Title 和歌山縣田邊灣鳥ノ巢[海]岸の泥岩岩脈に就いて 地球...

12
Title 和歌山縣田邊灣鳥ノ巢[海]岸の泥岩岩脈に就いて Author(s) 小谷, 秀一 Citation 地球 (1936), 25(5): 354-365 Issue Date 1936-05-01 URL http://hdl.handle.net/2433/184558 Right Type Departmental Bulletin Paper Textversion publisher Kyoto University

Transcript of Title 和歌山縣田邊灣鳥ノ巢[海]岸の泥岩岩脈に就いて 地球...

  • Title 和歌山縣田邊灣鳥ノ巢[海]岸の泥岩岩脈に就いて

    Author(s) 小谷, 秀一

    Citation 地球 (1936), 25(5): 354-365

    Issue Date 1936-05-01

    URL http://hdl.handle.net/2433/184558

    Right

    Type Departmental Bulletin Paper

    Textversion publisher

    Kyoto University

  • 節二十.先番

    解式班

    三四

    の紺の蜘凪に北野

    の掛ぷ吋きものの少からん封を痛感する0

    附昔十九

    フォエルステは

    1九二八年に

    orthoceras

    ttI)・bidium

    Hall

    and

    Whitnetdを屈

    の北本刻として

    T

    roed

    ssonoeeras

    なる新

    属を捉明しt

    SactocelaSStriatumS,(7)lineatum

    を此の

    屈に屈せしめた。

    給水、

    小幡両

    氏は

    striatumを非本鞘として新馬

    striatocerasを、lin.りattlntを

    兆不雅として

    Creentandoceras

    を樹

    立し.両帝は非に殻

    の去的に縦線的班称を和し、前額は

    ormoceroid

    判の胎管を、

    後潜は

    actinoceTOid

    判の概管を布することを樺色として

    掛けられてみる。然L

    oTm

    OCerOid・actinoceroidの牌管は

    rosettiを称するを骨

    とするに反して'

    此の所属に於

    いては鰯

    待機はステレオプラズふの

    厨で強打もさ

    れてゐて、

    ormoceroid・actinoceroid

    の牌符とは全納利耕なる性封

    のも

    のである

    此の枇邪はホールとホイツ・iフォールドの柿に於

    いて

    も訟めらjtることをフォエルステは述べてみる。

    此の削

    のみから見る

    と鮮ろ

    endoceroid

    の性駅に朔すると言ふ見方から、

    タイ

    (ルトは

    Discosoridae

    に入れようとした。押してタイ

    ヘルト

    の亨

    Disc?S.ridae

    に威し、欽…も

    endoceroid

    と結び茄-も

    か朝かは州常狭間

    の余地がある。

    此の靴に於

    いて

    Troedssonoceras

    はそれ.自信僻朗

    の性質を和し

    '他に剃するものとしては

    StereoplaSmocerina

    があるのみであるが'之

    とも亦州貼

    る。共の系統別旭は出師他の論文

    OntheStereoplasmoceratidae

    に評論す

    るから参_qき九・た

    いO之を嬰する

    Striatoceras

    Greeniandoeeras

    は存立を認め郷

    。叉木

    論文に記した

    Sactocerina

    lineatum

    Troedsson?

    cerasに展

    するから

    の威名

    もTroedsMOnOCeraS

    の同芯舶謂となることを

    附託

    する。

    (・:'r.i)

    泥 和

    岩 歌

    岩 出

    脈 願

    に 田

    就 蓮:

    い 醤

    て 鳥

    岬、緒

    本邦に於ける水成岩岩脈が頗る稀少であるの

    カナ

    は周知に屠する。就中和歌山楳西牟婁郡漸声

    E相の泥岩岩脈(第二間

    ×印)は就

    いては、既に

  • 脇水博士はよって詳細撃鼻は報辞

    されてゐる。

    其後筆者は同岩脈の踏査を蒐ぬて

    ゐねが、種々

    の鮎から同地に按禎する他の同質地域は於

    いて

    も或は之が春歌せざるかの階示と摘心を持って

    ゐたO然るに昭和九年八月同郡新庄利海岸を訓

    査中偶々教見したのが該泥岩岩脈で'爾来脇水

    博士の御指導を得て逐次調査の非を進めねが、

    昭利十年五月同博士賓窓されて其の頗城在る分

    布状態と胆しき脈数を激賞されたもので'近-

    天然記念物として本筋よ-指定rJれる筈である

    他地方に於ける水成岩

    々脈は、寡聞なる筆者

    の知る範囲では、基の露出現状が比較的小規模

    であう.岩脈の数に於

    いても前記瀬戸岩脈の∴約

    宵脈

    を敗ふる外は悉-至極少数の椋である。基

    に舶介せんとするは、其の分布地域及脈数の上

    に於

    いて隔絶した特異の鮎を見出すからである

    英岩脈は醐月岩脈地ht去る東方約三粁草

    日通轡の庸兼隅に北出する。鳥ノ兼牛島鞘梅岸

    完仰の渥蝕董上に無数に総連するものである。

    ・.'・:・一.=Jり

    大阪満船寄港の

    H-t

    港よりは海上的

    t,粁牛

    オーt歌川堀川迩僧侶ノ灘渥梓の氾射山村脈に就

    いて

    紀勢閥触自縛rt騨よ-は従車約

    一時間を要する

    地割である(第二園)0

    こ、地

    i;速幣む圏純する略々牛図形の地域は新第三

    紀申新経

    に属し、小川博士の命衆にょる熊野暦

    (所謂時代未詳中生圏)を不整合に被覆するもの

    である0

    托ー速附進の新第三配厨の闇序に就

    いて

    は、既に

    竹山排撃士によって'石川排撃士の湯

    崎泥臭其他に於

    いて論ぜら

    れ'虹

    に敢

    は脇

    水博士の

    =Preservation

    of

    Geotogical

    and

    AWineralogicalNaturalMonuments1933"

    於い

    て群越せられた所である.即ちTi,qIに遮べん

    とする鳥ノ兼牛島は'円通轡岸

    完Wの地域と非

    に中新世の中部圏

    Tanabeg

    roupの上に

    1t部平

    行不整合に按する

    K

    anayamagroupに属する

    地域である。然して日蓮椛はVindobonianに鎗

    両統はSarmatianは鼎皆するものとせられる。

    ノ狼牛

    島附近

    完Wの地域は、衆目色の申粒

    砂岩を主とし、中に数枚の砂岩及蕎岩の互圏を

    三豊

    三光

  • 二十:rTTi徐

    挟み、銅山牛島に於けるが如き上部磯岩暦の春

    せぬは勿論p同方面の砂岩槍中は稀に介在する

    磯岩の薄層79此の地域に於

    いては認め串な

    いO

    多-の動物化石及少許の植物化石を産する乙と

    或は惰暦又は漣痕等の布在せる鮎から、浅梅性

    の埴精物である串は明らかである。走向は大槽

    混雑

    山ハ

    三六

    せる大岩層等の状態から、勝に幼年規の掠岸地

    形を現はしてゐると恩ふ。

    岩脈は即ち砂岩故買岩の互暦から構成された

    斯る溢蝕毒上及背後の丘陵報を貫通するもので、

    海蝕作用はよる水平断面及垂直断面に露出する

    のである。即ち数十兼若-は宵数十米の岩卓上

    ほ於

    いて壮丁五度東傾斜北

    西八度、節排は略北六十-

    七十度西である。

    三.泥

    (駕udstonedike)

    l

    岩脈の分布

    中島は

    一昔の地域と共に

    五六十米の低夷を開抑丘陵

    地をなし'其の酉、海岸

    一昔

    は約

    一二米隆起

    の海

    (A

    bras

    ionptatform)隣る

    良-磯

    達し、後方侮蔑の急

    傾斜(賂直立)及崖下に晒弥

    第一問 ・第二間 。節三間

  • AJt

    化繊

    勢断

    度潅水に

    tjt

    tこ現

    れ'

    卓上

    A

    t背

    後の梅屋AJ耳

    し吏

    Iこ延長

    るも

    '

    断績社長約

    一粁

    '

    浮浪

    二粁

    Iこ及んでゐ

    る。

    って

    上岩

    の決

    定は不可能

    るが

    '

    の毅

    上で'更に

    て拾

    へば

    一千

    るであらう

    Q

    し共

    は投

    の決

    るも

    ので'衣に

    は早

    に教

    す事

    (欝

    一{

    俸高線は

    丘簾AJ畿

    はすと臼的とし砿韓AJ欺-)。

    は漸

    -

    牛島

    西

    の1帝にこ

    るが

    '

    意す

    染の東面

    _

    の北

    西等

    A

    隔つる軸

    の南

    _こ於

    いても

    '各

    1本

    美の来港

    を留

    る0

    地域

    が琳-

    亘るため、

    の畿

    及長

    と精確

    は頗る困

    る。

    Iこ水中

    に接

    の剛

    上薫香

    S.意

    の如

    -.#

    ねた

    めt分

    の埼糞

    AJ就

    卿義山徽円濃雷鳥

    ′曇

    輝の鴨鼻

    骨義に薫

    いて

    _.

    a

    すさナと

    し売

    し畿

    の分

    抹井

    の長

    鹿

    正義

    dt'AJ舟

    '

    jE席

    と兼

    いで

    か主

    AJ解

    る。

    の幅

    ]兼

    ZE十

    】膿

    と最

    (第

    )

    1兼

    のも

    の之

    tと塞

    '

    もこ至

    の十

    円'

    は悉

    -

    十萱

    E[

    (義夫)

    義一、

    三七

  • 二十五懲

    細版にあみてはlJ粒に浦ねのものも称する。就

    中大なる岩脈はや・i?の中部以南に多-'北部に

    いては悉-細脈のみの集合である。長

    ruは既

    述の如き地形舶係上決定し難

    さわめ分和樹によ

    って御推定h.願ひわ

    い0

    人「岩脈の配列を見るに'大なる岩脈は各

    々殆

    人ど舵線状に棚並行して北二十-三十度束

    の走

    向ととら'他は略々大勝を主軸として

    -1定の滋

    向をもつ様である。即ちγ・帖の中部以南に於

    ては各版殆Aど北淡-摘西を主走向とLt中軸

    桁々北にあ

    らては南北に近づき'史に北部ほて

    は北西

    -楢火に漸移し'滋北端ほては兼-肘に

    悲-特赦する。即ち大部分は走向新居の形をと

    ら、乍・i?北部の細服部にあ・。ては飾邦に並行す

    るものと考

    へられる。仝配列は期-の如-凸面

    と火

    方にもつ

    一弓形状の

    碍曲排列を成すもので

    ある

    が'典他金城にAって交叉線も亦多

    い0就

    中や1?浦

    和ほては略々楢北ほて=心等に交叉し、

    北部に於

    いては北七十-八十度束を以て吏るも

    井滋雛

    五黄

    三八

    のが多

    い.又多-の岩脈の分岐を派出する事

    湘lLに放けると同様である(節五戚

    )0

    ''O.' 二ti 周

    岩 脈 (細腰の交叉J

    普岩脈群は水成岩

    々擬としては賞に鹿大夜分

    和地域ともつものと此はれるが、筆者の細

    萱範

  • 閲では湘月に放けるが如

    き餅盤等の特殊な貫入

    現象

    の観察nれぬのは駈

    る遺憾とする期である

    が、精々注意すべdTuは、付岩の水平及垂匿断面

    に於

    いて、岩脈が其の脈中は付岩の

    一部を振れ

    る例が二三観察された事と、牛島の中部と属部

    の二箇所に於

    いて'岩脈の水平樽株の春する事

    とである。前者に就きては蓑に縞を伽ふる迄も

    いが、後者の場合NTj〓1.L=.すれば、牢晶中部

    ものは晒差

    一米式十、

    断層組の走向は北七i・五

    度酉で、略々岩脈の走向に匿交するもので、各

    脈各々等最の喰S違ひ賢ホしておる。南方のも

    のは北五十五鹿西と北三十五度西の二親で限ら

    た4

    i

    樫状小地塊が、僅か五十糎許-束

    への移

    。岩

    脈の

    戒と

    断層

    が同時的のものか、或は前後する79のかは筆者

    の説明に苦しむ所であるが、岩脈の喰以遠以状

    態放断相継の状態から'或は岩脈生成後に於

    y牲ぜし79のかと考

    へられる。

    銅鳥ノ鵜車高に於ける岩脈の貫入状態は略々

    和歌山嚇川逸聞鳥ノ炎梅津の泥仙吾和服に就いて

    第三園に示す加-1殆凡ど垂直に近-僅かに北

    西に傾斜してゐる。

    一iL

    ・==

    1==.

    岩脈を構成する脈岩は、暗夜色の脆さ砂質泥

    岩に七、中に大小の砂塵を爽麗し、稀に黄地髄

    の微粒を混ずる。磯は岩石の砕片として稜角

    有するもの、或は比較的稜角を矢

    へるものも称

    する。岩脈申をの数に於

    5,で敢多を占ひる五六

    糎の紬脈にあ-王は'砂粒の外五粍乃至

    一二糎

    の機(Coarsegravels)を交

    へ、大脈はあ-七は

    五糎飴

    の大鶴(Cobbles)或は二十糎飴の敢大磯

    (Boutders)むも介在する。就中特異なるは最大

    脈中の

    .i部に、露出部の高さ七十抑基底周囲

    三光に及ぶ大岩魂がp砂塵等

    を以て賑岩中に腿

    ruれp波蝕に封する抵抗差から、脈中に孤立

    戎春し

    て鴎丘

    (Monadnock)を擬した

    一異観を

    示してゐる。

    岩脈の岩質組織が中央部に粗且つ祝に、両線

    速に射且つ歌なるは既に脇水博士の群越せられ

    意九

  • 1十五呑

    た朗で、烏ノ炎岩脈に於

    いても亦E様の叔泰が

    祁られるが、帖

    Hの大なるものは舶者の問に之

    が的廠な位別をする叫は脚難であるO

    i・

    .i六

    (浦

    )

    常地域に於ける岩脈の純度は'大穂に於

    いて

    人脈と細脈との刷に井典

    があると考

    へられるし

    即ち花山か服部は

    -1米前後

    の岩L=i・上に井fIIするわ

    め、油潮時等常に岩巾とS'に刷俄ruれる串が井

    集光艶

    0

    だしい。然して母岩(砂岩)及岩脈が波蝕に封す

    る祇抗虻の弟から'岩脈の露出部に種々の形と

    茨はすは督然である。即ち細脈_こあ-ては'概ね

    岩小よ-も

    1耗乃車穀粒高-蕉杜ーして塊状のポ

    鞘を‖(.し以て其の周囲の母岩よ・,も堆さrJとAJ

    示すが、大勝は之に反し

    て岩中と殆Aど水平を

    保つか新し-は赦耗低

    さ鱗状と為し

    て'其の祉

    艦の均等若し-は其以下なることをポしておる

    (節六聞)。柑岩放火小岩脈の各々と銀塊に槍する

    も其の純弟は容易に察知rぶれる。又同

    1岩脈に

    炊きで観るーこ、大脈にあみては岩草

    ・"

    精々低

    d・勝朕を成す部分及岩卓と略々水平を保つ部分

    とあら、細脈にあ-ても塊状を成す部分放水車

    か保つ部分も交互して、以て其の部分的不.同を

    てゐる。仰岩脈の横断面にAいて中央部に

    .a-緩速部に軟かさは班に述べた如くである0

    水成岩脈の成因は就きては、光づ地官に任じ

    iJ裂鱒は別として'製錬生成後地下から砂泥の

  • 頃出先唄する場合とー上郷から流入充填する場

    合のある部は既に諭ぜら机でゐる。然して是に

    閥する群帥なる説明は今村排撃士にょつて本誌

    に報ぜられた通-である。

    普地域の岩脈に就P,其の裂糠の蕉成若-は充

    填に親しでは、浅撃の筆者として其説明に苦し

    む所であ-、且叉安物ほ的する推究hl直ちに理

    論的説明に摸-の常否を危ぶむものであるが'

    へで筆者の想定を許ruるゝなれば'即ち地震

    現象に件ふ地蛙の断層裂僻に、同時的に起る吋

    き側願力にょ-、比較的地表面に近dtJ地下に称

    する砂泥を'地下水i3共に急激に上

    勝充墳せし

    めたもので在からうかと考

    へられる。何となれ

    ば略々直立し整形せる裂櫨の状態、或は

    一定の

    鰹系をもつ裂糠の配列、若し-は必然的な交叉

    状態等よ-、裂糠を珪ずべpJ他の櫨件ほては説

    明不吋龍と思はれるからである。又充填の方向

    は就

    FJではp母岩と岩脈の各岩磐の近似する鮎.

    脈中に稜角を有する灘砕片を爽む鮎'岩脈の組

    利秋山蝶川・;.;.5'彬・E:ノ舶梅津

    の泥川禦和服に就

    いて

    織が塊状を夜し沈澱組織の離められざる軍、新

    し-は岩脈の中央部と外縁部に於ける組織の差

    等から考察すると'裂碑生成後水中に於

    いて'

    上部から流入充墳される場合の如きは到底考

    得られな

    いからであるC'即ち今村

    群撃士にょる

    宮川膳小矢部川床の砂岩々脈の成因と略々同様

    の桝秤が適用ruれるかとり3ふ。

    然し乍ら岩脈の貫通する源崖の

    一ヶ所は於

    いて'上部からの流入を想到せしひる現象の称

    するは'踏査に常

    -て脇水博士の注意せられた

    所である。筆者叉之が確たる説明は考

    へ得られ

    い。基は海操に露出する岩脈の断面に於

    いて

    其の実地の

    一紬が下方に向つてゐる鮎である。

    被産物等の喪め明瞭を秋-が、岩脈の分岐が下

    向に曲る場合も壁じ捗るであらうと考

    へられる

    卦'岩脈の岩贋が他と比披して上部からの沈澱

    ホす叩

    き要素を明瞭は現はLyゐな

    いとM。Sは

    れる瓢からである。

    椅岩脈叫にAいて幾多の交叉線の存在を乱し

    Er山

  • 節二十五態

    で考

    へられる裂糠の配列は、

    批蓮の如-其の主

    走向が東方轡曲か二ホし、面も

    寓立よ-北西に徴

    傾斜する鮎等から、皆岩脈群雄戒の機構に、北

    西少-典西寄-の構魔力が働

    いねで夜からうか

    との暗示を典

    へられるが、勿論論櫨薄弱なる推

    定であるかも知れぬ。

    ノ英岩脈蕉戒の時期は楓しては、筆者鼓は

    十分なる説別の用意頂

    き79'脇水博士が瀬戸岩

    脈は於

    いて、併盤の仲

    へる軍資を指摘ruれて、

    即ち同地の付岩たる申新枕岩層が沈積

    の途中hjJ>

    いて成立せしものとされた鮎から、是を鳥ノ

    英岩脈は>導

    いて筆者の推定を試みるなれば、鳥

    ノ兼牛島が胸声を去る機か三粁飴..然して地盤

    珪戒のr時期を等しうする非、且つ両地岩脈の岩

    貿及硬度の殆ルビ利等LqJ鮎、或は分布及貫入

    状態其他の朝似よ-推して、其の珪成機構は別

    として悲ら-は同時的であらうと考

    へる。然し

    常地域が水成岩脈として斯る戯大範囲に互る

    拘らず、唯

    .iっの特殊現象殊に餅姓の存せ伯はー

    沸五紙

    三雲

    四二

    筆者にとらで閑地の並容を困難ならしひるもの

    であるが、今

    湘LTT,ほ於ける餅糠が其の却岩産戊

    時期と不離闘係であると

    いふ前提の下は、両地

    岩脈堂戒の時期観係を餅盤を材料として考ふる

    時、即ち基が同時的の場合にも、鳥

    ノ兼地層が

    餅盤を塵成し得る構成過程にあ-、面も之をド

    ーム化する噴騰力の無かった場合も-あらうし、

    餅盤生成後波蝕によって消滅しLJ場合もあるで

    あらうO或は其地層に於

    いては之が生成に都合

    よき状態に置かれ在かつLJ場合7Pあらう。叉暇

    -ほ時を異はする場合は、上昇力の如何に拘ら

    ず岩脈珪戒は必然的に地層の固姉後、即ち中新

    棟以後である事は言を偉力粕が、恐ら-は荊者

    に属するでなからうか。加之既視の脈中に於

    一部握られたる背き付岩がp精

    々波状の摺曲

    を成せるは乾に此意を弧うする次第である。因

    みに湘声岩脈は地層走向南北、傾斜西十度、岩脈

    走向北東~南西、烏ノ兼岩脈は地層走向北十五

    庶束、傾斜西八鹿ー岩脈.の走向は既述の通-であ

  • 至.ノ=H..--・/-J.J‥・‥JI.■-

    一-1

    -1---‥・'

    -・

    J‥:

    .

    る〇

    四、結

    鳥ノ英岩脈群に就

    いて要約すれば大略左+の部

    を知る事が出来る。

    大小数宵脈の水成岩

    々脈が、申新続の砂岩

    故買岩

    の互潜

    む賞通し、交叉及分岐多きも殆

    ルビ大部

    .L定

    の排列

    を成す事、殊に版数

    於いtiJは本邦無比であらう。

    二、岩脈の岩男は何れ79砂質泥岩にて稜角ある

    大小の機を爽む。

    三、大なる岩脈

    は小なる岩脈に比LtJ岩男精

    軟らかである。

    四、岩脈の大部

    は其の走向が地層走向に並行し

    山部地域

    の刺脈は殆

    尤ど節排は並行する。

    五、岩脈は其の

    Li部に於

    いて機構を基にすると

    はれる小断層線のため水平的喰以遠以むな

    しでみる〇

    六、岩脈の賞入状態は略

    々直立し梢々北相に傾

    いてゐる。

    制歌川螺目迎潜鳥ノ基揃=.1.iの泥封

    ・:ポ脈に就

    いて

    rLt成因は不明なる7P略

    々地震による地層

    の山梨

    糠に泥砂が上騰充填せしものと瓜はれるO

    己(Ll[EZ

    に記す

    きは鳥

    ノ英岩脈群

    の存する岩中上

    の数

    ヶ所に漣

    痕の布する事で、覚は蓑釆なる偶

    飲…の存在と言はれば在らぬ。漣娘も亦本邦に放

    いては其

    の筋出面が現在数

    ヶ所に過ぎ紀と恩は

    れるが'地質撃的資料に比較的恵まれたm・..B轡

    附鑑では、漣痕に就き

    ては既に前

    瀬戸鉛

    川村

    に其

    存在を知られたが、

    其後虻に

    水博士に

    よって湖月轡岸は於

    いて班域なる鉾出面が加

    トン

    られた。其他同地の南東六七灯の福富

    m梅岸に

    いても筆者又小範囲

    の漣臆面を見出だしたが

    該地方は之が珪成若し-は自然的保有は都合よ

    き修件を具備してゐた7Pのと息はれる。

    ノ藁に於ける漣岐南

    は既記の如-水準

    に近

    P,ため、波頭及池谷

    の制磨甚だしさは保存上隣

    る造機とする研であるが、同暦面が銅

    フィルム下

    に蛮-亦する事賓も観・粒W,れる。該地の露出面

    責三

  • i・if

    終二十五怨

    は焼ir7Jものは養ru三十米帖六七米、他の三四ヶ

    所は各的二十平方米以下である。波長は六~入

    組、波高は四~

    六粘着-は五-七粕である。地

    貿尊上北証の資料として其存在を略記するは止

    める0

    以上は烏ノ英岩脈群につき浅学在る筆者の偏

    見的素描に過ぎ粕と恩はれるが、他地方水成岩

    脈との特異を諦めるため、蓑は其の革質を主と

    し一yJ備介する次第なるも'記載の上に不才11悪在

    る語句若し-は髄説等の多かるべきは、車以ほ

    先学の御叱正と御教示を賜はら人事を希ふ次節

    である0

    紺雛するに31==リ、同岩脈舶盤に捌し或は本桐を草するに就

    きて縦接及削接に御指・・串を脇はつた脇水蛾五郎博士故びに抑

    :証

    桝田

    々の桝に於

    いて御助力下された竹山偲郷排準士に粍-御忠を

    盤する次解である。本文中

    の・TS炭は胸水博士の振られたもの

    で難希に挿入を許さ

    れたのであるO(一九三六二

    )

    孟なる文献

    山俊

    川・;.g附近約三紀伊

    の厨伴

    (地球

    _=利光咋二月班)

    T

    Waki

    miZu,Ctasticf)ikes

    andRippte・markson

    t

    heE

    nv

    ironsofTanabeBay,

    (P

    reservation

    of

    Geotogicat

    and

    M

    in

    eral

    OgicalN

    aturatM

    onum

    ents

    t933.)

    liS

    川成軍

    へ地

    :<

    桝三九㍍

    大蛇十三和し

    ・:===_嚇小矢部川俳に餅川する砂山村脈に就

    (地球

    第二十三懲

    二四六試

    昭利十年

    )

    今井年次郷

    節三筋