今,学校 に期待 される 「ことばの 教育 」 · 2015-01-26 · - 4 - 論 説...

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-4- 論説 今,学校に期待される「ことばの教育」 - 国語科で育てるべきことばの力と国語科の授業改善 - 広島大学大学院教育学研究科 教授 はじめに 私は基本的に 「ことばの力」は国語科で責任を もって育てるべきであると考えている。確かにこと ばを使う機会は,学校教育のあらゆる場に及んでい る。が,それは,ことばを手段的に使ってそれらの 本来の目的を達するためである。決して,そこでこ とばの力を養うことが直接的に求められているわけ ではない。その点,国語科は,ことばの力を育てる ことを目的として設置された教科である。このこと をまず明らかにしておいて本稿を始めたい。 それでは,国語科で育てるべき「ことばの力」と は,どのようなものか。そして,それをどのように 育てていけばよいのか。以下に,私見を述べていき たい。 なお私は,国語科で育てるべきことばの力には, これまでも求められてきた,その意味では「普遍的 なことばの力」と,今の時代だからこそ求められて いる,その意味では「今日的なことばの力」とがあ ると考えている。そして,この求められている両者 を合わせたものが今日の国語科で育てるべきことば の力だととらえている。 国語科で育てるべきことばの力 普遍的なことばの力 まず,普遍的なことばの力についてである。普遍 的とは 「いつの時代にあっても,つまり時代を越 えて」ということである。となると,これまで伝統 」, 的に言われてきた基本学力としての 読み書き算 あるいは「3R's」が思い出される。私は,ここで言 う普遍的なことばの力とは,それらに近いものと考 えている。その「読み・書き」の(ここでは聞く・ 話すも加えて)言語活動力と,それを支える音声・ 文字・語句・文法等の言語事項に関する知識との両 面があると考えている。 (1) 言語活動力(ことばで表現-話す・書く,こと ばで理解-読む・聞く) 私は,国語科で育てるべきことばの力は,いつの 時代にあっても「言語活動力(ことばで表現-話す・ 書く,ことばで理解-読む・聞く 」がその基本だ ととらえている。そして,これが「時代を越える」 だけでなく 「空間を越えて ,その意味ではどの 国にあってもことばの基本学力として求められてい る力だと思っている。 そして大事なことは,この言語活動力が誰か特定 の人だけに身に付けばよいのではなくて,国民の誰 にでも,換言すれば誰ひとり残すことなく身に付け られなければならないことだと考えている しかし 「読む,書く……」と一言で言っても,それは決し ,「 」, て易しくない それらが 確かに-豊かに-深く 奥行きのある力として身に付けられなければならな いからである。この「確かに-豊かに-深く」とい うことを,読むことに例をとるならば,次のような 四段階で考えることができよう。 ○第一段階-文字理解 ○第二段階-意味理解 ○第三段階-相手理解 ○第四段階-自己理解 さらに具体的に考えてみよう。ある部屋の壁に張 り紙があり それに 禁煙 と書かれていたとする これを上の四段階にあてはめてみよう。 -「禁煙」という文字が, 第一段階(文字理解) とにかく「きんえん」と読めることである。音声化 できると言い換えてもよい。たとえこの語の意味内 容は分からなくても,これが「きんえん」と音読で きることである。確かに,これも一つの読む力であ る。そして,読むことのスタートでもある。むしろ 逆に,これが音声化できなければ,何も始まらない ことになる。つまり文字が音声化できる(読める) という文字理解の段階である。 -次に 「禁煙」というこ 第二段階(意味理解) とばが音声化できて(読めて ,なおかつその意味 内容が「煙草を吸うことが禁じられていること」だ

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論 説今,学校に期待される「ことばの教育」- 国語科で育てるべきことばの力と国語科の授業改善 -

広島大学大学院教育学研究科

吉 田 裕 久教授

はじめに

私は基本的に 「ことばの力」は国語科で責任を,

もって育てるべきであると考えている。確かにこと

ばを使う機会は,学校教育のあらゆる場に及んでい

る。が,それは,ことばを手段的に使ってそれらの

本来の目的を達するためである。決して,そこでこ

とばの力を養うことが直接的に求められているわけ

ではない。その点,国語科は,ことばの力を育てる

ことを目的として設置された教科である。このこと

をまず明らかにしておいて本稿を始めたい。

それでは,国語科で育てるべき「ことばの力」と

は,どのようなものか。そして,それをどのように

育てていけばよいのか。以下に,私見を述べていき

たい。

なお私は,国語科で育てるべきことばの力には,

これまでも求められてきた,その意味では「普遍的

なことばの力」と,今の時代だからこそ求められて

いる,その意味では「今日的なことばの力」とがあ

ると考えている。そして,この求められている両者

を合わせたものが今日の国語科で育てるべきことば

の力だととらえている。

Ⅰ 国語科で育てるべきことばの力

1 普遍的なことばの力

まず,普遍的なことばの力についてである。普遍

的とは 「いつの時代にあっても,つまり時代を越,

えて」ということである。となると,これまで伝統

「 」,的に言われてきた基本学力としての 読み書き算

あるいは「3R's」が思い出される。私は,ここで言

う普遍的なことばの力とは,それらに近いものと考

えている。その「読み・書き」の(ここでは聞く・

話すも加えて)言語活動力と,それを支える音声・

文字・語句・文法等の言語事項に関する知識との両

面があると考えている。

(1) 言語活動力(ことばで表現-話す・書く,こと

ばで理解-読む・聞く)

私は,国語科で育てるべきことばの力は,いつの

時代にあっても「言語活動力(ことばで表現-話す・

書く,ことばで理解-読む・聞く 」がその基本だ)

ととらえている。そして,これが「時代を越える」

だけでなく 「空間を越えて ,その意味ではどの, 」

国にあってもことばの基本学力として求められてい

る力だと思っている。

そして大事なことは,この言語活動力が誰か特定

の人だけに身に付けばよいのではなくて,国民の誰

にでも,換言すれば誰ひとり残すことなく身に付け

。 ,られなければならないことだと考えている しかし

「読む,書く……」と一言で言っても,それは決し

。 ,「 」,て易しくない それらが 確かに-豊かに-深く

奥行きのある力として身に付けられなければならな

いからである。この「確かに-豊かに-深く」とい

うことを,読むことに例をとるならば,次のような

四段階で考えることができよう。

○第一段階-文字理解

○第二段階-意味理解

○第三段階-相手理解

○第四段階-自己理解

さらに具体的に考えてみよう。ある部屋の壁に張

, 「 」 。り紙があり それに 禁煙 と書かれていたとする

これを上の四段階にあてはめてみよう。

-「禁煙」という文字が,第一段階(文字理解)

とにかく「きんえん」と読めることである。音声化

できると言い換えてもよい。たとえこの語の意味内

容は分からなくても,これが「きんえん」と音読で

きることである。確かに,これも一つの読む力であ

る。そして,読むことのスタートでもある。むしろ

逆に,これが音声化できなければ,何も始まらない

ことになる。つまり文字が音声化できる(読める)

という文字理解の段階である。

-次に 「禁煙」というこ第二段階(意味理解) ,

とばが音声化できて(読めて ,なおかつその意味)

内容が「煙草を吸うことが禁じられていること」だ

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と理解できる段階がくる。これが,意味理解の段階

である。煙草を吸ってはならないことが理解できる

段階である。

-さらに,この「禁煙」という文字を紙第三段階

に書いて張り出した人が「ここでは煙草を吸っては

」「 」 ,ならない ここでは煙草を吸ってほしくない と

この部屋の利用者に要求していることが理解できる

段階である。表現者の意図・願い・思いまでが理解

できることである。つまり,相手(表現者)が理解

できる段階である。

-「きんえん」と音読でき,その意味内第四段階

容も分かり,書き手の意図なども理解できて,最後

にくるのは「禁煙」という張り紙を見て読み手であ

る自分がどのような行動を取れば良いかが分かる段

階である。ここで煙草を取り出して吸ってしまって

は 「読めた」ことにはならない。たとえ誤って煙,

草を取り出したとしても,思いとどまるのが「読め

た」ということである。自分の取るべき行動が理解

できる,自己理解の段階である。

つまり,一言で「読む」といっても,これほどの

確かさ・豊かさ・深さのプロセスがあるのである。

こうした奥行きのある「読む・書く・聞く・話す」

力を身に付けることが求められる。

(2) 言語事項(音声・文字・語句・文法など)に関

する知識

こうした「話す・書く,読む・聞く」言語活動力

を支えているのが,いわゆる言語事項に関する知識

である。例えば,文章を書くとなると,文字(漢字・

かな ,語句・語彙,文法,表記(送り仮名・仮名)

) 。 ,遣い などの知識が必要になる 話す場合も同様に

音声(大きさ・発音・スピード・間)などの知識が

必要になる。つまり,言語活動を適切に,円滑に進

めていこうとすれば,その基盤に言語事項の知識が

必要となる。この言語事項の知識が,言語活動を支

えているのである。

こうして普遍的なことばの力とは,基本的には言

語活動力のことを指し,それを支えるものとして言

語事項の知識があると,まずは押さえておきたい。

時代を越え,空間を越えて求められている普遍的な

ことばの力は 「言語活動力」であり,それを支え,

る「言語事項の知識」である。

2 今日的なことばの力

時代は移り変わる。まさに「ゆく河の流れは絶え

ずして,しかももとの水にあらず」である。当然の

ことながら,その時代時代によって求められる学力

も異なってくる。時代錯誤,旧態依然では,今日の

時代を生きることはできない。コンピュータ・電卓

の時代に算盤を強調するだけでは困るのである。

それでは,今日の時代状況をどのようにとらえれ

ばよいのか。今日は,情報化社会・国際化社会・価

値観多様化社会などと言われている。こうした中か

ら,直接的に国語科にかかわる時代状況を取り上げ

てみたいと思う。

(1) 情報化社会

まず今日は,情報化社会である。情報化社会と言

われ始めてすでに久しいが,今日もなお更新し続け

。 ,ていると言ってよい 情報化社会では情報があふれ

, 。その中には有用な情報もあれば 無用の情報もある

したがって,それらを無批判に受容するだけではだ

めである。むしろ,こうしたあふれる情報を有効活

用できる,換言すれば有用な情報を取り入れ,不要

で有害な情報を批評的・批判的に選択・吟味・検討

できる力が必要になってくる。これまで,読むこと

の中心であった「正確に読む 「筆者の言いたい」,

ことを正しく受けとめる」だけでは,今日のこの高

度に発達した情報化社会を生きることはできない。

(2) 国際化社会

次いで今日は,国際化社会の到来である。国境を

越えて人が行き交っている。交通の目覚ましい発達

に伴って外国もそう遠くなくなってきたし,外国の

人も近隣にしばしば見かけるようになってきた。私

どもが子どものころに実感を持って歌っていた「行

ってみたいなよその国」は,もはや明確に昔語りに

なってきている。かつて遠い存在であった外国が単

なる憧れではなくなってきた。国内にあって国際的

なできごとをほとんどの時間差がなく見聞きできる

時代なのである(さらに進歩を遂げて月や火星など

宇宙のできごとがそうなりつつある 。これからの)

時代を生きる子供たちにとっては,なおさらのこと

である。これからは,外国の人とのコミュニケーシ

ョンがこれまで以上に求められてくる。笑ってごま

かし,何でも「イエス」だけでは,とても対応でき

なくなる。あいまいでなく,筋道を通した論理的表

。 ,現が求められることになる 日本人的特質としての

むやみに理由もなく謝ることや,謙遜の美徳の発揮

だけでは通じない社会の到来である。

しかし私は,この国際化社会への移行の観点は,

外国や,外国の人との往来が繁くなってきたという

だけではないと考えている。むしろ,もっと身近な

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言い方をするならば,都市化社会の到来と言い換え

て良いのではないかと思っている。国語科の立場か

ら言えば,むしろこちらの方が重要である。これま

「 」 ,での 言わなくても分かる 以心伝心型の社会から

「言わなければ分からない」説明・説得型の社会へ

の移行を示唆していると思うのである つまり 自。 ,「

分の意見を分かりやすく発表したり,相手の意見を

的確に理解したりして,討論によって問題を解決す

るコミュニケーションスキル」が求められていると

思うのである。国際化社会・都市化社会で通用する

ことばの力として,こうしたコミュニケーションス

キルの育成が急務の課題であると思われる。

だからこそ,私はこの度の『学習指導要領国語』

において 「伝え合う力」が要請されてきたととら,

えている 「伝え合う力」こそは,まさに「人間と。

人間との関係の中で,互いに立場や考えを尊重し合

って (たとえ立場や考え方の異なる人とも)通じ」

合う社会,つまり見知らぬ人への説明責任を果たす

。「 」 ,ことが求められているのである 伝え合う力 は

単に「話す・聞く,書く,読む」の発展でもなけれ

ば,これらの延長線でもない。まして,決して「話

し合う」と同義のものではない。が,現実には何と

このレベルでの取組みが多いことか。

(3) 個別化・孤立化社会-「コミュニケーション不

全症候群」-

さらに今日は,個別化・孤立化社会-人と人とが

共にかかわらない社会,かかわろうとしない社会だ

とも言われている。人と人とが個別化・孤立化する

ということは,人と人との間でことばが介在しない

ということである。国語科の立場からことばにかか

わるものとして,決して看過できない極めて深刻な

今日的課題が指摘されている。これが 「コミュニ,

」 。ケーション不全症候群 と言われているものである

例えば,コミュニケーション学習研究会(代表・有

元秀文 『 生きる力」の育成をめざした「コミュニ)「

ケーション学習プログラム」の開発研究 (平成13年』

3月)では 「友だちや大人とふつうに相互交流し,

て,相互理解することができないコミュニケーショ

ン不全の子供が増えている。このことが,学校での

様々な問題行動に深く関与していると思われる。こ

のような,コミュニケーション不全を解消するため

に,友だちや大人と相互交流して,理解し合ったり

共感し合ったりできる,相互理解のコミュニケーシ

ョン・スキルを育成する必要がある (p.21)と。」

述べられている。最近は,これが子どもだけではな

く 「大人の引きこもり」までが問題的に報じられ,

, 。 ( ),ていて さらに深刻である 先日 平成15年12月

名古屋のテレビ塔から札束をばらまく事件があった

が,この当事者(男性・26歳,元銀行員)は,他人

との会話がなく,家族とも口をきかず,引きこもり

そのものの生活をしていたという。そして 「これ,

からは外に出て他人と交流を持ちたい」と語ってい

るという。今日,ことばを交わさない,人とかかわ

らない,こういう人が増加している。これは,大き

な社会問題である。残念ながら,ことばへの信頼が

薄れている社会である。ことばの信頼を取り戻し,

ことばが人と人とを結ぶ働きをきちんと果たす社会

へと転じていかなければならない。

(4) 「総合的な学習の時間」の導入

最後に,教育課程の新しい状況として,小・中・

高校の全学校群に新たに導入された「総合的な学習

の時間」について取り上げておきたい。この「総合

的な学習の時間」は 「問題発見-問題設定-問題,

解明 調査・実験 -結果報告 という まさに 生( ) 」 , 「

きる力」を直接的に育成する目的で設置された時間

である 「言われるまでしない 「言われたことし。 」

かできない」などと批判されてきた現代人に,そう

した自ら問題を発見し,自ら問題を解決する能力を

身に付ける時間として全学校群に導入されたのであ

る。その壮大にして大切な目的を持った「総合的な

学習の時間」が,今日,学力低下の大合唱によって

印象を薄くしているのは残念だが,ねらいそのもの

は間違っていないので必ず復活するものと思われ

る。その動向はともかくとして,この「総合的な学

習の時間」は,その学習指導過程の中に,調査(本

), , , , ,読み インタビュー メモ 聞き書き 話し合い

発表など,国語科で育てておくべき学力が大きくか

かわっている。まさに「総合的な学習の時間」の成

否が国語科にかかっていると言われる所以である。

国語科の存在基盤が問われていると言っても過言で

はあるまい。

以上,印象的な取り上げ方になったが,国語科を

取り巻く今日的な社会状況,その要請に応えるため

には,国語科がこれまで中心的に行ってきた「物語

文の詳細な読解力,生活文中心の作文力」では間に

合わなくなること必至である。国語科はことばの力

を育てていない,国語科だけにことばの力を任せる

わけにはいかないなど,厳しい国語科批判の声が寄

せられてくるのではないかと憂慮している。

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3 国語科に求められていることばの力

それでは,このような社会状況の変化を受けて,

いま国語科にどのようなことばの力が求められてい

るのか。

一つには,学力観のシフトになるかとも思うが,

これまでの知識中心の「狭い学力観 (スタティッ」

クな学力)から,活動中心の「広い学力観 (ダイ」

ナミックな学力)への移行だと思われる。

また一つには このこととも深くかかわるが 生, ,「

きて働く学力」がより強く求められることと思われ

る。つまり,その教材,あるいは国語科,さらには

学校といった狭い枠にとどまるのではなく,脱教材

・脱国語・脱学校の視点,つまり他教材の学習に,

他教科の学習に,さらには生活に生きて働く学力の

育成が,今以上に求められることと思われる。とな

ると,それぞれの言語活動の領域で,どのようなこ

とを考えなければならないことになるのか。

(1) 読む力(読解力+読書力)

まず,読む領域では,これまでの読解力中心の考

え方を読書力を含めたものに改めていく必要があろ

う。具体的には,比べ読み,調べ読み,批判読み,

問いを持ちながら読む,速読(斜め読み ,目次・)

索引の活用など,これまでよりもダイナミックな読

み方を取り入れなければならなくなる。例えば,大

学の卒業論文指導でも感じることだが,長い時間を

かけて短い部分をそれこそじっくりと読み解くこと

に懸命で,速読,調べ読み,比べ読みができない。

こちらは,さっと読んで,自分に必要な文献はどれ

で,どれは不要なのか,また自分に近い意見はどれ

で,全く相いれない考え方はどれなのか,そうした

。 ,選択的な読み方をしてほしいのにである これでは

今日のようなスピードアップの時代社会を生き抜く

ことはできない。

, 「 , ,とは言いながら この今日的な 速読 調べ読み

比べ読み」が正しく効果的にできるためにも,実は

普遍的な学力である読解力が前提であることも忘れ

てはならない。

(2) 書く力 感想文・生活文+説明文・情報作文 相( 〔

)手意識・目的意識〕

次に,書く領域では,これまで感想文・生活文中

心であったものを,説明文・情報作文(相手意識・

目的意識 ・意見文を含めたものにしていく必要が)

あろう。具体的には,説明文,招待文(招待状 ,)

紹介文,問い合わせ,メモ,要約などが大事なもの

になる。とりわけ説明文は説明責任のこの時代の反

映として,また意見文は都市化社会の反映として大

きくクローズアップされてくることになろう。さら

にメモについては,理解のためのメモももちろんだ

が,表現のためのメモの取り方が大きな課題となっ

てくるであろう。

(3) 話す・聞く力(スピーチ〔独話〕+対話・話し

)合い〔モノローグからダイアローグへ〕

さらに話す・聞く領域では,スピーチをその代表

とする独話はまま取り組まれてきたが,対話・会話

となると,学習としてこれまで国語科でもあまり取

り組まれてきていない。その意味では,この話す・

聞く領域は,大きなとらえ直しが求められよう。基

本的には,モノローグからダイアローグへ,具体的

には,スピーチなどの一人語りから,説明,説得,

対話,討議,インタビュー,話し合い,コミュニケ

ーション,司会などの集団での話し合いへ,かなり

臨機応変の実践的な力が求められることになるであ

ろう。

こうした「今日的なことばの力 (ダイナミックな」

言語活動力)が,情報化社会,国際化社会,孤立化

社会,さらには問題解決能力=生きる力を育成しよ

うとする「総合的な学習の時間」等に生かされるこ

とになるであろう。また,そうしたことばの力こそ

が,今日求められているのである。

Ⅱ 国語科授業の工夫・改善

今日求められていることばの力を育成するために

は,これまでのような教科書中心の授業,一つの物

語文に20時間近くかけるようなスタティックな授業

ではこたえられない。学習者が,主体的に,一生懸

命に,本気で取り組むダイナミックな国語科授業か

らしかこうした学力は育たない。

それでは,どのように国語科授業を工夫すれば,

学習者が主体的,積極的になれ,学習に本気で取り

組み,それがひいてはことばの力を付けることにな

るのか。こうした観点からの国語科授業研究が強く

求められる。

1 本気で取り組むダイナミックな国語科授業

「 ( ) ( )」- 興味・関心 学習者 -学力育成 教師

=目標の二重構造(指導目標と学習目標)-

学習者に興味・関心,意欲が喚起されるような,

楽しく学べる言語活動を用意することになろう。

学習者はその活動そのものを楽しく学び,教師は

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その活動を通してしっかり学力を付ける,そうした

価値ある言語活動を組むことが必要になる。学習者

の学習目標は言語活動をすること,しかし教師の指

導目標はことばの力を付けること,この言わば相い

れないとも思える二重目標が見事に実現するなら

ば,学習者は喜んで学習し,教師はことばの力を付

けることができる。

,「 」 。例えば 読みの指導 で具体的に考えてみよう

(1) 紙芝居を作る-場面・段落分け

「モチモチの木 (斎藤隆介)を紙芝居にすると」

いう学習を取り入れたとする。学習者は紙芝居を作

ることが好きである。絵をどうするか,そんなこと

に話の花が咲くだろう。しかし,紙芝居を何枚で作

。 , ( )るかは一番肝心な作業である そこに 段落 場面

。 ,分けの読みの力が必要になる 楽しく作業する中で

国語の力を養う機会がしっかり用意されている。

(2) 続き話を書く-内容理解,要約,主題

続き話を書かせる機会は多い 「わらぐつの中の。

神様」で 「ごんぎつね」でと,多用されているだ,

ろう この続き話を書こうとすると 自然に中身 本。 , (

文)をよく読まなければならなくなる(内容理解が

深まる 。あるいは中心(主題)をしっかりつかま)

なければならなくなる。文章の調子(文体,ことば

遣い)を再確認することになる。こうして教師の側

ではこの作業を課すことで,多くのことばの力(解

釈力・ことばへの着眼・表現力)を育てる機会を得

ることになる。

(3) 主題歌を作る・挿絵を画く-主人公像の明確化・

内容のイメージ化

音楽や挿絵を活用することはどうだろう。主人公

の歌を作るというのはどうだろう。うまく作れるに

越したことはないが,必ずしもうまく作れなくても

かまわない。その作業を通して,場面のイメージ化

や主人公像が深まれば良いのである。先の「モチモ

チの木」の豆太の歌だって良い 「おくびょうもの。

の豆太/せっちんにもいけない豆太/だけど……

…」と創作することによって豆太へのイメージが大

きくクローズアップされることになる。

(4) ゲーム,クイズで遊びの要素を

低学年の話す力を育てる授業で,絵かき歌を取り

入れるとする。絵かき歌は,順番に絵の一部を画い

ていくことによって,最後に一つの絵ができあがる

ゲームである。絵かき歌には必ず順序がある。学習

者は絵ができあがることに懸命になる。教師は,そ

れを活用して「順序だてて話をする力」を育てるこ

とができる。順序が正しくないと,絵はできあがら

ない。これは,おもちゃの作り方でも良いし,じゃ

んけん遊びもルールの説明でも,順序が求められる

ものなら何でもよい。順序を間違えると,作れない

し,遊べないことになる。作る,遊ぶことは子ども

は好きだから,懸命に取り組む。その懸命に取り組

む活動を通して,話す,順序よく話す力を付けるこ

とができる。

子どもは,クイズも好きである。社会見学のバス

の中のわずかの時間でも,レクレーション係の子ど

もはクイズを持ち出す。この状況を活用したい。本

, , ,の題名当て 主人公当て あるいは私は誰でしょう

私の大事なものなどを三つのヒントで当てさせる。

これは話す(出題)ことの大事な学習である。出題

する側は 第三ヒントで当たらなければいけない そ, (

うでなければクイズにならない 。その意味で,対)

象をよくつかんで三つのヒントを出さなければなら

ない。一方の聞く側は,よく聞くようにと言われな

くても一生懸命に聞いている。聞かなければクイズ

に参加できない。クイズに参加するために一生懸命

に聞く。その楽しく,少し緊張して参加する活動を

通して聞く力がついていく。

(5) 「言語事項」も遊びの要素を加えて

漢字の学習といえば,漢字帳に新出漢字を一列連

ねるという場面が思い出される。例えば「村」と言

う字を習ったら,村の10字を一列に書く。しかし,

次のような書き方をする子どもも出てこよう。まず

「木」を10個,次いで「寸」を10個書いてできあが

り。後で見ても,このことはわからない。これでは

漢字の学習にはならない。これを例えば,教科書に

出てくる表現(単語)で書かせたり,クラスの友だ

ちの氏名で書かせたり,普段よく使うことばを導入

したりすると,学習者の興味・関心がにわかに増し

てくる。村人,村山,村川,中村,村上,村下,竹

村などが出てこよう。村雨なども出てくるかもしれ

。 。 ,ない 漢字はこうして熟語にして学ぶ こうすると

語彙の広がりにも貢献することになる。さらに,そ

の漢字を使って短文を作れば,短作文の練習にもな

る。漢字は実際の文の中で使えてはじめて力として

定着していく。漢字を機械的に繰り返し書いてもほ

とんど効果はない。もっと効果的な指導法が工夫さ

れる必要がある。ましてや漢字を何かの罰に使わな

いことである。これをやると,まず漢字嫌いになる

はず。漢字に罪はない。どうか漢字を罰に使わない

でいただきたい。

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こうして学習者は,興味・関心を喚起されながら

。 ,懸命に言語活動する その懸命の言語活動を通して

教師はしっかりとことばの力を付ける。国語科の授

業改善は,この方向で行われるべきである。

2 「実の場」で行われることばの学習

-必要感・使命感・責任感をともなって-

学習者が懸命に学習する場は,その学習に興味・

関心をもつことも大事な要素であるが,その学習に

必要感や使命感を抱いた場合も大きな動機付けにな

る。となれば,興味・関心のあるもので,それが必

要感,使命感が得られるものであればさらに良いこ

とになる。そのうえ,その学習したものがどこかに

使われる,生かされるとなれば,もっと効果が高い

ことになる。私どもは,それを「実の場」と読んで

いる。ことばの学習は,この「実の場」で行われる

のがもっとも効果的である。これも具体例を取り入

れながら考えていきたい。基本的には,表現(書く

・話す)の場を作り出すことになる。

小学校第1学年に「いろいろなじゃんけんにつ( )1

東京書籍『あたらいてはなしあおう」という単元(

)がある。また第2学年に「おしい こくご 一下』」

もちゃの作り方を教えるお店をひらこう」という単

元(同 がある。これらの単元で『新しい国語 二上 )』

大事なことは読んで内容を理解させることではな

く,これらの「じゃんけんについて」話させたり,

「おもちゃの作り方を教えるお店を」他学年や保護

者を動員して実際にひらくことである。これら実際

の場面を用意することによって,子どもは頑張れる

のである。相手意識も目的意識もかき立てられて,

言語活動が本物になっていく。その中で本当のこと

ばの力がついてくることになる。

(2) あるいは,保護者会や運動会,文化祭など学校

行事に関するお知らせ(案内のパンフレット)を子

どもたちから保護者あるいは地域の人々へ向けて書

かせるというのもよかろう。まさに「実の場」であ

る。それも,その案内をもらったらぜひとも行って

みたくなるような案内文をと励ませばさらに良いも

のができあがるだろう。この表現を工夫したくなる

場の設定が,ことばの力を育てることになる。

(3) さらに修学旅行のパンフレット作り,運動会に

取り入れたい種目の提案,学校の係を来年担当する

下級生に向けて説明,来年入学する新一年生に学校

を紹介するなど,探せば学校の中に「実の場」はた

くさん得ることができる。

(4) 自分たちの楽しみを禁止されたり,自分たちの

趣味を非難されたりする意見に対して反論を書かせ

るということなども考えられよう。学習者が書かな

いではいられない場を用意するのである。私自身,

これを中学校の先生に協力してもらって実践したこ

とがある 「クラブをやめて 「ロックにうつつを。 」

ぬかさないで」など中学生を刺激するような投書を

10例以上こちらで創作して用意した。この大人たち

の無理解に対して,中学生たちはその反論を次から

次に書いた。期待どおりであった。その担任の先生

によれば,普段は作文など書かない生徒が懸命に取

り組み,中には複数の反論を書いた生徒も出てきた

そうである。中学生は書かないのではない,書きた

くなったら書くのである。書きたいと思わない,書

。 ,くことがないから書かないのである 書くべき場面

使命感・責任感が得られれば,書けるのである。そ

うしたことを実感させられた試みであった 「テレ。

ビゲームをなぜやるのか,その説明ができたらやっ

てもよい。説明できないのならそれまで禁止 」な。

どとすれば,小学生にも可能だろうか。ともかく一

生懸命に書こうとする場を私たち教師がどのように

作り出すことができるか。そのことが問われている

のである。

こうして「実の場」で書かせることによって,子

どもは書ける。その懸命になって書く中で,書く力

は伸びていくのである。

おわりに

以上のことをまとめるならば,次の三点に要約で

きよう。

,「 」1 いま求められていることばの力は 普遍的な

読み・書き・聞き・話す力であるとともに 「今日,

的な」読書・情報作文・対話や会話など(ダイナミ

ックなことばの力)の両者を指している。

2 ことばの力を付けるためには,学習者に「興味・

関心,意欲」が喚起され 「学ぶ実感や喜びが得ら,

れ」て懸命に取り組める言語活動を工夫することが

求められている。そしてその懸命に取り組む言語活

動を通して本物のことばの力が形成される。

3 ことばの力を形成するもっとも適切で効果的な

場は,学習者に必要感(必然性 ,使命感,あるい)

は責任感がかき立てられる「実の場」である。