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―  ― 221 東北大学大学院教育学研究科研究年報 第63集・第1号(2014年) 本稿は,イタリアで盛んであると言われてきた学校外教育の位置づけが,公教育の枠組みの中で どう変容しているかを EU 統合の影響という観点から検討しようとするものである。そのため, 1985年版「公教育プログラム」と、現行版である2012年版「国のカリキュラム指針」における学校外 教育の位置づけの違いを、内容分析によって検討する。その結果,現行のイタリア公教育の国の指 針においては,学びの形態および学校教育の構想全体に EU との連動がみられ,こうしたなか,学 校外教育が,とりわけ「地域」という枠組みのもと,新たな公教育を支えるために学校から積極的に 要請されていることが明らかになった。イタリア公教育における学校外教育の位置づけは、もはや かつての多元的な学びの自律的な展開,これらが求める学校への民主的な参加という理念にとどま るものではなくなってきているのである。 キーワード:イタリア,公教育,学校外教育,国の指針,EU はじめに ―問題の所在と分析の焦点 近年,国内外で教育における学校と地域連携に関する議論が益々盛んになっている。もとよりイ タリアは学校外における教育機会が豊富であるといわれてきた。1968年,学校による知的営為の独 占状態に対する批判がピークを迎える一方で 1 ,1970年代には教育機会の多元性を擁護する「教育 のポリセントリズム」が興隆する(Giovannini G. 1997)。こうした動きは欧米諸国に広くみられたが, イタリアではとりわけ顕著であったと言われるのである(ibid., p. 396) 2 。こうした学校外教育はイ タリアにおいて,まもなく国の示す正規のカリキュラムに組み込まれていく。嚆矢となったのは, 1974年に委任立法として発効した 5つの大統領令のうち第416号と,国による1985年版の小学校向 け「公教育プログラム」 3 であった。これらに地域の多様な主体による学校運営および学校生活への 民主的な参加が明文化されたことは,あたかも,上記の「教育のポリセントリズム」による権利要求 へと呼応するかのようであった。同法令の制定目的そのものが,学校批判の鎮静化であったとする 解釈も存在するほどである(Ariemma L. 2010, p. 102.)。 今日の状況に目を転じると,現行の2012年版「幼児教育と初等教育のための国のカリキュラム指 イタリア公教育における学校外教育の位置づけの変容 ―1985 年版と 2012 年版国の指針の内容分析から EU の影響に着目して― 髙 橋 春 菜 教育学研究科 博士課程後期

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� 東北大学大学院教育学研究科研究年報 第63集・第1号(2014年)

 本稿は,イタリアで盛んであると言われてきた学校外教育の位置づけが,公教育の枠組みの中で

どう変容しているかを EU 統合の影響という観点から検討しようとするものである。そのため,

1985年版「公教育プログラム」と、現行版である2012年版「国のカリキュラム指針」における学校外

教育の位置づけの違いを、内容分析によって検討する。その結果,現行のイタリア公教育の国の指

針においては,学びの形態および学校教育の構想全体に EU との連動がみられ,こうしたなか,学

校外教育が,とりわけ「地域」という枠組みのもと,新たな公教育を支えるために学校から積極的に

要請されていることが明らかになった。イタリア公教育における学校外教育の位置づけは、もはや

かつての多元的な学びの自律的な展開,これらが求める学校への民主的な参加という理念にとどま

るものではなくなってきているのである。

キーワード:イタリア,公教育,学校外教育,国の指針,EU

はじめに ―問題の所在と分析の焦点 近年,国内外で教育における学校と地域連携に関する議論が益々盛んになっている。もとよりイ

タリアは学校外における教育機会が豊富であるといわれてきた。1968年,学校による知的営為の独

占状態に対する批判がピークを迎える一方で1,1970年代には教育機会の多元性を擁護する「教育

のポリセントリズム」が興隆する(Giovannini G. 1997)。こうした動きは欧米諸国に広くみられたが,

イタリアではとりわけ顕著であったと言われるのである(ibid., p. 396)2。こうした学校外教育はイ

タリアにおいて,まもなく国の示す正規のカリキュラムに組み込まれていく。嚆矢となったのは,

1974年に委任立法として発効した5つの大統領令のうち第416号と,国による1985年版の小学校向

け「公教育プログラム」3であった。これらに地域の多様な主体による学校運営および学校生活への

民主的な参加が明文化されたことは,あたかも,上記の「教育のポリセントリズム」による権利要求

へと呼応するかのようであった。同法令の制定目的そのものが,学校批判の鎮静化であったとする

解釈も存在するほどである(Ariemma L. 2010, p. 102.)。

 今日の状況に目を転じると,現行の2012年版「幼児教育と初等教育のための国のカリキュラム指

イタリア公教育における学校外教育の位置づけの変容―1985年版と2012年版国の指針の内容分析から EU の影響に着目して―

髙 橋 春 菜

教育学研究科 博士課程後期

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イタリア公教育における学校外教育の位置づけの変容

針」4(以下,「国のカリキュラム指針」とする)において,依然として学校外教育は正規のカリキュラ

ムに組み込まれている。ここで問われるのが,その意味するところである。1985年版からおよそ30

年を経てもなお,〈学校の民主的運営〉という理念が一義的に推進されているとみるべきであろうか。

 イタリアにおける国家統一以降の生涯学習社会の歴史像を詳細に検討した佐藤一子の時代区分

(2010, pp. 18-9.)を参照すると,上の二つの指針は,佐藤がイタリア成人教育の発展過程の第二期と

した「成人の発見から成人教育としての政策,実践が社会的に確立されていく段階」である「1970年

代前半をピークとして1960年代後半から1980年代にかけての時期」と,「生涯学習の政策化,EU

統合の国際的なインパクトを受けながら現代的な学習社会を構築する1980年代以降の段階」とをま

たいでいることがわかる。佐藤も指摘するように,イタリアにおける生涯学習社会構築の第三期へ

の移行によって生じたもっとも大きな変化の一つは,EU の影響である。このことを踏まえたとき,

先に言及した1985年版の公教育プログラムと2012年版の「国のカリキュラム指針」との間にも興味

深い変化を見いだすことができる。なによりも一目で気がつくのは,公教育の「一般目的」が,前者

における「学校,家庭,参加」と「民主主義的な共生への教育」から,後者における「学校,憲法,ヨー

ロッパ」と「児童・生徒のプロフィール」(教育された個人像)へとシフトしていることである。

 イタリアの社会教育及び現行の「国のカリキュラム指針」の内容に端的にみられる EU の影響の

もとでは,学校外教育と学校教育の変容や,これに伴う両者の位置づけの変化がみられるはずでは

ないか。もしそうであるとするならば,それはいかなる変化といえるであろうか。この問いは,今日,

学校外教育の立ちゆく基盤を明らかにするうえで避けて通ることのできないものであり,より広く

は EU の動向を左右するグローバル化の影響を量る作業の一環ともなる。しかしながら,EU の影

響を視野に入れつつ,今日の学校教育との関係からイタリアの学校外教育の意味づけを検討した論

考は官見の限り見当たらない5。したがって本論では2つの国の指針―すなわち1985年版および現

行の2012年版と,両指針の制定において踏まえられた過去の法令のうちとりわけ EU の動と関連の

深いものを分析して,上記の課題を紐解くことにしたい。

 本論は以下の構成をとる。まず第2章に,1960年代以降の学校批判から生じた「教育のポリセン

トリズム」言説から1985年版「公教育プログラム」にいたるまでの学校外教育の位置づけを概観する。

続く第3章に,2012年版「国のカリキュラム指針」の制定過程における EU の影響,第4章に,同指針

における学校外教育の位置づけを確認する。最後に第5章で、イタリア公教育における学校外教育

の位置づけに生じた変化を検討する。本論に入る前に,次章において、分析の対象とする二つの公

教育の指針について,若干の留意点を述べておきたい。

1. 分析の対象について―二つの国の指針の特徴と違い 本論で分析の主な対象とする二つの指針は,いずれも国が公教育のあり方について示すもので,

日本の学習指導要領に近い。ただし,いくつか留意すべき点がある。まず1985年版が「公教育プロ

グラム」であるのに対し,2012版が「国のカリキュラム指針」となっていて,名称が異なる。これは,

イタリアで1999年に学校自治が法律(1999.3.8. 大統領令275号)に定められて以降,理論上,国の介

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� 東北大学大学院教育学研究科研究年報 第63集・第1号(2014年)

入が最低限の質保証のための規定などに限定され,国による公教育指針の役割も限定されたためで

ある。ただし,イタリアではもとより「イタリア共和国憲法」の第33条に「教授の自由」が認められ

ていたことも踏まえておく必要がある。したがって,1985年版においても,日本の学習指導要領に

比べて国の指針による教育実践への拘束力は弱かったこと,現場の裁量が大幅に容認されていた点

に注意が必要である。むしろ,近年の学校自治という名目のもとに制定される「国のカリキュラム

指針」において,記述量が増え,教科教育の基準もより細かに定められるといった傾向がみられる。

なお、学校カリキュラムのうち、2割は学校自治にもとづく自由裁量に委ねられるが、残る8割は,

ここに定められた教育項目を扱うこととされている6。

 もうひとつの留意点は,1985年版では小学校を対象としているのに対し,2012年版では幼児学校

及び初等教育課程(かつての小学校・中学校)までを一括りに対象としていることである。後者はし

たがって、指針の対象となる全学校段階に関する総論部分と、各学校段階に関する部分の、大きく

分けて2つの部分から構成される。両指針に挟まれる30年あまりの間に教育課程改革も行われてき

たのであるが,本論では詳細を扱う余裕がない。したがって,主に両指針における原理・原則といっ

た総論部分のみを扱い,各学校段階に関する記述については,特に必要と判断される場合のみ小学

校段階に言及して,比較の便を図る。

 1985年版「公教育プログラム」と2012年版「国のカリキュラム指針」の間には,表1に示すように,

1999年の学校自治の法制化(1999.3.8. 大統領令275号法)を受けて定められた2004年の暫定的な「規

定」(委任立法2004. 2. 19. n. 59)と,これを正規版に整えた2007年版「国のカリキュラム指針」

(2007.7.30. 省令)が制定されている。この2007年版において,現行の2012年版とほぼ同様の枠組み

と内容が盛り込まれた7。

表1 1985年版「公教育プログラム」以降の国による指針の制定過程

1999 学校自治の法制化▼

「公教育プログラム」 暫定的な「規定」 「国のカリキュラム指針」

1985年版 ➡ 2004年 ➡ 2007年版 ➡ 2012年版

▲ ▲ ▲ ▲

「外国語」「科学教育」

「英語」「テクノロジーと情報」

EUリスボン戦略に言及「中退の防止」「数学・科学」

「ヨーロッパ言語」

EU「キーコンピテンシー」

を「一般目的」に

出典)筆者作成。

 1985年版「公教育プログラム」以来の改革となる2004年の暫定的な「規定」から2012年版「国のカ

リキュラム指針」には,グローバル化ないしEUの動向の影響が色濃く見られる。2004年の「規定」は,

当時の OECD 調査などに照らして国際競争力の向上を図るべく,通称モラッティ改革(2003.3.28.

省令53号)のもとに定められた8。小学校で「英語」が必修となり,「テクノロジーと情報」の教科が

加えられている(Schizzerotto, Barone 2006, p. 170)。2007年版には EU の動向が直接に言及される。

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イタリア公教育における学校外教育の位置づけの変容

すなわち,「2000年リスボン戦略の挑戦」に則り,「中退の防止」と「数学・科学の文化を普及させる

こと」(2007.7.30. 省令,前文)が明記され,さらに,小学校段階で「母語に加えて少なくとも2つのヨー

ロッパ言語」が教育項目に追加された。そして2012年版において,「一般目的」に EU の「キーコン

ピテンシー」が明記される。もとより,1985年版においても,「EU の実態と統合の進展をふまえた

国際的な理解と協力の精神にもとづき,社会的コミュニケーションツールを活用しながら,より広

い文化的・社会的現実について省察すること」(p. 2,第1部「民主的共生のための教育」の節),「外

国語の知識へのアプローチを無視できない」(p. 5,第3部「プログラム」の節)などと,国際的な動向

を意識した内容が盛り込まれてはいた(Schizzerotto, Barone op. cit., pp. 169-170)。こうした傾向

が,2004年版の「規定」以降,教育内容に次々と盛り込まれ,さらに2012年版「国のカリキュラム指針」

において「一般目的」に組み込まれることで,指針の枠組みそのものを規定するに至ったと言える。

 本論においてはこれらの点をふまえつつ,1985年版「公教育プログラム」における学校外教育の位

置づけと,2012年版「国のカリキュラム指針」のそれとの違いを検討していくことにする。

2. 学校の民主的運営への参加と学校外教育―1985年版「公教育プログラム」まで1)学校批判と「教育のポリセントリズム」言説

①1970年代の学校批判と「教育のポリセントリズム」言説のおこり

 イタリアにおいて1970年代に生じた学校批判は,イタリア教育社会学者である G. ジョヴァンニー

ニによると,およそ以下のようなものであった。

  ヒエラルキー型の学校制度は,結果的に学校で伝達される知識が知の体系を独占し,異なるタ

イプの学びについて,価値を完全にはく奪するとは言わないまでも副次的な位置づけに追いや

り,教育の専門家でない主体を無責任にし,他の社会的文脈における人間形成的意義を軽視し

ている。この傾向は,とりわけ家庭や労働者のマージナルな生活環境にみるように,学校文化

との接点が稀薄である文脈についてみる場合に著しい。(Giovannini G.1997., p. 395)

 学校型の知は,本来,より広く豊かであるはずの人間形成にかかわる知のすべてを包括するので

ないにもかかわらず,「知の体系を独占」して「他の社会的文脈における人間形成的意義を軽視」す

る風潮を用意した。個人や家庭は,自らの責任で学校型の学びと異なった選択をした場合,社会的

に不利な状況に陥るリスクを負うこととなり,実質的に,学びの選択肢は限定されたのである。さ

らにジョヴァンニーニは,「ヒエラルキー型の学校制度」は「国の管理のもとで労働市場に送り出す

資格の製造工場となった学校が全人的な人間形成を道具的なものに矮小化した」(ibid., pp. 395-6)

と述べる。「工業的な社会」に見合った「厳格な規律を要求する」(ibid., p. 396)環境,「知識を漸進

的に,累積的に,単純なものから複雑なものへと獲得可能であるかのごとくに,分断し,ヒエラルキー

化して配置した」(ibid.)カリキュラム。きわめて合理化された教育の仕組みが学校を支配していた。

「バランスのとれた成長」(ibid.)も,ジョヴァンニーニのいう「全人的な人間形成」(ibid.)というよ

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� 東北大学大学院教育学研究科研究年報 第63集・第1号(2014年)

りもむしろ,効率的な労働のためであり,かえって人間性を疎外する鋳型にほかならなかった。じっ

さいのところ,当時のイタリアの学校は選別的であり,義務教育における落第生や中途退学が後を

絶たなかった(Besozzi E. 2006, pp. 177-181)。この背景には,イタリアにおいて前期中等教育が

1962年まで複線型であったことも無縁ではない11。

 ジョヴァンニーニは,イタリアにおける学校批判は,国際的に広まりをみせていた脱学校論的な

ユートピアのイメージに後押しされながら,1980年代には,国内の社会的通念にあった「教育 = 知

育 = 学校 = 専門教育者と生徒との関係」という等式を崩壊に追いやったと分析している(Giovannini

op.cit., p. 397.)。こうした社会における学校の知的独占への抵抗現象は西欧諸国に広くみられたも

のの,イタリアでとりわけ顕著であったといわれる(ibid., p. 396)。当時のイタリアにおいて,教育

に対する期待の受け皿は,「教育理論の多様性,フレキシビリティ,ヒエラルキーと中央集権制の崩

壊のテーマを巡って生じた現象にもとづいて構築された,教育のポリセントリズムに[…中略…]

取って代わられた」(ibid,. pp. 396-7)のである。本論以下では,当時,こうして学校批判の中から生

じて広まった,学校外における多様な教育機会を称揚する言説,ジョヴァンニーニに倣って「教育

のポリセントリズム」と呼ぶ。

②「教育のポリセントリズム」の意義―学校教育のオルタナティヴとして

 ジョヴァンニーニは,「教育のポリセントリズム」における学校外の教育機会として,次のような

ものを挙げている。職業訓練のための多様な職場,多様な「知的・表現的な領域」における「構造化

された教育プログラム(運動―スポーツ領域が圧倒的に優位)」(ibid., p. 404),より具体的に,演劇,

カンファレンス,芸術領域・科学領域の展示,ミュージアムの教育プログラム(ibid.),幼児期を対

象とする地域の「プレイルーム[ludoteca]」,青年期を対象とする「情報センター[Centri

informativi]」や「青年センター[centri giovanili]」(ibid.)などである。こうした取り組みは学校外

に「教育の場」のみならず「教育対象者」と「対象時期」を拡張したことで,より豊かな知を獲得する

学びの機会を生み出した(ibid., pp. 400-4)。

 担い手についてジョヴァンニーニは,地方自治体が地域の幅広い文化的資源を発掘し価値づけな

がら独自の「地域教育」をコーディネートしていた貢献を高く評価している(ibid., p. 402)。また,

公的アクターのほか,「プリヴァート = ソチャーレ」として括られる,社会的目的をもつ民間および

サードセクターの組織(以下,「プリヴァート = ソチャーレ」とする)の寄与が評価される。つまり,

「世俗的アソシエーション」,「私企業および協同組合」,「文化産業」(ibid., p. 403)などが,「教育に

よる実質的な効果への社会的要請の高まり」(ibid.)に応答し,学校外において教育機会を提供して

いたのである。

 ジョヴァンニーニは,当時の「教育のポリセントリズム」の意義を次のように述べている。「よう

やく教育の領域においても他の社会的政策領域と同様に,公的事象について国家主義的・中央集権

的・ジャコバン的・ナポレオン的な運営のモデルに拠らず,「公」のあり方を改革する文化が現れ,

これが確立されつつある」(ibid., p. 402)。ここに,1968年のピークに象徴され,1980年代にも及ん

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イタリア公教育における学校外教育の位置づけの変容

で繰り広げられた学校批判のなかから生じた,オルタナティヴとしての学校外教育像が存在したこ

とを認めることができる12。

③「教育のポリセントリズム」の課題といくつかの展望

 1970-80年代のイタリアにおける「教育のポリセントリズム」は,その実践において,教育的責任

を負う統一的な拠点を欠きヒエラルキーを欠くがゆえの課題を抱えていることも認識していた。学

校外での教育機会の広がりがかえって「経験と生活領域の断片化」や「知の伝達の雰囲気とスタイル

の非一貫性」を招くリスク,旧来の学校教育にも存在していた阻害や差別や地域格差をさらに拡大

させるリスクが指摘されていたのである(ibid. pp. 408-409)。

 これらの問題に対して,学者たちの見解は分かれていた。ジョヴァンニーニはポリセントリズム

の自律的な展開に価値を認めていたことから,「合理性」と「能率」のみならず「フレキシビリティ」

を擁護するため,あくまで脱中心化された地域政策の展開が重要であると述べている(ibid. p.

409)。一方で,いずれもイタリア教育学界の第一人者である F. フラッボーニや G. ジェノベーズィ

(Frabboni F., Genovesi G. 1990)らは後に,学校を拠点として地域の学びをコーディネートする構

想を展開している。ただしフラッボーニは学校外の主体と学校とを同等に捉えて等辺的な多角形の

イメージにもとづく連携を想定したのに対し,ジェノベーズィは学校を主導的な立場を担う拠点と

して想定した点で相違がみられた(cf. Ariemma op. cit, p. 100)。こうして学校と学校外の関係性

についての議論は1990年代に至るまで盛んに展開してきており,なおいまも続けられている。これ

ら多様な構想は,後の展開を解釈し,今後のあり方を展望するうえで示唆に富んでいる。

2)学校への民主的参加の明文化へ―1963年「学区」議論~ 1974年「教育集団組織」制度の導入まで

 イタリアにおいては1970年代にかけて「教育のポリセントリズム」が興隆したが,一方,公教育行

政の側からも,ほぼ並行して学校の民主的運営の検討が始められていた。1963年に経済・労働国民

会議(Consiglio nazionale dell'economia e del lavoro:以下,CNEL とする。)がまとめた「イタリア

の公教育の実態に関する報告[Relazione sullo stato della Pubblica Istruzione in Italia]」で,「学区

[distretto]」の概念が導入されたことが,その端緒であったといわれる(Ariemma 2010 pp. 103-4)。

但し,この時の CNEL の報告は,「地域の構成,人口密度,交通網の整備状況と結果としての通学時

間」(p. 1000)といった学校生活に影響を及ぼす区画と一般の行政区は必ずしも一致しないことを指

摘し,そのため新たに「学区」を設けるべきとしたにすぎなかった。このときの「学区」制導入によっ

て,まず各地域における学校の合理的な配置が図られたのである。その後,地域の参加による学校

の民主的運営が模索されていく。

 決め手となったのは,1974年の大統領令416号「母親学校,小学校,中学校・高等学校および芸術

学校における教育集団組織[Organi collegiali]の設立と改革」において,「学校運営への参加を実現

するため,サークル,学校,学区,県,国のレベルにおける教育集団組織を以下に定める」(第1条)

とし,各集団組織の構成,運営,参加の内容などが規定されたことである。このとき,学校には「よ

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り広い社会的,市民的コミュニティと相互に関与しあう一つのコミュニティの性格」が与えられた。

ここに,「コミュニティ」という枠組みにもとづく学校と学校外の連携が初めて明文化されたのである。

 なかでも「学区[distretto scolastico]」(以下,括弧を外す。)13について同法は,州の権限において州

をこれに分割し,代表制の学校集団組織を設置して,「学校生活と学校運営への地域コミュニティと社

会の力の総体[forza sociale]による民主的な参加を実現する」(第9条)こととした。「学区は,学校及び

他の教育機関,連結する諸活動の価値づけと発展ないしこれらの実現のために活動し,学習権の十全

な行使,地域コミュニティの文化と市民性の成熟,学校サービス機能の改善を,その目的とする」(同前)

とあるように,学校の発展のみならず,地域の文化・市民性の発展の双方を担うことになっている。

 なお学区レベルの教育集団組織の構成(第11条)は,原則として,3名の学校管理職員代表(a 項),

5名の教員代表(b 項),1名の認可校や過疎地の学校の職員代表(c 項),7名の保護者代表(d 項),3

名の学校組織に所属しない住民代表(e 項),2名の地域在住の自営業者代表(f 項),2名の中等教育

段階の学校の生徒代表(h 項),3名の県職員代表(i 項)に加えて,地域の企業代表1名と,「自治体お

よび,遂行しようとする目的および得られた成果から,学校の発展と改善に寄与すると見込まれる

アソシエーションと文化機関を代表する2名」からなる3名の地域在住の代表(g 項)が含まれる。

 学区レベルの教育集団組織の任務は,教育活動の実施(学校教育活動に準ずる活動,学校外教育

活動,学校間教育活動,民間学校,成人教育ないし生涯学習およびリカレント教育,児童生徒向けの

文化・スポーツ活動,実験的活動など)及び,学校保健及び社会的・精神的・臨床教育学的側面にお

ける支援に携わる(より厳密には年間計画をまとめるよう指示されている。)ほか,「地域的・社会的

に統一された学校単位を構築するため,学校と学校の配置及び価値づけ,学校サービスの企画と発

展に関するすべての事項について」助言を各行政及び教育評議員に行うとされた(第12条)。

3)1985年版「公教育プログラム」のなかの学校外教育

 1970年代の教育集団組織に関する改革を受けて新たに制定された公教育のための国の指針が

1985年版小学校のための「公教育プログラム」であった。前身である1955年版14がカトリック教義

を基盤に据えていたのに対して,1985年版は多方面からの見解をまとめたものとして,イタリア公

教育史上,ターニングポイントとなった指針である15。1981年に招集された当初20名の専門委員会

は後に60名に膨れ上がり,じつに5年の年月をかけて同プログラムを上梓した。それは,学校,行政,

大学からの様々な立場を代表する委員会であったといわれる(Guglietti M. 2014, pp. 1-2)。さて,

1985年版「公教育プログラム」の章立ては,表2のとおりである。

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イタリア公教育における学校外教育の位置づけの変容

表2 1985年版・小学校向け「公教育プログラム」の章立て

一般的な前提

第1部 小学校の性格と目的 ・憲法の記述(第3条・第4条) ・小学校と教育の連続性

小学校の原則と目的 ・学校,家族,参加 ・民主的な共生への教育

第2部 子どもの教育的必要に適切に応じた学校 ・教育的ポテンシャルとしての創造性 ・学びのための教育的環境である学校 ・差異と平等 ・学習困難の児童および障害をもつ子どもの統合

第3部 教育の計画と計画化 (以下省略。原則および各領域の定義,目的,内容,方法の指針など。)

出典)1985年版「公教育プログラム」の見出しより筆者作成。

 第1部「小学校の諸原理と諸目的」に,「学校,家族,参加」,「民主的な共生」という見出しが見受

けられる。その冒頭には次のように述べられている。「小学校は,教育的機能のすべてをこなすも

のではないことを自覚する:したがって,その責任の遂行において,また自らの機能の自律性の枠

組みのもとにおいては,集団的組織に関する規定に言及される民主的な参加を通じて,子どもの教

育の第一の拠りどころとしての家庭および,より広い社会的コミュニティとの教育的な相互の関与

を促進する」。ここに述べられる「集団組織に関する規定」とは,上記の1974年大統領令416号を指

している。先述のとおり,同大統領令は,学区を地域における学びの民主的運営の要として,学校

の発展と地域の文化および市民性の発展の双方を担うよう制度化したものである。同大統領令の定

めに則って,1985年版の小学校向け公教育プログラムには,学校を越える「より広い社会的コミュ

ニティ」による連携が明文化されたのである。それは確かに,教育のポリヒントリズムが批判した

学校知による独占状態に,学校外の主体の参・

加・

を通じて一つの解答を示すかのようであった。

3. 2012年版「国のカリキュラム指針」制定過程における EU の影響1)2012年版「国のカリキュラム指針」にみる EU の影響―分析の焦点

 さて,いよいよ現行版である2012年版「国のカリキュラム指針」の検討に移りたい。以下には,同

指針を制定する省令の条文で踏まえられている法令のうち,EU の動向に連動して指針の枠・

組・

み・

影響を与えている法令に焦点を絞って,その影響が何であったかを検討する。対象とするのは,

1997. 3. 15. 法律59号「公共政策の改革と行政の簡略化のための州および地方自治体への機能と業務

の移譲を政府へ委任する法律」,通称「地方分権化推進法」ないし「バッサニーニ法」,1999. 3. 8. 大統

領令275号「1997.3.15. 法律59号第21条に則った学校自治に関する規定」(以下,通称を「学校自治法」

とする。),および,2006. 12. 18. の EU 理事会と EU 議会による「生涯学習のための勧告」である。

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2)社会福祉行政における「補完性原理」と2012年版「国のカリキュラム指針」

① EU およびイタリアの社会福祉行政における「補完性原理」

 ヨーロッパにおいて市民社会の成立とともに発達してきた社会福祉国家の理念と制度は,1980年

代に入ると「危機」を指摘され始める(Franzoni F., Anconelli M. 2003, pp. 15-23)。ここに,国家財

政を縮小しつつ多様な主体の参加による合理的なニーズへの応答を図る「補完性原理」が導入され

た。「補完性原理」をイタリアで最初に明文化した法律が,上記の「バッサニーニ法」である(高橋利

安 2008,PP.70-75)16。「補完性原理」の端的な定義は容易でないが,ここでは,1990年代以降のヨーロッ

パ諸国における「補完性原理」の具体化の諸相を,おもに法制面から国際比較した若松隆と山田徹

(2008)の下記の解説に拠ることとする。

  よく知られているように補完性原理とは,要約すれば「公的な問題は住民に身近な主体が処理

し,それらができないときはより広域な主体がこれを補完する」ことを意味している。組織間

の重層的な関係を律するこの原理は,より広義にはカトリック社会理論に端を発するが,近年

では1985年の「ヨーロッパ地方自治憲章」で明文化され,その後マーストリヒト条約や今般の

リスボン条約(ローカル・レベルを含め)に,またドイツ,イタリア,フランスの憲法に導入さ

れた。(p. ⅱ)17

 イタリアにおける後の憲法改正では,「行政権限の中央政府と地方政府(コムーネ,県,大都市圏)

への配分原理」と「国の代行権行使」に関する「垂直性補完性」に加えて,「公共政策の公共団体(中

央および地方政府)と私的団体との配分原理」に関わると解釈される「水平的補完性原理」が明文化

されており,「垂直的補完性原理」のみならず「水平的補完性原理」を憲法典に記載するのは比較法

上稀であるといわれている(高橋 op.cit., p. 64)。

 もとより,EU 諸国における「補完性原理」の表現のあり方は一様でない。例えばイギリスの政治

経済学者 B. ジェソップは,ヨーロッパ先進諸国での社会保障制度改革は「危機」への対応として概

ね国家による選択的な社会保障費縮小の方向へ進んだことを認めつつ,国家に代わる新たな担い手

の傾向によってEU諸国を二つのパターンに分けている(Jessop B. 1993: cif. Caputo G. 2012, p. 5)。

民間企業の自由競争を推進し国家の介入を抑えるパターン―ネオ・リベラリズム―と,国家にも私

企業にも属さない中間的組織に社会的課題の解決をゆだねるパターン―社会的コーポラティズム―

である(ibid.)。また,イタリアの教育社会学者である F. フランツォーニと M. アンコネッリは,

EU 諸国による財政危機への対応の結果,社会保障のうち対人サービス,とりわけ社会・保健サービ

スの領域には主として3つの特徴が生じたとしている(Franzoni F., Anconelli M. 2003)。すなわち,

①公的主体と民間,とりわけサード・セクターの非営利組織の寄与が顕著なプリヴァート=ソチャー

レの領域による連携の増大,②地域コミュニティにおける,自助および互助関係を促進する結束の

新たな高まり,③普遍主義的社会福祉と選択的支援の新たなバランス,以上である。(ibid., p. 22)

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イタリア公教育における学校外教育の位置づけの変容

 イタリアも EU 全体の抱える社会福祉国家としての「危機」を共有しているが,ネオ・リベラリズ

ムにもとづく残余型保障と社会的コーポラティズムが混在しているといわれる(ibid, pp. 23-25)。

とりわけ従来,家族や親族間の相互依存関係を中心として近隣住民などを巻き込んだ「緩やかな絆

にもとづくインフォーマルな援助活動のネットワーク」(小谷眞男 1999, p. 486.)や,プリヴァート

= ソチャーレ(Franzoni F., Anconelli M., op. cit., p. 25)が重要な機能を果たしてきた。こうした状

況は,国家が福祉を担う「福祉国家(welfare state)」に対し,国家よりも社会が福祉を担うという意

味で「福祉社会(welfare society)」(ibid., p. 25)ともいわれる。今日のイタリアにおいて,「補完性

原理」は行政の縮小の正当化の根拠になる一方で,下級の行政や民間ないしサード・セクターの,オ

ルタナティヴな活動への志向に支えられてきたといわれ(田中 op. cit., p. 27),「福祉社会」が積極

的に営まれてきていることがうかがえるのである。ここに,福祉はインフォーマル・ネットワーク

やプリヴァート = ソチャーレ-を中心とする社会の多様なアクターに多くを委ねてきたというイ

タリア特有の構造的な基盤がある。じっさいに,いまやEUの社会福祉構想全体の要となった「学び」

のためにも,これらの主体と学校との連携を促す施策が講じられてきている。このことを次項に確

認したい。

②2012年版「国のカリキュラム指針」と「補完性原理」

 以下には,イタリア社会福祉行政全般における「補完性原理」の推進との関連,2012年版「国のカ

リキュラム指針」とを検討する。先にも述べたとおり,イタリアの社会福祉行政に同原理を導入し

たのは1997.3.15. 法律59号,通称「バッサニーニ法」である。表1は,同法と,2012年版「国のカリキュ

ラム指針」制定との関連性を整理している。1列目に「バッサニーニ法」以降,「補完性原理」にもと

づいて制定された社会福祉改革関連の法令を時系列に沿って並べ,これらに規定された学校制度に

関する事項を2列目に,社会福祉制度全般に関する事項を3列目に示している。以下,同表に沿って

経緯を説明していく。結論を先取りして述べるならば,「補完性原理」にもとづきながら,個人,家

庭および,民間組織やサード・セクターといったプリヴァート = ソチャーレによる社会福祉全般へ

の寄与を促す法整備が進められる(3列目)一方で,学校には自治権が付与され(2列目),双方の連

携が奨励されてきたことが重要である。

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� 東北大学大学院教育学研究科研究年報 第63集・第1号(2014年)

表4 イタリア社会福祉行政の「補完性原理」導入から2012年版「国のカリキュラム指針」制定まで

出典)筆者作成

 既述のとおりの1997. 3. 15. 法律59号,通称「地方分権化推進法」ないし「バッサニーニ法」はイ

タリア国内の社会福祉改革に初めて「補完性原理」を導入して明文化した法であり,これに先立つ

EU における同原理の推進の動向と連動している。同法は,一部の事項を除いて国の権限を州お

よび地方自治体へ移譲して,イタリア社会福祉行政の地方分権を推進した。その後,「補完性原理」

は,2000年の社会福祉基本法と2001年に憲法の第5条の改正によって完成されたといわれる

(Canino I. 2010)。この2000年の法律328号によって導入された「地域社会福祉計画[Piano di

Zona]」は,地域ごとにニーズとリソースを検討し,多様な主体の連携による実践の地域計画を定

期的にまとめるよう指示したものである。これらの計画においては,教育に関する事項も重要な

案件の一つになっている。こうして「補完性原理」は,地域レベルにおける多様なアクター間の連

携を促す具体的な施策へと結実していったのである。18

 一方で学校教育への影響に目を転じると,すでに「バッサニーニ法」によって,漸進的に各学校に

自治権と法人格を与える旨が定められ(第21条),学校自治制度改革が着手されていたことがわか

る。その後,同法に依拠して定められたのが1999.3.8. 大統領令275号,通称「学校自治法」である。

同法において,学校ごとに「カリキュラムおよびカリキュラム外の活動,教育活動および運営全般

にかかわるプロジェクト」すなわち「教育サービス計画(Piano dell'offerta formativa:POF)」を定め

ることや,教育カリキュラムに各学校の自由裁量枠を設けることなど,学校自治を具体化するため

の規定が定められ,同時に,学校外の地域主体との連携が奨励された(第9条)。国や州の権限と責

任を各学校に委ねる学校自治の制度化が進められたことの背後に垂直的補完性原理が働いていたと

するならば,一方で,水平的な補完性の原理にもとづく地域の多様なアクターとの連携もまた,こ

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イタリア公教育における学校外教育の位置づけの変容

のとき同時に推進されたのである。

 ところで,2001年に「ほぼ全面的に改正」(高橋 op. cit, p. 63)された憲法5条は,「補完性原理」に

もとづく地方分権化を進める一方,国の権限として,全国に保障すべき市民権および社会的権利に

関する「給付の必須レベル[LEP]」および「教育に関する一般的規定」を定めるとしていた。その後,

2003.3.28. 法律53条「公教育と職業専門教育のための「必須レベル[LEP]」および,「教育に関する

一般的規定」の設定を政府[Governo]に委任する法律」によって,当の権限が国から政府に委任され

る。結果,公教育における全国的な水準を示す規定として2004年に暫定版の「国のカリキュラム指

針」が教育省の省令として制定された。以降,2007年版,2012年版と同指針が改訂されて現在に至る。

以上より,現行の2012年版「国のカリキュラム指針」が直接的に「補完性原理」にもとづくイタリア

社会福祉行政全般の改革の文脈から生み出されてきていることを確認することができる。2004年

以降の「国のカリキュラム指針」を制定する省令において,つねに「バッサニーニ法」と同法に依拠

する「学校自治法」が踏まえられているのも,こうした経緯に拠るのである。

 以上のように,少なくとも法制上,現行の「国のカリキュラム指針」は,EU 全体の動向とも関連

するところの,イタリア社会福祉政策全体における垂直的・水平的補完性原理の推進と連動して構

想されてきている。国の介入が縮小される一方,地域の多様な主体による連携を促す制度が学・

校・

地・

域・

の双方に並行的に整えられ,学校は学校自治の原則に則ってこれらのリソースの活用し,新た

な学校教育を創出していくよう期待されてきているのである。

3)リスボン戦略による教育政策と2012年版「国のカリキュラム指針」

 今日,EU によって推進されている社会福祉制度改革の動向を象徴する「プログラム的な基盤」

(Caputo op. cit, p. 8)は,おもに以下の3つの要点を含んでいる。①労働者の配置の自由化,②若年

労働者に対するフレキシブルな雇用契約の促進,③国家による社会福祉費の拠出を,これまで同制

度に依存してきた失業者に対して削減し,経済的援助を労働へのインセンティヴとみなされる時に

のみ限定すること,以上である(ibid.)。③に如実にうかがえるように,失業者への給付援助のよう

な「消極的な社会保障対策」(欧州議会および欧州理事会 2006/n. 1927)を打ち切り,あくまで雇用

を維持・創出することに直接的に通じる施策に投資をする「積極的」なモデルへ転換したことが大き

な特徴となっている(Caputo op. cit., p. 8)。ここに,「企業と国家のリスクを個人に」(Gallino L.

2000, p. 1)転嫁する仕組みが生じたとする指摘が,専門家の間にみられていることも無視できない。

 フレキシブルな労働力需要の変化に対応でき,国際競争力を備え,かつ社会的統合を支える市民

の育成が,経済的・社会的発展のためにも個人の社会的包摂のためにも不可欠となって,1990年代

後半,EU は一連の教育政策に乗り出した19。2000年リスボンの欧州理事会で掲げられた「競争力

のある , ダイナミックな知識基盤型経済」20の実現が,さしあたり EU 圏の共通目標である。これを

受けて,2006年に欧州議会および欧州理事会は「生涯学習ためのキーコンピテンシー」21(以下,「キー

コンピテンシー」とする。)を定め,メンバー国がこの目標に沿って生涯学習を推進すると同時に,こ

のための準備教育を就学前・初等教育段階から導入するように勧告している。変動的で競争的な労

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� 東北大学大学院教育学研究科研究年報 第63集・第1号(2014年)

働市場において,たえず学び続け,いついかなるときにも労働力たりうる人材を育成する訓練ない

し教育が,各個人の生涯にわたって肝要となったのである。

 なおEUの「キーコンピテンシー」は以下の8項目からなる。「母語によるコミュニケーション」,「外

国語によるコミュニケーション」,「数学コンピテンシーと科学技術の基礎コンピテンシー」,「デジ

タル機器コンピテンシー」,「学ぶことを学ぶこと」,「社会性・市民性コンピテンシー」,「進取の気

性と起業精神」,「文化的認識と表現」,以上である。欧州議会および欧州委員会よる同勧告の補遺

(Annex)によると,「キーコンピテンシー」とは,「知の連結および,文脈に適切に応じる能力と態度」

と定義される。イタリアの公教育は,2012年版「国のカリキュラム指針」において「一般目的」に「キー

コンピテンシー」をそのまま採用しており,上記の EU モデルを全面的に踏襲している。

4. 2012年版「国のカリキュラム指針」のにおける学校外教育の位置づけ1)2012年版「国のカリキュラム指針」の概要

 本章では,2012年版「国のカリキュラム指針」において,学・

校・

外・

教・

育・

がいかに位置づけられている

かを指針の内容に沿ってみていくことにする。その前に,まず同指針の概要を確認しておきたい。

表3は,同指針と,同指針のもとになった2007年版の目次を比較したものである。2007年版から

2012年版に生じたおもな変化は,「一般目的」の章が加えられたこと,および「カリキュラムのオーガ

ナイズ」の章において「諸コンピテンシーの認定」,「みんなの,そして一人一人の学校」,「教育コミュ

ニティ,専門コミュニティ,シチズンシップ」の諸節が加えられたことに見出せる。これらの節は後

に見るように,いずれも学校外教育の位置づけを明らかにするうえで重要な内容を含んでいる22。

 いま一度,前章の表2の1985年版「公教育プログラム」と表3の2012年版「国のカリキュラム指針」

の目次に目を向けて両者を比べてみると、まず後者では項目数が増えていることに気づく。あくま

で学校自治の原則のもとに国レベルの質保証を図るための指針であるが,内容はよりきめ細かく

なっており,むしろ指針としての影響力は増しているといえる。

 さて,先に1985年版に関して議論の焦点となった「第1部」の「小学校の原則と目的 学校,家族,

参加/民主的な共生への教育」の節は,同じく「第1部」の「小学校の性格と目的 憲法の記述(第3条・

第4条)/小学校と教育の継続性」とあわせて,2012年版では「文化・学校・人」「一般目的」の二つの

節におよそ対応していると読み替えることができる。1985年版で学校と学校外教育の関係性を象

徴していた「民主的な共生」と「参加」の語句は2012年版では姿を消していることにも気づく。代わっ

て明確化されたのは,「一人一人の中心性」,「生徒のプロフィール」,すなわち個人の学びの成果を

測る基準である。さらに「シチズンシップ」,「ヒューマニズム」,「憲法・ヨーロッパ」といった新た

な領域ないし価値項目が示されている。これらを一瞥するだけでも,1985年版「公教育プログラム」

からみて,学校外教育の位置づけを規定していた諸価値の配置は変化していることが伺える。

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イタリア公教育における学校外教育の位置づけの変容

表3. 2007年版と2012年版の「国のカリキュラム指針」における章立ての比較

2007年版「国のカリキュラム指針」 2012年版「国のカリキュラム指針」

文化・学校・人 新たな局面における学校 一人一人の中心性 新たなシチズンシップのために 新たなヒューマニズムのために

カリキュラムのオーガナイズ 指針からカリキュラムへ 領域と各教科 接続とカリキュラムの統一性 諸コンピテンシーの発展のための中間目標 学びの諸目的 評価

幼児学校(省略)

初等教育段階の学校(省略)

文化・学校・人 新たな局面における学校 一人一人の中心性 新たなシチズンシップのために 新たなヒューマニズムのために

一般目的 学校,憲法,ヨーロッパ 生徒のプロフィール(修了時に到達していることが望ましい生徒像)

カリキュラムのオーガナイズ 指針からカリキュラムへ 領域と各教科 接続とカリキュラムの統一性 諸コンピテンシーの発展のための中間目標 学びの諸目的 評価 諸コンピテンシーの認定 みんなの,そして一人一人の学校 教育コミュニティ,専門的コミュニティ,シチズンシップ

幼児学校(省略)

初等教育段階の学校(省略)

註: 斜字は目次には示されないが本文では見出し語が明記されている項目を表す。下線強調は,2007年版にはみられず新たに加えられた項目を表す。

出典)両指針の目次および本文の見出しを参照して筆者が作成。

 もう一つ2012年版「国のカリキュラム指針」においてみられる変化は,「憲法」の第3・4条に加え

て第2条が言及されたことである。なおこの変化は2007年版にすでにみられていたものである。第

2条の条文は以下のとおりである。

  共和国は,個人としての,またその人格が発展する社会的形態においての人間の不可侵の諸権

利を認め,かつ保障すると共に,政治的,経済的,及び社会的連帯の絶対的な諸義務の遂行を要

請する。

 「個人」に加えて「人格が発展する社会的形態においての人間」という概念が提示されていること,

「社会的連帯」という義務の遂行が強調されていることは,本論が焦点を当てている学校外領域の位

置づけに少なからぬ影響を与えるはずである。

 また,2012年版の「国のカリキュラム指針」は第1章第1節23に今日の学校が置かれた状況と学校

の役割を端的に示している。その冒頭は下記のとおりである。

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 わずかな年月の間に,われわれは 比較的安定した社会から多様な変化と不連続性によって特徴づけられる社会への転換を目の当たりにした。この新たな局面には不安定さがつきまとう:そこでは,各個人にとって,各共同体にとって,各社会単位にとって,リスクとチャンスがいずれも増幅するのである。 学校の置かれた文脈は,いよいよ文化的な刺激に溢れると同時に,ますます多くの矛盾に充ちている。そうしたなかにあって,今日,学校での学びは子どもや若者が生きている多くの人間形成にかかわる経験のうちの一つに過ぎず,また特定のコンピテンシー(competenza)を獲得するのにしばしば学校の文脈は必要ない。 しかしまさにこのことのために,学校は,児童・生徒が多様な経験に意味をみいだす力を身に付け,人生そのものが断片化した出来事の寄せ集めに成り果てるリスクを軽減するための役割を軽んじるわけにいかない。

(『国のカリキュラム指針』「新たな局面における学校」p. 4, 下線強調筆者)

 「多様な変化と不連続性によって特徴づけられる社会への転換」によって,「各個人にとって,各

共同体にとって,各社会単位にとって,リスクとチャンスがいずれも増幅する」との記述は,イタリ

ア国内の状況であると同時に,とりわけ EU がリスボン戦略より推進してきた新たな社会構造を要

約するかのようである。学校は,特定のコンピテンシーの獲得に必ずしも必要ないとされ,むしろ

「多様な経験」を断片化させないための,いわばコーディネーターとしての位置づけをもつに至って

いる。以上の概要をふまえたうえで,次節以下では,同指針における学校外教育の位置づけを明ら

かにしていくことにする。

2)新たな学びを支える学校外教育

①新たな学びを支える「環境」としての地域リソース

 まず,2012年版「国のカリキュラム指針」に示された新たな学びは,望ましい「環境」として学校外

教育の積極的な活用を要請していることをみておきたい。同指針は,先にみた EU の「キーコンピ

テンシー」を「イタリアの教育システムが目指す地平」(p. 9)として採用している。EU の「キーコン

ピテンシー」とは,先述のとおり,「知の連結および,文脈に適切に応じる能力と態度」であるとされ

ている。こうした実践的な知の獲得のための「学びの環境」として,同指針は学校外リソースを有効

としているのである。たとえば,「初等教育」部門について「ラボラトーリオ型の教授活動」(pp. 26-

27)を挙げている。これは,うまくゆけば「学びの実践性を高め,研究とプロジェクト,他者との協働,

積極的な参加の経験を促し,児童生徒を思考・実践・評価の過程に巻き込むこともできる」(ibid.)場

であるとし,このために,学校の内部はもとより地域の多様なリソースの活用を促している。学校

外教育は「地域リソース」として,学校の新たな学びを支える「環境」となったのである。

②新たな学びと「教育のポリセントリズム」の親和性

 こうした2012年版「国のカリキュラム指針」における新たな学びには,かつて「教育のポリセント

リズム」で主張された学びと比べたとき,形態上の類似性を見いだすことができる。

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イタリア公教育における学校外教育の位置づけの変容

 同指針は,「情報・コミュニケーションのテクノロジーの普及」及び,「学校制度と労働の世界と

の関係」の変容という要因との関連から,新たに求められる学びを具体的に次のように述べる。ま

ず前者の要因については,「学校はもはや情報と学び方の独占者ではなくなる」(p. 4.),「教科ない

し諸教科間をつなぐ番(つがい)となるより広範な諸領域は,絶え間なく進化し続けるリソースに

よって,無数の形式を通してアクセスし,探求することができるのである。」(p. 4)といったように,

知の多元性・多様性が強調されている。さらに労働市場の変化との関連から,下記のように述べら

れる。

 教育制度と労働の世界との関係も急速に変化しつつある。各個人は自らの知識,能力,ひいては自らの職業そのものにいたるまで,再構成し,新たに作り出す必要性に見舞われている。技術・能力は数年を経るうちにすぐに古びてしまう。そのため学校は個々の技術や能力の追及を目的とするわけにいかず,むしろ,一人一人を認識と文化の次元でしっかりと育成し,今日および将来,社会的・専門的な局面における不確実性と可変性に積極的に向き合えるようにすることが重要である。おしなべて平均的な児童・生徒像を想定し,そのために考えられた不変の内容を伝達するスタンダード化され,規律化された知識の伝達はもはや適切でない。反対に,学校はそれぞれの子どものパーソナリティの固有の諸側面を積極的に評価するという見方から,児童・生徒の個性に見合った人間形成過程を実現することが求められている。

(『国のカリキュラム指針』「あらたな局面における学校」p. 4-5, 下線強調筆者)

 かつて「教育のポリセントリズム」によって批判されたような学校型の教育は,ここにきて180°

転換していることに気づく。学校型の知識による知的営みの独占はここでもきっぱりと放棄され,

知の多元性と多様な学びこそ,価値を与えられている。それは,一定のヒエラルキーにもとづくよ

りも,児童・生徒の固有性にもとづく人間形成のために目指されている。あたかも「教育のポリセ

ントリズム」が要請した理想の学びを,ここに再び見出すかのようである。いまや,学校と学校外に

おいて求められる学びの形態は,少なくとも表面上,限りなく近づき,対立軸そのものが意味をな

さなくなっている。ここに,学校外教育において目指されてきた学びと新たに構想された学校教育

との,形態上の親和性を指摘できるのである。

3)新たなシチズンシップのために学校コミュニティに組み込まれる地域リソース

①「一人一人」を世界の「新たなシチズンシップ」につなぐ「地域」

 2012年版「国のカリキュラム指針」において,「地域」は,「一人一人」を世界レベルの「シチズンシッ

プ」へとつなぐ媒介ともなっている。第1章第1節「新たな局面における学校」には,「地域」が次の

ように捉えられている。「どの特定の地域をとってみても,世界のさまざまな地域との繋がりをもっ

ており,その意味でグローバルな契機,相互作用,緊張,共生を再現するミクロコスモスである」(p.

4)。「地域」が世界の縮図として捉えられているのである。「また一人一人の人も」と同段落は続く—

多様な情報や文化に接しているという「自覚をもつ開かれたアイデンティティを発展させる」べき

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� 東北大学大学院教育学研究科研究年報 第63集・第1号(2014年)

べきである。この「一人一人の人」に関する記述は,第2節「一人一人の中心性」に述べられる子ども

のイメージ,すなわち,「個人的な成長過程の固有性,それから当人を家族および社会領域に繋ぐ,

関係性のネットワークによってもたらされる開かれ」(p. 5)としての個人のイメージと,一貫性を

もつ。ここには世界の縮図としての「地域」と同時に,「関係性のネットワーク」を縮約する存在と

しての「人」のあり方が示されているのである。児童・生徒の固有性を中心に据えることは,とりも

なおさず彼/彼女の家庭的・社会的な関係性のネットワークに目を向けさせる。このとき,世界の

縮図である「地域」は,「一人一人」の「開かれ」を,より広いネットワークへと繋いでゆくための媒

介的なフィールドになるといえよう。

 さて,「地域」が学びの場としてクローズアップされるのは,とりわけ「新たなシチズンシップ」に

関する文脈においてである。第1章第3節「新たなシチズンシップのために」では,「生きることと

共に生きることの規則を教えること」(p. 6)が今日の学校にとって避けられず「現に身を置いてい

る社会を方向づける価値と自らの企図を絶えず擦り合わせながら,その成果として自律的かつ有益

な選択をするよう児童・生徒を励ますこと」が必要であるとしている。さらに,「与えられた社会の

なかで共生するのでは十分でなく,社会そのものをも共に創造し続けなければならない」(p. 6)。

こうした,「社会」へ密接に関わるなかでの学びを通じて、「各児童・生徒の差異」の評価にもとづく

身近な相互作用を基点としながら,「国,ヨーロッパ,世界規模の,より広く複雑な集団性に自覚的

に参加する市民」(p. 6)を育成していくことが展望されている。子どもにとって身近な「社会」であ

り,より広い「社会」の縮図でもある「地域」という学びのフィールドは,必然的にクローズアップさ

れてくるのである。

②学校教育構想の二つの軸と学校コミュニティに組み込まれる学校外教育

 「新たなシチズンシップのために」の節は,学校が教育活動の構想において沿うべき方向性を,垂直

方向と水平方向の2つの軸に示している。このうち水平方向の伸び広がりとして,「家庭を始めとする,

多様な資格によって教育的な機能を果たす学校外のアクターとの注意深い協力の必要性」(ibid.)が強

調されている。先に述べたことを踏まえ

れば,こうした学校外の主体によってもた

らされる学びの場は,国,EU,世界レベ

ルの市民性に通じるものである。なお、二

軸のもう一方である垂直方向とは,「人生

の全過程を通じて継続されうる人間形成

を行うこと」(p. 6)で,学校段階間の接続

と生涯学習へ向かう。図1は,これら二軸

と学校の関係を表している。学校は,垂直・

水平の双方向への解放性と連続性のもと

に教育プログラムを構成するよう求めら図1 学校教育の垂直・水平への解放性と連続性の構造出典)2012年版「国のカリキュラム指針」をもとに筆者が作成。

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イタリア公教育における学校外教育の位置づけの変容

れ,学校外の教育的アクターは水平方向の連続性のなかに組み込まれたのである。

 また,こうして地域と接続する学校のイメージは,より具体的に,「学校コミュニティ」として構

想されている。

 自らの使命に懸命に取り組む学校コミュニティの存在は,民主的・市民的な生活のための砦となる。というのも,学校を家庭および社会のすべての構成員に対して開かれた場とし,学びと学び方について,あるいはわれわれの時代における大人の役割と教育の諸課題について,さらに経済的発展のために決定的となった知識の位置づけの重要性について,倫理を高め国内の社会的結束を強めながら,省察を展開するからである。

(『国のカリキュラム指針』「カリキュラムのオーガナイズ」p. 15)

 同指針の冒頭において学校を多様な知のコーディネーターとしていたことと呼応するように,「学

校コミュニティ」には,家庭や社会の知を主導する役割が明確にされており,地域における多様な教

育の場は,こうした学校コミュニティの延長に組み込まれている。

4)学校制度としてのインクルーシヴ教育を支える学校外教育リソース

 2012年版「国のカリキュラム指針」の第1章第1節には,「すべての人々の差異と一人一人のアイ

デンティティの尊重にもとづく自由と平等の全面的な承認と保障(憲法第2・3条)」(p. 4)の原則に

鑑みて,とりわけ「障害やあらゆる脆弱性」(ibid.)への特別な配慮のもとに,「学校自治に支えられ

た学校と地域の協働のあらたな段階において,社会教育と協力すること」(ibid.)が求められている。

これは,「みずからの可能性と選択に応じて,社会の物理的・精神的な発展に資する何らかの活動を

展開する,あるいは役割を担う」(p. 4)という憲法第4条の定める社会的活動に,すべての児童・生

徒をアクセスさせるためである。同節では,とりわけインターカルチュラル教育(外国にルーツを

もつ子どもの包摂),新旧の文化的格差および非識字の問題に1パラグラフずつを充てて特記してい

る。

 第3章「みんなの,そして一人一人の学校」の節では,障害児のインクルージョンおよび文化的差異

の迎え入れに加えて,「中退[dispersion scolastica]」や「早期の挫折」を対処すべき問題として明記

している。各学校は,「自治体と各種教育エージェンシーの協力も得ながら特別なリソースと介入の

措置を講じる」(p. 14)とされ,とりわけ「障害をもつ,あるいは特別な教育的配慮を必要とする児童・

生徒」には,一般の教科教員(insegnanti curricolari)のみでは解決しがたい困難に対応するために、

支援教員(docenti di sostegno)といった外部の専門家に連携を求めることとされた。

 もとより,1985年版「公教育プログラム」にも,一人一人の児童・生徒の差異の尊重や「実質的な

成果の平等(una sostanziale equivalenza dei risultati)」(1985年版「公教育プログラム」,p. 3),お

よびインクルージョンの問題は取り上げられており,むしろそれは同プログラムのもっとも画期的

な特徴の一つであった。というのも,イタリアで1970年代に障害児のインクルーシブ教育が法律に

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� 東北大学大学院教育学研究科研究年報 第63集・第1号(2014年)

定められてから24,これを初めて「公教育プログラム」の内容に盛り込んだのが当の1985年版だっ

たのである。ただし,学校外のアクターとの連携に関する記述において,この1985年版と2012年版

の間には,明らかな違いがみられる。

 というのも1985年版「公教育プログラム」においては専門家の介入が,とりわけ「障害」のある子

どもに対し,教授課程を個別化する基準として「機能診断(diagnosi funzionale)」(これは単なる「医

療診断」とは分けて捉えられる。)を求める際や,ごく重度の「障害」に対する介入の場合に限られて

いた。他の多くの場合には,「教授法の工夫と精緻化,個別化によって対応できる」(p. 4)とされて

いたのである。また,重度の障害によって地域の施設に主な介入が委ねられる場合も,学区の管轄

にしたがい,学校と施設との密接な協力のもとで必要な対応を行うとしていた。あくまで,個別化

した対応を工夫する学校の責任が,前面に押し出されていたのである。

 一方、あらためて2012年版をみると,「インターカルチュラル教育」や「中退」といった新たな問

題が明記され問題項目は増えているにもかかわらず,全体としてインクルージョンに関する記述量

は激減している。そして2012年版で強調されているのは,むしろ,一般教員による対応の限界性と,

自治体および外部の教育エージェント,その他の専門家に連携を求めることの必要性・有効性であ

る。学校制度としてのインクルーシヴ教育を支えるためにも,学校外の教育リソースへの要請が高

まってきているといえそうである。

5. 考察―EU 型の学びと「補完性原理」を支える学校外教育 以上,第3章に2012年版「国のカリキュラム指針」の制定過程における EU の影響,第4章に同指

針における学校外教育の位置づけをみてきた。

 今日のイタリアにおいて学校外教育は,とりわけ「地域」という枠組みのもと,かつての多元的な

学びの自律的な展開,これらの学校運営への民主的な参加という理念に加えて,EU と少なからず歩

調を合わせる新たな公教育の推進という責務をも負いつつあるといえよう。とりわけ,新たな学び

の実践的な側面や社会的な側面,あるいは特別なニーズへの対応に当たって,外部リソースの活用

が求められてきている。

 それでは,第1章にみた1970年代以降の「教育のポリセントリズム」ないし1985年版「公教育プロ

グラム」における学校外教育の位置づけからみて,いましがたみてきた2012年版「国のカリキュラ

ム指針」における位置づけは,どのように変化したと言えるであろうか。以下に,3点指摘したい。

 第1の点は,繰り返しになるが,2012年版「国のカリキュラム指針」における学びの変容によって,

学校外の多様なリソースが「新たな学び」のためになること,むしろ形態の面で両者が親和的である

ことから,かつて「教育のポリセントリズム」にみられた学校教育との対立軸が意味をなさなくなっ

ている点である。

 第2の点は,それにもかかわらず,1970年代の「教育のポリセントリズム」が求めた学びと,今日

の「国のカリキュラム指針」に示される学びの間には根本的な違いがあるということである。前者

が「国の管理のもとで労働市場に送り出す資格の製造工場となった学校」が「全人的な人間形成を道

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イタリア公教育における学校外教育の位置づけの変容

具的なものに矮小化した」ことに意義を唱えてオルタナティヴを主張したのに対して,後者は,EU

リスボン戦略の枠組みのもと,まさに,「競争力のある , ダイナミックな知識基盤型経済」を支える

労働力の育成へと収斂していく。表面上の形態の類似性をよそに,二つの「学び」は,まるで対照的

な論理に支えられているのである。

 第3に,学校外教育は1970年代における「教育のポリセントリズム」から1985年版「公教育プログ

ラム」にかけて,あるいは豊かさへと自律的に拡張し,あるいは学校への参加権を外側から得てきた

のに対し,2012年版「国のカリキュラム指針」の制定にかけては,上級の行政による介入を縮小する

「補完性原理」にもとづき,学校側からの要請,すなわち内側からの要請が生じている点である。今日,

学校外教育は学校教育の質の維持ないし向上のために不可欠の要素として組み込まれつつある。背

景には,豊かさへの拡張とはまったく対照的な,国家ないし国際レベルの財政危機に対応する必要

性が影響していることも看過できない。

 これらのことは,今日の学校教育との関係において学校外教育の重要性が増していることを明ら

かにすると同時に,その意味づけが複層的になってきていることを浮き彫りにする。こうした位置

づけの重要性の一方で,イタリアにおいて社会保障費のうち教育事業を含む社会サービス費はごく

わずかであるという指摘(Franzoni, Anconelli op. cit., pp. 25-26)を踏まえるならば,財政基盤の脆

弱性は懸念される。ただし,「補完性原理」のもと,学校と学校外の二極分化でも,一方によるもう

一方への「参加」でもな・

い・

教育の関係性が模索されているとすれば,苦境のなかにも新たな可能性を

見いだすチャンスであるといえよう。すでに多くの学校外の教育リソースが地域に存在してきたと

するならば,これらがいかに活用されるかも重要になる。現行の「国のカリキュラム指針」に明示さ

れたような学校のリーダーシップはもとより,かつてジョヴァンニーニやフラッボーニが構想して

いた地域の多様な主体間の等辺的なネットワークや自治体および学区等の地域によるコーディネー

トを含め,ますます多様な工夫が問われてくるのではないだろうか。

おわりに 本稿は,イタリアにおいて学校外教育の興隆期といわれた1970年代の「教育のポリセントリズム」

言説を概観したうえで,その後に制定された1985年版「公教育プログラム」と,現行版である2012

年版「国のカリキュラム指針」との違いについて,後者の指針制定における EU の影響を踏まえつつ

検討してきた。

 イタリア公教育においてはとりわけて2000年以降,EU の影響を如実に受けながら学びの形態の

みならず学校教育の構想全体も変化するなかで,学校外教育は学校教育によって積極的に要請され,

その構想に組み込まれてきている。もはやそれは,学校教育に対する付加的な価値でなく,むしろ

必要不可欠な一部となりつつあるのである。さしあたりの課題は,こうした枠組みの変化のもと,

じっさいに現場でいかなる実践が展開されているかを検討していくことである。そこにみられる工

夫が,本論にみてきた制度的枠組みの良し悪しについて,思いもよらない示唆をもたらすこともあ

ろう。

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� 東北大学大学院教育学研究科研究年報 第63集・第1号(2014年)

 またもとより,現行の「国のカリキュラム指針」は,本論で直接取り上げることのできなかった他

の多くの理念を含んでいる。さらにいえば同指針は,イタリアの歴史・文化・社会の伝統と,新たな

局面における解釈や新規の概念が相俟って織りなされているとみなすべきであろう。そう考えたと

き,本論が,当初より EU の影響という枠組みを分析に用いてきたこと,法令を遡るという限定的

な方法に拠ったことの制約も踏まえておく必要がある。他の側面の検討については,分析の対象を

あらためるなどしながら他稿を期したい。

【註】1 イタリアにおいて1968年にピークを迎えた学生運動を始めとする文化的・社会的抵抗運動は「熱い秋」と呼ばれ

る。例えば,前年1967年に出版された ScuoladiBarbiana,la lettera alla professoressa, Libreria editrice fiorentina

は当時の学校のもつ選別機能に対する痛烈な批判となっている。

2 ただし CorradiniL.(1975)は,従来の学校教育を擁護する保守派の人々にとっては学校の破壊として捉えられた

ことを指摘している(p.22)。

3 D.P.R.12febbraio1985,n.104,“IprogrammidellaScuolaElementale”

4 D.M.16novembre2012,n.245,“Indicazioninazionaliperilcurricolodellascuoladell'infanziaedelprimociclo

d'istruzione”

5 現行の「国のカリキュラム指針」に関する論考は教育省が公式サイトの下記ページにリストアップしているが,こ

れらの観点は本論のものと異なっている。

〈http://www.indicazioninazionali.it/J/index.php?option=com_content&view=category&layout=blog&id=35&Item

id=161〉

6 D.M.13giugno2006,n.47,“Quotacurricoli(20%)rimessaall'autonomia.”

7 ただし,大きな違いの一つは2007年版では関連教科をまとめて1領域とする「領域」ベースであったのに対して

2012年版では「各教科」に分けられた点である。2012年版の指針には,あらかじめ「領域」を定めず「各教科」にばら

すことで,かえって領域横断を自在に工夫できるように配慮したとされている(p.12,第2章「カリキュラムのオー

ガナイズ」,「領域と各教科」の節)。

8 2004年の改革の背景については佐藤康雄(2002,pp.58-59)を参照した。ただし佐藤は,「英語」・「テクノロジーと

情報」の強化に必要であるはずの PC や学校図書館といった環境が十分には整えられていなかったという当時の実

態を指摘している。

9 Adunanzadel25luglio2012delCNPI,Parere sulle Indicazioni nazionali per la scuola dell'infanzia e del primo

ciclo di istruzione., MIURAOODGOSProt.n.5001,Roma,2012

10 MIUR, SINTESI DEI RISULTATI [Consultazione chiusa il 7/7/2012] Indicazione nazionali 2012,

Consultazione delle scuole ai sensi della C.M. 49/2012, p.1

11 イタリアで「統一中学校」が発足したのは1962.12.31. 法律1859号によってであった。

12 ただし,こうした状況を実証的に検証する資料の提示が欠けており,別途,検討が必要である。

13 学区の規模は人口100,000以下,都市部の人口密度が高い地域では200,000人以下(第10条)。

14 D.P.R4giugno1955,n.503,“Programmiperlascuolaelementale”

15 ファシズム政権下に行われた階級差別主義的な改革から膠着化していた教育接続における分裂の問題を解消する

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イタリア公教育における学校外教育の位置づけの変容

契機を与えたこと(Genovesi G. 2004, p. 200)や,具体的な内容として男女の差別にもとづく「手仕事」がなくなった

こと,「短絡的な作業(計算など)」よりも理論的・概念的な教育内容が増えたこと,「カトリック宗教」の教科が選択

性となったことなどの変化が特筆される(Schizzerotto A., Barone C. 2006, pp.169-170)。

16 イタリアで地方分権と地方自治を推進した国内の事情については工藤裕子(1999),pp.115-117を参照。本論では

EU との連動という側面に焦点を当てる。

17 ここで若松と山田はわが国においても同原理が地方分権化や各種の構造改革をめぐる論議でしばしば言及されて

きていると述べるが,本論ではその点に触れる余裕がない。日本の状況については稿をあらためて検討したい。

18 1990年代には,地域における多様な主体による活動を推進する制度も整えられてきた。「社会的協同組合」,「ボ

ランティア組織」,「社会的活動推進アソシエーション」に法的形態を与える枠組法(それぞれ順に,1991. 11. 8. 特別

法381号,1991. 8. 11. 特別法226号,2000. 12. 7. 特別法383号)もその一環といえる。

19 EU による教育政策の概要は園山大祐(2008)に整理されている。

20 Presidency ConcJusions Lisbon 23.24/03/2000

21 欧州議会および欧州理事会(2006/n.962/EC), RECOMMENDATION OF THE EUROPEAN PARLIAMENT

AND OF THE COUNCIL of 18 December 2006 on key competences for lifelong learning, Official Journal of the

European Union 2006.12.30.

22 ただし,評価に関わる「諸コンピテンシーの認定」の節については,本論の論旨からはやや離れるので言及しない。

23 『国のカリキュラム指針』は章及び節に番号を振っていない。したがって本稿ではもっとも上位の5つの括りを章,

次の括りを節と捉え,「第○章」,「第○節」と任意で示すことがある。なお同指針の内容全体のより詳細な検討は別

稿を期したい。

24 1971.3.30年法律118号お28条および1977.8.4. 法律517号。詳細は MIUR, Linee guida per l'integrazione scolastica

degli alunni con disabilità, 2009を参照。

【引用文献】

小谷眞男(2009)「第Ⅱ部 3 社会保障の担い手」小島晴洋・小谷眞男・鈴木圭樹・田中夏子・中益陽子・宮崎理枝(編)『現

代イタリアの社会保障―ユニバーサリズムを越えて』旬報社,pp. 99-123

小谷眞男(1999)「第2部 Ⅳ社会福祉の背景―イタリアの経済・社会 4人口・家族」仲村優一・一番ヶ瀬康子(編)『世

界の社会福祉5 フランス・イタリア』旬報社,pp. 484-486

小島晴洋「第Ⅱ部 1 社会保障の体系」小島晴洋・小谷眞男・鈴木圭樹・田中夏子・中益陽子・宮崎理枝(編)前掲書,pp.

60-70.

工藤裕子「6章 地方自治制度」,馬場康雄・岡沢憲芙『イタリアの政治―「普通でない民主主義国」の終り ?』早稲田大

学出版部,1999,pp. 99-117

佐藤康雄(2002)「揺れるイタリアの学校教育改革」,『世界週報』2002. 12. 3.,時事通信社,pp. 58-60.

園山 大祐(2008)「ヨーロッパ統合に関する教育政策の現状と展開:EU「リスボン戦略」から」平成17年度~平成19年

度科学研究費補助金 (基盤研究 B) 研究成果報告書『EU 加盟国における統合政策と教育改革の政治力学に関する

比較研究』p.11-23

高橋利安(2008)「イタリアにおける地方分権と補完性原理」,若松隆・山田徹(編)『ヨーロッパ分権改革の新潮流―地

域主義と補完性原理』中央大学出版部,pp. 63-92.

田中夏子(2009a)「第Ⅰ部 イタリアの社会保障の概念と特徴 2政策理念」小島晴洋・小谷眞男・鈴木圭樹・田中夏子・

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� 東北大学大学院教育学研究科研究年報 第63集・第1号(2014年)

中益陽子・宮崎理枝(編)前掲書,pp. 18-32.

田中夏子(2009b)「第Ⅳ部 福祉 3障害者」小島晴洋・小谷眞男・鈴木圭樹・田中夏子・中益陽子・宮崎理枝(編)前掲書,

pp. 253-275.

Ariemma L. (2010), La scuola oltre la scuola. Gli anni Sessanta e l'apertura al territorio, in Sarracino V. (a cura

di), Educazione e politica in Italia (1945-2008) V. Scienza dell'educazione, scuola ed extrascuola, Franco

Angeli, Milano, pp. 95-107

Besozzi E. (2006), Società, cultura, educazione: Teorie, contetsi e processi, Carocci

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イタリア公教育における学校外教育の位置づけの変容

Thispaperwillanalyzetheeventualshifts,provokedbytheEuropeanizationontheroleand

thepositionwhich theout-of-schoolactivitiesmayhaveassumed in thewholepictureof the

Italianpublic school curriculum.Throughanexaminationof the twoNational Indications for

schoolcurriculum,oneofthe1985,establishedbesidesanactivecriticismagainstthetraditional

modelofthemodernpublicschool,andtheotherestablishedinthe2012,justnowtobeputin

force,wewill observe that, by the change causednot only on singlematerials of school

curriculumbutalsoonawholestructureofthepubliceducationsystem,todaylargelybasedon

theEU’smodel,theout-of-schoolactivitiesaremoreandmorerequiredbytheschoolsthemselves

intheireducationalplanning,andthesearenotanymorethemereautonomouspolycentrismnor

theparticipationattainedfromoutsideoftheschool, likeobservedfromthe1970stothe1980s,

anditseemstopointusthemomenttoorganizeanewformofcollaborationamongseveralparts

ofeducationalagencies.

Keywords:Italy, Public education, Out-of-school activities, National Indications, EU

OnShiftsinRoleofOut-of-School

ActivitiesintheItalianPublicEducationSystem:AnAnelysisonContentsofthe1985'sandthe2012'sNationalIndicationsfor

SchoolCurriculumwithaFocusonEU'sImpact

HarunaTAKAHASHI(GraduateStudent,GraduateSchoolofEducation,TohokuUniversity)

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