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98. 海馬苔状線維-CA3 錐体細胞シナプスの可塑的変化における α7 ニコチン 受容体の役割 伊藤 公一 Key words:α7 ニコチン受容体,シナプス可塑性,苔状線 維シナプス,LTP 東京大学 大学院農学生命科学研究科 比較病態生理学教室 海馬や大脳皮質におけるシナプス強度の可塑的変化は記憶や学習の素過程であると考えられ,脳神経系科学研究に関わる非 常に多くの研究者の興味を集めている.特に海馬歯状回の顆粒細胞から CA3 錐体細胞に投射する苔状線維と CA3 錐体細胞 間に形成されるシナプス(mossy fiber シナプス)における長期増強(Long-term potentiation,LTP)は,海馬 CA1 や大脳 皮質等の他の領域で観察されるシナプスと性質を大きく異にしていることが知られている.すなわち,高頻度刺激に対して N- methyl-D-aspartate(NMDA)受容体の活性化を必要とせず,カイニン酸受容体の関与によってシナプス前細胞に発現するこ とが示唆されている 1,2) .近年,mossy fiber シナプスにおける LTP 発現の分子メカニズムが徐々に明らかにされつつあり, カイニン酸受容体の他に,R 型 Ca 2+ チャネル 3) やオピオイド受容体 4) 等が関与していることが示唆されてものの,それに続く細胞 内シグナル伝達系の関与や他の修飾機構等に関する研究はほとんどない.一方,海馬 CA3 領域において高い Ca 2+ 透過性を もつ α7 ニコチン受容体(α7nAChR)が豊富に発現することが知られているが 5,6) ,シナプス伝達やシナプス可塑性に与える影響 を調べた研究は乏しい.本研究では,mossy fiber シナプスの長期及び短期シナプス可塑的変化における α7 ニコチン受容体 の役割を電気生理学的に明らかにすることを目的とした. 14-21 日齢の雄 C57BL/6 マウスを断頭し,先の研究と同様の方法を用いて 7) ,厚さ 200 μm の海馬スライス切片を作製し た.1 時間以上の回復期間の後,このスライス切片に 2 M NaCl を注入した記録電極を stratum lucidum に設置し,細胞 外電位を記録した.細胞外液の組成は,125 NaCl, 2.4 KCl, 1.2 NaH 2 PO 4 , 25 NaHCO 3 , 25 glucose, 2 CaCl 2 , 1 MgCl 2 (mM)であり,95% O 2 /5% CO 2 下で灌流させた. フィールド電位(field EPSP, fEPSP)は,細胞外液を注入したガラス電極を歯状回顆粒細胞層に設置し,0.05 Hz で刺激す ることによって記録した.シナプス伝達効率の変化は,2 発刺激増強(paired-pulse facilitation, PPF),LTP を指標として 検討した.PPF は 40 ms 間隔で,LTP は高頻度刺激(100 Hz で 1 秒間の刺激を 10 秒おきに 3 回)により誘導した.薬物は perfusion により投与した.Mossy fiber シナプスでの記録は,選択的阻害薬の DCG-IV (1 μM)により確認した. 1.Mossy fiber シナプス伝達・可塑性における α7nAChR の関与 ニコチン存在下において mossy fiber シナプスから fEPSP を記録したところ,シナプス伝達には影響が見られなかった.また PPF に大きな影響は観察されなかった.これに対し,高頻度刺激によって引き起こされる mossy fiber LTP はニコチン存在下 において有意に増大した(図 1).この LTP の増大のタイミング依存性を検討したところ,ニコチンの存在と高頻度刺激が同時に 必要であることが明らかになった.次にこの mossy fiber シナプス可塑性に関与するニコチン受容体のサブタイプを調べるた め,α7nAChR の選択的阻害薬である methyllycaconitine (MLA)存在下において同様の記録を行った.この結果,MLA 存在下において fEPSP に変化は観察されなかったが,高頻度刺激による fEPSP の増大は完全に抑制された(図 1).さらに 上原記念生命科学財団研究報告集, 22(2008) 1

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98. 海馬苔状線維-CA3 錐体細胞シナプスの可塑的変化における α7 ニコチン受容体の役割

伊藤 公一

Key words:α7 ニコチン受容体,シナプス可塑性,苔状線維シナプス,LTP

東京大学 大学院農学生命科学研究科比較病態生理学教室

緒 言

海馬や大脳皮質におけるシナプス強度の可塑的変化は記憶や学習の素過程であると考えられ,脳神経系科学研究に関わる非常に多くの研究者の興味を集めている.特に海馬歯状回の顆粒細胞から CA3 錐体細胞に投射する苔状線維と CA3 錐体細胞間に形成されるシナプス(mossy fiber シナプス)における長期増強(Long-term potentiation,LTP)は,海馬 CA1 や大脳皮質等の他の領域で観察されるシナプスと性質を大きく異にしていることが知られている.すなわち,高頻度刺激に対して N-methyl-D-aspartate(NMDA)受容体の活性化を必要とせず,カイニン酸受容体の関与によってシナプス前細胞に発現することが示唆されている 1,2).近年,mossy fiber シナプスにおける LTP 発現の分子メカニズムが徐々に明らかにされつつあり,カイニン酸受容体の他に,R型 Ca2+チャネル 3)やオピオイド受容体 4)等が関与していることが示唆されてものの,それに続く細胞内シグナル伝達系の関与や他の修飾機構等に関する研究はほとんどない.一方,海馬 CA3 領域において高い Ca2+透過性をもつ α7 ニコチン受容体(α7nAChR)が豊富に発現することが知られているが 5,6),シナプス伝達やシナプス可塑性に与える影響を調べた研究は乏しい.本研究では,mossy fiber シナプスの長期及び短期シナプス可塑的変化における α7 ニコチン受容体の役割を電気生理学的に明らかにすることを目的とした.

方 法

14-21 日齢の雄 C57BL/6 マウスを断頭し,先の研究と同様の方法を用いて 7),厚さ 200 μm の海馬スライス切片を作製した.1 時間以上の回復期間の後,このスライス切片に 2 M NaCl を注入した記録電極を stratum lucidum に設置し,細胞外電位を記録した.細胞外液の組成は,125 NaCl, 2.4 KCl, 1.2 NaH2PO4, 25 NaHCO3, 25 glucose, 2CaCl2, 1 MgCl2 (mM)であり,95% O2/5% CO2 下で灌流させた.フィールド電位(field EPSP, fEPSP)は,細胞外液を注入したガラス電極を歯状回顆粒細胞層に設置し,0.05 Hz で刺激することによって記録した.シナプス伝達効率の変化は,2発刺激増強(paired-pulse facilitation, PPF),LTP を指標として検討した.PPF は 40 ms 間隔で,LTP は高頻度刺激(100 Hz で 1 秒間の刺激を 10 秒おきに 3回)により誘導した.薬物はperfusion により投与した.Mossy fiber シナプスでの記録は,選択的阻害薬のDCG-IV (1 μM)により確認した.

結 果

1.Mossy fiber シナプス伝達・可塑性における α7nAChR の関与ニコチン存在下において mossy fiber シナプスから fEPSP を記録したところ,シナプス伝達には影響が見られなかった.またPPF に大きな影響は観察されなかった.これに対し,高頻度刺激によって引き起こされるmossy fiber LTP はニコチン存在下において有意に増大した(図 1).この LTP の増大のタイミング依存性を検討したところ,ニコチンの存在と高頻度刺激が同時に必要であることが明らかになった.次にこの mossy fiber シナプス可塑性に関与するニコチン受容体のサブタイプを調べるため,α7nAChR の選択的阻害薬である methyllycaconitine (MLA)存在下において同様の記録を行った.この結果,MLA存在下において fEPSP に変化は観察されなかったが,高頻度刺激による fEPSP の増大は完全に抑制された(図 1).さらに

 上原記念生命科学財団研究報告集, 22(2008)

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MLA とニコチンの共存下においても同様の記録を試みたところ,MLAのみの存在下における結果と同様に,シナプス伝達には影響がなかったが LTP の誘導は完全に阻害された(図 1).また,他に脳内に広く発現がみられるニコチン受容体として α4β2 受容体が存在する可能性があるため,β2 サブユニットの阻害薬である dihydro-β-erythroidine (DHβE)存在下における fEPSPの変化も検討した結果,DHβE は fEPSP に影響を与えず,高頻度刺激に対しても対照群と同程度の増強が誘導された.これらの結果から,α7nAChR は海馬苔状線維シナプス伝達には影響を与えないものの,高頻度刺激による LTP 発現に必須であり,増大の割合を制御している可能性が示唆された. 

 図 1. Mossy fiber LTP に対するニコチン受容体活性化の効果.

対照群,ニコチン存在下,MLA 存在下及び MLA とニコチンの共存下において経時的にプロットした fEPSP の変化.対照記録後 30 分後に高頻度刺激を与え,さらに 60 分後に mossy fiber シナプスを選択的に阻害する DCG-IV (1μM)を投与した.ニコチンとMLAの濃度は各々 10 μM と 0.1 μM.

 2.α7nAChR の Ca2+シグナルを中心とする細胞内情報伝達系への関与Mossy fiber LTP は Ca2+-induced Ca2+ release (CICR)を介して引き起こされるという報告があることから 6),次に,このα7nAChR による LTP の増大における細胞内 Ca2+ストアの関与を検討した.Ca2+-ATPase 阻害薬である thapsigargin 存在下においてmossy fiber シナプス伝達を観察したところその影響は見られなかったが,高頻度刺激による fEPSP の増大は阻害された(図 2).また Thanpsigargin とニコチンの共存下においても同様の検討を行ったところ,通常のシナプス伝達への影響は観察されなかったものの,高頻度刺激によって LTP は正常に誘導された(図 2).

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 図 2. Mossy fiber LTP に対する thapsigargin 及び thapsigargin とニコチン共存下の効果.

対照群,thapsigargin 存在下,及び thapsigargin とニコチンの共存下において経時的にプロットした fEPSP の変化.対照記録後 30 分後に高頻度刺激を与え,さらに 60 分後に DCG-IV (1 μM)を投与した.Thapsigargin 及びニコチンの濃度は各々 5 μM と 10 μM.

 さらに thanpsigargin,ニコチン,MLAの共存下における高頻度刺激による fEPSP の増大も検討したが,LTP の誘導は見られなかった.これらの結果から,α7nAChR によるmossy fiber LTPの制御はCICR を介しており,他のCa2+流入経路により代償され得ることが示唆された.

考 察

海馬苔状線維シナプス伝達とシナプス可塑性におけるニコチンの作用を検討した結果,mossy fiber LTP におけるニコチンの作用はα7nAChR を介するものであることが示唆された(図 3).この結果は,α7nAChR がシナプス前細胞に存在しシナプス伝達を調節すると主張する Gray ら 6)や Sharma8)らによる結果を支持する.しかしながらニコチン受容体の分布を証明することが今後の課題として残されている.また,本研究において,mossy fiber LTPの誘導にはα7nAChR によって引き起こされる細胞内 Ca2+ストアからの CICR が関与していることが示唆された.さらに CICR の阻害薬によって阻害された LTP 誘導は,α7nAChR の活性化によって別の経路から Ca2+流入を引き起こすことによって代償されることが明らかになった.この結果は,トリガー分子が異なるものの Lauri らの結果に類似する(但し Lauri らはニコチン受容体ではなく,電位依存性 L 型 Ca2+チャネルによる代償としている)9)(図 3).今後はProtein Kinase A 等の細胞内シグナル伝達系と α7nAChR の関連の解明が期待される.中枢神経系のニコチン受容体は,記憶・学習や認知機能に関わる重要な役割を担っており,アルツハイマー病に代表される中枢神経系疾患の治療法開発にとっても重要な研究課題である.しかしながら,ニコチン受容体の記憶・学習機能に関する生理学的な研究は少なく,本研究は臨床的見地からも病態モデルにつなげる基礎的研究としても重要であると考えられる.

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 図 3. Mossy fiber LTP の誘導メカニズムの想定図.

α7nAChR の活性化を通じて Ca2+濃度が上昇し,CICR を誘発する.これが引き金となり,LTP に至ると想定される.  本研究の共同研究者は,東京大学農学部獣医学科比較病態生理学教室の礒部剛仁,理化学研究所脳科学総合研究センター脳形態解析支援ユニットの端川 勉である.

文 献

1) Contractor A., Swanson G. T. & Heinemann S. F. : Kainate receptors are involved in short and long-term plasticity at mossy fiber synapses in the hippocampus. Neuron, 29: 209–216, 2001.

2) Breustedt J. & Schmitz D. : Assessing the role of GLUK5 and GLUK6 at hippocampal mossy fibersynapses. J. Neurosci., 24: 10093–10098, 2004.

3) Breustedt J., Vogt K. E., Miller R. J., Nicoll R. A., & Schmitz D. : α1E-containing Ca2+ channels areinvolved in synaptic plasticity. Proc. Natl. Acad. Sci., 100: 12450-12455, 2003.

4) Harrison J. M., Allen R. G., Pellegrino M. J., Williams J. T., & Manzoni O. J. : Chronic morphinetreatment alters endogenous opioid control. J. Neurophysiol., 87: 2464-2470, 2002.

5) Prendergast M. A., Harris B. R., Mayer S., Holley R. C., Pauly J. R., & Littleton J. M. : Nicotineexposure reduces N-methyl-D-aspartate toxicity in the hippocampus: relation to distribution of theα7 nicotinic acetylcholine receptor subunit. Medl. Sci. Monit., 7: 1153-1160, 2001.

6) Gray R., Rajan A. S., Radcliffe K. A., Yakehiro M., & Dani J. A. : Hippocampal synaptic transmissionenhanced by low concentrations of nicotine. Nature, 383: 713-716, 1996.

7) Ito K., Contractor A., & Swanson G. T. : Attenuated plasticity of postsynaptic kainate receptors inhippocampal CA3 pyramidal neurons. J. Neurosci., 24: 6228–6236, 2004.

8) Sharma G., Grybko M., & Vijayaraghavan S. : Action potential-independent and nicotinic receptor-mediated concerted release of multiple quanta at hippocampal CA3-mossy fiber synapses. J.Neurosci., 28: 2563-2575, 2008.

9) Lauri S. E., Bortolotto Z. A., Nistico R., Bleakman D., Ornstein P. L., Lodge D., Isaac J. T., &Collingridge G. L. : A role for Ca2+ stores in kainate receptor-dependent synaptic facilitation andLTP at mossy fiber synapses in the hippocampus. Neuron, 39: 327-341, 2003.

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