ROSEリポジトリいばらき...

11
お問合せ先 茨城大学学術企画部学術情報課(図書館) 情報支援係 http://www.lib.ibaraki.ac.jp/toiawase/toiawase.html ROSEリポジトリいばらき (茨城大学学術情報リポジトリ) Title 1940年代前半の日本語教育における「文型」と「教授法 」についての一考察 Author(s) 渡邊, 裕子 Citation 茨城大学工学部研究集報(38): 307-316 Issue Date 1990-12 URL http://hdl.handle.net/10109/7413 Rights このリポジトリに収録されているコンテンツの著作権は、それぞれの著作権者に帰属 します。引用、転載、複製等される場合は、著作権法を遵守してください。

Transcript of ROSEリポジトリいばらき...

Page 1: ROSEリポジトリいばらき (茨城大学学術情報リポジトリ)ir.lib.ibaraki.ac.jp/bitstream/10109/7413/1/CSI2011_1534.pdf · 日本語教科書12冊遡及び中・上級用日本語教科書7冊

お問合せ先

茨城大学学術企画部学術情報課(図書館)  情報支援係

http://www.lib.ibaraki.ac.jp/toiawase/toiawase.html

ROSEリポジトリいばらき (茨城大学学術情報リポジトリ)

Title 1940年代前半の日本語教育における「文型」と「教授法」についての一考察

Author(s) 渡邊, 裕子

Citation 茨城大学工学部研究集報(38): 307-316

Issue Date 1990-12

URL http://hdl.handle.net/10109/7413

Rights

このリポジトリに収録されているコンテンツの著作権は、それぞれの著作権者に帰属します。引用、転載、複製等される場合は、著作権法を遵守してください。

Page 2: ROSEリポジトリいばらき (茨城大学学術情報リポジトリ)ir.lib.ibaraki.ac.jp/bitstream/10109/7413/1/CSI2011_1534.pdf · 日本語教科書12冊遡及び中・上級用日本語教科書7冊

1940年代前半の日本語教育における

「文型」と「教授法」についての一考察

渡邊裕子

(平成2年8月31日受理)

AStudy oガSente亘ce Pattern’a総ポMethodology’

in the Early Nineteen Forties JapaRese LaRguage Education Abroad

Yuko WATANABE

 Ahstract-Now it seems that anybody coRcerned teaching Japanese as a second language take the ldea of

‘sentence pattern’ for granted. And very few authors of textbooks give a definitioll of this word. Actuaily

thanks to this idea, teaching language has becoine easier and more efficient. lt is marvelous to 1〈Row that

Mr.Masatoshi Ooide made textbooks for adult learners and utilized ‘pattern practice’,wheR he gave Japanese

lessons before the end of World Wor ll. Not all the teachers understood the meaning of ‘pattern practice’.

Some. scholars did research on basic senteRces, especially on wkat were basic sentences, other scholars

collected basic sentences and classified them according to their criterion. ln 1940s, disuccussion was made

on ‘ 高?tkodology’ and several views were presented. But, ‘learners’ was not coRsidered to be one of the

important factors, and only ‘teachers’, ‘teaching metl?od’, and ‘textbooks’ were considered to be main facters

when ‘methodology’ was discussed in those days. Three examples of classification of teaching method

shows that those are rather ad hoc, lt is the time for us to endeavor to make progress in teaching

Japanese. ・

1.はじめに

 日本語教育に携わっていて,「文型」という語を耳

にも口にもしたことのない者はいないと思う。しか

し,改めて「文型」とは何かと考えると,明示的な定

義なしに用いられていることに気付く。『日本語教科

書ガイド』には,「短期学習者用初級教科書文型・文

法事項一覧」「初級教科書各課提出文型・文法事項一

覧」(1)が載っているが,それに先だって,「文型」自

体の定義がなされているわけではない。筆者らも,先

日,日本語教育用の中級・上級の,よく用いられてい

る文型をまとめ,分類した㈱。その時,教科書それぞ

れに出ている文型が様々なのはもちろん,文型と言っ

ても考え方がいろいろであることが分かった。それら

をまとめ直し,教授の際に利用できるよう分類するこ

とは大変な作業であった。我々にしても,「文型」とは

何かと言う定義を行ってから作業を始めたわけではな

い。各教科書が文型であるとしているもの(たとえ,

文字通りの文型という言葉が使われていなくても)に

ついて,作業を行ったのである。

 現在の日本語教育において,「文型」は改めて問い

直すこともされず,当然のものとして受け止められて

いると言ってよいだろう。一一方,戦前の日本語教育に

おいては,「文型」,「教授法」についてどの様に考えら

れていたのであろうか。その点について明らかにし,

また「文型」と「教授法」とのかかわりを見ていく。

Page 3: ROSEリポジトリいばらき (茨城大学学術情報リポジトリ)ir.lib.ibaraki.ac.jp/bitstream/10109/7413/1/CSI2011_1534.pdf · 日本語教科書12冊遡及び中・上級用日本語教科書7冊

308 茨城大学工学部班究集報 第38巻 (1990)

戦前の日本語教育の一面について知ることは,ひるが

えって,現代の日本語教育の進歩・発展を考える際に

何等かの役に立つと考える。

ll.現代のH本語教育における「文型」

 ①教科書における扱い

 互で述べたように,日本語教育用教科書において

は,「文型」の定義が行われることなしに,「文型」が

提出されることが普通である。筆者の調べた,初級用

日本語教科書12冊遡及び中・上級用日本語教科書7冊

注③において見出された説明は以下の3例である。

  発話文型とは,日常かわされている日本語の会話

  の様々の表現を,話し手の立場からいくつかの主

  要な文の形に整理したものである。(海外技術者

  研修調査会(1974)脚本語の基礎1』凡例)

  ”… ,it is a structure related to other struc-

  tuye, …”( J. Young, K Nakajima (1967) LEARN

  jAPANESE : College Text Voluixte 1 (vii) The

  University Press of Hawaii)

 「表現文型」と言うのは,言ってみれば「構造文

  型」に対するものである。(筑波大学日本語教育

  研究会(1983)『日本語表現文型 中級1』はしが

  き 凡人社)

 これらの記述も,具体的に何を基準に文型を取り出

したかという点には触れていない。他の教科書では,

「文型」 ‘pattem’‘seRteRce pat宅ern’ ‘patterB sen-

tence’ ネどという語が説明なしに用いられていた。日

本語教科書は,すでに「文型」とは何かを論じる場所

ではなくなっていると結論できる。

 ②「文型」についての定義・理解

 現代の日本語教育における「文型」の考え方につい

ては,森田富美子氏の記述に集約されていると言える。

  言語教育における文型は,一般的にば,いわゆる

  f構文文型」を指している。すなわち「特定の内

  容を表す言葉は入れ替わっても,その構造的意味

  は変わらないようなわく組み,鋳型」のことであ

  る。(日本語教育学会(1982)『H本語教育事典』大

  修館書店p.647)

 「構文文型」については,同じく『日本語教育事

典』において,奥津:敬一郎氏が「文の構i造に関する文

型」であり,「個々の具体的な文から抽象した一般的

な文の形」(p,163)であると説明している。また,ヂ述

語の種類によって文型を立てる」(P.164)ことが有効

であるとし,述語には,動詞・形容詞・形容動詞に助

動詞・補助動詞を加えたものを考えている。文型とし

ては,「日本語を話し,理解するために必要な文法項

目」を採り上げればよいと別のところで述べている。

日本語教育を行うときに必要な文法事項を文の形で考

え,その構造となる枠組みを個別に取り出し,一つの

意味を持った一つの構造と理解していると言えるだろ

う。

 ③日本語教育における「文型」の意味

 文法積み上げ方式の教科書を使うにしても,機能別

シラバスの教科書を使うにしても,言語教育の現場に

おいて当該言語を教授する際に,一定のパタン(pat一

宅em)を提示するという形態を採らなければ,無限に

ある文(あるいは発話文)の一つ一つについて,構造

・意味・機能を教えなければならず,それはほとんど

不可能であり,教育としてもうまく機能しない。事

実,そんなことは行われてはいないし,そのことは,

鵬本語教科書ガイド』の記述からも,先に調査した

日本語教科書の構成からも明らかである。

 構造言語学の理論に基づく,オーディオ・リンガル

法による日本語教授の場合は特に,「パタン・プラク

ティス」(「文型練習」)が教授上重要な部分を占めて

おり,どの様なパタンを取り出してまとめ,順序付け

を行うかが教育上の問題となっている。そして,その

パタンを種々に操作する練習を学習者に与えることに

よって,日本語の運用能力を身に付けさせることを意

図している。機能別シラバスで授業を行うにしても,

孕る機能を表現する文単位でのパタンを取り出して教

授しなければならない。又,文より大きい単位として

のディスコースあるいはテキストの単位を考える際

も,いくつかの文の集まりとして把握するのであるか

ら,基本は文と言うことであり,パタンと無関係では

ない。

 パタンとして,すなわち「文型jとして文を捉える

ことは教授者にとっては効率よく教育できる可能性を

与えられることを意味する。又,学習者にとっては,

うまく教えを受けた場合,或る意味を持つ言語内容

を,謙る「文型」で表現できることが分かり,学習が

明確化されると言える。

盈.戦前の日本語教育における

「文型」とr教授法」

Page 4: ROSEリポジトリいばらき (茨城大学学術情報リポジトリ)ir.lib.ibaraki.ac.jp/bitstream/10109/7413/1/CSI2011_1534.pdf · 日本語教科書12冊遡及び中・上級用日本語教科書7冊

渡邊:1940年代前半の田本語教育におけるr文法」と「教授法」についての一考察 309

 ①H本語教育における教授法

 満州事変(!931年)以降,多くのH本人が中国大陸

へ進出するに伴って,第二言語としてのEil本語教育の

問題がクローズ・アップされるようになった。その後

支那事変(1937年)を経て,いっそう多くの日本人が

海外へ進出することになった。日本語を第一言語とし

ない者に対する日本語教育の必要性が高まるにした

がって,日本語教授法,日本語自体にも人々の関心が

集まり,1”国語運動』胸’『コトバ』注⑤『日本語』遡など

の雑誌が刊行され,誌上で様々な問題が論じられてい

る。その一つが,「直接法」tsaか「対話法」かと言うも

のであった。

 次に,教授法について,日本語教育関係者がどの様

に考えていたかを例を挙げて述べる。雑誌『日本語』

において,有賀憲三が言語教育を,教授法・教授者・

教材の三つの要素を用いて説明している。3)。有賀に

よると,教授法が一番大事で,それがまず定まり,次

にその教授法に熟達した教授者がいて,その教授法に

ふさわしい教材が編集されると言う。一方,松宮一也

は同じく三つの要素を考えているが,まず現実に教授

者が存在し,その教授者の条件から教授法が定まり,

それにふさわしい教材が編集されるωとしている。

この場合,学習者の第一言語ができないからと言う理

由で「直接法」が選ばれたり,教授経験はないが,翻

訳能力はあると言うことから,「対話法」が選ばれる

ことを意味している。日本語を第一言語としない者も

「対訳法」を選ぶことが多い。このことは,現在の日

本における日本語を第一言語とする日本人の英語教師

が,「英語のセンテンスを一つずつ日本語に訳させる」

方法を採っていることを思い出させる。

 三要素の関わり方は,上記二通りだけではない。教

師側からすると,機関によって与えられた教材があっ

て,それによって教授法に制限を受け,その教授法を

用いて教授老が教授するという形態が存在する。又,

馨る教授法を基として教材を作り,その教材を教授者

が用いて教育を行うという形態等が存在するはずであ

る。しかし,有賀にしろ松宮にしろ,要素としての

「学習者」を欠いている。教授法を考える上では「学

習者」の条件も含めて考えるべきであるので,有賀,

松宮両人の教授法についての考えは不十分である。後

に詳しく論じる大出正篤の場合は,「教授法と教授者

と教材,この三つは語学教授の効果を挙げる上に何れ

も大切なものである。C5)」「先づその第一に置かるべ

きものは教授法であると思う。C6’ 」と述べるが,「成

人の学習者jも要素として考慮されている。

 言語教育において要となる教授法であるが,それと

教授技術を同一視する考えも存在していた。いや,む

しろ,当時は具体的な教授手順の情報が教授者に必要

とされていたと言った方がよいかも知れない。輿水実

が「直接法を本道とする限り,日本語教授は『技術』

の問題である。(?)」と言っているように,例えば「直

接法」を採るとしても,どの様な手順でやればよいの

かということが問題になっていたし,その上手下手に

よって,教育効果が違ったからである。中村忠一は

「直接法を本道とする限り日本語教授は全く技術の問

題であって,教育の道を歩いていないようにも思われ

る。(8)」と言い,特定の教授法を技術の問題である

と,否定的な意味合いを込めて指摘する。その他に,

教授法を思想を実現するための手段と見て,例えば

「直接法」によるのは,日本的精神を植え付けるのに

ふさわしいとしている者(9)もある。

 もう一つ,興味深いものは,工藤哲四郎の,「教師の

教授法は,学生の学習方法と一元的関連を持つべきも

のであって,各孤立したものであってはならないので

ある。(10)」という記述である。これは,教授法と学

習方法がパラレルであるべきであると言う主張であっ

て,ユニークなものであると指摘したい。筆者の理解

では,音声言語を通して言語を習得することが得意な

者(年少者に多い)には,音声言語から入り,すでに

第一言語を習得してしまっていて,文字による学習に

慣れている者には,文字言語を通して教える方が有効

であると主張できるわけである。加えて,行為行動を

通して学ぶことが得意な学習者には,それにふさわし

い教え方をしょうと言う考え方もできるわけである

が,当時,それは,強調されていない。

 ②教授法の具体例

 当時,どのようなものを教授法として認識していた

のかを実例によって見てみることにする。

 a.大出正篤による教授法の分類(1 1)

 (!)対訳式教授法(習う者の使用する言葉を用い

 て教授用語とし,またそれを用いて語・句・文の解

 釈等をする方法。)

 (2)読方式教授法(教室で他国語を用いないが,

 日本内地の国民学校の国語のように文字や文章の読

 み方解釈等に主力を置く方法。)

 (3)話方式教授法(他国語を用いず,会話練:習に

 重きを置くが,幼少年向きで長い年月を学習する正

 式学校に適した方法。)

Page 5: ROSEリポジトリいばらき (茨城大学学術情報リポジトリ)ir.lib.ibaraki.ac.jp/bitstream/10109/7413/1/CSI2011_1534.pdf · 日本語教科書12冊遡及び中・上級用日本語教科書7冊

310 茨城大学工学部研究集報 第38巻 (!990)

  (4)速成式教授法(青壮年以上を冒標とし,他国

 語を用いず短時間の問に回る完成を目的とする方

 法。)

 大出によると,台湾,朝鮮,関東州では,会話を目

的として教授する場合には,対訳式教授法は採用すべ

きではないと結論されたにもかかわらず,満州や支那

の一部ではまだ,対訳式教授法は行われており,読方

式教授法も,相当行われていたと言う。大出の分類で

も,媒介語を用いるか用いないかで,対訳式教授法と

その他に分けられている。読方式教授法と話方教授法

では,読み方に重きを置くのか,話し方に重きを置く

のかによっている。しかし,速成式教授法も話方教授

法であり,学習者を青壮年以上を目標とするというこ

とで限定し,時間のことが問題となっているだけであ

る。四つに分類するには無理があると言えるだろう。

 b,国府種武による分類(12う

 (1)講読式教授法(教師の範読を学生がリピート

 し,その後で教師が対訳式に意味を学生の第一言語

 で与えるものであり,話す練習は考慮されていない

 方法。入門期は会話で始めるが,すぐに講読に入

 り,もっぱら講読によって語学力を付けようという

 方法もここに入る。)

 (2)文法式教授法(文法を用例を挙げながら教え

 ていき,知識としての言語教育を行う方法。日本語

 を母語としない教師の行う方法。)

 (3)会話式教授法(聴く,話すから入る方法。

 ずっと会話を通してのみ日本語を教えるのではな

 く,将来は講読に移っていくのを正道とする。)

 講読式と会話式と言うのは,言語の四つの働き(聞

くこと・話すこと・読むこと・書くこと)のどれに重

きを置くかで分類しているが,文法式の場合は,知識

の体系それ自体を教えることになっているので,上記

三つが同じレベルのものであるとは言いがたいと考え

る。国府は,教授法は理論として先に存在するのでは

なく,先行する条件に応じて考えられるべきであると

言う立場を採っているので,講読式教授も,教授時間

がごくわずかで,教師の日本語運用能力が低い場合,

使用可能な教授法として認めなければならないとする。

これは,日本語教育では「直接法」でなければならな

いと言う主張を意識したものと言える。国府は,話す

のは下手だが,読む方は大分読める,あるいは読む方

がましと言うことになれば,このやり方でも「読む

力」が付くと考え,その点において講読式を肯定して

いる。しかし,「読める」と言うことが何を,又どのよ

うな状態を意味しているかも定義されていないし,講

読式教授法で「読む力」が身に付くとはなんら保証さ

れていないが,国府の理解はそこまで行っていないよ

うに思われる。

 c.桐政和による分fa. (13)

 (1)直接法

 (2)訳読重点式教授法

 (3)詰め込み主義教授法(短時間に多量の言語を

 暗記させる方法。)

 栂は,(3)は(1)・(2)とは別のレベルである

ことを断わっている。何の考えでは,どれか一つの方

法に固執するのは勧められることではなく,学習者に

よって変更すべきだと言うことである。又,f直接法j

についても,学習者に意味を正しく理解させる必要

上,単語を訳したりすることは行われるべきであり,

学習者の母語(この場合は中国語と言うことになる)

を知らない教師はうまく教えられるばずがないと主張

している。やはり,f直接法」と「対訳法」を対立する

教授法として理解する考え方の影響を免れてはいない

ようである。上記三例については,具体的教授の現象

面を見て,その特徴を捉え,教授法として命名するこ

とがなされたと言ってよいだろう。

 ③大出正篤の教授法と「文型」のかかわり

 輿水実は「北緯・満州に於ける山下喜一郎,大出正

篤と言うような先達のところでは日本語教授法が本格

的に研究されているという。かつてそういうことが少

しも中央の問題になっていないのは頗る遺憾である。(14) vと述べている。それは如何なるものであったの

だろうか。ここでは,大出正篤の教授法について見て

いく。大出正篤は朝鮮で10年,満州で20年,日本語教

育に携わった人物で,満州文化普及会の代表者であ

り,自らも奉天に日本語研究所を持っていた。大出は

理論を立ててそれによって教授法を作ったのではな

く,長年に渡る日本語教育の経験から,それが学習者

の言語学習上効果的であるかどうかを第一義的に考え

て,教授法をまとめたCl 5)。大出の日本語教育の層標

は,日本語を全く知らない者に対し日本語を教授し,

彼らを日本語が話せるようにすることである。

 大出は言語について,音声言語と文字言語の二つに

分けて考えており,文字言語の教授を不必要であると

はしていないが,音声言語の基礎の上に文字言語を築

くものとしている(16>。読み方,書き方の教授が不必

要であるとは述べていず,ただ,重点が話し方,聴き

方にあると強調している(1 7)のである。そこで会話教

授から行うと言うことになるが,会話自体について大

Page 6: ROSEリポジトリいばらき (茨城大学学術情報リポジトリ)ir.lib.ibaraki.ac.jp/bitstream/10109/7413/1/CSI2011_1534.pdf · 日本語教科書12冊遡及び中・上級用日本語教科書7冊

渡邊:1940年代前半のR本語教育におけるr文法」と「教授法」についての一考察 311

出は定義を下していない。会話教授には,聴く力を与

える面(理解)と,話す力を与える面(発表)の二面

があるが,大出は,理解は易しく発表は難しいという

理由から,重点を発表力の養成に置くべき(18)である

としている。ここで大出の言う会話教授とは,会話書

などを与えてその語句を覚えさせたりすることではな

い。言語の働きのうち,理解の働きとは聴くことと読

むことであり,発表の働きとは話すことと書くことで

あるが,ここで,何を根拠に理解の方が発表より易し

いと言えるのであろうか。理解の働きのうち,聴くこ

とを考えた場合,聞き手は話し手の音声言語を自然な

環境の中ではコントロールできないわけであるが,一

方自らの発話に関しては,自らに可能なものだけを発

表すると言えるので,その場合,聴くことの方が易し

いなどとは決して言えないと筆者は考えている。

 大出は,教授用語として,媒介語として,学習者の

第一言語を用いないので,自らの教授法は「対訳法」

ではないと考えている(19)。教材に対訳を付けるの

は,ただ,成人た対する速成目的の初歩の音声言語の

取扱を主とする時に限っている。教科書に載せられて

いる対訳は,速成教授の効果を確保するために,学習

者が予習に利用するためのものなのである。授業の前

に学習者が教材の語句・文の意味を理解するのを助け

るのが,添えられている対訳だと言うことになる。大

出は教材を活用させ発表させて練習すると言う作業が

日本語を教える時に最も大切であると考えているの

で,「理解させる」そして「記憶させる」の過程には教

室では時間を取りたくないと言う態度を採っている(2e) B教室での発表練習によって,日本語が自然に身

に付くよう考えている。反復練習を繰り返して,習慣

形成までもっていかなければならないのである。大出

が「習慣形成の練習は,ある程度技術の問題に似たも

のではなかろうか…(2 1)」と言うのは当を得ている。

音声言語習得を目指す,成人対象の入門起用教材は,

表現形式(文型)が合理的に並べられていて,生活に

関連のある実用語が載っているものでなければならな

いと大出は考えている(22)。そして,いわゆる社交会

話のような対話文をそのまま読ませたり,暗唱させた

り,発表させたりすることを会話練習とみなしている

人々に大出は反対しているが,このことは現在も又心

に留めておかなければならないことだと筆者は考えて

いる。対話文を読んだり暗唱したりすることは,言語

を学習する手段の一つとはなるが,そのことイコール

会話練習ではないのである。山口喜一郎が繰り返し

言っているように,発話の必然性があって,語り,コ

ミュニケートすることを行う練習が必要だと筆老は考

えているが,大出の強調点はそれではなく,文の型に

重きを置き,それを教えていこうと言うことである。

 その「文型」という術語について大出は,1924年

 (大正13年)8月,関東州の金食における日本語講習

会の講演原稿にすでに用いていたと述べている。そし

て,「文型」を練習の基本となる表現形式であると定

義している(23)。「文型」は言語生活(すなわち,入門

期においては教室内の生活)’に必要な表現形式である。

教室では,問と答の形式が基本であると言う理由で,

大出は第一に「問」の形式を教えるとしている。尋ね

ると言っても内容は,年齢の話,住所の話,時間の話

等様々であるので,それに必要な表現形式を選ぶと言

うことになる。大出によると,最初に採用されるの

は,「何か何ダ」と言う形式である。具体的には「コレ

ハ何デスカ」から入る。それから,「ココニ何ガアリマ

スカ」「アソコニ誰ガ{ヰ/ヲリ}マスカ」等に進む。

このような問答形式と共に,命令の文型(○○ナサ

イ),禁止の文型(○○テハイケマセン),願望の文型

(○○シテ下サイ),推量の文型(○○スルデショウ)

等が現れる(24)。入門の段階での話し方に必要な文型

は極めて少なくてよいと言う意見である。

 実際の表現形式は待遇関係によって,何通りにもな

る場合があるが,そのうちのいくつかが文型として選

ばれている。大出自身による選択の基準は闘らかにさ

れてはいないが,初歩の段階にあっては,失礼すぎ

ず,丁寧すぎない,汎用性のあるものが選ばれるのは

当然である。ここで,筆者の疑問は,大出がなぜ,話

しかける相手に「アナタ」を用いているのかと言うこ

とである。現在でも,例えば,「あなたは明日学校へ来

ますか。」という例文における「あなた」という語は,

よくこなれたものであって,文全体としても普通に用

いられる言語形式だとは考えられないのである。大出

が「アナタノ年配イクツデスカj(25)を選んだ根拠は

いったい何なのであろうか。

 大出には,『速修国語読本』『効果的・速成式 標準

日本語読本巻一~四』『速成日本語読本上・下』等の

著書がある。『効果的・速成式 標準日本語読本』の

場合,巻一(150va間相当)は話し方時代用。巻二(2

00時間相当)は,話し方,読み方並列時代用で,巻一

と巻心で,満州及び北越における語学試ge「m三級程度

の会話力を目指し,会話練習に重きを置く。巻三(20

0時間相当),巻四(250時間相当)は,読み方中心時代

用で,文の読解に力を注ぎ,前出の語学試験の二等あ

るいは一等を目指すものである。会話を重んじる時代

Page 7: ROSEリポジトリいばらき (茨城大学学術情報リポジトリ)ir.lib.ibaraki.ac.jp/bitstream/10109/7413/1/CSI2011_1534.pdf · 日本語教科書12冊遡及び中・上級用日本語教科書7冊

312 茨城大学工学部研究集報 第38巻 (1990)

には,発表形式を反復して習熟することが大切であっ

て,そう言った主旨で作られている教科書であるが,

この大出の教科書の反復練習に対して,北京新民学院

の日野成実が批判を加えている。日野は,「文型を順

次に排列して一時に一型完成しようとする指導観,又

その考えの下に編纂された教材には賛成できない。(26) vと述べ,自らの立場と違うと言うことで,その

やり方に反対している。大出の教科書には対訳が付い

ているし,山口の「直接法」とは異なっていて,大出

のやり方は「直接法」とは名ばかりであると言う批判

をしているのである。日野が「元来,会話と言われる

ものが,前以って定まっているものを暗記して,それ

を順次に話す等ある筈がない。(2 7)」と言う時,それ

は正しいが,習慣性形成のための練習は,技術を習得

するのに類似し,反復練習によるのでなければならな

いと言う点を,又,練習の対象を「文型」に置くこと

によって教育効果が期待できると大出がしている点を

日野は理解していない。従って,大出の教科書が「語

彙教材」であると誤った批判を行い,「主題『私ワ』注⑨ ネるものが,生徒になったり,店員になったり,役

人になるような事はあり得ないし…。c28)」と言っ

た,練習の方法を知らない,的はずれの発言をしてい

るのである。「文型」による口頭発表の練習は,例えば

代入練習の場合,その代入される語に重点があるので

はなく,枠組の方の形式が大事なのであるが,日野に

はそれが理解できていない。しかし,下記の有賀のよ

うに,その点を正しく認識していた者があったことも

指摘しておきたい。

  文型を教授する際,単語教授に流れぬ様に注意せ

  ねばならぬ。「机があります」「犬がいます」など

  と練習するのは,決してf机」や「犬」の単語が

  重いのではなく,「○○があります」,「○○がい

  ます」という文型が大切なのである。文型を教え

  る為に単語が借用されるのである。(有賀憲三(1

  942)「隣国留学生に対する日本語教授『日本語』

  第二巻第二号 日本語教育振興会pI3)

 大出が早くから日本語教育に「文型」の考えを取り

入れ,「会話練:習」においては,現在言うところのパタ

ン・プラクティス(文型練習)をすでに行っていたこ

とは明らかである。これは,日本語教育上,その価値

を認めるべきものである。

 ④「文型」をめぐる論議

 ヂ文型」と言うものを日本語教育において,必要な

概念・単位として採り上げているのは,大出だけでは

ない。上記の有賀憲三にしてもそうである。日本語の

海外進出との関連で,1940年代には日本語,日本語教

育もいっそう関心を持たれるようになった。そして,

1941年(昭和16年)には,雑誌『1トバ』第三巻第二

号が基本文型の問題を特集している。そこでは,基本

文型の問題が論じられているが,そこに名を連ねてい

る各人が文型であると捉えているものは異なっている

ことが観察される。そこに載っているもので重要だと

思われるものを順に見ていく。それらの考えを知るこ

とは現在の「文型」とのかかわりを考える際に役に立

つと考える。

 垣内松三注⑱は,心の表出としての言葉の形を,「文

型」とする。「基本文型」については,垣内は特定の文

型を「基本文型」と言う標準として選び出したり,基

礎として限定したりしないと言う立場を採っている。

 浅野墨引⑪は,一文に語がどれだけ必要か,そして,

語の一文における配置がどうなっているかで「文型」

を捉えようとする。すなわち,文の成分としての語

と,その語順によって「文型」を考えている。「基本文

型」については,性質上から分けた,平叙文・疑問文

・命令文・感動文・禁止文・希望文と帰着文(例:山

に登る一客語十帰着語)・修飾文(例:寒くて困る一

修飾語十被修飾語)としている。

 松尾捨治郎注⑫は,「外国人に教える日本語の基本文

型」を考え,印欧語との比較によって,日本語の特徴

であると把握した表現形式を採り上げている。それは

大きく七つのパタン欝に分けられており,尊敬・謙譲

・丁寧表現,授与表現などを含むものである。

 三尾至恩⑭は,’主語(及び主題)に付く 「は」「が」

fも」「の」(「甲の乙だという事は誰も知らない」にお

ける「の」)と接続助詞を手がかりとして基本文型を

求める立場を採っている。

 上記の例のうち,日本語教育に携わっている人々が

今ここで示してほしいと言う様な,実際的なf文型」

あるいは「基本文型」と言うものは,松尾の「外国人

に教える日本語の基本文型1だけであろう。しかし,

すでに,教育現場に目を据えた試みがなされていたこ

とは覚えておいてよい。他のものは,それぞれの理論

の上に構築されたものであって,実際的ではない。そ

の点について,同じ誌上で黒野政市が,日本語教師が

必要としているのは慣用文型と言ったものであると

言って不満を漏らしている。黒野が,「有らゆる文型

を理論立てなくても,類似文型の集成に依り,帰納的

に語感を養う方法に頼って,日本語法の全現象を理解

させ得ると思っている。c29)」と言う時,理論を放棄

する態度には賛成しかねるが,現場ではそうやって帰

Page 8: ROSEリポジトリいばらき (茨城大学学術情報リポジトリ)ir.lib.ibaraki.ac.jp/bitstream/10109/7413/1/CSI2011_1534.pdf · 日本語教科書12冊遡及び中・上級用日本語教科書7冊

渡邊:1940年代前半の日本語教育における「文法」と「教授法」についての一考察 313

納的に「文型」が集められていたと推測できるのであ

る。

 その他,岡本千万太郎も,1940年に雑誌『国語教

育£に,基本文型とその種類について四回に渡って発

表している。ここでは,それらの記事が再録されてい

る,『β本語教育と田本語問題』欝によって,岡本の言

う「文型」について見ていく。岡本は,人工的で不自

然なところがあると自らが見なしている,Basic

恥91ish欝をまねた,土居光知のr基礎日本語』ta⑰は簡

易日本語であると決めつけている(30)。海外輸出用の

日本語であって,本物ではないと言うネガティブな意

味合いを込めているのである。岡本自身は基礎日本語

について,学習上,基礎的なもの,基本的なものであ

ると雷う立場を採る。そして基礎日本語を成立させて

いるものが,基礎音声・基礎語彙・基礎文型であると

し,「文型」については,「これはほぼ文法に当たる。

(3D vと述べている。さらに,「文型」とは,「文の具

体的意味と抽象的形式の統合としての  『文の型』あ

るいわ『文の構造の形式』とゆう意味である。(32)」

と定義を行う。そのうちの基礎的なものが「基礎文

型」になるのである。そして,それを教えることが,

言語学習を合理的に行うために必要であると認識して

いる。具体的には,おもに助詞と助動詞とを目EPとし

て文型の種類を考える立場を採っている(33)。国際学

友会発行のr日本語教科書一基礎編』が岡本が作成し

た,文型を基にした教科書である(34)。

 1940年代には,誌上で「文型」について論議された

だけではない。1942年夏は「外国人の日本語学習用文

典は,典型的な実例を示して,これを反復させる以外

に方法がない。(35)」と言うことで,調査,研究され

た文型が,『田本語練習用 日本語基本文型』として

青年文化協会より出版されている。編纂趣意によると

研究を行っているのは,保科孝一,今泉忠義,大西雅

雄,黒野政市,輿水実である。内容:は,大きく三つに

分けられ,第一篇 表現の種々の場合に於ける文型

(p.3~p.77)第二篇 語の用法に関する文型(p.79~

p.215)第三篇 文の構造に関する文型(p.2玉7~

p.257)そして,索引(p.258~p.267)が付いている。「表

現の種々の場合に於ける文型」には,「命令の文型」

「希望・要求の文型」「許可の文型」r禁止の文型」r義

務の文型」「質問の文型」「疑問の文型jr推:量の文型」

等内心的に34種類あって,そのそれぞれに対して,具

体的な枠組としての文型が提示されていて,全部で15

9文型に上る。例えば,(一)オ…ナサイ(クダサイ)

に含まれるのは!0文型欝であり,かなり細かい分類と

なっている。「語の用法に関する文型」では,助詞・助動

詞・補助動詞・形式名詞等を用いて項目分けをし,文型

としている。(一)「は」(二)「が」(三)「は」と「が」…(四十

六)「あります」と「ゐます」遡…(七十八)「はい」,「いい

え」と言うことで全部で78の文型が提出されている。

「文の構造に関する文型」では,(一)主語を用いない

文として 15文型(二)主語の構造 16文型(三)述

語の構造 21文型(四)補語の構造と位置 24文型

(五)独立語 2文型(六)重文・複文 3文型 と

言う扱いになっている。各編の分類基準が異なってい

るため,重複が見られるし,重文・複文の文型がわず

か3例と言う様に,必ずしもバランスのよいものでは

ない。しかし,1940年代に,すでにこのレベルまで,

「文型」についてまとめられているのを見ると,当時

の日本語教育のレベルは低くなかったと言える。現在

も,「表現文型」という概念が用いられることがある。

その基本となる考え方は,すでに存在していたのであ

る。その上,帰納的に文型を集めるだけでなく,「文」

とは何かから考えて,「基本文型」を囲らかにしょう

と言う努力がなされていたことにも頭が下がる。

W.さいごに

 1940年代前半は,時代の要請により,専門家でない

者も,日本語教育の一端を担わざるを得ない状態で

あった。中国大陸へは,国語教師に英語教授法を教え

て送り込み,新たに対象とされた東南アジア方面へ

は,日本国内で余剰の英語教師に国語の知識を教えて

送り出すことが考えられていたと言う注⑳。教材等も乏

しい時代,教授法についても言語教育という大きな枠

組の中での役割と言った取り組み方は見出せない。し

かし,教育の現場はいつの時代も,張りつめている。

ゆとりもなく,教師が本当に必要なものも与えられて

いない。そんな中で,大出正篤が成人学習者を対象に

日本語教育を行う時,今で言うパタン・プラクティス

が効果の上がるものであるとし,それを採用し,教科

書まで作成しているのは,評価してよい。大出以外に

も,文型を日本語教育に採り入れる者もあったことを

もちろん忘れてはならない。戦後の日本語教育でパタ

ン・プラクティスが用いられる場合は,言語習得が刺

激と反応とその強化の繰り返しによって行われる習慣

形成であると言う考え方によっている。そのような認

識は1940年代の前半の日本語教育界にはなかったと言       淺⑳える。C.C. FriesのTeaching and Learning English as

aForeign Languageは1945年, B.F.SkinnecのVerbal

Page 9: ROSEリポジトリいばらき (茨城大学学術情報リポジトリ)ir.lib.ibaraki.ac.jp/bitstream/10109/7413/1/CSI2011_1534.pdf · 日本語教科書12冊遡及び中・上級用日本語教科書7冊

314 茨城大学工学部研究集義 第38巻 (1990)

Behaviourは1957年の事であったからである。戦後45

年たって,ヂ日本語教育」が確かに進歩したと言えるで

あろうか。我々は45年前のレベルにとどまっているこ

とは決して許されないのである。

注①砂川有里子他編集(1990)ll中級・上級日本語教

科書文型索引』くろしお出版

注②(イ)Elenor H. Jorden(1963)“BEGINMNG

 JAPANESE Part 1” TUTILE (pt) J. Young, K.

Nakajima (1967) “ LEARN JAPANESE : College

Text Volume 1 ” The University Press of Hawaii

(ハ)国際基督教大学日本語学科(1963)”Modern

Japanese for University Students Part I” (二)

Alfonso/Niimi (1968) “ Japanese A Basic Course ”

上智大学(ホ)Japanese Language Promotion

Center (1971) “INTENSIVE COURSE IN JAPA-

NESE ELEMENTARY”ランゲージ・サービス(へ)

早稲田大学語学教育研究所(197D『外国学生用 日

本語教科書 初級(改訂版)』(ト)小出詞子(197D

“EASY JAPANESE I”Toppan Company Ltd.(チ)

吉田弥寿夫他(1973)“JAPANESE FOR TODAY”学

習研究社(り)海外技術者研修調査会(1974)『日本語

の基礎1』AOTOS Chosakai(ヌ)吉田弥寿失他(1

976)“JAPANESE FOR BEGINNERS”学習研究社(ル)水谷修・水谷信子(1977)“An Introduction to

Modern Japanese”The Japan Times(ヲ)国際交

流基金(1982)『日本語初歩1』凡人社

注③(イ)国際基督大学日本語学科(1966)“Modem

 Japanese for University Students Part ll fJ(ロ)国

際基督大学日本語学科(1968)“Modren Japanese for

University Student Part皿” (ハ)アメリカ・カナダ

十一一大学連合日本研究センター(197D “INTE-

GRATED SPOKEN JAPANESE I VOLUME ONE”(二)大阪外国語大学留学生別科日本語研究室(197

4) “INTERMEDIATE JAPANESE VOLUME 1”(ホ)東海大学留学生教育センター(1979)『日本語中

級1』(へ)JAPANESE LANGUAGE PROMOTIONCENTER (1980) “INTENSIVE COURSE IN

JAPANESE INTERMEDIATE”MAIN TEXT ランゲージ・サービス(ト)筑波大学日本語教育研究会

(1983)『日本語表現文型中級1』凡人社

注④国語協会(1937~1944)r国語運動』

注⑤国語文化研究所(1940~1943)rコトバ』

注⑥日本語教育振興会(1941~1945)r日本語』

注⑦f直接法」については,拙稿(1987)rr直接法』

と山門喜一郎の教授法」A:KP紀要創刊号を参照。

注⑧満州国における語学検定試験は1936年(昭和ll

年)から行われた。第一回,第二回は主として官吏に

のみ実施された。第三回戦らは一般大衆にも門戸が広

げられた。各等級の合格程度は以下のようである。特

等(会話・読み書き全てが最:も優秀な日本人に匹敵。)

一等(会話は教養ある日本人に匹敵。読み書きの能力

は日本の中等学校卒業者以上。)二等(会話力は普通

の会話が,三等の者よりも洗練されて,可能であり,

読み書きの能力は日本の中等学校初年級程度。)三等

(普通の会話が自由にでき,読み書きの能力は日本の

国民学校初等科4年ないしは5年程度。)北支におけ

る語学検定試験については未見。

注⑨日野の挙げている,大出の教科書からの実例を以

下に載せておく。

  効果的・速成式 標準日本語読本巻一(大出正

  篤)「二十三」「私ワ」

  私ワ日語学校ノ生徒デス。私ワ会社二勤メテイマ

  ス。私ワ役所二勤務シティマス。

  「補充語」夜学校,小学校,中学校,師範学校,

  商店,会社員,銀行員,店員,役人(官吏),中央

  銀行,北京市政公署

  会話練習

  (一)ココワ夜学校デスカ。ハイ夜学校デス。

     ココワ小学校デスカ。イイエ小学校デハア

     リマセン。夜学校デス。

  (二)貴方ワ何処ノ生徒デスカ。私ワ日語学校ノ

     生徒デス。/王サンワ中学校ノ生徒デスカ。

     イイエ,師範学校ノ生徒デス。

  (三) (四) m各。

注⑩垣内松三(194D「基本文型の問題」幽トバ』第

三巻第二号 国語文化研究会p.4~p.13

注⑪浅野信(1941)「陛本文型』の問題・文型と文体

と一」il =トバ』第三巻第二号 国語文化研究所p.13 ”v p.23

注⑫松尾捨治郎(1941)「外国人に教える日本語の基

本文型」『コトバ』第三巻第二号 国語文化研究所

p.23 N p.32

注⑬七つのパタンとは,次の七つを意味する。1省略

型 転置型 2が…い型 3れる型 4お…申す型

5ます型 6だ型 付です型 7やる型 もらう等等

注⑭三尾砂(1941)「基本文型への手がかり」『コト

バ』第三巻第二号p.49~p.63

注⑮岡本千万太郎(ユ942)r日本語教育と日本語問題』

Page 10: ROSEリポジトリいばらき (茨城大学学術情報リポジトリ)ir.lib.ibaraki.ac.jp/bitstream/10109/7413/1/CSI2011_1534.pdf · 日本語教科書12冊遡及び中・上級用日本語教科書7冊

渡邊:1940年代前半のN本語教育における「文法」と「教授法」についての一考察 315

白水社

注⑯C.K,Ogde励ミ1929年から1930年にかけて発表し

た。850語で成り立っている。

注⑰土井光知(1933)『基礎日本語』六国館 1000語が

選ばれており漢語が多く,終止形で現れている動詞数

38e

注⑱その10文型は以下の通りである。

  1オ「動詞2」ナサイ 2ゴ「漢語動詞」ナサイ

3オ(ゴ)「副詞」ナサイ 4「動詞」テゴランナサイ

 5オ「動詞2」クダサイ(マセンカ) 6ゴ「漢語動

詞」クダサイ 7「動詞」テクダサイ(マセンカ)

8オ「動詞2」(ゴ「漢語動詞」)=ナッテクダサイ(マ

センカ) 9「副詞」シテクダサイ 10命令形(「動

詞2」とはいわゆる連用形のことである。)

注⑲ここでは,存在の表現だけでなく,発見・所有を

表す「あります」,動作を表す「てるますj,存在を表

す「てあります」の提示あり。

注⑳輿水実(1942)r日本語教授法』国語文化研究所

p.168 ’一p. 169

注⑳Friesは成人のための外国語学習指導としてOral

Approachを提唱し,外国語学習の第一段階での到達

目標をf口頭での発表及び話された場合の理解に必要

な一群の習慣の形成である」と述べている。(Fries

1945 p.8)

参 考 文 献

1.国際交流基金(1983)『日本語教科書ガイド』北星

堂書店 P.16

2。文化庁(1973)「文型教育」『日本語と日本語教育

一文法Wt・一』 P.2

3.有賀憲三(1942)「隣邦留学生に対する日本語教

授」『日本語』第二巻第二号 日本語教育振興会 p.9

4.松宮一也(1949)『日本語の世界的進出』婦女界社

 p,72

5.大出正篤(1940)「日本語の世界的進出と教授法の

研究」『文学』 p.71

6.大虚正篤(1940)上記5に同じ。 p.72

7。輿水実(1942)『日本語教授法』国語文化研究所

 p.306

8.中村忠一(1943)「国民練成への日本語教育」『コ

トバ』第五巻第四号 国語文化研究所 p.18

9。加藤福一(1943)f公学堂における日本語教育」

講本語』第三巻第一号 日本語教育振興会 p.74

10.工藤哲四郎(1942)『最:新 日本語教授法精義』帝

教書房版 p.l16

11.大出正篤(1942)「日本語の南進と対応策の急務」

『日本語』日本語教育振興会 p.63

12.国府種:武(1943)「日本語教授法の諸問題」『日本

語』第三巻第五号 日本語教育振興会 p.56~p.58

13.栂正和(ユ942)「華北に於けるEii本語について」

『日本語』第二巻第一号 日本語教育振興会 p.18~

p.19

14.輿水実(1942)「日本語共栄圏確立の具体策」『コ

トバ』第四巻第一号 国語文化研究所 p.16

15.大出正篤(1942)「日本語教授の効果についての

考察」『日本語』第二巻第六号 日本語教育振興会

 p.51

16.大出正篤(1943)fH本語教室雑感」『日本語』第

三巻第三号 日本語教育振興会 p.65

17.大出正篤(1942)「日本語教室漫言(二)」『日本

語』第二巻第二号 日本語教育振興会 p.31

18.大出正篤(1942)上記17に同じ。 p.32

19,大出正篤(1942)「日野氏の『対訳法の論拠』を読

みで一日本語教定漫言その四」『日本語』第二巻第七

号 日本語教育振興会 p.20

20.大出正篤(ユ940)上記5に同じ。 p.ア9

21,大出正篤(1942)上記19に同じ。 p.23

22.大出正篤(1942)上記19に同じ。 p25

23.大出正篤(194D「島本語の初歩教授からみた文型

の考察」『コトバ』第三巻第六号 国語文化研究所

 p.23

24.大出正篤(194D上記23に同じ。 p.26~p.27

25.大出正篤(1941)上記23に同じ。 p.29

26.日野成実(1942)「対訳法の論拠」『日本語』第二

巻第六号 日本語教育振興会 p.72

27.日野成実(1942)上記26に同じ。 p.71

28.日野成実(1942)上記26に同じ。 p,73

29.黒野政市(1941)「基本文型への手がかりは理論的

にのみ求めてよいか」『コFバ』第三巻第二号 国語

文化研究所 p.78

30.岡本千万太郎(1942)「基礎文型の研究」『日本語

教育と日本語問題』白水社 p.76

31.岡本千万太郎(1942)上記30に同じ。 p.78

32.愚蒙千万太郎(1942)上記30に同じ。 p.82

33.澗本千万太郎(1942)「基礎文型の種類」『日本語

教育と日本語問題』 p.88

34.岡本千万太郎(1942)「自国語の文法教育と外国語

の文法教育」『コトバ』三月号『日本語教育と日本語問

題』に再録。白水社 p.138

Page 11: ROSEリポジトリいばらき (茨城大学学術情報リポジトリ)ir.lib.ibaraki.ac.jp/bitstream/10109/7413/1/CSI2011_1534.pdf · 日本語教科書12冊遡及び中・上級用日本語教科書7冊

316               茨城大学工学部研究集報 第38巻 (1990)

35.財団法人青年文化協会(1942)r日本語練習用 日

本語基本文型』編纂趣意 国語文化研究所 p.1