2 3 ~12 清瀬市郷土博物館 - Tokyo...2017/01/12  · 〒204-0021...

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結核は古い病気だ。エジプトのミイラにも痕跡がある。結核は肺だけでなく様々な部位で感染し、例えば脊椎ならば脊椎カリエスとなる。ミイラから見つかったのもこの痕跡である。日本では明治以降に患者が急増、日本の近代のあゆみに大きな影響を与えた病気の一つであろう。結核による死亡者数は、第一回目のピークを迎えた大正7年(1918年)には、14万747人にものぼった。昭和になると日本人の死因の1位にもなった。この重大な事態の中、当時の結核は治療薬もなく不治の病であり、向き合うには「大気・安静・栄養」が唯一の方法だったことから、東京府は雑木林の広がる清瀬の地に結核療養所を建てることを計画する。白いペストといわれた結核の療養所が来るということで、村民の反対もあったが、伝染病対策の重要性もあり、ついに昭和6年(1931年)東京府立清瀬病院が開設された。すると他の療養所も次々に開設され、清瀬は結核療養のまちとして知られるようになる。やがてストレプトマイシンなどの薬が普及してくると結核は治る病気になる。結核療養所は一般病院に転換し、現在も病院街を形成している。

ロベルト・コッホは、遺伝病と考えられていた結核を伝染病ではないかと疑った。難関を一つ一つ克服し、ついに明治15年(1882年)に結核菌を発見する。コッホが発見した結核菌とは、多くの文学者・芸術家も闘ってきた。『風立ちぬ』を書いた堀辰雄、俳人正岡子規、珠玉のピアノ曲を作曲したショパン、画家のモディリアーニも若くして結核で亡くなっている。、戦後の文壇に登場した名文家、幸田文は自身こそ結核ではなかったが、その作品『おとうと』は、この時代の肺結核の診察や、医師、一般の人びとの結核に対する考え方を知るうえで貴重な作品である。

結核と闘った著名人はもちろん清瀬にもいた。作家吉行淳之介は清瀬で入院中、『驟雨』が芥川賞を受賞したことをベッドの上で知った。福永武彦も清瀬で療養しており、『草の花』は「東京郊外K村」が舞台となっている。「遠く病めば銀河は長し清瀬村」の句を詠んだ俳人、石田波郷は国立東京療養所に1年8か月ほど入院していた。その後退院するが、最後はまた清瀬の病院で生涯を閉じる。石田波郷は、病床で詠んだ句をまとめた『惜命』や、随筆集『清瀬村』などを著しているほか、清瀬中学校の校歌を作詞。清瀬市では彼をたたえ、毎年「石田波郷俳句大会」が開かれている。

「亡国病」といわれた結核

結核と闘った人々

清瀬で療養した文学者たち

▲結核予防啓発ポスター

▲ロベルト・コッホ

▲結核研究所での国際研修

▲清瀬市の航空写真

▲結核菌の顕微鏡写真

〒204-0013 東京都清瀬市上清戸2-6-41 Tel.042-493-8585

清瀬市郷土博物館2F市民文化センターギャラリー

※本事業は東京都の「地域資源発掘型実証プログラム事業」の取組の一環として実施しています。

2017年2月3日(金)~12日(日)   午前9時~午後5時(2月6日(月)は休館)

目指せ!世界医療文化遺産「世界を結核から守るKIYOSE」

入場無料

地域資源発掘型実証プログラム事業

▲正岡子規(1867-1902)

▲樋口一葉(1872-1896)

▲フレデリック・ショパン (1810-1849)

日帰りモニターツアー貸切バスを使って清瀬市内の結核関連施設や「清瀬 結核の歴史展」を見学します。旅行期間/①2017年2月4日(土)      ② 2月8日(水)旅行代金/0円(無料) 募集人員/各日30名

講演会「清瀬と結核の関わり」(無料・150名様限定)島尾忠男氏を講師に迎えて、結核の歴史から現在の清瀬の取り組みまで、幅広くお話を伺える絶好の機会です。日時/2017年2月12日(日) 午前10時~12時会場/清瀬市生涯学習センター7階 アミューホール   〒204-0021 東京都清瀬市元町1-2-11 Tel.042-495-7001

世界を結核から守るまち清瀬 検索申込み方法/フェイスブックのエントリー画面よりお申込みください。

世界を結核から守るまち清瀬 検索申込み方法/フェイスブックのエントリー画面よりお申込みください。

関連イベントにも是非ご参加ください!

運営主体:世界を結核から守るまちKIYOSE協議会 協力:NPO団体まちづくり清瀬、公益財団法人結核予防会/結核研究所/複十字病院、東京病院、清瀬市

昭和6年(1931年)に府立清瀬病院が開設されたのを皮切りに、ベトレヘムの園、信愛会秋津保養農園、上宮教会清瀬療園、傷痍軍人東京療養所、救世軍清瀬療養園、清瀬保養園など次々に開設されていった。また、昭和18年(1943年)には、結核研究所が清瀬に移転してくる。こうして世界一の療養所群が出来ていき、多い時には5千人が入所していた。療養所としてはスイスのダボスが知られているが、この清瀬のようなまちは世界に例がない。

*いまや結核は過去の病気と考えられがちだが、残念ながら患者はまだまだ少なくない。世界でいま、新たな患者が一年間に960万人、その80%は結核高負担国と呼ばれる国が多いアフリカ・アジアで発生している。結核研究所では毎年国際研修が行なわれ、発展途上国をはじめとした世界の国々から集まったドクターが清瀬で研修を受けている。日本国内でも一日50人が発病、一日6人が結核で命を落としている現実がある。薬に抵抗をもつ結核菌もあり、結核との闘いは今も続いている。

結核療養のまちの過去と現在

▲かつて「清瀬結核村」と呼ばれた療養所の病院街(昭和54年ごろ) イラスト:小野寺ふみ

▲武蔵野の雑木林 ▲「ここに清瀬病院ありき」の石碑 (清瀬中央公園内)

▲石田波郷の碑

▲東京療養所の外科病棟※

▲東京療養所の外気舎※ ※『回顧20年̶国立療養所のあゆみ』より

▲大気日光療法「旧富士見高原療養所 資料館」より

▲東京療養所での手術の様子※

▲保存の外気舎記念館(東京病院内)

〒204-0013 東京都清瀬市上清戸2-6-41 Tel.042-493-8585

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↓武蔵小金井

東久留米→←秋津

小金井街道

けやき通り

志木街道

郵便局

郷土博物館

北口清瀬駅

郷土博物館東

上清戸一丁目郵便局前

清瀬市郷土博物館 2F市民文化センターギャラリーアクセス/西武池袋線「清瀬駅」北口より徒歩約10分または「清瀬駅」より北口バス乗り場1番より乗車、「郷土博物館入口」下車徒歩約1分

▲結核菌の感染部位

ギャラリー開場時間午前9時~午後5時 休館日/毎週月曜日

脳脊髄膜炎

咽頭結核リンパ節炎

肺結核胸膜炎

性器結核

腸結核

脊推カリエス

腎結核