ソクラテスとその哲学
河野初音
論理学
O 「人間はいかに生きるべきか」、「どのように生きていったらいいか」
O これを始めた人=ソクラテス
ソクラテスの生涯
O 紀元前470年(か496年)に
アテナイに生まれる
O 青年時代は自然科学を学ぶ
O 40代になるころぺレポネセス戦争が勃発
→アテネ市民の義務を果たしに3回戦争へ行く。
デルフォイからの神託
O ソクラテスの弟子カレフォインがデルォイにあるアポロン神を祭ってる神殿にいく。
O 「ソクラテスより賢い人はいますか?」と聞くと、「ソクラテスに勝る賢者はいない。」とお告げがでる。
O ソクラテスは不審に思うが他の賢者を訪れると、アポロン神のお告げが正しいと確信する。
無知の知
O 世間の賢者は雑学、いろんな分野の知識は心得ている。しかし、人間にとって一番大切な「真・善・美」また、「徳」については知らない。知らないのに知っている気になっている。つまり大事なことを知らないのを知らない。私(ソクラテス)の場合、知らないことを知っている。だから賢者と呼ばれている人よりも私の方が勝っている。
ソクラテスのいう「徳(アレテー)」
O 目的を達成するための優秀性、人生で役立つ機能性。
O 人間の魂をさらによくする正しい生き方。
O 知徳合→人間にとって「徳=知識」正しい知恵があれば悪いことはしない。
死刑判決と自殺
O 問答法→相手の話をよく聞き矛盾点をつく。これによって人々の反感を買い、(70歳になる頃)裁判にかけられる。
O 罪状;「ギリシア古来の神々を冒涜(ぼうとく)し、自らの神を作り出した。そして、若者たちを誤った方向に導いた」
O 判決は死刑。
O 死刑判決宣告直後、毒杯をあおり自殺。
ソクラテスの弁解
O 弟子プラトン著作の裁判で告訴内容に対してのソクラテスの弁解を書いている本。
O ━田中美知太郎編 世界の名著6 プラトンⅠ━“世にもすぐれた人よ、君は、アテナイという、知力においても武力においても最も評判の高い偉大な国家の人でありながら、ただ金銭をできるだけ多く自分のものにしたいということばかりに気を使っていて、恥ずかしくはないのか。評判や地位のことは気にしても思慮や真実のことは気にかけず、魂(いのち)をできるだけすぐれたものにするということに気も使わず心配もしていないとは。”━ソクラテスの弁明 より抜粋(29d, e) 中央公論社━
O ソクラテスは裁判にかけられてもアテネの町に出て、問答法を繰り返した。「私が問答を繰り返す行為をやめれば、罪が軽くなるようだが、それは自分の使命に反することなので、たとえ殺されようが、『知を愛すること』はやめない。情状酌量(じょうじょうしゃくりょう)なんて求めない」と語った。
O 本の一番最後に─Apology Also known as The Death of Socrates by Plato─“The hour of departure has arrived, and we go our ways--I to die, and you to live. Which is better God only knows.”―Project Gutenberg Etext─Translatedby Benjamin Jowett―
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