ポピュラー・カルチャーに ... - 京都精華大学 ·...

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日時 2010423 場所 京都精華大学 黎明館 L101教室 ポピュラーカルチャー シンポジウム報告書 ポピュラー・カルチャーにおける模倣と流用 パクリ

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日時 2010年4月23日 場所 京都精華大学 黎明館 L101教室

ポピュラーカルチャー シンポジウム報告書

ポピュラー・カルチャーにおける模倣と流用

パ クリ

「ポピュラーカルチャー研究プロジェクト」の目指すもの

京都精華大学人文学部教授 中尾ハジメ

「ポピュラー」 の含意は、人気がある、多くの人々に支持されている、というだけではない。娯

楽に傾く事柄あるいは無益な民衆的虚飾や熱中に使われる言葉である。社会の組織体制や歴史展

開の根幹にはかかわらず、それゆえ一時の流行が終われば力を失う「軽い」文化現象にすぎない

と捉えられていた。したがって流行歌もマンガも、消費文化のなかで圧倒的な経済効果を発揮し

つづけていたにもかかわらず、学校教育においても、大学の教育・研究においても、けっして正

面から扱われることはなかった。しかし今日、私たちを取り囲み、私たちの多くが口ずさみ、熱

中し、支持するのは、この多種多様の「ポピュラーカルチャー」であることも、私たちの価値観

の有力な源泉であることも疑いようがない。これを対象化し、その私たち自身の姿を描き出す研

究と教育とが、芸術・デザイン・マンガの学部と人文学の学部をもつ京都精華大学には、とりわ

け求められているのである。

「カルチュラル・スタディーズ」 とせず、あえて「ポピュラーカルチャー研究」とするのは、

このような価値見直しの立場を明確にするためであり、実際の訴求力の大きさにもかかわらず

あまり光を当てられず私たちの足元にある事象を、その対象に選ぶからである。そして、このよ

うな研究の挑戦が、たんに興味深い個別事象の羅列に終わらず、統合性を獲得していくための基

盤を構築すること、より正確に言えばその糸口を探り出すことが、京都精華大学の研究活動が目

指すところである。

これまで進めてきた 「テレビ CM 研究プロジェクト」 は、テレビ黎明期のコマーシャルの技

術的側面・文化的側面の分析を、残存するフィルム原版のデジタル資料化とともに試みる。「関

西アニメ史研究プロジェクト」は、今日の言葉「メディア・ガウチ」に当たる地域的ネットワー

クによってアニメーションが盛んに制作された時期に焦点をあて、描画から音声、そしてプロ

デュースにわたり実際に携わった先人からの聞き書きを重ね、地域における文化産業の形成を

描きだす。

そして、包括的概念を名称とする「ポピュラーカルチャー研究プロジェクト」は現代社会に

おけるポピュラーな事象を、参与者としての等身大の視点から社会変容のマクロな視点にわた

り捉えなおし、「ポピュラーカルチャー」の再定義と同時に、ケース・スタディーから通史的研

究にわたり有効な「文化研究」の分析概念の練り直しに迫る。学際的な研究が統合性を獲得し

ていくための規範形成を担うプロジェクトである。多様な学術分野にわたる人文学・社会学系の

研究者が、それぞれの知見を持ち寄り、統合への道筋を模索する第一歩である。すでに形成され

ている各学術分野の尺度を無理やり当てはめればその達成度は高くは映らないとしても、ポピュ

ラー・カルチャーの現実を正面から総体として捉えるには、欠かすことのできない一歩である。

ポピュラーカルチャー シンポジウム

パクリポピュラー・カルチャーにおける模倣と流用

基 調 報 告 伊藤公雄(京都大学大学院文学研究科・文学部教授)報     告 増田 聡(大阪市立大学大学院文学研究科准教授)      山田奨治(国際日本文化研究センター准教授)      杉本バウエンス・ジェシカ(京都精華大学マンガ学部特任准教授)      細馬宏通(滋賀県立大学人間文化学部教授)

コーディネーター 佐藤守弘(京都精華大学デザイン学部准教授)

第 1部 基調報告 伊藤公雄 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 8第 2部 報  告 増田 聡 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 22 山田奨治 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 33 杉本バウエンス・ジェシカ ・・・・・・・・・ 41 細馬宏通 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 58第 3部 パネルディスカッション・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 70

第1部

基調報告

6  ポピュラーカルチャー研究 Vol.4 No.1 2010[パクリ]

佐藤 今日、司会進行を務めますコーディネーター、京都精華大学デザイン学部の佐藤守弘と申します。よろしくお願いします。このシンポジウムは、京都精華大学で行われているポピュラー・カルチャー研究会が主催して行うものです。京都精華大学の研究者だけではなくて、さまざまな大学、研究者の方々にお集まりいただいて、「ポピュラー・カルチャー」をキーワードとして、さまざまな現代文化を考えていこうとするものです。2007 年度に始まりまして、今回で 4 年目に入りますが、はじめて、研究員だけではなく幅広くさまざまな方をお招きして、シンポジウムを開こうということになったわけです。

本研究会はポピュラー・カルチャーをキーワードに、研究員も非常に学際的で、社会学、芸術学、美学、さらには、宗教学とか音楽研究とかさまざまな方がいらっしゃいます。

今日の登壇者のなかでは、増田さん、杉本さんが研究員で、他の方を今回のゲストとしてお招きした次第です。

ちなみに、主催のポピュラー・カルチャー研究会は PC 研というので、よくポリティカリー・コレクトかどうかと訊かれてしまいますが、ポピュラー・カルチャーでございます。京都精華大学の高橋伸一さんが代表者となっている「現代日本のポピュラー・カルチャーの相関分析による成立基盤の実証的研究」という堅い研究課題名の共同研究で、科学研究費補助金を受け、この会を催しております。

今回のテーマは─上海万博テーマソングの騒動があったので、ある意味非常にタイムリーなこととなりましたが─「パクリ─ポピュラー・カルチャーにおける模倣と流用」です。

模倣と流用はさまざまな文化のさまざまな時代に行われてきました。例えば絵画を勉強するとき、とくに近代以前においては先人の作品をまず模写することが基本でしたし、陶磁器においては今でも、例えば古伊万里のうつし、織部のうつしというように、「うつし」という名前において成立しているわけです。

私の研究室にあった、以前に東大の博物館であった『真贋のはざま─デュシャンから遺伝子まで』(東京大学総合研究博物館、2001)という展覧会図録の後ろには、模倣などの関連用語に、「アプロプリエーション」、すなわち「盗用」、「我有化」、「領有」、「流用」などとさまざまに訳される概念、あるいは「コピー」「模索」「フェイク」、─フェイクになるとこれは贋作ということになる─あるいは、「模倣する」でイミテーション、あるいは「複製」で、作っていくマルティプルとか、さまざまな言葉が載っています。パラフレーズ、パロディ、パスティーシュや、レプリカ、さらにはシミュレーション、シミュラークルという概念も入ってきます。

模倣や流用はさまざまな文化で用いられていますが、もう一方では、近代的な芸術概念である作者という「主体の内面から発するオリジナルな表現」という近代的な芸術概念と当然ぶつかる、摩擦をおこすわけです。さらに、今日の発表で、とくに増田さん、山田さんの報告で出てくると思われますが、それが今度は資本主義社会における財の問題、富の問

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題とも摩擦をおこしたりする。伊藤さんの発表でも出てくるように、写真、録音など機械的複製技術の発展以降、流用はそのままの形で持っていくことが可能になってくる。デジタル化すると、YouTube のように山ほどの流用、模倣が存在するわけです。

そういった摩擦をおこしつつも、例えば、一時期、ポストモダン(言説)のなかでは、パステーシュ、ブリコラージュ、アプロプリエーションというものは、積極的な対抗的な戦術として持ち上げられたりもする。そういった諸相を今日はさまざまに見ていきたいと思います。

はじめに京都大学の伊藤公雄先生に、基調報告を 45 分ぐらいしていただきます。では、よろしくお願いいたします。

8  ポピュラーカルチャー研究 Vol.4 No.1 2010[パクリ]

基調報告

伊藤公雄 

(メタ)複製技術時代の /と DIY 文化

▼基調報告▼

ただいまご紹介いただきました伊藤公雄と申します。基調報告を依頼された当初は、テーマが「パクリ」と知りませんでした。今日は、まずポピュラー・カルチャー研究をめぐる議論について、僕なりの観点からお話させていただこうと思います。できれば、後半で、全体のテーマである「パクリ」問題に繋がるような形で話しが進められたらいいなと思っています。

○はじめにレジメに書きましたように、僕の生まれは関東の埼玉県です。大学は京都大学を選びま

した。実は、同じ年、僕の高校から 11 人京大に入っています。同志社や立命館なども含めると、当時、かなりの数の関東出身の若い世代が京都に流入しているはずです。1970 年前後、なぜ若者が京都を目指したのか。この話から始めさせていただきます。

若者が京都を目指したことの背景には、やはり 60 年代、70 年代の時代状況があると思います。簡単にいえば、僕らは京都に憧れたわけです。その憧れの背後には、旅行ブームやポップスなどのなかで浮上した京都ブームもあったと思います。と同時に、学生運動やいろんな若者の反乱も含めて、国際的なカウンター・カルチャーの広がりのなかで、当時の京都が、ある種の独自性を持っていたということもあったと思います。

何年か前に、大学のゼミで学生と院生たちといっしょに「らくたび文庫」から『京の学生文化を歩く』(図 1)という本を出版しました。60 年代、70 年代の京都の学生文化・若者文化を紹介するというものです。この小さな本のなかでもちょっとふれているのですが、当時の京都は独特の若者文化が花開いていたと思います。例えば、今日も会場におられる中尾(ハジメ)先生たちが作られた「ほんやら洞」(図 2)などもその遺産のひとつです。西部講堂も、当時は日本の若者文化の象徴でした。木村英輝さんたち方が─今でもお元気ですが─中心にやった「MOJO-West」というある種のロックフェスティバルなども有名です。71 年には三里塚での空港反対運動のなかで、いわゆる幻野祭が開かれました。翌

基調報告:伊藤公雄/(メタ)複製技術時代の / と DIY 文化  9

72 年に実は京都でも幻野祭が開かれています。西部講堂と京大の農学部グランドが舞台でした。僕も、72 年の幻野祭はスタッフとして加わりました。京都版の幻野祭は、その年の 5月のテルアビブ事件で亡くなった 2 人の京大生と、実はその直前に水死したもう 1 人を加えた 3 人の死者の追悼ということが軸でした。僕も、警察に尾行されながら、西日本をビラを持ってオルグ活動をひと月半ほどやったという記憶があります。かなり大がかりなロックコンサートが開かれて、頭脳警察とかも登場したりしています。豊田勇三さんの歌のなかに、この夜、彼が大文字の送り火を背景に歌をうたったときのものがあります。盛り上がったロックの途中で豊田さんのスローバラード風の歌が入ったため、観客がモノを投げたり罵倒したりでたいへんな騒ぎになったときのものです。

こうした京都の若者文化のほぼ全体を通じて特徴的なのは、ほとんどすべて「自前」でやっていたということです。今日の報告のタイトルに DIY(do-it-yourself)と書いたのは、この「自前」の若者文化についてお話しようと思ったからです。もちろん「DIY 文化」は、東京でもありましたが、おそらく京都の方が、この点でははるかに目立っていたという印象があります。DIY は一般には日曜大工に近いような意味で使われてきた言葉です。自分で自分のものを作る、自分で使うものを作るということで、DIY というわけです。しかしこの言葉は、60 年代、70 年代のカウンター・カルチャーを総括する議論のなかで用いられてもいます。70 年代、少なくとも後半ぐらいにはしばしばポピュラー文化を研究する議論のなかで登場していました。70 年代後半の大学院生の

図 1

図 2

10  ポピュラーカルチャー研究 Vol.4 No.1 2010[パクリ]

頃にポピュラー・ミュージックの研究会を何人かでやっていたことがあります。そのときに英語の論文で読んだ DIY の話をしたら「それは日曜大工の話だろう」とあざ笑われたことがあります。けれども、このポピュラー音楽について書かれた論文における DIY は、60 年代から70 年代のカウンター・カルチャーのなかにある、自分たちで手作りをする、ある種の文化創造について述べたものでした。

たとえば、今でも思い出のフォーク & ロックのような番組で、フォーク・クルセダーズはよくとりあげられます。もちろん、彼らも京都発です。それ以外にも、フォークやロックのグループ等々の動きが、東京とは違う形で発展していました。なかでも、東京と比べて圧倒的にローカルかつ自前で手作りで発展したという点は強調してもいいのじゃないかと思います。

実は、欧米のポピュラ-・カルチャー研究のなかで、この DIY についての論文を最近よく見かけるようになっています。たとえば、「ジン(Zines)」(ファンジンなどのジンですが)研究の本のなかで、「DIY の倫理(Ethics of

DIY)」という論文では、DIY をこう定義しています。「既成のものの消費をやめて、自前の文化を

作り出すこと」と。60 年代、70 年代の世界中のカウンター・カ

ルチャーがそうだったわけですが、日本でももちろんこうした動きがありました。なかでも京都の若者文化のなかに、ある種自前の、手作りの文化が目立って存在していたのは事実だろうと思います。さきほど申し上げたほんやら洞はもちろんですが、僕ぐらいの世代にとっては懐かしい一乗寺の京一会館などもそうです。

図 3

図 4

図 5

図 6

基調報告:伊藤公雄/(メタ)複製技術時代の / と DIY 文化  11

京一会館は、今はエルスポーツになっています。京一会館の上映のプログラムは、京都の大学の映画部の人たちがかなり自主的に作成していました。ときには監督や出演者を呼んできて、上映とあわせて講演会などをしたりしていました。面白いのは、こうした動きが学生運動とも連動したりしていたという点です(図 3)。

これが西部講堂です(図 4)。70 年代頭ぐらいに撮ったものです。かつては、屋根に「70から無限大」というマークが描いてありました。これは最近のもので、70 年代初頭の「オリオンの三ツ星」が描かれています(図 5)。最初にこれが描かれたのは 1972 年のさきほどふれた幻野祭のときのことで、僕らも暑い夏に屋根に登って描いた記憶があります。

これは大駱駝館のシーンだと思います。浅川マキのコンサートかもしれない(図 6)。今申し上げたように、70 年代にはある種の自前の、あるいは手作りの文化というものが

ありました。京都という場所は学生の人口密度が高く、さまざまなネットワークが作りやすいこともあったんだろうと思います。いずれにしても、京都は、自前のポピュラーカルチャー形成という点で、ある種のメッカとして位置づけられていたと思います。

それならなぜ京都で自前の手作り文化ができたのか。たとえばフォーク・クルセイダーズは自分たちでレコードを自主制作で作るわけですが、その背景には、エレキギターの登場や、ギターが手に入りやすくなったなども含めて、新しい技術の大衆的普及があった。つまり、新しい文化を自分たちで自前で作るだけのインフラが、60 年代から 70 年代に整備されつつあったということがあるのではないかと思います。

○ベンヤミンと中井正一DIY の文化について、歴史的に振り返ることも重要なのではないかと思っています。こ

うした動きが開始されるのは、もう少し前の時代、1930年代前後のことだったと思います。ここで、当時の 2 人の思想家、ベンヤミンと中井正一についてふれてみたいと思います。つまり、ベンヤミンの「複製技術時代」と中井正一の「委員会の論理」の 2 つです。僕は、これらの作品は、1970 年前後に広がった大衆的な DIY 文化を、ある意味で予言したものではないかと思います。

ベンヤミンと中井はだいたい同時代の人です。いろいろな解釈があると思いますが、ベンヤミンの「複製技術時代」と中井の「委員会」の論理を読むと、重なる部分がかなりあるように思います。2 人ともある種の全体主義体制を目前にしながら文化を研究対象として取り組むわけです。2 人が共通して見ようとしたものは何か。たとえば、中井の「委員会の論理」を再読してみるといろいろ興味深いことが見えてきます。たとえば、中井はマーシャル・マクルーハンの「グーテンベルクの銀河系」に先立つこと 30 年か 40 年ぐらい前の段階で、語る文化から読む文化への大きな転換が人間の感覚を変えているという指摘をしています。メデイア論という観点からもきわめて先駆的な人だったと今さらながら思います。

12  ポピュラーカルチャー研究 Vol.4 No.1 2010[パクリ]

ベンヤミンもまた同じように複製技術の登場が時代の画期を生み出しているといっています。中井がマクルーハンに先立って 30 年も 40 年も前の段階で知覚や感覚の変容を議論したように、ベンヤミンもまた、技術の新しい展開のなかでの人間の感覚や知覚の変容を強調しているのです。僕の読み方だと、こうした感覚の変容と複製技術の登場によって、ベンヤミンも中井も、ある種の自前の集団的な文化創造の可能性に注目していると思います。

ベンヤミンは、複製技術時代の時代において古い芸術が終わり始めていると語っています。そこには、一部の特権的なエリートだけが制作して享受する芸術は終わり始めているという含意があります。同じように中井の視点にも、これは芸術といわずに文化といった方がいいかもしれませんが、古い文化の終焉と、芸術や文化の新しい受容形態についての見通しがあったように思います。しかも、大衆による集団的な新たな文化創造という視点が、政治的な意味をもって語られている点も共通しています。

それはまさに今日問題にしようとしている DIY 文化とも絡むことです。つまり、複製技術の時代、新たな文化の受容者として、また、単なる受容者としてだけではなく、文化や芸術の創造者として、大衆が主体的に関わる条件が生まれたと 2 人は考えていたのです。複製技術の登場によって、技術的にも、あるいは我々の感覚、あるいは政治的な側面においても、それが可能になったという視点が、両者ともによくよく読むと含まれていると思うんですね。

ベンヤミンの議論は「アウラ」の消失で有名です。これは、一回性の消失、つまりかつて存在していたオリジナルな芸術が持っているものが複製技術の登場によって失われたとしばしば解釈されています。実際、彼の「アウラ」の消失の議論をめぐって、本物のオリジナルなハイカルチャーとしての芸術が複製技術の登場によって失われたという風な読み方をする人が結構います。しかし、ベンヤミンをよく読むとそんな単純なことは言っていないのです。「複製技術時代の芸術作品において滅びていくものは作品のアウラである」という文言が

あります。これは特権性を持った一回的なオリジナルな作品性が滅びていくのを嘆くかのように読み取ることも可能ですが、あとの方を読んでいくとむしろ、複製技術の登場によって大衆が自分たちの文化の受容や創造の枠を広げていく環境が整った、と読めると僕は思っています。おそらくその方がアウラの消滅を嘆くという議論よりは、真っ当なベンヤミン読みなのではないかと思っているんです。

中井もベンヤミンも示唆しているんですが、商品化された芸術文化が大衆文化のなかに入ってくることに対する否定的な抵抗感情みたいなものが、彼らの議論には共通して含まれています。中井もベンヤミンも、新しい知覚や感覚というものの登場と、文化あるいは芸術を集団的、コミュニケーション的に創造することが可能になった社会を展望していますし、彼らの視線の背景には、来たるべきデモクラシーの基礎としての、カッコ付きの「大衆」

基調報告:伊藤公雄/(メタ)複製技術時代の / と DIY 文化  13

の文化受容と文化の共有や再創造の可能性についての視線があったと僕は読んでいます。ただ残念ながら、ご存知のように 2 人とも全体主義の前に、囚われの身になったり、自

殺をしてしまったりするわけで、彼らが夢見た文化創造におけるデモクラシー、文化の受容や創造におけるデモクラシーは、残念ながらこの時代には実現しませんでした。

30 年代に夢見られた新たな複製技術の登場による文化におけるデモクラシーみたいなもの、これは申し上げているように全体主義の前についえたわけです。それが、再び、ある可能性として登場したのが、冒頭で申し上げた 70 年前後に世界的におこったカウンター・カルチャーだったのではないかと僕は思っています。この時代、自前の集合的な文化創造の実現が、新たに登場したということができるのではないか。

DIY という視点は、さきほどいったように一般的な概念としては日曜大工的な、自分のことを自分でやるというような意味合いで使われることが多い言葉です。けれども、何度もいいますが、自前の、手作りの文化創造という言葉として、もう一度再評価してもいいのではないかと思っています。

日本のポピュラー・カルチャー研究のなかで DIY の視点というのは、僕の見る限りではあまり強くはないように思います。ただあとで申し上げるように、最近またこの DIY という言葉が使われ始めているわけです。その意味で、DIY という視点もふまえつつ、いわゆるメタ複製技術自体における集団的な文化創造というような問題と、もう一度我々は直面し始めているのではないかというふうに思うのです。

ではなぜ、ある種の空白の時期が存在したのか。つまり、60 ~ 70 年代に、一時的ではあれ、ある種の複製技術のベースのもとで DIY 型の、商品文化から距離をとった大衆的な文化受容や文化創造がそれなりに達成されたのに、なぜ、それが 70 年代に終わりを告げたのかということを考えなければいけないと思うのです。

誰でも考えるように 70 年代は消費社会の成熟の時代です。そこでは消費文化の優位が成立することになります。とくに日本の社会は文化消費の徹底が、他の諸国以上になされたのではないかと思うのです。まさにこの時期を生きていた人間として、あの時代を振り返ってみると、そうしたことを強く感じるわけです。このへんはデータの裏づけできちんと議論したいと思ってデータ探しを始めています。でも、時間がなくてできないのですが……。

○消費社会とポピュラー・カルチャー個人的な「経験」のレベルの語りになるかもしれませんが、70 年代になると、若者と女

性をターゲットにし文化消費が、日本には他の国以上に広がったことは明らかです。私のような若いときに学生運動にはまった人間にとっては、なぜ日本では他の国のように学生運動が継続しなかったのか、あるいはフェミニズムが発達しなかったのかということは、大きな問題であり続けています。どっちが原因でどっちが結果なのか知りませんけれども、異

14  ポピュラーカルチャー研究 Vol.4 No.1 2010[パクリ]

議申し立ての動きの沈潜化の背景には、70 年代の文化消費の広がりという問題がかなり絡んでいると思っています。

つまり、1970 年代の日本社会には、社会に対する若者の反抗、あるいは自分たちのおかれた現状の性別構造を批判する動きよりも、もっと身近で快適な生活が作り出されていたのではないかということです。さきほどから申し上げている文化消費の構造の成立です。もちろん、他にもいろんな要因があるので簡単には総括できません。しかし、70 年代日本のライフスタイル消費というか、若者や女性をターゲットにした消費文化が、社会批判の声を吸収してしまったということは、ある程度いえるのではないかと思います。

たとえば、今、欧米では日本の少女文化がすごく注目を受けています。その背景を探ると、70 年代に目が向きます。実際、1970 年代後半になると、日本では急激に少女マンガ雑誌の数が増えていきます。女性雑誌も 70 年代前半に『an・an』『non-no』の時代からどんどん広がっていくわけです。この時期以後、爛熟した日本の若者文化・(少女を含む)女性文化が、1990 年代以後、国際的な消費の対象として浮上している。こうしたことの背景に、1970 年代以後の日本の若者文化・(少女)女性文化の「成熟」が控えていたはずです。

90 年代から日本はいわゆるクールジャパンのブームで、日本のポピュラー・カルチャーが国際的に受容されていく現象がありました。くり返しますが、その基礎はやはり 70 年代にあったと考えるわけです。戦前から日本の子ども文化は、かなり充実していました。それは戦後も継続し、70 年代の徹底した文化消費の構造として爛熟していったわけです。

文化消費の徹底は、70 年代前後に生まれた自前の文化の受容や創造や共有という動きを破壊していきます。たとえば、吉田拓郎は商業主義を拒否して「テレビになんか出ない」といっていたわけです。でも 70 年代後半になると、どんどんテレビに登場してくる。中核派だった糸井重里は「おいしい生活。」というコピーで売り出してくる。60 年代、70 年代に生まれた新しい自前の文化が、商品になり、消費文化として成熟していくという動きが、70 年代の日本には他の国以上に目立ったのではないか。

80 年代になると、ガス抜きとしてパロディ文化が登場したりもするわけです。これも一種の DIY の名残ではあると思います。でも、結局は、大きな枠としての消費の仕組みの中に回収されていく。

いずれにしても、日本の若者、あるいは女性の消費文化の爛熟ということが、60 年代、70 年代の DIY 型の文化の動きを収奪し、回収する形で成立したということはいえるだろうと思います。もっとも、ぼくは、こうした DIY 型文化の動きの終焉をただ嘆いて批判しようと思っているわけではありません。というのも、資本の力はきわめて強力で、あらゆるものを利益へと変えていく力をもっていると思うからです。面白いことをやって、しかもお金がもうかるというなら、ごく少数の人々を除けば、たいていの人はそっちの方に向かうだろうと思います。いずれにしても、1970年代から80年代を経て90年代に向かう日本社会は、

基調報告:伊藤公雄/(メタ)複製技術時代の / と DIY 文化  15

サブカルチャーと今では呼ばれているものが、どこの国よりも「産業」として爛熟したのは間違いないと思います。

○「文化」の再定義と文化研究そういう変化のなかで、このポピュラー・カルチャー研究会のように、アカデミズムの分

野である種のポピュラー・カルチャーを研究するという流れが生まれてくるわけです。欧米の議論を見ていると 1970 年前後に、ハイカルチャー、マスカルチャーないしポピュ

ラー・カルチャー論争が生まれます。簡単にいえばカルチャーにポピュラー・カルチャーを含めるかどうかっていう議論です。こうした文化の再定義とでもいえる動きが、研究者の間で広がるわけです。

この時期、文化の再定義のなかで、1930 年代のベンヤミンや中井正一をはじめ、左翼的な文化研究の見直しが開始されていきます。僕も若いときにアントニオ・グラムシの文化論を研究テーマにしていました。グラムシや日本の戸坂潤等々の 1930 年代の思想家たちは言うまでもなくマルクス主義者です。彼らは、かなり早い段階でポピュラー・カルチャーをある種の政治的な分析の重要なファクターとして取り入れる動きをしていたわけです。それが、1970 年代から 80 年代にかけてリバイバルしてくるのです。

1930 年代の左翼側からの文化運動という点でも京都は大きな意味をもった場所です。ご存知のように、左派ないしリベラルな文化人たちが、ある種の民衆との繋がりを求めた思想文化活動を、この時期、展開したところでもあるわけです。雑誌「世界文化」や、「土曜日」という週間新聞がありました。

斉藤雷太郎さんという大部屋俳優さんがおられました。ご存命のときに何度かお話を聞いたことがあリます。有名な週刊新聞「土曜日」は、最初は彼が始めた「スタジオ通信」に源流があったといわれています。「土曜日」が始まって以後も、斎藤さんは自転車でこの週刊新聞を、京都中の喫茶店や本屋のあちこちに配って読んでもらうという作業を続けるわけです。まさにこれも自前の文化です。DIY といってもいいでしょう。しかも、そこには印刷技術の大衆側からの活用という技術的基盤が存在していたわけです。自前の文化による全体主義に対する抵抗とデモクラシーの希求みたいなことが、運動として、文化人だけでなく、カッコ付きの「庶民」といっていい斉藤さんたちが作り上げていったのです。

実は、日本のポピュラー・カルチャー研究は、欧米と比べて、より早い段階でしかも大きな広がりをもって展開していたのではないかと、僕は考えています。背景には「土曜日」(それ自体はフランスの人民戦線の機関誌的機能を果たした「金曜日」に源流があるわけですが)のような動きがあったと思っています。

欧米社会でポピュラー・カルチャー研究がそれなりに本格化していくのは 70 年代以降です。けれども、戦後日本では、ポピュラー・カルチャー研究が、すでにいわゆる「庶民」

16  ポピュラーカルチャー研究 Vol.4 No.1 2010[パクリ]

層を巻き込んで展開されていた。たとえば『思想の科学』のグループは、その 1 つの代表例です。いわゆる庶民知識人というか、まさにベンヤミンや中井たちが夢見たエリートではない書き手を含めた人たちが、ポピュラー文化に対する鋭い眼差しを向けるような動きが、戦後、どの国よりも早い段階で展開されていたのです。

このへんも、ポピュラー・カルチャー研究の学説史のなかで、きちんと押さえておく必要のある部分じゃないかなと個人的には思います。逆にいうと、1990 年代半ばにカルチュラル・スタディーズが鳴りもの入りで日本社会に入ってきたとき、ぼくはあまり驚かなかった。

「戦後まもない頃から、もう日本ではおなじようなことを、知識人だけでなくいわゆるノンエリートの人々を含んでやっていたじゃない」という認識があったからです(ちなみに、ぼく自身はグラムシ研究のなかで 80 年前後にすでにカルチュラル・スタディーズの動きに注目していました。というか「同じようなことをイギリスでもやっているな」と考えていましたし、1990 年代前半に「これからは日本でも、この左翼的な文化の研究がきっとブームになるぞ」といったことを雑誌に書いたりしていました)。

現在のカルチュラル・スタディーズの人文学における覇権は、日本はそれほどまだ目立ちません。でも、アメリカ合衆国では90年代ぐらいからきわめて強力に拡大したわけです。まさに人文学におけるヘゲモニーを確立してしまったわけです。だから人文学の古いアカデミシャンたちは、1990 年代には、ポピュラー・カルチャー研究の広がりに対する大変強い警戒感を抱くようになっていました。それは、カルチャーの重要な一部としてのポピュラー・カルチャーが、研究や教育の対象として、90 年代ぐらいから急激に国際的に広がっていったということの裏返しの事態だっただろうと思います。

しかし、日本では、このポピュラー・カルチャー研究をどうやって「学(がく)」のなかに、「学知」のなかに位置づけるかという作業は、「おもしろいからやろうじゃないか」という段階でまだ留まってるような気がしています。僕はもうちょっとはっきりした形でポピュラー・カルチャー研究をアカデミズムのなかに位置づけていくということが必要なのではないかと考え続けてきました。その意味でも、このポピュラー・カルチャー研究会には期待したいと思っています。

人文学とは何なのか、それはどんな役割を僕たちの生活に果たしているのかといった問いかけをすれば、基本的には「人間の生を豊かにする」ための知的作業の場ということなんだろうと思います。なんか口幅ったい言い方ですけれども。例えば『源氏物語』の一説がすごい感動を呼ぶのは、お金儲けに繋がるわけでもなんでもない、我々の生に感動を与えたり豊かにするからです。人文学は、そのための道具を僕たちに与え、文化を読み解くための視点や方法を提供してくれる「学」だと思います。そう考えたら、「エヴァンゲリオン」の分析のなかで、僕たちは思いもよらない発見ができるじゃないですか。そういう知の喜びは、いわゆるハイカルチャーでなくとも、つまり、ポピュラー・カルチャーもまた十分

基調報告:伊藤公雄/(メタ)複製技術時代の / と DIY 文化  17

に与えてくれるわけです。今、ハイカルチャーとして考えられているもののほとんどは、かつてはポピュラー・カルチャーだったということもつけ加えておきたいと思います。その意味で、いわゆるハイカルチャーとポピュラー・カルチャーとの棲み分けみたいなものも視野に入れながら、人文学のなかでの、ポピュラー・カルチャー研究が何を我々にもたらすのかということの真面目な議論も含めて考えていく必要があるのではないかと思っています。

○(メタ)複製技術時代とポピュラー・カルチャーあまり時間がないので、次に進みます。ポピュラー・カルチャー研究と同時に、冒頭に申し上げたポピュラー・カルチャーそのも

のが我々の生活あるいは生というものに実は深く関わってきていることは、ベンヤミンや中井が考えたように、もしかしたら政治的・社会的な課題とも通低しているのではないかと僕は思っているわけです。僕らが 60 年代、70 年代に文化創造─文化創造という言葉は今や口幅ったいですが─とでも言える作業を自前でまた集団的に実行していました。例えば、僕らはチラシを作るときにはガリ版印刷をしていました。蝋紙に鉄筆で書いて、それを謄写版にかけて刷るというものです。僕はわりとこれが得意だったんです。30 分で原稿から 1,000 枚のビラが刷り上がるまでやれるぐらいの技術を持っていました。たぶん最速レベルですね。どうやったって 1 時間はかかるんです。そういうガリ版印刷であったり、次は青焼きコピー─これは数年で消えてしまいましたけれど─といった、新しい技術を使った自前の文化創造や伝達手段を活用していました。70 年代に僕らがいろんな文化活動や政治活動をするときに新しい武器の 1 つとしてあったのがシルクスクリーンの登場などです。今思い出すと、京都のあちこちで、たとえば九条山で印刷したり、今の京都造形芸術大学の前身である藤川学園でシルクスクリーンを使ってポスターを印刷したりなんかもよくしました。

このような手作り型の複製技術の活用のなかで、自前のさまざまな活動を展開していったわけです。70 年代も後半になると、さらに高度な複製技術が登場します。しかもそこには「持つ者」と「持たざる者」の格差を介在させることになります。なぜ 60 年代、70 年代の自前の文化が商品化された文化に収奪されていったかといえば、より高度な複製技術を持ってる人たちがヘゲモニーを握ってしまったからですね。しかもお金になるわけです。もっというと、お金をかけるとそれだけすぐれた作品=商品になるわけです。そういう高度な技術を所有できる者とできない者の格差のなかで、DIY 型文化の創造と受容の消滅のような、文化をめぐる新たなヘゲモニーみたいなものが生まれたんだろうと思うんです。

しかし 90 年代以降になると、デジタル技術の普及で、技術を所有する者の格差というのが揺らぎ始めている部分はあるのではないかと思います。最近出された、遠藤薫さんの『メタ複製技術時代の文化と政治』(勁草書房、2009)という本があります。遠藤さんはデジ

18  ポピュラーカルチャー研究 Vol.4 No.1 2010[パクリ]

タル技術をメタ複製技術へとだいたいパラフレーズして論じておられるようです。こうしたデジタル技術の登場は、もう一度新しい DIY 型の文化創造と受容の可能性を生み出しつつあるのではないか、というのが、僕の今後の文化状況をめぐる見通しです。技術に対するアクセスの容易さが創造と受容の関係の広がりも含めて、さまざまなものを生み出しつつある。そんなことは、誰でもわかっていることだろうと思います。でも、このことを DIY 論に見られたような、文化創造の共同性や自律性と重ねて、歴史的かつ政治的な視座から論じたものは、まだまだ少ないように思います。

社会学の議論では最近、個人化という議論がとても広がっています。それは単なる個人主義ではなく、基本的に自分のところから出発して自分のところに帰ってくるような生活スタイルが、現代社会の人間の生き方として広がっているという議論です。そのなかで、個人主義的審美主義というか、個人化した生活審美主義という言い方があります。ある種の私的な芸術家というか、生活そのものを自分なりの美学でコントロールするという生活スタイルが生まれつつあるという指摘です。

オタクも、もしかしたらこうした生活審美主義の流れの表明なのかもしれないと思います。オタクをめぐる議論はすごく盛んで、かつてオタクが否定的な用語だったのが、今やポジティブな用語になっています。フランスに 15 年ほど前に行ったときに、「オタク」というマンガ雑誌がキオスクで売られているのを見て、びっくりしました。オタクという言葉は今や国際的には、どちらかというとポジティブな言葉になっている。日本で登場したオタクを、個人化や生活審美主義みたいな観点で考えていくと、オタクというのは一種の生活審美主義者なのかもしれないと思います。

僕は「“ 萌え ” が文化創造だ」って授業でいって、学生に笑われたことがあります。「先生、勘違いしてるんじゃないですか」っていわれたんです。僕の勘違いだったのかもしれませんが、しかし、萌えというのはある与えられた商品を媒介にしながら、自分なりの想像=創造を付け加えて自前の文化の再創造をしていくという作業でもあると思います。しかもそれを消費していくというようなプロセスが内在されている。そこには生活審美的な生活スタイルというものが明らかに入っています。

これはあとでいうパクリの議論とも繋がっていきます。コミケットの同人誌におけるカルチャーなどにおいては、既存の与えられたものを媒介にしながらそれを再創造して再流用していくなかで、さらにそれを自分たちで消費していくというプロセスが介在している。これは、たぶん後半のパクリの議論のなかで議論されることと絡んでくるかもしれません。それを善悪の物差しで測っていいのかどうかということも含めて、技術の活用を通じて、自前の美学みたいなものが可能になった時代に私たちは生きているということなんですね。

ベック等もいうように、文化の大量生産・消費から、ニッチ化した文化の生産と受容、(つまり)個人化した審美主義の社会に移行しているんだろうと思います。オタクカルチャーは

基調報告:伊藤公雄/(メタ)複製技術時代の / と DIY 文化  19

まさにその先駆けだったのかもしれません。そこにはデジタル複製技術の介在が欠かせないものになっています。興味深いのは、そ

ういう隙間的な形での文化生産が、デジタル複製技術を通じて世界的な消費の対象になるようなアイロニーも発生することです。

こうした事態の出現は、ベンヤミンや中井正一の夢想したような、商品化を超えた共同性に開かれた自前の創造的文化といった視点からみれば、手放しでは喜べないことなのかもしれません。僕たちは、彼らよりもはるかに複雑な時代に生きているし、この状況に対してきっちりした方向づけをすることが難しい状況にあるからです。実際、デジタル複製技術を媒介させた新しい DIY 型の集団的創造と受容が可能かどうかは難しい問題だと思います。

たとえば、ソーシャルネットワークサービスによって新たな集団や共同性が形成できるのかどうか。その場合、集団や共同性とはそもそも何なのか。集団意識はそういうデジタルを媒介にした形で本当に作れるのか。こうした問題も考えなければいけない課題としてある。いずれにしても、今のデジタル複製技術のなかで、中井やベンヤミンが考えたような文化の受容や共有や創造はどうやったら可能なのか、それは新しいデモクラシーみたいなものと繋がる回路はあるのかといったことは、今だからこそ、考えてもいい課題なのではないかと思っています。

○おわりに最後にパクリの話に繋げたいと思います。デジタル複製技術の時代というのは、模倣が

以前と比べてはるかにたやすくなった時代です。我々大学教師が困っているのは、レポートや卒業論文までがコピペで出されてくるという時代にどうやって対応したらいいかということです。ただ、文化の模倣や流用は前近代社会では当たり前のものだったわけですね。シェークスピアの作品は当然のことながら大陸のさまざまな物語をそのままパクっているわけです。『デカメロン』と『カンタベリー物語』の類縁性を考えてみたら、いくらでも出てきます。「新しい作品を作るのは常に盗作である」という言い方さえ、ある評論家はしています。少なくとも前近代社会においては、模倣したり流用したりするということは、当たり前な文化創造の手法だったわけです。しかし近代社会になると、オリジナリティの強調と保護が問題になる。それは、当然のことながら商品としての文化という問題と連動していると思います。

そういうなかで、複製技術の大衆化とアクセス可能性の拡大のなかで、新たなパクリの議論がこれから始まるわけです。

文化の商品化は、70 年代以降に爛熟していきます。しかもグローバリゼーションのなかでさらに広がっていく。これは山田奨治さんが専門ですが、海賊版の問題というのは、文

20  ポピュラーカルチャー研究 Vol.4 No.1 2010[パクリ]

化の商品化のなかでのパクリというか模倣というか流用ということになります。でも、他方で─山田さんが最近に出された文化とコモンズについての論集にもありますように─、個人的集団的な文化受容や文化の共有や自前の文化の再創造のための模倣や流用を、我々が文化の見方のなかでどうやって位置づけていくかということは、きちんと議論する必要がある。大げさかもしれませんが、この問題は、もしかしたら文化の個人所有、あるいは商品化という近代資本制の枠の揺らぎみたいなものと絡む可能性さえあるような気さえします。

そのへんのところも、後半のセッションでのパクリの議論のなかで展開していただけるのではないかと思います。僕もあとで参加させていただくので、それは、あとのお楽しみということで、私のおしゃべりの方はこれで終わりたいと思います。

どうもありがとうございました。

佐藤 ありがとうございます。1920 年代、30 年代、および 1960 年、70 年代という、時空を超えてさまざまな話題を提供してくださいました。do-it-yourself というのは、あまり僕もキータームとして考えたことはなかったのですが、日曜大工という日本語訳を媒介して、一方で器用仕事という、いわゆるレヴィ=ストロースのいうブリコラージュ、つまり、あり合わせのものを使って本来の目的ではないやり方でものを作ってしまうという。つまりそういった do-it-yourself とかブリコラージュというところに、消費による生産、あるいは生産による消費という、生産と消費が分化する一方向的なものではなくて、(双方向的なものとして)一体化しているんではないか。こういったことは第 3 部のパネルディスカッションに話を繋げていきたいと思います。

第2部

報 告

22  ポピュラーカルチャー研究 Vol.4 No.1 2010[パクリ]

報 告1

増田 聡

パクリ:ポピュラー音楽の場合

▼報  告▼

「最近「パクリ」をやってます」……などと口に出して言うと、僕の友達には社会学畑で変な研究テーマを持っている人が多くて、「専門はなんですか」と訊かれて「オナニーです」とか「セックスです」とか答える友人がいる。僕もそういった口に出すのがちょっとやばい研究テーマが持ちたいという不純な動機から、パクリとか盗作とか剽窃の研究に手を染めてまして、最近「何をやってるんですか」ときかれて「盗作です」とか「剽窃です」などと答えることができるのが大変嬉しいです。今日は「パクリ:ポピュラー音楽の場合」というタイトルでお話をします。

おそらくみなさんの期待としては、このごろ話題の岡本真夜の一件、上海万博テーマソングの盗作騒動についての話が聞きたいのでしょうけれども、今日は準備不足もあってその話はいたしません。昨日、岡本真夜のホームページを見にいったら、本人が毎日ブログを書いているんですけれども、ファンクラブの会員しか閲覧することができない。残念ながらそこまでのファンでもないので調査は断念いたしまして、今日は岡本真夜の話はできません。ただ、その話はしないというのにはもう一つ積極的な理由がありまして、今回の盗作騒動はとりわけ目新しい問題ではないということもあります。構造的には以前のオレンジレンジの一件とほとんど変わらないので、取り上げる必要を感じないわけです。いずれにせよ今日は、音楽のパクリについてお話ししていきたいと思います。

今日の報告のポイントを、端的に三点にまとめておきました。まず一つは、そもそもパクリという言葉の意味変容の歴史について。これはあらかじめ

結論を申しておきますと、作品の人為的な模倣・真似ということが「パクリ」という言葉で指し示されるようになった(つまり、財産権侵害と同一視されていった)のは比較的最近で、日本のパクリという言葉の用例を追っていくとかなり明確に、このあたりの時期に語義の転換があるということがわかってくる。まずそういう話をします。

二番目、しばしば真似とか複製とか模倣とかパロディとかいろいろありますけれども、その種の間テクスト性が著作権法の中でどのように理解されるか、ということについて。僕

報告1:増田 聡/パクリ:ポピュラー音楽の場合  23

の主張としては、文化的な生産物の機械的複製と、人為的な模倣をはっきり区別して考えようということを提案したいと思います。

最後に、音楽の実例を示します。音楽における「パクリ」は確証することが不可能であるということ、不可能なんだけれども、その「パクリ」を指摘することに抗いがたい誘惑を感じてしまうこと。似たような曲を聞いてしまうとついつい「あ、パクリや」といってしまいたくなる我々の奥深い欲望というのはどこから発生しているのか、といったことについてお話したいと思います。

この三つです。

○日本語の「パクリ」語義の変遷それではまず、日本語の「パクリ」という語の語義変遷についてお話いたします。この

内容はすでに論文として公刊しておりまして、僕の次にお話をされる山田奨治さんの編著『コモンズと文化』(東京堂出版)に収録されています。「真似、パクリ、著作権侵害」というタイトルの論文です。この本はついこのあいだ、3 月に出たばかりなんですが、僕の論文以外は大変おもしろい本ですのでぜひご覧ください。

この論文で述べた内容は、新聞データベースなどでざっと調査したレベルなので大したものではないんですけれども、パクリという言葉の意味変化が、歴史的に大きく三つの段階に分かれている、ということでした。まず一つは、明治末期から大正にかけての新聞記事によると、財物の窃盗という意味でパクリという言葉が使われるケースが非常に目立つ。

「パクリ書生事件」というのがありまして、書生、すなわち学生です。一流大学といいますか、当時の大学生は今と違ってそれだけでエリートですから、「パクリ書生、あらわる」つまり「大学生が泥棒した」ことを扇情的に報じる記事が、明治末期から大正にかけていくつか現れています。

戦後になると今度は、「パクリ」は単なる盗みというより、経済的詐欺を指す言葉になります。同じ経済的な窃盗ではあるんですけれども、より大がかりな詐欺事件や、その当事者を表わす言葉に変容します。当事者はしばしば「パクリ屋」と呼ばれています。おそらくこの会場にいる若い方々は、「パクリ屋」といわれてもさっぱりイメージが湧かないでしょうし、もしかしたら岡本真夜の曲をパクった作曲家、に類する印象を持つのかもしれないと思うんですが、違うんですね。

年配の方はご存知のとおり、「パクリ屋」というのは、あからさまに反社会的なイメージをもち、総会屋のような存在にも近い界隈の人々を指していました。裏社会と接点を持ち、企業を騙したり、手形詐欺を働いたりして法律すれすれ、あるいは非合法に金を稼ぐことを専業とした人々のイメージが、終戦後から 80 年代にかけての「パクリ」という言葉にはべったりと張りついています。朝日新聞や日経新聞の記事を見ると、80 年代末ぐらいまでは

24  ポピュラーカルチャー研究 Vol.4 No.1 2010[パクリ]

「パクリ屋」という言葉はとくに注釈もなしに、明確にこのような意味で用いられています。ところが、三番目の段階、80 年代後半から現在に至る時期になると、「パクリ」という語

からは長く支配的だったその意味がまったく忘れ去られてしまうんですね。現在の「パクリ」という語は、みなさんもご存知のとおり、文化的な生産物の表現とかアイディアの模倣、すなわち剽窃を指す言葉になっている。表現 / アイディアと二つを並記したのは著作権法に詳しい方だったらよくわかると思うんですけれども、著作権の対象となる表現だけではなくアイディアも含めて、文化的生産物を構成する諸々の要素を模倣すること一般をパクリと名指すようになります。

この語義変容は実に短期間のあいだに急速に進行しました。バブル期を境に、もう本当に劇的に変容してしまう。そうなると、剽窃という言葉とパクリという言葉が、ほぼ同義となってしまうことになります(剽窃と盗作の違いについては詳しくは述べませんが、剽窃の方が範囲が広く、具体的な表現だけではなくアイディアを真似ることも含んで用いられる傾向がある、くらいの理解でよいかと思います)。

このように「パクリ」の語義は、三つの段階を経て変化してきた、と僕は考えています。

○現行「パクリ」概念の(朝日新聞における)初出について朝日新聞の新聞記事データベースを調べると、現在の意味で「パクリ」という語を用い

ている用例の初出は、次のような記事でした。

……軽音楽の世界ではもっとひどい。TV から、アイドル系の歌手の歌声や、番組のテーマ曲が流れて来て、「あ、懐かしいな、これはずっと以前にちょっと流行(はや)った曲のリバイバルかしらん」とか思っていると、著作権法すれすれのところでメロディーラインが崩してあって、どうやらオリジナルと銘打っている。日本文化はコピー文化といわれて、海外からもたらされたものを小細工するのが得意ワザとされているが、本家の独創性をこすっからく加工し、それを逆輸出することで市場を食ったりするから嫌われてしまう。「ヒトの持ちネタで営業するんじゃねえヨ」というのが日本叩き(たた)の本音だろう。それが工業生産物であるうちは器用も芸のうち、といっていられるが、芸術のかいわいにあるものまでパクリ屋に成り下がっていれば、一国の知性を疑われても仕方がない。……

(「《さんでーすぽっと》 人のマネ=日本の独自性」朝日新聞東京本社版朝刊一九九〇年六月三日第二家庭面、筆者(舟))

この記事は 1990 年、バブル真っ盛りの時期といっていいと思うんですけれども、そのよ

報告1:増田 聡/パクリ:ポピュラー音楽の場合  25

うな時期の新聞コラムとして現れたものです。軽音楽を聞いているとよく似た曲がある。「日本文化はコピー文化といわれて」海外のものを巧みにコピーしてしまう。工業製品をコピーして売るのは、自動車でもそうだが日本はとても得意だけれども、「芸術のかいわいにあるものまでパクリ屋に成り下がっていれば、一国の知性を疑われても仕方がない」。

現在の意味での「パクリ」概念の朝日新聞での初出は、文化的な生産物(「芸術のかいわいにあるもの」)の真似を嘆く記事の文脈のなかで、文化的な模倣行為を「パクリ屋」になぞらえる、そのようなかたちで出現しているわけです。当時の読者は、経済的な詐欺を働く存在、社会的にダーティな存在としての「パクリ屋」のことを了解している。その読者の常識を背景に、文化を真似することも「パクリ屋」なのだ、となぞらえる。こういった文脈で、現在の意味合いでの「パクリ」概念が初めて出現しているという事実は示唆的です。

○バブル期の「パクリ」の意味変容これは何を意味するのかを僕なりに解釈しておきます。文化的生産物の「パクリ」は、

この時期までもっぱら剽窃あるいは盗作と呼ばれていました。栗原裕一郎さんの『盗作の文学史』(新曜社)というとてもおもしろい本がありますけれども、そこで豊富に事例が指摘されているように、明治からこのかた、文学作品をめぐる剽窃や盗作の事例は多数あり、新聞沙汰になることもしばしばあった。しかし、そこで盗作が「パクリ」と呼ばれることは決してなかった。

バブル期になって「パクリ」という言葉の意味が変容し、文化的な作品の剽窃行為が「パクリ」と呼ばれるようになる、つまり剽窃が経済的詐欺として理解されるようになった、ということになります。この背景にはおそらく、エズラ・ヴォーゲルの「ジャパン・アズ・ナンバーワン」という言葉の流布に象徴されるような、バブル期の日本の社会意識が横たわっています。日本は経済は一流、しかし文化は三流、政治も三流、といった自意識が社会的に共有されていた。で、文化は三流だけれども経済は一流だという自負が、文化的なものを経済的な次元に還元して捉えようとする社会意識を強め、そのことが「パクリ」概念の転用─文化的剽窃を経済的問題として理解する─へと繋がっていったんじゃないか。これはちょっと強引な解釈かもしれませんが、僕にはそう思えるわけです。

朝日新聞に出てきたのはここに挙げた例が最初なんですが、文化的作品の剽窃を「パクリ」と呼ぶことについては先行例があります。80 年代初頭、ミュージシャンで音楽批評家の近田春夫が書いていた歌謡曲評論の中に、筒美京平など、洋楽の要素を上手に歌謡曲へと翻案する作曲家の手法を「パクリ」と呼んでいるケースが見られます。近田のケースでは、歌謡曲評論という限定的な領域で、剽窃を経済的な搾取になぞらえて冗談まじりに「パクリ」と呼んでいるわけなのですが、90 年頃になると、近田春夫がネタで言っていたことが、結構マジに一般化されてしまったみたいなところがあるわけです。

26  ポピュラーカルチャー研究 Vol.4 No.1 2010[パクリ]

○文化の財産化:90年前後の動向このように、文化を経済的な次元で考え、一種の財産として捉えようとする動向の浮上

は、1990 年前後の国際的な知的財産制度の変容というコンテクストとも関わっているように思えます。知的財産権制度に関する社会関心がこの時期高まった要因として重要なこととしては、まず、アメリカがベルヌ条約という国際的な著作権条約に加入した(89 年)ことで、グローバルな知的財産についての政策的な枠組みが大きく動き出したことが挙げられるでしょう。

それから、ガット(GATT)ウルグアイ・ラウンドという貿易に関する世界的な協定を議論する会議で、トリップス(TRIPs)という知的財産貿易上の重要な世界協定が締結され(94年)、国際的な知的財産ビジネスの構造が大きく変容していく。簡単にいえば、それまでは狭い地域で流通していた文化的生産物の経済的側面が、この時期からグローバルな経済構造の中に位置づけられて問題化されていくような制度的枠組みが成立していく。

また、ちょうどこの頃あたりから、文化的な生産物が「作品」ではなく「コンテンツ」と呼ばれることが一般的になってきます。今ではもうすっかり「コンテンツ」という言葉に慣れてしまっているわれわれなのですが、日本語圏ではコンテンツという言葉が「作品」という言葉に替わって一般化していくのが 90 年代半ば頃のことです。

このように、知的財産をめぐる社会意識が 90 年代前半の日本では急激に変容しました。いずれも文化的なものを経済的な文脈で理解しようとする傾向として解釈することができます。

○機械的複製と人為的模倣文化の財産化の動向というのは、当然著作権制度のような知的財産権法制度の重みを増

していく効果を持ちます。剽窃が「パクリ」と呼ばれることは、文化的な模倣をひとしなみに財産権の侵害として理解しようとする傾向を示しています。ですが今日の僕の話では、この風潮に抗して、われわれがパクリと呼んでいるものを細分化して考えることを提案したいと思います。

すなわち、「パクリ」について考えるとき、機械的複製と人為的模倣とを区別することが重要ではないか、と思うのです。今日は詳述しませんが、著作権法は機械的な模倣、たとえば CD をコピーして売るといった行為と、人為的な模倣、つまり音楽などで似た曲を作る行為などを法的には区別しない。正確にいうと、区別はするんだけれども、基本的にはどちらの行為も著作権の侵害として扱うわけです。

しかし、文化的な生産物を商品として機械的に複製することと、人為的な創作行為の中で先行作品を模倣することの意味合いはまったく違います。簡単な例を挙げれば、ある音

報告1:増田 聡/パクリ:ポピュラー音楽の場合  27

楽 CD を不法に用いて利益をあげようとするときは、当然それを機械的にコピーして売りさばくことを考えます。そうではなく、CD とそっくりの演奏ができるよう頑張って練習し、偽者としてステージに立って一稼ぎ、とは誰も考えないわけです。つまり、著作権法が規制すべきコピーとは、文化的生産物を複製し経済的な不当利潤を得るために必要とされる機械的複製の方であって、人為的模倣を規制することは二次的なことでしかない。

白田秀彰さんの諸研究に詳しいのですが、そもそもコピーライトとは、勃興期の出版産業の経済的利益を保護するための法制度として誕生したものです。つまり、機械的複製という技術的手段、出版技術の出現によって、社会のなかに新たな経済的利益の領域が出現し、それを関係者の間で配分するための制度としてコピーライトが必要とされる。コピーライトはそもそも文化的生産物の機械的複製から生じる新たな富を配分する制度として始まったものです。

ところが、18 世紀から 19 世紀にかけて、特にフランスなどヨーロッパ大陸の諸国ではロマン主義的な思潮が高まってきて、いつの間にか人為的な模倣─人の作品を真似るとか─が著作権法のシステム上、機械的複製とおなじ「コピーである」とみなされるようになってくる。そして 20 世紀に入ると、機械的複製と人為的模倣が著作権制度の上ではいずれも侵害として捉えられる仕組みがどこの国でもほぼ確立するといってもいいと思います。

剽窃の意味での「パクリ」概念がバブル期に浮上したことは、作品の人為的模倣が、経済的な価値を不当に詐取する機械的複製と等しいものであるという見方を、大衆感覚レベルで強化する効果をもたらしたように思えます。すなわち、作品を人為的に模倣することは、単に倫理的・芸術的な問題にとどまらず財産の侵害であるという見方を「パクリ」という語は示している。「あれは真似だ」といわずに「パクリだ」ということによって、模倣は文化の財産的な次元をあからさまに窃盗する行為として認識されることになります。

これは詳述しませんが、とくに日本のような大陸法的な著作権制度をもつ国の場合、人為的な模倣を、ロマン主義的なオリジナリティ重視思想の侵害として、財産的な次元を倫理的な次元に重ね合わせるようなかたちで非難する傾向がより強くなってしまいます。

○音楽の人為的模倣と法の判断それでは、音楽の人為的模倣の実例を挙げて、それが法のもとではどのように判断され

ているのかを、「耳で」聞いてみたいと思います。日本の著作権法の元では、音楽のいわゆる盗作事件について、裁判になって判決にまで至ったケースというのは二件しかありません。一件はおそらくみなさんもご存知の、小林亜星と服部克久の「どこまでも行こう」「記念樹」事件ですが、それに先行する一例があります。それは「ワン・レイニー・ナイト・イン・トーキョー」事件といいまして、1965 年に訴訟となり 78 年に最高裁判決が出て確定したものです。この事件では原告敗訴、つまり盗作だ、と訴えた側が負けました。著作権侵害

28  ポピュラーカルチャー研究 Vol.4 No.1 2010[パクリ]

はなかったという判決が出た、というわけです。もう一つはご存知の「どこまでも行こう」「記念樹」事件です。これは 2003 年に一審判

決が出て、そこでは原告、つまり訴えた側の小林亜星がが勝ち、二審では原告が負け、三審では原告が勝ったという事件で、二転三転しながらも最終的にはこれは盗作だった、と司法が判断したわけです。日本で音楽の盗作裁判が判決で確定したのは、現時点ではこの二件のみです。

それでは「ワン・レイニー・ナイト・イン・トーキョー」事件について、原曲と訴えられた曲を聞き比べてみたいと思います。原曲は「ザ・ブールヴァード・オブ・ブロークン・ドリームズ(�e Boulevard of Broken Dreams)」で、1933 年のアメリカ映画『ムーラン・ルージュ』の挿入歌です。いろんな人が歌っているのですが、ここではアメリカを代表するポップ歌手の一人、トニー・ベネットのバージョンで「ザ・ブールヴァード・オブ・ブロークン・ドリームズ」を聞いていただきたいと思います。1950 年の録音です。

  〈曲〉トニー・ベネット「ザ・ブールヴァード・オブ・ブロークン・ドリームズ」

「チャララララララララ~♪」という感じですね。このメロディを覚えておいてください。で、「盗作」として訴えられた曲は、「ワン・レイニー・ナイト・イン・トーキョー」という日本の曲なんですが、こちらもいろんな人が歌ってますので、越路吹雪さんのバージョンで聞いてみたいと思います。「チャララララララララ~♪」を、みなさん頭に植えつけておいてくださいね。

  〈曲〉越路吹雪「ワン・レイニー・ナイト・イン・トーキョー」

「チャララララララララ~♪」、これは「盗作」と言われれば、まあ確かにわからないでもないよね……程度の類似ではあるんですが、「盗作かどうか」については法的には「盗作ではない」と判断されたことになります。

盗作を否定した判決は、曲が似ているかだけでは盗作の判断には十分ではない、として、もう一つ「依拠性」という要件が必要である、としました。つまり、盗作したとされる作者が、原曲を知っていたかどうか。あるいは知っている可能性、蓋然性があったかどうかが盗作の法的判断においては重要である、とされたのです。「ワン・レイニー・ナイト・イン・トーキョー」は日本の作曲家の 1963 年頃の曲で、作

曲家は 1933 年のアメリカ映画の音楽を知っていたとは認められない、すなわち依拠性がない、というのが判決のポイントになってるんですが、判決文をよく読むと、その作曲家は放送局に勤務していて内外のレコードや楽譜の膨大なコレクションに触れる立場にあったよう

報告1:増田 聡/パクリ:ポピュラー音楽の場合  29

で、ちょっと微妙な感じもするのですが……。ともあれ、判決としては依拠性について「知っていたとは認められない」とし、楽曲相互の類似性も、それほどでもないと判断して、これは盗作ではありません、ということになりました。

一方、これとは対照的に「盗作」が司法に認定されたケースとなった、「どこまで行こう」「記念樹」事件です。これはみなさん、よくご存知かと思いますけれども、原曲と「パクった」とされた曲─パクったとされた曲は今は CD が廃盤になっており入手できません─を聞いていただきましょう。まずは小林亜星の CM ソング「どこまでも行こう」。1966 年のCM ソングです。

  〈曲〉「どこまでも行こう」

続きまして、「記念樹」、1992 年のテレビ番組の挿入歌です。

  〈曲〉「記念樹」

「どこまーでもゆこうひゅー♪」「校庭の隅にみんなで植えた記念樹♪」、たしかに似てることは似てますよね。似てるけど、違う曲といわれたら違う曲、という感じもします。判決では、72% の音が同一と指摘され、また原曲が著名な CM ソングであったので依拠性もあると認定され、最終的には著作権侵害とされたわけです。

しかし、「ワン・レイニー……」の例と比べてはっきりと「こっちの方は明らかに盗作だ」、「あっちはシロだ」と判断できるかといったら、ちょっと微妙な感じがしますよね。人によっては判断が変わるんじゃないか、という感じはぬぐえない。判決文を読んでみるとなおさらその印象が強まります。両事件の判決文は綿密に楽曲分析をやっていまして、ここの属音の進行がこのように変わってこれは酷似している……などと裁判官が判決文に詳細に記述している。ですがその楽曲分析の記述は、裁判官がパッと虚心に聞いたときに、まず「似てる」か「似てない」かという感覚的な印象からくる判断が先にあって、あとから両楽曲の同一性や差異を論証するため楽曲分析が持ち出されてきている印象は否めない。分析により両者の類似が発見されるというよりも、感覚的に判断された両者の類似や相違を後から論拠づけるために楽曲分析が援用されているように思えるのです。

僕は音楽学あがりですから、このような文脈で用いられるときの楽曲分析というものがいかにあやしい土台に立っているものであるかがよくわかります。音楽の分析というものは、ある楽曲の客観的な存在のありようを分析的に明らかにするものと思われがちですが、実際はまったくそうではない。聞かれる音楽の分析とはむしろ、客観的・科学的な対象記述言説を装いつつ、分析者が聞きとったものをあとから客観的な存在であるかのように根拠づける

30  ポピュラーカルチャー研究 Vol.4 No.1 2010[パクリ]

ためのレトリックとして機能します。聞いた音楽がどのような構造になってるかということは、聞き終わったあとにならないと確定しないわけですから、必然的にそういうことになってしまう。そうなってくると、両者の同一性あるいは差異を確定的に指し示す最終的な基準を、司法がしっかりと措定できるのかといわれると、かなり怪しくなってくるわけです。

○人為的模倣と著作権侵害の判断同一性と差異、類似性をめぐる事態を考えるときに参照すべき哲学的議論はいろいろあ

りますが、パクリについて考えるうえで示唆的な議論が二つあります。一つは家族的類似性というヴィトゲンシュタインの非常に有名な議論です。もう一つもそれとほぼ同じことなのですが、渡辺慧さんという論理学者が「みにくいアヒルの子の定理」という、家族的類似性ほどには知られていないんですが、とても面白い議論をしている。両者が言っていることは基本的には一緒のことです。似た曲などの、ある二つのものがあったとして、両者の類似性の度合いとは、それらを感受する観測者がどのような文脈に置かれているかに依存して変化し得るのだ、ということです。それを哲学的に考察するのがウィトゲンシュタインで、論理的に証明しているのが渡辺慧の議論です。

つまり、メロディを優先的に聞く耳だったら、そのメロディの類似性がまず気になるかもしれない。けれども、ハーモニーを優先的に聞く耳だったら、小林亜星のブリヂストンのCM ソングと、服部克久の「記念樹」は全然違うものとして聞こえるでしょう。あるいは、ロックのリズムパターンはどれもある程度似ているわけですが、それはパクリとは言われず様式的統一性などと言われることになるわけです。このように、ある二つの対象を任意に取り出したときに、それが似てるか、似てないかの判断は、各々の対象を構成する諸要素のなかから観測者がどこを見いだすか、という文脈に依存するということになる、ということです。類似性とは常に観察者の文脈に依存して現れる性質であり、対象に内在するものではない、というのが類似をめぐる哲学的考察のもたらす知見です。

つまり、機械的複製ではなく、人為的模倣という行為は、類似したもう一つのものをたしかに作り出します。けれども、それが同一であるか、違うものであるかという判断は、そのものをとりまくさまざまな文脈に依存します。「似てる」と思う人が多ければそれは同一になるし、「違う」と思う人が多ければそれは異なることになる。このように、類似性を構成する文脈は、人間の身体や感覚に規定されるところも大きく、おそらくこの後の細馬さんのお話では、どういうところに人間は類似性を感じるかという観測者の文脈についての議論をしていただけるのでは、と思うのです。

○「パクリ」批判のメカニズムそろそろ時間なので、オレンジレンジのケースも実はそういう例だったっと簡単に指摘す

報告1:増田 聡/パクリ:ポピュラー音楽の場合  31

るだけで、音例は省略しますね。オレンジレンジの「ロコローション」は、ジェリー・ゴフィンとキャロル・キングの作詞

曲「ロコ・モーション」の「パクリ」とされた。というより、騒ぎになって作詞曲者のクレジットをそのように最終的に書き換えたんですね。岡本真夜の場合と同じです。ですが「ロコ・モーション」と「ロコローション」は聞いてみると、僕の耳にはそんなに似てない気がする。むしろ、シャンプーの「トラブル」という曲の方が似ているように思える。なのに、作詞曲者のクレジットがなぜ「ロコ・モーション」の方になったかというのは、「ロコ・モーション、ロコ・モーション、ロコローション、あ、似てる」みたいな、タイトルに誘導されるような形で、「ロコ・モーション」と「ロコローション」の類似性を見出すような文脈に両楽曲が置かれたようなところがあるんじゃないか。だから、仮に別のタイトルがつけられていたらどうなったか、ちょっとわからない気もします。

○まとめ機械的複製であれば、同一のものを複製したか、別のものであるかの判定は、デジタル

的に、1 か 0 かの違いで確定できるわけですが、音楽に限らず文化的生産物の人為的な模倣は、そういう同一性と差異の論理に従うものではない。ある作品と別の作品の類似性とは、よく似ているものから全然別のものへと連続的に移行するグラデーションのなかに置かれており、文脈ごとに判断されている。人為的な模倣、文化的な作品制作の実践はそのようなメカニズムの中で行われているわけです。

しかし、文化の財産化の論理は、人為的な模倣を無理矢理にでも「複製」のカテゴリに回収してしまうことになる。「なんとなく似ているもの」を許容せず、二つの作品を並べて「同一な要素は何か」を分析的にスキャンするような視線が働くわけです。となると、似ているものを「同一のもの」と措定する、あるものを盗んできてコピーしたものだとみなしてしまい糾弾する文脈が強化される。経済的な文脈ばかりではなく、ロマン主義的なオリジナリティの重視もあいまって、あちこちに強迫的に「パクリ」が見出されてしまうところがあるわけです。

文化的生産物の経済的な「盗み」を目的とする機械的複製を指すのではなくて、類似したものの制作行為である人為的模倣を、なぜ我々は「パクリ」という語で呼ぶのか。「猿真似」と呼んでもいいじゃないか。「パクリ」という語が 90 年代以降広がっていく以前は、「猿真似」と言っていたわけです。人為的模倣を「パクリ」という経済的な犯罪を指す言葉で呼びならわすようになったということ。そして、パクリの原義である「パクリ屋」の語義が忘れられるまでに、文化的な生産物の人為的模倣のことを「パクリ」と呼ぶ言い方が定着したことは、おそらく現在の日本の社会意識が、文化の財産化を執拗に欲望し続けていることの一つの現われなのではないかということを、とりあえずの主張といたしまして報告を

32  ポピュラーカルチャー研究 Vol.4 No.1 2010[パクリ]

報 告2終わりたいと思います。ありがとうございました。

佐藤 ありがとうございました。マシンガン・トークでした。みなさん、ちゃんとノートとれましたでしょうか。もちろん、さっき挙げられた文献にもこれのことは書かれています。宝島のムックでしたかね、パクリ騒動に関するまとめのようなムック(『「パクリ・盗作」スキャンダル読本』〔「別冊宝島」1257、宝島社、2006〕)です。

続きまして、国際日本文化研究センターの山田奨治さんから、「〈パクリ〉はミカエルの天秤を傾けるか?─〈罪〉の軽重をお金で考えてみる」という発表をしていただきたいと存じます。お願いいたします。

報告 2:山田奨治/〈パクリ〉はミカエルの天秤を傾けるか?─〈罪〉の軽重をお金で考えてみる  33

報 告2

山田奨治

〈パクリ〉はミカエルの天秤を傾けるか?─〈罪〉の軽重をお金で考えてみる

▼報  告▼

「〈パクリ〉はミカエルの天秤を傾けるか?」という、もってまわったタイトルをつけておりますが、それがどういうことなのかは、この発表の一番最後のところで明らかにしたいと思います。

パクリという言葉は、とても複雑な構造を持っている言葉でして、例えばどんなものが今「パクリ」といわれているかの一例をお見せします。(スライドで 2 点のキャラクターを見せながら)私はいつもこんなものをカバンにつけて持ち歩いてます。一方が「ひこにゃん」で、一方が「ひこねのよいにゃんこ」なんです。ひこにゃんが本物で、ひこねのよいにゃんこはパクリでバッタモンといわれています。どっちがどっちかわかりますか? わかりますよね。向かって右側が本物のひこにゃん、左側がよいにゃんこ、バッタモンです。似てますよね、当たり前ですよね。よいにゃんこはバッタモンですけども、どちらのキャラクターも原作者は同じなんです。同じ人が作っても、片や本物、片やバッタモンになってしまうのです。このよいにゃんこのことはまとめサイトなんかもありますので、ちょっと調べてみてください、とってもおもしろい背景を持っていますので。同じ原作者が作ってもパクリと呼ばれることがあるという一例です。

このように、すごく複雑な構造を持つパクリという現象ですけども、このパクリという罪を裁く法律があります。それは厳密にいうと、産業関係は特許法とか商標とか意匠はまた別の法律があるとか、いくつか法律があるんですが、文化については主に著作権法という法律がカバーしているとお考えいただいていいかと思います。

○刑法犯の場合、著作権法違反の刑事罰今の著作権法のもとでは、最高の刑事罰がどのくらいだと思いますか? 民事の損害賠

償は別にして刑事罰の方です。懲役何年とか罰金なんぼというやつですね。知財概論などの授業を取った方がおられたらご存知じゃないかと思いますが、考えるヒントのために、刑法で定める刑法犯の場合どういう規定か、今一例を示しました。窃盗罪は 10 年以下の懲役

34  ポピュラーカルチャー研究 Vol.4 No.1 2010[パクリ]

または 50 万円以下の罰金です。住居侵入は 3 年以下の懲役または 10 万円以下の罰金。公然わいせつ罪、これはこないだ(SMAP の)草彅くんがやったことで、6 ヵ月以下の懲役もしくは 30 万円以下の罰金、または拘留もしくは科料。傷害罪の場合は 15 年以下の懲役または 50 万円以下の罰金です。刑法が定めるこういう罪の相場と比べて、今の著作権法違反の最高刑事罰ってどのくらいあると思いますか?

会場の男性 10 万円。山田 10 万……。他にあります?増田 窃盗罪といっしょ。

ああ、いい線ですね。みなさん、映画に行かれたら、本編の直前に頭がカメラのキャラが出てきて、映画を盗撮したらどういう罪になるとかいってますよね。あれ、なんていってます? 10 年以下の懲役もしくは 1,000 万円以下の罰金、またはその両方っていってますよね。あれですよ。現在の著作権法違反では懲役は 10 年以下、1,000 万円以下の罰金のいずれか、もしくは両方なんですね。刑法の場合は、懲役「または」罰金ですけれども、著作権法違反の場合は懲役と罰金が併科されることがあるんですね。何年か前から非常に重い罪になってるんです。しかしこれは個人に対する罪です。法人の場合は、今の法では 3億円以下の罰金です。しかもさらに個人に対する罰金と法人に対する罰金が併科されます。だから、法人にも罰金がかけられるし、その法人の個人にも罰金がかけられるという、すごいことになってるんですね。では、具体的な例で見てみましょう。

○着うたフル違法配信最近、判決があった例です。着うたフルの違法配信事件です。さきほどの増田さんの分

類でいくと、機械的模倣に近いですね。ひょっとしたら自分で音楽をデジタル化してるかもしれませんけど、機械的複製に近いと思います。着うたキングダムの事件の場合はどんなものだったかというと、このサイトに会員登録した人が 10 万人いて、2005 年 12 月から 2009 年 4 月までの間に、約 95 万曲が実際にダウンロードされて、2009 年 7 月に社長ら 2 人が逮捕されました。この地裁判決が 2009 年の暮れにでたのですが、社長が懲役 1年 6 ヵ月、執行猶予 3 年、罰金 250 万。会長が懲役 2 年、執行猶予 3 年、罰金が 400 万。法人 3 社にいずれも罰金 800 万。これらがすべて併科されましたので、罰金の合計額が3,000 万ちょっとという罰金額の面で非常に刑が重かった事件です。

これがどのくらいの罪なのかというと、95 万曲を元に換算すると、1 曲あたりの懲役が2 分で、執行猶予が 3.3 分で、32 円の罰金ということです。たぶんダウンロードされた曲を全部ぶっ続けで聞き続けたら、だいたい執行猶予期間ぐらいになって……。1 曲あたり約

報告 2:山田奨治/〈パクリ〉はミカエルの天秤を傾けるか?─〈罪〉の軽重をお金で考えてみる  35

32 円の罰金は、換算すると 2 曲入りの CD を 1 枚売ったときに JASRAC に支払う 1 曲あたりの著作権料が 33 円なんですね。だいだい JASRAC に払うお金と釣り合ってる。そういうのを根拠にしたかどうかは、私はそこまで調べてませんけども、計算してみるとそういうことになってます。偶然かもしれませんが。

どうでしょう、みなさん、刑法犯の窃盗をする人は多くはないですが、著作権法違反したことない人はいないのではないでしょうか? たぶん、法律をご存知の方ならば、自分は絶対やったことないっていいきれる方はいないんじゃないかと思うんです。そういう一般的な罪の意識の重さと、法律上、科せられている罪の重さのアンバランスが生じているのが一つの問題ではないかと思います。

○著作権法改正の歴史では、歴史を振り返ることにします。著作権法違反は、元々こんなすごい懲役とか罰金

が科せられる罪ではありませんでした。1970 年に現在の著作権法は、昔の明治時代のものを改正して作ったんですけども、そのときは懲役 3 年もしくは罰金 30 万でした。それが85 年に罰金 100 万になり、97 年に罰金 300 万になり、2001 年に、法人に対する最高罰が罰金 1 億になり、2005 年に懲役 5 年、もしくは罰金 500 万になり、法人が 1.5 億になり、2007 年に今の法制度になりました。

これには、それぞれに理由があったんです。85 年の改正のときは、物価が上昇したということが理由でした。物価が上昇してるから罰金も上げたということが、当時の審議の記録を見れば残っています。97 年に罰金額が上がったときは、特許法との整合性をとるためだといわれました。特許法というのは産業の保護法ですけども、それとの整合性が重要になってきたのです。2001 年に法人に対する罪が罰金 1 億円になったときには、これが抑止力になる、パクリの抑止力になるんだという論理でした。そして、2007 年、懲役が 5 年から 10 年に引き上げられたときは、さきほど増田さんがいった、窃盗罪と同じにしろということでした。窃盗罪は刑法では懲役 10 年なので著作権法違反、つまり文化的なパクリの方も同じ懲役にしろということが理由だったんですね。

こういう一連の、比較的最近の法改正に関わっておられた中山信弘先生が 2 ~ 3 年前に教科書として書かれた『著作権法』という本のなかに、ちょっと愚痴めいたことを書いておられます。

「知的財産権侵害と窃盗の量刑は同程度であるべきであるという意見が強まり、平成 18年改正で罰則が強化され、ほぼ窃盗と同じになった。この改正により」、次、大事です、「わが国の知的財産権侵害罪は、世界でも最も重罰の規定をもつことになった」。世界でもっとも重罰なんです、日本の法律は。「今回の改正は、有体物の侵害と情報の侵害との区別の議

36  ポピュラーカルチャー研究 Vol.4 No.1 2010[パクリ]

図 1

図 2

報告 2:山田奨治/〈パクリ〉はミカエルの天秤を傾けるか?─〈罪〉の軽重をお金で考えてみる  37

論を全くしないままに」、次も大事ですね、「政治主導でなされたもの」と書いてます。「政治主導でなされた」のであり、「法改正としては極めて遺憾である」とも書いてます。これ、教科書ですよ。中山先生って温厚な方なんですけども、論文ならともかく教科書にここまで書かれるというのは、よっぽど怒り心頭だったんだと思います。このへんの相次ぐ重罰化が政治主導だったということがここから読み解けるかと思います。

(「著作権法での個人に対する最高罰金額の推移(指数)」(図 1)のグラフを見せながら)それでは、統計を追いながらそのへんのところを後づけしてみたいと思います。このチャートは、横軸が改正著作権法の施行年です。縦軸が指数です。破線が著作権法での個人に対する最高罰の上がり方です。2005 年を 100 とした数字になってます。実線が消費者物価指数で、やはり 2005 年を 100 にしてます。

これを見てもらうと、85 年の厳罰化は、物価上昇が理由だということですね。たしかに70 年当時から見ると、消費者物価指数は 2.7 ~ 8 倍かな、3 倍弱ぐらいまで上がっているので、罰金の方も 3 倍弱ぐらい上げているという相関が見られるんです。けれども 97 年以降の罰金の上がり方は明らかに物価の上がり方との連結をなくしていってますね。物価とは関係なく、どんどん罰金額が上がっているのがわかります。

(「著作権法と特許法での個人に対する罰金の最高額の推移」(図 2)のグラフを見せながら)では、2 番目のチャートです。97 年の改正のときに、特許法との整合性をとる必要があるという議論がありました。そこで、特許法が定める個人に対する最高罰の金額と比べて、著作権法のそれと比べてみました。縦軸は万円単位の額です。

特許法の方の動きを見ると、93 年にぐんと上がっています。著作権法の罰金の最高額は 97 年に上がってます。そして、2005 年にさらにぐんと上がってます。97 年の改正は特許法と歩調を合わせる必要があるというので、著作権の刑事罰が上がったんです。その後、2005 年にまた上がって、2005 年以降は個人に対する罰金額で見ると、特許法と著作権法は差がない状態になっています。

おもしろいのは、一時期、特許法侵害よりも著作権法侵害の方が重罰だった時期があるということが認められます。85 年から 93 年までの間です。80 年代後半はひょっとしたら、産業よりも文化の方が大事だった時代なのかと解釈できなくもないですけども、まあなんともいえないですね。

さきほどの増田さんの話と連結させていうと、80 年代後半ぐらいにパクリの概念が変わっていって、文化的な模倣に経済的な収奪という意味が付け加わったというか、置き替わっていった時代がここでおこり、それが 90 年代半ば以降、著作権法侵害と特許法侵害の罪の程度を同じにしていこうという動きに繋がっていったのだと思われます。

38  ポピュラーカルチャー研究 Vol.4 No.1 2010[パクリ]

図 3

図 4

報告 2:山田奨治/〈パクリ〉はミカエルの天秤を傾けるか?─〈罪〉の軽重をお金で考えてみる  39

(「著作権法での個人に対する最高罰金額とネット利用の著作権法違反検挙数の推移(指数)」(図 3)のグラフを見せながら)著作権法侵害の罪を重くしていく理由の 1 つに、デジタル化が進み、かつインターネットが広がって、著作権侵害事案が増えたから罰を強めていく必要があるんだという言い方があります。それで、著作権侵害事案の増え方を追いかけてみようとしたのですが、なかなかいい統計がなくて、辛うじて見つけたのが、ネット利用の著作権法違反の検挙数です。やはり 2005 年を 100 とした数字です。実線グラフが著作権法違反の事例数です。破線のグラフがさきほどから出ている罰金の指数です。比べてみるとたしかに、ネット利用の著作権法侵害の事案が増える傾向が見えます。でも、これにもからくりがあって、2000 年に警察庁の情報セキュリティ政策大系が作られて、これからはサイバー犯罪を取り締まっていこうという大きな方針が出されたんです。こういう統計になっているのも、そのような指針が出たからです。

そして、2004 年は警察庁の情報セキュリティ政策大系が変わって、全国の警察署にサイバー犯罪対策室が置かれ、積極的に検挙したんです。つまりネズミ捕りの論理です。ネズミ捕りをたくさん仕掛けたらスピード違反がたくさん捕まるというのと似ています。つまり、ネット利用の著作権法違反の事例が増えてるといっても、取り締りが強くなったという要因も多いのではないかといえます。それにしても、2005 年以降の傾向として、著作権法違反の検挙が増えているのは確かです。その増え方が罰金の増え方に見合ってるかというと、そうともいいきれません。

(「著作権法での個人に対する最高罰金額とコンテンツ市場規模(指数)」(図 4)のグラフを見せながら)最後のグラフです。では、コンテンツ市場の規模が大きくなっているから厳罰化する必要があるのかというと、そうともいえないですね。破線はさきほどの罰金の指数です。実線は経産省のデータを使いましたけれども、コンテンツ市場の規模の指数です。これも 2005 年を 100 としています。市場は 2005 ~ 6 年あたりがピークで、むしろ縮小気味です。産業が大きくなっているから罰金をきつくしていかなければならないという理屈も成立しがたい。やはりなんらかの政治的な圧力があって、このように著作権法違反の重罰化が進んでいったといえると思います。

これで締めになりますが、我々があまり気がつかない間に、著作権法を破ったことに対する罪が重くなっていってるということなんです。これはロヒール・ヴァン・デル・ウェイデン「最後の審判の祭壇画」〈ボーヌ施療院〉の絵画です。このなかに “ 大天使ミカエルの天秤 ” が描かれています(図 5)。最後の審判の日がきたら天使がラッパを吹く、すると棺桶から死者がよみがえって大天使ミカエルのもとに集まり、ミカエルが天秤を使って魂の計

40  ポピュラーカルチャー研究 Vol.4 No.1 2010[パクリ]

報 告3量をするんです。向かって左側の天秤が下がれば、左側の人は天国に行ける。でも、右側に乗せられた人が下がればこの人(図 6)は地獄へ行くという、そういう秤なんだそうです。仮に今、右側に乗せられている人が著作権法違反の人だったとすると、「一体いつの間に自分のやったことがそんな重罰になっているのか」と思うでしょう。知らない間に罪の重さが変わっていってるのです。この人の顔を拡大してみると、「な、なんでやねん?!」という表

情をしています。私たちが大天使ミカエルの天秤に乗ったときに、著作権法違反で「なんでやねん?!」ということになりかねない状況になっているという問題提起で話を締めたいと思います。どうもありがとうございます。

佐藤 ありがとうございます。著作権や法律の話になると、ついつい僕らも民事での損害(賠償)と考えがちなんですけれども、やはり刑事として、これは国庫に入るわけですよね?山田 そうです。佐藤 すごい額になる、と一瞬思ってしまいました。このあたりの話は、おそらくさっきの増田さんのことも考えあわせて、またのちほどに討議に入りたいと思います。

では次は、京都精華大学マンガ学部の杉本バウエンス・ジェシカさんに……これはヨーロッパですか? アメリカの話ですか? 日本のいわゆる忍者とか侍とか、いわゆる前近代の男性の表象がどのように模倣され、あるいはどのように受容されたのか。また時代的な変化もあるようですので、そういったようなことを提起していただきたいと思います。

図 5

図 6

報告 3:杉本バウエンス・ジェシカ/インターネット忍者の美学  41

報 告3

杉本バウエンス・ジェシカ

インターネット忍者の美学

▼報  告▼

つい昨日まで知りませんでしたが、「インターネット忍者」というパソコンソフトがあります。今日の発表の内容は、それとはまったく関係がありません。また、発表中の敬称は省略させていただきますが、ご了承ください。

今日の発表のきっかけは、今から 20 年前のことです。私はベルギーのフランダース地方ルーヴァンカトリック大学東洋学部の日本学科に入学しました。そして、とくに日本に興味がなかったため、わりと浮いた存在でした。当時はまだマンガ好きやアニメの愛好家やオタクが周りに 1 人もいませんでした。「マンガ好きだから日本学科を勉強しようと思った」と告白するような学生は誰一人いませんでした。オタクやコスプレヤーがいなかった反面、日本通、「Japanophile」といわれる人は、かなりいました。

入学時にはとくに変わった趣味のクラスメートはいないと、最初は思っていました。空手をする男子学生がいましたが、当時、空手などの日本武道はすでにヨーロッパに根づいていて、ベルギーの柔道家がオリンピックで頻繁にメダルを獲得したり、アクションスターのジャン・クロード・ヴァンダムもベルギー人で、武道映画にひっぱりだこになっていた時期です。折り紙、盆栽、お茶など、日本の美術やデザイン、とくにファッションや建築に興味のある学生がいたりと、さまざまでした。

そこに 1 人だけ、日本学科に入学した理由は「忍者になる」ことだと主張する女子学生がいました。笑ってしまいました。そして彼女に「ここで殺してもいいよ」といわれ、かなり引きました。でも、引きながらも、本気がどうかを確かめるために詳しく聞いてみると、彼女はベルギーから頻繁にイギリスに渡って、忍者マスターの「忍者ゼミ」に通っているとのことです。イギリスの忍者ゼミの先生は日本人ではなかったのですが、先生の先生にあたる方は日本人だそうで、「本物に違いない」とのことでした。そのクラスメイトは必ず忍者になれるという確信を持っていました。さらに詳しく聞き出したら、彼女の彼氏は 20 代後半の男性で、彼も同様に忍者ゼミに通っていたそうで、後日、彼は自らの信念を熱く私に語ってくれました。

42  ポピュラーカルチャー研究 Vol.4 No.1 2010[パクリ]

彼によると、本国ベルギーの軍人は、すべて飲んだくれで女たらしで、みっともなくて情けない、男性失格とのことで、そのために忍者を目指していました。日本の純粋な、もっとも強い精神に憧れていました。いつの間にか、話が微妙に「純粋」な文化に偏ってしまって、お酒が入っていなくても酔ってるように聞こえたことを覚えています。この会話で得た洞察は、西洋で忍者を目指す人は、より「純粋」、そして「冷酷」で「腐った文明から離れた」という男性性を目指す人だということでした。私のクラスメートは女性でしたけれども、そのあとにも何人か「忍者になる」「忍者です」という人に出会いましたが、すべて男性でした。

日本についてほぼ何も知らなかった私は、このように真剣に忍者になろうとしていた人たちを真剣に受け止めることができなくて、距離をおくようになりました。当時は、本気で忍者になることが、ある種のサブカルチャー的トレンドだと気がつかず、こういう人たちはとくに害はないが、変わり者であると思っていました。しかし、なんとなく気になっていたのは、忍者へ異常な憧れを抱いていた者はたいてい子どもや少年ではなく、大人の男性だったんです。

あれから 20 年が経って、意外にもこれまで「忍者になる」もしくは「本物の忍者だ」と主張する外国人に何度となく出会い、例えば他の武士道とか侍とかもうちょっと一般的なものではなくて、「どうして忍者なの?」という気になりました。

そして、その忍者のイメージとはどんなものなのか、そのイメージはポピュラーカルチャーに出てくる忍者のイメージと一致するのか、それとも、軋むのか、そういう質問への答を追求してこの発表に至りました。

○インターネット忍者の日の出(私は)忍者とはどういうものなのか、映画で知っていました。90 年代前半当時、ポピュ

ラーカルチャーで一番目立っていた忍者のキャラクターは『ティーンエイジ・ミュータント・ニンジャ・タートルズ』で、亀が遺伝子の何らかの異常で忍者になってしまうという話です。『ティーンエイジ・ミュータント・ニンジャ・タートルズ』(以下、『TMNT』)は 1984

年の作品で、今でも有名ですが、当時もっとも有名だったフランク・ミラーの『ローニン(RONIN)』のパロディとしてはじめは出てきたものです。作者は 2 人ともはじめ、この『TMNT』をパロディとして描いていました。人気が増すうちにパロディ性がある程度失われて、単純な人気のある子ども向けの話としてメインストームになりました。(図 1 のジャケットを見せながら)その『TMNT』の原点となった作品は『ローニン(RONIN)』です。

『TMNT』がこの作品から模倣した要素は設定の一部です。例えば『ローニン(RONIN)』のナレーティブの一部は、『TMNT』のキャラクターも登場するニューヨークの下水道にあります。『ローニン(RONIN)』は小池一夫と小島剛夕の『子連れ狼』の影響を受けており、

報告 3:杉本バウエンス・ジェシカ/インターネット忍者の美学  43

『TMNT』と違って主人公には忍者というラベルはついていません。同じく『TMNT』と違い、

『ローニン(RONIN)』のメインキャラクターが下水道のなかで、ネズミの Packrat という悪党に一時的に監禁されますが、それに対して

『TMNT』は、4 匹のミュータントの子亀がマスター・スプリンターというミュータントのネズミに保護されて育てられるというもので、多くの忍者作品と似てるところは、みなし児が忍者の先生に育てられるという設定です。

当時の数々の作品の人気から、忍者ブームの起源はどうやら 80 年代前半から始まったようです。こういった作品が 80 年代から 90 年代にかけて人気があった原因は、コミックスやアニメーション以外に映画にも頻繁に忍者がテーマとなっていたからです。コスギ・ショーが80 年代に数々の米国産忍者映画に出演しており、コスギは「忍者萌え」もしくは「忍者オタク」という現象の火付け役の 1 人でした。もちろんその背景には、他のアジア諸国の武道であるマーシャルアーツなどに焦点をあてたポピュラーカルチャー作品もありました。ブルース・リーの人気は 80 年代よりはるか前のことで、60 年代、70 年代は東アジア武道ブームが海外でおきました。忍者、侍やヨーロッパの騎士の伝統をわざわざ区別したりしない現象も頻繁に現われました。スウェーデンのバンドの Europe に「忍者」という曲があって、覚えていらっしゃる人もいるかもしれませんが、日本でも結構人気があったバンドですよね。(図2 の CD ジャケットを見せながら)「忍者」は1986 年の曲で、忍者を気高い古代のナイトとして位置づけています。(図 3 の web news を見せながら)これは

図 1

図 2

44  ポピュラーカルチャー研究 Vol.4 No.1 2010[パクリ]

2007 年にイタリアで逮捕されたロシア人の忍者ですね。BBC からとった写真です。この泥棒が忍者の格好をしていて、その理由を聞かれたとき、彼は「ロビン・フッドに憧れているから忍者の格好をした」と供述したそうです。まったく違いに気付いていないというか、細かいことを気にしていないんですね。そういうニセモノ忍者、誰かに弟子入りするわけでもなく、なりたいからなったといいきる人は、新しい現象ではなく、インターネットだけの現象でもないようです。

欧米のポップカルチャーで一番有名な例は、フランク・ダクスというアメリカ人です。(図4 を見せながら)彼のキャリアと人生はヒット映画『Bloodsport』の原点ですが、1988 年ロスアンジェルスタイムズ新聞はダクスの軍事歴と忍者訓練すべてが偽りだと報道し、裁判沙汰になって、彼は勝てませんでした。やっぱり、本当の忍者ではなかったんですね。

そして、90 年代後半からのインターネットの時代に入ると、急に、自分が忍者だと主張する人は BBS とかに登場してきて、ここでカートゥーンが関わってきます。(図 5 を見せながら)これは 1993 年のピーター・スタイナーがニューヨークシティで出したカートゥーンで、「On the internet, nobody knows you're a

dog.」つまり「インターネット上では誰も自分が犬だなんてわかっちゃいないよ」。だから何を主張しても平気だという意味のカートゥーンです。自己申告で、年齢や性別、人生も偽れます。インターネットだったら、誰もが弁護士にも医者にもなれます。

当時はまだインターネットが完全匿名という神話が根強く残っていて、インターネット上な

図 4

図 5

図 3

報告 3:杉本バウエンス・ジェシカ/インターネット忍者の美学  45

ら誰もが責任のない発言を自由にできる時代でした。どんな嘘でもバレないと多くの人が思っていました。このカートゥーンが表わすのは、インターネットに書かれたこと、申告されたことが 100% 信頼できることではないということです。しかも、実生活と違うのだから、インターネットに何を書いていても、たとえばいきなり「本当に忍者なら技を見せろ」といわれる状況を避けることもできます。

このように、インターネット全体が巨大な自己アイデンティティを構成する実験室になる可能性を持っていました。「なりたい自分になれる」という魅力がありました。しかし最近では、ソーシャルネットワークのプライバシー侵害の事件が増えるなか、今では「On the

internet everyone knows you're a dog. 」つまり「犬なら誰にもばれるよ」という時代に変わりつつあります。

そして、いくら匿名性があっても、インターネット上で自ら正体を明かすような忍者は、忍者らしくないことをしているという矛盾もありました。「忍び」の存在はスパイのようなもので、不可視であることは伝統的に大前提であるにもかかわらず、インターネット忍者はきわめて自己主張が強く、自滅的な存在だったんですね。

バーチャル・コミュニティのなかでインターネット忍者は、ソーシャル・アイデンティティを構築することによって、おそらくある程度のステイタスを得ようとしていました。しかし、やがてインターネットの可能性は、インターネット忍者の存在を蝕むようになってしまいます。なぜかというと、忍者という謎めいた存在は気になるがゆえに誰もが真相を明かそうとしていくうちに、いつの間にか忍者についての情報がネットにあふれるようになりました。パロディサイトが本気サイトより数を増していき、そして、インターネット・ユーザーがインターネットに慣れていき、権限がありそうな人でも妙なことをいい出したらまず疑うようになりました。現在、10 代、20 代のユーザーのほとんどはインターネットを使って育ったので、騙されにくくなっていると考えられます。

○忍者タートル、NARUTO等と愉快な仲間達

そして、この他にインターネット忍者を破滅させたのは、『ウサギ用心棒』(USAGI

YOJIMBO)(図 6)というアメリカで 23 年間続くコミックです。彼と忍者タートルと、『NARUTO』とかは愉快な仲間たちの忍者で、あまり謎めいているわけではありません。ウサギ用心棒自身は忍者ではなく、周りにいっぱいいますよね、日本忍者という登場人物が。

冒頭にあげた『TMNT』のコミックスに、何回か登場するおもしろいキャラクターはこの『ウサギ用心棒』です。描いているのは、日系人作家のスタン・サカイです。87 年にスタートして、現在ちょうど 23 冊のハードカバーの本が出版されています。ウサギの主人公のモティーフとなっているのは宮本武蔵で、こんな風貌でもコミック・シリーズの物語はたいていシリアスなもので、歴史に忠実です。しかしどちらかというと、作風は他のシリア

46  ポピュラーカルチャー研究 Vol.4 No.1 2010[パクリ]

スな英語圏忍者コミックスよりパロディ作品の『TMNT』に似ていますし、同類としてお互いを意識し合ったり、お互いの物語を何回か繋げています。『TMNT』の人気の主要な要素はフィギュア、キャラクターグッズなどの販売です。そのフィギュアシリーズの一部として、『ウサギ用心棒』の人形も販売されました(図 7)。

主人公は忍者ではなく浪人ですが、繰り返し登場する 3 つの家系の忍者がいます。猫忍者、モグラ忍者とコウモリ忍者です。やっぱり理想の男性像とはちょっと違う形の忍者です。

同じく、シリアスとパロディの区別のつかない作品がいくつか挙げられます。カルト監督タランティーノの『キル・ビル』という映画のなかに、実在した忍者と同姓同名の服部半蔵が登場します。そして、悪党側の女子高生 1 人を含む数十人の忍者組織と戦います。

次はまた『NARUTO』の話ですが、作家はマンガ家、岸本斉史です。『NARUTO』の主人公は黒づくめ……ではなく、ジャージ姿の忍者です。某スポーツブランドが実際に販売しているような色のジャージとそっくりなものを着ています。顔も隠さず、人間を超える技は持っていても、人間を超えるような冷酷さ、純粋さなどという要素は持っていません。

『NARUTO』は、オーディエンスの誰もが普通の人間らしい気持ちを表わす、共感できるキャラクターです。誰もが、とはいっても、本気で謎めいた黒づくめの、そして男を超えた大人の男性性を目指す人以外かもしれません。

『NARUTO』はきわめて冷静ではない、インターネット忍者で、感情を見せない、憧れの対象としての理想的な日本人男性像とはかなり違っているにもかかわらず、マンガやアニメ

図 7

図 6

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は世界中で人気があります。そしてさらに、純粋な忍者像からはみ出したものとして、最近では「忍者クレープ」が

あります。アミューズメントスペースの忍者屋敷兼レストランが、ニューヨークや京都などいろんなところにあり、忍者というものが愉快に消費できるものになってしまいました。「真剣な忍術」の議論は、インターネット上のあちこちでされていますが、とくに英語圏

において武道専門の BBS で象徴的に行われています。伝統離れしているという意識も伝わり、愛好家は自称「ネオ忍者」です。技や訓練以外に、場合によって特定な忍術学校がカルトと関わっているという忠告も載っています。しかし、ほとんどの BBS と同様、ただの情報交換の場になっていて、自分が本当の忍者だと主張するような人は、そこでもやはり居場所がなくなっています。

アメリカに忍術を伝授した一番重要な人物は、1931 年生まれの初見良昭です。海外の作品に限らず、テレビ朝日が 88 ~ 89 年に放送した『世界忍者戦ジライヤ』にも協力しています。彼はインタビューで、日本人の若者は武道、とくに忍術に興味がないから、主にアメリカ人に教えていると語っています。

○インターネット忍者の日暮れ忍術を武道として習う人、それから、秘密組織の一員になろうと忍者を目指す人、と忍

者になりたい人は 2 種類にわりにはっきりと分かれています。忍術を武道として習う愛好家は理想の男性像を目指しているかもしれませんが、スパイや暗殺者になろうとしてはいません。しかし、2 つのグループのどちらにも重なってしまう部分があります。それは政治意識の一部で、悪くいえば陰謀説の領域です。

2009 年(バンコクで)、名俳優デビット・キャラダインが不審死しました。キャラダインとブルース・リーは 1972 年から向こうのテレビであった武道ドラマ『Kung Fu』シリーズで、主役の候補でした。選ばれたのはキャラダインです。そして、2003、2004 年、(映画)『キル・ビル』で彼はビル役を演じました。しかし、亡くなったあと、キャラダインの遺族と弁護士マーク・ゲラゴスによると、キャラダインは武道家の秘密組織に関わっていたそうです。弁護士は CNN のニューズ番組で、武道者の裏社会、秘密組織に殺されたという説を披露しました。しばらくの間、キャラダインは忍者に殺されたという噂が流れ、悪趣味ですがこの噂は人気のインターネットのミームと化してしまいました。ミームとは、インターネットでしばらく流行るジョークとか言葉とかです。これは電子メールで送るグリーティング・カードで(図 8)、「あなたが忍者の陰謀により殺されないように、自然死で亡くなることを願います」とあります。

まだインターネットが普及する前から、武道家が亡くなるときはこういった説がありました。ブルース・リーと息子のブランドン・リーの死も、秘密組織が関わっていたという根強

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い噂が今でも残っています。日本のテレビで忍者はいまだに実在すると

主張することは珍しいと思われますが、近年目立つ存在となったのは、2007 年に日本国籍を獲得したカナダ出身のベンジャミン・フルフォードです。彼は経済誌『フォーブス』のアジア太平洋局長で、50 万冊の本を売り上げていましたが、去年、涙ぐんで日本にいる 300 人の白人忍者の存在を訴え、その白人忍者団がイルミナティやフリーメーソンなどに抵抗していると主張しました。フルフォードのホームページには、フルフォードが書き記した、亡くなった祖父の口伝による資産家 David Rockefeller

宛ての手紙が載っています。フルフォードのブログの URL には shinobi のアルファベットが入っているので調べてみてください。ちょっとおもしろいです。

最近の記事は今月 19 日のものです。そこには、「アイスランドの火山噴火もきっとイルミナティの仕業で、そして、イルミナティは世界人口の 99% を殺そうとしている。が、心配することはない。日本にいる 300 人の白人忍者が待機しています」と。他にも彼は、2009 年に黒龍会が復活した、と言っています。この黒龍会は実在した戦前の右翼団体で、1946 年に強制的に解散させられました。

そして、これは笑えるかもしれないですが、2007 年にナチスドイツの戦犯者を追及することで知られるサイモン・ウィーゼンタール・センターが、「日本の文学の種類のメインストリームの一部として 80 ~ 90 年代に反ユダヤ人主義の陰謀説が流行ったが、2000 年代に入ってから再びブームになったのはフルフォードと出版社の責任で、原因は彼らにある」と発表

図 8

図 9

報告 3:杉本バウエンス・ジェシカ/インターネット忍者の美学  49

しました。

こういう陰謀説や「ユダヤ人は宇宙人でトカゲの DNA を持ってる」などという説で有名になったイギリス人のデーヴィッド・イッケをはじめとするそれらは、有名な陰謀説の作家のエンターテイメントとしての価値は高いが、彼らの説を真に受ける人はそうはいないと思います。そして、真剣に忍者の話を持ち出してくる人、イコールまともな人じゃない、というスティグマによって、信じたい気持ち、なりたい気持ちはあっても、変な人と思われるから堂々と主張する一般人が少しずついなくなってきてるように見うけられます。しかし、いくら真に受けなくても、陰謀説の一部には必ず根拠があると信じる人も多いのです。それは、忍者の存在を信じない人たちでさえも、です。

そして、最近そういった忍者神話を支えているのは主に白人男性であり、それはただの白人男性でなく、多くは軍隊経験があって、なんらかの形の「純粋さ」を求めている人たちです。自らの文化が失った何かを、日本の過去の想像上の伝統に求めているのです。

おもしろ半分で見るのもいいですが、サイモン・ウィーゼンタール・センターが訴えるとおり、陰謀説や忍者の秘密組織の憧れのなかに悪意が含まれている場合があります。その悪意には、反ユダヤ人主義、人種差別主義、白人優越主義、性差別主義などがつきものです。さまざまな陰謀説が忍者という魅力的な象徴をパクリ、忍者をエサにして、一部のおそらくメディアリテラシーに欠ける一般市民を自分の世界に巻き込もうとします。結果的に、完全には信じてもらえなくても、一時的にでもそういった説にはまったオーディエンスには、ユダヤ人への不信感が残ったり、元々なかったはずの先入観が植えつけられます。

忍者に限らず武道は右翼と思想の繋がりがあります。その一例として、アメリカにおいてブルース・リーと共演したチャック・ノリスが挙げられます。ノリスはキリスト教原理主義者で、道場を運営しながら保守的ニュースサイトで進化論を否定し、人種差別的な発言を繰り返しています。伝統的な武道が求めている「純粋なもの」「純粋な精神」は、時として、純粋な人種と重なってしまうことがあります。

憧れの対象となる秘密組織と忍者というテーマで皮肉に満ちたカートゥーンを長年書き続けてきたのは、日系人の石田達也です。この人の作品をちょっと紹介したいと思います。

石田は、『SiNFEST』というメインシリーズの作品を描いていて、滅多にインタビューには答えない作家で、作品以外には自分の政治的思想を表に出さない人物です(ところが、メインの『SiNFEST』から頻繁に脇道へそれ、『忍者劇場』というサブシリーズを『SiNFEST』と同じ主人公で描いたり、また陰謀説の辛口風刺画も描いたりしています)。(図 9 を見せながら)石田のカートゥーンが新聞に載らないのは、主人公のスリックが非

常に有名な『Calvin & Hobbes』のカルヴィンにあまりにも似ているためです。石田はほぼ毎日のように自分のサイトで新しいカートゥーンをアップデートしています。

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(図 10 を見せながら)これは『忍者劇場』の第一作目です。2002 年にはじめて出されました。主人公はこの「ワサビ」というヒモの忍者で、仕事はありません。ヒロインのモニークは芸者役で、イエローテイルとして登場して、いきなり欧米でのありふれたステレオタイプを 2 つ風刺します。イエローテイルに侮辱されたワサビは常に彼女を狙いますが、本気で傷つけようとは思っていないので、なかなか恨みをはらすことができません。精神が純粋ではない、できそこない忍者です。(図 11 を見せながら)2 つ目(の話に)は、「トンカツ」というブタの忍者が登場します。

トンカツは、ワサビとイエローテイルの敵役で、イエローテイルのボディガードのロボット侍に捕まります。彼はバーチャル道場に投げ込まれ、食材の気持ちを経験するという罰を受けます。これは、アメリカでイメージが強い日本の料理番組をちょっとパロディ化してます。おそらく「料理の鉄人」のアメリカ版「アイアン・シェフ」を皮肉っているのでしょう。(図 12 を見せながら)その(次の話の)別の登場人物は小悪魔で、テレビで見てるのは

図 10

図 11

報告 3:杉本バウエンス・ジェシカ/インターネット忍者の美学  51

陰謀説、イルミナティの話です。「あなたも 1 位になれる」みたいな CM が流れています。これは、秘密組織という割には誰もがイルミナティに詳しいということを逆手にとって、パロディ化しています。(図 13 を見せながら)次は、日本に憧れて出てくる観光客(の話)です。『少林サッカー』

のパロディで「SHAOLIN SUCKA」というあだ名になっています。(図 14 を見せながら)このカートゥーンでは、外国人は日本のものなら何もかもアート

で深いと思い込む視点を批判しています。1 コマ目では、道を歩いていて、「ああ文化がいっぱい」と、自分の文明には文化が残っていないみたいなことを訴える人が多い(ことを揶揄しています)。2 コマ目では、落書きを見ては「ハイ・アート」と言い、3 コマ目では、居酒屋で「ファイン・ダイニング」、グルメだといい、4 コマ目、風俗店を劇場だと勘違いして観光をしています。外国人の日本に対する期待と実際とのギャップだけではなく、外国人が抱く日本のイメージにおける数々の矛盾も指摘しています。

図 12

図 13

52  ポピュラーカルチャー研究 Vol.4 No.1 2010[パクリ]

(図 15 を見せながら)次は、また小悪魔が出てきます。彼はその日、(キリスト教の)神を殺すという決断をします。武器を選んでいるとき(ここにも忍者の武器などが描かれています)、とっさにひらめいて、武器ではなく、ダーウィンの進化論を使って神を殺そうとします。これは非常にかわいい絵ですが、アメリカのキリスト教原理主義者に対しての批判です。(図 16 を見せながら)週末になると 1 ページ丸ごとの大きなものが出ます。これは、日

本とはそれほど関係がないんですが、文化横領の話です。主人公がアフリカンアメリカンの音楽を聞いて、テレビで「マルコム X」とかを見て、黒人の作家の本をいっぱい読んで、髪の毛とか皮膚もできるだけ黒くしています。ステレオタイプの、フライドチキンやダンスやバスケットボールやゴスペルなど「目指せ黒人」みたいなことをして、なりきったつもりで、黒人の若者に対して「nigger」という言葉を使いますが、これはご法度です。これは階級的な人種差別で、英語では「wigger」といい、悪気はないけれども差別的な行為です。それに気づいてない主人公、そして彼と同じような人を批判してるカートゥーンです。

図 14

図 15

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(図 17 を見せながら)他に、政治的なものは、例えば大統領候補が出てくるものがあります。これは 2008 年のもので、今はアメリカ大統領のオバマと、当時副大統領候補だったペイリンという女性です。ここで注目してほしいのは、石田はカートゥーンのなかでは、普通、登場人物を動物としては描きません。動物として描かれたのは、このブタ忍者のトンカツだけです。このキャラクターを動物として描いた理由は、単に彼は「変態だから」と作家が言っています。(このブタ)だけは作者でも許せない性格、という設定です。ここでは、副大統領候補だったペイリンを、ブタとして描いています。そして、下の方にメディアに対しての批判が出てきます。オバマは黒魔術を使っているとかいろんなことを言われていましたが、そういうメディアに出てきたデマを批判しています。(図 18 を見せながら)これはまた陰謀説の批判です。先ほどのトンカツの名前は「ス

クイグリー」といいますが、インターネットでいろいろと見て信じ込んでしまって、この

図 16 図 17

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「REPTILIANS!!」(爬虫類)と言っている龍が飛んでるところは有名な「ユダヤ人はトカゲの DNA を持っている」という陰謀説に基づいています。彼は「アルミホイルの帽子をかぶったら大丈夫。光線が入ってこない」と思い込み、また、キリスト教原理主義者に「いっしょにしないか」と声をかけられている、ということを描いています。このキリスト教原理主義者は顔にあまり特徴がありません。石田はいつもそういうふうに彼を描いています。これには描く価値がないからという批判が入っているのです。(図 19 を見せながら)最後に、男が忍

者になりたがるようになった経緯を描いています。失恋して、女にだまされ、お金も盗られ、その女に計理士と浮気されて、2 人に駆け落ちをされて、人生を台無しにされたような気分になります。それ

で、男は忍者アサシンの訓練を始めます。説明すると、すべてを失った男は酒におぼれるのではなくて忍者を目指すようになる、そういうヒーローの起源のストーリーをパロディ化しているのです。

図 18

図 19

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○終わりに真面目な忍者ブームは 90 年代で終わったよ

うに思いましたが、この発表の冒頭に挙げたコスギ・ショーは 2009 年、17 年ぶりにウォシャウスキー兄弟が制作に関わった米国産の忍者映画「ニンジャ・アサシン」に出演しました。やはりまた、みなし児が忍者のマスターに育てられるという話です。そして、冒頭に挙げたフランク・ミラーの『ローニン(RONIN)』というマンガの 3D 実写版の制作が近々始まります。ひょっとしたらこういう真剣な忍者像のルネッサンスも出てくるかもしれません。

不可視だったはずの忍者の存在は、今や偏在的で、時代劇に限らず、カートゥーン、芸能ニュース等どんなポピュラーカルチャー作品に忍者が急に出てきてもおかしくない時代です。そして、自分の社会・文化に不満を持つ人には、忍者になる夢はある種の現実逃避だったといえるでしょうが、そういったイメージといろんなところで出てくる愉快な忍者とのイメージとのギャップは割と大きい。

忍者は、捉えどころのない影のようなイメージから離れ、今では世界中で忍者キャンプや忍者ツアーなどがあり、秘密組織の象徴としての忍者は消えてしまい、忍者や忍術は武道の仲間入りも果たしました。黒づくめの忍者への懐かしい憧れが、しばらくの間心残りではあっても、ものすごく神秘的な存在に戻ることはないでしょう。

(図 20/ 菓子「NINJA クレープ」の説明書きを見せながら)終わる前に、これが NINJA

クレープです。京都で売られています。( 図 21・22/ 映 画「NINJA ASSASSIN」 ジ

図 20

図 22

図 21

図 23

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ャケット、サイトを見せながら)これはコスギさんの去年の映画です。サイトには、「誰でも簡単に忍者になれる。黒い T シャツを頭にかぶれば、あなたも忍者になれるよ」みたいな説明があります。(図 23・24/ カナダでの忍者キャンプの広告

や写真を見せながら)忍者キャンプの風景もちょっとご覧いただきましょう。これはカナダでのものです。親子ぐるみで忍者ごっこをしています。子どもも加わっています。忍者は男のロマンから離れて、本当に「みんなのもの」みたいなことになっています。(図 25/ ブラジルでの忍者キャンプの広告を

見せながら)ブラジルでも忍者キャンプがあって、そして、どんなことをしているかというと、こういう運動です。(図 26/「廊下の壁登りの術」の写真を見せて)私も行きたくなりました、ちょっとぐらい。

佐藤 ありがとうございます。陰謀論と忍者が結びつく。で、そのなかにオリエンタリズムと、治癒としての忍者。それになることによって一種の現状からの癒しみたいなものがあったりする。いろんなことが頭のなかで私も浮かびました。フランク・チキンズの「We Are

Ninja」覚えてる方、いらっしゃいますかね?80 年代にロンドンで流行った 2 人組の日本人女性が、「We Are Ninja」とラップをする曲。あれは、結構ちょっとフェミニズムの雰囲気もあったんですけど。ジャマイカにも「ニンジャマン」という DJ がおりました。ただ、さっき、

「ウサギ用心棒」は黒澤明ですよね。黒澤の『用心棒』の影響というのはやっぱり非常に大きくて。また三船敏郎の物真似を、例えば、ジョ

図 24

図 25

図 26

報告 3:杉本バウエンス・ジェシカ/インターネット忍者の美学  57

ン・ベルーシが「サタデー・ナイト・ライブ」でやっていて、(欧米において)侍イメージはおそらく三船から入るっていうのはある程度いえるとは思うんですけど、忍者イメージ自体が、探っていったときにどういうところに入れるのかということ……。

次は最後で、滋賀県立大学の細馬宏通さんによる「模倣する身体」です。そのあと全体討議に入ります。では細馬さん、よろしくお願いします。

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報 告4

細馬宏通

模倣する身体

▼報  告▼

僕はパクリという現象の専門家では全然ないんです。今日は僕がいつも専門にやっている、日常会話でみなさんがふとしたはずみに誰かと同じ動作をしてしまうという現象から、無理矢理パクリを考えるという、かなりアクロバティックなことをやってみようと思っています。

○(インタラクション派から見て)パクリ論の物足りないところここまで、(他の先生方の)お話を聞いていて、やはりパクリという現象そのものより、

パクリをめぐる言説というのは奇妙に歪んでるなという気がどうもしてならないわけです。例えば、山田先生がご指摘されたように、パクった側に対して最近は異様な厳罰主義がある。あるいは、パクリかどうかの判定をするときに、僕たちはデータに頼り過ぎるきらいがある。演じる人そのものを注目するのではなく、楽曲を取り出したり、テキストを取り出したり、要するにデータを比較して似てるといいたてる。「パクリ」が問題になるときは、なぜかパフォーマンスよりもデータ化された作品のウェートがすごく大きくなっている。

さらに、従来のパクリをめぐる言説には、鑑賞のプロセスが欠けている。僕らが鑑賞しているときに、僕たちはすぐに一発でパクリかどうかを判定してるのではなくて、時々刻々と、テキストを読んだり、音楽を聞いていて、そのうちに、「あれ? 似てるな?」と思う。それから「もしかしてあの曲?」と、だんだん何と似ているかが明らかになってくる。この過程が本当は重要なんですが、パクリを語ろうとすると、そこをすっ飛ばして、いきなり全部聞いて、あるいは全部見たあとに、さーっとデータを比較したら「似てますね」という話になる。どうも、聞く、あるいは見る、という行為が、パクリを語ろうとすると軽くなってしまうのではないかという気がするわけです。

もう一つ、伊藤先生が強調された DIY の問題がある。実は僕らの文化を支えてるのは単なるプロフェッショナルの少数の人だけではなくて、創造的な受け手、要するにそれを真似して自分もやってみようとする人たちによってもずいぶん支えられていて、実際マンガは

報告 4:細馬宏通/模倣する身体  59

コミケに代表されるように、その典型な世界になってるわけです。むしろ、同人誌が出てきて、そこから大手の出版社がマンガ家を登用するというようなことが盛んにおこっている。パクリ、というときに、人は何かと似ていることにおいてその作品を糾弾しようとするわけですが、ならばこういう、創造的な受け手の問題はどこにいくんだろうか。

もうひとつ重要なポイントとして、増田さんが言われた「機械的模倣」と「人為的模倣」の問題があります。これは重要な区別だろうと思います。特に難しいのは後者の「人為的模倣」です。自分が何かを作ったら知らない間に似てしまった、あるいは似てしまったことに気づいたんだけれど、もう止められない。そんなときに、そういう似方を、パクリということで一様におとしめてよいのだろうか。その人の似てしまうことへの機微を僕たちはどうやって汲み取ったらいいんだろう。あるいはもっと極端な例になると、杉本先生のお話にもあったように、知らずに似てしまうどころか、もう似たくて似たくてしようがない、という人たちもいるわけです。何かを見て、似たくてしようがないと思ってしまうこの情熱は、いったいパクリ問題のなかでどうなってしまうんだろう。

似ることに対する恐怖感とか忌避感を強調しすぎるあまり、パクリを扱うときわたしたちはこれらの重要な問題を捨象してるんじゃないかと思うわけです。

もしかしたら昔に比べて真面目過ぎるのも問題なのかもしれませんね。かつては真剣に似ようとしているものを、近田春夫がネタとして指摘するというようなことが行われていた。ところが気がついたら、みんなネタとして似せようとするようになり、似すぎてたらそれをマジで指摘する、という非常に奇妙な転倒がおこっている。あるいは、おそらく似ていることへの忌避の裏返しとして、「オリジナティ」幻想というものをもってしまう。オリジナリティのあるものだけにお金を儲ける権利がある。オリジナリティを言い立てていかないとものづくりにならない。そういう強迫観念にとらわれる人が多くなる。その結果、何がおこるかというと、「作品」を相手にパクリ糾弾が行われて、一方では「作品」を作った身体、パフォーマンスが見過ごされるという問題がおこってくる。

以上のような事態は、日常会話の身体動作を研究している僕からすると、まったく抽象的な、実態に合わない考え方です。

○日常会話の「同期現象」で考えてみる日常会話で僕たちが行う行為は作品としては残りません。会話は記録されぬまま、どん

どん先へ進んでいきます。その中で起こる行為は、ほんの束の間の、短いものですが、そこでは、作品のパフォーマンスと同じくらい濃密な身体のありようが観察できます。今日は、昨今のこのパクリ現象と対極にある日常会話の世界、作品にもならないし、パクリともいわれないし、むしろ似ることをオートマチックに志向してしまうような世界のことをお話しして、あとでもういっぺんパクリの話に戻っていこうと思います。

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いくつか専門用語が出てくるので、最初にその専門用語を交えながら、日常会話をどういうふうに見るかというお話をしておきます。

日常会話でたまたま相手のいうことを聞いたりやってることを見て、「あ、それ、わかる」とパッとひらめく瞬間があって、次の瞬間には相手と同じことをしていることがあります。たとえば、相手が一言「もういくつ寝ると」と節をつけて唄ったら「お正月~」のところをいっしょに唄ったりします。そのとき、僕たちは相手の言葉を手がかりに、音楽でいえばあるフレーズや、音の塊を手がかりに、次におこることを予測しています。ある行為が示されたときに次の行為が予測できることを会話分析では「投射」といいます。例えば、「もういくつ寝ると」ということばや節回しは「お正月」というフレーズを投射している、というふうに使います。

歌詞やメロディだけが投射をするのではありません。例えば、この前、テレビのチャンネルをガチャガチャと回していたら、「ドレミファ」という音が聞こえたんです。僕、それ聞いた瞬間にバッハの「インベンション」だってわかったんです。続きを聞いてたら、「ドレミファレミド」と本当に「インベンション」だったんですね。おれ、すごいなと思ったんですよ(笑)。でも、それはみなさんもたぶんできるんです。なぜか。バッハの「インベンション」は、ピアノを習う初学者の人がよく弾く曲で、近所のピアノ好きの子の家からも聞こえてくるフレーズなんですね。ピアノの単音で、いわばいかにも家で練習してる風情の音で、ポロンポロンと聞こえてくるような音像をしているわけです。記号に合わせたら「ドレミファ」と 4 つしか音がありませんが、実際に聞こえてくる音のなかには、ピアノの肌理とかタイミングとかスピードとかバックグラウンドに入っているノイズ、それが部屋で聞かれているのかあるいは戸外で聞かれているのか、というようなさまざまな情報が実は組み込まれている。そして、テレビから流れてきた音にも、そういう微妙な肌理が吹き込まれていた。だから僕は「ドレミファ」を聞いただけでバッハの「インベンション」だとわかったんです。

こんな風に、ぼくたちのやりとりの中にはさまざまな手がかりがもたらす「投射」が含まれていて、ぼくたちは、この「投射」を手がかりに、無限の可能性を持つ未来の中から、ある限られたできごとを予測するわけです。

こうした予測の力を発揮すると、ときに、ありえないほど見事に相手の行為を同時に真似てしまうことがあります。今日は時間がないので一例だけお見せします。ちなみにこれは、滋賀県立大学の大学院生である城綾実さんとの仕事の一部です。

(3 人の女性の映像を示しながら)今から、A、B、C の 3 人に「楽しかった旅の思い出」を雑談してもらっている場面をお見せします。3 人は円卓を囲んで座ってます(図 1)。この場面の直前に、A さんは、グアムでスキューバダイビングをしたことがあるという話をし

報告 4:細馬宏通/模倣する身体  61

ています。一方 B さんは、修学旅行で沖縄に行ったことがあるという話をしています。で、A

さんが「じゃ、沖縄で何したの?」って B さんに聞いているのがこの場面というわけです。

さて、B さんは A さんの質問にどう答えるでしょうか。A さんがグアムでスキューバダイビングをやった話を聞いたあとなので、B さんはちょっと遠慮してるようです。「スキューバダイビングとまではいかへんけど、シュノーケル」って言います。一方、C さんは南国に行ったこ

とも、潜ったこともない。で、B さんの答えをきいて「それ(シュノーケル)、どんなんやっけ?」と訊ねます。

…みなさんポカンとしてますね。わかります(笑)。こんなどうってことのない日常会話を物語みたいに解説されても困りますよね。じゃ実際に見てみましょうか。

〈Aさん、Bさん、Cさんの会話〉A 「沖縄で、何をやったの?」B 「なんか中学校のときは、スキューバダイビングとまではいかへんけど、シュノーケル」A 「いいじゃん」C 「それ、どんなんやっけ? ぴゅーって行くん?」B 「うん。なんかこういうのつけて」A 「こういうのつけて」A 「水面に浮かべて~」A 「(にゅーって浮かぶやつ←?)」

はい、ご苦労さまでした(笑)。どこがおもしろいのかと思うかもしれませんね。でも、この場面をすごく細かく見ると、みなさん驚きますよ(笑)。

C さんが「それ、どんなんやっけ?」って聞くところを見てみましょうか。C さんのここの手元を見ていてくださいね、おもしろいですから。「それ、どんなんやっけ? ぴゅーっていくん?」(図 2)、はい、ちょっと両手上がってますね。彼女はシュノーケルを知らないなりに、なんか自分のイメージしてるシュノーケルを両手で表わそうとするんですね。しかも、「ぴゅーっていくん?」っていう謎めいたフレーズを発する(笑)。たぶんシュノーケルが「ぴゅー」なんでしょうね。彼女はシュノーケルをやったことがないから、その形を正確に表すことはできない。でも、両手をあいまいにあげることはできるわけです。

図 1

62  ポピュラーカルチャー研究 Vol.4 No.1 2010[パクリ]

一方、A さんはどうか。彼女は、B さんの動作にあとから猛スピードで追いついてきます。これ、なかなかの見ものですから期待して下さいね。まず B さんは、シュノーケルを作るために、すでに右手と左手を高さを変えて上げてます。C さんはこれについていけずに脱落してしまいました。そのとき A さんは何をしていたか。はい、C さんを見てますね

(図 2)。C さんが「ぴゅー」っていいながら両手を上げるのを見てます。でもその直後に、C さんから目を離して B さんを見ます。すると、B さんのジェスチャーは C さんとは明らかに違います。ハモニカを吹くように両手を口にあててます(図 3)。たぶん、シュノーケルを知らない人にはなんのことかわからないでしょうが、A さんにはこの謎めいた行動が、ある現象を投射しているように見えるわけです。そう、きっとこれは、シュノーケルです。A さんは経験があるから、そのことにパッと気づいたんでしょう、それが証拠に右手を急いで口につけて、B さんの真似をします(図 4)。しかも、驚いたことに、A さんは B さんの動作を追い抜かしていきます。ほらほら、左手を口にあてたまま、右手をするするっと上にあげていく。するとおもしろいことに、それを見た B さんもすぐに追いついていきます。するとほら、もう A さんと B さんは同じ手の形をしている。左手を口にあてて、右手を頭の

図 2

図 3

報告 4:細馬宏通/模倣する身体  63

上にかざして、シュノーケルの形を表しています(図 5)。これはけして、偶然ではありません。それが証拠に、A さんと B さんはお互いにアイコ

ンタクトをしながらやってます。だから、形だけでなく、タイミングもすごく似通ってくるのです。

たくさん言葉を費やしましたが、じつは図 2 から図 5 までは、たった 3.5 秒しかたっていません。こんなにあっという間に、僕たちはものすごく微細にお互いを似せることができる。そして彼女たちは別に台本を持っているわけではありませんし、かけ声をかけるわけでもありません。「さぁ、このタイミングで同時にシュノーケルを表現しよう。シュノーケルを表す方法にはいろいろあるけれど、左手でマウスピース、右手でチューブを表そう。それも、まず左手から始めて、次に右手を口にもっていき、そこから右手を頭の上にあげるのだ」なんて取り決めは、まったくないのです。

おそらく、A と B とがともにシュノーケルの経験を持っていたからこそ、ほんのわずかな手がかりのもたらす「投射」を用いてお互いの先を読み合うことができたのでしょう。も

図 4

図 5

64  ポピュラーカルチャー研究 Vol.4 No.1 2010[パクリ]

しシュノーケルの知識だけがあって経験がない人だと、語る方法がありすぎて、なかなか一致にはいたらないでしょう。例えば、ゴーグルから説明しても、チューブから説明しても構わない。あるいは、「マウスピースはこれで、ゴーグルはこれで、それとは別にチューブがあって」という風にバラバラに説明してもいいですよね。シュノーケルという物体を説明するための方法には、たくさんの可能性があるわけです。だからもし僕たちが知識だけを共有していたら、これほど鮮やかな一致をするのはすごく難しいはずなんですね。だけど、シュノーケルをやったことがある人ならば、シュノーケルを装着する身体動作を知っている。彼らはわざわざ、マウスピースと管をバラバラにして、「さぁ、どっちからつけようかな」なんて迷ったり、管の方からくわえて、「あ、違った」なんてコントみたいなことはしない。マウスピースをくわえてその位置が決まったら、次は管の位置を前後に動かして浮きあがったときにピュッと空気が出やすいようにする。だから、シュノーケルを経験した人にとっては、マウスピースとチューブが接続していることは、ごく当たり前の感覚なのです。

A さんも B さんも、シュノーケルを同時に経験したわけではありません。A さんはグアムで、B さんは沖縄で経験したわけです。そして、この会話をするまでその経験を照らし合わせたこともなかったわけです。だけど、シュノーケルという言葉を聞いて、ジェスチャーをしようと思った瞬間に、2 人ともそれがどういうふうに行われるべきかがわかってしまうし、それは一致するんですね。だから、偶然にしてはものすごくできすぎたことがおこっているわけです。

そしていちばん重要なことは、A さんも B さんも、そしておそらくは C さんも、お互いの動作を似せることを志向している、ということです。いくら知識や経験があって、投射によって相手の行動が予測できたとしても、相手に似せようということを目指さなければけしてお互いの行動が似たりはしない。僕たちは、日常のささいな場面で、何の得もなさそうに見えるささいなことについてでも、なぜかお互いに似ようとしている。おそらく僕たちは、生活のすみずみまでそういうことを志向してしまう生き物なのでしょう。

さて、ここまで日常会話でいかにわたしたちが短時間のうちに正確にお互いを真似ることができるかをお話ししました。ここで、パクリと日常会話との間にある重要な違いを指摘しておこうと思います。日常会話では、相手の真似をすることは悪いことではない。むしろ楽しかったりする。たとえば、いまお見せした A さんと B さんは、ジェスチャーが一致したあとすごく笑ってるんですよ。ちょっと見てみましょう。ほら、「きゃはははは」なんてすごい声で笑ってますね。

もう一つ重要なことは、真似をするといっても、ただのコピー & ペーストではないし、細部にはいろんな違いが埋め込まれている、ということです。例えばマウスピースとチューブを表すときに、B さんはまず両手を口にあててマウスピースを表し、そこから右手だけ

報告 4:細馬宏通/模倣する身体  65

を伸ばしてチューブを表しました。でも、A さんはよくみるとちょっと違ってます。まず左手で髪の毛をかきあげながら、余った右手でチューブを表します。チューブを表しながら、かきあげた左手を口にあてます。結果的にはこれでチューブもマウスピースも表せている。ディティールを見るとじつは表現はまったく違っているわけです。タイミングもちょっとずれている。まず B さんが先に動き始めて、A さんが途中で追い越しちゃったりしている。あらかじめ何もかもがピタッと一致するのではなくて、むしろお互いが「ずれてるな」ということに気づいて、そのずれを微調整した結果、一番最後に到達した形がピタッと合っているんです。

さらにおもしろいのは、真似をしようとしてできないことがもたらすできごとです。ここで、C さんは残りの 2 人と違って、「ぴゅー」と不思議なジェスチャーをして終わってしまいました。でも、これは悪いことではない。C さんがわからないなりにシュノーケルについて質問し、彼女の知識を披露したおかげで、A さんはそれを見て、自分の知識を披露することになった。そして、C さんはこれまで知らなかったシュノーケルの形を知ることができたわけです。

○「パクリ」問題の陥穽日常会話で、同じ経験をしたものが何かを思いつくときには、それは経験に沿った形を

とりますし、あり得ないほど似る。このことをちょっと強引に音楽や美術の話に敷衍してみましょう。僕らは同じ音楽文化、あるいは同じ美術文化に暮らしていますが、そういう人間どうしがあることを思いついたときに、まったく似ないということが本当に可能なんでしょうか。

そもそも「聞いたことがある」フレーズが別の曲から聞こえることは、それほど悪いことじゃない。相手の経験を志向することは、むしろ、実は僕らのコミュニケーションの本質です。ではパクリ現象の何が問題かというと、それは、パクる人が相手の経験の裏をかこうとすることです。「あなたもこのフレーズ知ってるよね」とか「知ってる人にはわかるよね」

「私は実は元ネタを知ってるけど、相手には元ネタはわからないだろう」と考える。「あなたもこのフレーズ知ってるよね」っていう感性とは全然違うんです。「あなたにもわかるよね」と志向する人は、相手にそれとなくわかるような表現の形をと

る。受け手の注意をひくように、ちょっとした特徴を強調する、つまり、エッジをきかせるのです。一方、パクリとか、剽窃、盗作をする人は、なんとかエッジをぼかそうとする。たくさんの論文から断片を拾ったりとか、断片と断片の間を自分の言葉で繋いで、なんとかもとの特徴を消そうとします。

元ネタを拾うこと自体が問題なのではない。むしろ、元ネタがあるということを、相手にわかってもらおうとするか、それとも隠そうとするかが、実はパクリ問題で重要な論点では

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ないでしょうか。元ネタを隠そうとする人は、なるべく相手の経験外のところから元ネタをとってきます。

無名の作家や異なる分野の作品、あるいはよその国の作品がパクられやすいのは、こうした行為が受け手の経験が不在であることを欲しているからでしょう。

私は、経験への志向とは人間の本質だから、これを擁護したいと思います。経験への志向を糾弾するのはおかしい。経験を共有するもの同士の表現が似通うのは当然だ。その一方で、似通おうとするものは、微細な差をはらんでしまう。この微細な差にこそ、オリジナリティは宿ると思います。相手の経験に向けて発せられる表現というのはオリジナリティを損なわない。受け手があらかじめ知っているということとオリジナリティとはむしろ両立する。

オリジナリティとは、たとえばどんな風に表現されるのでしょうか。飛躍しますが、オリジナリティはたとえば、相手の経験に向けて表現しているときに、身体が思わずまとってしまうもの、ではないでしょうか。

例を挙げましょう。「僕の好きな先生」という歌があります。「僕の好きな先生」というフレーズは、日本語では誰かが思いつきそうなフレーズだし、「僕の好きな先生」という経験も僕たちは持ってるわけですよね。あんまりさえないけど本当は僕が好きな先生が学校にいる。そういう感情は誰しも持っているわけです。そういう誰しも持っている感情とか経験を前提にしないと、「僕の好きな先生」という歌はできないはずです。その意味ではこの

「僕の好きな先生」の扱ってる内容は別にオリジナルでもなんでもない。ではこの歌は、どこがオリジナルかというと、「僕の好きな先生」というフレーズを歌うときの、「ぼくの」の

「ぼ」が発せられるときの声の破裂のしかた、「すきな」の「す」が洩らす空気、「せんせい」ではなくて「せんせええええ」、そのすべての肌理の中に埋め込まれている忌野清志郎という人の声、誰もが真似したくなるような清志郎の歌いかたに、僕たちはオリジナリティを感じている。別に「僕の好きな先生」というメロディーがミレドドレドラレだとかコードが D

だとか Em だとか、そんなことを僕たちは喜んでるのではない。むしろ、僕たちが誰でも知っているようなことが誰も知らないような声によって発せられる、その人の身体を通ってきた声があるということに、僕たちは「僕の好きな先生」のオリジナリティを感じているんじゃないかと思います。ご静聴ありがとうございました。

佐藤 ありがとうございます。「投射」(という言葉)を覚えました。非常におもしろい、ほんとに。しかも最後の方で、たぶん、あとの討議に繋がっていくような経験の問題であるとか、非常に(おもしろい)。忌野清志郎の話というのが非常にわかりやすく私には伝わりました。で、エッジをきかせる、きかせないという問題、まぁちょっとビートルズのさまざま

報告 4:細馬宏通/模倣する身体  67

なすばらしいパスティーシュというか、パロディであるラトルズとかユートピアをちょっと思い出しました。わかってるからの「快」というのは、もちろんあるかとは思うんですけれども、ま、そうなったときの話はちょっととりあえず……。

  〈曲〉RCサクセション「僕の好きな先生」が流れ、フェイドアウト

第3部

パネルディスカッション

70  ポピュラーカルチャー研究 Vol.4 No.1 2010[パクリ]

ハネルディスカッション

佐藤 非常にさまざまな視点からさまざまな文化における模倣と流用という現象が語られてきたと思います。これが今からどのような討論になるのか、興味深いところです。はじめに基調講演をしていただいた伊藤先生から、ご自分のお話、あるいはパネリストのお話をまとめる形でお進めいただければと思います。予定では 5 時までになっていますが、5 時で終わるのももったいないので、せめて 5 時半ぐらいまでと考えております。お時間の許される方はおつきあい願います。伊藤 おもしろかったです。前半の 2 人と後半の 2 人が、それぞれペアになってるのかなと感じています。前半のお二人は、

「パクリ」そのものとかなり直接に向き合っていて、すごくおもしろかった。実は、増田さんも紹介されていたのですが、山田さんの編集された『コモンズと文化』の議論が僕はもうちょっと出てくるのかなと思っていました。基調講演も、この本と関連づけるつもりで話を作ってきたんです。文化を共有するという問題を、これからパクリの問題と絡めてどう考えているのかという課題について、これからの討論で、もうちょっと議論が深められたらなと思います。これが、前半のお 2 人に対してぼくが感じたことです。たぶんみなさん方も、この問題についてはもうちょっと聞きたい部分かなと思っています。 後半のお 2 人については、細馬さんの

お話のなかで、すごく印象的だったことがあるんです。身体とか、相手の身体動作に対する模倣的な反応というところです。ジェシカさんの話を細馬さんが引き受けた形でおっしゃったことですが、忍者の話で「似たくてしょうがない」という話がありました。似ることに対する指向のおもしろさ、成りきりの喜びというのはなんなのか、というのはすごくおもしろいテーマだと感じました。それがジェシカさんの話で忍者として出てくるのは、オリエンタリズムなのか、独特の日本イメージなのか、それこそぼくのテーマのひとつである男性性の問題なのか。いろいろな見方があるだろうと思います。あるいは謎めいた陰謀論と結びつきやすいというようなところもあるのかもしれません。こうした「成りきり」という問題は、これまで、わりと見落とされてきたテーマなのかなと思いました。 もう 1 つ。細馬さんがおっしゃった投射の問題とも絡むことですが、多田道太郎さんが書いてることで、「なんで日本人は物真似が好きなのか」ということにふれた文章があります。日本のテレビってすごく物真似番組が好きですよね。物真似歌合戦とか。それは細馬さんがおっしゃった投射の部分がある。また、それを楽しむときの楽しみ方の文化もある。大衆的な物真似の受容みたいなカルチャーといってもいいものかもしれません。ジェシカさんに聞きたいんだけど、物真似歌合戦みたい

ハネルディスカッション

パネルディスカッション  71

なものは、例えばベルギーとかオランダにはあるんですか?杉本 そんなにないですね。日本みたいなスケールではないです。たまにはありますが、子ども番組とかだと、子どもが物真似するのはかわいいから見る人もいます。でも、普通の大人がやっていたら、なんか微妙にやっぱりアレですよ、おもしろくないというか……。伊藤 テレビ番組のパクリというのはかなりやられている。以前、モザイクでダダダダーっとフィルムを早回しして「これはなんでしょう?」「どこでしょう?」っていう番組が日本でありましたよね。あれ、その後、イタリアでもやっていたんです。回答者はイタリア人なんですが、使っている映像は日本のテレビ番組のものをそのまま。台湾も、日本のバラエティ番組をすごくパクっていて、一時期、日本側が知らないうちに、コンセプトを含めてどんどんまねていた時期がありました。 テレビ番組のパクリは、いろんな形であるんだけれども、形態模写や声帯模写のような物真似番組って、どこでもあるんでしょうか。僕もそれほど国際的に飛び回ってるわけじゃないですけれども、他の国ではあんまり見たり聞いたりしたことがない。物真似の大衆的な楽しみ方っていうのは、もしかしたら日本文化の特徴で、それはさっき細馬さんのおっしゃっていた投射とか同期とかっていうようなことと関係しているようにも思う。さらにいえば、それを楽しむ身体技法みたいなものと絡んでるのかもしれないなと思ったりもしま

した。 そう考えてくると、我々の生活のなかでの真似というか模倣ということと、一方で文化の財としての文化のパクリの問題とともに、細馬さんや僕もちょっとしゃべったように、受け手の側で創造的にパクリながら楽しむような楽しみ方の問題とか、いろんな問題が今日の議論のなかで出てきたと思います。お話を聞いたなかで思いついたことを申し上げたわけですが、なにかの切り口になればと思います。佐藤 ありがとうございました。補足しますと、僕も先ほどちょっとアメリカのコメディアンのジョン・ベルーシの話をしましたけど、ベルーシとかダン・エイクロイドとかあるいはエディ・マーフィ。このあたりの芸人は非常に物真似が達者です。聞いた話では、ああいうコメディ俳優の芸の基本にはやっぱり物真似というのがあるみたいです。ただ、それが日本のように芸として独立するということが、どこまであるのか。伊藤 それ自体を番組のテーマにして、2時間も 3 時間も物真似だけで番組作るってのは、ちょっとないかもしれない……。佐藤 もちろん、物真似っていうか、声色は芸としてはあるでしょうけど、そのアプローチの仕方は違うような気がします。ここで話をこっちにそらすつもりはないので、これは深め(られ)ないですけど…… ドラァグ・クイーンのショーにおける「あて振り」は、一国の文化というんじゃなくて、ゲイ・カルチャーという文化のなかで結構インターナショナルにあるっていう気

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がします。まずは、どうしましょう……。伊藤 山田さんたちにコモンズの話でもうちょっと切り込んでいただいたらと思います。パクリとコモンズということで。山田 はい、文化共有とパクリの問題ですよね。うまくまとめられるかどうか、ちょっと自信がないんですけれども……。文化の共有、あるいは共有の文化っていう言葉についてちょっと考えてみたいんです。よく使いますよね、この文化は人類の共有のものじゃないかと。例えば、歌舞伎がユネスコから承認を受けて世界無形文化遺産になって、歌舞伎は人類共有の文化だ、という言い方がされる。一方で、歌舞伎という芸は市川家とか歌舞伎の家の芸でもあるし、同時に松竹芸能の所有物でもあるわけです。だから、非常に所有権がはっきりしたものなんですけれども、そこに世界文化遺産というユネスコの承認がおりると、「人類共有の」というようなレトリックがかかってくる。そういう、いろんな複雑な構造があるものでして、本当に人類共有の文化なんていうものがあり得るのかという問いを、まずはしなくちゃいけないですね。 その共有という言葉自体がそもそも曲者でして、法律でいう「共有」っていう言葉は、完全な分割請求処分権があるものですよね。例えば、仲のいいカップルが 2人でお金を出し合ってマンションを買って共有にしましょうという。そういって買ったマンションの共有の権利というのは、完全に分割請求ができますので、あとで別れるときに、自分の取り分を請求すること

ができるんです。でも、例えば姫路城が人類共有の文化財だといっても、姫路城の瓦とか土壁を持って帰ることはできませんよね。だから、共有という言葉もいろんな層での意味があるんだけども、そういうことをいっさい消し去ったうえで、ぐちゃぐちゃになって使われているという非常にややこしい言葉なんです。 それで、文化の共有とパクリがどう関連するかというと、おそらく、共有とみなされている文化を所有するグループのようなものが想定されていて、その外部の人たちがその文化にアクセスして、不都合のある利用や改変をした場合に、異議申し立ての手段として使われるのがパクリなのかなと思います。そこで問題になってくるのは、ある文化を所有する集団がどのように自己認識しているかという問題じゃないかと思います。それが例えば地域性であったり、あるいは国民国家であったり、いろんなレベルであるかと思うんですけれども、まずは集団の自己認識から考えていかなくては、共有文化とパクリとの関係を解き明かしていくことはできない。非常に深遠なテーマを含んでおりますので、一言ではいいきれないですね。まとまりなくて、すみません。佐藤 その場合の「共有」は英語でいうと

「シェア」でいいんでしょうか。なぜかといいますと、それが文化概念自体に非常に深く関わっているような気がしまして。スチュアート・ホールにいわせると、文化とは意味の共有である、shared meaning だっていうような言い方をします。共有され

パネルディスカッション  73

ていないものは別の文化に属しているっていうような言い方なんですけれど、そのあたりは……。山田 「共有」の訳語しては「シェア」という場合もあるし、「コモン」の場合もあるので、厳密にいうと、たぶんシェアとコモンは意味が違うでしょうね。でも、日本語にするとどちらも「共有」といってしまうので、また概念混乱がおきているということになろうかと思います。佐藤 増田さん、いかがでしょう?増田 『コモンズと文化』っていう本は、山田さんが 3 年間日文研でされてた共同研究の報告書で、私もその一員として参加してたんですけれども、僕は音楽学あがりですので議論が難しすぎて勉強がついていかず、本が出てはじめて、コモンズ論というものが非常にスリリングな状況や転換を迎えてるっていうことを知った有様です。 そこで、感じたことなんですけれども、今の話とちょっと通じるんですが、私有ではなくて共有、あるいは、コモンズじゃなくて公有であるとかいうように、ある一つのものに対して必ずそれになんらかの形の所有関係がくっついてくる世界観というものが、欧米的な学術の世界では強いのだなあ、という印象を僕は持ったんですね。 今日のシンポジウム全体と関連するのですが、今日のみなさんの話というのは大雑把に言って、所有のメカニズムと類似のメカニズムがどのように交錯しているのかを、それぞれの立場から報告した、と

いうことになろうかと思います。僕のスタンスは、類似関係を所有に還元するのをやめましょう、ということになります。例えばこういう個物ですね、このボールペンでもいいんですけれども、「これは僕のものなんですが」といったような、ある一つのものに必然的な属性として所有関係がくっついてくるという発想を脱却するために、例えばコモンズ論とか、共有とか、そういった理論的な所有概念に関しての議論がなされてきたと思うんですね。 しかし、そもそも本来的に所有の対象にならないものがあるんじゃないか、と思うわけです。例えば細馬さんのお話にあったような、シュノーケルを表わす「ぴゅー」とした手の動き。これ、誰かが所有してるものなのかといったら誰も所有してないわけですよね。これを「共有」というのも、なにか違う気がする。人類共有財産というのとも違う、しぐさや言語といったものは所有に馴染む性質の「もの」ではないんじゃないか。 もしも所有の主体となる文化集団のようなものが想定されれば、例えば正しい日本語のあり方を決める国語審議会のようなものが決定権や管理権を行使することもあるのかもしれない。しかし、杉本さんの忍者の話で指摘されたように、我々日本人から見るとさっぱり訳がわからないのですが、300 人の白人忍者の集団のようなものが出現してしまっている。といいますか、忍者を「所有」する主体は日本にも存在しないわけですよね。ひょっとしたら、秘密結社が本当に 300 人の白人忍者を組

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織し、忍者のイメージを管理し運用しているのかもしれない。あるいは伊賀市とか甲賀市の観光協会の人が、そのような忍者イメージに所有権を主張するのかもしれない。しかし、忍者のイメージはすでに所有関係に馴染まない個物というか、ものというか、そういったものになっていると考えるべきではないだろうか。 そもそも我々の社会には、所有関係に馴染まないものが満ちあふれているわけですが、それが音楽であったり、あるいはさまざまな芸術といわれるような考え方が所有の概念とともに持ち込まれてきた過程で、さまざまなものを所有の相の元に考えることが一般的になっていった。だから、著作権のような仕組みが生まれてきたと思うわけです。 そして、伊藤先生が指摘された「超メタ複製技術時代」といいますか、あらゆるものを複製技術のなかで、僕の言葉でいえば機械的複製の文脈のなかに取り込んでしまう時代になると、文化的な「もの」に所有関係を持ち込むことが一層容易になってしまう。例えば音楽は CD のように「もの」として観念されるし、今日細馬さんに見せていただいた A、B、C の動作であっても、映像として記録されコントロール可能な複製物になったときには、その本人たちが「見せないでくれ」というような意識を持ち得るわけですよね。 我々が現在、このような文化の財産化の論理に飲み込まれているというのは、これまで所有権を設定せずとも用いられてきた文化的な「もの」が、技術的・社会

的な環境変化によって、所有関係の中に取り込まれてしまった帰結なのかなという気がしました。山田 補足をします。所有権という場合は、厳密にいえば、ものに対する所有権なんです。文化的なもの、例えばなにかの表現とか、形のない、触れられないものは所有権の対象にはならないんです、元々。でもそこに擬似的な所有権を与えて産業を保護していこうとして考えられたのが、著作権の歴史なんですね。ですから、文化のように形のない領域でいわれている所有権というのは、あくまでも所有権に似せて観念されている何かの権利だということです。ものに対する所有権と、本当に同じに扱ってはいけないものなんです。とくに、法律の方とお話しをするとそういうことをよく注意されますので、付け加えておきます。佐藤 ただ、音はモノではない、それを、モノ化するものとして、はじめは楽譜という複製技術があって、さらに機械的複製技術として録音が出てきて、パッケージとなっていくわけですよね。たぶん(トーマス・)エディソンの(フォノグラフの)次の世代かな、(エミール・ベルリナーの)グラモフォンとかそのあたり……それは増田さんのとくに詳しいところなんだけど。それから、今それがモノとして存在してしまう。さらにそれがモノだけではなくて、コモディティ、すなわち商品となっている、そのあたりのことですよね。どうなんでしょう、所有できてしまうモノについては?

パネルディスカッション  75

山田 音楽なら、音楽が固定された CD

の所有権ははっきりしてます。CD を買った人のものです。ものとしての文化の所有権ははっきりしてるんですけども、そのなかに入ってる表現の所有権はあくまでも擬似的なもので、それを持ってるのは音楽出版社とかそういうところです。その源泉はもちろん音楽を作った人にあるんです。けれども、契約でもって音楽出版社にその権利を渡して、音楽出版社が表現については権利を持っているっていうような(形です)。増田 そういった、本来であれば時間のなかで消え去っていたものが、あたかも物理的なものと同様の所有権の対象になると観念されるのは、「同じもの」が反復されることに起因します。音楽でいえば、以前は楽譜しか反復されなかったから、楽譜に表し得る楽曲しか擬似所有権、著作権の対象にならなかった。それが、19 世紀末になると録音メディアが出現して、楽譜に表せないサウンドも反復することができるようになる。歌手の同じ声が繰り返し再生されるとなると、その歌手と声との間に擬似的な所有権の観念が発生してしまう。そのような事態が拡大再生産されているのが現代の状況だと思います。 その点でおもしろかったのが細馬さんの指摘で、「パクリ」に気がつくとき、音楽はそもそも時間的に進行していく現象なのに、それをテクスト性の水準、時間を捨象して作品化された水準に変換して類似を判断している、という指摘が僕には「なるほど」と思えてちょっとドキッとしたん

です。そのあたりについて、細馬さんのお考えをもう少し伺えればと思います。細馬 コピー & ペーストと、実際に自分の手で写したり書いたりすることの差はどこに出るかというと、たぶん字体とか手癖なんですね。例えば、レポートを提出してもらったときに、学生さんの字体がおもしろいと感じることがあります。もちろん、字体だけで単位をあげたりはしませんけれども、ワードでちょいとコピペして提出してきた子と、手書きで写してきた子との間には、僕は心情的な差を感じるんです。手書きで写してきた子の、のたくった字とか、時間がないであろうものすごく急ぎ足で書いてるのを見ると、そこにはやっぱりその人が書いた時間というものを感じられる。それは単位には表れないけど、決して無駄な行為ではない感じがするんです。 僕らはどうも評価とか、作品の同一性というものを気にしすぎるあまり、今いったような現象、とくに、人間が何かを自分の身体を使ってなぞろうとしたときに、その人の身体が、別に清志郎ほどユニークでなかったとしても、どうしてもまとってしまう残余を無視しがちです。が、オリジナルにない何か余ったものがもれちゃうという現象が、僕にはものすごくおもしろい。そこが僕らが何かに似ようとするときのキーだと思うんです。何かに似せようとしている人を見て僕たちがおもしろがるのも、実はそういう、もれてくる部分なんですよね。仮に美川憲一を完璧に真似する物真似芸人がこの世に現われたとしても、僕たちは彼をきっと楽しめないだろう。そう

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じゃなくて、「いや、いくらなんでもそこまで左右の口がひん曲がってはいないだろう」っていうぐらい口をひん曲げるコロッケという芸人を、僕たちは逆に評価したりするわけです。オリジナルに似ようとしての結果、自分の身体が漏れちゃって似てない部分をもらしちゃう、ということが肝(きも)だと思うんです。パクリの言説にはそういうことがどうも出て来なくて、そこに僕は違和感を感じるんですが…答えになってますかね……。佐藤 のたくったような字のレポートを読むのは結構つらいんですが、そこの身体性、字というものがまさに痕跡、書いた人間の身体の運動の痕跡であり、そこにはそれを書いた労働時間のようなものが反映されている。そういったところに、おそらく模倣なのだけれど、模倣以外の何かっていうものが生まれてくる。細馬 手書きの楽しさを書いてこい、ってレポートならいい点がとれるんでしょうけどね(笑)。でもほとんどのレポートでは、コンテンツを求められてるからね。じゃ、我々教員がコンテンツを学生に求め続けるということは果たして長い目で見ていいことなのかどうか、なんてことも考えちゃいますね。増田 昨年、非常勤先の大学の授業のレポート課題で、「完全パクリレポート」を作ってこいという課題を出しました。著作権法上の問題がありますので、レポートは公開できず読者は僕一人だけなんですけど、これがとても面白いんです。 ヒップホップの発想、リミックスの発想

のようなものは、創作的な労働を節約するために行われるパクリではあるんですが、この種の音楽については、その組み合わせ方「パクるやり方」に個性が現われる、といった評価がなされますよね。サンプリングは音楽に関してはある程度ポジティブに評価されることもあるのに、大学教員である我々が学生のレポートには何かオリジナルな意見だけを求めてしまう、ということの間にはどのようなメカニズムが働いているんだろうか。それは人間の思考感情を表すメディアとしての文字言語の特権性であるとか、我々が文化のなかで文字言語に付与している重要性だとか、そういったこととも関係するのだろうと思う。ただ、そのように学生に文章のリミックスをさせてみると、みんな下手くそなんですね。統一性のある文章をリミックスだけで作るのはなかなか難しい。ですけど、人の文章のリミックスをさせた上で、その過程の感想を書けというと、非常に生き生きとした「オリジナル」な言葉がほとばしり出てくる。修行のように何かを強制的に真似をさせるというか、パクらせることは、それに納まりきれないオリジナルな思考活動を活性化するようなかたちで教育的な効果があるのかもなあ、と思いました。佐藤 昔の学問の修行みたいな感じがせんでもないんだけど。杉本ジェシカさんは、さっきの陰謀論とかの話で、体をもって忍者になる─まあ、忍者ってもしかしたらなりやすいっていうのがあるかもしれませんけどね、子どもでもこうしてすぐなるわけですけれども─というのは、どの程

パネルディスカッション  77

度「なって」いるんですかね、実際は……杉本 実際の忍者?佐藤 忍者になりたい、なりきり忍者っていうのは……。杉本 結構いるでしょうが、「なる」といいきるような人はそれをいえる場がなくなってきてるんですよね。それを受け止める人がどんどんといなくなっています。 さっきの身体、ジェスチャーの模倣に話を戻すと、私が興味があるのは、ジェスチャーに伴う言葉ですね。ランゲージとして、人と長く話すとその人の言葉とかイントネーション、なまりとかも模倣してしまうんですよね、無意識的に。しかし、真似してるということに相手が気づいたら、差別的として解釈する(されてしまうということもあります)。実は物真似をするとき、スタンドアップ・コメディアンでも、海外ではその人をバカにするために物真似をしてるんです。悪意があるというか、本当にバッシングしようと思って物真似してるということもあるので、それはやっぱり無意識的に模倣してるのに、あとで大変なことになるようなこととかも、おもしろいなと思います。伊藤 ジェシカさんの話であまり中心的なテーマにされなかったんですけども、人種的なパロディみたいなものが、忍者との絡みのなかで出てきた。オリエンタリズムみたいな話と重ねて語られていたと思います。ここから思い出したのですが、ポピュラーカルチャーのなかのある種のナショナルイメージみたいなものをどう考えるかっていうのも、これからのテーマになって

くると思うんです。今、『ヘタリア』がすごく人気ですよね。ところが不思議なことに、この話題について新聞はほとんど書かない。テレビでチラッと話題にされたけれど、実際は 100 万部以上売れていて大きなブームになっているにもかかわらず、メデイア的には注目されていない状況にある。人種パロディであることに対する忌避感があるのか、なんかよくわからないですけれども。『ヘタリア』ってすごくよくできてると思う。僕はイタリアの研究をやってるので、あるイタリア関係のシンポでこの話をしたら、イタリアの留学生のなかに

「我々はあんなじゃない」っていって怒っていた人がいた。ただ、けっこうよくできている。いわゆる「学者」がイタリアのイメージをまとめるときにやってきた構図とかなり重なっているし、ドイツのイメージもけっこう国民性論などでは強調されている点をうまくまとめている。たぶん、すごく勉強したうえで描いてるパロディなんですよね。それが差別に繋がったら大きな問題だと思うけれど、ステレオタイプを作り上げて、それをうまく操作しながら作るストーリーみたいな部分の楽しみ方は、さっきの物真似の楽しみ方みたいなものと近いわけです。よく読むと、相当高度な内容を持った作品だと思う。もちろん、人種的なステレオタイプというか、民族的なステレオタイプという部分はあるんだけれど。あれをどう解釈するかなんていうのはけっこう面白いポピュラーカルチャー研究になると思う。ちょっとパクリの話とはずれるかもしれないけど、ジェシカさんの話を聞

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いて感じたところです。『ヘタリア』読んでます?佐藤 このないだその話を杉本さんは発表されています(第 8 回ポピュラーカルチャー研究会)。僕はあのとき聞けなかったので、またその話も聞きたいです。ここでもさきほどから何回も出ている権力関係の問題というのが当然出てきて、例えば……さっきから「サタデー・ナイト・ライブ」の話ばっかりで申し訳ないですけれど、昔のテレビ番組です。リチャード・プライアっていう黒人のコメディアン、アフリカン・アメリカンのコメディアンとエディ・マーフィ、2 人とも非常にうまく白人の真似をするんですね。すごく(うまく)白人の真似をする。そういうのは比較的許されちゃうけれど、そこで(もし)白人が黒人の真似をしたとしたら……。昔はよくやってましたよね(しかし今は許されないだろう)。ミンストレル・ショーもその一例でしょうが。そういうところも絡んでくる。そういう権力の問題も絡めながら『ヘタリア』に対してコメントを。メチャ振りですいません。杉本 『ヘタリア』で一番怒ってるのは韓国の方ですね。ちょっとやばいように解釈できるような描写があって、それで非常に怒ってます。ドイツ人も結構やっぱり受け入れられないですよね。そもそも第二次大戦の時代の国の関係を、大量虐殺をかわいく描いてるというところが受け入れられない理由でしょう。国を人間に模して描いてるし、しかも美少年みたいに外見の善し悪しで表現している。そこがまた許さ

れないところですね。この前、事件になったのは、コスプレ大会でヘタリアのファンがドイツの格好をしてたことです。ナチ・ドイツの格好をした人が何人かいて、ナチの腕輪みたいなものつけて、おまけに写真撮影会のときに、右手でこんなことをやって、だいぶ問題作品になってますね。佐藤 僕もチラッとしか読んでないですけど、時代が三国同盟、枢軸国=アクシスと、あれの時代というところなんでしょうけれど。 さて、みなさんどうでしょうか。伊藤 話題をパクリの方に戻します。さきほどの議論で、山田さんにしても増田さんにしても、やはり文化が商品になるなかでのある種のパクリに対する規制という議論がやはりあったと思うんですね。それは、山田さんの議論のなかで政治的っていうような形で語られた。ここでいう「政治的」っていうのは、どういう意味合いなんですか? わかるようでわからないんですが……。山田 それは意外にはっきりしてまして、小泉政権下で行われていた知財立国政策です。日本は知財、とくに特許や著作権を強く保護して、それで産業を育成して国際社会で立場を築いていくんだという明確な戦略を打ち出して動いてきたわけです。今もその流れが続いている。その転換がはっきり起きたのは 2000 年代になってからです。伊藤 2006 年まで小泉政権ですね。山田 2000 年代前半に非常に知財の政治化が進んだ、小泉政権下で。

パネルディスカッション  79

佐藤 ちょっと前まで日本は知的財産っていう概念がないとか、そういうふうな日本人論みたいな感じでよくいわれたのが、考えたら急激に転換するわけですよね。山田 そうなんです。それはどこの国もそういう歴史を持っておりまして、アメリカもそうですよね。19 世紀は海賊版天国だったのが、産業が力をつけ科学技術が発展するにしたがって、知財国家になっていったわけです。日本もそれを後追いするような格好ですし、いずれ中国もそうなってくるでしょう。中国は今は海賊版天国といわれてても、遅かれ早かれ、知財の厳しい国になっていくんじゃないでしょうか。増田 そのような知財法制度の強化についてですが、著作権の場合はベルヌ条約という国際条約に縛られているので、それを当該社会の状況に応じてダウングレードすることが国際法上難しいという問題がある。よく著作権法の議論で言われることですが、例えばフランスの著作権法にはパロディ条項があって、パロディ作品に関しては著作権侵害を問わない。つまり、パロディ作品が社会のなかにもたらしてきたポジティヴな影響を社会の側が認識し、法制度化してきた歴史があるわけですよね。表現を規制する法律、表現を所有関係に服させる法律と、表現の社会的機能の間での緊張関係を踏まえたうえで法律ができてきているわけです。 一方で日本では、表現に関する法制度が文化の実態をあまり反映しないかたちで「国際条約はこうなっているから」と上から降ってくる形で定められてきたきらい

がある。日本の著作権史をみていくと、例えば浪花節は芸術ではないから著作物ではない、そのレコードの無断複製は法に触れない、といった判決が出たりしている。西洋的な文化表現のあり方を反映した法が、それとは異なる日本社会の実情とあまり関係なく定められていく傾向が強い。そのように考えると、小泉政権以降の知財強化の政策も、そのような「外圧」のバリエーションなのではないかと思うのですね。アメリカだと、政府はコピーライト強化政策を進めるわけですけれど、例えばローレンス・レッシグのような人や、クリエイティヴ・コモンズのような運動がそれに対するカウンターとして現れてくる。日本でもそのような人が出てこないわけではないですけれども、「著作権法は国際的にはこうなっている」などと言われると、知財法制度を自分の社会にあったかたちに変えていくべきものとして考えるのが難しい気はしますよね。佐藤 そのあたりのことを質問というか、論旨と合うかどうかわからないけれども……。僕は、写真の歴史をやってるんですが、写真論や写真史の授業で、いわゆる「スナップショット系の写真家たち」という言い方をよく用います。アンリ・カルティエ=ブレッソンや、森山大道です。そのときに学生さんから「こんなに人の顔を撮って作品にして大丈夫なんですか?」っていう反応がすごくよく返ってきます。僕らの(学生だった)ときは、そういうことを考えたことはそれほどなかったわけなんですよね。今はテレビを見ていても、一般

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人にはよくぼかしをかけますね。その転換期と同じぐらいなんですか? つまり、人の顔、所有する対象として、財としての人の顔なのかな?山田 肖像権の問題は、もうしばらく前からくすぶってますけれども、プライバシーとか、あるいは個人情報の問題がセンシティブになってきてから、だいぶ過敏になってるような気がしますね。その場にその人がいたということも個人情報だという考え方ができてきていますから。伊藤 たしか、山田さんにも話していただいたんだけど、2 年前に京都造形大で、ビジュアルイメージのアーカイブの議論をしたとき、NHK はニュースフィルムを個人が映ってるのでオープンにしてないんですが、フランスのニュースフィルムのアーカイブは、ニュースフィルムに関してはいっぺん公開したものであるから、個人の顔が映ってても OK だみたいな議論がありました。おっしゃるように個人情報保護法の流れのなかで、肖像権というか個人情報についての異様に神経質な態度が、2000 年代の日本社会に広がってきたのは事実だと思います。他方で、さきほどからいわれているように、例えば韓国は日本のマンガをかなりパクってましたよね、70年代、80 年代ぐらいまでは。それは文化鎖国をしながらパクってたわけだし、台湾もすごく、さきほどいったように、テレビ番組も含めてパクっていた。それについて日本は何もいわなかったわけですよね。実際、日本が気がつく前に、すでに文化的なオリジナリティがある種の経済財にな

るという経済の仕組みが 20 世紀の後半ぐらいからかなり本格化していった。そのなかで、さきほどからいわれてるように、「文化的オリジナリティが財となって、それが所有権を持つものだ」という議論に対する批判的な視点というか、それをずらすような視点が、残念ながら我々のなかに作られてないということはあるんじゃないかなと思うんです。そのへんはどうですかね?増田 日本では、文化が「財」になるというとき、その財物のイメージがすごく貧相なんですよね。知的財産を物的財の経済的構造の延長線上で捉えてしまう。こんにちの文化産業が利益をあげるシステムはもっと複合化していて、文化を売ってその対価を得る、といったような単純な仕組みでは動いていない。例えば広告一つとってもそうです。広告という文化的表現を無料で視聴させることによって、むしろ商品の宣伝効果を上げ、別の回路から収益を得る。タイアップソングの仕組みがそうです。 顕著な例では、岡本真夜の話をちょっとしますと、岡本真夜の曲がパクられたニュースが報じられた後、発売予定だった彼女のベスト盤が急遽発売延期になりました。なぜかというと、パクられた曲を収録して改めてリリースするために、既にプレスしていた CD を廃棄することにしたからです。つまり、パクられて話題になった曲を収録した方が売れるだろう、と判断したわけです。曲が「パクられた」ということは、財としての文化表現が「盗まれた」わけですよね。しかし岡本真夜は「盗

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まれて」話題になったおかげで、より多くの財(=利益)を得る機会を得たわけです。たぶんスタッフは「よくぞパクってくれた」とウハウハだったと思いますよ。ホームページでマネージャーがこの件について事情を記してましたけど、こころなしか筆致が踊っている感じがしました。 ある文化的制作物はそれ自体が消費者に対して物的財として売るためにある、といった知的財産観みたいなものに、少なくとも日本の知的財産制度をめぐる政策が捉われすぎている感じは否めないですよね。ですから、もしそういった知財制度への対抗運動を行うとするならば、そのような古い観点を直接批判するのではなくて

「もっとええ儲け話ありまっせ」といった方向に誘導していくのが一番いいのかなという気がします。伊藤 今『フリー』っていう本がすごく売れてるじゃないですか。あれはまさにそういう話ですよね。フリーの提供が、直接的に利益は生まないようにみえるけど、間接的というか媒介的に逆に利益を生んでしまうようなメカニズムが生じてるわけです。そういった視点もないまま、単純な規制の枠のなかで著作権の動きが、日本の場合は妙な形で形成されつつある。増田 僕個人の考えでは、なぜそんなふうに文化的作品を物的財として単純に把握する観点が優位になるかというと、日本の場合、おそらくオリジナリティ幻想みたいなものが内発的にではなく、外から金科玉条のような最新思想としてやってきたために、その原則の社会的機能をあまり考

えることなく原理主義的に忠実に固守する傾向があって、オリジナルであることはいいことだ、という観念だけが不自由な形で伝統的に守られてしまうことからくるのかなという気がします。伊藤 それはそうだね……。佐藤 そろそろ、研究員および、研究員でない方も、発言していただいて結構です。みなさまからご質問とかご感想、あるいは問題提起でも結構ですのでしていただきたいと思います。挙手のうえ、所属とお名前、誰に対する質問かということをおっしゃっていただきたいと思います。安田昌弘 今日はおもしろい、興味深いお話を聞かせていただきありがとうございました。精華大の人文学部の安田と申します。ポピュラーカルチャー研究会の研究員でもあります。2 つほどありまして、一休さんの頓知みたいな質問なんですけど……。今回のテーマは「パクリ」ですけど、ディスカッションを聞いてるなかで動詞形の「パクる」という言葉が何回か出てきたので、「パクるっていえば」と思って、今辞書を引いてみたんです。パクるって元々犯人を逮捕するっていうような俗語の使い方があって、語彙の変遷的な観点から、今みなさんがおっしゃってたようなパクるっていうような意味になった。逆に(警察が)「人をパクる」っていう使い方は、今も通用してるのかどうかっていうのが 1 点。もう 1 つは、細馬先生に質問です。発表をお聞きしておりまして、おっしゃってることは、音楽と文化のジャンルっていう観念と非常に関連があるんじゃな

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いかと(思いました)。受け手の方に蓄積されたなんらかのパターンみたいなものに対して、それに微妙な差異をかけることによって、あるジャンルのなかに入っているか入ってないかっていう判断を受け手がしたり、あるいは作り手はそういうのを考えながら作品を作って提供したりしてるっていうようなことがあると思うんですね。もし、そういったことにも関連づけて何かコメントをいただけたらと思います。増田 『日本国語大辞典』(小学館)によりますと、「パクリ」という言葉は、口を大きく開ける様という江戸時代の用法から転用されて「盗むこと」を指す用法が、おそらく明治、大正あたりに、不良の隠語として始まった、とあります。で、「人をパクる」はそれの転用じゃないかと思います。時期については詳細に調べてないんですけれども、いずれにせよ不良の隠語的に

「パクったらパクられた」とか、そんな感じで用いられていったのかなと想像しています。細馬 難しい問題ですね。僕らが何かと何かを比べて「似てる」っていうとき、何と何を並べるかっていうのはすごい大きな問題だと思うんですよね。 唐突ですが、パクリの問題と似た問題に、「ジャンル」の問題があると思ってるんです。 概してミュージシャンには、ジャンルが限定されることにとってもセンシティブな人が多いように思います。「私はそんなジャンルではない」と、例えば「おれの音は

「ロックンロール」と呼ばれるべきだ」と

か「フォークではない」とかいわれますね。なぜ、特定の分野と結びつけて呼ばれることに一喜一憂してしまうのか。それは、音楽というのが、作り手とその先達との関係によって感じ取られる芸術だからなんじゃないでしょうか。音楽による表現というのは、先行する何かに似てしまう。作り手は、ずっと聞いてきた何かにとても影響を受けてる。ただ、作り手は、そうした影響を必ずしも自分で意識的に捉えてるわけではない。だから、影響を受けたかどうかという問題とは別に、自分の音楽はこれと比べるとこう聞こえる、この分野の他の音楽と比べて聞いて欲しいという、音楽家なりの、ぼんやりとしたモデルがあるんじゃないでしょうかね。だから、ある音楽と比べられたときはすごい喜ぶけど、ある音楽と比べられると、たとえ聞き手からするとすごく似て聞こえたとしても、すごくいやがられる。そこらが今の議論の取っかかりかなと思います。 音楽家があえて「パクる」ときは、音楽家はオリジナルにエッジをきかせて、「これはわざとやってるな」っていうのを聞き手にわかるように表明する。でも、ジャンルの命名というのは、音楽家の仕事ではない。坂本龍一氏が YMO 時代に自分たちのジャンルを「テクノ」と名乗ったりしたのはむしろ稀なケースで、たいていは音盤屋さん、レコード屋さんとか CD ショップとかオンラインショップの人たちが、「これと似てるよね」「このへんだよね」っていうふうに決める問題ですよね。ミュージシャンはそのつもりはないのに、リスナー

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から「それ、あれのパクリちゃうか」っていわれたらものすごい激怒するっていうこととたぶん似たような構造がそこでおこってる気がしますね。 僕らはたぶん、いろんな音楽に影響を受けたり、無意識のうちにパクるけども、それを全部意識的にはできない。自分が参照しているものを意識的に記号化して、

「あれとあれとあれを俺は組み合わせた結果、ここにたどりついた」、っていうふうにミュージシャンは考えてなくて、むしろ無意識のうちに、もうほんとこんな感じで気がついたらやってる。ただ、気がついたらやってることを「あれと似てるやろ」といわれたらすごい怒る。そんな問題がジャンルとかパクリの背後に潜んでいるような気がします。佐藤 今聞いてて思い出したのが、美術史でいう様式の問題とすごい似ているなと。要するに、あとから見て、例えばある一群の作品のなかで似ているもの、共通しているものを抽出して、それをスタイル、例えば「時代様式」であるというふうに見い出す。それも(事後的に)受け手側から見い出すものであるということです。ただ、ミュージシャン側がむしろその様式に入っていくということも当然あるわけですよね。そういうのが非常に多いのが例えばロック。「僕はロックなんだ。ロックンロールなんだ」っていうの、すごくありますよ。そのあたりも含めて、安田先生、今の答えでいいですか?安田 僕はよく、言いやすいんで使ってるんですけど、「名指し」と「名乗り」って

いうのがあるんです。人から名指されて、いわばレッテルをつけられてしまって、それに対して非常に違和感があるというのがある、と同時に、そういうのを嫌ってたはずの人が、別の瞬間には自分からこう

「自分はこうだ」って名乗ってるようなことがあるので、今のお話は、そういうことなのなかと思いました。 ジャンルのお話は……、僕のイメージとして、送り手と受け手という図式を考えたときに、その間で共有されている知識なり身体感覚なりそういったものの蓄積があって、たぶんそれをまったくそのとおりに反復してしまうと、別の曲、別の作品にはなれない。だけど、大幅にそれを踏み外してしまう、あるいは、そのジャンルの文法みたいなものからはずれてしまうと、作品としてまた認識されなくなる。そのへんの感じが、細馬先生のお話を聞いてて、ちょっと関係あるのかなと思ってます。ありがとうございました。佐藤 他にどなたか、聞いてみたいことがありますか。宮川篤郎 一般の者で宮川と申します。よろしくお願いします。最初に、伊藤先生の基調講演でありましたように、「パクリ」っていうのがなぜ今ここで問題にされてるかっていうのは、デジタル時代になって、デジタルの情報がそのままコピーできるようになったことが、今、パクリっていうテーマで話をする大きな意味のひとつだと個人的には思うんです。パクリっていう言葉にはやっぱり否定的なイメージ、否定的な意味合いが強いんですけれども、否定

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的な面があるからこそ、逆に肯定的な面、可能性っていうのもこれからたくさんあると思うんです。その可能性というのを、それぞれみなさんの立場から、どういう可能性があって、その理由はどういうところにあるのかということを教えていただければと思います。伊藤 僕は基本的にさきほど申し上げたように、商品化された財としてのオリジナリティっていうような議論じゃなくて、これは細馬さんの話でもそうかもしれないんですけども、もうちょっと受け手の側からある種の再領有というか、再活用といった問題を考えてみたいと考えています。手に入れた素材を、商品化された素材としてそのまま受容するというより、それを自分なりに処理して楽しむというか享受する仕方はもっと開かれてもいいんじゃないかというふうに思います。それがパクリという言葉で制限されてしまうなら、それは問題だと思う。そういうつもりで今日はお話したつもりです。細馬 誰かの真似をするときにもっとも効果的なのは、一番簡単な記号を真似することですね。さっきジェシカさんの話にもあったけど、ハーケンクロイツをここにつけて「ハイル」ってやると一番簡単にヒトラーやナチズムのイメージをなぞることができる。でも、そういう真似って、身体を使ってはいるものの、どちらかというと、身体の微細な構造よりも「ハイル」っていう記号の方に注意を向けようとしてるように思います。そして記号化されてるから誰でもできてしまう。記号はおそろしい

ですね。記号を身体がまとったときにどんなに禍々しいことがおこるか。たぶん、彼らが本当にドイツのヒットラー映画とかを見て、そこでおこってることが我が身におこったらどうなるだろう、それをなぞったらどうなるだろう、というとこまで掘り下げていったときに、ほんとに同じような表現をするだろうか。たぶんしないと思いますね。 一方で、いかにも記号的な身体を忌避するという動きもある。日本で突出して物真似文化が盛んになったのはここ 20 年ぐらいだと僕は思うんですけど、とくに最近、どうでもいい身体的なディティールに異様にこだわる人々、いわゆる「細かすぎるモノマネ」をする人が増えてきたように思います。それはたとえば、スタンドアップ・コメディの真似とはだいぶ違う。スタンドアップ・コメディには、もう一発でわかるステレオタイプっていうのを見事に抽出して、そこを真似ていく傾向がある。一方、日本のは、どうでもいい、細かすぎる物真似を志向していく。どちらが正しいということはないんですが、興味深い傾向ですね。杉本 時代とインターネットでパクリといえば、さっき発表でもいったんですが、インターネット上は誰でも簡単に忍者になれて、しかし逆に、簡単に忍者じゃないということもばれやすくなっています。いろんなインターネット上のコンテンツがパクリやすくなったんですけど、それを警察が捜そうとしたら、すぐそれはバレます。そこは少し前までの「昔」と違います。あ

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と、気がついたら自分のコンテンツがパクられていて、もしくはどこかのアーカイブに勝手に入ってしまっていることもあるんですよね。自分がインターネットで使うソーシャルネットワークとか、フェースブックというウェブサイトとかは、裏でいろいろ個人情報を勝手に使われていることが今は英語圏で問題になっています。自分の個人情報をあちこちに売りさばいてるんじゃないかとユーザーが心配しています。グーグルは広告でねらってくるとか。あとは今ツイッターですね。アメリカの議会図書館が全ての公開アカウントのメッセージ(ロックをかけられてないツイート)を、アーカイブに保存をしてしまうことを知らずにいい加減に入力したものがどこかで永久保存されてる。それもある意味でのパクリじゃないかなとは思いますよね。山田 パクリの可能性ということですけれども、私は 2 つの側面から考えたいと思います。まずは、文化を経済財としていた場合のパクリの可能性という面では、可能性といえるものは、市場の創生効果と拡大効果、市場を創り拡大させる効果がある。とくにこれは国境を越えて文化がパクられる場合に非常によくおこる現象で、勝手に真似されることによって全然マーケティング・プロモーションをしてないような国にマーケットができてしまう。これは経済的な面から見ても、元の権利者にとっても、非常にある意味でありがたいパクリ方ですよね。決して悪い面ばかりじゃなくて、経済的な側面からみたら、パクリにもいいこともある。それが経済的な側面で

すね。 もう 1 つは、人間的な営みとしてのパクリの可能性です。これは、私は自己発見に繋がると思うんですよ。忍者の例が出てるから発表しますけど、私は子どもの頃

「仮面の忍者赤影」にはまってまして、赤影になりたかったんですね。仮面を自分で作って真似してたんですけども、やっぱり自分は空を飛べないということに気がついて、これも自己発見ですね。で、忍者にはなれないと思って、違う道を歩み始めたわけです。これは極端な例かもしれませんけども、何かに憧れて真似しようとしてみて、やっぱりなりきれない部分というところに、自分の生きるべき道とかオリジナリティみたいなことを見つけるのに繋がっていくだろうと、私は思っております。増田 パクリという行為といいますか、「パクリ」という言葉に限定していいますけど、僕は「パクリ」という言葉はどちらかというとかなり嫌いです。90 年前後に「パクリ」という言葉がジャーナリズムに露出してきたとき、「どうだ、真似することを経済的な盗みになぞらえる俺って賢いだろう」といったような、賢しらな文体が非常に鼻につくところがありまして、僕は自分以外の人が自分より賢しらにしてるのがとても嫌いな心の狭い男ですので、「パクリ」という言葉をできるだけ使わずに済ませようキャンペーンを、個人的にやっているところがあります。 今日、機械的複製と人為的模倣という話をしました。例えばインターネットのような技術が普及してくると、こういうディ

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スクール、普段しゃべってることというのは、ツイッターなどでは具体的に文字データとして複製可能になるわけですけど、管理可能、操作可能な、今の杉本さんの話じゃないけれどもある種、財物に似たようなものとして盗むことが可能だ、という感覚が我々には非常に濃厚になってくる。でもそれは機械的複製ですよね。JPEG の画像なんかをパクってきたりすることを、我々は日常的にやっているわけです。それとは区別して人為的な模倣は、これからは「パクリ」ではなく「猿真似」と呼ぼう、元に戻して日本語は正しく使おう、というのが僕の個人的な希望でございます。佐藤 ありがとうございます。今の質問でちょうどこれで終わりのまとめになりそうですけど、みなさんも質問もございますでしょうし。他にないでしょうか?イム・ヘジョン 精華大学の博士課程のイム・ヘジョンと申します。マンガを専攻しています。マンガも描きながらマンガ研究をしています。パクリの話はすごく興味深い話でした。「パクリ」と聞いたら、作家としては、オリジナリティとは反対の言葉として捉えてしまいますが、一般人が考える「パクリ」はちょっと違うのではないでしょうか。私は両方の立場から話したいです。 カートゥーンの分野にも、様々な公募展がありますが、その中で一例をあげて話をします。某国際マンガ公募展で、ある年、テーマに沿った作品を公募しましたが、アイディアがまったく同じように見える作品が別々の国の作家から出てきたことがあ

りました。作品を見ただけなら「パ クリ」のように見えます。しかし、その人たちは国も全然違うし、テーマのある大会でのことなので、「パクリ」でないのは明らかなのですが、それにしても、見る側としてはパクリのように見えます。 それで、私は、「パクリ」を法律的に正確に裁くことができるのかという問題点に関してお尋ねしたいのです。増田先生や山田先生の音楽の世界でのお話で、音楽を聞かせていただいたうえで、「これはパクリと判明しました」とか「これはパクリにならない」と話されたのですが、私は率直に言って、その音楽を聴いた だけでは、

「どこがパクリか?」と思うほどよくわかりませんでした。パクリに関して、こんなに盛んに、話をするようになったのは、結局、商品化、産業的な面での利益に絡んでおこった問題じゃないかなと思います。一般人が「あれはパクリじゃない」と受け入れたら、それを専門的に分析した結果パクリと判明しても、それが 確かなのかと思います。例えば、商品のキャラクターで「キティちゃん」がありますが、あのキャラクターに似た商品が出ていたときに、法律的にそれがキティちゃんを真似したということを、どこを基準にして判明するかは難しいです。すごく単純化されたキャラクターの場合は、誰が描いても似ているところは出てきます。法律 的に、そうであることと、そうじゃないことを判断することは難しいのではないかと思います。また、なぜ「キティちゃん」を真似して商品化するかと考えたら、そこには、ブランド

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性も関わっています。「キティちゃん」の真似をした、「パクリ」をした、と誰でもが納得し、罪になるまで言おうと思ったら、例えば、キティちゃんを、キディちゃんとか、似ている発音で……。佐藤 もう少し、質問をまとめていただけますか。イム・ヘジョン はい。法律的にこれをパクリと解釈することは、どんなふうにできるのか。そもそも、できるのかどうか。山田先生にお聞きしたいです、法律的にできるものなのか。山田 ご質問ありがとうございます。法律は、パクリかパクリでないかの判定基準は、示してるともいえるし、示してないともいえますね。それは裁判官がすることです。著作権法の場合は、著作権侵害かどうかの判定の基準として、まずはどれだけ似てるかっていう類似の問題と、もう 1つ大きなのは、増田さんの話にもありましたが、元作品にアクセスし得たかどうかということなんですね。似てる程度とアクセスの可能性、2 つの観点からなされます。いくら似ていたって、元作品にどう考えてもアクセスしようがなかったと判断されれば、それは偶然の一致であって法律的には著作権の侵害にはなりません。 それと、あるものとあるものが似てるかどうかの判定の方法としては、こんなのがありますね。意匠権の方で─意匠っていうのはデザインです─、今もまだ使われてるのかどうかはわかりませんけど、昔の意匠権の教科書によるとこんなことが書いてあります。ある意匠とある意匠が似

てるか似てないかの判定方法として、2 つの意匠の図面を並べて30秒くらいみつめ、次に目をつぶっている間に左右の図面を入れかえて、目を開いたときに違いを指摘できるかどうか。そういうチェックの方法があるというのが、60 年代の本に出ています。 特許庁の意匠の登録をする部門では、デザインの類似度を鑑定する方法を持っていると思います。佐藤 法律的な問題で聞きたいのか、あるいは倫理的な問題として聞きたいのか、それによって答えは変わると思いますが、今のお答えでよかったでしょうか? では次の方どうぞ。前川修 神戸大学の前川です。さきほど伊藤先生が、商品化された財として、文化的なオリジナリティが経済化されていくという流れ、それに対する対抗的な運動、あるいは再領有化しようとする試みがいまだ少ないということをおっしゃられました。他方で増田さんは、そうした知的財の捉え方は、物的財というものをベースに考えてしまうから、あまりにもシンプルすぎるのではないか、もうちょっとそれを複雑なものとして考えてみるべきではないかというふうなご意見だったと思います。私はそのあとの 2 人のご意見の関係をぜひおうかがいしたい。おふた方の論点はまったくずれていくのか、それとも、絡み合っていくのか、これがまずおうかがいしたいポイントです。 もう 1 つは、細馬さんにおうかがいしたいのですが、今日のお話ですと、身体の

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痕跡とか時間のなかで身体が経るプロセスっていうものがあり、そこで類似における差異が必然的に生み出されるという議論と、私なりに理解しました。ですが、機械的複製技術と呼ばれるものの外部として身体をおくことはそんなに容易なことではない。私たちは技術を常に用いている。インターネットでもデジタルカメラでもいいんですが、身体と技術というのは不可避的に絡み合ってますよね。だから、人為的模倣と機械的模倣というものは、そんなに明瞭に区別できるものではないのではないか。現に今みなさんマイクを使ってますよね。そういう技術と身体が交わる、交錯するということについて、細馬さん、もし何かご意見がありましたらお願いいたします。伊藤 おっしゃるように、商品化された文化をめぐって、それが金儲けの手段として拡大していくという動きに対しての批判的な視点だけでなく、さきほどからいっているように、作品を例えば加工したり再創造したりしながら享受する動きについての活動やそれについての議論がもっとあってもいいと思います。付け加えれば、基調報告では、それを集団として担うような動きへの期待についてしゃべったわけです。ただ現状では、増田さんがおっしゃったように、規制があることで、結果的に、再流用する活動自体が抑制されてしまってる。そういう意味では増田さんのおっしゃるような知財の捉え方の、単純でシンプルで強権的なイメージっていうものを切り崩すっていうことと、商品化された文化を

変形したり加工したりしながら享受するっていう動きは、ある面で繋がってる。もっというと、それを集団的営為で切り返すということになればさらに効果的だと思う。増田 僕は伊藤先生とは違いましてアジ演説やビラ配りの経験はございませんので、政治闘争のように社会を変えよう、といった行動についてのスタンスが根本的になってないと自分では思うんですが、著作権制度の現状であるとか、知的財産法の今後に関する議論はこんにちたくさん起きているし、それについての改革運動も日本にないわけでない。MIAU(一般社団法人インターネットユーザー協会)のような、具体的な制度改革を目指す団体もすでに存在している。けれども、知的財産に関する社会的な文脈は構造的にリジッドになりすぎてて、うまく対抗運動が行いにくくなっているというのが現状の判断です。たぶん、3 つぐらいの次元があって、1 つは法律・政治の次元、もう 1 つが論壇というか言論の次元、あとは実力行使の次元と、具体的な社会運動が展開されうる水準が 3 つくらいあるように思う。ただ、僕はなんともぬるいので、情報化社会での文化の管理への対抗運動というのは、ラッダイト運動のような直接武力行使のかたちではできないな、と思ってしまうところがある。それよりも、ファイルを無断で流すとか、こっそりね。あるいは遵法闘争的に、法的にはひっかかってないんだけど……みたいなことをいろいろと考える知能犯というか、そういったものが高度情報化社会の社会運動なのかな、といったイメー

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ジを持ってて、それはたぶん do-it-yourself

じゃないですけど、与えられた環境のなかで違ったフェーズで、その時代時代に有効な戦術を考えていくべきではないかと考えてまして、そんなに伊藤先生とは食い違わないかなと。伊藤 僕はもう歳なので、あまりラディカルな形で体は動きません。遵法闘争はどんどんやったらいいと思う。ただ、おっしゃるように、論壇も含めて、作られたイメージのなかで、個人情報の問題もそうなんですけれども、神経質な形で社会が萎縮してしまってるという状況はあるんじゃないかと思いますし、それはどこかで崩していく必要はあるのではないかと思っております。佐藤 シチュアシオニスト(シチュエーショニスト)がやった著作権の放棄という、あれは完全に闘争の手段として、しかもあれは遵法は遵法ですよね。ただ僕らが縛られていて、彼らの言葉を引用するときはちゃんと引用元をつけてしまったりするということね。すいません、余計なことをいいました。細馬さん、お願いいたします。細馬 僕が身体、身体って、身体論者みたいなことをいってるのは、別に、技術を仮想敵においてるのではなくて、むしろ記号化、あるパフォーマンスがあったときにそれを記号に落とし込むことをよしとする思考形態を仮想敵国にしてるんです。デジタルを介そうと、あるいは人間の記述を介そうと、記号をなぞってそれをよしとするやり方に異議を唱えたい。コンピュータを

介してるからダメなんじゃなくて、そこで行われてるパフォーマンスのなかの一番わかりやすい記号的な部分をピックアップして、それで真似たことにすると、どうも身体が貧しくなりそうな気がするのです。道具を使うこと自体は、僕は否定しない。たとえば、パソコンを使ってもやっぱりキーボードをガチャガチャやるっていう身体性はそこで出てくるかもしれない。おっしゃられたように、いま使ってるマイクだって一種のテクノロジーなんだけど、テクノロジーだからよろしくないわけではなく、マイクと口との距離という新しい要因によって、新しい形で身体が顕わになっていくのだし、この要因をどう使うかについて音楽家はいろいろな工夫を凝らす。それ自体は悪いことじゃないと思ってます。佐藤 あと 2 人、手が挙がってます。どうぞお願いします。伊久美歩美 精華大の版画 3 回生の伊久美です。細馬さんの機械的模倣と人為的模倣の話で、ちょっと思いあたったことがあるのです。 一般的にコラージュといわれている技法において、すでにあるイメージ画像を集めてきて、切ったり貼ったり並べ替えたり、時には自分の手でもう一度描き起こしたりするという技法はコラージュとして、アナログの世界ではわりと普通に認められていることなのですが、それをいざデジタルな、コンピュータの上でやろうとすると、途端にそれをトレースやパクリと言い出す風潮が今現在あるような気がしています。それは私としてはどうしても違和

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感を感じざるを得ないのです。こういったことに関して、パソコン上で行われるコラージュ技法というのは果たして機械的なのか人為的なのか、判断の境界はいったいどこにあるのだろうか、という点についてお聞きしたのです。佐藤 機械的、人為的な話は、たしか増田さんがはじめに振ったので、増田さんどうぞ。増田 おそらくそれは法的な話というより、文化ジャンルの規範と歴史に依存する問題だと思います。ヒップホップを例に挙げれば、初期のヒップホップはレコードの音楽を単純に繋ぎ合わせたような、現在では著作権的にはとても出せないようなものが平気でリリースされてました。しかしその後、法的な環境とぶつかり合っていく中でそういったものは出せなくなって、今では既存のレコードからのサンプリングを使うことすら、使用料金が高騰してしまって難しくなり、生演奏に回帰する、あるいは打ち込み直す、そういう時代になってます。 おそらくアナログのコラージュであれば許容されるんだけど、デジタルのコラージュは許容されないというのは、たぶんジョン・ロック的な労働身体観みたいなものが背景にあって、チョキチョキとはさみを動かして自分の手で作ったものなら作品と認めよう、といったような受け取られ方がある。同じ効果をもたらすものを作るのであっても、デジタルでコピペはダメだ、みたいな感覚がおそらく絵画─僕は造形芸術の世界を全然知らないけれど─、絵

画を制作している人たちの間の、文化的な認識とか規範のなかで働いてるんじゃないかなという気がするんです。それはひっくり返せば、法的なレベルでどうにかなるものというよりは、むしろ文化的な運動とか、デジタルコラージュなんだけどそれでも許しちゃおう、みたいなすばらしい作品を作るとか、そんなことの積み重ねによって変わっていくのかな……と、そんな印象をもってます。佐藤 ありがとうございます。次の方どうぞ。兼松芽永 一橋大学の博士課程の兼松と申します。最後の最後に、改めてパクリという概念や問題系の立て方についての質問になってしまうんですが……。まずパクリという言葉自体が、パクリをパクる側、つまり規制側の論理に則った言葉なのかなということが、今回皆さんのお話を伺っていて改めてわかったんです。原作を引用、パクっても、DJ のリミックス CD とか Pixiv とか、ニコ動の動画とか、N 次創作物とか、コミケの同人誌とか、そういったものに関しては著作権法によって摘発されないわけですよね。なぜかといえば、摘発側に巨額な罰金を払えないようなタイプの人が集う場所と想定されたり、むしろ原作者側が N 次創作や流用を歓迎するような土壌が形成されているからなんでしょう。作り手側の創意であるとか DIY のクリエティビティに光をあてたり、そこで出てきている活動を取り上げるときに「パクリ」という言葉を使ってしまうことによって、逆に問題系が逃れてしまう気がす

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るんです。それよりも、シミュレーショニズムとか、ポストプロダクションとか、クリエイティコモンズとか、もしくは直近だと先週、村上隆さんの GEISAI 大学のUSTRAM 中継や高橋コレクションでの展示で注目されたカオスラウンジっていう新しいクラスタの人たちが使う言葉とかもありますが、ここらへんの議論から立ち上げていくっていう方が、今みなさんがお話しされてたような話題がより明確になるような気がしたんです。あえて今、パクリという批判的な価値判断を孕む地平から問題系をおこすことの意図をうかがいたいなと思います。佐藤 ちょっと(「パクリ」という言葉による)センセーショナリズムに走りすぎたっていう感じはしないでもないです。私自身がこういうところに興味があり、転用の問題であるとか、本来の目的でない目的で使われる……。あるいはコレクションの問題で、あるイメージが 1 つのアーカイブに入り次のアーカイブに入る、そのコンテクストによって意味が変わっていく、使われ方が変わっていく、そういった転用とか、あるいはさきほどチラッといったブリコラージュの問題として扱うわけです。もちろん、それぞれ別の立場からの剽窃であるとか再利用であるとか再領有の問題とかを扱っているわけですけど、そのあたりを統括する言葉として「パクリ」を使って、みなさんに視覚的に訴えちゃいました。ごめんなさい。というか、実はこのネタを考えた増田君、締めてもらえますか。あなたがつけたタイトルですね?

増田 (本シンポジウムのポスターを手にして)このポスターのインパクトで今日来られた方、手を挙げてみてください。どのくらいおられます? 結構いますね。 間テクスト性、シミュレーショニズム、なんでもいいんですけど、結局「パクリ」ってタイトルが最もキャッチーなんですよね。こういう一般向けシンポジウムって、別に商売ではないんですけど客商売みたいなものですので、この言葉が一番ウケるだろう、っていう下世話な話で決まったタイトルなんです。すいません。 たしかに「パクリ」という概念の安易さもあるし、僕個人はあんまり使わない方がいい、といったことも申しましたけれども、いずれにせよ大衆文化の言説空間の中から生じた新しい、曖昧な文化概念を、現代文化の学術的な研究に使えるようなかたちに切り分けてデザインしていく作業は、僕個人としては非常に重要なことだと考えています。 最後に、昨日知ったばかりの話で恐縮ですけど、中国語でパクリを何というかご存知の方、います? 「チャオシー」っていうらしいです。どういう字を書くかっていうと、手偏に少ない、「抄録」の「抄」と書いて、あと「襲う」って書くんです。それで「チャオシー」、「抄襲(しょうしゅう)」っていうのかな。中国からの留学生に昨日聞いた内容をそのまま「チャオシー」しながら言っているんですけれども、

「チャオシー」っていう言葉は試験のカンニングを指すときにも使うらしいです。つまり、日本語でのパクリとか盗作とか剽窃

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とかいった言葉が持っているコノテーションとは異なるかたちで、中国語圏の人々は

「パクリ」を捉えている。「チャオシー」は、書かれたものをサッと掠め取るという意味で「パクリ」もカンニングも指すらしく、書かれたものに特化した概念というニュアンスが強いようです。 このように、同じ東アジア圏で文化流通が相互に行われている国同士であっても、大衆文化の諸概念は、その土地とか社会の文脈に応じて微妙に異なっているという現状がある。日本では今は「パクリ」という言葉が流行語になってますけれど、もしかしたらあと 20 年ぐらい経ったら廃れて

別の言葉になっているかもしれない。中国語が入って来て、みんな「チャオシーする?」などと話してるかもしれない。文化の研究者は、対象を捉える新しい概念や適切な言葉を創りだすのが仕事ですので、そのあたりの言葉の問題については今後とも頑張りますので、よろしくお願いいたします、といったところです。佐藤 みなさん、本当にまだご質問は尽きないとは思いますが、時間が大幅に過ぎております。遅くまでおつきあいいただきありがとうございます。発表者のみなさん、今日は非常に刺激的な発表、本当にありがとうございました。

謝 辞

本報告書は、2009 年度より科学研究費補助金「挑戦的萌芽研究」によって研究活動を営んでいる、京都精華大学ポピュラーカルチャー研究プロジェクトの活動の一環として開催したシンポジウムの記録です。

斯界研究者を招聘して現代文化を考察する機会を得られたことに、謝意を表するものです。

発  行  京都精華大学全学研究センター      〒606-8588 京都市左京区岩倉木野町137      tel. 075-702-5263 fax. 075-705-4076

編集責任  高橋伸一

制  作  株式会社 桜風舎

印  刷  株式会社 スイッチ. ティフ

ポピュラーカルチャー シンポジウム報告書ポピュラーカルチャー研究 Vol.4 No.1 2010/Consec.no.10

2011年3月15日 発行