サラマンカ声明におけるインクルージョンの意義 - …...1983「...

12
サラマンカ声明におけるインクルージョンの意義 サ ラ マ ン カ声 明 に お け る イ ンク ル ー ジ ョン の 意 義 佛教大学大学院 布留川富雄 キーワード 障害児教育 イ ンテ グ レー シ ョン 特 別なニーズ教育 イ ンク ル ー ジ ョ ン は じめ に 1987年 佛教大学通信教育部の夏のスクーリン グで、初めてインテグレーションとインクルー ジ ョンの言葉 を聞いた。今 か ら16年前 になる。 そ の 時 に疑 問 が 残 り、 自分 は 障 害児 教 育 を した い の に、 わ ざ わ ざ 自 らの手 で 障 害児 の子 ど もた ち を離 さ な けれ ば な ら ない の か とい う理 由 が理 解 で き な か っ た。 そ れ は 今 も払 拭 さ れ て い な い 。 イ ン ク ル ー ジ ョン を行 う こ とで な くす こ と も必 ず あ り、 ど ん な良 い効 果 が あ る の か が見 え て こ ない か らだ。 障 害 児学 校 の教 員 た ち も今 ま で積み上げてきた実践が無意味なものにならな いのかという不安も抱いてしまいかねない。そ う い う意 味 か ら も こ の サ ラ マ ン カ声 明 を分 析 し、 この 声 明 の 中 に は何 が 隠 され て い るの か、 ま た、 なぜ こ の イ ン クル ー ジ ョ ンの取 り組 み を 世 界 に発 信 しな けれ ば な ら ない の か を研 究 す る こ とで 、 絡 ま っ た糸 を解 き ほ ぐす こ とが で きる の で は な いか と考 えた 。 1.イ ンクルージョンとは 1)イ ンテ グ レー シ ョン とイ ン クル ー ジ ョ ンの 違い インクルージョンとは一般的には、障害のあ る な しに かか わ らず 、 す べ て の 子 ど もた ち を包 み込 ん だ教 育 を行 う とい う意 味 で使 用 され て い る こ とが 多 い。 イ ンテ グ レー シ ョン(統 合)と 混同されて使われる場合もあるが、基本的には はっきりと区別されなければならない。また、 人種差別撤廃の意味が含まれている。統合は児 童 ・生 徒 を障 害 の あ る もの とな い もの に 最初 に 分 け て 考 え る。(アメ リ カ に お い て は 二 元 論) それ を主(障 害 の ない もの)に 副(障 害 の な い もの)を 組 み 入 れ よ う とす る考 え で あ る 。 最初 か ら主 を決 め て い る わ けで 、圧 倒 的 多数=通 常 の形式が作られている。多ければそのグループ が 正 し く普 通 の形 式 で あ り、 そ の 中 に入 れ させ て も ら うのが 好 ま しい とい う考 え 方 に な っ て し まうので、再考すべき考え方である。そういう 意 味 で 、 イ ンテ グ レー シ ョンの 二 元 論 も実 際 に 平等の上に立った二元論ではなく、一方が元々 劣っているという意識が前提にある。これでは 二 元 論 で は な く、 強 弱 論 か 、多 数 派 吸収 の原 理 に な っ て しま う。 それ に対 しイ ンク ル ー ジ ョ ン というのは、児童 ・生徒は一人ひとりがそれぞ れ違 う個 性 を持 つ ユ ニ ー クな存 在 で あ り、 一人 ひ と りは違 うのが 当然 で あ る とい う考 え で 、違 い に応 じた教 育 シス テ ム を進 め る とい う一元 論 に立 っ て い る1)。 2)イ ン クル ー ジ ョンま で の経 緯 元 を た どれ ば、 障 害 の た め に 学 習 した くて も で きな い児 童 ・生 徒 に教 育 を受 け る場 を作 る こ 245

Transcript of サラマンカ声明におけるインクルージョンの意義 - …...1983「...

Page 1: サラマンカ声明におけるインクルージョンの意義 - …...1983「 国連・障害者の十年」開始 1989「 子どもの権利条約」(国連) 1990「 アメリカ障害者法」(米)

サ ラマ ンカ声 明におけるインクルー ジョンの意義

サラマンカ声 明 におけ るインクルージョンの意義

佛教大学大学院 布 留 川 富 雄

キ ー ワ ー ド 障害 児 教 育 イ ンテ グ レー シ ョン 特

別 なニー ズ教 育 イ ンクル ージ ョン

は じめ に

1987年 佛教大学通信教育部の夏のスクーリン

グで、初めてインテグレーションとインクルー

ジョンの言葉を聞いた。今から16年前 になる。

その時に疑問が残 り、自分は障害児教育をした

いのに、わざわざ自らの手で障害児の子 どもた

ちを離さなければならないのかという理由が理

解で きなかった。それは今 も払拭 されていな

い。インクルージョンを行 うことでな くすこと

も必ずあ り、どんな良い効果があるのかが見え

てこないか らだ。障害児学校の教員たちも今 ま

で積み上げてきた実践が無意味なものにならな

いのかという不安も抱いてしまいかねない。そ

ういう意味か らもこのサラマンカ声 明を分析

し、この声明の中には何が隠されているのか、

また、なぜこのインクルージョンの取 り組みを

世界に発信 しなければならないのかを研究する

ことで、絡まった糸を解きほぐすことができる

のではないか と考えた。

1.イ ン ク ル ー ジ ョ ン と は

1)イ ンテ グ レー シ ョン とイ ン クル ー ジ ョ ンの

違 い

イ ン ク ル ー ジ ョン と は一 般 的 に は、 障 害 の あ

るなしにかかわらず、すべての子どもたちを包

み込んだ教育を行 うという意味で使用されてい

ることが多い。インテグレーション(統 合)と

混同されて使われる場合もあるが、基本的には

はっきりと区別されなければならない。また、

人種差別撤廃の意味が含まれている。統合は児

童 ・生徒を障害のあるものとないものに最初に

分けて考える。(ア メリカにおいては二元論)

それを主(障 害のないもの)に 副(障 害のない

もの)を 組み入れようとする考えである。最初

か ら主を決めているわけで、圧倒的多数=通 常

の形式が作 られている。多ければそのグループ

が正 しく普通の形式であ り、その中に入れさせ

てもらうのが好ましいという考え方になってし

まうので、再考すべき考え方である。そういう

意味で、インテグレーションの二元論も実際に

平等の上に立った二元論ではなく、一方が元々

劣っているという意識が前提にある。これでは

二元論ではなく、強弱論か、多数派吸収の原理

になってしまう。それに対しインクルージョン

というのは、児童 ・生徒は一人ひとりがそれぞ

れ違う個性を持つユニークな存在であり、一人

ひとりは違 うのが当然であるという考えで、違

いに応 じた教育システムを進めるという一元論

に立っている1)。

2)イ ンクルージョンまでの経緯

元をたどれば、障害のために学習した くても

できない児童 ・生徒に教育を受ける場を作るこ

245

Page 2: サラマンカ声明におけるインクルージョンの意義 - …...1983「 国連・障害者の十年」開始 1989「 子どもの権利条約」(国連) 1990「 アメリカ障害者法」(米)

佛教大学教育学部学会紀要 第3号

とは重要なことで、ただ、そのときに一般校で

一緒に授業 を受けにくいから違 う場所で行って

いるという教授方法の違いだけであり、できる

ことならば同じ学校で授業をしたかったに違い

ない。ただし、それまでが障害のあるものは学

校に行 くこと自体が考 えられていなかったの

で、行けたことがとても重要だと考えられる。

だか ら、障害があって学校 に行けなかった児

童 ・生徒 に目を向けた時から、インクルージョ

ンの芽が出ているのではないだろうか。それを

始まりとするならば、1760年 フランスの ド・レ

ペがろう学校 を創設した時に始まったといって

いい。もちろんそれ以前にも、各地方でその取

り組みが行われているはずである。その後240

年間紆余曲折を経てインテグレーションからイ

ンクルージョンの考え方にたどり着いた。もち

ろん今後もまた違ったより進んだ考え方も出て

くるだろう。世界においても、アメリカ、イギ

リス、イタリア、フランス、スウェーデンなど

も障害のない児童 ・生徒と障害のある児童 ・生

徒を分離 した教育から、インクルージョンに進

める取 り組みがなされてきた。特に統合教育を

基本方針にすえる世界各国の障害児教育政策の

変化を支えた理念はノーマライゼーションとい

う考え方だった2)。北欧を中心とするこの考え

方は、1970年 代初頭に北米に導入され世界に広

まっていき、1980年 、国際連合の 「国際障害者

年行動計画」の中に盛 り込まれた。デンマーク

の ミケルセ ン(Bank.Mikkelesen.N.E)と ス

ウェーデンのニリエ(N軻e.B)で ある。二人

のノーマライゼーションは、障害者の生活を一

般の人々のものに近づけようとするもので、画

期的であった。当時、北欧の福祉サービスは世

界的にも極めて高い水準にあったが、彼 らの示

した考え方によって、施設を中心 として一般社

会か ら切 り離 されて提供 されていたサービス

は、地域社会 をベース としたものに変 わって

いった。

246

国際連合の 「国際障害者年行動計画」では、

社会が 「一般的な物理的環境、社会、保健事業、

教育、労働の機会を、さらに、スポーッを含む

文化的、社会的成果を含めて、全体 として障害

児にとって利用し易いようにする義務 を負って

いる。」ことが宣言されている。これは北欧や

北米のノーマライゼーションをさらに進めて、

従来 「通常」とみなされていた社会一般の在 り

方の変革を求める姿勢が、明確に打ち出された

といえる。その後アメリカ合衆国では、メイン

ス トリーミングという障害を持つ子どもをでき

る限り通常学級内のプログラム(特 殊学級、リ

ソースルーム、通常学級)に 向けて措置するこ

とが目指されることになる。こうして様々な国

が、インテグレーションを通過点としながら次

の世代の教育形態を目指して進むことになった。

1985年 の3月 にユネスコによる第4回 成人教

育国際会議(TheForthInternationalConference

OnAdultEducation)が パ リにおいて行われた。

この中でサ ラマ ンカ声明にも使用 されている

「特別なニーズ(specialneeds)」 という言葉が

すでに使われている。それは特別なニーズを必

要とするグループとして女性や若者、高齢者 も

例 にあげられる中で、障害者 もそのひとつ とし

て含 まれている。すでにサラマンカ声明から9

年前にこの言葉が使われ、インクルージョンへ

向けての布石が打たれていたと考えられる。

障害児 ・者に対する施策の流れ(世界 と日本)3)

施 策 内 容(世 界)

1971「 知的障害者の権利宣言」(国連)

1975「 障害者の権利宣言」(国連)

1978ウ オーノック報告(英)「 教育上特別な取

り扱いを要する児童生徒の判別基準につ

いて」

1980WHO国 際障害分類

1981国 際障害者年

1982「 障害者に対する世界行動計画」

Page 3: サラマンカ声明におけるインクルージョンの意義 - …...1983「 国連・障害者の十年」開始 1989「 子どもの権利条約」(国連) 1990「 アメリカ障害者法」(米)

1983「 国連 ・障害者の十年」開始

1989「 子どもの権利条約」(国連)

1990「 アメリカ障害者法」(米)

1992「 アジア太平洋障害者の十年」開始

「障害者の機会均等化に関する基準規則」

(国連)

1994特 別なニーズ教育に関する世界大会 「サ

ラマンカ声明」(ユネスコ)

施 策 内 容(日 本)

1948「 盲学校及び聾学校の就学義務および設

置義務に関する政令」公布

1953「 教育上特別な取 り扱いを要する児童生

徒の判別基準について」通知

1970「 心身障害者対策基本法」公布

1979養 護学校義務教育制実施

1993「 障害者基本法」公布

1995「 障害者プラン(ノ ーマライゼーション

7ヵ 年戦略)」 施行

2000「 交通バリアフリー法」施行

2002「 身体障害者補助犬法」制定 ・施行

2.サ ラマ ンカ声 明

1)サ ラマンカ声明とは

1994年6月 スペインのサラマンカにおいて、

ユネス コとスペイン政府共催による 「特別な

ニーズ教育 に関す る世界会議」での 「特別な

ニーズ教育に関するサラマンカ声明」が採択さ

れた4)。 この年の6月7日 か ら10日にかけてこ

の地において92力 国の政府 と25の国際組織を代

表する300人 以上の参加者が集まって、インク

ルーシブエ デュケーション(inclusiveeduca-

tion)の 達成を前進 させる、言い換えれば学校

がすべての子どもたち、とりわけ特別なニーズ

を持つ子どもたちに役立つために、ユネスコと

スペイン政府が協力 して組織された会議のこと

である。[尚、この声明は全英文で構成されて

サ ラマ ンカ声 明におけるインクルージ ョンの意義

お り、 日本 語 と して 適切 な語 が な い場 合 は英 文

を 日本 語 の 読 み と して ま ま使 用 す る。 例 え ば、

イ ン クル ー シブ 、 イ ンテ グ レー シ ョ ン、 イ ン ク

ル ー ジ ョン等 。]

この 会 議 には 、 国 際連 合 お よ び専 門機 関、 他

の 国 際 的 な 政 府 組織 、 非 政 府 組 織 、 基 金 提 供 機

関 の代 表 、 教 育 行 政担 当者 、 行 政 家 、 政 策 立 案

者 、 専 門家 が 出席 し た。 こ の 時 、 「特 別 なニ ー

ズ教 育 にお け る原則 、政 策 、 実 践 に 関す るサ ラ

マ ン カ声 明 な らび に行 動 の枠 組 み(Salamanca

statementonprinciples,policyandpracticein

SpecialNeedsEducationandaFrameworkfor

Action)」 を採 択 した。 こ れ らは イ ンク ル ー ジ ョ

ンの 原 則 、 「す べ て の 人 の た め の 学校 」 す な わ

ち、 す べ て の 人 を 含 み、 違 い を 表 し、 個 人 の

ニ ー ズ に対 応 す る施 設 に 向 け た取 り組 み の必 要

性 を表 明 して い る。 また こ の声 明 に は、 す べ て

の 人 の た め の 教 育 を達成 す る た め の、 学 校 を教

育 的 に、 よ り効 果 的 な もの とす る た め の課 題 に

対 して 素 晴 ら しい 貢 献 が あ る。

2)サ ラマンカ声明の構成

表紙、挨拶、声明文、本文から組み立てられ

ていて、本文は全部で85の 段落 に分かれてい

る。その段落ごとに番号が付けられている。

表紙については後で述べ るように、インク

ルージョンをより鮮明に理解 してもらえるよう

に、視覚的にインパクトのあるマークで表され

ている。挨拶文、声明文については重要な内容

をおおまかに掲げ られてあるのだが、本文に

入って くるとどの ように具体的なインクルー

ジョンへの取 り組みをしてい くのかが書かれて

いる。 この本文の最初は、インクルージョンあ

るいはインクルーシブな学校 とはどういうもの

かという説明がされていて、世界のどの国にも

当てはまるような配慮がなされている。それに

は国家 としての政策の重要性や、障害によって

も教育方法に違いのあることを説明している。

247

Page 4: サラマンカ声明におけるインクルージョンの意義 - …...1983「 国連・障害者の十年」開始 1989「 子どもの権利条約」(国連) 1990「 アメリカ障害者法」(米)

佛教大学教育学部学会紀要 第3号

学校の立場からは、カリキュラム、評価方法、

援助方法等のより具体的な方策を示 している。

教職員の養成 ・研修へ も様々なネットワークを

使い、他 との連携の必要性を説いている。外部

からの支援は特に重要で、様々な機関、部門、

施設からの支援をどう受けるのかという内容が

示されている。

本文のそれぞれの章別でのテーマを段落数も

付けて紹介する。

サ ラマ ンカ声 明 の章 ご との テ ーマ5)

章 ごとのテ ーマ

は じめに(本文 への導入的説 明)

特 別な ニーズ教育 による新 しい考え方

国際 レベルで の行動指針

A政 策と組織

B学 校 という要 因

(カ リキュラムの柔軟 さ)

(学校 の管理 ・運 営)

(情報 と調査 ・研究)

C教 職員 の任用 と養成

D外 部からの 支援サー ビス

E優 先度 の高 い分野

(幼児 期の教 育)

(少女の教 育)

(成人生活 への準備)

(成人教育 および継続教育)

F地 域社会か らの展望

(両親 の協 力)

(地域社会 の関与)

(任意 団体 の役割)

(公衆 の意識)

G資 源の必要性

地域 レベル と国際 レベルでの行動指針

段落数

5

9

11

2

7

3

2

9

3

1

2

1

1

1

1

4

3

2

2

4

12

サラマンカ声明のおおまかな要旨は次の通 り

である。

○特別な教育的ニーズを持つ児童 ・青年 ・成

人に対 し通常の教育システム内での教育を

提供する必要性 と緊急性を認識 している。

○特別な教育的ニーズを持つ子 どもたちは、

そのニーズにあった児童中心の教育である

通常の学校にアクセスし、この学校こそ差

248

別的態度と戦い、地域社会の形成、インク

ルーシブな社会を築 き、すべての人の教育

を達成する最も効果的な手段である。

○ この枠組みの原則 としては、学校 という所

は、子どもたちの身体的、知的 ・情緒的 ・

言語的もしくは他の状態 と関係な く、「す

べての子 どもたち」 を対象 とすべ きであ

る。当然、障害児や英才児、ス トリー ト・

チル ドレンや労働 している子 どもたち、人

里離れた地域や遊牧民の子 どもたち、他の

恵まれていないか、辺境で生活 している子

どもたちも含 まれる。これらの状態から学

校 システムに大 きな挑戦 をすることにな

る。特別な教育的ニーズという用語は、こ

のニーズが例 に挙げた子 どもたちと関連 し

て くる。これら多 くの子供たちが学習の困

難さを経験 し、学校生活で特別な教育的

ニーズを持っている。学校はこの状況の中

でうまく教育方法を見つけねばならない。

このことがインクルーシブな学校の考えに

至る。インクルーシブな学校はまったく恵

まれていない子どもたちや、障害を持つ子

どもたちも含めたすべての子 どもたちを教

育することができる児童中心教育学を開発

することで、そうなれば質の高い教育を提

供することが可能になる。また、 この学校

を造ることで差別的態度を変えることを進

めることができ、地域社会を築 く上でも重

要な段階となる。

社会の見方の変化は緊急の課題で、長期

にわた り障害を持つ人々の諸問題は、その

潜在的可能性 に対 してより、彼 らの欠陥に

焦点を向ける問題をはらんだ社会によって

作 り上げられてきた。

○ この特別なニーズ教育は、確固とした教育

学の立証 された原則を取 り入れられてい

て、人間に相違が見 られるのは当然のこと

で、学習は学習過程の速度や性質に関して

Page 5: サラマンカ声明におけるインクルージョンの意義 - …...1983「 国連・障害者の十年」開始 1989「 子どもの権利条約」(国連) 1990「 アメリカ障害者法」(米)

予定 された過程に子 どもをあわせるより

も、子どものニーズに応じて調整されなけ

ればならないことを想定している。

○ 児童中心の教育学は、すべての子どもたち

に有益であ り、全体としての社会にも有益

なものである。多 くの教育システムに見 ら

れる平均学力水準は高いが、落第や留年も

多い という例 を減少 させ られることがわ

かっている。児童中心の教育学は 「一つの

寸法に全部を合わせる」方式の教育を行っ

た結果、起こってくる子どもの希望を打ち

砕いたり、資源をただ浪費するだけという

ことを避けることに力添えすることができ

る。児童中心の学校は、すべての人々の相

違 と尊厳 とを尊重する人々を中心とする社

会を築 く訓練の場 といえる。

○政府への この教育 システムの改善と政治

的 ・予算的優先性の要求を行う。

○ ユネスコ、ユニセフ、国連開発計画、世界

銀行等の国際社会への協力要求を行う。

等が掲げられている。

3.サ ラマ ンカ声 明へ の考 え方

1)ロ ゴマークの意味

図16)

A

照 膕

UnitedNationsEducational,Scientificand

CulturalOrganization

曽Ministryof

EducationandScienceSpazn

表紙は中心に大きく 「特別な教育的ニーズに

おけるサラマンカ声明と行動の枠組み」と表題

が書かれている下に小さなロゴマークが2つ 並

んでいる。左側はパルテノン宮殿の形をした絵

の中にUNESCOと 書かれている。常時使用 さ

れるユネスコのマークであるが、平行した右側

サ ラマ ンカ声明 におけるイ ンクルージ ョンの意義

には120度 で曲がる6本 の太い線 と底辺で支え

る1本 の線で構成されたマークがある。一見何

を意味しているかわからないが、よく見ると花

の形に見えてくる。そして、線の一つひとつが

下のほうにくるとその線が真 ん中に入ってくる

ように見える。つまり、中心へ集まっているの

である。これはどんな人もすべて一つにまとま

るということを意味しているのではないだろう

か。障害があってもなくても、すべての人々が

ひとつにまとまりつながっている状況が想像で

きる。またこの線を手の形に考えると、大きい

手が上へいけばいくほど小さくなる手を支えて

いることがわかる。それを国として考えても大

きい国が小さい国を支えているように見える。

人として考えても、力があったり裕福な人々が

障害者や弱い立場の人を支えているということ

になる。真ん中にあるはさまれた格好になって

いる手は、大 きい手に支えなが らも小さい手を

支えている。この形を作ることが最終的に大き

なひとつの花を咲かせることになるということ

を主張している。また、仮にこの形をインテグ

レーションの表現だと考えた場合、インクルー

ジョンがどこかに入れられていなければならな

い。120度 に曲がっている線をばらばらにはず

し、同じ長 さの3本 の線 どうしを120度 の角を

内側にしてつなげるとこの正六角形が大小2つ

できる。小さい正六角形を大 きい正六角形の中

に入れると大きい正6角 形に内接 してうまく収

まってしまう。これが正にインクルージョンを

表 している。全てがひとつに収まるのである。

インクルージョンということを本文では長々と

文字で説明してあるが、ひとつの絵だけで、イ

ンクルージョンを説明していることになる。

2)ス ペインのサラマンカで開催された意義

(歴史的な意味か ら)

この声明は世界の全ての国に対して発信され

たということであるが、みんな違った教育事情

249

Page 6: サラマンカ声明におけるインクルージョンの意義 - …...1983「 国連・障害者の十年」開始 1989「 子どもの権利条約」(国連) 1990「 アメリカ障害者法」(米)

佛教大学教育学部学会紀要 第3号

であり、 どのように各国にあったサラマ ンカ声

明の読み取 り方をするのかというのは大変重要

になってくる。そこで、まず世界の国を大きく

二つに分けた捉え方ができる と考えた。それ

は、中南米、アフリカ、オセァニアを中心とす

る15世紀以降侵略されたもしくは植民地 とされ

た国々とそれ以外の国である。これ らを分けて

考えないとサ ラマンカ声明の理解がで きなくな

り、迷宮に迷い込んでしまう。特に、侵略された

もしくは植民地化 された国の歴史を考えたい。

このサラマ ンカ声明が採択された1994年 か ら

さかのぼること約500年 前の1492年8月3日 コ

ロンブスが黄金の国ジパ ングを目指 して西回 り

航路で第1回 目の航海に出発 した7)。 これがサ

ラマ ンカ声明 との関係が始まったといっても過

言ではない。当時、ポルトガルもスペインとし

のぎを削ってアフリカ大陸への南下を開始し、

1488年 には喜望峰まで到達 し、東回 りインド航

路の開拓を目前にしていた。そのコロンブスが

ポルトガルに西回り航路をすすめても関心を持っ

てもらえず、スペインに話を持ちかけていた。

しか し、当時のサラマンカ大学の学者たちは、

途中で止まる港 もなく、長い航海を続けるのは

危険が大きい割に経済的利益は期待できないと

して反対をした。 しか し、キリス ト教の後押 し

で許可が下 り、現在のバハマ諸島のサン ・サル

バ ドール島にたどり着いた。コロンブスは当然

アジアの一部だと信 じていた。これがサラマン

カ声明の中にある、「インクルーシブな学校は

障害児や英才児、ス トリー ト・チル ドレンや労

働 している子 どもたち、人里離れた地域の子 ど

もたちや遊牧民の子どもたち、他の恵まれてい

ないか、辺境で生活 している子どもたちも含 ま

れる、すべての子 どもたちを対象にする。」 と

宣言しなければならない状況に近づ くことにな

る。この悲愴な状況を全てとは言えないまでも、

一部きっかけをつ くったのがこのスペインの行

為から始まったと言えるのではないだろうか。

250

第2回 目の航海でカリブ海のエスパニョーラ

島で先住民への酷使 と混乱 に始 まり、アメリ

ゴ ・ヴェスプッチ、マゼラン、エルナン・コル

テス に引き継がれることになる。コルテスは

1519年 メキシコ海岸に上陸し、2年 後には900

人のスペイン人で数10万 の兵士がいたアステカ

帝国を滅ぼし、膨大な財宝を略奪 している8)。

ここでは、多文化の考え方は受け入れず、他者

の行動と世界のあり方に自らの手で改善を加え

てい くものという考え方が芽生えてきた。 もし

くはヨーロッパ人が以前から持っていたものか

もしれない。また、同じく悲愴な目にあったの

がインカ帝国だった。これは、フランシスコ ・

ピサーラが168名 のスペイン人を引き連れて何

万 もの兵力のあるインカ帝国を崩壊させた。

アステカ帝国の領域では征服前の人口はおよ

そ1,100万 人であったと思われるが、1600年 に

は100万 人程度になっている。スペイ ン人が先

住民に対 して無 目的な無差別大量虐殺を行った

のである。それ以外にもスペインの持ち込んだ

疫病や、征服による先住民の社会や価値体系が

崩壊 したために彼 らの精神と生活が荒廃 し、酷

使 され虐待 されたために身体の抵抗力が弱っ

て、疫病の流行につながった ともいえるだろ

う。先住民狩 りは150年 続 き、ひとつの地域の

住民が全滅 してもアフリカにまで遠征 し、黒人

奴隷を連れてきて働かせ、そこで得られる富を

ヨーロッパに送るという循環が行われた9)。砂

糖のプランテーションで使役する黒人奴隷の貿

易 は実 に悲惨で、16世 紀か ら18世 紀にかけて

3,000万人から6,000万人に及ぶ黒人がアメリカ

大陸に向けて積み出され、そのうちの3分 の2

が航海の途中で命を落 とし、海中に捨 てられ

た。また、1500年 か ら1640年の間にスペイン領

南アメリカか らヨーロッパに金が約ユ80トン、

銀が約17,000ト ンという莫大な量の貴金属が流

入 した。後の中南米が資源もなく、貧困な国々

として今 も存続 しなければならない理由がここ

Page 7: サラマンカ声明におけるインクルージョンの意義 - …...1983「 国連・障害者の十年」開始 1989「 子どもの権利条約」(国連) 1990「 アメリカ障害者法」(米)

にある。

また、東南アジアのルソン・ミンダナオ諸島

も占領し、スペイン王の名、フィリップにちな

んでここをフィリピンと命名 したのは有名な話

である。以後、330年 にわた り植民地 とし、17

世紀半ばには過酷な強制労働で支配地区の推定

71万人の人口から59万人まで減った。

この後、17世 紀にはオランダがアジアを占領

し始め、インドネシアでは320に 分かれた部族

語をそのまま放置し、民族を分断して支配する

方法をとっている。また、連合東インド会社を

設立 し、現地住民の実情は無視して利益を搾れ

るだけ搾 り続けた。18世 紀にはイギリスとフラ

ンスが争って北米大陸へ勢力を広げ、インディ

ァンの土地を略奪へ と引き継がれた。北米大陸

を植民地化 した人々は増税反対の理由か ら独立

戦争に至った。これに触発された中南米も移民

たちが次々に独立し、スペイン、ポル トガル本

国が没落の一途をたどる結果になった。 しか し

この独立はあ くまで白人移民の独立で、原住民

は相変わらず奴隷同様のままであった。また、

イギリスは植民地アメリカを失った。現状打開

を目指 してカナダ、南アフリカ、オース トラリ

ア、ニュージーランドを侵略していった。この

オース トラリアには流刑者の植民地として人々

が送 り込まれ、また も虐殺 ・略奪 ・強姦の先住

民への悲劇が繰 り返された。移民たちは動物狩

りの ように、レジャーとして先住民 アボリジ

ニーを虐殺 した。30万 人いたアボリジニーは

100年 後には67,000人 に激減 した。タスマニア

島では37,000人 のタスマニアンアボリジニーが

絶滅 した。

独立したアメリカは、強制的にミシシッピー

の西の保留地へ移住させられ、その途中でイン

ディアン4,000人が死亡 した。しかしその西の

保留地に金鉱が発見されると即座 に奪い取 り、

侵略 と略奪に明け暮れた。現在も続く南米やア

フリカの貧困はヨーロッパを中心とする国々が

サ ラマンカ声明 にお けるインクルー ジョンの意義

現地の歴史、文化 を破壊 しつ くし、現地の長 く

培われてきた経済システムを完全に無視 し、自

分たちの利益のみを考え、単一作物生産を続け

た後遺症が今も影響 し続けていることを熟知 し

ておかなければならない。

サラマンカ声明の中でも強調 しているのは、

全ての人への教育をするために差別的態度を変

えることであり、障害児やその他教育を受けら

れていない子どもたちを誰が支えていくのかと

いうことであり、過去の歴史的な面 を見ればお

のず と答えが出てくる。いったいこの富める国

と貧 しい国、障害児を差別的態度で見る目、肌

の色で差別する気持ちの発端はどこにあったの

か、原因は何であったのかを理解する必要があ

るだろう。その歴史的事実を理解した上で読む

とはっきりしてくるものがある。それゆえ、こ

の声明がスペインで採択されたのは大きい意味

がある。500年 前 に貧 しい国を作 り出す きっか

けとなった国が、あらためて自らが貧しい国を

復活させようとするきっかけを作っているので

ある。この声明の表紙にあるロゴマークの意味

は、富める国が貧しい国を支える意味があると

説明 した。この富める国が過去に犯 した過ちを

償 う意味が潜 んでいると考える。だか らこそ

今、反対に貧 しい国を支えるのだという気持ち

がこめ られていると思う。本文の申に、「あま

りにも長期にわたり、障害を持つ人々の諸問題

は、かれらの潜在的可能性に対してよりも、む

しろ彼 らの欠陥に焦点を向けるという問題をは

らんだ社会によって作 り上げられてきた」とい

うことは表現してあるが、その裏に潜む過去の

歴史のことは書かれていない10)。つまり、その

時の差別の事実と今も貧困のままの原因は載せ

られていない。載せた くても載せ られない問題

を含んでいると考えられる。しかし、これを明

らかにしない と本当に貧しい国を支えていこう

というのが形骸化されかねない。障害という枠

にとらわれない全ての差別の考え方を改める方

251

Page 8: サラマンカ声明におけるインクルージョンの意義 - …...1983「 国連・障害者の十年」開始 1989「 子どもの権利条約」(国連) 1990「 アメリカ障害者法」(米)

佛教大学教育学部学会紀要 第3号

法がないと前進 させるのが困難になる。

3)本 文からインテグ レーションとインクルー

ジョンの違いを探る

インテグレーションとインクルージョンの違

いについては、この声 明の本文の中でい くつか

理解できるところがある。文章の中でいったい

それがどういう使われ方をしているのかを考え

てインクルージョンの意味を探 りたい。この声

明の中で重要ポイン トとなる言葉である、イン

テグレーションとインクルージョンがどういう

場合に使われて、どういう意味にとらえられて

いるのか、また、その形容詞や動詞で使われて

いる場合に、従来訳 されている意味とは違って

くるのではないかと考えた。それを検証するた

め、このふたつの言葉 をさまざまな角度か ら考

えることにした。

まずこの声明に出てくるインテグレーション

とインクルージョンの言葉の数はどうなのか。

これで重要度はある程度はわかって くるのだ

が、 この声明は、「サ ラマ ンカ声明文」 と本文

の 「行動の枠組み」のふたつに大きく分かれて

いる。まず、インテグレーションは 「行動の枠

組み」にのみ10回 、形容詞、動詞としてのイン

テグレー トは 「行動の枠組み」に6回 使用され

ている。インクルージョンは 「サラマンカ声明

文」に1回 、「行動の枠組 み」に11回 出て く

る。ただ形容詞 としてのインクルーシブは 「サ

ラマンカ声明文」に10回 、「行動の枠組み」に

23回 出て くる。これは どういうことか と言え

ば、インテグレーションとインクルージョンの

使用頻度はほとんど同 じで、意味が同じならイ

ンテグレーションを使わな くてもよいはずであ

る。しかし、あえてインテグレーションを使っ

ているのは、インクルージョンと区別 してその

インテグレーションの意味(差 別をなくして一

緒に統合する)を 強調 したい場面が出てくるか

らである。だから、インテグレーションを使用

252

しているのである。逆に、今後のことも考え

て、インクルージョンももっと使用されてもよ

いと思われるが、形容詞 として使われているイ

ンクルーシブが他のスクールやエデュケーショ

ンと合体 させて、ひとつの言葉 として使われる

ので、 このインクルーシブがインクルージョン

と同じ意味に近い形で使われていると考えてよ

い。だからインテグレーションとインテグレー

トを合計すると16回、インクルージョンとイン

クルーシブを合計すると45回 とな り、いかにイ

ンクルージョンを強調 しているのかがわかる。

また、インクルーシブの数が多いのは、インク

ルーシブな学校や教育を広めた り、作 った りす

ることが強調されるため、何度も繰 り返 し使用

されることになる。ただ し、ここで はインク

ルージョンもインクルーシブも頭文字が大文字

になっていない。固有名詞にするのであれば、

頭文字は大文字にするべ きであるが、そうなら

ずに小文字のままである。これは世界の国々へ

のメッセージであるから、それぞれ国の事情は

異なるわけで、全ての国で同 じようなインク

ルージョンを目指せるわけではなく、それぞれ

の国にあったインクルージョンを目指 さなけれ

ばならない。だから、固有名詞 としてのインク

ルージョンではなく、より柔軟性を持たせる意

味で、一般的な頭文字を小文字にしたインク

ルージョンになっているのである。

インテグレーションとインクルージョンの関

係を表す文が合計3ヶ 所ある。まず1つ 目は段

落で言えば6番 目の1行 目からで、「過去20年

間における社会政策に見 られた傾向は、インテ

グレーションと参加を促進すること、そして排

除と戦うことであった。インクルージョンと参

加こそ人の尊厳や人権の享受と行使 にとって必

須のものである。」と表 している11)。つ まり、

過去の20年 間は、差別に反対した取 り組みを努

力 して一緒になれるよう続けてきた期 間であっ

た。 しかし、今後は全ての人の参加が重要であ

Page 9: サラマンカ声明におけるインクルージョンの意義 - …...1983「 国連・障害者の十年」開始 1989「 子どもの権利条約」(国連) 1990「 アメリカ障害者法」(米)

るということを主張している。はっきりと今 日

からはインクルージョンにとって代わるのだと

いう強い意志のあらわれを感 じる。そして一部

の人を対象としたものから、全ての人を対象に

した考え方に変化してきている。2つ 目は、段

落の15番 目で、その部分では、「インテグレー

ション教育と地域社会に根ざしたリハ ビリテー

ションは、特別なニーズを持つ人々に役立つた

めの相補的、相互支援的な働 きかけを意味して

いる。両方ともインクルージョンの原理 とイン

テグレーションと参加に基づいており、また全

ての人のための教育を達成することを目指 した

全国的方略の一部として、特別なニーズを持つ

子 どもたちに対するアクセスの平等を促進す

る、十分に検証された費用効果の高い働 きかけ

でもある。」となっている12)。インテグレーショ

ンやインクルージョンも両方とも障害者への平

等の教育 という点では意味的に一致するのだ

が、それに至る過程での方法の仕方が違ってく

ると考えられる。インクルージ ョンばか りを強

調 し推 し進めるだけでなく、インテグレーショ

ンも継続する必要性が説かれている。3つ 目は

段落の68番 目か ら69番 目にかけて、その違いが

もっとわか りやす くなっている。その内容は、

「学校 レベルを含め、あらゆるレベルの政策立

案者は、インクルージョンへの彼 らの関与を定

期的に再確認 し、特別な教育的ニーズ を持つ

人々に対する子 どもたち、教師、公衆の肯定的

な態度を促進すべ きである。」 また、「マスメ

ディアは、障害者の社会へのインテグレーショ

ンに対する肯定的態度を促進し、偏見や誤った

情報を追い払い……。」 とある13)。ここか らイ

ンクルージョンの原理 として、全ての人々を平

等に扱 う、同じレベルで考える、同じ気持ちで

包み込むという考え方 と、インテグレーション

における社会等へ障害者が入ってい く状況が想

定 され、そのニュアンスの違いが読み取れる。

現実にはインクルージョンがより理想的なのだ

サ ラマ ンカ声明 におけ るイ ンクルージ ョンの意 義

が、インテグレーションされていないところも

あり、それも並行してすすめなければならない

状況がある。インクルージョンはインテグレー

ションと相反するものではなく、偏見や差別 を

除去する意味か ら、そこへたどり着 く考え方の

順序 としてインテグレーションが先 に表明 さ

れ、その後インクルージョンの考え方が出てき

たのである。

また、インクルーシブな学校 という言葉が何

度 も出てきているが、これはあくまで様々な国

があると想定 している上で曖昧な名前をつけて

いるだけで、全ての子どもたちが同じ学校内で

学べる環境のある学校という意味でそう呼んで

いるのである。特に人口が少ない所に住んでい

る開発途上の国々の障害を持つ子 どもたちは、

障害児学校には必ず しも行けているとは限らな

い。そういう場合にインクルーシブな学校が重

要になってくることを強調している。

段落の13番 目に女性の障害については、その

障害を持っている上に性に基づく偏見の二重苦

があると説明 している。厂女性 と男性は……。」

と女性を主にした書き方で、女性への認識を高

めるよう特に強調している14)。一般的には男性

の障害 も女性の障害も同じではないかと考える

のだが、侵略されたかもしくは植民地化 された

国々の障害を持つ女性に対しての偏見は、想像

以上のものがある。我々のように日本に住んで

いる場合は、それをなかなか感じないものなの

である。

おわ りに

今回、過去のインクルージョンへの道のりは

たどることができ、本来のインクルージョンの

あるべき姿へは少 し近づけたのかもしれない。

しかし、今後 まだ研究 しなければならないテー

マが残 されている。それは現在の時点における

侵略されたもしくは植民地化された国では、障

253

Page 10: サラマンカ声明におけるインクルージョンの意義 - …...1983「 国連・障害者の十年」開始 1989「 子どもの権利条約」(国連) 1990「 アメリカ障害者法」(米)

佛教大学教育学部学会紀要 第3号

害者への教育がどこまでなされているのか、ま

た、インクルージ ョンにどれだけ近づ くことが

できているのか探 らなければ意味がない。世界

へ 「サラマンカ声明」が大きく一歩踏み出して

も、実際に行動に移さないと意味がないのであ

る。これを調査すべ き課題が残 されている。ま

た、それ以外の国のインクルージョンは 「サラ

マンカ声明」によって影響 を受けてより進むこ

とができたかどうかも知る必要がある。より進

んだ国、スウェーデンやイタリアなどはうまく

機能しているのか、継続 されているのか、 もし

継続されているならそれを学ぶ必要がある。そ

して最後に日本のインクルージョンの分析 と今

後の可能性 を探る必要がある。今、 日本はどの

程度障害児 と一緒に学習 をす る時間があるの

か。それが効果的な方法として行われているの

か どうかはとても重要なことである。「サラマ

ンカ声明」の影響 をもし日本が受けたとするな

らば、文部科学省か ら2003年3月 に出された

「今後の特別支援教育のあ り方について」の最

終報告書になるだろう。これに対 しては様々な

意見があるのだが、個人的には 「サラマンカ声

明」の部分を意識した所 もい くつか出ていると

考える。インクルージ ョンという言葉は出てい

ないが、「共有す ることが有効」と言 うような

表現が使われている15)。これは 「サラマンカ声

明」の解釈 を一部 日本の教育事情に合わせる

か、もしくは転換 させて作成されたと考えられ

る。それは、侵略されたもしくは植民地化され

た国以外の立場として作成されているといえる

だろう。小 ・中学校 においてはほぼ完全 といえ

る就学率で、障害児も義務制で重度の子 どもで

あってもほとんど就学措置ができている。世界

の中ではとても恵まれた環境の中でどう 「サラ

マ ンカ声明」のメッセージを実行できるかとい

うことであろう。この 「今後の特別支援教育の

あり方について」の報告の内容から、スウェー

デンのたどった障害児教育と重なる部分 も認め

254

られる。しかし、教育費は減 らさないという強

い意志も感じられるので、はたして日本はどこ

まで改革を進められるのか注 目していかなけれ

ばならないだろう。

【注 】

1)森 博 敏 編 著 「特 別 ニ ー ズ 教 育」 「特 別 支 援 教 育 」

と障 害 児 教 育 群 青社2002p.62

2)井 谷 善 則 今 塩 屋 隼 男 編 「障 害 児 教 育 」 ミネ ル

ヴ ァ書 房2001p.62~p.63

3)同 上p,212~p.213

4)サ ラマ ン カ声 明 公 式 文 ユ ネ ス コ1994p.4

5)サ ラマ ン カ声 明 日本語 訳 文

http://dove.ne.jp/sumomo/siryou _folder/

Salamanca.htm/p.2-一 一p.4

6)サ ラマ ン カ声 明 公 式 文 ユ ネ ス コ1994p.1

7)立 石 博 高 関 哲 行 中 川 功 中 塚 次 郎 編 「ス ペ

イ ンの 歴 史 」 昭和 堂1998p.98~p.103

8)小 林 よ しの り著 「新 ゴー マ ニ ズ ム 戦 争 論3」

幻 冬 舎2003p.166

9)同 上p.169~p.184

10)サ ラマ ン カ声 明 日本語 訳 文前 掲p。3

11)同 上

12)同 上p.4

13)同 上p.g

14)同 上p.4

15)文 部 科 学 省 「今 後 の特 別 支 援 教 育 の あ り方 に つ

い て(最 終 報 告)」

http://www.go.jp/b _menu/shingi/chousa/shotou/

018/toushin/030301a.htm

【参考 文 献】

・K-Gア ー ルス トレームEヴ ァリ ン1 .エ マニ ュ

エ ルソン著 二文字理明訳編

「ス ウェーデ ンの 障害児教 育改 革」 現代 書館

1995

・渡邊益男監訳 「特別 なニーズ教育へ の転 換」 川島

書店1997

・宮崎正勝著 「早 わか り世界 史」 日本 実業 出版社

1998

・横 山岑夫著 「特殊教育 か ら教育 改革へ の発信」 多

Page 11: サラマンカ声明におけるインクルージョンの意義 - …...1983「 国連・障害者の十年」開始 1989「 子どもの権利条約」(国連) 1990「 アメリカ障害者法」(米)

サ ラマ ンカ声 明にお けるインクルー ジョンの意義

賀 出版1998

・L.バー トンEア ームス トロング編 嶺 井正也監

訳 「障害、人権 と教育」 明石書店2003

・高橋智著 「世界 の特殊教育 ・特別 なニーズ教 育」

三友社1999

・伊藤 隆二 著 「全 包括(イ ンクルーシブ)教 育 の思

想」 明石書店1998

・藤 田修編著 「普通学級 での障害児教 育」 明石書店

・・;

・高橋 智 渡辺 昭男編 「特別 なニーズ教育 と学校教

育 一 歴史 と今 日の課題一 」 三友社1999

・清水貞夫著 「特別支援教育 と障害児教育」 か もが

わ出版2003

・堀 正 嗣 著 「障 害 児 教 育 とノーマ ライ ゼーシ ョン

ー 共 に生 きる教 育 を も とめ て一」 明石 書 店

・・;

・山口薫 金子健著 「特殊 教育 の展 望 一 障害児教

育 か ら特 別 支援教 育へ 一 」 日本 文化科 学社

2000

255

Page 12: サラマンカ声明におけるインクルージョンの意義 - …...1983「 国連・障害者の十年」開始 1989「 子どもの権利条約」(国連) 1990「 アメリカ障害者法」(米)

佛教大学教育学部学会紀要 第3号

256