがどの程度の意味なのか諮は
か
り兼ねて敦子は
口籠ってしまった
エス―
シスターの頭文字のS―
である女学生の世界ではかなり古くから使われて
いる隠語で単に好意を持つとか仲が良いとか云うだけに留まらず時に肉体関係を伴
う間柄も指し示す敦子が学生だった頃も使われていたからすっかり定着しているのだ
ろう少女小説の題材に取り上げられそれらが人気を博したことも大きいと思う
ただ現在も同じような意味で使われているのかどうかは判らない
「そうだとしてそうじゃなかったってことなの」
私可愛くないですもんと美由紀はあっけらかんとした口調で云った
「そう―
かな」
16
「そうですよだってどんどん丈が伸びるんですものこの一年でまた伸びました竹馬
女です」
身長は関係あるのと問うとそうですよと云われた
「可愛いというのはやっぱり小さいものに対して適用する言葉ですハル子さん―
片
倉さんは私より背が小さかったんですもの丁度敦子さんくらい」
死んでしまいましたけどと美由紀は云う
途端に話題は血ち
腥なまぐささを帯びる
「前の学校で仲良くしていた娘こ
は絞殺魔に頸く
び
を絞められて死にました仲良くなりかけ
た娘は転落死して私が疑いをかけた人は目潰し魔に殺されました今度は辻斬り―
」
そう
それは昭和の辻斬り事件と呼ばれている
私殆ど死に神ですねと美由紀は自嘲するかのように云った
統計をとった訳ではないから正確なことは判らないけれど身の周りで殺人事件が起き
る確率と云うのはかなり低いものだろうと思う天災や事故などで肉親や知人友人を一度
に多数失うことはあるだろうし悲しみは数値化出来ないから数の問題でもないとは思う
けれどもそうした不幸な奇き
禍か
に遭う可能性とて多くはないし況ま
し
てや複数回体験する確
率と云うのは高くないだろう
17 鬼
「死に神と云うならうちの兄貴の方じゃない貴女は違う」
こんな潑剌とした死に神はいないだろう
そう云うと美由紀は笑ってハル子さんにも云われましたと答えた
「美由紀さんのような元気な死に神なんかいないって死に神がそんなにはきはきしてい
たのじゃあ死ぬ人も死ねないって云われました」
「そうでしょうみんなそう思うのじゃない―
」
いや
と云うことは
「美由紀さん片倉さんに前の事件のことを話したの」
色色訊かれたので話しましたと美由紀は答えた
「それは丁寧に詳しく聞いてくださったんです勿論云ってはいけないことは云いま
せんでしたし話したくないことは話しませんでしたけどお話しすることで気持ちに整
理がついたと云うか―
やっと自分の中で事件が終ったと云うか」
それは幾つかの独立した事象が複雑に交錯したそれは難解な事件だったようだ一
応実行犯は捕まったもののそれですっきり終わってしまうような事件ではなかったのだ
と聞いている
「それなのにそのハル子さんが死んでしまいました」
18
昭和の辻斬り事件は出来たばかりの駒こ
ま
澤ざわ
野や
球きゅう
場じょう
周辺で発生している
被害者は七人うち四人は死亡し二名は重傷一人は軽傷であった
報道に拠よ
れば最初の事件が起きたのは昨年の九月
最初の被害者は胸と左二の腕を切られただけで命に別状はなくその時点では単なる通
り魔強盗の類いと考えられていたようだ
その二箇月後二件の傷害事件が起きた一人は左腕をほぼ切断されるという重傷も
う一人は左脇腹を切られ同じく重傷であった目撃証言から犯人は同一人と思われ凶
器も日本刀と断定された警察は金品を目当てとした強盗ではないと判断先に起きた一
件と併せた連続通り魔事件として報道がなされた
更に二箇月後年を跨いだ本年マリリンモンロー来日で世間が沸いていた頃
一月三十日を皮切りに立て続けに三人が殺害された一人目と二人目は病院に搬送さ
れたものの出血多量で死亡三人目は即死に近かったと云う犯行はほぼ一週間置きに行
われいずれも所い
わゆる謂袈け
裟さ
懸が
けに斬られていたそうであるこちらも凶器を含む状況証拠か
ら先行する三件と同一犯の仕業とされた
昭和の辻斬りと云うあまりセンスが良いとは思えない命名は最初の死亡者が出た段
階でなされたものであるどこかの新聞社が見出しに書いたもので他社が倣い三人目
の死亡者が出た段階ではほぼ全社がその呼称を採用していた
19 鬼
そして七日前二月二十七日
美由紀の先輩である片倉ハル子が殺された
昭和の辻斬り最後の被害者である
犯人は逮捕されたのだ
新聞などに拠ればハル子を殺害したのは十九歳の旋盤工宇野憲け
ん
一いち
宇野は犯行現場
で立ち竦す
く
んでいるところを駆け付けた警官に依って現行犯逮捕されている宇野はハル子
殺害の他過去六件全ての犯行を認めまたハル子と交際していたことも告白している
動機等に就いては不明であると云う
猶なお
ハル子殺害現場にはハル子の母である片倉勢せ
い
子こ
もいたと云う
報道されたのはそれだけである
何だか釈然としない感じはした
十六歳の女学生が日本刀で斬り殺されたと云うだけで充分センセーショナルではあった
し殺害したのは未成年の交際相手しかも連続殺人鬼だったと云う付録まで付いていた
訳だから当然のように世間は沸いた号外こそ出なかったけれど事件翌日の一面は昭
和の辻斬り逮捕交際相手の女学生を斬殺―
と云う大見出しになった
とは云うもののその後はあまり報道する意味のない憶測記事が幾つか載っただけで
ある
20
ハル子殺しは痴情の縺も
つ
れであり宇野は痴ち
話わ
喧げん
嘩か
の末にそれまで隠していた殺人鬼の本
性を剝む
き出しにしてハル子を斬り殺したのであると云うようなことに―
なっていた
0
0
0
0
0
と思う
まあそうだと云われればそうなのだろうそう云うこともあるかもしれないありそ
うな話ではあるけれども敦子は何だか気に入らなかった
宇野と云う青年が殺人者であったとしても
更に痴情の縺れの結果の犯行であったとしても
痴話喧嘩の末に興奮して犯行に及んだとするならば
何か
みあっていない気がしたしかしそれ以上は考えなかった所し
ょ
詮せん
は下世話な想像
にしかならないからである
そんな敦子の許に義姉から連絡があったのは一昨日のことだった
美由紀は元来兄か兄の友人の探偵に相談するつもりだったのであるしかし双方共
に不在だったのだ兄とその友人達は旅先で例に因って面倒な事件に巻き込まれているの
だそうであるそちらはそちらで混迷しているようなのだが頼って来たのが他ならぬあ0
の事件
0
0
0
の関係者であり況ま
し
て昭和の辻斬り事件に関わることならば余計に捨ててはおけな
いと―
代わりに敦子が駆り出されたと云う訳である
面倒臭いなと一瞬敦子は思った
21 鬼
どことなく釈然としない想いを持っていたくらいだから事件自体には多少なりとも興
味はあったのだ敦子は雑誌記者だ取材は馴れている聞き取りも現場の視察も仕事の
うちである
面倒だと感じたのは相談したいと云っているのが十四歳の少女と聞いたからなのだ
敦子は若い娘が苦手なのである
学生の頃からそうだった
情より理夢より実美しさより機能性少女雑誌より科学雑誌が好きだった空想す
るより推理する方が好きだったそう云う娘だった
だから女学生の時分も女同士のふわふわした会話やふわふわした関係には随分と辟へ
き
易えき
したものである
嫌いなのではない認めない訳でもない苦手なのである
敦子はそうしたふわふわしたものをかなり幼い頃に捨ててしまったのだと思う捨
てていないのだとしたら何かつまらないものですっかり糊こ
塗と
してしまったのだろう
だからそう云うものを前面に出して生きている人達と出会うとどうしても距離を置
いてしまうのである女学生はきっとふわふわしている
そう思ったのだ敦子が面倒臭いと感じたのはだから女学生そのものに対して感じた
訳ではないのだそれは女学生と対た
い
峙じ
した時の己に対して感じた面倒臭さなのである
22
でも
それは杞憂に終わった
呉美由紀と云う少女は敦子よりも活発で敦子よりも―
敦子っぽかった
「彼女は何を恐がっていたのかしら」
ならばこの娘に沈んだ顔は似合わないと敦子は勝手に判断した
「迚と
て
も怖いってその辻斬り事件を恐れていたと云うことなの
慥たし
かに犯行現場はどれ
も貴女達の学校の近くばかりだしそれに宿舎は学校の敷地内にあるんでしょう
な
ら眼と鼻の先でしょう当然それなりに警戒もしていたのでしょうけど」
みんな恐がってはいましたけどと云った後美由紀は小首を傾か
し
げた
「でもどうなんだろう」
「それは」
「本気かどうか判らないですねみんな学校の外の出来ごとは中とは関係ないと半分
くらい思っていて―
恐ろしいわ怖いわと口では云うんですけど何だか実感はなかった
みたいに思うんですお休みの日以外で宿舎から出ることは殆どないですし自分の身に
災難が降りかかることがあるなんて考えている人はあんまりいなかったんじゃないかと
思います怖いと云っても他人ごとなんです鼠を咥く
わ
えた猫を見ても怖い怖い云うんです
からそれと同じじゃないかと思う」
23 鬼
「片倉さんは違ったのね」
「ええその辻斬りの話をしていた時にそう呟いていたのでまるで関係がないとは思
えませんけども犯人が怖いとか人殺しが怖いとか―
そう云うことではなかったと思
うんです」
「では何が恐かったのかしら」
「その祟た
た
りとか呪いとかその手のものだと思うんですけど」
「祟り」
どうも話が見えない
美由紀は混乱してはいない本人も云っていたが順序立てて論理的に話す努力もして
いるようだそれ以前にこの娘は聡明なのだだから話が見えないのはそもそも見え難に
く
い話だからなのだろう自己申告の通り語彙が少ないのか美由紀自身見聞きしたことの
整理がついていないのだろう
「もう少し細かく話してくれる
執しつこ拗いと思うかもしれないけど片倉さんの辻斬り事
件に対する反応は他の生徒達とは少し違っていた―
と云うことでいい」
はいと美由紀は答える
「それで貴あ
なた女の見る限り彼女は明らかに何かを恐れていた―
これもいい」
「そうですハル子さんは恐がっていました」
24
「それは残酷な凶行が身近で起きていることに対する恐怖でも殺人と云う行為自体に
対する恐怖でも犯人に対する恐怖でも―
ないのね」
「ええハル子さんは他の娘こ
と違って人殺し自体を恐がったりするタイプではなかった
と思います私が話した去年の事件の話だって普通に聞いてくれましたいいえ寧ろ
あれこれ尋き返されて必要以上に詳しく話しちゃったくらいです他の娘は人殺しと聞
いただけで耳を塞いで怖いからやめてと云う感じだったけど―
」
「自分が被害者になるかもしれないと云う恐がり方でもないの」
「それは何とも云えません」
明瞭だ
この少女は判ることは判る判らないことは判らないときちんと峻別し正しく伝
えようとしている
「でその祟りと云うのは何処から出て来たのかな」
「はいハル子さんは自分は善くない生れ
0
0
0
0
0
0
なんだと何度も云っていたんです」
「善くない生れ」
旧きゅう
弊へい
的な身分のことかそれとも迷信俗信の類い―
憑き物筋のようなものだろうか
「それって」
「いいえ差別とかそう云うことじゃないみたいでしたいやそうなのかな」
25 鬼
美由紀は顎に人差指を当てる
「血統がどうとか家柄がどうとか云うのは差別的な事柄ですか」
「そうとも云えると思うただそうでない場合もあるとは思うけどいずれにしても出
自で個人を規定することは場合に拠っては差別的だと思うまだまだ根強いけど私は
感心しない人種や性別も含めての話だけど個人の努力で変えられない属性を評価の基
準にするのは前近代的な考え方だと思う」
はあと美由紀は口を小さく開けた
「私解り難いこと云った」
「いいえ能よ
く解りますただ敦子さん矢っ張りお兄さんの血筋―
あこれがいけ
ないって話ですよね」
敦子は微笑む
「兄妹が似てるって指摘するのは差別とは違うから」
似て―
いるのだろうか
「そうですよねでもそれに近い話みたいなんです近くもないのかなその先祖代
代片倉家の女は殺される定めだとか」
「ああ―
」
「しかも斬り殺される
0
0
0
0
0
0
んだと云う話でした」
6
でもそこ以外は全く似ていない
小柄な敦子と違って目の前の娘は背も高く手足も長いそれだけでもう随分と活
動的に見える身長は敦子の方が低いだろう齢と
し
上うえ
の方が背丈が大きいと云うのはそれ
こそ児こ
ども童の発想なのだろうと思うしそれこそどうでも良いことだとは思うけれどもこ
の外見が齎も
たらす潑は
つ
剌らつ
とした印象に対しては然さ
したる理由もなく劣等感を覚えてしまう
「あの」
少女―
呉くれ
美み
由ゆ
紀き
は小首を傾か
し
げた
ご免なさいと敦子は取り繕つ
くろう
聞いていなかった訳ではない
「一つ確認させてくださいその迚と
て
も怖いと云っていたと云うのはどちらの方なん
でしょう被害者の片か
た
倉くら
さんですかそれとも加害者の宇う
野の
さんですか」
あ私こそご免なさいと美由紀は円ま
る
い目を更に円く見開いた
「夢中になって話してしまって私順序立てて話そう話そうと心掛けていたんですけ
どいつの間にか興奮してしまって何かその支離滅裂ですか」
そんなことはないですよと敦子は云う
凡およ
そ十四五の娘とは思えない話し振りである
中禅寺さんのように上手には話せませんと美由紀は云った
7 鬼
一瞬何のことかと思った美由紀とは初対面だし会ってから敦子はまだ殆ほ
とんど喋って
いないからだ
しかし美由紀が云う中禅寺とは兄のことだと敦子はすぐに察した
敦子の兄は小さな神社の神職を務める傍か
たわら古書店を営んでいる
つまり兄はただの一市井人に過ぎないのだけれど刑事や探偵事件記者などただ
の一市井人とは云えない特殊な人人と懇意にしているものだから犯罪性を帯びた騒動に
巻き込まれることも少なくないし事件解決のために担ぎ出されることも多いのだ一般
的には古本屋兼神主がそうしたことに役立つとは思えないのだがどうも兄に限っては役
に立つようである
兄は余計なことを何でも識し
っている
そして悪魔的に弁が立つ
非力で体力もない兄の武器は言葉だ繰り出される言の葉の渦の力は強い時に人心
は揺れ場は覆
くつがえり事件は解体する
兄は多分言葉で出来ている
だから記憶の中の兄の貌か
お
はまま曖あ
い
昧まい
になるのだが声だけは常に明瞭であるその声は
いつも理路整然とした文脈で揺るぎなき理
ことわりを語っている
去年の春全寮制の女学院を舞台にした連続猟奇殺人事件が起きた
8
美由紀はその事件の関係者なのである仲の良かった友人を含めて何人もが目の前で殺
され通っていた学院も閉鎖されたと聞いている
敦子の兄はその事件の収束に手を貸している
美由紀はだから兄の長広舌を実際に現場で耳にしているのだ
敦子は少し笑った
「あんなに能よ
く喋る人はいません兄のように話したりしたら周ま
わり囲が引きます」
「女だからですか
それとも小娘だから」
美由紀の眼は益々円くなる
敦子は首を振る
「女だからとか男だからとかそう云う区別は無意味だと思う私はそう云う括く
く
り方が嫌
いだから―
いや好き嫌いじゃなくてそんなの関係ないわ」
「関係ないですか」
「いいえ―
世間的にはそうやって分けちゃった方が都合の良い人が多いから分けたいん
でしょうけどだから関係ないって云って生きて行くのは結構面倒なんだけどでも関
係ないでしょ序つ
い
でに云えば年齢も関係ない」
半分以上は自分に言い聞かせているようなものだと敦子は思う
性差を超え年功序列を素ッ飛ばして今の世を生きるのは正直結構しんどい
9 鬼
「兄貴は―
変なの」
敦子は兄を思い浮かべる
矢や
っ張ぱ
り声しか浮かんでこない
変だったでしょと問うと美由紀は苦笑してええまあと答えた
「でもあんなに沢山難しいことばっかり話しててちゃんと意味が通じるって凄いなと
思って私ちゃんと理解出来たんですよでも言ってることは結構難解で知らない言
葉なんかもいっぱい雑ま
じっているのに何故解ったのか自分でも解らなくって」
「煙に巻かれただけじゃないの」
そう云う人なのだ兄は違いますと美由紀は云った
「意味は解らなくても理屈は通じたと云うかいいえもう一度説明してみろと言われて
も私には上手に出来ないんですけど私語ご
彙い
と云うんですかそれがその少ないん
ですでもじゃあ一知半解で解った気になっているだけかと云うとそんなことはなく
て理解そのものは出来てると思うんですよねそれはつまり論理的と云うか理詰め
と云うかそういう形ではちゃんと通じていて単に私が言葉知らずだから説明出来ない
だけだと思ったんです」
「そんなことはないと思うけど」
いいえと美由紀は首を振る
10
「あの事件の時も私の話は大人には通じなくて―
でも能よ
く考えて言葉を選んでき
ちんと話したら通じたんですもっと早くにそう出来ていれば少しは事件解決に貢献出
来たんじゃないかってそれが」
悔いているのか
知る限りこの娘には何の責任もない寧む
し
ろ被害者である学院内だけでも生徒が三
人職員が二人殺され怪我人も出ている皆この潑剌とした少女の眼前で起きたこと
なのだ普通ならどうだろうと思う否普通などと云うものはない自分ならどうだろ
う惨劇からまだ一年経っていないのであるこんなに気丈に振る舞えるだろうかそれ
以前に自分の立ち居振る舞いを反省するなどと云う殊勝な態度が取れるだろうか
それは―
そうするだろう
この辺は似ているのかもしれない
「人に何かを伝えるためにはそして信じて貰うためには言葉って大事なんだなと思っ
て言葉知らずでも順序立てて論理的に説明することは大切だって痛感して―
」
「それはその通りだと思うけど兄貴を見習うのは止よ
した方がいいですよ真似しようと
しても出来ないし言葉って過信しちゃいけないものだと思う私も同じように考える
ことはあるけど結局言葉の迷路に迷いこんじゃって出られなくなるもの順序立てて話
すことはいいことだけど身の丈に合った言葉を使えばいいと思う」
11 鬼
やっぱりご兄き
ょうだい妹ですよねえと美由紀は感心したように云う
「何か似てます中禅寺さん」
今度の中禅寺は敦子のことだろう敦子でいいわよと云った
不思議な空間である
所いわゆる謂裏露地でしかも駄菓子屋の前だ粗そ
末まつ
な木机が出してありそれを挿は
さ
んで更に粗
末な縁台が置かれている敦子と美由紀はそこに差し向いで座っている径み
ち
幅はば
は偉く狭い
から明らかに通行の邪魔だし入店の妨害にもなっていると思うのだがどうもそうで
もないらしい少し先で袋小路になっているようだし見る限り塀ばかりだからそもそ
も通行する者は少ないのだろう
普段はここで児こ
ども童達が座って駄菓子を食べたりしているのだと思う
今はラムネの瓶が二つ載っている暑い時期でもないから―
と云うより明らかにまだ
寒いのだから敦子はラムネなど飲みたいとは思わなかったのだが選択の余地は全くな
かった
美由紀の後ろの板塀にはジュースソーダと書いた貼り紙が覗いているのだがそれは
共に粉末ジュースのことだった勿論お茶も珈琲もない
ここは美由紀の秘密の場所らしい学友達は甘味屋なんかに行くらしいのだが美由紀
は苦手なのだそうだここで子供相手に遊んでいた方が性に合っているのだと云う
12
駄菓子屋は屋号を子こ
供ども
屋や
と云うそのまま―
と云うか考えように依っては巫ふ
ざ
け
山戯た
名前のようにも思えるのだが元は餅屋で開業以来ずっとこの名なのだそうだ先の戦
争で働き手を失って餅が作れなくなり残った老寡婦が一人で出来る商売として駄菓子屋
を開業したと云うことらしい
待ち合わせ場所を最初に聞いた時敦子は少しばかり驚いた駄菓子屋で待ち合わせな
どしたことがないしかし相手はまだ子供なのだからそう云うこともあるかと思い直した
のだったしかし待っていた美由紀は背も高く考えていたよりもずっと大人びてい
てもう一度驚いた制服を着た美由紀の佇まいはどう見てもうらぶれた景色と釣り合っ
てはいなかったのだが何故か馴染んではいた
子供屋は上か
み
馬うま
にある敦子の住まいからそう遠くはない前の大きな通りは能よ
く通るた
だ横道に入ったことなどない用がない何ごとにも194780子定規で何につけあそび
0
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生を歩んでいる敦子は意味もなく回り道などしないのが常であるそんな己じ
ぶんに嫌気が差
して昨年の秋に横道に逸れてみたりしたのだがその所せ
為い
で手て
酷ひど
い目に遭った
それから横道には入らない
だから情ロ
ケーション景は新鮮である
「それで―
もう一度尋き
くけど」
恐がっていたのは誰と敦子は問うた
13 鬼
「片倉さんです」
「被害者ですね」
「ええ殺された片倉ハル子さん高等部の一年生です」
「貴女は―」
もうすぐ高等部ですと美由紀は云った
「今の学校は中等部の三年で編入したのですぐには中中お友達とか出来なくって前の
学校のこともそれなりに知られていたので―
」
それは理解出来る
同年代の同性ばかりの集団と云うのはそれなりに難儀なものなのだ仲良くするにも
面倒な手続きが必要だったりするし時に陰湿な悶着も起きる違うものではなく似た
ものばかりが集まっているような場合僅かな差異が大きな隔たりと錯覚されてしまうこ
ともあるし逆に均な
ら
されて同質化してしまったりもするどちらにしても普通にはしてい
られない何ごとにも負荷がかかるのだ
美由紀は人殺しの学校から来た子と呼ばれたそうである
美由紀がそれまで在籍していた学校の生徒は殆どが良家の子女で皆学校が閉鎖され
た後もそれなりの学校に移籍し然るべき待遇を受けているらしい彼女達は皆被害者
として扱われているのであるしかし美由紀の場合は少少違っていたようだ
14
美由紀の実家は美由紀の言葉を借りるなら貧乏とまでは云えないが決して裕福では
ない―
のだと云う前の学院に入学する際はかなり無理をしたようである学院の閉鎖
が決定した時美由紀はこれ以上の勉学を諦めたと云う
今の学校への編入が叶ったのは閉鎖された学院の理事長代理が便宜を計ってくれたか
らなのだそうだその人はあくまで個人的な行為とした上で経済的な援助までしてくれ
たらしい敦子の知る限りその人物はかなりの大物である筈なのだがこれも美由紀の
言葉を借りるならその理事長代理と云う人はとびきりの正義漢で極めて善人なのだけれ
ど底抜けに鈍感で頗す
こぶる楽観的な人物―
であるらしい
中中辛辣である
苛いじ
められたりしたのと敦子は尋いた
「さあ無視とか陰口とかそう云うのはそんなに気にならない性た
ち質だし私叩かれ
たら叩き返しちゃう口なのでと云うか殺された友達を悪く云われた時なんかは頭に
来て相手を蹴っ飛ばしちゃって逆に134047られましたそんなだから苛められたと云う実感
はなくて暫し
ばらくの間孤立してはいましたけど―
」
今は結構普通にしてますと美由紀は云った
「半年くらいは誰とも口を利きませんでしたでもハル子さんだけは別で最初から迚と
て
も
親切にしてくれました」
15 鬼
「最初から
学年は一級上よね」
「ええ編入してすぐに声を掛けられたんです」
「そんな風に上級生とは普通に交流があるの」
「あると云えばありますけど―
何と云うんですかそのエスじゃないかとか謂い
われた
りもしたんですけどそんな訳ないんですエスって上級の人が下級の可愛い子を愛す
るって云うような意味ですよね」
「うーん」
間違ってはいないが美由紀の云う愛するがどの程度の意味なのか諮は
か
り兼ねて敦子は
口籠ってしまった
エス―
シスターの頭文字のS―
である女学生の世界ではかなり古くから使われて
いる隠語で単に好意を持つとか仲が良いとか云うだけに留まらず時に肉体関係を伴
う間柄も指し示す敦子が学生だった頃も使われていたからすっかり定着しているのだ
ろう少女小説の題材に取り上げられそれらが人気を博したことも大きいと思う
ただ現在も同じような意味で使われているのかどうかは判らない
「そうだとしてそうじゃなかったってことなの」
私可愛くないですもんと美由紀はあっけらかんとした口調で云った
「そう―
かな」
16
「そうですよだってどんどん丈が伸びるんですものこの一年でまた伸びました竹馬
女です」
身長は関係あるのと問うとそうですよと云われた
「可愛いというのはやっぱり小さいものに対して適用する言葉ですハル子さん―
片
倉さんは私より背が小さかったんですもの丁度敦子さんくらい」
死んでしまいましたけどと美由紀は云う
途端に話題は血ち
腥なまぐささを帯びる
「前の学校で仲良くしていた娘こ
は絞殺魔に頸く
び
を絞められて死にました仲良くなりかけ
た娘は転落死して私が疑いをかけた人は目潰し魔に殺されました今度は辻斬り―
」
そう
それは昭和の辻斬り事件と呼ばれている
私殆ど死に神ですねと美由紀は自嘲するかのように云った
統計をとった訳ではないから正確なことは判らないけれど身の周りで殺人事件が起き
る確率と云うのはかなり低いものだろうと思う天災や事故などで肉親や知人友人を一度
に多数失うことはあるだろうし悲しみは数値化出来ないから数の問題でもないとは思う
けれどもそうした不幸な奇き
禍か
に遭う可能性とて多くはないし況ま
し
てや複数回体験する確
率と云うのは高くないだろう
17 鬼
「死に神と云うならうちの兄貴の方じゃない貴女は違う」
こんな潑剌とした死に神はいないだろう
そう云うと美由紀は笑ってハル子さんにも云われましたと答えた
「美由紀さんのような元気な死に神なんかいないって死に神がそんなにはきはきしてい
たのじゃあ死ぬ人も死ねないって云われました」
「そうでしょうみんなそう思うのじゃない―
」
いや
と云うことは
「美由紀さん片倉さんに前の事件のことを話したの」
色色訊かれたので話しましたと美由紀は答えた
「それは丁寧に詳しく聞いてくださったんです勿論云ってはいけないことは云いま
せんでしたし話したくないことは話しませんでしたけどお話しすることで気持ちに整
理がついたと云うか―
やっと自分の中で事件が終ったと云うか」
それは幾つかの独立した事象が複雑に交錯したそれは難解な事件だったようだ一
応実行犯は捕まったもののそれですっきり終わってしまうような事件ではなかったのだ
と聞いている
「それなのにそのハル子さんが死んでしまいました」
18
昭和の辻斬り事件は出来たばかりの駒こ
ま
澤ざわ
野や
球きゅう
場じょう
周辺で発生している
被害者は七人うち四人は死亡し二名は重傷一人は軽傷であった
報道に拠よ
れば最初の事件が起きたのは昨年の九月
最初の被害者は胸と左二の腕を切られただけで命に別状はなくその時点では単なる通
り魔強盗の類いと考えられていたようだ
その二箇月後二件の傷害事件が起きた一人は左腕をほぼ切断されるという重傷も
う一人は左脇腹を切られ同じく重傷であった目撃証言から犯人は同一人と思われ凶
器も日本刀と断定された警察は金品を目当てとした強盗ではないと判断先に起きた一
件と併せた連続通り魔事件として報道がなされた
更に二箇月後年を跨いだ本年マリリンモンロー来日で世間が沸いていた頃
一月三十日を皮切りに立て続けに三人が殺害された一人目と二人目は病院に搬送さ
れたものの出血多量で死亡三人目は即死に近かったと云う犯行はほぼ一週間置きに行
われいずれも所い
わゆる謂袈け
裟さ
懸が
けに斬られていたそうであるこちらも凶器を含む状況証拠か
ら先行する三件と同一犯の仕業とされた
昭和の辻斬りと云うあまりセンスが良いとは思えない命名は最初の死亡者が出た段
階でなされたものであるどこかの新聞社が見出しに書いたもので他社が倣い三人目
の死亡者が出た段階ではほぼ全社がその呼称を採用していた
19 鬼
そして七日前二月二十七日
美由紀の先輩である片倉ハル子が殺された
昭和の辻斬り最後の被害者である
犯人は逮捕されたのだ
新聞などに拠ればハル子を殺害したのは十九歳の旋盤工宇野憲け
ん
一いち
宇野は犯行現場
で立ち竦す
く
んでいるところを駆け付けた警官に依って現行犯逮捕されている宇野はハル子
殺害の他過去六件全ての犯行を認めまたハル子と交際していたことも告白している
動機等に就いては不明であると云う
猶なお
ハル子殺害現場にはハル子の母である片倉勢せ
い
子こ
もいたと云う
報道されたのはそれだけである
何だか釈然としない感じはした
十六歳の女学生が日本刀で斬り殺されたと云うだけで充分センセーショナルではあった
し殺害したのは未成年の交際相手しかも連続殺人鬼だったと云う付録まで付いていた
訳だから当然のように世間は沸いた号外こそ出なかったけれど事件翌日の一面は昭
和の辻斬り逮捕交際相手の女学生を斬殺―
と云う大見出しになった
とは云うもののその後はあまり報道する意味のない憶測記事が幾つか載っただけで
ある
20
ハル子殺しは痴情の縺も
つ
れであり宇野は痴ち
話わ
喧げん
嘩か
の末にそれまで隠していた殺人鬼の本
性を剝む
き出しにしてハル子を斬り殺したのであると云うようなことに―
なっていた
0
0
0
0
0
と思う
まあそうだと云われればそうなのだろうそう云うこともあるかもしれないありそ
うな話ではあるけれども敦子は何だか気に入らなかった
宇野と云う青年が殺人者であったとしても
更に痴情の縺れの結果の犯行であったとしても
痴話喧嘩の末に興奮して犯行に及んだとするならば
何か
みあっていない気がしたしかしそれ以上は考えなかった所し
ょ
詮せん
は下世話な想像
にしかならないからである
そんな敦子の許に義姉から連絡があったのは一昨日のことだった
美由紀は元来兄か兄の友人の探偵に相談するつもりだったのであるしかし双方共
に不在だったのだ兄とその友人達は旅先で例に因って面倒な事件に巻き込まれているの
だそうであるそちらはそちらで混迷しているようなのだが頼って来たのが他ならぬあ0
の事件
0
0
0
の関係者であり況ま
し
て昭和の辻斬り事件に関わることならば余計に捨ててはおけな
いと―
代わりに敦子が駆り出されたと云う訳である
面倒臭いなと一瞬敦子は思った
21 鬼
どことなく釈然としない想いを持っていたくらいだから事件自体には多少なりとも興
味はあったのだ敦子は雑誌記者だ取材は馴れている聞き取りも現場の視察も仕事の
うちである
面倒だと感じたのは相談したいと云っているのが十四歳の少女と聞いたからなのだ
敦子は若い娘が苦手なのである
学生の頃からそうだった
情より理夢より実美しさより機能性少女雑誌より科学雑誌が好きだった空想す
るより推理する方が好きだったそう云う娘だった
だから女学生の時分も女同士のふわふわした会話やふわふわした関係には随分と辟へ
き
易えき
したものである
嫌いなのではない認めない訳でもない苦手なのである
敦子はそうしたふわふわしたものをかなり幼い頃に捨ててしまったのだと思う捨
てていないのだとしたら何かつまらないものですっかり糊こ
塗と
してしまったのだろう
だからそう云うものを前面に出して生きている人達と出会うとどうしても距離を置
いてしまうのである女学生はきっとふわふわしている
そう思ったのだ敦子が面倒臭いと感じたのはだから女学生そのものに対して感じた
訳ではないのだそれは女学生と対た
い
峙じ
した時の己に対して感じた面倒臭さなのである
22
でも
それは杞憂に終わった
呉美由紀と云う少女は敦子よりも活発で敦子よりも―
敦子っぽかった
「彼女は何を恐がっていたのかしら」
ならばこの娘に沈んだ顔は似合わないと敦子は勝手に判断した
「迚と
て
も怖いってその辻斬り事件を恐れていたと云うことなの
慥たし
かに犯行現場はどれ
も貴女達の学校の近くばかりだしそれに宿舎は学校の敷地内にあるんでしょう
な
ら眼と鼻の先でしょう当然それなりに警戒もしていたのでしょうけど」
みんな恐がってはいましたけどと云った後美由紀は小首を傾か
し
げた
「でもどうなんだろう」
「それは」
「本気かどうか判らないですねみんな学校の外の出来ごとは中とは関係ないと半分
くらい思っていて―
恐ろしいわ怖いわと口では云うんですけど何だか実感はなかった
みたいに思うんですお休みの日以外で宿舎から出ることは殆どないですし自分の身に
災難が降りかかることがあるなんて考えている人はあんまりいなかったんじゃないかと
思います怖いと云っても他人ごとなんです鼠を咥く
わ
えた猫を見ても怖い怖い云うんです
からそれと同じじゃないかと思う」
23 鬼
「片倉さんは違ったのね」
「ええその辻斬りの話をしていた時にそう呟いていたのでまるで関係がないとは思
えませんけども犯人が怖いとか人殺しが怖いとか―
そう云うことではなかったと思
うんです」
「では何が恐かったのかしら」
「その祟た
た
りとか呪いとかその手のものだと思うんですけど」
「祟り」
どうも話が見えない
美由紀は混乱してはいない本人も云っていたが順序立てて論理的に話す努力もして
いるようだそれ以前にこの娘は聡明なのだだから話が見えないのはそもそも見え難に
く
い話だからなのだろう自己申告の通り語彙が少ないのか美由紀自身見聞きしたことの
整理がついていないのだろう
「もう少し細かく話してくれる
執しつこ拗いと思うかもしれないけど片倉さんの辻斬り事
件に対する反応は他の生徒達とは少し違っていた―
と云うことでいい」
はいと美由紀は答える
「それで貴あ
なた女の見る限り彼女は明らかに何かを恐れていた―
これもいい」
「そうですハル子さんは恐がっていました」
24
「それは残酷な凶行が身近で起きていることに対する恐怖でも殺人と云う行為自体に
対する恐怖でも犯人に対する恐怖でも―
ないのね」
「ええハル子さんは他の娘こ
と違って人殺し自体を恐がったりするタイプではなかった
と思います私が話した去年の事件の話だって普通に聞いてくれましたいいえ寧ろ
あれこれ尋き返されて必要以上に詳しく話しちゃったくらいです他の娘は人殺しと聞
いただけで耳を塞いで怖いからやめてと云う感じだったけど―
」
「自分が被害者になるかもしれないと云う恐がり方でもないの」
「それは何とも云えません」
明瞭だ
この少女は判ることは判る判らないことは判らないときちんと峻別し正しく伝
えようとしている
「でその祟りと云うのは何処から出て来たのかな」
「はいハル子さんは自分は善くない生れ
0
0
0
0
0
0
なんだと何度も云っていたんです」
「善くない生れ」
旧きゅう
弊へい
的な身分のことかそれとも迷信俗信の類い―
憑き物筋のようなものだろうか
「それって」
「いいえ差別とかそう云うことじゃないみたいでしたいやそうなのかな」
25 鬼
美由紀は顎に人差指を当てる
「血統がどうとか家柄がどうとか云うのは差別的な事柄ですか」
「そうとも云えると思うただそうでない場合もあるとは思うけどいずれにしても出
自で個人を規定することは場合に拠っては差別的だと思うまだまだ根強いけど私は
感心しない人種や性別も含めての話だけど個人の努力で変えられない属性を評価の基
準にするのは前近代的な考え方だと思う」
はあと美由紀は口を小さく開けた
「私解り難いこと云った」
「いいえ能よ
く解りますただ敦子さん矢っ張りお兄さんの血筋―
あこれがいけ
ないって話ですよね」
敦子は微笑む
「兄妹が似てるって指摘するのは差別とは違うから」
似て―
いるのだろうか
「そうですよねでもそれに近い話みたいなんです近くもないのかなその先祖代
代片倉家の女は殺される定めだとか」
「ああ―
」
「しかも斬り殺される
0
0
0
0
0
0
んだと云う話でした」
7 鬼
一瞬何のことかと思った美由紀とは初対面だし会ってから敦子はまだ殆ほ
とんど喋って
いないからだ
しかし美由紀が云う中禅寺とは兄のことだと敦子はすぐに察した
敦子の兄は小さな神社の神職を務める傍か
たわら古書店を営んでいる
つまり兄はただの一市井人に過ぎないのだけれど刑事や探偵事件記者などただ
の一市井人とは云えない特殊な人人と懇意にしているものだから犯罪性を帯びた騒動に
巻き込まれることも少なくないし事件解決のために担ぎ出されることも多いのだ一般
的には古本屋兼神主がそうしたことに役立つとは思えないのだがどうも兄に限っては役
に立つようである
兄は余計なことを何でも識し
っている
そして悪魔的に弁が立つ
非力で体力もない兄の武器は言葉だ繰り出される言の葉の渦の力は強い時に人心
は揺れ場は覆
くつがえり事件は解体する
兄は多分言葉で出来ている
だから記憶の中の兄の貌か
お
はまま曖あ
い
昧まい
になるのだが声だけは常に明瞭であるその声は
いつも理路整然とした文脈で揺るぎなき理
ことわりを語っている
去年の春全寮制の女学院を舞台にした連続猟奇殺人事件が起きた
8
美由紀はその事件の関係者なのである仲の良かった友人を含めて何人もが目の前で殺
され通っていた学院も閉鎖されたと聞いている
敦子の兄はその事件の収束に手を貸している
美由紀はだから兄の長広舌を実際に現場で耳にしているのだ
敦子は少し笑った
「あんなに能よ
く喋る人はいません兄のように話したりしたら周ま
わり囲が引きます」
「女だからですか
それとも小娘だから」
美由紀の眼は益々円くなる
敦子は首を振る
「女だからとか男だからとかそう云う区別は無意味だと思う私はそう云う括く
く
り方が嫌
いだから―
いや好き嫌いじゃなくてそんなの関係ないわ」
「関係ないですか」
「いいえ―
世間的にはそうやって分けちゃった方が都合の良い人が多いから分けたいん
でしょうけどだから関係ないって云って生きて行くのは結構面倒なんだけどでも関
係ないでしょ序つ
い
でに云えば年齢も関係ない」
半分以上は自分に言い聞かせているようなものだと敦子は思う
性差を超え年功序列を素ッ飛ばして今の世を生きるのは正直結構しんどい
9 鬼
「兄貴は―
変なの」
敦子は兄を思い浮かべる
矢や
っ張ぱ
り声しか浮かんでこない
変だったでしょと問うと美由紀は苦笑してええまあと答えた
「でもあんなに沢山難しいことばっかり話しててちゃんと意味が通じるって凄いなと
思って私ちゃんと理解出来たんですよでも言ってることは結構難解で知らない言
葉なんかもいっぱい雑ま
じっているのに何故解ったのか自分でも解らなくって」
「煙に巻かれただけじゃないの」
そう云う人なのだ兄は違いますと美由紀は云った
「意味は解らなくても理屈は通じたと云うかいいえもう一度説明してみろと言われて
も私には上手に出来ないんですけど私語ご
彙い
と云うんですかそれがその少ないん
ですでもじゃあ一知半解で解った気になっているだけかと云うとそんなことはなく
て理解そのものは出来てると思うんですよねそれはつまり論理的と云うか理詰め
と云うかそういう形ではちゃんと通じていて単に私が言葉知らずだから説明出来ない
だけだと思ったんです」
「そんなことはないと思うけど」
いいえと美由紀は首を振る
10
「あの事件の時も私の話は大人には通じなくて―
でも能よ
く考えて言葉を選んでき
ちんと話したら通じたんですもっと早くにそう出来ていれば少しは事件解決に貢献出
来たんじゃないかってそれが」
悔いているのか
知る限りこの娘には何の責任もない寧む
し
ろ被害者である学院内だけでも生徒が三
人職員が二人殺され怪我人も出ている皆この潑剌とした少女の眼前で起きたこと
なのだ普通ならどうだろうと思う否普通などと云うものはない自分ならどうだろ
う惨劇からまだ一年経っていないのであるこんなに気丈に振る舞えるだろうかそれ
以前に自分の立ち居振る舞いを反省するなどと云う殊勝な態度が取れるだろうか
それは―
そうするだろう
この辺は似ているのかもしれない
「人に何かを伝えるためにはそして信じて貰うためには言葉って大事なんだなと思っ
て言葉知らずでも順序立てて論理的に説明することは大切だって痛感して―
」
「それはその通りだと思うけど兄貴を見習うのは止よ
した方がいいですよ真似しようと
しても出来ないし言葉って過信しちゃいけないものだと思う私も同じように考える
ことはあるけど結局言葉の迷路に迷いこんじゃって出られなくなるもの順序立てて話
すことはいいことだけど身の丈に合った言葉を使えばいいと思う」
11 鬼
やっぱりご兄き
ょうだい妹ですよねえと美由紀は感心したように云う
「何か似てます中禅寺さん」
今度の中禅寺は敦子のことだろう敦子でいいわよと云った
不思議な空間である
所いわゆる謂裏露地でしかも駄菓子屋の前だ粗そ
末まつ
な木机が出してありそれを挿は
さ
んで更に粗
末な縁台が置かれている敦子と美由紀はそこに差し向いで座っている径み
ち
幅はば
は偉く狭い
から明らかに通行の邪魔だし入店の妨害にもなっていると思うのだがどうもそうで
もないらしい少し先で袋小路になっているようだし見る限り塀ばかりだからそもそ
も通行する者は少ないのだろう
普段はここで児こ
ども童達が座って駄菓子を食べたりしているのだと思う
今はラムネの瓶が二つ載っている暑い時期でもないから―
と云うより明らかにまだ
寒いのだから敦子はラムネなど飲みたいとは思わなかったのだが選択の余地は全くな
かった
美由紀の後ろの板塀にはジュースソーダと書いた貼り紙が覗いているのだがそれは
共に粉末ジュースのことだった勿論お茶も珈琲もない
ここは美由紀の秘密の場所らしい学友達は甘味屋なんかに行くらしいのだが美由紀
は苦手なのだそうだここで子供相手に遊んでいた方が性に合っているのだと云う
12
駄菓子屋は屋号を子こ
供ども
屋や
と云うそのまま―
と云うか考えように依っては巫ふ
ざ
け
山戯た
名前のようにも思えるのだが元は餅屋で開業以来ずっとこの名なのだそうだ先の戦
争で働き手を失って餅が作れなくなり残った老寡婦が一人で出来る商売として駄菓子屋
を開業したと云うことらしい
待ち合わせ場所を最初に聞いた時敦子は少しばかり驚いた駄菓子屋で待ち合わせな
どしたことがないしかし相手はまだ子供なのだからそう云うこともあるかと思い直した
のだったしかし待っていた美由紀は背も高く考えていたよりもずっと大人びてい
てもう一度驚いた制服を着た美由紀の佇まいはどう見てもうらぶれた景色と釣り合っ
てはいなかったのだが何故か馴染んではいた
子供屋は上か
み
馬うま
にある敦子の住まいからそう遠くはない前の大きな通りは能よ
く通るた
だ横道に入ったことなどない用がない何ごとにも194780子定規で何につけあそび
0
0
0
のない人
生を歩んでいる敦子は意味もなく回り道などしないのが常であるそんな己じ
ぶんに嫌気が差
して昨年の秋に横道に逸れてみたりしたのだがその所せ
為い
で手て
酷ひど
い目に遭った
それから横道には入らない
だから情ロ
ケーション景は新鮮である
「それで―
もう一度尋き
くけど」
恐がっていたのは誰と敦子は問うた
13 鬼
「片倉さんです」
「被害者ですね」
「ええ殺された片倉ハル子さん高等部の一年生です」
「貴女は―」
もうすぐ高等部ですと美由紀は云った
「今の学校は中等部の三年で編入したのですぐには中中お友達とか出来なくって前の
学校のこともそれなりに知られていたので―
」
それは理解出来る
同年代の同性ばかりの集団と云うのはそれなりに難儀なものなのだ仲良くするにも
面倒な手続きが必要だったりするし時に陰湿な悶着も起きる違うものではなく似た
ものばかりが集まっているような場合僅かな差異が大きな隔たりと錯覚されてしまうこ
ともあるし逆に均な
ら
されて同質化してしまったりもするどちらにしても普通にはしてい
られない何ごとにも負荷がかかるのだ
美由紀は人殺しの学校から来た子と呼ばれたそうである
美由紀がそれまで在籍していた学校の生徒は殆どが良家の子女で皆学校が閉鎖され
た後もそれなりの学校に移籍し然るべき待遇を受けているらしい彼女達は皆被害者
として扱われているのであるしかし美由紀の場合は少少違っていたようだ
14
美由紀の実家は美由紀の言葉を借りるなら貧乏とまでは云えないが決して裕福では
ない―
のだと云う前の学院に入学する際はかなり無理をしたようである学院の閉鎖
が決定した時美由紀はこれ以上の勉学を諦めたと云う
今の学校への編入が叶ったのは閉鎖された学院の理事長代理が便宜を計ってくれたか
らなのだそうだその人はあくまで個人的な行為とした上で経済的な援助までしてくれ
たらしい敦子の知る限りその人物はかなりの大物である筈なのだがこれも美由紀の
言葉を借りるならその理事長代理と云う人はとびきりの正義漢で極めて善人なのだけれ
ど底抜けに鈍感で頗す
こぶる楽観的な人物―
であるらしい
中中辛辣である
苛いじ
められたりしたのと敦子は尋いた
「さあ無視とか陰口とかそう云うのはそんなに気にならない性た
ち質だし私叩かれ
たら叩き返しちゃう口なのでと云うか殺された友達を悪く云われた時なんかは頭に
来て相手を蹴っ飛ばしちゃって逆に134047られましたそんなだから苛められたと云う実感
はなくて暫し
ばらくの間孤立してはいましたけど―
」
今は結構普通にしてますと美由紀は云った
「半年くらいは誰とも口を利きませんでしたでもハル子さんだけは別で最初から迚と
て
も
親切にしてくれました」
15 鬼
「最初から
学年は一級上よね」
「ええ編入してすぐに声を掛けられたんです」
「そんな風に上級生とは普通に交流があるの」
「あると云えばありますけど―
何と云うんですかそのエスじゃないかとか謂い
われた
りもしたんですけどそんな訳ないんですエスって上級の人が下級の可愛い子を愛す
るって云うような意味ですよね」
「うーん」
間違ってはいないが美由紀の云う愛するがどの程度の意味なのか諮は
か
り兼ねて敦子は
口籠ってしまった
エス―
シスターの頭文字のS―
である女学生の世界ではかなり古くから使われて
いる隠語で単に好意を持つとか仲が良いとか云うだけに留まらず時に肉体関係を伴
う間柄も指し示す敦子が学生だった頃も使われていたからすっかり定着しているのだ
ろう少女小説の題材に取り上げられそれらが人気を博したことも大きいと思う
ただ現在も同じような意味で使われているのかどうかは判らない
「そうだとしてそうじゃなかったってことなの」
私可愛くないですもんと美由紀はあっけらかんとした口調で云った
「そう―
かな」
16
「そうですよだってどんどん丈が伸びるんですものこの一年でまた伸びました竹馬
女です」
身長は関係あるのと問うとそうですよと云われた
「可愛いというのはやっぱり小さいものに対して適用する言葉ですハル子さん―
片
倉さんは私より背が小さかったんですもの丁度敦子さんくらい」
死んでしまいましたけどと美由紀は云う
途端に話題は血ち
腥なまぐささを帯びる
「前の学校で仲良くしていた娘こ
は絞殺魔に頸く
び
を絞められて死にました仲良くなりかけ
た娘は転落死して私が疑いをかけた人は目潰し魔に殺されました今度は辻斬り―
」
そう
それは昭和の辻斬り事件と呼ばれている
私殆ど死に神ですねと美由紀は自嘲するかのように云った
統計をとった訳ではないから正確なことは判らないけれど身の周りで殺人事件が起き
る確率と云うのはかなり低いものだろうと思う天災や事故などで肉親や知人友人を一度
に多数失うことはあるだろうし悲しみは数値化出来ないから数の問題でもないとは思う
けれどもそうした不幸な奇き
禍か
に遭う可能性とて多くはないし況ま
し
てや複数回体験する確
率と云うのは高くないだろう
17 鬼
「死に神と云うならうちの兄貴の方じゃない貴女は違う」
こんな潑剌とした死に神はいないだろう
そう云うと美由紀は笑ってハル子さんにも云われましたと答えた
「美由紀さんのような元気な死に神なんかいないって死に神がそんなにはきはきしてい
たのじゃあ死ぬ人も死ねないって云われました」
「そうでしょうみんなそう思うのじゃない―
」
いや
と云うことは
「美由紀さん片倉さんに前の事件のことを話したの」
色色訊かれたので話しましたと美由紀は答えた
「それは丁寧に詳しく聞いてくださったんです勿論云ってはいけないことは云いま
せんでしたし話したくないことは話しませんでしたけどお話しすることで気持ちに整
理がついたと云うか―
やっと自分の中で事件が終ったと云うか」
それは幾つかの独立した事象が複雑に交錯したそれは難解な事件だったようだ一
応実行犯は捕まったもののそれですっきり終わってしまうような事件ではなかったのだ
と聞いている
「それなのにそのハル子さんが死んでしまいました」
18
昭和の辻斬り事件は出来たばかりの駒こ
ま
澤ざわ
野や
球きゅう
場じょう
周辺で発生している
被害者は七人うち四人は死亡し二名は重傷一人は軽傷であった
報道に拠よ
れば最初の事件が起きたのは昨年の九月
最初の被害者は胸と左二の腕を切られただけで命に別状はなくその時点では単なる通
り魔強盗の類いと考えられていたようだ
その二箇月後二件の傷害事件が起きた一人は左腕をほぼ切断されるという重傷も
う一人は左脇腹を切られ同じく重傷であった目撃証言から犯人は同一人と思われ凶
器も日本刀と断定された警察は金品を目当てとした強盗ではないと判断先に起きた一
件と併せた連続通り魔事件として報道がなされた
更に二箇月後年を跨いだ本年マリリンモンロー来日で世間が沸いていた頃
一月三十日を皮切りに立て続けに三人が殺害された一人目と二人目は病院に搬送さ
れたものの出血多量で死亡三人目は即死に近かったと云う犯行はほぼ一週間置きに行
われいずれも所い
わゆる謂袈け
裟さ
懸が
けに斬られていたそうであるこちらも凶器を含む状況証拠か
ら先行する三件と同一犯の仕業とされた
昭和の辻斬りと云うあまりセンスが良いとは思えない命名は最初の死亡者が出た段
階でなされたものであるどこかの新聞社が見出しに書いたもので他社が倣い三人目
の死亡者が出た段階ではほぼ全社がその呼称を採用していた
19 鬼
そして七日前二月二十七日
美由紀の先輩である片倉ハル子が殺された
昭和の辻斬り最後の被害者である
犯人は逮捕されたのだ
新聞などに拠ればハル子を殺害したのは十九歳の旋盤工宇野憲け
ん
一いち
宇野は犯行現場
で立ち竦す
く
んでいるところを駆け付けた警官に依って現行犯逮捕されている宇野はハル子
殺害の他過去六件全ての犯行を認めまたハル子と交際していたことも告白している
動機等に就いては不明であると云う
猶なお
ハル子殺害現場にはハル子の母である片倉勢せ
い
子こ
もいたと云う
報道されたのはそれだけである
何だか釈然としない感じはした
十六歳の女学生が日本刀で斬り殺されたと云うだけで充分センセーショナルではあった
し殺害したのは未成年の交際相手しかも連続殺人鬼だったと云う付録まで付いていた
訳だから当然のように世間は沸いた号外こそ出なかったけれど事件翌日の一面は昭
和の辻斬り逮捕交際相手の女学生を斬殺―
と云う大見出しになった
とは云うもののその後はあまり報道する意味のない憶測記事が幾つか載っただけで
ある
20
ハル子殺しは痴情の縺も
つ
れであり宇野は痴ち
話わ
喧げん
嘩か
の末にそれまで隠していた殺人鬼の本
性を剝む
き出しにしてハル子を斬り殺したのであると云うようなことに―
なっていた
0
0
0
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と思う
まあそうだと云われればそうなのだろうそう云うこともあるかもしれないありそ
うな話ではあるけれども敦子は何だか気に入らなかった
宇野と云う青年が殺人者であったとしても
更に痴情の縺れの結果の犯行であったとしても
痴話喧嘩の末に興奮して犯行に及んだとするならば
何か
みあっていない気がしたしかしそれ以上は考えなかった所し
ょ
詮せん
は下世話な想像
にしかならないからである
そんな敦子の許に義姉から連絡があったのは一昨日のことだった
美由紀は元来兄か兄の友人の探偵に相談するつもりだったのであるしかし双方共
に不在だったのだ兄とその友人達は旅先で例に因って面倒な事件に巻き込まれているの
だそうであるそちらはそちらで混迷しているようなのだが頼って来たのが他ならぬあ0
の事件
0
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0
の関係者であり況ま
し
て昭和の辻斬り事件に関わることならば余計に捨ててはおけな
いと―
代わりに敦子が駆り出されたと云う訳である
面倒臭いなと一瞬敦子は思った
21 鬼
どことなく釈然としない想いを持っていたくらいだから事件自体には多少なりとも興
味はあったのだ敦子は雑誌記者だ取材は馴れている聞き取りも現場の視察も仕事の
うちである
面倒だと感じたのは相談したいと云っているのが十四歳の少女と聞いたからなのだ
敦子は若い娘が苦手なのである
学生の頃からそうだった
情より理夢より実美しさより機能性少女雑誌より科学雑誌が好きだった空想す
るより推理する方が好きだったそう云う娘だった
だから女学生の時分も女同士のふわふわした会話やふわふわした関係には随分と辟へ
き
易えき
したものである
嫌いなのではない認めない訳でもない苦手なのである
敦子はそうしたふわふわしたものをかなり幼い頃に捨ててしまったのだと思う捨
てていないのだとしたら何かつまらないものですっかり糊こ
塗と
してしまったのだろう
だからそう云うものを前面に出して生きている人達と出会うとどうしても距離を置
いてしまうのである女学生はきっとふわふわしている
そう思ったのだ敦子が面倒臭いと感じたのはだから女学生そのものに対して感じた
訳ではないのだそれは女学生と対た
い
峙じ
した時の己に対して感じた面倒臭さなのである
22
でも
それは杞憂に終わった
呉美由紀と云う少女は敦子よりも活発で敦子よりも―
敦子っぽかった
「彼女は何を恐がっていたのかしら」
ならばこの娘に沈んだ顔は似合わないと敦子は勝手に判断した
「迚と
て
も怖いってその辻斬り事件を恐れていたと云うことなの
慥たし
かに犯行現場はどれ
も貴女達の学校の近くばかりだしそれに宿舎は学校の敷地内にあるんでしょう
な
ら眼と鼻の先でしょう当然それなりに警戒もしていたのでしょうけど」
みんな恐がってはいましたけどと云った後美由紀は小首を傾か
し
げた
「でもどうなんだろう」
「それは」
「本気かどうか判らないですねみんな学校の外の出来ごとは中とは関係ないと半分
くらい思っていて―
恐ろしいわ怖いわと口では云うんですけど何だか実感はなかった
みたいに思うんですお休みの日以外で宿舎から出ることは殆どないですし自分の身に
災難が降りかかることがあるなんて考えている人はあんまりいなかったんじゃないかと
思います怖いと云っても他人ごとなんです鼠を咥く
わ
えた猫を見ても怖い怖い云うんです
からそれと同じじゃないかと思う」
23 鬼
「片倉さんは違ったのね」
「ええその辻斬りの話をしていた時にそう呟いていたのでまるで関係がないとは思
えませんけども犯人が怖いとか人殺しが怖いとか―
そう云うことではなかったと思
うんです」
「では何が恐かったのかしら」
「その祟た
た
りとか呪いとかその手のものだと思うんですけど」
「祟り」
どうも話が見えない
美由紀は混乱してはいない本人も云っていたが順序立てて論理的に話す努力もして
いるようだそれ以前にこの娘は聡明なのだだから話が見えないのはそもそも見え難に
く
い話だからなのだろう自己申告の通り語彙が少ないのか美由紀自身見聞きしたことの
整理がついていないのだろう
「もう少し細かく話してくれる
執しつこ拗いと思うかもしれないけど片倉さんの辻斬り事
件に対する反応は他の生徒達とは少し違っていた―
と云うことでいい」
はいと美由紀は答える
「それで貴あ
なた女の見る限り彼女は明らかに何かを恐れていた―
これもいい」
「そうですハル子さんは恐がっていました」
24
「それは残酷な凶行が身近で起きていることに対する恐怖でも殺人と云う行為自体に
対する恐怖でも犯人に対する恐怖でも―
ないのね」
「ええハル子さんは他の娘こ
と違って人殺し自体を恐がったりするタイプではなかった
と思います私が話した去年の事件の話だって普通に聞いてくれましたいいえ寧ろ
あれこれ尋き返されて必要以上に詳しく話しちゃったくらいです他の娘は人殺しと聞
いただけで耳を塞いで怖いからやめてと云う感じだったけど―
」
「自分が被害者になるかもしれないと云う恐がり方でもないの」
「それは何とも云えません」
明瞭だ
この少女は判ることは判る判らないことは判らないときちんと峻別し正しく伝
えようとしている
「でその祟りと云うのは何処から出て来たのかな」
「はいハル子さんは自分は善くない生れ
0
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0
なんだと何度も云っていたんです」
「善くない生れ」
旧きゅう
弊へい
的な身分のことかそれとも迷信俗信の類い―
憑き物筋のようなものだろうか
「それって」
「いいえ差別とかそう云うことじゃないみたいでしたいやそうなのかな」
25 鬼
美由紀は顎に人差指を当てる
「血統がどうとか家柄がどうとか云うのは差別的な事柄ですか」
「そうとも云えると思うただそうでない場合もあるとは思うけどいずれにしても出
自で個人を規定することは場合に拠っては差別的だと思うまだまだ根強いけど私は
感心しない人種や性別も含めての話だけど個人の努力で変えられない属性を評価の基
準にするのは前近代的な考え方だと思う」
はあと美由紀は口を小さく開けた
「私解り難いこと云った」
「いいえ能よ
く解りますただ敦子さん矢っ張りお兄さんの血筋―
あこれがいけ
ないって話ですよね」
敦子は微笑む
「兄妹が似てるって指摘するのは差別とは違うから」
似て―
いるのだろうか
「そうですよねでもそれに近い話みたいなんです近くもないのかなその先祖代
代片倉家の女は殺される定めだとか」
「ああ―
」
「しかも斬り殺される
0
0
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0
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0
んだと云う話でした」
8
美由紀はその事件の関係者なのである仲の良かった友人を含めて何人もが目の前で殺
され通っていた学院も閉鎖されたと聞いている
敦子の兄はその事件の収束に手を貸している
美由紀はだから兄の長広舌を実際に現場で耳にしているのだ
敦子は少し笑った
「あんなに能よ
く喋る人はいません兄のように話したりしたら周ま
わり囲が引きます」
「女だからですか
それとも小娘だから」
美由紀の眼は益々円くなる
敦子は首を振る
「女だからとか男だからとかそう云う区別は無意味だと思う私はそう云う括く
く
り方が嫌
いだから―
いや好き嫌いじゃなくてそんなの関係ないわ」
「関係ないですか」
「いいえ―
世間的にはそうやって分けちゃった方が都合の良い人が多いから分けたいん
でしょうけどだから関係ないって云って生きて行くのは結構面倒なんだけどでも関
係ないでしょ序つ
い
でに云えば年齢も関係ない」
半分以上は自分に言い聞かせているようなものだと敦子は思う
性差を超え年功序列を素ッ飛ばして今の世を生きるのは正直結構しんどい
9 鬼
「兄貴は―
変なの」
敦子は兄を思い浮かべる
矢や
っ張ぱ
り声しか浮かんでこない
変だったでしょと問うと美由紀は苦笑してええまあと答えた
「でもあんなに沢山難しいことばっかり話しててちゃんと意味が通じるって凄いなと
思って私ちゃんと理解出来たんですよでも言ってることは結構難解で知らない言
葉なんかもいっぱい雑ま
じっているのに何故解ったのか自分でも解らなくって」
「煙に巻かれただけじゃないの」
そう云う人なのだ兄は違いますと美由紀は云った
「意味は解らなくても理屈は通じたと云うかいいえもう一度説明してみろと言われて
も私には上手に出来ないんですけど私語ご
彙い
と云うんですかそれがその少ないん
ですでもじゃあ一知半解で解った気になっているだけかと云うとそんなことはなく
て理解そのものは出来てると思うんですよねそれはつまり論理的と云うか理詰め
と云うかそういう形ではちゃんと通じていて単に私が言葉知らずだから説明出来ない
だけだと思ったんです」
「そんなことはないと思うけど」
いいえと美由紀は首を振る
10
「あの事件の時も私の話は大人には通じなくて―
でも能よ
く考えて言葉を選んでき
ちんと話したら通じたんですもっと早くにそう出来ていれば少しは事件解決に貢献出
来たんじゃないかってそれが」
悔いているのか
知る限りこの娘には何の責任もない寧む
し
ろ被害者である学院内だけでも生徒が三
人職員が二人殺され怪我人も出ている皆この潑剌とした少女の眼前で起きたこと
なのだ普通ならどうだろうと思う否普通などと云うものはない自分ならどうだろ
う惨劇からまだ一年経っていないのであるこんなに気丈に振る舞えるだろうかそれ
以前に自分の立ち居振る舞いを反省するなどと云う殊勝な態度が取れるだろうか
それは―
そうするだろう
この辺は似ているのかもしれない
「人に何かを伝えるためにはそして信じて貰うためには言葉って大事なんだなと思っ
て言葉知らずでも順序立てて論理的に説明することは大切だって痛感して―
」
「それはその通りだと思うけど兄貴を見習うのは止よ
した方がいいですよ真似しようと
しても出来ないし言葉って過信しちゃいけないものだと思う私も同じように考える
ことはあるけど結局言葉の迷路に迷いこんじゃって出られなくなるもの順序立てて話
すことはいいことだけど身の丈に合った言葉を使えばいいと思う」
11 鬼
やっぱりご兄き
ょうだい妹ですよねえと美由紀は感心したように云う
「何か似てます中禅寺さん」
今度の中禅寺は敦子のことだろう敦子でいいわよと云った
不思議な空間である
所いわゆる謂裏露地でしかも駄菓子屋の前だ粗そ
末まつ
な木机が出してありそれを挿は
さ
んで更に粗
末な縁台が置かれている敦子と美由紀はそこに差し向いで座っている径み
ち
幅はば
は偉く狭い
から明らかに通行の邪魔だし入店の妨害にもなっていると思うのだがどうもそうで
もないらしい少し先で袋小路になっているようだし見る限り塀ばかりだからそもそ
も通行する者は少ないのだろう
普段はここで児こ
ども童達が座って駄菓子を食べたりしているのだと思う
今はラムネの瓶が二つ載っている暑い時期でもないから―
と云うより明らかにまだ
寒いのだから敦子はラムネなど飲みたいとは思わなかったのだが選択の余地は全くな
かった
美由紀の後ろの板塀にはジュースソーダと書いた貼り紙が覗いているのだがそれは
共に粉末ジュースのことだった勿論お茶も珈琲もない
ここは美由紀の秘密の場所らしい学友達は甘味屋なんかに行くらしいのだが美由紀
は苦手なのだそうだここで子供相手に遊んでいた方が性に合っているのだと云う
12
駄菓子屋は屋号を子こ
供ども
屋や
と云うそのまま―
と云うか考えように依っては巫ふ
ざ
け
山戯た
名前のようにも思えるのだが元は餅屋で開業以来ずっとこの名なのだそうだ先の戦
争で働き手を失って餅が作れなくなり残った老寡婦が一人で出来る商売として駄菓子屋
を開業したと云うことらしい
待ち合わせ場所を最初に聞いた時敦子は少しばかり驚いた駄菓子屋で待ち合わせな
どしたことがないしかし相手はまだ子供なのだからそう云うこともあるかと思い直した
のだったしかし待っていた美由紀は背も高く考えていたよりもずっと大人びてい
てもう一度驚いた制服を着た美由紀の佇まいはどう見てもうらぶれた景色と釣り合っ
てはいなかったのだが何故か馴染んではいた
子供屋は上か
み
馬うま
にある敦子の住まいからそう遠くはない前の大きな通りは能よ
く通るた
だ横道に入ったことなどない用がない何ごとにも194780子定規で何につけあそび
0
0
0
のない人
生を歩んでいる敦子は意味もなく回り道などしないのが常であるそんな己じ
ぶんに嫌気が差
して昨年の秋に横道に逸れてみたりしたのだがその所せ
為い
で手て
酷ひど
い目に遭った
それから横道には入らない
だから情ロ
ケーション景は新鮮である
「それで―
もう一度尋き
くけど」
恐がっていたのは誰と敦子は問うた
13 鬼
「片倉さんです」
「被害者ですね」
「ええ殺された片倉ハル子さん高等部の一年生です」
「貴女は―」
もうすぐ高等部ですと美由紀は云った
「今の学校は中等部の三年で編入したのですぐには中中お友達とか出来なくって前の
学校のこともそれなりに知られていたので―
」
それは理解出来る
同年代の同性ばかりの集団と云うのはそれなりに難儀なものなのだ仲良くするにも
面倒な手続きが必要だったりするし時に陰湿な悶着も起きる違うものではなく似た
ものばかりが集まっているような場合僅かな差異が大きな隔たりと錯覚されてしまうこ
ともあるし逆に均な
ら
されて同質化してしまったりもするどちらにしても普通にはしてい
られない何ごとにも負荷がかかるのだ
美由紀は人殺しの学校から来た子と呼ばれたそうである
美由紀がそれまで在籍していた学校の生徒は殆どが良家の子女で皆学校が閉鎖され
た後もそれなりの学校に移籍し然るべき待遇を受けているらしい彼女達は皆被害者
として扱われているのであるしかし美由紀の場合は少少違っていたようだ
14
美由紀の実家は美由紀の言葉を借りるなら貧乏とまでは云えないが決して裕福では
ない―
のだと云う前の学院に入学する際はかなり無理をしたようである学院の閉鎖
が決定した時美由紀はこれ以上の勉学を諦めたと云う
今の学校への編入が叶ったのは閉鎖された学院の理事長代理が便宜を計ってくれたか
らなのだそうだその人はあくまで個人的な行為とした上で経済的な援助までしてくれ
たらしい敦子の知る限りその人物はかなりの大物である筈なのだがこれも美由紀の
言葉を借りるならその理事長代理と云う人はとびきりの正義漢で極めて善人なのだけれ
ど底抜けに鈍感で頗す
こぶる楽観的な人物―
であるらしい
中中辛辣である
苛いじ
められたりしたのと敦子は尋いた
「さあ無視とか陰口とかそう云うのはそんなに気にならない性た
ち質だし私叩かれ
たら叩き返しちゃう口なのでと云うか殺された友達を悪く云われた時なんかは頭に
来て相手を蹴っ飛ばしちゃって逆に134047られましたそんなだから苛められたと云う実感
はなくて暫し
ばらくの間孤立してはいましたけど―
」
今は結構普通にしてますと美由紀は云った
「半年くらいは誰とも口を利きませんでしたでもハル子さんだけは別で最初から迚と
て
も
親切にしてくれました」
15 鬼
「最初から
学年は一級上よね」
「ええ編入してすぐに声を掛けられたんです」
「そんな風に上級生とは普通に交流があるの」
「あると云えばありますけど―
何と云うんですかそのエスじゃないかとか謂い
われた
りもしたんですけどそんな訳ないんですエスって上級の人が下級の可愛い子を愛す
るって云うような意味ですよね」
「うーん」
間違ってはいないが美由紀の云う愛するがどの程度の意味なのか諮は
か
り兼ねて敦子は
口籠ってしまった
エス―
シスターの頭文字のS―
である女学生の世界ではかなり古くから使われて
いる隠語で単に好意を持つとか仲が良いとか云うだけに留まらず時に肉体関係を伴
う間柄も指し示す敦子が学生だった頃も使われていたからすっかり定着しているのだ
ろう少女小説の題材に取り上げられそれらが人気を博したことも大きいと思う
ただ現在も同じような意味で使われているのかどうかは判らない
「そうだとしてそうじゃなかったってことなの」
私可愛くないですもんと美由紀はあっけらかんとした口調で云った
「そう―
かな」
16
「そうですよだってどんどん丈が伸びるんですものこの一年でまた伸びました竹馬
女です」
身長は関係あるのと問うとそうですよと云われた
「可愛いというのはやっぱり小さいものに対して適用する言葉ですハル子さん―
片
倉さんは私より背が小さかったんですもの丁度敦子さんくらい」
死んでしまいましたけどと美由紀は云う
途端に話題は血ち
腥なまぐささを帯びる
「前の学校で仲良くしていた娘こ
は絞殺魔に頸く
び
を絞められて死にました仲良くなりかけ
た娘は転落死して私が疑いをかけた人は目潰し魔に殺されました今度は辻斬り―
」
そう
それは昭和の辻斬り事件と呼ばれている
私殆ど死に神ですねと美由紀は自嘲するかのように云った
統計をとった訳ではないから正確なことは判らないけれど身の周りで殺人事件が起き
る確率と云うのはかなり低いものだろうと思う天災や事故などで肉親や知人友人を一度
に多数失うことはあるだろうし悲しみは数値化出来ないから数の問題でもないとは思う
けれどもそうした不幸な奇き
禍か
に遭う可能性とて多くはないし況ま
し
てや複数回体験する確
率と云うのは高くないだろう
17 鬼
「死に神と云うならうちの兄貴の方じゃない貴女は違う」
こんな潑剌とした死に神はいないだろう
そう云うと美由紀は笑ってハル子さんにも云われましたと答えた
「美由紀さんのような元気な死に神なんかいないって死に神がそんなにはきはきしてい
たのじゃあ死ぬ人も死ねないって云われました」
「そうでしょうみんなそう思うのじゃない―
」
いや
と云うことは
「美由紀さん片倉さんに前の事件のことを話したの」
色色訊かれたので話しましたと美由紀は答えた
「それは丁寧に詳しく聞いてくださったんです勿論云ってはいけないことは云いま
せんでしたし話したくないことは話しませんでしたけどお話しすることで気持ちに整
理がついたと云うか―
やっと自分の中で事件が終ったと云うか」
それは幾つかの独立した事象が複雑に交錯したそれは難解な事件だったようだ一
応実行犯は捕まったもののそれですっきり終わってしまうような事件ではなかったのだ
と聞いている
「それなのにそのハル子さんが死んでしまいました」
18
昭和の辻斬り事件は出来たばかりの駒こ
ま
澤ざわ
野や
球きゅう
場じょう
周辺で発生している
被害者は七人うち四人は死亡し二名は重傷一人は軽傷であった
報道に拠よ
れば最初の事件が起きたのは昨年の九月
最初の被害者は胸と左二の腕を切られただけで命に別状はなくその時点では単なる通
り魔強盗の類いと考えられていたようだ
その二箇月後二件の傷害事件が起きた一人は左腕をほぼ切断されるという重傷も
う一人は左脇腹を切られ同じく重傷であった目撃証言から犯人は同一人と思われ凶
器も日本刀と断定された警察は金品を目当てとした強盗ではないと判断先に起きた一
件と併せた連続通り魔事件として報道がなされた
更に二箇月後年を跨いだ本年マリリンモンロー来日で世間が沸いていた頃
一月三十日を皮切りに立て続けに三人が殺害された一人目と二人目は病院に搬送さ
れたものの出血多量で死亡三人目は即死に近かったと云う犯行はほぼ一週間置きに行
われいずれも所い
わゆる謂袈け
裟さ
懸が
けに斬られていたそうであるこちらも凶器を含む状況証拠か
ら先行する三件と同一犯の仕業とされた
昭和の辻斬りと云うあまりセンスが良いとは思えない命名は最初の死亡者が出た段
階でなされたものであるどこかの新聞社が見出しに書いたもので他社が倣い三人目
の死亡者が出た段階ではほぼ全社がその呼称を採用していた
19 鬼
そして七日前二月二十七日
美由紀の先輩である片倉ハル子が殺された
昭和の辻斬り最後の被害者である
犯人は逮捕されたのだ
新聞などに拠ればハル子を殺害したのは十九歳の旋盤工宇野憲け
ん
一いち
宇野は犯行現場
で立ち竦す
く
んでいるところを駆け付けた警官に依って現行犯逮捕されている宇野はハル子
殺害の他過去六件全ての犯行を認めまたハル子と交際していたことも告白している
動機等に就いては不明であると云う
猶なお
ハル子殺害現場にはハル子の母である片倉勢せ
い
子こ
もいたと云う
報道されたのはそれだけである
何だか釈然としない感じはした
十六歳の女学生が日本刀で斬り殺されたと云うだけで充分センセーショナルではあった
し殺害したのは未成年の交際相手しかも連続殺人鬼だったと云う付録まで付いていた
訳だから当然のように世間は沸いた号外こそ出なかったけれど事件翌日の一面は昭
和の辻斬り逮捕交際相手の女学生を斬殺―
と云う大見出しになった
とは云うもののその後はあまり報道する意味のない憶測記事が幾つか載っただけで
ある
20
ハル子殺しは痴情の縺も
つ
れであり宇野は痴ち
話わ
喧げん
嘩か
の末にそれまで隠していた殺人鬼の本
性を剝む
き出しにしてハル子を斬り殺したのであると云うようなことに―
なっていた
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と思う
まあそうだと云われればそうなのだろうそう云うこともあるかもしれないありそ
うな話ではあるけれども敦子は何だか気に入らなかった
宇野と云う青年が殺人者であったとしても
更に痴情の縺れの結果の犯行であったとしても
痴話喧嘩の末に興奮して犯行に及んだとするならば
何か
みあっていない気がしたしかしそれ以上は考えなかった所し
ょ
詮せん
は下世話な想像
にしかならないからである
そんな敦子の許に義姉から連絡があったのは一昨日のことだった
美由紀は元来兄か兄の友人の探偵に相談するつもりだったのであるしかし双方共
に不在だったのだ兄とその友人達は旅先で例に因って面倒な事件に巻き込まれているの
だそうであるそちらはそちらで混迷しているようなのだが頼って来たのが他ならぬあ0
の事件
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の関係者であり況ま
し
て昭和の辻斬り事件に関わることならば余計に捨ててはおけな
いと―
代わりに敦子が駆り出されたと云う訳である
面倒臭いなと一瞬敦子は思った
21 鬼
どことなく釈然としない想いを持っていたくらいだから事件自体には多少なりとも興
味はあったのだ敦子は雑誌記者だ取材は馴れている聞き取りも現場の視察も仕事の
うちである
面倒だと感じたのは相談したいと云っているのが十四歳の少女と聞いたからなのだ
敦子は若い娘が苦手なのである
学生の頃からそうだった
情より理夢より実美しさより機能性少女雑誌より科学雑誌が好きだった空想す
るより推理する方が好きだったそう云う娘だった
だから女学生の時分も女同士のふわふわした会話やふわふわした関係には随分と辟へ
き
易えき
したものである
嫌いなのではない認めない訳でもない苦手なのである
敦子はそうしたふわふわしたものをかなり幼い頃に捨ててしまったのだと思う捨
てていないのだとしたら何かつまらないものですっかり糊こ
塗と
してしまったのだろう
だからそう云うものを前面に出して生きている人達と出会うとどうしても距離を置
いてしまうのである女学生はきっとふわふわしている
そう思ったのだ敦子が面倒臭いと感じたのはだから女学生そのものに対して感じた
訳ではないのだそれは女学生と対た
い
峙じ
した時の己に対して感じた面倒臭さなのである
22
でも
それは杞憂に終わった
呉美由紀と云う少女は敦子よりも活発で敦子よりも―
敦子っぽかった
「彼女は何を恐がっていたのかしら」
ならばこの娘に沈んだ顔は似合わないと敦子は勝手に判断した
「迚と
て
も怖いってその辻斬り事件を恐れていたと云うことなの
慥たし
かに犯行現場はどれ
も貴女達の学校の近くばかりだしそれに宿舎は学校の敷地内にあるんでしょう
な
ら眼と鼻の先でしょう当然それなりに警戒もしていたのでしょうけど」
みんな恐がってはいましたけどと云った後美由紀は小首を傾か
し
げた
「でもどうなんだろう」
「それは」
「本気かどうか判らないですねみんな学校の外の出来ごとは中とは関係ないと半分
くらい思っていて―
恐ろしいわ怖いわと口では云うんですけど何だか実感はなかった
みたいに思うんですお休みの日以外で宿舎から出ることは殆どないですし自分の身に
災難が降りかかることがあるなんて考えている人はあんまりいなかったんじゃないかと
思います怖いと云っても他人ごとなんです鼠を咥く
わ
えた猫を見ても怖い怖い云うんです
からそれと同じじゃないかと思う」
23 鬼
「片倉さんは違ったのね」
「ええその辻斬りの話をしていた時にそう呟いていたのでまるで関係がないとは思
えませんけども犯人が怖いとか人殺しが怖いとか―
そう云うことではなかったと思
うんです」
「では何が恐かったのかしら」
「その祟た
た
りとか呪いとかその手のものだと思うんですけど」
「祟り」
どうも話が見えない
美由紀は混乱してはいない本人も云っていたが順序立てて論理的に話す努力もして
いるようだそれ以前にこの娘は聡明なのだだから話が見えないのはそもそも見え難に
く
い話だからなのだろう自己申告の通り語彙が少ないのか美由紀自身見聞きしたことの
整理がついていないのだろう
「もう少し細かく話してくれる
執しつこ拗いと思うかもしれないけど片倉さんの辻斬り事
件に対する反応は他の生徒達とは少し違っていた―
と云うことでいい」
はいと美由紀は答える
「それで貴あ
なた女の見る限り彼女は明らかに何かを恐れていた―
これもいい」
「そうですハル子さんは恐がっていました」
24
「それは残酷な凶行が身近で起きていることに対する恐怖でも殺人と云う行為自体に
対する恐怖でも犯人に対する恐怖でも―
ないのね」
「ええハル子さんは他の娘こ
と違って人殺し自体を恐がったりするタイプではなかった
と思います私が話した去年の事件の話だって普通に聞いてくれましたいいえ寧ろ
あれこれ尋き返されて必要以上に詳しく話しちゃったくらいです他の娘は人殺しと聞
いただけで耳を塞いで怖いからやめてと云う感じだったけど―
」
「自分が被害者になるかもしれないと云う恐がり方でもないの」
「それは何とも云えません」
明瞭だ
この少女は判ることは判る判らないことは判らないときちんと峻別し正しく伝
えようとしている
「でその祟りと云うのは何処から出て来たのかな」
「はいハル子さんは自分は善くない生れ
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なんだと何度も云っていたんです」
「善くない生れ」
旧きゅう
弊へい
的な身分のことかそれとも迷信俗信の類い―
憑き物筋のようなものだろうか
「それって」
「いいえ差別とかそう云うことじゃないみたいでしたいやそうなのかな」
25 鬼
美由紀は顎に人差指を当てる
「血統がどうとか家柄がどうとか云うのは差別的な事柄ですか」
「そうとも云えると思うただそうでない場合もあるとは思うけどいずれにしても出
自で個人を規定することは場合に拠っては差別的だと思うまだまだ根強いけど私は
感心しない人種や性別も含めての話だけど個人の努力で変えられない属性を評価の基
準にするのは前近代的な考え方だと思う」
はあと美由紀は口を小さく開けた
「私解り難いこと云った」
「いいえ能よ
く解りますただ敦子さん矢っ張りお兄さんの血筋―
あこれがいけ
ないって話ですよね」
敦子は微笑む
「兄妹が似てるって指摘するのは差別とは違うから」
似て―
いるのだろうか
「そうですよねでもそれに近い話みたいなんです近くもないのかなその先祖代
代片倉家の女は殺される定めだとか」
「ああ―
」
「しかも斬り殺される
0
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んだと云う話でした」
9 鬼
「兄貴は―
変なの」
敦子は兄を思い浮かべる
矢や
っ張ぱ
り声しか浮かんでこない
変だったでしょと問うと美由紀は苦笑してええまあと答えた
「でもあんなに沢山難しいことばっかり話しててちゃんと意味が通じるって凄いなと
思って私ちゃんと理解出来たんですよでも言ってることは結構難解で知らない言
葉なんかもいっぱい雑ま
じっているのに何故解ったのか自分でも解らなくって」
「煙に巻かれただけじゃないの」
そう云う人なのだ兄は違いますと美由紀は云った
「意味は解らなくても理屈は通じたと云うかいいえもう一度説明してみろと言われて
も私には上手に出来ないんですけど私語ご
彙い
と云うんですかそれがその少ないん
ですでもじゃあ一知半解で解った気になっているだけかと云うとそんなことはなく
て理解そのものは出来てると思うんですよねそれはつまり論理的と云うか理詰め
と云うかそういう形ではちゃんと通じていて単に私が言葉知らずだから説明出来ない
だけだと思ったんです」
「そんなことはないと思うけど」
いいえと美由紀は首を振る
10
「あの事件の時も私の話は大人には通じなくて―
でも能よ
く考えて言葉を選んでき
ちんと話したら通じたんですもっと早くにそう出来ていれば少しは事件解決に貢献出
来たんじゃないかってそれが」
悔いているのか
知る限りこの娘には何の責任もない寧む
し
ろ被害者である学院内だけでも生徒が三
人職員が二人殺され怪我人も出ている皆この潑剌とした少女の眼前で起きたこと
なのだ普通ならどうだろうと思う否普通などと云うものはない自分ならどうだろ
う惨劇からまだ一年経っていないのであるこんなに気丈に振る舞えるだろうかそれ
以前に自分の立ち居振る舞いを反省するなどと云う殊勝な態度が取れるだろうか
それは―
そうするだろう
この辺は似ているのかもしれない
「人に何かを伝えるためにはそして信じて貰うためには言葉って大事なんだなと思っ
て言葉知らずでも順序立てて論理的に説明することは大切だって痛感して―
」
「それはその通りだと思うけど兄貴を見習うのは止よ
した方がいいですよ真似しようと
しても出来ないし言葉って過信しちゃいけないものだと思う私も同じように考える
ことはあるけど結局言葉の迷路に迷いこんじゃって出られなくなるもの順序立てて話
すことはいいことだけど身の丈に合った言葉を使えばいいと思う」
11 鬼
やっぱりご兄き
ょうだい妹ですよねえと美由紀は感心したように云う
「何か似てます中禅寺さん」
今度の中禅寺は敦子のことだろう敦子でいいわよと云った
不思議な空間である
所いわゆる謂裏露地でしかも駄菓子屋の前だ粗そ
末まつ
な木机が出してありそれを挿は
さ
んで更に粗
末な縁台が置かれている敦子と美由紀はそこに差し向いで座っている径み
ち
幅はば
は偉く狭い
から明らかに通行の邪魔だし入店の妨害にもなっていると思うのだがどうもそうで
もないらしい少し先で袋小路になっているようだし見る限り塀ばかりだからそもそ
も通行する者は少ないのだろう
普段はここで児こ
ども童達が座って駄菓子を食べたりしているのだと思う
今はラムネの瓶が二つ載っている暑い時期でもないから―
と云うより明らかにまだ
寒いのだから敦子はラムネなど飲みたいとは思わなかったのだが選択の余地は全くな
かった
美由紀の後ろの板塀にはジュースソーダと書いた貼り紙が覗いているのだがそれは
共に粉末ジュースのことだった勿論お茶も珈琲もない
ここは美由紀の秘密の場所らしい学友達は甘味屋なんかに行くらしいのだが美由紀
は苦手なのだそうだここで子供相手に遊んでいた方が性に合っているのだと云う
12
駄菓子屋は屋号を子こ
供ども
屋や
と云うそのまま―
と云うか考えように依っては巫ふ
ざ
け
山戯た
名前のようにも思えるのだが元は餅屋で開業以来ずっとこの名なのだそうだ先の戦
争で働き手を失って餅が作れなくなり残った老寡婦が一人で出来る商売として駄菓子屋
を開業したと云うことらしい
待ち合わせ場所を最初に聞いた時敦子は少しばかり驚いた駄菓子屋で待ち合わせな
どしたことがないしかし相手はまだ子供なのだからそう云うこともあるかと思い直した
のだったしかし待っていた美由紀は背も高く考えていたよりもずっと大人びてい
てもう一度驚いた制服を着た美由紀の佇まいはどう見てもうらぶれた景色と釣り合っ
てはいなかったのだが何故か馴染んではいた
子供屋は上か
み
馬うま
にある敦子の住まいからそう遠くはない前の大きな通りは能よ
く通るた
だ横道に入ったことなどない用がない何ごとにも194780子定規で何につけあそび
0
0
0
のない人
生を歩んでいる敦子は意味もなく回り道などしないのが常であるそんな己じ
ぶんに嫌気が差
して昨年の秋に横道に逸れてみたりしたのだがその所せ
為い
で手て
酷ひど
い目に遭った
それから横道には入らない
だから情ロ
ケーション景は新鮮である
「それで―
もう一度尋き
くけど」
恐がっていたのは誰と敦子は問うた
13 鬼
「片倉さんです」
「被害者ですね」
「ええ殺された片倉ハル子さん高等部の一年生です」
「貴女は―」
もうすぐ高等部ですと美由紀は云った
「今の学校は中等部の三年で編入したのですぐには中中お友達とか出来なくって前の
学校のこともそれなりに知られていたので―
」
それは理解出来る
同年代の同性ばかりの集団と云うのはそれなりに難儀なものなのだ仲良くするにも
面倒な手続きが必要だったりするし時に陰湿な悶着も起きる違うものではなく似た
ものばかりが集まっているような場合僅かな差異が大きな隔たりと錯覚されてしまうこ
ともあるし逆に均な
ら
されて同質化してしまったりもするどちらにしても普通にはしてい
られない何ごとにも負荷がかかるのだ
美由紀は人殺しの学校から来た子と呼ばれたそうである
美由紀がそれまで在籍していた学校の生徒は殆どが良家の子女で皆学校が閉鎖され
た後もそれなりの学校に移籍し然るべき待遇を受けているらしい彼女達は皆被害者
として扱われているのであるしかし美由紀の場合は少少違っていたようだ
14
美由紀の実家は美由紀の言葉を借りるなら貧乏とまでは云えないが決して裕福では
ない―
のだと云う前の学院に入学する際はかなり無理をしたようである学院の閉鎖
が決定した時美由紀はこれ以上の勉学を諦めたと云う
今の学校への編入が叶ったのは閉鎖された学院の理事長代理が便宜を計ってくれたか
らなのだそうだその人はあくまで個人的な行為とした上で経済的な援助までしてくれ
たらしい敦子の知る限りその人物はかなりの大物である筈なのだがこれも美由紀の
言葉を借りるならその理事長代理と云う人はとびきりの正義漢で極めて善人なのだけれ
ど底抜けに鈍感で頗す
こぶる楽観的な人物―
であるらしい
中中辛辣である
苛いじ
められたりしたのと敦子は尋いた
「さあ無視とか陰口とかそう云うのはそんなに気にならない性た
ち質だし私叩かれ
たら叩き返しちゃう口なのでと云うか殺された友達を悪く云われた時なんかは頭に
来て相手を蹴っ飛ばしちゃって逆に134047られましたそんなだから苛められたと云う実感
はなくて暫し
ばらくの間孤立してはいましたけど―
」
今は結構普通にしてますと美由紀は云った
「半年くらいは誰とも口を利きませんでしたでもハル子さんだけは別で最初から迚と
て
も
親切にしてくれました」
15 鬼
「最初から
学年は一級上よね」
「ええ編入してすぐに声を掛けられたんです」
「そんな風に上級生とは普通に交流があるの」
「あると云えばありますけど―
何と云うんですかそのエスじゃないかとか謂い
われた
りもしたんですけどそんな訳ないんですエスって上級の人が下級の可愛い子を愛す
るって云うような意味ですよね」
「うーん」
間違ってはいないが美由紀の云う愛するがどの程度の意味なのか諮は
か
り兼ねて敦子は
口籠ってしまった
エス―
シスターの頭文字のS―
である女学生の世界ではかなり古くから使われて
いる隠語で単に好意を持つとか仲が良いとか云うだけに留まらず時に肉体関係を伴
う間柄も指し示す敦子が学生だった頃も使われていたからすっかり定着しているのだ
ろう少女小説の題材に取り上げられそれらが人気を博したことも大きいと思う
ただ現在も同じような意味で使われているのかどうかは判らない
「そうだとしてそうじゃなかったってことなの」
私可愛くないですもんと美由紀はあっけらかんとした口調で云った
「そう―
かな」
16
「そうですよだってどんどん丈が伸びるんですものこの一年でまた伸びました竹馬
女です」
身長は関係あるのと問うとそうですよと云われた
「可愛いというのはやっぱり小さいものに対して適用する言葉ですハル子さん―
片
倉さんは私より背が小さかったんですもの丁度敦子さんくらい」
死んでしまいましたけどと美由紀は云う
途端に話題は血ち
腥なまぐささを帯びる
「前の学校で仲良くしていた娘こ
は絞殺魔に頸く
び
を絞められて死にました仲良くなりかけ
た娘は転落死して私が疑いをかけた人は目潰し魔に殺されました今度は辻斬り―
」
そう
それは昭和の辻斬り事件と呼ばれている
私殆ど死に神ですねと美由紀は自嘲するかのように云った
統計をとった訳ではないから正確なことは判らないけれど身の周りで殺人事件が起き
る確率と云うのはかなり低いものだろうと思う天災や事故などで肉親や知人友人を一度
に多数失うことはあるだろうし悲しみは数値化出来ないから数の問題でもないとは思う
けれどもそうした不幸な奇き
禍か
に遭う可能性とて多くはないし況ま
し
てや複数回体験する確
率と云うのは高くないだろう
17 鬼
「死に神と云うならうちの兄貴の方じゃない貴女は違う」
こんな潑剌とした死に神はいないだろう
そう云うと美由紀は笑ってハル子さんにも云われましたと答えた
「美由紀さんのような元気な死に神なんかいないって死に神がそんなにはきはきしてい
たのじゃあ死ぬ人も死ねないって云われました」
「そうでしょうみんなそう思うのじゃない―
」
いや
と云うことは
「美由紀さん片倉さんに前の事件のことを話したの」
色色訊かれたので話しましたと美由紀は答えた
「それは丁寧に詳しく聞いてくださったんです勿論云ってはいけないことは云いま
せんでしたし話したくないことは話しませんでしたけどお話しすることで気持ちに整
理がついたと云うか―
やっと自分の中で事件が終ったと云うか」
それは幾つかの独立した事象が複雑に交錯したそれは難解な事件だったようだ一
応実行犯は捕まったもののそれですっきり終わってしまうような事件ではなかったのだ
と聞いている
「それなのにそのハル子さんが死んでしまいました」
18
昭和の辻斬り事件は出来たばかりの駒こ
ま
澤ざわ
野や
球きゅう
場じょう
周辺で発生している
被害者は七人うち四人は死亡し二名は重傷一人は軽傷であった
報道に拠よ
れば最初の事件が起きたのは昨年の九月
最初の被害者は胸と左二の腕を切られただけで命に別状はなくその時点では単なる通
り魔強盗の類いと考えられていたようだ
その二箇月後二件の傷害事件が起きた一人は左腕をほぼ切断されるという重傷も
う一人は左脇腹を切られ同じく重傷であった目撃証言から犯人は同一人と思われ凶
器も日本刀と断定された警察は金品を目当てとした強盗ではないと判断先に起きた一
件と併せた連続通り魔事件として報道がなされた
更に二箇月後年を跨いだ本年マリリンモンロー来日で世間が沸いていた頃
一月三十日を皮切りに立て続けに三人が殺害された一人目と二人目は病院に搬送さ
れたものの出血多量で死亡三人目は即死に近かったと云う犯行はほぼ一週間置きに行
われいずれも所い
わゆる謂袈け
裟さ
懸が
けに斬られていたそうであるこちらも凶器を含む状況証拠か
ら先行する三件と同一犯の仕業とされた
昭和の辻斬りと云うあまりセンスが良いとは思えない命名は最初の死亡者が出た段
階でなされたものであるどこかの新聞社が見出しに書いたもので他社が倣い三人目
の死亡者が出た段階ではほぼ全社がその呼称を採用していた
19 鬼
そして七日前二月二十七日
美由紀の先輩である片倉ハル子が殺された
昭和の辻斬り最後の被害者である
犯人は逮捕されたのだ
新聞などに拠ればハル子を殺害したのは十九歳の旋盤工宇野憲け
ん
一いち
宇野は犯行現場
で立ち竦す
く
んでいるところを駆け付けた警官に依って現行犯逮捕されている宇野はハル子
殺害の他過去六件全ての犯行を認めまたハル子と交際していたことも告白している
動機等に就いては不明であると云う
猶なお
ハル子殺害現場にはハル子の母である片倉勢せ
い
子こ
もいたと云う
報道されたのはそれだけである
何だか釈然としない感じはした
十六歳の女学生が日本刀で斬り殺されたと云うだけで充分センセーショナルではあった
し殺害したのは未成年の交際相手しかも連続殺人鬼だったと云う付録まで付いていた
訳だから当然のように世間は沸いた号外こそ出なかったけれど事件翌日の一面は昭
和の辻斬り逮捕交際相手の女学生を斬殺―
と云う大見出しになった
とは云うもののその後はあまり報道する意味のない憶測記事が幾つか載っただけで
ある
20
ハル子殺しは痴情の縺も
つ
れであり宇野は痴ち
話わ
喧げん
嘩か
の末にそれまで隠していた殺人鬼の本
性を剝む
き出しにしてハル子を斬り殺したのであると云うようなことに―
なっていた
0
0
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と思う
まあそうだと云われればそうなのだろうそう云うこともあるかもしれないありそ
うな話ではあるけれども敦子は何だか気に入らなかった
宇野と云う青年が殺人者であったとしても
更に痴情の縺れの結果の犯行であったとしても
痴話喧嘩の末に興奮して犯行に及んだとするならば
何か
みあっていない気がしたしかしそれ以上は考えなかった所し
ょ
詮せん
は下世話な想像
にしかならないからである
そんな敦子の許に義姉から連絡があったのは一昨日のことだった
美由紀は元来兄か兄の友人の探偵に相談するつもりだったのであるしかし双方共
に不在だったのだ兄とその友人達は旅先で例に因って面倒な事件に巻き込まれているの
だそうであるそちらはそちらで混迷しているようなのだが頼って来たのが他ならぬあ0
の事件
0
0
0
の関係者であり況ま
し
て昭和の辻斬り事件に関わることならば余計に捨ててはおけな
いと―
代わりに敦子が駆り出されたと云う訳である
面倒臭いなと一瞬敦子は思った
21 鬼
どことなく釈然としない想いを持っていたくらいだから事件自体には多少なりとも興
味はあったのだ敦子は雑誌記者だ取材は馴れている聞き取りも現場の視察も仕事の
うちである
面倒だと感じたのは相談したいと云っているのが十四歳の少女と聞いたからなのだ
敦子は若い娘が苦手なのである
学生の頃からそうだった
情より理夢より実美しさより機能性少女雑誌より科学雑誌が好きだった空想す
るより推理する方が好きだったそう云う娘だった
だから女学生の時分も女同士のふわふわした会話やふわふわした関係には随分と辟へ
き
易えき
したものである
嫌いなのではない認めない訳でもない苦手なのである
敦子はそうしたふわふわしたものをかなり幼い頃に捨ててしまったのだと思う捨
てていないのだとしたら何かつまらないものですっかり糊こ
塗と
してしまったのだろう
だからそう云うものを前面に出して生きている人達と出会うとどうしても距離を置
いてしまうのである女学生はきっとふわふわしている
そう思ったのだ敦子が面倒臭いと感じたのはだから女学生そのものに対して感じた
訳ではないのだそれは女学生と対た
い
峙じ
した時の己に対して感じた面倒臭さなのである
22
でも
それは杞憂に終わった
呉美由紀と云う少女は敦子よりも活発で敦子よりも―
敦子っぽかった
「彼女は何を恐がっていたのかしら」
ならばこの娘に沈んだ顔は似合わないと敦子は勝手に判断した
「迚と
て
も怖いってその辻斬り事件を恐れていたと云うことなの
慥たし
かに犯行現場はどれ
も貴女達の学校の近くばかりだしそれに宿舎は学校の敷地内にあるんでしょう
な
ら眼と鼻の先でしょう当然それなりに警戒もしていたのでしょうけど」
みんな恐がってはいましたけどと云った後美由紀は小首を傾か
し
げた
「でもどうなんだろう」
「それは」
「本気かどうか判らないですねみんな学校の外の出来ごとは中とは関係ないと半分
くらい思っていて―
恐ろしいわ怖いわと口では云うんですけど何だか実感はなかった
みたいに思うんですお休みの日以外で宿舎から出ることは殆どないですし自分の身に
災難が降りかかることがあるなんて考えている人はあんまりいなかったんじゃないかと
思います怖いと云っても他人ごとなんです鼠を咥く
わ
えた猫を見ても怖い怖い云うんです
からそれと同じじゃないかと思う」
23 鬼
「片倉さんは違ったのね」
「ええその辻斬りの話をしていた時にそう呟いていたのでまるで関係がないとは思
えませんけども犯人が怖いとか人殺しが怖いとか―
そう云うことではなかったと思
うんです」
「では何が恐かったのかしら」
「その祟た
た
りとか呪いとかその手のものだと思うんですけど」
「祟り」
どうも話が見えない
美由紀は混乱してはいない本人も云っていたが順序立てて論理的に話す努力もして
いるようだそれ以前にこの娘は聡明なのだだから話が見えないのはそもそも見え難に
く
い話だからなのだろう自己申告の通り語彙が少ないのか美由紀自身見聞きしたことの
整理がついていないのだろう
「もう少し細かく話してくれる
執しつこ拗いと思うかもしれないけど片倉さんの辻斬り事
件に対する反応は他の生徒達とは少し違っていた―
と云うことでいい」
はいと美由紀は答える
「それで貴あ
なた女の見る限り彼女は明らかに何かを恐れていた―
これもいい」
「そうですハル子さんは恐がっていました」
24
「それは残酷な凶行が身近で起きていることに対する恐怖でも殺人と云う行為自体に
対する恐怖でも犯人に対する恐怖でも―
ないのね」
「ええハル子さんは他の娘こ
と違って人殺し自体を恐がったりするタイプではなかった
と思います私が話した去年の事件の話だって普通に聞いてくれましたいいえ寧ろ
あれこれ尋き返されて必要以上に詳しく話しちゃったくらいです他の娘は人殺しと聞
いただけで耳を塞いで怖いからやめてと云う感じだったけど―
」
「自分が被害者になるかもしれないと云う恐がり方でもないの」
「それは何とも云えません」
明瞭だ
この少女は判ることは判る判らないことは判らないときちんと峻別し正しく伝
えようとしている
「でその祟りと云うのは何処から出て来たのかな」
「はいハル子さんは自分は善くない生れ
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なんだと何度も云っていたんです」
「善くない生れ」
旧きゅう
弊へい
的な身分のことかそれとも迷信俗信の類い―
憑き物筋のようなものだろうか
「それって」
「いいえ差別とかそう云うことじゃないみたいでしたいやそうなのかな」
25 鬼
美由紀は顎に人差指を当てる
「血統がどうとか家柄がどうとか云うのは差別的な事柄ですか」
「そうとも云えると思うただそうでない場合もあるとは思うけどいずれにしても出
自で個人を規定することは場合に拠っては差別的だと思うまだまだ根強いけど私は
感心しない人種や性別も含めての話だけど個人の努力で変えられない属性を評価の基
準にするのは前近代的な考え方だと思う」
はあと美由紀は口を小さく開けた
「私解り難いこと云った」
「いいえ能よ
く解りますただ敦子さん矢っ張りお兄さんの血筋―
あこれがいけ
ないって話ですよね」
敦子は微笑む
「兄妹が似てるって指摘するのは差別とは違うから」
似て―
いるのだろうか
「そうですよねでもそれに近い話みたいなんです近くもないのかなその先祖代
代片倉家の女は殺される定めだとか」
「ああ―
」
「しかも斬り殺される
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んだと云う話でした」
10
「あの事件の時も私の話は大人には通じなくて―
でも能よ
く考えて言葉を選んでき
ちんと話したら通じたんですもっと早くにそう出来ていれば少しは事件解決に貢献出
来たんじゃないかってそれが」
悔いているのか
知る限りこの娘には何の責任もない寧む
し
ろ被害者である学院内だけでも生徒が三
人職員が二人殺され怪我人も出ている皆この潑剌とした少女の眼前で起きたこと
なのだ普通ならどうだろうと思う否普通などと云うものはない自分ならどうだろ
う惨劇からまだ一年経っていないのであるこんなに気丈に振る舞えるだろうかそれ
以前に自分の立ち居振る舞いを反省するなどと云う殊勝な態度が取れるだろうか
それは―
そうするだろう
この辺は似ているのかもしれない
「人に何かを伝えるためにはそして信じて貰うためには言葉って大事なんだなと思っ
て言葉知らずでも順序立てて論理的に説明することは大切だって痛感して―
」
「それはその通りだと思うけど兄貴を見習うのは止よ
した方がいいですよ真似しようと
しても出来ないし言葉って過信しちゃいけないものだと思う私も同じように考える
ことはあるけど結局言葉の迷路に迷いこんじゃって出られなくなるもの順序立てて話
すことはいいことだけど身の丈に合った言葉を使えばいいと思う」
11 鬼
やっぱりご兄き
ょうだい妹ですよねえと美由紀は感心したように云う
「何か似てます中禅寺さん」
今度の中禅寺は敦子のことだろう敦子でいいわよと云った
不思議な空間である
所いわゆる謂裏露地でしかも駄菓子屋の前だ粗そ
末まつ
な木机が出してありそれを挿は
さ
んで更に粗
末な縁台が置かれている敦子と美由紀はそこに差し向いで座っている径み
ち
幅はば
は偉く狭い
から明らかに通行の邪魔だし入店の妨害にもなっていると思うのだがどうもそうで
もないらしい少し先で袋小路になっているようだし見る限り塀ばかりだからそもそ
も通行する者は少ないのだろう
普段はここで児こ
ども童達が座って駄菓子を食べたりしているのだと思う
今はラムネの瓶が二つ載っている暑い時期でもないから―
と云うより明らかにまだ
寒いのだから敦子はラムネなど飲みたいとは思わなかったのだが選択の余地は全くな
かった
美由紀の後ろの板塀にはジュースソーダと書いた貼り紙が覗いているのだがそれは
共に粉末ジュースのことだった勿論お茶も珈琲もない
ここは美由紀の秘密の場所らしい学友達は甘味屋なんかに行くらしいのだが美由紀
は苦手なのだそうだここで子供相手に遊んでいた方が性に合っているのだと云う
12
駄菓子屋は屋号を子こ
供ども
屋や
と云うそのまま―
と云うか考えように依っては巫ふ
ざ
け
山戯た
名前のようにも思えるのだが元は餅屋で開業以来ずっとこの名なのだそうだ先の戦
争で働き手を失って餅が作れなくなり残った老寡婦が一人で出来る商売として駄菓子屋
を開業したと云うことらしい
待ち合わせ場所を最初に聞いた時敦子は少しばかり驚いた駄菓子屋で待ち合わせな
どしたことがないしかし相手はまだ子供なのだからそう云うこともあるかと思い直した
のだったしかし待っていた美由紀は背も高く考えていたよりもずっと大人びてい
てもう一度驚いた制服を着た美由紀の佇まいはどう見てもうらぶれた景色と釣り合っ
てはいなかったのだが何故か馴染んではいた
子供屋は上か
み
馬うま
にある敦子の住まいからそう遠くはない前の大きな通りは能よ
く通るた
だ横道に入ったことなどない用がない何ごとにも194780子定規で何につけあそび
0
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のない人
生を歩んでいる敦子は意味もなく回り道などしないのが常であるそんな己じ
ぶんに嫌気が差
して昨年の秋に横道に逸れてみたりしたのだがその所せ
為い
で手て
酷ひど
い目に遭った
それから横道には入らない
だから情ロ
ケーション景は新鮮である
「それで―
もう一度尋き
くけど」
恐がっていたのは誰と敦子は問うた
13 鬼
「片倉さんです」
「被害者ですね」
「ええ殺された片倉ハル子さん高等部の一年生です」
「貴女は―」
もうすぐ高等部ですと美由紀は云った
「今の学校は中等部の三年で編入したのですぐには中中お友達とか出来なくって前の
学校のこともそれなりに知られていたので―
」
それは理解出来る
同年代の同性ばかりの集団と云うのはそれなりに難儀なものなのだ仲良くするにも
面倒な手続きが必要だったりするし時に陰湿な悶着も起きる違うものではなく似た
ものばかりが集まっているような場合僅かな差異が大きな隔たりと錯覚されてしまうこ
ともあるし逆に均な
ら
されて同質化してしまったりもするどちらにしても普通にはしてい
られない何ごとにも負荷がかかるのだ
美由紀は人殺しの学校から来た子と呼ばれたそうである
美由紀がそれまで在籍していた学校の生徒は殆どが良家の子女で皆学校が閉鎖され
た後もそれなりの学校に移籍し然るべき待遇を受けているらしい彼女達は皆被害者
として扱われているのであるしかし美由紀の場合は少少違っていたようだ
14
美由紀の実家は美由紀の言葉を借りるなら貧乏とまでは云えないが決して裕福では
ない―
のだと云う前の学院に入学する際はかなり無理をしたようである学院の閉鎖
が決定した時美由紀はこれ以上の勉学を諦めたと云う
今の学校への編入が叶ったのは閉鎖された学院の理事長代理が便宜を計ってくれたか
らなのだそうだその人はあくまで個人的な行為とした上で経済的な援助までしてくれ
たらしい敦子の知る限りその人物はかなりの大物である筈なのだがこれも美由紀の
言葉を借りるならその理事長代理と云う人はとびきりの正義漢で極めて善人なのだけれ
ど底抜けに鈍感で頗す
こぶる楽観的な人物―
であるらしい
中中辛辣である
苛いじ
められたりしたのと敦子は尋いた
「さあ無視とか陰口とかそう云うのはそんなに気にならない性た
ち質だし私叩かれ
たら叩き返しちゃう口なのでと云うか殺された友達を悪く云われた時なんかは頭に
来て相手を蹴っ飛ばしちゃって逆に134047られましたそんなだから苛められたと云う実感
はなくて暫し
ばらくの間孤立してはいましたけど―
」
今は結構普通にしてますと美由紀は云った
「半年くらいは誰とも口を利きませんでしたでもハル子さんだけは別で最初から迚と
て
も
親切にしてくれました」
15 鬼
「最初から
学年は一級上よね」
「ええ編入してすぐに声を掛けられたんです」
「そんな風に上級生とは普通に交流があるの」
「あると云えばありますけど―
何と云うんですかそのエスじゃないかとか謂い
われた
りもしたんですけどそんな訳ないんですエスって上級の人が下級の可愛い子を愛す
るって云うような意味ですよね」
「うーん」
間違ってはいないが美由紀の云う愛するがどの程度の意味なのか諮は
か
り兼ねて敦子は
口籠ってしまった
エス―
シスターの頭文字のS―
である女学生の世界ではかなり古くから使われて
いる隠語で単に好意を持つとか仲が良いとか云うだけに留まらず時に肉体関係を伴
う間柄も指し示す敦子が学生だった頃も使われていたからすっかり定着しているのだ
ろう少女小説の題材に取り上げられそれらが人気を博したことも大きいと思う
ただ現在も同じような意味で使われているのかどうかは判らない
「そうだとしてそうじゃなかったってことなの」
私可愛くないですもんと美由紀はあっけらかんとした口調で云った
「そう―
かな」
16
「そうですよだってどんどん丈が伸びるんですものこの一年でまた伸びました竹馬
女です」
身長は関係あるのと問うとそうですよと云われた
「可愛いというのはやっぱり小さいものに対して適用する言葉ですハル子さん―
片
倉さんは私より背が小さかったんですもの丁度敦子さんくらい」
死んでしまいましたけどと美由紀は云う
途端に話題は血ち
腥なまぐささを帯びる
「前の学校で仲良くしていた娘こ
は絞殺魔に頸く
び
を絞められて死にました仲良くなりかけ
た娘は転落死して私が疑いをかけた人は目潰し魔に殺されました今度は辻斬り―
」
そう
それは昭和の辻斬り事件と呼ばれている
私殆ど死に神ですねと美由紀は自嘲するかのように云った
統計をとった訳ではないから正確なことは判らないけれど身の周りで殺人事件が起き
る確率と云うのはかなり低いものだろうと思う天災や事故などで肉親や知人友人を一度
に多数失うことはあるだろうし悲しみは数値化出来ないから数の問題でもないとは思う
けれどもそうした不幸な奇き
禍か
に遭う可能性とて多くはないし況ま
し
てや複数回体験する確
率と云うのは高くないだろう
17 鬼
「死に神と云うならうちの兄貴の方じゃない貴女は違う」
こんな潑剌とした死に神はいないだろう
そう云うと美由紀は笑ってハル子さんにも云われましたと答えた
「美由紀さんのような元気な死に神なんかいないって死に神がそんなにはきはきしてい
たのじゃあ死ぬ人も死ねないって云われました」
「そうでしょうみんなそう思うのじゃない―
」
いや
と云うことは
「美由紀さん片倉さんに前の事件のことを話したの」
色色訊かれたので話しましたと美由紀は答えた
「それは丁寧に詳しく聞いてくださったんです勿論云ってはいけないことは云いま
せんでしたし話したくないことは話しませんでしたけどお話しすることで気持ちに整
理がついたと云うか―
やっと自分の中で事件が終ったと云うか」
それは幾つかの独立した事象が複雑に交錯したそれは難解な事件だったようだ一
応実行犯は捕まったもののそれですっきり終わってしまうような事件ではなかったのだ
と聞いている
「それなのにそのハル子さんが死んでしまいました」
18
昭和の辻斬り事件は出来たばかりの駒こ
ま
澤ざわ
野や
球きゅう
場じょう
周辺で発生している
被害者は七人うち四人は死亡し二名は重傷一人は軽傷であった
報道に拠よ
れば最初の事件が起きたのは昨年の九月
最初の被害者は胸と左二の腕を切られただけで命に別状はなくその時点では単なる通
り魔強盗の類いと考えられていたようだ
その二箇月後二件の傷害事件が起きた一人は左腕をほぼ切断されるという重傷も
う一人は左脇腹を切られ同じく重傷であった目撃証言から犯人は同一人と思われ凶
器も日本刀と断定された警察は金品を目当てとした強盗ではないと判断先に起きた一
件と併せた連続通り魔事件として報道がなされた
更に二箇月後年を跨いだ本年マリリンモンロー来日で世間が沸いていた頃
一月三十日を皮切りに立て続けに三人が殺害された一人目と二人目は病院に搬送さ
れたものの出血多量で死亡三人目は即死に近かったと云う犯行はほぼ一週間置きに行
われいずれも所い
わゆる謂袈け
裟さ
懸が
けに斬られていたそうであるこちらも凶器を含む状況証拠か
ら先行する三件と同一犯の仕業とされた
昭和の辻斬りと云うあまりセンスが良いとは思えない命名は最初の死亡者が出た段
階でなされたものであるどこかの新聞社が見出しに書いたもので他社が倣い三人目
の死亡者が出た段階ではほぼ全社がその呼称を採用していた
19 鬼
そして七日前二月二十七日
美由紀の先輩である片倉ハル子が殺された
昭和の辻斬り最後の被害者である
犯人は逮捕されたのだ
新聞などに拠ればハル子を殺害したのは十九歳の旋盤工宇野憲け
ん
一いち
宇野は犯行現場
で立ち竦す
く
んでいるところを駆け付けた警官に依って現行犯逮捕されている宇野はハル子
殺害の他過去六件全ての犯行を認めまたハル子と交際していたことも告白している
動機等に就いては不明であると云う
猶なお
ハル子殺害現場にはハル子の母である片倉勢せ
い
子こ
もいたと云う
報道されたのはそれだけである
何だか釈然としない感じはした
十六歳の女学生が日本刀で斬り殺されたと云うだけで充分センセーショナルではあった
し殺害したのは未成年の交際相手しかも連続殺人鬼だったと云う付録まで付いていた
訳だから当然のように世間は沸いた号外こそ出なかったけれど事件翌日の一面は昭
和の辻斬り逮捕交際相手の女学生を斬殺―
と云う大見出しになった
とは云うもののその後はあまり報道する意味のない憶測記事が幾つか載っただけで
ある
20
ハル子殺しは痴情の縺も
つ
れであり宇野は痴ち
話わ
喧げん
嘩か
の末にそれまで隠していた殺人鬼の本
性を剝む
き出しにしてハル子を斬り殺したのであると云うようなことに―
なっていた
0
0
0
0
0
と思う
まあそうだと云われればそうなのだろうそう云うこともあるかもしれないありそ
うな話ではあるけれども敦子は何だか気に入らなかった
宇野と云う青年が殺人者であったとしても
更に痴情の縺れの結果の犯行であったとしても
痴話喧嘩の末に興奮して犯行に及んだとするならば
何か
みあっていない気がしたしかしそれ以上は考えなかった所し
ょ
詮せん
は下世話な想像
にしかならないからである
そんな敦子の許に義姉から連絡があったのは一昨日のことだった
美由紀は元来兄か兄の友人の探偵に相談するつもりだったのであるしかし双方共
に不在だったのだ兄とその友人達は旅先で例に因って面倒な事件に巻き込まれているの
だそうであるそちらはそちらで混迷しているようなのだが頼って来たのが他ならぬあ0
の事件
0
0
0
の関係者であり況ま
し
て昭和の辻斬り事件に関わることならば余計に捨ててはおけな
いと―
代わりに敦子が駆り出されたと云う訳である
面倒臭いなと一瞬敦子は思った
21 鬼
どことなく釈然としない想いを持っていたくらいだから事件自体には多少なりとも興
味はあったのだ敦子は雑誌記者だ取材は馴れている聞き取りも現場の視察も仕事の
うちである
面倒だと感じたのは相談したいと云っているのが十四歳の少女と聞いたからなのだ
敦子は若い娘が苦手なのである
学生の頃からそうだった
情より理夢より実美しさより機能性少女雑誌より科学雑誌が好きだった空想す
るより推理する方が好きだったそう云う娘だった
だから女学生の時分も女同士のふわふわした会話やふわふわした関係には随分と辟へ
き
易えき
したものである
嫌いなのではない認めない訳でもない苦手なのである
敦子はそうしたふわふわしたものをかなり幼い頃に捨ててしまったのだと思う捨
てていないのだとしたら何かつまらないものですっかり糊こ
塗と
してしまったのだろう
だからそう云うものを前面に出して生きている人達と出会うとどうしても距離を置
いてしまうのである女学生はきっとふわふわしている
そう思ったのだ敦子が面倒臭いと感じたのはだから女学生そのものに対して感じた
訳ではないのだそれは女学生と対た
い
峙じ
した時の己に対して感じた面倒臭さなのである
22
でも
それは杞憂に終わった
呉美由紀と云う少女は敦子よりも活発で敦子よりも―
敦子っぽかった
「彼女は何を恐がっていたのかしら」
ならばこの娘に沈んだ顔は似合わないと敦子は勝手に判断した
「迚と
て
も怖いってその辻斬り事件を恐れていたと云うことなの
慥たし
かに犯行現場はどれ
も貴女達の学校の近くばかりだしそれに宿舎は学校の敷地内にあるんでしょう
な
ら眼と鼻の先でしょう当然それなりに警戒もしていたのでしょうけど」
みんな恐がってはいましたけどと云った後美由紀は小首を傾か
し
げた
「でもどうなんだろう」
「それは」
「本気かどうか判らないですねみんな学校の外の出来ごとは中とは関係ないと半分
くらい思っていて―
恐ろしいわ怖いわと口では云うんですけど何だか実感はなかった
みたいに思うんですお休みの日以外で宿舎から出ることは殆どないですし自分の身に
災難が降りかかることがあるなんて考えている人はあんまりいなかったんじゃないかと
思います怖いと云っても他人ごとなんです鼠を咥く
わ
えた猫を見ても怖い怖い云うんです
からそれと同じじゃないかと思う」
23 鬼
「片倉さんは違ったのね」
「ええその辻斬りの話をしていた時にそう呟いていたのでまるで関係がないとは思
えませんけども犯人が怖いとか人殺しが怖いとか―
そう云うことではなかったと思
うんです」
「では何が恐かったのかしら」
「その祟た
た
りとか呪いとかその手のものだと思うんですけど」
「祟り」
どうも話が見えない
美由紀は混乱してはいない本人も云っていたが順序立てて論理的に話す努力もして
いるようだそれ以前にこの娘は聡明なのだだから話が見えないのはそもそも見え難に
く
い話だからなのだろう自己申告の通り語彙が少ないのか美由紀自身見聞きしたことの
整理がついていないのだろう
「もう少し細かく話してくれる
執しつこ拗いと思うかもしれないけど片倉さんの辻斬り事
件に対する反応は他の生徒達とは少し違っていた―
と云うことでいい」
はいと美由紀は答える
「それで貴あ
なた女の見る限り彼女は明らかに何かを恐れていた―
これもいい」
「そうですハル子さんは恐がっていました」
24
「それは残酷な凶行が身近で起きていることに対する恐怖でも殺人と云う行為自体に
対する恐怖でも犯人に対する恐怖でも―
ないのね」
「ええハル子さんは他の娘こ
と違って人殺し自体を恐がったりするタイプではなかった
と思います私が話した去年の事件の話だって普通に聞いてくれましたいいえ寧ろ
あれこれ尋き返されて必要以上に詳しく話しちゃったくらいです他の娘は人殺しと聞
いただけで耳を塞いで怖いからやめてと云う感じだったけど―
」
「自分が被害者になるかもしれないと云う恐がり方でもないの」
「それは何とも云えません」
明瞭だ
この少女は判ることは判る判らないことは判らないときちんと峻別し正しく伝
えようとしている
「でその祟りと云うのは何処から出て来たのかな」
「はいハル子さんは自分は善くない生れ
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0
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なんだと何度も云っていたんです」
「善くない生れ」
旧きゅう
弊へい
的な身分のことかそれとも迷信俗信の類い―
憑き物筋のようなものだろうか
「それって」
「いいえ差別とかそう云うことじゃないみたいでしたいやそうなのかな」
25 鬼
美由紀は顎に人差指を当てる
「血統がどうとか家柄がどうとか云うのは差別的な事柄ですか」
「そうとも云えると思うただそうでない場合もあるとは思うけどいずれにしても出
自で個人を規定することは場合に拠っては差別的だと思うまだまだ根強いけど私は
感心しない人種や性別も含めての話だけど個人の努力で変えられない属性を評価の基
準にするのは前近代的な考え方だと思う」
はあと美由紀は口を小さく開けた
「私解り難いこと云った」
「いいえ能よ
く解りますただ敦子さん矢っ張りお兄さんの血筋―
あこれがいけ
ないって話ですよね」
敦子は微笑む
「兄妹が似てるって指摘するのは差別とは違うから」
似て―
いるのだろうか
「そうですよねでもそれに近い話みたいなんです近くもないのかなその先祖代
代片倉家の女は殺される定めだとか」
「ああ―
」
「しかも斬り殺される
0
0
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0
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0
んだと云う話でした」
11 鬼
やっぱりご兄き
ょうだい妹ですよねえと美由紀は感心したように云う
「何か似てます中禅寺さん」
今度の中禅寺は敦子のことだろう敦子でいいわよと云った
不思議な空間である
所いわゆる謂裏露地でしかも駄菓子屋の前だ粗そ
末まつ
な木机が出してありそれを挿は
さ
んで更に粗
末な縁台が置かれている敦子と美由紀はそこに差し向いで座っている径み
ち
幅はば
は偉く狭い
から明らかに通行の邪魔だし入店の妨害にもなっていると思うのだがどうもそうで
もないらしい少し先で袋小路になっているようだし見る限り塀ばかりだからそもそ
も通行する者は少ないのだろう
普段はここで児こ
ども童達が座って駄菓子を食べたりしているのだと思う
今はラムネの瓶が二つ載っている暑い時期でもないから―
と云うより明らかにまだ
寒いのだから敦子はラムネなど飲みたいとは思わなかったのだが選択の余地は全くな
かった
美由紀の後ろの板塀にはジュースソーダと書いた貼り紙が覗いているのだがそれは
共に粉末ジュースのことだった勿論お茶も珈琲もない
ここは美由紀の秘密の場所らしい学友達は甘味屋なんかに行くらしいのだが美由紀
は苦手なのだそうだここで子供相手に遊んでいた方が性に合っているのだと云う
12
駄菓子屋は屋号を子こ
供ども
屋や
と云うそのまま―
と云うか考えように依っては巫ふ
ざ
け
山戯た
名前のようにも思えるのだが元は餅屋で開業以来ずっとこの名なのだそうだ先の戦
争で働き手を失って餅が作れなくなり残った老寡婦が一人で出来る商売として駄菓子屋
を開業したと云うことらしい
待ち合わせ場所を最初に聞いた時敦子は少しばかり驚いた駄菓子屋で待ち合わせな
どしたことがないしかし相手はまだ子供なのだからそう云うこともあるかと思い直した
のだったしかし待っていた美由紀は背も高く考えていたよりもずっと大人びてい
てもう一度驚いた制服を着た美由紀の佇まいはどう見てもうらぶれた景色と釣り合っ
てはいなかったのだが何故か馴染んではいた
子供屋は上か
み
馬うま
にある敦子の住まいからそう遠くはない前の大きな通りは能よ
く通るた
だ横道に入ったことなどない用がない何ごとにも194780子定規で何につけあそび
0
0
0
のない人
生を歩んでいる敦子は意味もなく回り道などしないのが常であるそんな己じ
ぶんに嫌気が差
して昨年の秋に横道に逸れてみたりしたのだがその所せ
為い
で手て
酷ひど
い目に遭った
それから横道には入らない
だから情ロ
ケーション景は新鮮である
「それで―
もう一度尋き
くけど」
恐がっていたのは誰と敦子は問うた
13 鬼
「片倉さんです」
「被害者ですね」
「ええ殺された片倉ハル子さん高等部の一年生です」
「貴女は―」
もうすぐ高等部ですと美由紀は云った
「今の学校は中等部の三年で編入したのですぐには中中お友達とか出来なくって前の
学校のこともそれなりに知られていたので―
」
それは理解出来る
同年代の同性ばかりの集団と云うのはそれなりに難儀なものなのだ仲良くするにも
面倒な手続きが必要だったりするし時に陰湿な悶着も起きる違うものではなく似た
ものばかりが集まっているような場合僅かな差異が大きな隔たりと錯覚されてしまうこ
ともあるし逆に均な
ら
されて同質化してしまったりもするどちらにしても普通にはしてい
られない何ごとにも負荷がかかるのだ
美由紀は人殺しの学校から来た子と呼ばれたそうである
美由紀がそれまで在籍していた学校の生徒は殆どが良家の子女で皆学校が閉鎖され
た後もそれなりの学校に移籍し然るべき待遇を受けているらしい彼女達は皆被害者
として扱われているのであるしかし美由紀の場合は少少違っていたようだ
14
美由紀の実家は美由紀の言葉を借りるなら貧乏とまでは云えないが決して裕福では
ない―
のだと云う前の学院に入学する際はかなり無理をしたようである学院の閉鎖
が決定した時美由紀はこれ以上の勉学を諦めたと云う
今の学校への編入が叶ったのは閉鎖された学院の理事長代理が便宜を計ってくれたか
らなのだそうだその人はあくまで個人的な行為とした上で経済的な援助までしてくれ
たらしい敦子の知る限りその人物はかなりの大物である筈なのだがこれも美由紀の
言葉を借りるならその理事長代理と云う人はとびきりの正義漢で極めて善人なのだけれ
ど底抜けに鈍感で頗す
こぶる楽観的な人物―
であるらしい
中中辛辣である
苛いじ
められたりしたのと敦子は尋いた
「さあ無視とか陰口とかそう云うのはそんなに気にならない性た
ち質だし私叩かれ
たら叩き返しちゃう口なのでと云うか殺された友達を悪く云われた時なんかは頭に
来て相手を蹴っ飛ばしちゃって逆に134047られましたそんなだから苛められたと云う実感
はなくて暫し
ばらくの間孤立してはいましたけど―
」
今は結構普通にしてますと美由紀は云った
「半年くらいは誰とも口を利きませんでしたでもハル子さんだけは別で最初から迚と
て
も
親切にしてくれました」
15 鬼
「最初から
学年は一級上よね」
「ええ編入してすぐに声を掛けられたんです」
「そんな風に上級生とは普通に交流があるの」
「あると云えばありますけど―
何と云うんですかそのエスじゃないかとか謂い
われた
りもしたんですけどそんな訳ないんですエスって上級の人が下級の可愛い子を愛す
るって云うような意味ですよね」
「うーん」
間違ってはいないが美由紀の云う愛するがどの程度の意味なのか諮は
か
り兼ねて敦子は
口籠ってしまった
エス―
シスターの頭文字のS―
である女学生の世界ではかなり古くから使われて
いる隠語で単に好意を持つとか仲が良いとか云うだけに留まらず時に肉体関係を伴
う間柄も指し示す敦子が学生だった頃も使われていたからすっかり定着しているのだ
ろう少女小説の題材に取り上げられそれらが人気を博したことも大きいと思う
ただ現在も同じような意味で使われているのかどうかは判らない
「そうだとしてそうじゃなかったってことなの」
私可愛くないですもんと美由紀はあっけらかんとした口調で云った
「そう―
かな」
16
「そうですよだってどんどん丈が伸びるんですものこの一年でまた伸びました竹馬
女です」
身長は関係あるのと問うとそうですよと云われた
「可愛いというのはやっぱり小さいものに対して適用する言葉ですハル子さん―
片
倉さんは私より背が小さかったんですもの丁度敦子さんくらい」
死んでしまいましたけどと美由紀は云う
途端に話題は血ち
腥なまぐささを帯びる
「前の学校で仲良くしていた娘こ
は絞殺魔に頸く
び
を絞められて死にました仲良くなりかけ
た娘は転落死して私が疑いをかけた人は目潰し魔に殺されました今度は辻斬り―
」
そう
それは昭和の辻斬り事件と呼ばれている
私殆ど死に神ですねと美由紀は自嘲するかのように云った
統計をとった訳ではないから正確なことは判らないけれど身の周りで殺人事件が起き
る確率と云うのはかなり低いものだろうと思う天災や事故などで肉親や知人友人を一度
に多数失うことはあるだろうし悲しみは数値化出来ないから数の問題でもないとは思う
けれどもそうした不幸な奇き
禍か
に遭う可能性とて多くはないし況ま
し
てや複数回体験する確
率と云うのは高くないだろう
17 鬼
「死に神と云うならうちの兄貴の方じゃない貴女は違う」
こんな潑剌とした死に神はいないだろう
そう云うと美由紀は笑ってハル子さんにも云われましたと答えた
「美由紀さんのような元気な死に神なんかいないって死に神がそんなにはきはきしてい
たのじゃあ死ぬ人も死ねないって云われました」
「そうでしょうみんなそう思うのじゃない―
」
いや
と云うことは
「美由紀さん片倉さんに前の事件のことを話したの」
色色訊かれたので話しましたと美由紀は答えた
「それは丁寧に詳しく聞いてくださったんです勿論云ってはいけないことは云いま
せんでしたし話したくないことは話しませんでしたけどお話しすることで気持ちに整
理がついたと云うか―
やっと自分の中で事件が終ったと云うか」
それは幾つかの独立した事象が複雑に交錯したそれは難解な事件だったようだ一
応実行犯は捕まったもののそれですっきり終わってしまうような事件ではなかったのだ
と聞いている
「それなのにそのハル子さんが死んでしまいました」
18
昭和の辻斬り事件は出来たばかりの駒こ
ま
澤ざわ
野や
球きゅう
場じょう
周辺で発生している
被害者は七人うち四人は死亡し二名は重傷一人は軽傷であった
報道に拠よ
れば最初の事件が起きたのは昨年の九月
最初の被害者は胸と左二の腕を切られただけで命に別状はなくその時点では単なる通
り魔強盗の類いと考えられていたようだ
その二箇月後二件の傷害事件が起きた一人は左腕をほぼ切断されるという重傷も
う一人は左脇腹を切られ同じく重傷であった目撃証言から犯人は同一人と思われ凶
器も日本刀と断定された警察は金品を目当てとした強盗ではないと判断先に起きた一
件と併せた連続通り魔事件として報道がなされた
更に二箇月後年を跨いだ本年マリリンモンロー来日で世間が沸いていた頃
一月三十日を皮切りに立て続けに三人が殺害された一人目と二人目は病院に搬送さ
れたものの出血多量で死亡三人目は即死に近かったと云う犯行はほぼ一週間置きに行
われいずれも所い
わゆる謂袈け
裟さ
懸が
けに斬られていたそうであるこちらも凶器を含む状況証拠か
ら先行する三件と同一犯の仕業とされた
昭和の辻斬りと云うあまりセンスが良いとは思えない命名は最初の死亡者が出た段
階でなされたものであるどこかの新聞社が見出しに書いたもので他社が倣い三人目
の死亡者が出た段階ではほぼ全社がその呼称を採用していた
19 鬼
そして七日前二月二十七日
美由紀の先輩である片倉ハル子が殺された
昭和の辻斬り最後の被害者である
犯人は逮捕されたのだ
新聞などに拠ればハル子を殺害したのは十九歳の旋盤工宇野憲け
ん
一いち
宇野は犯行現場
で立ち竦す
く
んでいるところを駆け付けた警官に依って現行犯逮捕されている宇野はハル子
殺害の他過去六件全ての犯行を認めまたハル子と交際していたことも告白している
動機等に就いては不明であると云う
猶なお
ハル子殺害現場にはハル子の母である片倉勢せ
い
子こ
もいたと云う
報道されたのはそれだけである
何だか釈然としない感じはした
十六歳の女学生が日本刀で斬り殺されたと云うだけで充分センセーショナルではあった
し殺害したのは未成年の交際相手しかも連続殺人鬼だったと云う付録まで付いていた
訳だから当然のように世間は沸いた号外こそ出なかったけれど事件翌日の一面は昭
和の辻斬り逮捕交際相手の女学生を斬殺―
と云う大見出しになった
とは云うもののその後はあまり報道する意味のない憶測記事が幾つか載っただけで
ある
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ハル子殺しは痴情の縺も
つ
れであり宇野は痴ち
話わ
喧げん
嘩か
の末にそれまで隠していた殺人鬼の本
性を剝む
き出しにしてハル子を斬り殺したのであると云うようなことに―
なっていた
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と思う
まあそうだと云われればそうなのだろうそう云うこともあるかもしれないありそ
うな話ではあるけれども敦子は何だか気に入らなかった
宇野と云う青年が殺人者であったとしても
更に痴情の縺れの結果の犯行であったとしても
痴話喧嘩の末に興奮して犯行に及んだとするならば
何か
みあっていない気がしたしかしそれ以上は考えなかった所し
ょ
詮せん
は下世話な想像
にしかならないからである
そんな敦子の許に義姉から連絡があったのは一昨日のことだった
美由紀は元来兄か兄の友人の探偵に相談するつもりだったのであるしかし双方共
に不在だったのだ兄とその友人達は旅先で例に因って面倒な事件に巻き込まれているの
だそうであるそちらはそちらで混迷しているようなのだが頼って来たのが他ならぬあ0
の事件
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の関係者であり況ま
し
て昭和の辻斬り事件に関わることならば余計に捨ててはおけな
いと―
代わりに敦子が駆り出されたと云う訳である
面倒臭いなと一瞬敦子は思った
21 鬼
どことなく釈然としない想いを持っていたくらいだから事件自体には多少なりとも興
味はあったのだ敦子は雑誌記者だ取材は馴れている聞き取りも現場の視察も仕事の
うちである
面倒だと感じたのは相談したいと云っているのが十四歳の少女と聞いたからなのだ
敦子は若い娘が苦手なのである
学生の頃からそうだった
情より理夢より実美しさより機能性少女雑誌より科学雑誌が好きだった空想す
るより推理する方が好きだったそう云う娘だった
だから女学生の時分も女同士のふわふわした会話やふわふわした関係には随分と辟へ
き
易えき
したものである
嫌いなのではない認めない訳でもない苦手なのである
敦子はそうしたふわふわしたものをかなり幼い頃に捨ててしまったのだと思う捨
てていないのだとしたら何かつまらないものですっかり糊こ
塗と
してしまったのだろう
だからそう云うものを前面に出して生きている人達と出会うとどうしても距離を置
いてしまうのである女学生はきっとふわふわしている
そう思ったのだ敦子が面倒臭いと感じたのはだから女学生そのものに対して感じた
訳ではないのだそれは女学生と対た
い
峙じ
した時の己に対して感じた面倒臭さなのである
22
でも
それは杞憂に終わった
呉美由紀と云う少女は敦子よりも活発で敦子よりも―
敦子っぽかった
「彼女は何を恐がっていたのかしら」
ならばこの娘に沈んだ顔は似合わないと敦子は勝手に判断した
「迚と
て
も怖いってその辻斬り事件を恐れていたと云うことなの
慥たし
かに犯行現場はどれ
も貴女達の学校の近くばかりだしそれに宿舎は学校の敷地内にあるんでしょう
な
ら眼と鼻の先でしょう当然それなりに警戒もしていたのでしょうけど」
みんな恐がってはいましたけどと云った後美由紀は小首を傾か
し
げた
「でもどうなんだろう」
「それは」
「本気かどうか判らないですねみんな学校の外の出来ごとは中とは関係ないと半分
くらい思っていて―
恐ろしいわ怖いわと口では云うんですけど何だか実感はなかった
みたいに思うんですお休みの日以外で宿舎から出ることは殆どないですし自分の身に
災難が降りかかることがあるなんて考えている人はあんまりいなかったんじゃないかと
思います怖いと云っても他人ごとなんです鼠を咥く
わ
えた猫を見ても怖い怖い云うんです
からそれと同じじゃないかと思う」
23 鬼
「片倉さんは違ったのね」
「ええその辻斬りの話をしていた時にそう呟いていたのでまるで関係がないとは思
えませんけども犯人が怖いとか人殺しが怖いとか―
そう云うことではなかったと思
うんです」
「では何が恐かったのかしら」
「その祟た
た
りとか呪いとかその手のものだと思うんですけど」
「祟り」
どうも話が見えない
美由紀は混乱してはいない本人も云っていたが順序立てて論理的に話す努力もして
いるようだそれ以前にこの娘は聡明なのだだから話が見えないのはそもそも見え難に
く
い話だからなのだろう自己申告の通り語彙が少ないのか美由紀自身見聞きしたことの
整理がついていないのだろう
「もう少し細かく話してくれる
執しつこ拗いと思うかもしれないけど片倉さんの辻斬り事
件に対する反応は他の生徒達とは少し違っていた―
と云うことでいい」
はいと美由紀は答える
「それで貴あ
なた女の見る限り彼女は明らかに何かを恐れていた―
これもいい」
「そうですハル子さんは恐がっていました」
24
「それは残酷な凶行が身近で起きていることに対する恐怖でも殺人と云う行為自体に
対する恐怖でも犯人に対する恐怖でも―
ないのね」
「ええハル子さんは他の娘こ
と違って人殺し自体を恐がったりするタイプではなかった
と思います私が話した去年の事件の話だって普通に聞いてくれましたいいえ寧ろ
あれこれ尋き返されて必要以上に詳しく話しちゃったくらいです他の娘は人殺しと聞
いただけで耳を塞いで怖いからやめてと云う感じだったけど―
」
「自分が被害者になるかもしれないと云う恐がり方でもないの」
「それは何とも云えません」
明瞭だ
この少女は判ることは判る判らないことは判らないときちんと峻別し正しく伝
えようとしている
「でその祟りと云うのは何処から出て来たのかな」
「はいハル子さんは自分は善くない生れ
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「善くない生れ」
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弊へい
的な身分のことかそれとも迷信俗信の類い―
憑き物筋のようなものだろうか
「それって」
「いいえ差別とかそう云うことじゃないみたいでしたいやそうなのかな」
25 鬼
美由紀は顎に人差指を当てる
「血統がどうとか家柄がどうとか云うのは差別的な事柄ですか」
「そうとも云えると思うただそうでない場合もあるとは思うけどいずれにしても出
自で個人を規定することは場合に拠っては差別的だと思うまだまだ根強いけど私は
感心しない人種や性別も含めての話だけど個人の努力で変えられない属性を評価の基
準にするのは前近代的な考え方だと思う」
はあと美由紀は口を小さく開けた
「私解り難いこと云った」
「いいえ能よ
く解りますただ敦子さん矢っ張りお兄さんの血筋―
あこれがいけ
ないって話ですよね」
敦子は微笑む
「兄妹が似てるって指摘するのは差別とは違うから」
似て―
いるのだろうか
「そうですよねでもそれに近い話みたいなんです近くもないのかなその先祖代
代片倉家の女は殺される定めだとか」
「ああ―
」
「しかも斬り殺される
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んだと云う話でした」
12
駄菓子屋は屋号を子こ
供ども
屋や
と云うそのまま―
と云うか考えように依っては巫ふ
ざ
け
山戯た
名前のようにも思えるのだが元は餅屋で開業以来ずっとこの名なのだそうだ先の戦
争で働き手を失って餅が作れなくなり残った老寡婦が一人で出来る商売として駄菓子屋
を開業したと云うことらしい
待ち合わせ場所を最初に聞いた時敦子は少しばかり驚いた駄菓子屋で待ち合わせな
どしたことがないしかし相手はまだ子供なのだからそう云うこともあるかと思い直した
のだったしかし待っていた美由紀は背も高く考えていたよりもずっと大人びてい
てもう一度驚いた制服を着た美由紀の佇まいはどう見てもうらぶれた景色と釣り合っ
てはいなかったのだが何故か馴染んではいた
子供屋は上か
み
馬うま
にある敦子の住まいからそう遠くはない前の大きな通りは能よ
く通るた
だ横道に入ったことなどない用がない何ごとにも194780子定規で何につけあそび
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のない人
生を歩んでいる敦子は意味もなく回り道などしないのが常であるそんな己じ
ぶんに嫌気が差
して昨年の秋に横道に逸れてみたりしたのだがその所せ
為い
で手て
酷ひど
い目に遭った
それから横道には入らない
だから情ロ
ケーション景は新鮮である
「それで―
もう一度尋き
くけど」
恐がっていたのは誰と敦子は問うた
13 鬼
「片倉さんです」
「被害者ですね」
「ええ殺された片倉ハル子さん高等部の一年生です」
「貴女は―」
もうすぐ高等部ですと美由紀は云った
「今の学校は中等部の三年で編入したのですぐには中中お友達とか出来なくって前の
学校のこともそれなりに知られていたので―
」
それは理解出来る
同年代の同性ばかりの集団と云うのはそれなりに難儀なものなのだ仲良くするにも
面倒な手続きが必要だったりするし時に陰湿な悶着も起きる違うものではなく似た
ものばかりが集まっているような場合僅かな差異が大きな隔たりと錯覚されてしまうこ
ともあるし逆に均な
ら
されて同質化してしまったりもするどちらにしても普通にはしてい
られない何ごとにも負荷がかかるのだ
美由紀は人殺しの学校から来た子と呼ばれたそうである
美由紀がそれまで在籍していた学校の生徒は殆どが良家の子女で皆学校が閉鎖され
た後もそれなりの学校に移籍し然るべき待遇を受けているらしい彼女達は皆被害者
として扱われているのであるしかし美由紀の場合は少少違っていたようだ
14
美由紀の実家は美由紀の言葉を借りるなら貧乏とまでは云えないが決して裕福では
ない―
のだと云う前の学院に入学する際はかなり無理をしたようである学院の閉鎖
が決定した時美由紀はこれ以上の勉学を諦めたと云う
今の学校への編入が叶ったのは閉鎖された学院の理事長代理が便宜を計ってくれたか
らなのだそうだその人はあくまで個人的な行為とした上で経済的な援助までしてくれ
たらしい敦子の知る限りその人物はかなりの大物である筈なのだがこれも美由紀の
言葉を借りるならその理事長代理と云う人はとびきりの正義漢で極めて善人なのだけれ
ど底抜けに鈍感で頗す
こぶる楽観的な人物―
であるらしい
中中辛辣である
苛いじ
められたりしたのと敦子は尋いた
「さあ無視とか陰口とかそう云うのはそんなに気にならない性た
ち質だし私叩かれ
たら叩き返しちゃう口なのでと云うか殺された友達を悪く云われた時なんかは頭に
来て相手を蹴っ飛ばしちゃって逆に134047られましたそんなだから苛められたと云う実感
はなくて暫し
ばらくの間孤立してはいましたけど―
」
今は結構普通にしてますと美由紀は云った
「半年くらいは誰とも口を利きませんでしたでもハル子さんだけは別で最初から迚と
て
も
親切にしてくれました」
15 鬼
「最初から
学年は一級上よね」
「ええ編入してすぐに声を掛けられたんです」
「そんな風に上級生とは普通に交流があるの」
「あると云えばありますけど―
何と云うんですかそのエスじゃないかとか謂い
われた
りもしたんですけどそんな訳ないんですエスって上級の人が下級の可愛い子を愛す
るって云うような意味ですよね」
「うーん」
間違ってはいないが美由紀の云う愛するがどの程度の意味なのか諮は
か
り兼ねて敦子は
口籠ってしまった
エス―
シスターの頭文字のS―
である女学生の世界ではかなり古くから使われて
いる隠語で単に好意を持つとか仲が良いとか云うだけに留まらず時に肉体関係を伴
う間柄も指し示す敦子が学生だった頃も使われていたからすっかり定着しているのだ
ろう少女小説の題材に取り上げられそれらが人気を博したことも大きいと思う
ただ現在も同じような意味で使われているのかどうかは判らない
「そうだとしてそうじゃなかったってことなの」
私可愛くないですもんと美由紀はあっけらかんとした口調で云った
「そう―
かな」
16
「そうですよだってどんどん丈が伸びるんですものこの一年でまた伸びました竹馬
女です」
身長は関係あるのと問うとそうですよと云われた
「可愛いというのはやっぱり小さいものに対して適用する言葉ですハル子さん―
片
倉さんは私より背が小さかったんですもの丁度敦子さんくらい」
死んでしまいましたけどと美由紀は云う
途端に話題は血ち
腥なまぐささを帯びる
「前の学校で仲良くしていた娘こ
は絞殺魔に頸く
び
を絞められて死にました仲良くなりかけ
た娘は転落死して私が疑いをかけた人は目潰し魔に殺されました今度は辻斬り―
」
そう
それは昭和の辻斬り事件と呼ばれている
私殆ど死に神ですねと美由紀は自嘲するかのように云った
統計をとった訳ではないから正確なことは判らないけれど身の周りで殺人事件が起き
る確率と云うのはかなり低いものだろうと思う天災や事故などで肉親や知人友人を一度
に多数失うことはあるだろうし悲しみは数値化出来ないから数の問題でもないとは思う
けれどもそうした不幸な奇き
禍か
に遭う可能性とて多くはないし況ま
し
てや複数回体験する確
率と云うのは高くないだろう
17 鬼
「死に神と云うならうちの兄貴の方じゃない貴女は違う」
こんな潑剌とした死に神はいないだろう
そう云うと美由紀は笑ってハル子さんにも云われましたと答えた
「美由紀さんのような元気な死に神なんかいないって死に神がそんなにはきはきしてい
たのじゃあ死ぬ人も死ねないって云われました」
「そうでしょうみんなそう思うのじゃない―
」
いや
と云うことは
「美由紀さん片倉さんに前の事件のことを話したの」
色色訊かれたので話しましたと美由紀は答えた
「それは丁寧に詳しく聞いてくださったんです勿論云ってはいけないことは云いま
せんでしたし話したくないことは話しませんでしたけどお話しすることで気持ちに整
理がついたと云うか―
やっと自分の中で事件が終ったと云うか」
それは幾つかの独立した事象が複雑に交錯したそれは難解な事件だったようだ一
応実行犯は捕まったもののそれですっきり終わってしまうような事件ではなかったのだ
と聞いている
「それなのにそのハル子さんが死んでしまいました」
18
昭和の辻斬り事件は出来たばかりの駒こ
ま
澤ざわ
野や
球きゅう
場じょう
周辺で発生している
被害者は七人うち四人は死亡し二名は重傷一人は軽傷であった
報道に拠よ
れば最初の事件が起きたのは昨年の九月
最初の被害者は胸と左二の腕を切られただけで命に別状はなくその時点では単なる通
り魔強盗の類いと考えられていたようだ
その二箇月後二件の傷害事件が起きた一人は左腕をほぼ切断されるという重傷も
う一人は左脇腹を切られ同じく重傷であった目撃証言から犯人は同一人と思われ凶
器も日本刀と断定された警察は金品を目当てとした強盗ではないと判断先に起きた一
件と併せた連続通り魔事件として報道がなされた
更に二箇月後年を跨いだ本年マリリンモンロー来日で世間が沸いていた頃
一月三十日を皮切りに立て続けに三人が殺害された一人目と二人目は病院に搬送さ
れたものの出血多量で死亡三人目は即死に近かったと云う犯行はほぼ一週間置きに行
われいずれも所い
わゆる謂袈け
裟さ
懸が
けに斬られていたそうであるこちらも凶器を含む状況証拠か
ら先行する三件と同一犯の仕業とされた
昭和の辻斬りと云うあまりセンスが良いとは思えない命名は最初の死亡者が出た段
階でなされたものであるどこかの新聞社が見出しに書いたもので他社が倣い三人目
の死亡者が出た段階ではほぼ全社がその呼称を採用していた
19 鬼
そして七日前二月二十七日
美由紀の先輩である片倉ハル子が殺された
昭和の辻斬り最後の被害者である
犯人は逮捕されたのだ
新聞などに拠ればハル子を殺害したのは十九歳の旋盤工宇野憲け
ん
一いち
宇野は犯行現場
で立ち竦す
く
んでいるところを駆け付けた警官に依って現行犯逮捕されている宇野はハル子
殺害の他過去六件全ての犯行を認めまたハル子と交際していたことも告白している
動機等に就いては不明であると云う
猶なお
ハル子殺害現場にはハル子の母である片倉勢せ
い
子こ
もいたと云う
報道されたのはそれだけである
何だか釈然としない感じはした
十六歳の女学生が日本刀で斬り殺されたと云うだけで充分センセーショナルではあった
し殺害したのは未成年の交際相手しかも連続殺人鬼だったと云う付録まで付いていた
訳だから当然のように世間は沸いた号外こそ出なかったけれど事件翌日の一面は昭
和の辻斬り逮捕交際相手の女学生を斬殺―
と云う大見出しになった
とは云うもののその後はあまり報道する意味のない憶測記事が幾つか載っただけで
ある
20
ハル子殺しは痴情の縺も
つ
れであり宇野は痴ち
話わ
喧げん
嘩か
の末にそれまで隠していた殺人鬼の本
性を剝む
き出しにしてハル子を斬り殺したのであると云うようなことに―
なっていた
0
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と思う
まあそうだと云われればそうなのだろうそう云うこともあるかもしれないありそ
うな話ではあるけれども敦子は何だか気に入らなかった
宇野と云う青年が殺人者であったとしても
更に痴情の縺れの結果の犯行であったとしても
痴話喧嘩の末に興奮して犯行に及んだとするならば
何か
みあっていない気がしたしかしそれ以上は考えなかった所し
ょ
詮せん
は下世話な想像
にしかならないからである
そんな敦子の許に義姉から連絡があったのは一昨日のことだった
美由紀は元来兄か兄の友人の探偵に相談するつもりだったのであるしかし双方共
に不在だったのだ兄とその友人達は旅先で例に因って面倒な事件に巻き込まれているの
だそうであるそちらはそちらで混迷しているようなのだが頼って来たのが他ならぬあ0
の事件
0
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の関係者であり況ま
し
て昭和の辻斬り事件に関わることならば余計に捨ててはおけな
いと―
代わりに敦子が駆り出されたと云う訳である
面倒臭いなと一瞬敦子は思った
21 鬼
どことなく釈然としない想いを持っていたくらいだから事件自体には多少なりとも興
味はあったのだ敦子は雑誌記者だ取材は馴れている聞き取りも現場の視察も仕事の
うちである
面倒だと感じたのは相談したいと云っているのが十四歳の少女と聞いたからなのだ
敦子は若い娘が苦手なのである
学生の頃からそうだった
情より理夢より実美しさより機能性少女雑誌より科学雑誌が好きだった空想す
るより推理する方が好きだったそう云う娘だった
だから女学生の時分も女同士のふわふわした会話やふわふわした関係には随分と辟へ
き
易えき
したものである
嫌いなのではない認めない訳でもない苦手なのである
敦子はそうしたふわふわしたものをかなり幼い頃に捨ててしまったのだと思う捨
てていないのだとしたら何かつまらないものですっかり糊こ
塗と
してしまったのだろう
だからそう云うものを前面に出して生きている人達と出会うとどうしても距離を置
いてしまうのである女学生はきっとふわふわしている
そう思ったのだ敦子が面倒臭いと感じたのはだから女学生そのものに対して感じた
訳ではないのだそれは女学生と対た
い
峙じ
した時の己に対して感じた面倒臭さなのである
22
でも
それは杞憂に終わった
呉美由紀と云う少女は敦子よりも活発で敦子よりも―
敦子っぽかった
「彼女は何を恐がっていたのかしら」
ならばこの娘に沈んだ顔は似合わないと敦子は勝手に判断した
「迚と
て
も怖いってその辻斬り事件を恐れていたと云うことなの
慥たし
かに犯行現場はどれ
も貴女達の学校の近くばかりだしそれに宿舎は学校の敷地内にあるんでしょう
な
ら眼と鼻の先でしょう当然それなりに警戒もしていたのでしょうけど」
みんな恐がってはいましたけどと云った後美由紀は小首を傾か
し
げた
「でもどうなんだろう」
「それは」
「本気かどうか判らないですねみんな学校の外の出来ごとは中とは関係ないと半分
くらい思っていて―
恐ろしいわ怖いわと口では云うんですけど何だか実感はなかった
みたいに思うんですお休みの日以外で宿舎から出ることは殆どないですし自分の身に
災難が降りかかることがあるなんて考えている人はあんまりいなかったんじゃないかと
思います怖いと云っても他人ごとなんです鼠を咥く
わ
えた猫を見ても怖い怖い云うんです
からそれと同じじゃないかと思う」
23 鬼
「片倉さんは違ったのね」
「ええその辻斬りの話をしていた時にそう呟いていたのでまるで関係がないとは思
えませんけども犯人が怖いとか人殺しが怖いとか―
そう云うことではなかったと思
うんです」
「では何が恐かったのかしら」
「その祟た
た
りとか呪いとかその手のものだと思うんですけど」
「祟り」
どうも話が見えない
美由紀は混乱してはいない本人も云っていたが順序立てて論理的に話す努力もして
いるようだそれ以前にこの娘は聡明なのだだから話が見えないのはそもそも見え難に
く
い話だからなのだろう自己申告の通り語彙が少ないのか美由紀自身見聞きしたことの
整理がついていないのだろう
「もう少し細かく話してくれる
執しつこ拗いと思うかもしれないけど片倉さんの辻斬り事
件に対する反応は他の生徒達とは少し違っていた―
と云うことでいい」
はいと美由紀は答える
「それで貴あ
なた女の見る限り彼女は明らかに何かを恐れていた―
これもいい」
「そうですハル子さんは恐がっていました」
24
「それは残酷な凶行が身近で起きていることに対する恐怖でも殺人と云う行為自体に
対する恐怖でも犯人に対する恐怖でも―
ないのね」
「ええハル子さんは他の娘こ
と違って人殺し自体を恐がったりするタイプではなかった
と思います私が話した去年の事件の話だって普通に聞いてくれましたいいえ寧ろ
あれこれ尋き返されて必要以上に詳しく話しちゃったくらいです他の娘は人殺しと聞
いただけで耳を塞いで怖いからやめてと云う感じだったけど―
」
「自分が被害者になるかもしれないと云う恐がり方でもないの」
「それは何とも云えません」
明瞭だ
この少女は判ることは判る判らないことは判らないときちんと峻別し正しく伝
えようとしている
「でその祟りと云うのは何処から出て来たのかな」
「はいハル子さんは自分は善くない生れ
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なんだと何度も云っていたんです」
「善くない生れ」
旧きゅう
弊へい
的な身分のことかそれとも迷信俗信の類い―
憑き物筋のようなものだろうか
「それって」
「いいえ差別とかそう云うことじゃないみたいでしたいやそうなのかな」
25 鬼
美由紀は顎に人差指を当てる
「血統がどうとか家柄がどうとか云うのは差別的な事柄ですか」
「そうとも云えると思うただそうでない場合もあるとは思うけどいずれにしても出
自で個人を規定することは場合に拠っては差別的だと思うまだまだ根強いけど私は
感心しない人種や性別も含めての話だけど個人の努力で変えられない属性を評価の基
準にするのは前近代的な考え方だと思う」
はあと美由紀は口を小さく開けた
「私解り難いこと云った」
「いいえ能よ
く解りますただ敦子さん矢っ張りお兄さんの血筋―
あこれがいけ
ないって話ですよね」
敦子は微笑む
「兄妹が似てるって指摘するのは差別とは違うから」
似て―
いるのだろうか
「そうですよねでもそれに近い話みたいなんです近くもないのかなその先祖代
代片倉家の女は殺される定めだとか」
「ああ―
」
「しかも斬り殺される
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13 鬼
「片倉さんです」
「被害者ですね」
「ええ殺された片倉ハル子さん高等部の一年生です」
「貴女は―」
もうすぐ高等部ですと美由紀は云った
「今の学校は中等部の三年で編入したのですぐには中中お友達とか出来なくって前の
学校のこともそれなりに知られていたので―
」
それは理解出来る
同年代の同性ばかりの集団と云うのはそれなりに難儀なものなのだ仲良くするにも
面倒な手続きが必要だったりするし時に陰湿な悶着も起きる違うものではなく似た
ものばかりが集まっているような場合僅かな差異が大きな隔たりと錯覚されてしまうこ
ともあるし逆に均な
ら
されて同質化してしまったりもするどちらにしても普通にはしてい
られない何ごとにも負荷がかかるのだ
美由紀は人殺しの学校から来た子と呼ばれたそうである
美由紀がそれまで在籍していた学校の生徒は殆どが良家の子女で皆学校が閉鎖され
た後もそれなりの学校に移籍し然るべき待遇を受けているらしい彼女達は皆被害者
として扱われているのであるしかし美由紀の場合は少少違っていたようだ
14
美由紀の実家は美由紀の言葉を借りるなら貧乏とまでは云えないが決して裕福では
ない―
のだと云う前の学院に入学する際はかなり無理をしたようである学院の閉鎖
が決定した時美由紀はこれ以上の勉学を諦めたと云う
今の学校への編入が叶ったのは閉鎖された学院の理事長代理が便宜を計ってくれたか
らなのだそうだその人はあくまで個人的な行為とした上で経済的な援助までしてくれ
たらしい敦子の知る限りその人物はかなりの大物である筈なのだがこれも美由紀の
言葉を借りるならその理事長代理と云う人はとびきりの正義漢で極めて善人なのだけれ
ど底抜けに鈍感で頗す
こぶる楽観的な人物―
であるらしい
中中辛辣である
苛いじ
められたりしたのと敦子は尋いた
「さあ無視とか陰口とかそう云うのはそんなに気にならない性た
ち質だし私叩かれ
たら叩き返しちゃう口なのでと云うか殺された友達を悪く云われた時なんかは頭に
来て相手を蹴っ飛ばしちゃって逆に134047られましたそんなだから苛められたと云う実感
はなくて暫し
ばらくの間孤立してはいましたけど―
」
今は結構普通にしてますと美由紀は云った
「半年くらいは誰とも口を利きませんでしたでもハル子さんだけは別で最初から迚と
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親切にしてくれました」
15 鬼
「最初から
学年は一級上よね」
「ええ編入してすぐに声を掛けられたんです」
「そんな風に上級生とは普通に交流があるの」
「あると云えばありますけど―
何と云うんですかそのエスじゃないかとか謂い
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りもしたんですけどそんな訳ないんですエスって上級の人が下級の可愛い子を愛す
るって云うような意味ですよね」
「うーん」
間違ってはいないが美由紀の云う愛するがどの程度の意味なのか諮は
か
り兼ねて敦子は
口籠ってしまった
エス―
シスターの頭文字のS―
である女学生の世界ではかなり古くから使われて
いる隠語で単に好意を持つとか仲が良いとか云うだけに留まらず時に肉体関係を伴
う間柄も指し示す敦子が学生だった頃も使われていたからすっかり定着しているのだ
ろう少女小説の題材に取り上げられそれらが人気を博したことも大きいと思う
ただ現在も同じような意味で使われているのかどうかは判らない
「そうだとしてそうじゃなかったってことなの」
私可愛くないですもんと美由紀はあっけらかんとした口調で云った
「そう―
かな」
16
「そうですよだってどんどん丈が伸びるんですものこの一年でまた伸びました竹馬
女です」
身長は関係あるのと問うとそうですよと云われた
「可愛いというのはやっぱり小さいものに対して適用する言葉ですハル子さん―
片
倉さんは私より背が小さかったんですもの丁度敦子さんくらい」
死んでしまいましたけどと美由紀は云う
途端に話題は血ち
腥なまぐささを帯びる
「前の学校で仲良くしていた娘こ
は絞殺魔に頸く
び
を絞められて死にました仲良くなりかけ
た娘は転落死して私が疑いをかけた人は目潰し魔に殺されました今度は辻斬り―
」
そう
それは昭和の辻斬り事件と呼ばれている
私殆ど死に神ですねと美由紀は自嘲するかのように云った
統計をとった訳ではないから正確なことは判らないけれど身の周りで殺人事件が起き
る確率と云うのはかなり低いものだろうと思う天災や事故などで肉親や知人友人を一度
に多数失うことはあるだろうし悲しみは数値化出来ないから数の問題でもないとは思う
けれどもそうした不幸な奇き
禍か
に遭う可能性とて多くはないし況ま
し
てや複数回体験する確
率と云うのは高くないだろう
17 鬼
「死に神と云うならうちの兄貴の方じゃない貴女は違う」
こんな潑剌とした死に神はいないだろう
そう云うと美由紀は笑ってハル子さんにも云われましたと答えた
「美由紀さんのような元気な死に神なんかいないって死に神がそんなにはきはきしてい
たのじゃあ死ぬ人も死ねないって云われました」
「そうでしょうみんなそう思うのじゃない―
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いや
と云うことは
「美由紀さん片倉さんに前の事件のことを話したの」
色色訊かれたので話しましたと美由紀は答えた
「それは丁寧に詳しく聞いてくださったんです勿論云ってはいけないことは云いま
せんでしたし話したくないことは話しませんでしたけどお話しすることで気持ちに整
理がついたと云うか―
やっと自分の中で事件が終ったと云うか」
それは幾つかの独立した事象が複雑に交錯したそれは難解な事件だったようだ一
応実行犯は捕まったもののそれですっきり終わってしまうような事件ではなかったのだ
と聞いている
「それなのにそのハル子さんが死んでしまいました」
18
昭和の辻斬り事件は出来たばかりの駒こ
ま
澤ざわ
野や
球きゅう
場じょう
周辺で発生している
被害者は七人うち四人は死亡し二名は重傷一人は軽傷であった
報道に拠よ
れば最初の事件が起きたのは昨年の九月
最初の被害者は胸と左二の腕を切られただけで命に別状はなくその時点では単なる通
り魔強盗の類いと考えられていたようだ
その二箇月後二件の傷害事件が起きた一人は左腕をほぼ切断されるという重傷も
う一人は左脇腹を切られ同じく重傷であった目撃証言から犯人は同一人と思われ凶
器も日本刀と断定された警察は金品を目当てとした強盗ではないと判断先に起きた一
件と併せた連続通り魔事件として報道がなされた
更に二箇月後年を跨いだ本年マリリンモンロー来日で世間が沸いていた頃
一月三十日を皮切りに立て続けに三人が殺害された一人目と二人目は病院に搬送さ
れたものの出血多量で死亡三人目は即死に近かったと云う犯行はほぼ一週間置きに行
われいずれも所い
わゆる謂袈け
裟さ
懸が
けに斬られていたそうであるこちらも凶器を含む状況証拠か
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階でなされたものであるどこかの新聞社が見出しに書いたもので他社が倣い三人目
の死亡者が出た段階ではほぼ全社がその呼称を採用していた
19 鬼
そして七日前二月二十七日
美由紀の先輩である片倉ハル子が殺された
昭和の辻斬り最後の被害者である
犯人は逮捕されたのだ
新聞などに拠ればハル子を殺害したのは十九歳の旋盤工宇野憲け
ん
一いち
宇野は犯行現場
で立ち竦す
く
んでいるところを駆け付けた警官に依って現行犯逮捕されている宇野はハル子
殺害の他過去六件全ての犯行を認めまたハル子と交際していたことも告白している
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猶なお
ハル子殺害現場にはハル子の母である片倉勢せ
い
子こ
もいたと云う
報道されたのはそれだけである
何だか釈然としない感じはした
十六歳の女学生が日本刀で斬り殺されたと云うだけで充分センセーショナルではあった
し殺害したのは未成年の交際相手しかも連続殺人鬼だったと云う付録まで付いていた
訳だから当然のように世間は沸いた号外こそ出なかったけれど事件翌日の一面は昭
和の辻斬り逮捕交際相手の女学生を斬殺―
と云う大見出しになった
とは云うもののその後はあまり報道する意味のない憶測記事が幾つか載っただけで
ある
20
ハル子殺しは痴情の縺も
つ
れであり宇野は痴ち
話わ
喧げん
嘩か
の末にそれまで隠していた殺人鬼の本
性を剝む
き出しにしてハル子を斬り殺したのであると云うようなことに―
なっていた
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と思う
まあそうだと云われればそうなのだろうそう云うこともあるかもしれないありそ
うな話ではあるけれども敦子は何だか気に入らなかった
宇野と云う青年が殺人者であったとしても
更に痴情の縺れの結果の犯行であったとしても
痴話喧嘩の末に興奮して犯行に及んだとするならば
何か
みあっていない気がしたしかしそれ以上は考えなかった所し
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は下世話な想像
にしかならないからである
そんな敦子の許に義姉から連絡があったのは一昨日のことだった
美由紀は元来兄か兄の友人の探偵に相談するつもりだったのであるしかし双方共
に不在だったのだ兄とその友人達は旅先で例に因って面倒な事件に巻き込まれているの
だそうであるそちらはそちらで混迷しているようなのだが頼って来たのが他ならぬあ0
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て昭和の辻斬り事件に関わることならば余計に捨ててはおけな
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どことなく釈然としない想いを持っていたくらいだから事件自体には多少なりとも興
味はあったのだ敦子は雑誌記者だ取材は馴れている聞き取りも現場の視察も仕事の
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面倒だと感じたのは相談したいと云っているのが十四歳の少女と聞いたからなのだ
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学生の頃からそうだった
情より理夢より実美しさより機能性少女雑誌より科学雑誌が好きだった空想す
るより推理する方が好きだったそう云う娘だった
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き
易えき
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嫌いなのではない認めない訳でもない苦手なのである
敦子はそうしたふわふわしたものをかなり幼い頃に捨ててしまったのだと思う捨
てていないのだとしたら何かつまらないものですっかり糊こ
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してしまったのだろう
だからそう云うものを前面に出して生きている人達と出会うとどうしても距離を置
いてしまうのである女学生はきっとふわふわしている
そう思ったのだ敦子が面倒臭いと感じたのはだから女学生そのものに対して感じた
訳ではないのだそれは女学生と対た
い
峙じ
した時の己に対して感じた面倒臭さなのである
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でも
それは杞憂に終わった
呉美由紀と云う少女は敦子よりも活発で敦子よりも―
敦子っぽかった
「彼女は何を恐がっていたのかしら」
ならばこの娘に沈んだ顔は似合わないと敦子は勝手に判断した
「迚と
て
も怖いってその辻斬り事件を恐れていたと云うことなの
慥たし
かに犯行現場はどれ
も貴女達の学校の近くばかりだしそれに宿舎は学校の敷地内にあるんでしょう
な
ら眼と鼻の先でしょう当然それなりに警戒もしていたのでしょうけど」
みんな恐がってはいましたけどと云った後美由紀は小首を傾か
し
げた
「でもどうなんだろう」
「それは」
「本気かどうか判らないですねみんな学校の外の出来ごとは中とは関係ないと半分
くらい思っていて―
恐ろしいわ怖いわと口では云うんですけど何だか実感はなかった
みたいに思うんですお休みの日以外で宿舎から出ることは殆どないですし自分の身に
災難が降りかかることがあるなんて考えている人はあんまりいなかったんじゃないかと
思います怖いと云っても他人ごとなんです鼠を咥く
わ
えた猫を見ても怖い怖い云うんです
からそれと同じじゃないかと思う」
23 鬼
「片倉さんは違ったのね」
「ええその辻斬りの話をしていた時にそう呟いていたのでまるで関係がないとは思
えませんけども犯人が怖いとか人殺しが怖いとか―
そう云うことではなかったと思
うんです」
「では何が恐かったのかしら」
「その祟た
た
りとか呪いとかその手のものだと思うんですけど」
「祟り」
どうも話が見えない
美由紀は混乱してはいない本人も云っていたが順序立てて論理的に話す努力もして
いるようだそれ以前にこの娘は聡明なのだだから話が見えないのはそもそも見え難に
く
い話だからなのだろう自己申告の通り語彙が少ないのか美由紀自身見聞きしたことの
整理がついていないのだろう
「もう少し細かく話してくれる
執しつこ拗いと思うかもしれないけど片倉さんの辻斬り事
件に対する反応は他の生徒達とは少し違っていた―
と云うことでいい」
はいと美由紀は答える
「それで貴あ
なた女の見る限り彼女は明らかに何かを恐れていた―
これもいい」
「そうですハル子さんは恐がっていました」
24
「それは残酷な凶行が身近で起きていることに対する恐怖でも殺人と云う行為自体に
対する恐怖でも犯人に対する恐怖でも―
ないのね」
「ええハル子さんは他の娘こ
と違って人殺し自体を恐がったりするタイプではなかった
と思います私が話した去年の事件の話だって普通に聞いてくれましたいいえ寧ろ
あれこれ尋き返されて必要以上に詳しく話しちゃったくらいです他の娘は人殺しと聞
いただけで耳を塞いで怖いからやめてと云う感じだったけど―
」
「自分が被害者になるかもしれないと云う恐がり方でもないの」
「それは何とも云えません」
明瞭だ
この少女は判ることは判る判らないことは判らないときちんと峻別し正しく伝
えようとしている
「でその祟りと云うのは何処から出て来たのかな」
「はいハル子さんは自分は善くない生れ
0
0
0
0
0
0
なんだと何度も云っていたんです」
「善くない生れ」
旧きゅう
弊へい
的な身分のことかそれとも迷信俗信の類い―
憑き物筋のようなものだろうか
「それって」
「いいえ差別とかそう云うことじゃないみたいでしたいやそうなのかな」
25 鬼
美由紀は顎に人差指を当てる
「血統がどうとか家柄がどうとか云うのは差別的な事柄ですか」
「そうとも云えると思うただそうでない場合もあるとは思うけどいずれにしても出
自で個人を規定することは場合に拠っては差別的だと思うまだまだ根強いけど私は
感心しない人種や性別も含めての話だけど個人の努力で変えられない属性を評価の基
準にするのは前近代的な考え方だと思う」
はあと美由紀は口を小さく開けた
「私解り難いこと云った」
「いいえ能よ
く解りますただ敦子さん矢っ張りお兄さんの血筋―
あこれがいけ
ないって話ですよね」
敦子は微笑む
「兄妹が似てるって指摘するのは差別とは違うから」
似て―
いるのだろうか
「そうですよねでもそれに近い話みたいなんです近くもないのかなその先祖代
代片倉家の女は殺される定めだとか」
「ああ―
」
「しかも斬り殺される
0
0
0
0
0
0
んだと云う話でした」
14
美由紀の実家は美由紀の言葉を借りるなら貧乏とまでは云えないが決して裕福では
ない―
のだと云う前の学院に入学する際はかなり無理をしたようである学院の閉鎖
が決定した時美由紀はこれ以上の勉学を諦めたと云う
今の学校への編入が叶ったのは閉鎖された学院の理事長代理が便宜を計ってくれたか
らなのだそうだその人はあくまで個人的な行為とした上で経済的な援助までしてくれ
たらしい敦子の知る限りその人物はかなりの大物である筈なのだがこれも美由紀の
言葉を借りるならその理事長代理と云う人はとびきりの正義漢で極めて善人なのだけれ
ど底抜けに鈍感で頗す
こぶる楽観的な人物―
であるらしい
中中辛辣である
苛いじ
められたりしたのと敦子は尋いた
「さあ無視とか陰口とかそう云うのはそんなに気にならない性た
ち質だし私叩かれ
たら叩き返しちゃう口なのでと云うか殺された友達を悪く云われた時なんかは頭に
来て相手を蹴っ飛ばしちゃって逆に134047られましたそんなだから苛められたと云う実感
はなくて暫し
ばらくの間孤立してはいましたけど―
」
今は結構普通にしてますと美由紀は云った
「半年くらいは誰とも口を利きませんでしたでもハル子さんだけは別で最初から迚と
て
も
親切にしてくれました」
15 鬼
「最初から
学年は一級上よね」
「ええ編入してすぐに声を掛けられたんです」
「そんな風に上級生とは普通に交流があるの」
「あると云えばありますけど―
何と云うんですかそのエスじゃないかとか謂い
われた
りもしたんですけどそんな訳ないんですエスって上級の人が下級の可愛い子を愛す
るって云うような意味ですよね」
「うーん」
間違ってはいないが美由紀の云う愛するがどの程度の意味なのか諮は
か
り兼ねて敦子は
口籠ってしまった
エス―
シスターの頭文字のS―
である女学生の世界ではかなり古くから使われて
いる隠語で単に好意を持つとか仲が良いとか云うだけに留まらず時に肉体関係を伴
う間柄も指し示す敦子が学生だった頃も使われていたからすっかり定着しているのだ
ろう少女小説の題材に取り上げられそれらが人気を博したことも大きいと思う
ただ現在も同じような意味で使われているのかどうかは判らない
「そうだとしてそうじゃなかったってことなの」
私可愛くないですもんと美由紀はあっけらかんとした口調で云った
「そう―
かな」
16
「そうですよだってどんどん丈が伸びるんですものこの一年でまた伸びました竹馬
女です」
身長は関係あるのと問うとそうですよと云われた
「可愛いというのはやっぱり小さいものに対して適用する言葉ですハル子さん―
片
倉さんは私より背が小さかったんですもの丁度敦子さんくらい」
死んでしまいましたけどと美由紀は云う
途端に話題は血ち
腥なまぐささを帯びる
「前の学校で仲良くしていた娘こ
は絞殺魔に頸く
び
を絞められて死にました仲良くなりかけ
た娘は転落死して私が疑いをかけた人は目潰し魔に殺されました今度は辻斬り―
」
そう
それは昭和の辻斬り事件と呼ばれている
私殆ど死に神ですねと美由紀は自嘲するかのように云った
統計をとった訳ではないから正確なことは判らないけれど身の周りで殺人事件が起き
る確率と云うのはかなり低いものだろうと思う天災や事故などで肉親や知人友人を一度
に多数失うことはあるだろうし悲しみは数値化出来ないから数の問題でもないとは思う
けれどもそうした不幸な奇き
禍か
に遭う可能性とて多くはないし況ま
し
てや複数回体験する確
率と云うのは高くないだろう
17 鬼
「死に神と云うならうちの兄貴の方じゃない貴女は違う」
こんな潑剌とした死に神はいないだろう
そう云うと美由紀は笑ってハル子さんにも云われましたと答えた
「美由紀さんのような元気な死に神なんかいないって死に神がそんなにはきはきしてい
たのじゃあ死ぬ人も死ねないって云われました」
「そうでしょうみんなそう思うのじゃない―
」
いや
と云うことは
「美由紀さん片倉さんに前の事件のことを話したの」
色色訊かれたので話しましたと美由紀は答えた
「それは丁寧に詳しく聞いてくださったんです勿論云ってはいけないことは云いま
せんでしたし話したくないことは話しませんでしたけどお話しすることで気持ちに整
理がついたと云うか―
やっと自分の中で事件が終ったと云うか」
それは幾つかの独立した事象が複雑に交錯したそれは難解な事件だったようだ一
応実行犯は捕まったもののそれですっきり終わってしまうような事件ではなかったのだ
と聞いている
「それなのにそのハル子さんが死んでしまいました」
18
昭和の辻斬り事件は出来たばかりの駒こ
ま
澤ざわ
野や
球きゅう
場じょう
周辺で発生している
被害者は七人うち四人は死亡し二名は重傷一人は軽傷であった
報道に拠よ
れば最初の事件が起きたのは昨年の九月
最初の被害者は胸と左二の腕を切られただけで命に別状はなくその時点では単なる通
り魔強盗の類いと考えられていたようだ
その二箇月後二件の傷害事件が起きた一人は左腕をほぼ切断されるという重傷も
う一人は左脇腹を切られ同じく重傷であった目撃証言から犯人は同一人と思われ凶
器も日本刀と断定された警察は金品を目当てとした強盗ではないと判断先に起きた一
件と併せた連続通り魔事件として報道がなされた
更に二箇月後年を跨いだ本年マリリンモンロー来日で世間が沸いていた頃
一月三十日を皮切りに立て続けに三人が殺害された一人目と二人目は病院に搬送さ
れたものの出血多量で死亡三人目は即死に近かったと云う犯行はほぼ一週間置きに行
われいずれも所い
わゆる謂袈け
裟さ
懸が
けに斬られていたそうであるこちらも凶器を含む状況証拠か
ら先行する三件と同一犯の仕業とされた
昭和の辻斬りと云うあまりセンスが良いとは思えない命名は最初の死亡者が出た段
階でなされたものであるどこかの新聞社が見出しに書いたもので他社が倣い三人目
の死亡者が出た段階ではほぼ全社がその呼称を採用していた
19 鬼
そして七日前二月二十七日
美由紀の先輩である片倉ハル子が殺された
昭和の辻斬り最後の被害者である
犯人は逮捕されたのだ
新聞などに拠ればハル子を殺害したのは十九歳の旋盤工宇野憲け
ん
一いち
宇野は犯行現場
で立ち竦す
く
んでいるところを駆け付けた警官に依って現行犯逮捕されている宇野はハル子
殺害の他過去六件全ての犯行を認めまたハル子と交際していたことも告白している
動機等に就いては不明であると云う
猶なお
ハル子殺害現場にはハル子の母である片倉勢せ
い
子こ
もいたと云う
報道されたのはそれだけである
何だか釈然としない感じはした
十六歳の女学生が日本刀で斬り殺されたと云うだけで充分センセーショナルではあった
し殺害したのは未成年の交際相手しかも連続殺人鬼だったと云う付録まで付いていた
訳だから当然のように世間は沸いた号外こそ出なかったけれど事件翌日の一面は昭
和の辻斬り逮捕交際相手の女学生を斬殺―
と云う大見出しになった
とは云うもののその後はあまり報道する意味のない憶測記事が幾つか載っただけで
ある
20
ハル子殺しは痴情の縺も
つ
れであり宇野は痴ち
話わ
喧げん
嘩か
の末にそれまで隠していた殺人鬼の本
性を剝む
き出しにしてハル子を斬り殺したのであると云うようなことに―
なっていた
0
0
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と思う
まあそうだと云われればそうなのだろうそう云うこともあるかもしれないありそ
うな話ではあるけれども敦子は何だか気に入らなかった
宇野と云う青年が殺人者であったとしても
更に痴情の縺れの結果の犯行であったとしても
痴話喧嘩の末に興奮して犯行に及んだとするならば
何か
みあっていない気がしたしかしそれ以上は考えなかった所し
ょ
詮せん
は下世話な想像
にしかならないからである
そんな敦子の許に義姉から連絡があったのは一昨日のことだった
美由紀は元来兄か兄の友人の探偵に相談するつもりだったのであるしかし双方共
に不在だったのだ兄とその友人達は旅先で例に因って面倒な事件に巻き込まれているの
だそうであるそちらはそちらで混迷しているようなのだが頼って来たのが他ならぬあ0
の事件
0
0
0
の関係者であり況ま
し
て昭和の辻斬り事件に関わることならば余計に捨ててはおけな
いと―
代わりに敦子が駆り出されたと云う訳である
面倒臭いなと一瞬敦子は思った
21 鬼
どことなく釈然としない想いを持っていたくらいだから事件自体には多少なりとも興
味はあったのだ敦子は雑誌記者だ取材は馴れている聞き取りも現場の視察も仕事の
うちである
面倒だと感じたのは相談したいと云っているのが十四歳の少女と聞いたからなのだ
敦子は若い娘が苦手なのである
学生の頃からそうだった
情より理夢より実美しさより機能性少女雑誌より科学雑誌が好きだった空想す
るより推理する方が好きだったそう云う娘だった
だから女学生の時分も女同士のふわふわした会話やふわふわした関係には随分と辟へ
き
易えき
したものである
嫌いなのではない認めない訳でもない苦手なのである
敦子はそうしたふわふわしたものをかなり幼い頃に捨ててしまったのだと思う捨
てていないのだとしたら何かつまらないものですっかり糊こ
塗と
してしまったのだろう
だからそう云うものを前面に出して生きている人達と出会うとどうしても距離を置
いてしまうのである女学生はきっとふわふわしている
そう思ったのだ敦子が面倒臭いと感じたのはだから女学生そのものに対して感じた
訳ではないのだそれは女学生と対た
い
峙じ
した時の己に対して感じた面倒臭さなのである
22
でも
それは杞憂に終わった
呉美由紀と云う少女は敦子よりも活発で敦子よりも―
敦子っぽかった
「彼女は何を恐がっていたのかしら」
ならばこの娘に沈んだ顔は似合わないと敦子は勝手に判断した
「迚と
て
も怖いってその辻斬り事件を恐れていたと云うことなの
慥たし
かに犯行現場はどれ
も貴女達の学校の近くばかりだしそれに宿舎は学校の敷地内にあるんでしょう
な
ら眼と鼻の先でしょう当然それなりに警戒もしていたのでしょうけど」
みんな恐がってはいましたけどと云った後美由紀は小首を傾か
し
げた
「でもどうなんだろう」
「それは」
「本気かどうか判らないですねみんな学校の外の出来ごとは中とは関係ないと半分
くらい思っていて―
恐ろしいわ怖いわと口では云うんですけど何だか実感はなかった
みたいに思うんですお休みの日以外で宿舎から出ることは殆どないですし自分の身に
災難が降りかかることがあるなんて考えている人はあんまりいなかったんじゃないかと
思います怖いと云っても他人ごとなんです鼠を咥く
わ
えた猫を見ても怖い怖い云うんです
からそれと同じじゃないかと思う」
23 鬼
「片倉さんは違ったのね」
「ええその辻斬りの話をしていた時にそう呟いていたのでまるで関係がないとは思
えませんけども犯人が怖いとか人殺しが怖いとか―
そう云うことではなかったと思
うんです」
「では何が恐かったのかしら」
「その祟た
た
りとか呪いとかその手のものだと思うんですけど」
「祟り」
どうも話が見えない
美由紀は混乱してはいない本人も云っていたが順序立てて論理的に話す努力もして
いるようだそれ以前にこの娘は聡明なのだだから話が見えないのはそもそも見え難に
く
い話だからなのだろう自己申告の通り語彙が少ないのか美由紀自身見聞きしたことの
整理がついていないのだろう
「もう少し細かく話してくれる
執しつこ拗いと思うかもしれないけど片倉さんの辻斬り事
件に対する反応は他の生徒達とは少し違っていた―
と云うことでいい」
はいと美由紀は答える
「それで貴あ
なた女の見る限り彼女は明らかに何かを恐れていた―
これもいい」
「そうですハル子さんは恐がっていました」
24
「それは残酷な凶行が身近で起きていることに対する恐怖でも殺人と云う行為自体に
対する恐怖でも犯人に対する恐怖でも―
ないのね」
「ええハル子さんは他の娘こ
と違って人殺し自体を恐がったりするタイプではなかった
と思います私が話した去年の事件の話だって普通に聞いてくれましたいいえ寧ろ
あれこれ尋き返されて必要以上に詳しく話しちゃったくらいです他の娘は人殺しと聞
いただけで耳を塞いで怖いからやめてと云う感じだったけど―
」
「自分が被害者になるかもしれないと云う恐がり方でもないの」
「それは何とも云えません」
明瞭だ
この少女は判ることは判る判らないことは判らないときちんと峻別し正しく伝
えようとしている
「でその祟りと云うのは何処から出て来たのかな」
「はいハル子さんは自分は善くない生れ
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なんだと何度も云っていたんです」
「善くない生れ」
旧きゅう
弊へい
的な身分のことかそれとも迷信俗信の類い―
憑き物筋のようなものだろうか
「それって」
「いいえ差別とかそう云うことじゃないみたいでしたいやそうなのかな」
25 鬼
美由紀は顎に人差指を当てる
「血統がどうとか家柄がどうとか云うのは差別的な事柄ですか」
「そうとも云えると思うただそうでない場合もあるとは思うけどいずれにしても出
自で個人を規定することは場合に拠っては差別的だと思うまだまだ根強いけど私は
感心しない人種や性別も含めての話だけど個人の努力で変えられない属性を評価の基
準にするのは前近代的な考え方だと思う」
はあと美由紀は口を小さく開けた
「私解り難いこと云った」
「いいえ能よ
く解りますただ敦子さん矢っ張りお兄さんの血筋―
あこれがいけ
ないって話ですよね」
敦子は微笑む
「兄妹が似てるって指摘するのは差別とは違うから」
似て―
いるのだろうか
「そうですよねでもそれに近い話みたいなんです近くもないのかなその先祖代
代片倉家の女は殺される定めだとか」
「ああ―
」
「しかも斬り殺される
0
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んだと云う話でした」
15 鬼
「最初から
学年は一級上よね」
「ええ編入してすぐに声を掛けられたんです」
「そんな風に上級生とは普通に交流があるの」
「あると云えばありますけど―
何と云うんですかそのエスじゃないかとか謂い
われた
りもしたんですけどそんな訳ないんですエスって上級の人が下級の可愛い子を愛す
るって云うような意味ですよね」
「うーん」
間違ってはいないが美由紀の云う愛するがどの程度の意味なのか諮は
か
り兼ねて敦子は
口籠ってしまった
エス―
シスターの頭文字のS―
である女学生の世界ではかなり古くから使われて
いる隠語で単に好意を持つとか仲が良いとか云うだけに留まらず時に肉体関係を伴
う間柄も指し示す敦子が学生だった頃も使われていたからすっかり定着しているのだ
ろう少女小説の題材に取り上げられそれらが人気を博したことも大きいと思う
ただ現在も同じような意味で使われているのかどうかは判らない
「そうだとしてそうじゃなかったってことなの」
私可愛くないですもんと美由紀はあっけらかんとした口調で云った
「そう―
かな」
16
「そうですよだってどんどん丈が伸びるんですものこの一年でまた伸びました竹馬
女です」
身長は関係あるのと問うとそうですよと云われた
「可愛いというのはやっぱり小さいものに対して適用する言葉ですハル子さん―
片
倉さんは私より背が小さかったんですもの丁度敦子さんくらい」
死んでしまいましたけどと美由紀は云う
途端に話題は血ち
腥なまぐささを帯びる
「前の学校で仲良くしていた娘こ
は絞殺魔に頸く
び
を絞められて死にました仲良くなりかけ
た娘は転落死して私が疑いをかけた人は目潰し魔に殺されました今度は辻斬り―
」
そう
それは昭和の辻斬り事件と呼ばれている
私殆ど死に神ですねと美由紀は自嘲するかのように云った
統計をとった訳ではないから正確なことは判らないけれど身の周りで殺人事件が起き
る確率と云うのはかなり低いものだろうと思う天災や事故などで肉親や知人友人を一度
に多数失うことはあるだろうし悲しみは数値化出来ないから数の問題でもないとは思う
けれどもそうした不幸な奇き
禍か
に遭う可能性とて多くはないし況ま
し
てや複数回体験する確
率と云うのは高くないだろう
17 鬼
「死に神と云うならうちの兄貴の方じゃない貴女は違う」
こんな潑剌とした死に神はいないだろう
そう云うと美由紀は笑ってハル子さんにも云われましたと答えた
「美由紀さんのような元気な死に神なんかいないって死に神がそんなにはきはきしてい
たのじゃあ死ぬ人も死ねないって云われました」
「そうでしょうみんなそう思うのじゃない―
」
いや
と云うことは
「美由紀さん片倉さんに前の事件のことを話したの」
色色訊かれたので話しましたと美由紀は答えた
「それは丁寧に詳しく聞いてくださったんです勿論云ってはいけないことは云いま
せんでしたし話したくないことは話しませんでしたけどお話しすることで気持ちに整
理がついたと云うか―
やっと自分の中で事件が終ったと云うか」
それは幾つかの独立した事象が複雑に交錯したそれは難解な事件だったようだ一
応実行犯は捕まったもののそれですっきり終わってしまうような事件ではなかったのだ
と聞いている
「それなのにそのハル子さんが死んでしまいました」
18
昭和の辻斬り事件は出来たばかりの駒こ
ま
澤ざわ
野や
球きゅう
場じょう
周辺で発生している
被害者は七人うち四人は死亡し二名は重傷一人は軽傷であった
報道に拠よ
れば最初の事件が起きたのは昨年の九月
最初の被害者は胸と左二の腕を切られただけで命に別状はなくその時点では単なる通
り魔強盗の類いと考えられていたようだ
その二箇月後二件の傷害事件が起きた一人は左腕をほぼ切断されるという重傷も
う一人は左脇腹を切られ同じく重傷であった目撃証言から犯人は同一人と思われ凶
器も日本刀と断定された警察は金品を目当てとした強盗ではないと判断先に起きた一
件と併せた連続通り魔事件として報道がなされた
更に二箇月後年を跨いだ本年マリリンモンロー来日で世間が沸いていた頃
一月三十日を皮切りに立て続けに三人が殺害された一人目と二人目は病院に搬送さ
れたものの出血多量で死亡三人目は即死に近かったと云う犯行はほぼ一週間置きに行
われいずれも所い
わゆる謂袈け
裟さ
懸が
けに斬られていたそうであるこちらも凶器を含む状況証拠か
ら先行する三件と同一犯の仕業とされた
昭和の辻斬りと云うあまりセンスが良いとは思えない命名は最初の死亡者が出た段
階でなされたものであるどこかの新聞社が見出しに書いたもので他社が倣い三人目
の死亡者が出た段階ではほぼ全社がその呼称を採用していた
19 鬼
そして七日前二月二十七日
美由紀の先輩である片倉ハル子が殺された
昭和の辻斬り最後の被害者である
犯人は逮捕されたのだ
新聞などに拠ればハル子を殺害したのは十九歳の旋盤工宇野憲け
ん
一いち
宇野は犯行現場
で立ち竦す
く
んでいるところを駆け付けた警官に依って現行犯逮捕されている宇野はハル子
殺害の他過去六件全ての犯行を認めまたハル子と交際していたことも告白している
動機等に就いては不明であると云う
猶なお
ハル子殺害現場にはハル子の母である片倉勢せ
い
子こ
もいたと云う
報道されたのはそれだけである
何だか釈然としない感じはした
十六歳の女学生が日本刀で斬り殺されたと云うだけで充分センセーショナルではあった
し殺害したのは未成年の交際相手しかも連続殺人鬼だったと云う付録まで付いていた
訳だから当然のように世間は沸いた号外こそ出なかったけれど事件翌日の一面は昭
和の辻斬り逮捕交際相手の女学生を斬殺―
と云う大見出しになった
とは云うもののその後はあまり報道する意味のない憶測記事が幾つか載っただけで
ある
20
ハル子殺しは痴情の縺も
つ
れであり宇野は痴ち
話わ
喧げん
嘩か
の末にそれまで隠していた殺人鬼の本
性を剝む
き出しにしてハル子を斬り殺したのであると云うようなことに―
なっていた
0
0
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と思う
まあそうだと云われればそうなのだろうそう云うこともあるかもしれないありそ
うな話ではあるけれども敦子は何だか気に入らなかった
宇野と云う青年が殺人者であったとしても
更に痴情の縺れの結果の犯行であったとしても
痴話喧嘩の末に興奮して犯行に及んだとするならば
何か
みあっていない気がしたしかしそれ以上は考えなかった所し
ょ
詮せん
は下世話な想像
にしかならないからである
そんな敦子の許に義姉から連絡があったのは一昨日のことだった
美由紀は元来兄か兄の友人の探偵に相談するつもりだったのであるしかし双方共
に不在だったのだ兄とその友人達は旅先で例に因って面倒な事件に巻き込まれているの
だそうであるそちらはそちらで混迷しているようなのだが頼って来たのが他ならぬあ0
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の関係者であり況ま
し
て昭和の辻斬り事件に関わることならば余計に捨ててはおけな
いと―
代わりに敦子が駆り出されたと云う訳である
面倒臭いなと一瞬敦子は思った
21 鬼
どことなく釈然としない想いを持っていたくらいだから事件自体には多少なりとも興
味はあったのだ敦子は雑誌記者だ取材は馴れている聞き取りも現場の視察も仕事の
うちである
面倒だと感じたのは相談したいと云っているのが十四歳の少女と聞いたからなのだ
敦子は若い娘が苦手なのである
学生の頃からそうだった
情より理夢より実美しさより機能性少女雑誌より科学雑誌が好きだった空想す
るより推理する方が好きだったそう云う娘だった
だから女学生の時分も女同士のふわふわした会話やふわふわした関係には随分と辟へ
き
易えき
したものである
嫌いなのではない認めない訳でもない苦手なのである
敦子はそうしたふわふわしたものをかなり幼い頃に捨ててしまったのだと思う捨
てていないのだとしたら何かつまらないものですっかり糊こ
塗と
してしまったのだろう
だからそう云うものを前面に出して生きている人達と出会うとどうしても距離を置
いてしまうのである女学生はきっとふわふわしている
そう思ったのだ敦子が面倒臭いと感じたのはだから女学生そのものに対して感じた
訳ではないのだそれは女学生と対た
い
峙じ
した時の己に対して感じた面倒臭さなのである
22
でも
それは杞憂に終わった
呉美由紀と云う少女は敦子よりも活発で敦子よりも―
敦子っぽかった
「彼女は何を恐がっていたのかしら」
ならばこの娘に沈んだ顔は似合わないと敦子は勝手に判断した
「迚と
て
も怖いってその辻斬り事件を恐れていたと云うことなの
慥たし
かに犯行現場はどれ
も貴女達の学校の近くばかりだしそれに宿舎は学校の敷地内にあるんでしょう
な
ら眼と鼻の先でしょう当然それなりに警戒もしていたのでしょうけど」
みんな恐がってはいましたけどと云った後美由紀は小首を傾か
し
げた
「でもどうなんだろう」
「それは」
「本気かどうか判らないですねみんな学校の外の出来ごとは中とは関係ないと半分
くらい思っていて―
恐ろしいわ怖いわと口では云うんですけど何だか実感はなかった
みたいに思うんですお休みの日以外で宿舎から出ることは殆どないですし自分の身に
災難が降りかかることがあるなんて考えている人はあんまりいなかったんじゃないかと
思います怖いと云っても他人ごとなんです鼠を咥く
わ
えた猫を見ても怖い怖い云うんです
からそれと同じじゃないかと思う」
23 鬼
「片倉さんは違ったのね」
「ええその辻斬りの話をしていた時にそう呟いていたのでまるで関係がないとは思
えませんけども犯人が怖いとか人殺しが怖いとか―
そう云うことではなかったと思
うんです」
「では何が恐かったのかしら」
「その祟た
た
りとか呪いとかその手のものだと思うんですけど」
「祟り」
どうも話が見えない
美由紀は混乱してはいない本人も云っていたが順序立てて論理的に話す努力もして
いるようだそれ以前にこの娘は聡明なのだだから話が見えないのはそもそも見え難に
く
い話だからなのだろう自己申告の通り語彙が少ないのか美由紀自身見聞きしたことの
整理がついていないのだろう
「もう少し細かく話してくれる
執しつこ拗いと思うかもしれないけど片倉さんの辻斬り事
件に対する反応は他の生徒達とは少し違っていた―
と云うことでいい」
はいと美由紀は答える
「それで貴あ
なた女の見る限り彼女は明らかに何かを恐れていた―
これもいい」
「そうですハル子さんは恐がっていました」
24
「それは残酷な凶行が身近で起きていることに対する恐怖でも殺人と云う行為自体に
対する恐怖でも犯人に対する恐怖でも―
ないのね」
「ええハル子さんは他の娘こ
と違って人殺し自体を恐がったりするタイプではなかった
と思います私が話した去年の事件の話だって普通に聞いてくれましたいいえ寧ろ
あれこれ尋き返されて必要以上に詳しく話しちゃったくらいです他の娘は人殺しと聞
いただけで耳を塞いで怖いからやめてと云う感じだったけど―
」
「自分が被害者になるかもしれないと云う恐がり方でもないの」
「それは何とも云えません」
明瞭だ
この少女は判ることは判る判らないことは判らないときちんと峻別し正しく伝
えようとしている
「でその祟りと云うのは何処から出て来たのかな」
「はいハル子さんは自分は善くない生れ
0
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なんだと何度も云っていたんです」
「善くない生れ」
旧きゅう
弊へい
的な身分のことかそれとも迷信俗信の類い―
憑き物筋のようなものだろうか
「それって」
「いいえ差別とかそう云うことじゃないみたいでしたいやそうなのかな」
25 鬼
美由紀は顎に人差指を当てる
「血統がどうとか家柄がどうとか云うのは差別的な事柄ですか」
「そうとも云えると思うただそうでない場合もあるとは思うけどいずれにしても出
自で個人を規定することは場合に拠っては差別的だと思うまだまだ根強いけど私は
感心しない人種や性別も含めての話だけど個人の努力で変えられない属性を評価の基
準にするのは前近代的な考え方だと思う」
はあと美由紀は口を小さく開けた
「私解り難いこと云った」
「いいえ能よ
く解りますただ敦子さん矢っ張りお兄さんの血筋―
あこれがいけ
ないって話ですよね」
敦子は微笑む
「兄妹が似てるって指摘するのは差別とは違うから」
似て―
いるのだろうか
「そうですよねでもそれに近い話みたいなんです近くもないのかなその先祖代
代片倉家の女は殺される定めだとか」
「ああ―
」
「しかも斬り殺される
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んだと云う話でした」
16
「そうですよだってどんどん丈が伸びるんですものこの一年でまた伸びました竹馬
女です」
身長は関係あるのと問うとそうですよと云われた
「可愛いというのはやっぱり小さいものに対して適用する言葉ですハル子さん―
片
倉さんは私より背が小さかったんですもの丁度敦子さんくらい」
死んでしまいましたけどと美由紀は云う
途端に話題は血ち
腥なまぐささを帯びる
「前の学校で仲良くしていた娘こ
は絞殺魔に頸く
び
を絞められて死にました仲良くなりかけ
た娘は転落死して私が疑いをかけた人は目潰し魔に殺されました今度は辻斬り―
」
そう
それは昭和の辻斬り事件と呼ばれている
私殆ど死に神ですねと美由紀は自嘲するかのように云った
統計をとった訳ではないから正確なことは判らないけれど身の周りで殺人事件が起き
る確率と云うのはかなり低いものだろうと思う天災や事故などで肉親や知人友人を一度
に多数失うことはあるだろうし悲しみは数値化出来ないから数の問題でもないとは思う
けれどもそうした不幸な奇き
禍か
に遭う可能性とて多くはないし況ま
し
てや複数回体験する確
率と云うのは高くないだろう
17 鬼
「死に神と云うならうちの兄貴の方じゃない貴女は違う」
こんな潑剌とした死に神はいないだろう
そう云うと美由紀は笑ってハル子さんにも云われましたと答えた
「美由紀さんのような元気な死に神なんかいないって死に神がそんなにはきはきしてい
たのじゃあ死ぬ人も死ねないって云われました」
「そうでしょうみんなそう思うのじゃない―
」
いや
と云うことは
「美由紀さん片倉さんに前の事件のことを話したの」
色色訊かれたので話しましたと美由紀は答えた
「それは丁寧に詳しく聞いてくださったんです勿論云ってはいけないことは云いま
せんでしたし話したくないことは話しませんでしたけどお話しすることで気持ちに整
理がついたと云うか―
やっと自分の中で事件が終ったと云うか」
それは幾つかの独立した事象が複雑に交錯したそれは難解な事件だったようだ一
応実行犯は捕まったもののそれですっきり終わってしまうような事件ではなかったのだ
と聞いている
「それなのにそのハル子さんが死んでしまいました」
18
昭和の辻斬り事件は出来たばかりの駒こ
ま
澤ざわ
野や
球きゅう
場じょう
周辺で発生している
被害者は七人うち四人は死亡し二名は重傷一人は軽傷であった
報道に拠よ
れば最初の事件が起きたのは昨年の九月
最初の被害者は胸と左二の腕を切られただけで命に別状はなくその時点では単なる通
り魔強盗の類いと考えられていたようだ
その二箇月後二件の傷害事件が起きた一人は左腕をほぼ切断されるという重傷も
う一人は左脇腹を切られ同じく重傷であった目撃証言から犯人は同一人と思われ凶
器も日本刀と断定された警察は金品を目当てとした強盗ではないと判断先に起きた一
件と併せた連続通り魔事件として報道がなされた
更に二箇月後年を跨いだ本年マリリンモンロー来日で世間が沸いていた頃
一月三十日を皮切りに立て続けに三人が殺害された一人目と二人目は病院に搬送さ
れたものの出血多量で死亡三人目は即死に近かったと云う犯行はほぼ一週間置きに行
われいずれも所い
わゆる謂袈け
裟さ
懸が
けに斬られていたそうであるこちらも凶器を含む状況証拠か
ら先行する三件と同一犯の仕業とされた
昭和の辻斬りと云うあまりセンスが良いとは思えない命名は最初の死亡者が出た段
階でなされたものであるどこかの新聞社が見出しに書いたもので他社が倣い三人目
の死亡者が出た段階ではほぼ全社がその呼称を採用していた
19 鬼
そして七日前二月二十七日
美由紀の先輩である片倉ハル子が殺された
昭和の辻斬り最後の被害者である
犯人は逮捕されたのだ
新聞などに拠ればハル子を殺害したのは十九歳の旋盤工宇野憲け
ん
一いち
宇野は犯行現場
で立ち竦す
く
んでいるところを駆け付けた警官に依って現行犯逮捕されている宇野はハル子
殺害の他過去六件全ての犯行を認めまたハル子と交際していたことも告白している
動機等に就いては不明であると云う
猶なお
ハル子殺害現場にはハル子の母である片倉勢せ
い
子こ
もいたと云う
報道されたのはそれだけである
何だか釈然としない感じはした
十六歳の女学生が日本刀で斬り殺されたと云うだけで充分センセーショナルではあった
し殺害したのは未成年の交際相手しかも連続殺人鬼だったと云う付録まで付いていた
訳だから当然のように世間は沸いた号外こそ出なかったけれど事件翌日の一面は昭
和の辻斬り逮捕交際相手の女学生を斬殺―
と云う大見出しになった
とは云うもののその後はあまり報道する意味のない憶測記事が幾つか載っただけで
ある
20
ハル子殺しは痴情の縺も
つ
れであり宇野は痴ち
話わ
喧げん
嘩か
の末にそれまで隠していた殺人鬼の本
性を剝む
き出しにしてハル子を斬り殺したのであると云うようなことに―
なっていた
0
0
0
0
0
と思う
まあそうだと云われればそうなのだろうそう云うこともあるかもしれないありそ
うな話ではあるけれども敦子は何だか気に入らなかった
宇野と云う青年が殺人者であったとしても
更に痴情の縺れの結果の犯行であったとしても
痴話喧嘩の末に興奮して犯行に及んだとするならば
何か
みあっていない気がしたしかしそれ以上は考えなかった所し
ょ
詮せん
は下世話な想像
にしかならないからである
そんな敦子の許に義姉から連絡があったのは一昨日のことだった
美由紀は元来兄か兄の友人の探偵に相談するつもりだったのであるしかし双方共
に不在だったのだ兄とその友人達は旅先で例に因って面倒な事件に巻き込まれているの
だそうであるそちらはそちらで混迷しているようなのだが頼って来たのが他ならぬあ0
の事件
0
0
0
の関係者であり況ま
し
て昭和の辻斬り事件に関わることならば余計に捨ててはおけな
いと―
代わりに敦子が駆り出されたと云う訳である
面倒臭いなと一瞬敦子は思った
21 鬼
どことなく釈然としない想いを持っていたくらいだから事件自体には多少なりとも興
味はあったのだ敦子は雑誌記者だ取材は馴れている聞き取りも現場の視察も仕事の
うちである
面倒だと感じたのは相談したいと云っているのが十四歳の少女と聞いたからなのだ
敦子は若い娘が苦手なのである
学生の頃からそうだった
情より理夢より実美しさより機能性少女雑誌より科学雑誌が好きだった空想す
るより推理する方が好きだったそう云う娘だった
だから女学生の時分も女同士のふわふわした会話やふわふわした関係には随分と辟へ
き
易えき
したものである
嫌いなのではない認めない訳でもない苦手なのである
敦子はそうしたふわふわしたものをかなり幼い頃に捨ててしまったのだと思う捨
てていないのだとしたら何かつまらないものですっかり糊こ
塗と
してしまったのだろう
だからそう云うものを前面に出して生きている人達と出会うとどうしても距離を置
いてしまうのである女学生はきっとふわふわしている
そう思ったのだ敦子が面倒臭いと感じたのはだから女学生そのものに対して感じた
訳ではないのだそれは女学生と対た
い
峙じ
した時の己に対して感じた面倒臭さなのである
22
でも
それは杞憂に終わった
呉美由紀と云う少女は敦子よりも活発で敦子よりも―
敦子っぽかった
「彼女は何を恐がっていたのかしら」
ならばこの娘に沈んだ顔は似合わないと敦子は勝手に判断した
「迚と
て
も怖いってその辻斬り事件を恐れていたと云うことなの
慥たし
かに犯行現場はどれ
も貴女達の学校の近くばかりだしそれに宿舎は学校の敷地内にあるんでしょう
な
ら眼と鼻の先でしょう当然それなりに警戒もしていたのでしょうけど」
みんな恐がってはいましたけどと云った後美由紀は小首を傾か
し
げた
「でもどうなんだろう」
「それは」
「本気かどうか判らないですねみんな学校の外の出来ごとは中とは関係ないと半分
くらい思っていて―
恐ろしいわ怖いわと口では云うんですけど何だか実感はなかった
みたいに思うんですお休みの日以外で宿舎から出ることは殆どないですし自分の身に
災難が降りかかることがあるなんて考えている人はあんまりいなかったんじゃないかと
思います怖いと云っても他人ごとなんです鼠を咥く
わ
えた猫を見ても怖い怖い云うんです
からそれと同じじゃないかと思う」
23 鬼
「片倉さんは違ったのね」
「ええその辻斬りの話をしていた時にそう呟いていたのでまるで関係がないとは思
えませんけども犯人が怖いとか人殺しが怖いとか―
そう云うことではなかったと思
うんです」
「では何が恐かったのかしら」
「その祟た
た
りとか呪いとかその手のものだと思うんですけど」
「祟り」
どうも話が見えない
美由紀は混乱してはいない本人も云っていたが順序立てて論理的に話す努力もして
いるようだそれ以前にこの娘は聡明なのだだから話が見えないのはそもそも見え難に
く
い話だからなのだろう自己申告の通り語彙が少ないのか美由紀自身見聞きしたことの
整理がついていないのだろう
「もう少し細かく話してくれる
執しつこ拗いと思うかもしれないけど片倉さんの辻斬り事
件に対する反応は他の生徒達とは少し違っていた―
と云うことでいい」
はいと美由紀は答える
「それで貴あ
なた女の見る限り彼女は明らかに何かを恐れていた―
これもいい」
「そうですハル子さんは恐がっていました」
24
「それは残酷な凶行が身近で起きていることに対する恐怖でも殺人と云う行為自体に
対する恐怖でも犯人に対する恐怖でも―
ないのね」
「ええハル子さんは他の娘こ
と違って人殺し自体を恐がったりするタイプではなかった
と思います私が話した去年の事件の話だって普通に聞いてくれましたいいえ寧ろ
あれこれ尋き返されて必要以上に詳しく話しちゃったくらいです他の娘は人殺しと聞
いただけで耳を塞いで怖いからやめてと云う感じだったけど―
」
「自分が被害者になるかもしれないと云う恐がり方でもないの」
「それは何とも云えません」
明瞭だ
この少女は判ることは判る判らないことは判らないときちんと峻別し正しく伝
えようとしている
「でその祟りと云うのは何処から出て来たのかな」
「はいハル子さんは自分は善くない生れ
0
0
0
0
0
0
なんだと何度も云っていたんです」
「善くない生れ」
旧きゅう
弊へい
的な身分のことかそれとも迷信俗信の類い―
憑き物筋のようなものだろうか
「それって」
「いいえ差別とかそう云うことじゃないみたいでしたいやそうなのかな」
25 鬼
美由紀は顎に人差指を当てる
「血統がどうとか家柄がどうとか云うのは差別的な事柄ですか」
「そうとも云えると思うただそうでない場合もあるとは思うけどいずれにしても出
自で個人を規定することは場合に拠っては差別的だと思うまだまだ根強いけど私は
感心しない人種や性別も含めての話だけど個人の努力で変えられない属性を評価の基
準にするのは前近代的な考え方だと思う」
はあと美由紀は口を小さく開けた
「私解り難いこと云った」
「いいえ能よ
く解りますただ敦子さん矢っ張りお兄さんの血筋―
あこれがいけ
ないって話ですよね」
敦子は微笑む
「兄妹が似てるって指摘するのは差別とは違うから」
似て―
いるのだろうか
「そうですよねでもそれに近い話みたいなんです近くもないのかなその先祖代
代片倉家の女は殺される定めだとか」
「ああ―
」
「しかも斬り殺される
0
0
0
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0
んだと云う話でした」
17 鬼
「死に神と云うならうちの兄貴の方じゃない貴女は違う」
こんな潑剌とした死に神はいないだろう
そう云うと美由紀は笑ってハル子さんにも云われましたと答えた
「美由紀さんのような元気な死に神なんかいないって死に神がそんなにはきはきしてい
たのじゃあ死ぬ人も死ねないって云われました」
「そうでしょうみんなそう思うのじゃない―
」
いや
と云うことは
「美由紀さん片倉さんに前の事件のことを話したの」
色色訊かれたので話しましたと美由紀は答えた
「それは丁寧に詳しく聞いてくださったんです勿論云ってはいけないことは云いま
せんでしたし話したくないことは話しませんでしたけどお話しすることで気持ちに整
理がついたと云うか―
やっと自分の中で事件が終ったと云うか」
それは幾つかの独立した事象が複雑に交錯したそれは難解な事件だったようだ一
応実行犯は捕まったもののそれですっきり終わってしまうような事件ではなかったのだ
と聞いている
「それなのにそのハル子さんが死んでしまいました」
18
昭和の辻斬り事件は出来たばかりの駒こ
ま
澤ざわ
野や
球きゅう
場じょう
周辺で発生している
被害者は七人うち四人は死亡し二名は重傷一人は軽傷であった
報道に拠よ
れば最初の事件が起きたのは昨年の九月
最初の被害者は胸と左二の腕を切られただけで命に別状はなくその時点では単なる通
り魔強盗の類いと考えられていたようだ
その二箇月後二件の傷害事件が起きた一人は左腕をほぼ切断されるという重傷も
う一人は左脇腹を切られ同じく重傷であった目撃証言から犯人は同一人と思われ凶
器も日本刀と断定された警察は金品を目当てとした強盗ではないと判断先に起きた一
件と併せた連続通り魔事件として報道がなされた
更に二箇月後年を跨いだ本年マリリンモンロー来日で世間が沸いていた頃
一月三十日を皮切りに立て続けに三人が殺害された一人目と二人目は病院に搬送さ
れたものの出血多量で死亡三人目は即死に近かったと云う犯行はほぼ一週間置きに行
われいずれも所い
わゆる謂袈け
裟さ
懸が
けに斬られていたそうであるこちらも凶器を含む状況証拠か
ら先行する三件と同一犯の仕業とされた
昭和の辻斬りと云うあまりセンスが良いとは思えない命名は最初の死亡者が出た段
階でなされたものであるどこかの新聞社が見出しに書いたもので他社が倣い三人目
の死亡者が出た段階ではほぼ全社がその呼称を採用していた
19 鬼
そして七日前二月二十七日
美由紀の先輩である片倉ハル子が殺された
昭和の辻斬り最後の被害者である
犯人は逮捕されたのだ
新聞などに拠ればハル子を殺害したのは十九歳の旋盤工宇野憲け
ん
一いち
宇野は犯行現場
で立ち竦す
く
んでいるところを駆け付けた警官に依って現行犯逮捕されている宇野はハル子
殺害の他過去六件全ての犯行を認めまたハル子と交際していたことも告白している
動機等に就いては不明であると云う
猶なお
ハル子殺害現場にはハル子の母である片倉勢せ
い
子こ
もいたと云う
報道されたのはそれだけである
何だか釈然としない感じはした
十六歳の女学生が日本刀で斬り殺されたと云うだけで充分センセーショナルではあった
し殺害したのは未成年の交際相手しかも連続殺人鬼だったと云う付録まで付いていた
訳だから当然のように世間は沸いた号外こそ出なかったけれど事件翌日の一面は昭
和の辻斬り逮捕交際相手の女学生を斬殺―
と云う大見出しになった
とは云うもののその後はあまり報道する意味のない憶測記事が幾つか載っただけで
ある
20
ハル子殺しは痴情の縺も
つ
れであり宇野は痴ち
話わ
喧げん
嘩か
の末にそれまで隠していた殺人鬼の本
性を剝む
き出しにしてハル子を斬り殺したのであると云うようなことに―
なっていた
0
0
0
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と思う
まあそうだと云われればそうなのだろうそう云うこともあるかもしれないありそ
うな話ではあるけれども敦子は何だか気に入らなかった
宇野と云う青年が殺人者であったとしても
更に痴情の縺れの結果の犯行であったとしても
痴話喧嘩の末に興奮して犯行に及んだとするならば
何か
みあっていない気がしたしかしそれ以上は考えなかった所し
ょ
詮せん
は下世話な想像
にしかならないからである
そんな敦子の許に義姉から連絡があったのは一昨日のことだった
美由紀は元来兄か兄の友人の探偵に相談するつもりだったのであるしかし双方共
に不在だったのだ兄とその友人達は旅先で例に因って面倒な事件に巻き込まれているの
だそうであるそちらはそちらで混迷しているようなのだが頼って来たのが他ならぬあ0
の事件
0
0
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の関係者であり況ま
し
て昭和の辻斬り事件に関わることならば余計に捨ててはおけな
いと―
代わりに敦子が駆り出されたと云う訳である
面倒臭いなと一瞬敦子は思った
21 鬼
どことなく釈然としない想いを持っていたくらいだから事件自体には多少なりとも興
味はあったのだ敦子は雑誌記者だ取材は馴れている聞き取りも現場の視察も仕事の
うちである
面倒だと感じたのは相談したいと云っているのが十四歳の少女と聞いたからなのだ
敦子は若い娘が苦手なのである
学生の頃からそうだった
情より理夢より実美しさより機能性少女雑誌より科学雑誌が好きだった空想す
るより推理する方が好きだったそう云う娘だった
だから女学生の時分も女同士のふわふわした会話やふわふわした関係には随分と辟へ
き
易えき
したものである
嫌いなのではない認めない訳でもない苦手なのである
敦子はそうしたふわふわしたものをかなり幼い頃に捨ててしまったのだと思う捨
てていないのだとしたら何かつまらないものですっかり糊こ
塗と
してしまったのだろう
だからそう云うものを前面に出して生きている人達と出会うとどうしても距離を置
いてしまうのである女学生はきっとふわふわしている
そう思ったのだ敦子が面倒臭いと感じたのはだから女学生そのものに対して感じた
訳ではないのだそれは女学生と対た
い
峙じ
した時の己に対して感じた面倒臭さなのである
22
でも
それは杞憂に終わった
呉美由紀と云う少女は敦子よりも活発で敦子よりも―
敦子っぽかった
「彼女は何を恐がっていたのかしら」
ならばこの娘に沈んだ顔は似合わないと敦子は勝手に判断した
「迚と
て
も怖いってその辻斬り事件を恐れていたと云うことなの
慥たし
かに犯行現場はどれ
も貴女達の学校の近くばかりだしそれに宿舎は学校の敷地内にあるんでしょう
な
ら眼と鼻の先でしょう当然それなりに警戒もしていたのでしょうけど」
みんな恐がってはいましたけどと云った後美由紀は小首を傾か
し
げた
「でもどうなんだろう」
「それは」
「本気かどうか判らないですねみんな学校の外の出来ごとは中とは関係ないと半分
くらい思っていて―
恐ろしいわ怖いわと口では云うんですけど何だか実感はなかった
みたいに思うんですお休みの日以外で宿舎から出ることは殆どないですし自分の身に
災難が降りかかることがあるなんて考えている人はあんまりいなかったんじゃないかと
思います怖いと云っても他人ごとなんです鼠を咥く
わ
えた猫を見ても怖い怖い云うんです
からそれと同じじゃないかと思う」
23 鬼
「片倉さんは違ったのね」
「ええその辻斬りの話をしていた時にそう呟いていたのでまるで関係がないとは思
えませんけども犯人が怖いとか人殺しが怖いとか―
そう云うことではなかったと思
うんです」
「では何が恐かったのかしら」
「その祟た
た
りとか呪いとかその手のものだと思うんですけど」
「祟り」
どうも話が見えない
美由紀は混乱してはいない本人も云っていたが順序立てて論理的に話す努力もして
いるようだそれ以前にこの娘は聡明なのだだから話が見えないのはそもそも見え難に
く
い話だからなのだろう自己申告の通り語彙が少ないのか美由紀自身見聞きしたことの
整理がついていないのだろう
「もう少し細かく話してくれる
執しつこ拗いと思うかもしれないけど片倉さんの辻斬り事
件に対する反応は他の生徒達とは少し違っていた―
と云うことでいい」
はいと美由紀は答える
「それで貴あ
なた女の見る限り彼女は明らかに何かを恐れていた―
これもいい」
「そうですハル子さんは恐がっていました」
24
「それは残酷な凶行が身近で起きていることに対する恐怖でも殺人と云う行為自体に
対する恐怖でも犯人に対する恐怖でも―
ないのね」
「ええハル子さんは他の娘こ
と違って人殺し自体を恐がったりするタイプではなかった
と思います私が話した去年の事件の話だって普通に聞いてくれましたいいえ寧ろ
あれこれ尋き返されて必要以上に詳しく話しちゃったくらいです他の娘は人殺しと聞
いただけで耳を塞いで怖いからやめてと云う感じだったけど―
」
「自分が被害者になるかもしれないと云う恐がり方でもないの」
「それは何とも云えません」
明瞭だ
この少女は判ることは判る判らないことは判らないときちんと峻別し正しく伝
えようとしている
「でその祟りと云うのは何処から出て来たのかな」
「はいハル子さんは自分は善くない生れ
0
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なんだと何度も云っていたんです」
「善くない生れ」
旧きゅう
弊へい
的な身分のことかそれとも迷信俗信の類い―
憑き物筋のようなものだろうか
「それって」
「いいえ差別とかそう云うことじゃないみたいでしたいやそうなのかな」
25 鬼
美由紀は顎に人差指を当てる
「血統がどうとか家柄がどうとか云うのは差別的な事柄ですか」
「そうとも云えると思うただそうでない場合もあるとは思うけどいずれにしても出
自で個人を規定することは場合に拠っては差別的だと思うまだまだ根強いけど私は
感心しない人種や性別も含めての話だけど個人の努力で変えられない属性を評価の基
準にするのは前近代的な考え方だと思う」
はあと美由紀は口を小さく開けた
「私解り難いこと云った」
「いいえ能よ
く解りますただ敦子さん矢っ張りお兄さんの血筋―
あこれがいけ
ないって話ですよね」
敦子は微笑む
「兄妹が似てるって指摘するのは差別とは違うから」
似て―
いるのだろうか
「そうですよねでもそれに近い話みたいなんです近くもないのかなその先祖代
代片倉家の女は殺される定めだとか」
「ああ―
」
「しかも斬り殺される
0
0
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0
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0
んだと云う話でした」
18
昭和の辻斬り事件は出来たばかりの駒こ
ま
澤ざわ
野や
球きゅう
場じょう
周辺で発生している
被害者は七人うち四人は死亡し二名は重傷一人は軽傷であった
報道に拠よ
れば最初の事件が起きたのは昨年の九月
最初の被害者は胸と左二の腕を切られただけで命に別状はなくその時点では単なる通
り魔強盗の類いと考えられていたようだ
その二箇月後二件の傷害事件が起きた一人は左腕をほぼ切断されるという重傷も
う一人は左脇腹を切られ同じく重傷であった目撃証言から犯人は同一人と思われ凶
器も日本刀と断定された警察は金品を目当てとした強盗ではないと判断先に起きた一
件と併せた連続通り魔事件として報道がなされた
更に二箇月後年を跨いだ本年マリリンモンロー来日で世間が沸いていた頃
一月三十日を皮切りに立て続けに三人が殺害された一人目と二人目は病院に搬送さ
れたものの出血多量で死亡三人目は即死に近かったと云う犯行はほぼ一週間置きに行
われいずれも所い
わゆる謂袈け
裟さ
懸が
けに斬られていたそうであるこちらも凶器を含む状況証拠か
ら先行する三件と同一犯の仕業とされた
昭和の辻斬りと云うあまりセンスが良いとは思えない命名は最初の死亡者が出た段
階でなされたものであるどこかの新聞社が見出しに書いたもので他社が倣い三人目
の死亡者が出た段階ではほぼ全社がその呼称を採用していた
19 鬼
そして七日前二月二十七日
美由紀の先輩である片倉ハル子が殺された
昭和の辻斬り最後の被害者である
犯人は逮捕されたのだ
新聞などに拠ればハル子を殺害したのは十九歳の旋盤工宇野憲け
ん
一いち
宇野は犯行現場
で立ち竦す
く
んでいるところを駆け付けた警官に依って現行犯逮捕されている宇野はハル子
殺害の他過去六件全ての犯行を認めまたハル子と交際していたことも告白している
動機等に就いては不明であると云う
猶なお
ハル子殺害現場にはハル子の母である片倉勢せ
い
子こ
もいたと云う
報道されたのはそれだけである
何だか釈然としない感じはした
十六歳の女学生が日本刀で斬り殺されたと云うだけで充分センセーショナルではあった
し殺害したのは未成年の交際相手しかも連続殺人鬼だったと云う付録まで付いていた
訳だから当然のように世間は沸いた号外こそ出なかったけれど事件翌日の一面は昭
和の辻斬り逮捕交際相手の女学生を斬殺―
と云う大見出しになった
とは云うもののその後はあまり報道する意味のない憶測記事が幾つか載っただけで
ある
20
ハル子殺しは痴情の縺も
つ
れであり宇野は痴ち
話わ
喧げん
嘩か
の末にそれまで隠していた殺人鬼の本
性を剝む
き出しにしてハル子を斬り殺したのであると云うようなことに―
なっていた
0
0
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と思う
まあそうだと云われればそうなのだろうそう云うこともあるかもしれないありそ
うな話ではあるけれども敦子は何だか気に入らなかった
宇野と云う青年が殺人者であったとしても
更に痴情の縺れの結果の犯行であったとしても
痴話喧嘩の末に興奮して犯行に及んだとするならば
何か
みあっていない気がしたしかしそれ以上は考えなかった所し
ょ
詮せん
は下世話な想像
にしかならないからである
そんな敦子の許に義姉から連絡があったのは一昨日のことだった
美由紀は元来兄か兄の友人の探偵に相談するつもりだったのであるしかし双方共
に不在だったのだ兄とその友人達は旅先で例に因って面倒な事件に巻き込まれているの
だそうであるそちらはそちらで混迷しているようなのだが頼って来たのが他ならぬあ0
の事件
0
0
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の関係者であり況ま
し
て昭和の辻斬り事件に関わることならば余計に捨ててはおけな
いと―
代わりに敦子が駆り出されたと云う訳である
面倒臭いなと一瞬敦子は思った
21 鬼
どことなく釈然としない想いを持っていたくらいだから事件自体には多少なりとも興
味はあったのだ敦子は雑誌記者だ取材は馴れている聞き取りも現場の視察も仕事の
うちである
面倒だと感じたのは相談したいと云っているのが十四歳の少女と聞いたからなのだ
敦子は若い娘が苦手なのである
学生の頃からそうだった
情より理夢より実美しさより機能性少女雑誌より科学雑誌が好きだった空想す
るより推理する方が好きだったそう云う娘だった
だから女学生の時分も女同士のふわふわした会話やふわふわした関係には随分と辟へ
き
易えき
したものである
嫌いなのではない認めない訳でもない苦手なのである
敦子はそうしたふわふわしたものをかなり幼い頃に捨ててしまったのだと思う捨
てていないのだとしたら何かつまらないものですっかり糊こ
塗と
してしまったのだろう
だからそう云うものを前面に出して生きている人達と出会うとどうしても距離を置
いてしまうのである女学生はきっとふわふわしている
そう思ったのだ敦子が面倒臭いと感じたのはだから女学生そのものに対して感じた
訳ではないのだそれは女学生と対た
い
峙じ
した時の己に対して感じた面倒臭さなのである
22
でも
それは杞憂に終わった
呉美由紀と云う少女は敦子よりも活発で敦子よりも―
敦子っぽかった
「彼女は何を恐がっていたのかしら」
ならばこの娘に沈んだ顔は似合わないと敦子は勝手に判断した
「迚と
て
も怖いってその辻斬り事件を恐れていたと云うことなの
慥たし
かに犯行現場はどれ
も貴女達の学校の近くばかりだしそれに宿舎は学校の敷地内にあるんでしょう
な
ら眼と鼻の先でしょう当然それなりに警戒もしていたのでしょうけど」
みんな恐がってはいましたけどと云った後美由紀は小首を傾か
し
げた
「でもどうなんだろう」
「それは」
「本気かどうか判らないですねみんな学校の外の出来ごとは中とは関係ないと半分
くらい思っていて―
恐ろしいわ怖いわと口では云うんですけど何だか実感はなかった
みたいに思うんですお休みの日以外で宿舎から出ることは殆どないですし自分の身に
災難が降りかかることがあるなんて考えている人はあんまりいなかったんじゃないかと
思います怖いと云っても他人ごとなんです鼠を咥く
わ
えた猫を見ても怖い怖い云うんです
からそれと同じじゃないかと思う」
23 鬼
「片倉さんは違ったのね」
「ええその辻斬りの話をしていた時にそう呟いていたのでまるで関係がないとは思
えませんけども犯人が怖いとか人殺しが怖いとか―
そう云うことではなかったと思
うんです」
「では何が恐かったのかしら」
「その祟た
た
りとか呪いとかその手のものだと思うんですけど」
「祟り」
どうも話が見えない
美由紀は混乱してはいない本人も云っていたが順序立てて論理的に話す努力もして
いるようだそれ以前にこの娘は聡明なのだだから話が見えないのはそもそも見え難に
く
い話だからなのだろう自己申告の通り語彙が少ないのか美由紀自身見聞きしたことの
整理がついていないのだろう
「もう少し細かく話してくれる
執しつこ拗いと思うかもしれないけど片倉さんの辻斬り事
件に対する反応は他の生徒達とは少し違っていた―
と云うことでいい」
はいと美由紀は答える
「それで貴あ
なた女の見る限り彼女は明らかに何かを恐れていた―
これもいい」
「そうですハル子さんは恐がっていました」
24
「それは残酷な凶行が身近で起きていることに対する恐怖でも殺人と云う行為自体に
対する恐怖でも犯人に対する恐怖でも―
ないのね」
「ええハル子さんは他の娘こ
と違って人殺し自体を恐がったりするタイプではなかった
と思います私が話した去年の事件の話だって普通に聞いてくれましたいいえ寧ろ
あれこれ尋き返されて必要以上に詳しく話しちゃったくらいです他の娘は人殺しと聞
いただけで耳を塞いで怖いからやめてと云う感じだったけど―
」
「自分が被害者になるかもしれないと云う恐がり方でもないの」
「それは何とも云えません」
明瞭だ
この少女は判ることは判る判らないことは判らないときちんと峻別し正しく伝
えようとしている
「でその祟りと云うのは何処から出て来たのかな」
「はいハル子さんは自分は善くない生れ
0
0
0
0
0
0
なんだと何度も云っていたんです」
「善くない生れ」
旧きゅう
弊へい
的な身分のことかそれとも迷信俗信の類い―
憑き物筋のようなものだろうか
「それって」
「いいえ差別とかそう云うことじゃないみたいでしたいやそうなのかな」
25 鬼
美由紀は顎に人差指を当てる
「血統がどうとか家柄がどうとか云うのは差別的な事柄ですか」
「そうとも云えると思うただそうでない場合もあるとは思うけどいずれにしても出
自で個人を規定することは場合に拠っては差別的だと思うまだまだ根強いけど私は
感心しない人種や性別も含めての話だけど個人の努力で変えられない属性を評価の基
準にするのは前近代的な考え方だと思う」
はあと美由紀は口を小さく開けた
「私解り難いこと云った」
「いいえ能よ
く解りますただ敦子さん矢っ張りお兄さんの血筋―
あこれがいけ
ないって話ですよね」
敦子は微笑む
「兄妹が似てるって指摘するのは差別とは違うから」
似て―
いるのだろうか
「そうですよねでもそれに近い話みたいなんです近くもないのかなその先祖代
代片倉家の女は殺される定めだとか」
「ああ―
」
「しかも斬り殺される
0
0
0
0
0
0
んだと云う話でした」
19 鬼
そして七日前二月二十七日
美由紀の先輩である片倉ハル子が殺された
昭和の辻斬り最後の被害者である
犯人は逮捕されたのだ
新聞などに拠ればハル子を殺害したのは十九歳の旋盤工宇野憲け
ん
一いち
宇野は犯行現場
で立ち竦す
く
んでいるところを駆け付けた警官に依って現行犯逮捕されている宇野はハル子
殺害の他過去六件全ての犯行を認めまたハル子と交際していたことも告白している
動機等に就いては不明であると云う
猶なお
ハル子殺害現場にはハル子の母である片倉勢せ
い
子こ
もいたと云う
報道されたのはそれだけである
何だか釈然としない感じはした
十六歳の女学生が日本刀で斬り殺されたと云うだけで充分センセーショナルではあった
し殺害したのは未成年の交際相手しかも連続殺人鬼だったと云う付録まで付いていた
訳だから当然のように世間は沸いた号外こそ出なかったけれど事件翌日の一面は昭
和の辻斬り逮捕交際相手の女学生を斬殺―
と云う大見出しになった
とは云うもののその後はあまり報道する意味のない憶測記事が幾つか載っただけで
ある
20
ハル子殺しは痴情の縺も
つ
れであり宇野は痴ち
話わ
喧げん
嘩か
の末にそれまで隠していた殺人鬼の本
性を剝む
き出しにしてハル子を斬り殺したのであると云うようなことに―
なっていた
0
0
0
0
0
と思う
まあそうだと云われればそうなのだろうそう云うこともあるかもしれないありそ
うな話ではあるけれども敦子は何だか気に入らなかった
宇野と云う青年が殺人者であったとしても
更に痴情の縺れの結果の犯行であったとしても
痴話喧嘩の末に興奮して犯行に及んだとするならば
何か
みあっていない気がしたしかしそれ以上は考えなかった所し
ょ
詮せん
は下世話な想像
にしかならないからである
そんな敦子の許に義姉から連絡があったのは一昨日のことだった
美由紀は元来兄か兄の友人の探偵に相談するつもりだったのであるしかし双方共
に不在だったのだ兄とその友人達は旅先で例に因って面倒な事件に巻き込まれているの
だそうであるそちらはそちらで混迷しているようなのだが頼って来たのが他ならぬあ0
の事件
0
0
0
の関係者であり況ま
し
て昭和の辻斬り事件に関わることならば余計に捨ててはおけな
いと―
代わりに敦子が駆り出されたと云う訳である
面倒臭いなと一瞬敦子は思った
21 鬼
どことなく釈然としない想いを持っていたくらいだから事件自体には多少なりとも興
味はあったのだ敦子は雑誌記者だ取材は馴れている聞き取りも現場の視察も仕事の
うちである
面倒だと感じたのは相談したいと云っているのが十四歳の少女と聞いたからなのだ
敦子は若い娘が苦手なのである
学生の頃からそうだった
情より理夢より実美しさより機能性少女雑誌より科学雑誌が好きだった空想す
るより推理する方が好きだったそう云う娘だった
だから女学生の時分も女同士のふわふわした会話やふわふわした関係には随分と辟へ
き
易えき
したものである
嫌いなのではない認めない訳でもない苦手なのである
敦子はそうしたふわふわしたものをかなり幼い頃に捨ててしまったのだと思う捨
てていないのだとしたら何かつまらないものですっかり糊こ
塗と
してしまったのだろう
だからそう云うものを前面に出して生きている人達と出会うとどうしても距離を置
いてしまうのである女学生はきっとふわふわしている
そう思ったのだ敦子が面倒臭いと感じたのはだから女学生そのものに対して感じた
訳ではないのだそれは女学生と対た
い
峙じ
した時の己に対して感じた面倒臭さなのである
22
でも
それは杞憂に終わった
呉美由紀と云う少女は敦子よりも活発で敦子よりも―
敦子っぽかった
「彼女は何を恐がっていたのかしら」
ならばこの娘に沈んだ顔は似合わないと敦子は勝手に判断した
「迚と
て
も怖いってその辻斬り事件を恐れていたと云うことなの
慥たし
かに犯行現場はどれ
も貴女達の学校の近くばかりだしそれに宿舎は学校の敷地内にあるんでしょう
な
ら眼と鼻の先でしょう当然それなりに警戒もしていたのでしょうけど」
みんな恐がってはいましたけどと云った後美由紀は小首を傾か
し
げた
「でもどうなんだろう」
「それは」
「本気かどうか判らないですねみんな学校の外の出来ごとは中とは関係ないと半分
くらい思っていて―
恐ろしいわ怖いわと口では云うんですけど何だか実感はなかった
みたいに思うんですお休みの日以外で宿舎から出ることは殆どないですし自分の身に
災難が降りかかることがあるなんて考えている人はあんまりいなかったんじゃないかと
思います怖いと云っても他人ごとなんです鼠を咥く
わ
えた猫を見ても怖い怖い云うんです
からそれと同じじゃないかと思う」
23 鬼
「片倉さんは違ったのね」
「ええその辻斬りの話をしていた時にそう呟いていたのでまるで関係がないとは思
えませんけども犯人が怖いとか人殺しが怖いとか―
そう云うことではなかったと思
うんです」
「では何が恐かったのかしら」
「その祟た
た
りとか呪いとかその手のものだと思うんですけど」
「祟り」
どうも話が見えない
美由紀は混乱してはいない本人も云っていたが順序立てて論理的に話す努力もして
いるようだそれ以前にこの娘は聡明なのだだから話が見えないのはそもそも見え難に
く
い話だからなのだろう自己申告の通り語彙が少ないのか美由紀自身見聞きしたことの
整理がついていないのだろう
「もう少し細かく話してくれる
執しつこ拗いと思うかもしれないけど片倉さんの辻斬り事
件に対する反応は他の生徒達とは少し違っていた―
と云うことでいい」
はいと美由紀は答える
「それで貴あ
なた女の見る限り彼女は明らかに何かを恐れていた―
これもいい」
「そうですハル子さんは恐がっていました」
24
「それは残酷な凶行が身近で起きていることに対する恐怖でも殺人と云う行為自体に
対する恐怖でも犯人に対する恐怖でも―
ないのね」
「ええハル子さんは他の娘こ
と違って人殺し自体を恐がったりするタイプではなかった
と思います私が話した去年の事件の話だって普通に聞いてくれましたいいえ寧ろ
あれこれ尋き返されて必要以上に詳しく話しちゃったくらいです他の娘は人殺しと聞
いただけで耳を塞いで怖いからやめてと云う感じだったけど―
」
「自分が被害者になるかもしれないと云う恐がり方でもないの」
「それは何とも云えません」
明瞭だ
この少女は判ることは判る判らないことは判らないときちんと峻別し正しく伝
えようとしている
「でその祟りと云うのは何処から出て来たのかな」
「はいハル子さんは自分は善くない生れ
0
0
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なんだと何度も云っていたんです」
「善くない生れ」
旧きゅう
弊へい
的な身分のことかそれとも迷信俗信の類い―
憑き物筋のようなものだろうか
「それって」
「いいえ差別とかそう云うことじゃないみたいでしたいやそうなのかな」
25 鬼
美由紀は顎に人差指を当てる
「血統がどうとか家柄がどうとか云うのは差別的な事柄ですか」
「そうとも云えると思うただそうでない場合もあるとは思うけどいずれにしても出
自で個人を規定することは場合に拠っては差別的だと思うまだまだ根強いけど私は
感心しない人種や性別も含めての話だけど個人の努力で変えられない属性を評価の基
準にするのは前近代的な考え方だと思う」
はあと美由紀は口を小さく開けた
「私解り難いこと云った」
「いいえ能よ
く解りますただ敦子さん矢っ張りお兄さんの血筋―
あこれがいけ
ないって話ですよね」
敦子は微笑む
「兄妹が似てるって指摘するのは差別とは違うから」
似て―
いるのだろうか
「そうですよねでもそれに近い話みたいなんです近くもないのかなその先祖代
代片倉家の女は殺される定めだとか」
「ああ―
」
「しかも斬り殺される
0
0
0
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0
んだと云う話でした」
20
ハル子殺しは痴情の縺も
つ
れであり宇野は痴ち
話わ
喧げん
嘩か
の末にそれまで隠していた殺人鬼の本
性を剝む
き出しにしてハル子を斬り殺したのであると云うようなことに―
なっていた
0
0
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と思う
まあそうだと云われればそうなのだろうそう云うこともあるかもしれないありそ
うな話ではあるけれども敦子は何だか気に入らなかった
宇野と云う青年が殺人者であったとしても
更に痴情の縺れの結果の犯行であったとしても
痴話喧嘩の末に興奮して犯行に及んだとするならば
何か
みあっていない気がしたしかしそれ以上は考えなかった所し
ょ
詮せん
は下世話な想像
にしかならないからである
そんな敦子の許に義姉から連絡があったのは一昨日のことだった
美由紀は元来兄か兄の友人の探偵に相談するつもりだったのであるしかし双方共
に不在だったのだ兄とその友人達は旅先で例に因って面倒な事件に巻き込まれているの
だそうであるそちらはそちらで混迷しているようなのだが頼って来たのが他ならぬあ0
の事件
0
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の関係者であり況ま
し
て昭和の辻斬り事件に関わることならば余計に捨ててはおけな
いと―
代わりに敦子が駆り出されたと云う訳である
面倒臭いなと一瞬敦子は思った
21 鬼
どことなく釈然としない想いを持っていたくらいだから事件自体には多少なりとも興
味はあったのだ敦子は雑誌記者だ取材は馴れている聞き取りも現場の視察も仕事の
うちである
面倒だと感じたのは相談したいと云っているのが十四歳の少女と聞いたからなのだ
敦子は若い娘が苦手なのである
学生の頃からそうだった
情より理夢より実美しさより機能性少女雑誌より科学雑誌が好きだった空想す
るより推理する方が好きだったそう云う娘だった
だから女学生の時分も女同士のふわふわした会話やふわふわした関係には随分と辟へ
き
易えき
したものである
嫌いなのではない認めない訳でもない苦手なのである
敦子はそうしたふわふわしたものをかなり幼い頃に捨ててしまったのだと思う捨
てていないのだとしたら何かつまらないものですっかり糊こ
塗と
してしまったのだろう
だからそう云うものを前面に出して生きている人達と出会うとどうしても距離を置
いてしまうのである女学生はきっとふわふわしている
そう思ったのだ敦子が面倒臭いと感じたのはだから女学生そのものに対して感じた
訳ではないのだそれは女学生と対た
い
峙じ
した時の己に対して感じた面倒臭さなのである
22
でも
それは杞憂に終わった
呉美由紀と云う少女は敦子よりも活発で敦子よりも―
敦子っぽかった
「彼女は何を恐がっていたのかしら」
ならばこの娘に沈んだ顔は似合わないと敦子は勝手に判断した
「迚と
て
も怖いってその辻斬り事件を恐れていたと云うことなの
慥たし
かに犯行現場はどれ
も貴女達の学校の近くばかりだしそれに宿舎は学校の敷地内にあるんでしょう
な
ら眼と鼻の先でしょう当然それなりに警戒もしていたのでしょうけど」
みんな恐がってはいましたけどと云った後美由紀は小首を傾か
し
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「でもどうなんだろう」
「それは」
「本気かどうか判らないですねみんな学校の外の出来ごとは中とは関係ないと半分
くらい思っていて―
恐ろしいわ怖いわと口では云うんですけど何だか実感はなかった
みたいに思うんですお休みの日以外で宿舎から出ることは殆どないですし自分の身に
災難が降りかかることがあるなんて考えている人はあんまりいなかったんじゃないかと
思います怖いと云っても他人ごとなんです鼠を咥く
わ
えた猫を見ても怖い怖い云うんです
からそれと同じじゃないかと思う」
23 鬼
「片倉さんは違ったのね」
「ええその辻斬りの話をしていた時にそう呟いていたのでまるで関係がないとは思
えませんけども犯人が怖いとか人殺しが怖いとか―
そう云うことではなかったと思
うんです」
「では何が恐かったのかしら」
「その祟た
た
りとか呪いとかその手のものだと思うんですけど」
「祟り」
どうも話が見えない
美由紀は混乱してはいない本人も云っていたが順序立てて論理的に話す努力もして
いるようだそれ以前にこの娘は聡明なのだだから話が見えないのはそもそも見え難に
く
い話だからなのだろう自己申告の通り語彙が少ないのか美由紀自身見聞きしたことの
整理がついていないのだろう
「もう少し細かく話してくれる
執しつこ拗いと思うかもしれないけど片倉さんの辻斬り事
件に対する反応は他の生徒達とは少し違っていた―
と云うことでいい」
はいと美由紀は答える
「それで貴あ
なた女の見る限り彼女は明らかに何かを恐れていた―
これもいい」
「そうですハル子さんは恐がっていました」
24
「それは残酷な凶行が身近で起きていることに対する恐怖でも殺人と云う行為自体に
対する恐怖でも犯人に対する恐怖でも―
ないのね」
「ええハル子さんは他の娘こ
と違って人殺し自体を恐がったりするタイプではなかった
と思います私が話した去年の事件の話だって普通に聞いてくれましたいいえ寧ろ
あれこれ尋き返されて必要以上に詳しく話しちゃったくらいです他の娘は人殺しと聞
いただけで耳を塞いで怖いからやめてと云う感じだったけど―
」
「自分が被害者になるかもしれないと云う恐がり方でもないの」
「それは何とも云えません」
明瞭だ
この少女は判ることは判る判らないことは判らないときちんと峻別し正しく伝
えようとしている
「でその祟りと云うのは何処から出て来たのかな」
「はいハル子さんは自分は善くない生れ
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なんだと何度も云っていたんです」
「善くない生れ」
旧きゅう
弊へい
的な身分のことかそれとも迷信俗信の類い―
憑き物筋のようなものだろうか
「それって」
「いいえ差別とかそう云うことじゃないみたいでしたいやそうなのかな」
25 鬼
美由紀は顎に人差指を当てる
「血統がどうとか家柄がどうとか云うのは差別的な事柄ですか」
「そうとも云えると思うただそうでない場合もあるとは思うけどいずれにしても出
自で個人を規定することは場合に拠っては差別的だと思うまだまだ根強いけど私は
感心しない人種や性別も含めての話だけど個人の努力で変えられない属性を評価の基
準にするのは前近代的な考え方だと思う」
はあと美由紀は口を小さく開けた
「私解り難いこと云った」
「いいえ能よ
く解りますただ敦子さん矢っ張りお兄さんの血筋―
あこれがいけ
ないって話ですよね」
敦子は微笑む
「兄妹が似てるって指摘するのは差別とは違うから」
似て―
いるのだろうか
「そうですよねでもそれに近い話みたいなんです近くもないのかなその先祖代
代片倉家の女は殺される定めだとか」
「ああ―
」
「しかも斬り殺される
0
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んだと云う話でした」
21 鬼
どことなく釈然としない想いを持っていたくらいだから事件自体には多少なりとも興
味はあったのだ敦子は雑誌記者だ取材は馴れている聞き取りも現場の視察も仕事の
うちである
面倒だと感じたのは相談したいと云っているのが十四歳の少女と聞いたからなのだ
敦子は若い娘が苦手なのである
学生の頃からそうだった
情より理夢より実美しさより機能性少女雑誌より科学雑誌が好きだった空想す
るより推理する方が好きだったそう云う娘だった
だから女学生の時分も女同士のふわふわした会話やふわふわした関係には随分と辟へ
き
易えき
したものである
嫌いなのではない認めない訳でもない苦手なのである
敦子はそうしたふわふわしたものをかなり幼い頃に捨ててしまったのだと思う捨
てていないのだとしたら何かつまらないものですっかり糊こ
塗と
してしまったのだろう
だからそう云うものを前面に出して生きている人達と出会うとどうしても距離を置
いてしまうのである女学生はきっとふわふわしている
そう思ったのだ敦子が面倒臭いと感じたのはだから女学生そのものに対して感じた
訳ではないのだそれは女学生と対た
い
峙じ
した時の己に対して感じた面倒臭さなのである
22
でも
それは杞憂に終わった
呉美由紀と云う少女は敦子よりも活発で敦子よりも―
敦子っぽかった
「彼女は何を恐がっていたのかしら」
ならばこの娘に沈んだ顔は似合わないと敦子は勝手に判断した
「迚と
て
も怖いってその辻斬り事件を恐れていたと云うことなの
慥たし
かに犯行現場はどれ
も貴女達の学校の近くばかりだしそれに宿舎は学校の敷地内にあるんでしょう
な
ら眼と鼻の先でしょう当然それなりに警戒もしていたのでしょうけど」
みんな恐がってはいましたけどと云った後美由紀は小首を傾か
し
げた
「でもどうなんだろう」
「それは」
「本気かどうか判らないですねみんな学校の外の出来ごとは中とは関係ないと半分
くらい思っていて―
恐ろしいわ怖いわと口では云うんですけど何だか実感はなかった
みたいに思うんですお休みの日以外で宿舎から出ることは殆どないですし自分の身に
災難が降りかかることがあるなんて考えている人はあんまりいなかったんじゃないかと
思います怖いと云っても他人ごとなんです鼠を咥く
わ
えた猫を見ても怖い怖い云うんです
からそれと同じじゃないかと思う」
23 鬼
「片倉さんは違ったのね」
「ええその辻斬りの話をしていた時にそう呟いていたのでまるで関係がないとは思
えませんけども犯人が怖いとか人殺しが怖いとか―
そう云うことではなかったと思
うんです」
「では何が恐かったのかしら」
「その祟た
た
りとか呪いとかその手のものだと思うんですけど」
「祟り」
どうも話が見えない
美由紀は混乱してはいない本人も云っていたが順序立てて論理的に話す努力もして
いるようだそれ以前にこの娘は聡明なのだだから話が見えないのはそもそも見え難に
く
い話だからなのだろう自己申告の通り語彙が少ないのか美由紀自身見聞きしたことの
整理がついていないのだろう
「もう少し細かく話してくれる
執しつこ拗いと思うかもしれないけど片倉さんの辻斬り事
件に対する反応は他の生徒達とは少し違っていた―
と云うことでいい」
はいと美由紀は答える
「それで貴あ
なた女の見る限り彼女は明らかに何かを恐れていた―
これもいい」
「そうですハル子さんは恐がっていました」
24
「それは残酷な凶行が身近で起きていることに対する恐怖でも殺人と云う行為自体に
対する恐怖でも犯人に対する恐怖でも―
ないのね」
「ええハル子さんは他の娘こ
と違って人殺し自体を恐がったりするタイプではなかった
と思います私が話した去年の事件の話だって普通に聞いてくれましたいいえ寧ろ
あれこれ尋き返されて必要以上に詳しく話しちゃったくらいです他の娘は人殺しと聞
いただけで耳を塞いで怖いからやめてと云う感じだったけど―
」
「自分が被害者になるかもしれないと云う恐がり方でもないの」
「それは何とも云えません」
明瞭だ
この少女は判ることは判る判らないことは判らないときちんと峻別し正しく伝
えようとしている
「でその祟りと云うのは何処から出て来たのかな」
「はいハル子さんは自分は善くない生れ
0
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なんだと何度も云っていたんです」
「善くない生れ」
旧きゅう
弊へい
的な身分のことかそれとも迷信俗信の類い―
憑き物筋のようなものだろうか
「それって」
「いいえ差別とかそう云うことじゃないみたいでしたいやそうなのかな」
25 鬼
美由紀は顎に人差指を当てる
「血統がどうとか家柄がどうとか云うのは差別的な事柄ですか」
「そうとも云えると思うただそうでない場合もあるとは思うけどいずれにしても出
自で個人を規定することは場合に拠っては差別的だと思うまだまだ根強いけど私は
感心しない人種や性別も含めての話だけど個人の努力で変えられない属性を評価の基
準にするのは前近代的な考え方だと思う」
はあと美由紀は口を小さく開けた
「私解り難いこと云った」
「いいえ能よ
く解りますただ敦子さん矢っ張りお兄さんの血筋―
あこれがいけ
ないって話ですよね」
敦子は微笑む
「兄妹が似てるって指摘するのは差別とは違うから」
似て―
いるのだろうか
「そうですよねでもそれに近い話みたいなんです近くもないのかなその先祖代
代片倉家の女は殺される定めだとか」
「ああ―
」
「しかも斬り殺される
0
0
0
0
0
0
んだと云う話でした」
22
でも
それは杞憂に終わった
呉美由紀と云う少女は敦子よりも活発で敦子よりも―
敦子っぽかった
「彼女は何を恐がっていたのかしら」
ならばこの娘に沈んだ顔は似合わないと敦子は勝手に判断した
「迚と
て
も怖いってその辻斬り事件を恐れていたと云うことなの
慥たし
かに犯行現場はどれ
も貴女達の学校の近くばかりだしそれに宿舎は学校の敷地内にあるんでしょう
な
ら眼と鼻の先でしょう当然それなりに警戒もしていたのでしょうけど」
みんな恐がってはいましたけどと云った後美由紀は小首を傾か
し
げた
「でもどうなんだろう」
「それは」
「本気かどうか判らないですねみんな学校の外の出来ごとは中とは関係ないと半分
くらい思っていて―
恐ろしいわ怖いわと口では云うんですけど何だか実感はなかった
みたいに思うんですお休みの日以外で宿舎から出ることは殆どないですし自分の身に
災難が降りかかることがあるなんて考えている人はあんまりいなかったんじゃないかと
思います怖いと云っても他人ごとなんです鼠を咥く
わ
えた猫を見ても怖い怖い云うんです
からそれと同じじゃないかと思う」
23 鬼
「片倉さんは違ったのね」
「ええその辻斬りの話をしていた時にそう呟いていたのでまるで関係がないとは思
えませんけども犯人が怖いとか人殺しが怖いとか―
そう云うことではなかったと思
うんです」
「では何が恐かったのかしら」
「その祟た
た
りとか呪いとかその手のものだと思うんですけど」
「祟り」
どうも話が見えない
美由紀は混乱してはいない本人も云っていたが順序立てて論理的に話す努力もして
いるようだそれ以前にこの娘は聡明なのだだから話が見えないのはそもそも見え難に
く
い話だからなのだろう自己申告の通り語彙が少ないのか美由紀自身見聞きしたことの
整理がついていないのだろう
「もう少し細かく話してくれる
執しつこ拗いと思うかもしれないけど片倉さんの辻斬り事
件に対する反応は他の生徒達とは少し違っていた―
と云うことでいい」
はいと美由紀は答える
「それで貴あ
なた女の見る限り彼女は明らかに何かを恐れていた―
これもいい」
「そうですハル子さんは恐がっていました」
24
「それは残酷な凶行が身近で起きていることに対する恐怖でも殺人と云う行為自体に
対する恐怖でも犯人に対する恐怖でも―
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「ええハル子さんは他の娘こ
と違って人殺し自体を恐がったりするタイプではなかった
と思います私が話した去年の事件の話だって普通に聞いてくれましたいいえ寧ろ
あれこれ尋き返されて必要以上に詳しく話しちゃったくらいです他の娘は人殺しと聞
いただけで耳を塞いで怖いからやめてと云う感じだったけど―
」
「自分が被害者になるかもしれないと云う恐がり方でもないの」
「それは何とも云えません」
明瞭だ
この少女は判ることは判る判らないことは判らないときちんと峻別し正しく伝
えようとしている
「でその祟りと云うのは何処から出て来たのかな」
「はいハル子さんは自分は善くない生れ
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なんだと何度も云っていたんです」
「善くない生れ」
旧きゅう
弊へい
的な身分のことかそれとも迷信俗信の類い―
憑き物筋のようなものだろうか
「それって」
「いいえ差別とかそう云うことじゃないみたいでしたいやそうなのかな」
25 鬼
美由紀は顎に人差指を当てる
「血統がどうとか家柄がどうとか云うのは差別的な事柄ですか」
「そうとも云えると思うただそうでない場合もあるとは思うけどいずれにしても出
自で個人を規定することは場合に拠っては差別的だと思うまだまだ根強いけど私は
感心しない人種や性別も含めての話だけど個人の努力で変えられない属性を評価の基
準にするのは前近代的な考え方だと思う」
はあと美由紀は口を小さく開けた
「私解り難いこと云った」
「いいえ能よ
く解りますただ敦子さん矢っ張りお兄さんの血筋―
あこれがいけ
ないって話ですよね」
敦子は微笑む
「兄妹が似てるって指摘するのは差別とは違うから」
似て―
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「そうですよねでもそれに近い話みたいなんです近くもないのかなその先祖代
代片倉家の女は殺される定めだとか」
「ああ―
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「しかも斬り殺される
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んだと云う話でした」
23 鬼
「片倉さんは違ったのね」
「ええその辻斬りの話をしていた時にそう呟いていたのでまるで関係がないとは思
えませんけども犯人が怖いとか人殺しが怖いとか―
そう云うことではなかったと思
うんです」
「では何が恐かったのかしら」
「その祟た
た
りとか呪いとかその手のものだと思うんですけど」
「祟り」
どうも話が見えない
美由紀は混乱してはいない本人も云っていたが順序立てて論理的に話す努力もして
いるようだそれ以前にこの娘は聡明なのだだから話が見えないのはそもそも見え難に
く
い話だからなのだろう自己申告の通り語彙が少ないのか美由紀自身見聞きしたことの
整理がついていないのだろう
「もう少し細かく話してくれる
執しつこ拗いと思うかもしれないけど片倉さんの辻斬り事
件に対する反応は他の生徒達とは少し違っていた―
と云うことでいい」
はいと美由紀は答える
「それで貴あ
なた女の見る限り彼女は明らかに何かを恐れていた―
これもいい」
「そうですハル子さんは恐がっていました」
24
「それは残酷な凶行が身近で起きていることに対する恐怖でも殺人と云う行為自体に
対する恐怖でも犯人に対する恐怖でも―
ないのね」
「ええハル子さんは他の娘こ
と違って人殺し自体を恐がったりするタイプではなかった
と思います私が話した去年の事件の話だって普通に聞いてくれましたいいえ寧ろ
あれこれ尋き返されて必要以上に詳しく話しちゃったくらいです他の娘は人殺しと聞
いただけで耳を塞いで怖いからやめてと云う感じだったけど―
」
「自分が被害者になるかもしれないと云う恐がり方でもないの」
「それは何とも云えません」
明瞭だ
この少女は判ることは判る判らないことは判らないときちんと峻別し正しく伝
えようとしている
「でその祟りと云うのは何処から出て来たのかな」
「はいハル子さんは自分は善くない生れ
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なんだと何度も云っていたんです」
「善くない生れ」
旧きゅう
弊へい
的な身分のことかそれとも迷信俗信の類い―
憑き物筋のようなものだろうか
「それって」
「いいえ差別とかそう云うことじゃないみたいでしたいやそうなのかな」
25 鬼
美由紀は顎に人差指を当てる
「血統がどうとか家柄がどうとか云うのは差別的な事柄ですか」
「そうとも云えると思うただそうでない場合もあるとは思うけどいずれにしても出
自で個人を規定することは場合に拠っては差別的だと思うまだまだ根強いけど私は
感心しない人種や性別も含めての話だけど個人の努力で変えられない属性を評価の基
準にするのは前近代的な考え方だと思う」
はあと美由紀は口を小さく開けた
「私解り難いこと云った」
「いいえ能よ
く解りますただ敦子さん矢っ張りお兄さんの血筋―
あこれがいけ
ないって話ですよね」
敦子は微笑む
「兄妹が似てるって指摘するのは差別とは違うから」
似て―
いるのだろうか
「そうですよねでもそれに近い話みたいなんです近くもないのかなその先祖代
代片倉家の女は殺される定めだとか」
「ああ―
」
「しかも斬り殺される
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んだと云う話でした」
24
「それは残酷な凶行が身近で起きていることに対する恐怖でも殺人と云う行為自体に
対する恐怖でも犯人に対する恐怖でも―
ないのね」
「ええハル子さんは他の娘こ
と違って人殺し自体を恐がったりするタイプではなかった
と思います私が話した去年の事件の話だって普通に聞いてくれましたいいえ寧ろ
あれこれ尋き返されて必要以上に詳しく話しちゃったくらいです他の娘は人殺しと聞
いただけで耳を塞いで怖いからやめてと云う感じだったけど―
」
「自分が被害者になるかもしれないと云う恐がり方でもないの」
「それは何とも云えません」
明瞭だ
この少女は判ることは判る判らないことは判らないときちんと峻別し正しく伝
えようとしている
「でその祟りと云うのは何処から出て来たのかな」
「はいハル子さんは自分は善くない生れ
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なんだと何度も云っていたんです」
「善くない生れ」
旧きゅう
弊へい
的な身分のことかそれとも迷信俗信の類い―
憑き物筋のようなものだろうか
「それって」
「いいえ差別とかそう云うことじゃないみたいでしたいやそうなのかな」
25 鬼
美由紀は顎に人差指を当てる
「血統がどうとか家柄がどうとか云うのは差別的な事柄ですか」
「そうとも云えると思うただそうでない場合もあるとは思うけどいずれにしても出
自で個人を規定することは場合に拠っては差別的だと思うまだまだ根強いけど私は
感心しない人種や性別も含めての話だけど個人の努力で変えられない属性を評価の基
準にするのは前近代的な考え方だと思う」
はあと美由紀は口を小さく開けた
「私解り難いこと云った」
「いいえ能よ
く解りますただ敦子さん矢っ張りお兄さんの血筋―
あこれがいけ
ないって話ですよね」
敦子は微笑む
「兄妹が似てるって指摘するのは差別とは違うから」
似て―
いるのだろうか
「そうですよねでもそれに近い話みたいなんです近くもないのかなその先祖代
代片倉家の女は殺される定めだとか」
「ああ―
」
「しかも斬り殺される
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んだと云う話でした」
25 鬼
美由紀は顎に人差指を当てる
「血統がどうとか家柄がどうとか云うのは差別的な事柄ですか」
「そうとも云えると思うただそうでない場合もあるとは思うけどいずれにしても出
自で個人を規定することは場合に拠っては差別的だと思うまだまだ根強いけど私は
感心しない人種や性別も含めての話だけど個人の努力で変えられない属性を評価の基
準にするのは前近代的な考え方だと思う」
はあと美由紀は口を小さく開けた
「私解り難いこと云った」
「いいえ能よ
く解りますただ敦子さん矢っ張りお兄さんの血筋―
あこれがいけ
ないって話ですよね」
敦子は微笑む
「兄妹が似てるって指摘するのは差別とは違うから」
似て―
いるのだろうか
「そうですよねでもそれに近い話みたいなんです近くもないのかなその先祖代
代片倉家の女は殺される定めだとか」
「ああ―
」
「しかも斬り殺される
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んだと云う話でした」