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URL 本紙は、下記のアドレスからでもご覧いただけます。� ファッションレポート 最先端ファッション=原宿の方程式の今後� REPORT 6 4-5 TOPICS この著者に聞くⅣ� 「東京変貌」プロジェクトチーム編 『東京変貌』 1958-2006 5 FEATURE いま、“駅ビル”“駅ナカ”の時代� 1-3 TOPICS 2008 毎月1回発行� vol.577 since 1960 ■発行/繊維経営企画部� ■大阪市中央区久太郎町4-1-3� ■TEL06-6241-2027� ■FAX06-6241-2008 � 5 Vol.577 Contents マーケット発進!� MY箸に「ミューファン® 抗菌携帯箸セット」� 発行所� 菊池 眞澄氏� 岡藤 正広氏� 銀座、六本木、有楽町……。市街地再開発とともに新たな大型複合商業施設が次々と誕生し、ますます一極集中・ 巨大化する東京市場。その中で「駅ビル」「駅ナカ」は、私たちの生活の拠点として欠かせない「駅」に直結し、独特 の消費文化を創出した。その代表的存在の一つである「atre(アトレ)」は、首都圏JR系列駅を中心に、恵比寿や上野、 品川など現在 15 店舗(ロンロン 3 店舗含む)で展開されている。開発・運営するのは、JR東日本グループの東京圏駅 ビル開発株式会社。同社はまた、駅ナカ「Dila(ディラ)」4店舗の運営受託や“美容・健康・癒し”をテーマにした身 の回り品直営店「シャン・ド・エルブ」も運営している。同社副社長兼マーケティング開発部長の菊池眞澄氏に、「駅ビ ル消費文化」創生の軌跡や成長戦略をうかがうとともに、今後の駅ビル発展の方向性と市場性を展望する。� 東京駅圏駅ビル開発株式会社 代表取締役副社長� 伊藤忠商事 代表取締役 専務取締役 繊維カンパニープレジデント� 岡藤 工場跡地の活用や市街地再開発 などで東京を中心に、大型ショッピングセンタ ー(SC)の新設が相次ぎ、業態の垣根を 越えた厳しい競争が繰り広げられています。 また、小売業で老舗の百貨店業界では一昨 年来、経営統合によるグループ再編が加速 度的に進んでいます。そうした状況下、駅ビ ル――なかでも東京圏駅ビル開発の「アトレ」 や同じJR東日本グループの「ルミネ」は好調 に推移し、勝ち組と言われています。� 菊池さんはいわゆる“国鉄マン”だったと うかがいましたが、どういう経緯で駅ビルの開 発・運営を手がけるようになられたのですか。� 菊池 大学で建築学を学び、卒業後、日 本国有鉄道(国鉄)に入社し、駅の建築 設計・保守業務に携わってきました。専門 が建築でしたので、鎌倉駅など駅の建築設 計にも関わりました。あまり知られていないよう ですが、国鉄時代から旅客サービスの一環 として、駅ビルを開発・運営する部門はあり ました。ルミネも誕生は国鉄時代です。ただ、 国鉄時代の私は全く違う部門をやってきたの ですが。� 岡藤 駅などの建物(ハード)の建設と、 駅ビル、ましてテナント・リーシングなどコンテ ンツ(ソフト)も含めた開発とでは、180 度異 なりますよね。� 菊池 おっしゃる通りです。国鉄民営化後 の 1987 年、JR東日本の新潟支社に配属され、 営業部長兼事業部長の辞令を受けました。 民営化で旅行業もスタートしましたが、これに 加えて何か新しい事業を開拓しなければなら ない立場になったわけです。そこで初めて旅 行業や不動産開発などの事業関係に触れま した。� ただ不思議と違和感はありませんでした。 今だから話せますが、どちらかというと、それ まで関わっていた建物保守の業務から逃れた いという気持ちが強かった(笑)。新規事業 の構築はやりがいがあり、楽しみでもありまし た。� 岡藤 国鉄マンは、商売よりも天下国家を 論じる人が多いというイメージが強かったので、 実は「アトレ」のような駅ビルを開発・運営し、 成功させているということに驚いています。� 菊池 私自身は元々、国鉄マンのタイプで はなかったんでしょうね。当社は1990 年4月、� “国鉄マン”から駅ビル開発者へ� 民営化で新規事業開拓�

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ファッションレポート 最先端ファッション=原宿の方程式の今後�REPORT 6

4-5

TOPICS

この著者に聞くⅣ�

「東京変貌」プロジェクトチーム編 『東京変貌』1958-2006

5

FEATURE いま、“駅ビル”“駅ナカ”の時代� 1-3

TOPICS

2008毎月1回発行�

vol.577

since 1960

■発行/繊維経営企画部�

■大阪市中央区久太郎町4-1-3�

■TEL06-6241-2027�

■FAX06-6241-2008 � 5

V o l . 5 7 7 C o n t e n t s

マーケット発進!�

MY箸に「ミューファン® 抗菌携帯箸セット」�

発行所�

いま、„駅ビル“„駅ナカ“の時代�

菊池 眞澄氏�岡藤 正広氏�

 銀座、六本木、有楽町……。市街地再開発とともに新たな大型複合商業施設が次々と誕生し、ますます一極集中・巨大化する東京市場。その中で「駅ビル」「駅ナカ」は、私たちの生活の拠点として欠かせない「駅」に直結し、独特の消費文化を創出した。その代表的存在の一つである「atre(アトレ)」は、首都圏JR系列駅を中心に、恵比寿や上野、品川など現在15店舗(ロンロン3店舗含む)で展開されている。開発・運営するのは、JR東日本グループの東京圏駅ビル開発株式会社。同社はまた、駅ナカ「Dila(ディラ)」4店舗の運営受託や“美容・健康・癒し”をテーマにした身の回り品直営店「シャン・ド・エルブ」も運営している。同社副社長兼マーケティング開発部長の菊池眞澄氏に、「駅ビル消費文化」創生の軌跡や成長戦略をうかがうとともに、今後の駅ビル発展の方向性と市場性を展望する。�

東京駅圏駅ビル開発株式会社 代表取締役副社長�伊藤忠商事 代表取締役 専務取締役 繊維カンパニープレジデント��

 岡藤 工場跡地の活用や市街地再開発などで東京を中心に、大型ショッピングセンタ

ー(SC)の新設が相次ぎ、業態の垣根を

越えた厳しい競争が繰り広げられています。

また、小売業で老舗の百貨店業界では一昨

年来、経営統合によるグループ再編が加速

度的に進んでいます。そうした状況下、駅ビ

ル――なかでも東京圏駅ビル開発の「アトレ」

や同じJR東日本グループの「ルミネ」は好調

に推移し、勝ち組と言われています。�

 菊池さんはいわゆる“国鉄マン”だったと

うかがいましたが、どういう経緯で駅ビルの開

発・運営を手がけるようになられたのですか。�

 菊池 大学で建築学を学び、卒業後、日

本国有鉄道(国鉄)に入社し、駅の建築

設計・保守業務に携わってきました。専門

が建築でしたので、鎌倉駅など駅の建築設

計にも関わりました。あまり知られていないよう

ですが、国鉄時代から旅客サービスの一環

として、駅ビルを開発・運営する部門はあり

ました。ルミネも誕生は国鉄時代です。ただ、

国鉄時代の私は全く違う部門をやってきたの

ですが。�

 岡藤 駅などの建物(ハード)の建設と、駅ビル、ましてテナント・リーシングなどコンテ

ンツ(ソフト)も含めた開発とでは、180度異

なりますよね。�

 菊池 おっしゃる通りです。国鉄民営化後

の1987年、JR東日本の新潟支社に配属され、

営業部長兼事業部長の辞令を受けました。

民営化で旅行業もスタートしましたが、これに

加えて何か新しい事業を開拓しなければなら

ない立場になったわけです。そこで初めて旅

行業や不動産開発などの事業関係に触れま

した。�

 ただ不思議と違和感はありませんでした。

今だから話せますが、どちらかというと、それ

まで関わっていた建物保守の業務から逃れた

いという気持ちが強かった(笑)。新規事業

の構築はやりがいがあり、楽しみでもありまし

た。�

 岡藤 国鉄マンは、商売よりも天下国家を論じる人が多いというイメージが強かったので、

実は「アトレ」のような駅ビルを開発・運営し、

成功させているということに驚いています。�

 菊池 私自身は元々、国鉄マンのタイプではなかったんでしょうね。当社は1990年4月、�

「アトレ」に見る消費文化の創造�

“国鉄マン”から駅ビル開発者へ�民営化で新規事業開拓�

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2 いま、“駅ビル”“駅ナカ”の時代�2008年(平成20年)5月号�

JR東日本の全額出資子会社として設立され

ました。同年9月にはJR四ッ谷駅に「アトレ四

谷」、1993 年に新浦安と大井町にもアトレを

開設しましたが、いずれも順調にはいかなか

ったようです。私が東京圏駅ビル開発に出向

になったのは、前年に立ち上がった「JR恵

比寿ビル」プロジェクトのためでした。いつの

間にか中身のソフトもすべて担当することにな

り、私の駅ビル開発業務がスタートしたのです。�

 岡藤 そこで「アトレ恵比寿」の開発を推進されたわけですね。�

 菊池 駅の改築を伴うJR恵比寿ビルプロジェクトでは、サッポロビールさんから「恵比

寿ガーデンプレイス」開発の話が持ち込まれ

ました。工場跡地をオープンモール型の複合

大型商業施設にするに当たり、恵比寿駅か

ら客の流れを作りたいと……。ご存知の通り、

ガーデンプレイスは駅から離れたところにありま

す。ガーデンプレイス開発のために恵比寿駅

を改築することになりました。�

 サッポロビールさんから資金提供を受け、

ガーデンプレイスへの人の流れを作る形で駅

を改築し、どうせ改築するのならということで

アトレ恵比寿の開発がスタートしたというわけ

です。駅建物・構造体はJR東日本の財産

です。当社の役割は、その中身――内装、

設備を造り、テナント誘致、開業、運営とい

うことになります。�

 岡藤 アトレ恵比寿の成功のきっかけは何だったのですか。�

 菊池 当初の計画では、恵比寿駅を中心に同心円商圏を描くものでした。半径数キロ

圏内には広尾や代官山といった高級住宅地

があります。ですが、私はそれを見てもピンと

来ませんでした。というのも、当時の駅ビルは、

暗い印象やフードゾーンもいまひとつといった

感じで“ダメなショッピングセンター”の代名

詞みたいなものでしたから(苦笑)。そんなと

ころに、広尾や代官山の目も舌も肥えたお客

さまが来てくれるのか?!と、素朴な疑問がわ

きました。�

 たまたま、恵比寿ガーデンプレイスに三越さ

んが入ると聞き、その担当者の話を聞く機会

がありました。担当者いわく「広尾エリアの

住人の多くは、三越本店の最上顧客にあた

る人たちなので、恵比寿に本店と同じ三越を

つくっても意味がない」と言っていました。す

でに付き合う店が決まっているということです

よね。この言葉がストンと腑に落ち、地元客

をメーンターゲットに設定した駅ビル作りはだ

めだと判断しました。そこで浮かんだのが、

駅利用者を主対象にすることです。ただ、こ

こにも問題がありました。先ほどお話した四谷、

大井町、新浦安――3駅ビルと同じ轍を踏ん

ではいけません。�

 恵比寿駅は当時から平日約27万人(2008.4

月現在37万人)の乗降客がいましたが、土

日は激減します。それでも頼みの綱は駅利用

者しかいません。そこに焦点を絞りました。

アトレ恵比寿はマーケット分析の王道である“同

心円商圏”の否定から始まったのです。�

 コア・ターゲットは駅を利用する30歳前後

のOLに設定しました。彼女たちのライフスタ

イルをイメージし、「駅ビルをどう利用するのか」

「どのようなテナントを導入し、フロアを構成す

れば、スムーズに買い物ができるか」などと

いう観点から、MDを構築していきました。

結局、駅というのは通過点で、ショッピング目

的で訪れる場所ではありません。であるから

こそ、その人たちをどう来店させ、店内を満

遍なく回遊してもらい、購入していただくかが、

最大のポイントになってきます。�

「アトレ恵比寿」成功のカギ�同心円商圏からの脱却と流動客の取り込み�

 菊池 駅ビルは新しい消費行動を生み出したと自負しています。例えば、百貨店にお

ける消費行動は目的買いですね。ですが、

駅は本来、買い物の場ではありません。そこ

で私は駅ビルの消費行動を“ついで買い消費”

“寄り道消費”“思いつき消費”などと定義し

ています。お客さまは「何かあるかな」また

は「いいものがあれば買う」という感覚で立

ち寄り、その結果、売れている商品がたくさ

ん出てきました。�

 これは衝動買いとも違います。衝動買いは、

自分のライフスタイルの範囲を超えた買い物で

しょう。“ついで”“寄り道”“思いつき”とい

うのは、自分のライフスタイルの範囲内での購

買です。決してその範囲を超えたものは買い

ませんね。�

 それに加えて、駅の持つ大衆性という面も

影響していると思います。そのメリット/デメリ

ットは、テナントやブランドによって異なるもの

です。消費者は商業施設の業態を使い分け

ています。それは即ちひとりの消費者の消費

行動は多面的だということです。�

 岡藤 インテリアなど住関連商品でも、ベッドや家具は大型専門店など別の店、インテ

リア雑貨は駅ビルで購入する人が多いようで

すね。�

 菊池 その通りです。そこで同じインテリア・

生活雑貨のショップでも、どの商業施設に入

るかで、売り場面積や商品構成など柔軟に

変化させることが大切です。こんなことがあり

ました。JR亀戸駅前のショッピングセンター「亀

戸サンストリート」にある無印良品さんが、昨

年11月アトレ亀戸に移ってきました。サンスト

リート内の大規模な売り場では、大型家具な

どを前面に配置し、それらがよく売れていま

したが、対照的に、アトレ亀戸では衣料品や

小物雑貨がよく売れています。モールと駅ビ

ルの売れ方の違いが端的に表れていますが、

駅ビルならではの効率の高い商売をするため、

アトレ亀戸では、小物雑貨・衣料品を前面

で見せるような展開をお願いしています。距

離にしてわずか 300m程の移動ですが、モ

ールと駅ビルでは利用シーンが異なります。

今後ますます利用シーンに合わせたテナント

展開が重要になるでしょう。�

 岡藤 ユニクロさんもテナントとして入っていますよね。�

 菊池 ええ。同チェーンの場合、フルラインの大規模店舗は郊外で展開し、駅ビル店

との違いを意識した店作りをしているようです。

例えばアトレ目黒のユニクロでは、100 坪程

度で商品も絞り込んでいます。ベーシックでカ

ラーバリエーションを持たせた、OLが買いや

すいアイテムをセレクトしているようです。さら

駅ビル型消費文化の創出�ついで・寄り道・思いつき買い�

日常と非日常 融合したMD構築�ターゲットのライフスタイルを徹底分析�

 岡藤 具体的には、どのような施策をとられたのですか。�

 菊池 まず、日常と非日常との組み合わせです。日常的な商品の代表は食品でしょう。

しかし、帰宅途中のOLは、生きの良い鮮魚

や葉付き大根、キロ売りの根菜類などは買わ

ない。そうした類ではなく、非日常的な香り

が漂う食品――例えばワインやチーズなどの

輸入食品(食材)なら、恋人や友人と“お

しゃれな週末”を過ごすイメージを喚起し、

買われるかもしれない。そうした品ぞろえに

定評のあるスーパーが「成城石井」です。

そして、アトレ品川に出店いただいたNYスタ

イルの高級食品・カフェ「DEAN &

DELUCA(ディーン&デルーカ、D&D)」が

その代表格といえるでしょう。�

 また“そこにしかないモノ”もポイントです。

菓子でいえば、アトレ恵比寿、アトレ目黒の

御門屋の揚げまんじゅう(1個 90円)などは

人気ですね。惣菜の場合も、そこにしかない、

また出来立てが好まれます。帰宅して食べる

ころには冷めてしまうのでしょうが、出来立て

のアツアツ感は人を惹きつけます。�

 岡藤 ファッションはどうでしょう。� 菊池 伊藤忠さんが得意とされている、欧米のラグジュアリーブランドではありませんね

(笑)。駅ビルというのは、ある程度の大衆性

が必要だと思っています。かといって、量販

店やホームセンター系の実用衣料でもありま

せん。ファッション衣料の購買動向としては、

ベーシックなアイテムの単品買いと手ごろな価

格がカギのようです。その代表例が、サンエ

ー・インターナショナルさんの「ナチュラル 

ビューティー ベーシック」でしょうか。�

 岡藤 「ナチュラル ビューティー ベーシック」は、サンエー・インターナショナルさんの

稼ぎ頭ですね。確か、駅ビルへの出店拡大

で知名度も高まったと聞きます。当社の取引

先の一広タオルさんは、アトレ目黒で「タオル

美術館」を展開していますが、こちらも好調

のようです。�

 菊池 そうですね。やはり日常の商品でも実用性だけでなく、感性の付加価値のあるも

のが受け入れられるようです。私は「キオス

クとアルマーニの中間にあるものを提供しよう」

と言っています。アトレ恵比寿には以前、ジュ

エリーショップが入っていた時期もありましたが、

退店しました。同店の強い出店要望で入居

していただいたのですが、どうしても単価が

低くなり、店を維持できなくなってしまったから

です。ちょっとしたアクセサリー感覚のものな

らよく売れますが、本格的な宝飾品は難しい。

駅ビルは“夢の入り口”だけれども“夢その

もの”を求められているわけではない、という

事例でしょう。�

 ちょうど10年前の1998年に実施した消費

者調査では、面白いことが分かりました。伊

勢丹新宿本店、西武池袋店、それぞれのフ

ァンは、同時にアトレ恵比寿のファンでもあると

いうことです。若い世代では、プランタン銀座

のファンもアトレ恵比寿のファンでした。“ここぞ!”

という時のファッションは、各百貨店で買い求め、

普段のファッションはアトレ恵比寿という具合に、

消費者は見事に店を使い分けているようです。

アトレ恵比寿では、衣食住全般にわたり、日

常と非日常をうまく融合させたMDが、お客さ

まの支持を得ているのだと自負しています。�

 岡藤 当社繊維カンパニーでも川上から川下まで、すべて消費者起点でモノ作りをして

います。メーカーと消費者との間に、マーケ

ティング・カンパニーを標榜する当社が入る機

能・役割もそこに意味があると考えています。�

 1946年栃木県生まれ。東京大学建築学科卒業後、

日本国有鉄道入社。建設設計・保守業務に携わる。

1987年、国鉄民営化後のJR東日本で、旅行業、

不動産開発等の業務を担当。1993年、東京圏駅

ビル開発㈱出向、アトレ恵比寿の開発を行う。その後、

アトレ上野、品川の開発、既存店のリニューアルを

指揮。現在、代表取締役副社長兼マーケティング

開発部長として、マーケティング力を生かし、自社案

件のみならず他社案件のコンサルティング業務を行う

一方、後進の教育・育成に力を入れている。�

菊池 眞澄(きくち ますみ)氏�

アトレ恵比寿�

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3いま、“駅ビル”“駅ナカ”の時代�2008年(平成20年)5月号�

に私は「土日もセールをしなくていいですよ」

と申し上げました。結果的に、土日セールを

やらなくても落ち込みはほとんどなく、よく売れ

ています。�

 岡藤 どちらも、あらためて立地や業態に合わせたフレキシブルな対応が重要だと分か

る事例ですね。知り合いに、ある大手証券

会社に総合職として勤める大阪の女性がい

ます。彼女は東京出張のたびに、アトレ品川

にあるD&Dで食事して帰るそうです。D&D

はニューヨーク発の五感で楽しむ食のセレクト

ショップで、当社が日本市場で展開しています。

アトレ品川には2004年 3月にオープンしました。

彼女にとってD&Dはライフスタイルの一部であ

り、いわゆるファッションなんですね。�

 D&D丸の内店のオープンニング・セレモニ

ーでは、一口サイズにしたD&Dの多様な惣

菜をつまみながら、シャンパンなどのアルコー

ルを片手に大勢のお客さまに楽しんでいただ

きました。�

 菊池 実は私もそのオープニング・パーティーに出席させていただきました。何とも粋で

洒落たスタイルだなあと感心させられました。

アトレ品川でも、こうしたシーンを是非、駅ビ

ルのコンコースから見える形で展開したいと思

いました。品川駅は新幹線も通っていますし、

働く女性が、仕事の合間などで楽しみ、くつ

ろいでいただいている姿を見るのは、大変粋

な感じがします。�

 駅ビルにとって大切なポイントの一つは、

まさにその姿です。販売員が売っている姿、

お客さまが買っている姿、食べて楽しんで

いる姿――を、外に見せることです。こ

れが駅構内/周辺の流動客を店内に呼

び込む重要なファクターになります。“つい

で買い”“寄り道買い”したくなる気分を

呼び起こす。ある意味、通りすがりのお

客さまに“心の余裕”を生じさせる仕掛

けということです。�

 岡藤 イタリアの「バール」やフランスの「カフェ」などと共通しますね。窓を開け放ったり、

通りにテーブルを出すなどして、店外にも和

やかさや賑やかさがあふれていますよね。つ

い立ち寄りたくなる(笑)。菊池さんは海外

生活のご経験は。�

 菊池 いいえ、残念ながらありません。� 岡藤 そうですか。それにしては、そういうシーンの演出など具体的ですね。柔らかな

発想が素晴らしい。あらためて、イメージし

ていた“元・国鉄マン”像が覆された感じ

です(笑)。�

 菊池 ありがとうございます(笑)。�

駅の大衆性�そのメリットとデメリット�

“街の玄関”として�の駅ビル�街との共生・街を変える�

 菊池 こう言っては語弊がありますが、かつて恵比寿駅周辺は、おしゃれな街というイ

メージからはかけ離れたものでした。アトレ開

業前は、駅利用者も通勤客が大半で、駅前

商店街は土日になると約8割がシャッターを閉

め休業状態でした。周辺住民も休日には、

渋谷や新宿、代官山など恵比寿以外にショッ

ピングへ出かけるという状況です。休日は閑

散とした雰囲気がありました。そこにアトレ恵

比寿がオープンし、現在のおしゃれな雰囲気

の恵比寿に変化するきっかけになったのでは

ないかと思います。街に駅ビル客が広がるこ

とで、街が変わるのです。�

 アトレも開業当初の売り上げは、ピークが平

日で、土日は急激に落ち込んでいました。こ

んなショッピングセンターは珍しいですよ。現在

は土曜日にピークが来て、日曜日がそれに続

きます。もちろん平日の売り上げも伸びています。

やっとまともな商業施設になってきました(笑)。

おそらく、一次商圏の人たちも週末にはアトレ

へ買い物に来るようになったのだと思います。

さらに、隣接する代官山と客の流れがつなが

り、面として広がりが出てきました。�

 これはある意味で、駅ビルが核店舗、周

辺の商店街がテナントという位置づけの、一

つの巨大なモール型ショッピングセンターを形

成しているとも言えるでしょう。街との連携は

非常に重要です。相互に客を呼び込み、街

全体として活性化するわけです。決して悪い

と言っているわけではありませんが、消費者

金融の看板が乱立し、遊技場ばかりが増え

る一方の駅前では、街としての品格が保て

ないのではないでしょうか。そしてその責任は、

自戒も込めて言うのですが、駅と駅ビルにあ

ると思います。�

 駅/駅ビルは、その街にふさわしい玄関の

役割があります。また一方で、街が良くなる、

充実することは、駅ビルにとっても良いことです。

双方は同じライフスタイルを提供し合う関係に

あると言えるでしょう。�

 岡藤 上野も同じですか。�

 菊池 上野にも同様のことが言えます。アトレ上野ができて、上野の街に新たに女性客

を取り込み、周辺地域にも良い影響を与えて

います。どの駅ビルでも、開発計画が持ち上

がると「駅ビルができることで地元商店街、

街が寂れる」と懸念する声が聞かれます。

しかし、実態は逆ですね。駅ビル開発をす

ると、その結果として周囲の街が潤うと実感

しています。リニューアルして活性化したアト

レ四谷やアトレ大井町、アトレ新浦安などでも

同じようなことが言えますね。�

 岡藤 地方の駅ビルを見ますと、土産物は良いのですが、食事やファッションがいまひ

とつだったりします。それぞれの街の顔として、

地域の特性、持ち味が発揮されるといいで

すね。小売市場がシュリンクする中で、われ

われも苦戦を強いられる場面があります。百

貨店は海外ラグジュアリーブランドを優先的に

導入し、当社などが展開する国産ブランドは

その残りの部分にしか入れないこともあります。

勢いのある駅ビルに積極的に提案し、ともに

成長していきたいですね。�

 菊池 駅ビルは常にマーケットの変化の一歩先を読みながら、街に新しい息吹を提案

し続ける存在でありたいと考えています。�

 岡藤 消費者のウォンツや購買動機、買い回り性を丹念に仮説・検証し、一歩先を行く

ライフスタイル提案を実行している点が、他と

の違いですね。マーケティング・カンパニーを

掲げる当社繊維カンパニーとして、大いに学

ばせていただきました。ありがとうございました。�

 岡藤 駅ナカを含む駅ビルへの注目度は、他業態に比べますます高くなっています。2月

の販売数値を見ましても、主要ファッションビ

ルの商況は全体として振るわなかったようで

すが、東京圏駅ビル開発で主力のアトレ恵

比寿などは好調でした。前年同月比で、全

館が12.7%増、物販16.2%増、衣料品21.2

%増とうかがっています。それでもなお、何

かウィークポイントはありますか。�

 菊池 ウィークポイントを挙げるなら、先ほど軽く触れました“駅が持つ、ある種の大衆性”

ということでしょうか。ショッピング――とくに女

性にとってショッピングは、夢を買う部分が多

分にあります。それが駅の大衆性によって多

少なりとも減少してしまう……。常に変えてい

っていますが、今のままでは限度があります。�

 幸いなことに、アトレ恵比寿では開業から

今日まで約 10年間に、各テナントさんとの共

生関係・信頼関係もあり、アトレ自体のブラン

ド力が高まり、販売単価も上昇しています。J

Rと東京メトロの流動客に限らず、わざわざ

買い物に来てくださるお客さまも増えました。

しかし今の規模では、上質化、目的買い化

にも限界あると考えています。それは駅の持

つ大衆性がネックになるのではないかと感じて

います。�

 岡藤 では、ライバルはいますか。� 菊池 ライバルという点では、どうでしょう。百貨店は当社の駅ビルとは異なる目的買い

のMDを組んでいますので、ライバル的存

在とは違うでしょう。一部、GMS系の郊外

型モールとはバッティングする面があるかも

しれません。しかし駅ビルの優位性は変わ

らないと自負しています。強いて言えば、

丸の内など都心のオフィス街立地でライフス

タイル提案型リーシングを展開するショッピン

グセンターでしょうか。メーンターゲットも当

社と同じOL層ですし、彼女たちが手を出

しやすい衣食住のテナント構成で回遊性を

持たせていますよね。�

 岡藤 百貨店の中には、「業態間の差別化から、ショッピングセンターに出店しているブ

ランドは扱わない」などと、アパレルに圧力を

かけるところもあるようです。最近では、セカ

ンドライン、ディフュージョンラインでも「ショッピ

ングセンターに出さないでほしい」と、ますま

す締め付けがきつくなっていると聞きます。た

だ、ショッピングセンターにしても、駅ビルにし

ても、これだけ規模が増大してくると、アパレ

ル側にも専用ブランドを開発する余地が生ま

れているのではないでしょうか。�

 菊池 そうですね。ただ、駅によって客層

は異なりますので、一概に駅ビル向けとしてま

とめられない側面があります。アトレ恵比寿が

端的な例ですが、駅ビルは街との関係性にも

大きく影響されます。その逆に、駅ビルが街

に与える影響も非常に大きなものがあります。

よく土地柄と言いますが、敷衍して“街柄”

との相互関係は深いものがありますね。�

岡藤 正広�

アトレ品川の「ディーン&デルーカ」�

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4 この著者に聞く�2008年(平成20年)5月号�

担当編集者 内田 知之氏�

幻冬舎メディアコンサルティング�

「東京変貌」プロジェクトチーム編 『東京変貌』1958-2006�航空写真に見る この50年の東京�

Ⅳ�鳥の眼で見て、

虫の眼で歩き、�

視えてくるもの。�

 本書は、1958年(昭和33年)と2006年(平成18年)、

約半世紀の時を隔てた東京の街の過去と現在の変貌ぶりを

航空写真によって見比べたものです。1958年は世の中が皇

太子御成婚の“ミッチーブーム”に沸き、東京タワーが完成

した年であり、日本が高度経済成長に向かって躍進し始めた

時期です。現在の東京から失われてしまったものがまだまだ

たくさん残っていて、現在の東京にあるものがなかった時代

でした。そんな東京の変貌ぶりをはるか上空から見下ろし、

ほんのひと時、懐かしい思い出や新鮮な驚きに浸っていただ

くことを意図して編集した書籍、それが『東京変貌』です。�

 余計な御託やうんちくめいた話を並べるより、「ズバリ、二

つ並べて眺めて見てください」という想いから書籍の企画は

スタートしました。そもそも、この書籍が生まれるきっかけは、

貴重な航空写真をご提供いただいた国際航業株式会社の倉

庫で、とうの昔に散逸したと思われていた1958年撮影のフィ

ルムが発見されたことによります。そこには、「ああ、あれもこ

れも、なかったんだな……」と思わず声に上げてしまうほどの

驚きや感慨を伴う半世紀前の東京の姿が克明に写し出され

ていたのです。「ただ、並べてみたらどうなるか」というきわ

めて自然体の発想から生まれた『東京変貌』でしたが、書

店に並んだ瞬間から読者の方々のハートをつかみました。愛

読者カードの束を一つひとつ読み進めてみると、ただ単に「見

比べる楽しみ」だけでなく、その変貌の背景にある「物語」

を読み解こうとする方々が実にたくさんいることがわかりました。

変貌するこの街の軌跡を、今度は写真だけではなく、文章

でも綴った『東京変貌を読み解く』の刊行もあながち夢では

なさそうです。今回は、そのプロトタイプを本紙「繊維月報」

読者の皆様にお届けしたいと思います。�

再開発で街全体が活性化「恵比寿」��

 変貌の背景にある物語を読み解くのに最もふさわしい街の

代表格が「恵比寿」です。1958年の恵比寿駅に現在の駅

上ビル「アトレ恵比寿」の姿はもちろんありません。駅の西側

と東側を結ぶ越線橋が見えるだけで、目に入る大きな施設と

いえば、当時の日本麦酒(現サッポロビール)のビール工場

と防衛庁防衛研修所(長い棒状の屋根)くらい。この防衛

研修所の前身は戦前の海軍技術研究所であり、さらにその

前身が目黒火薬製造所(1928年:昭和3年まで)であった

ことは、ほとんどの人が知らないでしょう。昭和の初めまで、

東京の真ん中で火薬製造が行われていたのです。東京地下

鉄・日比谷線の開通は1964年(昭和39年)ですから、当

時の恵比寿駅は国鉄・山手線と駒沢通りを走る都電の乗り

継ぎ駅でした。そして商業施設はといえば、駒沢通り沿いを

中心にいくつかの商店が軒を連ねていた程度です。コンビニ

エンスストアも、1軒もありません。セブン・イレブン第1号店

の出店は1974 年(昭和 49年)ですから、この50年前の

航空写真には、おそらく2006年の写真には無数に写ってい

るはずのコンビニは、ゼロだったのです。�

 その恵比寿駅周辺の半世紀後の姿。変貌の物語は、

1994年 10月に誕生した「恵比寿ガーデンプレイス」から始ま

りました。日本麦酒醸造会社の「ヱビスビール」製造開始(1887

年:明治 20年)から百年後の1988年(昭和 63年)にビ

ール工場が移転・閉鎖され、1991年(平成3年)からのわ

ずか3年間で“新しい街”がこつ然と姿を現したのです。シ

ョッピングから飲食、映画館、写真美術館、銀行や郵便局、

クリニック、そしてオフィスと住居に至る多種多様な機能を兼

ね備えた集積都市として恵比寿ガーデンプレイスは産声を上げ、

その後に東京の各地で進められた大規模再開発の手本とさ

れました。敷地の多くをオープンスペースとして開放し周辺の

街並みや施設と有機的に連携できるように配慮した再開発の

手法が高く評価されると共に、敷地の中心部にドーム型の大

屋根を配した独創的な空間づくりで、国土交通省の「都市

景観100選」にも選定されています。�

 恵比寿駅東口から、動く歩道「スカイウォーク」で距離を

感じさせないアクセス性を確保し、いったん足を踏み入れてし

まえば思い思いに長時間楽しめる多機能集約型の空間が、

街の佇まいと雰囲気の善し悪しに敏感な“山の手人”にも受

け入れられ、ガーデンプレイスは15周年を迎えても着実にリピ

ートファンを醸成し続けているといいます。�

駅が街を変え、隣接する街へ面の広がりを生む��

 一方、西口周辺の人の流れを一変させたもうひとつの起爆

剤が、恵比寿駅上ビルの誕生と共に1997 年(平成 9年)

に開業した駅複合型ショッピング施設「アトレ恵比寿」でした。

「駅・街・アトレ ~新たな魅力の創造~」をコンセプトとする

「アトレ」の語源は、「魅力」を意味するフランス語の「attrait」

によるものだそうです。まさしく恵比寿駅に新たな魅力をもたら

した駅ビル、アトレ恵比寿の成功は、駅周辺の商業地域の

活性化を促し、駒沢通り沿いの商店の連なりを隣接する代

官山の街まで広げ、それまでになかった「回遊性」を生み出

しました。街を往く若い女性のファッションの主流はいわゆる“ス

ウィート系”。恵比寿から代官山へのそぞろ歩きは、おしゃれ

なカフェや雑貨店、ひと味違う飲食の連なりをたどることになり、

街歩きの楽しみを裏切りません。�

 恵比寿の街は、恵比寿ガーデンプレイス、アトレ恵比寿とい

う二つの再開発事業によって大きな変貌を遂げました。駅と

駅に隣接する「街の顔」が大きく変わることで、街全体の佇

まいまでもが大きく変わったのです。そして、この街に隣接す

る代官山もまた、二つのランドマークによって街ブランディング

に成功したパイオニア的な存在の街なのです。�

街の変貌を読み解くそれぞれの「物語」�第 1 回�

企業のブランディング書籍を企画・刊行する幻冬舎メディアコンサルティングでさまざまな企業出版物の企画・プロデュースを行う。手がけた主な書籍は『北欧物語-「イルムス」が見た北欧デザインの現場』、『承景-あるホテルの肖像』、『商継-日本のモノづくりと共に』、『あすなろ-まいにちのなかに見え隠れするもの』、『風流時圭男』。(いずれも幻冬舎発売)�

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問い合わせ先�

金沢支店北陸企画開発室 藤田、寺田�電話:076-265-5466  E-MAIL:[email protected]

今月の商品�

MY箸に「ミューファン®抗菌携帯箸セット」�マーケット�発進!�

林 知二�アパレル資材課�

寺田 明子�金沢支店北陸企画開発室�

カラフルな12色展開。選ぶ楽しみも提供する�

105.00�

110.00�

115.00�

120.00

 米農務省の発表によると、来 08/ 09年の米綿作付面積は939万エーカーで、1983年以来となる1000万エーカー割れ。アップランド綿は918万エーカーで、今季を13%下回る。大豆や小麦など競合作物の高騰による転換が理由。米国での落ち込みを中国、インド、西アフリカでの増反が相殺する可能性大。消費は経済減速、ポリエステルに比べ割高から勢いは弱まるが、世界季末在庫は2年連続で減少し、1100万トン(今季比5%減)の見込み。�

豪州羊毛価格は10月半ば以来の900USCを挟んだ上下20USCのボックス相場を続けている。ただ3月に豪州産毛予測委員会が、今季の産毛量を12月に予測した39.5万トンを2.5%上方修正し40.5万トンとし、来季も40.5 万トンで横ばいと発表。これを受け、米ドル換算の900USCの下限20USC幅を推移する展開となっている。4月17日現在、EMIは、938AUC/879USCとなっている。�

 米国の金融不安は大幅に後退、各種指標もリスク先行度合いの回復を示唆している。こうした状況下、円高の流れは一服、当面ドル堅調な展開を予想する。しかし、米景気の底入れ・回復には今しばらく時間が必要と見られ、また政策金利が2.25%まで引き下げられ、しかもさらなる利下げも見込まれている中では、昨年夏場の124円を起点とするドル安/円高トレンドが終わったとするのは早計。予想中心レンジは102~107円。 (4/22記)�

NY綿花� 豪州羊毛 M/I 為 替�90.00�

85.00�

80.00�

75.00�

70.00�

65.00�

60.00�

55.00

(USセント/LB)� (AUSTセント/KG)� (円/US$)�1100�

1050�

1000�

950�

900�

8501月1日�

4月30日�

3月31日�

3月1日�

1月31日�

2月18日�

4月18日�

4月3日�

3月19日�

3月4日�

2月17日�

4月17日�

4月2日�

3月18日�

3月3日�

5この著者に聞く / マーケット発進!�2008年(平成20年)5月号�

スロー・ディベロップメントな変貌�「代官山」��

 街の魅力づくり活動の先端事例として全

国に有名な代官山。その道のりは 30 年が

かりの“スロー・ディベロップメント”だったと、

NPO 法人代官山ステキ総合研究所は分析

しています。30 年ほど前までの代官山は、

閑静な屋敷町として知られ、都内有数の高

級住宅地でした。その代官山が注目を集め

始めたきっかけは、1969年(昭和 44年)に、

建築家・槇文彦氏による「代官山ヒルサイド

テラス」の誕生以来だといわれています。第

1期のA・B棟の完成から、第 7期のヒルサ

イドウエストの完成(1998 年:平成 10 年)

まで、30 年の歳月をかけて、ゆっくりと創り

出された旧山手通り沿いのハイセンスな都市

景観が、この街の地域ブランディングのひと

つの象徴です。�

 一方、街の玄関口としての駅前の顔は、同

潤会「代官山アパートメント」(1927年:昭和

2年完成)の建替え事業で2000年(平成12

年)8月に誕生した「代官山アドレス」によっ

て刷新されました。駅前からその西側を南北

に走る八幡通りへの動線は、おしゃれな街の

顔にふさわしい独特なテイストにあふれています。

本紙がお手許に届く頃、黄金週間のこの街は

「代官山からまちと地球を考える」のテーマの

もと、「Green Week代官山 春花祭」で賑わ

いをみせます。�

集まる人が自然発生的に彩る街�「中目黒」��

 恵比寿から代官山へのそぞろ歩き。その終

点は旧山手通りが走る西渋谷台地の端から目

黒川へ向けていくつもの坂を駆け下りた街、

中目黒まで続きます。50年前、まだ木造の民

家ばかりが建ち並ぶ住宅地だったこの街。駅

を挟んだ東西に、それぞれ町場の商店街が

軒を連ねていた程度のこの街を大きく変えたの

は、「中目黒カルチャー」と称せられる若者文

化の萌芽でした。いま、桜の季節になると大

いに賑わいをみせる目黒川沿いの小道に、若

者が店主を務める手ごろな価格の小物雑貨や

衣料品の店が点 と々生まれ始めたのが 1980

年代の中ごろから。それがいつしか線となり、

面となって、中目黒ならではの独自のテイストを

生み出したのです。そしてこの街はまだ、変

貌の最中にあります。来秋には、駅前に45

階建て住居を含む複合商業施設が誕生し、

街の玄関口に新しい顔が生まれるのです。�

 “自分専用の箸を持ち歩くこと”……それ

は個人ができる地球環境対策の小さなひとつ。

昨今のエコブームやNHKの連ドラ『ちりとて

ちん』の影響で“箸”が注目されているが、

皆さんも雑貨屋や土産物屋の箸や箸袋など

のコーナーで足を止めたことがあるのでは?�

 「環境のためにMY箸を始めたい。でも、

衛生面がちょっと気になる」。そんな環境に配

慮するMY箸派のために、石川県の伝統工

芸である山中塗りの技術とアパレル資材課で

展開中の抗菌物質ミューファンという新素材を

融合させ、新商品「ミューファン®抗菌携帯

箸セット」を開発した。�

 この箸は純銀を特殊加工した「ミューファ

ンパウダー」を使用しており、銀の持つ安心・

安全な抗菌力で、洗いおき後の細菌の繁殖

を抑える。銀は食品衛生法でも添加物とし

て認められている人体に安全な金属だ。そ

もそも抗菌力は目に見えるものではないが、

ミューファンパウダーのキラキラとした輝きが、

見る者により抗菌をイメージさせることだろう。

持ち運びに便利な箸キャップ付きで、この開

閉式の洗うのに便利で衛生的な構造の箸キャッ

プは、食事中には箸置きとしても活躍する。�

 金沢支店では2006年9月の石川県との包

括提携以来、石川県産品の開発・再発見

をテーマとして「石川県発信」に取り組ん

できた。“山中塗り”は石川県の伝統産業

のひとつで、その山中漆器製造販売の(株 )

たつみや漆器さんとアパレル資材課の間に、

元 ミ々ューファンを使用した弁当箱などで協

力関係が形成されていたことから、この商

品が誕生した。4月から石川県庁舎の売店

での販売がスタートし、また現在、北陸のファ

ミリーマートの協力により石川・福井の店舗

限定での先行販売も決定している。�

 今後、使い捨てのライフスタイルを見直し

たい人々を中心に、この高機能の携帯箸が

全国に広まっていくことを期待する。�

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6 ファッションリポート�2008年(平成20年)5月号�

No.533

最先端ファッション=原宿の方程式の今後�最先端ファッション=原宿の方程式の今後�田島 淑江�伊藤忠ファッションシステム株式会社 リーテイルソリューションチーム�

 原宿という街が変わりつつある。原宿といえば、ファッションを中心とする若者文化の情報発信地。戦後まもなくから洗練された異国文化を発信し、マンションメーカーブーム、DCブランドブーム、たけのこ族など、様々な変貌を遂げながらも、常に時代を牽引してきた。世界的にもその名はメジャーとなっている。� しかし今、最先端ファッション=原宿という方程式が崩れ始めている。以前ほど若者中心とは言えなくなってきた。裏原宿ブームも既にピークを過ぎ、近年外資系GAP、ZARA等のSPAや、ルイヴィトン、ブルガリ、シャネルなどのラグジュアリーブランドの進出、表参道ヒルズオープンが

話題となった。同時に、来街者もエッジの効いたストリート系若者だけでなく、竹下通り目当てのローティーン、ラグジュアリー目当てのリッチ層、外国人など、様々な客層となっている。2008年秋にはH&Mの出店も予定され、裏よりも表の方が勢いづいているといえる。� 2008年6月に東京メトロ副都心線が開通することで原宿の人の流れが激変すると予想される。これに伴い、大きなムーブメントが起こる可能性も予測される。今、過渡期といえる原宿のファッション、カルチャーについて過去/現在・ウラ/オモテから紐解き、最先端ファッション=原宿の方程式再生の可能性を考えてみたい。�

歴史から読み解く原宿�

最先端ファッション=原宿という方程式崩壊�

原宿再盛隆への序章�

 しかし、原宿の街としての魅力はまだまだ

残っている。原宿は切り取り方によって色々

な顔があり、何より歩いて楽しい街である。

原宿駅から表参道のタテのライン、明治通り・

キャットストリートなどのヨコのライン、それぞれ

の裏道を歩いていると、街のノイズが一気に

遮断され、昭和レトロ感を感じる商店街が存

在する。古さと新しさがまだまだ50:50くら

いの割合で共存しているのがこの街の魅力だ。�

 1970年代に明治神宮前駅が開業したこと

をきっかけに人の流れが変化し、そこからう

なぎ上りに原宿が盛り上がっていった過去を

振り返ると、今後の副都心線の開通が原宿

の再盛隆を促す可能性を感じさせる。�

 今の原宿は表参道寄りエリアではラグジュ

アリーブランドと裏原系ブランドが集結し、明

治通りでは海外SPAブランドと大手アパレル

直営店が通りを牛耳っている。今後副都心

線の明治神宮前駅は明治通り神宮前交差点

付近にできることから、さらに明治通りへのタ

テの人の流れが急増することが予想される。

また両隣の渋谷駅、北参道駅も明治通り沿

いであることから明治通りヨコの人の流れも活

性化するであろう。開通当初から西武池袋線、

東武東上線と相互乗り入れが行われ、2012

年度より渋谷駅から東京急行電鉄東横線・

みなとみらい線への相互直通運転も決定して

いるため、埼玉、横浜からの来街者の増加

も見込まれる。�

 さらに副都心線に沿って地下街が作られ、

巨大ショッピングモールができるのではないか

という噂もある。そうなると今まで平面だった

原宿の街に上下の動きが生まれ、新たなる

原宿アンダーグラウンドカルチャーが生み出さ

れるかもしれない。�

 最近、メインエリアから少し外れた、まだシ

ョップも少ないエリアに大手アパレルやセレクトシ

ョップが新しいコンセプトストアを出店するケー

スが増えている。彼らはオモテでマーケットイン

なファッションを量販する一方でウラでは裏原で

生まれたカルチャーを今の若者に伝え日本の

文化としてのファッションの本質を高めるミッショ

ンがあると考えて出店しているのだ。若い芽を

育てる土壌がまた徐 に々でき始めている。ます

ます盛り上がるオモテの原宿に負けない“裏原”

が再び育っていく可能性は充分あると言える。�

[email protected]

60年代~80年代前半� 外国文化発信からDCブランドによる原宿発最先端ファッション発信へ�

 戦後、進駐軍の宿舎が建てられ、東京オリンピックの際には選手村が作ら

れるなど、洗練された異国情緒漂うオシャレな大人の街であった。次第にそん

な街の空気に惹かれてファッション関係者が集まってくる。マンションメーカーや

DCブランドが次 と々生まれ、ラフォーレ原宿が1978年オープンし、いつしか原

宿は最先端のファッションの街となった。�

[話題の出来事]�

東京オリンピック、�

地下鉄千代田線�

明治神宮前駅・表参道駅開業、�

歩行者天国スタート�

 最先端ファッション=原宿という方程式が崩

れ始めた要因のひとつとして“裏原”の衰

退があげられる。90 年代メジャー化に対抗

するように発生した裏原ムーブメントから日本

のファッション史に名を残す“裏原”ファッショ

ンが生まれた。そのスタイルは“裏原系”と

して今に引き継がれているが、二者が同じ

DNAだというには疑問が残る。90年代に台

頭した裏原ファッションはカルチャー臭が染み

ついていた。音楽、アート、スケーボー、と

いうようなカルチャーを背景にライフスタイルの

一部としてファッションを楽しんでいた。しかし

今の“裏原系”にはカルチャー臭はほとんど

なく、若手のデザイナーがファッションリーダー

の模倣をしているにすぎず流行後追い的な

受動態ファッションになっているように思える。

ただそれは、単に若手の才能の問題だけで

はなく、原宿の土壌の変化も要因の一つとい

えるだろう。�

① 原宿という街はもともと文教地域で、風

俗店を排除してきた土地。渋谷や新宿に比べ、

若い人たちに安く部屋を貸す不動産業者も

多かった。又、ラフォーレ原宿では少ない保

証金でも出店できるシステムがあったり、館内

で「原宿コレクション」というファッションショー

を繰り広げたりと若いクリエィターが育ちやす

い土壌があった。�

② 先ほどの原宿の歴史変遷を辿ると、原宿

ファッション盛隆のきっかけに必ずコトのムーブ

メントが起こっていることに気づく。千代田線、

半蔵門線の開通により集客力が強まり、ホコ天、

イルミネーションなどの催しによって人が街に留

まるようになり、そこから「たけのこ族」や「カ

ラス族」など独自のファッションカルチャーが生

み出された。原宿には常に若者を高揚させる

ようなコトがあり、そこにインスパイアされてでき

たモノが、裏原ファッションのような世界に影響

力をもつブームを作り出すのだといえる。�

 今原宿はホコ天もイルミネーションも廃止され、

原宿らしい催しがなくなった。ラグジュアリー

ブランドの出店が相次いだことで地価が急激

に上昇し、大人が集まる高客単価なマーケッ

トとしての注目度が高い。原宿の土壌が変化

し若者にとって居心地が悪く、若者を育てる

風土がなくなってきたがゆえ、新しい芽が育

たなくなったのかもしれない。�

80年代~90年代前半� ホコ天やタレントショップなど、マスコミの注目でレジャー化へ�

 マスコミが注目し、こぞってメディアに取上げたことで、一気に観光地として

全国区レベルの知名度を誇るエリアとなった。ロックンロール族、バンドブーム

などホコ天をきっかけにしたブームが起こり、来街者の低年齢化が進み、街全

体がレジャーランド化していった。原宿の賑わいの最高潮。�

[話題の出来事]�

表参道クリスマスイルミネーション開始、�

原宿コレクションinラフォーレ原宿�

90年代~� 表から裏へ。カルチャー的な要素も加わりエッジの効いた裏原ファッションがブームに�

 表通りの低年齢化・レジャー化を”ダサい”ものとし、若者たちは裏通りへ

移動し始めた、高橋盾、NIGO、藤原ヒロシらこだわりの強いクリエィターたち

が一気に裏原宿ブームを引き起こした。これ以降、裏原宿エリアやキャットスト

リートに群がるストリート系男子が爆発的に増えたのである。�

[話題の出来事]�

コギャルブーム、�

セントラルアパート解体、�

歩行者天国・表参道イルミネーション廃止�

90年代末~現在� 裏原宿ブームも沈静化し、若者文化発信力がトーンダウン同時に�ラグジュアリーブランドショップ、海外SPA業態ショップの出店ラッシュ�