James Baldwin - Doshisha...James Baldwinの公民権運動 Blues For Mister Charlie...

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James Baldwin の公民権運動一一 BluesFor Mister Charlie における銃表象一一 85 James Baldwin の公民権運動 一- Blues For Mister Charlieにおける銃表象一一 良子 ジェームズ・ボールドウイン (JamesBaldwin) の戯曲『ミスター・チ ャーリーへのブルース j (Blues for MisterCh α rlie) は,彼の他の小説や評 論に比べて論じられることが少ない作品である.しかし 1964 年という時期 に上演・出版されたこの作品は,彼の思想と文学,そして社会を結び、つける 重要な意味を持つ作品として注目されるべきである. 従来ボールドウィンはヨーロッパ時代に書かれた最初期のエッセイにおい て, r 社会問題は作家の第一の関心事ではない」と語り,芸術至上主義的な 姿勢を示していた.アメリカの黒人についても, r 彼は社会問題でしかなく, 個人の問題でも人間の問題でもないのだJ 1と指摘しながらも, r 社会的存在 としての人間の現実は,人間の唯一の現実ではない.人間を社会的関係にお いてのみ扱おうとする芸術家は破綻をきたしてしまう J 2と述べていた.し かしながら, 1957 年リトル・ロックの公立学校での事件を契機に, r 今こそ われわれアメリカ人が自分たちについて考えるべき時がきているのだ…[そ のために]現実にアメリカで起こっていることを知ろう J3 と永久帰国を決 意して,パリからアメリカへ戻ったボールドウインは,積極的に公民権運動 に関わってゆくことになる.公民権運動の活動家として社会的義務を果たそ うとする姿勢は,この時期の彼の作品にどのような影響をもたらしたのだろ うか. 『ミスター・チャーリーへのブルース』は, 1955 年に起こった公民権運 動にまつわる最初の事件といわれる,エメット・テイル (EmmettTi ll)少

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James Baldwinの公民権運動一一BluesFor Mister Charlieにおける銃表象一一 85

James Baldwinの公民権運動

一- Blues For Mister Charlieにおける銃表象一一

中 良 子

ジェームズ・ボールドウイン (JamesBaldwin) の戯曲『ミスター・チ

ャーリーへのブルースj(Blues for Mister Chαrlie)は,彼の他の小説や評

論に比べて論じられることが少ない作品である.しかし 1964年という時期

に上演・出版されたこの作品は,彼の思想と文学,そして社会を結び、つける

重要な意味を持つ作品として注目されるべきである.

従来ボールドウィンはヨーロッパ時代に書かれた最初期のエッセイにおい

て, r社会問題は作家の第一の関心事ではない」と語り,芸術至上主義的な

姿勢を示していた.アメリカの黒人についても, r彼は社会問題でしかなく,

個人の問題でも人間の問題でもないのだJ1と指摘しながらも, r社会的存在

としての人間の現実は,人間の唯一の現実ではない.人間を社会的関係にお

いてのみ扱おうとする芸術家は破綻をきたしてしまうJ2と述べていた.し

かしながら, 1957年リトル・ロックの公立学校での事件を契機に, r今こそ

われわれアメリカ人が自分たちについて考えるべき時がきているのだ…[そ

のために]現実にアメリカで起こっていることを知ろうJ3と永久帰国を決

意して,パリからアメリカへ戻ったボールドウインは,積極的に公民権運動

に関わってゆくことになる.公民権運動の活動家として社会的義務を果たそ

うとする姿勢は,この時期の彼の作品にどのような影響をもたらしたのだろ

うか.

『ミスター・チャーリーへのブルース』は, 1955年に起こった公民権運

動にまつわる最初の事件といわれる,エメット・テイル (EmmettTill)少

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86 James Baldwinの公民権運動 Blues For Mister Charlieにおける銃表象

年のリンチ・殺人事件を題材にしている.講演や会見,テレビやラジオへの

出演,執筆活動に忙殺される中,何度も中断されながらようやく書き上げら

れたこの作品は,運動に専心するか,作家としての義務を果たすかの葛藤の

中で出された彼の解答でもあったといえよう.それが小説ではなく演劇とい

う形式がとられたこと,さらに,ニューヨークで白人の観客を対象に上演さ

れたことは意義深い.この劇は 1964年4月23日から 8月29日の問ブロー

ドウェーの ANTA劇場で上演され,賛否両論の大きな反響を呼んだ 4劇の

上演が1カ月で打ち切られようとしたとき,ボールドウインは激しく抵抗し,

上演中止こそがレイシズムの勝利だと述べて続演のための一大キャンベーン

を行った.多くの賛同者が集まり,最後はロックフエラー姉妹の 1万ドルの

寄付によって続演が決定した.この劇の上演自体が政治的なイベントとなっ

たのである.このような経緯は, rミスター・チャーリーへのブルース』が

ボールドウイン流の「抗議小説Jに他ならないことを物語っているのではな

いだろうか.ボールドウインは,アメリカの黒人として人種問題をどのよう

に捉えていたのか,作家としてこの時代の体験をどのように描いたのだろう

か.本論はこの問題を,彼のエッセイを手がかりに, rミスター・チャーリ

ーへのブルースjを分析,考察することによって探ってみたい.

まず始めに公民権運動における黒人知識人の声,そしてアメリカの良心と

もいわれたボールドウインが,人種問題についてどのような考えをもってい

たのかを見ておきたい.彼がアメリカ黒人の怒りの声を代弁するスポークス

マンとしての不動の地位が与えられることとなるのは, 1963年に出版され

たエッセイ『次は火だJI (The Fire Next Time) によってである.この書は

41週間もの間ベストセラーの 5位以内に入るほど,熱狂的に迎えられた.

この中でボールドウインは,今こそ急進的な「変革Jが必要なのだという

ことを,過激に,予言者的な熱意を込めて語っている.r統合Jとは「黒人

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James Baldwinの公民権運動 Blues For Mister Charlieにおける銃表象 87

が白人に受け入れてもらうことではなく,黒人が白人を愛情をもって受け入

れてやることJ5だと述べている. I愛情を持って,白人自身の存在について

認識させ,現実逃避をやめさせ,変革を始めさせなければならない.J 6変革

とはすなわち「黒人を無条件に自由にすること」であるが,それは「白人が

自由になることの代償J7である.白人が過去の神話から自由になり,アメ

リカが白人の国ではないという現実を認識することから,変草は始まるので

ある.そうして変革によって再生する世界は,肌の色による境界線を超えた,

「アメリカのあるべき姿J8なのである.

ボールドウインのこの主張は,コスモボリタンな感覚に根ざした作家とし

ての,アメリカ人としてのアイデンテイティからくるものである.彼は,

「黒人たちがアメリカで権力を握るようになることはまったくあり得ないこ

とfであり,ブラックムスリムが主張するように「白人と黒人という 2つ

の国家をつくる必要はまったくないyoと述べている.アメリカへの強力な

帰属意識の上に立って,ひとつの国民の国家をつくることを目指し,そのた

めに「ニグロこそこの国の鍵を握る存在であるJllという戦略をたてている.

肌の色による境界が存在する現実を変革するためには,黒人の過去を利用す

ることが有効であるという.

アメリカのニグロには,白いアメリカ人たちが固執するさまざまな神話

を信じたことがなかったという大きな強みがある.…ニグロたちははる

かによく白いアメリカ人たちのことを知っている.事実彼らは両親が子

供のことを分かっているように白いアメリカ人たちについて分かってい

るし,そういう態度で白いアメリカ人たちを見ているのである 12

愛情をもって白人を受け入れようという場合に,白人に対する黒人の優位

性を誇る,いわばバターナリズムの逆転ともいうべき戦略を用いて,白人の

神話を転覆し,現実社会に変革をもたらそうとしているのだといえよう.

しかしこの時期多発した人種偏見による暴力的な事件が示す,白人たちの

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88 James Baldwinの公民権運動一一BluesFor Mister G加 rlieにおける銃表象

「非妥協的な態度と無知」はこの国を破滅へと導くものでしかない.活動家

としての彼は, Iノアの洪水の次にくるのは火だj13という過激な予言でこの

エッセイを締めくくらざるを得なかったのである.

彼らは自分たちを今まで認めなかった国,彼らが鎖につながれて連れて

こられて来たこの国と,運命をともにしなければならないのだ.もしそ

うであれば,その運命を変えるために,あらゆる危険を冒して,追放,

投獄,拷問,死をも冒して,力の限りをつくす以外に方法はない.…白

人の社会の非妥協的な態度と無知とは,この復讐を避けがたいものにし

てしまうかもしれない。…それは歴史的な復讐,宇宙的な復讐である。 14

活動家としてのボールドウインによって発せられた,黒人たちの決起を促

すかのような危機感に溢れた警告は,彼の文学にどのような影響を及ほ守すよ

うになったのだろうか.

E

ボールドウインの思想、を最も先鋭化させた『次は火だ』出版の翌年に,

『ミスター。チャーリーへのブルース』は上演・出版される.この作品は,

エッセイのなかで展開された急進的な思想を文学の形で表した続編,彼の

「抗議小説」とみなすことができる.数年前から演劇というジャンルへの興

味を持ちながらも実現に踏み出せないでいたというが,もう小説は書けない

のではないかと言われていたボールドウインの,作家としての葛藤の末に選

んだ表現形態は,現実社会へ直接異議申し立てを行う手段として最も効果的

な形式ともいえる演劇だ、った.

執筆の直接の動機は, 1963年初めての深南部ミシシッピへの旅と,そこ

で知り合った NAACP(全固有色人種地位向上協会)の指導者メドガー・エ

ヴァーズ (MedgarEvers)の暗殺事件た、った.ボールドウインは作品を,

エヴァーズとパーニングハムの教会の爆破で死亡した日曜学校の子供たちに

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J ames BaldwInの公民権運動一一BluesFor Mister Charlieにおける銃表象一一 89

捧げている.この劇はこの時期に多発した一連の黒人への残虐な暴力に対す

る作家としてのレスポンスであるといえる.なぜ特に約 10年前のエメッ

ト・テイルの事件を題材に取りあげたのだろうか.この事件は, r長く頭か

ら離れない事件」だ、ったという.何がボールドウインの創作意欲を掻き立て

たのだろうか.

事件は 1955年8月28日,ミシシッピ州のマネーという町で,シカゴから

いとこの家に遊びに来ていた 14歳のテイル少年が 2人の白人男性に誘拐

され暴行の後,銃で頭を打ち抜かれて殺されたというものである. 2人は誘

拐の 2日後に捕まるが,裁判では白人だけの陪審員によって,殺人罪にも間

われず,無罪となった.少年の無惨な遺体の写真が公開されたことや,裁判

の後,容疑者だ、った 2人が殺害の様子を語ったインタビューが雑誌に掲載さ

れたことから,全米の注目を浴びた 15事件の発端は,少年がいとこや友達

に,シカゴでの白人女性のガールフレンドの写真を見せて自慢したことから,

白人女性(容疑者の妻・姉)が底番をしていた屈に入って,彼女をデートに

誘えるかとけしかけられ,少年が実際にひとりで庖に入りやってみせたこと

による.女性にピストルで追い払われて庖を出るときに口笛を吹いたともい

われており,そこから, Wolf-Whistle殺人事件と名付けられた 16

この事件の本質は,黒人男性が白人女性と性的関係を持つという,人種混

交のタブーに関わる問題だったことにある.証言の真偽のほどはさておき,

少年が南部の白人女性をレイプしようとしたことに対して,白人男性が女性

を守ろうとしたという,極めて南部的な,南部神話の根源に共鳴する事件だ

ったともいえる.エメット・テイルがシカゴから訪れた 14歳の少年だ、った

ことも衝撃だ、ったが,それも,南部の生活様式を脅かす者は常に共同体の外

からやってくるという法則にあてはまっていた.インタビューによると,少

年を連れ去った時は,見せしめに懲らしめるためで,必ずしも殺害が目的で

はなかったようだ.少年本人も,最後まで自分が殺されるという危険は感じ

ておらず,平然とふるまい,それが殺害の契機となったようである.しかし

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少年は 18歳くらいの青年に見えたということだが,南部社会は 14歳の子供

を,しかも共同体に属さない黒人の子供を殺してまで白人優越主義を守ろう

とする,ということが明らかになった.まさに白人の,南部の神話を守ろう

とするいわば「伝統的な」リンチ事件だといえる.

ボールドウインもインタビュー記事を読み,犯人に非常な憎悪の念と恐怖

心を抱いたという. 14才の黒人少年と白人女性との関係が,なぜ、これほど

激しく残忍な形で拒絶されるのか.白人のことを愛情をもって受け入れなけ

ればならないとするボールドウインにとっては,人種聞の断絶の現実は,絶

望的な怒りであったに違いない. Iブルースへの覚書Jに「自分にはあの殺

人犯人の妥当な肖像画は描けそうにもないj17という懸念が述べられている.

そこにはこの事件に見られる北部と南部の対立も関係しているのではないだ

ろうか.南部で激化している人種問題について語る際に,南部の外に位置す

る彼自身の主体への不安定感があったのではないだろうか.

しかしすべての人聞が兄弟であるとするならば,私はそう信じているの

だが,われわれにはそういうみじめな人聞をも理解しようと努力する義

務がある.…というのは,われわれアメリカ国民がそういう人聞を創り

だしたのである…彼の犯す犯罪の責任はわれわれにある….(xiv)

ボ}ルドウインは,南部への旅に非常な恐怖を感じていたという.しかし,

白人による黒人殺害事件の聞き取り調査をするエヴァーズに同行して,自身

の身の危険に晒されながらも地道に活動する彼の姿に,人間の「努力」を見

て取ったと思われる.エヴァーズに閉じアメリカ人としての帰属意識を感じ

たことが,この劇を書く強い動機となったのであろう.rミスター・チャ-

1)、ーへのブルース』は,白人社会に対する激しい抗議の演劇であると同時に,

白人たちの神話に挑戦し変革の可能性を探る試みであり,白人を理解し受け

入れようとする試みであるといえる.

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E

白人優越神話の再現のようなエメット・テイルの事件を,ボールドウイン

はどのように脚色したのだろうか.

物語の大枠は実際の事件に即している.プロットの進行は,白人男性ライ

ル (Lyle) による黒人青年リチヤード CRichard)の殺害に始まり,ライル

が逮捕され裁判にかけられるも無罪になるまでを描いている.リチヤードが

白人女性の写真をもっていたこと,ライルの庖で彼の妻をレイプしようとし

たために殺害されることになったという偽証の 2点は踏襲されている.途中

にフラッシュパックが多用されることで,事件に至る経緯が検証され,また

登場人物の立場がそれぞれの過去から明らかにされ,この事件を様々な文脈

でとらえることを可能にする仕組みになっている.

舞台は中央が通路で区切られており,黒人街と白人街に分けられている.

場面が教会や裁判所に変わってもその境界線が越えられることはない.まず

幕が聞くと銃声が響き,ライルが「このニガーのようなニガーはみんなこい

つのように死ねばいいんだ,草むらにうつ伏せになってなJ(z) と言って,

死体を舞台奥に投げ落とすのだが,その時舞台を三分していた境界は,死体

を飲み込む「深淵J(z) となるのである.舞台ははっきりと白人と黒人が

分離した世界を作り上げている.

人種聞の断絶の問題を描くために,ボールドウインは,それぞれに対照的

な2組の白人と黒人を登場させている.

白人は,典型的な白人優越主義者のライルと,白人リベラルのパーネル

(Parnell)である.ライ Jレは,黒人相手の屈を営む貧しい白人で,以前にも

関係を持った黒人女性の夫を殺しておきながら正当防衛で無罪になってい

る.パーネルは,ライルとも古くからの友人であり, r黒人たちの友人」で

もある.ライルの逮捕に尽力するが,証人に立った裁判では,彼を有罪にす

ることはできなかった.人種問題については全く考えを異にするこの 2人の

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白人は,共に好色な「黒人好き (nigger-lover)Jとして描かれている.ラ

イルは自分のコンプレックスを解消するために黒人女性を求め,パーネルは

彼の「内面jを映し出し自己の存在を危うくする存在として「黒Jにとりつ

かれている (106).

黒人は,リチヤードと彼の父親で町の黒人教会の牧師をしているメリデイ

アン (Meridian)である.リチヤードはニューヨークで歌手をしていたが,

その傍ら白人女性相手の男妾となり,その苦しみを紛らわせるために麻薬に

おぼれ身体をこわして故郷に帰ってきたのだった.人生に挫折したリチヤー

ドは,白人に対する全ての黒人の怒りを体現する人物である.持っていた写

真の白人女'性は軽蔑の対象だったしライルに対してもことさら生意気で挑

発的な態度をとり,その結果,自ら死を招いてしまったかのようにも描かれ

ている.一方メリデイアンは,キリスト教の教えを守り,非暴力主義の立場

から運動してゆくことでいつか社会が変わることを信じている敬慶なクリス

チャンである.リチヤードとメリデイアンの聞には父子の断絶の主題もこめ

られている.

このような 4人の主要人物を中心に舞台の上で展開されるあからさまな人

種憎悪の感情に,ニューヨークの観客は困惑し,劇評家は,そのステレオタ

イプな人物像とメロドラマ性,そしてプロットの展開の複雑さを批判した.

劇評が指摘するこの劇の欠点は,人種聞の緊張関係が黒人の性的優越対白人

の性的劣等という点に凝縮され誇張されすぎている点に集約される 18しか

しそれこそがボールドウインの狙いであったといえよう.彼はリチヤード青

年を,わざと観客の同情を呼ぶおとなしいアンクルトムとして描かなかった.

生意気で攻撃的で人生の敗北者にさえ描いている.その一方でライルやパー

ネルは黒人たちにコンプレックスをもっ弱々しい人物に描かれる.ボールド

ウインは,ステレオタイプな性格を誇張することで, I神話」に挑戦しよう

としているのである.しかしボールドウィンの意図は,リチヤードを白人に

刃向かい殺される運命にあった黒人少年として描くことではない.彼を白人

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への憎悪にみちた攻撃的な若者として描きながら,それでも彼を殺すことは

まちがっている,ということにある.そのような彼の人種偏見に対する抗議

のメッセージを理解するには,当時の観客は白人優越主義の神話に囚われす

ぎていたのだといえよう.

この劇のメッセージを読み説く鍵は,リチヤードの銃である.ボールドウ

インは,実際の事件には存在しなかった黒人側の銃を,舞台に登場させてい

る.以下,リチヤードの銃に注目しながら物語をたどってみたい.

リチヤードが銃を持っていたということが明かされるのは,ニューヨーク

から戻ってきた彼が祖母と久しぶりに会話をする場面である.そこで彼の白

人憎悪の根源が母親の死にあることが明らかにされる.事故で亡くなったと

されている母親は,実は白人の男たちに殺されたのだ、った.そしてリチヤー

ドは,その時白人に「どうすることもできなかった」父親を未だに許せない

でいる.

[殺されたのは]お母さんがきれいで、黒人だ、ったからだ卜・・

…僕はやつらを一人残らず,世界史上におきた全ての罪に責任がある

者として扱ってやる.僕の今まで、味わった惨めさはすべてやつらのせい

だ,僕にはそれだけでも充分だ.お母さんが死んだのも,お父さんに何

の力もなかったからだ.そしでそれはお父さんが黒人だからなんだ.(21)

彼が家を出てニューヨークに行ったのも,父親との衝突を避けるためだ、っ

たのだが, 1ましな暮らしができるJ(19) と思ったニューヨークでも黒人で

あるがゆえの惨めな挫折を味わったのだ、った.

この会話の中でリチヤードはいきなり銃を取り出して見せ,銃を取りあげ

ようとする祖母にむかつて「やつらにわからせるのはこれだけなのだから.

他の方法ではわかるようなやつらじゃない.何をもってしてもだ!J (22)

と言う.まだ一度も使われたことはないものの常に持ち歩いているというリ

チヤードの銃は,非暴力主義の牧師である父親との葛藤において,白人への

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復讐の武器,憎悪のシンボルとして登場する.そして彼が, Iぼくは苦しみ

と挫折の過去をみんな思い出して元気になってみせる.憎しみによって強く

なるのだJ(20) と言うのは,銃を持つことで,白人への憎しみに生きるこ

とを,すなわち,白人に与えられる黒人の苦悩の人生を受け入れて生きるこ

とを意味している.

次に銃が取り出されるのは,リチヤードが幼なじみのジ、ユアニータとの結

婚の承諾を得るために父親を訪れる場面である.この時初めて 2人は母親の

死について話し合う.メリデイアンは,妻の死後「自分の生涯はもう終わっ

たJ(35) と感じて,妻や同じような目に遭った黒人の女たちへの「義務と

して,町を改革し浄化する努力J(36) を続けているのだと語る@この告白

を聞いたリチヤードは,初めて非暴力主義の牧師として生きてきた父を理解

し和解する.そして銃を取り出し父親に預けるのである.

リチヤード:お父さんは公的な人間としてだけ過ごして来られたのでし

ょう?あの日からず、っと.個人としての自分を消し去ってしまわれてい

たのですね.

メリデイアン:そうだ.どうか私を赦す気持ちになってくれないか.

リチヤード.j放さないといけないことなんて何もありません.僕だ、って

同じ道を歩いていたのです.何があったのかはよくわかります.僕はも

う一度やり直してみるつもりです,お父さん.

(銃を取り出す)…お父さんに預かつてもらいましょう.返してください

と言うまでは持っていてくれませんか.そのかわり返してほしいと言っ

た時には必ず渡して下さい. (36)

母親の死後,私的な個人としての人間としてではなく,公的な人間として

生きてきた父親と息子の人生とは,牧師と麻薬中毒者という正反対の生き方

ながらも,どちらも白人によって与えられた黒人の権の中で生きることだっ

た.父親との和解は,リチヤードが黒人であることの呪縛から解放される瞬

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James Baldwinの公民権運動 Blues For Mister Charlieにおける銃表象一一 95

聞であった.彼の挫折を黒人であるがゆえの苦悩ではなく,自分自身の人生

の重荷として受け入れて生きてゆく決意を固めたリチヤードは,ジュアニー

タと結婚し, Iもう白人から逃げずに,この地にとどまって,人間になるの

だJ(99) という決心をする.彼が復讐のための銃を必要としなくなったの

は,肌の色による境界を越えたからである.しかしその結果,リチヤードは

ライルに殺されてしまうのである 19

一方,息子から銃を受け継いだ、メリデイアンは,牧師としての人生に疑問

を抱き始める. Iもし黒人に生まれなかったら,自分はこのようなクリスチ

ャンになっていただろうかJ(38) と.紀元前,キリスト以前には,卑下す

ることもなく平等であった黒人たちにとって,キリスト教を教えられて,罪

と天国で、の救済を知ったことは進歩だ、ったのだろうか.神は妻も息子も護っ

てくれることはなかったのである.結局キリスト教は,白人への奉仕を求め

る,白人社会に都合のいいイデオロギーでしかなかったといえるだろう.彼

はさらに教会の子供たちに武器を持たせなかったのは間違いだ、ったかもしれ

ないとまで考えるようになる.パーネ1レは,彼の言葉に今まで聞いたことが

ない「憤怒,あるいは憎悪J(39)が潜んでいることを察知する.メリデイ

アンは,リチヤードの銃を手に入れて,白人への憤りを明確に自覚すること

で,真実と希望を求める闘争に立ち向かつて行くことになるのである.

メリデイアンは友人だ、ったパーネルにむかつて, I今度の闘争の狙いはど

こにあるのですか,どこに希望があるのですか?もし[あなたたち]ミスタ

ー・チャーリーが変わることができないのであればJ(40) という聞いを発

する.自分自身の人生に目覚め,肌の色による境界を越えた人生を生きるた

め,現実社会の変革を求める黒人に対して,白人たちはどうなのだろうか?

黒人達の友人として裁判を聞くことに奔走してきたパーネルだが,結局裁

判では,ライルの妻の「襲われそうになったJという嘘の証言を認め,その

ため無罪判決が下る.パーネルは自分がライルと何ら変わらない「白人」で

あったことを思い知るのである.裁判が終わった後,メリデイアンはライル

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96 James Baldwinの公民権運動 Blues For Mister Charlieにおける銃表象

を問い詰め,リチヤードの殺害を告白させる.ライルは,最後まで彼に謝罪

して命乞いをしなかったリチヤードを, rあの時おれはあいつを殺さなけれ

ばならなかったんだ.おれは白人なのだ!J (120) と叫んで、退場してゆく.

そこで明らかにされるのは,黒人を差別することによって築かれる自らのア

イデンテイティを守ろうとする白人の姿である.裁判とリチヤード殺害のク

ライマックスで,この劇が,白人であることの限界を超えることのできなか

った 2人のミスター・チャーリー,白人に向けられたブルースであることが

明らかにされるのである.

しかしパーネルは,裁判で自分のとった「恐ろしくひどい行動Jによって,

ライルとはもはや「同じにはなれない」ことを悟るのである.そうしてメリ

デイアンにむかつて「あなたに許してもらえるとは思ってもいない.われわ

れの全てが,今度の苦悩と恐怖を過ぎ去らせていくことに希望をかけるしか

ないJ(117) と語る.この事件の「苦悩と恐怖」を同じ人間として共有し,

重荷として背負っていく覚悟を決めたパーネルは,黒人たちとともに舞台に

残る.

黒人たちが抗議の祈祷集会のために出かけようとする時,メリデイアンは

次のように語る.

メリデイアン:われわれにとって,全ては聖書と銃から始まったのだ.

おそらくそれは聖書と銃で終わるのかもしれない.

ジュアニータ:メリデイアン,あの銃はどうしたの?

ノtーネル:あの銃は,リチヤードの銃は,君のところにあるのか?

メリデイアン:そうなのだ.説教檀に.聖書の下に.昔の清教徒のよう

(退場 (120)

これが,白人に妻と息子を殺された,非暴力主義の立場をとる牧師である

メリデイアンの下した結論だった.彼の言葉は,アメリカが白人たちによっ

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James Baldwinの公民権運動--Blues For Mister Charlieにおける銃表象一一 97

て銃と聖書で建設された国家であること,そこで未だに銃と聖書によって黒

人たちが殺害されているという現実を再認識させ,白人たちが自分たちの築

いた神話を自らの手で崩壊させようとしているアメリカ社会の終嵩を予言す

るものである.舞台セットには,裁判所に掲げられた国旗と教会の十字架が,

観客に意識されるように置かれていることもそのことを十分に伝える効果が

あったと思われる.

ではリチヤードの銃は何を意味するものだ、ったのだろうか.初めリチヤー

ドにとっては白人たちへの復讐のシンボルとして所有され,父親へと受け渡

された銃だが,今それは, r昔の清教徒たちのように説教台のなかの聖書の

下に」置かれている.このことは,あくまで銃は白人たちの神話の隠喰であ

ることを示している.銃は,肌の色による境界を創り出すための道具そのも

のだった.その銃にたよることは,その境界を容認することを意味してしま

うことになるだろう。リチヤードが銃を持たずに殺されていったことは,そ

の境界を超越しようという行為だ、ったのだ.そして最後にその銃は,抗議の

祈祷会の教会に置かれることになる.それは黒人たちが白人の銃を受け継い

で,新たな意味をつけ加えようする行為であると考えられる 20なぜならそ

の教会にむかう行進には,パーネルも加わるのである.

パーネル:僕も行進に加わってもいいかい?君たちと一緒に歩かせても

らっても?

ジュアニータ:そうね,わたしたちは同じ方向に歩いてもいいはずだわ

ね.パーネル,行きましょう.さあ,どこまでも進んで行きましょうよ.

(121)

リチヤードの銃は,白人と黒人が共闘して,変革をおこし,アメリカ社会

を再生させるためのシンボルとなる.

息子の死後急に白人への怒りを露にするようになったことに驚くパーネル

にむかつて,メリデイアンは次のように答えていた. rあなたたちはその怒

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98 James Baldwinの公民権運動一一BluesFor Mister Charlieにおける銃表象←ー

りの声を以前から聞いているのです.ただ、気がつかなかっただけです.あな

たたちの好きなブルースや黒人霊歌やゴスペルのなかに,その怒りを聞いて

いたのですよJ(39). rミスター・チャーリーへのブルース』において,銃

は,黒人たちの怒りのシンボルとして舞台の中に置かれている.銃が使われ

ることなく,白人たちが現実に目覚め黒人たちと共闘してゆくことを求める

抗議のシンボルへと変容してゆく結末に,ボールドウインの急進的な思想の

文学的昇華を見て取ることができる.rブルースjという言葉に,ボールド

ウィンの白人に注ぐまなざしが表われている.

w

以上, rミスター・チャーリーへのブルースjに描かれたリチヤードやメ

リデイアン,そしてパーネルもが, r出生とともに受け継いだ野蛮な価値基

準Jを乗り越えて,それぞれの人生の重荷を受け入れる過程そのものが,ボ

ールドウィンの人種問題への「抗議」であったことを論じてきた.ここで想

起すべきは,ボールドウインがリチヤード・ライト (RichardWright)の

『アメリカの息子j(NαtiveSon 1940) を槍玉にあげて「抗議小説Jそのも

ののあり方について痛烈に批判した,最初期のエッセイの次の一節である.

ビガーの悲劇は,彼が冷酷で、あるとか,皮膚が黒いとか,飢えていると

いうことではない.またそれは,彼がアメリカの黒人であるということ

ですらない.悲劇は,彼が自分に生活を安定させる神学を受け入れ,自

分を人間以下であるかもしれないと考え,そのため自分の人間性のため

の闘いを,出生とともに受け継いだ、野蛮な価値基準に従って行うしかな

いと感じていることにあるのだ.しかし,われわれの人間性とは,われ

われの重荷であり生活そのものなのである。われわれはそのために闘う

必要はないのだ.必要なのは,それを受け入れることだけである.その

ほうがはるかにむずかしいことなのだ.抗議小説の失敗は,生活を,人

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James Baldwinの公民権運動一一BluesFor Mister Charlieにおける銃表象一一 99

間を拒否し,人間の美しさ,不安,力を否定したことにある.つまり,

人聞をあの類別法に従って色分けすることだけが,乗り越えがたい唯一

の現実であると主張してしまったのである 21

このボールドウインの批評を意識したのか,リチヤードの死は,ピガー・

トーマスと同じく,不毛な抗議の死であり,このことがボールドウインの作

家としてスポークスマンとしての避けがたい葛藤を表している,という見方

もある 22しかし,ビガーとリチヤードの死は同じものではない.

リチヤードはビガーのように白人への憎悪によって死を選んだのではな

い.ライルに呼び出されたリチヤードは逃げることなく,ライルに向き合い,

彼への謝罪を拒絶する. rおれはおまえたちなんかに何も望んではいない.

おまえたちはおれに与えられそうなものは持っていない.…おまえは知らな

いだろうが,おれは生まれてからずっとおまえたちを見守ってきたのだ…

おまえたちの女のことだ、っておれの方が良く知っているんだり (119)一一一

そう言ってリチヤードは撃たれてしまう.白人よりも優位にたった態度で,

何の抵抗もせずに死を受け入れてしまうリチヤードは,白人神話をくつがえ

す「キリスト象概」であるとも考えられないだろうか.

ボールドウイン自身は, rアメリカの息子』が単なる「抗議小説」に終わ

っている問題は,ビガーの死が当然の報いと受けとめられるしかない点にあ

ると批判していた.それは「怒りの中に込められた深い意味合いが隠蔽され

ている以上,われわれが誇りとすべき現実のないし潜在の意義は,どこにも

見つけることができない」からだという 23ボールドウインは, r怒りの中に

込められた深い意味合い」を示すものとして,リチヤードの銃を提示したの

である.

時代の「スポークスマン」としての役割が大きくなっていく中で書き上げ

られた『ミスター・チャーリーへのブルースjは,彼が現実社会と向き合う

ことで生まれた彼流の抗議の作品である.それが,いわゆる「抗議小説」の

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100 James Baldwinの公民権運動一一-Blues For Mister Charlieにおける銃表象

多くがそうであったように,人種聞の緊張を示すひとつの社会現象としての

意味しかもたない,抗議のパフォーマンスに終わることなく,現実の問題へ

の洞察と予言者的な警告を示すものであるのは,この作品に提示された銃の

象徴性に明らかである.銃は,アンピヴァレントな意味で黒人と白人の共有

の遺産となり得るものとして,また,その極めて暴力的な破壊性ゆえに人種

の境界を崩す社会変革のシンボ、ルとして,用いられているのだといえよう.

この作品の社会的文学的な価値は,銃がこの時期のボールドウインの人種問

題に対する急進的思想、の文学的表象となり得ていることにある.

*本稿は,日本アメリカ文学会第 43回全国大会 (2004年 10月 17日於甲南大学)で

のシンポジウム「神話のスパイラルーアメリカ文学と銃」で発表した内容の一部に

新たな考察を加えたものである.

1 James Baldwin,“Many Thousands Gone," in Toni Morrison ed., Collected

Essα;ys (New York: The Library of America, 1998), 19. エッセイからの引用は全

てこの版による.

2 Ibid., 25.

3 "The Discovery ofWhat It Means To Be an American," 142.

4 Blues for Mister Chαrlieの成立背景については主に以下の文献を参考にした.

Fern MaIja Eckman, The Furious Passage of '"αmesBαldwin (New Y ork: Evans,

1966); James Campbel1, T,αlkingαt the Gαtes: A Lij量ofJ,αmesBaldwin (New

York: Viking, 1991).

5 “My Dungeon Shook: Letter to My Nephew," 293.

6 Ibid., 294.

7 Ibid., 295.

8 Ibid., 294.

9 “Down at the Cross," 334.

10 Ibid., 342.

11 Ibid., 340.

12 Ibid., 344.

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James Baldwinの公民権運動 Blues For Mister Charlieにおける銃表象 101

ボールドウインは自身のエッセイの中でほぼ一貫して“Negro"という表現を使って

いる.アフリカ系アメリカ人への蔑称を自ら使うことは,差別的状況を逆熊射する

異議申し立ての行為であったと考えられる.本論では,ボールドウインの言葉はそ

のまま引用し,本文では 60年代の「ブラック・パワー」の思想を反映して当時一

般的で、あった呼称「黒人」という言葉を用いた.人種差別に対する認識と批判を喚

起したく当時の表現を用いたことをご了解いただきたい.

13 Ibid., 347.

14 Ibid., 346.

15 William Bradford Huie,“The Shocking Story of Approved Killing in

Mississippi," Look 20 (24 January 1956): 46-49;“What's Happened to the Emmett

Till Killers?" Look 21 (22 January 1957): 63悶68.

16 Emmett Till事件については以下の文献を参考にした.Christopher Metress,

日d.,The Lynching of Emmett Till: A Documentary Narrative (Charlottesville: U

of Virginia P, 2002); Stephen J. Whitfield, A Deαth in The Deltα: A Story of

Emmett Till (Baltimore: Johns Hopikins UP, 1988).

17 James Baldwin, Blues for Mister Chαrlie (New York: Vintage, 1992), xiv. 以

下このテクストからの引用は本文中の( )内に数字で示す.

18 この劇の評価は以下の文献において共通する指摘である.Fern Marja Eckman,

The Furious P,αssage ofJ,αmes Baldwin; Irving Howe,“J ames Baldwin: At Ease

in Apocalypse," in Keneth Kinnamon, ed., J,αmes Bαldwin: A Collection of

Critical Essαys (Englewood Cliffs: Prentice-Hall, 1974); C.W.E. Bigsby, A

Critical Introduction to Twentieth-century Americαn Dr,αmα(Cambridge UP,

1985), 388-91; Philip Roth,“Blues for Mr. Charlie," in Harold Bloom, ed., J,αmes

Bαldwin: Modern Criticα1 Views, (New York: Chelsea, 1986); Joseph

Featherstone,“Blues for Mister Baldwin," & Tom Driver,“The Review That Was

Too True to Be Published," in Fred L. Standley and Nancy V. Burt, eds., Criticαl

Essα'ys on J,αmes Bαldwin (Boston: G.K. Hall, 1988); Matthew C. Roudane,

AmericαnDr,αmαsince 1960 (New York: Twayne, 1996), 56-60.

19 また前掲の PhilipRothは,この劇を父息子の葛藤の物語として捉え,リチャー

ドが銃を手放したのは父親との和解の徴であるとする.しかしそれには葛藤が充分

に描かれず,なぜ銃を手放したのか,誰に対する復讐のための銃なのか,その意味

が極めて唆味であると酷評している.

20 この結末にはメレディスたちの武装蜂起の可能性を意味しているという解釈も残

されている.K. A. Berney, ed., Contemporary AmericαnDramαtists (London: St

James, 1994),34-35

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21 官 verybody'sProtest Novel," 18.

22 Jean-Fran号oisGounand, The Rαcial Problem in the Works of Richαrd Wright

αndJ,αmes Baldwin (Westport: Greenwood, 1992), 249.

23 “Many Thousands Gone," 34.