Parade-Parade - AIRnetParade-Parade 2003 年サハリンツーリング...

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Parade-Parade

2003年サハリンツーリング

 

ノスタルジックではなく今を生きる俺がいる。

路上に魂を転がす第三の金字塔ここに樹立! 18年間に渡る物語、遂に完結!

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「金字塔」

 目の前にある巨大な島、異国の地サハリンに行こうと思ったのは 5月のことだった。理

由は単純で、「北の果て、利尻に赴任したから」「日本はちよっと飽きた」「でも夏だからバ

イクで走りたい」「フェリーが就航してるから行けるだろう」と短絡的に考えていた。

 

 毎日就航している訳ではないので、まずは行き帰りの便に合わせて日程を調整し、東日

本海フェリーに予約を入れる。これは電話一本で簡単に済んだ。後ほど送られてくる用紙

にバイクの排気量やフレームナンバーなんかを書き込んで送り返せば終わり。

 次に、旅行の日程を決める。ガイドブックなど見ても日本領土だったときの旧地名や、

その当時に建てられた建物や鳥居、橋などしか載っていない。「かつての日本を訪ねて」の

旅じゃあるまいし、そんなところを巡っても仕方がないので、縦に長いサハリンを北上す

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るように、一日に走行可能な距離とホテルが存在する街を線で結ぶ。行程及び情報につい

ては、サハリンツーリングを三度経験済みのパクリ氏のホームページ「パクリのがらくた

箱」を参考にした。また、サハリンの情報は稚内市のホームページに詳しく出ていた。

稚内市のホームページ

http://www.city.wakkanai.hokkaido.jp/main/sakhalin.info/index.htmパクリ氏のホームページ「パクリのがらくた箱」

http://www3.airnet.ne.jp/junk/

 その行程を元に、1999年のタイ旅行でお世話になったアジア・ツアーセンターに手

配を依頼する。

 しかし、回答は「現時点でのサハリンツーリングは時期尚早であり、現地旅行会社に確

認しなければならないため手配が難しい」とのことだった。困った。一方で現実にツーリ

ングをしている奴がいるのも事実。他の奴にできて俺にできないわけがない。

 さらにロシアを専門にしている旅行会社をあたる。その中の一社、ロシア旅行社に電話

をしたが、すでに出発 1ヶ月前に迫っていたため、当社では手配できないと言われ、同じ

くロシア専門の「インツーリスト・ジャパン」に問い合わせる。

 

 インツーリスト・ジャパンの回答もまた希望した場所のホテルが取れなかったり、ホー

ムスティだったり、宿泊料がべらぼうに高かったりして納得のいくものではなかった。宿

泊料だけ計算しても 7泊くらいで約 15万円。粗悪なロシアのホテルに払いたい金額ではな

い。

現地の旅行会社なら安く、情報も得られるかもしれないと思い、サハリンの旅行会社「イ

ンツーリスト・サハリン」にメールで問い合わせる。

「Intourist-Sakhalin」36 Dzerginskogo St., of 213,Yuzhno-Sakhalinsk, Russia,693000Tel/fax (4242) 72 73 43,Tel/fax (4242) 42 43 86E-mail: [email protected]

 パソコンにロシア語への翻訳機能がなかったが、なんとか英語でやり取りし、以降毎日

のように仕事から帰ると英語のメールを訳す、送ると言った作業が続く。すでに出発予定 1

ヶ月前。互いに母国語じゃないから、伝えたいことが伝わりづらい。本当に行けるのか?

焦るぜ。

 平行してインターネットで調べて必要書類の手配を行う。サハリンにバイクで行く際に

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必要な手続きは下記の通り。

① ビザ

② 自動車登録証明書

③ 国際免許証

④ 国際ナンバー

⑤ Jマーク

⑥ バウチャー

⑦ 通行証明書

まず、ビザを発行してもらうにはバウチャーが必要だ。バウチャーとはロシア独自のシ

ステムで、日程と宿泊ホテルをあらかじめ決めて代金の支払いを証明する用紙だ。インツ

ーリスト・サハリンの手配が終わり、バウチャーを発行してもらえなければ、ビザの申請

ができないので、ひとまず保留。手配にはパスポートのコピーが必要なので、早速郵送す

る。

次に自動車登録証明書の申請。俺のバイク「Kawasaki KDX」は原付扱いの 125ccだ

から、利尻富士町役場でナンバーの登録証書を発行してもらい、管轄の陸運支局で自動車

登録証明書の申請をする。

管轄と言っても旭川まで行かなければならない。「まいっちゃうよね」と思い電話を切っ

た後、有給を使うことと金がかかることに二の足を踏んでいると、再度陸運支局の職員か

ら電話が来る。なんと、数日後に公務で利尻富士町に来るので、そのときに申請できるよ

うに計らってくれると言う。超ラッキー!

陸運支局の職員の話だと、旭川支局で外国に車両を持ち込む手続きを行なったのは初め

てだと言う。今回の事例から次回は稚内事務局での申請が可能となった。道は俺が開く。

三つ目の国際免許証もまた、利尻島で申請することができず、平日に妻の美紀を代理人

にして稚内警察署まで行って貰う。しかも申請にはパスポートの全ページのコピーが必要。

あー面倒くせぇ。

自動車登録証明書が簡易書留で送られてきたら、国際ナンバーを作成してもらうために

東京の小松自動車に依頼用紙と自動車登録証明書をFAXし、現金封書で代金 2.500円を送

る。完成までは約 10日かかる。

外国を走る場合は国籍識別章(通称Jマーク)が必要だ。ただJと書いただけのマーク

なのだが、オートバックス稚内店に問い合わせても入手できないと言われ、東京のJAF

に頼んで送ってもらう。2枚セットで 500円。実際のところ、必要なかったような気がする。

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しかも届いて思ったが、前後見やすい場所に貼れと言われたそれは、縦 8cm、横 10cmく

らいある大きなステッカーだった。こんなでかい物をバイクのどこに貼れって言うんだよ!

FAXでバウチャーが送られる。逆算してビザの発行がギリギリだが、なんとかなりそう

だ。ビザは 1ヶ月以上前に申請すれば手数料は 1.000円だが、出発 7日前で 5.000円、そ

れ以降だと万単位になる。こいつはコピー不可なため書留で札幌領事館に代金とパスポー

トの原本、アンケート用紙といわれる申請書を送る。アンケート用紙は、あらかじめホー

ムページからプリントアウトした物を使うのが手っ取り早い。

次に通行許可証。これはサハリン州独自の制度で、都市間を移動する場合、ロシア政府

からだか情報局からだかなんだか知らないけど、許可が必要。実際、今年の 7月で廃止さ

れたと言う噂だけど、未確認なので一応取得することにする。こいつもインツーリスト・

サハリンに$25で頼んだ。

バイクを外国に持ち込むには、税関を通さなければならない。5.000円を払えば日通稚内

支店でやってくれるけど、ここまできたら自分でやる。稚内の税関に聞くと簡単にできる

と言うことなので、出発前日に手続きすることにする。

最後は、インツーリスト・サハリンへの旅行代金の支払い。メールでは、ウエスタン・

ユニオンサービスで支払ってくれと書いてあったが、それが何かが分からない。職場に毎

日来る稚内信金の奴に聞いても分からない。ホームページを見ても英語で書いてあって余

計に分からない。他の質問と合わせて、ホームページ主催者のパクリさんに質問してみる。

ウエスタン・ユニオンサービスとは、海外送金の会社で、銀行口座を持っていなくても

外国から外国に金が送れる。ただしアメリカだと法人あてに送れるが、ロシアだと個人に

しか送金できず、パクリさんはインツーリスト・サハリンの代表者と連絡先を聞き出し、

個人宛に送ったと言う。

日本の窓口銀行は、スルガ銀行東京支店にしかない。スルガ銀行東京支店に確認すると、

口座を開いていなければウエスタン・ユニオンサービスを利用できないと言う。まさに、

「これでもか」と言わんばかりな面倒の嵐。勘弁してよ、もう。

仕方がないので、インツーリスト・サハリンに、「ロシアの銀行に直接送金したい」とメ

ールしたが、法人以外の銀行送金は行っていないと言う。結局、ユジノサハリンスクのホ

テルにインツーリスト・サハリンの社員が出向いてくれ、現地で払うことになる。パクリ

さんの話では、ウエスタン・ユニオンサービスを通すと、手数料が 5.000円くらいかかった

らしいので、結果的に安く済んだ。8泊 9日(内夜行列車 1泊)+通行許可代等で、総額$500。

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パクリさんは同じような日程で$460だったらしい。この差は何? 当日の相場で$500は

62.500円。日本の旅行会社に依頼するよりは半額のバリュー価格。

ともあれ、大急ぎで何とか用意を済ませ、すべてが揃ったのは出発 5日前だった。まさ

に綱渡り。仕事の都合で 10日間休みなしの激務をこなし、出発日を待つ。

 ビザとイミグレーションカード

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8月7日 「昔のような夜」

利尻島鴛泊港を 11時に出たフェリーは稚内に向かう。どうしても稚内に一泊しなくては

明日のコルサコフ行きに乗ることができない。今日は、最終準備の日でもある。

フェリーを降りようとしたときにキーが磨耗してひん曲がり、使用不可能になっている

のを発見。仕方なくスペアキーを使う。このとき、この事態が、そしてもう一本キーを作

らなかった怠惰が、のちのちに大きく影響することをこの時点では知る由もなかった。

12時半に稚内に着き、まずは昼飯を食う。稚内で一番美味なラーメン屋と噂される「青

い鳥」を探す。気分はヘンデルとグレーテル。

繁華街…..と言ってもこじんまりしたものだけど、その一角、寿司屋の隣に噂の店があっ

た。適度に混んでいて、繁盛店を伺わせる。

美味いと評判の塩ラーメンを頼む。俺は塩ラーメンにはうるさい。今まで食べた中で最

高だったのは蘭越にあった「蘭龍」をおいて他にはない。30年以上続いた店も高齢化によ

る店主の死亡で消えるように幕を下ろした。数回ほどしか食べられなかったのが心残りだ。

二番目は、江別市大麻の中町商店街にあった「味平」だろう。ここも既に店主の死亡で

幻の味となってしまった。もっとも営業しているのは平日の昼だけだったから、存在して

いるときから幻のラーメンだったけどね。

現存する中では、苫小牧の味の五十番がいい線いってる。一時期味が落ちたような気が

したけど、その後来店して見ると、あの味は継続されていた。次点として札幌市厚別、麻

布にある「名水ラーメン」が挙げられる。

塩ラーメンとは、透明に近い黄色のスープ、ガラを基調としたあっさり風味、それでい

てあじけなくないと言う極めてデリケートな味でなくてはならない。このごまかしの効か

ない繊細さが身上。昨今のこってり塩、とんこつ塩などは塩ラーメンにあらずだ。

運ばれてきたラーメンは上記の条件をクリアー。スープ、具、麺の固さとも申し分はな

いが、取り立てて騒ぐほどのレベルではなかった。「所詮、舌の肥えていない田舎者の味覚

はこんなものか」と思いながらも、スープをすべて飲み干して店を出る。

まずは稚内警察署に行き、国際免許証を受け取る。次に税関に出向き一時輸出の手続き

を行う。書類の記載は代行を頼む必要がないくらい簡単だった。明日もう一度出向き、記

載内容と車両の確認をして終わり。以前必要だったらしい「査定証明」は求められなかっ

た。

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フロントタイヤが減っていたので、「サイクルスポーツたかはし」に行き、タイヤ交換を

する。これで一通り準備完了。

他に日本の電化製品をロシアで使えるようにするアダプターが欲しかったが、市内の電

気屋には置いていず諦める。

駅前に戻り、今日の泊まり先を考える。ホテルでくつろぐって手もあるけど、金を使う

のは最小限にしたい。持ってきた本から蒲団の貸し出しのあるライダーハウスを探す。ノ

シャップ岬近くに適当なところがありそうだ。途中、稚内公園に寄りながらノシヤップ岬

へ。

ライダーハウスは、商店の二階を開放したものだった。場所を確かめて夕飯を食いに市

街地に戻る。行った先は再び「青い鳥」。

さっきは、どうってことない味に感じたのが、時間が経過するほどに口の中に後を引き、

もう一度食べたい味に変わった。二度目も美味い! 時間が合ったら、サハリンの帰りに

も寄りたい。

ライダーハウスまでの戻り道、雨が降り出した。今年もツーリングに出ると必ず雨が降

る。「またかよ」と、舌打ちしながら走り、本降りになる前になんとか到着。ここはガレー

ジ付きなのがありがたい。

ライダーハウスには既に 5人くらいの客が来ていた。皆はシェラフを持っていたので、

大部屋に雑魚寝のようだが、蒲団を頼んだ俺は個室に案内された。

誰かと話でもと思い大部屋に行ってみたが、連れと話す者、携帯電話を手放さないで一

人の世界に没頭する者、一心不乱に何枚もの絵葉書を書いている者ばかりで話し相手にな

れそうな奴は誰もいなかった。

時間が過ぎ、ライダーハウスが混んでくると、管理者から「この子と相部屋でお願いし

ていい?」と言われる。紹介されたのは高校生くらいの少年だった。快諾し、二人で個室

に戻る。

新潟から着たと言う彼はフェリーで小樽に入り、自転車で釧路まで走り、その後自転車

を送り返して残りの行程を青春 18きっぷで旅していると言う。年は 17歳。俺が自転車で

二週間かけて道北を回ったときと同じ年だ。

目の前の少年は少しオドオドし、頼りなげに見えた。あのときの俺はどうだったんだろ

う。

大部屋は相変わらず人が大勢いるにもかかわらず、寝静まったように静かだった。その

雰囲気に耐え切れず、ロックボーカリストの声を持つ金髪の若い男が俺達の部屋に話し相

手を求めてやって来た。

話をしているうちに、大部屋にスイカが運ばれたというので移動。先ほど連れとだけ話

していた俺より若干年上と思しき男が、大きな声で仕切り始めていた。

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窓の外は本降り。明日の出航が気になる。全員の目が天気予報に釘付けになっている。

先ほど仕切っていた男が、「明日は皆どこへ行くのか」と尋ね始める。誰もが道内の地名を

答える中、ひとり「サハリン」と答えた俺は、大いに目立ってしまった。

一人が「何を目的に行くのか」と俺に聞く。理由は冒頭に書いたとおり単純なものだけ

ど、もうひとつの目的があった。

今までの旅の中で、金字塔と呼べる旅があった。10代にも 20代にも、その年代を代表す

る忘れがたい旅があった。30代の今はそれがない。もちろんどこにも行っていないわけじ

ゃないけど、楽な旅を選べる身分になり、全身に何かが残る熱いものがなかった気がする。

ユジノサハリンスクあたりで終わらず、30代の金字塔を建てるために北部サハリンまで

走るディープでハードな旅をしたいってのがもう一つの目標。まぁ、それが金字塔になる

のかスカなのかは、終わって見ないと分かんないけどね。

「サハリンツーリングなんて凄いですね。用意が大変だったんじゃないですか?」と俺

の後方に座っていた男が言う。振り向き、そいつの顔を見て驚いた。20代の若い男だった

けど、顔が高倉健そっくり!

あの年で、あの顔だから「不器用な男なもんで」と渋く言ってもサマになるけど、今時

若い奴があの顔でも時代遅れは否めない。絶対女に縁がないだろうな。気の毒に。

昔俺がそうされたように、17歳のガキにビールをおごってやる。将来フェリーの乗務員

になりたい、卒業したら新日本海フェリーの船乗り養成学校に行きたいと彼は言う。ただ、

まだ迷いがあるようで、俺は一つ一つの質問に答え、アドバイスをする。答えながら「無

駄なことを」と思う。

誰に何を言われようと意味がない。例え今の俺が 17歳の俺に何かを言ったとしても聞く

耳をもっちゃいないだろう。自分で壁にぶつかって見ないと、壁があることにすら築かな

いものだ。失敗と挫折を繰り返して学習していくしかない。

もし、17歳の俺が今の俺を見たときに満足できるだろうか。ガキの頃の夢と全然違うこ

とをしている俺をどう思うだろうか。

あの頃、35歳といえば、どうしょうもないオヤジの年だと思った。老いるくらいなら死

んだほうがマシだとも。この年になって、自分が思っていた 35歳に比べて今の俺なら全然

OKだ。本当は何もあの頃と変わっちゃいない。家庭を持って、子供もいると言うのにガ

キのままだ。

少年はまだ話し足りなそうで、電気を消した後も話をしていたが、彼の話に付き合って

いては夜が明ける。「おやすみ」と告げて眠りに付く。

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8月8日 「鈍色の街」

目覚めても土砂降り。ガレージに入り荷物をくくる。荷物の重さにバランスを崩し倒れ、

いきなりブレーキレバーを曲げる。壁側に他のバイクとは逆向きに停めていたのは幸いだ

った。同じ向きなら隣のバイクを傷つけるところだった。昨日と言い今日言い、何かつい

てない。参っちゃうよね。

カッパを着こんで税関を目指す。簡単なチェックで終了。税関の前には二台のバイクが

止まっていた。どうやらその中の一人がパクリさんらしい。

パクリさんとは行程が重なっている部分が多い。もっとも彼の予定を参考にした上に、

日程が同じで走る道が限られているのだから重なっても仕方がないけど、あえてまったく

同じにはしなかった。これは自分のため。

まったく同じにしてしまうと、全行程一緒に走ることになる。パクリさん達と一緒に走

りたくないわけではなく、すべて一緒に走ると頼ってしまう部分が出るし、人に先導され

て走るのであれば、俺の旅とは呼べなくなってしまう。

よく神道社なんかの海外ツーリングに参加して海外を走った気でいる奴がいるけど、引

率、トランスポーターつきで走ったとしても列をなして歩いているのと同じに過ぎないと

思う。

軽く挨拶し、「また後で」と言って、郵便局に行き旅費を降ろす。コンビニで朝飯を買い、

フェリーの発着場所、中央埠頭を目指す。

中央埠頭は、利尻・礼文航路のターミナルと離れた場所にあり、国際ターミナルとは程

遠いプレハブ小屋のような建物だった。「本当にここかよ」と思い、利尻・礼文航路のター

ミナルに行って確認したが、やはりそこが正解だった。

ナンバーを国際ナンバーに変える。パクリさん達も

集まってきた。連れはバイクで冬の宗谷岬に集まる仲

間の BAKUさん。どうやらバイクは俺達 3人だけら

しい。カードでチケットを買い、朝飯を食いながら乗

船を待つ。荷物をすべて降ろすと、係員がフェリーに

バイクを運んで行った。

出国手続きを終え、最後に乗船。船に乗り込むのと同時に碇が上げられ、霧笛とともに

定刻を遅れて東日本海フェリー「アインス宗谷」は、稚内中央埠頭を出航した。

台風の影響は、航路に大きく影響した。狂ったような高波。最初は門出を祝して朝から

ビールで乾杯しながら柿の種なんか食っていたが、段々揺れが激しくなる。ちなみに船内

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のビールは免税なので 350ml入りが 100円。税金高い!

     

パクリさんと見送りの方      百円は安いが、運転があるのであまり飲めない

二人は酔いのためか寝てしまったが、俺は涼を求めて甲板に出る。海面が甲板を越えて

迫り、ジェットコースター気分。本当は書かなきゃならない書類が一杯あるけど、下を向

いただけで気分が悪くなる。歩くのもままならない。

甲板にいると、係員がバイク持込の書類を持ってき

た。「コピーを取りたいのでパスポートを貸して欲し

い」と言われ渡す。謎のロシア人じゃないだろうな?

コルサコフまでは 5時間。船酔いで 5時間はきつい

ので、なるべく酔わないように気をつけながら過ごす。

次第に波が収まり、昼飯の幕の内弁当が配られる。

俺の隣で寝ていた男が起き出す。ロシア人かと思ったら日本人だった。髭の男はいきな

り起きると饒舌に話し始めた。

「いゃあ、サハリンの鉄道に乗りに行こうと思ったんですけど

ね、途中でパスポート忘れたのに気付いて家に戻ったんで来れな

いかと思いましたよ」開口一番埼玉から来た髭男が言う。パスポ

ートなんて普通忘れないだろう? 旅慣れていないのかハイテンションなのが伝わる。

コルサコフ到着まであと 1時間ほどに迫ると一等

機関士に別室に呼ばれ、バイクの税関用紙の記載説

明を受ける。訂正には印鑑が役立つ。しかしロシア

人が見て理解できるのか?

それが終わり、甲板に出るとコルサコフが目前に

迫っていた。サハリンとの時差は 1時間だけど、今

はサマータイムのため 2時間の時差になる。

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 コルサコフの印象は、釜山に似てるなと思った。ともに旧日本統治国だったせいかも知

れない。正確に言えば「落ちぶれた釜山」鉄くずと赤錆の街と言う感じで廃船寸前や沈没

船が並んでいる。

 先ほどから何度か甲板で見かけるロシア人の赤ちゃん(母親!)がかわいかったので、「Itis a very pretty baby. May it take a photograph? (とてもかわいい赤ちゃんですね。写真を撮ってもいいですか)」と聞いてみる。OKの返事。俺も「この子は私の子です」と、もみ

じの写真を見せる。すると、「かわいいですねぇ。服もピンクで統一されて。」と日本語で

返された。なんと日本語がぺらぺら! 下手な英語で話し掛けてバカみたい。

 この子の名前はアリーナと言う。今頃、もみじは「パパいないのー」って言ってるんだ

ろうなー。道楽な父親としての罪の意識を感じる。

 フェリーが着岸し、ロシア人の入国管理官が乗り込む。どうやら本国ではその国の国民

が優先して下船できるらしい。バイク三人組は一番後回しにされる。

 フェリーでの審査を終え、バスに乗って入国管理事務所へ向かう。ちなみにバスはかつ

て宗谷バスとして活躍した中古の観光バスだった。社名は消されていたが、塗装はそのま

ま。乗り込むと未だに宗谷バスの社名が残っていた。

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 �コルサコフ〔Korsakov(旧称 : 大泊 / おおどまり)〕

サハリン州第 3の都市。人口は約 4万 6000人。1853年、著名なロシアの探検家ゲンナージ・

ネベリスコイが、現在のコルサコフの場所に軍のムラビヨフスキー監視所を作りました。

その後、監視所は撤去され、1869年、コルサコフスキー監視所として復活しました。この

名は、東シベリア総督の特命を受けたコルサコフ少佐の名誉を称えてつけられたものです。

コルサコフは、アムール川を利用した移住民や軍人の輸送を初めて組織した人物の一人で、

後に東シベリア総督になりました

日本時代は大泊(おおどまり)と呼ばれていました。現在の地名になったのは、1947年で

す。漁業の中心地で、海洋漁業基地があります

他には、ダンボール工場などがあります。コルサコフ港はサハリン最大の不凍港で、ホル

ムスクと並ぶ交通の要衝です

市内には日本時代の北海道拓殖銀行大泊支店の建物が残っていますし、日本人慰霊碑もあ

ります。数年前、ホテル・アルファが営業を開始して、いままで、外国人が宿泊できるよ

うなホテルが無かったコルサコフにも外国人が滞在できるようになりました

ユジノサハリンスクからは車で約 40分(42km)で鉄道利用ですと約 50分です

�稚泊航路

北海道・稚内駅から港に向かって歩いていく。そのうち、古代ローマのコロシアムを想起

させるような円柱を持つコンクリート造りの長い回廊が見えてくる。稚内港北防波堤ドー

ム(通称ドーム)といい、戦前は函館からの急行列車がここに到着しました。そして、当

時、日本領だった樺太の大泊へ向かう連絡船に接続した。この連絡船、稚内と大泊を結ぶ

ことから稚泊連絡船と呼ばれた。稚泊航路が開設されたのは 1923年のこと。片道 8時間で

1ヶ月 15往復しました。しかし、厳しい北海のこと。冬は 9時間かかり 6便に減便された。

大泊港の連絡船桟橋は、沖に向かって約 1km突出し、島部と陸部を結ぶ鉄橋部とから構成

されていた。それでも 1月になると海面が氷結するので、桟橋までの 1.2kmを犬ぞりや馬

そりで、あるいは徒歩で行かねばなりませんでした。輸送実績は、1937年の日中戦争勃発

とともに激増の一途をたどる。これは朝鮮人のサハリン強制連行が始まった時期と重なっ

ている。日中戦争以前は年平均 10万人だったが、1942年になると 25万人を越えるように

なりました。ところが、太平洋戦争における戦局の悪化にともない、輸送実績は急激に落

ち込みを見せ始めた。そして、1945年 8月 9日。ソ連軍の対日宣戦とともにソ連軍が北緯

50度線を越えて南樺太になだれ込んできた。樺太に残っていた連絡船「宗谷丸」は緊急非

難民輸送を開始。8月 15日の終戦後も輸送を続けていたが、避難民の数は日を追って増え、

23日には、とうとう定員の 6倍近い 4500人となった。想像を絶するスシ詰め状態で大泊

を出航。翌 24日の早朝に稚内港に入港。これが最後の航海となりました

戦後、宗谷海峡は往来のない「冷たい海」となりました。しかし、ペレストロイカの影響

でコルサコフは開放。1995年 5月には小樽・稚内港からロシア船を利用して定期フェリー

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が就航し 50年振りに定期航路が復活しましたが、1997年、1998年は、旅行会社のチャー

ター船による運航となりました

しかし、1999年から日本船籍の〈アインス宗谷〉(2,628t・旅客定員 223名)が就航しま

した

実に日本船籍の船の就航は 54年振りとなります

稚内市ホームページより

 入国管理事務所では日本女の化粧を濃くして奇抜なファッションをさせたような女が通

訳として働いていた。

俺の前に入国審査を受けていた先ほどのハイテンションな髭男が止められている。入国

書類がないと言われている。俺達もフェリーで貰っていない。慌てて書類を貰い記入。

 「ここ何て書くんだっけ?」とか言いながら隣と見せ合い記入する。出来の悪いガキが

宿題をやってるような気分だ。

 無事入国できたところでフェリーにバイクを取りに行かなきゃならない。バスはもう出

ないようだ。荷物を入国管理事務所に置いていこうとしたが、既に閉まると言うので、先

ほどの派手な女に話し、別室に置かせてもらい 200mほど歩きフェリーに戻る。

 道が分かるパクリさんを先頭

に、BAKUさん、俺の順でユジ

ノサハリンスクへ出発。途中の

「間違えやすい」ロータリーを

通る。真っ直ぐ行くと団地に言

ってしまうという最初の関門だ。

確かに事前に知っていなけりゃ

迷うだろう。

 街を走る車は 90%日本製。ゆ

っくり走るセダンがペースメー

カーになる。しかし傍らでは猛スピードで追い抜いていく車もある。通行は右側。

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前を走る BAKUさんが左車線に入っていく。危ない! よく見たらミラーが右にしか付

いてない! この人、完璧に右側通行だってことを理解してないな。大丈夫か?

すっかり暗くなった夜 9時、ホテルモネロンに到着。ユジノサハリンスク駅前にある古

いホテルだ。夜遅いにもかかわらずインツーリスト・サハリンのジェーニャは待っていた。

東洋系の顔なので、たぶん華僑か残地朝鮮の血を引いてるかも知れない。いずれにして

も日本語と英語が分かるくらいだから、かなり高等な教育を受けているのは確かだろう。

 

 早々とホテルに着いた先ほどの髭の男が相変わらずテンション高く他の日本人と話して

いた。

ジェーニャに「待たせて済みません」と言い、とりあえず挨拶。旅行代金をルーブルで

払って欲しいと言うが、到着時間が遅く両替できなかった。ドルでもいいと言うが、持っ

て来ていない。

ジェーニャは会社に電話し、社長のイワノワに指示を仰いだ。結局日本円で払うことに

なったが、4.100円払えと言われビックリ。そんなもんでいいのかと聞き返すと、ジェーニ

ャは、「イワノワさんがそう言いました」と答える。ラッキーと思って払うとすると、再度

電話があり金額を間違えたという。そりゃあそうだ。結局 3度やり直し最終的に 62.500円

を支払う。最初に提示された$500で落ち着く。

バウチャーの原本を持っていなかったので、「どうするの」と聞くと、「大丈夫だとイワ

ノワさんがそう言いました」の一点張り。FAXのコピーを持ってきて良かった。海外旅

行をするときは、必要書類及びパスポート類のコピーと、パスポート再発行用の写真はお

忘れなく。あんなにコピー機と自動販売機が普及してるのは日本くらいなものだぞ。

 日本円で払おうとしたが、500円を持っていなかった。つり銭をどうするか悩んだ結果、

ルーブルで貰うことにする。1ルーブル足りなかったが、こんな時間まで待たせたことを考

え、よしとした。

時計は既に 10時。ジェーニャは朝 8時から働いてると愚痴る。安全ピンがわりに持って

きた「スマイルバッヂ」を渡し、「ご苦労さん。笑顔を忘れないで」と言って別れる。でも

普通そんな時間までこき使われたら笑えねーよな。実際。

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撮影のためメガネを外したジェーニャ。俺も写真を撮るときはメガネを外す。同類。

 5kgくらいある荷物を部屋まで運ぶわけだが、エレベーターも「お持ちいたします」なん

て気の利いたことを言うボーイもいない。3階の部屋まで「えいやぁ」と担いで行くしか

ない。これがこの先毎日続く。

 

 唯一手に入れた 500円相当のルーブルを握り、バイクを駐車場に入れる。駐車料は 40ル

ーブル。1ルーブルは約 4円。U字ロックをしようとしたら係員が何か言っている。パクリ

さんも「ワカンネェ」って顔をしてる。

状況から判断すると、「そんなものしたら、前に入ってるバイクが動かせなくなるだろ

う」と言っているようだ。ロックをしまうと何も言わなくなった。やっぱ、そう言うこと

だったらしい。

次にマガズィーン(コンビニ?)に行き、パンとコーラを購入。金があるのに何も買え

ないと言うありさまで、500円のありがたみを知る。コーラは 500mlで 19ルーブル、パン

は 20ルーブルくらい。

 ホテルモネロンの部屋にシャワーはなく、30ルーブルを払って予約制で利用するらしい。

面倒くさいので部屋の水道で頭を洗い、体をタオルで拭く。残り金はわずかだが、「ビール

でもと」思い、ホテル内のキオスクに行く。最近サハリンのビールは多様になり、色々な

種類が売り出されている。

 サハリンのキオスク及びスタンドなどは、昔の駅の窓口のように中に店員がいて、内側

に並んだ商品の名前を言い、小窓から金と商品の受け渡しをする方式だ。なので手に取っ

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て「これ下さい」と言えないから、ロシア語ができないと買い物がもどかしい。

 適当に黒いラベルで「9」と書かれたビールを指差し、「Give one piece of this beer.(そのビールを一本下さい)」と言う。すると、ロシア語で何か言っている。他に「3」や「6」と

書かれた姉妹品が在るのに気付く。どうやら、これはアルコール度が高いけどいいのか?

と言っているようだ。見ると、数字が大きくなるにつれてアルコール度数が増えている。

ビールのアルコールなんて、4.5~5.5%位だと決め付けていたが違うようだ。

「Give one with the lowest alcohol degree.(一番アルコール度が軽い物を下さい)」と言い、青いラベルに 3と書かれたものを買う。ビールの名前はバルティカ 3。1本 25ルーブル。

意外とあっさり味で美味い。昨日買って食わずに持ってきたチーズ鱈をつまみにする。こ

うしてロシア初日のシケた夜が終わる。

日本の最低ランクのホテルにも劣る「ホテル・モネロン」部屋のベッドは硬く、完全に閉まらない

大きくて役立たずな冷蔵庫が置いてある。

ユジノサハリンスク〔Yuzhno-Sakhalinsk(旧称 : 豊原 / とよはら)〕

サハリン州の州都。約 17万人が住む州最大の町です。広く、ほとんど森林がないススナイ

スカヤ盆地に位置し、東はススナイスキエ山地によって、西はユジノサハリンスク山地の

丘陵によって区切られています。市内は北から南へススヤ川が流れています。ユジノサハ

リンスクの名は、サハリン島の南に位置することに由来します。州の行政中心地であり、

経済と生活の心臓部をなすとともに、文化と科学の中心でもあります

日本語も教えられている教育大学と 5つの中等専門学校があるほか、モスクワの大学を含

む他地域の大学の支部がいくつか置かれています

学術機関では、海洋地質・地球物理研究所、太平洋地球物理研究所、太平洋海岸・漁業研

究所サハリン支部、サハリン農業研究所があります

街の中心部、レーニン通りの州立美術館は、旧北海道拓殖銀行豊原支店の建物を利用して

います。館内には日本をはじめ韓国・朝鮮などの美術品やロシアのイコンといわれる宗教

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的な壁画などが展示されています

コムニスチーチェスキー大通りにあるサハリン州立博物館は、かつての樺太庁立博物館を

そのまま活用しています。日本の城を模した建物で、サハリンにあっては唯一日本情緒を

感じさせます。ここには、第 2次世界大戦終焉までの日本人の生活を紹介するコーナーや、

北緯 50度線の国境に設置されていた標石が何気なく置かれているのが印象的です

コムニスチーチェスキー大通りの駅を背にした突き当たりの丘の中腹には、樺太神社(別

名 : 豊原神社)があったそうですが、今はその面影もありません。神社があったといわれ

る横の小道を登ると、ユジノサハリンスクの市内を見渡すことの出来る、旧旭が丘展望台

に辿り着きます。その背後には昔も今も冬には、ジャンプも楽しめるスキー場の勇姿がそ

びえ立っていますが、ジャンプ台老朽化のために使用不能となっています

稚内市ホームページより

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8月9日 「海神へ向かう」

サハリン二日目。喉渇いた。くそっ、ビールなんか飲んじまったから金がない。有り金

はたいてホテルのキオスクでジュースを買おうとしたけど全然足りなかった。まずは両替

しなけりゃ始まらない。

日本語が通じる「みちのく銀行」に行って見たが、残念ながら今日は土曜日のため休み。

ホテルに戻って聞くことにする。

  朝のユジノサハリンスク駅前

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フロントにいるパンツが見えそうな豹柄の服を着た熟女に「Is there a place where it ispossible to make money changing to be the neighborhood of this?(この近くに両替のできるところはありますか)と聞いてみる。すると、「このホテルでは両替できない」と答えられた。

そんなこと分かってるよ。だから、どこで両替できるのかって聞いてるんだよ。

そのやり取りを見ていた増田明美似の日本人観光客が、市役所の裏に土曜日でも営業し

ている銀行があることを教えてくれた。例のテンションの高い髭男も一緒にいて、「闇じゃ

なくて、正規の銀行なん

でしょうねー」と念を押

していた。人にものを聞

いているくせに、あまり

な態度だなと思ったけど、

旅慣れていないんだろう。

興奮と不安が見える。も

しかして海外の一人旅は

初めてなのかも知れない。

ちゃんと帰れればいいが

…..

通りすがりに「バイクを売ってくれ」と言って小銭を出してきたロシア人がいた。バカか?

銀行に行き両替を済ませる。今日はホルムスクまで行くだけだから、時間的余裕がある。

コーラとピロシキを買い軽く食事を済ませる。

まずは自由市場へ。自由市場は露天と店舗に入っているものがあり、食料品、衣類、雑

貨などが並ぶ。近年観光客が多くなっているとは言え、函館や輪島の朝市のように観光客

専門ではなく、ユジノ市民のための買い物の場として賑わっている。その証拠に外国人は

見当たらない。

今何か買っても仕方がないので、とりあえずサンダルだけ買って他の物には目星だけを

つける。今回忘れた目覚し時計と稚内で買えなかったコンセットアダプターを買い、軽く

市内観光に出発!

サハリーンスカヤ通りを抜けてガガーリン公園を目指す。街は埃っぽく外国特有の匂い

がする。車の排気ガスが異常に臭い。これはタイのバンコクでも同じだった。

ガガーリン公園の道を間違え、ジェーツカヤ通りに入る。「間違えたな」と思い、Uター

ンしようとしたが、馬が放し飼いになってるのを発見。子供達が抵抗感なく寄っていき、

馬と触れ合ってる。ほのぼの感がいい感じ。動物と触れ合うって言うのは、檻に入った動

物を見るのでも柵の中に入り込むのでもなく、同じテリトリーで触れ合うってことなんだ

なと実感。でも後ろに回っちゃ危なくないかい?

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 ユジノサハリンスクの街          歩道に放置? それとも駐車?

 

サファリパーク状態               ガガーリン公園

 しばらくボーっとした後、再度ガガーリン公園に向けて出発。有料駐車場(40ルーブル)

に停めてガガーリン公園に入る。パクリさんは 2年前にここで殴られ、カメラを盗られた

と言うが、人がいっぱい、家族連れがいっぱい、幸せ家族の集うこの公園で何故事故にあ

ったのか不思議なくらい平和ムード。

 遊園地らしく遊具があり、ベビーカーを押した家族連れが多いけれど、遊具自体は 30年

前の日本レベルで、今はなき札幌の「中島公園こどもの国」を彷彿とする。

 自慢の遊具は、立ったままグルグル回る円盤状のもの、鎖に吊るされたブランコが回る

もの、15m位しかない観覧車、宙返りしないジェットコースターなど、イカしたアンティ

ークばかり。それでも皆楽しそう。

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  公園には、いろんな露天が店を広げている。中には多分香港製らしき、赤を青に塗り替

えられたウルトラ兄弟ソフビセットが違うネーミングで売ってたりする。間抜けだ。

トルコ生まれのファーストフード「ドーネルサンド」に似たものと飲み物を買い、昼飯

とする。さらに公園には子供鉄道が走っている。子供鉄道と言っても所有はサハリン鉄道

だし、運転している子供も鉄道養成員らしい。俺の目の前を列車が通り過ぎて行った。

近くでバーベキューを焼いている。名物らしい。日本のように備長炭なんかないから、

薪で焼いてる。池のほとりで休んでいると、「おい、兄ちゃん何か食えや」と声を掛けられ

る。食いたいのはやまやまだけど腹が一杯で食えない。残念だ。また今度にするか。

  終戦記念碑            勝利の広場

 ガガーリン公園を出て終戦記念碑に向かう。日本の敗戦は他国の勝利。次に向かったの

は勝利の広場。千島樺太交換条約でサハリンをロシアの領土にする代わりに、北方四島を

日本の領土にしたはずなのに返してもらえない。

昔は 2月の「北方領土の日」が近づくとテレビなんかで声高らかに「返せ!北方領土」

なんてコマーシャルをやっていた。「返せ!」と言っても、誰に対して言ってるんだ? ロ

シア人が日本のコマーシャルを見てるのか?

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終戦記念碑では、通りすがりの酔っ払いに何か話し掛けられる。腰のあたりで指で円を

作って何か言っている。たぶん「このバイクはいくらするんだ?」か、「このバイクを売っ

てくれ」と言ってるのだろう。シートにある「Kawasaki」の文字は読めるようだ。

ローマ字は分かるのか。読めるからといって「Konnichiwa」と書いて渡しても

も理解は出来まい。

次に市内を一望する展望台に行く。道は舗装が途絶え荒地に変わる。「本当にこの道かな

ー」と思いながら進む。今後の北上ルートの予行練習だ。次第に廃屋と捨てられたジャン

プ台が見え、ゴミだらけの広場についた。どうやらそこが展望台のようだ。

そんな場所なら通常、土産屋だの望遠鏡だの日付を刻印するメダルだの、スタンプなど

「これでもか」と言わんばかりに何かあるのが日本だが、ロシアはすべてにおいて、シン

プルで大雑把。共産主義は崩壊したが商売っ気はまだ足りない。

KDXとサハリンの街。よく見ると広範囲で街から煙が上がっている。火事か?

 しばらく街を眺めた後、何人かロシア人がやってきたので退散する。次に立ち寄ったの

は「勝利の広場」

 バイクを停めると周りにいるロシア人のガキどもが羨望の眼差しで俺を(本当はKDX

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を)見ている。すっかり体が硬くなっていることを忘れ、パッと足を上げてカッコよく降

りる。バン! 巨大な荷物を後ろにくくりつけていたことを忘れていた。痛ぇ、スネ打っ

たよ。

 「勝利の広場」では、女の子を遊ばせていた父親に話し掛けられる。ロシア語だから、

何を言っているのか分からないが、「展望台に行ったかい? あそこが展望台だ。そこの道

を通って行くんだよ」と言っている気がする。

 「展望台は今行って来たよ」と伝えたいんだけど、ロシア語はおろか、英語さえも浮か

ばない。ま、仕方がないので話題を変える。

 「It goes to Kholmsk(ホルムスクに行く)」と言うと、彼は少し考え込んだ末にホルムスクに行く道を説明してくれた。どうやら道を聞かれたと思ったらしい。親切な奴だ。

 今日は、早めにホルムスクに行って市内観光してレストランでロシア料理を食べようと

思い走り出す。道は舗装され軽快なワインディングが続く。「どうせ近いんだし」と思い、

間違って入った旧道を突き進む。日本の林道に似た走りやすい道だ。

 話によると、この旧道は橋が落ちて通り抜け出来ないと聞いたが、その辺にいるロシア

人に聞くと、「行けるよ」と言うのでさらに進む。

 しかし走りやすい林道は突如走行困難な泥のぬかるみに変わる。「こりゃいかん」と思い、

方向転換をするときにバランスを崩しバイクを倒す。足場の悪いところで荷物をつけたま

ま起こす。俺のどこにそんなパワーがあったんだ?

 あーあ、せっかく綺麗だったバイクが汚れちまったよ。それに靴も……やっぱり普通の

道を通ればよかった。参っちゃうよね。約 1時間のロス。

 ちゃんと舗装された道に戻り再度ホルムスクを目指す。車は平均 100㎞ペースで流れて

いる。KDXでも付いて行ける範囲だ。途中に検問があったが、停められることもなく通

過。ついでに熊笹峠の戦勝記念碑も気付かずに通過。

 途中のカフェで一休み。新婚旅行中らしい車が停まっている。車にゴミをくくりつけた

ようなデコレーションが目印なのですぐ分かる。しかし、ロシア人の喫煙率はかなり高そ

うだ。老若男女、ガキ大人問わずタバコをふかしている。「どう見てもお前は小学生だろぅ」

と思うガキすら、♪ス―パッパッパって具合だ。

未成年にタバコを禁止する理由として、発育に悪影響を与えるって言うけど、ロシア人

は一様にでかいぞ! その話、信憑性ねーな。

一服した後再出発。タンクがリザーブになり、そろそろ給油しなきゃならない。外国で

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燃料を入れたことがないから、どうしたらいいものやら。とりあえずガソリン車が入れた

後なら、そこは必ずガソリンの給油口だってことだろう。

峠を降りたところに一件のスタンドを発見。さっきまで考えていたことを忘れ、物珍し

さに集まってきた若い店員に燃料を入れられる。「バイクが軽油で走らないことくらいコ

イツらだって知ってるだろう」と思い、なすがまま。

その間、勝手にメットは被るは、グローブは着けるは、乗りたいから貸してくれと言う

は、ガキどもは手が付けられない。給油を済ませてそそくさと出発。

しかし、しばらく走ったところでKDXがピタリと停まる。やっぱ、軽油かオクタン値

の低いガソリンだったんだ! 日本のガソリンと混ぜればまだ良かったんだろうけど、空

きっ腹に入れたんで、バイクが腹を壊したんだろう。これはガソリンを入れ替えるしかな

い。勘弁してよ、もう。

幸い携行缶にガソリンが入ってる。ポンプで燃料を掬い上げるとしても捨てる容器がな

い。仕方なくビニール袋とペットボトルに入れたが、ビニール袋は油で溶けたため、周囲

を汚してしまった。

1時間半けてサハリンの環境を汚染する。まわりもコールタール状の泥の塊が多いから目

立たないが罪の意識を感じる。収集可能な廃油はゴミ捨て場になっているドラム缶に投棄。

通りかかった老婆が怪訝な顔をする。そりゃそうだ。自分のテリトリーを土壌汚染されて

喜ぶ者はいない。日本で見つかったら罰金ものだよ。

キャブに残った油を取り去らないとエンジンがかからないんじゃないかと心配したが、

バイクをシェイクし何発もキックする。くすぶっていたエンジンが何とかかかる。やった!

 考えてみりゃ、ポンプなんか使わなくてもキャブのホースを抜いて燃料を抜き去れば手

っ取り早かった。何か冴えてねーなー。

 ホルムスクに着くと既に夜 7時。サハリンは 9時くらいまで明るいから問題ない。まずはホテルを探す。宗谷支庁発行の地図を見たが、よく分からない。バスが発着しているタ

ーミナルに停めて確認する。どうやらそこは大陸へのフェリーターミナルだった。

 

 ひとりのロシア人が俺に話し掛けてきた。何を言っているのか分からない。「ラチあかね

ぇや」と言う顔で帰っていった男の車を見てたまげた。

 日本のハイエースらしきワゴン車なのだが、故障しているらしく後部をジヤッキアップ

している。そのジヤッキアップに使われている道具は、通常車に積まれている器具ではな

く、なんと長い角材だった。

どう考えても「えいやっ」と車を持ち上げないと、はめられないよな。恐るべしロシア

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人のパワー! でもそんなもの挟めただけの車の下に潜って危なくねーか?

 さらにホテルを探して街をさまよう。踏み切りを越えて右に曲がる。レーニン広場や市

役所の辺りな筈なんだけど、見当たらない。

 街を掃除しているオバサンに聞いてみる。「この通りを真っ直ぐ行って二本目を左だよ」

と教えられる。教わったとおりに行って見たが、団地の中に入ってしまう。

 もう一度戻ってマガズィーンで聞く。今度は外に連れ出され白い建物を指差し、「あれが

ホテルチャイカだよ」と教えられる。「目の前の道を通っても行けないから裏から回りな」

と言われ、さっきウロチョロした団地付近で考え込む。

 最初に道を聞いたオバサンが現れ、「あれ、まだ迷ってたのかい?」と言い、「ほら、来

な。だからこっちの道だって言ってるだろう」と言われ、再び団地の中につながる道を指

差す。

 礼を言い、その道を真っ直ぐ行くと….あった、あった、ホテルチャイカが。しかし、団

地の小道を通り抜けないとたどり着かないホテルなんて地元の者以外誰がわかるって言う

んだよ!

 

フロントに行き、名前を告げてチェックインしようとしたが、「予約されてない」と言わ

れる。バウチャーの原本は貰えなかったが、コピーを持っていたのでそれを見せる。する

と「えー聞いてね―よ」と言う感じで、どこかに電話をし始める。勘弁してよ、もう。

その後、いきなり三階の客室に連れて行かれドアをノック。「ここが日本人のいる部屋

だ」と言っているようだが、インツーリストの現地駐在員でもいるのか?

現れた男は、インツーリストとは無関係なただの日本人旅行者だった。「相部屋だぞ」と

でも言っているのか? とりあえずフロントに戻る。またどこかに電話をしている。なん

とか相部屋は逃れたようだ。

「バイクをホテルの中に入れるから裏に回せ」と言われ通用口から搬入。ドアも厳重に

鍵が掛けられる。これで安心……だけど、レストランにバイクで行けなくなっちゃった。

部屋は五階なので、コンテナはバイクにつけたままにして最低限のものをリュックに詰め

込む。

 結構広いツインルームにトイレ、シャワーありのテレビなし。シャワーは水しか出ない。

この水シャワーは浴びるのに覚悟がいる。心臓に少しずつ水を掛けて、次に手足を慣らし

ていく。海水浴の要領だ。けっこう慣れるまで辛い。

 三日分の衣類の洗濯をして部屋に干す。洗面所でもみ洗いしただけだからあまり綺麗に

ならない。しかも乾くかどうか。ホテルの石鹸は独特な香料が入っていた。これがロシア

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人の体臭の源か?

 時計を見るとすでに 9時。今日も全然ゆっくりできないな。窓から見える街も暗くなっ

てきた。ホテルのパブで飯でもと思ったが、静か過ぎてやっている気配がない。地図によ

るとレストランミヌートゥカが近そうなので歩いて行って見ることにする。

 すでに街は真っ暗。夜歩きはあまりしたくなかったけど仕方がない。顔の確認ができな

いような暗さでも、やっぱり日本人だって分かるのか? 周囲にいくつかの巨大な廃墟を

発見。一体何が建ってたんだろう。

 レストランに行く道が思いのほか暗く、仕方なくマガズィーンでチキンのレッグを 1本

買う。105ルーブルかと思い、「高いなぁ」と言い金を出す。店のオバサンは、血相をかか

えて何か言っている。礼によって、「ラチあかねぇや」って顔をされ、大量のつり銭が返っ

て来た。「桁違ってるぞ」って言ってたのか。キオスクに寄り、冷えたビールを買って戻る。

 

 テレビも何もないので淡々とビールを飲み、チーズ鱈を頬張る。トイレに入ると排気口

から軽快な音楽が聞こえてきた。たぶんパブだろう。なんだ営業してたのか。

 0時近くなり、そろそろ寝ようと思ったが、無性に喉が渇いた。さっきキオスクかマガズ

ィーンで水を買っておくべきだった。パブで売ってくれるだろうと思い、地下まで降りる。

 ひとりビールを飲む

 「It want water.(水が欲しい)」と頼むと、何か言っている。近くにいた「私は通訳のような者です」と言うロシア人の女が、「ガス入りとガス抜きとどっちにしますかと言ってい

ます。」と教えてくれる。有難う。しかし君の遠まわしな自己紹介はなんだ?

ガス抜きを頼んだが、少し炭酸が入っていた。メチャまずい。寝起きのことを考えて仕

方なく 1.5㍑のペットボトルを購入。

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時間も時間だったので店に客はいず、三人の店員が暇そうにしていた。水を飲みながら

彼女達と話す。美人が多いサハリンの人たちの中で彼女達は例外だった。残念。

 彼女達は 30歳、38歳、47歳だと言い、名前も聞いたが外国人の名前なんて覚えられな

いので、聞いた端から忘れてしまった。

俺も退屈しのぎに話をし、持ってきたツーリング雑誌を見せながら、日本の温泉や蕎麦

のことなどを説明する。

明日は、ポナイスクに行くと言うと、38歳の女は「私はホロナイスクの隣町ガステロの

出身だ」と言う。お前は幾つだと聞かれ 35歳だと答えると「見えないネェ」と言われた。

子供もいるぞ! と言うとまた驚かれた。

24歳のときにユナイテッド航空に乗ったときにスチュワーデスにビールを頼んだら「21

歳以下には出せない」と言われたことがある。日本でも実際より若く見られるけど、外国

人には幾つくらいに見えるんだ?

水じゃ物足りなくなりビールを注文する。ついでに「イクラを食うか」と聞かれ、これ

も注文。イクラはロシア語でもイクラと言うらしい。

どうやって食うのかと思ったらパンの上にバターを塗り、さらにイクラを載せて食べる。

バターがしつこくなく意外といける。さらにパンを追加。

梅干もあるぞと言われ、これも頼む。昨日来たばかりだから懐かしの味ではなかったけ

ど、飲みすぎた後には実にすっきりする。「持っていけ」と言われ、瓶一個分の梅干を貰う。

味まろやかな高級はちみつ梅だぞ、これ。こんなに貰っていいのか?

「あんたらも食えば?」と言ってみたが、梅干は好きではないようだ。梅干と納豆、漬

物が食えればかなりな日本ツウだな。テーブルには醤油や練りわさび、生姜なども並んで

いる。さっきから気になってるんだけど練りわさびは開封後、冷蔵庫で保存しろよ!

今日、このホテルには 15人の日本人が泊まっているという。ホテルを探してたときに日

本料理レストラン「くしろ」に大勢の日本人らしき年配者が集まってたから、「かつての真

岡、祖国を訪ねて」の団体でもいるんだろう。さっきの遠回りな自己紹介をした女は、そ

の通訳だったのかも知れない。やべぇよ、もう 1時だぜ。最初からここで飲んでれば良か

った。また来たいパブだった。

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 ■ホルムスク〔Kholmsk(旧称 : 真岡 / まおか)〕

人口 5万 2000人の州で 2番目に大きな都市。昔は南サハリンで最大のアイヌ村「エンドウ

コモ」(エントルコモ)があり後に「マウカ」と呼ばれるようになりました。1870年にロ

シア軍の見張り所が置かれました

1905年の日本領有に伴い、その響きから「真岡(まおか)」と呼ばれるようになりました。

1946年にホルムスクと改名。工業都市で旧王子製紙が残した製紙工場(現在は株式会社「ホ

ルムスク製紙」)があるほか、船団基地、缶詰工場、ブリキ缶工場、船舶修理工場などの

漁業関連企業があります。交通の要衝でもあります。特に不凍港で、ハバロフスク州のワ

ニノ港とフェリーで結ばれています(不定期)。観光に適した場所は特にありませんが、

サッカースタジアムや日ロ合弁レストラン〈釧路〉があります

ユジノサハリンスクから車で約 2~3時間、鉄道で約 3時間(約 83km)の場所ですが、現

在、鉄道は、ユジノサハリンスク~ホルムスク間にあるトンネルが落盤事故で使用できず

におり、アルセンチエフカを経由して運航されています。情報によるとトンネルの再開を

ロシア側は諦めたという情報もあります

�「9人の乙女の悲劇」

樺太では 8月 15日以降も戦争が行われたのです。ソ連軍は真岡(現ホルムスク)に迫りま

した。当時、真岡郵便局で電話交換業務を行っていた若き交換手 9名は、戦火に包まれて

いる中でも仕事を全うしていました。しかし、近くまでソ連軍が迫ってきたのを知ると、

まだ通じる電話で最後の言葉「皆さん、これが最後です。さようなら、さようなら」の言

葉を残し青酸カリで集団自決したのです

現在、郵便局があった場所は、壊されてアパートになっています

しかし、北海道・稚内市のサハリンが望める丘の上の稚内公園には、彼女たちの霊を慰め

るために「9人の乙女の碑」が建てられています

戦争により夢多き若い生命を絶った彼女等に捧げられる鎮魂の碑でもあります

�最近の街の様子

客船ターミナル内のカフェやバーにはしばしば、現地のマフィアが現れ、トラブルになる

ケースが発生しているとのことですので、夜は利用しないのが懸命です。ニセドルも出ま

わっているようですので、お釣りなどでドルを渡された場合は注意が必要です

両替場でも古いドル紙幣は、それが日本から持ち込んだ本物でも両替を拒否される場合が

ありますので、ご注意下さい

稚内市ホームページより

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8月 10日 「灰神楽な道」

 

ルールルルッルー今日もいい天気。窓から射す陽射しは温かい。8時に目覚め支度を始める。

何故か 8時に目覚めたのに出発できる準備が整ったのは既に 10時。一体俺は何をやってる

んだ!

 しかも昨日に続きまたバイクを倒す。せっかく交換したレバーが折れた。この先また倒

すことが考えられるので、適当に接木をしてガムテープで巻いて直す。

昨日いきなり部屋に連れて行かれ、劇的な紹介を受けた日本人と再会。彼は自転車で回

っていると言う。当初俺が考えたとおり日本の旅行会社で宿の手配をしたため、俺より宿

泊日数が少ないにもかかわらず 15万円も払ったと言う。

 「俺も現地に頼みたかったんだけど、英語でやり取りすることを考えたら出来なくって」

と言う。俺だって英語能力は中学校一年生レベルだけど、パソコンの翻訳機能を使えばな

んとかなった。世の中、便利になったものだ。

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ホテルの壁の落書きをバックに…って、こんなところに落書きするなよ!

【1994 年型 Kawasaki KDX125SR 】

全長:2.115mm 全幅:855mm 全高:1.190mm シート高:860mm 乾燥重量:104kg

エンジン:水冷2サイクル単気筒 排気量:124cc 最大出力:22ps/9.500rp

タンク容量:9㍑ 連続走行可能距離 約 200㎞

カスタム:ライト:アチャルビス縦目二灯ライトカウル

ブレーキ&クラッチレバー:Kijimaカラーショーレバー(ゴールド)

キャリア:純正+社外品ワイドキャリアー

デカール:社外品デカール

ご愛嬌:各部のラスカルのステッカー

気に入っている点

① 4スト 250ccを凌駕するパワーと車格

② カワサキカラーのライムグリーンと完璧なスタイル

③ 剛性の高い倒立フロントサスペション

気に入らない点

① ニュートラルが出しづらい

② スタンドが立ちすぎで止めたときに不安定

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「俺の英語はネガティブだぜ」と威張る。「ネィティブ」だってば! すでに失格!

 

バザールは賑やか         キオスク。小さな窓口からやり取りをする

 

大陸へ向けて船が出航する          整った公園に人が集う

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街に出て見るとフェリーターミナル付近にバザールが開催されていた。主に食料品を中

心としている。ピロシキ売りを見つけ朝飯を購入。

一言でピロシキ言っても日本でお馴染みの揚げパンだけじゃなく、ソーセージ入り、チ

ョコ入りといろいろな物を売っている。形はそれぞれに違うが外側からじゃ何が入ってる

か分からない。日本の中華まんに似た形をしてたので肉が入ってるのかもと思い買おうと

したら、「チョコだ」と言われた。

 フェリーターミナルの中に入って見る。駅のような作りだ。キオスクでロシア語が書

かれた何かのケースを購入。国際免許を入れるのに丁度いいかと思ったが小さすぎた。よ

く見たらパスポートと書いてある。早速パスポートを入れる。なんとピッタリ。国際標準

規格だったのか?

このまま海側を北上してポロナイスクに行こうと思ったが、先ほどの自転車青年から、

その方面の道は酷く悪く、水没寸前だったことを聞いたので、一度ユジノサハリンスクに

戻り、比較的道のいいオホーツク側を通ることにする。

街外れでオクタン値 96のガソリンを給油。これなら問題なし。快適に峠を越える。途中

でホテルで別れた自転車青年を発見。手を振って抜き去る。

アニワの分岐点で検問に止められる。何度か検問は通過したが、実際に止められるのは

初めてだ。とりあえずパスポート、イミグレーションカード、国際免許証、通行許可証を

見せる。それでも何かが足りないと言っている。

仕方がないので、ありったけの書類を見せる。これは見せなくてもいいだろうと思って

よけた書類を「それも見せろ」というので見せてやったら笑われた。そりゃあ、そうだ。

ロシア語の日常会話を書いただけの紙だもの。

緊張した場に、いきなり「おはようございます」とか、「こんなちは」とか、「ピロシキ

を下さい」って書いた紙を出しても、笑われるしかねーよな。

「ラチがあかないので事務所に来い」と言われ中に入る。先ほど取り調べをしていた若

い警官が責任者クラスと思われる男に何か言っている。

想像するに7月で正式な通行証が廃止されたことを周知していず、若造は「親分、こい

つ正式な通行証を持ってませんぜ」とでも進言してるのだろう。

責任者クラスが、「お前、あれは先月廃止されたからいいんだよ」と言い(想像)、その

後釈放された。展開から見て想像通りのやり取りがあったんだろう。

ユジノサハリンスクに戻ると既に 1時だった。確か今日は 350㎞くらい走らなきゃなら

ない日なんだよなー、先を急がなきゃならないんだよなーと思いながらも、バザールを見

てると1時間が過ぎていた。ちよっとゆっくりし過ぎ!

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 ニワトリを見ていたら「買って行かないかい」と言われた。旅行者に売ってどうする?

真ん中のスタイルのいい女を撮ろうと思ったら、パラソルに邪魔された。

 街外れでKDXと携行タンクにガソリンを入れる。給油方法は窓口で希望の数量を言い、

あらかじめ金を払う。次に給油機械のボタンを押すとガソリンが出てくる。ただし、その

ボタンがあったりなかったりでまちまち。

最初に言ったリッター数が入った時点で止まる。基本的にセルフだが場所によっては係

員がいることもある。要領をつかむまで迷う。

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ドリンスクまで 36㎞! ポロナイスクはさらにずーっと先!

 舗装がよく問題なくドリンスクに到着。駅前で例のバーベキューを焼いていたので遅い

昼飯代わりに食おうと思いバイクを止める。すると、ラリった目をした中学生くらいのガ

キが何かを言いながら寄ってくる。不気味なので場所を変えて止めたが、また寄ってくる。

頼むからバイクに興味があるなら、せめて微笑みながら寄って来いよ!

 くそっ、朝ピロシキ一個食ったきり何も食ってないのに落ち着いて飯も食えねぇ!仕方

なく止まらずにドリンスクを後にする。勘弁してよ、もう!

■ドリンスク〔Dolinsk(旧称 : 落合 / おちあい)〕

人口 1万 6000人。かつて、アイヌ民族の村「シャンチャ(シアンチャ)」がありました。「シアン」は「一番大きな川」、「チャ」は「川の岸」を意味するといいます。1884年ロシア人の村ができ、最初は「シアンツイ」と呼ばれました。

その後、ロシア監獄総局の M.ガルキン=プラスキー局長の名に因んでガルキノ・プラスコエと改名されました。現在の名前になったのは、1946年のことで、幅広い川沿いの底地(ロシア語で「ドリナ」)に位置することから名づけられました。

パルプ・製紙工場の一大中心地で、州最大のパルプ・製紙工場があります。製品の主要な

部分はコルサコフのダンボール工場に行きます。

                            稚内市ホームページより

 製紙工場を眺める橋を渡り、鉄道を横に確認しながら進む。ノグリキまで鉄道が通ってい

るから、線路があるということは道が正しいと言う証だ。

 しばらく行くと、小さな集落にキオスクを発見。食えそうな物は売ってないからジュー

スだけ購入。俺が買い終わると店のネェちゃんは鍵を閉め男の車でどこかへ行ちまった。

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 10分ほどそこにいたが、子供や近所の人が何人も買いに来ては、いないとわかると向か

いの別のキオスクに行ってしまった。割と流行りの店だったんだな!

 とりあえず集落の人たちは遠巻きに俺を見て、近寄っては来ない。声を掛けられること

もない。放ったらかされるのって、こんなに気楽なものなのか。サハリンって癒されない

よな。

 一休みして走りだすと広いダートに変わった。辺り一面牧草地帯で牛が放牧されている。

のどかな風景が広がり、小さな集落に着いた。道は二手に分かれている。線路を越えて坂

を上るとアパート群に着いた。そして行き止まり。

 引き返して真っ直ぐ行く。道路端に家が建ち、羊が放し飼いにされている。集落がなく

なると道が酷くなり、進むに連れて泥沼に変わる。

 「こんな道が永遠に続くのか!」とギョッとする。線路が見えなくなっていることに気

付き分岐点に引き返す。分岐点の近くに閉鎖された駅が見える。どうもおかしい。

 少し戻り、バスを待つ人に、「Does the field continue in Poronaisk?(この道はポロナイスクに続いていますか)」と聞いてみる。「ポロナイスクには続いてない。ドリンスクまで戻

れ」と言われる。どうやら間違えてブイコフに来たらしい。時間がないのに痛恨のミス!

Uターンしようとして猛スピードで走ってくる車にぶつかりそうになる。窓が開き、「危

ねぇなぁ、どこ見て走ってるんだよ」と怒鳴られる。ロシア語だけど、多分こう言う状況

なら、こう言われたんだろう。

 ドリンスクに戻り再び道を聞く。正解は「橋を渡らずに真っ直ぐに進む」だった。大き

な街以外町名の表示看板はロシア語が多いので、自分がどこにいるかすら分からない事が

多い。行き当たりばったりとはこのことだ。しばらくすると海岸線に抜けた。快適な舗装

路で 100㎞平均で飛ばす。

 

 ウズモーリェ市街を過ぎたところで快適な道が終わり、片側 3車線くらいありそうな壮

大なダートに変わる。フラットなので 100㎞ペースの走行が可能だが土埃が凄い。

 車が前を走っていると何も見えなくなるので十分注意しながら一気に抜き去る。100㎞以

上も出せるダートでなんて日本では考えられない。

しかし、いくら飛ばしても集落に着く気配がない。時間は既に6時。もっと早く出発す

るべきだったと後悔した。

意外と燃費が良く 200㎞以上走れたがタンクは空に近い。路肩に止めて 5㍑携行缶から

給油する。この区間とノグリキ~オハは 300㎞以上スタンドがないため、満タンで 200㎞

程度しか走れないKDXの必需品だ。

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 オホーツク海。ポロナイスクは海の向こう側!はるか遠くのガンダーラ! 関係ないけど、ガンダ

ーラと神田川って似てると思わん?

 ダート天国。約 200㎞以上スタンドがない。ガス欠のため携行缶から給油。

  日本時代に掛けられた橋を渡るとマカロフだ。大東亜戦争か終わってから 63年。それ以前に掛

けられたものだから、ざっと70年近く前の橋。大丈夫か?

ようやっとマカロフに着いた。日本時代の橋の近くに止めているとロシア人が寄ってき

た。例のごとく腰の辺りでOKマークを作っている。「いくらするんだ」か、「売ってくれ」

と言ってるのだろう。ウザイのでトムとジェリーのように大袈裟に「I Don’t No!」の

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ポーズをとる。

ジェリーのいとこのオムツをはいたネズミの名前が思い出せない。そんなことはどうで

もいい。マカロフで給油し、ポロナイスクまで全開を決める。

ポロナイスクにたどり着くと既に9時近かった。陽の長いサハリンも闇に包まれる時間

だ。今日のホテル Administratsia Gorodaを探さなきゃならない。ロシアのホテルは「HOTEL」とは書いてないし看板もない。毎日探すのに苦労する。とりあえず街の中心と思

われる場所に移動する。

暗闇の向こうから二人のロシア人のオバサンがやってきて、「ホテルはそこだよ」と言わ

れ案内される。以心伝心か? と思ったが実は二人はホテルの従業員で、余りにも遅いの

で探していたらしい。

 ホテルの従業員(オーナー?)ご迷惑かけました。

「他に日本人が泊まってるよ。そいつらに駐車場の場所を聞きな」と言われるが、パク

リさん達は飯でも食いに行ったようで不在。「地図を書いてよ」と紙を手渡すと「ついて来

な」と言われ案内される。そこは道路から離れて死角になった場所で、説明されてもとう

てい分からないような場所だった。

ホテルの従業員は夜間常駐していず、アパートのように客がホテルの玄関の戸締りをす

るシステムになっていた。今日はピロシキ一個しか食っていず腹が限界だ。街に出て食料

を探す。

パブらしきものがあり派手な音楽が鳴っているが、今は酒よりも飯だ。(実はそこはレス

トランで、ロシアのレストランは夜はパブになることを忘れていた)

その近くのマガズィーンに行くが食べられそうなものがない。中央に建ち並ぶアパート

群を遠回りして反対側の店に行く。昨日食べた鳥のレッグが売っていたので二本購入。冷

えたビールが欲しかったが、開いているマガズィーンやキオスクをすべてまわっても常温

保存のものしか売っていず諦める。思わぬところで休肝日だ。

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ホテルに戻ると内側から鍵が掛けられていた。「勘弁してよ、もう!」と思い、パンクの

ノリのごとくノック! 泊り客のロシア人男が出てきて「お前は誰だ?」と言う。背後の

女が「日本人が一人、帰ってこないって言ってたよ」と言い、ドアが開けられた。ある程

度言っていることが分かるのに言葉が出てこないって言うのはもどかしい。

やっぱ、大学時代にちゃんとロシア語を習っておくべきだった! って言ってもあの当

時、今日この日が訪れるなんて思わなかったもんな。

中に入って第二関門。部屋の

鍵が開かない。実は焦っていて

違う穴に入れてたんだけど、

様子を気付いたパクリさんに

開けて貰った。やれやれ。

ホテルは入り口とバス・トイ

レを共有し中で二つの部屋に

分かれているという変わり者。

でも凄く綺麗で手入れも行き

届いてる感じがする。とても半分廃墟とは思えない。水シャワーが多いサハリンの中で、

何と給湯器つき!

かつて俺が大学 4年間を過ごした青森の「葉月荘」よりもゴージャスぢゃないか!と思

い、久々のお湯のシャワーを堪能しようとしたが、故障してて今日も水だった。

ホテルの給湯器。「この役立た

ず!」

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ポロナイスク〔Polonaisk(旧称 : 敷香 / しすか)〕

人口 2万 5000人。ポロナイ川の河口の都市。町の名前は、言うまでもなく、この川の名か

らとられたものですが、「ポロナイ」はアイヌ語で「大きな川」を意味しています

旧王子製紙の大きなパルプ・製紙工場と木材コンビナート、漁業コルホーズ、毛皮獣ソホ

ーズがあります。港は河口にあります。主として木材の積み出しに使われているものの、

港の出入りには河口の浅瀬を通らなねばならず、大型の貨物船の場合は沖合いに停泊して、

港との間を小型船が行き来して荷物の積み降ろしを行っています

ユジノサハリンスクより鉄道で約 7時間(288km)です

�日本との関係

1)、北海道・北見市と友好都市(1972年 8月 13日)

2)、平成 4年に残留韓国人の方々によって建立された日本人共同慰霊碑があります

稚内市ホームページより

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8月 11日 「漂流大地」

 明るい陽射しで目覚める。窓を開け部屋にこもったタバコ臭さを換気する。そういえば、

この部屋に灰皿はなかったけど、もしかしたら禁煙だったのか?

 窓の外には鉄格子。防犯のためサハリンのアパートなどは一階の窓に鉄格子がはめられ

ている。犯罪が多いのか、他人を信用できないのか、お国柄の違いを感じる。しかし、肝

心のドアの鍵は軽く針金でピッキングできそうなほどチャチだ。結構マヌケ!

 感心したのは、鉄格子が鉄棒一直線ではなく幾何学的に曲げられ、外観を損ねないよう

に工夫されている点だ。

 仕事柄、精神病院の閉鎖病棟に出向くことがあるが、ああいう場所にもこんな遊び心が

あるとイメージが変わるかも知れない。

 パクリさんと BAKUさんは既にバイクを取りに行ったようだ。俺も遅れて取りに行く。

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改めて見ると、舗装された道路は穴だらけで、そこに水がたまって池のようになっている。

 かつてのロシア(旧ソビエト)は冷戦時代、アメリカと東西を二分する軍事大国で、今

も宇宙船を飛ばす経済力と科学力があるはずなのに、実際のところ低い文化水準で街の舗

装すら補えていない。

 極度に情報公開や外国人の入国を拒んでいた背景には、見栄の裏の現実を隠そうとして

いたからなのだろうか。

 ホテルAdministratsia Goroda 見るからに廃墟。実際、一階部分しか使われてなかった。

  その車、どうやって上にのっけたんだ?     車やバイクの残骸が散らばる駐車場。

先に準備を終えた二人を見送りゆっくりと出発。サハリンに「観光地」なんて気の効い

たものはないから、市役所の前で開かれているバザールをちよっとだけ眺めて出発。

街の入り口にスタンドがあることを思い出し行って見るが、オクタン値 92は品切れだと

言われた。粗悪なガソリンを入れると後が怖いので次の街まで行くことにする。

ノグリキへ向かうらしき道を発見。確証がないので池でトラックを洗ってる兄ちゃんに

聞こうと思いバイクを止めたが、違う道からパクリさんと BAKUさんが出てきたので「こ

の道でいいのかなぁ」と聞いてみる。ついでに違うスタンドにオクタン値 92があったこと

を聞き、そのスタンドを目指す。

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いい具合に汚れてきた。写真を撮っているとガキが寄ってきたそうなそぶりだったが、母親に止め

られていた。

いつものようにKDXと携行缶に給油。コンテナを見ると油が漏れている。どうやら

一緒に入れていたエンジンオイルの缶が激走により割れたようだ。もう一本のオイルは無

事だったが、バイクに残ってる分で十分持ちそうだ。

 邪魔だから捨てようかと思っているところに、オヤジと一緒にトラックに乗ったガキが

俺に近づいてきた。よし、こいつにプレゼントしよう。

「This is the engine oil of the motorcycle for 2 stroke. Present For you.(これは 2ストロー

ク用のモーターサイクルのエンジンオイルだ。お前にプレゼントする)」「何に使えるのか」

と聞くので、「2ストロークのマシーンだ。チェーンソーでも芝刈り機でもいい」と答えた。

多分通じてないだろう。

オヤジは「いいもの貰った!有難う」と喜んで俺に握手を求めた。トラックやオヤジか

ら魚の匂いがした。漁業関係者なのだろう。

喜んで持っていったのはいいが、何度も言うけど 2ストロークのマシーン用だよ。車に

使っちゃ駄目だよ。…..伝わってないだろうなぁ。彼の車が故障したら俺のせいだな。

 思えば、ずっとロシアではあまり通じない英語を使ってるけど、ロシア語しか分からな

い奴に話し掛けるなら、日本語でも韓国語でもスワヒリ語でもいいわけだよな。今度から

積極的に知ってる外国語を並べて見ようかな? って言うほど知らないけど。

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 そうこうしている間に軽く一

時間が経過。スタンドだけで今

日一日を終えるわけにはいかな

いのでポロナイスクを後にする。

 口をバンダナで覆い、相変わ

らず土埃を舞い上がらせて 100

~120㎞で激走。

途中道が湿地になり、川なの

か巨大な水溜りなのか分からな

い迂回路が出現。

結構浅いが泥にタイヤを取られないように水の中を横切る。川渡りよりも板切れを掛け

ただけのような簡易橋を渡る方がスリリング。6輪トラックや4駆なら大丈夫そうだけど、

オンロードバイクや乗用車は無理そう。これでも主要道路なんだから凄い!

舗装されてないどころか北へ向かうほどモトクロスコースっぽくなってきた。結構楽しい!

 川を渡りきると道幅は狭くなったが再び快適に走れるダートになる。相変わらず飛ばし

ていると目の前を牛が横切る。停車して牛の横断を待つ。なんだか北海道っぽい。しばら

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く走り出してガタンと言う音とともに荷物が倒れる。

 バイクを止めて見てみると自作で付けたキャリアのステー(取付金具)が折れていた。

日本では問題なかったが、この荒地を猛スピードで走ったことにより負荷が大きかったよ

うだ。もっとも約 5kgの荷物をつけて跳ね回ってるんだからキャリアの負担は相当なもの

だったろう。

 近くでボーッとしていたオヤジが「手伝おうか」と言って寄ってきたが断った。応急処

置と荷物位置をずらことで解決する。

 そこいらにいる牛。MEG-MILKは巨

乳アイドル「MEGUMI」の乳のことでは

ない。騙されるなよ、若者!

 ようやっとスミリヌイフの街に到着。街の手前に踏み切りがあり警報機が鳴っている。

列車の写真でも撮ろうと思い線路端にKDXを止める。

 しかしいくら待っても列車は来ない。結局休憩を兼ねて 10分くらいはそこにいたが、列

車は来なかった。壊れてたのか?

 スミリヌイフを過ぎると再び集落のない道を進む。凄いと思うのは集落から何十キロも

離れているにもかかわらず、林の中に人がいたり小学生らしいガキが歩いていることだ。

この辺のガキは、平気で何十キロもあるくことが出来る健脚揃いなんだろう。

 「もうすぐ北緯 50度の碑がある筈だよな」と気にしながら走る。左端に何か記念碑が見

えた。近寄って見ると「日ソ平和友好の碑」とある。日本語で書かれているにもかかわら

ず違和感がないのが不思議だ。その他この界隈にはあらゆる記念碑が点在していた。

 

 北緯 50度はかつての日本とソビエトの国土境界線。これ以北は生粋のロシアと言える。

日ソ平和友好の碑からさらに進み、オノールに入る。オノールに着いたってことは北緯 50

度線の碑を通り越しちゃったってこと? やっちまった!

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 日ソ平和友好の碑。我慢できなくて裏の林でションベンしちゃった。(赤裸々告白)

時間は午後 1時。金があるのに何も食べられない旅にして初めてカフェに入る。何を頼

んでいいか分からないので、「Give the one which is the same as the table there.(そこのテーブルと同じ物をくれ)」と言う。通じたのかどうか分からないが、同じメニューが出てきた。

ちなみに出てきたのはボルシチ。ピロシキ以外、初めて味わうロシア料理だった。

この食文化ってやつはとても厄介だ。ご飯に味

噌汁、納豆、豆腐、刺身にお茶漬けと言う純和風

料理中心の俺に、脂っこい料理はかなりキツイ。

現に日常でもてんぷらや油物は食べない。食文化

の国タイや韓国に行ったときすら全然飯が食え

ずチャーハンかハンバーガーを食っていたほど。

93年に韓国の鉄鋼会社から1年間日本語を教える仕事が舞い込んだときも「語学に自信

がない」って言うのと同じくらい「食文化についていけない」と言う理由で断った。

でも初めて口にするボルシチは、まろやかで癖がなく俺の口にも合った。主食のパン、

スープ、おかず(ポテト&エッグ)と言った3点セットも、くどさがなくなかなかいける。

外を見ると少年が一生懸命食事客の白いジープを洗っていた。まだ 12歳位だろう。カフ

ェ専属のバイトなのだろうか。客に失礼のないように黒のジャケットでめかし込んでいる。

彼を写真に撮ろうとしたがやめた。

一仕事を終えて疲れ切った表情でカフェの壁に横たわる少年の格好をよく見るとジャケ

ットやパンツは擦り切れ、靴は穴が開き、彼同様ボロボロだった。

北部タイのメーサイでもそうだった。ミャンマー国境近くで、山岳民族の衣装を纏った

少女に流暢な日本語で「写真撮って」と声を掛けられた。モデル料は 10バーツだと言う。

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約 50円だ。

「ジャンケンして勝ったらね」と言い、やってみたら俺が勝ってしまった。結局写真は

撮らず 50バーツも渡さなかった。山岳民族の少女に日本語で「けちんぼ」罵られた。誰だ

よ、こんな日本語教えたのは!

たかだか 10歳程度の子供が働く。そうしていかなければ生きて行けないと言う背景があ

る。愛敬を振りまきボロなお洒落で車を磨く少年、民族衣装を纏い日本語を操る少女。何

か同じ境遇を感じる。

この子は生きるためにここにいて俺は物見悠山。社会に出る、働くと言うことが嫌で大

学に逃げ込んだ俺と生活のために働く子供達。こう言うシーンに出くわすと自分の「お気

楽さと甘え」が恥ずかしくなる。スタンドに行くと、やはり子供が働いていた。そこで給

油し、再び北上する。

嫌な雲が広がっていたと思ったら降り出してきた。最初は土埃が立たなくていいやと、

呑気に走っていたが、本降りになってきたので雨宿りできそうな場所に避難する。

  雨宿り中。向かいで店らしきものを作っていた。   これが通り越してしまった北緯 50度の碑

 同じように雨宿りをしていた青年が話し掛けてきた。例のごとく腰のところで指でOK

マークを作っている。「いくらするのか」か「売ってくれ」のどちらかだろう。

しかし日本で外国人を見かけたからと言って、いきなり日本語で話し掛ける奴はいない。

ロシア人は相手がロシア語をはなせようが分からなかろうが、お構いなしに話し掛けてく

る。まったくフレンドリーな奴らだ。

残念ながら何を言ってるのか分からないので、「I Don’t know」のポーズを取る。そうこうしているうちにロシア製のバイクにタンデムした奴らが来た。俺のバイクの隣に止めて

メーターを覗き込んでる。何 km出るか知りたいんだろう。メーターは 140㎞まで刻まれ

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てるけど、実際は 120㎞くらいしか出ない。

「お前のバイクは何 km出るんだい?」と思い、ロシア製バイクを見ると 140㎞。あら

ら、でもメーターが 180度回転しちゃって前後逆だよ。「逆さまじゃーん」と言うリアクシ

ョンをすると笑っていた。

日露バイク談義でもしたいところだが、ここに泊まって行くわけにも行かないので出発。

雨はかなり強く降っている。

荒れた道に強い雨。シールドに着いた土埃が雨に濡れ視界ゼロの恐怖の世界。ヘルメッ

トにもワイパーとウオッシャー液が欲しい。

そんな状況にもかかわらず相変わらず飛ばしていると、遥か前方に二台のバイクを確認。

その差が縮まり、それがオフロードバイクと分かる。ロシアにオフロードバイクは皆無だ

から日本人だろう。釣竿を付けたバイクなんてそうはいない。パクリさんと BAKUさんだ。

なんと追いついた。 俺を確認した BAKUさんの手が伸び、シヤッターが切られる。

BAKUさん撮影「バイクに乗ったロボコン」

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 チンケな集落が見え、バイクを

停める。パクリさんも北緯 50度を

越えたのは初めてなので、「ここ、

どこかな」と言っている。

  

 とりあえずタバコを一服。禁煙

している BAKUさんはたまにしか

吸わない。

 ロシア人の女性は皆小奇麗な格

好をしている。例え、こんな泥沼

のような水溜りが出来る道でも、土埃を被ることを分かっていてもレザーのコートに身を

纏いパンプスで歩く。スカートに泥が跳ねないのか?

  

上の写真はBAKUさんとロボコン。下段は

ガンツ先生(パクリさん)に0点をもらったロ

ボコン。Tシャツにトレーナー、綿入りのツナ

ギの上に厚手のジャケット、腹回りにウエス

トバッグと言う格好のため滅茶苦茶着膨れ

してる。

 

 

遠巻きに俺達を見ていた子供。結局寄って

こなかった。何で子供って水溜りに入りた

がるのかな? 「ママ、許しませんよ!」

ちよっと暗くなってきたので道を急ぐ。ティモフスコエの検問で止められる。詰所に呼ば

れ、時間はかかったが、パスポートなどの重要書類を見せて穏便に通過。雨はさらに激し

くなってきた。

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 アレクサンドロコフ-サハリンスキーの手前でまたまた検問。またまた詰所に呼ばれた。すぐに釈放と思ったが、今回は異常にしつこい。何かがないと言っているが、何を言って

いるのか分からない。

寒さで全身が震える。BAKUさんは詰所のストーブで暖を取っていた。パクリさんもお

手上げな顔だ。悪戯に時間が過ぎていく。ナンバーを控えているようだ。おい、ナンバー

が泥で見えないからって足で拭うなよ。ちゃんと見てたぞ。

 

 英語は通じないと言われてはいるが、何とかしようと思い「We stay in Aleksandrovsk-Sakhalinsky on the One Night. It goes to Nogliki tomorrow.(俺たちは今晩アレクサンドロフスク-サハリンスキーに泊まり、明日ノグリキに行く)」と言う。何か通じたような感じ。 警官の一人がどこかに電話し、何かを確認している。時計を見ると6時近かった。それ

にしても寒い。わざわざこんな日に止めなくてもいいじゃないか! 参っちゃうよね。

震えていると、警官の一人が肩を震わす姿で「Korudo」と言う。なんのこっちゃと思い、よく聞くと「cold」と言っている。何だ、中学校一年生程度の英語は分かるのか。いい感じに砕けてきたじゃないか。釈放も近いな。

 予想通り、その後開放され警官の見守る中、再出発する。あと僅かな道のりのはずが異

様に長く感じる。燃料は空に近くなってきた。ぬかるみの峠を慎重に走る。

アレクサンドロフスク-サハリンスキーはかつての州都だと言うが、本当に州都だったの

か? と疑いたくなるほど最寄の街ティモフスコエよりも遥かに離れているし道も悪い。

ほとんど岩手の夏油温泉にでも向かっている気分。もっともこの先に快適な温泉など待っ

ていないところが大違い。

 

 なんとか街に着きホテルを探す。道行く親父に聞いてみたが言葉が通じない。パクリさ

んが「街の中心地はもっと先じゃないか」と言い、坂道を登る。

 後方ではさっき道を聞いた親父が何か叫んでいたが、情報を得られそうもないので無視

して走り去る。

 街の中心地らしい場所に着き、バイクを停めた。ガイドにはホテルの名前はないと書い

てあったが、バウチャーには「ホテル・トリブラータ」と書いてあった。

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 市街地で。風呂入りたいと思っている。

「どこかなー」などと話していると、セダンに乗った四人の若いロシア人にからまれる。

なんかヤバそうな雰囲気だ。運良く警官が通りかかり追っ払ってくれた。

ちょうどいいので、ホテル・トリブラータを聞く。考えながら地図を書いてくれる。そ

れを見ると橋を越えて海に向かうようなことが書いてある。

さて行くか、と用意をしていると「ホテルはこっちだよ」と違う場所に案内される。そ

こはカフェの二階で、広々とした部屋にベッドが三つ。シャワー設備も綺麗だ。

「こりゃあいいや」と思い、念を押して「ここがホテル・トリブラータなんだね」と聞

くと、カフェ・トリブラータだと言う。なんか微妙に違う。

「違う、違う、俺が行きたいのはホテル・トリブラータだよ」と言うと、海を指差す。

見ると晴れていれば綺麗だろうと思う海岸と三つの奇岩。なるほど、ホテルなんて風光明

媚なところに建ってるもんだよな。俺は何故か今宵伊勢海老で一杯やっている自分を想像

した。

         

「で、どうやって行くのさ」と聞くと、「ついて来い」と言って車で先導してくれた。俺

が先頭になり走り出す。先頭を走ってもいいが、自分自身すら汚すKDXの吐くオイルで

後続車が迷惑ではないかと心配。

 道路は深い穴だらけで幾つも水溜りが出来ている。ひどいものになるとドップリ埋まる

くらい激しい。すでにビショビショだから、どんなに濡れようとかまわない。先導車が止

まる。そして警官が言った。「ここがトリブラータだ!」

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 心に波打つこの刺激

 着いたところはただの海。このときの心境を音にすると「ザブーン」何これ? お前は

でたらめ君か? それとも警官を装っているだけでは…はたまた海の家でもあるのか?

心の中に再びザブーン。何故か後の二人は呑気に写真なんか撮っている。何なんだ! 誰

かこの状況を説明してくれよ!

【パクリさんのホームページより】

さすがに大きい街で今夜泊まるホテル「トリ ブラータ」の場所がわからない。悪魔ラ

イダーさんが人に聞いている。そのうち警察の車が先導してくれて連れて行ってくれるこ

とになった。

 最初に到着したのはカフェ「トリ ブラータ」。一応、宿泊もできるようになっているら

しいが俺たちが泊まるのはここでは無いらしい。

 また悪魔ライダーさんが警察と聞いている。必死にホテル「トリ ブラータ」って言っ

てるけど、「ホテル」じゃ通じないよって言ってたら通じたらしい。

 またまた警察の先導で移動。だんだん街外れになってきてこれはホテルじゃなくてトリ

ブラータ(3兄弟の岩)に向かっているなと内心思う。面白いからこのまま付いて行けと付

いて行ったら、やっぱり到着したのは・・・・

アレクサンドロフスクの名所「トリ

ブラータ」3兄弟の岩。

 俺は爆笑。BAKUさんもわかって

いたみたいで写真を撮ってる。悪魔ラ

イダーさんだけわかっていなかった

みたいだ。そのあと警察の先導で本当

のホテル「トリ ブラータ」へ到着。

昔ながらのロシア風ホテルといった

建物で最初のカフェのそばだった。

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ま、そう言うわけだ。

本来のホテルになんとかチェックイン。バイクはロビーに入れてもいいと言われ、管理

人にドアの杭を抜いてもらい四段ほどある階段を三人がかりで押して中まで入れる。KD

Xは3台の中でも一番軽く、ハンドル切れ角もあるので難なく入った。

激しい走行だつたのでドロドロで申し訳なかったが、ちよっと拭いただけでは全然綺麗

にならなかった。

BAKUさんが、「傘持ってこなかったよ。そこのマガズィーンで売ってないかな」と言うと、パクリさんが「傘なんてロシアで持つとも喜ばれるお土産だよ。簡単に手に入るんな

ら、皆挿してるだろう」と言う。見渡すとあまり傘を射している人はいない。

どうせ明日も汚れることは分かっていたが、部屋に入ってドロドロの荷物を洗う。口の

中もジャリジャリ言ってる。相変わらずの水シャワー、テレビなし、トイレに便器もなし

の正統派ロシア流のホテルだ。何故か鏡台が置いてある。こんなものいらねーよ

 フロントを引き、リアを押して上げる        ロビー保管で安心

シャワーを浴びると、すでに 8時半を回っていたので二人を食事に誘う。フロ

ントで聞くと、一軒だけカフェがあると

言う。そこに管理人が連れて行ってくれ

た。途中の家を指差し、「ここに日本人

が住んでいるよ」と言っていたらしい。

連れて行ってもらったカフェは、さっ

き警官に連れて行ってもらった「カフ

ェ・トリブラータ」だった。しかし、今日はやってないと言う。管理人のオヤジに他に店

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はないのかと聞くと、ホテル前のマガズィーンに連れて行かれ、「他の店はないから、ここ

で何か買いな」と言われる。今日もろくな飯にありつけなかった。もちろん伊勢海老なん

て無理!

カップラーメン(ロシア語でもラーメンと言う)とハム、ビール4本を買う。あとは3

人で違うものを買って適当に回し食いをしようと言うことになった。BAKUさんはキャビ

アを欲しがっていたが、残念ながら店には売っていなかった。

相変わらずビールは冷えた物が売っていないが、何故かパクリさんの部屋だけ冷蔵庫が

設置されていたので冷やしてもらう。

BAKUさんの部屋に集まり、初めて三人で会食。二人ともキャンピングコンロを持って

いたので、お湯を分けてもらいラーメンを作る。

ロシアで売っているカップラーメンは韓国製で容器は焼きそばのように四角い。味はポ

ークとビーフの二種類。噂だともう一種類あるらしいが、日本のように多種多様にはない。

味は袋入り即席麺に近い。日本のカップラーメンを輸入販売したら売れるんじゃないか?

ただし金額的な問題がネックになりそうだけど。日本で売っている高級カップラーメンを

買うくらいなら、カフェでちゃんとしたものを食っても釣りが来る。案外、お土産に持っ

て行くと喜ばれるかも。

明日、二人は約 450kmを走りきり北の地「オハ」へ、俺はノグリキで一泊してオハへ向

かう。二人はオハに二泊するのでオハで再開することになる。厳しい道のりになりそうだ。

オハで再会したときには豪勢にやろうと言い、明日の早い時間の出発を決意する。

アレクサンドロフスク・サハリンスキー〔Aleksandrovsk-Sakhalinskiy〕

アレクサンドロフスク・サハリンスキーはタタール海峡(間宮海峡)に臨む人口約 20000人の港町です。帝政ロシア時代の末期に反ロマノフ王朝の政治犯たち約 30000 人がここに送られ、1883年に生まれた町です100年ほど前には文豪 A.チェーホフがモスクワから鉄道・船・馬車を乗り継いで 9000キロ余りの旅に挑み、アレクサンドロフスクに 3 ヶ月滞在、流刑囚の実情を調べています。ツアーリ時代からスターリン時代にかけて、囚人たちには辺境の地獄といった所でもあった

が、今、スターリン時代の見直しで銃殺地の跡を掘り返し、遺骨の収集が行われています

また、ここは日露戦争後、南北に分ける日露談判の地でもありました

北サハリン西海岸では最大の町ですが、古い北辺の寒村といった印象が強く、港は遠浅で

大型船が接岸できず、艀のお世話になっています

しかし、丘に開けた現在の町並みは静かながらも明るさがいっぱいで、過去の悲惨な面影

は少しも感じられません

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チェーホフ 100周年を記念して、彼が滞在した家の改修工事が行われ「チェーホフ記念館」として、現在、チェーホフの関連資料を展示しています

稚内市ホームページより

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8月 12日 「参っちゃうよね」

   

ホテル・トリブラータとチェーホフ像        閑散とした街並み

朝7時半にバイクをロビーから下ろす。雨は上がったが、昨日の雨で道がドロドロなの

が容易に想像できる。ノグリキ~オハ間は何も情報がなく激しい荒地の可能性が大きい。

一番雨が降ってはならないところで降られてしまった。

パッキングをしているとロシア人が集まってきた。三台並んでるのに何故か俺のバイク

ばかりに集まってくる。昨日もラリった目のばあさんが何か言いながら寄ってきた。ただ

ならぬ雰囲気に追い払ったが、実際何を言ってたんだろう。「何かくれ」か、「私を買って」

か? どちらにしても嫌なこった。

緑色のバイクは虫が寄りやすいと言うが、ロシア人も同じ。エンジンを覗き込んで何か

言っている。水冷エンジンのバイクが珍しいのか、色合いが綺麗だからなのか、ラスカル

のステッカーを貼っているからなのか?

出発の朝 

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 例のごとくパクリ、BAKU、俺の編成で走る。しかし、先頭を走るパクリさんの様子が

おかしい。道を間違ったようだ。それじゃあ、またトブラータに行っちゃうよ。俺が道を

覚えてたので、サポートしながら市街地を脱出。

 昨日通った道をティモフスコエまで戻る。案の定道はドロドロでテカテカ。千鳥走行を

するが、BAKUさんが跳ねた泥を被る。途中、BAKUさんが止まったのでトラブルかと思

ったが、「ションベンするから、先に行ってて」と言われ、そのまま走る。

 しばらく進むと先頭のパクリさんが停車す

る。BAKUさんの事情を知らせ、しばしの休憩。

そばの沼で手を洗う。今時オタマジャクシがウ

ジャウジャいた。いつカエルになるんだ?

 

 用事を終えた BAKUさんが猛スピードで突

っ込んできた。滑りながら止まる。パクリさん

が、「いくらリアをロックさせて流しても良い

から他人の迷惑にならないところでやれ」とちょっとキレル。

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無事ティモフスコエに戻りひとまず給油。この後、俺にはこの旅一番のマッタリした時

間が、二人には過酷な行程が待っている。

 スタンドにて。自分に入れるガソリンを買うロボコン。

 朝飯を食っていなかったのでマガズィーンに寄る。しかし、たいしたものが売っていず

オレンジジュースを一本だけ購入。

 しかし、どこの店も利尻島並かそれ以上に物が売っていないけど、みんなどこで買い物

をしてるんだろう?

  昨日止められた検問も今日はフリーパス。    タバコを吸うガキ。大人はしらんぷり。

 ノグリキまでの道のりは思いの他遠く、いくら走っても民家もない。時々現れる泥の塊

にタイヤを滑らせながら、全員転倒せず小さな集落に到着。遠巻きに見ていたガキどもが

集まってきた。

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ズボンに本をはさんでいるガキは、アニメ「キョロちゃん」に登場したキャラクター「ミッケンくん」!

チャリンコのガキは将来マフィアのボスになりそうな気がする。やはりみんな俺のバイクに集まっ

てくる。

 最初は遠巻きに見ていたが、人数が

集まるに連れ近寄ってきた。自転車に

乗っているガキに「お前もいいのに乗

ってるじゃねーか。日本ではこれのこ

とをチャリンコって呼ぶんだぞ。知っ

てて損はないぞ」と適当なことを教え

たり、ズボンに本を突っ込んでいるガ

キに、「その本は何だい? 君はミッ

ケン君か?」と尋ねて遊ぶ。もちろん全然通じていない。

 「ガキども集まれ、写真撮るぞ」と言って俺のバイクを前に集合写真を撮る。最後に、「今

日のことは宿題の絵日記に書くように。ちゃんと書けたら先生嬉しいぞー」と言って別れ

る。なんのこっちゃ?

 その集落を過ぎると人気は途絶え、時折泥にタイヤを取られながらノグリキへ向かう。

相変わらず都市間が長い。山間部に入り民家も見えない。気まぐれにお目見えする舗装路

にノグリキが近いことを期待するが、また泥道に変わる。

 こんな道では長時間集中力を維持するのが難しいので、バイクを止めて休憩。振り返る

と低い山並みが見える。

 「あそこを通ってきたんだな」と感傷深くパクリさんが言う。俺も同感だ。ソロツーリ

ングもいいが、同じ感覚を共有できる者がいると言うのもいいものだ。

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 三台のバイクはどれもドロドロだ。特に最後尾を走る俺のバイクは悲惨。カッパも泥だ

らけだ。パクリさんに「先頭走ってもいいよ」と言われるが、オイルを吐くのが気になる

ので遠慮する。

 振り返ると、遥か後方の山を越えてきたことを実感。      激しい走行でドロドロ

 さらに走り、舗装路に出くわ

す。今度はぬか喜びではなく本

当にノグリキに着いた。ほどな

くしてノグリキの街を示す石の

看板が見えた。

 ようやっと着いた。時間は 1

時を回っていた。二人はこの後

さらに北のオハを目指す。明日

の再会を約束してしばしの別れ

だ。

 早速恒例のホテル探しだ。ロシアのホテルは大体市役所の近くにあると言うが、それら

しき建物が見当たらない。街をまわりホテルを見つけたが、そこはホテル・ノグリキだっ

た。従業員にホテル・クバンを知らないか訪ねたが知らないと言う。パトカーが通りかか

ったので聞いてみると案内してくれた。

 

 パトカーが止まり、「ここだよ」と言われる。ホテル・クバンは街外れの教えてもらわな

けりゃ絶対に分からない場所にあった。おおよそペンションと言う感じで、マガズィーン

とくっついている。

 さっそくマガズィーンに入ると、オーナーらしいオバサンが出てきて受付を行う。ホテ

ルには裏口から入れと言う。

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 綺麗に整った庭を通りホテルに入る。ここは靴を脱いで入るようになっているようで、

カッパを脱ぎ、汚れた靴下も脱いでユジノの自由市場で買ったサンダルに履き替える。

 コンテナ類も汚いので、倉庫のような場所に置いてリュックだけを持って部屋に上がる。

ロシアでは珍しく、メイドが部屋まで案内してくれ、シーツやタオルを渡される。

 部屋はツインで、花が飾られたりインテリアが凝ってたりして洒落た雰囲気だ。今まで

一番いい感じだ。

 とりあえず、ドロドロなカッパとバイクを洗いたい。雑巾はどこかで落としてしまった

ので新しいタオルを買って、今使っているタオルを雑巾にしようと思い、マガジーンに売

っていないか聴いてみた。

 ここのオバサンもメイドもまったく英語が通じず、オバサンはメイドに「ちゃんとタオ

ルを渡したのかい?」と言い、メイドは俺に「さっきシーツと一緒に渡した中にタオルも

あるよ」と言う始末。あーもどかしい。言ってることが分かるのに言いたいことが伝わら

ない。

 仕方ないので、「じゃあバイクを洗うから、バケツと雑巾を貸してよ」とディスチャ―つ

きで言うと理解してくれた。バイクに貼ったラスカルのステッカーは伊達じゃない。カッ

パとヘルメットをアライグマのように洗う。ついでにバイクのシートやライト周りも洗う。

靴も洗いたかったが、乾きそうにないので諦める。

 洗濯が終わるとすでに3時。朝からのまず食わずだったので、滅茶苦茶腹が減っていた。

ホテルの中に気の効いたカフェがあったので、腹を叩きながら「オバサン腹減ったよ。何

か食わしてよ」と言う。しかも日本語で。

「ランチかい? 座って待ってな」と言われ、待つこと 10分。出て来たのはお馴染みの

ボルシチ。一気に平らげ、パンもお替りする。食後にコーヒーを頼んだはずなのに、いく

ら待っても来ない。またやり取りをするのが面倒だったので諦める。

ホテル・クバンのレストラン。小鳥が一杯飼われていた。

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部屋の中は禁煙で階段横に喫煙所がある。一服付けてるとメイドがやってきてタバコを

吸い始めた。「洗濯終わった?」と聞かれた。もちろんロシア語で。

不思議なことに海外一人旅をしていると一週間くらい目くらいで相手の言っていること

が、なんとなく分かるようになる。ついでに言えば外国語を覚える最高の方法は、その国

の女と付き合うといい。残念ながら今回の旅は、まるで女っ気がない。

遅ればせながらKDXで街に出る。靴はドロドロなのでサンダルで乗る。まず立ち寄っ

たのは靴屋。履き替えようの靴が欲しかった。

「東京靴流通センター」並の品揃えと言うわけにはいかず、なんとか履けたスニーカー

は一種類のみ。しかも 980ルーブルと高い。こんなことならユジノの自由市場で買えばよ

かった。しかし選べないなら仕方がない。早速買って履く。

次に目に付いたのは渓流釣り用の長靴。これで明日のオハまでの道も快適な足で過ごせ

る。380ルーブル。完璧だぜ! 後はビールとつまみを買えばいい。本当はカフェで一杯と

行きたいところだけど、ホテルから市街地まではえらく遠いし、治安も気になる。酔って

バイクに乗るのも嫌なので部屋飲みにする。

つまみはキャビアを買う。ビールはいつものヤツを4本。そして喉が渇いたのでコーラ

も。とりあえずマガズィーンでコーラ飲む。飲み残したコーラをしまおうとリュックを空

けたとたん、一本が転がり床に落ちた。

バリーン! 瓶が弾け飛ぶ。ああーあ勿体ない。店員に片付けてもらいもう一本購入。

再びリュック入れ、途中ガソリンを満タンにしてホテルに戻る。

ホテルまでの道は荒れていて、手前で道すべてを塞ぐ大きな水溜りがある。底がドロド

ロなので慎重に渡りきらなければエンジンが止まり足を着かなければならない。

行くときは成功したのに帰りは途中でエンジンストップ。足を着き、やむなく買ったば

かりのスニーカーを泥に下ろす。「だーっ! せっかくの新品スニーカーが!!」かなりシ

ョック!

ホテルに着き、また落としたら嫌だなと思い、静かにリュックを下ろす。あれっ! 手

が滑り今度はリュックごと落とす。「ボン!」

やった! なんと4本中3本が粉々。「またかよー! 勘弁してよ、もう!」リュックの

中はビールと割れたガラスで一杯になる。半分泣きながら靴が入っていた箱に割れた瓶を

集める。チキショー! せっかく冷えたビールを買って来たのに!

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仕方がないのでもう一度買いに行く。さっき割った店だと「こいつまたビール割ったの

かよ」と思われるので(事実そのとおりだけど)違う店に行く。せっかく洗濯をしたのに

今度はリュックを洗わなきゃならなくなった。またラスカルと化す。くそっ、全然くつろ

げない。

ようやっと洗濯が終わり、ビールでも飲むかとキャンピング・ナイフの栓抜きを出した

瞬間、指が切れた。「なんだぁ?」よく見ると栓抜きではなく小型ナイフを出していた。毎

日大小のトラブルに出くわすけど、今日は集団でやってきた感じ。俺ってサハリンに来て

から「参っちゃうよね」と「勘弁してよ、もう」を言わない日がないな。ま、すべて自業

自得だけど。

 金を持っているにもかかわらず相変わらずなチープな食事。

指は幸い深く切ってないので、カットバンを貼ってビールタイムにする。瓶のキャビア

を開けて、下のマガズィーンで買ったパンに載せて食う。

普通キャビアって黒いはずだけど蓋をあけてみると白かった。蓋の図柄はチョウザメっ

ぽいけど、本当にキャビアだったのか?

 タバコが吸いたくなり喫煙所に行くと、アメリカのカーター元大統領に似たロシア人が

いた。彼はモスクワから来た元教師だと言い、風貌どおり英語が話せた。

俺はこれまでの行程とこれからの行程について簡単に説明した。「Are you a student?(学生か?)」聞かれ、「違う」と答えると、「What work is it doing?(何の仕事をしてるんだ?)」と言われる。利尻富士町職員だから Town hall working? 現在の所属が老人ホームだからOld person home? 結局伝わったような、伝わらなかったような…

 カーター、どうでもいいけど俺との会話を隣のヤツに通訳してるけど、本当に俺のテキ

ト―な英語が分かるのかい? 文章にしてるから調べて書いているけど、実際に喋ってる

ときは、お話にならないくらい滅茶苦茶だぞ。

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そこに違うロシア人登場。「英語なら俺も得意だぜ!」と言わんばかりにタバコも吸わな

いのに乱入して来たのは、ドーリンスクからやって来たドライバー! 俺と話して通じる

と、周りの若者に「ちゃんと通じてるぞ! 俺の英語も凄いだろう!」と自慢している。

確かに凄い。よく俺の英語が分かるものだ。

「I am detailed about Japan. It knows Yoko Ono. (俺は日本も詳しい。ヨーコオノを知っている)」と言われる。ヨーコオノ? 一部ロシア語かと悩んでいたらビートルズ・ナンバーを口ずさむ。「ヨーコオノ….あっ、オノ・ヨーコ!」と言うと、「分かってくれたか」と感激し、強い握手。

続いてのお題は「コマキ・クリハラ」おおっ、もしかして栗原小巻? 当たりだ! し

かし俺より若いヤツは栗原小巻なんて誰も知らないぞ。

カップヌードルを見るとヤング・オーオーを思い出したり、プラスチック製のフォーク

で食べたいと思ったり、食べながら「♪ボンジュール世界では~」なんて歌うヤツは若者

じゃない。

男は髭面でボーズ頭だったので、「日本ではアンタのヘアースタイルをボーズと言い、顎

の毛を髭と呼ぶんだよ」と教える。

 ヒゲボーズはウクライナの生まれだと言う。「ウクライナ…チェルノブイリ….」と言うと、

「日本人でも知っているのか」と周囲がどよめく。1986年の原発事故を知らない奴なんて

いないって。あの当時はまだソビエト時代で、大事故にもかかわらず情報提供がなく、ソ

ビエトの秘密主義に誰もが怒り心頭だったじゃないか。

故・逸見正孝が、「これは映画ではありません」と言って報道したスーパータイムが衝撃

的だった。風向きと被爆地により主に北欧が被害を受けたようで、オランダの牛乳から高

い放射能が検出された報道を昨日のように思い出す。

風向きと被爆地により主に北欧が被害を受けたようで、オランダの牛乳から高い放射能

が検出された報道を昨日のように思い出す。

風向きと被爆地により主に北欧が被害を受けたようで、オランダの牛乳から高い放射能

が検出された報道を昨日のように思い出す。

北海道は日本で一番ロシアに近いし、北方領土問題が解決していなかったり、いつも船

が座礁したり、火傷したガキが搬送されたり、嫌でも隣り合わせな環境だ。実際、ヒゲボ

ーズも激動の時代に翻弄された一人なんだろうな。

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 ホテル・クバンで会ったヒゲボーズ。気のいい奴!

話が合うので、ヒゲボーズは「酒を飲もう」と言って誘ってくれたが、明日が早いので断る。でもこの旅で初めてロシア人とゆっくり話せた気がする。有難う、ヒゲボーズ、カーター。お休み。

■ノグリキ〔Nogliki〕ノグリキは北緯 52度に近いオホーツク沿岸の町で人口 12000人です北方民族博物館があります。北方民族は全島で 24部族いるが、北サハリンには多く居住し、ノグリキには約 700人が残っています北方民族博物館にはニブヒ(ギリヤーク)民族の生活様式が展示してあります。彼等は熊

を神の使者として高床式の家に住み、夏は倉付の別の家に移り、海産物などを採って生活

していました。同博物館はノグリキの観光スポットの一つです

■ガリャーチ・クリューチ〔Goryachye Klyuchi〕ノグリキ市より北へ約 26km行った郵便鉄道の駅がある集落駅の近くには温泉(サナトリウム)があり、近郷から湯治にくる人が結構多い。郵便鉄道

は旅客運送をしていないので、みなバスを使用するそうです

湯は酸性が強く、長く湯に入っていると体に悪いらしいです

お湯の色も無色透明とはいえず、黒または褐色です

温泉小屋は駅から約 3分ほど歩いた湿原と疎林が入り混じった場所に点在しています

稚内市ホームページより

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8月 13日 「空白の一日」

 今日はサハリンの北の端、オハに向かう。晴天だけど昨日の雨で悪路になっていること

は十分想像できる。昨日買った渓流釣り用の長靴で武装し、早めに出発。

 軽便鉄道の線路を渡り、まわりの手付かずの自然を眺める。予想外に道がよく快適だ。

「何だ、考えすぎだったのか」と思ったが、そう甘くない。踏み切りを越えて5kmほど走

ると、橋付近で工事をしていて、そこから泥が激しくなる。なんとかバランスを保ち抜け

切ると、さらに激しい泥道が待っていた。そして俺が見た物は….

「待ってくれよ相田…なんじゃ、こりゃ!(ジーパン刑事調)」

泥の轍の高さは 40~60cm。殆ど城垣状態。車が踏み固めたラインを綱渡りのようにギア

をローかセカンドに落として進む。轍が高すぎて足を着く事すらできない。こんなものは

道とは呼べない。日本なら通行止めだ。

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 前方から6輪車に引かれたワゴン車が来たが、轍が高すぎてよけることができない。仕

方なく泥壁に突っ込む。

 泥でタイヤが滑る。ハンドルが取られる。本当にこの道はオハまで続いているのか? 予

期していたとは言え、こんな道がオハまで続いているとしたら俺の精神力が持たない。で

も前から車が来てると言うことは、なんとか走れると言うことなのか? もしかしたら引

き換えしてきたのかも知れない。あの二人は本当にこんな道を走って行けたのか?

 ところどころで車が埋まっている。普通のトラックなんかでこんな道を走れるわけがな

い。すれ違いざま6輪トラックが止まり、「無理だから引き換えした方がいい」と忠告を受

ける。やっぱり無理かなと思いながら、さらに進んで見る。悪路が変わる様子はない。

 またすれ違いざまに止まった四駆に「とても通れる状態じゃない。引き返した方がいい」

と言われる。俺も四駆(日産ミストラル)に乗っているが、車輪が四つ回っている分、泥

道の走行性は四駆の方がいい。その四駆のドライバーが手こずるくらいだから最悪だ。

 バイクが壊れたら、転んで怪我をしたら、明日の列車に乗り遅れたら…..いろんな最悪の

状況を想定した。今日走り切ったとしても明日またこの道を戻らなきゃならない。迷って

いた気持ちに背中を押された。先にオハまで行って待っている二人には悪いが今回は諦め

よう。

 Uターンして引き返す。戻り道でもトラックがスタックしていて道を塞いでいた。それ

を避けながらなんとか道のいいところまで逃げ込む。

 長時間低いギアで走っていたのでKDXの水温ランブが点灯する。オーバーヒートだ。

厚着の上に悪銭した俺もオーバーヒート。バイクを止めてエンジンを休ませる。今度来る

ことがあるなら、チェーンを作って来た方がいいかも。

  オハ行きを諦めたら気が楽になった。改めてまわりの景色を見渡す。川が流れている。

日本では絶滅寸前の河川工事を一切していない自然な川だ。ぼんやりと眺める。

 サハリンに来てから走るばかりで何も見ていなかったことを実感する。俺の海外旅行は

最初細かな予定を立てていても何か予定が狂うと、あくせくするのがバカらしくなって、

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「もう、いいやぁ」と言う感じで滞在型になってしまう。韓国ではソウルから済州島に行

く飛行機が取れずズルズルとそのままソウルに4連泊。タイでもメーサイまでの飛行機が

取れず、チェンマイに4連泊。たぶん滞在型というか、ダラダラしている方が好きなんだ

ろう。

 オハ行きを諦めた時点で宿の変更が必要となった。インツーリストに電話をしてノグリ

キにもう一泊できるよう手配してもらわなくてはならない。

サハリンに電話ボックスはないが、ホテル・ノグリキクラスなら公衆電話くらいあるだ

ろう。とりあえず街に戻る。

  今日も寒さ対策のため厚着していたが、天気がよくサウナスーツ張りに熱くなってきた。

バイクを停めて着替えていると、またしてもガキどもが集まってきた。どこに行っても落

ちつけねーつーの! しかもこんな泥だらけの汚いバイクを見て楽しいか?

軽装な奴が多い中、後ろの女の子は皮ジャンを着ていた。「それ暑くないか?」

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 中に女の子が混じっていた。「俺にタバコを持ってないか」と聞く。「あるよ。でもガキ

にはやらねーよ」と言う。しかも日本語で。

さらに日本語で「どーでもいいけど、このクソ暑いのに皮ジャン着てるけど、暑くねー

か」と聞くと、「別に」と言われた。(ロシア語で返答)

着替えを終えてホテル・ノグリキに向かう。フロントの横に何やら公衆電話のようなも

のがある。読みは当たりだ。しかしコインやカードを入れる穴がない。

 フロントにいた滅茶苦茶背が高くて綺麗な女に「電話を掛けたいんだけどどうやるんだ

い」と聞く。女はだるそうに「カードを買うんだよ。いくらのにする?」と聞かれる。500

ルーブルのを買い、再び使い方を迷う。

「ねぇ、分かんないよ。どうやって使うのさ」と聞くと、女はカードを裏返しコインで

スクラッチし始めた。そこには番号が書いてあった。「最初にこの番号を回して案内が聞こ

えたら#を押して掛けたい番号にダイヤルするんだよ」と言う。なんとテレカがスクラッ

チカードだったとは!

 せっかく教えてもらったのに上手くつながらない。「つながらないんだもぉ~ん」と言う

顔でノグリキ美人を見ると、「しょうがない坊やだねぇ」と、姉御のような顔で(多分俺の

ほうが 10歳は年上?)「ちょっと貸してみ」とメモを拾い上げ、インツーリストに電話を

してくれた。

幸いジェーニャがいたのでスムーズにホテルの変更ができた。本当はすでにホテル・ノ

グリキにいるのだからこのままここに泊まれれば申し分がなかったが、交渉の結果昨日と

同じクバンに泊まることになった。

 綺麗な庭のあるクバン

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クバンに戻り「オバちゃん、オハに行く道が滅茶苦茶でさぁ、もう一泊お世話になるか

ら宜しくね。その件については後でインツーリストから電話があるでよ」と言う。何故か

通じた。

メイドの彼女に「部屋は昨日と同じだよ」と言われ、入ってみるとシーツもゴミもその

まま。「ひでぇ」と思ったが、自分の部屋に戻ったような安堵を感じる。このホテルはホテ

ルと言うより民宿みたいな感じだからすごく落ち着く。連泊するのがここでよかった。

 市内中心部にある教会

ありあまる時間を得て喫煙所でタバコを吸っていると日本人客が案内されて来た。俺と

相部屋らしい。

軽くKDXを洗い街に出る。ノグリキは郷土博物館や近くに温泉があるらしい。まずは

郷土博物館を訪ねる。しかし狭い街にそれらしきものはない。

暇にまかせて建物に片っ端から入ってみる。ここかな? と思って入ってみたら何かの

オフィス。次は郵便(電話)局、次はデパート(マガズィーン?)。次も同じ。なんだ、昨

日無理して選ぶ余地のない靴を買ったけど、リーボックやナイキを売ってる店もあるじゃ

ないか! でもかなり高くて 1000ルーブル以上する。

次に入り込んだのは学校。ロシア語で「博物館」と言う言葉が分からないので「Where isthe museum?(博物館はどこですか?)」と聞いてるんだけど、「museum」自体が伝わらない。市役所らしき所で道を聞くが、守衛では話が通じず英語の分かると言うナイスバディ

な女が現れ話を聞いてもらう。

再び「Where is the museum?」駄目だ。通じない。じゃあ、「It want go to the spa.(温泉に行きたい)」やっぱり駄目だ。Spa なんて言ったって通じない。考えてみりゃあ、今の俺の現状は椴法華村あたりで村人にエチオピア語で話しかけてるようなものだ。分かるわけ

がない。諦めよう。

腹が減ったので街唯一のカフェ「オリンピック・カフェ」を探す。人づてに聞くと、オ

リンピック・マガズィーンの横がオリンピック・カフェだった。道からは死角。分からな

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いってば!

中はクラブ風で夜になると賑やかそうだが、今は至ってランチタイム。ウェートレスは

またしても長身・美形でノグリキ…いやサハリン一番と呼べるいい女! 黒のミニスカー

トが抜群に決まってる! いいねぇ。往年の森高千里も真っ青だ。

ロシア人は割りとSEXYな格好が多い。普段着からして芸能人かと思うほど派手!

抜群のスタイルとルックスだから似合うんだろうけど、日本人が同じことをすると「セン

スのない奴」の烙印を押される。そんな格好を抵抗がなくやってのけるのは、叶姉妹と杉

本 彩くらいなものだろう。

ウェートレスを見に来たわけじゃないんだから何か頼むとしよう。メニューを渡たされ

たがすべてロシア語だ。またしても主体性なく「Give the one which is the same as the tablethere.(そこのテーブルと同じ物をくれ)」と言うが、まったく通じない。超美形のウェートレスは最初困惑した顔をしていたが、しだいに「参ったわ」と言った

感じでニッコリと微笑む。ツンとした感じもクールでいいが、笑顔もまた最高!….って、

そう言う問題じゃないや。

そうこうしているうちに客は俺一人になる。もう「そこのテーブルと同じ物をくれ」と

も言えない状況だ。

「パンとビーフスープとサラダとコーヒー。以上」と言うと、何とか伝わったのか超美

形ウェートレスは奥に消えていった。本当に伝わったのか? 何が出てくるのか楽しみ。

ややしばらく待って、出てきたのはパン。「おい、これだけかよ」と思ったら、間を置い

てスープ、サラダの順で出てきた。空腹のあまり先にパンを全部食っちまったので追加注

文する。ビーフスープを頼んだはずが、何故かチキンスープだったのはご愛嬌。

味はまあまあ。食いながら言葉も話せないのに注文をしてこうして飯にありついている

俺がおかしくなってきた。

客がいなくなったので超美形ウェートレスは、これまた長身・男前のウェーターと談笑

している。「もしやコイツはこんないい女と….」と思うと羨ましい限りだ。くそっ!

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命名「野良牛」ヤギも街中に放牧されている。気分は長沼ハイジ牧場

店を出てバイクをマガズィーンに置いて街を歩く。特に欲しい物は売っていない。街を

見るとベビーカーを押した人を多く見かける。そのせいか子供服が一杯売っていた。

カッコいいジーンズの上下があったが、かなりサイズが大きく、もみじには無理。もう

少し小さいのはないのかと聞いたが展示しているものしかないと言う。

違う店に行くと、1~2歳くらいの子供服とおもちゃが売っていた。明日も時間があるの

で、目星だけをつけて店を出る。

再びバイクに乗って走り出す。あまりにも寄って来るロシア人がウザくなり、郊外の沼

に行く。道端にバイクを停めて休んでると四駆が止まり英語で話し掛けられた。

「日本人かい? 俺は昨日オハから戻ったんだけどバイクに乗る二人の日本人と会った

よ」と言う。たぶんパクリさんと BAKUさんだろう。

「その二人は俺の友達だよ。俺も今日オハに行く予定だったけど、道が凄いんで止めた

のさ」

「あはは、そうかい。俺の車もおかげでドロドロだ。ところでお前はどこのホテルに泊

まってるんだい? 遊びに誘うから教えなよ」

勘弁してよ、もう。面倒臭い事に巻き込まれそうだったので、ここまで英語で話してい

ながら不自然だけど急に分からないふりをした。都合が悪くなると判らないふりをする。

そう、武蔵丸のように。

「らちがあかねー」と思ったのか、男はUターンして来た道を戻って行った。一体何が

したかったんだろう? 頼むから一人にしてくれよ。

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沼なのか? ただの水溜りなのか?

 さらに一人になれる場所を探し彷徨う。オハに向かう途中のわき道に壊れた橋があった

筈だ。あそこなら誰も来ないだろう。さっそくそこへ直行。

何故か曲がりくねった橋。危ないのでバイクで渡るのは止めた

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 とりあえず誰もいないので静かな川の流れを眺める。特別何をするでもなくボーッとす

る。歩いて橋の向こうに行こうと思ったが、犬を散歩させた人が来たのでホテルに引き返

すことにした。

 まだ日が高く、天気が良かったので洗濯を始める。カッパを洗い、靴を洗い、渓流用長

靴を洗い、カバンを洗い、ツーリングネットを洗い、グローブを洗い、ラスカルになりあ

りとあらゆる物を洗う。そして庭先に干す。

俺ってノグリキに来て一番やってることって洗濯じゃないかい? 元来俺は綺麗好きだ。

明日から荒地を走ることがないのだから少しでも綺麗にしておきたい。KDXも川で綺麗

に洗いたかったが、降りて洗える浅瀬の川がなかったので諦めた。

 洗濯が終わったら街に買出しに行く。昨日はキャビアだったから今日はイクラにしよう。

ホルムスクで食ったようにパンにイクラとバターを載せて食うべく品物を選ぶ。しかし、

毎日このメニューを食ってたら、コレストロールが高くなりそうだな。

 今日はビールを割らないように慎重に扱う。二日も同じ店で同じことをしたらバカじゃ

ねーか。

マガズィーンの前はバス停になっている。店を出るとロシア人には珍しくボリュームた

っぷりのヒップラインの女がいた。なかなか色っぽい。その女の後ろを若い男二人が舐め

回すように見ながら何か言っている。

多分、「おい見ろよ、この女。いいケツしてると思わねぇ?」「ホントだぁ! うわぁヤ

リてぇー」とでも言っているんだろう。多分間違いなく言っている。だって俺もそう思っ

たもの。

結構セクハラには寛容な国なようで、見られたとか触られたとかで騒ぐバカはいないみ

たい。税関の奴もヘソを出した女にちょっかいを掛けながら仕事をしていたし、その他で

もSEXYな格好の女に触っている男をよく見る。もちろん面識のない奴がやるとマズイ

とは思うけど。

バイクに戻ると男がやってきて何やら言ってる。多分遊びにいこうとでも言っているの

だろう。面倒臭いので無視して走り出すと少し追っかけてきた。アクセルを全開にしてミ

ラーから消し去る。

全部が全部悪意に満ちているとも思わないし、純粋に興味を持って寄って来る奴もいる

とは思うけど、誘いに乗るのは危ないかも。

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ノグリキの街。サハリンでは一戸建ては少なく、どこの都市にも団地が建ち並ぶ。だから住んでい

る奥さんはすべて「団地妻」。どうでもいいけど、団地妻って言葉、貧乏臭く思わん?

 部屋に帰るとまだ同室者は帰っていないようだったので、一人ビールを飲む。瓶詰めの

イクラは日本のものに比べると小ぶりで固くプチプチ感がない。キャビアもイクラも 100

ルーブル前後(¥400くらい)だから、お土産にキャビアでも持って帰りたいところだけど、

持ち出し規制があるので一瓶くらいしか持って帰れない。

 部屋で飲んでるとクバンの娘が来て、「夕飯はどうする」と聞かれる。なんだ、食えたの

か。せっかくだけど断る。

 今晩の夕飯&つまみ。バターも美味い。

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 喫煙所でタバコを吸ってたらカーターと会った。「あれっ? オハに行ったんじゃなか

ったの?」聞かれ、戻ってきたいきさつを話す。

そうこうしていると仕事を終えたヒゲボーズが帰ってきた。俺を見つけると「オーッ」

と言って握手をしてきた。そしてカーターと同じことを聞かれる。

 暇なので、一階の居間に行きカーターとヒゲボーズと一緒にテレビを見る。ニュースは

台風か集中豪雨で崩壊した家を映し出していた。本当はヒゲボーズとビールでも飲みたか

ったが、お疲れ気味なようなので一人でグビ―ッとやる。

 10時半になり、クバンの娘が玄関に鍵を掛けようとしていた。あれっ、俺と同室の日本

人が帰ってきてないぞ。鍵かけたらヤバくねーか? って言うか遅すぎね―か?

クバン娘に「Japanese at my room don't return to the hotel.(俺の部屋の日本人が戻って来ない)」と言うと、例によって通じない。カーターが通訳に入る。

「その日本人は友達か?」と聞かれたが、階段ですれ違っただけでそれから見かけてい

ない。誰だか分かんないけど心配かけやがって! 「どうしようか? 友達じゃないけど

戻ってきてないんだよ」と言うと背後から「戻りました」の声。結構酔って気分がよさそ

うだ。クバン娘とカーターに礼を言って解散する。

男は向坂と名乗った。ロシア語が話せる関西人だ。話によると「街をブラブラしていた

らバス停でロシア人に話し掛けられ、そいつの家に行って酒を飲んでいたらマリファナパ

ーティーが始まり、ついでに乱交パーティーも始まりそうだったのでヤバイと思って帰っ

て来た」と言う。

続けてそうそう、「バイクに乗った日本人にも声かけたんだけどシカトされたって言っ

てたよ」と言う。俺のことじゃねーか。多分全開で振り切ったアイツだろう。そんな香ば

しい展開になっていたとは….しかしうっかり参加して「破廉恥公務員、マリファナ&乱交

パーティーでビザなし交流」なんて新聞に載って懲戒免職になったら、敵わんよな。

上機嫌の向坂さんは「シャワー浴びてきますわ」と言って部屋を出て行った。えっ、シ

ャワーあったの? 着いた日に何人かが洗面所で裸になって水浴びしてたからシャワーは

ないものと思って毎日清拭してたぞ! まぁいいや。明日温泉に入るから。

ビールが飲み足りずマガズィーンに温いビールを買いに行く。クバン娘に「ビールちょ

うだい」と言い店に入る。「ちよっと待った」と言われるがすでに遅く、床に足を着くと粘

着性の「泥棒ホイホイ」のようなものが敷き詰められていた。

おかしくて大笑いするとクバン娘も大笑い。財布の中を見るとイン・ツーリストのジェ

ーニャにも渡したスマイルバッヂがもうひとつ入っていた。

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なんの気なしに「やるよ」と言って渡す。部屋に戻ろうとするとクバン娘は首からペン

ダントを外し「お返しよ」と言ってくれた。

ペンダントはチープでメダル部分はナスカの地上絵の蜘蛛のような訳のわからん図柄だ

ったが、彼女の気持ちが伝わった。そして俺と彼女は一つになった…って嘘だよー。

ちなみに景気よく振舞ってたバッヂは 1970年の当時モノで入手困難なレア物なんだけど

…誰も気付かないだろうなぁ。

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8月 14日 「逡巡」

 ノグリキ最後の日。今日は何としても二日間ダラダラして実行しなかった博物館と温泉

に行きたい。向坂さんは市街地まで先に歩いて行ってしまった。荷物をまとめてようやっ

と出発の用意が整ったのは 11時近く。今日は 19時の列車でバイクごとユジノサハリンス

クに行く事になっている。パクリ・BAKU両氏は無事に帰ってこられるのか?

 出発前、クバン娘と最後の別れ。「ペンダントありがとね」と胸元からペンダントをちら

つかせる。クバン娘も「私もよ」とばかりにスマイルバッヂを付けていた。この旅唯一の

女っ気だ。でもゴメン、性格は買うがクバン娘はタイプじゃない。オリンピック・カフェ

のウェートレスがクバン娘だったら….ロシアに亡命してるな俺。

 スルスルと市街地へ入る。メインロードの6番地に博物館があるらしい。バイクを停め

て人に聞こう。しかし走ってる最中からガキが二人寄ってきた。いつもと違う雰囲気だ。

止まると降りる間もなく遠慮なしにベタベタと触ってきた。

 「おい、危ないだろう! 荷物を積んで安定性がないんだから倒れるぞ」聞いちゃいね

ー。「いい加減にしろよ。このガキども!」あまりの遠慮のなさに腹が立った。降りること

も出来ない。怪我でもさせたら大変だ。

 そのうち諦めたのかガキどもは走り去った。通りがかりのオバサンに道を聞く。この先

が6番地だと言う。早速出発! あれ、キーがない。ガキに気を取られて抜き忘れたのか?

ジーンズにも入ってない! 走って行ったのは諦めたんじゃなくて逃げたのか?

 向坂さんが来てキーを盗られたことを話す。考えてみりゃ、博物館の場所を知っている

この人に聞けばよかったんだ。バカだな俺って。

 スペアキーがあるから大丈夫と言って荷物を降ろして探す。大事な物ほど大事に仕舞い

すぎて仕舞い場所を忘れる。

 折れ曲がったキーでも叩けばなんとかなるはずだ。最初に着ていたフィッシャーマン

ズ・ベストに入れていたのは覚えてるけど、それはボロボロになってアレクサンドロコフ-

サハリンスキーで捨てたから…でもポケットは全部確かめたし…

 ない。荷物を全部ひっくり返してもキーがない。貴重品か財布と一緒にしておくべきだ

った。いや、稚内で作っておけば….後悔先に立たずだ。落としたのかも知れない。心当た

りはあった。

 とりあえず人気のない所にバイクを移してバイク泥棒のようにマイナスを突っ込んでみ

る。大事なバイクを自分の手で痛めるのは泣きたいくらい辛い。ドライバーは中まで入ら

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ずキーボックスを壊しただけだった。

 違うガキが一人興味深げに寄って来た。気の弱そうな少年だ。適当な距離を置いて遠巻

きに見ている。何か俺に似ている。この子が悪い子じゃないことは感じたが、これ以上ダ

メージを受けたくない。今は寄って来て欲しくない。可哀想だと思ったが睨み付けて追っ

払った。

 ゴメンね。君は悪い子じゃないと思うよ。ただ興味があってバイクを見たかっただけな

んだよな。君の街に住む違う子が悪いんだよ。

キーを抜いて行ったガキも日本のバイクのキーが欲しかったのか、桃太郎のキーホルダ

ーが欲しかったのか知らないけど、変わったモノを手に入れて仲間に自慢したかったんだ

ろう。その気持ちもわかるさ。ただな、そのせいで俺は大変な目に合ってるぞ。子供の悪

戯だと思って気が済むまで殴ったら許すから返してくれよ。

動かないものは仕方がない。この状況で頼れるのは警察くらいなものだろう。警察署に

行くか。

街の人たちに「ポリス」と聞いても通じない。普段見かけるパトカーも全然通らない。

ロシア語で警察って何て言うんだろう。発音がわからず全然使っていなかった「役に立つ

ロシア語」を引っ張り出す。警察….載っていない。物を盗られたときの会話….載ってない。

全然役に立たねぇー!

なんだか分からないけど小奇麗な建物のに入り、ネクタイをしたオヤジに聞くと何とか

通じた。その建物の裏、教会の付近にあると言う。早速行ってみる。

パトカーが沢山停まっている。まちがいなく警察署だ。すでに昼休みだからか、中には

誰もいない。ようやっと人を見つけたのでキーを盗まれたことを話す。さて、何て言えば

いいんだろう。ロシア語はおろか、こんな難しい英語は知らないぞ。修正なしのその場で

言ったことを再現する。

「I am a Japanese traveler. by the motorcycle.(私は日本の旅行者です。バイクで旅をしています)」

「My motorcycle Stop.(バイクを停めた)Two Boy come Front My motorcycle.(前から二人のガキが来た)」

「Its Boy touch motorcycle . My talking Not safe Not safe go a way Boys.(バイクを触るので、危ない、危ない、あっちに行けガキどもと言った)」

「Oh my got! Its Boys Run away have motorcycle-Key. (なんてこったい、ガキどもはバイクのキーを持って逃げちまったんだよ)」

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以上の和製英語をディスチャ―つきで警官に話した。ロシア語しか通じない相手に、こ

んなわけの分からない言葉を並べてみても分かるはずがない。実際訳すとどうなるのかパ

ソコンの翻訳機能で訳してみた。この機能もかなりデタラメ君だ。

私はオートバイのため日本の旅行者です。私のオートバイ停止。来る前私のオートバイ 少年を引いてください。

Notの金庫をNotで論じているその少年タコメーターmotorcycle. My金庫行く方法少年。おお、私の獲得!向こうのその少年運転 持っているオートバイのキー。

 結局他の警官がやってきて「バイクのキーがどうしたとか、ガキがどうしたとか言って

るぞ」と集まってきて「こいつの話じゃラチあかねーや」と言う事になり、言われるがま

まにパトカーに乗り込む。現場検証か?

 向かった先はホテル・ノグリキ。少しだけ日本語が話せる軍人(警官?)がやってきて、

成り行きを離す。彼の日本語も完全ではなかったので思うように伝わらない。

今度はホテルマンが携帯電話を持ってきてくれた。電話に出ろというので話してみると、

ユジノサハリンスクの日本語が分かるロシア人が出た。状況を詳しく話す。

 「今日、11時頃、オリンピック・カフェ近くに停車すると二人のガキに囲まれ、バイク

のキーを持って逃げられた」とりあえず警察に今の話を伝えてくださいと言い、電話を換

わる。警官は了解した様子。

再び電話を換わり「警察は今日中に犯人を捕まえられないだろうと言っている。私はユ

ジノサハリンスクにいるので、あなたの力になれない。あなたは今何をして欲しいのです

か」と言われる。

「あのガキどもが捕まらないことなんか十分承知さ。望むのはバイクを直せる奴か、19

時発の列車でユジノサハリンスクに戻るのでノグリキ駅までバイクを運んでくれるトラッ

クを手配して欲しい」と頼む。

集まってくれた人々に礼を言い、再びパトカーに乗り込みバイクが停めてあるオリンピ

ック・カフェに向かう。サハリンのパトカーはロシア製のジープだ。

オリンピック・カフェに戻ると俺のバイクに人だかりしていた。さらに向坂さんまでい

て、「キー、なかったんですか。大事になりましたねぇ」と見守っている。「あ、そうそう、

博物館休みだったんですよ」と付け加えた。なにぃ~!

それを先に知っていればこんなことにはならなかったのに。帰国後調べると博物館とは

名ばかりな掘っ立て小屋で、展示物もショーケース三個分ほどの粗末なものらしい。稚内

のホームページに「同博物館はノグリキの観光スポットの一つです」って書いてあったけ

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   参考写真「ノグリキ民族博物館」悲しいくらい悲惨すぎる

ど、ロシア語で住民に聞いても「知らない」と言われるものの、どこが「観光スポット

の一つ」なんだよ!

トラックが到着し、無理やり横積みに押し込まれる。どういうわけか警官にまくし立て

られ、無関係な向坂さんまでトラックに乗せられる。整備工場にでも行くのかと思ったら

着いた先はホテル・クバン。警官も一緒に来たが、到着を確認すると行ってしまった。

トラックの運転手はバイクを荷台に立てて直結を試みる。ありがたい。しかし、直す気

があるなら工具くらい持って来いよ。素手で直せるわけがないだろう。

キックは腕じゃあ、かけられないよ。プラグが被るから俺がやる。しかし何度やっても

ウンともスンとも言わない。

約 1時間ほどバイクと格闘してもらい、諦めて駅まで送ってもらう。ホテルから駅まで

は近いが信じられないほどの悪路で、荷台からバイクが倒れる音が聞こえた。

代金は 200ルーブル。手間を考えたら安いものだ。時間は3時。列車の出発までは時間

がある。せめてもう一度オリンピック・カフェに行って超美形ウェートレスでも眺めなが

ら飯でも食いたかったが、海外旅行保険でバイクの修理ができるかも知れないと思い、再

び警察署に行く。

徒歩 30分。さて第二の関門。「盗難証明書を書いてください」って何て言えばいいんだ

ろう。今度は英語の分かる婦人警官が出てきた。警官にしておくには勿体無いいい女だ。

彼女は流暢な英語で俺に話し掛ける。分からない言葉が混じっていて理解できない。

「英語、分かるんでしょう」と言われ、「Little」と言うと、再び流暢な英語で話し始める。やっぱり分からない。再び「英語、分かるんでしょう」と言われる。今度は「Little、Little」と繰り返し、指でほんのちょっとの仕草をする。周りにいた警官全員に笑われる。

仕方がないので、インツーリストに電話をしてもらう。「またかよ!」と思われても仕方

がない。幸いジェーニャがいた。明日も出勤だというので会ってお礼を言いたいと言って

電話を切る。

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ジェーニャの通訳のおかげで、その後の手続きはスムーズに運び、お偉いさんに証明書

を書いてもらい一件落着。何か警官とも和み、「まあ、座ってよ。俺が送っていくから」と

言われ、一緒にタバコを吸う。「灰皿がないよ」と言うと、「床に落とすのさ」と言って笑

う。サハリンの街はゴミや吸殻が多い。

最初にパトカーに乗せてくれた警官が帰ってきて、さっき送ってくれると言ってくれた

警官に「こいつは今俺が送っていくよ」と言っている。「列車は 19時の出発だから、まだ

時間があるよ」と言っているようだが、「ここにいたってしょうがないだろ。乗りな」と言

ったかどうかは分からないが、そのままパトカーに乗り込む。考えてみりゃ、パトカーに

乗るのって生まれて初めてだな。それをサハリンで体験することになるとは思わなかった。

駅に着き、「スパスィー

バ(有難う)」と言って見

送る。ほとんど飲まず食わ

ずだったので、駅前のマガ

ズィーンでコーラを買っ

て飲む。食い物は後で買っ

て列車の中で皆で食べよ

う。

ロシアのトイレにはト

イレットペーパーがない。

日本から持ってきたもの

は今朝使い切ってしまった。これではうっかりウンコもできない。幸いここで売っていた

のでボックステイッシュと綿棒とタオルを購入。

別のマガズィーンではロシアっぽい人形が売っていた。土産にいくつか買う。他に大き

なバンビのぬいぐるみも欲しかったが邪魔になりそうだったので諦める。この店ではおも

ちゃや衣類、ギターまで売っていた。

列車にバイクを積む際にはガソリンを拭いておかなければならないので、線路脇に止め

たバイクに戻る。パクリさん達は無事帰り着くことができるのかと心配していたら、バイ

クの排気音が聞こえてきた。

「悪魔ライダーさんいた~!」俺を発見し、BAKUさんが叫ぶ。その瞬間何故か俺の頭

には「記録、それはいつも儚い」のナレーションで終わる「びっくり日本新記録」のエン

ディングテーマが流れた。毎回、轟 次郎が三浦なんとかって言う本名で出てくるあれだ。

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パクリさんに「悪魔ライダーさんの好きなバルティカのビールを一杯冷やして待ってた

のに来ないんだもの」と言われた。オハのホテルにはちゃんとキャンセルが入っていたよ

うだ。

話す前から「バイクのキー盗まれたんだって?」と言われる。俺が入り損ねた温泉で日

本語を話す警官に「今日ノグリキでバイクのキーを盗まれた日本人がいるから気をつけろ

よ」と言われたらしい。たぶんホテル・ノグリキで会った人だろう。

俺達が乗る列車は寝台車と貨車の混合列車だ。日によって貨車を連結し、バイクも荷物

として一緒に載せられる。

列車のキップはあらかじめ買っていたが、バイクの分は窓口で払えと言われていたので

窓口に行く。

パクリさんが「さて、なんと言ったら言いか」と迷っていたので、例によって適当な英

語で「バイクを貨車に積みたいのさ」と言ってみる。重さを聞くので、100kgだと少なめ

に申告。特別計量されるわけでもなく言い分で通った。何故か駅に張ってあった列車の時

刻表の挿絵には日本の新幹線(100系)が描かれていた。

貨車の前にバイクを持って行

きガソリンを抜けと言われる。

ガソリンは満タン状態だったの

でタンクのホースを抜いて、そ

の辺に落ちてるペットボトルに

移す。

傍らでは地元新聞社の記者が

来て BAKUさんが取材を受け

てる。しかも日本語が出来る通

訳つき。なんだよ、ノグリキに

も日本語が分かる奴がいたのか。もう少し早く現れて欲しかった。

一番ノグリキをウロチョロしてたのは俺だったから、俺に取材に来たのかも知れないけ

ど、バイクが止まったライダーじゃサマにならない。スポークスマンを BAKUさん一人に

任せ、二人はせっせとガソリンを抜く。多分新聞の見出しは「バイクでこんなところまで

来た日本の大バカ野郎」かも知れない。

 貨車が開きバイクを入れる。日本のように高いホームがなく地面から貨車の搬入口まで

高さ約 1m。どうやって載せるんだよ!

 一人が貨車に登って引っ張り、二人が持ち上げる方法がよさそうなので俺が貨車に登る。

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最初は BAKUさんのバイクから行く。

えい、やぁと持ち上げると BAKUさんが「イテェー」と叫んで力を抜いた。指からは鮮

血。フロントフォークを持ち上げた際に指が出ていて、回った車輪のディスクで切ったら

しい。つまり指ギロチンだ。見るからに痛そう。負傷させたのが BAKUさんのバイクだっ

たことが俺達にとっては唯一の救いだ。…って BAKUさんは救われてないってば。

三人がかりじゃないとバイクを載せられないので BAKUさんには悪いが、ポジションを

「引き上げ係」に換えてもらい三台を載せる。楽かと思って引き上げる方にしたけど、あ

の負傷ではどっちにしても変わらなかったかな?

俺達が乗り込むと同時に列車が出発。ペットボトルのガソリンを車内に持ち込むと迷彩

服の乗客が「そんなもの持ち込むな」と怒られる。ごもっとも。窓から捨てるわけにも電

撃ネットワークのように飲み干すわけにもいかず途方に暮れていると、男はデッキにある

小物入れに入れてくれた。有難う。

サハリンの女はファッショナ

ブルだが、男と言ったら精々レ

ザーベストを羽織っているくら

いで、定番は主に迷彩服だ。軍

人も警察も一般人もみんな迷彩

服。ところでグリーン系は森林、

グレー系は岩場での迷彩なのは

分かるが、みんな愛用している

ブルー系はどこで迷彩するんだ

い?

オルゴールも車内放送もなく列車は走る。食料もビールも買えなかった。ついでに食堂

車も車内販売もない。結局何も買う時間がなく、わずかな食料と水を寄せ集めたシケた夕

食が始まる。ユジノサハリンスク到着は明日の 11時。相変わらず金があっても飯が食えな

い。

サハリンの鉄道はシーツ類にも別途の金がかかり、車掌がシーツのレンタルに来た。そ

の際、BAKUさんの怪我に気付き、後か

ら包帯と赤チンを持ってきて手当てして

いた。

俺のノグリキの滞在も悲惨だったが、

オハに行った二人はもっと悲惨で、着い

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たその日に地元の若者にホテルから3㎞も離れた駐車場に案内され、翌日バイクを見ると

ロックやキーボックスを壊されていたらしい。

BAKUさんのバイクは乗り回され、パクリさんのバイクはロックが破壊できずに無理に

動かしたためスポークが何本か折れたと言う。

オハまで間道のりも過酷で、パクリさんは4回程転んだが、BAKUさんはまったく転ば

なかったらしい。「ステップに足をかけて重心をずらす事でジャイロ効果が得られて…」と

乗り方のレクチャーを始める。それは先頭を走るパクリさんの動きを判断できたからこそ

言える事。

その話になるとパクリさんは、「俺が転

んだときに後ろから車が来てるのに、塞き

止めて「写真撮ってもいい?」なんて言う

んだよ。」と、まだかなり怒っているよう

だ。そりゃぁそうだろうな。先頭を走るっ

て言うのは、一人で走っている何倍もプレ

ッシャーがあるからね。

 列車の中は冷房が効いていず暑い。窓を

開けるが、下に引く窓は手を離すとすぐ上がって閉じてしまう。仕方がないので写真のよ

うに俺が持っていた紐で結ぶ。なんでこんな非合理な窓なんだよ!

 陽の長いサハリンにも少しずつ陽が傾き、綺麗な夕日が沈む。線路脇の道は俺達が走っ

てきた道だ。人気のない荒地が続く。よくもこんな道を走ってきたものだ。

 

「この道を走ってるライダーが

見えたら面白いのにな」とパク

リさんが言う。

 もう、こんな大変な道を走る

のはコリゴリだ!と思っていた

が、車窓を眺めていると、もう

一度来ようかなと言う気になっ

てきた。

 途中の駅で、ロシア人のオバ

サンが乗り込んできた。どうやら俺達のコンパートメントと一緒らしい。4人用だから誰

かと一緒でも不思議じゃなかったが、可哀想なのはオバサン。

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 だって俺達ときたら、俺はクバンにないと思い込んでたので3日間シャワーを浴びず、

他の二人も温泉こそ入ったが、しばらく着替えていない服を身につけている。自分達でも

嫌がるような獣の臭いの充満する個室で、しかも外国人男と一緒は嫌だろう。

 部屋を間違ったのか変えても

らったのか分からないが、結局

オバサンは別のコンパートメン

トに行ってしまった。それ、正

解。

 腹減った。パクリさんから貰

ったビスケットでなんとか腹を

誤魔化していたが、水すらない

ので喉の渇きが心配だ。

 一応、飲み水の給水口もあったが、パクリさんが汲んできた水を見ると赤茶けていて、

とても飲めそうもない。

 列車の中には給湯設備があり、ロシア人が例の焼きソバのようなラーメンに湯を入れて

いる。「用意いいなぁ、お前ら」と思い、車掌室をのぞくと何と、カップラーメンや飲み物、

菓子類が売っているじゃないか! さかさず買ってむさぼり食う。あんなものが美味いな

んて始めて思った。金がなくて食えないのは辛いが、金があるのに食えないのはもっと辛

い。

 今の日本はデフレだけど、金の価値の方が

低くなるインフレになったら大変だぞ。今回

の旅はプチインフレ状態が続き、金があるの

に食えない、モノが売っていなくて買えない

って言う状態を経験したので、特にそれを実

感した。

 今日の夕飯はチープとゴージャスのコラ

ラブレーション! パクリさんの持っていたキャビアをインスタントラーメンに入れて食

う。だってキャビアだけじゃ、しよっぱくて食えねーもの。

 腹が一杯になった後は食後の一服。本当は全車禁煙だが、何故かデッキに灰皿がある。

その上には「禁煙」と書かれている。何故だー!

 通路の電気が消され、俺達も眠りにつく。明日はユジノサハリンスクだ。窓を閉めたは

ずなのに時々吹き込む風が冷たかった。

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8月 15日 「最後の晩餐」

 クバン娘から貰ったペンダントを治す俺         どこだか知らんけど朝の街を走る

 

岸田さとしに「君の朝」を歌って欲しい         乗務員。何故か鉄道員は女性が多い

あまりよく眠れずに目が覚めた。デッキに行くと朝日が見えた。実質的にはサハリン最

後の一日が始まった。徐々に街が広がり、ユジノサハリンスクが近いことが分かる。

以前は日本の中古車量を使っていたサハリン鉄道も貨車のみに面影を残し、機関車や客

車はロシアのものになっている。

通常外国の鉄道の幅は日本の新幹線と同じだが、サハリンは日本時代の鉄道を受け継い

でいるため少し狭く、日本の在来線と同じ幅になっている。そのため本土に持ち込む際に

は、台車の交換が必要なようだ。

自由市場の踏み切りを通る。二台の日本製バイクが停まっていた。日本のツーリングラ

イダーだろうか。

定刻どおりユジノサハリンスクに到着。やはり高いホームはなく、タラップを降ろして

駅に降りる。

「最初に預かってもらったガソリンのペットボトルは処分に困るので、忘れたことにし

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よう」とパクリさんと打ち合わせる。なお、BAKUさんは完全にその存在すら忘れていた

ようだ。

ユジノサハリンスク駅。BAKUさんから貰った写真だけど、きっと真ん中の女のムチムチのケツが

撮りたかったんだろう。(後光が射してる)素敵な写真、有難うございました。

 列車を見ると、どこで連結されたらしく最初の3倍くらいの長さになっている。貨車の

前に行き、バイクを降ろしてくれるのを待つが誰も来ない。仕方がないので、車掌にあた

ってみるが、分からないと言う。

 通りがかりのオヤジをつかまえ、「バイクを降ろしたいから早く開けてくれ」と頼むが、

「俺は関係ない」と言う。一応、鉄道員(多分保線夫)だつたので、「分かるところに連れ

て行ってくれ」とせがむ。

 連れて行かれたのは貨物取扱所だった。日本なら日通と書かれているような場所だ。そ

こではこれからノグリキに向かうらしい日本人ライダーがいた。

話し込んでいる場合ではないので、オヤジにいつになったらバイクを降ろすのか聞いて

もらう。

貨車に戻ると二人が待っていた。「15時に向こうの貨物専用ヤードに移すから、それから

降ろすってさ。」と伝える。海水浴に行こうと張り切っていた二人にも、なんとかバイクを

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直してもらおうと思っていた俺

にも大きな誤算だ。しかし降ろ

せないのなら仕方がない。今日

宿泊のホテル・モネロンまで行

き、チェックインを済ませる。

今日は初日にいた豹柄パンツ

丸見え熟女はいず、やり手そう

なオバサンと美人ロシア人がい

た。

列車の半券と通行証を返すように言われてたので、ホテルの電話を借りてインツーリス

トに電話をかける。これから走るパクリさんと BAKUさんは今、通行証を返すと検問で止

められた時に厄介なので夜8時くらいに渡したいと言ったが、ジェーニャにしてみれば「冗

談じゃない」と言う感じだ。今から行くと言い、これ以上無理が言えず彼女を待つ。時間

はすでに1時だった。

結局通行証は返さなくてよく、キップの半券だけを渡す。二人とは3時前にホテルのロ

ビーに集合することにして別れた。

海外旅行保険の規定を読むと、バイクは携行品に該当せず修理代は全額自己負担になっ

たので、苦労して盗難証明書を貰ったのが無駄になったが、ジェーニャには初日から世話

になった。二人っきりになったロビーで少しジェーニャと話す。

 「ノグリキの警察署から電話をしたときは助かったよ。有難う。」

「ロシア人は悪い人が沢山います。気をつけて下さい。」

「そうだけどジェーニャみたいに、いい人も沢山いたよ。」

「でも日本は安全な国だと聞いています。」

「最近そうでもないよ。毎日のようにどこかで人が殺されている。日本だって危ない。」

「じゃあ、日本のどこなら安全ですか?」

よく、外国は危険で日本は安全だと言うが、日本中に安全な場所なんてあるんだろうか。

自分の家なら安全なのだろうか。今日、「強制回収のご通知」と題したハガキが届いた。俺

の未払いの債務が債権管理会社に譲渡され、その回収を強制執行する。家族や近所に迷惑

をかけたくなければ連絡をよこせと書いてあった。

俺は間違って 15日間だけ債権回収の会社でバイトをしたので分かるが、債権の回収は弁

護士か認可された会社しか行えないし、ましてや大事な書類はハガキでは送らない。しか

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も連絡先が携帯電話やPHSなのだから、詐欺ですと言っているようなものだ。

それでも何割かは騙される奴がいるのだから、家の中も安全とは言えない。ジェーニャ

の質問に答えが出せず、独り言のように「どこも安全な場所なんてないな」と答える。

本当は食事にでも誘いたかったが、時間がなかったので「礼はいらない」と断るジェー

ニャの胸元に「飯でも食ってくれ」と言って 200ルーブルを突っ込み、自由市場に急いだ。

俺の母親は、生協は共産主義者が経営していると言う思い込みをしている。ずっと「何でだろう」と

思っていたが、旧ソビエトの略称がc.c.c.pで、生協の通称がcoopで、スペルが似ているからそう

思ったのだろうか。そんな教養あるはずないんだけど。

自由市場は線路と道路を隔てて主に食品、靴・鞄、衣料品、日用雑貨の4つに分かれる。

時間がないので目星をつけておいた通りおもちゃ屋に直行。もみじの土産にNHKの「い

ない、いない、ばぁ」に出てくるワンワンに似た犬の縫いぐるみと、ノグリキで諦めたバ

ンビの縫いぐるみを買う。ともにボタンを押すと、鳴いたり歌ったりする高級品。ふたつ

で軽く 1000ルーブルを突破。子供のものには糸目をつけない。

次に美紀の土産にバッグを買う。本皮か合皮か臭いをかいで確かめる。どうやら本皮の

ようだ。値段が書いてないので、韓国系の顔をしたオバサンに聞いてみたがロシア語でし

か答えてくれない。

「紙に値段を書いてよ」と言って手渡すと漢字で「皮」と書いてあった。苦笑しながら

電卓を渡し、値段を表示するように頼む。大きな声じゃ言えないが 350ルーブル。格安だ。

考えて見たら残地韓国人かも知れないから日本語が通じたかも。何故か俺はずっと通じ

ない英語で話していた。バカか俺は。

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一気の買い物で 1000ルーブルしかなくなった。今晩みんなで飯を考えると残しておきた

い金だ。全然自分のものを買ってないが、カードローンで借りた金で家庭を犠牲にして旅

をしているんだから贅沢は言えない。思い出とクバン娘から貰ったペンダントで十分。

そう思いながら、革製品屋の前を通りかかるとレザーベストが目に入った。じつは最初

に見たときから欲しいと思っていて、是非欲しい一品だった。

 一着持っているが、24歳のスリムなときに買ったので悲しいかな今着ると不動 明が

デビルマンに変身する時のように破れそうだ。

何故かレザーベストは迷彩服の次くらいにサハリン男に流行っていて、ノグリキで書類

を作ってくれた若き署長(…かも)もご愛用。格好よかった!

相場はどこも 1000ルーブル。でも今、1000ルーブルしか持っていない。サイズを見る

と3Lとか、それ以上とかビッグサイズしかない。

ま、仕方ないな、サイズも金もないし…と諦めをつけ過ぎ去ろうとすると、店員が「お

前に合うサイズがあるよ」と言ってXLを持ってきた。

「着てみなよ」と言われ試着すると、少し大き目だがいい感じ。値段は 1000ルーブル。

ありゃ素敵! と思ったが 1000ルーブル払ったら文無しだ。「いらねーよ」と言って過ぎ

去ろうとすると今度は 800ルーブル。また「いらねーよ」と言って過ぎ去ろうとする俺。

段々勝手にディスカウントされ、「じゃあ、500ルーブル」と言われ考えが変わった。

2000円くらいか? 買う、買う。絶対これ着てエリミネーター・サイドカーに乗ったら

決まるもの。しかし、正札つけてるくせにボッてたのか? それとも出血大サービスなの

か?

予定通りの買い物を終え、3時

前にロビーに行くと二人の姿が見

えなかった。結局3時になっても

来ない。バイクだけノグリキに戻

っても困るので、先に駅に向かう。

 すでにバイクはホームに降ろさ

れていた。10分くらい遅れて二

人も到着。先ほど見かけた日本人

ライダーもやって来た。インター

ネット主催者のパクリさんは有名

人なようで、「もしかして、パクリさんですか!」と驚かれてたので、「パクリさん、ネッ

トアイドルじゃない!」と冷やかした。

 二人組のうちの一人は前妻がロシア人、サハリンは9度目で以前サハリンに住んでいた

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事もあると言う不思議な人だった。声がロックっぽい。当然ロシア語もペラペラ。

 その彼にサハリンツーリングが初めてな BAKUさんが雄弁に語っているのを聞いて、パ

クリさんが「やめな。この人はプロだよ」と苦々しい顔で嗜めていた。

ハサミを使ってキーを開けようとしたが駄目だった。

パクリさんらが去った後、先ほどの二人は俺のバイクを治すのを手伝ってくれた。「キー

をガキに盗られた」と言うと、「ロシアのガキは轢き殺せ」と言われた。

配線表を見ながらつなぎを換えてみるが、一向にエンジンがかかる気配がない。結局2

時間近く試してくれたが、諦めざるを得なかった。

「トラックでコルサコフに運ぶとしてインツーリストが手配してくれなかったら、ここ

に電話をして。」と言って知り合いの会社の電話番号を貰った。礼を言って二人と別れる。

トランスポーターを頼むなら 500ルーブルでは足りないだろう。5時を回ってたのでや

っているか保障はなかったが市役所の近くの銀行に行く。幸い営業していた。

財布には万札しかない。5000円だけ両替したかったが、釣りは出せないと言われ、渋々

10000円を両替する。

次にホテルに戻り、インツーリストにトラックの手配を頼む。ジェーニャが不在で唯一

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英語を話せる奴に頼む。明日の朝8時に迎えに来て欲しいと言う。通じたようだが不安だ。

 まだ時間があるのでドーム・タルゴーブリデパートに向かう。バイクが使えないので徒

歩だ。効率が悪い。せっかくデパートに着いたが、18時で閉店していた。ちなみにデパー

トは名ばかりで、大型スーパーのような外観だった。それでもこの国に、こんな店が出来

てること自体変貌していると言うことだろう。

もう一箇所、最近できた複合商業施設777のそばにスラビヤンスキーバザールと言う

ところがあるので行ってみた。そこは 20時までやっていて、サハリンのどことも一線を引

くような華やかさがあった。

真新しい二階建ての建物で、一階がカフェと高級スーパー(マガズィーンではなく日本

のデバ地下に似た感じ)、そして高級子供服とおもちゃ屋、二階はジーンズショップ、アン

ティークショップ、携帯電話会社、レディースショップ、宝石店などが入っている。

建物の前には子供が遊べる遊具が置いてあり、ハイソサエティな子供のいる30代夫婦

をターゲットにしていると想像できる。ま、日本のショッピング・モールと変わりないん

だけど、LEGOのゴロの看板や店の作りがアメリカナイズされ異質に感じる。

 売っている物も高級で他とは桁一つ違う感じだ。ジーンズショップでTシャツでも買

おうとしたが、サハリンでは高級ブランドなのか、どれもこれも日本で買った方が安いく

らいの値段だ。アンティークショップで双方の親に 350ルーブルのオルゴール付き人形を

二個購入。その人形は二点しかなかった。日本のように沢山在庫があるわけではないよう

だ。

おもちゃ売り場をのぞいて見た。子供用の電動バイクがトイザラスより少し安い。思わ

ず買おうとしてしまった。実物のバイクは珍しいのに、おもちゃが売ってるって言うのも

変な感じだ。

次に子供服を見る。店員に「身長 90cmの女の子用の服が欲しい」と言い、いくつか見繕

う。なんと上下で 2000ルーブルを越える物もざら。いくら子供の物には糸目をつけない俺

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でも限度がある。普段でも着れそうな 650ルーブルのオーソドックスな物を選ぶ。

カウンターの上には、何故か蜂の格好をしたクレヨンしんちゃんの縫いぐるみがあった。

ドラえもん同様、世界各国で放送されている。実際、韓国でもタイでも見た。まさか、ロ

シアまで放送してるのか?

「アイムソーリ、ヒゲソーリ」とか、「おつやー、おつやー、三時のおつやー」などのイ

ンを踏むようなギャグは何と訳されてるんだろうか?

喉が渇いたのでスーパーに寄ってみる。セキュリティが万全で、係りのオバサンにリュ

ックはロッカーに入れるようにと言われた。鉄格子の中で品物の受け渡しをするキオスク

とも対面販売ながら客には一切商品を触らせないマガズィーンとも違う。客自ら商品をカ

ゴに入れ、レジで会計をするスーパーマーケット方式だ。日本のお茶漬けやお茶も売って

いる。

明日、日本に帰れば好きなだけ飲めると言うのに、発見した嬉しさにつられて「おーい

お茶」を購入。日本の 1.5倍の値段だった。バカか俺は!

ホテルに戻る途中でパクリさんと BAKUさんが通り過ぎるのが見えた。ホテルに戻ると

すでに到着していたので、最後の晩餐に出かけた。

 どこへ行ってもレーニン像がある。

レーニン(ウラジミール・イリイッチ・ウリアノフ)

(1870~1924)シンビルスク生まれ。世界初の社会主義国家をたてた,ロ

シア革命の指導者。学生時代から革命運動に参加してシベリアへ流刑され,その後

も国外への亡命をくりかえした。1917年の三月革命後帰国,ボリシェビキ党(ソ

連共産党)をひきいて武力で臨時政府をたおし,ロシア十月革命を指導、世界初の

社会主義国家(ソビエト連邦)を樹立した。対ソ干渉戦争とたたかい,新経済政策

(ネップ)で経済的な基礎をかためるとともに,国際革命運動を指導した。

 

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今日は他に日本人ライダーが多くユジノに潜伏していると聞いていたが、ホテル・モネロ

ンでは発見できず。ノグリキで一緒だった向坂さんが泊まっているらしいので、ルームナ

ンバーを聞き、ノックしてみるが不在なようだ。

 いつもの三人で街に繰り出す。俺と BAKUさんはルーブルを使い果たしていたのでパク

リさんから借りて日本円で返すことにする。

 

パクリさんに任せてレストラン「スラビャンカ」に行く。中に入るとなんとビックリ!

一人で飯を食っている向坂さんと再会! よかった。ノグリキで借りっ放しの本が返せる。

スラビャンカはもう閉店だということで向坂さんを誘い再び飯屋探し。暗くなりパクリさ

んが迷っているようだ。サハリン四度目のパクリさんだけを頼らないよう、さっきレーニ

ン公園近くで明け方までやっているカフェを見つけたが、駄目かい?

結局サヒンセンターそばのカ

フェ「ヴェチェルニエ」に入る。

メニューは英語表記されていた。

ロシア粥のカーシャを頼んだは

ずが出てきたのは白米。仕方が

ないので一緒に頼んだメンチカ

ツと食う。

ウェートレスは韓国風の顔を

していたので、さりげなく「ア

ンニョンハセヨ」と言ってみたが分からないようだ。彼女は完全にロシア人なんだろう。

いまだに「在日」と言って区別している日本がおかしい。

BAKUさんが自由市場で日本語で話し掛けてきた物売りのオバサンに「日本語お上手で

すね。」と答えたらしく、「残留の日本人か強制的に日本人化させられたなんだから、うま

いのは当然だよ。その言い方はスゲー失礼だよ」と怒っていた。

24歳の誕生日、俺は朝鮮半島のDMZにいた。通称板門店。焼肉屋じゃないぞ! 韓国

と北朝鮮の軍事国境線だ。翌日は独立記念館に行った。7棟に分かれて韓国の独立の歴史

を展示してあり、ロウ人形を使って日本兵の残虐行為をリアルに再現している。韓国の歴

史を教えるために、韓国の学校ではここを訪れることになっていると言う。

昨今の北朝鮮問題(ブーム?)で、朝鮮学校に嫌がらせをする日本人や、焼肉屋に入り、

北の出身か南の出身か聞いて、北の出身だと聞くと暴言を吐いて店を出る日本人がいると

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聞く。

「関東大震災は朝鮮人のしわざ」とデマを流され、大量の虐殺があったと聞く。勝手に

連れて来て使い捨てに殺し、何か不都合があればやつあたりに殺す。今回の拉致問題や万

景峰号の来航について「拉致被害者は戻れないのに、北朝鮮人があの船に乗って戻れるな

んて許せない」と言っているバカがいた。

かつて日本は朝鮮半島に住む人に対して、もっとスケールのでかい拉致・虐殺をしたん

だぞ。在日韓国・朝鮮人と呼ばれる人たちが日本にいるのは、カッコつけてアメリカで暮

らす日本のバカとは全然違う。

「ハングル=韓国語で恨み」どこに対して、何に対して恨みを持っているのか歴史的事

実を歪曲することなく伝えることが占領した国々及び在日や残留(俺は残地と呼ぶ)と呼

ばれる戦争犠牲朝鮮人(韓国・北朝鮮の区別は 1950年の朝鮮戦争以降の名称。日本占領時

代は朝鮮)に対しての責務だと思う。

今日は 8月 15日。日本は敗戦記念日でロシアは勝戦記念日。韓国は独立記念日だ。それ

ぞれの国において意味合いが違う。

食事を終えてホテルに戻と、インツーリスト社長のイバノバからメッセージが届いてい

た。電話で話したとおり明日の確認事項が書いてあった。代金は予想通り 1000ルーブル。

内容は下記の通り。

Mr Masakazu YoshidaOn 16/08 at 08:00 the track will come to Moneron Hotel (track No 584)You’ll house to Rosd your motorcycle by yourself.Also you should pay 1000Rubles to the track’s Driver.

P.S. Be careful with your motorcycleNext timeGood-luck!

時間はすでに 1時。ちよっと飲み足りなかったので、ホテル内のキオスクにビールを買

いに行く。こんな時間でもキオスクは開いていた。しかもその前で静かに酒盛りをしてい

るロシア人が二人。

「やぁ、一緒に飲もうぜ」と声を掛けられる。一緒に飲もうぜって言う時間じゃないだ

ろう。さらに通りかかった日本人女性にも絡んでいる。その女を見ると、以前会った増田

明美に似た女だった。彼女もあちこちに行き、長い滞在だったようだ。明美も明日のフェ

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リーで帰ると言う。

絡まれて迷惑そうだったので、「彼女は俺の友達….のようなものだ。俺が相手になるから

絡むなよ」と言って逃がす。話してみると悪い奴ではなさそうだ。「お前、緑のバイクに乗

ってる奴だろ」と言われる。何で知ってるんだ? 明日が早いので 10分くらい付き合って

部屋に戻る。今夜はサハリンが最後の夜だと思うと、なかなか眠れなかった。

すでに2時過ぎなのに興奮気味で元気な顔。この日初めて違うビールを飲んだ。

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8月 16日 「風通信」

 7時に目覚め、支度を済ませて駐車場にバイクを取りに行く。よく見るとタンクからキ

ャブにつながる燃料ホースが割れている。また、激走振動のせいでボルトが抜け落ちてい

る。新品に換えてきたタイヤもひどく減っている。

 ホテルに戻るとパクリさんが出てきた。「BAKUさんは?」と聞くと、約束の時間になっ

ても出てこないらしい。ノックをしても返事がないので、バイクを取りに言ったと思って

見に行ったが、バイクはそのままだったと言う。「あーあ」と言う顔になってる。

 約束どおり8時にトラックが来たので先にコルサコフへ向かう。ドライバーはロシア人

としては珍しく、バイクのことを尋ねるでも話し掛けるでもなく、淡々とコルサコフへ向

かう。コルサコフの街に入り初めて口を開く。「どこで降ろしたらいい?」すでに停泊して

いるフェリーを指差して教える。

コルサコフ・フェリーターミナル。パクリさんから関税申告カードを貰って記入。

 荷物を片付けているとパクリさんと BAKUさんもやって来た。すでに乗り込みは始まっ

ているので、急いで手続きを行う。

 来たときと同じように荷物をバスに載せて先にバイクでフェリーに向かう。バスはまだ

発車しないようなので、荷物が先に着かないように、約 200mをKDXを押して全速力で

走りフェリーへ向かう。

 俺が到着するとバスも着いた。息が上がったまま重い荷物を運びフェリーの中に入れる。

とりあえず、客室に手荷物を置く。すでにバイクが 10台ほど入っていたが、先に洗車を終

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えていると見えてどれもピカピカだ。ロシアの土は日本に持ち込めないので、俺もすぐに

甲板に戻って洗車を始めなければならなかったが、寝不足とタバコの吸いすぎか、息が上

がったまま立てず少し休む。

 10分ほどして、BAKUさんがやって来て、「時間がないんで甲板の人カリカリしてるん

だよ。すぐ洗車して」と呼びに来た。甲板にに降りると年配のライダーに、「くつろいで

る場合じゃねーだろう!」と怒鳴られた。「オヤジ、人の状態も知らないで!」腹が立っ

たが、そんなことを言っている場合じゃないのでホースとブラシを借りて洗車に取り掛か

る。

 汗だくになりながら約 1時間掛けてフェンダー内や外装の内側まで洗う。今度来るとしたら、ブラシや洗剤を持って来て前日にバラして洗っておいた方がよさそうだ。ただし土を

海に洗い流していたから、甲板で洗剤を使うのは無理だろう。

 ようやっと一息つく。昼飯が配られたが、日本から持ち込んだものらしく日持ちのする

チープな物だった。

 さっき怒鳴ってきたのはサハリン州知事の招待を受けたハマーオーナーズクラブの一人

だった。キーを盗られて息を切らして押して運んだことを話すと「そりゃあ、大変だった

な」と言われた。分かってくれてよかった。

 

 喫煙所を兼ねたラウンジには流暢な日本語を話すロシア人女と、アグネスチャン以下の

日本語を話すロシア人男がいた。男の方は何か落ち着きがなく、大澄賢也ロシア版と言っ

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た感じだ。

 賢也は唐突に「バイクの趣味の終わりはどこですか?」と聞いてきた。ハマーのオヤジ

が、「年を取って乗れなくなるまでだ。もし乗れなくなってもバイクを見たり、触ったりす

るかも知れない」と答えていた。

 俺が「趣味って飽きるまで続くものだから、いつで終わりって言うのはないんじゃな

い?」言い、「賢也の趣味は何?」と聞くと、胸を張って「五目並べ」と答えた。意外な趣

味に一同爆笑!「サハリンの女は綺麗だ」と言うと、「うん、綺麗。その中でも一番綺麗な

のは彼女」と、流暢に日本語を話す女をさりげなく口説いていた。やっぱり大澄賢也ロシ

ア版だ。

 来たときのように揺れることがなく、洗車で時間が取られたせいか意外と早く稚内に到

着する。基本的に出国者の手続きが優先されるはずだが、関係なくロシア人が入国しよう

としている。窓口には長者の列が出来ていた。そこで行きのフェリーで会ったアリーナと

母親と再会。ちよっと立ち話をする。

唯一写真が撮れたロシア美人。母親らしくやわらかい感じがいい

 思いのほかロシア人の入国が多く、これが終わらなければバイクの通関が出来ない。定

刻より 1時間遅れの 14時に入港したが、この分だと 15時 30分の利尻島鴛泊行き最終フェ

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リーに乗り遅れる可能性がある。

 KDXは修理に出すので、たかはしスポーツサイクルさんに待ってもらっている。係員に

話すと、手続きが終わる頃には 15時 30分のフェリーに間に合わないようなので、係員に

通関手続きをおこなってもらい、その後たかはしスポーツサイクルさんに引き渡すようお

願いする。

 

 ここでみんなと別れ、たかはしスポーツサイクルさんに利礼航路ターミナルまで送って

もらう。最後はKDXと一緒に帰還できなかったのが残念だ。

 時間があったので二階の食堂に行き塩ラーメンを頼む。当たり前だけど注文も支払いも

スムーズだ。日本に帰ってきたと実感する。とりあえず無事帰国!! 久しぶりに充実し

た旅だった。

これにて三部作 完

*写真提供 パクリさん&BAKUさん