作文コンクール...

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当日消印有効 応募期間 平成27420日(月) 619日(金) 主催/国土交通省、建設産業人材確保・育成推進協議会 作文コンクール作品募集 届けよう! 建設業への強い想い... 建設業で働く方々の作品 建設業で働く方々の作品 “未来を創造する”建設業「私たちの主張」作文コンクール “未来を創造する”建設業「私たちの主張」作文コンクール 工業高校生の方々の作品 高校生作文コンクール 工業高校生の方々の作品 高校生作文コンクール 作文コンクール 平成27年度 建設産業人材確保・育成推進協議会 入賞作品集

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当日消印有効応募期間

平成27年4月20日(月) 6月19日(金)主催/国土交通省、建設産業人材確保・育成推進協議会

作文コンクール作品募集

届けよう! 建 設 業への強い想い.. .

〝未来を創造する〞建設業

建設業で働く方々の作品建設業で働く方々の作品“未来を創造する”建設業「私たちの主張」作文コンクール“未来を創造する”建設業「私たちの主張」作文コンクール

工業高校生の方々の作品高校生作文コンクール

工業高校生の方々の作品高校生作文コンクール

作文コンクール平成27年度 建設産業人材確保・育成推進協議会

入賞作品集

地域建設業のためのウェブマガジンhttp://shinko-web.jp

平成27年度

作文コンクール

入賞作品集

作文コンクール

※本冊子掲載記事の無断転載を禁じます。

建設産業人材確保・育成推進協議会 事務局/ 一般財団法人 建設業振興基金〒105-0001 東京都港区虎ノ門4-2-12 虎ノ門4丁目MTビル2号館6階 TEL 03-5473-4572 FAX 03-5473-4594E-mail [email protected] URL http://www.yoi-kensetsu.com/

平成27年度“未来を創造する”建設業「私たちの主張」作文コンクール平成27年度 高校生の作文コンクール

平成27年度 建設産業人材確保・育成推進協議会作文コンクール入賞作品集

建設業で働く方々の作品 (“未来を創造する”建設業「私たちの主張」作文コンクール) P3

選定結果

受賞作品の講評運営委員長 古阪秀三

菅野 勇也 ㈱小野良組 宮城県 37歳 「先輩の言葉・そして誇りに思える仕事」 P4

濱本 謙二郎 北陸地建㈱ 石川県 34歳 「道」 P5

平野 惠麻 平岩建設㈱ 埼玉県 23歳 「現場監督の仕事」 P6

関口 美幸 ㈱中越建設 新潟県 26歳 「私はドボジョ」 P7

水島 千瑛 ㈱竹延 大阪府 27歳 「母親として現場で働くという事」 P8

工業高校生の方々の作品 (高校生の作文コンクール) P9

松尾 麗 長崎県立鹿町工業高等学校 土木技術科1年 「夢」 P10

中川 智樹 長崎県立鹿町工業高等学校 土木技術科3年 「土木の魅力とこれからの日本」 P11

渡部 詩乃 福島県立喜多方桐桜高等学校 建設科2年 「一ミリに変えられた自分」 P12

波多 海人 島根県立松江工業高等学校 建築都市工学科2年 「ふるさとの島のために」 P13

柴戸 清哉 長崎県立鹿町工業高等学校 土木技術科3年 「将来の舗装工事」 P14

国土交通大臣賞

土地・建設産業局長賞

国土交通大臣賞

土地・建設産業局長賞

「私たちの主張」は、建設業で働く方々から、将来、建設業で働こうとする若者へのメッセージ、また社会に向けた声であり、今年で 8回目となります。今年は全国から 399作品の応募がありました。最少年齢は 18歳、最高年齢は71歳でした。現業の仕事の合間に文章を書くことなど、億劫でなかなか書けるものではありませんが、応募してくださった 399人の方々に心から敬意と謝意を表します。

国土交通大臣賞に輝いた菅野勇也さんは、「先輩の言葉・そして誇りに思える仕事」をテーマに、具体的な日常生活の中で道路維持の仕事を大事にすることと家族を大切にすることの心の葛藤を描き、その葛藤を乗り越えられたのは先輩の一言「その壁を乗り越えたら倍以上のものが必ず返ってくる」、ならびに奥様の粋な計らい「工事現場で働く夫の姿をそっと子供に見せた」ことであったと振り返る。誰もが経験しそうな光景を素直に表現しています。

もう一人の大臣賞の濱本謙二郎さんは、工業高校土木科卒から一貫して土木施工の仕事に従事してきた人生を「道」と例える。入職前は「きつい」、「汚い」、「危険」の 3K 産業と思い、入って実感し、しかし、仕事に慣れたころ「ひ弱な細い体型」から「土木の仕事をしている人」になり、土木施工管理技士になり仕事を任され、工事全体が見渡せるようになり、近隣の方 と々の交流で・・・。立派な道ができつつあり、いずれ振り返りたいという、その心情を素直に書きとめています。

土地・建設産業局長賞には次の 3人が選ばれました。平野惠麻さんは、「現場監督の仕事」と題して、建築の

現場監督になってわずか1年半ほどの経験を踏まえてですが、「不安の毎日であるが、現場に出て新しく学ぶことの面白さがそんな不安を消してくれる。そして建築主や多くの関係者が笑顔になるような仕事をするために頑張りたい。」と勇気を持って宣言しています。

関口美幸さんは、「私はドボジョ」を生き生きとした筆の勢いで書いています。まるで、「土木現場をめざす女子、私のこの話を聞いてよ」と呼びかけんばかりです。最後には、『もしも、この業界に飛び込もうとする女の子がいるのならば、私は少し先輩としてこうアドバイスしたい。「いいじゃん、ドボジョ! 楽しいよ、ゲンバ!」』と締めくくっています。

水島千瑛さんは、「母親として現場で働くという事」と題して、就職、退職・出産、再就職の経験を書きながら、出産前後、そして再就職をめざす自分への周囲の方の支援がどのようにあったかを具体的に書いています。その結果の再就職で、いつか自分の子供から「働くお母さんがかっこよくて好きだと言ってもらえる事が私の目標となりました。」と力強く宣言しています。

一方、「高校生の作文コンクール」は、工業高校で建築、土木の勉強をする若者が建設業に抱くイメージや夢を発表するもので、今年が 3回目で、全国から1314作品の応募がありました。昨年よりも一段と応募作品が多くなり、しかも意欲ある力作が多く、また、学校挙げて応募に取り組んでいただいたところもありました。応募してくださった 1314人の若者の勇気をたたえ、また敬意と謝意を表します。

国土交通大臣賞に輝いた松尾麗さんの作文は「夢」。母が突然に言った「建築士の免許をとろうと思う」、それを実

現し、いきいきと楽しそうに働く母にあこがれて「工業の勉強がしたい」と思うようになったこと、高校進学後も土木・男性社会の中で勉強することへの不安と母へのよろず相談、そして、「苦労以上にやりがいのある仕事」、「利用者から感謝されることの喜び」を感ずるべく「女性である私にしか創ることができない仕事」を夢見て勉強していこうという、思わず応援してみたくなるような生きた文章になっています。

もう一人の大臣賞の中川智樹さんの作文は、「土木の魅力とこれからの日本」。その土木の魅力は①ものづくりを通し、仲間の大切さを知ることができること、②土木の仕事には、人には見えない格好良さがある、特に、東日本大震災の復旧時、自衛隊の救助活動の前に道路を開通させた姿はすばらしいと書いています。復旧作業の初動は自衛隊ではなく、土木作業者と技術者であることによく気が付いています。そして、「いつか自分が造るもので、日本の土木技術が素晴らしいものだと世界中の人々を驚かし、感動させたい」夢を語っています。

土地・建設産業局長賞には次の 3人が選ばれました。渡部詩乃さんは、「一ミリに変えられた自分」と題して、几

帳面で細かい作業が得意だと思っていた自分が、製図で 1ミリ間隔の線図ですらうまく描けないこと、それをいかに克服したかを「心のエラーを修正しない限り描けない」として自省をこめて書いています。

波多海人さんは、「ふるさとの島のために」大工になりたいと書いています。なぜ大工なのか、目指す大工像はどのようなものなのか、わかりやすく素直に表現されています。その言葉のとおりに、信念をもって日々励んでもらいたいものです。

柴戸清哉さんは、「将来の舗装工事」、将来は舗装工事で周りの人から頼られる存在になりたいとの思いのタイトルで、その思いは、舗装工事の人達が「一生懸命な姿に感動し」、「やった仕事をみて自分達が誇らしく思えてくる」からです。その心を素直に具体的に書いています。

毎年同じことを書きますが、応募作品を読みながら、「私たちの主張」と「高校生の作文コンクール」にあるような文章を書くこと、その文章を読むことも建設業で働くことの大きな力になり得るんだなあという印象を持っています。ご自身の経験談、親の背中を見て育って得た教訓、周囲の人達との雑談・相談など実態に基づく話・文章には迫力があり、また説得力があります。

素直に自分が感じたこと・考えたことが書けること、悩ましいこと、問題だと思うことを文字で伝えられること、このことがいかに大切かを「私たちの主張」と「高校生の作文コンクール」を読みながら認識しました。これからも大いに文章を書きましょう。そして他者に伝えましょう。そして、それらが建設産業の改善、働きがいのある産業へとつながることを期待したいと思います。

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平成27年度“未来を創造する”建設業「私たちの主張」作文コンクール平成27年度 高校生の作文コンクール

平成27年度 建設産業人材確保・育成推進協議会作文コンクール入賞作品集

建設業で働く方々の作品 (“未来を創造する”建設業「私たちの主張」作文コンクール) P3

選定結果

受賞作品の講評運営委員長 古阪秀三

菅野 勇也 ㈱小野良組 宮城県 37歳 「先輩の言葉・そして誇りに思える仕事」 P4

濱本 謙二郎 北陸地建㈱ 石川県 34歳 「道」 P5

平野 惠麻 平岩建設㈱ 埼玉県 23歳 「現場監督の仕事」 P6

関口 美幸 ㈱中越建設 新潟県 26歳 「私はドボジョ」 P7

水島 千瑛 ㈱竹延 大阪府 27歳 「母親として現場で働くという事」 P8

工業高校生の方々の作品 (高校生の作文コンクール) P9

松尾 麗 長崎県立鹿町工業高等学校 土木技術科1年 「夢」 P10

中川 智樹 長崎県立鹿町工業高等学校 土木技術科3年 「土木の魅力とこれからの日本」 P11

渡部 詩乃 福島県立喜多方桐桜高等学校 建設科2年 「一ミリに変えられた自分」 P12

波多 海人 島根県立松江工業高等学校 建築都市工学科2年 「ふるさとの島のために」 P13

柴戸 清哉 長崎県立鹿町工業高等学校 土木技術科3年 「将来の舗装工事」 P14

国土交通大臣賞

土地・建設産業局長賞

国土交通大臣賞

土地・建設産業局長賞

「私たちの主張」は、建設業で働く方々から、将来、建設業で働こうとする若者へのメッセージ、また社会に向けた声であり、今年で 8回目となります。今年は全国から 399作品の応募がありました。最少年齢は 18歳、最高年齢は71歳でした。現業の仕事の合間に文章を書くことなど、億劫でなかなか書けるものではありませんが、応募してくださった 399人の方々に心から敬意と謝意を表します。

国土交通大臣賞に輝いた菅野勇也さんは、「先輩の言葉・そして誇りに思える仕事」をテーマに、具体的な日常生活の中で道路維持の仕事を大事にすることと家族を大切にすることの心の葛藤を描き、その葛藤を乗り越えられたのは先輩の一言「その壁を乗り越えたら倍以上のものが必ず返ってくる」、ならびに奥様の粋な計らい「工事現場で働く夫の姿をそっと子供に見せた」ことであったと振り返る。誰もが経験しそうな光景を素直に表現しています。

もう一人の大臣賞の濱本謙二郎さんは、工業高校土木科卒から一貫して土木施工の仕事に従事してきた人生を「道」と例える。入職前は「きつい」、「汚い」、「危険」の 3K 産業と思い、入って実感し、しかし、仕事に慣れたころ「ひ弱な細い体型」から「土木の仕事をしている人」になり、土木施工管理技士になり仕事を任され、工事全体が見渡せるようになり、近隣の方 と々の交流で・・・。立派な道ができつつあり、いずれ振り返りたいという、その心情を素直に書きとめています。

土地・建設産業局長賞には次の 3人が選ばれました。平野惠麻さんは、「現場監督の仕事」と題して、建築の

現場監督になってわずか1年半ほどの経験を踏まえてですが、「不安の毎日であるが、現場に出て新しく学ぶことの面白さがそんな不安を消してくれる。そして建築主や多くの関係者が笑顔になるような仕事をするために頑張りたい。」と勇気を持って宣言しています。

関口美幸さんは、「私はドボジョ」を生き生きとした筆の勢いで書いています。まるで、「土木現場をめざす女子、私のこの話を聞いてよ」と呼びかけんばかりです。最後には、『もしも、この業界に飛び込もうとする女の子がいるのならば、私は少し先輩としてこうアドバイスしたい。「いいじゃん、ドボジョ! 楽しいよ、ゲンバ!」』と締めくくっています。

水島千瑛さんは、「母親として現場で働くという事」と題して、就職、退職・出産、再就職の経験を書きながら、出産前後、そして再就職をめざす自分への周囲の方の支援がどのようにあったかを具体的に書いています。その結果の再就職で、いつか自分の子供から「働くお母さんがかっこよくて好きだと言ってもらえる事が私の目標となりました。」と力強く宣言しています。

一方、「高校生の作文コンクール」は、工業高校で建築、土木の勉強をする若者が建設業に抱くイメージや夢を発表するもので、今年が 3回目で、全国から1314作品の応募がありました。昨年よりも一段と応募作品が多くなり、しかも意欲ある力作が多く、また、学校挙げて応募に取り組んでいただいたところもありました。応募してくださった 1314人の若者の勇気をたたえ、また敬意と謝意を表します。

国土交通大臣賞に輝いた松尾麗さんの作文は「夢」。母が突然に言った「建築士の免許をとろうと思う」、それを実

現し、いきいきと楽しそうに働く母にあこがれて「工業の勉強がしたい」と思うようになったこと、高校進学後も土木・男性社会の中で勉強することへの不安と母へのよろず相談、そして、「苦労以上にやりがいのある仕事」、「利用者から感謝されることの喜び」を感ずるべく「女性である私にしか創ることができない仕事」を夢見て勉強していこうという、思わず応援してみたくなるような生きた文章になっています。

もう一人の大臣賞の中川智樹さんの作文は、「土木の魅力とこれからの日本」。その土木の魅力は①ものづくりを通し、仲間の大切さを知ることができること、②土木の仕事には、人には見えない格好良さがある、特に、東日本大震災の復旧時、自衛隊の救助活動の前に道路を開通させた姿はすばらしいと書いています。復旧作業の初動は自衛隊ではなく、土木作業者と技術者であることによく気が付いています。そして、「いつか自分が造るもので、日本の土木技術が素晴らしいものだと世界中の人々を驚かし、感動させたい」夢を語っています。

土地・建設産業局長賞には次の 3人が選ばれました。渡部詩乃さんは、「一ミリに変えられた自分」と題して、几

帳面で細かい作業が得意だと思っていた自分が、製図で 1ミリ間隔の線図ですらうまく描けないこと、それをいかに克服したかを「心のエラーを修正しない限り描けない」として自省をこめて書いています。

波多海人さんは、「ふるさとの島のために」大工になりたいと書いています。なぜ大工なのか、目指す大工像はどのようなものなのか、わかりやすく素直に表現されています。その言葉のとおりに、信念をもって日々励んでもらいたいものです。

柴戸清哉さんは、「将来の舗装工事」、将来は舗装工事で周りの人から頼られる存在になりたいとの思いのタイトルで、その思いは、舗装工事の人達が「一生懸命な姿に感動し」、「やった仕事をみて自分達が誇らしく思えてくる」からです。その心を素直に具体的に書いています。

毎年同じことを書きますが、応募作品を読みながら、「私たちの主張」と「高校生の作文コンクール」にあるような文章を書くこと、その文章を読むことも建設業で働くことの大きな力になり得るんだなあという印象を持っています。ご自身の経験談、親の背中を見て育って得た教訓、周囲の人達との雑談・相談など実態に基づく話・文章には迫力があり、また説得力があります。

素直に自分が感じたこと・考えたことが書けること、悩ましいこと、問題だと思うことを文字で伝えられること、このことがいかに大切かを「私たちの主張」と「高校生の作文コンクール」を読みながら認識しました。これからも大いに文章を書きましょう。そして他者に伝えましょう。そして、それらが建設産業の改善、働きがいのある産業へとつながることを期待したいと思います。

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平成27年度“未来を創造する”建設業「私たちの主張」作文コンクール平成27年度“未来を創造する”建設業「私たちの主張」作文コンクール

国土交通大臣賞 国土交通大臣賞

平成27年度“未来を創造する”建設業「私たちの主張」作文コンクール

国土交通大臣賞建設産業人材確保・育成推進協議会

“未来を創造する”建設業「私たちの主張」作文コンクール

趣 旨

国土交通省と建設産業人材確保・育成推進協議会では、建設業を担う方々の意識高揚を図るとともに、広く国民の方々に建設産業の役割や重要性についての理解と関心を高めて頂くため、建設業に携わる方の「夢」や「憧れ」、これから就職しようとする若者へのメッセージを「私たちの主張~未来を創造する建設業」として募集し、優秀作品への表彰を行っています。この「私たちの主張」は平成20年度から実施し、今回で8回目の実施となりました。

選定委員

古阪 秀三 京都大学工学部工学研究科建築学専攻 教授 建設産業人材確保・育成推進協議会 運営委員会委員長中村 俊一 (一社)全国建設業協会 執行理事 池田 愼二 (公社)全国鉄筋工事業協会 理事 千葉県鉄筋業協同組合 理事長 (株)ダイニッセイ代表取締役木村 実 国土交通省 土地・建設産業局 建設市場整備課長長福 知宏 国土交通省 土地・建設産業局 建設市場整備課 労働資材対策室長長谷川 周夫 (一財) 建設業振興基金 経営基盤整備支援センター 人材育成支援総括研究部長

表 彰 式

平成27年10月9日(金)に国土交通省にて表彰後、同日行われる「優秀施工者国土交通大臣顕彰式典」にて、受賞者の紹介及び大臣賞の朗読を行います。また、優秀作品は、(一財)建設業振興基金のホームページ上の「建設のしごと」等に掲載されます。「建設のしごと」  http://www.yoi-kensetsu.com/shigoto/index.html

募集概要

募集期間応募資格題 材

応募総数

平成27年4月20日(月)~6月19日(金)建設業の仕事に従事している方テーマは自由とし、建設産業がもたらす「夢」や「憧れ」、建設業の仕事を選んだ動機、自分の目標、これから就職しようとする若者や後輩へのアドバイス等、建設産業のイメージアップにつながるテーマ。399作品

菅野 勇也[㈱小野良組]

私は、建設業に携わって13年余りが過ぎようとしています。私が所属する部署は、国道維持という建設業の中でも、とても特殊な部署で入社から13年間毎日奮闘しています。まず、業務内容は通常の道路維持から始まり落下物(動物の死骸処理)・地震・津波・大雨・台風・土砂崩れなど自然災害における災害復旧や交通事故処理での早期交通解放を24時間365日対応しています。配属された当時は、災害現場のわざわざ危険な場所に向かっていくことに、「これでは自衛隊・消防・警察と変わらないじゃないか!民間企業で常に危険と隣り合わせの業務だし、ゆっくり寝てもいられない!こんな仕事辞めてしまいたい」と思いながらも毎日の現場で汗を流す日々が続いていました。そんな私も、結婚し妻のお腹にも新しい命を宿し「もっと仕事を頑張っていこう!」と思った矢先、忘れる事も出来ない災害が発生しました。東日本大震災です。地震が発生した直後のライフラインがすべて不通になる前に、なんとか妻と連絡が取れ「大丈夫か?」の問いかけに「私は大丈夫!でも、お腹の子が心配だから傍に居てほしい」と言われましたが、自分の職務上帰るわけにも行かず、緊急災害復旧の準備を始めました。準備をしながら、「なぜ自分は、こんな時に家族の傍に居てあげられない!こんな仕事は辞めたい」と昔の自分が蘇ってきました。その時点でライフラインは不通になり、私がいる地域は橋が落ち、完全に陸の孤島になっていました。悶 と々したまま作業を行い、このままではダメだと思い職場の先輩に相談しました。「危険な災害発生現場に行っても何の見返りもない!家族の傍にいてあげたい。仕事を辞めたい。」と取り乱した自分に、先輩は冷静に言ってくれました。「俺も家族の元へ行ってあげたい!でもこの職務を遂行出来るのは俺達の部署しか居ないじゃないか。一緒に頑張ろう!その壁を乗り越えたら倍以上の物が必ず返ってくるから、力を貸してくれ」その言葉で自分の悶 と々した気持ちが、はじけ飛びました。それから連日の災害復旧を現場で汗を流しながら奮闘する日々が続き、子供も無事生まれてくれました。

二人の子供にも恵まれ、より一層この仕事を頑張らないといけないと思うようになりました。上の子も幼稚園に通うようになり、休日に遊んであげたい反面、緊急出動の一報がくれば仕事に行くことが続いたある日、子供に

「今日は、お休みって言ったじゃない。お仕事行かないで!」と言われてしまいました。私は諭すように「困っている人を助けに行くのだよ!」と、そして心の中で「ごめんね」と言って仕事に向かいました。それから月日が経ち、大雨による土砂崩れの災害で緊急出動し現場で重機を搬入している姿を、妻が子供に見せたいと思い、私は気付きませんでしたが近くを通ったそうです。仮の復旧が完了し自宅に帰った時、もう子供は寝ている時間のはずなのになぜか起きていました。私は「どうして寝ないの?」と聞くと、「父のお仕事カッコいいね!頑張ってね。おやすみ」と言って子供はすぐに眠りにつきました。妻の粋な計らいに感謝しつつ、子供にカッコいいと言ってもらえたことが嬉しくもあり、自信にも繋がりました。

そんな私も今では、現場代理人として現場管理に新人の教育に日々奮闘している毎日ですが、休日の緊急出動の際には子供にも「困っている人を助けてきてね!頑張ってね!」と背中を押してもらっている自分がいます。そこで先輩の一言を思い出しました。「壁を乗り越えたら倍以上の物が、必ず返ってくる!」これは自分にしてみれば、子供に「頑張ってね!」と言われたら、これ以上の励みになることはありません。頑張ってきたからこそ、言ってくれた最高の見返りなのだと思います。

私の仕事は、他の建設業と違い形に残らない仕事かもしれない。ですが、子供にとって父親の仕事が誇りに思えるようであり続けたいと自信を持って頑張っていきたいと思います。そして、これからも新入社員も増えてきているので「壁を乗り越えたら倍以上の物が、必ず返ってくる!」その言葉とともに、形に残らないどんな仕事でも家族や子供たちに必ず誇りに思ってもらえる仕事であると伝えながら、新人育成にも生かしていきたいと思います。

先輩の言葉・そして誇りに思える仕事

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平成27年度“未来を創造する”建設業「私たちの主張」作文コンクール平成27年度“未来を創造する”建設業「私たちの主張」作文コンクール

国土交通大臣賞 国土交通大臣賞

平成27年度“未来を創造する”建設業「私たちの主張」作文コンクール

国土交通大臣賞建設産業人材確保・育成推進協議会

“未来を創造する”建設業「私たちの主張」作文コンクール

趣 旨

国土交通省と建設産業人材確保・育成推進協議会では、建設業を担う方々の意識高揚を図るとともに、広く国民の方々に建設産業の役割や重要性についての理解と関心を高めて頂くため、建設業に携わる方の「夢」や「憧れ」、これから就職しようとする若者へのメッセージを「私たちの主張~未来を創造する建設業」として募集し、優秀作品への表彰を行っています。この「私たちの主張」は平成20年度から実施し、今回で8回目の実施となりました。

選定委員

古阪 秀三 京都大学工学部工学研究科建築学専攻 教授 建設産業人材確保・育成推進協議会 運営委員会委員長中村 俊一 (一社)全国建設業協会 執行理事 池田 愼二 (公社)全国鉄筋工事業協会 理事 千葉県鉄筋業協同組合 理事長 (株)ダイニッセイ代表取締役木村 実 国土交通省 土地・建設産業局 建設市場整備課長長福 知宏 国土交通省 土地・建設産業局 建設市場整備課 労働資材対策室長長谷川 周夫 (一財) 建設業振興基金 経営基盤整備支援センター 人材育成支援総括研究部長

表 彰 式

平成27年10月9日(金)に国土交通省にて表彰後、同日行われる「優秀施工者国土交通大臣顕彰式典」にて、受賞者の紹介及び大臣賞の朗読を行います。また、優秀作品は、(一財)建設業振興基金のホームページ上の「建設のしごと」等に掲載されます。「建設のしごと」  http://www.yoi-kensetsu.com/shigoto/index.html

募集概要

募集期間応募資格題 材

応募総数

平成27年4月20日(月)~6月19日(金)建設業の仕事に従事している方テーマは自由とし、建設産業がもたらす「夢」や「憧れ」、建設業の仕事を選んだ動機、自分の目標、これから就職しようとする若者や後輩へのアドバイス等、建設産業のイメージアップにつながるテーマ。399作品

菅野 勇也[㈱小野良組]

私は、建設業に携わって13年余りが過ぎようとしています。私が所属する部署は、国道維持という建設業の中でも、とても特殊な部署で入社から13年間毎日奮闘しています。まず、業務内容は通常の道路維持から始まり落下物(動物の死骸処理)・地震・津波・大雨・台風・土砂崩れなど自然災害における災害復旧や交通事故処理での早期交通解放を24時間365日対応しています。配属された当時は、災害現場のわざわざ危険な場所に向かっていくことに、「これでは自衛隊・消防・警察と変わらないじゃないか!民間企業で常に危険と隣り合わせの業務だし、ゆっくり寝てもいられない!こんな仕事辞めてしまいたい」と思いながらも毎日の現場で汗を流す日々が続いていました。そんな私も、結婚し妻のお腹にも新しい命を宿し「もっと仕事を頑張っていこう!」と思った矢先、忘れる事も出来ない災害が発生しました。東日本大震災です。地震が発生した直後のライフラインがすべて不通になる前に、なんとか妻と連絡が取れ「大丈夫か?」の問いかけに「私は大丈夫!でも、お腹の子が心配だから傍に居てほしい」と言われましたが、自分の職務上帰るわけにも行かず、緊急災害復旧の準備を始めました。準備をしながら、「なぜ自分は、こんな時に家族の傍に居てあげられない!こんな仕事は辞めたい」と昔の自分が蘇ってきました。その時点でライフラインは不通になり、私がいる地域は橋が落ち、完全に陸の孤島になっていました。悶 と々したまま作業を行い、このままではダメだと思い職場の先輩に相談しました。「危険な災害発生現場に行っても何の見返りもない!家族の傍にいてあげたい。仕事を辞めたい。」と取り乱した自分に、先輩は冷静に言ってくれました。「俺も家族の元へ行ってあげたい!でもこの職務を遂行出来るのは俺達の部署しか居ないじゃないか。一緒に頑張ろう!その壁を乗り越えたら倍以上の物が必ず返ってくるから、力を貸してくれ」その言葉で自分の悶 と々した気持ちが、はじけ飛びました。それから連日の災害復旧を現場で汗を流しながら奮闘する日々が続き、子供も無事生まれてくれました。

二人の子供にも恵まれ、より一層この仕事を頑張らないといけないと思うようになりました。上の子も幼稚園に通うようになり、休日に遊んであげたい反面、緊急出動の一報がくれば仕事に行くことが続いたある日、子供に

「今日は、お休みって言ったじゃない。お仕事行かないで!」と言われてしまいました。私は諭すように「困っている人を助けに行くのだよ!」と、そして心の中で「ごめんね」と言って仕事に向かいました。それから月日が経ち、大雨による土砂崩れの災害で緊急出動し現場で重機を搬入している姿を、妻が子供に見せたいと思い、私は気付きませんでしたが近くを通ったそうです。仮の復旧が完了し自宅に帰った時、もう子供は寝ている時間のはずなのになぜか起きていました。私は「どうして寝ないの?」と聞くと、「父のお仕事カッコいいね!頑張ってね。おやすみ」と言って子供はすぐに眠りにつきました。妻の粋な計らいに感謝しつつ、子供にカッコいいと言ってもらえたことが嬉しくもあり、自信にも繋がりました。

そんな私も今では、現場代理人として現場管理に新人の教育に日々奮闘している毎日ですが、休日の緊急出動の際には子供にも「困っている人を助けてきてね!頑張ってね!」と背中を押してもらっている自分がいます。そこで先輩の一言を思い出しました。「壁を乗り越えたら倍以上の物が、必ず返ってくる!」これは自分にしてみれば、子供に「頑張ってね!」と言われたら、これ以上の励みになることはありません。頑張ってきたからこそ、言ってくれた最高の見返りなのだと思います。

私の仕事は、他の建設業と違い形に残らない仕事かもしれない。ですが、子供にとって父親の仕事が誇りに思えるようであり続けたいと自信を持って頑張っていきたいと思います。そして、これからも新入社員も増えてきているので「壁を乗り越えたら倍以上の物が、必ず返ってくる!」その言葉とともに、形に残らないどんな仕事でも家族や子供たちに必ず誇りに思ってもらえる仕事であると伝えながら、新人育成にも生かしていきたいと思います。

先輩の言葉・そして誇りに思える仕事

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平成27年度“未来を創造する”建設業「私たちの主張」作文コンクール平成27年度“未来を創造する”建設業「私たちの主張」作文コンクール

土地・建設産業局長賞土地・建設産業局長賞

平成27年度“未来を創造する”建設業「私たちの主張」作文コンクール平成27年度“未来を創造する”建設業「私たちの主張」作文コンクール

国土交通大臣賞 国土交通大臣賞

濱本 謙二郎[北陸地建㈱]

私が土木施工に携わるきっかけは、ただ単に【工業高校土木科卒】という理由だけで、特に建設業に憧れてこの世界に入ったわけではない。

弊社は主に石川県及び金沢市発注の公共土木事業を受注し施工する会社である。

この業界に入る前の私が抱いていた土木工事へのイメージは【キツイ】・【汚い】・【キケン】という、いわゆる

【3K】であり、実際に入社し現場作業を経験してみて感じた事はまさに、体力的に非常にキツく、危険要因も他業種と比較すると多く、抱いていたイメージとほぼ相違が無かった。

まず、作業に使用する資機材の一つ一つが非常に重く、高校卒で業界に飛込んだ私にとってはビックリする程の重量物の数々で、私にこの仕事が勤まるのか?と疑問に思った程だった。また上司や先輩方の仕事ぶりを目の当りにして、「自分もああいう風になれるのか?」などと自問自答する日々だった。

しかしながら、2 〜 3年も経過した頃には体力的にも楽ではないが次第に慣れてきて、体つきも【ひ弱な細い体型】から一回り大きくなり【土木の仕事をしている人】、の様になっていた。ただ、仕事ぶりはというと与えられた仕事・言われた仕事をこなすという風に坦 と々したものだった。

そんな私の仕事に対する姿勢に変化を感じたのは施工管理技士の資格を取得した後に自分の担当の工事を任された際である。

それまで上司の担当する工事の補佐として漠然と仕事をしてきた私にとって、顧客との打合せ・現場地元の方々との関わり方・材料業者や作業に従事する方 と々の打合せなど、これまでの経験ではそれらを一度に処理できる容量を遥かに超えていた。毎日夜遅くまで書類や資料の作成に時間を費やし精神的にも体力的にも余裕のない状態で仕事に望んでいた。

それでも上司・先輩方に様々な助けを頂き一つ、また一つと積み上げて仕事をし、担当現場を何とか竣工させる事ができた。

現場を終え、振り返ってみると、【一つの工事というのは一つ一つの作業の積み重ねで竣工を迎えるのであって、例え単純作業でもそれらは全て完成に繋がっている。】という事に気付いた時、仕事に対する姿勢にも転機が訪れたように思う。以降は担当現場を重ねる毎に工事着工の段階から完成までの全体像が頭の中で段 と々組立てが出来るようになり、それは自身の経験値となり、

様々な事柄に対してもイメージが浮ぶようになって、顧客との打合せも工事全体を見据えて具体的に行えるようになった。

これは現場における地域の方々や関連各位との関わり方にも通じていて何気ない話題の中に工程や施工方法といった工事に関する事柄も織り交ぜながら会話を出来るようになっていた。

今では、これらの経験が私の土木事業に携わる事へのモチベーションとなり【やりがい・楽しさ】を占める大部分となっている。

例えば、ある山間地区にて配水管の敷設事業に携わった際のこと。その地域では5 ヶ月間に及んで工事を行っていたが、工程の案内や通行規制案内などの広報活動は出来る限り一軒ずつ各家庭を訪問し、お宅の方と顔を会わせて話をしていた。

そんなある日、あるお宅の方から「作業が終わったらウチ(家)に寄ってくまっし。」と声を掛けられ伺ってみると、そのお宅で栽培している様々な野菜を持たせてくれたり、また私達の急な作業変更のお願いにも快く応じて頂いたりと本当にお世話になった。これは心がけていた一軒ずつの広報活動の成果ではないかと改めて思った。また、工事完了の挨拶に各家庭を訪問した折は多くのお宅の方から「寂しくなるね。」との声を掛けて頂いた時にはこの事業に携わる事が出来て本当に良かったと思える瞬間であった。

気が付くと、工業高校土木科から何となく業界に入った私が当初抱いていた【3K】という漠然とした印象は、これまで歩んできた道の途中で社会資本整備事業に携われる事への誇りへと変化していた。

一つの工事が完成した時の成就感、地域の方から頂く温かい言葉、感謝の言葉、これは何事にも代えがたいものである。現在のような仕事に対する心境になったのは間違いなく上司・先輩方・協力業者の方々に様々な教えを頂いたからだと思う。

これから自分がどのような気持ちを抱いて仕事に携わっていくのか想像しつつ、今現在の自分よりも成長できるように一歩一歩確実に地に足付けて技術者の道を歩んでいきたいと思う。

また、数年後にこの文章を読返し自分の歩んできた道を真摯に振返ってみようと思う。

きっと今見えている状況とはまた違った風景が見えていることだろう。

「道」平野 惠麻[平岩建設㈱]

私は今年、社会人二年目を迎えました。私は、女性ですが現場監督をしています。最近は女性の現場監督が増えている、という話を耳にすることが多くなりましたが、実際まだまだ珍しいようで、職人さんに「どうして現場監督になったの?女の子なのに。」と聞かれることも少なくありません。私は実際、初めから現場監督を目指していたわけではありませんでした。

私が建設業の道に進んだのは父の影響でした。私の父は大工の棟梁をしています。家にはたくさんの設計図や施工図があり、幼いころから父の現場へ遊びにいき、仕事をしている姿を見てきました。そんな私には忘れられない出来事があります。それは父の仕事の関係でお施主様にお会いした時のことです。建物を見学させていただいた帰り際に、お施主様が父に「こんな素敵な住宅をつくってもらって本当にありがとうございました」とおっしゃっていたのを見ました。その時のお施主様の笑顔を今でも覚えています。それを見て、私もこんな風に誰かを笑顔にしたいと思い、選んだのが父と同じ建築でした。

高校、大学ともに建築を学び、現在の建設会社に就職しました。初めは設計をやらせていただく予定でしたが、現場を知っていたほうがよりよい設計ができる、とのことで現場監督をやることになりました。設計または現場監督希望で就職活動をしていた私にとって、どちらも経験できるいい機会だと思いましたし、幼い頃から父の現場へ行っていた私にとって現場へ出ることへの抵抗は一切ありませんでした。

現場で働き始めてから七、八ヶ月たったころ、一つの仕事を任されました。それは、家具の搬入から取り付けまでの工程を管理する仕事でした。初めて任された仕事に不安を感じながらも精いっぱいやれることをやるつもりでした。家具の搬入一ヶ月前になり突然先輩から、内装

はどこまで終わったのか、また家具の搬入は出来そうか、と声をかけられました。私は固まってしまいました。私は任された家具のことしか頭になく、家具を設置するまで内装がどの程度終わっていなければならないのか、どこに仮置きすればほかの業者の邪魔にならないかなど全く考えていなかったのです。現場には様々な業種の方が来て仕事をしている。その人たちの仕事のスピードも考慮して全体でいつまでに、また、次の業者が来るまでにどこまで終わらせなければならないのか。一つのことだけでなく全体を見て調整をしていくことが現場監督の仕事なのだと、この時初めてこの仕事の大変さを実感しました。

二年目となった今もわからないことだらけです。そんな私に先輩や職人さんはわかるまで説明をしてくださいます。また、どうやったらいいかわからないことも相談に乗ってくださったり、忙しい中でも手を貸してくださいます。そのたびに、早く仕事ができるように成長しなければならないという焦りと同時に、私は恵まれた環境で仕事ができていることを実感しています。

私は、現場監督になってよかったと思っています。お施主様や職人さんとの繋がりも、わからないことが理解できるようになることも、とても楽しく感じます。しかし、仕事ですから楽しいことばかりではありませんし、怒られることだってあります。まだまだ覚えなければならないこともたくさんあり、やっていけるのか不安になることもあります。ですが、現場に出て新しく学ぶことの面白さや私の中でうまくできたと思う気持ちがそんな不安を消してくれます。今の私では誰かを笑顔にすることはまだ出来ないけれど、いつの日かあのお施主様のようにたくさんの人を笑顔にすることが出来るようになるまで、精いっぱい頑張っていくつもりです。

現場監督の仕事

65

平成27年度“未来を創造する”建設業「私たちの主張」作文コンクール平成27年度“未来を創造する”建設業「私たちの主張」作文コンクール

土地・建設産業局長賞土地・建設産業局長賞

平成27年度“未来を創造する”建設業「私たちの主張」作文コンクール平成27年度“未来を創造する”建設業「私たちの主張」作文コンクール

国土交通大臣賞 国土交通大臣賞

濱本 謙二郎[北陸地建㈱]

私が土木施工に携わるきっかけは、ただ単に【工業高校土木科卒】という理由だけで、特に建設業に憧れてこの世界に入ったわけではない。

弊社は主に石川県及び金沢市発注の公共土木事業を受注し施工する会社である。

この業界に入る前の私が抱いていた土木工事へのイメージは【キツイ】・【汚い】・【キケン】という、いわゆる

【3K】であり、実際に入社し現場作業を経験してみて感じた事はまさに、体力的に非常にキツく、危険要因も他業種と比較すると多く、抱いていたイメージとほぼ相違が無かった。

まず、作業に使用する資機材の一つ一つが非常に重く、高校卒で業界に飛込んだ私にとってはビックリする程の重量物の数々で、私にこの仕事が勤まるのか?と疑問に思った程だった。また上司や先輩方の仕事ぶりを目の当りにして、「自分もああいう風になれるのか?」などと自問自答する日々だった。

しかしながら、2 〜 3年も経過した頃には体力的にも楽ではないが次第に慣れてきて、体つきも【ひ弱な細い体型】から一回り大きくなり【土木の仕事をしている人】、の様になっていた。ただ、仕事ぶりはというと与えられた仕事・言われた仕事をこなすという風に坦 と々したものだった。

そんな私の仕事に対する姿勢に変化を感じたのは施工管理技士の資格を取得した後に自分の担当の工事を任された際である。

それまで上司の担当する工事の補佐として漠然と仕事をしてきた私にとって、顧客との打合せ・現場地元の方々との関わり方・材料業者や作業に従事する方 と々の打合せなど、これまでの経験ではそれらを一度に処理できる容量を遥かに超えていた。毎日夜遅くまで書類や資料の作成に時間を費やし精神的にも体力的にも余裕のない状態で仕事に望んでいた。

それでも上司・先輩方に様々な助けを頂き一つ、また一つと積み上げて仕事をし、担当現場を何とか竣工させる事ができた。

現場を終え、振り返ってみると、【一つの工事というのは一つ一つの作業の積み重ねで竣工を迎えるのであって、例え単純作業でもそれらは全て完成に繋がっている。】という事に気付いた時、仕事に対する姿勢にも転機が訪れたように思う。以降は担当現場を重ねる毎に工事着工の段階から完成までの全体像が頭の中で段 と々組立てが出来るようになり、それは自身の経験値となり、

様々な事柄に対してもイメージが浮ぶようになって、顧客との打合せも工事全体を見据えて具体的に行えるようになった。

これは現場における地域の方々や関連各位との関わり方にも通じていて何気ない話題の中に工程や施工方法といった工事に関する事柄も織り交ぜながら会話を出来るようになっていた。

今では、これらの経験が私の土木事業に携わる事へのモチベーションとなり【やりがい・楽しさ】を占める大部分となっている。

例えば、ある山間地区にて配水管の敷設事業に携わった際のこと。その地域では5 ヶ月間に及んで工事を行っていたが、工程の案内や通行規制案内などの広報活動は出来る限り一軒ずつ各家庭を訪問し、お宅の方と顔を会わせて話をしていた。

そんなある日、あるお宅の方から「作業が終わったらウチ(家)に寄ってくまっし。」と声を掛けられ伺ってみると、そのお宅で栽培している様々な野菜を持たせてくれたり、また私達の急な作業変更のお願いにも快く応じて頂いたりと本当にお世話になった。これは心がけていた一軒ずつの広報活動の成果ではないかと改めて思った。また、工事完了の挨拶に各家庭を訪問した折は多くのお宅の方から「寂しくなるね。」との声を掛けて頂いた時にはこの事業に携わる事が出来て本当に良かったと思える瞬間であった。

気が付くと、工業高校土木科から何となく業界に入った私が当初抱いていた【3K】という漠然とした印象は、これまで歩んできた道の途中で社会資本整備事業に携われる事への誇りへと変化していた。

一つの工事が完成した時の成就感、地域の方から頂く温かい言葉、感謝の言葉、これは何事にも代えがたいものである。現在のような仕事に対する心境になったのは間違いなく上司・先輩方・協力業者の方々に様々な教えを頂いたからだと思う。

これから自分がどのような気持ちを抱いて仕事に携わっていくのか想像しつつ、今現在の自分よりも成長できるように一歩一歩確実に地に足付けて技術者の道を歩んでいきたいと思う。

また、数年後にこの文章を読返し自分の歩んできた道を真摯に振返ってみようと思う。

きっと今見えている状況とはまた違った風景が見えていることだろう。

「道」平野 惠麻[平岩建設㈱]

私は今年、社会人二年目を迎えました。私は、女性ですが現場監督をしています。最近は女性の現場監督が増えている、という話を耳にすることが多くなりましたが、実際まだまだ珍しいようで、職人さんに「どうして現場監督になったの?女の子なのに。」と聞かれることも少なくありません。私は実際、初めから現場監督を目指していたわけではありませんでした。

私が建設業の道に進んだのは父の影響でした。私の父は大工の棟梁をしています。家にはたくさんの設計図や施工図があり、幼いころから父の現場へ遊びにいき、仕事をしている姿を見てきました。そんな私には忘れられない出来事があります。それは父の仕事の関係でお施主様にお会いした時のことです。建物を見学させていただいた帰り際に、お施主様が父に「こんな素敵な住宅をつくってもらって本当にありがとうございました」とおっしゃっていたのを見ました。その時のお施主様の笑顔を今でも覚えています。それを見て、私もこんな風に誰かを笑顔にしたいと思い、選んだのが父と同じ建築でした。

高校、大学ともに建築を学び、現在の建設会社に就職しました。初めは設計をやらせていただく予定でしたが、現場を知っていたほうがよりよい設計ができる、とのことで現場監督をやることになりました。設計または現場監督希望で就職活動をしていた私にとって、どちらも経験できるいい機会だと思いましたし、幼い頃から父の現場へ行っていた私にとって現場へ出ることへの抵抗は一切ありませんでした。

現場で働き始めてから七、八ヶ月たったころ、一つの仕事を任されました。それは、家具の搬入から取り付けまでの工程を管理する仕事でした。初めて任された仕事に不安を感じながらも精いっぱいやれることをやるつもりでした。家具の搬入一ヶ月前になり突然先輩から、内装

はどこまで終わったのか、また家具の搬入は出来そうか、と声をかけられました。私は固まってしまいました。私は任された家具のことしか頭になく、家具を設置するまで内装がどの程度終わっていなければならないのか、どこに仮置きすればほかの業者の邪魔にならないかなど全く考えていなかったのです。現場には様々な業種の方が来て仕事をしている。その人たちの仕事のスピードも考慮して全体でいつまでに、また、次の業者が来るまでにどこまで終わらせなければならないのか。一つのことだけでなく全体を見て調整をしていくことが現場監督の仕事なのだと、この時初めてこの仕事の大変さを実感しました。

二年目となった今もわからないことだらけです。そんな私に先輩や職人さんはわかるまで説明をしてくださいます。また、どうやったらいいかわからないことも相談に乗ってくださったり、忙しい中でも手を貸してくださいます。そのたびに、早く仕事ができるように成長しなければならないという焦りと同時に、私は恵まれた環境で仕事ができていることを実感しています。

私は、現場監督になってよかったと思っています。お施主様や職人さんとの繋がりも、わからないことが理解できるようになることも、とても楽しく感じます。しかし、仕事ですから楽しいことばかりではありませんし、怒られることだってあります。まだまだ覚えなければならないこともたくさんあり、やっていけるのか不安になることもあります。ですが、現場に出て新しく学ぶことの面白さや私の中でうまくできたと思う気持ちがそんな不安を消してくれます。今の私では誰かを笑顔にすることはまだ出来ないけれど、いつの日かあのお施主様のようにたくさんの人を笑顔にすることが出来るようになるまで、精いっぱい頑張っていくつもりです。

現場監督の仕事

65

平成27年度“未来を創造する”建設業「私たちの主張」作文コンクール平成27年度“未来を創造する”建設業「私たちの主張」作文コンクール

土地・建設産業局長賞土地・建設産業局長賞

平成27年度“未来を創造する”建設業「私たちの主張」作文コンクール平成27年度“未来を創造する”建設業「私たちの主張」作文コンクール

土地・建設産業局長賞土地・建設産業局長賞

関口 美幸[㈱中越建設]

私は「ドボジョ」。建設現場で働く女の子の存在が全く認知されない6年前から、この会社でただひとり、土木系女子として働いている。

この仕事に就くことは小さいころからの夢ではなかった。誰の目にも小柄な私がこの業界に飛び込むことに友達は反対した。両親も賛成してはくれなかった。脳ミソだって、どちらかといえば理系向きではないと思う。土量の算出も座標の管理も、もちろん今も得意ではない。でも、私が社会へ出たのは今とは違って就職難の時代。女性がひとりで自立して生きていこうと思っても、ハローワークは職を求める長蛇の列で、同世代の屈強な男子でさえ職にあぶれていた。そんなとき私は、建設業はダメもとで飛び込むには決して悪くない業界だと思ったのだ。上手くいかなかったら辞めればいい。非力でもできる仕事はあるはずだし、女性というだけで大目に見てもらえることもあるだろう。向う見ずな私は、何とかなるさと軽いノリで飛び込んだのだった。

私の予想は半分くらい当たっていた。創業以来、初めての現場女子として入社した私を、ひとまず職場は歓迎してくれた。トイレは男女兼用だけれど、昼休みになれば女性専用の休憩室があった。現場への移動車は禁煙ではなかったけれど、重い荷物をひとりで運べなんて言われたこともない。上司は半人前の私が手に負えないような仕事量を一度に与えることはなかった。残業することもほとんどなかったし、強引に飲みニケーションに誘われることもなかった。現場の皆は、たまにセクハラなのかスキンシップなのかわからないこともあるけれど、私が女性であることを、戸惑いながらも気遣ってくれた。

でも、ひとたび仕事となると、現実はまるで違った。軽いノリで務まる仕事なんて何一つもない。当たり前だ。私たちの仕事は、地域の安全・安心に直結する。たった一つの油断、たった一つの報告漏れが大事故に繋がるリスクを常に抱えているのだから。

例えば除雪だ。私は県道除雪の責任者として、請け負った区間のパトロールから凍結防止剤の散布、ドーザやモー

ターグレーダーの出動手配、備品の発注から機械の修繕までを一手に引き受けている。新潟県の中山間地にあたる出雲崎町は海が近く、決して豪雪地域ではないのだが、除雪作業は一瞬の判断ミスが事故や渋滞の引き金を引く。たった一時間、出動が遅れただけで、降り積もる雪は地域の交通網を麻痺させる。苛立つ地域住民の苦情はやがて役所に、会社に、オペレーターたちに向けられる。

「仕方ないよ、とにかく今日はゆっくり休め」と慰められる度、私は何度も自分の未熟さを痛感した。

去年の春、念願の資格を取得した私は今、二級土木施工管理技士として小規模治山工事を担当している。入社以来、施工管理の補助員として、朝礼で一日の段取りを学び、現場では仕事の流れを学んできた。発注者との打ち合わせ、下請け業者との工事打ち合わせ、工程管理、安全管理、様々な工種の積み重ねがやがて道路となり水路となる土木の仕事を私なりに勉強してきたつもりだけれど、誰かの補佐ではなく、ここはまぎれもなく「私の現場」。プレッシャーのかかり方が今までとはまるで違う。

もしかしたら、発注者や協力業者のなかには、現場での経験が浅く非力な私のことを、「アイツで大丈夫なのか?」と不安に思っている人もいるだろう。それはそうだ。治山工事ひとつとってみても、現場が違えば何もかもが違う。そこは経験に基づく判断力がものをいう世界で、資格者証なんて現場じゃ何の役にも立たない、まさに実力の世界なのだから。

いろいろと不安はあるけれど、今日も私は工事の完成を目指して現場へ通う。車ですれ違うときのパッシングは、ひとつの工事を安全に完成させるために協力し合う皆の共通の挨拶。「頑張れ」って聞こえるから、私も「頑張ろう」って返す。そこには発注者も元請け企業も納入業者も関係ない一体感がある。私は今、その中に自分がいることがとても誇らしい。

もしも、この業界に飛び込もうとする女の子がいるのならば、私は少し先輩としてこうアドバイスしたい。「いいじゃん、ドボジョ! 楽しいよ、ゲンバ!」

私はドボジョ水島 千瑛[㈱竹延]

私が建設業界を志すきっかけを与えてくれたのは、高校時代の教諭です。その教諭は、女性では珍しい技術科目担当の方でした。芸術が好きで、漠然と美大や芸大に進学しようと思っていた私ですが、文系科目よりも理系科目の成績が良く、その教諭は建築学科のある大学を薦めて下さいました。それまでは建設業への興味は一切ありませんでしたが、その薦めで私は建設業界で働くと決意し、それまでの漠然とした未来を一本の目標に絞り建築学科へ進学しました。

現場代理人として電気設備会社に就職し、慌しい毎日を過ごす中で、私は結婚して妊娠を理由に退職しました。妊娠の報告後、上長と話し合いをする内に、この会社では働きながらの子育ては難しいと感じたのです。理由は、社員が少人数でありながら関西全域を施工担当しており、常に現場管理をしなければならずフォローできる人員がいなかった事、そして何より女性現場代理人の前例がなかったので、制度や理解度がまだ浸透していませんでした。私はこのまま現場が見られない事で、この会社には迷惑をかけてしまうと自粛の念にかられ、もう建設業界からは身を引こうと考えました。今考えればいくつか方法はあったように思いますが、当時は妊娠しながら働く日常生活にとても疲れていて、お腹の子を守る事に必死だったように思います。こうして退職してしまった私ですが、たった1年半の施工管理としての経験が、その後に私の人生の転機となりました。

2年の時が経ち、私は再就職を考え、マザーズハローワークに行きました。心の中では、「子育てしながら建設業関係は難しい、就職するのであれば子育てに理解ある女性中心の職場だろう」、そう考えていました。事務職やパート業務等の求人情報を探し、帰宅する間際に、私は壁に貼られている現在お勧めの求人情報の掲示を眺めていました。そこで私は“職人募集、女性も活躍しています”の文字に衝撃を受けたのです。そうだ!現場管理は出来ないかもしれないけれど、職人ならそこまで遅くまでは働かなくても出来るかもしれない!もう一度、建設業界の仕事がしたい! 私は胸躍らせながら、KMユナイテッドという会社に応募しました。ハローワークの方も、女性では見つからないと思っていたけれど、貴女のような方にはぴったりだと後押しして下さり、私は職人になる気持ちで帰宅しました。さっそく夫に報告すると、就業開始時刻が早

すぎて保育所に預けられないのではないかと指摘され、初めて終業時間以外を意識し、やはり建設業は難しいのかと落胆しました。

後日、KMユナイテッドの社長から連絡があり、育児中だと朝礼には間に合わないだろうし、現場が押していれば残業もあり得るので雇うことは難しいと言われました。心の中でそうだろうなと思う反面、私は悔しさを感じました。そんな私を察して下さったのか、その社長はグループ会社で施工管理アシスタント業務の募集を行なっている事を教えて下さいました。前職の経験があるのだから、アシスタントの面接をしましょうと言って頂き、かなり驚きました。何故なら、私は履歴書にもまだ小さな子供がいる事を書いており、それだけでも採用できない理由になると思っていたからです。その後、面接へ向かい、採用担当をされている副社長から、子供が小さい内は勤務時間を8時半から15時半にする事、子供の病気などがあればそちらを優先してほしい事、子供がある程度手を離れた時にフルで働いてほしい事等を事前に話して下さり、この条件でよければ働いてほしいと言って下さいました。私は嬉しさのあまり、すぐに承諾しましたが、ご夫婦で相談して下さいとここでも私以上に家族の事を気遣って下さり、改めてこの会社で働きたいと思うようになりました。

現在、私は株式会社竹延という塗装工事のリニューアル部門で働いています。業務は図面や積算、書類の整備等を中心に、マンションの改修工事について学んでいる所です。働きながらの育児や家事は正直大変な事も沢山あります。目まぐるしい毎日ですが、大変ながらもいつも考える事は、私が一所懸命に頑張る姿を見せる事で、子供に生きる上で大切な事を教えたいという事です。いつか働くお母さんがかっこよくて好きだと言ってもらえる事が私の目標となりました。

私の友人は、女性である自分がずっと建設現場で働く為には、子供を作る事は考えないようにすると言いました。私はそういう考え方も筋があって嫌いではありません。しかし、子供がいる事で全て諦める理由にはならないと私は思います。子の成長を糧に、一番家族にとって良い形で働く事が今後建設業で働く女性の為にもなると考えています。建設業界の次世代の女性が、育児をしながら働きやすい環境作りに繋がるよう、これからも頑張りたいと思います。

母親として現場で働くという事

7 8

平成27年度“未来を創造する”建設業「私たちの主張」作文コンクール平成27年度“未来を創造する”建設業「私たちの主張」作文コンクール

土地・建設産業局長賞土地・建設産業局長賞

平成27年度“未来を創造する”建設業「私たちの主張」作文コンクール平成27年度“未来を創造する”建設業「私たちの主張」作文コンクール

土地・建設産業局長賞土地・建設産業局長賞

関口 美幸[㈱中越建設]

私は「ドボジョ」。建設現場で働く女の子の存在が全く認知されない6年前から、この会社でただひとり、土木系女子として働いている。

この仕事に就くことは小さいころからの夢ではなかった。誰の目にも小柄な私がこの業界に飛び込むことに友達は反対した。両親も賛成してはくれなかった。脳ミソだって、どちらかといえば理系向きではないと思う。土量の算出も座標の管理も、もちろん今も得意ではない。でも、私が社会へ出たのは今とは違って就職難の時代。女性がひとりで自立して生きていこうと思っても、ハローワークは職を求める長蛇の列で、同世代の屈強な男子でさえ職にあぶれていた。そんなとき私は、建設業はダメもとで飛び込むには決して悪くない業界だと思ったのだ。上手くいかなかったら辞めればいい。非力でもできる仕事はあるはずだし、女性というだけで大目に見てもらえることもあるだろう。向う見ずな私は、何とかなるさと軽いノリで飛び込んだのだった。

私の予想は半分くらい当たっていた。創業以来、初めての現場女子として入社した私を、ひとまず職場は歓迎してくれた。トイレは男女兼用だけれど、昼休みになれば女性専用の休憩室があった。現場への移動車は禁煙ではなかったけれど、重い荷物をひとりで運べなんて言われたこともない。上司は半人前の私が手に負えないような仕事量を一度に与えることはなかった。残業することもほとんどなかったし、強引に飲みニケーションに誘われることもなかった。現場の皆は、たまにセクハラなのかスキンシップなのかわからないこともあるけれど、私が女性であることを、戸惑いながらも気遣ってくれた。

でも、ひとたび仕事となると、現実はまるで違った。軽いノリで務まる仕事なんて何一つもない。当たり前だ。私たちの仕事は、地域の安全・安心に直結する。たった一つの油断、たった一つの報告漏れが大事故に繋がるリスクを常に抱えているのだから。

例えば除雪だ。私は県道除雪の責任者として、請け負った区間のパトロールから凍結防止剤の散布、ドーザやモー

ターグレーダーの出動手配、備品の発注から機械の修繕までを一手に引き受けている。新潟県の中山間地にあたる出雲崎町は海が近く、決して豪雪地域ではないのだが、除雪作業は一瞬の判断ミスが事故や渋滞の引き金を引く。たった一時間、出動が遅れただけで、降り積もる雪は地域の交通網を麻痺させる。苛立つ地域住民の苦情はやがて役所に、会社に、オペレーターたちに向けられる。

「仕方ないよ、とにかく今日はゆっくり休め」と慰められる度、私は何度も自分の未熟さを痛感した。

去年の春、念願の資格を取得した私は今、二級土木施工管理技士として小規模治山工事を担当している。入社以来、施工管理の補助員として、朝礼で一日の段取りを学び、現場では仕事の流れを学んできた。発注者との打ち合わせ、下請け業者との工事打ち合わせ、工程管理、安全管理、様々な工種の積み重ねがやがて道路となり水路となる土木の仕事を私なりに勉強してきたつもりだけれど、誰かの補佐ではなく、ここはまぎれもなく「私の現場」。プレッシャーのかかり方が今までとはまるで違う。

もしかしたら、発注者や協力業者のなかには、現場での経験が浅く非力な私のことを、「アイツで大丈夫なのか?」と不安に思っている人もいるだろう。それはそうだ。治山工事ひとつとってみても、現場が違えば何もかもが違う。そこは経験に基づく判断力がものをいう世界で、資格者証なんて現場じゃ何の役にも立たない、まさに実力の世界なのだから。

いろいろと不安はあるけれど、今日も私は工事の完成を目指して現場へ通う。車ですれ違うときのパッシングは、ひとつの工事を安全に完成させるために協力し合う皆の共通の挨拶。「頑張れ」って聞こえるから、私も「頑張ろう」って返す。そこには発注者も元請け企業も納入業者も関係ない一体感がある。私は今、その中に自分がいることがとても誇らしい。

もしも、この業界に飛び込もうとする女の子がいるのならば、私は少し先輩としてこうアドバイスしたい。「いいじゃん、ドボジョ! 楽しいよ、ゲンバ!」

私はドボジョ水島 千瑛[㈱竹延]

私が建設業界を志すきっかけを与えてくれたのは、高校時代の教諭です。その教諭は、女性では珍しい技術科目担当の方でした。芸術が好きで、漠然と美大や芸大に進学しようと思っていた私ですが、文系科目よりも理系科目の成績が良く、その教諭は建築学科のある大学を薦めて下さいました。それまでは建設業への興味は一切ありませんでしたが、その薦めで私は建設業界で働くと決意し、それまでの漠然とした未来を一本の目標に絞り建築学科へ進学しました。

現場代理人として電気設備会社に就職し、慌しい毎日を過ごす中で、私は結婚して妊娠を理由に退職しました。妊娠の報告後、上長と話し合いをする内に、この会社では働きながらの子育ては難しいと感じたのです。理由は、社員が少人数でありながら関西全域を施工担当しており、常に現場管理をしなければならずフォローできる人員がいなかった事、そして何より女性現場代理人の前例がなかったので、制度や理解度がまだ浸透していませんでした。私はこのまま現場が見られない事で、この会社には迷惑をかけてしまうと自粛の念にかられ、もう建設業界からは身を引こうと考えました。今考えればいくつか方法はあったように思いますが、当時は妊娠しながら働く日常生活にとても疲れていて、お腹の子を守る事に必死だったように思います。こうして退職してしまった私ですが、たった1年半の施工管理としての経験が、その後に私の人生の転機となりました。

2年の時が経ち、私は再就職を考え、マザーズハローワークに行きました。心の中では、「子育てしながら建設業関係は難しい、就職するのであれば子育てに理解ある女性中心の職場だろう」、そう考えていました。事務職やパート業務等の求人情報を探し、帰宅する間際に、私は壁に貼られている現在お勧めの求人情報の掲示を眺めていました。そこで私は“職人募集、女性も活躍しています”の文字に衝撃を受けたのです。そうだ!現場管理は出来ないかもしれないけれど、職人ならそこまで遅くまでは働かなくても出来るかもしれない!もう一度、建設業界の仕事がしたい! 私は胸躍らせながら、KMユナイテッドという会社に応募しました。ハローワークの方も、女性では見つからないと思っていたけれど、貴女のような方にはぴったりだと後押しして下さり、私は職人になる気持ちで帰宅しました。さっそく夫に報告すると、就業開始時刻が早

すぎて保育所に預けられないのではないかと指摘され、初めて終業時間以外を意識し、やはり建設業は難しいのかと落胆しました。

後日、KMユナイテッドの社長から連絡があり、育児中だと朝礼には間に合わないだろうし、現場が押していれば残業もあり得るので雇うことは難しいと言われました。心の中でそうだろうなと思う反面、私は悔しさを感じました。そんな私を察して下さったのか、その社長はグループ会社で施工管理アシスタント業務の募集を行なっている事を教えて下さいました。前職の経験があるのだから、アシスタントの面接をしましょうと言って頂き、かなり驚きました。何故なら、私は履歴書にもまだ小さな子供がいる事を書いており、それだけでも採用できない理由になると思っていたからです。その後、面接へ向かい、採用担当をされている副社長から、子供が小さい内は勤務時間を8時半から15時半にする事、子供の病気などがあればそちらを優先してほしい事、子供がある程度手を離れた時にフルで働いてほしい事等を事前に話して下さり、この条件でよければ働いてほしいと言って下さいました。私は嬉しさのあまり、すぐに承諾しましたが、ご夫婦で相談して下さいとここでも私以上に家族の事を気遣って下さり、改めてこの会社で働きたいと思うようになりました。

現在、私は株式会社竹延という塗装工事のリニューアル部門で働いています。業務は図面や積算、書類の整備等を中心に、マンションの改修工事について学んでいる所です。働きながらの育児や家事は正直大変な事も沢山あります。目まぐるしい毎日ですが、大変ながらもいつも考える事は、私が一所懸命に頑張る姿を見せる事で、子供に生きる上で大切な事を教えたいという事です。いつか働くお母さんがかっこよくて好きだと言ってもらえる事が私の目標となりました。

私の友人は、女性である自分がずっと建設現場で働く為には、子供を作る事は考えないようにすると言いました。私はそういう考え方も筋があって嫌いではありません。しかし、子供がいる事で全て諦める理由にはならないと私は思います。子の成長を糧に、一番家族にとって良い形で働く事が今後建設業で働く女性の為にもなると考えています。建設業界の次世代の女性が、育児をしながら働きやすい環境作りに繋がるよう、これからも頑張りたいと思います。

母親として現場で働くという事

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国土交通大臣賞

平成27年度 高校生の作文コンクール

建設産業人材確保・育成推進協議会

高校生の作文コンクール

趣 旨

国土交通省と建設産業人材確保・育成推進協議会では、建設業への入職に関心を抱いて頂くために、各工業高校の建築・土木、環境、デザイン学科などで学んでいる在校生を対象として将来の建設業で活躍する自分の姿、自分で作りたい建物などに対する「夢」や「憧れ」の仕事等について高校生の作文を募集し、優秀作品への表彰を行っています。この「高校生の作文コンクール」は平成25年度から実施し、今回で3回目の実施となりました。

選定委員

古阪 秀三 京都大学工学部工学研究科建築学専攻 教授 建設産業人材確保・育成推進協議会 運営委員会委員長中村 俊一 (一社)全国建設業協会 執行理事 池田 愼二 (公社)全国鉄筋工事業協会 理事 千葉県鉄筋業協同組合 理事長 (株)ダイニッセイ代表取締役木村 実 国土交通省 土地・建設産業局 建設市場整備課長長福 知宏 国土交通省 土地・建設産業局 建設市場整備課 労働資材対策室長長谷川 周夫 (一財) 建設業振興基金 経営基盤整備支援センター 人材育成支援総括研究部長

表 彰 式

平成27年10月9日(金)に国土交通省にて表彰後、同日行われる「優秀施工者国土交通大臣顕彰式典」にて、受賞者の紹介及び大臣賞の朗読を行います。また、優秀作品は、(一財)建設業振興基金のホームページ上の「建設のしごと」等に掲載されます。「建設のしごと」  http://www.yoi-kensetsu.com/shigoto/index.html

募集概要

募集期間応募資格題 材

応募総数

平成27年5月18日(月)~7月17日(金)全国の工業高校の建築学科、土木学科等の在校生の皆さん以下のテーマより選択。テーマ1 : 建設業に対するイメージテーマ2 : 好きな建物、構造物(ダム、橋梁等)あるいは将来造りたい建物等テーマ3 : 建設業へ就業した場合の5年後、10年後の自分1,314作品

松尾 麗[長崎県立鹿町工業高等学校 土木技術科 1年]

「建築士の免許を取ろうと思う。」私が中学生の時、母が突然言いだしました。それまで専業主婦である母の姿しか見たことがなかった私は、すぐに諦めるだろうと半信半疑でしかなかっ

たのですが、私の予想に反し、母は家事が終わると毎晩遅くまで勉強を続け、ついには本当に免許を取り、建築士として働くことになりました。

家事や育児をしながら働くのは大変です。しかも、母の仕事は工業系の男社会。毎日疲れていたに違いありません。しかし、母はとてもいきいきとして楽しそうに働いていました。私は母の変化に驚きつつ、「そんなにやりがいのある仕事なんだろうか。」と工業系の仕事に興味をもっていきました。

元々、ものづくりが好きで中学校の技術の授業が得意教科だったのもあり、母の姿にあこがれの気持ちを抱いていたので、鹿町工業高校に進学し、工業の勉強をしたいと思うようになりました。

そして合格後、無事に土木技術科に進学したのですが、学級に女子が一人という環境にとても不安を感じ、卒業までやっていけるのだろうかと自信をなくしてしまいそうでした。

そこで、母に土木の仕事について色々尋ねることにしました。やはり、女性の社員がとても少なく、力仕事も男性と同じようにしなければならない大変なものだそうです。しかし、その苦労以上にやりがいがあると話してくれました。物を作る仕事は、完成すると形になり、結果

が目に見える。何よりも利用者の方々から感謝されると、この仕事をしていて良かったと思えるそうです。これらの仕事をするには、国家資格が必要になります。そのため私の通う高校では、入学してすぐに第

二種電気工事士の補習が朝と放課後に始まりました。初めの方は、とても辛くて、どうして土木技術科なのに電気に関する勉強をしないといけないんだろうと思うこともありましたが、二ヶ月間頑張ってきた成果が出て、結果、合格することができました。このことは、涙が出るくらい嬉しかったです。これから先、測量士補や二級土木施工管理技術検定などの資格試験があります。これらの試験も一生懸命努力して必ず合格したいです。

私は今まで、建設に携わる職業は、力仕事で女性には向かないというイメージでした。確かに、私は女性だから男性に力は劣るかもしれません。しかし、仕事の効率や見た目の綺麗さ、正確

さなど女性だからこそできることがこの職業にもあると思います。私は十年後立派な技術者になり、女性である私にしか創ることのできない自然環境に配慮した、人々が豊

かに生活できる土木構造物・建築物に出会っていきたいです。

109

国土交通大臣賞

平成27年度 高校生の作文コンクール

建設産業人材確保・育成推進協議会

高校生の作文コンクール

趣 旨

国土交通省と建設産業人材確保・育成推進協議会では、建設業への入職に関心を抱いて頂くために、各工業高校の建築・土木、環境、デザイン学科などで学んでいる在校生を対象として将来の建設業で活躍する自分の姿、自分で作りたい建物などに対する「夢」や「憧れ」の仕事等について高校生の作文を募集し、優秀作品への表彰を行っています。この「高校生の作文コンクール」は平成25年度から実施し、今回で3回目の実施となりました。

選定委員

古阪 秀三 京都大学工学部工学研究科建築学専攻 教授 建設産業人材確保・育成推進協議会 運営委員会委員長中村 俊一 (一社)全国建設業協会 執行理事 池田 愼二 (公社)全国鉄筋工事業協会 理事 千葉県鉄筋業協同組合 理事長 (株)ダイニッセイ代表取締役木村 実 国土交通省 土地・建設産業局 建設市場整備課長長福 知宏 国土交通省 土地・建設産業局 建設市場整備課 労働資材対策室長長谷川 周夫 (一財) 建設業振興基金 経営基盤整備支援センター 人材育成支援総括研究部長

表 彰 式

平成27年10月9日(金)に国土交通省にて表彰後、同日行われる「優秀施工者国土交通大臣顕彰式典」にて、受賞者の紹介及び大臣賞の朗読を行います。また、優秀作品は、(一財)建設業振興基金のホームページ上の「建設のしごと」等に掲載されます。「建設のしごと」  http://www.yoi-kensetsu.com/shigoto/index.html

募集概要

募集期間応募資格題 材

応募総数

平成27年5月18日(月)~7月17日(金)全国の工業高校の建築学科、土木学科等の在校生の皆さん以下のテーマより選択。テーマ1 : 建設業に対するイメージテーマ2 : 好きな建物、構造物(ダム、橋梁等)あるいは将来造りたい建物等テーマ3 : 建設業へ就業した場合の5年後、10年後の自分1,314作品

松尾 麗[長崎県立鹿町工業高等学校 土木技術科 1年]

「建築士の免許を取ろうと思う。」私が中学生の時、母が突然言いだしました。それまで専業主婦である母の姿しか見たことがなかった私は、すぐに諦めるだろうと半信半疑でしかなかっ

たのですが、私の予想に反し、母は家事が終わると毎晩遅くまで勉強を続け、ついには本当に免許を取り、建築士として働くことになりました。

家事や育児をしながら働くのは大変です。しかも、母の仕事は工業系の男社会。毎日疲れていたに違いありません。しかし、母はとてもいきいきとして楽しそうに働いていました。私は母の変化に驚きつつ、「そんなにやりがいのある仕事なんだろうか。」と工業系の仕事に興味をもっていきました。

元々、ものづくりが好きで中学校の技術の授業が得意教科だったのもあり、母の姿にあこがれの気持ちを抱いていたので、鹿町工業高校に進学し、工業の勉強をしたいと思うようになりました。

そして合格後、無事に土木技術科に進学したのですが、学級に女子が一人という環境にとても不安を感じ、卒業までやっていけるのだろうかと自信をなくしてしまいそうでした。

そこで、母に土木の仕事について色々尋ねることにしました。やはり、女性の社員がとても少なく、力仕事も男性と同じようにしなければならない大変なものだそうです。しかし、その苦労以上にやりがいがあると話してくれました。物を作る仕事は、完成すると形になり、結果

が目に見える。何よりも利用者の方々から感謝されると、この仕事をしていて良かったと思えるそうです。これらの仕事をするには、国家資格が必要になります。そのため私の通う高校では、入学してすぐに第

二種電気工事士の補習が朝と放課後に始まりました。初めの方は、とても辛くて、どうして土木技術科なのに電気に関する勉強をしないといけないんだろうと思うこともありましたが、二ヶ月間頑張ってきた成果が出て、結果、合格することができました。このことは、涙が出るくらい嬉しかったです。これから先、測量士補や二級土木施工管理技術検定などの資格試験があります。これらの試験も一生懸命努力して必ず合格したいです。

私は今まで、建設に携わる職業は、力仕事で女性には向かないというイメージでした。確かに、私は女性だから男性に力は劣るかもしれません。しかし、仕事の効率や見た目の綺麗さ、正確

さなど女性だからこそできることがこの職業にもあると思います。私は十年後立派な技術者になり、女性である私にしか創ることのできない自然環境に配慮した、人々が豊

かに生活できる土木構造物・建築物に出会っていきたいです。

109

土地・建設産業局長賞土地・建設産業局長賞

平成27年度 高校生の作文コンクール 平成27年度 高校生の作文コンクール

国土交通大臣賞 国土交通大臣賞

平成27年度 高校生の作文コンクール 平成27年度 高校生の作文コンクール

中川 智樹[長崎県立鹿町工業高等学校 土木技術科 3年]

現在、日本では東京オリンピックの準備や東日本大震災の復興工事のため、公共工事が増加しています。また、寿命を迎えたビルや建物、橋、道路といった土木構造物のメンテナンスなど、土木を学び、土木の仕事を志している私達にとって、このように必要とされ活躍できる時代は今後おとずれることはないといっても過言ではないと思います。

私が学校の実習やインターンシップなどを通して感じた土木の魅力は二つあります。一つめはものづくりを通し、仲間の大切さを知ることができるということです。足場や小屋組みを立てる時、安全確認のため周りへの気配りはもちろん、皆で一つのものを作るために協力し合わなければなりません。そこからお互いに信頼関係が生まれ、仲間としての絆が深くなると考えます。私は剣道部に所属しているのですが、いつも心に留めている言葉があります。それは「仲間がいるからくじけずに最後までやり通すことができる。」という言葉です。どんなに辛い練習や、苦しくて辞めたいと思った時でも、仲間の存在が自分を支えてくれました。土木の仕事はこれ以上に苦しくて大変だと思います。しかし、自分は一人じゃない、支えあえる仲間がいることで、やり通す力が沸いてくると思います。

二つめは、土木には見えない格好良さがあるという点です。東日本大震災の時、テレビでは自衛隊の方々が懸命に人命救助される姿などが連日放送されていました。もちろんその自衛隊の方々が救助に行くための道は、土木技術者によって整備されたものです。瓦礫だらけの危険な道を、復旧のため、誰よりも早く動いたのです。しかし、このことはニュースでは全く触れられていませんでした。この震災当時、私は中学生で、高校は鹿町工業高等学校土木技術科に進学しようと考えていたのですが、このように目立たない危険な場所で瓦礫や泥水の中を作業しなければならない土木の仕事に対して「辛くてきつい仕事」というイメージを持っていました。そして迷いながらこの高校に入学したのです。しかし、この二年間、沢山の実習の授業を通して人々の生活の基盤を支えるこの「土木」の役割を学ぶことで、考え方も変化していきました。今はあの災害時、復興への第一歩をいち早く踏み出した土木技術者を尊敬しています。たとえ人には見えなくとも、「人のため、世のため」になるこの仕事に誇りを持っています。

これからの数年、復興やオリンピックにむけ、大きく日本が変化する時です。私もこの貴重な機会に土木技術者としてこれからの日本の役に立ちたいと考えています。まだまだ技術も知識も人間としての力も足りませんが、これから積極的に沢山のことを学んでいき、経験し、いつか自分が造るもので、日本の土木技術がすばらしいものだと世界中の人々を驚かし、感動させたい。これが私の夢です。

土木の魅力とこれからの日本渡部 詩乃[福島県立喜多方桐桜高等学校 建設科 2年]

喜多方桐桜高校への入学のきっかけは、中学時代に授業で見たテレビ番組に心を奪われたからでした。ダムが完成するまでの道のりや、それに従事した人たちの苦悩などをまとめた番組を見て「巨大な構造物を造り、造った人にしか分からない達成感を味わってみたい」と思ったからでした。

専門教科は、測量、実習、製図など、いくつかありましたが、その中でも一番苦労したのは製図でした。私は、裁縫が得意なことや、家にある本や雑誌を整頓することが嫌いではなかったので、自分のことを几帳面で細かい作業が得意だと思っていました。そのようなことから、きっと製図も上手くやれるだろうと考えていました。しかし、製図のひとつひとつは初めてのことばかりで、製図で必要とされる線をまともに描くことができない自分の技量に気づかされました。一ミリ間隔の線を引くことでさえ、ぶれて濃淡がはっきりせず、美しい図面とは程遠いものになっていることに、苛立ちと恥ずかしさを覚えました。

そんな時「一ミリの誤差は心のエラーだ」と口癖のようにおっしゃる先生の言葉を思い出し、ふとわれに返りました。研ぎ澄まされた気持ちで製図に取り組んでいない心の未熟さが、苛立ち。そんな取り組みによってできた作品という結末が、恥ずかしさとなって現れていたのだと思います。

つまり、美しい図面は、「心のエラーを修正」しないと描けないという結論に達したのです。これまでの私は、几帳面で細かいだけであって、どこかこれくらいでいいだろうと妥協していたのだと

思います。本当に、好きな本がびしっと揃っていたのか、等間隔で並縫いができていたのかなど、普段の生活において、研ぎ澄まされた気持ちで物ごとに取り組むことができるよう努力しました。

しばらくすると、あることに気づきました。以前は本棚に揃えていただけの本を、出版社やジャンル、作家別に自然と並び替えていたのでした。

そのころから、線の濃淡や、長さにもこだわりを持って描けるようになり、先生からはお褒めの言葉をいただけるようになってきました。少しずつですが、美しい図面に近づいてきているのだと実感しました。

私は「巨大な構造物を造りたい」という夢を実現させるため、一ミリの大きさにこだわる大切さを認識できるようになってきたと思います。これからも、たくさんのこだわりを持ち続け、妥協しないものづくりができる技術者になりたいと考えます。

一ミリに変えられた自分

1211 12

土地・建設産業局長賞土地・建設産業局長賞

平成27年度 高校生の作文コンクール 平成27年度 高校生の作文コンクール

国土交通大臣賞 国土交通大臣賞

平成27年度 高校生の作文コンクール 平成27年度 高校生の作文コンクール

中川 智樹[長崎県立鹿町工業高等学校 土木技術科 3年]

現在、日本では東京オリンピックの準備や東日本大震災の復興工事のため、公共工事が増加しています。また、寿命を迎えたビルや建物、橋、道路といった土木構造物のメンテナンスなど、土木を学び、土木の仕事を志している私達にとって、このように必要とされ活躍できる時代は今後おとずれることはないといっても過言ではないと思います。

私が学校の実習やインターンシップなどを通して感じた土木の魅力は二つあります。一つめはものづくりを通し、仲間の大切さを知ることができるということです。足場や小屋組みを立てる時、安全確認のため周りへの気配りはもちろん、皆で一つのものを作るために協力し合わなければなりません。そこからお互いに信頼関係が生まれ、仲間としての絆が深くなると考えます。私は剣道部に所属しているのですが、いつも心に留めている言葉があります。それは「仲間がいるからくじけずに最後までやり通すことができる。」という言葉です。どんなに辛い練習や、苦しくて辞めたいと思った時でも、仲間の存在が自分を支えてくれました。土木の仕事はこれ以上に苦しくて大変だと思います。しかし、自分は一人じゃない、支えあえる仲間がいることで、やり通す力が沸いてくると思います。

二つめは、土木には見えない格好良さがあるという点です。東日本大震災の時、テレビでは自衛隊の方々が懸命に人命救助される姿などが連日放送されていました。もちろんその自衛隊の方々が救助に行くための道は、土木技術者によって整備されたものです。瓦礫だらけの危険な道を、復旧のため、誰よりも早く動いたのです。しかし、このことはニュースでは全く触れられていませんでした。この震災当時、私は中学生で、高校は鹿町工業高等学校土木技術科に進学しようと考えていたのですが、このように目立たない危険な場所で瓦礫や泥水の中を作業しなければならない土木の仕事に対して「辛くてきつい仕事」というイメージを持っていました。そして迷いながらこの高校に入学したのです。しかし、この二年間、沢山の実習の授業を通して人々の生活の基盤を支えるこの「土木」の役割を学ぶことで、考え方も変化していきました。今はあの災害時、復興への第一歩をいち早く踏み出した土木技術者を尊敬しています。たとえ人には見えなくとも、「人のため、世のため」になるこの仕事に誇りを持っています。

これからの数年、復興やオリンピックにむけ、大きく日本が変化する時です。私もこの貴重な機会に土木技術者としてこれからの日本の役に立ちたいと考えています。まだまだ技術も知識も人間としての力も足りませんが、これから積極的に沢山のことを学んでいき、経験し、いつか自分が造るもので、日本の土木技術がすばらしいものだと世界中の人々を驚かし、感動させたい。これが私の夢です。

土木の魅力とこれからの日本渡部 詩乃[福島県立喜多方桐桜高等学校 建設科 2年]

喜多方桐桜高校への入学のきっかけは、中学時代に授業で見たテレビ番組に心を奪われたからでした。ダムが完成するまでの道のりや、それに従事した人たちの苦悩などをまとめた番組を見て「巨大な構造物を造り、造った人にしか分からない達成感を味わってみたい」と思ったからでした。

専門教科は、測量、実習、製図など、いくつかありましたが、その中でも一番苦労したのは製図でした。私は、裁縫が得意なことや、家にある本や雑誌を整頓することが嫌いではなかったので、自分のことを几帳面で細かい作業が得意だと思っていました。そのようなことから、きっと製図も上手くやれるだろうと考えていました。しかし、製図のひとつひとつは初めてのことばかりで、製図で必要とされる線をまともに描くことができない自分の技量に気づかされました。一ミリ間隔の線を引くことでさえ、ぶれて濃淡がはっきりせず、美しい図面とは程遠いものになっていることに、苛立ちと恥ずかしさを覚えました。

そんな時「一ミリの誤差は心のエラーだ」と口癖のようにおっしゃる先生の言葉を思い出し、ふとわれに返りました。研ぎ澄まされた気持ちで製図に取り組んでいない心の未熟さが、苛立ち。そんな取り組みによってできた作品という結末が、恥ずかしさとなって現れていたのだと思います。

つまり、美しい図面は、「心のエラーを修正」しないと描けないという結論に達したのです。これまでの私は、几帳面で細かいだけであって、どこかこれくらいでいいだろうと妥協していたのだと

思います。本当に、好きな本がびしっと揃っていたのか、等間隔で並縫いができていたのかなど、普段の生活において、研ぎ澄まされた気持ちで物ごとに取り組むことができるよう努力しました。

しばらくすると、あることに気づきました。以前は本棚に揃えていただけの本を、出版社やジャンル、作家別に自然と並び替えていたのでした。

そのころから、線の濃淡や、長さにもこだわりを持って描けるようになり、先生からはお褒めの言葉をいただけるようになってきました。少しずつですが、美しい図面に近づいてきているのだと実感しました。

私は「巨大な構造物を造りたい」という夢を実現させるため、一ミリの大きさにこだわる大切さを認識できるようになってきたと思います。これからも、たくさんのこだわりを持ち続け、妥協しないものづくりができる技術者になりたいと考えます。

一ミリに変えられた自分

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土地・建設産業局長賞土地・建設産業局長賞

平成27年度 高校生の作文コンクール 平成27年度 高校生の作文コンクール

波多 海人[島根県立松江工業高等学校 建築都市工学科 2年]

日本海に浮かぶ小さな島が僕のふるさとです。人口は 3千人ほどの小さな町です。この小さな町にも、隠岐神社のように古くに建てられて今まで大切にされてきた歴史ある建築物がたくさんあります。それを含めた島を代表する数々の観光地を目玉に、今、島をあげて全国にこの島をアピールして、もっと多くの人に見てもらおうと活動しています。その中で、私は大工になろうと思いました。そう思ったいくつかのきっかけがあります。

1つは、最近問題になってきている高齢化で、島の大工が少なくなってきているからです。離島である僕のふるさとにとって、大工という役が欠かせないものの一つだと思います。しかも、島のアピールをするのにも必ず必要となる仕事です。観光施設の建設や実際に島に来られた I ターン者のための住宅建設など、いろいろな面で島のために仕事ができると思いました。

2つ目は、大工という仕事は、建築物を建てることだけではなく、衣 ・食・住のうち住の面でたくさんの人を支えるという大きな役割を持っているからです。つまり安全な暮らしを提供するという責任があるということです。そして、そこにこの家を建ててよかったという大きな達成感や、やりがいを感じる一瞬もあると思います。建築主に「ありがとう」といわれることでさらに仕事にやりがいを感じると思います。

僕が将来目指す大工像は、町の人から信頼され、後輩や子どもたちに目標とされるような人です。10年後、20年後の町に大工になりたいと思う人が増えてくるといいなと思っています。この像に少しでも近づくためには、まず一人前の大工になる必要があります。でも、決して簡単になれるものではありません。それは経験がものをいう職業だからです。学校の勉強はもちろん、就職してから基本的な技術をこつこつと身につけ、ひととおりの仕事ができるようになったらふるさとのために働くつもりです。

私が生きてきた16年というスパンは、まだまだ人生の一部にしか過ぎないものだと思います。それでも絶対に信念を曲げず、自分で決めた大工という未来に歩んでいこうと思います。そしていつか、ふるさとのために、ふるさとの人たちのために汗を流し、「一人前になったな」と言われるように、日々励んでいきたいです。

ふるさとの島のために柴戸 清哉[長崎県立鹿町工業高等学校 土木技術科 3年]

私は、将来舗装工事に関する会社に勤めたいと考えています。それは、私が高校二年生の時に、ある舗装会社に五日間現場実習に行ったことがきっかけです。現場の作業員の方々は人々が安全に安心して通ることができる道路をつくるために汗を流し、必死で働いていました。その一生懸命な姿に感動し、私もその一員になりたいと考えたのです。

その会社は主に、道路の舗装・整備を行い舗装をするために測量をしています。実際に現場での作業を見てみると、休憩している時の表情とは違い、汗を流しながらきびきびと作業を行い、現場監督の指示のもと、みるみるうちに舗装が完成していきました。私はその姿を見て、仕事に対する気迫を感じ、「舗装工事をしている人は格好良い。」と思いました。もちろん外見ではなくその姿勢です。そして、その日の最後、会社の人に「舗装工事の魅力とは何ですか」と尋ねてみました。するとその方は「舗装工事の魅力は、自分達が舗装したものが長い間形として残ることと、舗装工事を終えた所を通ると、自分達が誇らしく思えてくる。」と答えてくれました。私はそれを聞いて、「舗装工事に関する仕事に就きたい」とさらに強く思いました。

現場実習も終わり、どうしたら舗装工事に関わる仕事に勤めることが出来るか考えました。私が通っている、鹿町工業高等学校のキャッチフレーズに「汗を流して半人前。腕を磨いて一人前。道を極めて男前。」というのがあります。私自身には、まだまだ遠いキャッチフレーズです。しかし、このキャッチフレーズに近づくために、今私は努力していることがあります。それは、学校での授業はもちろんですが部活動についてです。私は、土木技術部という部に所属しています。毎年六月に行われる、長崎県高校生ものづくりコンテストに出場するために毎日の練習で技術を磨いています。機器を持って移動する素早さ、お互いの作業を確認し合図を行うこと、報告を正確に聞き取って正確に記録する記帳、測量した数値について計算をして作成する成果表の正確さと丁寧さの四つのポイントについて徹底して練習し、昨年度は優良賞を受賞することが出来ました。また、私達は技術を磨くだけではなく毎週一回地域貢献を目的として、「バスセンター清掃」「駅の清掃」「通学路の清掃」活動に取り組んでいます。清掃活動を実施するようになり、社会へ貢献することの喜び、地域の方 と々のふれあいの大切さに気づきました。そしてこの「地域社会への貢献」をすることは、舗装工事会社の方々が言われていた仕事の魅力についての話と結びつく点があるなというようにも思いました。

今以上の努力をすれば、私の夢は必ず叶うと思います。そして、将来必要な専門知識と技術を習得し、将来は舗装工事で、周りの人から頼られる存在になりたいと思います。

将来の舗装工事

13 1413

土地・建設産業局長賞土地・建設産業局長賞

平成27年度 高校生の作文コンクール 平成27年度 高校生の作文コンクール

波多 海人[島根県立松江工業高等学校 建築都市工学科 2年]

日本海に浮かぶ小さな島が僕のふるさとです。人口は 3千人ほどの小さな町です。この小さな町にも、隠岐神社のように古くに建てられて今まで大切にされてきた歴史ある建築物がたくさんあります。それを含めた島を代表する数々の観光地を目玉に、今、島をあげて全国にこの島をアピールして、もっと多くの人に見てもらおうと活動しています。その中で、私は大工になろうと思いました。そう思ったいくつかのきっかけがあります。

1つは、最近問題になってきている高齢化で、島の大工が少なくなってきているからです。離島である僕のふるさとにとって、大工という役が欠かせないものの一つだと思います。しかも、島のアピールをするのにも必ず必要となる仕事です。観光施設の建設や実際に島に来られた I ターン者のための住宅建設など、いろいろな面で島のために仕事ができると思いました。

2つ目は、大工という仕事は、建築物を建てることだけではなく、衣 ・食・住のうち住の面でたくさんの人を支えるという大きな役割を持っているからです。つまり安全な暮らしを提供するという責任があるということです。そして、そこにこの家を建ててよかったという大きな達成感や、やりがいを感じる一瞬もあると思います。建築主に「ありがとう」といわれることでさらに仕事にやりがいを感じると思います。

僕が将来目指す大工像は、町の人から信頼され、後輩や子どもたちに目標とされるような人です。10年後、20年後の町に大工になりたいと思う人が増えてくるといいなと思っています。この像に少しでも近づくためには、まず一人前の大工になる必要があります。でも、決して簡単になれるものではありません。それは経験がものをいう職業だからです。学校の勉強はもちろん、就職してから基本的な技術をこつこつと身につけ、ひととおりの仕事ができるようになったらふるさとのために働くつもりです。

私が生きてきた16年というスパンは、まだまだ人生の一部にしか過ぎないものだと思います。それでも絶対に信念を曲げず、自分で決めた大工という未来に歩んでいこうと思います。そしていつか、ふるさとのために、ふるさとの人たちのために汗を流し、「一人前になったな」と言われるように、日々励んでいきたいです。

ふるさとの島のために柴戸 清哉[長崎県立鹿町工業高等学校 土木技術科 3年]

私は、将来舗装工事に関する会社に勤めたいと考えています。それは、私が高校二年生の時に、ある舗装会社に五日間現場実習に行ったことがきっかけです。現場の作業員の方々は人々が安全に安心して通ることができる道路をつくるために汗を流し、必死で働いていました。その一生懸命な姿に感動し、私もその一員になりたいと考えたのです。

その会社は主に、道路の舗装・整備を行い舗装をするために測量をしています。実際に現場での作業を見てみると、休憩している時の表情とは違い、汗を流しながらきびきびと作業を行い、現場監督の指示のもと、みるみるうちに舗装が完成していきました。私はその姿を見て、仕事に対する気迫を感じ、「舗装工事をしている人は格好良い。」と思いました。もちろん外見ではなくその姿勢です。そして、その日の最後、会社の人に「舗装工事の魅力とは何ですか」と尋ねてみました。するとその方は「舗装工事の魅力は、自分達が舗装したものが長い間形として残ることと、舗装工事を終えた所を通ると、自分達が誇らしく思えてくる。」と答えてくれました。私はそれを聞いて、「舗装工事に関する仕事に就きたい」とさらに強く思いました。

現場実習も終わり、どうしたら舗装工事に関わる仕事に勤めることが出来るか考えました。私が通っている、鹿町工業高等学校のキャッチフレーズに「汗を流して半人前。腕を磨いて一人前。道を極めて男前。」というのがあります。私自身には、まだまだ遠いキャッチフレーズです。しかし、このキャッチフレーズに近づくために、今私は努力していることがあります。それは、学校での授業はもちろんですが部活動についてです。私は、土木技術部という部に所属しています。毎年六月に行われる、長崎県高校生ものづくりコンテストに出場するために毎日の練習で技術を磨いています。機器を持って移動する素早さ、お互いの作業を確認し合図を行うこと、報告を正確に聞き取って正確に記録する記帳、測量した数値について計算をして作成する成果表の正確さと丁寧さの四つのポイントについて徹底して練習し、昨年度は優良賞を受賞することが出来ました。また、私達は技術を磨くだけではなく毎週一回地域貢献を目的として、「バスセンター清掃」「駅の清掃」「通学路の清掃」活動に取り組んでいます。清掃活動を実施するようになり、社会へ貢献することの喜び、地域の方 と々のふれあいの大切さに気づきました。そしてこの「地域社会への貢献」をすることは、舗装工事会社の方々が言われていた仕事の魅力についての話と結びつく点があるなというようにも思いました。

今以上の努力をすれば、私の夢は必ず叶うと思います。そして、将来必要な専門知識と技術を習得し、将来は舗装工事で、周りの人から頼られる存在になりたいと思います。

将来の舗装工事

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当日消印有効応募期間

平成27年4月20日(月) 6月19日(金)主催/国土交通省、建設産業人材確保・育成推進協議会

作文コンクール作品募集

届けよう! 建 設 業への強い想い.. .

〝未来を創造する〞建設業

建設業で働く方々の作品建設業で働く方々の作品“未来を創造する”建設業「私たちの主張」作文コンクール“未来を創造する”建設業「私たちの主張」作文コンクール

工業高校生の方々の作品高校生作文コンクール

工業高校生の方々の作品高校生作文コンクール

作文コンクール平成27年度 建設産業人材確保・育成推進協議会

入賞作品集

地域建設業のためのウェブマガジンhttp://shinko-web.jp

平成27年度

作文コンクール

入賞作品集

作文コンクール

※本冊子掲載記事の無断転載を禁じます。

建設産業人材確保・育成推進協議会 事務局/ 一般財団法人 建設業振興基金〒105-0001 東京都港区虎ノ門4-2-12 虎ノ門4丁目MTビル2号館6階 TEL 03-5473-4572 FAX 03-5473-4594E-mail [email protected] URL http://www.yoi-kensetsu.com/