SHAKE HANDS WITH CAMERA
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トランジション(移行) ―― !
あるいは「カメラと握手」 !
ルート・ファン・ヴェルデンブルク 作家!たまたまの偶然から、著者はあるピリッとしたパフォーマンスに参列する
ことになった。「トランジション(移行)」で、日本人アーティストのタ
ケシ・フルヤは、ダンスと音楽とヴィデオ映像とで、持続する感動の糸を
紡ぎあげた。 !!「トランジション」は、共同作業というより、一つの出会いだ。日本の写真家、
カメラマンのタケシ・フルヤは、カメラを瞬間映像から解放した。!サッカーファンの間で言う、「ボールに効果を込める」 ― キックと足首の
ひねりの間の「コントロールされた空くう
」・・・。これは、習って覚えられるこ
とではない。あるとき偶然に起こり、それが身体と精神に深く浸みいって残る。
もう一度できたらという欲求が巣食い、そしてあるとき同じことがまた起こる。
それを求めて、また練習。練習につぐ練習が人を名人にする。!サッカーでは、ボールにほとんどあり得ないようなひねりがかかる。それによ
って、訓練した者は、確実に思う場所へシュートを決める。観客にとっては、
これは美しく、エキサイティングな瞬間だー 実のところ、これは予測するこ
とのできない武器なのだけれど。!痛みと希望とが交差する地点で、タケシの写真は演戯にいくつものラインを追
加する。引き延ばされた色の線を。!英語の "#$%(揺れ)という言葉をここで使うことにしよう。つまるところ、国際的アーティストについての話なのだから。!文字通り、息を飲むようなパフォーマンスだった。ソニャ・ロスベルゲンは、
動きの合間合間に静止しつつ、えも言えぬ震えを流れ出させ、輝かせ、突き出
させることができるダンサーなのだ。実態をむき出しにしていくプロセス。そ
れが、表情としぐさにまとまった統一感を与える。牡蠣や貝のように ‐ ベ
ース・ギターが、汐の満ち引きの合間に、幅広い色のパレットを出して見せる。!創造されたものは、だから、まだそのエレメントに留まったままで、市場に「出
され」てはいない。音楽とダンスとヴィデオ撮影+同時上映のつながりであり
続けるゆえに、「トランジション(移行)」は、内に閉じこもっている。この
内省と最終的な表現との間の領域で、ロスベルゲンはそれを、動きの静寂をさ
らに強く感じ取り、それを生き、その中に死ぬことである、と考えている・・・。!
完成品というよりは、移行。!常に進み続ける行為というよりは、過程。!上演の内容というよりは、大海へ至る水門。!"!#$%&'(!')!*%+,-&*&',(移行の時)というタイトルの歌がある。ヴァン・モリソンが ./00年に出したLPに入っている曲だ。聞き手も新聞雑誌もこの曲をどう受け取っていいのかわからなかったが、生身の人間であるシンガーソングライ
ター自身が一番わかっていなかったかもしれない。ジャケットには、すばやく
次々と撮られた .1枚の写真が載っているが、その中の彼は、何だかわけがわからずポカンとしたような顔をしている。このレコードは、ブルースとポップか
ら、後に成功を収める彼の超越的な作品への移行だったのだ。「もし君にでき
るなら、君は世界で成功を収め始めたんだ」!ロスベルゲンとフルヤは、創造の時期としての「トランジション(移行)」の
現象に恋している。!ただ、微細に動く内なる絹糸のようなつながりだけがある:!タケシは、それを目に見えるものにする。!ソニャは、それを感じられるものにして示して見せる。!アンドレアス・クランプルは、その糸を想像できるように演奏してみせる。!画家は、それを手ごたえのあるものにする。!カメラと握手!!海岸にいながら海の最深の部分を経験することへの招待。これを想像すること
ができない人は、ウィリアム・ブレイクの「蚤のゴースト」をよくよく見ると
いいだろう。!たまたまの偶然から、私はこのピリッとしたパフォーマンスを経験するここと
なった。「トランジション(移行)」は、サンクト・アンドレー教会で、一回
限り上演された。建物の内装の金が、ダンサーそしてタケシの「-2+3(揺れ)」による再生映像のまわりに、レンブラント風の雰囲気を織り出していた。!!!!