三善晃の合唱作品における《ピアノ・パート》 ―演 …平成21 年度...

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平成 21 年度 学位論文 三善晃の合唱作品における《ピアノ・パート》 ―演奏の視点からの分析― 北海道教育大学大学院教育学研究科 札幌・岩見沢校 教科教育専攻 音楽教育専修 器楽分野 8632 千葉 皓司

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平成 21 年度 学位論文

三善晃の合唱作品における《ピアノ・パート》 ―演奏の視点からの分析―

北海道教育大学大学院教育学研究科

札幌・岩見沢校

教科教育専攻 音楽教育専修 器楽分野

8632 千葉 皓司

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【目次】 ・ はじめに ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1 ・ 第 1 章「日本の合唱作品の概説」

1、日本の合唱の歴史 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 3 2、日本の合唱作品の歴史 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 5

・ 第 2 章「三善晃の合唱作品におけるピアノ伴奏の演奏法についての分析」 1、三善晃作品全体の概観 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 8 2、三善晃の合唱作品の概観 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 9 3、三善晃の合唱作品におけるピアノ伴奏の演奏法について ・・・・・・・・ 10 ①女声(童声)合唱の作品 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 11 ②混声合唱の作品 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 25 ③男声合唱の作品 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 40 ④編曲作品 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 44 ・ 第 3 章「現代日本合唱作品のピアノ伴奏の演奏法について」

1、三善作品の分析のまとめ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 52 2、現代的な作品への応用 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 55

・ おわりに ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 63 ・ 謝辞 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 64 ・ 参考文献 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 65 ・ 作品リスト

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●はじめに 近年、声楽や器楽のピアノ伴奏法について注目が高まっている。ピアノ伴奏専門の著

書が出版され、雑誌に特集が組まれたりもしている。特に声楽の分野では、ピアノ伴奏

に対しての講習会が全国各地で多数開かれている。しかし合唱に関しては、長年ピアノ

伴奏は(一部の伴奏を専門にしているピアニストを除くと)御座なりになっていたのが

現状である。声楽や器楽のソリストや室内楽のグループに対して合唱団の数は絶対的に

少なく需要と供給の問題もあるが、ピアノ伴奏法としてあまり注目されない分野であっ

た。 注目されない理由は以下の二点だと考えられる。 まず一点目に、合唱の原点は無伴奏という考え方である。歴史的に見ても無伴奏が基

本であり、ピアノはよく親しまれた楽器で練習時に使用されており、またどのような楽

器の模倣も出来るという便宜上の面から伴奏楽器に選択されていたと考えられる。純正

律のハーモニーの合唱と平均律のピアノは、純粋にはハーモニーにならないという欠点

もある。 二点目に、合唱は大多数が学生やアマチュアを相手にしていることが挙げられる。日

本にはプロフェッショナルの合唱団が少なく、全国的に見ると殆ど学生やアマチュアを

中心に活動が展開されている。声楽や器楽はプロフェッショナルの演奏者を相手に演奏

する機会も多いので、相手と対等に渡り合うためにピアノ伴奏にも重きが置かれていた

が、合唱は大体が学生やアマチュアを相手に演奏するため、ピアノ伴奏があまり重要視

されることがなかった。 しかし 近は合唱の伴奏に対しても少しずつ注目が集まってきた。ピアノ伴奏は、純

粋なハーモニーにならないという欠点がありながらも、音楽の表現の幅を広げ、声では

表現できない音色に加えて音域の広さを得ることができる。男声では出ない高音、女声

では出ない低音を補強出来ることは大きなメリットである。作曲家も合唱のハーモニー

に、ピアノの様々な響きを組み合わせて作曲するようになってきた。また合唱界の大多

数を占める学生やアマチュアのレベルが向上してきて、プロフェッショナルの合唱団顔

負けの演奏を行うようになった。このような流れの中で演奏する曲のレベルも上がり、

ピアノ伴奏の重要性も高まってきた。ピアニストも技量が上がり、室内楽や協奏曲の作

品のように、歌とピアノ伴奏が同列で扱われる作品が増えてきている。

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しかし声楽や器楽に比べて、まだ学術的に研究されるという所までは至っていないの

が現状である。いくらか先行研究の論文等があるが、内容が少し古く、演奏法にはあま

り触れておらず歌曲伴奏の応用のようなもので、現在の合唱作品に対応できるものかと

いうと疑問である。そして日本の合唱作品のピアノ伴奏に関する論文や著書は殆どない。 第 2 次世界大戦後約 60 年、半世紀以上経って日本の合唱作品も膨大な数が作曲され

ている。そして合唱の基本とされている無伴奏の作品とピアノ伴奏を伴った作品は、も

はや別のジャンルだといっていいほど様々な作品が作曲されてきている。これは「合唱

+ピアノ」の音楽が音域の広さ、馴染みやすさ、音型の豊富さ、利便さによって作曲家

達に受け入れられた結果である。そろそろ一つのジャンルとして確立されつつある「合

唱+ピアノ」の音楽におけるピアノ伴奏について、演奏法を研究する機会があっても良

いと思う。以上のことから、日本の合唱作品におけるピアノ伴奏の演奏法について分析

し、今後の演奏表現に役立てようと試みた。 本論では、三善晃の作品を中心に、現代日本合唱作品のピアノ伴奏の演奏法について

分析していく。 第 1 章では、日本の合唱や合唱作品、ピアノ伴奏の歴史を概観して、その中から現代日

本合唱作品の歴史において重要な作曲家・三善晃に焦点を当てる。第 2 章では三善作品

全体の特徴やピアノ付き合唱作品を概観し、ピアノ伴奏の演奏法を分析していく。第 3章では、三善作品の分析から得た内容をまとめていく。そしてより発展した作品に触れ

ながら、現代日本合唱作品におけるピアノ伴奏の役割、ピアノ伴奏を行う際の留意点等

を分析していく。 本論ではシアターピース等の舞台作品は除いた。また「現代」日本合唱作品と括った

が、現代の定義は諸説ある。日本の合唱作品は第 2 次世界大戦後、全日本合唱連盟が創

立される 1948 年以降大きく様々な方向へと発展した。一般歴史における「現代」や音

楽史における「現代」との関連を考え、「現代」を第 2 次世界大戦後の 1945 年以降と定

義した。 そしてタイトルでは、ピアノ伴奏を≪ピアノ・パート≫とした。これはピアノ伴奏の

演奏法を分析していく中で、現代、特に近年の合唱作品においてピアノ伴奏は単なる伴

奏ではなく、歌の声部と同列な一つのパートとして扱われていたからである。そこで補

助をするという意味の「伴奏」という言葉を使わず、≪ピアノ・パート≫という言葉を

使用した。

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● 第 1 章「日本の合唱作品の概説」 序章でも述べたが、歴史等は第 2 次世界大戦後の 1945 年以降を「現代」として、

その周辺、特に現代を中心に概観していく。 1、日本の合唱の歴史 日本の合唱の歩みは、声明や読経等の仏教儀式での唱和、民衆の生活に根付いた木遣

歌(注 1)、作業歌であるとか全国各地に伝わる数々の民衆の伝承歌謡たる民謡の形態で、

社会と密接に関わっていたと考えられる。これら合唱の流れは、西洋音楽が導入された

明治期以降になっても、一部の限られたスタイルであるとはいえ、現在に至る一筋の流

れを形作っていると捉えられる。 このような合唱の営みの一方で、1870 年代明治期になって西洋音階による西洋音楽の

技法を基にした音楽が本格的に導入され、様々な形態で次第に普及拡大した。その背景

には明治維新の後、天皇主権の国家体制構築とアジア地域への覇権獲得を意識した、富

国強兵や欧化政策に連動した社会状況があった。軍楽隊、音楽専門教育機関としての音

楽取調掛、学校教育における唱歌等は、欧米列強に範をとる近代化政策に合致した西洋

化の流れと捉えられる。 近代から現在に至る過程では、社会運動や独自の国家政策等を推進するために、皆で

声をあわせて唱和する合唱に焦点があてられて活用された。具体的な事例を挙げると、

大衆社会化が顕著となる 1920 年代に見られたプロレタリア音楽運動、「戦争の時代」で

ある 15 年戦争期の文化活動や文化規制の脈略で見られた国民皆唄運動(注 2)、厚生運

動(注 3)、地方文化運動や翼賛文化運動(注 4)、「国民歌謡」から「国民合唱」に至るラ

ジオ放送番組等、多用な合唱の活用に見られる国家からの政策の影響、戦後のうたごえ

運動等戦後民主主義の表出とも言える社会運動での活用等が個々の合唱運動として位置

付けられる。これらは、いずれも社会状況や国家政策に連動した国民活動での合唱の活

用といえる。 合唱音楽が一般化するのは、1913 年に誕生した現在の宝塚歌劇団に代表されるレビュ

ーや浅草オペラ(注 5)、本格的なグランドオペラのような舞台公演や、教会での賛美歌、

賛美歌合唱の訓練から発展した大学のグリークラブを起点に中学や高校に裾野を広げて

いく学校でのサークル活動や職場の文化運動が契機となった。1899 年の関西学院グリー

クラブを先駆けに慶応義塾、早稲田、同志社といった現在に続く東西のグリークラブが

20 世紀初頭に発足している。また職場の合唱活動も、戦時期特有の文化活動を基盤に発

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展し、戦後の活動へと継続していく。ママさんコーラスや一般合唱団、児童合唱団の台

頭等は戦後社会の姿が反映されたものと考えられるが、それらは同時に合唱指導者の充

実抜きに考えることは出来ない。さらに 1944 年発足の東京放送合唱団を始めとする放

送局の合唱団や 1956 年発足の東京混声合唱団、1963 年発足の日本合唱指揮者協会の活

動は、合唱愛好者の拡大に連動した戦後の合唱界の新たな動きと見ることが出来る。 こうした創作や演奏は、組織やその運営に支えられていた。合唱団体の組織化の起点

は、1927 年に設立された「国民音楽協会」である。これは、19 世紀以来のヨーロッパ

における合唱運動の高まりと、各国でその広い社会的・文化的意義を目にした東京音楽

学校出身で学習院助教授の作曲家・小松耕輔(1884~1966)を中心に組織された。国民

音楽協会は、アマチュアの合唱コンクールを組織し、1942 年まで合唱競演会というコン

クールを開催した。また同様の後続組織も戦前の合唱運動を推進したが、それは日米開

戦による中断後も、戦中期の「国民皆唄運動」に引き継がれる形で終戦を迎える。戦後

朝日新聞社の肝煎りで 1946 年に「関東合唱連盟」が設立され、これが地方の合唱連盟

を統合する形で 1948 年の全日本合唱連盟の発足へと発展し、今日に至る。1933 年に始

まった NHK 全国学校音楽コンクール、合唱競演会が発展し全日本合唱連盟設立の年に

始まった全日本合唱コンクール等のコンクールは、日本の合唱音楽演奏の技術的なレベ

ル向上に大きく貢献している。ちょうどこの頃は、青井中央合唱団が関鑑子の指導で結

成され、うたごえ運動が始まろうとしていた時期で、大衆文化としての「歌」が、性格

を異にするにせよ、時宜を得て開花することになる。さらに戦後、全日本合唱連盟の他

に様々な合唱団体が開催するセミナーやワークショップ、作品研究などの合唱音楽や合

唱団経営をめぐる活動は、単に演奏のみならず合唱を通じての社会貢献や人格形成とい

った側面にも大きく貢献していると思われる。 国家政策に連動した音楽の活用は、1945 年の敗戦を境に断絶する面と継続していく両

面があるが、戦後の音楽文化の拡大は多くの場合、人々の慰安、娯楽、主張としての役

割を担ってきた。いずれにしても今日我々が合唱音楽として歌い聴く音楽は、このよう

に導入され普及し拡大していった西洋音楽の「日本化」の表れである。その今日に至る

流れを概観していくと、楽曲創作の担い手、その作品を演奏する合唱団体、聴衆の三者

の相関関係が重要である。そして何よりこのような音楽形態あるいは音楽文化を生み発

展させる社会的背景や合唱運動を抜きに考えることは出来ない。

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2、日本の合唱作品の歴史 合唱音楽作曲の先駆けとして位置付けるべきは、歌曲のみならず合唱や器楽等多様な

楽曲を創作した瀧廉太郎(1879~1903)である。志半ばに短い生涯を終えた瀧に続いて、

山田耕筰(1886~1965)、信時潔(1887~1965)が第 1 世代として活躍し、続いて小松

耕輔や橋本国彦(1904~1949)、平井康三郎(1910~2002)といった作曲家達が 1920年代から 40 年代にかけての合唱音楽の担い手として活躍した。また合唱連盟も機関紙

「合唱界」誌上に多くの情報を載せ、合唱楽譜を添付して普及に貢献し、戦後多くの合

唱作品が生まれた。 合唱連盟は、毎回コンクール毎に日本人作曲家に曲を委嘱して課題曲を揃えていった

が、それは同時に日本人作曲家による合唱曲のレパートリーを増やすことに繋がった。

戦後における合唱界のもっとも指導的立場にいた清水脩(1911~1986)や高田三郎

(1913~2000)、中田喜直(1923~2000)、大中恩(1924~)といった課題曲を委嘱され

た作曲家の曲が多く見られるようになってきた。やがて声の新しい活用をみせる林光

(1931~)や間宮芳生(1958~)の作品、また佐藤眞(1961~)等の作品も登場し、文化

庁芸術祭参加の放送局等による委嘱という新たな楽曲創作と発表機会の拡大もあり、

着々と日本人作曲家による曲が増えてきた。 合唱連盟における合唱は、基本的にアマチュア対象であるため、音楽語法としては先

鋭的なものではなく、豊かな声と合唱を楽しみつつ、力量の試される作品が作曲され続

けた。逆に 12 音技法を用いた作品を歌う合唱団は、清水脩から「背伸びしすぎて頭で

っかち」ということで注意を受けたりしている。(注 6)技術的完成度を第一の目標に掲

げ、チャレンジ精神を抑えられたアマチュア的精神のあり方の中に、戦後の合唱運動の

大きな問題点があった。 しかしながら、合唱作品を創作する日本人作曲家の世代が交代するにつれて、作曲様

式に関する制限は緩んでいった。三善晃(1933~)が多くの合唱作品を書き始め、それ

が歌われるようになっていく 1960 年代以降、合唱作品はテーマとなる詩や作曲の書法

等が大きく進化し、様々な方向へと発展していった。特に三善の作品は従来の合唱作品

に比べ、詩に対する音楽の発想力、想像力が豊かである点で突出していた。詩の中にあ

る世界を合唱やピアノにおけるあらゆる技法を駆使して描いた。三善の音楽の独創性は、

この発想力、想像力とも言える。そして三善の作品に触発された作曲家達が、以後独自

の発想力を持って作曲するようになった。そしてそれらを演奏するアマチュア合唱団も、

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あらゆる様式と技術的なハードルを越える驚異的な演奏団体になっていた。東京混声合

唱団や日本合唱協会のようなプロフェッショナルの合唱団は、独自に合唱作品を委嘱し

ていたが、そうしたプロフェッショナルのための作曲技法的にも演奏技術的にも高度な

作品、あるいはプロフェッショナルが得意としている作品も、アマチュアが貪欲に消化

していくようになる。取り上げられる作品が内外の新しい合唱作品へと広げられる一方

で、こうしたチャレンジ性は作曲家の合唱作品への創作意欲を募らせることにもなって

いく。また混声合唱以外の合唱作品の創作は、アマチュア合唱団が重要な契機となる。 その後三善晃を継ぐ、合唱界の著名な作曲家というのも代々登場するようになる。し

かしその中では合唱界だけで知られるものの、他の分野ではあまり顧みられない作曲家

もあり、合唱界の閉鎖性が指摘される面もある。 例えば、1980 年代の新実徳英(1947~)、高嶋みどり(1953~)、1990 年代の木下牧

子(1956~)、鈴木輝昭(1958~)、そして 2000 年頃からは千原英喜(1957~)、松下耕

(1962~)、信長貴富(1971~)等の作品は、合唱界の中で特に流行している。またこの

他に、石井歓(1921~2009)、湯山昭(1932~)、萩原英彦(1933~2001)、広瀬量平

(1930~2008)、池辺晋一郎(1943~)、荻久保和明(1953~)、西村朗(1953~)等が、

合唱の領域で佳作を生み出している。 またピアノ伴奏部について概観すると、合唱作品と同じく三善晃が登場する時代周辺

に一つの分岐点がある。三善以前の作品は、緩やかなアルペジオやリズムの刻み、合唱

とのユニゾン等単純な書法が多く、合唱を支えて表現や音域を補助するためのものとい

う印象を強く受けた。しかし三善の作品が出た 1962 年以降、ピアノ伴奏部も徐々に変

化してくる。それまでの作品に比べてピアノ伴奏部は、詩が描く世界の中の声では表せ

ない部分を、技巧的に歌とは違う動きで表現するようになってきた。他の作曲家も、自

作の合唱作品やピアノ伴奏部に関して三善作品の影響を指摘する人は数多くいる。その

頃から曲集等のタイトルに「○○(混声、女声など)合唱とピアノのための組曲」とい

う言葉が登場し始めた。これは室内楽作品と同様に、合唱とピアノが同列に扱われてい

ることを示している。 第 2 章からは、以上の中で触れたように、現代合唱の分岐点の作曲家とも言える三善

晃の作品を用いて、ピアノ伴奏の演奏法について分析していく。

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(注 1)木遣歌~日本民謡の一種目。大木を切り出し引いて運ぶ際、あるいは岩石を引いて運ぶ際に

歌う追分様式の歌。(新編 音楽中辞典 音楽之友社 2002 年) (注 2)国民皆唄運動~大政翼賛会が文化運動を実践する中で、合唱を活用した運動の一つ。 (戸ノ下達也 「『運動』としての合唱音楽」『音楽現代』2008 年 4 月号 58-59 頁) (注 3)厚生運動~健全娯楽による国民の余暇善用と体位向上を掲げて展開した戦時レクリエーショ

ン運動である。合唱もこの中で活用された。 (戸ノ下達也 「『運動』としての合唱音楽」『音楽現代』2008 年 4 月号 58-59 頁) (注 4)地方文化運動や翼賛文化運動~大政翼賛会が、政治の活動のみならず文化部や宣伝部が農山

漁村の娯楽振興のために行った地方運動や産業戦士や勤労者の健全娯楽や教養を高めるため

に行った運動。 (戸ノ下達也 「『運動』としての合唱音楽」『音楽現代』2008 年 4 月号 58-59 頁) (注 5)浅草オペラ~大正期の 1910 年にから 20 年代前半にかけて、浅草の劇場街でおこなわれた

オペラ活動。西洋音楽の大衆化に一翼を担った。 (新編 音楽中辞典 音楽之友社 2002 年) (注 6)『合唱界 1961 年 2 月号』の記述。(「日本戦後音楽史 上巻」 平凡社 2007 年 200 頁)

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● 第 2 章 三善晃の合唱作品におけるピアノ伴奏の演奏法についての分析 第 2 章では、第 1 節で三善晃作品全体を、第 2 節では合唱作品を概観していく。第 3

節では実際に曲を取り上げながら演奏法を分析していく。また第 1 節ではピアノ伴奏の

演奏法ということで、全体的な作品に関する特徴と合唱や声楽作品に関係のある特徴等

をまとめて概観した。 1、三善晃作品全体の概観 三善晃の作品は、大まかに 2 つの時期に分けることができる。第 1 期は 1953 年から

1970 年、第 2 期は 1971 年以降の作品である。 第 1 期は、全体的な特徴としてソナタ形式の利用やモティーフを統一的要素として用

いる等、西欧のアカデミックな作風をモデルにしている。音高と音価が確定されていて、

旋律線が明確である。また西洋近代の音楽形態を用いた作品が多く見られる。第 1 期の

作風の変遷を先導してきたのは声楽作品である。第 1 期の様式の変遷の節目となってい

る 初の歌曲「高原断章」(1955)は、持続音による緩やかな旋律と単音によるすばや

い旋律を急激に交替させる等の表出的な手法で書かれており、この時期の器楽作品に比

べ、三善の語法を率直に表している。またその手法をさらにおし進めたのが 1960 年代

に作曲された歌曲「白く」(1962)である。 第 2 期では前衛的な手法が顕著になり、西欧のアカデミックな作風から抜け出て三善

独自の語法が現れてくる。三善における前衛的な手法への移行は、感性と身体が志向し

たものであり、感性的な表現を排していった西欧の前衛的な手法とは一線を画している。

グラフィックな記譜法により、音高のみを記して音価は不確定にし、クラスターやグリ

ッサンドを多用する手法が用いられている。合唱にも半無声や無声等が用いられて、第

1期に見られた音高と音価が確定された明確な旋律線は退いている。また邦楽器や打楽

器の使用も見られる。それは委嘱者からの要請であるにせよ、三善の作曲様式の変遷上

の局面と捉えることが出来る。 第 2 期の導入となる作品は「王孫不帰」(1970)等の合唱作品である。蛇行的な旋律

(短 2 度や長 2 度を中心とする)やポルタメント、擬声語が使われている。合唱も語り

に近い扱い方をされている。その後この手法が「レクイエム」(1971)にて、前衛的な

手法として一気に開花する。「レクイエム」を皮切りに 1970 年以降の第 2 期の作品は、

各パートの旋律線、構造は流動的になるが、それらを収斂させる手法も同時に見られる。

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そして 1980 年頃からの作品は、確定的な記譜法で書かれているが、それらは 1970 年代

のスタイルの延長線上にある。 第 1 期から第 2 期への変化は突然ではなく、第 1 期には第 2 期の様式へ向けて徐々に

変化していく過程が認められる。その変遷は、全音階的旋律から無調的旋律へ、拍節的

リズムから非拍節的リズムへ、ホモフォニックな構造からパート間で錯綜する構造へ変

化している。そして 1950 年代から 1980 年代にかけての様式の変遷は、主に音高やリズ

ムに限られていた収斂と拡散のパターンが、構造に及んできた変遷と重なり合う。 また第 1 期の頃には、器楽作品と声楽作品との間に表出的なスタイルによる同質の関

係が認められるのに対し、第 2 期以降は、器楽作品と声楽作品はむしろ乖離を感じさせ

るようになった。一方、第 2 期以降の合唱作品を見ると、語りを主体とする前衛的な作

品も書かれていて、三善にとって合唱の中での声と器楽とは連続的な関係にあることを

も伺わせる。しかし声楽作品は、どの年代に書かれたものも声に現代的な手法をほとん

ど託すことはなく、歌曲の領域を保っている。それは、声楽作品が三善の作曲様式の変

遷の傍らにあることを意味するのではなく、むしろその変遷の中にある変わらぬ三善の

語法を、声楽作品は照らし出していると考えられる。 2、三善晃の合唱作品の概観 三善晃の合唱作品は、第 1 期内の 1962 年から現在まで途切れることなく作曲されて

いる。 第 1 期内の 1962 年から 1970 年頃までは、旋律重視の抒情的な作品が多く、ピアノ

伴奏が付いているのは女声合唱が殆どである。立原道造や中原中也、高田敏子等の詩に

よる曲が多く、詩の世界に寄り添いながら、美しく流麗なピアニズムや女声の柔らかな

ハーモニーで描かれている。 第 2 期 1970 年以降になると、大まかに前衛的なシリアスな作品と主に童声用のシン

プルで抒情的な作品の 2 つの系統に分かれてくる。前衛的な作品は第 1 節でも取り上げ

たが、戦争をテーマにした「王孫不帰」(1970)や「レクイエム」(1971)、ビアフラの

飢餓の子供をテーマにした「オデコのこいつ」(1972)等が挙げられる。これらの作品

は続けて作曲され、詩が一つの思想を語っているという点に共通点がある。「生と死」と

いう非常に重いテーマを扱っており、その内容を表出するにあたり、前衛的な手法が用

いられた。この 3 作品は、三善晃の中で重要な作品に数えられる。童声用の作品は、子

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供用の曲集や教科書などを中心に作曲されてきた。 1980 年以降は、前衛的な要素は薄くなり、詩の世界が三善晃というフィルターを 通して表現されるようになり、三善独自の語法が確立されてきた。様々な要素(ジャズ

やブルース等)の挿入も見られる。 3、三善晃の合唱作品におけるピアノ伴奏の演奏法について

三善自身は合唱におけるピアノについて以下のように述べている。 「私のピアノは ~中略~ 心的なドラマとしてのノクターンでもあるわけですね。

私はピアノそのものと割りと近しく生きてきたものだから、ある意味では今おっし

ゃったようにピアノが自分のための慰めであるかもしれない。ただぼくは、言葉を

歌うだけで人が詩の世界を描ききれるものだろうかと思うんですね。人がある言葉

を言うときの微妙なニュアンスを僕たちは感ずることが出来る。詩を読めば、想像

力の中で深いパラダイムを作ることができる。だから人声以外にもそこにアプロー

チする手立てがあって、それが行間のパースぺクティブを表せないだろうか、ある

いは違う時間を創り出せないだろうか、そう思うんですね。」(注 1) 「私はピアニストではない。ピアノで育ち、ピアノで息をし、ピアノで話しをしてき

ていて、だが、ピアニストの「仕事」はできない。その私に、ピアノのためだけの

作品は多くない。子供のための曲集や、試験用の初見曲などを除けば、協奏曲一曲

を含めて数曲しかない。私のピアノ欲求は、きっと合唱曲のピアノ・パートで満た

されているのだと思う。」(注 2) 以上のように、三善の合唱作品においてピアノはとても大切な要素である。

作品の中で多くを語るピアノについて、具体的な作品を取り上げながら演奏法を分析し

ていく。作品の数とジャンルが多岐に渡るため、分析していく内容を作品の系統やピア

ノ伴奏に関しての注意点等を考慮して次の四項目に分類した。分類した項目の中で作品

の変遷に沿って、全合唱作品の中で、重要で特徴的な曲を例に示していく。また現代的

な手法を用いた作品も各項目の中で触れていく。

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①女声(童声)合唱の作品 ・ 女声合唱のための「三つの抒情」より『ふるさとの夜に寄す』(1962) ・ 『小鳥の旅』(1963) ・ 童声合唱・語り(バス)・ピアノのための「狐のうた」より『醜聞』(1976) ②混声合唱の作品 ・ 合唱組曲「五つの童画」より『風見鳥』(1968) ・ 混声合唱と 2 台ピアノのための「交聲詩 海」(1987) ・ 混声合唱曲集「木とともに人とともに」より

『-ピアノのための無窮連祷による-生きる』(2000) ③男声合唱の作品 ・ 男声合唱のための「王孫不帰」(1970) ④編曲の作品 ・ 「唱歌の四季」より『朧月夜』(1983) ・『Over the Rainbow』(1999) ・ 混声・童声合唱とピアノのための「島根のわらべ歌」(2003)より

『いっぽかっぽ(履物かくし歌・飯石郡)・こいしくらい(とんぼとり歌・松江市)』 『おじゃみおふた(お手玉歌・松江市)』

①女声(童声)合唱の作品 三善にとって、 初に作曲した「合唱+ピアノ」という形態の作品は女声合唱である。

三善自身は女声に対して次のように述べている。 「私にとって、声とは、なによりも複数の混ざった女声だった。なかんずく、詩の聴覚

体験に於いて、その媒体は男の声ではなく、また、女の声にしても一人の肉声であっ

てはならなかった。 複数の女声が混ざることによって、そこから生身の人格が消え、かと言って谺や風の

音でもない、抽象された女性の波動のようなものが、そのまま詩の響きとなって私の

全身に浸み、私を共振させる。それはそのまま私にとってのその詩の意味であり、そ

れ以外の手だてで詩が解ることはない。」(注 3) 三善にとって女声というものは、特別なものであった。また童声合唱は、声質や編成、

作曲様式において女声合唱の延長線上にある。演奏法を分析する上では共通点も多いの

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で、同じ項目で扱って行く。 また女声合唱とピアノのための「虹とリンゴ」より『原初』(2003)では、合唱がク

ラスターで堆積していく中、ピアノが倍音を響かせて、声の響きと混ぜ合わせていく。

三善作品全体の中で倍音を使った奏法は珍しいので、ここで触れておく。

○女声合唱のための「三つの抒情」より『ふるさとの夜に寄す』(1962) 詩:立原道造

この作品は、三善晃の初めての女声合唱曲集である。初期の作品でありながら、女声

合唱の均一な美しさ、詩の世界に共鳴し無限に広がるピアノは、今もなお新鮮な輝きに

満ちている。「やさしいひとらよ たづねるな!」と始まるこの詩には、心の奥にしまい

込まれた悲しみや苦しみに対して、碧の闇の向こうへ安らぎを願う気持ちが、郷愁への

思いと共に歌われている。 【譜例 1】 前奏は、碧の闇の中ですべてを内包するように演奏する。硬質で透明な音色で演奏し、

繊細に一つ一つの音の響きを、グラデーションのように変化させていく。3 声部が絡み

合いながら、澱み無く流れることに留意し、特にソプラノ声部の旋律は、歌うように演

奏する。一瞬の調性の変化による表情の変化も大切である。(5,6 小節目)

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【譜例 2】 「やさしいひとらよ~」と合唱が espressivo と dolce の中で、cresc.、decresc.の膨ら

みを伴って歌い始める。ピアノは一緒に膨らむのではなく、あえて mp 内の espressivoでアルペジオを演奏することによって、抑制された和声の移り変わりで感傷的な切ない

背景を描き出していく。

【譜例 3】

Lento からはこの曲の求心的な箇所である。デュナーミクをピアノ→歌→ピアノと引

き継いでいく。一音一音を語るように、すべてに意味を込める。フェルマータ後のフレ

ーズは、次の場面に引き継ぐように演奏する。

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【譜例 4】 「ましろいしずく~」の箇所で、合唱とピアノのデュナーミクが異なっている。ピア

ノは、合唱が p の中 mf で高音を演奏するので、合唱とのバランスや表現を考えて演奏

しなければならない。雫の様な透明で輝く音が必要である。

【譜例 5】 「わすれよ~」は印象的な箇所であり、合唱、ピアノ共に音域が幅広く扱われている。

ピアノは合唱と被らないように、しかし豊かな音圧で押し寄せるような切ない思いを時

には合唱以上に語りかけて演奏する。

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【譜例 6】 Allegro Moderato の箇所は、ピアノの右手のフレーズに対して、歌が呼応していく。

そのためニュアンスをつけ、意味を込めて語りかけるように演奏する。フレーズの発展

と感情が比例している。そして 後ピアノが meno f で諦めたように歌い、歌に引き継

いでいく。左手のアルペジオは、流れるように和声の帯を作りながら演奏する。

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【譜例 7】 後の Lento は、合唱は眠りに落ちていくようなハミングで消えていく。ピアノは

後、上向音型で救いを求めるように終止する。

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○ 『小鳥の旅』(1963) 詩:勝 承夫 子供の教科書に載せるために書かれた童声用の作品である。単純な A-B-A の構造だが、

単純な中にも小鳥が広い空を、明るく無邪気に渡っていく様子を描写した合唱とピアノ

は見事である。

【譜例 1】 小鳥が空を渡っていくような前奏を、mp で軽やかに演奏する。ソプラノ声部のメロ

ディーを浮き立たせて、上向や下向のアルペジオはよく響かせて、決して重くならない

ようにする。アルペジオの細かな音の変化で、表情を変えていく。 合唱が入ってきたら、バランスに注意する。合唱とユニゾンの部分やアルペジオが歌

と寄り添えるような音量を探す必要がある。またアルペジオは、一音ずつクリアに聞こ

えるように注意する。歌詞に対応して合唱やピアノの音域が広がっていくのも表現の参

考にする。

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○ 童声合唱・語り(バス)・ピアノのための「狐のうた」より『醜聞』(1976) 詩:会田綱雄

この作品は三善の前衛的な手法を用いた代表的な曲である。会田綱雄の詩句は狐をテ

ーマにすることによって、諧謔のリズムを作り出している。曲はその諧謔のリズムを基

調としつつ、青い血を持つ狐の神秘と、また一方で狐の生々しい台詞や所作を表現して

いる。それらを表現するために、前衛的な 24 声に細分化された童声のクラスター、迷

路のような旋律動向が用いられた。また複数の声とピアノが、ホモリズミックに言葉の

シラブルをアーティキュレーション鋭く一斉に発音する。 中間部にブルースが挿入されているが、これは主人公である中年男と狐の奇妙な友情

を表現している。 ピアノは言葉のリズムを強調し、単音的で、狭い音域内を連打するような旋律に対し

幅広い音域を扱うことで音楽をより立体的にしている。言葉のリズムを強調している箇

所では、音が羅列されているように感じるが、その中にも規則性が見られる箇所もある。 演奏に関しては音の立体性が求められる。テンポが速く、急き立てるように演奏する

必要がある。一音一音がどんなに速くても、音がクリアに立ち上がって聴こえるような

演奏法を工夫しなければならない。また音の響きに関しても敏感にならなければいけな

い。不協和音が連続するが、一番良いバランスで響かせなければ、ただの騒音の羅列に

なってしまう。 タイミングを合わせるのもこのような曲では至難である。合唱の動きをよく把握して、

指揮者との連携を図って演奏しなければならない。 このようなピアノの書法は、こどものための合唱組曲「オデコのこいつ」(1972)、同

声合唱とピアノのための組曲「のら犬ドジ」(1982)等でも見られる。共通しているの

は、ストーリー性の強い劇的な詩を表現している点である。 【譜例 1】 冒頭部は 24声部による狐の擬音のクラスターである。流れは時間で区切られており、

各パートまたは個人の自由な入り、持続によって不規則性を生んでいる。

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【譜例 2】 このような語りが中心の曲では、合唱は言葉のリズムやアクセントに寄り添って音が

付けられている場合が多い。以下の譜例も、旋律は言葉のリズムを重視しているので、

拍子がめまぐるしく変化し、また拍子がない場合もある。ピアノは言葉の諧謔的なリズ

ムを強調し、狭い音域内を連打するような旋律に対し幅広い音域を扱うことで、音楽を

より立体的にしている。ただ音を追うのではなく、言葉のリズムやアクセントに注意し

て、一緒に喋るように演奏する。またこのようなリズミックで機械的なパッセージは、

硬質な鋭い音色が求められ、リズムの透明性が必須である。

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【譜例 3】 中間部のブルースは、気だるく哀愁を漂わせて演奏する。このような箇所を演奏する

際には、他のブルース等の作品を聴いて独特なリズムのノリを掴んでおくようにする。

実際に演奏する際は、3 連符の裏拍に重心を感しる等してノリに注意する。装飾音の細

かいパッセージは、一音ずつはっきりとわかるように演奏する。ad lib.の箇所は、自由

にパッセージを揺らして、収めるタイミングを歌と合わせる。臨時記号のついた音の色

にも注目する。またこのようなブルースの演奏法は、「動物詩集」の『ひとこぶらくだの

ブルース』等にも出てくる。

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【譜例 4】 合唱が見得を切っている背景に、心の葛藤を表すたたみ掛けるようなピアノが挿入さ

れている。Rubato 内でテンポが拍ごとに変化していく。揺れ動くテンポの中で、テヌ

ートの加減が重要である。con fuoco とあるように、火のように熱烈に演奏しなければ

ならない。楔を打つような鋭いタッチで、音が濁ったり不鮮明にならないようペダルに

気をつけながら、鋭い音を空間に解き放つように演奏する。

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