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お問合せ先 茨城大学学術企画部学術情報課(図書館) 情報支援係 http://www.lib.ibaraki.ac.jp/toiawase/toiawase.html ROSEリポジトリいばらき (茨城大学学術情報リポジトリ) Title ストリートの光と影:おしゃれっこ Author(s) 黒田. 浩司 Citation 茨城大学人文学部紀要. 人文学科論集(33): 1-19 Issue Date 2000-03 URL http://hdl.handle.net/10109/9201 Rights このリポジトリに収録されているコンテンツの著作権は、それぞれの著作権者に帰属 します。引用、転載、複製等される場合は、著作権法を遵守してください。

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お問合せ先

茨城大学学術企画部学術情報課(図書館)  情報支援係

http://www.lib.ibaraki.ac.jp/toiawase/toiawase.html

ROSEリポジトリいばらき (茨城大学学術情報リポジトリ)

Title ストリートの光と影:おしゃれっこ

Author(s) 黒田. 浩司

Citation 茨城大学人文学部紀要. 人文学科論集(33): 1-19

Issue Date 2000-03

URL http://hdl.handle.net/10109/9201

Rights

このリポジトリに収録されているコンテンツの著作権は、それぞれの著作権者に帰属します。引用、転載、複製等される場合は、著作権法を遵守してください。

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ストリートの光と影:おしゃれっこ

黒田 浩司

風  景

「あっ,すみません」

金髪の下に黒い髪の毛が混じり,まだら状態になった男の子が道を空けながら言った。耳

と鼻には銀色のピアス。そして白っぽいシャツはボタンを3つまではずしており,時々浅黒

く日焼けした肌がのぞいている。長いゴールドのネックレスを首からかけ,下着こそ見えな

いがズボンはかなり下げられており,そのすそは地面に擦られて,少々すり切れている。

「どうぞ」

突然,仲間の一人がドアを開けてくれる。彼も髪の毛を染めズボンをずり下げて似たよう

な格好をしている。違いは彼の方が髪の毛の色がややオレンジがかっているのと,ほぼ全部

の指に大きな指輪をしているところである。とっさのことにこちらも一一瞬戸惑ったが,

『どうも,ありがとう。』

と,言葉を返すと二人はにこっと笑った。筆者が店の中にはいると,そこにいるメンバー

に笑い声が広がった。「何おめえ,善人やってんだよ」という声が聞こえた。そして彼らはま

た,いつものお喋りに戻った。

彼らはジベタリアン【「地面(じべた)に座る人」の意。東京・渋谷近辺から出現した。道

の端,植え込みの縁階段,コンビニの前,電車の床など,どこにでも座る】であり,筆者

が時折利用しているコンビニエンスストアの前にたむろしている。その店の近隣にある私立

高校か専門学校の学生のようであり,だいたい午後の3時すぎくらいからそこにたむろして,

地べたに座っている。彼らがジベタリアンしている場所は,筆者の兼務先からそのコンビニ

に行く近道になるのであるが,彼らがいる時には,路地いっぱいに広がって座っている彼等

に道を空けてもらわなければならない。最初のうちはなんとなく避けて遠回りをしていたの

だが,一度急ぐことがあって「ちょっとゴメン」と勇気を出して声をかけて通してもらった

ところ,それからは彼らがこちらに気がついてよけてくれるようになった。

彼らは毎日必ずいるわけではなく,彼らの会話によれば地べたに座っていないときにはカ

ラオケやドライブ,ゲームセンターなどに遊びに行っているらしいが,週の大部分はそこで

過ごしているようである。そこにいる理由のひとつは毎日遊びに行けるお金がないからであ

り,もうひとつの理由はそこにいれば仲間が来るからである。人数は少ないときで3~4人,

『人文学科論集』33,pp.1-19.               ◎2000茨城大学人文学部(人文学部紀要)

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多いときでも7~8人である。メンバーは一一定というわけではなく,しばしば入れ替わり流

動的である。メンバーの中には,しばらく顔を見せないでまた戻ってくるものもいれば,一

度見えなくなるとそのままずっと姿をあらわさないものもいる。アルバイトなどを始めて忙

しくなったのかも知れないし,あるいは何らかの理由で学校を辞めてしまったのかも知れな

い。ひょっとすると新しく恋人ができて,ジペタリアン仲間と話すよりもデートに忙しいの

かも知れない。

彼らはたいてい髪の毛を染めて目立っており,流行のアクセサリーを身につけている。コ

ンビニで買ったペットボトルの飲料水とお菓子かこれまた近隣のファーストフード店の袋を

広げて,全員が携帯電話かPHSをもっている。電話は頻繁にかかってきて,コンビニの店内

にまで電話の大声の会話が聞こえてくることもある。電話の内容は「今,何をしていて,こ

れから何々しようか」ということであり,端で聞いていると何も用件がない電話も少なくな

い。彼らはだいたい日が暮れるころになると姿を消すことが多い。携帯に電話がかかってき

て今日の予定が決まったり,昼間働いている仲間が仕事を終えて合流すると,それがきっか

けでどこかに出かけてゆく。彼らが去った後には,ゴミが散乱している。コンビニの客や

オーナーらしき人,アルバイト学生はジベタリアンのことを幾分嫌悪の表情で見ているよう

に感じられるし,なるべくかかわらないようにしているように見える。コンビニのオーナー

らしき人も,彼らが去った後で文句を言いながらゴミを片づけているが,直接彼らに注意を

する場面は見たことがない。彼らもお客であるからということもあるのであろうが,なるべ

くかかわりたくないかのような印象が強い。

彼らは通行の邪魔になるところに座っており,そこを通ろうとする人がいても気づかずに,

大きな声で話をしたり,電話をかけたり,ゴミを散らかしたりと,社会的常識性が欠けてい

るように見える。人目をはばからず電車やバスの中で化粧をする若い女性と並んで,どこに

でも座り込む若者に対する評価は厳しい。「最近の若者は足腰が軟弱になっているから」とい

う指摘もされている。しかし,彼らと一度かかわりがあって,一言二言言葉を交わすと彼ら

は大学生と変わらず,普通であり,そして結構親切でもある。これはこのコンビニのジベタ

リアンだけにかぎったことではなく,他の場所でジベタリアンをしている若者もそうである。

彼らはなぜ地べたに座っているのであろうか。ちなみにこのコンビニの近くにある私立高校

や専門学校の教員に話を聞いたことがあるのだが,彼らが学校でたむろして地べたに座って

話をしていることはほとんどないのだそうである。実際学校では教員も生徒も忙しく,警

備上の問題もあって,授業が終わるとなるべく早く生徒を学校から帰して,建物に施錠をし

てしまいたいのだそうで,そういった対応をしないと教室内のものがなくなったり,壊れた

り,ゴミが散らかったり,といったことが起きるそうなのである。

茨城大学でもここ数年,’ カ協前や図書館前の広場でジベタリアンをする学生が増えてきた。

彼らも通行の邪魔になるとか,周囲をゴミで散らかすとか,教職員などにはすこぶる評判が

悪いようである。常識i生・社会性がないから周囲がどれほど迷惑しているのかわからない大

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「ストリートの光と影:おしゃれっこ」           3

学生が増えているとも言われているようだ。ちなみに茨城大学のジベタリアンもこちらが通

りたいと思ってもそれに気がついて道を空けてくれることは少ないが,声をかけるとすぐに

道を空け,「すみません」の言葉が返ってくることが多い。彼らは通行の邪魔をしているとい

う意識はなく,ただそこが一番人が多く通って,一番知り合いに会うチャンスが多いからと

言う理由で座っているようである。

また,最近はストリートミュージシャン・ブームで,主要都市の多くの街かど,特にアー

ケード街には,商店のシャッターが閉まった前でギターを抱えて歌う若者の姿が目立つ。そ

のまわりには,十代の若者が座り込んでいる。彼らは週末ともなると,オール(オールナイ

トすることという意味)で歌い,取り巻いている若者の数も夜半をすぎても少なくならない。

茨城県内でも水戸や日立の駅の近くではストリートミュージシャンが多く見られる。彼らは

なぜストリートで歌っているのか,そしてそれを囲んでいる若者はなぜそこにいるのだろう

か。彼らのことを迷惑そうに見たり,家路を急いで通り過ぎる大人達には目をもくれず,彼

らは楽しそうにしている。

ジベタリアンはなぜ地べたに座って,そこに集まっているのだろうか。筆者はジベタリア

ンが実際に通行の邪魔になっていることやゴミを散らかす現状も知っているし,地べたに直

に座ることがよいと思っているわけではない。しかし,若者がなぜストリートで地べたに座っ

ているのか,興味を持っている。そして,それは普段心理臨床家として働く中で出会う青年

期の臨床ケースからうかがわれる青年の心境とつながる部分があるような気がしている。

調査について

本研究は,ある地方都市におけるストリートで座っている若者に関する参与観察をまとめ

たものである。参与観察は高橋桂が行っており,彼女の記したフィールドノートとそのまと

めを筆者と高橋の二人で考察したものである。従って,論文のほとんどは実際に参与観察を

おこなった高橋桂の労によるものである。筆者は若者の問に流行している行動やブームを考

察する際に,心理臨床的な手法すなわち個性記述的手法を用いている。これは,クライエン

トの内的な体験や心理的意味を,クライエントの置かれている状況や外界との相互作用とい

う視点から考察し,そこに顕在化している要因だけではなく,潜在している要因にも注目し

てゆく手法である。哲学者中村(1992)のいう臨床の知であるというとちょっとおこがましい

が,筆者自身が心理臨床家としての実践を土台にして,古着を着ることにこだわる若者の研

究(上村1996),コスプレや写真をとることを楽しむ若者の研究(高橋1998),ストリート

ミュージシャンとそれを囲む若者に関する研究(斉藤1999)にかかわる中で体験的にもちい

てきた研究手法である。

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街/おしゃれっこ

いまどきの高校生というとテレビなどでセンセーショナルに紹介されている「顔グロメッ

シュ(顔が日焼けしていて黒く,髪の毛にメッシュを入れている)=コギャル」を思い浮かべ

る人が多いかもしれないが,繁華街には,「コギャル」や「サーファー」達とは異なる「お

しゃれっこ」というファッションの若者がいる。

「おしゃれっこ」の定義というのはひと口に語るのが難しい。コギャル達が「渋谷系」とす

れば「おしゃれっこ」達は「原宿系」というところか。髪の色はピンクやブルーの極彩色か

ら真っ黒までといろいろ。古着を好むものもいれば,自分でデザインし,自分で縫製した服

を着ているものもいる。ビニール素材や蛍光色を駆使した,「サイバー系【サイバネティック

ス(人工知能)から派生した未来的なイメージのファッション】」や,デコレイティブな「ゴ

チック系」,大人の目から見ればかなり奇抜な格好である。「おしゃれっこ」はブランド物に

は目もくれないかといえば決してそうでもなく,とにかく「自分の格好がいかに個性的か」

ということにこだわりがあるようで,やっぱり彼らなりに「おしゃれっこ的流行」は押さえ

ている。

1997年頃からの「インディーズブランド【インディーズとは「独立した,無所属の」とい

う意味。ファッションでは大衆に支持されることを意識せず,自分の作りたいものを作る無

所属のデザイナー,あるいは彼らが提案するファッションを言う】」や「手作りブーム」とい

う流行を担っているのも彼らであり,「CUITY」「Zipper」といった従来からのおしゃれっこ

向けの雑誌に加えて,「MOMO」「KERAC」などの手作りの服やインディーズブランドある

いは着こなしの雑誌が創刊されている。

この調査は1998年の8月からS市の繁華街を中心に手作りのアクセサリーを売っている

「おしゃれっこ」と呼ばれている奇抜な服装をした若者のグループの中での約半年のフィール

ドワークと,彼らを取り巻く大人たちへのインタビューを行ったものである。

私(高橋桂)が調査を始めたのは1998年の8月。水戸で行ってきた別のフィールドワーク

のおまけになればいいなあ,くらいの気持ちで街に出た。夏休みでアーケードには若者があ

ふれている時期である。「(おしゃれっこは)簡単に見つかるよ」と現役女子高生である従姉

妹に言われたものの,水戸と違って繁華街が大きいこの街でやらと彼らに出会う事が出来た

のは,街に通い始めて3日目のことだった。

最初に声をかけたのは,ファーストフードのハンバーガーショップA店のオープンカフェ

で指輪を作っていた,髪がチェリーピンクで大正時代の着物のような生地のスカートをはい

ている少年だった。声をかけた理由は,彼が仲間と一緒にいたこととその中に女の子が混

じっていたことである。2年にわたるコスプレーヤーのフィールドワークでだいぶ慣れた気

になってはいたものの,やはり最初に声をかけるときはこちらも向こうも緊張する。その日

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「ストリートの光と影:おしゃれっこ」           5

は自己紹介だけして帰ることにした。この時はまだ予想すらしていなかったのだが,この出

会いをきっかけにこの街がメイン・フィールドになっていった。私はこの子達とほぼ半年の

問交流を持つ事になる。

アーケード

S市にはT字型の大きなアーケードがあり,若者だけではなく多くの人々が行き交ってい

る。S市には大きな百貨店や全国的に有名な店が入ったファッションビルも多くあり,そこ

にも人が多くあっまる。しかし,このアーケードも負けずに人が多く,高校生を中心に若者

達が集まっている。商店街のアーケードは若者達にとって格好の溜まり場と言える。商店街

にはおしゃれな服や小物を売る店も多く,かっこいい自分になるためのアイテムがたくさん

あり,あまりお金をかけずに食べ物を調達するためのコンビニエンスストアやファースト

フード店があり,時間をつぶし仲間と会うゲームセンターやカラオケがあり,雨をしのぐ屋

根がある。なによりそこには友達・仲間が多くいる。放課後の若者達にとって,アーケード

はまさに恰好の遊び部屋なのである。

アーケードを歩いていると「いまドコ」「こっち(に)おいでよ」という会話が電波を通じ

て交わされている。T字型に広がるこのアーケードでは,携帯電話・PHSが活躍している。

普段なら若者が集まり始めるのは学校が終わった夕方で,制服を着ている高校生が多いのだ

が,夏休み中ということで昼も夜も(とはいっても,彼らの活動時間は夕方からが圧倒的に

多いのだが)それぞれ凝った私服で着飾った若者たちでアーケードはごった返している。

ストリートにいる子たちは「ギャル系・サーファー系」と「おしゃれっこ」に見た目に明

らかに大きく二分されていて,原則的には別々のグループを作っている。フィールドワーク

で出会った「おしゃれっこ」のグループにはときおり「ギャル系」の子も混ざっていること

もあった。しかし,それ以外の人とアーケードでかかわることはめったにないらしい。とい

うのは,私を見るどの子も首を傾げていたのである。彼らにとっては相手が「ギャル」なの

か「おしゃれっこ」なのか一一目で判断できるように装っているのが当たり前なので,どちら

にも属さないような人は不思議に感じるらしい。「おしゃれっこ達」の中にいて,『ギャル系

の子は個性がなくて,つまらない』という言葉を聞いたことがあるが,結局のところ「お

しゃれっこ」も個性的というよりは,自分を個性的に見せるという流行の一派といえるのか

もしれない。

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ストリートの効用

1.指輪を売る少年たち/自分のブランド

私が話を聞いたのは「おしゃれっこ」の中でも,一部の路上で手作りの指輪を売る少年た

ちである。

売っているといっても本格的に商売としてやっているわけでもなく,またフリーマーケッ

トとも違い,指輪を売る場所も時間もまったくの気まぐれであり,ストリートミュージシャ

ンのファッション・ブティック版といったところだろうか。要するに半分趣味なのである。

指輪のほとんどが針金を曲げてそこにビー玉やビーズ,天然石などをあしらったものであ

る。作り方は至って簡単であり,マジックペンを軸に針金をぐるぐる巻いて輪を作り,そこ

にビー玉などを石の代わりに入れる。針金の先端はペンチで切り,ヤスリをかけて出来あが

り。彼らはいつでもドコでも作れるように大きなバックに材料を入れてもち歩いている。指

輪自体は簡単に作れるし,見ていると自分にもできそうな気がする。かっこいい。しかも金

になるとくれば,真似する輩も出てくる。

実際,指輪を売っている子たちのほとんどが,最初のうちは東京などの別の地域で売られ

ているもののデザインを真似て,地元で売り始めたということである。そして,その指輪は

再びそれを見た誰かによってどこかで模倣されてゆく。指輪やインディーズ・ブランドのよ

うな流行は雑誌などのマスメディアによって伝わるだけでなく,こういった人づてに関西か

らだんだん「北上してくる」らしい。

しかしながら,ただの模倣では指輪作りは長く続かない。自分が真似できるということは

他の誰かも真似できるということだからである。だからずっとやっていくには模倣ではない

「オリジナル」を作っていく必要がある。オリジナル物,ストリートで売られる指輪やイン

ディーズブランドは,メジャーブランドの商品と違って他に同じものがない「一点もの」,

「オリジナル」であることで価値が与えられている。もちろん,メジャーなブランドを買いた

がるいわゆる「ブランド志向」も,もともとは大量生産品ではなく「ほかの人と違う」とい

う価値を持っていたからこそ持てはやされたものであり,ごく限られた特定の店でしか手に

入らなかった1980年代半ばのDCブランドの流行はまさにそうであった。だが,いっしか

「ブランド品」が大量に生産・輸入されるようになり,誰でも手に入れることができるように

なってしまった。ブランド品の中で,自分だけのL点もの」はそれこそ高価・入手困難で

手が届かない存在になってしまい,自分だけのものを手に入れるには自分で作るか,身近で

作ってもらえる人を持つしかないわけである。

指輪を売っている当人たちもそこらへんのポイントはしっかりと押さえていて,自分でな

くては作れないもの,かつ,今風のカッコイイものを作ろうとしている。それなりに指輪が

売れている売り子は皆いきいきとした表情で,自信にあふれた口調で自分が作った「作品」

を解説してくれる。彼らを見ていると,自分を表現できる術を持っているということは重要

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「ストリートの光と影:おしゃれっこ」           7

なことなのだなと実感する。

2.おまじない/コミュニケーション

指輪ができた。ね一さん【ストリートで一番古株の指輪売りのおしゃれっこの女性の一

人。年齢は20代前半と思われるが,詳細は不明】は「久しぶりにおまじないしようか」

と言い出した。おまじないってなんだ???と思った。あきひこくん【ストリートの10代

後半の少年】は「しようしよう」といった。ね一さんは「指輪を買ってくれた人におま

じないをしてるんですよ」と話を始めた。

おまじないを始めたきっかけは,指輪を買った子が「指輪をつけていたら片思いの人か

ら告白されたんですよ一」と言ってね一さんの店を訪れたことであった。それ以来,指

輪を買ってくれた人には「いいことがありますように」と三度おまじないの言葉を繰り

返すということをしているそうである。以来,「こんないいことがあった,ありがとう」

と言いに来てくれる子や「まだいいことないよ」と言いに来る子がリピーターになった。

最近はあまりやっていなかったのだが,せっかく水戸から来ている私のために「おまじ

ない」を復活させてくれるという。

「これからたかはしかつらさんにおまじないをします」とね一さんが説明をし,できたば

かりの指輪をはめた私の手にね一さんとあきひこが手を重ね,「いいことがありますよう

に」と声をそろえて唱える。じゃあ,水戸に帰る前にいいことがあって教えに来れると

いいなと言ったら「いいこと」はだいたい2~3日中におこる人が大半でそれ以上日に

ちが経ったらだめということだった。(1998秋)

このエピソードに登場する『おまじない』はこのストリートで最も古株だという「ね一さ

ん」の店で行われている。「ね一さん」はいつも商店街の中の小さなお堂の前に店を出してい

る。ね一さんのアクセサリーは他の子が売っているものに比べて高価である。チョーカーが

8,000円というのだから,普通のブティック・ショップ並である。その値段のわけは指輪の材

料にある。ね一さんの指輪はちゃんとアクセサリー用の部品や石を使って作っている本格派

なのである。

『おまじない』はその場にいる人全員が参加する。この後私も何度か参加したのだが,知ら

ない者同士で手を重ね合わせて,同じ言葉を大声で唱えるというこの『おまじない』には不

思議な魔力があるような気がする。言ってみれば,スポーツをする人たちが気合を入れるた

めにみんなで試合前にかける掛け声とちょっと似ているかもしれない。輪の中に入っている

と,なにか連帯感が生まれるような感じがして,なんだか楽しくなってしまう。指輪を介す

ることでつながりが生まれるというストリートの小さなからくりである。

ストリートでの指輪の売買を見ていると,この商売に生活がかかっている者はほんの一部

だけである。そのため,「何がなんでも品物を売らなくちゃ」という雰囲気はあまり感じられ

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ない。彼らにとっては,むしろ,誰かが自分に目を留めてくれる喜びの方が,お金を得るこ

とよりも重要なことなのではないかと感じられる。だから彼らは足を止めてくれた客には老

若男女を問わず,営業をかけ,自分の作品のどこがかっこいいか解説をしてくれる。買う側

にとっても売り子とのコミュニケーションが大きな役割を果たしているようである。足を止

める若者にとって,足を止める目的は必ずしも指輪を買うことではなく,そこでおしゃべり

することに意味があるような感じがする。実際,買いに来る側の子たちの目には「かっこい

い指輪が作れる」,「ストリートで指輪を売る」ということはかなりカッコいいことと映るよ

うである。そしてかっこいい指輪をそこで買うことでその「かっこいい」人とお近づきにな

れる。同じ店に足を止めることによって,指輪売りのおしゃれっこをキーパーソンとして次

第に友達ができていく。

売り子のおしゃれっこたちは自分の店に客が長く居座るのを嫌がることはない。むしろ彼

らは「ここは居座るところなんだよ」と言う。売り子だけでなく常連の客も,「こっちに座

る?」と声をかけてくる。アーケードの冷たい石の床に座り込んで,若者たちはおしゃべり

を楽しむのである。『来るものは拒まず』が基本であるが,その一方で『去るものは追わず』

と,どこかさめた面も持ち合わせている。彼らの人懐っこさとドライ感は実に絶妙なバラン

スだと感じる。

3.仲間/居場所

名前を聞くと,カオリ【ストリートの高校生】と名乗った。さらさらの髪でおかっぱ。

ちょっとあか抜けない感じがするが,しっかりしたまじめなタイプに見える。

「夏は会わなかったよね。」

『ああ,最近なんですよ。街出るようになったのは。あたし,家,○○(S市から電車で

40分ぐらいの街)なんで,こっちまで来るの時間もお金もかかっちゃって。』

「じゃあ遠いんだ。大変だね一。」

『うん。今日はコート買いに来たんだけど,なんかここ来たらずっと居着いちゃった。み

んなかまってくれるからね一。』

カオリはりゅうくん【ストリートで一番の古株のリーダー格の男性。年齢は20代。個性

的なファッションをしている】について話し出した。

『りゅうくんってなんかすごいですよね一。』

「うんすごいよね。あなた達から見るとりゅうくんてすごく大人に見えるんじゃない?」

『みえます。』

「あたしから見ても大人に見える。同年代の大学生に比べたら,全然大人っぽい。」

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「ストリートの光と影:おしゃれっこ」           9

『あたし,春は学校でなんか浮いちゃってて,全然友達できなくて,すごく学校行くのい

やだったの。で,街歩いてたらアクセ売ってるりゅうくんにあって,こっちくるのすご

く楽しくって,ストリートで友達もできて,なんかすごく明るくなったんですよね。で,

夏休み終わって学校にいったらなんか学校でのつきあいかたもうまくできるようになっ

てきて最近結構いい感じなんです。』

「へえ,よかったね。」

『ほんとはもう帰らなくちゃいけないんだけど,友達を待っている。今日何時になったら

帰ろうかな一。帰りたくないな一。』

カオリは何度も繰り返している。(1998秋)

りゅうくんが売っている指輪の値段は500円~3,000円程度。この値段は材料費と手間に

よって決められているようだ。値段は作成者の気分次第で変動するので,ある程度値切るこ

とも可能である。とはいえ,市販のアクセサリーと比べて,必ずしも安いとは言えない。そ

れでも売れるのはこの商売が意外なところでメリットを発揮しているからである。それは指

輪と同時に友達を得ることが出来るからだ。友達がいるということ,それは同時に街の中に

居場所があるということだ。特に夜の街で長時間たむろすることを考えると一人ぼっちでい

るというわけにもいかなくなってくる。友達がいなければたむろする場所はなく,そして何

よりそこにたむろする理由がなくなってしまう。

道端に座り込む若者,いわゆるジベタリアンに対して「ほかにも座る場所なんてたくさん

あるのに」と感じる人は少なくないようである。けれども,「おしゃれっこ達」と過ごして,

こういったストリートの中で「ここにいてもいいよ」というなんとはない雰囲気になれてく

ると,「すごく落ち着く」感じがする。友達と喫茶店で話をするのもそれはそれでいいけれど

も,別にそこにコーヒーとか椅子なんてなくてもいいんだ,いつまでもここにいたいな,と

いう気分になってくる。

その結果「オール(オールナイトで遊ぶこと)」してしまう。彼らはストリートに夜通しい

ることを「オール」という。街に遅くまで残ってなにか特別なことをするというわけではな

く,ただ帰らないで遊びつづける。いや,「遊びつづける」という表現も適切ではないかもし

れない。ただ,仲間たちとの時間を共有し続けるためだけに彼らは家に帰らないようである。

アーケードは夜の8時を過ぎると,商店がシャッターを下ろし始め,街は夜の様相へと変

わる。それまでの蛍光灯のまぶしい明かりに変わって,常夜灯のやわらかな薄暗い明かりが

ストリートを照らす。だんだんと人影がまばらになっていく。アーケードは家路に向かう

酔っ払いと,ストリートの若者の世界になる。

平日では,この時間になってくるとアーケードに残っている若者の数は限られてくる。ほ

とんどのもの達は高校に通っているので,平日は家に帰る。彼らがストリートに泊まりこむ

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のは週末が多く,多くの若者がアーケードにいる。泊まりがけで何をしたいという目的が特

にあるわけではなく,なんとなく帰りたくない気持ちでいるまま,そこに居着いてしまう。

彼らは「だってなんにもしなくてもこうやって,いっしょにいると落ち着くでしょ」と言う。

まさにそこで仲間と一緒にいることが大切なことなのである。

彼らに出会うまで「夜通し家に帰らない高校生=よっぽどの不良」,という偏見を私は正直

なところ持っていた。自分の所属する大学の名前を出したせいもあっただろうが,彼らにも

その感覚は伝わっていたようで,私はよく「まじめなひと」,「ダセェカッコ」という指摘を

受けた。そう言いつつも,逆にこの「24(歳)という割にぜんぜんそうは見えないダサいかっ

こしたね一ちゃん(実際調査の中でナビゲーター役をしてくれたりゅうくんは初対面の子

に私を紹介するときは必ず,「この人,何歳だと思う?」というフレーズをまじえたし,私の

服を選んでやろうといったり,髪をいじってやろうといったりしていた。)」を自分たちの世

界に引きずり込んでやろうというなつっこさに親しみを覚えた。彼らと親しくなってからは

アーケードに出かけてゆくと「自分を迎えてくれる仲間がいるっていいなあ」,という感動さ

え覚えた。心から「またおいで」といってくれる人がいる彼らの世界に触れていると,「帰り

たくない」という気持ちがわかるような気がした。自分が高校生のころこんな風に遊ぶこと

がなかったことに後悔すら感じてしまった。

悪いこと

だんだんと彼らとの関係にもなれはじめたころ,互いの緊張が抜けてきたのか,さまざま

な面が見えるようになってきた。これまで書いてきた,彼らの世界のコミュニケーションの

あり方や友達との関係はいわぼよい面であるが,それに反しての裏面,悪い面もだんだんに

見えてくるようになった。

1.まっぽ/ルール違反

「まっぽだ」という声。おまわりさんがやってきた。彼らがいうところの「まっぽ」であ

る。おまわりさんと婦警さんだった。路上でものを販売する許可を取っていない彼らは,

警察に捕まってしまうのかもしれない。「逃げなくていいの?」と聞いたが,彼らは別に

逃げる気配がない。どうなるのかぼ一っとして見ていると,案の定おまわりさんがやっ

てきた。「これは何やってるの?売ってるんでしょ」「作ってるだけですよ。」「はい,作

るのおわり,ここは公共の場所なんだよ」「おいてるだけ」「欲しい人がいたらあげるん

だよ」りゅうくんなどは慣れたもので,婦警さんに「また会いましたねえ」なんて言っ

て,婦警さんに「わかってるんならやらないでね」とたしなめられている。結局身分証

明書を求められ,生年月日と住所を書かされる。(1998夏)

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彼らが道で指輪を売るという行為は一応法律違反なので,たまに「まっぽ(警官)」がやっ

てきて書類を書かされたりする。ゆえに売り物はバンダナくらいの大きさの布のうえに置か

れており,いつでも荷物をまとめて退却できるようになっている。

アーケードで取材をしている中で,何回かこの「まっぽ」に声をかけられる場面に遭遇し

た。「まっぽ」の「ここで何やってるんだ。これは何だ」という質問にも彼らはうろたえるこ

ともなく,「座ってます。これは友達に見してるだけです。」と言ってのける。おまわりさん

たちも相手が高校生ということもあってか,あまり捕まえたくないのだろうか。大事には至

らないことが多い。「あんたは置いてるだけかもしれないけども,ここで売るのはだめだから

友達にもいっておきなさい。」という感じのことを言って「まっぽ」は去っていく。

一方,アーケードの商店街の人の「おしゃれっこ」に対する反応はかなり厳しいものがあ

る。というのも彼らは物を売るだけでなく,商店の前にタバコを投げ捨て,ごみは散らかし

放題にする。夜中に喧嘩をする。ギターを弾く。万引をする。この商店街の人は店と同じ場

所を住居にしている人がほとんどなので迷惑千万もいいところ。店の前からは文字通りに追

い払われる。

彼らは自分たちがしていることが犯罪に相当するという自覚はどれくらいあるのだろうか。

もちろんそれが悪いことであるということは知っている。けれども,悪いこととしての度合

いはタバコを吸ったり,夜中にローラーブレードでアーケードを走り回るといった「遊び」

と同程度と思っているように見える。彼らにとって悪いことをするのはむしろ「禁じられ

ていること」だからこそ面白いのだという面もあるのかも知れない。学校外で校則破りして

いるようなものという感じにも見える。

2.調達/罪悪感

「写真撮っていいかな?ホームページに載せたりするんだけど...」そういって名刺を渡す

とミキとフジサキ【二人ともストリートの女の子】はパッとはしゃぎだした。

『え一っ,じゃああたしのライブ来て載せてください一。』こういう子ばっかりだと取材

もやりやすくはある。

すると,りゅうくんは新しいおもちゃを見つけたといわんばかりに私のカメラを「か

せ一」と言って写真を撮り始めた。私が撮るよりもりゅうくんの方が被写体が生き生き

して撮れるかな,と思って「ど一ぞど一ぞ。好きに撮りな」といってカメラを渡したの

だが,私がトイレに行っている間にりゅうくんがカメラを地面に落っことしてしまう。

ディスプレイの「E(エラーモードの表示)」の文字に真っ青になる。「落っことしたとき

ふたが開いてしまった」とりゅうくんが言う。ふたを閉め直してみるがエラーモードは

治らない。

「とりあえずいままで撮った分は駄目になっちゃったみたい」

「じゃあ,俺コンビニいってフィルム調達してきてやるよ」

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12                黒田 浩司

ここでの調達とは,ぱくる=万引きするをあらわしているのだと直感する。(1998秋)

冬が近づくにっれ,ストリートでは指輪がなかなか売れなくなってきた。それと同時にス

トリートでは「悪いこと」をする子が増えてきたように感じた。もちろん,指輪の売れ行き

とは関係なく,彼らが私に警戒心を解きつつあって,私との会話にそれまでは見せないよう

にしてきた部分がうかがえるようになってきたということもあるのかもしれない。彼らの言

葉の中に「バクる(万引きする)」,「ボコる(殴る)」,「キレる(興奮して見境がなくなる)」

という言葉を聞く回数が増えてくる。実際にこういったこと(犯罪)を行っているシーンを見

るということはなかった。彼らの全員ではなく,一部分の若者だけなのであるが悪いことを

している輩もいるので,彼らに対する大人からの印象特に商店街の人からの印象は極めて

悪い。上のエピソードのように,彼らの悪いこと・犯罪に対する罪悪感はあまりない。ごみ

の散らかしに始まって,未成年の飲酒・喫煙,万引,窃盗_やることがだんだん派手になる

につれて彼らの中では,「これは犯罪だ」という感覚が徐々に薄くなっていくようだ。

3.キレてボコる/衝動

りゅうくんがボコるときにはだいたい2パターンある。仲間がボコられたときの仕返し。

仲間が自分を裏切ったとき。

りゅうくんは優しくて人一倍気を使う分,その気持ちを無視されたときの「ムカつき」

かたが激しい。いや,自分の気持ちというよりはその周りの子の気持ちを考えない行動

をするやつに「ムカつく」のだ。

それを「ボコる」ことで解決できるのか,そうするのがいいのかという問題はおいてお

いて,かなり愛があるからこそ,こういうことになっちゃうのかなあ,と思ってしまう。

(1998秋)

犯罪とともによくある「悪いこと」が暴力である。これもやはりストリートにいる子の中

では一部であるが「キレてボコる(頭にきて殴る)」という言葉がよく聞かれた。キレてボコ

るとき,「仲間」とか「友達」が絡んでくる。エピソードにあるように,仲間がやられたとき

と裏切られたとき,彼らの中のヒロイズムのようなものがうずいてしまうのか,喧嘩になっ

てしまう。喧嘩をするときは,なんとなく仲間内に「今日はだれそれの機嫌が悪そうだか

ら_」というようなうわさが流れている。怖いので止められないという話も聞いたことがあ

る。時には鉄パイプなどの物騒な小道具も出てくるらしい。

多少事情を知っているおしゃれっこにわけを聞くと,彼らなりの納得の行く理由がないわ

けではないのであるが,だからといって必ずしも暴力に訴えることに肯定的にはなれず,暴

力沙汰の話を聞くたびに私はどのように振る舞っていいのか戸惑いを感じた。彼らは彼らな

りのヒロイズムや仁義にしたがって,自らの正義のために戦っている。女の子は巻き込まな

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「ストリートの光と影:おしゃれっこ」           13

いように気を使ってもいる。だから,喧嘩をした理由を話す時,堂々とした態度でとまでは

いかなくても,ある程度筋の通った説明をしてくれる。その説明にも一理あるけれども,自

分の正義を貫くための手段がなぜ暴力でなくてはならなかったのかという点は明らかになら

ない。彼らはたぶん,「喧嘩」という目に見えるわかりやすい形でしか「自分らしさ」,ある

いは「仲間を見捨てないそというヒロイズム的なカッコよさ」を表現できないのかも知れな

い。

暴力への暴走はある意味では,自分に対しても仲問に対しても,歯止めがきかないゆえで

あるかもしれない。ストリートの女の子たちの中には暴力に対しての怖さ,自分の友達が警

察につかまってしまうことへの危惧を語るものもいる。けれども,それを何らかの方法でと

めることが出来ない。たとえば自分が付き合っている男の子に「もう暴力沙汰はやめてほし

い」と言っても,男の子の「俺だってやりたくないんだ。でもしょうがないじゃないか」,と

いう言い分を聞くうちに話がうやむやになってしまい,そのままになってしまう。彼らと付

き合っていくうちに,彼らには仲間意識の強さや気持ちが優しく思いやりがある反面,そこ

で起きてくるいろいろな問題を社会の常識や枠組みの中で解決してゆく方法を考える現実検

討力が乏しいのだということがわかってきた。こういうことをしたらこういうふうになると

いうことがわかっていないわけではないのだが,結果オーライで実際誰かが怪我をすると

か,捕まるといった深刻な事態になるまで,罪悪感があまり伴ってこない。そのために比較

的容易に窃盗や暴力を犯すように思える。警察沙汰になるのも指輪の路上販売などの問題よ

りも,こういったキレてボコることが派手になったときのほうが多いようだ。

困った事だが,こう言った悪い面も,彼ららしさを構成する重要な一一面であるといえる。

そのやり方に問題があるとは言え,守るべきもの,大切なものがあるということで彼らは自

分はここにいる価値があると感じ,そう感じることの出来る場所,つまりアーケードを『自

分の居場所』だと考えているのではないだろうか?

おとな

1.商店街

周囲の大人たちから彼らはどのように見えるのだろうか?指輪を売る少年たちやギター弾

きの少年たちに距離的に最も近い大人といえば商店街の方々なのであるが,すでに述べたと

おり,商店街とストリートキッズたちはかなり険悪な仲にある。古い商店街のため,店舗と

住居がいっしょという方も少なくない。特にストリートミュージシャンの『真夜中の騒音公

害』に関してはテレビで何度か報じられるほどの問題になっており,99年秋の段階で,アー

ケードのいたるところにストリートミュージシャンに対する抗議文の横断幕が掲げられるよ

うになった。このアーケードは通勤や買い物で多くの人々が利用しているが,この横断幕に

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14                黒田 浩司

関しては商店街の中に住んでいる人以外は我関せずという感もある。

大人たちにとってストリートの少年たちは,「わからない」存在であるという。彼らの行動

は理解できないことである。ストリートでギターをかき鳴らし,ごみを散らかす以外にやる

べきことはあるだろうにと感じているらしい。なぜ,指輪を作るのか,ギターを弾くのかと

いうところに興味を持つ大人はほとんどいない。一方,少年たちは大人たちを厄介な存在と

までは見ていないようで,「べつにい一じゃ一ん」という感じである。

彼らは,自分たちの指輪や音楽に足を止めてくれる大人に対して大変友好的だが,追い払

いに来る大人に対しては「シカト(無視)する」「キレる(殴りかかる)」といった具合であ

る。無許可で路上販売をやっている彼らの方が法律的には悪いのが確かなのだが,正直なと

ころ,追い払いに来る側の態度が結果として彼らの気持ちを逆なでしてしまうところもある

といえる。警官ならば,とりあえず「何やってるの」から入るが,商店街の人は頭ごなしに

怒鳴りつけてくるので,彼らは気分悪く感じるようである。こういった大人の反応には「わ

からない」異形のものは排除しようという雰囲気を感じる。価値観も倫理観も大きく違い,

わからなさを感じるのも理解できなくはないのだが,「ストリートにいる彼らにも良いところ

はあるから共存して欲しいなあ」,というのが,私の勝手な感想だ。週末のストリートミュー

ジシャンの熱気も見ていると,これだけ若者を集めるパワーを放っておくことはもったいな

いなあと感じ,彼らを利用した,共存した街づくりができればいいのになあと感ずる。

実際,この街には彼らを理解し,援助しようとしている『大人』もいる。「MILKY」のお

じさんである。

2.「NILKY」のおじさん

おじさんも,最初はあいづらのことなんだベーと思ってたよ。だけど,あいづら『おじ

さん,俺たちのことどう思う?』って聞いてくんだよね。で,おじさんとしゃべってみた

いって言うんだよ。おめ一ら親としゃべんないのかって言うとしゃべんないよって言う。

(1999春)

「MILKY」とは,地方限定で発行されているストリートファッションを載せた写真雑誌の

ことで,休日になるとこの雑誌を作っている「MILKY」のおじさんがカメラを持ってスト

リートにやってきて,雑誌に載せるための写真をとっていく。おしゃれっこ達にとっては自

分のおしゃれを世に公表してくれるだけでなく,数少ない話を聞いてくれる大人である。

「MILKY」ではおしゃれっこのストリートスナップを掲載するだけでなく,若者にページ

を預けた形でインディーズ・ブランドの紹介や,バンドの紹介などを載せている。また,

1999年の3月には「文化祭」と称するイベントを開催し,そのスタッフを高校生に任せたイ

ンディーズ・ブランド商品のフリーマーケットを実施している。やってみたいという気持ち

を持った若者に「自分の仕事を手伝わせる」という形で手を貸してくれている。

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「ストリートの光と影:おしゃれっこ」           15

実際に「MILKY」のおじさんと話をしてみてわかったのだが,親身になって話を聞いてく

れるというところに若者から慕われる理由があるように思う。「MILKY」のおじさんに初め

て会ってから,ほぼ半年後に電話をかけたときも私の事を覚えていて,快く時間を空けて話

をしてくれた事で大変心強い思いをした。話をうかがううちに私が求めてきたストリートの

若者と大人のかかわり方の可能性が見えてきたような感じがする。

しかし,「MILKY」のおじさんも,もともとは彼らによい感情を持っていたわけではない

が,「MILKY」を作り始めて少年たちとかかわってはじめて,彼らのことがわかってきたと

いう。「MILKY」のおじさんは少年たちは大人と話をしたがっていると語る。親や周りの大

人が自分たちのことをどう見ているか,すごく興味を持っていると。だけど接触してくる大

人は彼らのことをわかろうとしていないので,結局コミュニケーションが生まれない。

ストリートの若者と大人の問に効果的なコミュニケーションが生まれない原因は,大人が

理解を示さない態度だけではなく,若者たちの行動のあり方にもあるように思われる。

「MILKY」のおじさんは,彼らには「根性がない」と言う。これまで「MILKY」の編集に手

伝いに来たもの達のほぼ全員が,中途半端な状態のままに来なくなったという。ある程度の

仕事を任せた子が「いやになった」とも「もう来られない」とも言わず,いつのまにかいな

くなることが多いそうだ。普通の大人ならそれだけで信用を失ってしまう。また,彼らの中

には,自分でついた嘘が頭の中でいつのまにか本当になってしまう子がいるということだっ

た。

ストリートにいる若者は興味を持った事にはすぐに飛びっくが,少し面倒なことがあると

そこから容易に目を背けてしまう。自分達のことをわかって欲しいという気持ちはあるが,

わかってもらうために努力をするとか,相手に歩み寄ろうとすることはあまりしない。彼ら

と接していると,そういうことをしなくてもいいと思っているとか,わざとそうしないよう

にしているのではなく,そういう人間関係を構成することを体験的に学んでいないような印

象を受ける。しかし,大人からすると,認めて欲しいことはたくさんあっても大人に対して

舌足らずな彼らのことを認めてくれというのは,かなり無理難題である。苦しいコミュニ

ケーションから逃げてしまう,わかってもらうためにがんばる根性がないようにも見えるが,

それは認めがたいので,「私達はこんなにがんばっているのに,大人は聞く耳を持ってくれな

い。だったら好きにするよ。知らないよ。」と気持ちをすりかえてしまっている面もあるよう

に思える。そして,こういったコミュニケーションの未熟さは今の若者全般の特徴であり,

その原因の一つは家庭内のコミュニケーションの乏しさに起因しているのではないかと思わ

れる。

「大人たちにもっと彼らの良いところを知って欲しい。子供には自分が今思っていること夢

中になっている事を親と話して欲しい」とおじさんは語る。「MILKY」を親子で読んで欲し

いと思っているそうだ。「MILKY」のおじさんは「またおいでよ」と最後につけくわえた。

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3.「居場所」と「おとな」

今回の調査で私の中で見えてきたのは『居場所』そして『大人』というキーワードである。

街で「MILKY」のおじさんに会うとよくわかるのだが,彼の身なりは本当に普通のおじさ

ん然としていて,なぜこれほど見た目にこだわる若者達に普通のおじさんが人気があるのか

不思議だった。私が「MILKY」の事務所を尋ねた時には,読者の女の子がおじさんに悩みご

と相談に来ていた。その慕われ方は,私が嫉妬を感じたほどだ。しかし,じっくりと考えて

みると逆に普通のおじさんだからこそ,おしゃれっこたちはこのおじさんのことを慕うので

はないかという結論に至った。普通のおとなであるおじさんが話を聞いてくれるからこそう

れしいのではないだろうか。

フィールドには相手の好みを真似ずに自分のスタイルで行くというのが,コスプレーヤー

のフィールドワークをしていたときからの私のスタンスだった。中に入って彼らと同じ体験

をし共感的に理解し,彼らと一体化するなかでいろいろなことの意味を見いだすという事も

確かに必要だが,彼らと近すぎて逆に客体化して語ることが難しい部分が多く出てくる。ま

た,本当の意味では彼らと心を一つにすることができない面がある。しかし,違う立場に身

を置くものであっても,厳密には同じ気持ちを体験をすることができないもの同志であって

も,共感し,理解しあうことができることもある。臨床場面のクライエント=セラピスト関

係がその典型であろう。心理療法を展開させるのは,安易にわかったふりをしたり,クライ

エントに迎合するのではなく,知ったかぶりをせずわからないことは『わからないのでこの

次までに(スーパーバイザーに)聞いておきます』とか,『わたしの方でも少し勉強してみま

す』と伝える誠実な態度にもとつく人間関係である(例えば,馬場1999)。ストリートのお

しゃれっこにとっても,自分達と違う世界の人が話を聞いてくれるからこそ聞いて欲しい事

が出てくるのだと思う。そしてあえて迎合したふりをしない,自分のポジションから話を聞

く「MILKY」のおじさんはまさにそのやり方で私より一歩先にストリートでフィールドワー

クを行っていた人だったのだ。

ストリートで指輪を売っている少年たちと接していて感じた事なのだが,ストリートにか

かわる人々(少年や「MILKY」のおじさん)はびっくりするほど自分と接触のあった人のこ

とをよく覚えている。知らない者同士が大勢行き来するストリートで,自分とのちょっとし

たつながりを覚えていてくれるということは少年達に安心感や連帯感をもたらすという点で

実に大事なことなのだなと思う。

ストリートでは「来るものは拒まず,去るものは追わず」というドライな関係が基本だが,

それでも「今日は何時までいられるの」,「またこいよ」という声をかけてくれる。たったそ

れだけのことなのかもしれないが,彼らは優しいんだなと思う。ストリートに限らず,いま

どきの高校生たちは,やけにそういった「人への接し方」が上手である。彼らは友達がいな

いことには圧倒的な劣等感を感じるようであり,人からどのように見られるかを過剰に気に

している。

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「ストリートの光と影:おしゃれっこ」           17

「やっぱりそこ(ある宗教サークル)にいると自分が必要とされている感じがするんです。

誰かに必要にされていたい,そう思えると安心できる。そこに行く前には自分はこの世

にいちゃいけないような気がしていました。」

(20代前半の視線恐怖を主訴とする男性)

「手首を切ったときには自分が生きているんだなあと実感できる。ちゃんと血が流れる

し,母親がその時に泣いて,心配してくれるので,ああ,自分がいてもいいんだと思え

る。でも,それが長く続かなくて,またしんどくなって,そういうときに手を切ると,

すこしだけ気が済むんです。」            (10代後半の拒食傾向の女性)

これは近年面接室の中でよく聞かれるようになった言葉である。学校や家庭に自分の居場

所を持っていると感じることができない若者が増えてきているようである。ストリートにい

るおしゃれっこも家庭や学校に自分の居場所がないように感じているようである。そして,

彼らはストリートでは自分の居場所を確保することに長けているのかもしれない。ポスト団塊といわれている,彼らの親にあたる世代は,子供の個人の生活を尊重しているが,その分     ’

家族関係が希薄になっており,「親が自分のことに関心を持って,しっかりと見守っていてく

れている」という感覚を若者は持ちにくいようである。今回のインタビューの中で,高校の

先生に話を聞く機会があったのだが,以前に比べて自分の子供の行状を把握できていない親

が増えてきているということであった。実際フィールドワークの中でおしゃれっこから親

についての悩みを何度か打ち明けられたが,親とのかかわりかたに不満を持っている子が多

かったように思う。どのエピソードをとっても,なんとなく親から裏切られている感じなの

だ。そして,思春期の年代になってから,親と正面から向き合って,本音で話し合った体験

はないという。彼らは,自分を受け入れてくれる友情や愛情に対してとても敏感で,互いに

「ここに居ていいよ」と言い合っているように思えるのは考え過ぎだろうか。

彼らにとってストリートは『自分らしさを認めてくれる場所=居場所』なのだ。とっぴな

事をやっても否定されない,だからこそ自分らしくあることができる楽な場所なのだ。少し

だけ,カッコいい自分を試して,そこから本当の自分らしさを模索できる場所なのかもしれ

ない。

近年,少年非行・少年犯罪が増加し,その内容も凶悪化しているという。以前なら考えら

れなかった種類の少年犯罪が増えている。この少年たちの問題行動に,普通の大人から常識

的とされる『社会の枠組み』からの疎外感も関係しているのではないだろうか?少年鑑別所

や児童自立支援施設(以前の教護院)の職員の方の話を聞くと,自分の気持ちを人に伝えた

り,自分の気持ちを自分自身でモニターすることができにくい少年が増えているという。以

前なら少し話すことで,腹を割って話すことができたのに,なかなか本音をあかさない(あ

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るいはあかすことができない)少年が増えているという。面接がしみじみしないという。そ

の一方で彼らの心理検査の結果にあらわれている自己像は傷ついていたり,殿損されている。

非行・犯罪もその手段が妥当ではないものの,少年が自分を捜して,あがいている姿なのか

も知れない。

「おしゃれっこのする悪いことも,彼ららしさを構成する重要な一面である」と述べた。彼

らが悪いことをするのは自分の居場所を捜して,あがいているという面もあり,その状況で

彼らに対して本当の意味での社会常識を教えたり,彼らのことを守ろうとする大人がいない

ことも確かである。周囲の大人は結果として,話を聞かずに追い払おうとする。大人は彼ら

の悪い面も含めて受け入れ,かかわり,共存しながら,彼らを育てていく気持ちが必要なの

かも知れない。ジベタリアンが周囲に構わない態度をとるのは,ひょっとしたら大人が学習

させた面があると言えるかも知れない。

調査の中で彼らの優しさに感動する一方,無防備に接していると万引や暴力といった反社

会的な行為にもう少しで巻き込まれるところであった。彼らの悪い面はストップをかける人

問がいないことで,歯止めが利かずどんどんエスカレートしているように感じる。そして,

彼らの話を聞いていると,暴力や犯罪といった怖い面を持っている彼らの傷ついている部分

も切なく感じることもある。そんな場面に出くわすたび,「彼らの良い所が大人に伝わるとい

いのに,彼らのことを見てくれる大人がもっといるといいのになあ」と感じた。

おわりに

こんなくだりで終わると,なんだかしんみりした感じになってくる。おしゃれっこのこと

を少しはわかって伝えることができただろうかと不安になる部分と,少しだけわかって,そ

のことで少し「痛み」を感じる部分がある。これっぽっちの文章で彼らのことを書ききれて

いないとは思うし,まだまだ彼らのことをわかっていなかったり,表面的な理解にすぎない

面もあると思う。しかし彼らとのかかわりは実に興味深いものであった。また機会があれば,

心理学的見識を除いてアーケードに出かけて,地べたに座り込んで,一緒に話し,一緒に遊

んでみたいと思う。おもしろいので。

あと,これを書くにあたって協力した下さった方々に心から感謝します。謝謝。本研究の

続きと,おしゃれっこの画像を見たい方は高橋桂のホームページ

hhtp:〃www.d 2.dion.nejp/~k_box

をご覧下さい。

なお,本論文はプライバシー保護のため,その真意を変えない範囲で事実と異なった記述を

している部分があります。

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「ストリートの光と影:おしゃれっこ」           19

文  献

馬場禮子(1999),『精神分析的心理療法の実践  クライエントに出会う前に  』,東京:岩崎学

術出版

上村昌子(1996),「古着を求める人たち」(茨城大学人文学部卒業論文).

中村雄二郎(1992),『臨床の知とは何か』,東京:岩波書店.

斉藤淳史(1999),「ストリートミュージシャンのエスノグラフィー」(茨城大学人文学部人文学科心

理学専攻特殊問題研究論文).

高橋桂(1998),「わたしをうつすわたし  今をとらえる少年少女  」(茨城大学人文学部卒業

論文).