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日光道中同心の道中記(11回)2019年12月10日

歩いた日:12月5日(木)晴参加人数:6名

後藤、菅原、佐藤小野澤、高橋弘、三杉

歩いたコース:雀宮~宇都宮

日光街道歩きの11回目です。今回は、雀宮駅から宇都宮までの行程です、快晴の中9時30分出発する。このコースもあまり名勝古跡は無い、現在の4号線をひたすら歩き、昼食に宇都宮で餃子を食することを楽しみに。

雀宮宿

「雀宮宿」

日光道中の整備に伴

い、雀宮村が開かれ

宿駅となった。

天保十四年(一八四

三)の日光道中宿村

大概帳によれば雀宮

宿の宿内家数は七十

二軒、うち本陣一、

脇本陣一、旅館三十

八軒で宿内人口は二

百六十八人であった。

日光街道アラカルト

雀宮駅前にて

前回からの雀宮宿です。駅からしばらく歩くと寿鶴薬師堂を見る。寿鶴薬師堂

奥まったところに見える派手なお堂は「寿鶴(すず)薬師堂」。説明板等は特に設置されていない。

菅原神社

菅原神社は、学問の神様として知られる菅原道真翁を祀る神社である。学問の神様「天神様」と呼ばれ親しまれ、全国各地に「菅原神社」、「天神様」と呼ばれる神社が建立された。

「菅原神社」

学問の神「菅原道

真」を祀る天神社。

子の辺りは台新田村

立場跡で高札場が

あった。領内の名主

や町年寄りは宇都宮

藩主参勤野送迎を

行った。将軍社参の

際は境内に仮の茶屋

が設けられた。

日光街道アラカルト

日本橋から26番目の一里塚。現在は失われてないが、一里という地名が残っている。

江曽島一里塚跡

(二十六里目)

西原町というところを通ると、大榎が見えてくる。根方に鳥居と石祠が祀られていた。

宇都宮宿に入る

宇都宮宿

「宇都宮宿」

宇都宮は二荒山神社の門

前町として栄え、地名は下

野国、「一の宮」や奥州攻

めの源氏勢が戦勝祈願をし

た「討つの宮」を知名の由

来としている。その後宇都

宮藩の城下町とし、主要街

道の要衝、そして鬼怒川の

舟運によって江戸と結ばれ、

日光道中一番の賑わいで

あった。日光道中宿村大概

帳によれば宇都宮宿の宿内

家数は千二百十九軒、うち

本陣二、脇本陣一、旅館四

十二軒で宿内人口は六千四

百五十七人であった。

日光街道アラカルト

不動尊

不動明王(大聖不動)は高さ50cmの石像で宇都宮朝綱(ともつな)の建立といわれる。旧奥州街道と奥州街道との分かれ目にあり、宇都宮にはいる目印となっていた。かたわらに、1928年に建てられた道標がある。

宇都宮宿に入るが日光

街道の面影なし

不動堂からすぐ先に、東武鉄道宇都宮線のガードがある。ここに宇都宮宿の木戸があったらしいのでで、宿はここから始まるといえる。

今回は天気も良く距離も短いの

で足取りも軽やかな様子です

蒲生君平勅旌碑

明治天皇の命により宇都宮藩知事の戸田忠友奉行が1869年に蒲生君平の遺功を追賞したもの。蒲生君平は学者・尊王家として知られ、1808年に天皇陵について考証した山陵志を著わした。市指定有形文化財。

明治2年天皇は蒲生君平の功績をたたえる勅命を出した。そのため宿の入口に、蒲生君平の里という碑が建てられた。旌という字はあまり見ないが、辞書を引くと、人の善行を賞して、広く世上にあらわし示すことという意味がある。

新町のけやき

樹齢は推定800年で、江戸時代から宇都宮城下の入口に立って

おり、旅人の目印となっていた。栃木県指定天然念物。

台陽寺

江戸から宇都宮城下への入口にあたる

ところに立っていて、旅人の目印に

なっていたという。鎌倉時代から歴史

を見てきたケヤキである。

戊辰戦争で戦死した宇都宮藩士の墓が

ある。また、境内には、子安地蔵尊も

祀られている。

熱木不動尊

康平2年(1059)宇都宮宗円が多気山頂上に陣を張ったとき、戦勝を祈願して彫った三体の不動の一つだという。

子安地蔵

街道は不動前通から蓬莱大黒通という名前に変

わる。左手に宇都宮朝綱の建立になるに熱木不

動。本堂には公民館の看板が下がっているし、

老人クラブの看板もあるし、それでいて鰐口が

下がっていてお堂にはちがいないしで、よくわ

からん。なぜか鳥居もあり、不動尊と大きく書

かれている。神仏習合だろうけど、寺か神社か

どっちだ?。

神明宮

天満宮

一向寺

宇都宮景綱を開基として、建治2年(1276)に創建された。この寺の阿弥陀如来坐像は、汗かき阿弥陀といわれ、宇都宮家に凶変がある時は仏体に汗が流れるといわれた。 応永12年(1405)に造られたとされ、国の重要文化財に指定されている。 中に入れなかった

奥州街道との追分その先裁判所前を右折。伝馬町交差点が奥州街道との追分地点となる。直進するのが奥州街道、ここで左折して清住町通りを行くのが旧日光街道で、この地点で奥羽州街道と別れる。次回奥州街道を歩くときはこの地点からスタートとなる。

追分

「上野本陣跡」

建坪百九十一

坪余で門構え玄

関付であった。

庭木の大イチョ

ウを残している

が、往時の面影

はない。

日光街道アラカルト

やっと、駅前の通りに出る、これから餃子の店を選択し昼食

餃子色々で昼食

無事、宇都宮駅に到着、天気に恵まれ快適でした。

写真・ 菅原 政昭 三杉 義貴文 ・ 三杉 義貴日光街道アラカルト・ 菅原 政昭