昭和47年3月10日 第25号 権 う 彎“ 者 わ 出 適 連 け …...昭和47年3月10日...

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昭和47年3月10日 第25号

ゆチぶ

ゆぐ

コぴ

みセ

ドヤ

ビドニ

ゆづ

ぐウ

ギギ

ゆキ

ウア

ゲち

ヤ彎“、本

者。グ

ラ“ア会

報蕭

'竃

:

Ψ魯

丗κ~

'獣

卅艸翠

'

-

ヅ翫

適材適所の議長役

コー

ヒーを試

二月は、まず

一日

の夜、札幌

オリ

ンピ

ックで来

日した朝鮮民主主義人

民共和国の選手団長

ョン

・クワン

・スン氏

(高等教出目省副長

・朝鮮対

外文化連絡協会副委員長)をゲ

スト

としての夕食会

ではじま

った。

〃時

の閊題”をかかえ

ている人物だけに

参加者

八十三名で

スピーチのあと

問も活発だ

った。答弁

の中で特に

注日された

のは、

日朝国交回復

の前

提と

して日韓条約解

消を主張しな

いうことだ

った。

それはいわゆる

〃出

ロ”論で、中国

の揚合

とはちが

わけだ。

ついで七日の米国婦人有

者連盟代表十名

の記者会見だ

った

が、

これには日本側取材陣

の中に七

の婦人記者がまじり、和やかな風

第25号

1972年

3月10日 発行

景を呈した。十

日にはEC

マルフ

ァティ委員長

を迎

えての昼食会

たが、委員長

がイ

タリア人のた

め、

議長役はイタ

リア語に堪能なC

BC

東京都千代田区内幸町

一ノ

一ノ

国ホテル東館

〒踟

者ク

ラブ

剄-

一六二二~一二

電話

弼ー

一一一一

内線堯三

々木凛

一会員が

つとめ、イタ

リア

であ

いさ

つするなどホ

スピタ

リテ

ィ満点

のホ

スト役を演

じた。十

七日

にはブ

ラジ

のデ

ルフィン

・ネ

ット

蔵相

】行

の早朝記者会見、

それ

には

ブラジ

ル側

から持参のブ

ラジ

コー

ヒーの提供が

あり、取材

一同本場

味を味

った。また二十

一日には日

朝議連

の会長、肖民党久野忠治代議

士の朝鮮問題

ついての話を聞く会

が開

かれ

た。佐藤首相と個

人的

に深

いつなが

りのある人物だけ

に、共産

主義国家

との接触

について

の裏話は

興味

のあ

るも

のだ

った。

賑やかだ

った趣味の会

冖方、試写会

は東宝作品

「軍旗

ためく下

に」

で参加者

六十名

。それ

もご本

人ばかりで代理人は

ほとんど

なしだ

った。時

によると本

人は来な

いで婦人

の姿

ばかり多

り、

っかく試写を提供

してくれた

映画会社

への面目丸

つぶれになる

とがあ

るが、今回は面目回復と

いう

ところ。

これを機会

に今後は必ずご

本人

の参加を期待した

い。趣味の会

ではゴ

ルフ会がプ

ロゴ

ルフ協会理事

の山本増

二郎氏を招

いてお茶の会

を開

いたり

(二十

二日)、碁

の会が

囲碁

大会を催したり

(二十六日)で

賑や

かだ

った。

人会

一月理事会で、会昌バ社

OBで報道

関係

の仕事をして

いる人に個人会員

の資格を与えることがき

った

め、す

でに数名

の参加申

し込

みがあ

る。現会員

のお知り合

いで、その種

のかた

のお心当たりがあれば、是非

事務

局までご照会く

ださ

い。

入会

の手続きは、か

つてその人が

在籍

した社

の代表(または代表代理)

とも

一社

の代表(代

理)の推薦を要

します。個人会員入会案内

と申し込

み書

は事務局

にあります

ので、ご連

絡あ

ればお送りします。

(1)

日本記者クラブ会員数

三月

一日現在

=二六社

八入二名

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岬肌四川ヤ¶酬旧

2

昭和47年2月10日

(木)

口本記者クラブ別室

昭和

46年度

の会計監査を行な

い、

決算案を原案

どおり承認

した。

出席者

11真崎、池田(小

田代

理)、

前田、春原、佐谷

(日本新

聞協

会)

28

画委

昭和47年2月100

(木)

日本記者クラブ別室

二、三刀

のクラブ行事

ついて検

討、

一二刀十

の総ム蕩の時

は、無心親ム苫

をやめて夕食会を開くことにし、大

石環境庁長官をゲ

ストに招

ことを

決定

した。

9

昭和47年2月15日

(火)

日本記者クラブ別室

総会議

題、決算案を承認し

た後、

企画委員会

できめた行事

予定

を了承

した。

会員の異動

中野

嘉男

時事通信取締役大阪支社長

香川

前田

渡辺

三木

利夫

富夫嚢正

藤本

退松岡

青木

高内

山田

梅島

田中

小林

長野

会英夫茂

尚宏貞

香苗

啓二

澄生

四国新聞東京支社編集部長

大阪放送代表取締役

毎日新聞社論説委員

出版事業本部雑

誌編集室長

英文.毎日編集

部長

毎日新聞社論説室顧問

””〃

論説委員

経済部外務省キ

ヤップ

代表取締役社長

代表取締役会長

大阪放送常務取締役

四国新聞社支社編集課長

新規入会社

上毛新聞社

佐鳥

代表取締役社長

金井

忠男

常務取締役編集局長

和歌山新報社

岩尾

文夫

代表取締役

赤井

弘和

編集局長

山崎

雅生

東京支社長

東海ラジオ放送

正義

取締役社長

奥田

竹男

専務取締役

茨城放送

自澤

正二

代表取締役社畏

武政

国蔵

業務局長代理報道担当

退

苫小牧民報社

炭谷

専務取締役編集局長

中沢

啓次

常務取締役千歳支社長

第2回ゴル7会

日本記者

クラブ

は左記の要領

本年第

一回の

コンペを開

す。

日時

三月

三十

(木)

場所

武蔵

ントリークラブ

笹井

コー

参加ご希望

の方

は事務局あてご連

絡く

ださ

い。幹

[

〃会員のオシャレ用”出足好調

銀製力フス

。タイピ

ンセット

号でご紹介した目本記者クラブ会員

のしるし、タイピ

・カフスセットは非

な好評を得て、会

の皆

さまのオシャ

レに

}役買

いはじめました。

入金第

一号

の前

田事務局長もそ

の場で

付けてみて

『ウ

ン、良

いネ!これなら高

くな

い』と自画自賛

『クラブ

の会合

時には皆さん付

けて来

てほしいも

のだ』

と、まさに喜色満

面。その後、高

田理事

はじめ来室

の理事、会員

のかたがたが

われもわれもとお買

い求めにな

って

いま

す。人

それぞれ好

みが異なるので、

はたし

て会員の皆さま

に気

に入

っていただける

か、当初心配して

いた事務局もホ

ット

安心。より多く

の皆さまにご愛用

いただ

きた

いと願

って

おります。

見本は事務局

にお

いてあります。郵送

も可能です。

カフス

・タイピ

ンセット

六千円

力7ス

三千五百円

タイビン

ニ千五百円

三月行事予定

10日

(金)午

5時45分

大石武

一環境庁長官夕食会

一13

(月)

正午

i

ア、

コ大統

〃冨

の問”

.15

(水

)午

5時

30分

西村

・婁

ク・ブ

(2)

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昭和47年3月10日 第25号

灘鞴覊灘鑞騷

〔ベ

ルー

ト〕

中東

の多く

の国では残念

なが

らま

だ報道

の自由が認められ

いな

い。

これら

の国

では他の基本的

人権

さえ

も保証され

ていないと

っても過言

ではなく、

『報道

の自由』

が問題と

なる段「階

ではない。

そのな

かではレバノンのベイ

ルー

トは西側

の感覚からみて、最も報道

活動

の自

由がある。現在

ベイ

ルート

では外人記者や外国通信社

が打電す

るアウ

。ゴーイ

ング

ュー

スに対

する検・閲

は撤廃され、国内紙

はイ

ラエル関係

の記事を含

めてす

べての

インカミ

ング

・ニュ;

スを掲載する

自由があ

る。

日本人記者

の場合

は電

報局経

ロー

マ字電を打電

し、ま

たテ

レック

スで直接東京

に打

ち込む

ことが

でき

る。

(火罔通信、

ベイ

ルート支局長)

中東戦争から約

二年間

ほどは、

ルートでも比較的ゆ

るやかな形

検閲が実施されて

いた。

この間テレ

ック

スを報道用に使用す

ることは禁

止さ

れ、電報局から打

る場

は、公安

局検閲部

の検

閲済み

スタン

プを受けなければ

ならな

った。し

かし

ロー

マ字電

は英文

または仏文

要旨を

つければよく、検閲官

はその

〃要約”が大低

の揚合、朝刊紙デー

リー

・スターの記事

一部を大急ぎ

で写

てきたもので、実際

のロー

字電

の内容とはかなり相違

している

ことを承知

しているらしか

ったが、

ブリi

・パスだ

った。

時折

り外国タバ

コなどを差

し入れ

て顔

を売

っておけば、そ

の作業

はさ

に順調だ

った。

のうえ、

二つの抜け穴があり、

検閲

の重苦しさを和

わらげ

ていた。

それは①電話

は無検閲

で自由に日本

語で東京に送稿できた②プ

レスの指

定を

せず商業.電報

とすれば無検閲

打電

できた

(電報代

かさむ)。

レバノ

ンの検閲

は他

のアラブ諸

が検閲を実施

して

いるのに、無検

では具合

いが悪

いので

一応や

ってま

すと

いう、

エジプ

トあ

たりに対す

対外考慮から出

たも

のと見られた。

この間を通じてイ

スラ

エル放送、

B

BC放送など外国放送

を無妨害

で受

できた。

一方

エジプト

のカイ

ロでは

ロー

字電

は認められず

、アウトゴーイ

・ニュー

スは英

、仏

語で電報局

受.付

けに提出、そ

の後検閲官が

かな

りきびしく検閲し、削除するば

かリへ

でなく

一部を書

き変

えたり、書き加

コえた例もあ

った。

そし

て自分

の記事

がど

のように

〃変

形”

して打電され

たかは、遂に知らされな

い仕組

みで

った。私などは時

々東京から自分

の記事

の入電

コピーを取り寄

せて、

検閲官

の労作ぶりに

〃感嘆”

したも

のだ。

ナセル時代、

ファ

エク国民指導相

が言論統制を

して

いた時代は、外

記者団側から

の検閲解除を求めた要

はすべて却

下された。国内

の新聞

には検閲官

いて掲載

ニュー

スを

統制、イ

ンカ

ミング

・ニュー

スも自

由に使えなか

った

(これは現在

も同

じ)。

国放送

は妨害されて聞けな

い。国際電話

で口本語を使用す

るこ

とは禁止され、容

赦なくカットさ

た。米

NBC放送

のスコシト記者冖が

記者会見

のたびに政府

スポーク

ンにかみついて検閲解除を迫

って

いた姿が印象的

った。このスポー

スマンの言明

や有力紙アル

・ア

ラムの報道内容

さえも検閲

で抑

えら

れ国外に出なか

った例もある。

バクダ

ッド

、ダ

マスカスの検

閲は

カイ

ロ以上

で、と

て41報道ができる

状態

ではな

った。検閲

の理由

は軍

事機密を守

るためとな

っていたが、

政府に対す

る批判をも

っとも恐

れて

いることは明

らかだ。

ベイルートでは正式

の外人記者会

はなく、そ

の航

空路線

の便も良

いと

ころから、各国記者は中東全域

を自

由に飛びまわり、

ベイ

ルートに戻

てからせ

っせと記事を流している。

(3)

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瑠和47年3月10日 第25号

スト

パン

・カ

ナダ通

産大

新し

い日加貿易関係

の確立

今回の来日は、こ

の三年間に、カナダ

の通産柑とし

て三度

めの来口になりますが、また日本を訪れること

できてうれしく思

っています。とく

に日本記者

クラ

の皆さんと話しあう機会を与えられた

ことを深く感

します。

こんど私がひき

いてきた使節団は、カナダとしては

最大

の経済使節団であります。か

って他

のいかなる国

にも、

このような大きな使節団が派遣された

ことはあ

りま

せん。

この使節団には、カナダ

の産業

のさまざま

な分野を代表する三十

一人

のカナダ

一流

の経済人が参

加しており、そのなかには国際的にもその力を認めら

れて

いる製造業界代表もふくまれています。

また、当使節団

には、多数

のオタワや在

日大使館の

高官がふくまれており、日本、カナダ

の経済交流に

大きな関心をも

って

いるものばかりであります。その

ほか、カナダ

一流ジ

ャーナリ

ストたちも

この使節団

を重視

して

一緒

に参

りました。この使節団

ナダ

いかに日本との貿易を重視しているかと

いうことを

質、量両面において証明しているも

のであ

ります。

47年

1月

24日

(月

)

スカイ

ルー

使節団のめざすも

のはなにかといえば、

=言でい

えば

、カナダ製品

のプ

ロモーションと日本

への輸出拡

にあります。

ちろん、輸出量

の拡大も望んでおりますが、また

に貿易の質

の改善、

つまり、輸出品

の加

工度

の向上

も私

たちに課せられた任務

であります。

工業原

料や食

の輸出

の継続はもちろん希望しますが、輸

出品の

構成

を、工業製品もふくんだ、より多様なも

のとした

いのです。

のためには、

カナダ

の経済人は、も

っとも

っと、

日本

市場について学び、また、日本におけるビジネ

の方

法をはだで知

る必要があります。それと同時に私

たち

はカナダからの輸出

に当た

ってたちはだか

ってい

るよ

うにみえるあ

る種

の障害において日本

の政治家や

財界

人と話しあいた

いと考えています。

そしてこれら

の問

の解決を図るため努力したいと思

います。また

最近

の国際間貿易

の進展

ついて、われわれ双方

の関

心を

示している貿易自由化に

ついて、さら

には

めまぐ

るしく展開され

つつある世界経済

のなかでのカ

ナダ、

して日本の果たす

べき役割りに

ついて日本政府と話

し合

うことにな

っています。

日、加両国問

の貿易は巨額なものであり、急速に伸

しています。

一九六五年には総額

で五億四六〇〇万

ル、

カナダの約

一億ド

ルの出超

でしたが、

一八七〇

にはその貿易額は

二倍をこえ、

=二億ド

ルに達し、

カナダ

の出超は二億ド

ルを

こえました。

一九七

一年に

いると、多くのカナダ人はカナダ

からの日本

への輸

出が、日本からカナダ

への輸出をこえる

つまり出超

いことを、両国間

の貿易関係にと

って正常

である

と考

えるようになりました。凵本人の中

でもそう考え

る人が多

いと思

いますが……

そして状況は昨年、劇的な変化をとげ

たのでありま

す。

一九七

一年

には日本

のカナダ

への輸出が三八%も

伸びを記録したのに対

し、

カナダから

の輸

出は減少を

しました。目本

からカナダ

への輸出

こ華に二億

七〇〇万ド

ル以上も

ふえ総額で八億ド

ルを突破したの

に反し、カナダ

から日本

への軸出はわず

かに減り、総

額で約七億九二〇〇万ドルにとどまりました。したが

って、日本は、それまで二億九〇〇万ド

ルもの入超だ

ったのが、た

った

一年間

で、約

一〇〇〇万ド

ルの出超

に転化しそうであります。専門家によれば、カナダか

らの輸出の減少は日本経済

一時的な停滞

に原因があ

りました。しかし、

この停滞は口本からカナダ

への輸

の妨げとなりませんでした。カナダ

への輸出量が大

きく増

えた品目

一部

をあげれば、自動車、

オートバ

イ、鋼管、ダブ

ニットなどであります。自動車

の場

、日本

はその売り上

げを倍増し、

いまや

カナダ

の自

車市揚の

冖五%を

しめるにいた

って

います。

この両

間における貿易

の転換

は、永続的なも

のか、それと

(4)

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昭和4ア年3月10ロ 第25号

一時的な現象なのでし

ょうか。われわれカナダ人は

カナダの輸出減少が

一時的なものにとどまることを願

い、みなさんは目本

の輸出増加が永続的

であることを

われるでしょう。私が

かねがね言

っている

ことです

が、

カナダが出超を記録

していたとき、カナダは日本

をA臼めていかなる国と

の間でも両国間

の貿易

の均衡を

もとめておりません。しかしいまや、立場は逆転し、

小額

ではあるが出超を記録しているのは日本

であり、

入超を嘆いているのは

カナダです。にも

かかわらず、

カナダは今までの態度を

かえる

つもりはなく以前と同

様両国間の貿易

の均衡をもとめることはい

ん。しかしながら、私たちが求めているも

のは、お互

いの市場

へいたる貿易諸条件がよリバランスのとれた

のになることです。私たちは日本市場

への販売を、

日本

がカナダ市揚

で行な

っているのと同じように自由

に行

っていきたいのです。正直申

し上げて、それが

現しているとは私たちは思えません。

この点につい

ては、またあとで触れた

いと思

います。

貿易の内容

ここでまず口加両国間

の貿易

の内容に

ついて考えて

みましょう。

カナダは、日本

のも

っとも重要な工業原料と食料品

の供給国

のひと

つであり、現

にカナダから日本

への輸

の七五%はこの二つで占められています。カナダが

こう

した位置に立

っているのは、カナダが安定した、

競争に耐

えうる供給国であるからです。

こうした貿易

関係はカナダ

にと

っても満足であり、

日本

にと

っても

同様であると信じます。私たちは、

双互利益

にかな

たペー

スでこの関係を持続させたいと望んでいます。

他方、カナダ

は従来、日本

の工業製

の大きな市場

であり、

一九七

一年

の日本からカナダ

への輸出

の九七

%

は工業製品であります。カナダで日本がなしとげた

こと、それは日本人

の手腕、力量

の賜物

でありましこ

う。し

かし東た、私

は、そこにカナダ市場

の開放

性が

あることを指摘しな

いわけにはいきません。

いま

いち

ど、

カナダにおけ

る日本製品をあげれば、自動車

、ト

ック.オートバイ、

テレビ、テープ

レコーダーにラ

オ、鉄鋼製品、それに雪上車、繊維製品

です。

こう

した製

品の大部分はカナダ市場においてカナダ製

品と

直接競合するも

のです。

繊維という言葉が掲

て来ただけで、き

っとみなさん

は、私がカナダ

の繊

維政策に触れるものと期待なさる

のではないかと思

います。繊維製品は、日本

からカナ

への輪出の中

でなお重要な部分を占

めていますが、

自動車、鉄鋼.

エレクト

ロニックスなど日本

からカナ

への輸出が増大

して

いる製品とくらべた場合、

その

地位は相対的に低下

しており、事実、昨年度

は日本

の主要

一五輸入品

目のうち、繊維は総額

一〇

96を

めるにとどまりま

した。

維は、世界貿易

のなかでつねに

〃国際的

に問題〃

の分野

と見なされて

います。こうした状況

のなかで、

カナダ

は現在、

日本と

の間

で幾

つかの貿易制限に関す

る取りきめがあります

が、それはいずれも選択的なも

のです。繊維

の輸入制限措置については、カナダ

の繊

維政策

はきわめて慎重

に、その基準を定めて

います。

つまり、輸入が重大な損害を現に与え

つつあ

るか、あ

いはその脅威がなければならず、か

つある製品にセ

フガ

ードを求める製造業者は合理化計画

によ

って国

際競争

力を

つけることが

できることを実際

に示さ

なけ

ればな

らない、として

います。この合理化計画は、繊

維委員会

に提出しなければならな

いことにな

っていま

す。私たちは広範な製品分野に制限を設けようとした

ことはありません.個

々の製品に

ついては、その必要

がなくなれば制限は解除されます。長期

的な観点から

私たち

は、繊維問題

の解決を、すべての国の市場の秩

序あ

る開放にもとめているのです。そ

の意味で私たち

はガ

ットの努力を支持するものです。

の工業先進諸国は、多年にわたり、

カナダよりず

っときびしい繊維制限策をおし

つけて

います。人口の

でいえば、カナダは、EEC、または英国

一〇

倍、

アメリカ合衆

の二倍、

スエーデ

ンの三倍もの繊

維製品を日本から輸入しています。金額

でいえば、わ

か人

口二千万のカナダが

二億人の市場

である全EC

にほぼ匹敵するほどのものを日本から輸

入し

いる

のです。

ほんのわず

かの品日を除

いて、

口本

の商品の

ほとんどは制限を受けることなくカナダ

に入

っていま

す。し

かも、これらの商

品は、

たいて

いの

合、

接、

カナダ

の製品と競合

しているのです

ひるがえって私たちは、カナダにおける目本

の商品

がそう

であるように、日本で私たちの製

品と目本

の製

品が競争する機会をできるだけ多く持

ちた

いと望んで

います。さきほど市場

への道-

貿易条件

の面でより

い均衡が望ましいと申

し上げたのもそ

の意味であり

ます。

日本

はカナダ

から銅、

ニッケル、鉄をす

べて鉱石と

精鉱

として買

って

います。また、木材、木材パルプを

って

います。しかし、目本はカナダ

の工業製品は買

わな

い。最終製品

の日本

への輸出はわず

かに三%にす

せん。日本とカナダは親しい間柄

です

ので卒直に

いわせていただければ、

この状態は満足なものではあ

(5)

Page 6: 昭和47年3月10日 第25号 権 う 彎“ 者 わ 出 適 連 け …...昭和47年3月10日 第25号 ゆ チ ぶ ゆ ぐ げ ぷ マ コ ぴ や お ヤ が み セ ド ヤ ビ

昭和47年3月10日 第25号

りません。以下、

この問題に

ついて短期的、長期

的な

からふえんして説明した

いと思

います。

貿易と経済的な目的

カナダ

も日本も困難な時期

を経験しつつあります。

両国

とも経済は停滞しており、

日本では、このことが

成長率

の低

下をもたらし、カナダ

では高

い失業率

とな

ってあらわれています。

カナダ

が先進工業国の中

で労

働力

の伸

びがも

っとも高

いと

いう事実は状況をさ

らに

悪化させて

います。

この急速に増えている労働人

口に

仕事を与えるためには製造業部門

の拡大を図る必要が

あります。しかし単に、

一時的

な景気の停滞から.の回

復と雇用率を高めることだけではことたりません。

カナダ

も日本も含めて各国

とも、ますます大き

な責

務を負うよう

にな

って来

ており、その結果として、ま

すます大

きな経済的、社会的、政治的な日的を持

つよ

うにな

って

います。カナダは新

しい意欲-高度

に進

だ、成熟した経済体制を

つく

りあげることを決意

して

います。

これには経済的

にいく

つかの+分な理由があ

ります。

つまり、私たちはカナダ

の国内全域にわた

て雇用機会を必要としています。また商晶市場

におけ

る急激な変動

に対する

ヘッジを

必要としています。ま

たすば

らし

い若も

のたち

にもその能力の発揮出来

る機

会を与えることが必要です。さ

らにはまた、急速

に拡

大を

つづける国際的な経済活動の諸分野-

高度

の技

術産業

に参加することも必要

です。

この点、日本

のみ

なさんにはおわかり

いただけ

るも

のと信じます。

私たちは、私たちの得手

の分野

で生産を行な

い、

門化して行きたいと思

って

います。この意味でわが国

マーケ

ットを求めているのです。わが国の工業

原料

にと

っての

マ!ケ

ットだけではなく、製品のため

の市

場、

アメリカ合衆国だけではなく、海外

にお

場、わが国

はそれを必要として

います。

こうした市場

として.当然

わが国は日本に期待しています。賞

賛に

値する目本

〃経済的な奇蹟〃は大きく

て富

んだ国内

市場を生みだしましたが、しかし私たちは原料と食料

品を除

いて、そこに入りこむ

ことは

できま

た。さきにも述べたように、最終製品

の鬥本

への輪出

は総額

の三%以下にすぎません。

これは、

わが国

の他

の市揚におけ

る実績と比較しても非常に悪い。たとえ

ば、

アメリカ合衆国

への輸出

の場合、最終製品は総輸

の約

四五%、

フィリピ

ンの場A卩、工業製品はわが国

の輸出

の六〇96以上をしめて

いるのです。

日本市場

への道

私たちは、国内

の広がり、気侠、天然資源の開

発と

いった諸問題を解決する過程

で、

一連

の独自

の技

術と

製品を生み出してきました。

わが国が目本

で競争

に耐

えうる製品を持たないわけではありません。ただ、日

本市揚

には

いりこめなか

っただけな

のです。それはな

ぜか?

それには

いく

つかの理由があ

るでしょう。

われ

われ

が誤ま

って

いたのか、あなたたちが間違

って

か。それともその両方か。昨年

の夏、カナダを訪

れた

日本

の経済使節団の藤野三菱商事社長が旨われた

よう

にわが

国のビジネ

スマンたちの努力が十分でなか

った

からな

のかもしれません。彼は、カナダ

のビジネ

スマ

ンは市場開拓

にも

っと積極的にならなけれ

い。そして日本

の商慣習、消費者

の好みにより密着す

べきだと言

いました。また、田中通産相も昨年九

月の

ロントでの日加閣僚会議

で同じようなことを語

りま

した。私たちはそこに多くの真実が含まれているかも

しれないことを認めるものです。そしてこんど、

この

ように多数

の経済人を含む使節団が日本に派遣される

ことにな

った理由もそこにあります。

しかしまた、

われわれが日本に工業製品を売りこむ

ことが

でき

なか

ったのは他にも理由があるど私は考

ます。とくに私は、日本

の輸入規則

と輸入手続

がカナ

ダからの輸出

の機会を制約すると

いう面で重大な影響

を与えて

いると思う。もちろん、私たちは日本が直接

的な輸入制限をとりはずし、努力していることを認め

ていますし、さらにいっそうの前進を期待もして

いま

す。しかしわれわれの観点からすれば、なすべきこと

はまだたくさん残

っている。たとえば、多くの輸

入品

は、もう直接

的な数量制限をうけ

ることはないけれど

も、個

々の輸

入取り引きにお

いては、

いまだに輸入許

可証、ある

いは行政上の認可が必要

です。私どもはま

た、カナダ

にと

って関心のある多く

の輸

入品が自由化

されたことを認めます。しかし同時に関税率が高くな

っていることも認めないわけには

いきません。また、

カナダにと

ってより関心の深

い他

の幾

つかはいまだに

数量制限をうけているのです。私たちはこれらの問題

について、今

週中に田中通産相

や他

の閣僚たちと意

を交換した

いと望んでいます。また、使節団

のなか

経済人たちは、

日本産業界の代表と討議をかわす

こと

にな

っています。こうした意見交換や討議が相互

の見

解について

の理解を深める上でき

わめて有益なも

のと

なるであろう

ことを私は確信して

います。

日加両貿易国の問の協力関係

カナダ

も日本も、ともに主要な貿易国であります。

そして両国

の間

には当然協力分野があります。たとえ

ば、技術

の分野においても、

二国間協力

によ

って得

(6)

Page 7: 昭和47年3月10日 第25号 権 う 彎“ 者 わ 出 適 連 け …...昭和47年3月10日 第25号 ゆ チ ぶ ゆ ぐ げ ぷ マ コ ぴ や お ヤ が み セ ド ヤ ビ

昭和47年3月10日 第25号

ところ大

なるものがあります。専実

、昨年九月の日加

閣僚会議で、カナダが

一九七

二年に科学技術使節団を

日本に派遣す

ることで意見が

一致しました。現在、

の計画は着

々と進行しております。

外国投資もまた、多く

の機会を持

っています。日本

からの投資をカナダ

は喜んで受け入れます。とくにそ

の投資が新

しい事業をおこすため

のものならなおさら

であります。ご存知かもしれませんが、カナダ

での外

国投資

の問題は政府による検討が行

なわれています。

政策として

の発表はまだ行なわれ

ておりませんが、そ

れが外国投資

の制限を日的とするも

のではなく、むし

ろカナダ経済

への還元寄与を最大限にすることを口的

とするも

のとなるだろう、そうお考

えいただいて結構

だと思

います。カナダは口本に

いく

つかの直接投資を

しています。私は目本が外国投資

の制限撤廃で前進を

示している

ことに気づ

いています。そして、資本

の交

流によ

って生じる利益を最大

にすることができるよう

に、日本が

この方向をさらに押

しすすめられることを

望むものです。日加両国の間で交流

の望ま

が、もう

ひと

つあります。それは人間の交流、

つまり

観光です。旅行

の口的地とし

て、太平洋と日本をめざ

すカナダ人はふえる

一方であります。そしてまた、休

暇でカナダを訪れる日本入も

ふえる

】方であります。

一九六八年

から

一九七〇年ま

でにカナダを訪れた日本

人の数

は、

=

一〇〇Q人から

ニニ○○○人

へと、ほと

んど倍増

しました。

一九七

一年

はさらにめざまし

い伸

びを示していることでしょう。

私たちは、

エキスポ六七

(モントリオール)と

エキ

スポ七〇

(大阪)を通じて達成

した、人間とアイデ

の交流面

での成功をさらに積

み重ねていかなければな

左からベ パγ通産 相,岩 立企瞬 委員,モ ラン大使

Pません。それ

は卩加両国

のそれぞれの歴

も、

また同時

に太平洋

のパー

トナ!としての日加両国

の関

係の歴史

の上でも大きな瞬間だ

ったのです

。多国

間の関係と

いう面でも、協力

によ

っず、得るところは大

きなものがあります。もし世界貿易が保護貿易

な色彩

を強

めることを許すとすれば、それによ

って失

うも

は遙

かに大きなも

のとなるでし

ょう。日加両国

は、昨

年九月のト

ロントでの日加閣僚会議、さらに近

くはジ

ュネーブ

でのガ

ット会議

で、国際間貿易交渉

の新

ラウ

ンドをめざ

して作業をすす

めていくべきであると

いうことで

一致しています。

この点での見通しは

一年

前には暗

いも

ののようにみえましたが、

いまは変

てきていると考えます。世界貿易と通貨制度に加

えら

れた最近

一連

のドラ

マチ

ックな衝撃は、主要貿易諸

国間に再び、交渉

の席に

つく意志をよみがえらせたよ

うにおも

われます。その意味

で日本

の最近の態度

を私

たちはよろこぶものであります。結論すれば、私

たち

はあらゆる面

でお互いの関係を強化することを切

に望

みます。

そして相亙にと

って利益あるベースで、交流

を進展させ、太平洋をはさんで両国

の関係を深めるこ

とを望みます。また国際間貿易、世界諸国の経済協力

をより

っそう強めるために,日本とともによき

パー

トナーとして働きかけて

いく

ことを切望します。

私た

ちが来

日した理由は、まさにそこにあります。

真野

(東京新聞)

今日、田中通産大臣とお話

なさ

ったそう

ですが、その内容に

ついて、もう

【つは日本

からカナダ

への直接投資に関して、ど

のよう

な分野

産業

への投資を歓迎されるか、具体的な内容を教えて

くださ

い。

カナダ

としては加工品を輸出したいという意向

をも

って

いると

いうような

ことに

ついて田中大

臣と話

したのです。またなんとかカナダとしてはも

っと自由

に日本

に進出

したいという

ことを主張したわけ

です。

それからこれらの目的を逮成す

るためには、ど

のよう

な具体的な方策が可能であ

るかと

いうことに

ついて、

話し合

いました。お互いに実

用的

な観点から何が実際

に協力可能

であるかと

いうような立場で問題を考えよ

うじ

?な

いかということです。ジ

ョイントベ

ンチ

ャー

の機会

の問題とか商社の活用方法、技術分野で

の協

の可能性

ついて、各界にお

いて互いに協力可能

な分

(7)

Page 8: 昭和47年3月10日 第25号 権 う 彎“ 者 わ 出 適 連 け …...昭和47年3月10日 第25号 ゆ チ ぶ ゆ ぐ げ ぷ マ コ ぴ や お ヤ が み セ ド ヤ ビ

昭和4ア年3月10日 第25号

野と

いうものが存在す

るのかを確認していくと

いう形

で話し合

ったわけ

です。

カナダ側としては具体的に、

いく

つかの貝の前

の問題

についてそれを解決していき

いと

いうような希望をも

っているわけです。口本

現在

の輸入規制制度

いうものを明目すぐにでも改善

すると

いうような

ことを私

はのぞんでいません。それ

が不可能なことだと十分承知しています。今

回はより

現実的な観点から何が実際に協力可能

であるかという

ことに

ついて話し合

ったわけです。

新聞記者

の皆さんはご存知だと思

いますが、田中大

臣と

の話しの中で出たことば

ですがカナダ

と日本

の貿

易関係は相互補完的な関係であると

いう

ことを田中大

臣は

いわれたわけです。しかしこれは古

い概念です。

カナダが日本に.原料を提供する.な

いしは半加

工品を

提供する、日本がそれを完全な加工品としてカナダに

おくりかえすという

のが従来の形です。

このような日

とカナダ

の経済関係と

いうも

のは実

はもう古

い考え

とな

っているわけです。われわれとしては、伝統的な

従来

の原料を提供

して日本から製品を入れるというよ

うな

コンプ

レメンタリイと

いうような形

からさらに進

んで、各産業

の部門

の中

でお互いにサプリメ

ンタリイ

な形になりたいと思

っているわけです。

カナダ国内で

もなし得

るような

ことを日本でやる必要

ん。また、日本

で十分

にできることをカナダ

の国内で

やる必要はな

いわけ

です。

このような関係

を今日の両

の新

しい経済関係

にまで高

めていきた

いと思

ってい

ます。

たとえば銅、石炭

の開発部門について

の長期的な契

約と

いうもの、これは歓迎します。それ

からさらにま

たそれらの原料の精製部

門、プ

ロセス関係

野、

そのための工業分

野に

ついても目本

からの投資も

します。いずれ

にしても私が今申し上げ

たような

いμ本とカナダ

の経済関係の自立と

いう線

に沿う

のを歓迎するわけです。

質問

カナダ

の海外

の市揚との関係ですが、

太平洋

地城

の市場と,太西洋

その他

の市場をなが

めた場合、

カナダとしてはどのような重要性

の順位を

つけ

ている

のか。

私個人の考

えですが、カナダとしては選

択権と

いう

ようなものはも

っていな

いと考えます。ど

の市場

も重

要です。われわれは世界中に貿易

の可能性

を拡大

ようとしているわけ

です。太平洋地域、太西

洋地域

アメリカ、これらはとく

にバイタルな地域

です

。とく

に日本とカナダとの関係

は数字

の上からも重要

なもの

にな

っているわけです。さらに太平洋地域

にお

いては

オー

ストラリア、

ニュージーランド、フィリピ

ン、イ

ンド

ネシアなども大

いに可能性をも

って

す。順

位を

つけるというわけ

でなく、

つねに太平洋地域とい

うも

のはわれわれにと

って重要な地域であ

ると思

いま

す。大

久保

(読売新聞)

具体的にどのようなも

のを口

へ輸出しようとして

いるのか、またど

のよう

な分野

に直

接投資をしようとして

いるのか。

た昨年

の夏、中国

にいかれたそうですが、中国市

の将来性に

ついてどう思うか。とくにカナダが中国

から

どのような物資を輸

入できると感

じました

か。

具体的な例

としては、垂直離着陸飛行機

があり

ます。それから飛行機

のパイ

ロットを養成、訓

練する

ため

のシミ

ュレー

ターです。これらを

われわれはも

ているわけです。

これらは日本

の市場

にも

っと比較的

容易に進出し得

るはず

のものですが、何

かの理由で日

本に人

ってきていな

いのです。それはお

そらく目本の

かたがたが日本

の進歩が類似

のものを開発するであろ

うと老

えていたのではな

いかと思

います。

こうした考

え方

は必ずしも目本

にと

っても、カナダ

にと

っても利

益になることではありません。われわれ

の協力

できる

野にお

いては協力さ

せてもらいたいと思

す。多数のカナダ

の会社

が日本に進出

した

いと思

って

います。現在は片面通行

いうことと

いえる

のではな

いかと思

います。

中国は国際的な貿

易国としては大きなも

のにはな

いな

いわけです、貿

易量

ですが……。輪出

と輸入の

総額

ですが、カナダ

から屮国

への輸出額は

ル、輸入額は三百

三十億ド

ルです。日本が

四百億ドル

です

からはるかに規模

は小さいわけです。

ただ入億

口を考えると今後

の可能性は大

いにあ

いま

す。日本は中国を承

認していないのにもかかわらず、

現在良

い貿易関係と

いうも

のをも

っている。それにく

べ、われわれはこ

の国を承認しているわけですから、

っとよりよい関係

となることを期待して

います。

大原

(日経)

カナダは去年

の暮

の多国間通貨調整

後、

ただ

一か国だけ変

動相場制

のままなん

ですが、固

定相場制に移行す

る意

志があるかどうか、あ

るならそ

いつごろになるか。またの拡大ECに

ついてはど

ですか。

固定相揚

の復帰

ですが、これはもし可能性があ

ると

いうことを私が知

っていたとしても、今発言する

わけにはいきません。ち

ょっとこの問題

ついてつけ

えますが、実はカナダ

は七〇年

の五月

に通貨調整を

っているわけで、ほ

かの国がそれを七

一年に行な

(8)

Page 9: 昭和47年3月10日 第25号 権 う 彎“ 者 わ 出 適 連 け …...昭和47年3月10日 第25号 ゆ チ ぶ ゆ ぐ げ ぷ マ コ ぴ や お ヤ が み セ ド ヤ ビ

昭和4ア年3月10目 第25号

というわけです。七〇年

の五月に八%

の切り上げを

っています。

日本と同様にカナダも経済ブ

ロックには属

していま

せん。われわれは、国際的なレベルにお

いて、貿易

自山化という問題に

ついておおいに努力をはら

ってい

ます.世界中に地域ご

との重要性というも

のが、高ま

ないようにと期待

しているわけです。拡大問題です

が、イギリスがこれにはいることによ

って、従来カナ

ダがイギリス国内にも

って

いた輸出市場を失うのでは

いかというような懸念

があります。しかし今

の時点

ではこれに

ついてはだれも何が起きるかと

いう予想

できな

いわけです。あ

る人は楽観的、他

の人は悲観的

です。この拡大が繁栄すれば現在

の多少

ロスという

のもかならずカバーすることもできるのではないか

いうような見方もあ

ります。いずれにしても現時点

ではどんな影響がカナダ

の対

ヨー

ロッパ、対英輸出

られるかということ

は予想できませんが、消費者

心理

の問題にも関係す

るかと思

います。たとえば

カナ

は、チーズをイギ

スに輸出していますが、今後イ

リスがチーズを

ヨー

卩ッパのものにかえるかどうか

わかりません。かた

い小麦も輸出

していますが、こ

から作るパンを

ヨー

ロッパからのやわらか

い小麦

ンにするのか、これもわかりません。タバ

コに

つい

ても従来

のわれわれ

のソフトなバージ

ニアたば

こを彼

らが買

いつづけるのか、

それともかた

いヨー

ロッパ式

の物

を買うのか、これは何ともいえな

いことです。

れにしてもいろいろの品目がイギリ

スの拡大EC加

盟によ

って影響をうけ

ることは事実

です。

カナダと日本とは次

の点

で利害

一致がみられると

います。すなわち貿

の国際的規模

における自由化

いう

ことです。ブ

ロック化

の経済と

いうのはどうし

ても内

向的になるわけ

で閉鎖的な傾向を

つわ

す。カ

ナダとしてはこのような傾向を阻

止す

るた

めに

どうし

てももう

一度世界的な白由化問題

ついての話

いを

おこなう必要があるのではな

いかと考える

わけ

です。先般、日本とカナダとがこの問題

つきまして

見を同じくしたと

いうことは心強

いことだと思

って

おります。

〔通訳

大井

氏)

』o導

冒琴

哨o覧冒通産相

略歴

一九二四年

ケベ

ック州ドラモンドビー

る。オタワ大学

で文学、哲学、法律を学び、パリ政治

で政治学を修める。

一九五九年

オタ

ワ大学政治学部学長

一九六

一年

「マクリーン」弛曜編集長

一九六一一.年

カナダ議会

に初当選

一九六六年

エネ

ルギー鉱山資源大臣

一↓儿亠ハ”八加†

通商省、産盛未小咽蕭凹省卩の↓八所匡油爪務

ゲスト

テー

O

C

ック

ュア

昭和

46年

1月

器口

(火

)

帝国

ホテ

「桜

の間」

(9)

私は再び日本を訪

いたしました

ことに

ついて大変

れしく思

っております。ご承知のよう

に日本は

とく

に私

の大好きな国です

。すでに日本は大

っぱなオ

ンピ

ック国である

ことはいうまでもありません。

九六四年に開催した第

一八回オリンピ

ック

の時にも日

はオリンピ

ック

一等

国であるという

ことを申し上げ

ました。また再び日本

は冬

のオリンピ

ック

一等国に

るも

のと非常に期待

しております。私が

日本を好き

理由は、日本

の文化、とくに日本の歴史、芸術

につ

いて、私は関心をも

っているからです。ご承知

の通り

は自分

の東洋美術

コレクシ

ョンをも

っております

ので、日本にくることはいつも楽しみにし

す。私

は以前から日本

の文化

について大変興味をも

って

ります

一つのそれを示すおもしろ

い例がむかし実現

いたしました。数年前私が日本にまいりました時に、

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昭和47年3月10日 第25号

凵本オリンピ

ック委員会はとくに私

に運動競技設備

か野球の設備とかプールば

かり案内してくれたわけ

いう

ます

ので

、「そ

いう

です

の美

.

い」

いう

な議

った

の時

に梅

.線

らび

に矢

お願

いし

て、

ナ・リ

ンピ

ック委員会の幹部

の方

を博物館、美術館1

おそらくそ

の当時

はじめて博物館に入るような方

たち

でしたがー

に連

れてまいりました。逆に文化人の方

いう

スポ

ツ施

いう

スポ

ツの交

でや

りた

.

昼 食会会場 に入る ブランデ ージ会 長

ンピ

ック

ロー

の中

スポ

ロー

いる

一度

に想

と思

ワた

.

一九

の東

ンピ

ック

の時

、大

っぱ

ュア

・プ

ログ

いま

の能

西

で非

ログ

ムが

の法

て、

や重

に持

ち出

こと

で、

日本

る立

のを

る以

は今

お口

る招

とを

弓て

(報

)

いう

ック委

ッて、

っと

も大

な存

いる

って

ンピ

リ、ケ

い行

いは

ンピ

ック

いう

二分

に伝

ンピ

ッ〃運

も非

いな

いと思

いま

は今

ンピ

ック

の運

いう

のは

っと

もカ

のあ

の基

シプ

(原

)

は、

〃差

い〃

であ

に青

少年

広13

に寄

.題

っさ

いな

とが

ンピ

の大

い巣

一つ

ンピ

ック

の.源

じ条

つか

いう

と思

の競

であ

いう

ンピ

クでも

っとも大事なことだと思

います。現在世界

で問

題が起きて

いるというのは、ど

っちかというと

ェア

レイが行な

われていない、あ

いはグ

ッド

・スポー

ツマンシップと

いうものが守

られ

ていない、と

いう

とから起き

てきていると信じて

います。

近代オリ

ンピ

ックの復活と創立者

の考えは、ただた

だ競技者が優勝してメダ

ルをも

らう

ことだ

く、も

っとそう

いうような精神面が強調さ

で、そ

の強調された高

い水準

の原則というものが、た

スポー

ツだけではなく人間

の社会生活、政治、経済

にも影響す

るも

のを理想とした

ので復活されたわけ

す。オ

リンピ

リ、クの中で、い

つも問題

になるのはア

マチ

¶冖アリズ

ムと

いうものと

マテリ

アuズムと

の対

す.アマチ

ュアリズムというも

のはあくまで競技者

そのスポー

ツに関心をもち、自分

を、も

冖とよくする

ために努力す

ることによ

って満足感を感じ

す.物質

的なも

のというも

のは、ただただ・目分

の参加

るものによ

って金をもらうと

いうことで、

スポー

ということよりも仕事と

いう

ことになるわけノ.・す。私

の個人的な観・察ですが、口本

が戦後

これだー1経済

的に

成長した理由

は、やはりオリ

ンピ

ックの思想と

7リ

シブルというも

のが臼本に浸透

したからだという

ふう

に感じます。

そういうようなも

のがやはりH[本

の戦後

の経済復

興に大変役にた

ったと

いうことが私の個

人的

な観察

です。

そこで現在

の問題に話をう

つします。きたる十

一回

久、期

オリ

ンピ

ック大会は札幌

で予定通り開催

いた

しま

す。しかし10Cとしての義務

は、あくまでオリ

ンピ

ックル…ルに従

ったもので開催

しなければ

(10)

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昭和47年3月10日 第25号

ん。オリンピ

ックの中には

いろ

いろなルールがありま

すが、とくに贅格

の問題があります。

これは厳重に守

ってもらわなければならな

いと思

います。このルール

は、あくまで

スポーツを

スポーツと

してそれに参加す

る、あるいは興味、楽しむための選手を守るためのコ

ードであり、

スポーツをビジネ

スに利用する入間を除

外するための

コードであると思

っております。ご承知

の通りこのア

マチ

ュア問題に

つきましてはもう過去数

年間論議されてま

いりました。私

からみれば非常

に簡

単な問題だと思

います。

アマチ

ュア

。スポーツマンと

いうのは二種類しかな

い。

冖つは先程申し

り、

スポーツに参加することによ

って感激をうけ、努

力する入、すなわち自分をよくするために参

人。もう

一つは金をもら

ってのスポー

ツに闃心をも

人。

スポーツではなくてエンタテイメ

ントだと感

じて

おります。残念ながら、

この二通り

のスポ

が、世界

の目で同じく扱われ

ていると

いう

ことが過去

から起きてきて

いる問題

の原因だと思

います。私

はむ

しろ経済的理由

スポー

ツに参加す

るも

のはスポー

欄ではなく、芸能あるいはほかの欄

でとりあげ

ていく

ものだと考えております。

われわれは現在、物質的な世界

に存在す

す。オリンピ

ック運動は、精神的

なムーブ

す。オリ

ンピ

ックは年

々成功す

ることによ

っていろい

ろとペナルティが課せられます。

ペナルティと

いう

は成功がもたらす悩みであり、それが成功すればす

ほど、政治的干渉、商業主義からく

る圧力が年

々ふえ

てまいります。われわれ10Cとしましては、こう

うものに対

して、あくまでがんば

る気持をも

っており

ます。でき

るだけオリンピ

ックを

きれ

いなものにし、

また純粋なも

のにし、オリンピ

ックが世界からうける

尊敬

を大事にした

いと思

います。ぜひ皆さんのご協力

と援

助によ

って、

オリンピ

ックの思想、あるいは理念

というものを守

りたいということをお願

いしてごあ

つにかえた

いと思

います。

質問

日FISの代表が札幌

で行

った発言-

組織委員会

に対

してスイスの代表が、

スキー用具

ある

いは選手

ユニフォームに広告

のようなものがあ

った

場合

は厳重に扱

ってもらいたいと

いう意見ー

つい

て、

コメントしていただきたい。

オリンピ

ックの規則ではオリ

ンピ

ックを開催

る競技施設には何らそういう広告、宣伝は書けないと

いう

ルールにな

っております。それをさらに、前

オリ

ンピ

ック

の時

に、競技場のみならず、参加

する競

技者

のも

って

いる用具、

ユニフォー

ムにも広告

をのせ

ないというように拡大

いたしました。

われわれは競技

者が自分の名前、または写真を、そう

いう商業

的広告

に掲載

し、あ

るいは利用させると

いう

ことは、す

でに

その時点にお

いて業者

のエージ

ェントであると解

釈し

ております。したが

ってこう

いう

ような競技者

を、オ

リンピ

ックに参加させるという

ことはオリンピ

ックの

権威

をおとすも

のであ

ってわれわれとしては厳重

に扱

いた

いと思

っております。

は立ち場をかえまして、新聞社

ならびにテ

レビ関

係者

も違う立ち場

で注目すべきだと思

います。競

技者

が、自分の

ユニフォームその他に業者

のマー

け、宣伝をす

るということは、

これはテレビ、雑

誌、

新聞がただ

の広告を出してや

って

いると

いうことにな

るので、違

う立ち場で皆さんも関

心をも

つべき

だと思

います。

質問

オー

ストリアチー

ムが今

日メンバーを発表し

たが、

この中

にシ

三7!ツを登録す

ると発表していま

す。これに

ついて

コメントをお願

いします。

皆さ

んす

でにこの問題

ついての私

の意見はお

わかりだと思

いますが、今

の質問に対

しては、近く委

員会が開かれ

るまでは私

のコメ

ントは

一応遠慮させて

いただきます。

質問

最近とみに10Cは批判され、何か現実.とか

けはなれ

ていると

いうような批判をよく関きます。と

くにフィンラ

ンドのケ

コネ

ン氏が最近10Cについて

の意見を発表

しておりますが、

それ

つい

のご

見.あるいは10Cとしては、将来改革

していくと

う考え方をおもちかどうか伺

いた

い。

その意

見は私には直接伝

えられてお

が、あるIOCメンバーにはそ

の意見が伝えられて

ると聞

いております。私はその意

見に

ついて申し上げ

れば、現在

までオリンピ

ックが成功

してきたのはそ

ユニークな形、

ユニークな方法

によ

ってオリンピ

ック

というものがIOCを中心として成立してきたから

す。なぜならば

10Cメンバーと

いう

のは、そのスポ

ーツあるいはその国の代表として10C

のメンバーに

はな

っておりません。10Cメンバーはその国におけ

るオリンピ

ックムーブメントを守り、推進する役員

任命されております。したが

って10Cメンバーは、

オリンピック委員会にくる時

は、何

かをかちと

って帰

るためにく

るんではなく、

いかにして与えるかと

いう

態度が10Cメンバーとして義務づけられ

す。その10Cの現在までの形を他

の世界的な団体と

比較するならば

いかに違う

か、

いかに清潔かと

いう

とがおわかり

いただけると思

います。そ

の辺の判断

(U)

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昭和47年3月10日 第25号

皆さんにおまかせいたします。

質問

オリンピ

ックにおける商業主義と

いうも

のに

関連し

てのブランデージさんの批判は、国家選手につ

いても同

じであるかどうか。

ステートアマまたはスポーツ奨学金

の問題はほ

とんど同

じ問題として考

えられると思

います。当然

いうも

のが存在するならばオリンピック

レギ

ュレー

ョンに相反するも

のだと思

います。

このステートア

マの問題は最近起きた問題

ではなく戦前か

れ、あ

るいは論じられてきた問題です。われわれは現

これに対するはっきりした違反の証拠をも

っており

ません。したが

ってわれわれはその問題とされ

ている

国のNOCに対しこの問題を研究してもら

っているわ

けです。

このNOCの保証

のもとにわれわれがそれを

解釈して

いるわけです。奨学金

の問題

でも各国によ

ていろんな種類

の奨学金があります

ので、

っきり証

拠を

つかむと

いう

ことはな

かなかむずかし

いと思

い求

す。質

会社の従業員

で、ほとんど

スポー

ツに従事し

ているー

会社そのも

のがそ

のスポー

ツとは別

の立ち

場でも1

人間も同じあ

つかいをうけるか、

また今度

のオリ

ンピ

ックの時に違

反者

として取り扱

われ

るかど

か。

会社

の従業員と

いうよりも競技者が

その勤

めて

いる会社

の製品、あるいは名前

のついたも

のを着、

けると

いう

のでは違反だと思

います。違反したからと

いってすぐ今度のオリ

ンピ

ックから除名す

ると

いうこ

とは私

はやりません。しかるべき委員会

の方

で検討し

てそ

の問題をとり上げ

ることにな

っております。

三輪

(NHK)

資格委員会というのは、ブ

ランデ

ージ

会長もその委員のお

】人でしょうか、ある

いは何

らか

の勧告的な意見を委員

会にお出しになる

のかどう

か。

それからシ

ュランツ選

手はじめ、容疑

のも

たれて

いる選手が相当大勢札幌

にく

るんじマないかと思われ

いるんですが、それに関連

して、札幌

オリ

ンピ

ック

の中

のスキー種目をはず

して世界選手権

にす

ると

いう

お考

えがあ

ったと伝えられ

ていますが、今なお

そう

ことを考えておられるのかどうか。

私は資格審査委員会

のメンバーではあり

ません

が、

10C会長としてす

べての委員会に関係は

ありま

す。

私が今さら

コミッシ

ョンに対して意見を申

し上げ

るま

でもなく、

コミッシ

ョンのみならず10C

ンバ

ー全

員が私

のこの問題に

ついての意見を十分わ

って

いると思

います。

質問

10C憲章

の第

二十六条

に、競技者が個人的

に広告

に利用されてはならな

いという規定があ

ります

が、個人的という冒葉には特別

の意味がある

のでし

か。

これは個人的でなければ良

いというふう

にとれ

るのか、見解をお伺

いした

いと思

います。

例を上げてお答

いた

しますが、もしかりに日

のオリンピック委員会があ

るスポーツのチー

ムのた

めに

冖種類

の用具ある

いは道具を使

った場合、

その業

者が、オリンピックチー

ムはわれわれの道具を

使

った

と言う

ことに

ついては、何ら問題はな

いと思

います。

ただそ

の中

一人の競技者が自分

の名前、また

は写真

を、

の業者

の製品を宣伝する意味

で使わせる

いう

こと

は問題になる。

その意味

で個人的な意

味が出

てき

いるわけです。個人

の場A口と団体

の場合とを

っき

りわけるために、個

人と

いう言葉を使か

ったわけ

です。

質問

たとえば.

フラ

ンスのスキーチー

ムが、

フラ

ンスのあるメーカー

のスキーを使

って世界選手権

に勝

った場合

に、そのメー

カーが

フランスのスキー

チーム

はわれわれのスキー用具

を使

って優勝した、

と宣伝し

ても問題

にはならな

いのですか。

そういうケー

スは、今までなかったと思

います

が、

とくに選手なり、写真なりを使わなければ

そう

う言葉を

つかうという

ことに対しては別に問題

はない

と思

います。でもケー

スによ

って違

います

ので、今は

っき

りはお答えできません。

羽仁

(ジ

ャパン

・タイムズ)

先ほど

のNHK

の方

の第

二の質問にお答え

いただ

いてないので、それにお

答え

いただきたい。

つぎ

に日本側

の主催者とし

ては、

札幌

オリ

ンピ

ックを成功させた

いというのが強

い願

だと思

いますが、ア

マチ

ュア問題で、たとえば

スキー

種目がはずされるとなれば成功は得られなくなる、

マチ

ュアリズムの純粋性とオリ

ンピック大会

の成功と

いう

のは双方とも先程

から会長が

いわれるオリ

ンピッ

クムーブ

メントの役に立

つことだと思

いますけれども

の二つの関係をどう

いうふうに考えておられる

か。答

私はこの際厳重に10Cのルールを守

らなけれ

ば、将来オリンピック

ムーブメントならびにオリンピ

ック大

会が非常な重大影響をうけると思

います。十

回目

の札幌大会は、もち

ろん

スキーもそう

ですが、す

べて

スケジ

ュール通りに開催

されることにな

っており

ます。ただ厳重にルー

ルを守

るということに

ついては

私は先程申

し上げた通り実行

したいと思

います。も

違反者

と称する者があ

るならば

ルールに従

ってあ

つか

いた

いと思

います。これは新

しい問題ではなく過去に

いてそう

いうような違反者

に対して各方面

から十分

(12)

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昭和47年3月10日 第25号

警告しております.八年前

のインスブ

ルグ大会からこ

のスキー問題は表面に出ております

ので、多少しわよ

せがどこかに出てもやむを得な

いと思

います。

伊藤

(東京新聞)

資格審査委員会は何を基準に行

”上海

ころ

”を

クラブ

口の会員懇親会に顔を出

したところ、入口でい

きなり

「ヤア」と声をかけられた

ので、見

「ると共同

通信編集局長の渡辺孟次さんであ

った、私も

「ご無

沙汰……。今

目は犬養社会部長が襲

われて……」と

話しているうちに、人生

のフイルムがあ

て、上海時代

のことが思

い出されてきた.

日米の風.雲が急を告げている昭和十六

に、大毎、東口特派員

(上海支局員)として赴任、

ホンキ

ユウの呉淞路と海寧路

の角

にある支局で田知

花信量支局長にあ

いさ

つ。

仕事は華字紙を読んで

ニュー

スを拾

い大陸版に書

稿を、そして総領事館、海軍武官府など

の定例会見

に出ていた。

この帰途によく日本記者

クラブに立寄

り、

コーヒ!を飲んだり、将棋をしたり、または雑

談をした。それで同二十九年秋、超党派

の訪中議員

なわれるのでし

ょう

か。また10C及び資格審査委員

では違反したとみられる選手の明確な証拠を

おもち

なのかどうか。

この間題

つきましては10Cには大変

ハン

に同

行して

(戦後初

の中国特派員)懐

の大陸に

った際に、上海

では、

一緒の共同

の島

田好衛君と

ともに、昔

の総領事館、

「大毎」

「同盟」

の支局、

の下裕、日本記者

クラブ:…・などを訪

ねてみた。

旧の情が新

たなも

のがあ

ったことは

いうまでもな

。こんな感慨

にふけ

ったとき、その前方

の椅

は、や

はり上海に

いた凵本テレビの川石立

一郎さんが

ニヤ

ニヤしていた。

あのとき

のマスコミの人々は今

こで……。渡

辺さ

んもであるが、総領

事館

の経済

担当

であ

った冉弥益領

事や興亜院

の落合

に、よく鋭

い質問を

していた中外商業

の斎藤栄

三郎

んが

いた

っけ。それに戦後お会

いして

いな

「朝

日」

の頼団斉、

「読売」

の三浦蕉雄

「同盟」

の松方

三郎……らの各支局長。

こんなことを考

えると、私

は時

の経過を

いやと

いう

ほど感じる昨今

である。

(毎日新関∵

投書室長)

.

ィキャップがあ

ると思

います。

ご承知の通リオリ

ックに参加す

る競技者は何千人も

いるということで

あります。したが

って10C自体

いたしましては十

]人

一人

の選手に

ついて掌握

することが困難であ

ります.したが

って10Cと

いたしましてはあくまで

各国

の良心に依存しなければならな

い立ち場にありま

す。今現在

10Cの中

では百三十

か国

のNOCが認

られておりますが、この百三十か国

のNOCは違う管

理、違うしき

たり、違う言葉と

いうも

のによ

って意見

ある

いは物

の解

釈はまちまちであ

りました。10Cは

なるべくこれを同じような解釈に統

一す

べく努力して

いりましたがなかなかむずかし

い問題です。現在1

0Cの事務局

では違反者と称され

てる人間については

いろいろと資料

を集

めております。また必要に応じて

各国

のNOCに対

して調査を依頼

したり、インフォメ

シコンを求

めております。したが

って今後の資格審

査委員会はこう

いうものをその他

の惰勢、情報を基準

として、どう

いう

ふうにあ

つかう

かと

いうことを決

なければならな

いと思

います。も

っと早く資格審査委

員会を開催すべきだとの意見もず

い分

ありましたが、

ご承知

の通り誰が出場するかと

いう

ことはまぎわまで

わからないことです

ので、今まで開催出来なかったわ

であります。

}話曙

頃『口5』隅鴨

会長

略歴

一八八七年

生まれ

イリノイ大学卒。学生時代から万能選手として活躍、

一九

一二年以来

10C会長

(13)

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第25号昭和4ア年3月10目

スト

水田三喜男大蔵大臣

卆価調整後の予算編成

この間、国会

の沖繩問題特別委員会で

「円の切

り上

については頭の片すみにもないとい

っていなが

ら、

二、三か月た

ったらすぐに円

の切り上げ問題がお

たのはどう

いう

ことだ」

という質問に対して、福

田さ

んは大蔵大

臣というも

のは公定歩合と為替平価

の問題

ついては、うそを言える特権をも

っているのだ、だ

から私

はうそを

いっていた

ので本当は片すみど

ころで

はなく、頭

の真中にこの問題があ

った、と

いう答弁を

しましたが、

これはどうも私

からみて本当かうそかち

ょっとわかりません。

は七月福田外相のあとをうけて事務引

つぎ

しましたが、あの時の政府内

のふん囲気はあまり円

り上げ

は考

えていな

いと

いうか、頭の中

た、と

いう

のが本当ではなか

ったかと私は今考えて

ます。当

の政府の方針としては、何とかしてこ

こで

対外均衡

をとりもどしたい、

それにはやはり春

に決

た八項目を早く実行することだ。早く実行して

一昨年

の不景気を克服すれば日本

の輸入もふえて今

のよう

な異常な黒字

の累積というような

一時的な現象

はなく

なる。だから不況を克服して自由化を進めるため

の思

47年

-月

26

(水)

帝国

ホテ

「菊

の間

いき

った措置を

とれば、円

の切り上げ問題まで

いかな

くても

ことがすむというのがだいた

いの政府

の方

針だ

ったと思

います。私も

一応就任してからいろいろ

この

問題の相談をした結果、やはりその方針で

いく

つもり

でおりました。もしこれが失敗したら日本

く、国

際的な調整問題がお

こると

いうこと

て、八項目

の実行を急

いだわけ

です。しかし、す

ぐそ

の後にきた八月十五日のニクソン声明に出あ

い、

万事

おわり。あの声明が出

てからはもう通貨

の調整を

さけ

る方法

というも

のは目本だけ

でなく世界各国とも

にな

くな

ったと

いう

ことです。ご承知

のようにド

ルは金と

かえず、また米国に輸入されるも

のについては全

部十

パーセントの課徴金を

かけ

ると

いうことは、ガ

ットの

精神を蹂躪するものであるし、

IMF体制

の根底

を崩

すも

のです

ので、これはもう国際通貨にと

っては致

的な危

機でして、あ

のような混乱が起こった

のは当然

であ

ったかと思

います。

各国とも変動為替相場に移りましたが、しかし

二十

年以上も固定相場制

のもとで安全な取り引きをし

て着

に国

際経済を確立してきた各国としては、非常

に不

便なこと

で、先行きに対す

る不安、足踏みなどがお

って、

このままで進んだら国際経済

の縮小

へ突入す

よりほかし

ょうがないと

いう事態

に立ちいたり、

ここ

でご承知

の十か国蔵相会議と

いう

ものが開かれ

ること

にな

った

わけです。

ロンド

ンから始めて、ワシント

ン、

ロー

マ、

ワシン

ンと四回

の会議を重ねたのですが、

この時私どもが

いちば

ん苦心した問題は、平素緊密に各国と付き合

て情報

の交

換もしているのですが、実際には各国間

経済的な交

渉、付き合

いというものがなく、それが非

常な障害

になりました。

これは今

の外交機構の問題にふれることですが、経

済外交が重要だとかなんとか

いわれていても、実

際問

題として経済

外交を推進す

るような機構的な整備が日

本ではまだなされていません。現在

の外務省

の大使館

の構成

では、

とても今後の国際経済

の中で日本

の重く

った地位

にふさわしい活動をす

ることはむず

かし

と思

います。経済に

ついての役

人が入

っていても、

れは大使

の下について行動

しなけ

ればなりませんので

活動が十分

いかない。また上

に立

つ外交官が経済

訓練をあまりうけていな

い人が多

いことからあまり経

の方に関

心はないという

のが、実惰ではないかと思

います。同時

に日本で派遣する参事官はむこう

の参事

官クラ

スとしか会えない。大使

はむこうの外務大

臣と

は会うが、

そのほかの大臣とはな

かなか簡単に会えな

い。したが

って外国

の上

の方

の連中

と常時接触して

ろいろ話

したり、工作をしたりす

る陣容と

が、今

の日本

の外交機関には欠け

ていると

いう

ことが

いえる

のではな

いかと思

います。私どもが十

か国会議

に出て各国

の首脳部に説明す

る時

に、

「それは初

めて

(14)

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昭和47年3月10日 第25号

聞くのだ」

いうようなことがたびたび出てくるとい

うことは、

やはりどこかに欠陥があるのではな

いかと

考えざ

るを得

ません。

いちば

ん苦

心したのは、なぜ口本

の対外不均衡

うも

のがお

っているのかを各国

に理解してもらう

とでした。当時すでに世界

にお

いて、赤字の基礎的不

均衝は米国

にあり、黒字

の基礎

的不均衝は日本にある

というのが通り相場で、日本はどういう国内政.策

をと

ろうとも、何をしようともこのままでは黒字が恒常

に続

いて

いく。したが

って日本

は切り上げの責任を当

然もたなけ

ればならない。場合

によ

ったら世界

で日本

一か国だけ

が切り上げれば良

いのだと

いう意見が横行

する始未

です。

各国が

目本

に求めた切

り上げ幅

は二四パーセント、

少なくとも

二四,ハーセント切り上げでなか

ったら、日

本における対外不均衝というも

のは是正できな

いと

う意見

です

、これに対して私

どもは非常に抵抗しまし

た.異常

な黒字

の累積というも

のは

一時的な現象

で、

凵本がもし不況を克服す

ることができたら、そして国

内の景気が回復すれば国内、需要

がどんどんふえて輸出

圧力も減少

するに違いな

い。同

時に国内の需要が

ふえ

れば日本

は輸入に頼

る国だから、すぐに輸入がふえて

国際収支

の不均衝というのはす

ぐなおるのだと説明

ました。最

後までこれは骨折

った問題です。外国

では

日本の不況

いうものを理解

しづらいようです。

たい不況

で成長率が何パーセントぐらいにおちて

いる

かというと五パーセント。

一九

七〇年

のアメリカの成

長率は○

・六パーセントの

マイナ

ス。アメリカから

ると五パー

セントは高度成長

であ

って不景気と

いう

とにはならな

い。欧州の諸国にも五パーセント

の経済

成長率をも

って

いる国はな

い。

また失業率はど

のくら

いかと

いうと、

一パーセント。

一パーセントと

いう

は完全雇用が維持されていると

いうことですから、完

全雇用が維

持されている不況とは何

かということにな

り、

またそ

の説明をしなくてはならな

い。

いろんなリサーチセンターが明年度

の日本経済は百

億ド

ルの黒字

になるだろうと

か、経済収支

の黒字は少

なくとも

七〇億ドルをこすと

か、

いろんな統計を発表

して

います

ので、諸外国はこれらの資料を全部も

って

いて

「い

った

い口本はどうす

つもりだ」という

わけ

です。それで私はしかたなく

て、皆さんに悪いのです

「この統計はおかしいから信用

してくれるな、日本

でも皆信用

しな

いことにな

から」と

った

ら、最後

に経企庁

の統計を出

されて

「経企庁も同

じよ

うな

ことを

って

いる.

これは政府統計だ」と

いう始

末。

これにはほとほと困

って

「日本

の経企庁と

いうも

のは、

ここ二十五年間、明年度

の経済予想というも

で当

ったことがただのいっぺんもな

い機関で有名

ので、

これこそは間違

いだ

からどうか理解してほし

い」

という

ことで、口本中

で言われてることはみんな

うそ

にして弁解するぐら

いの骨を折

って、だんだんに

日本

の言うことも

一理あるだろうというような

ことを

各国、IMFの幹部全部とOECDに説明しました。

最後

にOECDの第=冖部会

で、

むこうの考えは撤回

ませんでしたが、しかし、日本

ついては、こう

いう

考え方も

あると、ち

ょっぴり参考

に入れる程度

で認

てくれると

いうことでした。

かしこれが認められてからはだいぶ事態はかわり

ました。

日本に重

い負担をかけすぎるとさらに日本

輸入

は縮少

してしま

い、ますます輸出をふやす

ことに

なるのだ。そうな

ったら国際均衡と

いう

のは今

よりも

っと不健全

なものになる。だからあまり日本

に負担を

かけすぎ

ると、大変な問題がおこるぞという考え方も

各国の間

に少

しず

つ山てきました。そしていちばん最

の国際会議

で出された原案が

日本は

二〇パーセント

という

こと

でした。しかしこれに

ついてまた

いろいろ

議論した結

果、最後は

一八パーセントで、欧

州の諸国

がもう

これ以上はきかなくなりました。

これには植村

さんなどが心配されて欧州

へ行

かれて

「日本

は節度

ある貿易

をする

つもりだ」と

いう

ことを言

ってくれた

のはありが

たか

ったんですが、欧州

からみますと、日本

の主要経

済人が全部そろ

って欧州

へのり込んできた。

いよいよ

アメリカから追

い出された日本商

品が欧州

進出してく

るのだという印象を与えたために、急

にE

C諸国が

かたま

って口本円を三百円以下にしな

いとE

Cはあぶな

い、少なくとも

一八パーセントの切り上げ、

それ以上あ

まくすると欧州が今後苦労すると

いう

こと

で、それ

から先は動かなくな

ってしま

いました。

もう

一つは単に調整の率

だけではなく、欧州と日本

との差をど

のくらいにつけるかと

いうことです。ド

・マルクとの差を五パーセント、それだけの開きを

もたなか

ったら欧州は困ると

いうわけです。

この五パ

ーセントと

いうことについては私はアメリカも

一緒に

組んでいた

のであろうと考えて

います。

それで私

は最後

の会議

の前

の晩

に、まずその問題を

日米だけ

で話

し合

いをしておかなければ、突然本会議

に問題が出

たのではお

っつかな

いと思

いました

ので、

コナリー長官

と非常に長い時間会

って

「アメリカはよ

その国の率

に口出

してくれるな」

「日本とドイツの間

に差が

いく

らなければならな

いと

いう問題にはい

っさ

(15)

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昭和47年3月m日 第25号

い口を出してもらいたくな

い」と

いうことで、この問

の了解を取り

つけ

るのに何時間もかかりました。

それで私はこの点

は安心して翌日の会議に出ました

が、はたしてドイツからそ

の要求が出

てき

で、私は差を

つける理山

がな

いという反論

た。それに対してド

イツ側

はド

イツはす

でに九

・何パ

セントの切り上げをや

った、今同また新たに十三

何パー

セントの切

り上げ

をやるとするとドイ

ツは実質

二四パーセント切

り上げになる。

マルクが

二四パーセ

ントの切り上げをやりながら円が

一八パー

セント以下

の切り上げですむということは均衡を害するというこ

とで、ドイ

ツと目本

の論戦になりました。そこで私は

しかたがありませんのでそれなら言い分が

こちらにも

ある。

一九四九年

にボ

ンドが三〇

・何

パー

セント切り

下げを行な

い、

これに追随してフランが

三八

・九パー

セントと

いう大き

い切り下げをや

った時に、

マルクは

二〇

・六パー

セント

の切

り下げを行な

って

いる。

こん

の調整で二四パー

セントの切り上げ

です

むとするな

ら、すでに二〇パー

セントの切り下げをや

っているの

だから、実質四パー

セントの切り上げ

ではないか。そ

れに比べ日本は三六〇円と

いうものを決

められた時、

でに大き

い切り上げと感じて

いるのだ。あ

の時四二

〇円ぐら

いでよか

ったと思う。それを

三六〇円という

り上げられた

レートで決

められたから、今口まで国

際収支

では苦労

のし

っぱなしで.ホ

ッとした

のはこの

一、

二年な

のだ。だから均衝を害するどころではない

のだということを

いいました。すると

アメリカの次官

が突然た

って

「そんなバカなことがあるか」と口を出

してしま

ったのです。

そんなにつら

いも

のだ

ったなら

こんなに速く世界が脅威を感ずる経済発展をとげられ

るはず

はない、甘

った証拠

じ?な

いかと

いう

ような

種類

の発言をそこでしてしまいました。

これは

アメリ

カの協定違反で

コナリー長官が悪

かったと

いう

ことに

なり

ました。これで

一八パーセントがくず

れて

冖八を

切る交渉が始

まり、欧州各国が全部承知しましたがド

ツは最後まで承知しませんでした。しかし全体が、

この辺で日本

の言う

ことを聞

いておかなければ

、通貨

調整

が失敗

に終

わる。日本によ

って崩

されたら

どうな

るか

わからないという

ところ

へいって、各国が

日本の

いう

とおりにな

ったと

いう

のがだいた

いの真相

です。

そう

でなければ

一六パーセント台にはなりま

せん。と

ます

のは各国

の調整幅を計算す

るために

コンピ

ーターを利用して経常収支

の黒字が

一九

七二年

には各

々ど

の位になるだろう

いう予測を

七〇年、

一年の

傾行

線から出して計算

し、そ

の中で各国ご

とに許容す

べき

余裕、たとえば

日本は、GNPの

一パー

ントを

対外

援助するとい

っております

ので、

その分は当然目

に余裕として残

しておかなければ

いけな

いと

いうわ

です。

こうした方法

で各国別に計算

して黒宇

の多く

ったと

ころを

一番多

い負担率にする。黒字

の少ない

ころはだんだんに負担を軽くすると

いう方式

で調整

幅を

さぐろうと

いう

ようなことが

一般的

でした。

そう

いうものによりますと日本

の負担

いう

ものは

やは

り各国より相当高

い負担率になると

す。

アメリカはも

っと単純な計算をして

いて、

フロー

の実勢が

一ニパー

セント、これは課徴金

つき

の数字

のでもし課徴金を

とるとするなら課徴金を何

パーセ

ントとみるかが問題

で、かりに五パーセ

ントと

みたら

一七と

いうのが常識

で考えられるし、も

っと多くみた

一八~

皿九という

のがあたり前だと

いう

こと

にな

しま

います。妥当な切り上げ率に

ついて各国と日本

の考

え方がちがうと

いうことは当然

です。

ともかく私どもは特

に次のようなことを念頭

におい

て交渉しました。

ニク

ソンシ

ョックによ

って相当

のデ

フレ要因が口本に加わ

って

いる。そして不況

の立ち直

りが

できなくて長び

いている。もし自分たちが通貨調

の会議で不当に高

い切

り上げを承知して帰

ると

いう

ことになると、新たに日本経済に新しいデ

レ要

つけ加えたことになる。それでは大変な

る。そ

でなくすでにある日本の円

の実勢

というも

のを

追認

した程度に、もし

これが終わるという

ことであ

たら、

この通貨調整

は大き

いプラスになる。

これによ

って

一応産業界も落着

いて採算の基礎ができたのだか

ら、それを基礎に必要な設備投資をするという意欲も

でるでしょう。とにかく不況についてこれ

で底入れを

した

ことにな

って、

ピリオドを打てるなら大変なプラ

スとなる。金を

つぎ

こんだだけでは日本

の不況はなか

かなおらない、相当

メンタルな要粟をもちあわせて

いるので、

ここでピリオドを打

つことが不況対策とし

ては

一番大きい効果をも

つ、何としても年末

には妥結

しなけ

れば

いけな

いと考

えて行な

ったわけです。

これ

の是非は神様

でなけ

ればなかなか判断

できな

ことで、私は今にいた

っても、どうも自信をもてな

で心配

しつづけているわけ

です。ただ非常

にありがた

った

ことは株式市場

の混乱もなく、経済界にあまり

波乱がな

いまま新し

いレー

への順応体勢が

できてき

ており、成約もどんどん進

んできて心配された輸出

大き

い落ち込みも防げ

いるという事実です。これに

ってややプラ

スの面

の方が多か

ったと考

えて、せめ

(16)

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昭和47年.3月10日 第25号

てもと思

って

います。これはなかなかむず

かしい問題

でわかりません。

この月曜日にOECDの作業部会で全部

の国が集

ってこの評価をす

るということにな

っています。結

論は無論わかりませんが、各国

の意見を事前にさぐ

てみたところでは、

これに

ついての評価

はやはりでき

ないようです。と申

しますのは通貨調整

の効果という

のは二年ぐら

いたたなければ、本当

のことはわから

ないというのが各国

の考え方です。そ

こで二年ぐら

たてば効果は表われてくるが、それまでには当然

いろ

んなことがありうるということを各国が認

ら、

いわゆる再調整

というようなことは絶対にないと

います。

ここ何年

か、相当の経済界

の変化があ

って

も通貨調整はしば

らく

の閔行なわれな

いと

いうふうに

ってさしつかえな

いと思います。

結局各国

の評価

としては、日本は

二年先ぐらいにな

ったら調整

の効果が

でるだろうが、それまではあまり

でな

いであろう。日本

の国際収支

の黒は当分

つづくだ

ろうというのが各国

の観測のようです。

当然

一時的現象

としてそう

いうことがありうる。同

時にアメリカ経済も

この調整によ

って急

には良くなら

ない。やはり

一、

二年

の間にアメリカは徐

々に立ち直

る方法をとるであろうが、

アメリカ

の赤字

はやはりま

だ、依然として続く

であろう。続

いてもそれは当然

って、この二年間に起きる各国

のいろんな現象は、

いにあまり気にしなくとも良

い。各国が自由経済拡

のための政策を互

いにとりあえば

いいのだというの

がだいたい各国の空気

のようです。したが

ってこの調

整をもとにしてアメリカ経済も徐

々によくなるでし

うし、また各国とも不況

は避けるという立ち楊で国内

政策をとると

いう方向ですので、国際

的な不況

はあり

得な

い。したが

って通貨調整に

ついて

の再調整などと

いうものはあり得

いと思

って良

いのではないかと思

います。

程、率が多

ったか少なか

ワた

かと

いう心配を私

は述

べましたが、もう

一つ申し土げ

ておき

は、

アメリカという国は基軸通貨国だと

いう

す、基軸通貨国

は国際収支を良くす

るとか悪くすると

かの責任はな

いという

のが最初から

のです

が、

これは無理

はな

いと思

います。集た自分の国の通

貨が国際通貨

であ

る以上、赤字が出

ても支払

いに困る

ということはな

いから、そう

いう心配はしたことがな

いし、またそれが当然だという考え

です。ドルが下ろ

うと下るま

いと自

分の国が為替相場をどうこうすると

いう

必要はなく、

よその国が、よそ

の通貨を上げドげ

すれば良

いのだと

いう頭ですから、な

かなか通貨の問

ついては話が

かみあわな

い。

ロンド

ン会議以来、

つねに問題

になりました

ことは

このことな

のです。この考え方が今

の国際通貨を不安

にしている

一番大

い原因なのだから、

ここで

アメリ

カに

まず姿勢

を正すということをやらせなかったら今

後何回通貨調整を行な

っても国際通貨

は安定

しない。

この機会にアメリカにその責任をは

っきり認識

させ、

責任をとるよう保証をとらなければ

いけない。

そのた

めに

はドルの切り上げをやらせなければ

いけな

い。当

然基礎的収支

で赤字

と認定された年には、その国が国

の通貨の価値を下げ

て解決すると

いう

のが今ま

での例

であ

り、IMFでもそれが通常

のやり方にな

っている

のであり、たまたまド

ルが基軸通貨

であると

いうこと

によ

ってそれをさせな

いなら、今後

の国際通貨

の安定

はのぞめな

い。

この際どうしても

いくらかでも

アメリ

カにド

ルを切り下げさせる必要があ

る。そして各国が

それぞれ切り上げを行ない、切り下げと切り上げをか

らませて調整す

ると

いう

ことが必要だとい

す。

これには九か国

の意見が全部

[致しました。だ

い病人は

一人しか

いないのに、

一人

の病人が全然治

療をうけなくて、九人が手術台

の上

に上が

って手術

なければならないと

いう

ことがあるか、と

いうのが各

の気持で、君も手術

しなければわれわれは皆退院す

ると

いうことで,最後はそこまで強く

一致して迫

った

わけ

です。

これはよか

ったんですが、しかし米国は最

後までやらな

いとが

んば

り通しました。しかし通貨

防衛負担金

とからめばや

ることあるべし、と

いう暗示

を初

めて会議でアメリカがしたと

いう

ことになりまし

ので、それ

ではこの調整は可能になると

いう空気が

各国間

でだんだん支配的なものとなりました。そこで

裏である国の中央銀行

の総裁が関係各国をかけまわ

て裏

工作を

し、

こう

いう形でどうだろうと

いって試案

を示

してまわ

った。

その試案にはアメリカが

一枚

から

んでる様子がみえた

ので、各国もその試案を重視

しま

した。

その試案

はアメリカが六パーセント切り下げる

だろうという

ことを土台に、各国

の切り上げ幅を調整

したも

のでしたが、

だいたいアメリカはその

へんだろ

うと早合点

したのが甘

かったのです。六パーセント、

七パーセントを予想

して各国

のお互

いの比率を均衡

とれ

るように事前には

っきりした相談ではな

いが、仲

をとりも

って歩く速中はだ

いたい落付きどころを

つく

ったと

いうことは事実

です。

それで最後

の場面

にのぞみましたと

ころが、

アメリ

カが九パーセント切

り下げると

いうことを提示したわ

(17)

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昭和47年3月10日 第25号

けです。九パーセント切り下げるということは他

の国

が自動的

に九パーセントの切り上げを行なうと

いうこ

とです。欧州諸国の中には九パーセントも自分

の国

通貨が切り上げられるという

ことを夢にも考えて

いな

った国が

二、三ある。そう

いうところはそれは大変

だと

って騒ぎたてて、今ま

でアメリカに対してド

を切り下げ

るべきだと

一番強く主張した国がち

っと

待てと

って、

こんどはド

ル切

り下げを

へらせ、と

う方

へまわ

ってしま

ったから全体が迫力を失な

って

った。

とうとうアメリカはそれならばと、八

・五

パーセントにするといってき

たわけです。

とも

かく各国内の均衡と

いうものは、こんど

の平価

調整

であ

る程度うまく

いったと思

います。とくに日本

はドイ

ツと

の差を五パーセントでなく三パーセントち

ょっと

に縮めたのですから日本

としては若干は良

いと

ころが

ったかもしれません。各国闇の均衡はだ

いた

い良うし

い。ただ皆さんは大幅

切り上げという

ことを

いうよう

ですが、大幅と感

じるのはアメリカが予想さ

れたより

[・五パーセントぐ

い下げすぎ

で、

この分だけ各国平等

に切

り上げにな

っていると

うことです。

こう

いう気持は日本だけ

でなく各国全部同じだ

と思

います。各国ともあれをみて、

これでいいと

いう国は

}つも

い。全蔀

が不満で、最後には不満を互

いにい

ってみても

はじまらないと

いうので、悪ロいう相手が

いので各国が相手国

の資

の生みの親であるそ

れぞ

のコンピ

ューターの悪ロを

いい合う始末。そして、

今回

の調整妥結ということです。

今度

の会談を通じて思

った

ことですが、なかな

か多

国間調整

いうのは口でいう

程簡単ではない。

一か国

反対

しても決まらないという

ことですから、各国

は自

分だけが軽

い負担で、負担をまぬがれようとしてもそ

れは通らな

い、そのかわり特定国を不当にいじめ

ると

いう

ことも

できない。むず

かしいことでは

が、経済が国際化され、

一国

だけがどうこうしよ

うと

しても

それはできな

いのが今

の国際間の実情

です

。私

どもが交渉を行な

っている間

にも、政.党ある

いは財界

の中

から日本は独自に自分だけの率を決

めれば良

い、

人と相談

しなくても日本

は何

パー

セントと

いう独

きめ方を

してひ

っこんでくれば

いいではな

いか、

各国

は通貨主権というも

のをも

っているんだから、

それで

いいじ

ギな

いかという意見が

一部にありました。

単独

切り上げということはも

し不当に低

いところで決

めれ

ば、各国のおもわくは集

甲して為替相場は落

ち着

かな

い。多すぎればよその国が平等に負担してくれて良

ものを

一人で負担すると

いうことになる。何

一つ得

ないことをなんで単独にやらなければならな

いかと

うことで、私たちはがんば

ってあくまで多国間

の調整

を行

ったのですが、今考えてみてこれはや

はり多国

間調整

でいかなければ

いけなか

った問題だと考え

ます

国際交渉

の出発が互

いに負担を軽くしよう

いう考

えから出発して

いるという

いきさ

つからみて、平価

調

整と

いうも

のが非常に犠牲を負

ったと

いう意識、被害

者意

識というも

のが国民

の中にあるようですが、

これ

はまちが

いです。

国からみれば日本

は被害者ではなく加害者

です。

戦争

に負けて戦後

二十何年間外国から助けられた

国が

一番伸び

て、世界

の経済秩序に桃戦し、そして現

状打

の原動力にな

っていると

いうわけです。直接

にはア

メリカの国際収支

の赤宇が国際通貨不安を招来

して

る原因ではあるが、

アメリカの赤字をそこま

でおいこ

んでいる

一方

の責任者は日本

ではな

いか。

アメリカに

対して黒字をかせいでいな

い欧州と、

アメリカから

年三十億ド

ルも黒字をかせ

いでいる日本と

ら、日本

の負担はまだ軽

いのじ

ゃな

いかと

いう

のが国

際的な評価

であると思

います。

そうしますと私たちは円

が切り上げられたのではな

く日本が長

い間苦労して経済力を成長させた結果、国

際秩序を日本

のカにあわせて変

えさせたのだというふ

うに考

えれば、今後

の国際経済

の運営に

ついても日本

の責任と

いうも

のが出

てく

ると思

います。私たちは自

分の国

は貧乏

であるという

ふうに長

い間卑屈になりす

ぎていたようですが。外国

ではど

こもそうは思

って

ません。

通価問題は完全にかたつ

いた

わけ

でなく、まだまだ

でアメリカの残存ド

ルの処理をどうするかという問題

も残

って

います。先般

のサ

ンク

レメンテでも米国側が

非常に親身

で、

こう

いう問題

は全部

日本に連絡し、日

本と相談

していかなければ、国際経済というも

のはう

まく指導

できない。だから日本も受け身ではなくて日

本自身

こう

いう問題に対してどう

いう考えでや

ってい

くか研究

して、自分たちに示してもらいたい。お互い

が相談相手

にな

っていこうではな

いかという提案

まで

出ました。

そうな

ってきますと私は、われわれの頭が少

しまだ

そう

いう国際関係で、ある程度指導的な立場で出て

くには足らな

いところが多

いと思

います。したが

って

大蔵省

の中

にも将来の通貨問題、あるいは為替

の問題

について懇談会

のようなも

のを

つくろうかと思

ってい

(18)

Page 19: 昭和47年3月10日 第25号 権 う 彎“ 者 わ 出 適 連 け …...昭和47年3月10日 第25号 ゆ チ ぶ ゆ ぐ げ ぷ マ コ ぴ や お ヤ が み セ ド ヤ ビ

昭和47年3月10日 第25号

ます。従来

のような考え方

では今後や

っていけな

い。

やはり外交機関というようなも

のに

ついてのあり方も

これから考

えていかなければ

いけないのではな

いかと

います。

いろいろやりた

いことはありますが、

とり

あえず

以上が通貨調整に

ついてのご報告です。

そこで今度は被害者意識

だけではなく、切り上げた

のです

から、切り上げた

こと

によるメリットと

いうも

のがたくさんあります。とく

にわが国は資源輸入型

です

ので、輸入品は全部値

下りで買物は安くな

る。

逆に売

りも

のは高売りにな

ると

いうことですから、

の資源や労力というも

のを無駄に

つかわなく

てす

いう

ことです。

じ円

でも値うちが上が

りますので、海外援助

をす

るにしても活動力が違

ってく

る。いろいろな良

い面が

ろう

と思

いますが、今

で日本国民が生活す

るため

のこのぼう大な主要物資を、

日本が買うために輸出

なければ

いけなかった。従来百

のものを

つく

って売

夕食会のお知ら

ハノイを訪問され、現在

ベトナム問題議

懇話会

の世話人として活躍中

の社会党参議院議員

西村関

一氏を招

いて左記

の要領で夕食会を催

しま

す。出席ご希望

の方は事務

局あて電話でお知

らせ

くださ

い。

日時

3月15日(水

)午

5時30分~7時

30分

日本記者クラブ

会費

二〇〇〇円

し込み締め切リ

3月13日

(月)

なけ

れば

日本は生活できな

ったという

のが、今

円の切

り上げによ

って八十

つくればや

って

いけ

ると

いう

ことにな

ったわけです。

この十五の余力を何

に使

うかと

いう

ことは、

これから国民が決める政治

問題

あり

、社会問題

であり、経済問題であると思

います。

い間

日本人は働きすぎ

ている気もします。休

暇を

ふや

して

一年

の一一.分

の二働

いて三分の

一は骨休

みに

使

おうと

いう

のも

一つの案

でしょう。この余力

あげ

てま

ず国民

の住宅問題に投入

して有効に使おうじ

ゃな

いかと

いう

のも

一つの方法

でしょうし、ある

いは経済

成長

にともな

って生活力が上

って

いかな

一部

の人た

ちに対する社会保障を強化す

ると

いうことに、

この余

力を

使うべきであると

いう

のも方法です。ある

いは開

発途

上国

への援助という

ことによ

って将来

の日本

の伸

びて

いく基礎を築くべきであり、そこ

へこのゆと

りを

使う

べきであるという意見もあ

ろうと思

います

それ

をど

いう比重で、どう

いう

ふうに調整するかと

いう

のが

これから

の政治

一つの課題です。

回は円切り上げ後最初

の予算

でしたので、

そう

う点

一歩を踏み出した

いと

いう気持でこれを編成

ました。何

しろ不況で歳入

が減

っていると

ら、

公共事業費をまかなう

のはほとんど建設公債

でま

かな

い、

一般

の経費は

一般収入

でまかなうと

いう

こと

で予算を編成

しています

ので、

一般歳入の方

の財

源不

足のためになかなか思

いき

った福祉政策

の転換

でき

ない。

ことに社会保障面においては全部四月

一日

から

実施

したら大変な経費

です

ので、

四月

一日から実

施す

るも

のもあり。十月

一日から実施するものもあ

り、

一日から実施するものですと

いうような調節

を行な

って

いますが、これが平年度化したら相当な金額

にな

ろうかと思

います。

たとえば

七十歳以上の老

の診療、入院を無料

にす

ると

いう

ことは今年度の予算

では四百億円ぐら

いしか

いていま

せんが、来年には

一千億円

の国費にな

って

出てくる問題です。

こう

いう芽を各所に出して踏

みき

りだけは

つけてあります。

予算

の方向は決

ったも

の来年度

から

の編成と

いうも

のはむずかし

い問題をか

かえていると思

います。

いずれ

にせよ景気あ

って

のも

のだねですから、社会

保障制度を強

化しようとしてもあるいは祉会資本

の蓄

積を充実さ

せようとしても、

まず不況を克服

しなけれ

いけな

いので不況対策に力を入れています。国債発

行額があ

の程度では駄目だ、

とても不況対策

にはなら

んと

いう意

見もあります

し、

あれでもすでにインフレ

をおこしはしないかと

いう意

見もあり、

いろ

いろ批評

はまちま

ちですが、要するに民問

の設備投資意欲が沈

滞化して

いる時ですから、国が民間

の資金を吸収

し活

してど

んどん仕事をすれば良

いわけです。

民間

からの資金の吸収

の仕方

は、公共債的なも

のが

たくさ

ん全体

の予算

の中、政府機関

の中

にありますの

で、そう

いうものをみんな入

れますと五兆円前後あろ

かと思

います。そして財政投

融資が五兆六千億円と

いうこと

ですからやはり十兆円以上

の民間

の資金が公

経済

に吸収されて、その手で仕事がされると

いうこと

になります

ので、私は相当景気

に対する浮揚力と

いう

のはあ

ると考えます。GNPを

二~三パーセント押

し上げ

る力

はは

っきりと今年

の予算

の中

には加わ

って

いると

いえ

るのではな

いでし

ょうか。

公債を多く出すことは簡単

ですが、今

の政治情勢か

らみて

一度赤字公債を出したら次に余程

のことでなけ

(19)

Page 20: 昭和47年3月10日 第25号 権 う 彎“ 者 わ 出 適 連 け …...昭和47年3月10日 第25号 ゆ チ ぶ ゆ ぐ げ ぷ マ コ ぴ や お ヤ が み セ ド ヤ ビ

昭和47年3月10口,第25号

れば

この公債

の依存率を切ると

いう

ことはできない。

国会というところは金を出すという

ことではいいので

すが切るという

のはなかなかむず

かし

い。

ここで赤字

公債を出して

一度薬を味わ

ったらもうだめ

と考

て、党内からも

三兆円説が出され

いろ

いろ批判されて

いますが、赤字公債は出さない、財

政法

の範囲内

でこ

れを守り、市中消化

の範囲以内

に縮めるということを

ここでや

っておく

ことが来年度から

の問題

に備える大

一つの考慮

であると考えて、

これだけ

はがんばり

したわけです。

稲田

(毎目新聞)

佐藤政権は、池田政権の高度成

長政策

に対して安定成長政策と

いうも

のを唱えて立ち

ったと私は記憶しておりますし、前任者

の福田蔵相

などは、たえずそ

の言葉を口にしてお

った。しかした

とえば木村経企庁長官は、経済成長軽視

まちがいと,

興味深

い講演を、生産性本部主催

のセミナーでや

って

おられる。そこでは

っきり私がお伺

いした

いのは何を

って高度成長と

いい何をも

って安定成長

いう

か。佐藤政権は、池田政権を攻撃す

るのに年率七

・二

%の所得倍増計画を高度成長政策

だと

いった

す。ところが明

らかにたとえば来年度

は見通しははず

れましたが、

一五

・一%とかかげま

した。七

・二の二

倍をこえる

一五

・一%が安定所長政策

で、

・二%は

高度成長政策

であ

った

のか、今後安定成長

とか高度成

長とかいう時

にい

った

いど

の程度

の数字をも

ってその

めどとなす

のかそ

の辺を具体的に説明してくださ

い。

高度成長とか安定成長とかを何パーセントと

う数字

でしめすと

いう

ことはむず

かし

い。経済

の対内

均衝が得られ、対外均衝も得られるような成長形態に

とどめるのが、安定成長だというよりほかに方法

はな

いのではないかと思

います。またわが国と

しては今後

十何パーセントの成長なんてものを望む

い。

それは望んでも不可能だろうと思

います。も

しそ

れだけの成長率

で日本経済が伸びてい

った

と、あと四、五年た

ったら石油の使用量は

二億ト

ンか

ら四億トンになり.

これを運ぶタンカーは

二十万

トン

のタ

ンカーが二千隻以上だというような

ことにならな

ければ、この経済

の対内外均衝と

いうも

のはくずれる

のです。それが今

の世界の資源開発の状態

からみ

て可

か、といったら不可能で、成長は制約

されなければ

いけません。や

はり内外均衝というも

のを中心

に考え

たら今後各国とも成長率というも

のはそんなにも多く

るということはあ

り得ない。もう少

々低

いと

で、各国がバラ

ンスを

とるという

のが本当

の姿

ではな

いかと思

います。池

田さんの時に七ニパー

セント。あ

の時

にこれが多

いか少ないかず

い分議論があ

ったので

すが、今七

・ニパー

セントという数字が不況と

いわれ

る時

に出てきた

のは非常に意味があるような気が

しま

す。

冖度こう

いう大

い不況かなにかがあ

ってこの成

長率が落ちると

いう

ことがないと.安定成長が出

てこ

ない

ので、そう

いう意味からはこんど

の平価調整

は日

本経済にとって将来

のために良

いチ

ャンスではな

たかという気がします。安定成長など

のき

っかけ

は政

治的

にはなかなかな

いと思

い心配して

いた

のですが、

こう

いう機会に無茶な成長率は望まな

いと

いう

ことに

るのが良

いのではな

いかという気がします。

稲田

木村俊夫

の生産性本部主催

のセミナー

での

見解

に基本的にご賛成なわけですか。

今まで日本は伸

ばせば伸びる潜在力

というもの

を実

際にも

っていた

ので、それを伸ばそうとした従来

の政策は、それはそれなりに評価し

てもら

って良

いと

います。目本

のよう

に敗戦で

一度経済力をあそこま

でおとされた国が立

ち直るためには、

十年間やそこら

は外

のものが犠牲

にな

ってもああ

いう成長

一点張りの

政策がとられたと

いう

ことは必要な

ことで、それがあ

ったからこそここ

へき

てはじめて福祉政策

への転換な

どといえるんであ

って、過去

の政策が間違

っていたと

いうふうには私は思

いません。

高野

(東京新閔)

国民は不況

から

の脱出時期に

いて非常に関心をも

っているわけです。景気

の見通し

ついて説明願

いた

いと思

います。

先日、あ

るテレビの番組に出

たと

ころが、余分

なことは

いわなくて良

い、

いつから景

気は良くなりま

か、

一言だけ

ってくださ

いと

いわれてまいったん

ですが、

一言と

いうからしかたなしに十月といいまし

た。十月と科学的に断定できることではな

です

が、十月にでき

るだろうという予想

の中には今年の予

の効果と

いうよりは、去年の四十六年度

の補正予算、

減税、財投

の追加など

の効果が、今、現

にあ

の予算が働

いてる最中ですが、これらが働ら

いていくと今年の

予算がそれをうけて上半期予算

の執行が進むという

ことになります。また四十六年度

の追加予算などの効

果も九月

の未ご

ろには

っきりしてく

るし、その時が今

の落ち込みがとまり、上向きの時

だと

いう気がしま

す。十月じ雫なく秋

としてくださ

い。そ

の頃から上向

いて

いかなか

ったら、

ちょっとわれ

われ

の政策は、予

の編成方針にしても何としても十分

でなか

った、失

ったと

いう

ことにならないとも限りませんから、

としてもそ

の頃までには景気問題

は勝負を

つけなけ

ればならな

いと思

って

います。

(20)

Page 21: 昭和47年3月10日 第25号 権 う 彎“ 者 わ 出 適 連 け …...昭和47年3月10日 第25号 ゆ チ ぶ ゆ ぐ げ ぷ マ コ ぴ や お ヤ が み セ ド ヤ ビ

昭和47年3月10日 第25号

ワ イ ン ・ リ ス ト

(ウ イ ス キ ー)

サ ン ト リー(角)120円

〃(オ ー ノレ ド)15011」

〃(リ ザ ー ブ)200円

ジ ョ ニ ー ・ウ ォ ー カ ー(赤)…350円

ホ ワ イ ト ・ホ ー ス30011」

(ハ イ ボ ー ル)

サ ン ト リ ー(角)140円

ノノ(オ ー ノレ ド)1701「]

ノ!(リ ザ ー ブ)220ド 亅

ジ ョ ニ ー 。ウ ォ ー カ ー(赤)…370F亅

ホ ワ イ ト ・ホ ー ス320円

(ジ ン ・ウ オ ツ カ)

サ ン ト リー95。 ジ ン701【J

〃 ジ ン ラ イ ム120円

ウ ォ ツ カ(ス トロ ワ ヤ)100ド 」

テ キ ー ラ(ヘ ル メ ス)100円

ペ ル モ ッ ト(ガ ン チ ヤ)50円

〃(オ ン ザ ロ ッ ク)…100111

(日本酒)

菊正宗 特級

大 関1級

200円

160円

貸 室 ご 案 内

ク ラ ブ 別 室

クラブ会議室

(ブ ラ ン テ ー)

→'ン ト リ ・一・VSO・ ・

/!VSOP

ヘ ネ シ ー3star…

]20円

240F」

350円

(カ ク テ ル)120円

マ/ハ ッ タ ン ・ マ テ ニ ー

ギ ム レ ッ ト ・ダ イ キ リ ・ ジ ン フ ィ ズ)

(ビ ー ル)

大 ビ ン1601IJ

小 ビ ン100円

黒 ビ 冖 ノレ(小)120円

(ソ フ ト ・ ド リ ン ク)

コ カ ・コ ー ラ60PJ

グ レ ー プ ・ジ ュ ー ス(フ ァ ン タ)60円

オ レ ン ジ ジ ュ ー ス

(バ ヤ リー ス ・ フ ァ ン タ)60円

コ ー ヒ ー50「 『

紅 茶50円

お つ ま み1001リ

ク ッ キ ー100円

コ ー ン ビ ー フ250円

オ イ ル サ ー デ ン200円

トマ ト ジ ュ ー ス50「 り

¥4,000(2時 間)

¥2,000(3時 間)

(21)

Page 22: 昭和47年3月10日 第25号 権 う 彎“ 者 わ 出 適 連 け …...昭和47年3月10日 第25号 ゆ チ ぶ ゆ ぐ げ ぷ マ コ ぴ や お ヤ が み セ ド ヤ ビ

昭和47年3月10目 等25号

一、

日本記者

クラブ

は昭和46年

1月から12月までの

一年

問に

つぎ

のような諸行事を行な

ってきた。行事

の総回

は70回、うち総会、懇親会など

のクラブ記念行事が

5回

(参加者平均11以下同

じロ六〇名)、

昼食会20回

(七〇名)、夕食会7回

(四〇名)、記者会見

19回

(三

五名)、講演会9回

(三五名)、見学会

1回

(七五名)、

映画試写会

9回

(七〇名)で、このほか勉強会

(中国

語)、

趣味

の会

(ゴルフ、囲碁)

などが新

たに活動を

開始

した。また十二月には初

めて大阪

で夕食会を開催

した。

一7ブ

記念行

総会懇親会

夏季会員懇親会

会員討論会

「報道と国益」

新聞週間記念会員懇親会

佐藤

一郎経企庁長官

ロヤノフスキーソ連大使

秦野章

藤山愛

一郎日中議連会長

46年

3月

11

7月

8

10月

20

10月

20

寸イ

64年

1

19

2

19

3

3

3

19日

参加者

四五名

九四名

五〇名

四六名

参加者

記録

八四名

入七名

13号

九〇名

一〇五名.14号

モブツ・コンゴ大統領

李濫駐日韓国大使

々木直日銀総裁

美濃部亮吉東京都知事

竹入義勝公明党委員長

田中角栄通産大臣

宇佐見毅宮内庁長官

マクガバン米民主党

上院議員

木村俊夫経企庁長官

宮本顕治共産党委員長

佐藤栄作総理大臣

リーガン米大統領特使

保利茂自民党幹事長

成田知巳社会党委員長

春日

一幸民社党委員長

柏木雄介大蔵省顧問

レビッシユUNCTAD

初代事務局長

鳩山威

一郎大蔵省事務次官

中島健蔵日中文化交流協会

会長

金煙植朝鮮総連第

一副議長

後藤基夫朝日新聞東京本社

編集局長

木村俊夫経企庁長官

4

8同

雛6

n

7

20

7

27

8

18

9

18

9

20

10

4日

10

8日

10

23日

11月

15日

12

11日

12

20

8月

31

9

7

9

28

11

12日

11

24日

11

26

12

17

六三名

六七名

六二名

四五名…

七〇名

一〇五名

六四名

一 15号

15号

17号

18号

19号〃〃

五二名

20号

五六名

七四名

二〇

一名

四〇名

一名

四三名

三六名

参加者

九〇名

一=

四三名

三四名

五六名

三五名

五九名

23号

21

24

号記録

20号

23

ルフ

・ネーダー弁護士

ソ連海洋観測隊

一行

ュンター西独カルテル庁

長官

ン。ハン

・パ

ニヤ

ラォ

ス外相代理

モイ

ェー

エフ日ソ漁業

交渉団

ソ連団長

ェンドリホフスキー

・ポ

ーラ

ンド外相

ウイ

ヒマン

ニ・、ユン

ヘンオ

ンピ

ック文化部長

ギデ

・ラファエル

・イ

スラ

エル外務次官

アンソ

ニー

・オー

ストラリ

ア副

首相

カリド

・ユネ

スコ特使

ナラ

ヤン

・ガ

ンジー研究所

長スト

ロング国連事務次長

リビ

・ロング

・ガ

ット

事務

局長

ェンク

スーLO事務局長

ボー

エン

・オー

ストラリア

外相

ラザ

・マレーシア首相

国際

不妊学会

アンデ

ィアン・グ

ループ

ッシ

ョン

マクナ

マラ世界銀行総裁

1

13

3

19

4

7

4

9

4月

13

4月

26目

5月

15口

5月

17目

5月

31

6月

16

6月

18

8月

13

9月

23

10月

7

10月

12

10月

14

10月

15

10月

15

11月

16

参加者

一五〇名

二四名

二〇名

二〇名

二五名

五〇名

二〇名

二八名

四〇名

記録

16号

15号

焉号

16号

17号

一五名而

一名

18号

二四名

19号

三五名

二五名

二六名

六〇名

三七名

二四名

七〇名

20号

21号

21号

21号

21

(22)

Page 23: 昭和47年3月10日 第25号 権 う 彎“ 者 わ 出 適 連 け …...昭和47年3月10日 第25号 ゆ チ ぶ ゆ ぐ げ ぷ マ コ ぴ や お ヤ が み セ ド ヤ ビ

昭和47年3月10日 等10号

使館

・ベ

イ博

・イ

ア外務

・ブ

ラウ

ン博

ロジ

・エ

・カ

ワ氏

ット

・オ

スト

ロー

ック、

ッチ

・ト

ラー

ュバ

ァー

。スイ

ス銀

P

・サ

エルソ

ン博

横須賀米海軍基地見学

.題

ケマダの戦い

真剣勝負

日本万国博

戦争と人間

沖総決戦

殺入捜査

.日

2

12

3

15

.

3

26

5

4

5

29

6

7

6

21

]

10

13

μ

10

21

寸イ

5月

12

参加者

四〇名

二入名

三〇名

[七名

三〇名

二五名

二五名

二六名

四五名

記録

21号

15号

18

18

23

21号

16号

参加者

記録

五名

16号

1月

12

-月

25

3

15

0

6

1

0

7月

10

8月

5

参加者

八〇名

六〇名

一七〇名

七〇名

一〇〇名

七〇名

いのちぽうにふろう

沈黙

リア王

9月

7日

10月

23

11月

29

四〇名

五二名

三〇名

一回

(10口)

『日本

記者クラブ会報』

を発行、

会員

にク一フプ行事

の案

内、会議決定事項、会員

異動な

の事務連絡をするほか、記者会見、講演会

の記録を

収録

して会員

の参考

に供

して

いる。そのほか、毎号

紙而

「会員

の声」

「世界

の記者

クラブ」紹介

などを

連載

して会員相互の懇親

の場とな

っている。

46年度は第

11号から第

22号まで12回会報

を発行

したが、第

22号

〔12月

16日発行)に、創刊以来

の総索

引を

添布

した。なお会報

の編集企画は、高橋照

(東

京放

送)、中沢道朋

(読売新聞)、大森建道

(民放連).

浅野修

(新聞協会)

の四会員が担当して

いる。

簿

昭和四十六年二月

一口および三月十

一日現在で会員

名簿

(付、規約、役員名簿)を作成、全会員に配布し

た。

シンボルマー

ク決定

日本

記者クラブ

のシ

ンボル

マークを、5月

に会員社

から

募集。七六点

(八祉、

二十七人)の応募作

の中

から

山下栄

[氏

(神戸新

聞)の作品が

一等に当

選、ク

ラブ

マークに決定

した。

2

同好会活動

3回企画委員会で、会員

の勉強会、趣味

の会を開

催す

ることが決定された

ので、全会員

にアンケートを

行な

って希望をき

いた上、中国語勉強会とゴルフ、囲

の会を秋から開催した。

中国

語勉強会……九月十八口から、毎週月曜六時三

十分

~八時に開講している。講師は院宗燈氏で受

講者

は十名。

ゴルフ同好会……第

一回懇親

コンペを八月

二十日に

相模原ゴルフクラブで開催、参「加者十二名、優勝

には

「原理事長杯」が送られた。

囲碁

の会……十日〃二十

二日から毎週金曜目、午後四

~七時に開かれ、申

し込み者十九名。隔週

に児玉幸子二段を講師として迎え、指

た。業

一、

3回総会

(昭和46年3月11日)

出席社

三三、委任社八三、計

六会員社

の出席を

って成立、昭和45年11~

12月

の決算、

予算報告、事

報告

の後、役員改選を行な

い、新役員を選出

した。

第14回理事会

(昭和46年

1月8日)

3回総会開催

の大綱、別室を試験

的に借用する件

(23)

Page 24: 昭和47年3月10日 第25号 権 う 彎“ 者 わ 出 適 連 け …...昭和47年3月10日 第25号 ゆ チ ぶ ゆ ぐ げ ぷ マ コ ぴ や お ヤ が み セ ド ヤ ビ

昭和47年3月2P日 第25号

(借室料は特別準備積立金から支出)を決定。

第15回理事会

(3月10口)

昭和

45年

11~

12月度決算案、昭和

46年度予算案を承

認、シンボル

マークを募集

の上、制定する

とを

定。

16回理事会

(3月H日)

新理事長に原

四郎理事を再選した後、会員委員会

廃止.企画委員、会報委員

の委嘱をそれぞれ承認。

17回理事会

(4月6日)

本年度

のクラブ運営

について協議。

18回理事会

(6月

10日)

NHKの平野理事から川原止人氏に理事交替

の件を

承認。

19回理事会

(9月17日)

時事通信

の佐藤達郎理事

(旧篠田寛

理事)、

松岡良

明理事

(旧三ツ野真

三郎理事)、松本幸輝久理事(旧

宮崎武理事)

篠田寛、三ツ野真三郎、宮崎武、中山了各理事に替

わり、佐藤達郎、松岡良明、松本幸輝久、石黒英

各会員

の理事就任を承認。

別室

の継続借用を決定。

20回理事会

(11月12目)

会員資格拡大

の件を検討。

21回理事会

(12月21日)

佐藤達郎理事

から藤本有典氏に理事交替

の件、昭和

47年度予算

をそれぞれ承認した後、原理事長

の辞任

の出と、高

田秀

二理事

の理事長代行就任を了承。

5回総務委員会

(昭和46年

2月

9日)

昭和45年11~12月度決算案を了承。

シンボルマーク

募集を決定。

第6回総務委員会

(5月11日)

今年度の委員長

に斎藤栄

一委員を

再選。

第7回総務委員会

(10月8日)

新聞週間記念行

事を決定、会員資格

拡大

の件

議。

第8同総務委員会

(12月10日)

個人会員の入会基準を討議。

企画委員会は定

例的に毎月、月初

めに開かれクラブ

の行事を企画、決定するほか、ゲ

スト選考

の基準

など

についても検討を行な

っている。

(詳細は会報

の記録

参照)

第16回企画委員会

(昭和46年-月11日)

〃17

(

2月9日)

〃18

(

3月

4目)

〃19

(

4月

5日)

横須賀米海軍基

地見学会を決定

趣味の会、語学

(特殊な言語)講習会開催案

に関係

してアンケート

の実施を決定。

第20回企画委員会

(昭和46年5月10日)

'-”

'

2

22

23

24

25

ノ〃〃〃〃

(((((

報委

'〃〃〃〃

6

9

)

7

7

)

9月

6

)

10

5

)

11

2

)

第9回会報委員会

(3月30日)

役員改選にともな

い46年度

の会報小委.員として指名

された高橋

照明

(TBS)、中

沢道明

(読売)、浅野

(新聞協会

)、

大森建道

(民放連

)

各委員が集ま

り、本年度

の会報編集方針に

ついて討議。

10回会報

委員会

(6月23日)

外人記者

クラブ

で開催、外人記者

クラブ

の運営方法

その他を取材。

11回会報委員会

(U月25日)

企画委員会

と合同会議を開き、会報編集に対する意

見を交換。

二、会員

の異

状況

1月

1

2月

1

3月

1

4日〃1

5月

1日

6月

1

7月

1

8日〃1

9月

1

10月

1

11月

1

12月

1目

会員社数

一四〇社

一三九社

=二八社

=二七社

=二六祉

一三六社

=二六社

=二六社

=二〇社

=一=二社

=三二社

=二一二社

会員数

九〇六名

八八七名

八八五名

入七三名

入七五名

八七九名

八七九名

八八

一名

八八四名

八七九名

八七七名

八七九名

三、別室

の利

用状況

46年

1

日〃5

5

13

9

20

2月

16回

6月

14回

10月

14回

入会

退会

三〇名

七名

一入名

二〇名

一一名

二三名

六名

一六名

七名

二二名

一=

3

36

7

16

11

16

三九名

九名

二〇名

八名

七名

二一二名

四名

=二名

一二名

二四名

一九名

4月

24

8月

7

12

29

(24)