JustNow112 H2 1...JustNow112_H2_1.ai Author Hitoshi Ano Created Date 6/2/2018 9:47:03 AM ...

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20 1980沿10 20 40 竿使83 沿t沿15 調60 20 30 29 10 50 調1935(昭和10)年、礼文島海馬島(トド島)生まれ。 83歳。小学6年生から父親の元で漁師の仕事を始め、 18歳の時に船を買い漁師として独立。29歳から、主 に冬場にハンターとしてトド猟をはじめるようになる。 現在の住まいは浜中であるが、40代までは生活の拠 点を海馬島に置き、今でも自分の主な漁場はそこにあ る。トド猟は、その海馬島のさらに沖にある種島周辺 で、凪の日の早朝に行っている。 俵さんは、撃ち獲ったトドの内臓を東 京農大をはじめとする各大学、中央水 産試験場などの研究機関へ献体として 送り、トドの生態調査に協力していま す。 プカプカと三角の頭を出すトド。追い 詰めた末に放つ弾は必ず1日3発。 現在、2人の後継者に自分がもってる枠 を分け与え、技術指導も行っています。 銃は七挺目。手入れの行き届いたブローニングは10年愛用。 海馬島 (トド島) 種島 船泊 スコトン岬 浜中 香深港フェリー ターミナル 礼文島 礼文町

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古い地図では海驢島。その後、海

馬島。最近ではトド島と表記される、

北海道礼文町大字船泊村に属する無

人島。最北のスコトン岬から北方約

1㎞沖、浜中漁港からは3㎞ほど離

れた場所に位置する離島であり、20

世紀初頭から1980年代にかけて

は、昆布やウニの漁期になると漁業

者が居住していたとされています。

 

海岸の沿線は約4㎞。アゲハチョ

ウが羽を開いたような形のこの島に

俵静夫さんが生まれたのは昭和10年

のこと。「俺で四代目。先祖そのも

のが船乗りなのよ。初代の俵虎八が

島根県の船乗りで、礼文島に渡って

きたのが俵家の始まりで。二代目も

船乗りで、三代目(父親)も若い頃か

らこっちで商売してという具合さ。

そういう血筋なもんだから、俺もや

っぱりここの海が好きなんだ。母親

は礼文の鉄府(テップ)という集落

の出で、俺は9人兄弟の長男として

生まれたんだけど、今では〝海馬島

で生まれた〞ことが珍しくて、ビッ

クリされるよ。」俵さんは笑いなが

ら、こう続けます。「だから満足に

小学校にも行ってないんだ。住まい

はこっちにもあったんだけど、漁が

始まると居ることができないから、

学校は2・3年生で終わってしまっ

た。俺が漁の仕事を始めた(父を手

伝うというよりすでに一人前に仕事

をこなした)のは、6年生の頃で、

当時の海馬島は昆布でもウニでもア

ワビでも、良いものがなんぼでも獲

れた夢のような島だったんだ。いち

ばん多い時で家は20軒ほどあって、

100人くらいが住んでた。想像で

きないと思うけど、神社祭まであっ

たんだから。」

 

そんな俵さんが40歳くらいの時、

海馬島で身を投げた人がいて、それ

をキッカケに、住民が一挙に引き揚

げていったのだとか。しかし、その

後も海馬島は最高の漁場であり続け、

現在もなお通い続けています。

 「ポンと竿を振れば色んな魚が引

っ掛かってくるところだから、棚釣

りであろうが、タラ・スケソウ網、

ホッケの巻網でも、とにかく若い頃

は何でもやったんだ。ホッケなんか

巻網の中で渦巻くほど獲れて、1回

に3百貫(1,125㎏)とかザラだ

ったからね。魚探など使わずに。」

 

いまでも俵さんが獲るものは、島

で獲れる幅広い魚種。その中でも際

立っているのが、昆布、ウニ、アワ

ビ、ナマコなど。天然物だけを狙う

漁師であり、元来負けず嫌いの性格

がそうさせるのか、他の若い漁師が

漁に出れば、絶対に負けるわけには

いかないと、チャレンジ魂を燃やし

ます。「83歳になるけど、そんなに

人に負けることがないな。ウニ獲っ

ても昆布獲ってもだ。自慢するのは

好きじゃないけれど昆布の一等なん

かでも香深200、船泊200、計

400人いるとすれば負けたことが

ない」とか。若い漁師は力任せに

「ねじりまっか」という手法で収穫

する一方、俵さんは経験を生かし、

一回毎に最高品質となる昆布だけを

「鎌刈り」という手法を用い収穫す

るのだそうです。それでも船いっぱ

いに積んだその昆布は、常に他を寄

せつけない品質と量を誇ります。天

日干しの後に水気を取り、一晩寝か

し乾燥させたその昆布たちの大部分

が、最高級の印である「一等」の値

が付けられるのです。

猟師としての顔

 

そんな俵さんですが、トド撃ちハ

ンターとしての猟師の顔ももってい

ます。なかには北海道新聞や毎日放

送のテレビ番組『情熱大陸』で知っ

ている人もいるかも知れません。

 

トドは、北海道を含むオホーツク

海、アリューシャン列島、アラスカ

湾から米国カリフォルニアまで、北

太平洋の辺縁に沿って生息していま

す。大きさは、オスだと大きなもの

で体重1t。メスでも300㎏に達

するものも少なくありません。

 

タラやスケトウ、ニシン、ホッケ、

タコなどを好み、その巨漢が来遊す

ると、北海道沿岸における漁業被害

額は15億円を超え、大問題になって

います。網を食いちぎり、中の魚た

ちを容赦なく漁ることから「海のギ

ャング」とも言われ、多くの漁師か

ら憎しみと敵対心をもたれる存在で

す。

 

しかし、俵さんがトド猟をする理

由は〝トドの駆除〞だけではありま

せんでした。「なぜトド猟をするの

かと、よく聞かれるんだ。それはね、

第一には食べるためなんだよ。トド

猟は3千年も昔からこの地方で行わ

れてきた猟で、豚や牛も鶏もいなか

った島では、食生活に欠かせない貴

重なタンパク源だったんだ。俺が生

まれた海馬島の〝海馬とはトド〞の

ことで、大昔は群れを成していた島

だったんだ。それが次第にいなくな

り、数十年前にはその沖にある小さ

な種島に幾らかのハーレムが見られ

たほどに減って。その種島に上陸す

るものも僅かになってしまった。」

 

なんということでしょうか。トド

の数が減っているにも拘らず、漁業

被害が一向に縮小しないというのは。

調べてみると、1959年に日本で

駆除の対象とされたトドは、60年代

に、自衛隊の機銃掃射などが行われ、

大々的に駆除が行われた時代があり

ました。

 「トドも頭がいいんだよ。危ない

場所へは行かなくなる。駆除される

ところには集まらなくなるんだ。も

う一つの問題は、海にはすでにトド

の捕食に耐えるだけの豊かな資源が

なく、それで一度に大量の餌にあり

つける網を狙うわけさ。」20代、す

なわち昭和30年代から先達のトド撃

ちに帯同し、29歳で散弾銃を扱うハ

ンターに。その後ライフルの資格を

取得した俵さんは、つぶさにこの海

のことを見てきたのです。

 「資源のことも考えずに、魚さえ

獲れればいいっていう漁師も中には

いるんだよ。ただトドさえ駆除して

くれればいいって人も。けど違うと

思うんだ。俺が生まれた海馬島だっ

て、トドを追う種島でさえ環境が変

わってしまった。礼文の海だって乱

獲がどんどん進み、いつかは資源の

枯渇を見る日がくるかも分からない。

だから獲り過ぎてはいけないし、何

より共存共栄が大事なんだ。」

 

トド猟は10月から6月、特に厳寒

期に行われ、狩猟日数も頭数も制限

されています。ハンター歴50年を超

え、トド撃ち名人の威名を取る俵さ

んですが、いくらキャリアを積んで

もそう簡単には仕留められないのだ

そうです。しかも撃つ弾丸は、一日

に3発だけと決めています。できる

だけ苦しまずに、安らかに眠るよう

に逝くよう、急所だけを狙います。

 

礼文には、利尻や稚内にはないト

ド肉を食べるという食文化が根強く

残っています。船泊にある縄文時代

の遺跡からは、古代の繁栄ぶりを示

す土器や石器などの出土品が多数発

掘されていて、その中にはトドなど

の骨も混じっていると調査されてい

ます。それはとりもなおさず、大昔

から海獣類を食料としてきた証拠で

あり、島の人の魂を呼び覚ます北の

海からの贈り物なのかも知れません。

1935(昭和10)年、礼文島海馬島(トド島)生まれ。83歳。小学6年生から父親の元で漁師の仕事を始め、18歳の時に船を買い漁師として独立。29歳から、主に冬場にハンターとしてトド猟をはじめるようになる。現在の住まいは浜中であるが、40代までは生活の拠点を海馬島に置き、今でも自分の主な漁場はそこにある。トド猟は、その海馬島のさらに沖にある種島周辺で、凪の日の早朝に行っている。

漁師

猟師

礼文島の海に生きる男

俵 静夫さん

漁師としての顔

俵さんは、撃ち獲ったトドの内臓を東京農大をはじめとする各大学、中央水産試験場などの研究機関へ献体として送り、トドの生態調査に協力しています。

プカプカと三角の頭を出すトド。追い詰めた末に放つ弾は必ず1日3発。

現在、2人の後継者に自分がもってる枠を分け与え、技術指導も行っています。

銃は七挺目。手入れの行き届いたブローニングは10年愛用。

かいば

る男

んん海馬島(トド島)

種島

船泊

スコトン岬

浜中

香深港フェリー  ターミナル

礼 文 島

礼文町

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