二
〇
一
九
年
度
卒
業
論
文
大行とは何か
―
宗祖の第十七願観より―
L
1
6
0
0
0
9
石
山
惠
然
序
論 目
次 序
論
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
1
本
論
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
2
第
一
章 法
然
教
団
の
第
十
七
願
観
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
2
第
一
節 元
祖
の
第
十
七
願
観
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
2
第
二
節
元
祖
以
外
の
第
十
七
願
観
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
5
第
二
章
宗
祖
の
第
十
七
願
観
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
8
第
一
節
真
実
行
の
根
拠
と
し
て
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
8
第
一
項
行
体
釈
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
8
第
二
項
行
相
釈
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
9
第
二
節
真
実
教
の
根
拠
と
し
て
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
1
5
第
三
節
如
来
等
同
の
根
拠
と
し
て
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
1
7
第
三
章
大
行
と
は
何
か
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
2
0
第
一
節
宗
祖
の
「
行
」
理
解
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
2
0
第
二
節
標
願
・
細
註
の
意
義
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
2
1
第
三
節
摂
相
帰
体
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
2
4
結
論
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
2
7
註 参
考
文
献
3
親
鸞
聖
人
(
以
下
、
宗
祖
)
は
、『
顕
浄
土
真
実
教
行
証
文
類
』(
以
下
、『
本
典
』)
の
「
行
巻
」
に
お
い
て
、
第
十
七
願
を
「
諸
仏
称
名
之
願
」
と
し
て
標
願
し
、
大
行
の
根
拠
と
し
て
い
る
。
こ
の
第
十
七
願
に
は
、
十
方
の
諸
仏
に
よ
っ
て
阿
弥
陀
仏
の
名
号
が
讃
嘆
さ
れ
る
こ
と
が
誓
わ
れ
て
い
る
。
つ
ま
り
、
諸
仏
の
称
名
が
誓
わ
れ
て
い
る
。
古
来
、
諸
仏
所
讃
の
名
号
を
真
実
行
と
し
て
掲
げ
て
い
る
と
言
わ
れ
て
き
た
。
善
導
以
来
、
浄
土
教
に
お
い
て
は
、
衆
生
が
南
無
阿
弥
陀
仏
と
称
え
る
称
名
が
往
生
決
定
の
行
と
さ
れ
、
法
然
聖
人
(
以
下
、
元
祖
)
は
こ
の
善
導
教
学
を
相
承
し
、
選
択
本
願
に
よ
る
専
修
念
仏
の
教
え
を
弘
め
た
。
無
論
、「
信
疑
決
判
」
に
見
ら
れ
る
よ
う
に
、
無
信
単
行
の
仏
道
で
は
な
い
が
、
往
生
の
行
は
あ
く
ま
で
衆
生
の
称
名
で
あ
る
と
見
ら
れ
て
い
た
。
元
祖
は
一
願
建
立
の
法
門
と
言
わ
れ
、
第
十
八
願
一
つ
を
も
っ
て
、
念
仏
往
生
の
教
え
を
当
時
の
仏
教
界
中
に
新
た
に
立
教
開
宗
し
た
。
一
方
、
宗
祖
は
そ
の
元
祖
の
教
学
を
相
承
し
な
が
ら
も
、さ
ら
に
五
願
開
示
の
法
門
と
言
わ
れ
る
教
義
体
系
を
示
し
た
。こ
の
五
願
開
示
の
意
義
は
、「
教・行・
信
・
証
と
い
う
衆
生
の
往
生
の
因
果
の
す
べ
て
が
、
阿
弥
陀
仏
の
本
願
力
の
回
向
に
よ
る
も
の
で
あ
る
こ
と
を
明
ら
か
に
さ
れ
る
た
め
で
あ
っ
た
」1
と
、
従
来
言
わ
れ
て
い
る
。
そ
し
て
、
こ
の
五
願
開
示
さ
れ
た
時
、
宗
祖
は
何
故
、
諸
仏
の
称
名
を
誓
わ
れ
た
第
十
七
願
を
大
行
の
根
拠
と
し
た
の
か
、
と
い
う
疑
問
を
持
っ
た
。
ま
た
、
宗
祖
が
教
え
を
承
け
た
法
然
教
団
に
お
い
て
、
第
十
七
願
は
ど
の
よ
う
に
解
釈
さ
れ
て
い
た
の
か
、
と
い
う
問
い
も
生
ま
れ
た
。
そ
こ
で
、
本
論
文
は
ま
ず
第
一
章
で
、
法
然
教
団
に
お
い
て
第
十
七
願
が
ど
の
よ
う
に
理
解
さ
れ
て
い
た
の
か
明
ら
か
に
し
、
次
に
第
二
章
で
は
、
宗
祖
の
第
十
七
願
観
を
法
然
教
団
の
そ
れ
と
比
較
し
な
が
ら
窺
っ
て
い
く
。
そ
し
て
、
第
三
章
で
大
行
と
は
何
か
4
考
察
し
よ
う
と
す
る
も
の
で
あ
る
。
本
論 第
一
章
法
然
教
団
の
第
十
七
願
観
第
一
節
元
祖
の
第
十
七
願
観
ま
ず
、
元
祖
の
第
十
七
願
観
を
考
察
し
て
い
く
。
元
祖
が
第
十
七
願
に
つ
い
て
言
及
し
て
い
る
資
料
は
、『
三
部
経
大
意
』「
真
仏
本
」、「
良
聖
本
」、
そ
し
て
『
和
語
灯
録
』「
三
部
経
釈
」
が
挙
げ
ら
れ
る
。
以
下
、
そ
れ
ぞ
れ
の
該
当
箇
所
を
検
討
し
て
い
く
。
『
三
部
経
大
意
』「
真
仏
本
」
で
は
、
つ
ぎ
に
名
号
を
も
て
因
と
し
て
、衆
生
を
引
摂
せ
む
が
た
め
に
、念
仏
往
生
の
願
を
た
て
た
ま
へ
り
。第
十
八
の
願
こ
れ
な
り
。
そ
の
名
を
往
生
の
因
と
し
た
ま
へ
る
こ
と
を
、
一
切
衆
生
に
あ
ま
ね
く
き
か
し
め
む
が
た
め
に
、
諸
仏
称
揚
の
願
を
た
て
た
ま
へ
り
。
第
十
七
の
願
こ
れ
な
り
。
こ
の
ゆ
へ
に
、
釈
迦
如
来
の
こ
の
土
に
し
て
と
き
た
ま
ふ
が
ご
と
く
、
十
方
に
お
の
お
の
恒
河
沙
の
仏
ま
し
ま
し
て
、
お
な
じ
く
こ
れ
を
し
め
し
た
ま
へ
る
な
り
。2
と
述
べ
ら
れ
て
い
る
。『
仏
説
観
無
量
寿
経
』(
以
下
、『
観
経
』)の「
念
仏
衆
生
、摂
取
不
捨
」3
の
文
を
解
釈
す
る
箇
所
で
あ
る
が
、
こ
こ
で
は
、
第
十
八
願
に
往
生
の
因
が
誓
わ
れ
て
お
り
、
そ
の
こ
と
が
十
方
世
界
に
弘
ま
る
こ
と
が
、
第
十
七
願
に
誓
わ
れ
て
い
る
5
と
言
わ
れ
て
い
る
。
ま
た
こ
れ
に
続
い
て
、『
仏
説
無
量
寿
経
』(
以
下
、『
大
経
』)
よ
り
「
重
誓
偈
」
の
文
が
引
か
れ
て
お
り
、
宗
祖
の『
本
典
』「
行
巻
」に
お
け
る
引
文
と
の
共
通
点
が
窺
え
る
。さ
ら
に
、善
導
の『
往
生
礼
讃
』か
ら「
以
光
明
名
号
摂
化
十
方
」
4
の
取
意
の
文
も
示
さ
れ
て
お
り
、宗
祖
の「
両
重
因
縁
釈
」を
想
起
さ
せ
る
。加
え
て
、宗
祖
が「
行
巻
」で
用
い
て
い
る「
諸
仏
称
揚
之
願
」5
と
い
う
願
名
は
、
元
祖
か
ら
の
相
承
で
あ
る
こ
と
が
分
か
る
。
次
に
、「
良
聖
本
」
の
該
当
箇
所
で
は
、
次
に
名
号
を
以
て
因
と
し
て
、
衆
生
を
引
摂
せ
む
が
為
に
、
念
仏
往
生
の
願
を
給
へ
り
。
第
十
八
の
願
是
也
。
其
の
名
号
を
往
生
の
因
と
し
給
へ
る
事
を
、
一
切
衆
生
に
遍
く
聞
か
し
め
ん
が
為
に
、
諸
仏
称
揚
の
願
を
立
給
へ
り
。
第
十
七
の
願
是
也
。
第
十
七
願
に「
十
方
世
界
の
無
量
の
諸
仏
、悉
く
咨
嗟
し
て
、我
が
名
を
称
せ
ず
と
云
は
ゞ
、正
覚
を
不
取
」云
願
を
立
□
へ
り
。
次
第
十
八
願
に
「
乃
至
十
念
、
若
不
生
者
、
不
取
正
覚
」
と
立
給
へ
る
。
此
の
故
に
よ
り
て
、
釈
迦
如
来
此
土
に
し
て
説
給
が
ご
と
く
、
十
方
に
各
恒
河
沙
の
仏
ま
し
ま
し
て
、
同
是
を
し
め
し
給
へ
る
な
り
。6
と
あ
る
。「
念
仏
往
生
の
願
を
立
給
へ
り
」と
な
っ
て
い
な
い
が
、こ
れ
は
誤
写
と
考
え
て
よ
い
だ
ろ
う
。こ
の「
良
聖
本
」で
目
を
引
く
の
は
、
先
の
「
真
仏
本
」
に
は
示
さ
れ
て
い
な
か
っ
た
願
文
が
引
か
れ
て
い
る
こ
と
で
あ
る
。
無
論
、
原
本
が
異
な
っ
て
い
た
こ
と
も
予
想
で
き
る
が
、「
真
仏
本
」で
は
、第
十
七
願
単
独
で
釈
迦
の
教
説
に
接
続
さ
れ
て
い
た
が
、こ
こ
で
は
さ
ら
に
第
十
八
願
も
引
か
れ
て
い
る
。
こ
れ
は
、
第
十
七
願
で
諸
仏
が
称
揚
す
る
内
容
を
端
的
に
示
す
た
め
と
考
え
ら
れ
る
。
そ
し
て
、「
三
部
経
釈
」
で
は
、
名
号
を
も
て
因
と
し
て
、
衆
生
を
引
接
し
給
ふ
事
を
、
一
切
衆
生
に
あ
ま
ね
く
き
か
し
め
ん
が
た
め
に
、
第
十
七
の
願
に
「
十
6
方
世
界
の
無
量
の
諸
仏
、
こ
と
ご
と
く
咨
嗟
し
て
、
わ
が
名
を
称
せ
ず
と
い
は
ゞ
、
正
覚
を
と
ら
じ
」
と
い
ふ
願
を
た
て
給
ひ
て
、
次
に
十
八
の
願
に
「
乃
至
十
念
、
若
不
生
者
、
不
取
正
覚
」
と
た
て
給
へ
り
。
こ
れ
に
よ
て
、
釈
迦
如
来
こ
の
土
に
し
て
と
き
給
ふ
が
ご
と
く
、
十
方
に
も
お
の
お
の
恒
河
沙
の
ほ
と
け
ま
し
ま
し
て
、
お
な
じ
く
こ
れ
を
し
め
し
給
へ
る
な
り
。7
と
述
べ
ら
れ
て
い
る
。こ
こ
で
は
、「
良
聖
本
」と
同
じ
よ
う
に
願
文
も
示
さ
れ
て
い
る
。た
だ
、第
十
八
願
に
往
生
の
因
が
誓
わ
れ
て
い
る
こ
と
が
直
接
に
は
示
さ
れ
て
い
な
い
。
こ
こ
ま
で
、
三
つ
の
資
料
に
お
い
て
、
第
十
七
願
に
対
す
る
元
祖
の
言
及
を
確
認
し
た
と
こ
ろ
、
第
十
七
願
は
第
十
八
願
の
法
義
を
弘
め
る
こ
と
を
目
的
と
し
た
願
で
あ
る
と
見
ら
れ
て
い
た
よ
う
で
あ
る
。
第
十
七
願
は
、
真
実
教
を
誓
う
願
と
す
る
見
方
と
真
実
行
が
誓
わ
れ
た
願
と
す
る
見
方
と
が
あ
る
が
、
元
祖
に
お
い
て
は
真
実
教
が
誓
わ
れ
た
願
と
し
て
扱
わ
れ
て
い
る
と
考
え
た
い
。
ま
た
、
行
々
相
対
で
称
名
念
仏
の
行
を
表
に
し
て
説
い
た
元
祖
で
あ
る
が
、
第
十
八
願
の
上
で
名
号
を
因
と
す
る
こ
と
が
述
べ
ら
れ
て
い
た
。
第
十
八
願
文
に
は
、「
乃
至
十
念
」
の
語
は
あ
る
が
、
名
号
は
直
接
に
は
出
て
い
な
い
。『
選
択
本
願
念
仏
集
』(
以
下
、
『
選
択
集
』)の「
本
願
章
」で
は
、第
十
八
願
に
往
生
の
行
と
し
て
称
名
念
仏
が
選
択
さ
れ
た
こ
と
が
、勝
易
の
二
徳
を
も
っ
て
示
さ
れ
て
い
る
。
勝
徳
の
一
段
で
は
、「
名
号
是
満
徳
之
所
帰
也
」8
と
述
べ
ら
れ
て
い
る
が
、「
真
仏
本
」
に
お
い
て
も
、「
弥
陀
如
来
は
因
位
の
と
き
、も
は
ら
我
名
を
と
な
え
む
衆
生
を
む
か
へ
む
と
ち
か
ひ
た
ま
ひ
て
、兆
載
永
劫
の
修
行
を
衆
生
に
回
向
し
た
ま
ふ
」
9
と
示
さ
れ
て
い
る
。
こ
こ
で
、
回
向
義
が
用
い
ら
れ
て
い
る
が10
、
名
号
を
も
っ
て
因
と
す
る
と
示
さ
れ
て
い
る
こ
と
か
ら
、
回
向
は
名
号
に
よ
っ
て
成
り
立
つ
と
も
考
え
ら
れ
る
。
し
か
し
な
が
ら
、
神
子
上
惠
龍
氏
は
、
選
択
集
二
行
章
に
於
て
、
正
雑
二
行
に
つ
い
て
五
番
の
得
失
を
示
し
、
其
中
に
回
向
不
回
向
対
を
挙
ぐ
る
が
、
此
の
時
の
回
向
7
不
回
向
は
、共
に
行
者
に
約
し
て
云
う
の
で
あ
っ
て
、如
来
の
他
力
回
向
を
語
る
の
で
は
な
い
。(
中
略
)法
然
は
他
力
を
主
張
し
た
け
れ
ど
も
、
こ
れ
を
回
向
と
結
び
つ
け
て
、
他
力
回
向
を
釈
し
た
こ
と
は
、
そ
の
著
の
上
に
見
出
す
こ
と
が
出
来
な
い
よ
う
で
あ
る
。11
と
述
べ
て
い
る
。
つ
ま
り
氏
に
よ
れ
ば
、
宗
祖
が
示
し
た
如
来
回
向
・
名
号
回
向
の
義
は
、
元
祖
の
上
に
は
確
認
す
る
こ
と
が
で
き
な
い
と
い
う
こ
と
で
あ
る
。た
だ
、『
三
部
経
大
意
』に
お
い
て
も『
選
択
集
』同
様
、名
号
の
体
徳
に
帰
し
て
、衆
生
の
往
生
の
因
が
語
ら
れ
て
い
る
と
は
言
え
よ
う
。
第
二
節
元
祖
以
外
の
第
十
七
願
観
第
二
節
で
は
、
法
然
教
団
に
お
い
て
、
元
祖
以
外
に
第
十
七
願
に
つ
い
て
の
言
及
が
あ
る
資
料
と
し
て
、
聖
覚
の
『
唯
信
鈔
』
と
『
登
山
状
』に
見
ら
れ
る
第
十
七
願
観
を
窺
う
。な
お
、『
登
山
状
』に
つ
い
て
は
、聖
覚
の
著
作
と
す
る
説
も
あ
る
が
、真
偽
が
明
ら
か
で
は
な
い
よ
う
で
あ
り
、
ど
ち
ら
か
確
定
す
る
余
裕
も
な
い
の
で
、
本
論
文
で
は
単
に
法
然
門
下
に
お
い
て
第
十
七
願
へ
の
言
及
が
あ
る
資
料
と
し
て
扱
う
こ
と
と
す
る
。
『
唯
信
鈔
』
の
該
当
箇
所
は
以
下
の
通
り
で
あ
る
。
た
ゞ
阿
弥
陀
の
三
字
の
名
号
を
と
な
え
む
を
往
生
極
楽
の
別
因
と
せ
む
と
、
五
劫
の
あ
ひ
だ
ふ
か
く
こ
の
こ
と
を
思
惟
し
お
は
り
て
、
ま
づ
第
十
七
に
諸
仏
に
わ
が
名
字
を
称
揚
せ
ら
れ
む
と
い
ふ
願
を
お
こ
し
た
ま
へ
り
。
こ
の
願
ふ
か
く
こ
れ
を
こ
ゝ
ろ
ふ
べ
し
。
名
号
を
も
て
あ
ま
ね
く
衆
生
を
み
ち
び
か
む
と
お
ぼ
し
め
す
ゆ
へ
に
、
か
つ
が
つ
名
号
を
ほ
め
ら
れ
む
と
ち
か
ひ
た
8
ま
へ
る
な
り
。し
か
ら
ず
は
、仏
の
御
こ
ゝ
ろ
に
名
誉
を
ね
が
ふ
べ
か
ら
ず
。諸
仏
に
ほ
め
ら
れ
て
な
に
の
要
か
あ
ら
む
。12
こ
こ
で
は
、
第
十
七
願
は
諸
仏
に
よ
る
名
号
の
讃
嘆
、
流
布
が
誓
わ
れ
た
願
で
あ
る
と
見
ら
れ
て
い
る
。
こ
の
箇
所
に
つ
い
て
、
田
代
俊
孝
氏
は
、
念
仏
往
生
の
願
に
先
立
っ
て
、
そ
れ
を
十
方
世
界
に
あ
ま
ね
く
流
行
さ
せ
る
も
の
と
し
て
、
第
十
七
願
の
名
号
讃
嘆
の
願
意
を
領
解
し
て
い
る
の
で
あ
る
。(
中
略
)第
十
八
願
に
よ
っ
て
十
方
衆
生
が
救
わ
れ
る
根
拠
と
し
て
、名
号
讃
嘆
の
第
十
七
願
が
注
目
さ
れ
て
い
る
の
で
あ
る
。13
と
述
べ
て
い
る
。
つ
ま
り
氏
に
よ
れ
ば
、
聖
覚
は
第
十
七
願
を
、
諸
仏
が
第
十
八
願
の
念
仏
往
生
の
法
義
を
衆
生
に
説
き
示
す
た
め
に
設
け
ら
れ
も
の
と
見
て
い
た
こ
と
が
分
か
る
。
こ
こ
に
見
ら
れ
る
聖
覚
の
第
十
七
願
観
は
、
元
祖
と
同
じ
捉
え
方
が
さ
れ
て
い
る
と
言
え
る
。
ま
た
、「
名
号
を
も
て
あ
ま
ね
く
衆
生
を
み
ち
び
か
む
と
お
ぼ
し
め
す
」と
い
う
説
示
も
、『
三
部
経
大
意
』に
お
い
て
、「
名
号
を
も
て
因
と
し
て
、衆
生
を
引
摂
せ
む
」(「
真
仏
本
」)と
述
べ
ら
れ
て
い
る
箇
所
と
同
意
趣
で
あ
り
、聖
覚
も
所
称
の
体
、名
号
の
は
た
ら
き
に
言
及
し
て
い
る
と
言
え
る
。
次
に
、『
登
山
状
』
の
該
当
箇
所
で
は
、
以
下
の
よ
う
に
述
べ
ら
れ
て
い
る
。
名
号
を
と
な
へ
ば
む
ま
る
べ
き
別
願
を
お
こ
し
て
、
そ
の
願
成
就
せ
ば
、
佛
に
な
る
べ
き
が
ゆ
へ
也
。(
中
略
)
ね
が
は
く
は
、
わ
れ
十
方
諸
仏
に
こ
と
ご
と
く
こ
の
願
を
称
揚
せ
ら
れ
た
て
ま
つ
ら
ん
と
ち
か
ひ
て
、第
十
七
の
願
に
、「
設
我
得
仏
、十
方
無
量
諸
仏
、
不
悉
咨
嗟
、
称
我
名
者
、
不
取
正
覚
」
と
た
て
給
ひ
て
、
つ
ぎ
に
第
十
八
願
の
「
乃
至
十
念
、
若
不
生
者
、
不
取
正
9
覚
」
と
た
て
給
へ
り
。
そ
の
む
ね
、
無
量
の
諸
仏
に
称
揚
せ
ら
れ
た
て
ま
つ
ら
ん
と
た
て
給
へ
り
。14
こ
こ
で
も
、
第
十
八
願
の
上
で
往
生
の
因
が
語
ら
れ
、
第
十
七
願
に
よ
っ
て
、
そ
の
こ
と
が
称
揚
さ
れ
る
こ
と
が
示
さ
れ
て
い
る
。
た
だ
し
、
こ
こ
で
は
、
第
十
七
願
に
お
い
て
諸
仏
が
讃
嘆
す
る
内
容
が
第
十
八
願
で
あ
る
と
明
確
に
述
べ
ら
れ
て
い
る
。
こ
れ
に
よ
り
、先
に
確
認
し
た『
三
部
経
大
意
』「
良
聖
本
」や「
三
部
経
釈
」に
お
い
て
、第
十
七
願
と
共
に
第
十
八
願
も
引
用
さ
れ
て
い
た
意
義
が
窺
え
る
。
第
十
七
願
観
に
つ
い
て
は
、
こ
れ
ま
で
と
同
じ
く
真
実
教
を
誓
っ
た
願
と
し
て
扱
わ
れ
て
い
る
と
言
え
る
。
ま
た
、こ
の『
登
山
状
』に
は
、「
い
か
な
る
弥
陀
か
、十
念
の
悲
願
を
お
こ
し
て
十
方
の
衆
生
を
摂
取
し
給
ふ
。い
か
な
る
わ
れ
ら
か
、
六
字
の
名
号
を
と
な
へ
て
三
輩
の
往
生
を
と
げ
ざ
ら
ん
。
永
劫
の
修
行
は
こ
れ
た
れ
が
た
め
ぞ
、
功
を
未
来
の
衆
生
に
ゆ
づ
り
給
ふ
」15
と
い
う
説
示
が
あ
り
、如
来
の
功
徳
を
衆
生
に
回
向
さ
れ
る
こ
と
が
示
さ
れ
て
い
る
。こ
れ
は
、第
一
節
で
確
認
し
た
よ
う
に
、
念
仏
往
生
の
法
門
を
名
号
の
体
徳
に
帰
し
て
、
語
ら
れ
て
い
る
と
理
解
す
る
こ
と
が
で
き
る
。
以
上
、
簡
単
で
は
あ
る
が
、
法
然
教
団
に
お
け
る
第
十
七
願
観
を
考
察
し
て
き
た
。
往
生
の
因
が
第
十
八
願
の
上
で
語
ら
れ
、
第
十
七
願
は
、
第
十
八
願
の
法
義
が
十
方
世
界
に
弘
通
す
る
た
め
に
誓
わ
れ
た
真
実
教
の
願
と
し
て
扱
わ
れ
て
い
た
と
考
え
ら
れ
る
。
ま
た
、
行
々
相
対
の
立
場
を
取
る
法
然
教
団
に
お
い
て
も
、
名
号
を
も
っ
て
往
生
の
因
が
語
ら
れ
る
場
合
も
あ
る
こ
と
が
明
ら
か
と
な
っ
た
。
第
二
章
宗
祖
の
第
十
七
願
観
10
第
一
節
真
実
行
の
根
拠
と
し
て
第
一
項
行
体
釈
法
然
教
団
に
お
い
て
は
、
教
の
立
場
で
理
解
さ
れ
て
い
た
第
十
七
願
で
あ
る
が
、
宗
祖
の
第
十
七
願
観
を
三
つ
の
系
統
に
分
け
て
考
察
し
て
い
き
た
い
。ま
ず
、第
一
節
で
は
、『
本
典
』な
ど
に
見
ら
れ
る
真
実
行
の
根
拠
と
し
て
の
第
十
七
願
観
を
通
仏
教
と
は
行
の
性
格
が
異
な
る
こ
と
を
示
す
行
体
釈
と
、通
仏
教
と
同
じ
よ
う
に
衆
生
の
造
作
に
あ
ら
わ
れ
た
と
こ
ろ
で
語
る
行
相
釈16
の
二
面
か
ら
検
討
し
て
い
く
。
そ
れ
に
先
立
ち
、両
祖
の
化
風
に
つ
い
て
一
言
し
て
お
く
。序
論
で
触
れ
た
よ
う
に
、元
祖
は
一
願
建
立
の
法
門
と
言
わ
れ
、行
々
相
対
、
三
法
門
の
立
場
で
あ
る
。
一
方
、
宗
祖
は
五
願
開
示
の
法
門
を
示
し
、
四
法
門
を
据
わ
り
と
し
て
い
る
の
で
あ
る
。
宗
祖
が
五
願
開
示
し
、
大
行
の
根
拠
と
し
て
第
十
七
願
を
配
当
し
た
理
由
と
し
て
古
く
か
ら
指
摘
さ
れ
て
い
る
の
が
、
諸
仏
に
讃
嘆
さ
れ
る
名
号
を
大
行
と
し
て
掲
げ
る
た
め
で
あ
る
と
い
う
も
の
で
あ
る
。
宗
祖
撰
述
の
随
所
に
、
名
号
を
行
と
す
る
用
例
が
あ
る
が
、「
行
巻
」に
お
い
て
も
、大
行
と
は
名
号
で
あ
る
こ
と
を
示
そ
う
と
し
た
と
い
う
説
で
あ
る
。こ
の
説
は
、特
に『
大
経
』引
文
が
根
拠
と
な
っ
て
い
る
。
第
十
七
願
に
は
、
諸
仏
が
名
号
を
讃
嘆
す
る
こ
と
が
誓
わ
れ
て
い
る
が
、
讃
嘆
す
る
こ
と
を
主
と
す
る
の
か
、
讃
嘆
さ
れ
る
名
号
を
主
と
す
る
の
か
判
然
と
し
な
い
。
し
か
し
な
が
ら
、
讃
嘆
す
る
こ
と
は
真
実
教
の
根
拠
に
親
し
い
の
で
、
讃
嘆
さ
れ
る
名
号
を
行
と
し
て
引
用
さ
れ
た
の
だ
と
言
わ
れ
る
。
つ
ま
り
、
宗
祖
は
「
行
巻
」
に
お
い
て
、
所
讃
の
立
場
で
第
十
七
願
を
解
釈
し
て
い
る
と
古
来
言
わ
れ
て
い
る
。
ま
た
、
大
行
は
「
信
巻
」
に
説
か
れ
る
大
信
の
所
信
で
あ
り
、
信
心
の
対
象
・
内
容
で
あ
る
こ
と
を
示
す
た
め
の
標
願
で
あ
る
と
11
す
る
説
も
あ
る
。
善
讓
師
は
、
先
此
十
七
願
を
標
し
た
る
に
就
て
。
下
信
巻
の
能
信
に
望
む
れ
ば
。
自
ら
就
行
立
信
就
人
立
信
の
二
意
有
り
。
能
讃
の
人
た
る
諸
仏
に
就
て
見
れ
ば
則
就
人
立
信
顕
は
る
。
仏
果
を
究
め
た
る
諸
仏
な
る
か
ゆ
へ
に
仏
語
に
虚
妄
な
し
。
信
せ
す
ん
は
有
る
へ
か
ら
す
。
所
讃
に
付
て
見
れ
は
。
則
往
生
の
行
た
る
名
号
に
し
て
。
就
行
立
信
顕
る
ゝ
な
り
。
若
不
生
者
の
誓
約
虚
な
ら
す
し
て
。
顕
れ
た
る
名
号
信
ぜ
ず
ん
ば
あ
る
べ
か
ら
ず
。
故
に
十
七
願
に
。
自
ら
就
人
就
行
の
趣
き
有
り
。17
と
述
べ
て
い
る
。「
就
人
立
信
就
行
立
信
」と
言
え
ば
、正
し
く「
信
巻
」に
引
用
さ
れ
る
善
導
引
文
で
あ
り
、他
力
の
信
心
の
内
容
を
表
す
も
の
で
あ
る
。
宗
祖
が
「
諸
仏
称
名
之
願
」
と
い
う
願
名
を
標
願
し
た
の
は
、
こ
の
就
人
と
就
行
に
対
応
さ
せ
る
た
め
と
見
ら
れ
て
い
る
。
先
に
挙
げ
た
名
号
を
大
行
と
す
る
と
い
う
見
方
に
つ
い
て
も
、『
往
生
論
註
』(
以
下
、『
論
註
』)
の
「
名
号
破
満
」
の
文
は
、
信
の
内
容
と
し
て
「
行
巻
」
で
は
な
く
「
信
巻
」
に
引
用
さ
れ
て
い
る
。
通
仏
教
で
は
、
教
え
を
信
じ
て
行
じ
証
る
と
い
う
「
教
信
行
証
」
の
次
第
を
な
す
が
、
真
宗
で
は
救
い
の
法
(
行
)
は
す
で
に
成
就
さ
れ
て
お
り
、衆
生
は
た
だ
そ
れ
を
領
受
す
る(
信
)ば
か
り
で
証
に
至
る
と
い
う「
教
行
信
証
」の
次
第(
法
門
縁
起
の
次
第
)
と
な
る
。無
論
、『
本
典
』も
こ
の
法
門
縁
起
の
次
第
で
顕
わ
さ
れ
て
い
る
。こ
の
よ
う
に
、信
心
の
対
象・内
容
と
し
て
、通
仏
教
と
は
性
格
が
異
な
る
行
で
あ
る
こ
と
を
表
す
、
行
体
釈
と
し
て
の
第
十
七
願
観
が
指
摘
さ
れ
て
い
る
。
第
二
項
行
相
釈
上
記
以
外
の
説
と
し
て
、
第
十
七
願
の
「
咨
嗟
称
我
名
」
を
第
十
八
願
文
の
「
乃
至
十
念
」
が
称
名
と
な
る
根
拠
と
す
る
た
め
と
12
い
う
行
相
釈
と
し
て
の
第
十
七
願
観
が
あ
る
。こ
の
説
は
、当
時
法
然
教
団
に
お
い
て
、「
乃
至
十
念
」の
十
念
が
称
名
念
仏
と
な
る
こ
と
を
い
か
に
証
明
す
る
か
、
と
い
う
こ
と
が
問
題
に
な
っ
て
い
た
こ
と
を
考
慮
し
た
説
で
あ
る
。
善
導
や
元
祖
の
教
学
を
相
承
す
る
者
に
と
っ
て
は
、
本
願
に
称
名
念
仏
が
誓
わ
れ
て
い
る
と
い
う
の
は
当
然
の
こ
と
で
あ
る
が
、
魏
訳
『
大
経
』
中
、
直
接
に
は
称
名
の
語
が
出
て
い
な
い
。18
元
祖
に
お
い
て
は
、『
選
択
集
』に
お
い
て
、第
十
八
願
文
の「
乃
至
十
念
」が
南
無
阿
弥
陀
仏
と
称
え
る
称
名
念
仏
の
こ
と
で
あ
る
こ
と
を
論
証
す
る
に
あ
た
り
、善
導
流
念
仏
の
伝
統
と
し
て
、『
観
経
』に「
称
南
無
阿
弥
陀
仏
」19
と
説
か
れ
て
い
る
文
を
根
拠
と
し
て
挙
げ
て
い
る
。た
だ
し
、『
大
経
』の
文
は
引
用
さ
れ
て
い
な
い
。藤
枝
昌
道
氏
に
よ
る
と
、法
然
門
下
の
一
人
で
あ
る
弁
阿
は
、第
十
八
願
成
就
文
を
も
っ
て
十
念
が
称
名
と
な
る
こ
と
を
示
し
て
お
り
、『
大
経
』の
上
に
称
名
の
論
拠
を
探
す
傾
向
が
見
ら
れ
る
と
い
う
。20
ま
た
、井
上
善
幸
氏
は
、こ
の
問
題
を
華
厳
宗
の
明
恵
に
よ
る
専
修
念
仏
批
判
と
の
関
係
の
中
で
考
察
し
て
い
る
。明
恵
は
、第
十
八
願
文
の「
乃
至
十
念
」は
称
名
に
限
る
こ
と
は
で
き
ず
、『
観
経
』を
も
っ
て
そ
の
根
拠
と
す
る
元
祖
の
理
解
を
批
判
す
る
。
元
祖
の
没
後
、
弟
子
た
ち
は
専
修
念
仏
の
根
幹
を
揺
る
が
す
こ
の
批
難
に
答
え
な
け
れ
ば
な
ら
な
か
っ
た
と
い
う
。21
こ
う
し
た
状
況
の
中
、宗
祖
の
第
十
七
願
観
に
そ
の
明
恵
に
対
す
る
応
答
と
見
ら
れ
る
部
分
が
あ
る
。宗
祖
は
、『
本
典
』な
ど
に
お
い
て
、第
十
七
願
を「
十
方
世
界
の
無
量
の
諸
仏
、こ
と
ご
と
く
咨
嗟
し
て
、わ
が
名
を
称
せ
ず
は
、正
覚
を
取
ら
じ
」22
と
読
み
、『
唯
信
鈔
文
意
』(
以
下
、『
唯
信
文
意
』)「
真
筆
本
」
に
お
い
て
は
、「
十
方
無
量
の
諸
仏
に
わ
が
な
を
ほ
め
ら
れ
む
、
と
な
え
ら
れ
む
と
ち
か
ひ
た
ま
へ
る
」23
と
述
べ
て
い
る
こ
と
か
ら
、『
大
経
』の
上
で「
わ
が
名
を
称
す
」と
い
う
称
名
の
根
拠
を
見
出
し
て
い
る
と
考
え
ら
れ
る
。
13
以
上
の
よ
う
に
、
第
十
七
願
の
「
咨
嗟
称
我
名
」
へ
の
宗
祖
の
注
目
が
指
摘
さ
れ
て
い
る
の
だ
が
、
諸
仏
の
称
名
を
直
ち
に
衆
生
の
称
名
と
言
え
な
い
の
で
は
な
い
か
と
疑
問
を
感
じ
る
。先
行
研
究
の
中
に
は
、「
咨
嗟
し
て
、わ
が
名
を
称
せ
ず
は
」と
い
う
読
み
方
は
、「
称
」を「
名
」に
繋
げ
る
た
め
の
特
別
な
配
慮
で
あ
る
と
す
る
意
見
が
見
ら
れ
た
。24
し
か
し
な
が
ら
、先
に
も
引
用
し
た
「
三
部
経
釈
」に
は
、「
第
十
七
の
願
に「
十
方
世
界
の
無
量
の
諸
仏
、こ
と
ご
と
く
咨
嗟
し
て
、わ
が
名
を
称
せ
ず
と
い
は
ゞ
、正
覚
を
と
ら
じ
」と
い
ふ
願
を
た
て
給
ひ
て
」25
と
あ
っ
た
。ま
た
、「
良
聖
本
」に
お
い
て
も
、「
第
十
七
願
に「
十
方
世
界
の
無
量
の
諸
仏
、悉
く
咨
嗟
し
て
、我
が
名
を
称
せ
ず
と
云
は
ゞ
、正
覚
を
不
取
」云
願
を
立
□
へ
り
」26
と
述
べ
ら
れ
て
い
た
。こ
れ
ら
の
こ
と
か
ら
、少
な
く
と
も
、「
称
」の
字
を「
名
」に
繋
げ
る
読
み
方
は
、宗
祖
独
自
の
も
の
と
は
言
え
ず
、法
然
教
団
に
お
い
て
、
す
で
に
こ
の
よ
う
に
読
ま
れ
て
い
た
と
見
る
べ
き
で
は
な
い
だ
ろ
う
か
。元
祖
も「
わ
が
名
を
称
せ
ず
」と
読
ん
で
い
な
が
ら
、『
大
経
』
に
お
け
る
称
名
の
根
拠
に
し
て
い
な
か
っ
た
こ
と
が
分
か
る
。
先
に
述
べ
た
よ
う
に
、『
選
択
集
』
に
は
引
用
さ
れ
て
お
ら
ず
、
も
し
口
伝
さ
れ
て
い
た
ら
、
明
恵
の
批
難
を
受
け
た
門
弟
た
ち
は
、
第
十
七
願
を
根
拠
に
反
論
し
て
い
る
と
考
え
ら
れ
る
。
元
祖
や
他
の
弟
子
た
ち
に
は
、そ
の
よ
う
な
理
解
が
見
ら
れ
な
い
中27
、何
故
宗
祖
は
、「
わ
が
名
を
称
せ
ず
」の
部
分
を
称
名
念
仏
の
根
拠
に
で
き
た
の
か
、
こ
の
点
に
つ
い
て
以
下
考
察
し
て
い
く
。
そ
こ
で
ま
ず
注
目
で
き
る
の
は
、善
導
の「
本
願
加
減
の
文
」に
つ
い
て
の
宗
祖
の
釈
で
あ
る
。宗
祖
は『
尊
号
真
像
銘
文
』(
以
下
、『
銘
文
』)に
お
い
て
、善
導
の『
観
念
法
門
』よ
り
、「
摂
生
増
上
縁
」の
文
を
引
用
し
、「「
称
我
名
字
」と
い
ふ
は
、わ
れ
仏
を
え
む
に
わ
が
な
を
と
な
え
ら
れ
む
と
也
」28
と
述
べ
て
い
る
。無
論
、元
祖
の『
選
択
集
』で
述
べ
ら
れ
る
よ
う
に
、第
十
八
願
に
お
い
て
、
称
名
念
仏
が
本
願
の
行
と
し
て
選
択
さ
れ
た
と
い
う
意
味
も
あ
る
が
、『
御
消
息
集
(
善
性
本
)』(
以
下
、『
善
性
本
』)
14
第
七
通
に
は
、「
十
七
の
願
に
、わ
が
な
を
と
な
え
ら
れ
む
と
ち
か
ひ
給
て
、十
八
の
願
に
、信
心
ま
こ
と
な
ら
ば
、も
し
む
ま
れ
ず
は
仏
に
な
ら
じ
と
ち
か
ひ
給
へ
り
」29
と
あ
る
こ
と
か
ら
、第
十
七
願
の
上
に
称
名
の
根
拠
を
見
出
そ
う
と
す
る
姿
勢
が
見
受
け
ら
れ
る
。『
浄
土
三
経
往
生
文
類
』(
以
下
、『
三
経
文
類
』)で
は
、第
十
七
願
を「
称
名
の
悲
願
」30
と
し
て
引
用
し
、
同
成
就
文
を
称
名
の
悲
願
成
就
の
文
と
し
て
い
る
。31
そ
し
て
、『
唯
信
文
意
』「
真
筆
本
」
で
は
、
お
ほ
よ
そ
十
方
世
界
に
あ
ま
ね
く
ひ
ろ
ま
る
こ
と
は
、
法
蔵
菩
薩
の
四
十
八
大
願
の
中
に
、
第
十
七
の
願
に
、
十
方
無
量
の
諸
仏
に
わ
が
な
を
ほ
め
ら
れ
む
、と
な
え
ら
れ
む
と
ち
か
ひ
た
ま
へ
る
、一
乗
大
智
海
の
誓
願
成
就
し
た
ま
へ
る
に
よ
り
て
な
り
。
『
阿
弥
陀
経
』
の
証
誠
護
念
の
あ
り
さ
ま
に
て
あ
き
ら
か
な
り
。
証
誠
護
念
の
御
こ
ゝ
ろ
は
、『
大
経
』
に
も
あ
ら
わ
れ
た
り
。
ま
た
称
名
の
本
願
は
選
択
の
正
因
た
る
こ
と
、
こ
の
悲
願
に
あ
ら
わ
れ
た
り
。32
と
述
べ
て
い
る
の
で
、『
大
経
』
に
お
け
る
称
名
の
根
拠
を
第
十
七
願
に
求
め
て
い
た
こ
と
が
分
か
る
。33
で
は
、何
故
宗
祖
は
第
十
七
願
を
称
名
の
根
拠
に
で
き
た
の
だ
ろ
う
か
。こ
の
こ
と
を
考
察
す
る
た
め
に
、ま
ず
宗
祖
の「
称
名
」
に
対
す
る
理
解
を
探
る
こ
と
に
す
る
。「
行
巻
」
に
引
用
さ
れ
る
『
論
註
』
に
お
け
る
「
称
」
の
割
註
を
見
る
と
、「
称
字
{
処
陵
反
知
軽
重
也
『
説
文
』
曰
銓
也
是
也
/
等
也
俗
作
秤
云
正
斤
両
也
昌
孕
反
昌
陵
反
}」34
と
明
か
し
て
い
る
。
こ
の
註
の
意
義
に
つ
い
て
、
梅
原
眞
隆
氏
は
、
こ
れ
法
体
あ
り
の
ま
ゝ
の
徳
が
衆
生
の
称
名
に
そ
な
わ
り
あ
ら
わ
れ
る
こ
と
は
、
は
か
り
が
毫
も
私
曲
を
雑
え
ず
正
直
に
斤
両
を
あ
や
ま
ら
な
い
と
同
致
で
あ
る
。
他
力
の
称
名
は
私
の
は
か
ら
い
を
さ
し
は
さ
ま
ず
、
名
号
を
全
領
し
て
如
実
の
讃
嘆
と
な
る
、
称
名
が
大
行
た
る
所
以
を
示
さ
れ
た
の
で
あ
る
。35
15
と
述
べ
て
い
る
。
つ
ま
り
氏
に
よ
れ
ば
、
宗
祖
は
「
称
」
に
「
は
か
り
」
と
い
う
意
味
を
見
出
し
、
衆
生
の
称
名
念
仏
は
領
受
し
た
名
号
が
あ
ら
わ
れ
て
い
る
す
が
た
で
あ
る
と
見
た
と
い
う
こ
と
で
あ
る
。36
そ
れ
は
、諸
仏
の
称
名
に
つ
い
て
も
同
様
で
あ
り
、諸
仏
に
よ
る
名
号
の
讃
嘆
は
、
名
号
そ
れ
自
体
の
は
た
ら
き
に
よ
る
も
の
で
あ
る
。
古
来
、
称
即
名
と
言
わ
れ
る
。
諸
仏
と
衆
生
、
ど
ち
ら
の
称
名
も
名
号
の
は
た
ら
く
す
が
た
な
の
で
あ
る
。
ま
た
、宗
祖
は『
銘
文
』で
は
、「「
称
仏
六
字
」と
い
ふ
は
、南
無
阿
弥
陀
仏
の
六
字
を
と
な
ふ
る
と
な
り
。「
即
嘆
仏
」と
い
ふ
は
、す
な
わ
ち
南
無
阿
弥
陀
仏
を
と
な
ふ
る
は
、仏
を
ほ
め
た
て
ま
つ
る
に
な
る
と
也
」37
と
述
べ
て
い
る
。こ
こ
で
は
、称
名
に
仏
徳
讃
嘆
の
意
味
が
あ
る
こ
と
が
示
さ
れ
て
い
る
。こ
れ
は『
浄
土
論
』(
以
下
、『
論
』)及
び『
論
註
』の
讃
嘆
門
の
説
示38
に
よ
る
こ
と
は
周
知
の
通
り
で
あ
る
。
第
十
七
願
に
諸
仏
の
称
名
が
誓
わ
れ
て
い
る
通
り
、
本
来
仏
徳
を
讃
嘆
で
き
る
の
は
、
さ
と
り
の
境
地
に
い
る
仏
陀
の
み
で
あ
る
。
し
か
し
な
が
ら
、『
論
』・『
論
註
』
で
は
、
名
義
に
随
順
し
た
称
名
に
も
讃
嘆
の
意
味
が
具
わ
り
、
諸
仏
の
称
名
と
徳
を
等
し
く
す
る
と
宗
祖
は
見
た
の
で
あ
る
。
そ
れ
は
、
先
に
も
述
べ
た
通
り
、
ど
ち
ら
も
名
号
の
は
た
ら
き
に
よ
っ
て
成
り
立
ち
、
口
業
に
あ
ら
わ
れ
る
か
ら
で
あ
る
。
十
念
を
称
名
に
限
る
こ
と
は
で
き
な
い
と
す
る
明
恵
の
批
判
に
対
し
て
、
こ
の
口
業
に
か
か
る
と
い
う『
論
』・『
論
註
』の
讃
嘆
門
釈
は「
念
声
是
一
」の
根
拠
と
も
な
る
。こ
の
名
号
の
は
た
ら
き
を
宗
祖
は
、
「
~
な
る
と
也
」
と
い
う
表
現
を
も
っ
て
示
し
て
い
る
。
行
者
の
は
か
ら
い
で
如
実
の
讃
嘆
に
な
る
の
で
は
な
く
、
願
力
に
よ
っ
て
そ
の
よ
う
な
徳
が
具
わ
る
の
で
あ
る
。
次
に
、「
行
巻
」で
は
第
十
七
願
に
対
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