Picture Book Carnival

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51 Kyushu University Kodomo-Project Report on Picture Book Carnival

「ぼくらは未来を見ることができない。生き

のこるために必要なのは、ポジティブな世界観

をつくりあげるということじゃないだろうか。」

ドイツの児童文学者ミヒャエル・エンデは、

晩年こう語っています。

私たちは、絵本を持ってサーカス一座のごと

く飛び回りながら、時には壁にぶつかり、悩み

ながら、毎回真剣に地域の人たちとある姿勢を

共有してきました。その姿勢とは一体どんなも

のだったのかと考えてみると、それは子どもを

通して未来の自分の姿、地域の姿、ひいては日

本の姿を想像し、世界観を共有するという試み

だったのではないかと思います。

子どもを考えることは未来を考えること。

そう信じて、この活動がいつか実を結びひと

りひとりが描くポジティブな世界観をつくりあ

げる一助となることを願います。

「絵本カーニバルのつくりかた ~子どもの時間に出会う場所~」発行日:2008年3月1日発行人:九州大学ユーザーサイエンス機構子どもプロジェクト〒812-8581 福岡市東区箱崎6-10-1 九州大学 工学部本館2階Tel 092-642-7264 Fax 092-642-3825http://www.kodomo-project.org [email protected]

企画・編集 目黒 実 遠藤 綾デザイン 西村 隆彦

子どもプロジェクト南 博文 目黒 実   清水 麻記 阿部 祥子 酒井 咲帆 石田 陽介 黒木 慶子 辻 桂子 田中 恭子西村 隆彦 遠藤 綾 岡部 麻衣子 山本 一成 新名 佐知子 楢崎 尚弘 山下 麻里 秋山 奉子

九州大学ユーザーサイエンス機構は「平成16年度文部科学省科学技術振興調整費戦略的研究拠点育成プログラム"ユーザーを基盤とした技術・感性融合機構"」として採択されたプログラムです。

Kyushu University Kodomo-Project Report on Picture Book Carnival

「旅する絵本カーニバル」に始めて

出会ったのは九州大学伊都キャンパ

スだった。第一印象はその洗練さ

れたデザイン。ガラス張りのロビー

の一角に赤いソファと暖かいスタン

ドの明かり、入り口には古い旅行か

ばんに詰められた絵本、私にいらっ

しゃいと挨拶をしているようにこち

らを向いて並んでいる絵本の表紙が

インテリアのアクセントになってい

た。中に入ると低く並べられた本棚

に並んだ絵本がテーマごとに分類さ

れていた。ゆっくり歩きながら、初

めて出会う絵本をめくったり、なじ

みの絵本のテーマを確認したり、思

わず読みふけったり。気に入った絵

本をめくっているうちに、そばにあ

った小さな椅子に腰を掛け、すっか

り物語に没頭してしまっていた。静

かにジャズが流れ、本を読む人たち

が居る。まるでそこだけ時間が止ま

ったように、落ち着いた雰囲気の中

にすっぽりと包まれた安心できる居

心地のよい空間だった。

「旅する絵本カーニバル」はどこへ

行ってもそうだ。場所も建物も季節

も時間も違う、インテリアも絵本の

テーマも並べ方も音楽も全て違うの

に居心地がいい。その気持ちよさは、

お日様に干したお布団に糊の効いた

真っ白いシーツが掛けられていたと

き、思わずそこに横たわって寝息を

立ててしまうような感じ。素朴で誠

実で清潔と言う機能を必要最低限の

洗練されたデザインでまとめた空間

といえばいいだろうか。思わず、引

き寄せられて、絵本を読んで、時を

忘れてしまう。それが「旅する絵本

カーニバル」なのだ。だから、正解

はひとつではない。絵本カーニバル

が旅した先のどこでも、その場所の

魅力を最大限に生かして空間がデザ

インされ、そこに住む人たちへメッ

セージされた本が並ぶ時、「旅する

絵本カーニバル」は完成し、新しい

正解を増やしていく。このカーニバ

ルが旅する理由は、旅した先に新し

い居場所つくりの種まきをすること

ではないだろうか。

「旅する絵本カーニバル」のめざす

居場所つくりとは何だろうか。それ

は絵本を媒介とした、子どもたちの

ための憩いと安らぎの場であり、昔

は子どもだった大人たちの憩いと安

らぎの場である。私はこれを魂のホ

スピタルと名づけた。ちなみにホス

ピタリティとは、1.心のこもった

もてなし。手厚いもてなし。歓待。

また、歓待の精神。2. 異人歓待。

と言う意味を持つ。人が生きるとき

感じる喜怒哀楽を、癒し、慰め、励

まし、共感する哲学書が絵本である。

その絵本を読むために「旅する絵本

カーニバル」は心の込もった居場所

を作りお客様を待っているのだ。そ

れは、あからさまに主張するもので

はなく、昔からそこにあったように、

何気なく自然に存在し、その時間と

空間になじむように作られている。

そこがすごいと私は思う。何気なく

現れ、いつの間にか去っていく。夢

の中で出会ったような「旅する絵本

カーニバル」だからこそ、インパク

トがある。「旅する絵本カーニバル」

が去った後、そのままそれを再現し

ても何も意味がない。今、見た夢を

なんとか再現したいと、そこに住む

人たちが自分たちでオリジナルな

「絵本カーニバル」を作っていくこ

とが大切なのだ。その本物の居場所

の感触を味わってもらうために「旅

する絵本カーニバル」が旅している

のではないだろうか。

私は人と本をリスペクトする図書

館を作るために「真夜中の図書館」

という本を書いた。「真夜中の図書

館」はいつでも、誰でも、どんな時

でもそこに居ることを歓迎され、本

によって癒され、慰められ、励まさ

れ、共感を得ることが出来る図書館

なのだ。「旅する絵本カーニバル」

は私の考える「真夜中の図書館」が

本当に実存することを教えてくれ

た。私はしっかりと魂のホスピタル

の種を受け取ったのだ。

「旅する絵本カーニバル」がこれか

らもあちこちで魂のホスピタルの種

をまき、やがてそれらが全国で花開

くことを祈ってやまない。

旅する絵本カーニバル論辻 桂子

桂子(つじ

けいこ)

1960年生まれ。子どもプロジェク

トアドバイサーで図書館ファシリテー

ター。子どもプロジェクトでは07年か

ら子どもと図書館、図書館ワークショッ

プの研究と活動を行う。

『真夜中の図書館 図書館を作る市民・

企業・行政』郁朋社 1260円

表は「今日、図書館へ行った」で始ま

るエッセイで綴った『真夜中の図書館』。

裏は『真夜中の図書館』を市民・企業・

行政のコラボレーションで作る政策提

言。縦書き・横書きの2部構成。

広げる「旅する絵本カーニバル」とは、どの

ような可能性を持つものなのであろうか。近

年、ソニマージュという言葉が「学び」を表す

新しい概念として産み落とされていった。ソニ

マージュとは、フランス語の「音(soni

)」と

「映像(im

age

)」のリテラシー」という意味

を持つ。言わばソニマージュとは「祝祭のリテ

ラシー」であり、一見して「遊び」を装ったな

りをしていることが多い。絵本の場合、その聴

き手(子ども)側には一冊の絵本は始めからソ

ニマージュとして立ち現れていく。しかし【読

み聞かせる】側にとって、絵本は一冊のテキス

トであり、通常リテラシーに属する行為であ

るように感じられていくことであろう。「旅す

る絵本カーニバル」においては、沢山の数の

絵本をハレの舞台に押し上げて、全ての表紙

を見せるかたちでインスタレーション化してい

くことにより、会場での絵本体験を大人も子

どもも全てのオーディエンスがまずはソニマー

ジュとして受け取ることができるよう意図され

ている。インスタレーションとは、展示スペー

ス自体を空間作品として体験させる芸術作品

のことであり、現代美術における表現方法の一

つである。基本的に展示が終われば撤去され

てしまい人々の記憶の中にしか残りようがない

一時的なものであるのだ。その空間自体が作品

であるため、オーディエンスがインスタレーショ

ン作品を鑑賞する時、絵画や彫刻のときのよ

うに「作品と向き合って鑑賞する」というより

「作品の傍に身をおいて感応する」という状態

へと包み込んでいこうとする。実はこうしたイ

ンスタレーションの特性は絵本の持つ機能構造

へと重なっていく。絵本が唯一、多くのインス

タレーション作品と違っている点は、絵本は子

どもの小さな手で持ち運べるというところであ

る。絵本は「旅する」ことができるインスタレー

ションなのだ。またそういった絵本を素材とし

て集めインスタレーション作品化した「旅する

絵本カーニバル」においては、別の旅先が準備

され、会場に来たオーディエンスへと贈られて

いく。会場では、展示する全ての絵本が表紙

を並べることによってオーディエンスへとフェイ

ス・トゥ・フェイスで、それぞれが抱える物語

の魅力を存分に語りかけていくことができる。

その一冊一冊から零れる魅惑的な表情に見つめ

られ呼び止められながら、「子ども」たちはお

めがねに適った一冊を選びとり、その扉を開く

のだ。そしてその一冊の物語に束の間のあいだ

身を浸した後、まだ見ぬ一冊との出会いを目指

してまた旅立っていく。「旅する絵本カーニバ

ル」は、多くの物語を自在に巡っていくことの

出来るパスポートをどんなに小さなオーディエ

ンスに対しても手渡していくのだ。

絵本作家の赤羽末吉氏は絵本を「掌の劇場」

と語られたが、絵本に浸る親子の姿自体が幸

福感漂う一幕の舞台シーンのようであり、その

優しくもどこか儚げな原風景はそれを見る周

りの者たちへ或る情感とも言うべき漣を静か

に寄せていく。「旅する絵本カーニバル」とは、

こうした絵本を読みあう姿を互いに借景しあ

いながらつくりあげられていく双方向性の芸術

作品なのである。つまりこの場における全ての

オーディエンスは自らファンタジスタとなって

このインスタレーション作品を彩っていくのだ。

それは「旅する絵本カーニバル」という会場

全体においてひとつの大きな読みあいが生まれ

ていることを意味していく。

そうして、このように一冊の絵本というもの

が持つ機動性や祝祭性といった特性をマキシマ

ムに増幅し、より多くの方々の読みあいを可

能とするために再リ

デザイン化されたもの、それ

が「旅する絵本カーニバル」なのである。つま

り「旅する絵本カーニバル」とは絵本の内包

する本質の顕在化に他ならない。【巨きな絵本】

それが「旅する絵本カーニバル」であり、【ミ

ニマムな「旅する絵本カーニバル」】、つまりそ

れが一冊の絵本であるのだ。

絵本は、大人と「子ども」たちが寄り添いあっ

て共に心地良く腰掛けることのできる岸辺で

ある。だからこそ「子ども」たちとそこへひと

とき腰掛けてみてほしいのだ。

石田

陽介(いしだ

ようすけ)

1967年生まれ。嬉野温泉病院にてアートセラピスト

として勤務。主に精神疾患を抱える方や認知症のお年寄

りを対象とした集団絵画療法を担当。2006年より

九州大学ユーザーサイエンス機構子どもプロジェクトに参

加。子ども未来学の実践研究に携わる。主な活動として「子

ども学連続講座(2007年〜)」等を企画・担当。

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絵本とは、子どもたちの集う彼岸である。だから、大人たちにこそ赴いてみてほしい。

私の「旅する絵本カーニバル」論 ーーー 石田 陽介

一冊の絵本は一本の架け橋となって彼岸を結

び、大人である私たちにとって自分の中に棲む

「子ども」との邂逅を果たすに相応しい待ち

合わせ場所となるであろう。大人のからだの

中にも「子ども」は住んでいるのだ。ヨーク

大学のホリンデイル氏は〔Childness

(子ど

も性)〕という概念を新たに創り、人は大人に

なっても「子ども性」というものが生き残って

おり、その「子ども性」なるものが常に物語

を要求するのだと述べている。絵本との再会の

時間は、そのことを私たちにそっと思い起こさ

せてくれるだろう。

通常、絵本は聴き手に向かって「読み聞か

せる」、或いは「読み語りをする」という言葉

において語られることが多い。しかし私は「絵

本を読みあう」という言葉こそが、絵本を通

して人が人と向かい合う時間を言い表すのに一

等相応しいと感じる一人である。本来、絵本

には人が互いに時間を持ち寄り、ひとつの物

語を分かち合いながら読み手も聴き手も共に

心地よく場を共有することができる機能が備

わっていると気づかされるからだ。

盲ろう者で東京大学教授である福島智氏

は、視覚と聴覚を全く失った自身の体験から

「人間にとって一番大切なことは、コミュニケー

ションである。他のすべてがあっても、人との

コミュニケーションがうまくいかなければ、人

間は生きていけない。コミュニケーションでき

れば、それだけで生きていける」と語った。ま

た美術評論家の建畠晢氏は「相手を理解する

べき努力は最大限するべきだが、限界もある。

そうした限界を超えて、共感や驚きを抱ける

のが芸術の力ではないか」と語っている。つま

りアートは三項関係においてコミュニケーショ

ンを成立させるという点で【Joint Attention

(共同注意)としての術であると言えよう。

三項関係とは、自己―他者、自己―モノとの

二項関係を超えて自己と他者がモノ(媒介物)

を共同化する関係を作ることであり、まさし

くコミュニケーションそのものである。そうし

てアート作品というものは【共同注意】にお

いて人類中で最も有効なモノのひとつと言える

のではないだろうか。そうした「モノ(ある)」

から「コト(なる)」へとシフトしてみせるコミュ

ニケーション機能をアートの中でも一際豊かに

蓄えている存在、それが絵本なのである。

絵本を読みあうその時、物語世界に分け入っ

た聴き手へ現実の時の経過を忘れさせる垂直

の時間が起立していく。垂直の時間・水平の

時間とは、うつろわない主観的な時間と、う

つろう現実の時間のことである。水平の時間

があるから人は安心して垂直の時間に入ってい

けるし、垂直の時間があるからこそそれを心

の糧に人は水平の時間を生きのびてゆけるの

であろう。子どもが安心して垂直の時間に遊

べるのは、傍で水平の時間を生きる親しい他者

(親)の確かな存在を皮膚や鼓膜で感じてい

るからに相違ない。翻せば、小さな子どもが

親の不在を察し不安がっている時などには決し

てこの限りではなく、そこは子どもの居場所

足り得ない。絵本の読みあいは、この二つの時

間の接続をもたらし、互いの居場所を紡いでい

く。思想家の鶴見俊輔氏は、著書『神話的時

間』において「零歳の子どもに話し掛けると

き、零歳の子どもが自分に向って話し掛ける

とき、その中に我々は神話的時間を生きるこ

とができる。そのことに文学を読み解く鍵が

ある」と述べた。一冊の絵本は神話的時間を読

み手と聴き手、両者の間へと産み落としていく

のだ。絵本を読み手が水平の時間から声を発

して読んでくれるから、聴き手は垂直の時間へ

とからだを潜り抜けさせ、そこで安心して遊

ぶことができるのである。波が返すように、そ

れは更に読み手をも優しく包み内なる「子ど

も性」を呼び覚ませていく。大人が「子ども」

たち(二つの「子ども」ら=他者としての子ど

も〔Child

〕、或いは自己が持つ内なる「子ど

も〔Childness

〕」)と一緒に絵本を読みあう。

それは読み手と聴き手、或いは大人とその内

なる「子ども」が神話的時間をコラボレーショ

ンする創造的退行の術となりえるのであろう。

言わば近代的時間を超え神話的時間を生み出

そうとする意志、それがアート表現という行

為であり、その中にあってその機能を一際顕著

な形で構造化するもの、それが絵本の読みあい

というものなのではないだろうか。

ではそうした絵本によって空間構築を繰り

かいじゅうたちのいるところモーリス・センダック(著)、じんぐう てるお (訳)冨山房

場所を取り戻す作業を、心的にする旅として実

現してくれる空間が、ファンタジーであり、絵本

なのである。

 4.抱える構造

トリップから戻ってくる場所があること

絵本の世界に引き入れられるとき、読み手は

いわば心的にトリップをしている。目覚めた世

界では不可能なことや、大人が取り仕切る社会

では禁止され、罰せられさえするようなW

ILD

な行為、冒険を、ファンタジーは思いのままに

実現する。マックスのように、そこではW

ILD THINGS

の王となる。何しろ魔法がかかってい

るのだから。それに、ここは、現実の世界からは、

海を隔てて何週間も何年もかかるような「離れ

た(displaced)ところ」にあるのだから。

絵本世界へのトリップから帰ってきたとき、そ

こが安全な場所であることが確認できると子ど

もは安心して、ファンタジーの世界に冒険するこ

とができる。逆にこのような安心できる環境がな

いと、おちおち冒険世界にトリップしていられな

い。絵

本カーニバルの場がすぐれた居場所性を備

えているのは、内的な冒険(W

ILD

なものへの対

面)を支える外的な環境が用意されていること

である。それは、自分を

ほどよく囲む環境となっ

てくれる親の存在であ

り(写真1)、その親に

抱えられた自分は、さら

にもっと大きな柔らかな

「まわり」のなかに居る。

居場所を実現する秘密は、「ひとりで居るこ

と」と「だれかといっしょに居ること」とが矛盾

せず、両者が互いを支えあう「包む場」が提供

されることである。親と

子という対の構造をもち

ながら、それがさらに小

さな社会場面のなかに位

置づけられる、入れ子構

造を絵本カーニバルは実

現している(写真2)

このような囲み(環境)のなかに居るとき、

子どもは安心してファンタジーの世界に旅立ち、

そして戻ってくることができるのではないだろう

か。

 5.むすび

なぜ「旅する絵本カーニバル」なのか

東京で始められた絵本カーニバルは、九州に

上陸して、「旅する絵本カーニバル」という〈か

たち〉をとるようになった。どこでも、だれでも、

その気になれば始められる、汎用性の高いメソッ

ドとなり、絵本カーニバルの普及を促す意味が

あった。しかし、もっと本質的なことは、旅する

ことが、ファンタジーの生命線である点だろうし、

旅することは、目黒実の生き方そのものである。

文献

モーリス・センダック (

著)、じんぐう

てるお (

翻訳)

『かいじゅうたちのいるところ』 冨山房 1975

(Maurice

Sendak "Where the W

ild Things Are (Caldecott

Collection)" Trophy Pr 1988

北山

修『自分と居場所』岩崎学術出版社1993

住田正樹・南

博文(編著)『子どもたちの居場所と対人的世界の

現在』九州大学出版会 2003

博文(みなみ

ひろふみ)

1985年クラーク大学大学院心理学科修了(Ph.

D

)。広島大学教育学部を経て、現在九州大学教育

学部および大学院人間環境学研究院教授。

専門は、環境心理学と発達心理学。子どもや高齢者

の居場所が現代の生活環境や〈まち=暮らしの現場〉

の中でどのように実現できるかを、アジアのいろい

ろな都市をフィールドとして研究中。「よい理論ほ

ど実践的なものはない」というレヴィン・Kの言葉

をモットーに、現場のまっただ中に飛び込んで、そ

こで体感できる現象を普遍性のある言葉にしていく

作業を修業しています。著書『子ども達の「居場所」

と対人的世界の現在』(九州大学出版会)など。

写真2

写真1

Kyushu University Kodomo-Project Report on Picture Book Carnival

絵本のなかに居場所を読む南 博文

 1.きっかけ

すぐれた作品には魂がこもっている。

作り手の全人生をかけた悲喜こもごもの体験

や洞察や葛藤が、意識・無意識のうちに、作品

のなかに結晶化している。

絵本カーニバルは、総合的環境プロデューサー

目黒実の生みだした作品である。ご本人の述懐

によると子ども時代、仲間を睥睨するガキ大将

の位置にすわることよりも、むしろベーゴマ遊

びならベーゴマ遊びの「場を造る」ことに力を

発揮するタイプだったらしい。子ども社会のプロ

デューサーだったのである。

その性癖と素質は大人になってからの仕事の

世界に持続し、「子どもたちの第三の場所」を、

地域社会のあちらこちらに言わばゲリラ的、あ

るいはアングラ演劇的に創発させていく「子ども

プロジェクト」の活動に結晶化している。

絵本カーニバルは、目黒実の発見したひとつ

の場構成のメソッドである。その創作の現場に

環境心理学者として立ち合った者に見えてきた、

居場所のデザインの秘密を、ごく一部でも心理学

的に解いてみること。それが本稿のねらいである。

 2.マックスはどこに居るのか?―

  

Where the wild things are.

目黒実の薦める10冊の絵本のなかに、モーリ

ス・センダック作「かいじゅうたちのいるとこ

ろ」がある。原題は、"W

HERE THE WILD

THINGS ARE"

。ワイルドなものたちがいる(あ

る)場所。私には、この原題の方が、作者センダッ

クの真意が表れているように思われる。

ワイルドなものとは、怪獣とは限らない。そ

もそもこのお話の始まりは、主人公の男の子マッ

クスが母親に発した「食べちゃうぞ(I'LL EAT

YOU UP!

)」にあった。このとき彼は狼スーツを

着て家のなかで次から次へと悪さをした。そして

お母さんから「らんぼうもの(WILD THING!

)」

と叱られたものだからさっきの暴言をはいてし

まった。

お仕置きに、「お前を食べてしまう」どころ

か、夕食抜きとなり、部屋にロックされる。こ

こから先は、絵本を見てもらうとして、あらた

めて注意を促したいのは、"W

HERE THE WILD

THINGS ARE"

の「どこ(W

HERE

)に居る(ARE)

のか?」の問いである。この絵本、それからマッ

クスの身に何が起こったかということもそうだ

が、マックスはどこに居るのか、がテーマになっ

ているように思えるのである。

 3.居場所がない不安―

 

 

Displacement

の心理

マックスは、家族の夕餉の団欒から締め出さ

れ、自分の部屋に閉じこめられる。すると、部

屋は森になり、森は海につながり、彼は荒々し

い航海に旅立つ。そして、W

ILD THINGS

がす

んでいる場所に行き着く。そこで彼は、魔法で

WILD THINGS

を意のままに操り、王として君

臨する。

踊り明ける夜が過ぎると、やがて彼は独りぼっ

ちで「さびしい」感じにとらわれる。どこか遠い

ところから、おいしそうな匂いがしてくる。たま

らくなり、再び海を渡って帰っていく決心をする。

自分の部屋にもどったマックスを待っていたのは

… この冒険旅行のあいだマックスは、どこに居た

のだろう?W

ILD THINGS

が居る(在る)とこ

ろである。でも、W

ILD THINGS

とは何だろう。

「怪獣」と簡単に訳してしまわない方がいいと思

う。W

ILD

=野生の(例えばwild strawberry

は野イチゴ)、住む人のいない、乱暴な、手に負

えない、わがままな。マックスのお母さんは、い

たずらをする彼をW

ILD THING

だと言い放っ

た。W

ILD THINGS

とは、人が誰でも内に抱えて

いる野生であり、子どもである。それは時に乱

暴で、わがままで、そして自由奔放である。そ

れは、大人達の社会の原理(現実原則)とは対

立し、型にはめて矯められるか、あるいは引き

離(displace

)される。夢やファンタジーは、

そのようにしてdisplace

されたwild

なものたち

(心の中の自然=無意識)であると、精神分析

は教える。

大人の社会に適応しようとして、W

ILD

なも

のをどこかに隠して生きていくとき、われわれは

「本当の自分」を失うような感じを抱く。それは、

自分の「居場所がない」という訴えとして心理

臨床の現場に持ち込まれると、精神分析家、北

山修は著書『自分と居場所』の中で述べている。

ここで環境心理学の観点から、居場所のなさ

をdisplacement

(場所からの引きはがし)と

して意味づけてみたい。

あるものがそれが本来在るべき場所でなく、そ

れが属さない場所に置かれること。そのことを

displacement

と呼んでみる。

すると、先に紹介したマックスの物語は、失っ

た場所をふたたび見出す旅の作業を描いたもの

として理解される。彼が本来属していた場所、あっ

たかいスープが湯気をあげて待っていてくれるよ

うな、あたりまえだけど親密な、ちょうどよい

(good enough

な)場所=m

y place

。その

第3部

絵本カーニバルを読み解く

Kyushu University Kodomo-Project Report on Picture Book Carnival

独立行政法人国立病院機構名古屋医療センターの小児科、緩和医療チームとの共催にて開催しました。子どもたちが入院する病棟のプレイルームをはじめ、小児科外来、待合ロビーなど院内4箇所にて絵本カーニバルを展開。勤務されているチャイルド・ライフ・スペシャリスト山本悠子さん、緩和医療チームのスタッフ松野英美さんと共に、一冊一冊の絵本について内容を精査し、絵本の選定を行ないました。

「絵本カーニバル2007 in 名古屋医療センター」

佐賀好生会病院の緩和ケア病棟、福岡市の原土井病院のホスピスでおこなわれた絵本カーニバル。実施は、日頃からボランティア活動をおこなっている篠原久之氏の働きかけにより実現し、厳選された 50冊の絵本を2週間ずつ、2期に分け展示しました。「子どもの時間」を思い出す絵本も置かれ、ホスピスにお見舞いに来る子どもたちとの会話がうまれました。会期中は、眠れない患者さんたちのため、一晩中電気が灯されるなど、ささやかながら絵本カーニバルならではの試みも喜ばれました。

ちいさな絵本カーニバル in 緩和ケア病棟

子どもたちは病気を治すために入院してお

り、家族はそれに付き添います。医療従事者

は病気を治す専門家であり、それぞれに膨大

な職務を抱えています。病院は「病気を治療

する」場であり、同時に「生活」の場でもあ

ります。子どもたちの入院生活では、付き添

いの大人が共に生活し、週末にはお見舞いの

きょうだいや親との団らんがもたれるなど、

大人が入院する場合と比較して、より「日常」

が色濃く持ち込まれます。そのような子ども

たちの入院生活の環境において、絵本は大事

な役割を担えるメディアとなり得るのではな

いでしょうか。体験を選び取る選択肢となり、

子どもたちの世界の扉となる絵本。子どもと

大人と医療の間に立つ「翻訳者」としての絵

本。絵本たちが持つこれらのさまざまな可能

性が、今後医療現場においてさらなる広がり

をみせてゆくことを密かに確信しています。

【九州大学病院小児医療センター】

九州大学病院小児医療センターと子ども

プロジェクトは、2006年春の小児医

療センター新設の際の空間デザインを駒

形克己さん(絵本作家・デザイナー)に依

頼するなど、絵本カーニバルを開催する以

前から関わらせていただいている。

阿部祥子(あべ

しょうこ)

1982年生まれ。子どもプロジェクトスタッフ。

心身に障がいをもつ子どもを対象とした乗馬療法を

ニュージーランドの乗馬療法施設にて学ぶ。06年よ

り九州大学ユーザーサイエンス機構に勤務、現在入

院する子どもたちや大人へ向けた絵本カーニバルを

担当している。

絵本カーニバル in九州大学病院開催一覧第 1回 2007/ 2/20 ~ 22第 2 回 3/20 ~ 22第 3 回 4/23 ~ 27題 4 回 5/24 ~ 30第 5 回 6/20 ~ 26第 6 回 7/19 ~ 25第7回 8/24 ~ 30第 8 回 9/21 ~ 27第 9 回 10/26 ~ 11/1第 10 回 11/15 ~ 21第 11 回 12/17 ~ 1/7第 12 回 2008/ 1/29 ~ 2/4

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九州大学病院小児医療センターでの絵本カーニバルを通して子どもと大人と医療の間に立つ「翻訳者」

給食のごはんの香りに洗濯室の洗剤の香り。

廊下を散歩する親子。

シャンプーした髪を乾かすお母さん。

ランドセル背負って院内学級にいく小学生。

今まで病院に関わることがほとんどなかっ

た私が、初めて小児病棟を訪れた時に見た光

景は、意外なものでした。思い描いていた「病

院」の光景と共に、そこには「生活」があり

ました。病気を治すための治療と、洗濯やお

風呂といった暮らしが同居していたのです。

子どもたちが過ごす病室の目の前にある廊

下に、月に一度、160冊の絵本が並びま

す。2007年2月からこれまで合計12回

(2008年1月現在)開催してきた小児医

療センターでの絵本カーニバル。その開催に

先だって、私たちはひとつの仮説をたてまし

た。それは「入院している子ども達は、治療

を優先させなければならないために、〝自分

で何かを選び取る〞機会が少ないのではない

だろうか」ということです。そもそも、病院

に居なければならないという点で、彼らは居

場所を選べずにいます。また、病気を治療す

るために入院しているのですから、気分が悪

くても、痛くても我慢しなければならないと

きがあります。そこで、絵本を〝いろんな日

常・非日常を体験できるメディアである〞と

捉え、さらに複数冊をテーマごとに並べるこ

とによって「体験を選び取る選択肢」となる

のではないかと考えたのです。

 2006 年度 2月から、これまでの絵本カーニバルの役割から一歩飛び出して、病院というひとつの生活空間を舞台に毎月1回、持続的に活動していくことになりました。一時的で非日常の空間から生み出される動きとはまた違った、日常にとけ込み、恒久的な動きを生み出すことを目的としながら、毎月1度訪れる絵本たちを待っていてくれる子どもたちや家族、医療関係者とともに、試行錯誤しながら活動を続けています。

こうした仮説の下にはじまった絵本カーニ

バルでは、通常の展示方法のように新たに棚

を設置するのではなく、廊下の窓枠の前に絵

本を並べるという方法をとりました。子ども

達の生活空間にさりげなく展示した結果とし

て、日常の中の〝何かのついで〞に絵本が手

に取られる場面が見られ、日常に絵本たちが

入り込んでいけたのではと感じています。ま

た、私たちスタッフは尋ねられた場合を除き、

子どもや保護者に特定の絵本を勧めることは

しません。あくまで、「そこに存在している

のだけれど、必要であれば手にとってもらっ

てもよいし、気分じゃなければ通り過ぎても

らって全く構わない」といったスタンスで病

棟に絵本を置きます。もし必要であれば絵本

を開けば何かわかるかもしれないし、楽しい

ことが起こるかもしれない。そんな「種」を

秘めた絵本が子どもたちの生活に寄り添い、

いつでも手に取ることができるという環境を

創り出すことで、子どもたちに「見守られて

いる」という安心感をもってもらうことがで

きたのではないでしょうか。悩みながら丁寧

に選んだ絵本たちが、子どもたちをはじめ病

棟のみなさんに読まれた後、元の場所に帰っ

てきた様子をみると、立派に任務を終えてき

たようで、絵本たちが胸を張っているように

感じられます。

「絵本カーニバルで地域の未来を考える図書館へ」

 みやま市立図書館(旧瀬高町立図書館)は、絵本カーニバルによってもっとも意識やつながりの変化を実感できた開催地で、絵本カーニバルを体験する前後で、「子ども」と「絵本」という価値観がガラリと変わった、ふたりの男性の強力なリーダーシップで実現しました。 2度目の絵本カーニバルは、デザイン・企画・運営とも子どもプロジェクトの手を離れ、みやま市立図書館の手でおこなわれました。オリジナルのシンボルマークや、ポスターのデザイン、エントランスから奥へと導く空間演出、紙芝居では、わざわざ古い自転車を探し回り、鐘を鳴らしながら、おじさんが子どもたちのもとへやってくるなど、すみずみまで細かな配慮がされ、子どもも大人も楽しめる演劇的な空間へと変化しました。 また、もっとも驚かされるのは、図書館にある 8,000 冊の絵本から、司書の方たちが選書し、会期中、展示してある絵本を借りて帰ることができるように、会場内に特設の貸し出しカウンターを設けるなど、図書館ならではの新たな試みもおこなわれ、絵本カーニバルという「種」が、図書館の新しい可能性を引き出し、文化を育む場として、次の段階へと進化していると実感できました。

「旅する絵本カーニバル in みやま」みやま市立図書館(旧瀬高町立図書館)(福岡県みやま市)第 1回 :2005/12/22 ~ 12/25 第 2回 :2008/1/29 ~ 2/3

旅する 絵本カーニバル in みやま

Kyushu University Kodomo-Project Report on Picture Book Carnival

「絵本によるまちづくり」旅する絵本カーニバル in 南阿蘇

人にやさしいまちづくりを絵本的世界によって実現していこうという構想をもった「南阿蘇えほんのくに」の活動が、2006年にはじまったのをきっかけに、熊本県庁からの依頼を受け、南阿蘇を見渡せる大きな洋館を舞台に開催することになりました。広大な芝生の庭をつかった「絵本ピクニック」など新しい試みが空間によって引き出されたという思いがあります。「南阿蘇えほんのくに」は、2008 年より本格的に業務を日常化し、絵本のあるまちづくりに取り組むことになりました。今後の展開が期待されます。

「チルドレンズミュージアムでの開催」旅する絵本カーニバル in 沖縄こどもの国地域人材と共につくりあげていく企画展として発展させていくことをねらいとし、市民参画を基につくりあげた沖縄こどもの国での絵本カーニバル。地域人材をはじめボランティアの学生達と共に「絵本」をテーマとしたプログラム開発を行い、絵本の読み聞かせの研究や地域の子ども達への読み聞かせワークショップの実施、児童・保育を学ぶ地域学生達の実践と活動の場として、絵本カーニバル自体が市民参画によるワークショップの場となりました。

「旅する絵本カーニバル 2006 in 南阿蘇」如水館阿蘇分館 (熊本県南阿蘇村)2006/5/13~5/21

「旅する絵本カーニバル in 沖縄こどもの国」沖縄こどもの国ワンダーミュージアム (沖縄県沖縄市)2007/7/21 ~ 9/2

▲ 絵本マーケットで好きな絵本を選んだら、バスケットに絵本をつめて芝生の上で楽しめる「絵本ピクニック」を行いました。

なゆた浜北市民ギャラリーは浜松市北部、旧浜

北市がバブルの時建設された総合文化施設であ

る。地方の文化施設が抱える悩みをすべて抱えて

いる。周囲には若い世帯が多い住宅地がある。訪

れた子どもや家族を絵本が包み込む様な感覚。や

わらかさが全体を形づくる様な場の雰囲気づくり

に気を配りながらの構成。

「広さとゆとり」の関係を象徴的にあらわす様な

4mの巨大なモビールをワークショップスペース

に配置し、終盤では出来上がったモビールの下に、

小学生、中学生、お兄さん、お姉さんが参加して

「絵本リーディング」を行った。

登録有形文化財「旧浜松銀行協会」は浜松市中

心地にあり、現在浜松市はその活用方法を検討し

ている。昭和5年に建築され、内装、内部の調度

品はほぼ当時のまま残されている。この建物がた

どってきた歴史と我々人間の人生と絵本を重ね合

わせながらサブテーマは「Life is fantasy

」大人

に届けたい絵本カーニバルになった。

主催は絵本カーニバル実行委員会、大学教授、

社会人、学生、アーティストと異なるバックボー

ンを持つメンバーで構成された。絵本好きばかり

ではないメンバーの「旅する絵本カーニバル」で

のジャズセッションを期待した。

古い洋館のなかで行われた「PICTURE BOOK

CARNIVAL」は「おとなの居場所」としての場の

質感にも気を配りながら、作り上げられた。

「絵本」を媒体につながっていくための場づくり。

様々な新しい関係が生まれ、カフェを設置するこ

とで、出会いながら話し合う「トーキング・カフェ」

の場としても充分に機能した。本来コミュニティ

が持ち得ているべき場のスペック(容量)の活用

とは、そこに暮らす人々に委ねられた既得権であ

るかも知れない。つまり主体的な連携形体こそが

緩やかに人と人をつなぎ、やがて地域の文化にま

でたどり着くことになるのではないだろうか。

浜松で圧倒的に不足しているものは「地域の文

化力を創っていけるような、子どもから大人まで

一人一人の心に何かを届けられる」ソフトだと思

う。「旅する絵本カーニバル」は多くの絵本と、人々

を迎え入れるためにデザインされた空間が、強く

主張することなく「入場者の等身大で受け取れば

良い」という緩やかさ、曖昧さがある。

金銭的問題を解決するための2会場での開催、

ヒトは子どもアートスタジオに関わってくれた人

たちを引きずり込んだ。また強引な開催が決めら

れたのは、「絵本カーニバル」を理解するホシノ

マサハル氏の存在が大きかった。

ホシノマサハル(ディレクター・コミュニティアーティスト)

「こどもアートスタジオ」「ミュージアム・アクセスグループ・

MAR」「クリエィティブサポート・レッツ」「エイブルアー

トジャパン」などにかかわりながら、アートを通した様々

なコミュニケーションのあり方を探っている。

青木

あきこ(アートコーディネーター・こどもアートス

タジオプロジェクト代表)

アートと関わりながら子どもが人間として成長していく

ことを願い、ワークショップスタイルの「子どもアート

スタジオ」を実施。民間企業のミュージアムの設立、キュ

レーションの経験を活かしながら、地域の文化のあり方

を探っている。

「旅する絵本カーニバル in 浜松」~家族を囲む絵本たち~なゆた浜北市民ギャラリー

都市に埋もれた「場の魅力」と「つながり」を掘り起こす静岡県浜松市での絵本カーニバルは、都市に埋もれた文化的建物の活用方法として、「子ども」と「文化」をキーワードに絵本カーニバルで提起し、会期中来場者は2000人をこえ、大きな反響を呼びました。また、運営方法としても、九州からの輸送費や運営コストを軽減するために、時期をずらしコンセプトの違う2ヶ所での絵本カーニバルを行うなど、時間をかけさまざまな工夫をこらし実現しました。

地域の文化をつくるために

ホシノマサハル・青木あきこ=文

PICTURE BOOK CARNIVAL IN HAMAMATHU "Life is Fantasy"登録有形文化財「旧浜松銀行協会」

「旅する絵本カーニバル in 浜松」登録文化財「旧浜松銀行協会」(静岡県浜松市) 2008/1/25 ~ 2/11

「旅する絵本カーニバル in なゆた」浜松市なゆた・浜北 市民ギャラリー(静岡県浜松市)2007/12/1~12/16

Kyushu University Kodomo-Project Report on Picture Book Carnival

高校を巣立ってから8年。久しぶりに訪

れた母校は、少し表情を変えてそこに存在

していた。夜間学校の校舎との間に閉じら

れる頑丈なシャッター、靴が盗まれないよ

うに取り付けられた靴箱の鍵、そして授業

を終えた後に教室から響く声は、大画面テ

レビから補講授業をする塾講師の声だった。

何もかもというわけではないが、こんなと

ころでも時代が変化していることを感じ、

何も変わらずそこにあるものさえ上書きさ

れているように感じた。

こうした高校という居場所が、果たして

生徒や先生にとって居心地の良い場として

機能しているのだろうかと考える。新しい

風を取り入れる隙間がないくらいに閉じて

しまっている雰囲気に少し戸惑いを感じな

がらも、生徒たちに呼びかけ「絵本カーニ

バルをつくる」ことを始めた。

彼らには、まず、今、興味があることを

聞いた。「恋愛」「仕事」「友だち」「夢」「地球」

……。テーマを考える上で、互いにいろん

な話しをした。日々の生活を、心で体当た

りできる年齢は、まさにこの時期。絵本を

手にすることで、新しい毎日に出会ってほ

しいと思い、絵本カーニバルのサブタイト

ルを、「毎日にオドロク方法」と題した。

そして、図書館にある本の中から好きな

絵本を選んでもらった。なぜ好きなのか、

どんなところが好きなのかを尋ねながら、

短いレビューを書いてもらう。高校の図書

館には、全くと言っていいほど絵本が存在し

ないことも、この時にわかった。そんな折、

この試みに興味を持った先生が、図書館に絵

本を寄贈してくださった。更に学校側からは、

絵本を購入するための予算まで割かれること

になり、生徒たちにとって絵本が必要である

ということを、認めてもらえたように思う。

絵本カーニバルの運営は、生徒たちに任さ

れた。事前にワークショップを開催し、外

来客へのチラシの作成や印刷、配布も彼らが

行った。また、同じ地域の保育園の子どもた

ちを招き、保育教育の場としても絵本カーニ

バルが利用され、また、放課後には生徒たち

が集う場となった。

人が生きるための住処を「巣」とするなら、

学校はまさに高校生の大切な「巣」であるべ

きだろう。もちろん心の「巣」としても。そ

の「巣」をつくっていくのは、大人と子ども、

先生と生徒、学校と地域を問わず、そこに関

わる各々の役目なんだということを、絵本

カーニバルが教えてくれていたように思う。

物置だった空き教室が、魔法がかかったよ

うに生まれ変わった瞬間、それは「巣」とし

てのもともとの役目を甦らせたのだろう。こ

の「巣」が、生徒たちや先生はもちろんのこ

と、そこを巣立った私たちにも心地よい居場

所であり続けることを願いたいと思う。

酒井

咲帆(さかい

さきほ)

1981年生まれ。子どもプロジェクトスタッフ。

チャイルドライフフォトグラファー。企業メセナ

としてギャラリー運営に携わり、展覧会やワーク

ショップ等の企画を行う。また、アフガニスタン

の子どもたちにカメラを持たせ、現地と日本で写

真展を企画する等、写真やアートを通じて子ど

もに関わる活動を行っている。

2007 年冬、絵本カーニバルははじめて学校教育の現場に足を踏み入れました。高校という場所で、生徒達主導の運営体制をとることで、物置だった空き教室は自発的なコミュニケーションがうまれる場となりました。

「高校生と実現した絵本カーニバル」

「巣」としての居場所

酒井

咲帆=文

「旅する絵本カーニバル in 明南高校」兵庫県立明石南高等学校(兵庫県明石市)2007/12/1 ~ 12/26

加えて、オープニングイベントを荒

井良二氏に、筑豊公立美術館3館で

構成される「筑豊美術館ネットワーク」

(略してちくネット)主催事業のワー

クショップをスズキコージ氏に依頼し、

そのドキュメント展を展示室で行った。

知っている絵本を描いた作家と触れ合

い、なおかつ一緒にモノを作るという非

日常的な体験は、限られた参加者し

か味わえない貴重な時間ではあるが、

それを一過性のものにするのではなく、

完成作品を展示し余韻を残すことで、

他の来館者にも味わってもらうことが

出来た。

「美術館でたくさんの絵本が読め

る。」このフレーズを聞くと、書架に

きちんと納められている絵本たちを想

像するだろう。しかし、その想像に反

して、会場内に面出しされた絵本た

ち、優しい間接照明、心地よい音楽、

誰もが手にとって絵本と向き合える空

間が、個々の視覚、聴覚、触覚と過

去の記憶を刺激しながら、これまでに

ない素敵な絵本の世界へと導いてくれ

る。それは、世代や性別を選ぶことな

く、その場にいる全ての人に与えるこ

とができる絵本カーニバルの特権であ

ろう。ともに感性を養う場として、ま

た出会いの場として美術館と絵本カー

ニバルが手を取り合ったことは意義深

いものである。

「親しみのある美術館」といっても、

来館者の求めるものがそれぞれ違えば

その答えも様々で、絶えず課題が湧き

出てくるものではあるが、「旅する絵

本カーニバル」を開催するにあたって、

敷居が高いという美術館のイメージは、

少なからず払拭されたのではないだろ

うか。本

展は当館の収蔵作品で、田川市

出身の芸術家・立石大河亞(たていし

たいがあ/1941〜1998)が

手掛けた絵画、絵本、陶彫など全41

点の展示に加え、宇宙的モティーフや

だまし絵の要素が含まれた立石作品か

ら抱くイメージ「不思議」をテーマに

選書した「旅する絵本カーニバル」を

8月2日から8月26日にかけて田川市

美術館全館で開催した夏の特別企画で

ある。

ユニーク且つ鮮やかな色彩の立石作

品から一転して、先崎哲進氏プロデュー

スの暗い森の中を髣髴とさせる展示室

を通り抜けると、たくさんの絵本が並

ぶ「絵本カーニバル」が目に飛び込ん

でくる。そのギャップに子どもたちの

歓声をたびたび聞くことができた。さ

らに、会期中の週末午前と午後2回に

分けてボランティアによる絵本の読み

聞かせを行い、隣接する図書館で周知

することで、図書館利用者にも立石作

品と絵本の世界を満喫してもらえたよ

うである。

岩崎

美穂 (いわさき

みお)

1981年生まれ。田川市美術館

学芸員。学生の頃より社会教育施設

などのボランティアスタッフを経験

後、現在は田川を中心に子どもに関

する活動を行う。絵本カーニバルIN

FUKUOKA

2007担当学芸員。

アート×絵本×子ども=田川市美術館

岩崎

美穂=文

絵本カーニバル IN FUKUOKA 2007 田川市美術館 「タイガー立石と摩訶不思議な絵本たち」(福岡県田川市)2007/8/2 ~ 8/26美術館のこれまで開けることのなかった窓を開け、たくさんの光りをとりこんだ田川市美術館。絵本作家の荒井良二さんと子どもたちとのワークショップで出来た不思議の森と、先崎哲進氏によるシンボルツリーとモビールなどによる空間演出によって『不思議』だけど居心地の良い空間をつくりあげた。

Kyushu University Kodomo-Project Report on Picture Book Carnival

 西日本新聞社、NTT西日本、子どもプロジェクトが協働で、福岡県下 12の美術館博物館をつなぎ2007年夏「絵本カーニバル in FUKUOKA 2007」を開催しました。美術館という子どもとむすびつきにくい常設展示空間を利用して、どういった試みができるのか試行錯誤の末、北九州市立美術館では、いつ来ても参加できるよう準備されたワークショップルームをつくり、子どもたちが来るたびに空間が変化していようにしかけをつくり、また、田川市美術館ではワークショップで展示室の一部を子どもたちとつくりあげる試みを行うなど、動きが想像できるような展示をつくりました。

「美術館に子どもたちがやってくる」絵本カーニバル IN FUKUOKA 2007

旅する絵本カーニバル in 北九州 2007(福岡県北九州市)2007/8/14 ~ 8/26「街」がテーマとなった北九州市立美術館の絵本カーニバル。絵本のスペースには家をモチーフにした展示をおこない、オープニングに絵本作家の tupera tupera(ツペラツペラ)さんを招き、「ぼくらの街をつくろう」と題したワークショップをおこなった。これまで交流の少なかった、美術館、図書館、子育て支援グループのつながりもうまれ、会場全体がおおきな「街」のように訪れる人の交流が生まれた。

「福岡をえほんのまちに」をキーワードに拡がりをみせた 2007年の夏。12の美術館・博物館・ギャラリーをつなぎ、子どもたちのための企画展を同時開催しました。

<会期> 2007 年 6月 20日 ( 水 ) ~ 9月 24日 ( 月 )<会場>福岡県立美術館、福岡市美術館、福岡アジア美術館、九州国立博物館、石橋美術館、北九州市立美術館、田川市美術館、直方谷尾美術館、嘉麻市立織田廣喜美術館、九州日仏学館、イムズ、三菱地所アルティアム<主催>九州大学ユーザーサイエンス機構子どもプロジェクト、西日本新聞社、テレビ西日本、NPO法人子ども文化コミュニティ、西日本リビング新聞社<特別協賛> NTT西日本

絵本カーニバル IN FUKUOKA 2007 田川市美術館 「タイガー立石と摩訶不思議な絵本たち」(福岡県田川市)2007/8/2 ~ 8/26

小さな子どもを持つお母さんたちの手芸グループが主体となり、子ども服などを販売しながら苦心して集めた予算で開催しようという、まさに草の根運動から端を発した宗像の絵本カーニバル。1人 1人の熱意が拡がり、地域の図書館も巻き込んでさまざまな課題を解決しました。ボランティアスタッフのモチベーションも非常に高く、会場では、来場者と交流が生まれやすく居心地のよい環境がつくれていたのではないかと思います。

「地域の中のひとりひとりの力」旅する絵本カーニバル in むなかた

ンジ等でも稼いだ。手間賃なしの全

て奉仕。各メンバーもそれぞれの役

割をもち、毎日がカーニバル漬けに

なった。たくさんの人が賛同してく

れ、市外や県外の人まで快く商品を

購入してくれた。そして、9月には

資金も目標額を超え、土台にのった。

告知は各報道関係には出来る限り

アタックして、無料のラジオ・TV

告知を実施。市内はもちろんのこと、

福岡から小倉まで民間施設はチラ

シ・ポスターを全員でまいた。ポス

ターを見て、皆と実感した。本当に

宗像でやれるんだな…と。

「旅する絵本カーニバル

2006

in

むなかた」はこうして開催に至っ

た。〝子どもと毎日でも行ってみた

い〞という小さな願いから始まった

宗像の絵本カーニバルはここに書き

きれないほどの〝人〞の手と心によ

り実現できた。あるメンバーの子ど

もは、今でも開催場所を通るたびに、

「絵本カーニバル!」と何度も言う

らしい。こうやって何かしら、訪れ

た人の心には残っているのだろう。

心地よい空間を皆で感じられて良

かった。そしてまたつくれたらいい。

そしてずっとあったらいい。

井上

恵(いのうえ

めぐみ)

1972年生まれ。主婦。2006年

福岡県宗像市において、絵本カーニバ

ルの開催の為、発起人となり奔走する。

絵本関連のボランティアや、子どもを

取り巻く環境つくりに関わっている人

の手助けを子どもとともに行っている。

無謀な私達だった。

資金のない私達は、まずは市へか

けあう為の提案書を作成し、提案す

るも、担当課からは予算がないとい

われ、惨敗。また開催する「場所」

探しをと、いろいろな建物を訪ね、

パートナーとなるべく、提案してま

わったが、諸条件や予算の問題でど

こも厳しかった。その間にも「人手」

の確保を始めた。実行委員会となる

べく人を集める。〝絵本を子ども達へ

読んでやりたいが、どんな本を選ん

でいいのかわからない。〞〝背表紙で

並べられた本では探しにくい…。〞な

ど、切実な問題を共有していたお母

さん友達は共感してくれ、一緒に活

動を始めた。最終的には、12人の親

と13人のちびっこ達というメンバー

になった。

そんな私たちを後押ししてくれた

のは子どもプロジェクトの目黒教授

だった。宗像へ来てくださり、場所

をおさえ、一緒に話をしていくうち

に、今まで宙をつかむような話しだっ

たのが急速に現実味を帯び、そこに

いた全員が魔法にかかったかのよう

にカーニバルをやるんだという気持

ちが固まった。自力でやることを決

心したちょうどその頃、以前私達が

開催の提案をしていた宗像市の図書

課も実施したいと九大に言ってきて

いた。目黒教授が私達一般市民と図

書課の仲をとりもってくださり、共

同で開催する事を決めた。

私達の資金は子ども服を作って売

る事に頼った。さらにフラワーアレ

「旅する絵本カーニバル in むなかた」宗像ユリックス (福岡県宗像市) 2006/11/16 ~ 11/19 

Kyushu University Kodomo-Project Report on Picture Book Carnival

2005年のクリスマス、私は偶

然絵本カーニバルの話を耳にした。

調べてみると、これまで開催された

場所は当時1歳前後の子どもを持つ

私たちにとってはどこも遠い。しか

し、子どもが絵本の想像の世界を旅

しているのでは、と思うほど夢中に

なる姿を目の当たりにしていると、

自由に、楽しく、そして簡単にたく

さんの絵本に触れ合える空間が身

近に欲しかった。そして大人である

私達も、絵本を読んでいた小さい頃

の記憶をたどりながら、絵本の世界

にもっと触れてみたくなった。絵本

カーニバルならば、大人も子どもも

絵本を通じて自然に触れ合える場所

となってくれるかもしれない。それ

は昨今なくなっていた、子どもとと

もにさまざまな人と過ごすという理

想的な環境かもしれない。そう考え

た私たちは2006年の1月に「宗

像へ来てください」と子どもプロ

ジェクトへ電話をかけた。とっても

小さな願いからはじまった

絵本カーニバル

井上

恵=文

「パブリックスペースの再発見」旅する絵本カーニバル in 志摩町どこの地域にもある公民館を会場にした志摩町では、会期中、夜 8時まで開場することで、夕食をとった後にゆっくりと家族で来場するなど、昼間とは違ったくつろぎ方を発見できました。パブリックスペースの再発見をテーマに、空間をつくると、結果的には周りの美しい景色を見えなくしていたカーテンを取り去り、窓を磨くことからはじめ、とてもシンプルに場の魅力をどう見せていくかという工夫を凝らしたものとなりました。

「旅する絵本カーニバル in 志摩町」志摩町立桜野公民館(福岡県糸島郡志摩町)第 1回 2005/11/25 ~ 11/27 第 2回 2006/11/18 ~ 11/26 第 3回 2007/9/14 ~ 9/16

ではないだろうか。

人口がおよそ18000人の町にも関わ

らず、3日間で1500人もの来場があっ

た。最終日には、絵本の部屋に人が溢れかえ

り、会場は歩くことが難しいほどになった。

地元のある女の子は、3日間続けてお気に入

りの絵本を読みに来てくれたし、ある若い男

性は、ハーレーに乗って会場に来てくれた。

おじいちゃんやおばあちゃんは、孫と一緒に

笑顔で絵本を手に取ってくれた。この場にい

るみんなの顔に笑顔が浮かんでいる。こうし

た場面を目にするたびに、僕は絵本が持つ大

きな力を感じずにはいられない。なんて懐が

深いのだろう、これだけの世代に受け入れら

れる絵本という読み物は。

それから毎年、地元の方々が主体となって

絵本の展示イベントを引き継いでくれるよう

になったことも嬉しかった。そして日常のこ

ととして、桜野公民館では、本について語り

合う集まりが毎月開催されるようになった。

1つの絵本カーニバルが、この町では様々な

形へと変化していっているのだ。本を通して

人と人がつながる志摩町、これからもそのよ

うな魅力的な地域でありたいと思う。

図書館のない町に絵本を届ける

楢崎

尚弘=文

自分の住む町で絵本カーニバルをやってみ

たい。当時、大学生だった僕がふと考えたこ

とが始まりで、2005年の秋、絵本カーニ

バルが現実のものとなった。

福岡県の片田舎にある志摩町は、海に囲ま

れた半島という土地柄か、夏は海水浴で多く

の人が集い、大きな野外ライブイベントも開

催され、様々な自然や文化に囲まれた地域で

ある。ただ、ここには図書館がない。本と出

会う機会にだけは恵まれていないのである。

そんな図書館のない町に、絵本と出会える

場所をつくりたい。この思いを周囲に伝え、

地元の方々と共に絵本カーニバルを開催する

ことができた。会場として選んだのは、志摩

町の山と田畑に囲まれた静かな場所にある桜

野公民館。公民館という身近な施設を使うこ

とで、いつもの見慣れた場所でも絵本でこれ

だけ空間が様変わりするのか、と来場した

人々に感じてもらいたかった。

今回の絵本カーニバルでは、700冊の

絵本、絵本に囲まれたカフェ、ものづくりが

できるワークショップなど、様々な企画をこ

の志摩町に届けることができた。開催時間は

夜8時までに設定し、静かな秋の夜にやさし

い明かりと絵本を灯し続け、最終日にはアコ

ーディオン・ライブを行った。絵本のある部

屋は、部屋の半面が全てガラス張りでとても

景色が良く、そのため昼と夜で随分と雰囲気

が変化する。来場した人々は、様々に変化す

る絵本の世界と周囲に広がる自然の世界を、

行ったり来たりしながら楽しんでもらえたの

楢崎

尚弘(ならざき

たかひろ)

1982年生まれ。沖縄子どもの国ワンダー

ミュージアムスタッフ。絵本カーニバルを中心

に、04年から子どもプロジェクトに参与。大学や

ミュージアムでの絵本カーニバルの企画・選書を

行う。関心領域は、絵本・子どものワークショッ

プ・教育工学・心理学など。

Kyushu University Kodomo-Project Report on Picture Book Carnival

これは種をまくための手法そのものだと思

う。

吉川

絵本カーニバルで出会った絵本を終

了後に図書館で何冊も購入したんですよ。私

たちは新しい本に出会う機会がなかなかない

わけです。アンテナを働かせて、本屋さんを

めぐったりすることもできないし。だから、

絵本カーニバルには、たくさん冒険しても

らって、すてきな本をこれからもいろんな場

所で紹介してもらって、いい影響を与えてほ

しいと思う。

前田 図書活動の中で子どもや絵本が浮き

彫りになることはいままでなかった。やっぱ

り日常の活動ですからね。でも、一番たいせ

つなことは、それが楽しいってこと。勉強す

るとか、説教食らってくる人なんていない。

多様な楽しさの中に子どもという短い時間の

中にこれは手渡してあげたいというものを、

しっかりと広めていきたい。大人の役割とは

なにか、と自分に問うていきながらね。

ことができた。これから先も、いいものに近

づけていくために、私自身がどんなふうに関

わっていけるかが課題だと思っています。

吉川

今後の課題としては、どんな風に

この活動をひろげていけるか、じゃないかと

思っています。ネットワークをひろめていっ

て、つながりをうんでいくための活動にして

いきたい。

前田

開催期間中に他の市町村の人たちも

見に来てるわけ。あの空間の中で話しをして

いると、それが刺激的なんだよ。そういう心

の中にある創造的展開みたいなものがあるこ

とが、この活動の原動力になっている気がし

ます。

おまつりはにぎやかで楽しく。効果はいろい

ろとあるのだけど、大事なのは、その種が地

域にどれだけ根付くかということ。

私たちは、種を育てるために、いつも畑を耕

していなければならない。絵本カーニバルを

きっかけに、これから先いろんなことを収穫

できる状況をつくっていけると思ってます。

我々だけでは、多分永久にこういうことはや

らなかった。子どもプロジェクトがこの企画

を持ってきてくれたことで、私たちもエネル

ギーを得られたと思う。

岩崎

種と例えられたのは、とてもいいと

思います。こういうイベントの企画というと

切り花をもってくるやり方が多いと思うんで

すけど、絵本カーニバルは種だったと思う。

Kyushu University Kodomo-Project Report on Picture Book Carnival

絵本カーニバル2006

開催事前

座談会 2006年4月5日 山都町立図書館

はじめての絵本カーニバルを振り返って

吉川

突然だったですよ。絵本カーニバル

は。7月の企画なのに、すすみはじめたのは

5月も半ば過ぎてからでしたから。私もはじ

めから直感で楽しそうだからやろう!と思っ

たんですよ。

でも正直なところ、はじめはサポートするく

らいだと思っていたから、ミーティングで集

まるうちにお金の問題が見えてきて……

町を巻き込む問題だと思って、町長と館長が

いる席で相談したんです。それで、やっぱり

やろうということになった。

前田

ほんとに最初だから、行き当たり

ばったりだったね。情熱でやったようなもの

だから。それぞれが未熟だった。

吉川

細かいことを言えば、運営に際して

のボランティアさんのお弁当の用意。連絡ミ

スで数の変更が相次いだ。やっぱり道の駅で

やるには、そこの収益をあげるようにしなけ

ればと思っていたから。次回はもっと配慮で

きると思う。やっぱり第3セクターでやるか

らには、その意味を考えなければならないと

思う。

真野

開催期間中は、文楽館(会場である

道の駅の名称)の売り上げが確かに上がりま

したもん。子どもが行けば大人、家族が行く。

「ターゲットを子どもにすればいいんだ」っ

て文楽館の渡辺さんも発見してましたよ。

前田 山都は、普段から教育委員会が図書

館の必要性を認識してくれている。予算も付

いている。なかなかこういう行政は今時ない

と思う。ここには文化の素地を育んできた歴

史があるから。その上で、田上さんという担

当者が行政にいてくれて、予算をうまくつけ

ることができた。

田上

私はお金の調整役で、実働は安心し

てまかせていましたから。

きっかけとして、場所を清和でしたいといっ

てくれたのがよかったと思いますね。市町村

合併後、それぞれの地域が一体感を欲してい

た。そういった中で「清和」で絵本カーニバ

ルという種をまけた。思いもしないことで大

変ではありましたが、やってもらってよかっ

たと思っています。

それから、絵本カーニバルをきっかけにして、

自分自身「子どもの目線」を実感として持つ

「私たちは、種を育てるために、いつも畑を耕していなければならない。絵本カーニバルをきっかけに、これから先いろんなことを収穫できる状況をつくっていけると思ってます。」

 山都町の実行委員会のみなさんと会議をしていると、「文化って何だと思う?」「子どもってどんな存在?」と問いかけられることがよくありました。こういった過程を経たことで、まっすぐに本質を見極めながら、地域の中の子どもの居場所づくりについて、みんなで話し合うこと。そのこと自体が、絵本カーニバルの本当の目的だと思うようになりました。  これは、2005年度の第1回目の絵本カーニバル終了後に、前・山都町立図書館長の前田さん、現・山都町立図書館長の下田さん、実行委員長の吉川さん、山都町役場の田上さん、地元よみきかせの会のメンバーである真野さん、ボランティアスタッフの岩崎さんなどにお集まりいただき、感想と今後との課題についての話し合いの場を設けた際の記録です。この座談会でも、失敗や課題を見据えながら、本質的な問いを共有できたのではないかと思っています。

ルがやって来た。今年は九大スタッ

フも山都町立図書館館長も交替した

が、絵本カーニバルに対する理解は今

までと変わりなく、3月の末にスタッ

フの顔合わせからスタートした。年々

少しずつ新しいことを試みている山都

町として、今年は何に挑戦しようか

と、4月半ば絵本カーニバル実行委

員会の会議が始まった。新企画として

①ブックレビュー(書評)に挑戦する

②絵本ピクニックを試す、③大人のた

めの夜の絵本カーニバルをする、の三

つの柱が決まった。ブックレビューは

日頃図書館で働く私達にとって、重

要で難しい仕事の一つだが、遠藤さん

が以前取り組んだピク

チャーブックスクロゼッ

トというの取り組みに

アイディアをいただき、

事前に九大スタッフと

レビューを書く会を設

け、実行委員会のメン

バーで好きな本、読ん

でもらいたい本について

のレビュー書きに挑戦した。

本に囲まれた中で働いている割に本

を読む時間のない日々に、久しぶり

に好きな絵本を棚から引っ張り出し、

改めて読み返し、いかに読んでもらえ

るレビューを書くか……。大変な中に

も楽しい時間を過ごすことができた。

本とレビューは昔の小学校で使われて

いた木の机に置かれ、来場者にもお気

に入りの本のレビューを書いてもらえ

るようにノートを用意した。今までの

一方的な絵本の展示だけでなく、来場

した人と私達の交流が生まれること

を期待して。

絵本ピクニックは文楽邑のきれいな

芝庭で、カーニバルの絵本を持ち出し

て敷物の上に座って風や光を感じて絵

本を楽しんでもらう企画である。何

組かの親子や、友だち

同士がバスケットにお

気に入りの絵本を入れ

て、戸外の木陰で絵本

を読み合う姿は素敵な

風景だった。

そして、大人のため

の「夜の絵本カーニバ

ル」。文楽邑の会場は

ガラス張りなので、第1回目のカー

ニバルの時から夜に灯りをつけたいと

思っていた。しかし、夜も開場すると

なると主婦が中心のボラ

ンティアの負担が大きく

なると、実施を諦めてい

た。しかし今回はみんな

の提案で、会期中2回あ

る土曜日に夜の開催をし

ようとなった。最初の土

曜日には、「絵本と音楽

の夕べ」と題して、熊本

在住の音楽家の演奏と絵本の朗読の

共演をした。2回目の土曜日には「トー

クミーティング〜絵本と出会う町〜」

を開催。九大の子どもプロジェクト目

黒先生をお招きし、絵本カーニバルの

こと、ご自身の絵本との関わり等興

味深いお話を聞くことができた。この

夜のカーニバルは私達の思惑通り、会

場は暗闇に浮かぶガラスの館となり、

間接照明で照らされた絵本達は昼間

とは違う表情を見せてくれた。大人達

は飲み物を片手に仕事から開放され

た夜の空間と絵本を楽しんだり、大

人同士の会話を楽しんだりしたよう

だった。また、今回はワークショップ

や会場のデザインの一部、造作なども

地元のボランティアに参加してもらっ

たことが大きな収穫であった。

吉川

美加(よしかわ

みか)

1959年熊本市生まれ。山都町立図

書館清和分館勤務。5人の子どもを育

てる中で、地元小中学校のPTA役員

活動に関わり、地域の子育て支援に貢

献。朝の読み聞かせ活動も10年来継続

中。05年より絵本カーニバルin山都町

の実行委員長を務める。

を手に取ると、1人の子どもが「あっ、

それカーニバルにあった本だろ?」と

言った。改めてカーニバルをやって良

かったと感じた。一人の子どもの心に

一冊の本が印象深く残っていたことの

証明ではないかと感じたのである。1

年目の実績により、2年目は図書館

スタッフの連携も深まり、更に山都町

地域子育て支援センターやつどいの広

場との関係も緊密になり、実行委員

会の手による運営が本格的になった。

地元で科学遊びを展開している「ト

ムソーヤくらぶ」もワークショップの

柱として参加してもらい、科学遊びの

ワークは満員の盛況だった。2年目の

試みとして、山都町の絵本カーニバル

のテーマを考え、それに沿った絵本の

選定を自分たちの手で行った。このこ

とは表面には見えないが、自分たち

にとっては初めての重要な経験となっ

た。満足がいくものにはほど遠かった

が、3年目を迎える今年に繋がるも

のと言える取り組みだった。

3年目の夏をむかえて

さて、そして迎えた3年目の夏、今

年も山都町、文楽邑に絵本カーニバ

回を重ねる度に絵本

カーニバルのファンが増

え、絵本好きの輪が広

がり、地域の子育て支

援の繋がりが出来てゆ

くことに、絵本カーニ

バルに取り組むことの

意義を感じた3回目の

カーニバルだった。

これから山都町の絵本カーニバルが

どのように進化するかは全くの未知数

だが、山都町立図書館のスローガン「絵

本の住むまち」作りの象徴としてもう

しばらく私達のまち作り、仲間作り

の中心にいて欲しいものである。

Kyushu University Kodomo-Project Report on Picture Book Carnival

山都町実行委員会

吉川

美加=

熊本県山都町

3年間の軌跡

絵本カーニバルって何?

2005 年5月。一本の電話から

山都町での絵本カーニバルは始まっ

た。「吉川さん、初めてお電話しま

す。九州大学の遠藤と言います。九

州ではじめての絵本カーニバルを文楽

館で開催したいのですが、力になって

ください…」絵本カーニバルって何?

と訝しがる私に、とにかく会って話を

聞いてくださいと、2日後、遠藤さん

と会うこととなった。現れた遠藤さん

は、小さな体に意志の強い輝きの瞳

を持った女性だった。彼女の口からは

絵本カーニバル開催の経緯、九州大

学子どもプロジェクトの概要、なぜ山

都町の文楽館でやりたいかの説明が繰

り出された。なんだか夢物語のような

「絵本カーニバル」の企画。正直言っ

て「こんな田舎でできるわけないよ。」

と言うのが私の第一印象だった。しか

し、遠藤さんの見かけによらない大

胆さは「もう、文楽館を借りる話は

つけました。」「日程は7月30日から

8月7日の9日間です。」

と言う感じで発揮され、

「えっ、もうそこまで進

めてるの?じゃぁ、やるしかないじゃ

ない。」と、短い準備期間や、お金の

問題をそっちのけにして、私たちは意

気投合した。緑に囲まれた文楽館の

ガラス張りの郷土料理館に400冊の

絵本が並び、子ども達がたわむれる

様子を考えるとワクワクした。私は町

立図書館のスタッフで絵本や子どもの

本については、人一倍の関心があった

し、日頃から地域の図書ボランティア

活動をしていたので人材集めに関して

はちょっとした自信があった。企画は

九大、ボランティアは地元で調達とい

う位の考えで、すぐに館長に相談した。

山都町立図書館長は、二十数年前に

自宅文庫を開き、それ以来一貫して地

元の子ども達に絵本の素晴らしさを

伝えてきた人で、この提案にすぐ興味

を持ち図書館としての協力を約束し

てくれた。山都町教育委員会も協力

体制を整えてくれ、私たちは短い準備

期間に、何回も会議を重ね、資金の

調達や、広報、会場のデザイン、肝心

要の絵本の選定など、てんてこまいの

毎日だった。遠藤さんは、「一人でも

来てくれたらいいです。」などと欲のな

いことを言っていたが、せっかく夏休

みに企画するのだから、絵本の展示だ

けではもったいない、と私たちは貪欲

にワークショップの企画を考えた。講

演会、手作り絵本教室、昔語りの部

屋、わらじ作り、映画の上映などなど、

あちこち駆け回って企画を進めた。ボ

ランティア協力者も口コミで広がって

いった。何もかもギリギリの状態で開

幕当日を迎えた。

開幕当日を迎えて

ガラス張りの会場には夢の詰まった

絵本がたくさん並び、同時に展示した

木の玩具や様々な形をした椅子など

の家具。「旅する絵本カーニバル」に

ふさわしい空間が山里

に現れた。九大にとっ

ても、山都町にとって

も初めての経験が始まった。毎朝の打

合せ、ボランティアスタッフの顔合わ

せに始まり、夕方はその日の反省ミー

ティングをして、日一日と進化していく

カーニバルとなった。図書館はあるも

のの、大きな本屋さんのないこの町で、

大人も子ども特別な時間を過ごした。

夏休みのことで、親子連れの来場者が

多く、中でもお父さんと子どもが絵本

を一緒に読みふけっている様子は、私

の目には新鮮に映った。お母さんやお

ばあちゃん、時にはおじいちゃんも、

絵本に読みふけり、子どもの頃に帰っ

たかのように、絵本の世界に浸ってい

た。ワークショップを午前と午後に

企画したためか、半日をワークショッ

プ、半日絵本を

読むという滞在

型の来場者が多

かったことにも、

驚きと喜びを感

じた。又、リピーターが多

かったのもうれしい結果だっ

た。「おばちゃん今日も来た

よ」と訪れてくれた子ども達の笑顔。

九大が選んだ本は、私たち図書館ス

タッフにも刺激的だった。写真絵本、

外国の絵本、デザイン性の高いファッ

ショナブルな絵本、図書館ではなかな

か購入するタイプのものでない本と出

会えたことは、大変参考になり、その

後図書館で購入した本もある。地元

の関係者も、文楽館の新しい利用方

法として、その建物の価値を見直す機

会となった。みんな最初は半信半疑で

取り組んだ「絵本カーニバル」も子ど

も達の喜ぶ顔、おとな達の絵本に対す

る関心の高さの再認識、日々手応え

を感じて、最終日にはどのスタッフの

顔にも充実した満足感が溢れていた。

1年目から2年目へ

そして、夏休みが終わり、私はいつ

ものように小学校の読み聞かせに出か

けた。2年生の教室で何気なく絵本

九州山地の山々とそれらを水源とする清らかな川、日本の原風景を感じさせる青々とした田畑にかこまれた美しい山あいの町。絵本カーニバルの旅のはじまりとなった場所、熊本県の東部に位置する山都町は、2005 年に3つの町村が合併し誕生した、人口約 19000人あまりの新しい町です。 少子高齢化の波が押し寄せる山村地域であ

りながら、長年にわたる地道な図書活動によって育まれた厚い文化の層をもった町で、私たちが絵本カーニバル開催のご相談をしてから、わずか 4ヶ月あまりの短い準備期間にも関わらず、いろいろな課題や問題に対してともに取り組んでくださいました。それから毎年夏に開催し続け、これまでで合計 3回。すっかり地域の中に「絵本カーニバル」が根付いてきています。

旅する 絵本カーニバル in 山都町「絵本の住むまち」へ

「旅する絵本カーニバル in 山都町」道の駅 清和文楽邑(熊本県上益城郡山都町)第1回 2005/7/30~ 8/7 第 2回 2006/7/23~ 7/30 第 3回 2007/7/28~ 8/5

Kyushu University Kodomo-Project Report on Picture Book Carnival

公民館、道の駅、美術館、図書館、学校、病院。旅する絵本カーニバルは、さまざまな場所へサーカス一座のように出かけてきました。初期の頃は、大学から地域に呼びかけ、実現したものもありましたが、2年目以降の会場のほとんどは、地域の人々による自発的な働きかけにより実現してきました。毎回組織する絵本カーニバル実行委員会も、自治体が主体のものもあれば、小さなお子さんを持つお母さんたちの声から動き出した草の根的なものまで多種多様。また、開催期間では、1日だけのものから2ヶ月以上に渡るものまでありました。こうしたケースごとの要件をもとに、地域の方 と々話し合いを重ね、目的や手法もさまざまに変容しながらすすめてきました。

Culture(文化)の語源は、ラテン語 Colere ( 耕す )から派生したといわれています。土も気候も地域によって異なる中で、文化を育む上での「耕す」という言葉は一体どんな行為をさすのでしょう。私たちは 50 回以上にわたる絵本カーニバルの試みから、耕すとは「対話しつづける」ということではないかと感じています。人と人が、人と自然が、対話し交歓する場や機会こそが、いま地域の中で求められていることなのではないでしょうか。第2部で紹介する事例は、それぞれに特徴をもちながらも、子どもの感性をキーワードとした場づくりに応用できるのではないかと思われるものを選びました。実行までの地道な道のりや葛藤など、ともに実現した方々の言葉から未来にのびる明るい兆しのようなものを感じていただけるのではないかと思います。

text =遠藤 綾

「旅する絵本カーニバル」は2006年度、

グッドデザイン賞新領域デザイン部門を受賞

しました。

子どもプロジェクトが、グッドデザイン賞

にエントリーした理由は大きく二つあります。

ひとつは、「子どもに関わる活動が社会に通

用する評価基準で正当な評価を受けること」、

そして、もうひとつは、「子どもの居場所づく

りは、デザインの本質そのもの」と社会にア

ピールすることです。

絵本カーニバルを通してどの地域でも聞く

のは、「子どものことを考えること」が建て前

になっており、絵本カーニバルを開催するた

めに、地域の実行委員や、NPOなどを通じ

て動いてくださる方が、行政・企業・メディ

アなどに、趣旨を説明する際、「絵本・子ども・

居場所づくり・市民参画」など決まり文句が

並んでしまうと、「子どものためだけのイベン

ト」と安易に扱われがちです。ひどい場合には、

相手にされず門前払いを受けることもあった

と聞きました。そこで、「グッドデザイン賞」

という一言は、予想以上に効果がありました。

他者が評価をしているというだけで、敷居は

ぐっとさがり、まだ体験したことがない絵本

に縁遠い人たちにも、期待感や興味を引き出

していると思います。

そしてもう一つ、学生やデザイン業界など

にも「子どもとデザイン」という新たな視点

を生むことが必要でした。デザイナーだけで

なく、行政、会計、運営など専門的な知識を

持った方が、ほんの少しの時間を割いて協力

してくれる事で、活動の質は格段に向上しま

す。多分野のコラボレーションを生むことも

デザインの本質だと思います。

さらに、絵本カーニバルが受賞した「新領

域デザイン部門」というのは、これまでのデ

ザイン然とした見た目やフォルムなどでは括

れない、サービスやムーブメントなど社会に

とって良質な体験もデザインとして評価する

ために誕生した部門です。グッドデザイン賞

のなかで、消費者としての「子ども」ではなく、

社会全体を考えるための、「生活者としての子

どものためのデザイン」として評価を受けた

ことも、大きなポイントだと思います。

「子どもたちの未来を考えて行動すること

は、社会をデザインすることだ」と絵本カー

ニバルを体験した方々には理解され、みなさ

んの言葉で「私たちは地域の未来をデザイン

しています」と、もっと声を大にして言って

ほしい。その一人ひとりの声が大きくなるこ

とから、本当の意味での「まちづくり」が始

まっていくのだと思っています。

「旅する絵本カーニバル」 2006年度グッドデザイン賞新領域デザイン部門受賞「子どもの居場所づくり」を次のステージへと引き上げるために

text =西村 隆彦

てしまうこと…。多くの子どものため

の商業イベントは、「時間」という概

念がなく、その場の満足度だけで計ら

れますが、絵本カーニバルのデザイン

は、まずカタチではなく、3つの要素

で地域の中の文脈(シナリオ)を見い

出すことが重要だと考えています。

デザインは「矛盾を美しく見せる技

術」と表現した人がいました。絵本カ

ーニバルを通して見えてくることは、

その場の様々な矛盾や問題点の表れで

もあります。ただそこで見えた矛盾点

は、絵本でつむぐ「時間」によって、

対立し反発するネガティブなものでは

なく、それぞれの立ち位置を再認知さ

せ、次への「問い」を生むものです。

これまで、絵本カーニバルを続けてきて

「成功した」と感じるのは、そんな矛

盾に対して次への問いが生まれたと感

じられたときかもしれません。

そして、「子ども」という領域では、

デザイナーや専門家の経験だけの正解

はないと思っています。専門家と一般

の人たちが「do

」「say」「m

ake

」を

ともに語り、共創し、体験し、繋が

る時間を感じながら、新しい文化や意

味を育む往復運動が重要です。

「絵本カーニバル」から「体験のデザ

イン」という領域を抽出し深化させる

ことによって、現代の抱えるコミュニ

ケーションの問題点を解決するヒント

も見いだせます。医療現場での絵本カ

ーニバルなど、次の段階へ進んだ取り

組みは、さらに多くの立場の子どもた

ちと大人たち、そして専門家をも刺激

する共創空間として発展しています。

絵本カーニバルの当初から課せられた

ミッションに「どこでも誰でも絵本を飾る

ことで空間を変える手法をつくる」とい

うことがありました。

低コスト・低リスクで「保管・運搬・

設営・撤去」するには、特注品でない市

場で手に入るもので展示什器をデザインし

た方が良いと判断し、現在使用している

のが、紙製の箱と、ホームセンターでも

安価に手に入るMDFという集成木材板

による展示什器です。箱は簡単に折り畳

め、設営の際は、工具いらず、補修や交

換が簡単で、選書された絵本の管理もこ

の箱で行っています。

展示台1台につき、ひとつの選書テーマ

(15冊)と、ユニット化することで、ど

んな空間に対してもレイアウトを容易に検

討することができます。このことで、早い

段階から地域のみなさんと共に計画検討

を行え、設営の際も、現場で組み変えや

増減などの調整、終了後撤去までの一連

の共創のプロセスを可能にします。

絵本の魅力とは、普遍的な時間や

記憶を内包していることだと思います。

ただ、これまでその時間を魅力的につ

なぐという視点はありませんでした。

絵本カーニバルは、〝ある視点〞を

持った選書によって空間をつくること

で、多様な「記憶」や「夢」をつなぎ、「良

質な体験ができる場(=いま)」が生

まれます。その体験は、そこに居合う

人たちの共有体験として心に残り、世

代を超えて地域に本当に必要なものは

なんなのかを語り合う足場として、次

へと繋がるきっかけとなります。

子どもに関わる現場や、まちづくり

の現場では、「do

」「say

」「make

この3つのバランスが悪い場合がありま

す。目の前の問題しか見えなくなって

しまうこと、語り合うことがないこと、

カタチを成立させることが目的となっ

makesay

do

make makesay say

do

過去 現在 未来

time

「かんたんな展示什器」どこでも誰でも

絵本を飾り空間を変えられる

「『見立て」のデザイン」体験のシナリオをつくるために…

絵本カーニバルでは、その空間を「街」

「森」「広場」「通り」など、様々な「見

立て」をおこないます。赤い大きな布を

垂らすことでサーカス小屋のように感じ

させたり、すこしの段差で広場の階段を

つくってみたり、簡易ステージで大きなテ

ーブルをつくったりと、その空間での体験

のシナリオの一助となるような仕掛けをつ

くります。

しかし、あまりそれ自体が全面に出過

ぎるような作り込みはしません。あくま

で、そこに飾られた絵本が主役であり、

受け手がそこにある絵本と自分の体験を

繋ぎ、想像力で行間を埋めていけるよう

に、目に見えることがらの間にある見え

ない隙間を活用できるよう、情報を最小

限に留めます。

シンプルな積み木の方が、子どもの創

造力を刺激するように、一方的な押しつけ

にならない、行間を読ませるような空間

やビジュアルに仕上げます。

「体験デザイン」のフレームワーク右図:時間軸を考慮し、計画していることや、現状の問題などをあてはめて見ることで、個々の想いを語りやすくし、生産的で普遍的な議論を生みます。左図:3つの重なり合った部分に、どんな新しい体験や感動があるかを考えます。

参考文献:"Design for Experience" AXIS vol.97 pp18-47, 株式会社アクシス刊 , 2002

西村 隆彦(デザイナー) 1976 年生。家具、WEB、グラフィック、障害者福祉施設のアートディレクションなどおこなう。2005 年より九州大学子どもプロジェクトでアートディレクターとして関わり、「旅する絵本カーニバル」「子どもとともにデザイン展」でグッドデザイン賞受賞。絵本カーニバルで使われている子どものためのソファー「SEESAW」は、オリジナルのプロダクト。http://www.milldesign.org

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絵本カーニバルの会場を構成する要素

の中で、もっとも気を使う部分でもあり、

一番簡単にその場の空気を変えてしまう

力を持っているのが光です。

日本では、闇を昼間のように均質に照

らす蛍光灯の明かりが好まれて使われて

いますが、絵本カーニバルでは、なるべ

く蛍光灯の光は使わないようにしていま

す。蛍光灯の青白い光は、部屋を寒々し

くし、空間のアラや古さを隅々まで照ら

してしまいますし、絵本の鮮やかな色彩

が壁紙や床やテーブルなど空間を構成す

る物の色と衝突を引き起こし、空間を平

面的に見せてしまいます。

絵本カーニバルで使っているテーブル

ライトは、目線を下に意識させ天井の存

在を消し空間の広がりをつくり出しなが

ら、明かりのもとに絵本があり、その側

に集える安心感を演出します。

このようにほんの一手間と思えること

ですが、忘れられがちな装置。やわらか

な陰影ある光の演出が、絵本カーニバル

を図書館とも本屋ともちがう、いつもの

空間が非日常の上質の体験をもたらす場

所へと変化させてくれます。

「実際に目線を下げて見てみる。」もっ

とも単純で大切なプロセスです。絵本カ

ーニバルの装置として、展示台は低く設

定されています。これは、絵本を子ども

たちが自分の意思で選び取れるように、

また床に座って台の上で絵本を広げて見

ることも可能にします。

空間構成の面でも、目線を下げさせる

ことで、空間の圧迫感を減らし余白を生

むことで、場の気づかなかった魅力を引

き出す効果もあります。

また逆に、見せることと隠すことを意

識することも大切です。大きなホールで

も路地のように展示台を設置すれば、子

どもたちには「角の向こう側になにかが

ある」期待感を生み、大人の目線には、

一面に広がる色とりどりの絵本の美しさ

や、飾られた絵本越しに、真剣に絵本を

読む子どもたちの顔が広がります。

子どもの目線で会場を構成した副次的

効果かもしれませんが、人がより見える

ことで、空間に人が居てはじめて完成す

る絵本カーニバルの魅力につながってい

るのかもしれません。

「絵本カーニバルのデザイン」とは、

色やカタチを決める「デザイン」とは

異なります。では、なにをデザインし

ているのか? それは「体験のデザイ

ン(Experience Design

)」という

新しい領域、すなわち〝コミュニケー

ションの方法のデザイン〞だと考えて

います。

「体験のデザイン」とは何か、それは

「モノ」をデザインするだけでなく、

そこに「時間」という概念を付加し

考えることです。そもそも「体験・

経験」とはあくまで主観的であり、

ある物事を体験しているその人間し

か感じることのできないものです。ま

た、「体験」とは、その瞬間に起こっ

ている出来事であり、その瞬間が過

ぎ去ってしまえば「記憶(memory

)」

に、逆にまだ体験していないが、こ

れからそうしたいと思う物事は「夢

(Dream

)」と呼ぶことができ、そ

の「記憶」と「夢」の接点が「体験

のデザイン」の領域であると考えるこ

とができます。「絵本カーニバル」と

いう場は、万人に共通する唯一の「子

どもの時間」を提示するのではなく、

あくまでその多義性を引き出すための

「足場」であり、その互いの違いを認

め合い、次への創造へつなげる「共創

空間」であるといえます。

共創空間を作るためには「do

」「say

「make

」の3つの要素の視点が必

要です。「時間」という概念を加える

というのは、この3要素を時間軸を

通して俯瞰してみることだと言えま

す。「do

」はその瞬間なにをするかを、

「say

」は近い過去や未来の想いや記

憶を語り、「m

ake

」の段階で、遠い

過去(記憶)や未来(夢)について考

える実際につくることで、長い時間軸

に寄り添った体験をデザインする「共

創空間」をつくりあげることができま

す。

「光と闇のデザイン」日常と非日常の時間をつくりだす

「目線のデザイン」子どものワクワクとした気持ちを生む

「体験」をデザインする「do」「say」「make」3つの時間をつなぐ場所

絵本カーニバルから広がるデザインの新たなる領域

絵本カーニバルのデザインには

なにが必要か…

text =西村 隆彦

絵本カーニバルを子どもと大人の共創空間とするための4つの工夫

Kyushu University Kodomo-Project Report on Picture Book Carnival

絵本カーニバルを開催する上で、絵本の選書は最も重

要なプロセスの1つです。

地域の人たちとの話し合いの末、まず全体のコンセプト

を固め、その上でどんなことを子どもたちに伝えたいかと

いう議論をしながら、絵本のメインテーマを決めていきま

す。15 冊で1テーマという枠組みがあることで、テーマ

が決まれば全体のボリューム感と動線を決めることにつな

がりますし、会場デザインのイメージもそこから構築し、

全体をひとつのまとまりをもった印象に仕上げていきます。

山や川など自然をテーマにしたものや、おやすみ前の絵

本、食べものをテーマにした暮らしの絵本など、定番とし

て展示するものも多くありますが、その一方で「哲学の絵

本」や「時間の絵本」など抽象的な概念をテーマにした

ものや、子どもが主人公の写真集をあつめた「子どもたち

の記憶」、アーティストが描いた絵本をまとめた「アートと

絵本」など、いままで絵本に興味のなかった人たちにアピー

ルできるテーマ設定を心がけています。また、絵本カーニ

バルの会場でアイキャッチとして大活躍しているのが、「色」

をテーマにした絵本です。赤や緑、黄色など表紙の色で

絵本をひとくくりにすると、美しさはもちろん、絵本の多

様性も表現できるのではと思っています。

このように、1冊1冊の絵本は考え方や姿勢をあらわす

コンテンツであると同時に、空間構成物としての役割も果

たします。だからこそ、じっくり読み込みながら、丁寧に

選んでいく必要があります。例えば「哲学」をテーマにす

る場合は、哲学の要素を取り出し、その要素にそったも

のをバランス良く選んでいきます。また、新しい発見を感

じてもらえるように、画集や作家の自伝など子どもの本と

は通常捉えられない本を置くなど、図書館でなされる選書

とは少し違った視点を意識し、文脈のある選定となるよう

に心がけています。

開催が2年目以降の地域では、できるだけ実行委員の

方々に選書作業も含めて主体的に関わっていただきながら

すすめてきました。こうすることで、「この本はこのテーマ

にいれたい」とか「こんなテーマをつくりたいけど、それ

にはどんな絵本がいいだろう」というように会話をうみだ

し、そうした会話はそのまま、地域のことや子どものこと

をお互いがどう考えているかを知るためのきっかけになる

のです。こうしたプロセスを経ながら、共に活動する仲間達への理解を深めることが、地域コミュニティの文化を育むことにつながると考えています。

text =遠藤 綾

Kyushu University Kodomo-Project Report on Picture Book Carnival

余白をつくる

絵本は同じ作品でも、人によって読み

方がちがったり、覚えている場所が異なっ

ていたりすることがよくあります。関わ

り方を規制せず、ゆるやかであることは、

絵本が「余白」の多いメディアだといえ

る所以だと思います。

私たちは空間を作るときも、実行委

員会を組織していくときも、絵本と同じ

ように余白をつくるように心がけていま

す。ぎっしり詰めこみすぎた空間、すき

のない組織は、時に参加する側の人たち

の可能性を摘み取り、即興的なやりと

りを妨げます。

誰もが意見を言いやすいゆるやかな組

織形態と、びっしり並べず空間に余白を

つくるという心がけがあるだけで、参加

した人が新しい方法を携えて、思いも寄

らない展開を拓いてくれる。そんな楽し

いハプニングに出会うたびに、余白の大

切さに改めて気づきます。

子どもたちは、この世の時空を超えた世界の存在について非常によく知っている。大人はこの世のことにあまりにも縛られすぎている。大人は「忙しい」とよくいうけれど、それはこの世のはかなさを実感することを避けるために、忙しさの中に逃げ込んでしまっているのかもしれない。河合隼雄「子どもの宇宙」

子どもの目線と大人の居心地

子どもたちの目線は、いつもいろんな

ものを追いかけています。道ばたに咲く

野花やちいさな虫、塀の穴や木の根っこ。

大人たちが出発地から目的地へと「移動

する」のに比べ、子どもたちにとってはど

んな時も「冒険」です。

子どもがどれほど好奇心を持って世界

を眺めているのかを大人になると忘れて

しまいがちですが、私たちは、子どもの

目線を大切にしながら、世界を鮮やかに

発見する感覚を蘇らせるような空間づく

りをめざしています。

ここで流れている時間をじっくり味わっ

てもらうためにも、子どもたちにゆっくり

と滞在してもらいたい。そのためには、親

である大人たちの居心地を追求する必要

があります。それは、色彩や照明や通路

の幅などの工夫からはじまり、細かい配

線の処理にまで及びます。子どもの目線

と大人の居心地の両立こそが、子どもの

ための空間をつくるときにわすれがちで、

一番大切な法則だと考えています。

絵本カーニバルの運営は、ボランティア

の方々の協力の上になりたっています。

高校生からおじいちゃんまでいろいろな

世代の方々に、時にはボランティアスタッ

フとして、時にはワークショップの講師と

して参加していただきます。これは、さま

ざまな背景を持った人たちが主体的な関わ

りを持つための仕掛けとして、毎回意識し

て行っていることのひとつです。

多世代が無理なく居合わせることがで

き、なおかつ、それぞれに役割を持ちなが

ら、何かを交換しあえるということが、今

後の少子高齢化社会において最も必要とさ

れている場のあり方ではないでしょうか。

多世代が集う仕掛けをつくる

ながいながいすべりだいどこまでも続くながいながいすべりだいは、子どもたちの憧れです。ながいながいすべりだいをするするとすべり降りる間、いろんなものが現れては消えていきます。この絵本を読んでいると、未知のものへの期待と不安を同時に感じていた子どもの頃の記憶が蘇ります。 長 新太(著)偕成社

Kyushu University Kodomo-Project Report on Picture Book Carnival

「時間」をデザインする

どんな時間をすごしてもらいたいか

という目的があってはじめて、どんな

空間にしたいのか、という具体的な課

題が出てきます。

会場に入ってきたときに驚きを感じ

られるか、ここに座ったらどんなふう

に見えるだろうか、というように細部

にわたってイメージを膨らませ、空間

のデザインに落とし込んでいきます。

時には、キーワードをならべ、写真

や色紙などを貼り合わせてコラージュ

をつくり、イメージを共有することも

あります。しかしほとんどの場合は、

どんな体験や時間を生み出したいかが

見えてくれば、細部を選ぶ基準が自ず

と決まり、あとはぶれることなくすす

めることができます。

時間について具体的な例をあげると、

2006年度に開催したアクロス福岡

での絵本カーニバルの際に、5時50分を

さしたまま止まっている時計台を会場の

中央に配置しました。なぜ5時50分なの

かというと、昔から昼から夜にうつりか

わる時間、夜から朝にうつりかわる時間

といった、いわば「すきまの時間」にあ

の世とこの世が最も近づくと言われてい

るそうで、児童文学の世界でも物語の大

きなターニングポイントとしてこの時間

が演出されていることがよく見受けられ

ます。そうしたひとつの意味を持った時

間を時計台で示すことで、壁紙の色や照

明、サインのイメージまで導き出すこと

ができました。

ここ」をより鮮明なものにしていく。そ

の営みこそが「子どもの時間」なのかも

しれません。

絵本カーニバルでは、ひとつの動線の

中で、日常と非日常という時間軸の違う

物語を交互に感じられるような選書と

空間づくりを心がけています。日常と非

日常の交換が常におこっているような場

所が絵本にとっても、子どもにとっても

一番ふさわしいと考えているからです。

子どもの問題を

自分の問題として捉える

子どもとは誰か、について語るとき。

私たちは年代によっても、家族構成に

よっても、育ってきた環境によっても、

全く違った「子ども」を想像します。背

景が違いすぎるため、話題にのぼる「子

ども」は新聞の中の子ども像など、抽

象的で身近に感じることが難しいものに

なってしまいがちです。

そうしたことを避けるためにも、話し

合いの時には、自分がどんな子だったか、

または子育ての経験で我が子はどうだっ

たか、というように1人称か2人称で語

ることのできる「子ども」について思い

巡らせてもらうように心がけます。

例えば、「もし10歳の時の自分が、絵

本カーニバルに出会ったらどんなふうに

過ごしたいでしょうね」という質問をきっ

かけにはなしあってみる。そうすること

で、大人たちが他人事ではない「子ども」

とその環境について考えるきっかけとな

るのです。

少年時代を忘れないということは、何がほんもので何がにせものか、何が良いことで何が悪いことなのかということを、長い間かかってでなく、即座に知ることだ。エーリッヒ・ケストナー

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日常と非日常の交換

絵本カーニバルで出会った人たちと、

子どもの頃の遊びについて話すことがよ

くあります。主催者として奔走されてい

たある役場の方は、子どもの頃、目が覚

めると布団をこんもり盛り上げて、その

上にマッチの箱をおいたり瓶をおいたり

して町をつくって遊んでいたそうで、そ

の時の情景や気持ちを懐かしそうに話し

てくださいました。

子どもたちの世界では、あたかもはじ

めからそうであるかのように、1つのモ

ノが、2つになったり、3つになったり、

時には、大空を羽ばたいたり、生命が宿っ

たりしてしまいます。そんな類い希な能

力をもった子どもたちが初めて出会うメ

ディアである絵本に、日常のささいな出

来事から、果てのない冒険物語まで、日

常も非日常もあますところなく描かれて

いるのは当然のことのように思えます。

日常と非日常が交換されながら、「いま

たいようオルガン日常という旅の豊かさ、太古から続く人の願いや希望、そして目に見えないモノへの厳かな畏怖。生き物のすべての営みに映る「光と影」がこの絵本の中には詰まっています。見る人を束の間の旅にいざなう、軽やかで凝縮された時間を感じられるでしょう。荒井良二(著)アートン新社

れません。

すぐそこにある日常の「宝物」を見つ

ける瞬間を対話の中でつくりだすことこ

そが、目的や使命を共有するために最も

大切なことだと思います。

砂漠が美しいのは、どこかに井戸を隠しているからだよ。家でも星でも砂漠でも、その美しいところは、目に見えないのさ。 サン・テグジュペリ 「星の王子さま」より

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たいせつなものはなんですか?

絵本の中には、たくさんの「おやすみ

なさい」や「いただきます」が出てきま

す。それは単に挨拶をしよう、というよ

うな教育的な視点から捉えられるべきも

のではなく、実は日常の些細な出来事の

中にこそ本質的なものが隠されていると

いうことを教えてくれているように思う

のです。

絵本カーニバルのはじめの一歩、地域

の実行委員会の方たちとの打ち合わせの

中で、ともすれば答えに窮してしまうこ

んな質問をするようにしています。

「子どもたちに手渡したいと思う、

たいせつなものはなんですか?」

本当にたいせつなものがなんなのか。

そんな難しい課題について誰かが口火を

切ると、質問した私たちをよそに、町の

人たち同士で活発な意見を交わしはじめ

ることがよくありました。日常の生活、

日常の風景。当たり前の毎日の中のどん

なところを大切だと思っているのか。例

えばそれは、家族で囲む食卓かもしれま

せんし、おやすみ前の絵本の時間かもし

なつのいちにちある暑い夏休みの出来事。野山をかけめぐり遊んだこと。時間を忘れて虫採りしたこと。この絵本を読んでいると、そうした子ども時代の「遊び」の記憶が瞬時にしてよみがえってきます。夏休みを描いた傑作絵本。 はた こうしろう(著)偕成社

絵本カーニバルのつくりかた、といっても開催地域ごとに抱えている問題も場所も予算も成功のイメージもそれぞれに異なっていて、ひとくくりにすることは絵本カーニバルの特徴を逆に曖昧にしかねません。

「しくみ」も「かたち」もあらかじめ決めることなく、1カ所 1カ所最適な形を考えながら毎回新たに創り出すためには、地域の中で主体的な動きをうみだす必要があります。だからこそ、私たちは毎回実行委員会形式をとり、議論を重ねながら問題意識を共有し、あるべき「かたち」を共に創造していきます。このような方法は、決まったかたちを展示するよりもはるかに時間も手間もかかります。しかし、絵本カーニバルをきっかけにして、地域の中の第 3の子どもの居場所づくりを持続した活動として定着させるためには、このプロセスこそが重要なのです。いわば、絵本カーニバルとは、人と人、人と場所を結びつけ、次の動きをうみだすための触媒であると私たちは考えています。 こうした画一化できないプロセスの中にも、約 50 カ所に及ぶ開催を重ねる中で、よりよい場をつくるために必要な一定の要素が見えてきました。

第 1章では、地域の中で触媒の役割を果たしながら、子どもと大人の共創空間をつくるために大切な要素を中心にまとめています。ここに書かれていることは、特効薬ではないかもしれませんが、「子ども」や「地域」をキーワードにした活動において、なんらかのヒントとなれば幸いです。

TEXT: 遠藤 綾

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絵本カーニバルについて

「子ども時代というものは、

記憶という寝室にともる明かりである」

フランスの哲学者、ガストン・パシュラール

はこう書いています。

人はこの明かりを高く掲げ、子どものまなざ

しをとりかえすことによって自らの、または社

会全体の歪みを修正するきっかけを得ることが

できるのではないでしょうか。

そして、子どものまなざしを目覚めさせる最

良のものが「絵本」であると私たちは考えてい

ます。

絵本カーニバルは、子どもたちの前に横た

わる複雑な問題の本質をとらえた上で、子ども

たちを取り巻く構造や、埋もれた場所の再生と

いった切り口を契機として、「地域の中の第三

の子どもの居場所」をつくるための持続した活

動を、さまざまな地域において着実にすすめて

いくことを目指しています。

においても、「旅する絵本カーニバル」の開催においても、人にほんとうに楽しんでもら

える魅力的なものを産み落としていくためには、制作者サイドはあらゆる面において現

実的で計画的にあるべきだと思っています。「楽しく魅力的なこと」を実現するには、多

くの協力者との間で気の遠くなるような繊細なディティールを幾重にも積み重ねながら

現実を固めていかなければなりません。そしてそれには、それらを支えうる情熱と工夫

のこもったスキルこそがなにより必要となってきます。そうしてそれらの結果として見出

されていったデザインによって魅力的にかたちづくられていったものが、オーディエンスの

もとへと運ばれていくのです。「楽しく魅力的なこと」を計画していくとは、十分に時間

のかかることなのです。しかしそうして時間をかけてつくられたものは、決して予想を裏

切らないし、嘘をつきません。そうしてこそその幕が開いた後、オーディエンスとしての

子どもたちや大人たちが参画したときの即興性も活きてくるのだろうと考えています。

2007年の夏は、福岡県内の多くの美術館をはじめ、全国各地でそれぞれの地域

特性を活かした「旅する絵本カーニバル」や、絵本をテーマとした催しが開催いたしま

した。沖縄県では今年、「キジムナー」という沖縄地方で言い伝えられる空想上の動物

を象徴とした「キジムナーフェスティバル」が開催され、沖縄市において世界の演劇と世

界の絵本がつながっていくと思います。世界の演劇人と若手の絵本作家たちが、沖縄と

いう独特の風土の中で交流を見せることになるでしょう。また兵庫県篠山市では、チル

ドレンズミュージアム初の「旅する絵本カーニバル」が開催されていきます。その中で、

子どもたちによる子どもたちに向けた絵本リーディングや、「誰と絵本を読むのか」とい

う視点をテーマとした絵本のキュレーションとデザインが施されています。そして静岡県

では、絵本に似合う気持ちのよい空間を県内から複数探し出し、トラベリング型の工夫

を凝らした「旅する絵本カーニバル」が県内各地で行われています。今年の絵本カーニバ

ルの興隆を考えると、すでに「旅する絵本カーニバル」は、九州大学子どもプロジェク

トのものと言うより、それぞれ地域固有の恒例行事として、まさにオーディエンスのため

のオーディエンスによるオーディエンス主体の活動へと変容しています。このことは、とて

も素晴らしいことだといえるでしょうし、「旅する絵本カーニバル」の未来を示唆してい

てるような気がします。

福岡の九州大学から始まった「旅する絵本カーニバル」は、全国各地の子どもたちと

それを支える大人たちへ手渡されました。どうかこれからも、「旅する絵本カーニバル」

と新しいカーニバルの旅の行方を見守りください。あなたの街の不思議な絵本空間でいつ

かお会いいたしましょう。

目黒 実(めぐろ みのる)九州大学ユーザーサイエンス機構 特任教授・学術研究員東京生まれ。日本初のチルドレンズミュージアムを1994年福島県霊山町でプロデュース。その後、兵庫県篠山市で廃校になった中学校を、沖縄市では、老朽化した『こどもの国・動物園』をチルドレンズミュージアム、チルドレンズセンター、動物保護センターとして再生する。現在、九州大学のユーザーサイエンス機構の特任教授・学術研究員。新しい子ども学の構築、子どもの居場所づくり、子ども向けコンテンツ、子どもに関わる人たちの感性学府大学院の設立活動などを行っている。

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小さきもの、善きもの、懐かしいもの、大きなもの、不条理なもの、旧きもの、夢見

るもの、年老いたもの、悪しきもの、気持ちのよいもの

絵本の世界のなかには、生きていくうえで大切なものがすべて描かれています。空想と

現実、未来と過去、天と地、東と西、あの世とこの世、彼岸と此岸、ヒアとゼア、時

空を超えてあちらとこちらを自由自在に往復するとともに、あの人とこの人を繋ぎ、未

知の友人たちをたくさん紹介してくれる素晴らしいメディアでもあります。そして、絵本

の世界の中で、実現された夢も実現されなかった夢も、その志によって等しく祝福され、

世界の誰かに手わたされ、受けつがれていきます。絵本の大好きな人は、絵本を「掌の

劇場」と呼んだり、「小さな美術館」と形容したり、「最強のカウンセラー」と位置づけ

たり、「変幻自在なファンタジスタ」と褒め称えたりします。私たちは絵本を、子どもの

心と体にいつまでも寄り添って歩く真実の友人だと思っています。人と人とは、絵本の

中の物語として繋がることを望んでいるのです。さらに絵本は、大人が自分の心の内に

住む子どもと対話する本であり、大人がホンモノの大人になるために必須な本なのだと

考えています。

九州大学ユーザーサイエンス機構・子どもプロジェクトは、「旅する絵本カーニバル」

と題して、全国津々浦々の図書館、美術館、科学館、文化ホールに、さらには福祉施

設など、50箇所に届けてきました。2006年度からは、九州大学病院と連携し、念

願の小児医療センターでも毎月開催されることとなりました。小児病棟というクローズ

ドな空間での開催は初めての試みですが、長期の入院を余儀なくされている子どもたち

はもちろんのこと、付き添いの父母やお見舞いの兄弟姉妹、医師や看護師までもが、諸

手を挙げて歓迎してくれました。まだまだ「旅する絵本カーニバル」は多くの人、多く

の場所で待たれているのだということをあらためて痛感しています。カンボジアや上海な

ど、アジアからのオファーもあるので、いづれ海の彼方アジアでの「旅する絵本カーニバ

ル」の開催も視野に入れておきたいと思っています。そして私たちはこの「旅する絵本カー

ニバル」を、これからは絵本だけにとどめず、児童文学・詩・評論を含めた「子どもの

本のカーニバル」「ジュニアトイ&ボードゲームカーニバル」「子どもとともにデザイン展」

として進化、発展させ、もうひとつのカタチを模索しながら子どもたちの新しい居場所

を実現していきたいと思っています。

ブロードウェーの『エレファントマン』という魅力的な芝居の中で、登場人物のひとり

が「楽しいことって計画的なものでしょ」と呟いたのが印象的でした。一冊の絵本の制作

目黒 実 九州大学 ユーザーサイエンス機構

も く じ

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©Arai Ryoji