Links同志社 校正 06722 (1)

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Links 同同同 同同同 -一 同同 30 同 同 同同同同同同同同同同同 同同同同 同同同 <> 同 同同同同同 同同 西一、。 同同 同同同同同同同 、、、。 同同 同同同同 、、。 同同 325 同同同同同同同 7 同 同同同 同同同 同同同同同同同同同同 同同同同同同同同同同同同 同同同同 同同同同同同同同同同同同同 、・、、、、 MARCH 同同同同同同同同同同同同同同同同同同同同 西、、西、 15 同 同同同 <> 同同同同同同同2015 同 4 同同同 同同 同同同 325 同 同同同同 同同同同同 325 同 同同同 トトトト 100 ト トトトトトト 1 同同同同同同 3,060 5,678 53.9% 100.0% 1

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Links 同志社

同志社-私学最高峰の一角へ

過去 30 年間で最も飛躍!ブランド力を高めた名門私学の系譜

組織人事コンサルタント

永井隆雄

<日本三大私学最高峰としての同志社>

 関西私学で一人勝ち、就職状況で神戸大を抜いた同志社。

 また、難易度ランキングでも、同志社は早慶に次ぎ、上智とほぼ互角になっている。

 次に掲げるのは、同志社大学のサイトからの転用したデータを加工したものだが、週

刊誌に掲載されたものが出処だ。

 同志社は、人気企業 325 社への就職で第 7 位、京大・阪大、早慶には劣るものの、神

戸には競り勝っており、しかも、関関同立の中でも屈指である。MARCH でトップの立教

にもやや優位だ。

 筆者は関西の大手企業の人事部に窓口があるが、文系で採用したいのは、関西では、国

立を入れても同志社だという声が 15 年以上前から出ていた。

<同志社の就職状況>

主要企業就職率(2015 年 4 月採用)

1

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順位 大学名325 社

就職者数全就職者数

325 社

就職率

トップを 100

した時の比率

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1 慶應義塾大学 3,060 5,678 53.9% 100.0%2 早稲田大学 3,871 9,149 42.3% 78.5%3 大阪大学 1,459 3,627 40.2% 74.6%4 東京大学 1,508 3,826 39.4% 73.1%5 上智大学 803 2,106 38.1% 70.7%6 京都大学 1,240 3,275 37.9% 70.3%7 同志社大学 1,716 5,146 33.3% 61.8%8 立教大学 1,158 3,651 31.7% 58.8%9 神戸大学 839 2,741 30.6% 56.8%

10 青山学院大学 1,083 3,554 30.5% 56.6%11 関西学院大学 1,371 4,652 29.5% 54.7%12 明治大学 1,673 5,792 28.9% 53.6%13 立命館大学 1,575 6,041 26.1% 48.4%14 中央大学 1,183 4,572 25.9% 48.1%15 法政大学 1,308 5,587 23.4% 43.4%16 関西大学 1,214 5,403 22.5% 41.7%

※出典:2015 有名 77 大学 人気 325 社就職実績,「サンデー毎日」,2015,94(32),p.68-79

なお、就職状況の詳細は下記をご覧ください。

https://www.doshisha.ac.jp/career/data/results.html 

<私立法学部偏差値ランキング>

3

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※同志社の法学部は、早慶上智と中央の次となっているが、経済系などもおおむねこの位

置にある。少なくとも、MARCH より上となっている。

 <私立文学部系偏差値ランキング>

総合 河合塾 駿台偏差値 偏差値 偏差値

1 慶應義塾大学 文学部 64.7 67.5 64.0

2 早稲田大学 文学部 64.5 67.5 64.0

3 早稲田大学 国際教養学部 63.7 65.0 63.0

4 早稲田大学 文化構想学部 63.3 65.0 63.0

5 同志社大学 心理学部 62.0 65.0 60.0

6 上智大学 文学部 61.8 62.5 61.0

7 同志社大学 文学部 60.7 60.0 60.0

8 立命館大学 文学部 60.7 60.0 60.0

9 立教大学 異文化コミュニケーション 60.3 65.0 56.0

大学名 学部順位

  ※同志社の文学部・心理学部は早慶の次で、上智と互角である。

 こうした数字を既に、同志社は、慶應、早稲田に次ぐ 3 番手であり、さらに躍進の余地

を残していることが明らかだ。他方、軽量入試などで偏差値倒れになった立命館、改革の

遅れた関西学院にぐっと差をつけたが、立命館の改革に押し上げられた観もある。

 また、関関同立という括りがあるが、このような括りは適切ではない。GDJ-MARCHであり、関関同立は関関甲立として、甲南を昇格させたらよいと思う。なお、G は学習院、

D は同志社、J は上智である。

 さて、同志社のポジションが順風満帆に来たわけではない。

開学時は優れた人材を送り続けたものの、八重の死後はしばらく停滞する時期が続い

た。同志社の地位復権は 80 年代の卒業者以降のことである。その世代も今や、50歳代になりつつある。

『週刊ダイヤモンド』(2014 年 10 月 18 日)の記事によると、同志社のランクは現状

12 位であるが、使える人材の総数では、東京理科大や国際基督教大学と僅差である。

ちなみに、関西圏では、京大、阪大には後塵を拝しているが、阪大との差はそう大き

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くなく、神戸には質量ともに勝っている。北大、九大、名古屋、上智、関学などを大幅に

勝っている(学費を考えても、神戸を蹴って同志社ということは学部によってありうる

だろう。実際、1-2割の割で現在、同志社を選ぶ受験生が増えている)。

なお、阪大は最近、活躍する使える人材や役員の輩出で気を吐いている。長年、阪大は、

京大コンプレックスが強く、負け犬的マインドが強い大学だった。しかし、現在は、パ

ナソニックや三井住友銀行などのトップを輩出するなど士気が上がっている。公立校に

おいて文武両道で過ごしたバランスのよい学生も多く、今後、同志社とともに伸びる大

学だと言えよう。同志社はこの 20 年以上、立命館の改革に押し上げられてきた。今後は

阪大の開拓的上昇に釣り上げられていく局面に入ったと言ってよい。

また、立命館との併願では、関西では 2014 年現在、ほぼ 100%、同志社が選ばれてい

る。また、国公立との併願でも、京大、阪大を除けば、1-2割程度だが、同志社を選ぶ受

験生もいる。これは、80 年代には考えられなかったことだが、90 年代以降、阪大と神戸

大に格差がついたのか、同志社が浮上してきたのである。

相対的に神戸大の地位低下は否めない。

私事で恐縮だが、私の甥は同志社の理工を滑り止めにし、第 1 志望を阪大工学部にして

受験をした。私としては、甥の成績からすると、慶應経済か一橋に行くのがベストだと

思ったが、物理だけイマイチになって阪大は落ちた。

甥は同志社に行くつもりになっていたが、神戸大理系の後期があり、ここに受かった

ので、理系は国立がいいと甥を説得して神戸への進学を勧めた。幸い、就職も思うよう

なところに行けたようだ。旧財閥系のメーカーに入った。同志社が実は早慶と差がなく、

慶應は東大よりも就職でも昇進でも既に東大を抜いていることを実感しているのは一部

に過ぎない。

大手メーカーの管理職は 40-55歳世代だ。彼らの世代からして同志社などパッとしな

い。旧帝大か東工大・一橋・神戸・横国・東京外大くらいが一流大である。筆者自身、入

社当時、同級生の半分以上が東大・京大を目指した受験生で、一橋を狙ったのはなぜか商

学部にしかいなかった。駅弁国立大でフリーランクになっている大学の卒業生から「慶

應などバカ」だと言われた。神戸は二番手だが、本人が努力していたら、エンジニアと

しては十分だ。ノーベル賞の山中伸弥さんも神戸の理系だ。

姪は、公立高校でトップクラスだったので、教師から阪大を勧められた。私は、旧帝

大の文学部、人文系を企業が敬遠していること、総じて非常によく勉強しているが、進路

がないこと、特に女子は一般職にもしにくいのでスルーされること、を見ていたので、

外語大なら公立系で英語以外のところを勧めた。滑り止め、併願に同志社(英文)、同志

社女子、神戸女学院などを勧めた。最終的に、姪は国公立を蹴って、同志社英文に進んだ

就職状況を見ての判断だろう。姪は英数国どれも得意で、国立二次型だったが、地歴は

さっぱりだったが、私立は英語と国語で 8-9割以上、それでカバーして受かったようだ。

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<私学の歴史から見る同志社>

 日本の三大私学というと、早慶と同志社という言われ方が長年、されてきた。しかし

ながら、各大学の歴史を調べていくと、そうなのかな、という気がする。

個人的には、成立時期などを考えると、早大の前に明治大を外すべきではないし、戦前

のパフォーマンスを考慮すると、中央大法学部は無視できない。

明治大学は明治の草創期から、30 年代にかけて、司法官試験などの国家試験で 6割を

超える状態が続いたし、当時の私学は基本的に法律学校で、後に勢いを増したのは、中央

であった。実はこれと激しく競り合ったのは日本大学(当時の日本法律学校)だった。し

かし、後程詳しく述べるが、現在は、名実ともに同志社は、早慶とともに日本三大私学の

地位を確かなものとなった。

これは、同志社自身の自助努力はあまり大きいとは言えない。環境要因(国立大学の入

試制度改訂や立命館の大学改革、リーマンショック以降の受験地図の東西分裂化など)が

大きい。

日本私学協会が実施した、自宅外の大学生の 1 日当たり生活費という統計がある。これ

によると、2015 年を起点にして調査を開始した 15 年前と比較すると、2300円程度

だったところ、直近では、500円となっているという。生活費に家賃や水道光熱費など

は含まないのだろうが、これでは、コンビニやファーストフードで気軽に朝食は食べる

予算はないだろう。正直なところ、学食のランチも贅沢だろう。

この数字に象徴されるよう、首都圏の大学はローカル化し、関西私学もまたローカル化

し、中部圏や西日本の地域からも関西への進学が増えた。関西は、就活に便利がよく、京

都への憧れもあるんだろう。また、文理の学部を揃えた国立総合大も京都・大阪・神戸と

有力公立大も充実している。

就活のために片道 30分以上歩くということもあるという話を大学生から聞いたことが

ある。就活の足回りがいいことは、同志社のアドバンテージでもある。これは地方の大

学に信じられない出費となっている。

個人的に福岡で学生時代を送ったところがある。福岡は首都圏、関西、中部に次ぐ人口

集積地帯ではあるが、地元企業は非常に少ない。首都圏企業の福岡支店しかない。一般職

はあるが、結果的に銀行と市役所に集まってくる。就活するには、関西に出ないといけ

ない。そうすると、就活コストは 1 年間の納付金は軽く超えてしまう。留学生の出口管

理を考えれば、貸与型就活支援金が必要であろう。

ともあれ、京阪神の私学は、ほとんどが就活の場所に選ばれるので、大阪まで 1 時間

程度以内であれば、就活には支障はほとんどない。また、企業もかつては、就活の初期

から交通費を支給してくれていたが、そのような習慣も 90 年代以降はなくなった。

これが都心部私学と地方私学との決定的な差になっている。と同時に、国立に関しても、

首都圏と京阪神とそれ以外で差が生じている。具体的には、過疎の県にある大学は勢いが

小さくなり、北大、九大ですら、もはや旧帝大の体をなしていない。東北は設立順位か

6

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らすれば、東大・京大に接戦となるべき大学なのだが、明らかに阪大が国立第 3 位だと

いうことは衆目一致するところだ。こうした国立大の勢力図の変化も、京大、阪大の落ち

武者を多数拾う同志社には地の利となった。その比率は一般入試枠の 4-5割には及ぶだろ

う。

ビジネス誌を眺めると、慶應、続いて早大の採用数が多い。3 位は東大というところも

あるが、明治か同志社という企業が増えてきている。この就職状況は何を意味するだろ

うか?

15-20 年後に活躍する人材で同志社 OB が早慶に次ぐ地位(管理職層)になってくるだ

ろうということだ。高校時代、部活やサークルに打ち込んだ学生の明大生への評価は非常

に高くなっている。しかし、早慶に対する引け目や自信性の不足は否めない。これに対

して、同志社にはこうした負い目はなく、運がよければ、京大や阪大、ましてや神戸大

は十分受かれたという学生も多い。

1 つには、関西には、首都圏と異なり、私学文系入試へのシフトが東京ほどではないこ

とだ。実際、関西の公立系進学校では、下位の成績でも一浪すれば、早大は受かると考え

られてきた。偏差値は名目上、高いが、早大型の勉強をすれば大丈夫と見られている。

そして、ここに来て推薦や AO の連発で、オーソドックスに勉強した生徒は受けないと

いうイメージが早慶、特に早大にはある。マーチという言葉もあり、新司法試験の実績

では、京大が突出しているが、その次は神戸大と同志社が僅差で並んでいる。少なくと

も阪大より優位なのだ。

<同志社大学のポジション>

時  期 環境変化 学生の質 イメージ 併願先

明治時代―

昭和初期

京都の地味な

大学

草創期は優

秀な人材を

輩出。

キリスト教系

の大学・学校

旧制高校のための進学校でも

あった。同志社中学がそう

で、主な卒業生に、江崎玲於

奈がいる。

同志社中学は京都で屈指の進

学校だった。

1947-1974 年

学制新制への

切り替え

玉石混交

難関校では

ない。その

気なれば入

りやすい。

 新島襄

キリスト教系

スポーツで活

早大のほか関西の老舗私学。

国公立大との併願は少ない。

関西私学では、関学とともに

憧れの学校。

1974-1978 年 英語ブーム 英語を 英語が学べる

7

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キリスト系

大学の

人気上昇

得意とする

学生急増

キャンパスに

国際的雰囲気

がある。

8

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<1960 年当時の経済系の大学難易度ランキング>

合格者

得点偏差値

1 東京大(文Ⅰ=法・経に進振)            222 832 一橋大(経済学部)  220 823 一橋大(社会学部)     213 794 一橋大(商学部)                  211 785 横浜国立大(経済学部)     197 716 京都大(経済学部)               196 717 慶応義塾大(経済学部)    193 708 名古屋大(経済学部)     192 699 神戸大(経営学部)                 192 6910

神戸大(経済学部)         186 66

11

大阪大(経済学部)    184 65

12

東北大(経済学部)      179 63

13

小樽商大                    172 60

14

滋賀大(経済学部)           171 60

15九州大(経済学部)                  170 59

16長崎大(経済学部)                  170 59

17横浜市立大(商学部)   169 59

18

慶応義塾大(商学部)  167 58

1

9関西学院大(経済学部)    166 57

20

早稲田大(政治経済学部)        163 56

2 大阪市立大(商学部)  162 55

9

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122

広島大(政治経済学部) 162 55

23

大阪市立大(経済学部)       162 55

24

神戸商科大※現兵庫県立大            162 55

25北海道大(文類=文系すべてに進振)        161 55

26

大分大(経済学部)    160 55

27

山口大(経済学部)                  160 55

28

都立大(法経学部)※現首都大学東京   159 54

29

香川大(経済学部)                  158 54

30

富山大(経済学部)       156 53

31

和歌山大(経済学部)                 153 51

32

福島大(経済学部)               151 50

33

早稲田大(商学部) 151 50

34

南山大(経済学部) 149 50

35

上智大(経済学部)                  143 47

36

同志社大(経済学部)                141 46

37

高崎経済大(経済学部)             135 43

38

関西学院大(商学部)               134 43

3 成蹊大(政治経済学部)               125 39

10

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940

同志社大(商学部)                123 38

41

東北学院大(文経学部)               121 37

42

日本社会事業大            118 35

43北九州大学(商学部)                115 34

44

大阪府立大(経済学部)               108 31

45

松山商科大                   104 29

※これを見ると、慶応経済を除いて私学の地位が低かったことが明確だ。独自に平均

値と標準偏差を操作したが、同志社のレベルがいかに低かったか、よくわかる。こ

の当時、同志社はフリーランキングであり、関西私学では、関西学院だけが頭一つ、

抜ける位置にあった。

<同志社大学のポジション>

時  期 学制改革 学生の質 イメージ 併願先

1979-1989 年

国立大学入試大

改革による棚ボ

共通一次試験

導入と

国立受験

機会 1回に

5教科7教科

型のオール

ラウンド型

の受験生併

願者急増。

国立型

受験生急増

関西屈指の

難関私学。

関西私学で

は有力校化

が顕著。

京阪神の有力国立大を本命とす

る受験生が同志社を受けるよう

になり、滑り止めに早慶を押さ

えるようになり、有力私学は急

速に難化。

(例)京大→早慶→同志社

※早大併願には失敗しやすい。

1990-2007 年

立命館の大学改

革に伴う押し上

げと、関西にお

ける採用重点校

立命館の改革

で同志社が

自動的に上昇

同志社

↗立命館

同志社の

上位4割は

法曹界で

は、関西

No.2の

実績

就職実績

抜群

東西がブロック化し、早慶が難

化、採用重点校になり、同志社

が西日本屈指の最高峰、独歩高

となった。

11

Page 12: Links同志社 校正 06722 (1)

早慶並み

阪大の地位

向上で同志

社底上げの

見通し。

2007 年頃以降

受験地図が東西

ブロック化に伴

い、名古屋以西

は京都の大学に

進学者が増え

た。

リーマン

ショックと消

費税率増税に

よる個人消費

冷え込み

世帯収入激減

同志社の就

職状況が私

学 3番手、

明治と互角

以上なった

ため、国立

を蹴って同

志社選択も

多数。

関西では私

学併願先の

定番。

国公立大を

蹴って進む

生徒も。

関西から首都圏への受験が激

減。早慶などを狙う生徒の激

減。

ある中高一貫制の場合、リーマ

ンショック翌年、早大受験者 1

名と医大系受験者のみになり、

関西有力私学受験に。その前

年、首都圏受験者は数十名い

た。同校は、関学の合格者で例

年、トップの高校である。

<新島襄のプロフィール>

 同志社を設立したのは新島襄(天保 14 年 1 月 14 日(1843 年 2 月 12 日-明治 23 年

(1890 年)1 月 23 日))だが、福澤諭吉と比べると、肉声が少ない。

福澤は明治初期の啓蒙家として多くの著書で知られている。しかし、新島は相当、人望

があったようだ。それは多くの経済的支援を受けたことがその証左である。

他方、大隈重信は、手紙一つ代筆だったので、著作など一切ない。大学も側近だった小

野梓に任せていた。とはいえ、国民からの人気は絶大だった。

新島襄は、当時としては珍しい先駆的な宣教師資格を持つ日本人として最初に米国の大

学にフルに学んだ人ということは大きい。47歳と割と早くに亡くなっている。しかし、

一見すると、地味な人物なのだが、関わった人物とその評価、新島への支援を見ると、非

12

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常に優秀で人間的魅力にあふれ、秀でて篤実な人物だったことがわかる。

 新島は、米国のアマーネスト大学という名門大学の理学部を卒業し、その際、クラーク

の授業も受けた。クラークは新島との出会いが契機となり、渡日し、札幌農学校のために

日本に尽くし、札幌開拓使、北海道開発全般などにも影響を与え、東京大学(旧制)が学

士を出す前に、当時の日本で最もレベルの高い教育を行ない、学士号も東大より早く交付

していた。

明治 5 年(1872 年)、新島はアメリカ訪問中の岩倉使節団と出会う。その語学力に目

をつけた木戸孝允は、4 月 16 日から翌年 1 月にかけて私設通訳として使節団に参加させ

た。その後、新島は使節団に参加する形でニューヨークからヨーロッパへ渡り、フラン

ス、スイス、ドイツ、ロシアを訪ねた。その後ベルリンに戻って約 7カ月間滞在し、使

節団の総括的な報告書ともいうべき『理事功程』を編集した。通訳や翻訳、交渉などをし

ながら、使節団の中心的役割を果たしたのだ。

 その後、明治 7 年(1874 年)、アンドーヴァー神学校に入学し、卒業。

新島はアメリカン・ボードから日本での宣教に従事する意思の有無を問われると、即

座にそれを受託。明治 8 年(1875 年)9 月、宣教師志願者の試験に合格し、ボストンで

教師と し て の任職 を受け た 。新島の宣教師と し て身分は 「 日 本伝道通信員」

(Corresponding member of the Japan)であった。同年 10 月、アメリカン・ボード海

外伝道部の年次大会において日本でキリスト教主義大学の設立を訴え、5,000 ドルの寄付

の約束を得た。

新島は寄付金集めにはずいぶん成功しているが、これは、新島の魅力で、慶應が破綻し

そうになった際、福澤は金策に回ったが、ほとんどにべもなく断られている。

<同志社英学校の設立>

 明治 8 年(1875 年)11 月 29 日、かねてより親交の深かった公家・華族の高松保実よ

り屋敷の約半部を借り受けて校舎を確保し、京都府知事・槇村正直、府顧問・山本覚馬の

賛同を得て旧薩摩屋敷 5800坪を譲り受け、官許「同志社英学校」を開校、新島が初代社

長に就任する。この名称は、覚馬によるものである。

この明治 8 年という時期は、まだ早大や明大が成立しておらず、唯一、慶應義塾が先行

している状況だった。また、旧制の東京大学(明治 10 年)にも先行する。有力私学とし

て残っている大学で同志社は慶應義塾に準じる成立する順位である。

<主要諸学校の成立時期>

(1) 慶應義塾  安政 5 年(1858 年) 

(2) 同志社 明治 8 年(1877 年)

(3) 東京大学(旧制)明治 10 年(1879 年)

(4) 明治大学 明治 14 年

13

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(5) 早稲田大学 明治 15 年

(6) 帝国大学 明治 19 年  東京帝国大学に改称 明治 30 年

(7) 京都帝国大学 明治 30 年

英学校開校時の教員は新島とジェローム・デイヴィスの 2 人、生徒は元良勇次郎、中島

力造、上野栄三郎ら 8 人であった。

また、この時の縁で翌明治 9 年(1876 年)1 月 3 日、山本覚馬の妹・八重と結婚する。

同年、明治 9 年 10 月 20 日、熊本バンドと呼ばれる青年達が同志社英学校に入学。

1871 年、熊本洋学校が設立されたが、1876 年に閉鎖された。宮川経輝、金森通倫、

横井時雄、小崎弘道、吉田作弥、海老名弾正、徳富蘇峰ら青年達の多くは、新設間もない

同志社英学校に転校し、同志社の大きな位置を占めるようになっていく。

熊本バンドは、ジョーンズの影響により、リベラル(自由主義神学)で、国家主義的で

あった。彼らは 1880 年代にドイツから流入してきたリベラル神学の影響を受け、日本組

合基督教会の教職者になった。熊本バンド出身者は後に牧師、教職、官公吏、政治家など

になった。

明治 21 年(1888 年)、徳富蘇峰の協力により井上馨・大隈重信・土倉庄三郎・大倉

喜八郎・岩崎弥之助・渋沢栄一・原六郎・益田孝等から寄付金の約束を取付ける。

特に土倉喜八郎は、新島のよき理解者、協力者であり、新島も土倉を頼りとした。板垣

退助と新島を取り結んだのも自由民権運動のパトロンでもあった土倉であろうと推測さ

れる。

この時期、明治 14年の政変(伊藤博文らが明治憲法草案をめぐり、大隈重信らを政府

から追いやった。大隈のブレーン的存在だった福澤も影響力を失った)があり、東京専門

学校(後の早大)と慶應義塾は政府から迫害を受けていた。

また、早大の支援を惜しまなかった人物が同志社出身の徳富蘇峰・蘆花の兄弟であり、

新島は明治政府の上層部、財界人にまで紹介を受け、多少なりとも資金集めに成功してい

る。中でも、大隈重信が東京専門学校危機の際、同志社に資金援助を行なったことは、よ

ほどの互恵関係があったと言える。この時期、大隈の早大はかなり財政難に陥っていた

だろうからである。

明治 21 年(1888 年)11 月、徳富蘇峰は新島襄の求めに応じて「同志社大学設立の旨

意」を添削・完成させ、自身の経営する民友社発行の『国民之友』をはじめ全国の主要な

雑誌・新聞に掲載し、同志社大学設立に尽力した。

草創期の同志社は人材に恵まれ、早大にずいぶん貢献した。なので、両校は長らく包括

提携をしているし、単位互換もしている。同志社にいれば、半年や 3 か月単位で早大で学

ぶことができる。

<新島の妻・八重>

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弘化 2 年 11 月 3 日(1845 年 12 月 1 日-昭和 7 年(1932 年)6 月 14 日)は、江戸時

代末期(幕末)から昭和初期の日本の女性。

同志社創立者の新島襄の妻として知られる。旧姓は山本。勲等は勲六等宝冠章。皇族以

外の女性としてはじめて政府より受勲した人物。

新島とは再婚、新島と離婚した後は徳富蘇峰と添い遂げた。

. . She is not handsome at all. But what I know of her is that she is a person who does handsome. It is just enough for me. I hope you will pardon me for saying too much of her.

. . . 彼女は決して美人ではありません。しかし、私が彼女について知っているのは、

美しい行いをする人だということです。私にはそれで十分です。彼女のことを話し

過ぎているとしたらお許しください。

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<同志社の建学精神は「良心」>

ところで、同志社の建学精神はキリスト教精神に基づく「良心」である。

創立者である新島襄は建学の目的として、「良心を手腕に運用する人物」の育成を掲げ

た。知識教育に偏ることのないよう、キリスト教に基づく「徳育」を並行して進めるこ

とで、「良心の全身に充満」した人々を輩出したいと願ったのである。

その思いを彼の筆跡のまま刻んだ碑が、同志社大学などの諸学校に存在する。この良心

碑には、「良心之全身ニ充満シタル丈夫ノ起リ来ラン事ヲ」という言葉が刻まれている。

<同志社の建学、至難の歴史>

1875 年 新島襄が京都寺町通丸太町(現在の新島旧邸敷地)に同志社英学校を開校す

る。教員 2 人、生徒 8 人

1876 年 寺町から今出川に移る。

1877 年 4 月に同志社分校女紅場を開設し、9 月に同志社女学校へ改称

1883 年 同志社社則を制定

1887 年 同志社病院・京都看病婦学校の開院

1888 年 徳富蘇峰が「同志社大学設立の旨意」を全国の主要な新聞・雑誌にて発表

1890 年 同志社ハリス理化学校開校

1891 年 同志社政法学校開校

1896 年 普通学校を同志社高等普通学校と改称。同志社尋常中学校を開設

1897 年 M.F.デントンが出町幼稚園を開園。

1900 年 出町幼稚園を今出川幼稚園へ改称。

1904 年 専門学校令による神学校と専門学校を開校。同志社政法学校廃校

1906 年 同志社病院・京都看病婦学校閉館。同志社ハリス理科学校廃校

1912 年 専門学校令による同志社大学(予科、神学部、政治経済学部、英文科)と女

学校専門学部(英文科、家政科)を開校。

1920 年 大学令による同志社大学を開校。文学部(神学科、英文学科)、法学部(政

治学科、経済学科)、大学院、予科を設置。

1922 年 専門学校令による大学を専門学校として再編し、神学部、英語師範部、高等

商業部、政治経済部を設置。

1930 年 同志社専門学校高等商業部を廃止し、同志社高等商業学校を設置

1943 年 中学校令による中学校開校

1944 年 工業専門学校開校。同志社専門学校高等英語部と法律経済部を統合し同志社外

事専門学校設立。同志社高等商業学校を同志社経済専門学校と改称。

1947 年 今出川幼稚園を同志社幼稚園と改称

1948 年 新制大学、新制高等学校、新制定時制商業高等学校、新制女子高等学校を設置

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1949 年 同志社女子大学を設置

1952 年 同志社各専門学校(外専・経専・工専)を廃止

1976 年 同志社商業高等学校廃校

1986 年 田辺校地(現在の京田辺校地)開校

 米国の大学で理学を学んだ新島としては、理学系の大学を作りたかっただろう。実際、

ハリス理化学校を創設したが、16 年ほどで閉校に追い込まれている。

なお、ハリス理化学校は短命だったが、加藤与五郎(東工大教授・電気工学)や三宅驥

一(きいち、東京帝大農学部教授・水産学)などを輩出した。

また、同志社病院・京都看病婦学校は約 10 年、政法学校に至ってはわずか 5 年である。

法律学科も一旦、廃止されている。当時、東京圏のいくつかの私学の法律学校にしか、

司法官試験、その他の法曹界の試験を受ける資格がなかったことにある。大学としては

法律学科を一旦、廃止し、政治経済学部としたのだろう。

当時、政治学、経済学、法律学を専攻すれば、法律学に関しては、高等文官試験や司法

官試験の受験資格は首都圏の法律学校に限定されているという問題もあった。

いずれにしても、学生が集まらなかったということらしい。

 ところで、代表的な OB を二人、紹介したい。

 

<草創期の主要 OB:安部磯雄>

 安部磯雄(元治 2 年 2 月 4 日(1865 年 3 月 1 日)-昭和 24 年(1949 年)2 月 10 日)

は、日本の社会主義者。

キリスト教的人道主義の立場から社会主義を活発に宣伝し、日本社会主義運動の先駆者

であった。

また、日本における野球の発展に貢献し「日本野球の父」と呼ばれる。早稲田大学野球

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部創設者でもある。

福岡藩士岡本権之丞の次男として福岡市に生まれる。

安部姓を名乗るようになったのは徴兵忌避のためである。当時 60歳以上の扶養家族が

いれば徴兵免除の特典が与えられたため、60歳以上の老人のいる家を探して謝礼を支払

い名義上安部家の養子となる。

1879 年 3 月、小学校を優秀な成績で卒業したが、明治維新後、実家が貧しかったので

上級学校には進まず、地元の私塾・向陽義塾に入門した。

その後、同志社英学校(現・同志社大学)に入学していた義兄が磯雄の才能を惜しみ、

磯雄を海軍軍人にするために同志社に学ばせようと父親を説き、学資の援助を申し出たこ

とにより同志社英学校に入学することとなった。

1884 年、同志社英学校卒業(在学中、新島襄より受礼)。その後、ハートフォード神

学校(アメリカ)やベルリン大学に学ぶ。1895 年に帰国後、同志社教授を経て 1899 年

東京専門学校(早稲田大学の前身)の講師となる(1907 年から早大教授)。同志社出身の早大教授は安部のほか、浮田和民、大西祝がいる。

1901 年、社会民主党を結成するが直後に禁止。日露戦争では非戦論を唱えた。公娼制

度の廃止や産児制限など、初期の女性解放(フェミニズム)運動にも積極的に関与した。

1924 年に日本フェビアン協会を設立。

1928 年、第 16回衆議院議員総選挙に社会民衆党から立候補し、衆議院議員当選連続 5回。また東京市議会議員も務めた。社会民衆党党首、社会大衆党執行委員長を歴任。

1938 年 3 月 3 日、右翼団体の指示を受けた愚連隊によって襲撃された。

1940 年 3 月、斎藤隆夫が行った反軍演説の議員除名問題で、反対の立場を示し衆議院

本会議を欠席すると、書記長麻生久の支配下にあった社会大衆党中央執行委員会により、

党首でありながら、鈴木文治、西尾末広、片山哲、水谷長三郎らとともに党除名処分を受

ける。

戦後は日本社会党の顧問。

1949 年 2 月 10 日、83歳で死去。

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<草創期の主要 OB:深井英五>

 深井英五は、同志社を卒業後、徳富蘇峰の運営していた国民新聞に勤め、外報部長に昇

進。その後、蘇峰の紹介で松方正義の知己を得てその書記官を経て、日銀に職を得る。深

井は順調に昇格し、総裁となった。

教育史や学歴に関して誤った記述の多い橘木俊詔(2011)は、日銀総裁は、東大法学

部が定番だったが、「私学」出身で日銀総裁になったのは、慶應から二人、同志社から一

人だけだという。草創期の日銀の総裁は藩士が海外留学し、帰国した者で、東大卒などい

なかった。東大が東京帝国大学として体制を整え、総裁にふさわしい人物を輩出するに

は、非常に早くても大正期の半ばのことになる。

日銀総裁や二度の大蔵大臣就任、首相への就任など、戦前の金融政策を巧みに仕切って

いたのは海外事情に詳しかった高橋是清で、彼は明治学院出身だ。深井は是清の薫陶を受

けた一人だ。

ところが、歴代の総裁を調べていくと、東大卒の日銀総裁は第 10代以降からで、昭和

になってからである。東大は東大卒の総長を輩出するようになったのはやはり昭和初期

のことである。

ただし、吉野俊彦(1957)という日銀エコノミストは、過去の日銀総裁の中で深井が

知性の高さと深さにおいて屈指であると指摘したと橘木というが、個人的には、深井の

学識や語学力が本物だと認めたのは、高橋是清だろうだと思う。

また、橘木俊詔(2011)は、土方久徴(ひさあきら)総裁の下で副総裁を務めたが、

この時の政策は実質的に深井が執っていたこと、その 2点を指摘しているが、土方が東

京府立一中(現日比谷高校)、一高、東大法学部首席卒のエリートだと述べている。この

ようなことが当時、日銀総裁選出の基準になっていたか、疑問である。

日本の戦前の金融政策は、明治から昭和初期に是清が 226 事件で暗殺されるまで海外

と比べても優れていた。

<法曹界・政界で活躍する卒業生>

○現職国会議員

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樽井良和(衆議院議員、参議院議員、経済学部中退)

玉置一弥(参議院議員、元衆議院議員、法学部卒)

福山哲郎(参議院議員、法学部法律学科卒)

村井宗明(衆議院議員、法学部卒)

吉川沙織(参議院議員、文学部卒、総合政策科学研究科修了)

尾辻かな子(参議院議員、商学部卒)

○元職国会議員

安部磯雄(衆議院議員、社会民衆党・社会大衆党初代委員長)早大教授に

石田芳弘(衆議院議員、前愛知県犬山市長、商学部卒)

井上一成(衆議院議員、元郵政大臣、元大阪府摂津市長、経済学部卒)

内田康哉(内閣総理大臣臨時、外務大臣、英学校中退)

笹野貞子(衆議院議員、元民主改革連合代表、院法修了)

末広まきこ(参議院議員、文学部卒)

菅原喜重郎(参議院議員、神学部卒)

田端正広(衆議院議員、経済学部卒)

田島一成(衆議院議員、大学院修了)

土井たか子(衆議院議員、前社民党党首、元衆議院議長、院法修了)

 https://ja.wikipedia.org/wiki/ 土井たか子  中村鋭一(衆議院議員・参議院議員、商学部卒)

東中光雄(衆議院議員、弁護士)

森岡正宏(衆議院議員、元厚生労働大臣政務官、経済学部卒)

山口富男(衆議院議員、文学部卒)

○地方政界

阿部行蔵(元東京都立川市長、神学部卒)

中野直輝(元愛知県小牧市長、法学部卒)

平松邦夫(前大阪府大阪市長(第 18代目)、元毎日放送アナウンサー、法学部卒)

長谷部誠(秋田県由利本荘市長、経済学部卒)

和田愼司(石川県小松市長、経済学部卒)

山脇実(愛知県豊川市長、経済学部卒)

小椋正清(滋賀県東近江市長、法学部卒)

阪口伸六(大阪府高石市長、経済学部卒)

千代松大耕(大阪府泉佐野市長、経済学部卒)

信貴芳則(大阪府岸和田市長、商学部卒)

中小路健吾(京都府長岡京市長、法学部卒)

堀口文昭(京都府八幡市長、法学部卒)

佐々木稔納(京都府南丹市長、法学部卒)

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○政治運動家

魚谷哲央(保守系政治運動家、維新政党・新風 元代表、現組織委員長)

高畠素之(社会思想家、社会運動家)

藤本敏夫(運動家、全学連委員長、加藤登紀子の夫、文学部中退)

山川均(社会主義者、思想家、評論家、旧制中学中退)

<財界人・実業界>

○経済

深井英五(日本銀行元総裁、貴族院議員、英学校卒)

小野英二郎(日本興業銀行元総裁、英学校中退)

小池聰行(オリコン創業者、文学部卒)

増田宗昭(カルチュア・コンビニエンス・クラブ創業者、社長、経済学部卒)

小嶋淳司(がんこ創業者、会長、経済学部卒)

魚谷雅彦 (資生堂社長、日本コカ・コーラ元代表取締役社長、元会長、文学部卒)桐山一憲 (P&Gジャパン 元代表取締役社長、商学部卒)宮坂学(ヤフー株式会社 代表取締役社長、経済学部卒)

横田雅文(関西テレビ放送会長)

片岡正志(関西テレビ放送元社長、相談役、法学部卒)

河内一友(毎日放送社長、文学部卒)

林裕章(吉本興業元会長、商学部卒)

村田恒夫(村田製作所社長、経済学部卒)西口泰夫 (京セラ 元代表取締役社長 大学院博士課程修了)夏原平和(平和堂社長、法学部卒)

巽悟朗(光世証券創業者、大阪証券取引所元社長、経済学部卒)川勝泰司(南海電気鉄道元会長)

尾崎睦(上組会長兼CEO、商学部卒)

岩井良明(モノリス社長)

伊藤滋(マルハニチロ社長)

森博嗣(NTN 社長)

山本泰夫(産経新聞出版代表取締役社長)

高城幸司 (セレブレイン 代表取締役社長)弓場季彦(奈良テレビ放送元社長)

小笹公也 (オンテックス 代表取締役社長)辻本秀幸 (ヴァリューズ 代表取締役社長、マクロミル 元代表取締役社長、工学部卒)

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<各界で活躍する OB・OG>

○行政

佐藤優(元 外務省国際情報局分析第一課主任分析官、元 在ロシア日本大使館三等書記

官、1985外務省、神学部卒)→評論家

楠本祐一(在ポーランド特命全権大使、1971外務省、法学部卒)

広瀬哲樹(在ブルネイ大使、元外務省経済協力局審議官、経済学研究科修了)

伊藤伸 - 構想日本総括ディレクター・元内閣府行政刷新会議事務局参事官

○宗教

金森通倫(牧師、平和活動家、石破茂衆議院議員の曽祖父)

清水安三(宗教家、桜美林学園創立者)

堀江有里(牧師、立命館大学非常勤講師)

山室軍平(宗教家、日本救世軍創設、日本人の初代司令官)

○文学

芦辺拓(推理作家、法学部卒)

天野礼子(アウトドアライター、文学部卒)

有明夏夫(小説家、直木賞受賞、工学部中退)

有栖川有栖(推理作家、法学部卒)

生田武志(文芸評論家、文学部卒)

石井登志子(翻訳家)

今江祥智(児童文学作家、文学部卒)

上田誠(劇作家・脚本家・演出家、ヨーロッパ企画主宰、工学部中退)

上野瞭(児童文学作家・評論家、文学部卒)

梅内美華子(歌人、文学部卒)

宇山日出臣(講談社編集者)

遠藤明範(脚本家、文学部卒)

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大崎知仁(小説家、吉本新喜劇の脚本家)

岡田貴久子(児童文学作家)

岡本好古(歴史小説家、文学部中退)

門井慶喜(作家、文学部卒)

加地尚武(作家、経済学部卒)

神狛 しず(作家、神学部卒)

桐山桂一(ノンフィクション作家、文学部卒)

国松俊英(児童文学家、商学部卒)

黒岩重吾(小説家、直木賞受賞、法学部卒)

黒崎緑(推理作家、文学部卒)

黒川創(小説家、文芸評論家、文学部卒)

小手鞠 るい(小説家、詩人)

佐岐 えりぬ(詩人、エッセイスト)

桜井鈴茂(小説家)

佐々木幹郎(詩人)

澤田瞳子(作家)

重森孝子(脚本家)

清水昶(詩人、法学部卒)

正津勉(詩人、文学部卒)

鈴木哲也(劇作家)

清水アリカ(小説家)

高野澄(作家)

高柳誠(詩人)

田口賢司(小説家、テレビプロデューサー、文学部卒)

丹下健太(小説家)

鄭芝溶(韓国で有名な詩人)

鄭義信(脚本家・演出家、文学部中退)

塚本靑史(小説家)

筒井康隆(SF作家、文学部卒)

デビット・ゾペティ(小説家、文学部卒)

徳冨蘆花 (小説家、英学校中退)

中村うさぎ(小説家、エッセイスト、文学部卒)

中西智明(ミステリ作家)

中丸 明 (紀行作家)

梨木香歩(児童文学作家)

秦恒平(小説家、東京工業大学名誉教授、文学部卒)

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Page 24: Links同志社 校正 06722 (1)

花山多佳子(歌人、文学部卒)

早瀬圭一(ノンフィクション作家)

花登筺(劇作家)

ひこ・田中(児童文学作家)

百田尚樹(放送作家・小説家、法学部中退)

深津篤史(劇作家)

福本武久(作家、法学部卒)

藤岡陽子(小説家、文学部卒)

藤野可織(小説家、芥川賞受賞、文学部卒)

保阪正康(ノンフィクション作家、文学部卒)

前登志夫(歌人)

牧野圭祐(脚本家、音楽家、文学部卒)

マキノノゾミ(劇作家、文学部卒)

増田晶文(作家、法学部卒)

松居直(児童文学家、元福音館書店社長)

松田青子(小説家、翻訳家、文学部卒)

真山仁(作家、法学部卒)

六塚光(ライトノベル小説家)

山尾悠子(SF作家、文学部卒)

山本兼一(小説家、直木賞受賞、文学部卒)

尹東柱(詩人)

大島みち子(著述家、「愛と死をみつめて」「若きいのちの日記」)

○芸術池谷薫(映画監督、文学部卒)

池坊専永(華道家)

伊東恵司(合唱指揮者・作詞家、経済学部卒)

井上春生(映画監督、法学部卒)

大中寅二(作曲家、経済学部卒)

岡村俊一(演出家、プロデューサー)

小濱明人(尺八奏者、文学部卒)甲斐扶佐義(写真家、ほんやら洞店主)

片岡我當 (5代目)(歌舞伎役者、工学部卒)

Cuvie(漫画家)

黒木和雄(映画監督、法学部卒)

黒田アキ(画家)

小西通雄(映画監督、文学部卒)

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沢島忠(映画監督・演出家、外専卒)

重森弘淹(写真評論家、文学部卒)

鈴木志保(漫画家、文学部卒)

千玄室(茶道裏千家第 15代家元、旧法経学部卒)

千宗室(茶道裏千家第 16代家元、文学部卒)

東條政利(映画監督、文学部卒)

豊嶋三千春(能楽師)

西川伸司(漫画家・キャラクターデザイナー、中退)

西田直道(作曲家、法学部卒)

日比野光鳳(書家、経済学部卒)

保富康午(作詞家)

前野博紀(華道家)

マツセダイチ(漫画家)

間村俊一(装幀家・俳人)

三上真司(ゲームプロデューサー、バイオハザードシリーズ開発者、商学部卒)

山岡信貴(映画監督、工学部卒)

吉田康弘(映画監督)

横井軍平(テレビゲーム開発者、工学部卒)

○芸能松永天馬(バンド「アーバンギャルド」リーダー、ボーカル担当、神学部卒)

瀬々信(バンド「アーバンギャルド」、ギター担当、神学部卒)

阿久延博(シンガーソングライター、元RAZZ MA TAZZ)

伊庭孝(俳優、演出家、作詞家、音楽評論家、神学校中退)

岡崎体育(ミュージシャン、文化情報学部卒)

岡林信康(フォークシンガー、神学部中退)

はしだのりひこ(シンガーソングライター、「はしだのりひことシューベルツ」、神

学部)

越智友嗣(シンガーソングライター、法学部)

井上博(「はしだのりひことシューベルツ」のメンバー、理工学部)

小市慢太郎(俳優)

小林香(演出家)

塩見三省(俳優)

花沢耕太(バンド「Chicago Poodle」、ヴォーカル・キーボード・作曲担当、経済学

部卒)

山口教仁(バンド「Chicago Poodle」、ドラム・作詞担当、大学院法学研究科修了)

辻本健司(バンド「Chicago Poodle」、ベース・作詞担当、商学部卒)

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杉岡秀則(バンド「Chicago Poodle」元メンバー、ベース・作詞担当、大学院総合政

策科学研究科博士前期課程修了)

清水圭(コメディアン、商学部卒)

JOJO広重(ノイズ演奏者「非常階段」、アルケミーレコード代表取締役社長)

吹田明日香(タレント、文学部卒)

すぎもとみさき(女優、文学部卒)

住谷正樹(レイザーラモン HG、お笑い芸人「レイザーラモン」、商学部卒)

種ともこ(シンガーソングライター)

田村高廣(俳優)

趙珉和(俳優)

生瀬勝久(俳優、文学部卒)

二谷英明(俳優)

乃木涼介(俳優)

浜村淳(タレント、映画評論家、文学部卒)

藤木悠(俳優)

藤本恵理子(ファッションモデル、女優、経済学部卒)

みぶ 真也(俳優、法学部卒)

みやなおこ(女優)

みれいゆ(女優、経済学部卒)

もえのあずき(アイドル、タレント)

山崎和佳奈(声優、工学部卒)

ゆうき哲也(俳優、お笑い芸人)

ロボピッチャー(バンド)

カズレーザー(お笑い芸人「メイプル超合金」、商学部卒)

○マスコミ

阿武野勝彦(東海テレビ放送プロデューサー、文学部卒)

石丸次郎(ジャーナリスト/アジアプレス、文学部卒)

井上トシユキ(ジャーナリスト)

一ノ宮美成(ジャーナリスト)

今出東二(気象予報士、お天気キャスター)

岩崎俊一(コピーライター)

大富敬康(経済ジャーナリスト)

小川和久(軍事アナリスト、神学部中退)

木村政雄(フリープロデューサー、文学部卒)

志村和次郎(ビジネス書執筆、経営コンサルタント、法学部卒)

須藤泰司(東映プロデューサー、商学部卒)

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Page 27: Links同志社 校正 06722 (1)

高城幸司(ビジネス書執筆、(株)セレブレイン社長、文学部卒)

徳富蘇峰(ジャーナリスト、英学校中退)

長倉洋海(フォトジャーナリスト、法学部卒)

長束恭行(スポーツライター、経済学部卒)

中村浩美(航空・宇宙ジャーナリスト、法学部卒)

西岡研介(ジャーナリスト、法学部卒)

堀雅哉(番組アシスタントディレクター/グルメレポーター、(AD堀くん)、文学部

卒)

山田厚史(朝日新聞編集委員)

山本泰夫(ジャーナリスト、産経新聞出版代表取締役社長)

○アナウンサー

阿部成寿(元朝日放送アナウンサー、文学部卒)

阿部まみ(秋田朝日放送フィールドキャスター、政策学部卒)

伊藤敬子(元富山テレビ放送アナウンサー)

井上雅雄(毎日放送アナウンサー、法学部卒)

宇垣美里(TBSアナウンサー)

緒方憲吾(元毎日放送アナウンサー)

落水七重(フリーアナウンサー)

片山三喜子(元関西テレビアナウンサー)

川島淳(テレビ朝日アナウンサー、経済学部卒)

久下真以子(四国放送アナウンサー・NHK札幌放送局契約キャスター)

栗山朋子(三重テレビ放送アナウンサー)

三東美穂(元山口放送アナウンサー)

塩見啓一(CBCテレビアナウンサー)

四家秀治(テレビ東京アナウンサー、工学部卒)

下登彩(宮崎放送アナウンサー)

末広まきこ(フリーアナウンサー、元参議院議員)

ターザン山下(ラジオDJ、商学部卒)

高井一(東海テレビアナウンサー)

武周雄(元朝日放送アナウンサー)

塚本麻里衣(朝日放送アナウンサー、社会学部卒)

土屋誠(広島ホームテレビアナウンサー)

鶴田麻貴子(元テレビ宮崎アナウンサー)

中谷しのぶ(読売テレビアナウンサー、文学部卒)

中村香奈(元毎日放送アナウンサー)

中村鋭一(フリーアナウンサー、タレント、政治家、商学部卒)

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Page 28: Links同志社 校正 06722 (1)

西村麻子(毎日放送アナウンサー、商学部卒)

羽川英樹(フリーアナウンサー、文学部卒)

福島智之(東海テレビアナウンサー)

福本晋悟(毎日放送アナウンサー、政策学部卒)

坊農秀治(三重テレビ放送アナウンサー兼記者)

牧野克彦(静岡放送アナウンサー、商学部卒)

牧野結美(静岡朝日テレビアナウンサー、政策学部卒)

松井昭憲(元毎日放送アナウンサー・専属パーソナリティ)

松井秀(名古屋テレビアナウンサー、文学部卒)

松原敬生(元東海ラジオ放送アナウンサー)

三谷純子(フリーアナウンサー)

満長直晃(テレビ金沢アナウンサー)

森直美(静岡朝日テレビアナウンサー、政策学部卒)

森谷威夫(KBS 京都アナウンサー、経済学部卒)

八木早希(元毎日放送アナウンサー、文学部卒)

八塚彩美(朝日放送アナウンサー)

吉崎仁康(長野放送→フリーアナウンサー、法学部卒)

土井悠平(北陸放送アナウンサー)

寺島啓太(文化放送アナウンサー、元四国放送アナウンサー)

<著者紹介>

永井隆雄:慶應義塾大学文学部人間関係学科卒業、同大学院商学研究科修了(労働経済

学専攻:指導教授/清家篤・慶應義塾長)、社会学研究科博士課程単位取得退

学(産業・組織心理学専攻)、九州大学大学院博士課程単位取得退学(経済

学・経営学専攻)。日本総研、アーサーアンダーセン(マネジャー)、関西

経済同友会(主任研究員)、日大、立教、九大等の大学講師(英書購読、統計

学等)、人材育成学会理事などを経てフリーランスの経営コンサルタント、

産業・組織心理学者。著書・論文・コラム多数。主な論文「介護職のバーン

アウトと離職」『人材育成』第 2号第 1巻など。

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