初期禅宗に於ける本覚的思惟...蔵とはそれ自体真如でありながらも、無明によってそのままのかた...

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本稿は、初期禅思想に見られる起信論的思想の 摩からいわゆる南北両宗の対立まで跡付けてみよう 北宗の歴史と教説に就いて、従来は圭峰宗密(七八 O~ 八四一) の著述である『弾源諸詮集都序』や『膊門師資承襲圏』、『圃 大疏紗巻一二之下』などに依るか、或いは『六祖壇経』などを典 して、いわゆる「南頓北漸」という枠組で南宗の立場から北宗禅を 排撃することに終始していた嫌いがあった。しかし今世紀初頭、敦 煽文献の発見を機として初期禅宗の実態が明らかとなり、宇井伯壽、 鈴木大拙、柳田聖山、田中良昭諸氏に代表される、原資料に基づく 初期禅宗の本格的研究が開始され、現在に至っている。勿論、本稿 ではそれらの諸研究を逐一継説することは出来ないが、それらの諸 成果の上に立って、とくに『大乗起信論』との関わりに焦点を絞り、 初期禅思想に見られる本覚的思惟を検討してみたい。 初期禅宗に於ける本覚的思惟 初祖達 初期禅宗に於 「本覚」という語は、古来、「一味真実無相無生決定 行」を説く北涼失訳『金剛一一一昧純』が初出である 菩提達摩の『二入四行論』も、 の理入と行入の説に依拠したものであるとされてきたが、水野弘元 氏により、本経は、新訳すなわち玄芙訳の「末那」の語と、同じく 玄哭訳(貞観一一十二年、六四八年)『般若心紐』の般若呪が用いら れていること、しかも新羅の元暁がこれに注釈を加えた『金剛一ー一昧 経論』一巻を著す六六五年前後まで、この経に就いて言及した者 がいなかったこと等の理由から、本経は六五 0 年!六六五年の凡そ 十数年間に中国で成立した唐代初期の偽経であることが明らかとな り、本経と達摩の『二入四行論』の立場が逆転し、本経の一部が 達摩の禅法に基づいて作成されたものであることが判明したのであ (1) 『金剛三昧経』の「入実際品第五」

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|『大乗起信論』と初期禅宗の立場ーー—

本稿は、初期禅思想に見られる起信論的思想の展開を、

摩からいわゆる南北両宗の対立まで跡付けてみようとするものであ

る。北宗の歴史と教説に就いて、従来は圭峰宗密(七八

O~八四一)

の著述である『弾源諸詮集都序』や『膊門師資承襲圏』、『圃覺経

大疏紗巻一二之下』などに依るか、或いは『六祖壇経』などを典拠と

して、いわゆる「南頓北漸」という枠組で南宗の立場から北宗禅を

排撃することに終始していた嫌いがあった。しかし今世紀初頭、敦

煽文献の発見を機として初期禅宗の実態が明らかとなり、宇井伯壽、

鈴木大拙、柳田聖山、田中良昭諸氏に代表される、原資料に基づく

初期禅宗の本格的研究が開始され、現在に至っている。勿論、本稿

ではそれらの諸研究を逐一継説することは出来ないが、それらの諸

成果の上に立って、とくに『大乗起信論』との関わりに焦点を絞り、

初期禅思想に見られる本覚的思惟を検討してみたい。

初期禅宗に於ける本覚的思惟

初祖達

初期禅宗に於ける本覚的思惟

「本覚」という語は、古来、「一味真実無相無生決定実際本覚利

行」を説く北涼失訳『金剛一一一昧純』が初出であるとされ、禅宗初祖、

菩提達摩の『二入四行論』も、

の理入と行入の説に依拠したものであるとされてきたが、水野弘元

氏により、本経は、新訳すなわち玄芙訳の「末那」の語と、同じく

玄哭訳(貞観一一十二年、六四八年)『般若心紐』の般若呪が用いら

れていること、しかも新羅の元暁がこれに注釈を加えた『金剛一ー一昧

経論』一巻を著す六六五年前後まで、この経に就いて言及した者

がいなかったこと等の理由から、本経は六五

0年!六六五年の凡そ

十数年間に中国で成立した唐代初期の偽経であることが明らかとな

り、本経と達摩の『二入四行論』の立場が逆転し、本経の一部が

達摩の禅法に基づいて作成されたものであることが判明したのであ

(1)

る。

『金剛三昧経』の「入実際品第五」

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以上のことから、

(2)

氏の指摘の如く、

「本覚」の語が最初に現われるのは、

『大乗起信論』であり、

一者覺

田村芳朗

『金剛三昧経』中に見ら

れる本覚の語はその応用であるということになる。

めみよう

さて、この『大乗起信論』は、著者として「馬鳴菩薩造」となっ

ており、周知の如く、漢訳だけが二本現存している。第一訳は真諦

三蔵(四九九ー五六九)が梁の太清四年(五五

O)に一巻本として

訳出したもの、第二訳は実叉難陀が則天武后の時代、六九五ー七〇

0年間に一一巻本として訳出したものである。サンスクリット原典も

チベット訳も現存せず、インド仏教に於ける引用例も見当たらない。

そうしたことから「支那撰述説」が主張されたが、いまだに決着を

見ていない。この点に就いての検討はここでは差し控えることにし

て、次に、『起信論』に於ける重要なキータームである「本覚」の

語義を明確にしておきたい。

「本覚」という語は、『起信論』正宗分第三段解釈分の第一章顕

示正義第二節心生減門で詳しく論じられる。少し長いが引用してお

< 心

生減者、依――如末蔵一故有

1

一生減心一所レ謂、不生不滅輿一一生減―

和合、非こ非レ異、名為

1

一阿黎耶識一

此識有―

1

1

一種義f

能振-1

一切法f

生1

ー一切法『云何為レ――°

義、二者不覺義。

所レ言覺義者、謂

1

1

心證離念『離念相者、等

II

虚空界f

無レ所レ不レ

偏、法界一相、郎是如来平等法身。依

1

1

此法身

1

説名=本覺↓何

以故。本覺義者到一ー始覺義一説、以一_一始覺者郎同

-

1

本覺f

始覺義者、

依1

一本覺―故而有

1

一不覺f

依1

一不覺丘盆呼有

1

一始覺一

又、以レ覺

1

一心原

1

故名=究覚覺一不レ覺

1

一心原一故非=究覚覺一此義

如=凡夫人覺

1

一知前念起悪

1

故、能些後念令=其不>起、

名>覺、郎是不覺故。如三一乗観智、初稜意菩薩等廊竺於念異f

念無翼相一以レ捨

1

一塵分別執著相一故、名

1

一相似覺↓如

1

一法身菩薩

等↓覺

1

一於念住f

念無

1

1

住相f

以レ離

1

1

分別塵念相一故、名=随分

覺↓如薔薩地壺涵竺足方便f

―念相應、覺

1

一心初起f

心無11

相↓以レ遠蘊微細念一故、得レ見=心性f

心郎常住、名=一究党覺f

是故、修多羅説な若有=衆生函監竪無念一者、則為d

向=佛智

1

故。

心起者無レ有=初相可乙知、而言レ知

1

1

初相一者、郎謂

1

一無念↓

是故、一切衆生不

1

一名為五覺、以為茫本来念念相績、未

1

一曾離入念

故、説

t

l

無始無明一若得ーー無念

1

者、則知

1

一心相生住異減f

以1

一無

(3)

念等

1

故。

要約すると次のようになろう。

心の本性すなわち心真如は、それ自体心の生減変化(時間)を超

越し、不生不滅(無時間的、先時間的)でありながら、それが現実

には煩悩に覆われて凡夫の心として生減去来している。このように

煩悩に覆われた真如が「如来蔵」と呼ばれるのである。従って如来

又、 云何゜

雖複

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蔵とはそれ自体真如でありながらも、無明によってそのままのかた

ざいでんい

ちでは現われていない「在纏位の真如」である。

卜和合シテ一

「不生不減卜生滅

ニモ非ズ異ニモ非ズ」とはこうした消息を謂う。

し不生不滅(真如)と生滅(煩悩)という二者があって、

―つに和合するというのではない。煩悩に覆われながらも煩悩に染

まることなく、自性清浄なる心性が如来蔵なのである。不生不滅が

不生不滅でありつつそのまま生滅なのである。水波の比喩で云えば、

水はどこまでも水であることを止めずにさまざまな波となって波立

っているのであり、逆に云えば波がいかように波立っていようとも

水の水としての在り様は何等変わることがないのと同様である。要

するに真如はいわば動静を絶する絶対静(水そのもの)であるのに

対し、如来蔵はどこまでも動に対する静(波立つ水)であって、

動を予想した静であるがゆえに、如来蔵の不生不滅は生滅と和合し

て非一非異となるのであり、これが「阿黎耶識」とも呼ばれ、

々のあらゆる経験を内に摂め取り

ただ

それらが

妄和合識」とも称されるのである。この阿黎耶識は、貪欲や怒り、

嫉妬、慢心などの煩悩に機されている凡夫の生存の根底として、我

(能撮一切法)、

一切が生じてもくるのである(生一切法)。これが阿黎耶識の「蔵」

の意味である。

同時に、この阿梨耶識には「覚」と「不覚」の二義があるという。

覚とは「心陸離念」なることを謂い、自性清浄なる般若智のこと

である。この離念の相たるや虚空界に等しく、無所不遍にして法界

初期禅宗に於ける本覚的思惟

そこから経験の

である。煩悩に覆われた凡夫が仏道に精進し、修行実践をする過程

で、本ョリ已束……心縁ノ相ヲ離レタル一心・真如に今漸くにして

目覚める(漸悟)ということがあるからである。ということは、裏

を返せば、始覚があれば当然不覚という事実もあるわけで、この不

覚が始覚を経て本覚に帰入合体するのである。従って本覚とは、心

真如(法身)が本体論的視座から見られるのに対し、現象的側面か

ら見られた場合に名付けられたものと解せられよう。言い換えれば、

真妄和合識(阿梨耶識)に於ける一心、無明の相を離れざる覚性、

ところでこの本覚には「謹染本覺」と「性淫本覺」の二種がある。

長いので以下引用は控えるが、前者は、本来不生不滅にして自性清

浄なる本覚をば生滅妄染の法に随動するものとして見る場合を謂い、

別言すれば、無明煩悩との関係に於いて力を発動する本覚の根源的

働きを現わす。それに対して、後者は、生滅去来の相を絶する本覚

の体を現わす。更に随染本覚には一一種の相があり、「智浄

相」、

もう―つは「不思議業相」

である。智浄相は、

煩悩に染汚せ

られている本覚が、煩悩を離脱し、本来清浄なる本覚に還帰する相

のことである。これを法蔵(六四三!七――-)の『義記』では「本

(4)

覺随染還浄之相」と釈している。すなわち、「法力薫習二依リ、如

実二修行シテ、方便ヲ満足スルガ故二、和合識ノ相ヲ破シ、相続心

―つは

「真

すなわち如来蔵ということになる。

覚」と称せられるのは、

「始覚」

(目覚め)という事実があるから

一相、如来平等法身なる心真如である。

J

の心真如なる覚が

「本

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黛習して、菩提心を起こさしめるわけである。

ノ相ヲ滅シ、法身ヲ顕現シテ智ガ淳浄トナル」のである。次に不思

議業相とは、逆に本覚から煩悩に働きかける場合であり、本覚本然

の性功徳が発現する相を謂う。この性力功徳は不断に衆生の機根に

応じて利益を得しめ、利他の救済活動をするのである。

味する。

「如実空鏡」

「法出離鏡」

さて次は覚それ自体を表す「性浄本覚」であるが、これは四種の

「因黒習鏡」

第一の如実空鏡とは、覚真如にはもともと煩悩がないこと、煩悩

が本来空であることを謂う。本覚は在纏位の煩悩の中にあっても、

煩悩がまったくの空で、煩悩に染汚されることはなく、清浄なる明

鏡の如き智慧を意味する。そこでは最早「一切ノ心卜境界トノ相ヲ

遠離シ、法ノ現スベキ無キ」を謂う。

第二は因薫習鏡であるが、因とは覚真如が諸々の因となって縁起

の世界の諸法を現出することであり、黒習とは覚真如が内より内薫

として衆生に働きかけ、衆生として始覚の智を成就させることを意

つまり覚は本覚として煩悩の中にありながらも、それに染

まることなく、無量の性功徳を具えていることを示している。この

されることがないのは、あたかも清浄な鏡が稼されたものを映し出

しながら鏡それ自体は自ら映し出したものによって汚されることが

ないのと同様である。こうした自性清浄なる覚真如が内より衆生に

ように本覚は一切諸法を顕現しつつも自ら顕現した諸法によって汚

明鏡に喩えられる。

習鏡」である。

「縁黒

である。

「本覚ヲ離レザル」ものである。従って

第一―一の「法出離鏡」とは無明煩悩から離脱した覚そのものを鏡に

喩えたもので、先の智浄相に対応する。煩悩凝・智凝を出離して、

阿黎耶識の和合相を離脱することによって純粋清浄なる智惹が顕わ

となるのである。

第四の「縁黒習鏡」は、覚真如としての仏陀が外から衆生に縁と

なって働きかけ、衆生に始覚を起こさせる、外縁の活動を謂う。法

出離と縁薫習とは、出纏の本覚の体と相を示したものであり、前者

が智浄相に対応していたのに対し、後者は不思議業相に相当する。

更に言えば、第二の因薫習鏡は真如の内薫を示し、第四の縁薫習

鏡は真如の外黒を表わしてもいる。つまりこの二鏡は、真如がもっ

根源的な働きを示したものであるのに対し、第一の如実空鏡と第三

の法出離鏡とは、覚真如体相・性徳を示したものと云えよう。

前二者は在纏位の本覚を示し、後二者は出纏位の本覚を示したもの

さて次は「不覚」であるが、不覚とは「如実二真如法ノ一ナルヲ

知ラザル」こと、すなわち無始なる無明の妄念を謂うのであるが、

この念も自相が無いので、

「本覚二依ルガ故二‘

また

シカモ不覚有リ」と云われる。また「不覚ニ

依ルガ故二始覚有リ」と説かれるのは、不覚の妄念が実際にあれば

こそ、そこからの目覚めも起こってくるわけであり、

(5)

功有リ」という『義記』の説明もこの点を示すものであろう。この

「妄二起浄之

ように不覚によって覚が顕われるのは、不覚が真如によって生起し、

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つきつめて云えば、

真如と別体ではないことによる。『義記』はこの消息を「初二覺ニ

(6)

依リテ迷ヲ成シ、後二迷二依リテ覺ヲ顕ス」と示している。

しかし、こうした不覚の現実から始まり、始覚を通じて本覚に目

覚め、真如に帰入合体するといった時間的プロセスは、それ自体無

時間的にして先時間的なる真如覚体の根源的動性に他ならないこと

心員如者郎是一法界、大線相法門悟。所レ謂心性不生不滅。一切

諸法唯依

1

一妄念―而有

1

1

差別f

若離=心念_則無11

一切境界之相『是

故一切法、従レ本已来、離

1

一言説相f

離一_名字相↓離一_心縁相↓畢

(7)

覚乎等。無レ有愛異↓不レ可一_破壊↓唯是一心、故名―一員如f

|(以下略)1

『大乗起信論』は煩悩の非本来性と、真如の

、、

体が無自性空であることを前提とし、煩悩に覆われた生滅心を透か

して、それ自体不生不滅なる心の根本に目覚めることを促す自覚の

思想であって、内容的には絶対的一元論の立場である。

「非一非異」といった、

一元論が「真妄和合」

即の論理、すなわち如来蔵的思惟を展開しているところにその哲学

的特色が見られるのである。

ところで禅の語録には『起信論』に説かれる心真如が大きな役割

初期禅宗に於ける本覚的思惟

真如門」の冒頭部分も挙げておきたい。

しかもその

いうなれば矛盾的相

あるが、後の検討に於いて欠くべからざる重要な個所として、

「心ー

さて、以上が『大乗起信論』に於ける本覚に関する部分の概略で

はとくに銘記しておくべき点であろう。

捨てて真に帰し、身心を統一して壁の如く寂静そのものの境地を得

了」という言葉は

ていきたい。

を占めて導入されている。このことは誰もが認めるところであるが、

殊に初期の禅思想では『起信論』のもつ本覚的、如来蔵的思惟が殆

どそのままのかたちで取り込まれている。以上ではそれがどのよう

な仕方で展開されていったかを順を追って跡付けながら検討を加え

禅宗初祖、菩提達摩の禅法を伝える唯一の資料として重視される

ものに、弟子曇林の撰した『二入四行論』がある。その冒頭の理入

を説く部分に次のような文章がある。

理入者、謂籍教悟宗、深信含生凡聖同一真性、但為客塵妄覆、

不能顕了。若也捨妄帰真、凝住壁観、自他凡聖等一、堅住不

移、更不随於文教、此即与理冥符、無有分別、寂然無為、名之

(8)

理入。

まず教を藉りて宗を悟り、含生の凡聖が同一の真性を持っており、

ただ外来の妄念に覆われてその真性が顕現できないでいることを確

信せよ、

と云う。この「含生凡聖同一真性、但為客隧妄覆、不能顕

『大般涅槃鰹』の「一切衆生悉有佛性、煩悩覆

故不能得有」(「師子吼菩薩品」第二十三之一)に基づいていること

は明らかである。同一真性は仏性とも如来蔵とも解せられる。妄を

れば、自他の区別はなくなり、凡聖も等しく一なるところに安住し

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つ真妄和合の構造、すなわち起信論的思考が容易に看て取れよう。

がないというのが真意であろう。真を求めて妄を除こうとする分別

を達摩は悉く拒絶する。妄も元をただせばそれ自体真に他ならない

ことを、妄を透かして看よと云うのである。ここに達摩の壁観がも

ただ、彼より後の真諦三蔵(五五四年)が訳した『起信論』を用い

していて、

まさに

J

こにもやはり真妄和合の構造が見られる。

て動揺することがなく、文字言語による教えに依らないならば、暗

黙のうちに真性と―つに冥符し、分別も最早働くことなく、寂然無

為の悟りの境地に至る、

と云うのである。

が初出であり、道宜の『続高僧伝』巻十六にも引用されているが、

達摩の禅法を一語で示すものとして広く知られている。宗密の『輝

源諸詮集都序』にも、

達磨以壁観教人安心、云外止諸縁、内心無喘、心如瞳壁、可以

(9)

入道、覺不正是坐禅之法。

と紹介されている。

ところでこの「凝住壁観」とは、心を壁の如くに保って外的な妄

念を寄せつけず、本来清浄なる般若の智惹を発露せしめる瞑想法を

「但為客塵妄覆、不能顕了」という説示の根本には、本来

もともと客塵偽妄の寄りつきようのない、自性清浄なる心を強調す

る意図が看て取れる。「妄を捨て、真に帰す」ということも、達摩

の立場からすれば「巧偽」に過ぎず、そもそもの初めから捨て去る

べき妄も無ければ、帰入してゆくべき真も無く、心は本来カラッと

「廓然無聖」、如何なる客塵偽妄も寄りつきよう

に見られる向居士への返書、

!九十節、

こま、

u'i

『少室逸

次に達摩の法を嗣いだ第一一祖惹可(四八七ー五九一―-)の場合はど

慧可の思想を知る上で重要な資料となるのは『続高僧伝』第十六

『少室逸書』第一篇雑録第二の八十一

『宗鏡録』第九十七巻の文、『少室逸書』第一篇雑録第

一、『安心法門』、それに浄覚の『拐伽師資記』惹可伝の文などであ

(10) る。このうち『続高僧伝』第十六の、向居士に宛てた慧可の返書は

次のようなものである。

説1

此員法

1

皆如賓、典レ員幽理党不レ殊゜

本迷

1

一摩尼玉四瓦礫f

唸然自覺是員珠゜

(11)

無明智慧等無レ異、営レ知萬法即皆如゜

ここに云う摩尼、真珠は真如仏性を意味し、それに迷うから瓦礫

だと思うが、裕然と目覚めてみればそれが真珠すなわち真如そのも

のに他ならなかったことに気付く。無明も智慧も本来異なるもので

はなく、万法は皆真如そのものだと知るべきだ、

では真如に就いての慧可の考えはどのようであったか。

書』第一篇雑録第一の十七節(以下、

録された「達摩遺文二篇につきて」

のようにある。

と云うのである。

『鈴木大拙全集』第二巻に収

の分節番号に依る。)

問、何名二佛心一答。心無1

一異相『名作

1

一員如『

謂うが、

「壁観」の語は曇林の序うであろうか。

ることは考えられない。

' ノ‘

心不レ可レ改。名

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を踏まえていることは注目に値する。

の句に示されている思想と符合するものであろう。

一切即一」とか

心に即して真如を捉える思想は、

『起信論』の先に引用しておいた、

露法性↓心無レ所レ濁。名為

1

一解脱一)

(12)

性寂減。名為

1

一涅槃一

た対立するものの融会円融が説かれ、

初期禅宗に於ける本覚的思惟

心性無碍。名為ii

菩提↓

、い]ー

ここでは仏心が真如、法性、解脱、菩提、涅槃によって理解され、

真如を心に即して捉えようとするところに特色がある。このように

是故一切法、従本已来、離言説相、離名字相、離心縁相、畢党

平等、無有麦異、不可破壊、唯是一心、故名員如

の句や、更には

心員如者郎是一法界、大総相法門麓。所謂心性不生不減。

さて三祖僧燦の思想を窺うものとしては『信心銘』や『榜伽師資

記』僧燦伝に引用されている仙城惹命の『詳玄賦』に対する注釈の

『詳玄伝』に依って知ることができるが、善悪、彼此、真俗といっ

「一即一切、

「信心不二、不二信心」といった表現にも見られるように、彼の思

想の特色は『起信論』というよりも華厳思想や維摩の不二法門が背

景にあると云えよう。また、『信心銘』にある「萬法一如、……萬

法齊観、蹄復自然」という句は粉れもなく老荘的な萬物齊同の思想

次に第四祖逍信(五八

01六五一)であるが、彼の思想は『榜伽

師資記』道信の条に依って窺い知ることができる。この浄覚の撰に

なる本書は、開元四年(七一六)頃に成立した初期禅宗史書の一っ

であり、坐禅を『拐伽経』の自覚聖智や独一静処に依って説明した

ものであるが、注意してよいのは、本書を貫く思想が般若主義であ

って、榜伽主義ではないことである。浄覚が達摩の『一一入四行論』

を継承しつつ、僧肇の遺著をも尊重し、更に『維摩経』等の般若系

の思想を受け継いでいったという事実は、初期禅宗の成立そのもの

が、そうした般若思想の修行による実践化の展開であったことを示

しており、このことは銘記すべき点であろう。そうした特色をもっ

本書は、

さて道信であるが、

また同時に『起信論』を頻繁に引用するのである。

まず注目されるのは

坐時当覚、識心初動、運運流注、随其来去、皆令知之、以金剛

恵徴資、猶如草木無所別知。知所無知、乃名一切智。此是菩薩

(13)

一相法門。

という句である。これも先に引用した『起信論』心生滅門の、

一念相應、覺心初起、心無初相。以遠離微細念故、得見心性、

心郎常住、名究寛覺゜

という句を踏まえていることは明らかである。ところで道信禅の特

色を示すのは「五門の説」であるが、それを述べるに先立って彼は、

「智敏禅師訓」を引用している。

又古時智敏禅師訓曰、学道之法、必須解行相扶。先知心之根源

及諸体用、見理明浄、了了分明無惑、然後功業可成。一解千従、

(14)

一迷万惑。失之奄楚、差之千里。

智敏禅師が如何なる人物であったかは不明であるが、ここに引か

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一者知心体。体性清浄、体与仏同。二者知心用。用生法宝、起

れている言葉は、敦煽資料にある『澄心論』の冒頭部分とほぼ同文

である。この『澄心論』は初期禅宗の綱要書の―つで、延寿の『宗

鏡録』巻一

00には、「智者大師与陳宣帝書」として首尾の部分が

(15)

引かれていることから、本来は天台智顕の作品であったらしい。

「先知、心之根

源、及諸体用」という言葉である。心の根源とは衆生心の主体たる

心真如、すなわち自性清浄心を指し、こうした心の根本を知ること

が修道の本体であるとするのである。

しかもその体用とは、一心と

その働きを示している。心をこのように体用の概念で捉えるのは、

まさしく起信論的発想であって、因に、やはり『澄心論』に見える

「定慧雙修」という言葉も、のちに『六祖壇経』や『神會語録』等

に於いて「定は麓、慧は用」というように、定慧の関係を体用概念

に依って説明する先駆的な用法であることは注意されてよい。ただ

(15)

し、鈴木氏も指摘しているように「定慧雙修」とか「澄心」という

表現からも窺われる如く、慧能以後に見られる定慧一等の考えには

及ばないことも留意すべき点ではあろう。

さて、この道信による智敏禅師の引用文に現われた「心之体用」

は、彼の五種の禅法において具体化される。

作恒寂、万惑皆如。――一者常覚不停。覚心在前、覚法無相。四者

常観身空寂。内外通同、入身於法界之中、未曾有凝。五者守一

(16)

不移。動静常住、能令学者明見仏性、早入定門。

それはともかく、ここでとくに留意したい点は、

道信のこの五種の教説は、のちに北宗や南宗の禅に大きく発展す

る重要な契機を含んでおり、とくに五門の構想は、のちに触れる神

秀の『大乗無生方便門』では五種の大乗経典に依る裏付けを以て、

ところで道信の五門の教説の中でもとくに彼の禅法の特色として

まず挙げられるのは第五の「守一不移」の実践である。例えば鈴木

大拙、関口真大両氏はともにこの守一不移を以て道信禅の中心に置

いて見ている。しかしながら、守一の説は道信自ら「諸経の観法は、

備さに多種有るも、博大師の説く所は、独り守一不移を挙ぐ」と述

べているように、博大士(四九六!五六九)に依るものであり、古

くは維祇難訳の『法句経』や竺法護の『普曜経』巻六、更には葛洪

(18)

の『抱朴子』その他の道家の書にも見えているようである。また先

に触れた達摩の理入説にも「堅住不移」という語があったことも忘

れてはなるまい。ともかく守一とか不移は古くからある瞑想の常套

であった。

以上のことから、守一不移を以て道信禅の独創とするには問題が

あるようである。むしろこの五門はやはり文献の上から並列的に見

しかもそれ以上に、先に挙げた智敏禅師訓

られるべきものであり、

の引用といい、

また、

五門説を述べるに先立って「無量寿経云、諸

仏法身入一切衆生心想、是心是仏、是心作仏。当知仏即是心、心外

更無別仏也。」という『観無量寿経』からの引用といい、それらと

合わせて検討すべきであろうと思われる。『澄心論』原文では「心

一種の唯心哲学の体系を形成するのである。

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之證性」とあるのを智敏禅師訓では、

の体と用が強調されており、

であって、

、、

「心之騰用」と変えられ、心

『観無量寿経』では、諸仏の法身が一

切衆生の心想に入るからして、この心が即ち仏に他ならず、心の外

に更に仏が無いことが述べられている。このように心の体と用との

関係を根本に踏まえて五種の禅法を論じているのであって、五種の

うち第一、第二が心の体と用に就いての理解になる。第一は、心の

体はその体の本性として清浄であって、清海なる体と仏は本来同一

であることを謂うのであり、これは自性清浄心、如来蔵の思想を示

している。第二は、心の用、すなわち心の働きが、法宝を生ずるこ

とであり、起動し造作する我々凡夫の世界も、本来恒に寂静そのも

のであって、如何なる煩悩・惑業も皆真如に他ならないと云うので

ある。この心の体用を踏まえた上で、更に具体的実践として第一一一の

常覚不停、第四の常観身空寂、第五の守一不移が説かれるのである。

要するに、心の体と用の関係こそが道信禅の思想的根幹にあるもの

それは取りも直さず、起信論の真妄和合、如来蔵的思惟

そのものを表わしていることは言を侯たない。

さて、次に第五祖弘忍(六〇「~六七四)の場合はどうであろう

か。弘忍の思想を知る手懸りとなる資料としては『修心要論』があ

る。これは弟子たちが彼の禅法を纏めたものであり、別名『最上乗

論』『一乗顕自心論』とも云われる。弘忍の基本思想は

黙知二法要『守レ心第一。此守レ心者。乃是涅槃之根本。入道之

要国。

初期禅宗に於ける本覚的思惟

「守心」であった。これは道信が取り挙げた「守一不

移」の禅法を更に一層押し進めた立場である。この守心の説は『宗

鏡録』第九十七巻に弘忍大師の言として次のように引かれている。

第五祖弘忍大師云、欲知法要、心是十二部鰹之根本。唯有一乗

法、一乗者一心是。但守一心、即心員如門。一切法行、不出自

心。唯心自知、心無形色。諸祖只是、以心博心。達者印可、更

無別法。又云、一切由心、邪正在己。不思一物、即是本心。唯

(22)

智能知、更無別行。

要するに「心」こそ十二部経の根本であり、一乗法とは一心に他

ならず、その一心を守ることが『起信論』にいう「心真如門」であ

ると云う。更に『修心要論』の冒頭には、修道の体に就いて「本末

(23)

清浄、不生不滅、無有分別。自性圃満、清浄之心。」と述べ、そう

した自心の本来清浄なる心を如何に知るのかという問に対して「十

地論云」として次のように説いている。つまり衆生身中には金剛仏

性が具わっており、それは日輪(太陽)のように体明円満にして広

大無辺であるが、仏性が五陰の重雲に覆われるのは、あたかも瓶内

の灯光が照すことができないのと同様であり、更に、

ないのは雲霧に覆われているためであるのと同様に、自性清浄心も、

煩悩妄念の重雲に覆われているために見えないだけであって、

ひたすら心を守ることによって妄念は生ずることなく、涅槃の法日

が自然に顕現すると云うのである。

とある如く、

日光が現われ

ただ

つまり心を守るとは、本来清浄

、、、、、、、、

なる自己のありのままの本心に常に目覚めていること、更に云えば、

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元来煩悩.妄念などのない心をそのままに守り続ける自覚聖智を謂

うのである。かくして四祖道信の禅法では心の体と用をその基本に

置いて考えられていたのが、弘忍では体用概念を用いる考え方は殆

ど見られず、もっばら体のみを強調し、その休としての心を守るこ

とが行法の根本とされたのである。冒頭でも触れたが、達摩の理入

の立場と、そして今述べた弘忍の守心説を基礎にして仏説というか

たちで作られた『金剛三昧径』には、「守一者守一心如」とあり、

守一とは一心の「如」なることを守ることであり、それが如来禅に

(24)

入る所以であると説かれている。この一心の如とは自性清浄心を指

すことは明らかであり、これがやがて自性開顕の頓悟禅へと発展し

ていくことになるのである。

さて、

五祖弘忍の法嗣、大通神秀(六

0六?ー七

0六)に代表さ

れる北宗禅では、起信論的思惟がどのように展開されているか、そ

れを次に見ていきたい。

北宗禅というのは、主として洛陽や長安などの北地で教化された

神秀門下の禅を謂うが、しかしこの「北宗」という名称は、いわゆ

る北宗の人々が自ら名乗ったものではなく、玄宗の開元二

0年(七

三二)に至って、曹揆慧能(六一――八

1七ニ―-)の法を嗣いだ荷沢神

会(六七

01七六二)が宗論を挑み、達摩の仏教の正系を継承する

のは慧能であって、北宗はその傍系に過ぎないと批判したことから

また、この自心を一一種に分けて次のように説明する。

始まる。そしてこの北宗の禅法は先述の適信の五門説や弘忍の守心

説が発展したものであり、更に当時長安で一世を風靡していた華厳

教学の精緻な構想を取り入れたものである

0

神秀の禅法を知る資料としては、敦煙出土本『観心論』と『大乗

無生方便門』が挙げられる。『観心論』の中心的立場は「了心」で

あろう。その中で、仏道を求めるに当たって最も重要な修法として

「観法惣振諸行。名為最要」と述べ、続けて次のように説いている。

法之根本也。一切諸法。唯心所レ生。若能了レ心。則萬行倶備。

猶如下大樹。枝條及諸花菓。皆悉因レ根。裁レ樹者。存レ根而活。

生1

一長大樹一者。棄レ根而死5

若了レ心修レ道。則省レカ而易レ成。

不レ了レ心而修レ道。乃費―

i

功夫『而無ー一利盆『故知一切善悪。皆

(25)

由――自心『心外別求。終無11

是法『

了心とは、自心を了見すること、つまり自心を覚することであり、

弘忍の守心説に含まれていた自覚的な契機を一層深めて直接に主張

したものと見てよい。

於レ中了1

一見自心一有三一種差別ご苔何有三一種――者浄心。二者

染心。其淫者。郎是無漏員如之心。其染者。郎是有漏無明之心。

此―一種心法。自然本来倶有。雖盃密縁合『亦不

1

1

相生↓浄心恒

架一菩因一縁餞常思

-

1

悪業一若員如自覺゜

不芦杢所染一則稲レ之

為レ聖。逐能遠

1

一離諸苦↓證

1

一涅槃榮↓維染造レ業。受

1

一其纏覆f

則知レ為レ凡。於レ是沈

1

一愉――一界一受一一種種苦『何以故。由一一柚彼染心。

10

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つまり自心には浄心と染心の二種があり、前者は真如の心、後者

は無明の心を謂う。心には元来この二種が具わっているが、真如を

自覚し、染心に染まることがなければ聖人となり、諸々の苦を遠離

して何ものにも捉われない自由を得るが、逆に染心に随って業を造

ってしまうと、その染心によって本来の浄心が覆われ、真如の体を

障げてしまうと云うのである。そしてこの説示の経証として挙げら

れるのが、弘忍の『修心要論』にも「十地論云」というかたちで引

用されていた「衆生身中。有

1

1

金剛佛性『猶如后口輪゜臆明国満。廣

大無邊。只為二九陰重雲所ぬ覆゜如下瓶内燈光。不迄聖顕了ごという

文旬である。更に引き統いて、「涅槃純云」として、「一切衆生。

皆有=佛性↓無明覆故。不レ得

1

1

解脱ごという有名な言句を経証とし

て挙げていることからみて、神秀が心の本体を真如、自性清浄心と

し、それを覆い隈す妄心を凡夫とする考えを持っていたことが明ら

かとなる。このように一心を浄心と染心の二側面で捉える見方は、

恐らく『起信論』、とくに華厳宗の法蔵が『義記』巻中で、

(27)

員如有二義、一不麦義、二随縁義。

と述べた、真如の不変と随縁の考え方に甚づくものと思われる。達

摩より弘忍に至るまで、このように心真如をいわゆる不変と随縁と

に分けて考えることは殆ど無かったと云ってよい。勿論彼らは『起

信論』に立脚しながら、心真如と心生滅の相即関係を踏まえ、真妄

和合の構造を彼らなりに的確に捉えてそれぞれの禅法を打ち出して

初期禅宗に於ける本覚的思惟

(26)

障買如麟故。

ても`このことは認められよう。

はいるが、

「守心」といい、どちらかと言えば、

帰入合体すべき心の体の方に重点が置かれていた。ところが神秀に

至ってはなる程「了心」を説く点からみて基本的には変わらないも

のの、心を一一種に分け、

「即用即寂」とする理

いわば真如を不変と随縁とに分けて考える

領向が生まれて来たことは注目に値しよう。それはやはり当時の教

(28)

学思潮と無関係ではない。天台宗の荊渓湛然(七―

-1七八二)の

『金婢論』にも、華厳経や起信論の影響が強く見られ、

(29)

萬法是慎如、由不愛故、慎如是萬法、由随縁故。

とあるように、真如と万法、

不変と随縁との相即関係が簡潔に説か

れている。これは『起信論』の心真如と心生滅の融即の関係、真妄

和合の構造、つまり真如の体用関係の発展形態と云ってよく、先述

の道信の五門説の場合もそうであったが、七、八世紀には、それま

でにも少なからず経論に取り入れられていた体用概念がそれまでに

もまして広く涌漫していたことが窺われる。また、『拐伽師資記』

(30)

の神秀の條下に「我之道法、惣会帰体用両字」とあるところからみ

このように神秀がとくに体用の論理に精通していたことは、やは

り敦俎資料『大乗無生方便門』の次の言葉にも看取できる。

罷用分明。離念名レ盟、見聞覺知是用。寂而常用、用而常寂゜

郎用郎寂。離レ相名レ寂、寂照照寂゜寂照者因レ性起レ相、照寂者

(31)

振レ相蹄レ性。舒則蒲

1

一論法界f

巻則総在――於毛端『

因に、体用概念を寂と用の対概念で捉え、

「守一」といい、

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解は、ずっと古く僧肇(三七四

1四一四)の時代にも見られた。湯

用形は「魏晋より南北朝を通じて、中國の學界には異説繁興、争論

維出し、表面上複雑をぎわめたが、要するにその争うところは罷用

観念を離れなかった。玄學と佛學とはひとしく無を貴び有を賤む立

場にたち、無を本とし萬有を末とした。本末とは罷用の謂にほかな

らぬ。般若の七宗十二家は要するにみなこの問題を研究したのであ

る」とし、

「肇公の學は一言もって蔽えば郎骸即用にほかならぬ」

(32)

ことを指摘しているが、実際には『牽論』には体と用の対概念は見

当たらず、『般若無知論』の「用即寂、寂即用、用寂骰一、同出而

(33)

異名」「言用郎同而異、言寂郁異而同」とあるだけである。しかし

、、

当時、体と用の概念は使われていないものの、それに相当する思惟

(34)

は既に現われていたのである。

ところでこの『大乗無生方便門』は別名『大乗五方便』とも呼ば

れ、次の五門を立てている。第一総彰佛整、第二開智慧門、第一一一顕

示不思議法、第四明諸法正性、第五自然無擬解脱道の五門がそれで、

それぞれ『大乗起信論』、

厳経』に依って説明している。ここでは『起信論』に依る第一の総

彰佛整に就いて見てみよう。

是没是佛。

佛心清浄、離レ有離レ無、身心不レ起常守声呉心一

是没是員如゜

『法華経』、

『維摩経』、

『思益経』、

心不レ起心員如。色不レ起色員如。心員如故心解脱。色員如故色

『華

こ、,

よう

見聞覺知是用。」

というように体用概念、

つまり仏心は清浄にして有無の対立を離れ、身心不起ならば真心

を守ることができると云う。そして心不起が心真如、色不起が色真

如であり、心真如によって心解脱が成り立ち、色真如によって色解

脱があって、心色倶に離れたところに「無一物」の境涯が開かれ、

起」の概念である。「心不起」とは、次に「佛是西國梵語、此地往

醗名為レ覺」と続けて「所レ言覺義者、

等1

一虚空界f

無レ所レ不レ遍。法界一相、

(為)心罷離レ念。離レ念相者

郎是如束乎等法身。於―

1

此法

身一説名

I

I

本覺ご「覺――心初起f

心無=初相一遠―

1

離微細念f

了レ見――心

柱f

性常住、名=究党覺ごという『起侶論』の本覚の定義をそっく

り引用したところからわかるように、

は云うまでもない。

ただ、ここで注意したいのは、この「心不起」

つまり「離念」の立場が、それ自身「無一物」の境涯であり、しか

点である。言い換えれば、

こ、?“,

よう

のちに慧能の傷と対比せられ、神秀の侮

として伝えられる有名な「身是菩提樹、心如明鏡豪」の句にもある

「明鏡台」にも比せられる如く、万物を直ちに照らし出す

慟きを大菩提樹に看取している点である。そして先の引用にもある

「離念是餞、

、、

まり本体とその作用との関係で理解されるようになり、それがまた

やがて定慧の関係として捉え直されていくことになる。

もただの無一物ではなく、

「是大菩提樹」であることを忍めている

それが即ち

「離念」の立場を表わすこと

であるという。

(35)

解脱。心色倶離即無一物。是大菩提樹。

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「もともと慧能禅師と神秀禅師とは五祖弘忍禅師の同門では

ないか。同門である以上、その禅法も違いはなかろう」と。それに

対し、神会はこう答えている。

答、今言不同者、為秀輝師数人凝心入定、住心看浮、起心外照、

振心内證。ー(略)ー此是愚人法。ー(略)ー是故経文、心不住内、

亦不在外、是為宴坐゜如此坐者、佛即印可。従上六代已来、皆

無有一人凝心入定、住心看浮、起心外照、振心内證。是以不同。

神会は見事に北宗の弱点を衝く。「凝心入定、住心看浄、起心外

照、揖心内證」の四句は、彼が北宗の禅法を要約したものである。

つまり神会が北宗一派を排撃するのは、その禅法が守一的、静観的、

凝住的であり、いわば漸修による方便説であったからである。それ

に対して神会自ら標榜する南宗は単刀直入に見性を了し、段階的な

漸次的昇進を要しない頓悟的般若主義であった。彼が開元六年(七

する。 敦

煽資料の―つに『菩提達摩南宗定是非論』がある。これは開元

二0年(七三二)前後、滑台の大雲寺で神会が北宗を批判し、その

代表者である山東の崇遠と対論した記録である。崇遠が神会に質問

る。 あり、これはややもすれば寂静主義になりかねない。そしてそれを

徹底的に批判したのが次に述べる荷沢神会(六七

0ー七六二)であ

初期禅宗に於ける本覚的思惟

かくして、北宗禅の特色は、

一言を以てすれば「離念」の立場で

彿塵者、即彼本偶云、時時須彿拭゜莫遣有塵埃、是也。意云、

知識。一切善悪。線莫11

思量↓不レ得――凝レ心住一亦不レ得孟吋レ心

直視一心堕

1

1

直視住一不レ中レ用。不レ得=睡眼向下↓便堕

1

1

〔睡〕

眼住一不レ中レ用。不レ得

11

作意振心↓亦不レ得11

遠看近看↓皆不レ

中レ用。紐云。不観是菩提。無

1

1

憶念―故。即是自性空寂゜

|(中略)1

伊心看レ浄。起レ心外照。振レ心内澄。非

1

一解脱心↓亦是法縛心。

不レぎ用。

これは先に触れた神秀の『観心論』にある、自心の浄心と染心の

二種の説を真向から否定するものである。神会によれば清浄と汚染、

善心と悪心という区別そのものが既に拭うべからざる汚染であった。

煩悩に覆われた心の汚れを取り払い、ひたすら清浄なる心を内観し

てそこに心を留めるならば、そのこと自体が既に―つの拘束となる

からである。

のちの圭峰宗密(七八〇!八四一)も『円覺鰹大疏紗巻一二之下』

で神秀とその門下の北宗禅の教説を「彿塵看浄」と評し、次のよう

に説明している。

中で神会は次のように述ぺている。

一八)以後、南陽の龍興寺に住していた頃、道俗を集めてその授戒

の席で説法した記録が、『和尚頓赦解脱稗門直了性壇語』(以下『壇

語』と記す。尚、胡適校『神會和尚遺集』には『南陽和上頓数解脱

輝門直了性壇語』とある。)として、敦焼資料に残っている。その

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り、北宗がもつ頓悟的な側面を看過ごし、歪曲していることも否定

を衝いてはいるが、

一面からすると、南宗の立場の宣揚に急なあ*・

言い換えれば、達摩の説く「壁観」も、定慧一等、体用同時の立場

に立脚するものなのであって、払拭すべき塵埃偽妄ははじめから無

いのである。北宗がもっばら「離念」を説くのに対し、南宗が「無

念」を主張するのもそうしたところに依る。

しかしながら、南宗からする北宗批判は、確かに北宗のもつ弱点

想するものではなく、ソレ自ら知り、

ソレ自ら見るものであった。

「本知」が具わっていて、

その働きは、

最早目標とすべき対象を予

無住是寂静゜〔寂静〕骰郎名〔為〕レ定。

(39)

能知――本寂静骰『名為レ恵。此是定恵等。

とあるように、神会によれば、逹摩の禅は、離念の行としての坐禅

(定)から本覚(惹)へという段階的方便(始覚門)を主張してい

るのではなく、それ自体空寂な心の本体に、もともと「自然知」、

〔従〕陸上有=自然知一

神会の『壇語』にも、

せん」と。

浄なること、妄念は元来存在しないことを知らず、

衆生本有覺性、如鏡有明性、煩悩覆之、如鏡之塵。息滅妄念、

念盛即本性園明、如磨彿襄壺鏡明。郎物無不極゜

こういう北宗の立場に対し、宗密は続けて批判する。北宗は所詮

は「染浄縁起之相」を明らかにしただけに過ぎず、本性もとより明

「悟既に未だ徹

せず、修、登に員に稲はんや。修、員に稲はずんば、多劫何をか證

に対し、

神会は「一切善悪c

できない。北宗禅に於いても、離念はもとより妄念を静めて心の動

きを止め、単なる無意識状態になることとは解していない。むしろ

、、、、、、、、

妄念を離れた本来清浄なる心のままに目覚めていることを狙ったの

である。このことは神秀一派が所依とした『起信論』の本覚思想が

示すように、むしろ当然のことである。北宗が説く定より慧への方

便も決して定を離れて別に惹を立てるものではない。むしろ定と慧

ことによって、

の関係をあくまで『起信論』の立場を踏まえつつ、非一非異とする

それぞれの木質を体用関係に於いて明らかにしよう

としたに過ぎない。

いわゆる東山法門の創始者と称せられる道信の

「守一不移」の実践も、弘忍の「守心」も、ともに般若智としての

清浄心を守るということ、つまり行道によって常にそれに目覚めて

いること、目覚めつ‘‘つけることによってそれを発露せしめることを

強調したのであった。神秀以後の北宗の禅法も、その立場を継承し

ながら、当時長安で一世を風靡していた華厳教学に則り、精微な構

想にまで発展させたものなのである。自心の清浄と汚染を説く神秀

継莫思量。」というように真向から批

判するが、神秀の主張する「心不起、身不起」の立場も、既に言及

したように、畢党「無一物」の境涯なのであって、更に云えば、「心

不起」が実際にはどのようなものであったかの具体的内容について、

同じく敦燿出土本『大乗北宗論』一巻には、次のように説明されて

いる。すなわち、布施心、持戒心、忍扉心、精進心、輝定心、智慧

心、天堂心、慈悲心、清浮心、轍喜心、饒盆心、廣大心、空無心、

一四

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正直心、員正心、大乗心、菩薩心、菩提心、解脱心、涅槃心を起こ

、、

さないことが「心不起」なのである。つまり、このような善心を起

こすことも真実の立場ではないというのが北宗の禅法なのであり、

ましてや、

樫貪心、燭犯心、殺害心、罹怠心、散乱心、愚擬心、地

獄心、毒害心、横燭心、眼恨心、劫奪心、狭身心、見取心、邪曲心、

顛倒心、竪聞心、凡夫心、煩悩心、繋縛心、生死心のような悪心を

起こしてはならないのはなおさらのことである。

心も悪心もともに分別心として退けられるのであって、

が主張した「一切善悪、総莫思量」こそが北宗の強詞するところな

のである。従って一般によく云われる如く、直観的な悟り(頓悟)

を主張した南宗に対し、北宗は段階的な修行を経て、徐々に煩悩を

は早叶に過ぎよう。むしろ北宗禅は『起信論』や華厳哲学を常に念

頭に置きながら、真妄和合、定慧の非一非異、ひとことで云えば如

来蔵的思惟を押し進めたのである。そうした慈味で、北宗禅は「本

しかし他面、北宗が、今述べた如く、悟りをば到達すべぎ未来の

目標として見ていたのでは断じてないとしても、「守一」といい、

、、、、、、、

「了心修道」といい、常にそれに狙いをつけてい

「守心」といい、

る以上、やはり目的論的二元性がつきまとうのも事実である

3

明鏡

台にも比せられる清浄なる心を守り、絶えずそれに目覚めていなけ

初期禅宗に於ける本覚的思惟

ればならぬ。そのためには「時時に須らく払拭し、塵埃有らしむる

とある如く、

「看」

門。」第二節には、

一五

の一字は北宗の禅法の眼目であり、

証妙修」をその禅法とする本覚門に立つと云える。

かくして

「看」とはそうした営整分明なるを看ず

佛陸。亦名離念

惣章

取り払っていって漸く悟りに至る修行(漸修)を説いたとする理解

つまりここでは善

まさに神会

の 「看」

こと莫れ」という。こうした「彿塵看浄」の禅法はどこか法縛の嫌

(41)

ところで敦煽出土本『北宗五方便』第三琥本の冒頭に、看浄禅注

意事項として四句十聯が掲げられている。十聯それぞれの初句は

「向前遠看、向後遠看、面邊遠看、向上遠看、向下遠看、十方頷看、

間慮懃看、静慮細看、行住等看、坐臥等看」となっており、

の実践が重んじられている。

しかし注目したいのはこれら十句それ

ぞれのあとに共通に続く「不住萬境、豪身直照、嘗餞分明。」

句である。覚体たる清浄心は萬境に住しないところのものであろう。

無所住にして有無の相を離れ、身心ともに起こることなく、まさし

く「無一物」の境涯である。しかも神秀はこの無一物を「是大菩提

樹」と見たのである。神秀の侮として伝えられる有名な「身是菩提

樹、心如明鏡豪」もこうした消息であろう。しかもその明鏡豪が、

「憂身直照」にして「営證分明」だと云うのである。豪身をして直

に照らさしめるのである。

るのである。同じく第一二琥本第一部「第一

所ヒ言覺者、為二身心離念一離念是道。

身心離念、返照熟M看――清浄法身f

得レ入=佛道一身心離念、著

力硬看

-

1

清浄本覺↓得レ入――佛道―身心離念、虚空功徳、消浄微塵、

(42)

等目端正。

い無しとしない。

Page 16: 初期禅宗に於ける本覚的思惟...蔵とはそれ自体真如でありながらも、無明によってそのままのかた ざいでんい 卜和合シテ一ちでは現われていない「在纏位の真如」である。「不生不減卜生滅

本的立場なのである。

、、、、

「妄念を覺し、身心を透かして本覺に逹せん」とするのが北宗の基

曰く、

念f

透1

一身心{逹―一本覺↓覺―

1

妄念

1

是始覺、

(43)

覺。始覺是佛道、本覺是佛陸。

これはまさに『起信論』の「始覚」と「本覚」を踏まえて説示さ

れたものであるが、やはり「達

1

一本覺

1

」の語が示すように、どこか

にまだ目的論的二元性の残滓が払拭されていない面があることは否

めない。妄念と本覚とが両立しているのである。たしかに『大乗起

信論』そのものがこうした二元論的側面をもつものであることは否

定できないが、

しかし先述した如く、内容的には絶対的一元論の立

場であったことは忘れてはなるまい。南宗は『起信論』のもつこの

絶対的一元論をしっかりと捉え、それを深化徹底せしめた点にその

独自性をもつ。それが先に見た、空寂の心の本体上に自然知がある

という思想である。自然知とは、いわば煩悩と悟りが対立する以前

の根本知である。直照なる明鏡台を曇らせることのないように看じ

ていた北宗にとって、明鏡台は常に看じていくべぎ

H標物であり、

明鏡台に対していつも看じている自己がこちら側にいる。それとは

りである。これが、

対照的に、南宗は自ら明鏡に成り切ってしまうのである。成り切っ

たところでは最早明鏡台も台に非ず、台身な含明鏡の直照あるばか

ソレ自ら知りソレ自ら見る本知に他ならない。

定惹の関係も、北宗と南宗では理解の仕方が違ってくる。そもそ

も定と惹とは心理的にも論理的にも二つに区別して考えられてはな

透――身心一是本

定惹、定惹不等。若心口倶菩、内外一如、定惹即等。自悟修行、

『壇

ないとする考えである。

用に対応させて、体の外に用なく、用の外に体なしということを標

らないものであろう。それはいわば―つのものの両面であって、

l>

ずれか一方を主とすべきものではない。北宗も、先述の如く、定と

惹をそれぞれ独立させて考えていたわけではない。いわば両者を矛

盾的相即という関係で捉え、禅定を通じて智慧を発露せしめるとい

う仕方で理解していたのである。ところが慧能以後になると、そう

した考えを翻転させ、定惹を禅定と智惹ではなく、真如そのものの

体と用として捉え直したのである。定を真如の体に相応させ、慧を

傍したのである。普通、体用概念で最も陥り易い誤解は、元来一体

不二なるものを知的分析上二つに分けて考えられているに過ぎない

ことは了解しつつも、本体を見るにはその作用をいったん停止して

から、

つまり定に入ってからでないとその消浄なる本体を経験出来

「彿塵看浄」の立場はその好例である。そ

うした立場からは、例えば『維摩経』にいう「煩悩を断ぜずして涅

槃に入る」という理解は出て来ようがない。慧能や神会は、はっき

慧能は

りと定慧の同一不可分なることを主張したのである。

経』で次のように云う。

善知識、我此法門、以定慧為本。大衆、勿迷言定慧別。定慧一

体不是二。定是慧体、慧是定用。即慧之時定在慧。即定之時慧

在定。若識此義、即是定慧等学。諸学道人、莫言先定発惹、先

慧発定各別。作此見者、法有二相。

ロ説菩語、心中不善。空有

一六

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答、

定と惹の同一性が実際にはどう働くかに就いては、

空無

体性の理解が一段と明瞭になってくる。

定慧を灯とその光に喩えるのは、真如と万法を水波の比喩で説明

不在於諄。若諄先後、即同迷人。

相。善知識、定慧猶如何等。猶如灯光。

灯是光之体、光是灯之用。名雖有二、

(44)

復如是゜初

期禅宗に於ける本覚的思惟

不断勝負、

却増我法、

有灯即光、

体本同一。

不離四

無灯即闇。

此定慧法、亦

する仕方と同様、よく行われる。また神会の『壇語』では定慧の一

恕法師問、云何是定慧等義。

答曰、念不起、空無所有、郎名和止定一以ー1

一能見=念不起、

所有f

即名――正慧一若得如炉是、郎レ定之時名為

1

一慧暢f

郎レ慧之

時卯是定用。帥レ定之時不レ異レ惹、帥レ慧之時不レ異レ定。卯レ定

之時即是惹、郎贔墨之時即是定。郎レ定之時無レ有レ定、郎レ慧之

(45)

時無レ有レ惹。何以故。性自如故。是名―一定慧等學『

『神會録』の

中の神会と王維との間で交わされた問答に於いて明瞭に認められる。

主侍御問、作没時是定慧等。

和上答、言レ定者、堕不可得。所ヒ言レ慧者、能見n

―不可得盟、湛

然常寂、有二恒沙巧用f

郎是定慧等學゜

衆起忌止麗前一澄輝師諮―一王侍御二云、恵澄呉―

i

會闇梨f

剛證レ不レ

同。王侍御咲謂

1

和℃壬言、何故不レ同。

言レ不レ同者、為

1

一澄輝師先修レ定、得レ定已後稜油慧゜會即

不レ然。正共瓦ぼ岬語時、即定慧倶等。是以不レ同。

ものである。今挙げた澄観の『心要』は、

一七『景徳偲燈録』では巻

侍御言、闇梨只没道不レ同。

一織奄不レ得レ容。

又問、何故不レ得レ答。

更にまた、

こ壇語』では、維摩の「不捨追法而現凡夫事」という

有名な句の解として、やはり灯光の比喩で以て説かれている。

即レ燈之時不レ離レ光。

経中不レ捨

-

1

道法『而現

1

一凡夫事二憚種運為世間、不む訳――事上一生ャ

念。是定恵雙修。不=相去離『定不レ異レ恵。〔恵〕不レ異レ定。

如ーニ世間燈光不和一相去離『即レ燈之時光家陸。郎レ光之時燈家用。

郁レ光之時不レ異レ燈。卯レ燈之時不レ異レ光。郎レ光之時不レ離レ燈。

郎レ光之時即是燈。即レ燈之時即是光。定

恵亦然゜

即に疋[之〕時是恵饒o

即レ恵之時是定用。

(46)

答、今賓不レ可レ同。若許レ道レ同、即是容レ語。

答、

即レ恵之時

不レ異レ定。抑レ定之時不レ異レ恵。即レ恵之時即是定。即レ定之時

即是恵。郎レ恵之時無レ有レ恵。即レ定之時無レ有レ定。此即定恵雙

(47)

修。不

1

一相去離↓後二句者。是維摩詰獣然匝入不二法門虐゜

要するに定惹一等とは、宗密の言葉を以てすれば「無住罷上自有

本智」(『圃覺経大疏紗』巻二之下)ということであり、これはの

ちに神会の禅を受けた華厳の澄観(七―――八ー八三九)が、まだ皇太

子であった順宗に仏教の本質を問われた際に答えた句、「無住心盟

(48)

霊知不昧」(澄観『心要』〔答順宗心要法門』])につながり、更に

は澄観の弟子であった宗密の「知之一字衆妙之門」もこれを受ける

Page 18: 初期禅宗に於ける本覚的思惟...蔵とはそれ自体真如でありながらも、無明によってそのままのかた ざいでんい 卜和合シテ一ちでは現われていない「在纏位の真如」である。「不生不減卜生滅

有無皆不レ可レ立。

今言レ照者、

答日、

十に「五壷山鎮國大師澄観答皇太子問心要」と題されて掲載されて

いるが、とくに留意したいのは、「無住心骸霊知不昧」の句の少し

(49)

後に出てくる「一念不生、前後際断、照陸獨立、物我皆如」の四句

である。すなわち、一念不生なれば、前際(過去)とか後際(未

来)とかいった時間の場は断ぜられ、あらゆる時間以前の真如覚体

は自ら独立自全として照り輝き、物我ともに如そのものになると云

うのである。最後の二句は、同じく巻―――十に収録されている「牛頭

(50)

山初祖融罪師心銘」の中の「憲知自照、萬法蹄如」にも通じるとこ

ろであろう。

『神會録』第八

節にある張説(六六七ー七三

0)との間で交わされた次の問答を踏

まえている。少し長いが重要な個所なので全文を引用する。

張燕公問、輝師日常説

i

i

無念法f

勧レ人修學、未審無念法有無。

答曰、無念法不レ言レ有、不ヒ言レ無。問、何故無念不ヒ言

1

一有無『

答、若――星其有

1

者、郎否同

i

i

世有一若言

1

一其無

1

者、不レ同

1

一世

無『是以無念不レ言

1

一有無『問、喚作ii

是没物一答、不レ喚――作勿一

問、異没時作勿生。答、亦不レ作二物一是以無念不可説。今言

為レ劉レ問故。若不レ封レ問、終無王言説一誉如二明鏡↓若

不レ封レ像、鏡中終不レ現レ像。爾今言レ現レ像者、為レ到レ物故。所

、、、、、

以現レ像。問日、若不レ到レ像、照不照。答日、今言

i

i

劉照一者、

、、、、、、、、、

不塩―口己翠墨不到f

倶常照。問、既無11

形像↓復無-―言説f

一切

復是何照。

今言レ照者、

法に就いて述べた際に触れておいたように、

「離念」の立場が「無

説者、

もっばら対象的なものに関わる「随縁ノ応用」とは区別された

、、、、、、、、、、、、、

ソレ自体二於イテ先ナルモノ、真

鮮明に次のように述べている。

ところでこの四句のうち「照臆獨立」の一句は、

、、、

以11

鏡明一故、有――自性照一若以

1

一衆生心浄↓自然有―ー大智惹光f

照1

l

無餘世界一問、既若如レ此、作没生時得。答、但見レ無。問、

既無、見嘉物一答、襲見不

111

喚作

1

一是物一問、既不―

-l

喚作

1

一是物f

(51)

何名為レ見。答日、見無レ物、郎是員見、常見。

ここでも無念が明鏡に喩えられているが、神会の独創は、物を映

さぬ時の鏡こそ、鏡本来の優れた働きを発揮する(萬像不レ現=其

(52)

中f

此将レ為妙)という発想である。引用文中では「今言到照者、

不言到典不到、倶常照」、「今言照者、以鏡明故、有自性照」という

言句がそれに当たる。

つまり物を映す映さぬに拘らず、常にそれ自

らで照り輝いている明鏡そのものの働きである

C

こうした「自性ノ

照」を受けて、宗密も『中華伝心地禅門師資承襲図』の中で、より

真心本体有二種用、一者自性本用、二者随縁応用。猶如銅鏡、

銅之質是自性体、銅之明是自性用。明所現影、是随縁用。影即

対縁方現、現有千差、明即自性常明。明唯一味、以喩心常寂是(53)

自性体、心常知是自性用、此能語言能分別動作等、是随縁応用。

「自性ノ本用」、言い換えれば、

、、

如そのものの性起の働きがここでは見事に説示されている

3

しかし翻って考えてみると、こうした自性そのものの働きは、神

秀を初めとする北宗一派にも既にあった考えである。先に神秀の禅

一八

Page 19: 初期禅宗に於ける本覚的思惟...蔵とはそれ自体真如でありながらも、無明によってそのままのかた ざいでんい 卜和合シテ一ちでは現われていない「在纏位の真如」である。「不生不減卜生滅

也。」

(正蔵―――六ー六

1-b)

南北両宗ともに頓教であると

しているのである。宗密は『圃覺紐大疏紗』で頓教を論ずるにあた

り、澄観の『演義紗』の一文を全面的に引用しながら、神会の北宗

排撃の毒気に当てられたためか、北宗を漸修主義と看倣し、頓悟主

義から外ずしたものであろう。

しかし考えてみれば、鈴木大拙氏が

初期禅宗に於ける本覚的思惟

と述べ、

立場は、

一物」でありながら、それが明鏡台にも比せられるべきものであり、

、、、、

また『北宗五方便』第三琥本冒頭で、看浄が「不住萬境、憂身直照、

、、、、

常恒分明」であったことは改めて銘記すべきであろう。

さて、以上見てきたように、慧能、神会に代表される「本知」の

『起信論』にいう「本覚」を一層深めたものであり、北宗

が『起信論』を所依として展開していた阿黎耶識的、如来蔵的思惟

から、その目的論的二元性の残滓を払拭し、究党覚たる心真如の根

源的な働きを体用関係に基づいて前面に押し出してきた立場である

と云ってよい。ひとことで云えば、南宗は北宗禅に対決するかたち

を取りながら、実際のところは、北宗禅の背後にもともとあった般

若智を一層鮮明に浮上させて来たものなのである。

漸」という理解が根強くあるが、内実は決してそう単純に割り切れ

るものではなく、微妙なところで触れ合うのである。

『•

ノ‘

じじつ、澄観

は、神会の弟子として南北両宗の立場を十分知り尽くした上で、尚

かつ『華厳続随疏演義紗』巻八に於いて、「故南北宗禅、不出頓敦

一般に「南頓北

一九

(そのまま禅)に堕しかねない。神会の本知を更に徹底させ

いみじくも指摘しているように、

いわゆる頓悟を前提としない漸修

などあり得ないし、あったところでそんなものは禅ではない。北宗

如来蔵的、本覚的思惟に依拠しつつ、行道としての禅定を固持して

いたところに北宗の特質がある。敢えて云えば、北宗は、先にも述

「本証妙修」の立場である。それに対し、南宗は、北宗

がもっていた本覚思想を「本知」として捉え直すことによって、絶

対的な空寂の本体に帰入合体し、透徹した一元論の立場を貫くもの

とはなったが、それがやがて「正念相続」を軽んじ、平俗な日常性

にいわば胡座をかいて、そこにのみ仏性の全体作用を見ようとする

危険性を芋むものとなる。馬祖道一

の洪州禅がそれである。馬祖の「即心即仏」、「平常心是追」、降っ

ては臨済義玄

(9・l八六七)の「仏法無用功処・祇是乎常無事、厨

屎送尿、著衣喫飯、困来即臥。」みな然りである。これらの言詮は、

「覚」の立場に立って表明されているのであって、それはそれで大

らかな現実肯定として優れた側面があるものの、ややもすれば「只

も没禅」

て「自性ノ本用」として捉え直し、それを、対象的なものに関わる

「随縁ノ応用」から区別することによって禅と華厳の哲学を総合し

ようとした宗密からすれば、このような洪州系の禅は「本知」をま

ったく理解せず、もっばら随縁の応用にのみ清目し、それがそのま

ま自性の本用であるかのように看倣したところに大きな誤りがある

(七

0九ー七八八)やその法系

べた如く、

も粉れもなく頓悟の立場なのである。しかしその頓悟をあくまでも

Page 20: 初期禅宗に於ける本覚的思惟...蔵とはそれ自体真如でありながらも、無明によってそのままのかた ざいでんい 卜和合シテ一ちでは現われていない「在纏位の真如」である。「不生不減卜生滅

とするのである。

こう見てくると、神会の「本知」も、

他ならず、自覚である以上、禅定を通じて自性に目覚めるというこ

と、いや自性が目覚めるということ、すなわち「見性」を侯つとい

うことが必要になってこよう。このように、北宗禅と南宗禅を隔て

る境界線は、そう単純には引かれないものなのではなかろうか。

註(

1

)

水野弘元「菩提達摩の二入四行説と金剛三昧紐」

紀要』ニニ号、三三ー五七頁。

(

2

)

田村芳朗『鎌倉新仏教思想の研究』(平楽寺書店、

,七三頁。

(

3

)

平川彰編『大乗起信論』(『佛典講座』

22、大蔵出版、一九七三年)、

九五頁‘10二頁、及び一0五頁以下。

(

4

)

今津洪嶽編『佛教大系』(『佛教大系刊行会編、仏教書林中山書房、

一九七七年)、―-―-三頁。

(

5

)

同書、一五一頁。

(

6

)

同書、同頁。

(

7

)

平川『大乗起信論』(前掲書)、七一頁以下。

(

8

)

柳田聖山編『達摩の語録』(『禅の語録1』、筑摩書房、一九六九年)、

三一頁以下。

(9)

鎌田茂雄編『禅源諸詮集都序』(『禅の語録9』、筑摩書房、一九七

一年)、一―六頁。

(

1

0

)

宇井伯壽『禅宗史研究』(岩波書店、一九六六年)、五七頁。

(11)『続高僧伝』巻十六(大正五0•五五二b)

(

1

2

)

鈴木大拙『禅宗史研究第二』(『鈴木大拙全集』第二巻、岩波書店、

一九八0年)、一四四頁。

一九八八年)、

(『駒沢大学研究

つまるところは「自覚」に

(13)

柳田聖山編『初期の禅史ー』

年)、一九九頁。

(

1

4

)

同書、一三五頁。

(

1

5

)

同書、二三一頁。及び関口真大『達摩大師の研究』

六九年)、二四八頁。鈴木、前掲書、ニ―四頁。

(16)

柳田、前掲書(『禅の語録2』)、ニニ五頁。

(

1

7

)

鈴木、前掲書、二四0頁。関口真大『輝宗思想史』

林、一九六四年)、七七頁以下。

(

1

8

)

柳田、前掲書、二三四頁以下。詳しくは柳田聖山氏の註釈を参照さ

れたい。

(19)

同書、ニニ五頁。

(20)

鎌田茂雄『宗密数學の思想史的研究』(東京大学出版会、一九七

五年)、四四七頁。

(21)

鈴木、前掲書、一―10五頁。

(22)

正蔵四八ー九四

Oc゚尚、「萬法蹄心録巻下」(続蔵一ーニー一九

ー五、四一九ab)も参照。

(23)

鈴木、前掲書、三0-――頁。

(

2

4

)

正蔵九ー三七

Oao

(25)

『鈴木大拙全集』別巻一(岩波書店、一九七一年)、五九ニー五九

三頁。

(26)

同書、五九四ー五九五頁。

(27)

今津、前掲書、九九頁。

(28)

鎌田、前掲書、四五八頁。

(29)

正蔵四六ー七八二Co

(

3

0

)

柳田、前掲書‘-―――二頁。

(

3

1

)

宇井、前掲書所収「第八、北宗残簡」、四五二頁。及び、鈴木『禅宗

史研究第一―-』(『鈴木大拙全集』第三巻、岩波書店、一九八0年)、一

七二頁。

(『禅の語録2』、筑摩書房、一九七

二0

(春秋社、

(山喜房佛書

一九

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(

3

2

)

湯用形撰『漢魏雨晉南北朝佛敦史』上冊(中華書局出版、

年)‘-―-三三頁。

(

3

3

)

塚本善隆編『肇論研究』(法蔵館、一九八九年)、三五ー三六頁。

(34)

島田虔次「證用の歴史に寄せて」(塚本博士頌壽記念『佛数史學論

集』所収、同記念会刊行。一九七一年)、四二六頁。

(

3

5

)

鈴木、前掲書(全集三)、一六九ー一七0頁。

(36)

胡適校敦煽唐葛本『神會和尚遺集』(胡適紀念館)、二八五頁以下。

(

3

7

)

鈴木、前掲書、一―――一頁以下。

(

3

8

)

鎌田、前掲書所収、参考資料

H、三三0頁以下。

(

3

9

)

鈴木、前掲書、三―一頁。及び胡適、前掲書、1

1

―――七頁0

(〔]は

胡適本。)

(40)

宇井、前掲書、四四七頁。

(

4

1

)

鈴木、前掲書、一九0頁。

(

4

2

)

同書、一九一頁。

(

4

3

)

同書、同頁。

(

4

4

)

興聖寺本『六祖壇紐』第十三節(『禅家語録ー』世界古典文学全集

36A、筑摩書房、一九八四年)‘-0-―-頁。

(

4

5

)

鈴木、前掲書、二六0頁。

(

4

6

)

同書、二六八頁以下。

(47)

同書、一―――二頁以下。

(48)

鎌田茂雄『中国華厳思想史の研究』(東京大学出版会、一九七八

年)、二0九頁、及び四九九頁参照。

(49)

東呉・釈道原著『景徳偲燈録』(中文出版社)、ニニ五頁。

(50)

同書、巻――-+、ニニ―頁。

(

5

1

)

鈴木、前掲書、二五0ーニ五二頁上段(石井本)〔傍点引用者〕、胡

適、前掲書、一―五—――六頁、及び四四三—四四六頁も参照。

(52)

鈴木、同書、二七0頁。胡適、同書、一四0頁。

(

5

3

)

鎌田、前掲書(『禅の語録9』)、三三六頁。

初期禅宗に於ける本覚的思惟

一九五五