小樽港における港湾利用の歴史的変遷...100年間、日本海の荒波から小樽港を守る北防波堤。小樽港における港湾利用の歴史的変遷 1 小樽港
PAAI19 仏教小史
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PHILOSOPHY AS ADVENTURES OF IDEASWEEK19
仏教小史A SHORT HISTORY OF BUDDHISM
(IN JAPANESE)
Kazuyoshi KAMIYAMA
2017/3/09
CONTENTS
釈迦原始仏教龍樹禅宗仏教遺跡インド仏教復興運動チベット仏教
釈迦(Gotama Siddhattha)ゴータマ・シッダールタ
ネパール・ルンビニ生まれ、釈迦族の王子
前565~前486年説、前465~前386年説
•
時代背景(紀元前6世紀、5世紀インド)
ガンジス川中流地域
アーリア人と先住民族の混血
稲作、商工業の興隆、都市の出現(王国、一部では貴族による共和政)
新しい自由思想家たち(「ヴェーダ」を奉ずるバラモン[→後のヒンドゥー
教]に対抗): 「六師外道」(ろくしげどう)six non-Buddhist masters
唯物論、 決定論(もしくは運命論)、懐疑論(サンジャヤ)、
快楽主義、苦行主義、虚無主義
釈迦がめざしたこと
(形而上学的問題を離れ)
宇宙の真のしくみを学び、
それを知ることによって心の平和を得る
修行と成道
出家後6年の修業:はじめ苦行、後「中道」(Middle Way)
菩提樹の下、瞑想の中で悟る (enlightenment, awakening 成道)
仏陀Buddha(如来=修行完成者)となる
悟り
宇宙のしくみ
「すべての存在は関係で成り立っている」(縁起arising in
dependence upon conditions)
「事物は常に変化し、不変のものはない」(無常impermanence)
(→空の思想)
苦からの解放(解脱)
苦(思うようにいかないこと)の原因:物事への執着
執着しようとしても、執着の対象(不変なもの)などないの
だから、執着は無意味
→ 涅槃Nirvana(心の平和)
最初の説法(苦行仲間の5人相手に説く、初転法輪)
The Four Noble Truths 四諦(したい) :
1.The suffering is an ingrained 染み付いたpart of existence;
2.The origin of suffering is craving切望する; for sensuality,
acquisition of identity, and fear of annihilation消滅;
3.The Suffering can be ended;
4.The following the Noble Eightfold Path is the means to accomplish
this.
あえて断定(後の話の展開に必要な公理として述べる)
THE NOBLE EIGHTFOLD PATH八正道
right view
right intention
right speech
right action
right livelihood 生計
right effort
right mindfulness 心がけ
right concentration
(http://novaonline.nvcc.edu/eli/evans/his111/Notes/Buddha.html)
対機説法相手の力量にあわせて説く
キサー・ゴータミーの例
キサー・ゴータミー:死んだ赤ん坊を抱え、生き返らせてくださいと釈迦
に訴える。
釈迦:「わたくしが赤ん坊を生き返らせてあげよう。村へ帰って、芥子の
実を二、三粒もらってきなさい。ただし、その芥子粒は、いままで死者を
出したことのない家からもらってこなければならない」
キサー・ゴータミー:村にとって返した彼女に、村人は喜んで芥子粒を提
供しようとする。しかし、第二の条件に対しては、「とんでもない。うちで
は父や母の葬式もしたし、子供の葬式も出した」
家から家へかけめぐるうちに、キサー・ゴータミーにも少しずつわかって
きた。生まれてくるものは必ず死すべきものであることが。そのことに気
づいた彼女は、わが子を墓所に葬り安らぎを取り戻した。
キサー・ゴータミー:村にとって返した彼女に、村人は喜んで芥子粒を提
供しようとする。しかし、第二の条件に対しては、「とんでもない。うちで
は父や母の葬式もしたし、子供の葬式も出した」
家から家へかけめぐるうちに、キサー・ゴータミーにも少しずつわかって
きた。生まれてくるものは必ず死すべきものであることが。そのことに気
づいた彼女は、わが子を墓所に葬り安らぎを取り戻した。
教え
『ブッダのことば―スッタニパータ』 (岩波文庫) 中村 元訳から最古の仏典の一つ
四方のどこにでもおもむき、害心あることなく、何でも得たもので満足し、諸々の苦難に堪えて、恐怖することなく、犀の角のようにただ独り歩め。
義ならざるものを見て
邪曲にとらわれている
悪い朋友を避けよ。
貪りに耽って怠惰な人に、みずから親しむな。
犀の角のようにただ独り歩め。
(ブッダが答えた)
つねによく気をつけ、
自己に執着する見解を打ち破って、
世界を空なりと観ぜよ。
そうすれば死をわたることができるであろう。
あたかも、母が己が独り子をば、
身命を賭しても守護するように、
一切の生きとし生けるものに対しても
無量の慈しみのこころを起こすべし。
あたかも、母が己が独り子をば、
身命を賭しても守護するように、
一切の生きとし生けるものに対しても
無量の慈しみのこころを起こすべし。
「私の姿を拝んでどうしようというのか」
(偶像崇拝の否定)
「私の姿を拝んでどうしようというのか」
(偶像崇拝の否定)
釈迦の思想(仏教)の最大の特色
人間の心に根ざし、人間自身の生き方を根本問題とする
祇園精舎
釈迦最後の旅
40数年に渡った長い布教の旅で、いつしか釈迦も齢80を迎える。自分の死が近いことを知った釈迦は、弟子アーナンダとわずかな者をつれシャカ国の都城カピラヴァストゥを目指して旅立った。今やシャカ国は滅んでしまったが、そここそは、人間・釈迦の故郷であった。
重い病に冒されながら旅路を続ける釈迦。途中の町ヴェーサリーを去る時、ゆっくりと振り向いた釈迦は弟子アーナンダに感慨を込めてこんな言葉を漏らしている。
「アーナンダよ、これが私がヴェーサリーを見る最後だろうよ。ああ、ヴェーサリーは美しい…」
この世界は何と美しく、人間の命は何と甘美なものなのだろう…(日本テレビ「知ってるつもり」から)
参照:http://kamishiba1.exblog.jp/17092883/
原始仏教(ORIGINAL BUDDHISM)
アジャンターの石窟寺院群
アジャンター第 26窟
(チャイティヤ窟) の内部
5世紀末
聖なる存在としての仏陀に
永久に残る住居である
窟院をささげる
結集
結集 (けつじゅう)のサンスクリット語の意味は「ともに歌うこと」
比丘(びく)たちが集まって釈迦の教えを誦出(じゅしゅつ)し、互いの記憶を確認しながら、合議の上で聖典を編集した聖典編纂会議
釈迦の滅後数百年間、その教えはもっぱら記憶暗唱を頼りとして受け継がれたから、その散逸を防ぎ、また教団の統一化をはかるためには、このような結集が幾度か必要とされた。
数度にわたる結集を経て、釈迦の教えは三蔵(大蔵経、一切経、六千巻!)
という膨大な経典群としてまとめられた。
注:三蔵
経 (sutra) –釈迦の説いたとされる教えをまとめたもの
律 (vinaya) - 規則・道徳・生活様相などをまとめたもの
論 (abhidharma) - 上記の注釈、解釈
大乗仏教第2回経典結集の前後から(釈迦滅後100年ごろ)、戒律の解釈をめぐって仏教教団が分裂、上座部系統と大衆部系統に分かれる(根本二部分裂)
上座部系統:思弁哲学的傾向を強め、閉鎖的な僧院生活に閉じこもりがち
→小乗仏教 (スリランカ、タイ、ミャンマー(ビルマ)、ラオス、カンボジアなどに伝わる。「南伝仏教」)
大衆部系統:上座部系統の流れをくむ部派仏教の出家信者中心のいき方に対して、在家信者を中心とした民衆救済を目的とする活動を展開 → 大乗仏教
「般若経」「華厳経」「維摩経(ゆいまきょう)」「法華経」「大無量寿経」などの大乗経典が成立
チベット仏教
龍樹 空の思想
2世紀末、南インドに現れた龍樹(ナーガ-ルジュナ)は、空
観(一切の存在には本性がなく、実体をもたないという真理
を観想する方法)を中心として仏教の体系化をはかる
中観派
般若心経
大乗仏教の空・般若(悟りの智慧)思想を説いた経典の一つ
西暦2~3世紀にインドの龍樹が般若経典の注釈書である
『大智度論』を著したとされ、般若心経もこの頃に成立した
ものと推定されている
• 漢訳:鳩摩羅什(くまら じゅう、350-409頃)
玄奘三蔵(602-664) 『大唐西域記』
*300字足らずの本文に大乗仏教の真髄が説かれているとされ、一部の宗派を除き、読誦(どくじゅ、誦はそらで唱えること)経典の一つとして、広く用いられている
色即是空 空即是色
舎利子。色不異空。空不異色。色即是空。空即是色。受想行識。亦復如是。
この世においては、物質的現象には実体がないのであり、実体がないからこそ、物質的現象で(あり得るので)ある。
実体がないといっても、それは物質的現象を離れてはいない。また、
物質的現象は、実体がないことを離れて物質的現象であるのではない。
(このようにして)およそ物質的現象というものは、すべて、実体がないことである。およそ実体がないということは、物質的現象なのである。
(中村元・紀野一義訳注『般若心経・金剛般若経』)
(物事にとらわれず自由に思考すべし)
無著、世親 唯識の思想
4~5世紀:無著(アサンガ)、世親(ヴァスバンドゥ)の兄弟に
よりインドにおける大乗仏教は完成
唯識派
唯識の思想
自己と自己を取り巻く自然界の全存在は自己の根底の心である阿頼耶識(あらやしき)が知らしめたもの、変現したものである。
ただ心のみがあり、外界には事物的存在はない
ヨーガ(瑜伽(ゆが))
で唯識を体験すれば、心が浄化され、
ブッダの知恵が得られる
禅宗
南インド出身の達磨(5世紀後半から6世紀前半)が中国に入り教えを
伝えて成立
不立文字(ふりゅうもんじ):文字・言葉の上には真実の仏法がない(言語の持つ欠陥に対する注意)
教外別伝(きょうげべつでん):人格を相伝すること。文字や言葉を残す以外にも、禅師の全人格をそのまま弟子に伝えることが重要
坐禅を基本的な修行形態とする
なぜ座禅?
「水のことを説明しても実際には濡れないし、火をうまく説明しても実際には
熱くならない。本当の水、本物の火に直に触ってみなければはっきりと悟る
ことができないのと同様。食べ物を説明しても空腹がなおらないのと同様」
で、実際に自身の内なる仏に覚醒する体験の重要性を説明し、その体験は
言葉や文字を理解することでは得られない次元にあると説き、その次元に
は坐禅によって禅定の境地を高めていくことで到達できる(沢庵和尚)
7世紀以後、
ヒンドゥー教、イスラム教におされ、
インドの仏教は衰退
中国,唐の時代「会昌の廃仏(法難)」 (9世紀)を機に後衰退
日本、欽明天皇13年(552、538年説あり) 仏教公伝
聖徳太子(574~622)による保護、興隆
サーンチーの仏教遺跡中インド、マディヤ・プラデシュ州、デリーの南方約 580KM
• 古代インドで支配的な宗教であった仏教は、インド亜大陸全土に寺院や僧院、ストゥーパを建造した。 その大半は仏教の衰退と共に崩れ、焼け落ち、破壊されて、消え失せてしまった。しかしサーンチーの丘の上には樹木でおおわれ、人々から忘れ去られたために、かえって破壊を免れた紀元前後のストゥーパ群が奇跡のように生きのびて、19世紀にイギリスの将軍によって発見された。 大きな土饅頭のようなストゥーパの周囲には日本の鳥居にも似たトラナが立ち、そこにほどこされた石のレリーフ彫刻は、インドの古代美術の精華であるとともにブッダの教えを絵解きする「石の絵本」 でもあった。 発見当初は乱暴な調査や盗掘で損傷を受けたが、その後、学問的な調査と忠実な復元によって往古の仏教センターの姿を髣髴させる。 今ではサーンチーは世界の仏教徒にとって、貴重な聖地のひとつである。
想像復元図
これらの建造物の造営は 2期に大別される。
第1期は古代のマウリヤ朝からシュンガ朝、サータヴァーハナ朝の時代 (前
3世紀~後 1世紀) であり、
第2期は中世のグプタ朝以降の時代 ( 4世紀~11世紀 ) である。
したがってサーンチーは、インドにおいて仏教が栄えていたほとんどの時代
を通じて、一大仏教センターとして機能していたのである。
ブッダの生涯と直接の関係もないのにこれほど栄え、多くの施設が建てら
れたのは、ヴィディシャーの商人たちの保護によるものと考えられる。
世界最古の国際大学・ナーランダ寺院、再建へ
【2007年8月10日】
インド北部のビハール州にあるナーランダ寺院遺跡は、5世紀から12世紀まで続いた仏教学の聖地であり、世界最古の大学の一つであったが、1193年にイスラム勢力に
よって破壊されたと言われる。
インドは現在、日本などのアジア諸国と協力して、破壊から810年余り経つこの遺跡を再建する準備をしているという。
中央社が伝えた。
ナーランダ寺院は、427年前後に、ビハール州の州都パトナーの東南55km付近に建てられた国際大学で、最盛期には、蔵書900万巻、学生1万人、教師2千人を誇る世界で最も古い大学の一つで、中国、韓国、セイロン(現スリランカ)、インドネシア、ペルシア(現イラン)の僧侶や学者がやって来て学んでいたという。中国唐代の高僧・玄奘三蔵も西域に経典を授
かりに行った際この寺院で5年ほど学んでいる。
ナーランダとはサンスクリット語で「知恵を授ける者」という意味で、同寺院は古代インド佛教の最高学府であり学術センターであったと同時に、哲学、論理学、言語学、天文学、数学、医学などの知識も教えていたと
いわれる。
ところが、1193年、Bakhtiyar Khalji率いるイスラム勢力の大軍の侵略を受け、寺院と図書館は破壊されてしまい、多くの僧侶は殺されるか、
チベットや隣国へ逃れ、廃墟となった。
(http://www.epochtimes.jp/jp/2007/08/html/d71851.html)
ナーランダ寺院は、427年前後に、ビハール州の州都パトナーの東南55km付近に建てられた国際大学で、最盛期には、蔵書900万巻、学生1万人、教師2千人を誇る世界で最も古い大学の一つで、中国、韓国、セイロン(現スリランカ)、インドネシア、ペルシア(現イラン)の僧侶や学者がやって来て学んでいたという。中国唐代の高僧・玄奘三蔵も西域に経典を授
かりに行った際この寺院で5年ほど学んでいる。
ナーランダとはサンスクリット語で「知恵を授ける者」という意味で、同寺院は古代インド佛教の最高学府であり学術センターであったと同時に、哲学、論理学、言語学、天文学、数学、医学などの知識も教えていたと
いわれる。
ところが、1193年、Bakhtiyar Khalji率いるイスラム勢力の大軍の侵略を受け、寺院と図書館は破壊されてしまい、多くの僧侶は殺されるか、
チベットや隣国へ逃れ、廃墟となった。
(http://www.epochtimes.jp/jp/2007/08/html/d71851.html)
「ナーランダ大学」復興ヘ各国有識者で構成の賢人会で構想協議
(2007年12月18日)
古代インドで仏教の最高学府として栄えたナーランダ大学を、アジアの
新たな知の交流拠点として復興する国際的な計画が進められている。
十五、十六両日には、アジアで初めてノーベル経済学賞を受賞したイン
ド出身の経済学者アマルティア・セン・ハーバード大学教授が議長を務
め、インド・日本・中国・シンガポール・英国・米国の有識者で構成される
賢人会の会合が東京都内のホテルで開かれた。
今年七月のシンガポールでの会合に続き二度目となる今回は、プロジ
ェクトの意義やカリキュラム、運営方法など幅広い構想が話し合われた。
http://www.chugainippoh.co.jp/NEWWEB/n-news/07/news0712/news071218/news071218_01.html
インド仏教復興運動
ビームラーオ・ラームジー・アンベードカル(Ambedkar 1891 - 1956)
インドの政治家(ネルー内閣の法務大臣)、思想家
インド憲法の草案作成者
反カースト(不可触民〈ダリット,アチュート〉改革)運動の指導者
不可触民出身
アンベードカル 『ブッダとそのダンマ』山際素男訳、光文社新書(2004年)
(DHAMMA(ダンマ):法)
現代インドのカースト制度
基本的にはカースト間の移動は認められておらず、カーストは親から子へと受け継
がれる。結婚も同じカースト内で行われる。
カーストは古い起源を持つ制度である。現在は1950年に制定された憲法で全面禁
止が明記されているものの、実際には人種差別的にインド社会に深く根付いている。
カーストが成立した時期には存在しなかった職業などはカーストの影響を受けないと
言われる。IT関連産業などは、当然カースト成立時期には存在しなかったので、カー
ストの影響を受けない。インドでIT関連事業が急速に成長しているのは、カーストを
忌避した人々がこの業界に集まってきているからと言われている。
カーストは親から受け継がれるだけであり、生まれたあとにカーストを
変えることはできない。
ただし、現在の人生の結果によって次の生で高いカーストに上がること
ができる。現在のカーストは過去の生の結果であるから、受け入れて人
生のテーマを生きるべきだとされる。
カーストとはヒンドゥー教の根本的世界観である輪廻転生(サンサーラ)
観によって基盤を強化されている社会原理である。
ヒンドゥー教は
バラモン教から聖典やカースト制度を引き継ぎ、土着の神々や崇拝様
式を吸収しながら、徐々に形成された多神教
不殺生を旨としているため、肉食を忌避、菜食主義
ヒンドゥー教の浄・不浄の概念
もっとも身分が高い階級は最高に清浄であり、身分が下がるに従って
ケガレも増す。
現世の身分を決定するのは前世の行いであり、現代の自分に与えられ
た身分(職業)に没頭することで、来世のよりよい身分が約束される。
(→下の階級が上層階級へ尽くすことこそが、自らを救済する道)
ガンジス川での沐浴(罪を流し功徳を増す)
アンベードカル(ダリット出身)はヒンドゥー教の欺瞞性に気づき、インド本
来の宗教であるブッダの教えを再発見する。
ブッダの教えにはヒンドゥー教のような階級差別は存在しない。それは、イ
ンドが生んだ偉大な宗教。
実は、ブッダの宗教を葬り去ったのがインドに侵入したアーリア人であり、
それが自分たちを”奴隷化”するためだったことを彼は発見する。
注:マハトマ・ガンディー:インド独立の父(1869 - 1948)
不服従
非暴力
1947年インド独立
マハトマ・ガンディーは不可触民制廃止のために戦った。
しかし彼は、一度としてカースト制度を否定したことはなかった。
ガンディーが目指したのは、不可触民(アウトカースト)をカースト内の最
下層に収めることだった。
(ガンディーはヴァイシャ階級出身)
アンベードカル
1959年10月14日
ナーグプールで30万人の人々とともに
仏教に集団改宗
12月6日死去
佐々井 秀嶺インド仏教復興運動の中心人物の一人
日系インド人僧侶
『必生闘う仏教』 集英社新書(2010年)
チベット仏教
死者の書
1950年中国軍チベット制圧ダライ・ラマ亡命
ノーベル平和賞受賞(1989)
モンゴルの仏教
チベット人もモンゴル人も大乗仏教を信仰し、高度の精神的権威としてダライ・ラマを崇めている。
16世紀、モンゴルの国王は、ダライ・ラマに「智慧の大海」という意味のダライ・ラマの称号を与えた。
1904年、英国軍がラサに侵攻したとき、先代のダライ・ラマ13世はモンゴルへ1時避難した。
240万人のモンゴル人のうち90%が仏教徒
ガンダン・ンテグチンレン寺院は1924年モンゴルが共産国になる
まで重要な仏教の教えの場であった。
モンゴルの共産主義支配は、決していかなる宗教も認めず、モス
クワにスターリン政権がある間、宗教の実践を禁止した。モンゴ
ルの共産主義政権は、モンゴルもソ連から多大な援助のもとにあ
った。モンゴルの仏教は、総選挙後少しずつ復興し、1990年の民
主的な憲法ができてからさらに蘇った。
参考文献
中村 元『原始仏典』ちくま学芸文庫
“Buddha”
(http://novaonline.nvcc.edu/eli/evans/his111/Notes/Buddha.html)