技法としてのナラティヴ ―ソーシャルワークへの応...

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1 技法としてのナラティヴ ―ソーシャルワークへの応用に向けて― Narrative as Technique: Toward an Application to Social Work Practices 荒 井  浩 道 Hiromichi Arai 1.問題の所在 1990 年代以降、ポストモダン的対人援助の実践理論(実践モデル)である 「ナラティヴ(narrative)」は、国際的かつ学際的な注目を集めている。利用者 の語りや物語に焦点を当てるこのアプローチは、既に「ナラティヴ・セラピー」 として、家族療法を中心に臨床心理学領域において一つの潮流をなしているが、 私たちソーシャルワーク(社会福祉援助実践)領域においても無視できないも のになりつつある。 しかし、わが国のソーシャルワーク領域におけるナラティヴの受容は、諸外 国や他領域と比べると大きく立ち遅れているといえよう。ナラティヴの有効性 がわが国の具体的なソーシャルワーク実践の現場において検証されたことはな く、実践報告もほとんど行われていない状況にある。ナラティヴがわが国のソ ーシャルワークの文脈で論じられる際は、従来のアプローチに対する「新しさ」 ばかりが強調され、援助技法としての実践的側面が捨象されてきたことは否定 できない。 そして重要なことだが、ナラティヴはその理論的な難解さとは裏腹に、わが 国のソーシャルワーク領域においては「専門的な援助」としてではなく、「非 専門的な援助」という文脈で論じられる傾向があったと考えられる。ナラティ ヴは、自らを特徴づける「脱専門性」や「無知の姿勢」といったキーワードの

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技法としてのナラティヴ―ソーシャルワークへの応用に向けて―

Narrative as Technique:

Toward an Application to Social Work Practices

荒 井  浩 道Hiromichi Arai

1.問題の所在

1990年代以降、ポストモダン的対人援助の実践理論(実践モデル)である

「ナラティヴ(narrative)」は、国際的かつ学際的な注目を集めている。利用者

の語りや物語に焦点を当てるこのアプローチは、既に「ナラティヴ・セラピー」

として、家族療法を中心に臨床心理学領域において一つの潮流をなしているが、

私たちソーシャルワーク(社会福祉援助実践)領域においても無視できないも

のになりつつある。

しかし、わが国のソーシャルワーク領域におけるナラティヴの受容は、諸外

国や他領域と比べると大きく立ち遅れているといえよう。ナラティヴの有効性

がわが国の具体的なソーシャルワーク実践の現場において検証されたことはな

く、実践報告もほとんど行われていない状況にある。ナラティヴがわが国のソ

ーシャルワークの文脈で論じられる際は、従来のアプローチに対する「新しさ」

ばかりが強調され、援助技法としての実践的側面が捨象されてきたことは否定

できない。

そして重要なことだが、ナラティヴはその理論的な難解さとは裏腹に、わが

国のソーシャルワーク領域においては「専門的な援助」としてではなく、「非

専門的な援助」という文脈で論じられる傾向があったと考えられる。ナラティ

ヴは、自らを特徴づける「脱専門性」や「無知の姿勢」といったキーワードの

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ために、非専門職による援助技法として受容されてこなかっただろうか。また、

ナラティヴの利用者に視座に立つ実践スタンスは、たとえばF.P.バイステック

の「傾聴」や「受容」といった援助者の価値論/態度論とほぼ同義にとらえら

れてこなかっただろうか。そこで欠落しているのは、ナラティヴを対人援助の

専門性を有した技術論・方法論として論じる視点である。

本稿では、以上の点を踏まえたうえで、あえてナラティヴの「技法(技術/

方法)」という側面に焦点を当て、それをソーシャルワークの「専門性」の文

脈に位置づける作業を行いたい。

この試みは、もともとナラティヴの文脈で主張されてきたことの重要な部分

を損なう危険を伴う。すなわち、そもそも対人援助における専門性への懐疑か

ら出発し、その脱構築を目指すナラティヴという同じ言葉を用いて、新しい別

の専門性を構築してしまうという矛盾である。しかし、今日のわが国のソーシ

ャルワークをとりまく状況を踏まえると、時代的、社会的要請から専門性の向

上がもとめられており、またそれに呼応する形で、大学等の専門職養成のフィ

ールドでは、とくに現場の即戦力になるための「技法」の習得が急務とされて

いる1。このことからも、ソーシャルワーク実践理論のヴァリエーションの一

つとして、ナラティヴの「専門性」や「技法」について論じることは一定の意

味があるだろう。

本稿では、以下において、まず隣接諸領域におけるナラティヴの潮流を概観

したうえで、ソーシャルワーク領域におけるナラティヴの現状を把握する。そ

して、「技法としてのナラティヴ」という観点から、わが国のソーシャルワー

ク実践に馴染みやすく、応用可能な技法やその援助展開に関するエッセンスを

抽出し、理論的検討を行う。

以上の内容から構成される本稿は、ナラティヴのソーシャルワーク領域への

応用を目指した文字通りの試論であり、いわば「ナラティヴ・ソーシャルワー

ク」のラフスケッチである。

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2.ナラティヴ/社会構成主義の潮流

(1)隣接領域におけるナラティヴ/社会構成主義の潮流

ナラティヴは、そもそもソーシャルワーク領域独自のパラダイムというわけ

ではなく、1990年以降の対人援助領域における新しい援助論として発展して

きたという経緯がある。ナラティヴを論じるうえで無視できないのは、オース

トラリア、ニュージーランドの家族療法家、M.ホワイトとD.エプストンの記

念碑的業績『物語としての家族』(White & Epston 1990=1992)である。そもそ

も彼らは、1980代にナラティヴを用いたアプローチを体系化、実践していた

わけだが、世界的に着目されるようになったのは、1990年代のことである。

彼らが1990年に発表した『物語としての家族』は、当時、対人援助理論とし

て主張されつつあった社会構成主義(social constructionism)と一体的に、相互

に影響を与え合いながら発展してきたといえよう。このような新しい潮流は、

それまでシステム論一辺倒だった北米の家族療法にムーブメントを巻き起こす

ことになる。

システム論は、欧米で1950年代に始まり、1960年代において急速に普及す

るようになった家族療法の一大潮流である。そこでは、人間をシステム(例え

ば「家族システム」)の一部としてとらえる点に特徴がある。初期のシステム

論は、Bertalanffy(1968)の一般システム理論(general systems theory)やMiller

(1978)のリビングシステム(living sistems)を基礎としている。その後、サイ

バネティックスなどの当時の最新の理論を採用し、より実践的な理論として体

系化されていった。

このシステム論における特徴は、個人や家族を一種の機械装置とみなした認

識論に求められる。すなわち、個人や家族を客観的に観察し、合理的に操作可

能な対象として理解する近代主義的な認識論に立っていた。システム論は、

「科学的な」援助論として注目を集め、急速に発展するとともに、わが国にも

輸入されることで大きな潮流を築いた。

それに対して、ナラティヴ/社会構成主義では、このようなシステム論がも

つ近代主義的な前提に懐疑の眼差しを向け、認識論レベルの前提を問い直す。

たとえば、①客観的な観察により「事実(=真実)」に接近可能か、②援助者

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は「客観的」な立場に立つことが可能か、③そもそも「客観的な事実」は想定

可能か、といったものである2。

そして、ナラティヴ/社会構成主義では、システム論が前提としてきた客観

性や事実性を拒否するかわりに、主観的/間主観的な「現実(リアリティ)」

の多様性や構築性に焦点を当てる。そして、このようなナラティヴ/社会構成

主義的アプローチは、1990年以降、対人援助理論として大きな潮流となり幾

つかの学派も成立することになる3。

日本におけるナラティヴ/社会構成主義では、1992年に前出の『物語とし

ての家族』が邦訳されたが、この時点では一部のポストモダン理論に関心のあ

る研究者以外の臨床家・実践家からの大きな反応はなかった。注目を集めるよ

うになるのは、1990年代後半以降のことである。1997年にS.マクナミーとK.

ガーゲンの『ナラティヴ・セラピー―社会構成主義の実践』(MacNamee &

Gergen 1992=1997)が邦訳され、1999年に小森康永・野村直樹・野口裕二(編

著)『ナラティヴ・セラピーの世界』(小森・野村・野口 1999)、小森康永『ナ

ラティヴ・セラピーを読む』(小森 1999)が相次いで出版されると、ナラティ

ヴは急速に注目を集めるようになった。そして、2000年代中頃までに、積極

的に海外のナラティヴ/社会構成主義論者の著作が邦訳されている(White

1992=2000, Anderson 1997=2001, Morgan 2000=2003, Epston 1998=2005, Russell &

Carey 2004=2006)。また、ナラティヴの名を冠した日本人による著作等も刊行

されている(小森・野村2003, 高橋・吉川2001,芥子川2006)。

臨床心理学以外にも、臨床社会学を標榜する新しい社会学の潮流(野口

2002, 2005)や、物語論を基礎とした社会学的自己論(浅野2001)、医療領域で

のナラティヴ・ベイスト・メディスン(NBM)の流れ(Greenhalgh & Hurwitz

1998=2001, 斎藤・岸本2003, Launer 2002=2005, 江口・野村・斎藤2006)がある。

(2)ソーシャルワーク領域におけるナラティヴ/社会構成主義の潮流

以上、主としてナラティヴ・セラピーの流れに着目したわけだが、ここでは

特にソーシャルワーク領域における国内外の動向について概観しておきたい。

ソーシャルワーク領域においても、このナラティヴ・セラピーにインスパイア

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ーされるかたちで、当事者理解のツールとしての有効性が主張されている。

比較的早い段階では、Scott(1989)、Sands & Nuccio (1992)、Gorman(1993)、

Pardeck, Murphy & Choi(1994)、Pozatek(1994)、Saleebey(1994)、Chambon &

Irving(1994)などの業績がある。1990年代後半から2000年代にかけてはソー

シャルワークとしての体系的な議論も行われるようになってきており、例えば、

Meinert, Pardeck & Murphy(1998)、Fawcett, Featherstome & Fook(2000)、Sands

(2001)、Noble(2001, 2004)、Taylor & White(2001)をあげることができる4。

最近の動向として特に注目されるのは、専門誌『質的ソーシャルワーク

(Qualitative Social Work)』における複数の業績である。例えば、Crawford,

Dickinson, & Leitmann(2002)、Froggett & Chamberlayne(2004)、Neander & Skott

(2006)Wahlstrom(2006)がある。またナラティヴは、カナダやオーストラリ

アを中心とした近年の新しいソーシャルワークの潮流である「批判ソーシャル

ワーク(Critical Social Work)」の文脈に位置づけられることもある。例えば、

Pease & Fook(1999)、 Allan, Pease & Briskman(2003)、Hick, Fook & Pozzuto

(2004)ではポストモダン・ソーシャルワークの一つの潮流として位置づけら

れている。他にも、従来のソーシャルワーク実践への批判の手法として専門職

によるナラティヴが用いられることもある(Riessman & Quinney 2005)5。

ところで本稿では援助論としてナラティヴを扱っているわけだが、調査法と

しても脚光を浴びていることは無視できない。近年の「質的調査」の興隆に伴

ってナラティヴも調査法としての注目を集めているわけだが、本稿の関心から

いえば、調査法としてのナラティヴは、援助論と不可分の関係にある6。注目

すべき業績としては、特にソーシャルワーク領域におけるものとして、Fraser

(2004)とそれに対するレスポンスであるBlacher (2005)がある。また最近に

なって、社会調査におけるナラティヴに特化した4巻からなるコンピレーショ

ン書籍が刊行されている(Atkinson & Delamont 2006)。

日本人による業績としては、加茂(1995, 2000, 2003)や加茂・大下(2001)

がポストモダン理論を基礎としながら体系的なソーシャルワーク論を展開して

いる。ナラティヴを直接扱った業績としては、木原(2002, 2004, 2005)、社会

構成主義やストレングスについて論じたものとしては、鈴木(1999)や狭間

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(2000, 2001)がある。また、ここ最近になってソーシャルワークとしてナラテ

ィヴを位置づける試みも行われるようになってきている。注目すべきものとし

て、相川書房/ソーシャルワーク研究所が主催したシンポジウム「ソーシャル

ワーク実践とナラティブ・アプローチ―支援の過程で体現する方法(2005年

12月3日)」(於:明治学院大学)がある。ここではカナダにおけるナラティヴ

を用いた具体的な実践事例としての松岡敦子氏の基調講演をはじめとした示唆

的な議論が展開された7。また、久保紘章・副田あけみ編『ソーシャルワーク

の実践モデル―心理社会的アプローチからナラティブまで』(川島書店)では

「構成主義・ナラティブ」(227-250)が取り上げられており、さらに社会福祉

士養成テキスト『社会福祉援助技術論Ⅰ(新版・社会福祉士養成講座⑧)』(中

央法規出版)では、2003年の第2版改定以降、「社会構成主義とナラティブ・

アプローチ」(118-120)にページが割かれるようになっている(福祉士養成講

座編集委員会2003)。

以上、ソーシャルワーク領域におけるナラティヴの動向を概観したが、特に

わが国の動向に関しては、次のように総括できる。

わが国のソーシャルワーク領域では、臨床心理学や臨床社会学領域に比して、

ナラティヴ/社会構成主義といったポストモダン・アプローチが前面に出てく

ることは無い。わが国におけるソーシャルワークのパラダイムは、モダニズム

にその主流があるといえよう。さらにいえばジェネリック/ジェネラルソーシ

ャルワークといった統合化をめざした動向も、エコシステム論等の近代的モデ

ルを機軸に据えたものである。また他方では、ソーシャルワークにおいてナラ

ティヴ/社会構成主義の議論がなされるときは、「ナラティヴ・セラピー」の

重要性は指摘されるものの、ソーシャルワークにおける独自性が主張されてい

るわけではない。そこでは、ナラティヴ/社会構成主義そのものというよりも、

ポストモダンの客観性や専門性といったモダニズムへの懐疑のまなざしという

視点や考え方を説明する際の概念として使用されていることが多いだろう。そ

れゆえ、ソーシャルワーク実践に使うことのできる具体的な方法論として体系

化されておらず、ナラティヴ/社会構成主義を用いたソーシャルワーク実践事

例に関する報告はほとんどなされていない状況にある8。

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このような現状を踏まえたうえで、以下ではナラティヴを「技法」としてと

らえ、ソーシャルワーク実践への応用を目指すために、ナラティヴに関する前

提となる議論を再検討したい。

3.ナラティヴの理論

(1)物語の構築性

そもそもナラティヴでは、私たちを物語論的存在として理解し、ある種の物

語論的還元を行い、物語論的アナロジーを用いることで、事象を説明しようと

する。すなわち、ナラティヴにおける私たちの生(人生/生活)は、複数の出

来事/エピソードを紡ぎ合わせ、物語という形をとることで経験されるもので

あり、さらにその物語は言語的に(特に他者に対して)「語る」という行為に

よってリアリティを付与され、利用者にとっての「生きられた経験」となる。

このような物語論的前提において重要なことは、物語の「構築性」である。

すなわち、私たちが過去に経験してきた出来事/エピソードは、客観的な事実

としての実在物はなく、主観的(間主観的)な現実としての構築物であるとい

う認識論である。

私たちの生(人生/生活)は、何重ものストーリーから構成されており、同

じ出来事/エピソードについても異なった意味づけを行い、別の物語の可能性

を否定しない。またそれら複数の物語同士は、相互に辻褄が合っているわけで

はなく、多くは矛盾を孕み、時には正反対のリアリティを構成する。逆にいえ

ば、私たちの生(人生/生活)の全体は、一つの物語として語り尽せるような

単純なものではないという認識論を前提とする。例えば、一つの物語が一貫性

をもって語られるということは、その背後に別の物語の隠蔽を意味する。

このような物語が実在物ではなく構築物(=つくりモノ)であるという理解

は、援助的観点からみたばあい重要である。すなわち、過去に経験した出来

事/エピソードが、社会的にも、さらには自分自身でも「問題」としてしか定

義できないようなケース(いわゆる「困難事例」)において、利用者に、ある

物語の代替として、別の物語の可能性を示唆し、その別の物語を生きてもらう

ことを可能にする。

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だが、ここでいう別の物語を生きるということは、あくまでもその可能性が

あるということであって、容易に達成されるわけではない。特に困難が深刻化

してディスエンパワメントされた利用者にとってはその作業を一人で行うこと

は難しいし、別の物語の可能性に気付くこと自体が困難といえよう。本稿で強

調する専門的な援助の必要性がもとめられる所以もここにあり、専門職は、利

用者と共同作業的に新たな別の物語の可能性を探ることになる。

(2)物語における力/知

以上の物語の構築性を確認したうえで着目されるのはM.フーコーによる

「力/知」に関する理論である。以下では、ナラティヴという関心からフーコ

ーの理論を概説し、援助理論の基盤について確認したい9。

一般的に「力(power)」の効果は抑制的であり、その性質はネガティブなも

のである。だがM.フーコーは別の視点から、「知(knowledge)」に対する力の

構成的側面を問題にする。フーコーの力/知の議論で重要なことは、力を「上

から下」へと下降するベクトルとしてではなく、「下から上」へと上昇するベ

クトルとして論じている点にもとめられる。すなわち、力のローカルな起源に

フォーカスをあて、そこにおける知を通した征服のテクニックを問題とする。

そのテクニックとは、人々を分類し、私たちのアイデンティティを決定し、さ

らには観察・評価を通して人々を隔離する。

このようにフーコーにとって力と知は不可分であり、知は力を抜きに論じる

ことはできない。彼にしたがえば、たとえば「真実(truths)」とされる知は、

力の操作によって構成され、さらには「正常化(normalizing)」されることで、

「真実」としての特権的な地位が付与される。そしてフーコーは、この「真実」

の辺縁でどうにか生き延びてはいるが、表舞台からは追放され、不必要なもの

として抑圧・隠蔽された知として、「征服された知」に着目する。

フーコーは、「征服された知」の回復の方向性として、知の優劣を廃して、

力の及ばない別の理想的な統一的な知を設定することを求めてはいない。フー

コーが提唱するのは、優勢な知により征服された知の「反逆(insurrection)」

なのである(Foucault 1980)。

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以上のフーコーの議論は、本稿で援助論としてナラティヴ/社会構成主義を

整理して行くうえで非常に重要である。すなわち、本稿で関心のある「物語」

を知の一つの形式として捉えた際、そこにおける力の作用を踏まえたうえでの、

援助の技法である。

先ほど論じたように物語は構築物であり、実在物ではない。この意味におい

て、物語の可能性は多様にあり、一つの物語が語られたとしても、その背後に

は、別の複数の物語の可能性がある。だがフーコーの議論にしたがえば、力の

作用を抜きに知としての物語を論じることはできない。つまり、それぞれの物

語は等価ではなく、そこには力/権力の優劣が存在する。一つの優勢な物語が、

あたかも「本当の物語」として立ち現れてくる背後には、その「本当の物語」

による劣勢な別の物語の征服がある。そしてこの「本当の物語」という知は、

征服のテクニックを駆使し、劣勢な物語の再起を阻止する。

この点を援助場面にひきつけていえば次のようになる。例えば、困難を抱え

た人、特にそれが重篤化したケースや、多重問題化しているケースは、「問題

をかかえた私」という物語に強い力(power)が与えられており、それは構築

物にすぎないのだが、あたかも実在物であるかのように「本当の物語」として

立ち現れ、現実を強力に支配する。もちろん、利用者には別の物語の可能性が

あるのだが、それは優勢な「本当の物語」に征服され、その物語の背後に隠蔽

され、まるで最初から無かったかのように捨象されてしまう。

ナラティヴの目指す援助の方向性とは、この「本当の物語」に征服された別

の物語の発掘を目指すものであり、このことはフーコーの言葉を借りれば、優

勢な知により征服された知の「反逆」を支援する営為である。

M.ホワイトとD.エプストン(White & Epston 1990=1992)が提唱したナラテ

ィヴ・セラピーでは、ここでいう優勢な物語としての「本当の物語」を「ドミ

ナントストーリー」とよび、その優勢な物語によって征服された物語である

「オルタナティヴストーリー」の発掘を目指す。

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4.技法としてのナラティヴ

(1)ナラティヴのソーシャルワークへの応用

以上、援助論としてのナラティヴ/社会構成主義における理論的前提を確認

した。ナラティヴ/社会構成主義は、ポストモダニズムの立場から、私たちの

生における客観的な事実という認識論を拒否し、主観的/間主観的に構成され

る現実の一つの形式として「物語」に着目する。このような実在物ではなく構

築物として物語には、唯一無二の絶対性はなく、別の複数の物語の余地を残す。

また、フーコーの知/力の議論に従えば、知の一つの形式としての物語も力な

しには成立しえない。ある特定の物語が優勢である場合、それは「本当の物語」

としてたち現れ、それ以外の別の物語は、この「本当の物語」に征服され、捨

象されてしまう。ここでいう「本当の物語」と「征服された物語」の関係は、

M.ホワイトとD.エプストンの援助論における「ドミナントストーリー」と

「オルタナティブ・ストーリー」の関係にある。

本稿では、このようなナラティヴ/社会構成主義の前提となる議論を手がか

りに、ソーシャルワーク領域への応用に向けて、ナラティヴ・セラピーで使用

されている技法について整理を行いたい。ところで、ナラティヴの技法のヴァ

リエーションの中には、実際のソーシャルワークの現場においては、用いるこ

とを躊躇するものもある10。したがって本稿では、ナラティヴの技法の全体を

論じるのではなく、ソーシャルワークへの応用を目指すという点に特化して論

じたい11。

なお、ここでの検討は、筆者自身による地域包括支援センター社会福祉士

(非常勤)としての認知症介護家族への支援を中心としたソーシャルワーク実

践を踏まえたものであり、また筆者が所属している群馬県社会福祉士会におけ

る地域包括支援センターのネットワークから多くの示唆を得ていることを付言

しておく。

(2)問題の外在化

まず着目すべきは、主としてM.ホワイトとD.エプストンが強調した、「外在

化(exterralization)」の手法である。外在化とは、それは「人々にとって耐えが

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たい問題を客観化または人格化するように人々を励ます、治療における一つの

アプローチ」として定義される。このアプローチは、ナラティヴ・セラピーと

して体系化される以前に、主にホワイトにより1980年代から実践されてきた

戦略であり、ナラティヴ・アプローチのユニークな部分であると同時に、その

根幹をなすものである(White & Epston 1990=1992: 59)。

だがこの外在化の技法は、ポストモダニズムにその理論的基礎を置くため、

従来のモダニストのアプローチとは認識論のレベルにおいて相違がある。この

ため、援助論としてみた場合にその導入からして難解であり、誤解されている

場合も多い。そのため以下で詳しくみていきたい。

まずその特徴は、外在化の技法を展開するうえでアプローチの対象とされる

のは、逆説的な言い方であるが、「問題をかかえた利用者(個人/家族)」では

ない、という点である。外在化では、「問題をかかえた利用者」という総体に

対してアプローチするのではなく、まず「利用者」と「問題」を一旦分離し、

「問題」だけを取り出して、そこにピンポイントで照準を合わせる。

援助の目標は、「問題をかかえた利用者」が、その「問題」と向き合い、そ

れを乗り越えて回復へと向かうプロセスにある。しかし、この目標を達成する

ことは容易ではない。通常、援助の対象となる利用者の多くは、「問題」との

格闘のため疲弊し、ディスエンパワメントされている。具体的には私たちが困

難事例と呼ぶような多問題のケースである。そのような利用者は、ホワイトの

言葉をかりれば、「問題が染み込んでいる(problem-saturated)」(White & Epston

1990=1992)状態にあり、「問題をかかえた私」という自己物語が、ドミナント

ストーリーとして、利用者のリアリティを支配し、固定化している。

このような状態では、「問題」は、利用者に内在化されており、自己は問題と

一体化して認識されるため、利用者は、たとえば「問題をかかえた私」という

自己物語を生きることになる。

「利用者」と「問題」を一体的に支援しようとすると、かえって「問題をか

かえた私」を再生産し、「問題」の内在化を下支えしてしまう。すなわち、一

見、利用者を援助しようとしているのであるが、それは利用者が既にかかえて

いる「問題」の再構築を手助けしてしまう危険がある。外在化の技法が求めら

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れるのはこのような局面であり、援助の方向性とは、「問題」が染み込み、逃

れられなくなっている利用者から、「問題」を引き剥がしていく過程である。

そのためナラティヴにおける援助の初期段階では、問題の外在化を行い、利用

者から問題を切り離す作業求められてくる。

外在化の効果であるが、ホワイトにしたがえば、以下の6つのまとめること

ができる。すなわち外在化により、①問題の責任論から距離をとる、②問題解

決の試みにおける不全感を無化する、③問題の影響から身を引かせ、④新しい

可能性を開く、⑤シリアスな問題ではなく、緊張しなくてすむアプローチへの

自由、⑥モノローグよりもダイアローグを提供する、ことが目指される

(White & Epston 1990=1992: 60-61)。

この外在化を具体的に展開する技法は、「影響相対化質問法(relative

influence questioning)」とよばれるものである(初出は、White 1986)。ナラティ

ヴの実践ではインテーク(初期面接)の時点からこの影響相対化質問を用いた

インターベンション(介入)が行われ、「問題」の外在化を行う。

影響相対化質問で文字通り相対化される対象は、「問題」についての「影響」

である。問題が染み込んでいる状態においては、この影響は混沌としており、

当事者にとっても援助者にとっても不鮮明なものである。それを一つ一つ解き

ほぐすように、明らかにすることが影響相対化質問法によって行われる。

この方法の具体的な戦略は、質問により問題の影響を具体的に問い直し、マ

ッピングすることである(White & Epston 1990=1992:63)。ここで描かれるマッ

プは、問題の影響を可視化するためのものであり、具体的に紙に書かれる場合

もあるし、概念上整理されるものでもある。

ここでいう問題の影響とは、より詳細には、「問題からの影響」と「問題へ

の影響」の2つに分けることができる。前者は「問題」が自分や周囲に及ぼす

影響であり、後者は「問題」に対して自分自身が及ぼす影響である。影響相対

化質問では、この問題の影響、すなわち「問題からの/への影響」のマッピン

グが目指される。具体的な質問としては、以上の2つの側面にフォーカスをあ

てながらも、できるだけ広範かつインテンシブに影響を語ってもらえるように

アレンジされる必要がある。このような援助において外在化の対象となるのは、

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不安や罪悪感といった自分自身に対する感情や、他者への否定的感情、さらに

は、より広い社会的文脈におけるイデオロギーや価値観などがあげられる。

以上のような影響相対化質問を行うことにより、利用者は、「問題」が染み

込んでいた状態から一定程度自由になり、「問題が問題となり、問題に対する

人間関係が問題となる」(White & Epston 1990=1992: 61)ことを理解し、問題は

外在化の方向へ向かう。

(3)ユニークな結果への着目

通常、ソーシャルワークの援助場面に持ち込まれる利用者の語りは、「自由

な」ものではない。利用者は、「語りたいこと」を語っているわけではなく、

「語らなければならないこと」を語っている。つまり、そこでのストーリーの

形式や内容は、一定の型にはまったものであり、福祉専門職の期待を先取りし、

社会的文脈に編集、翻訳された形で「適切に」語られる12。

例として筆者がフィールドとしている認知症介護家族支援のフィールドに即

して考えてみたい。専門職である介護支援専門員(ケアマネージャー)が行う

認定調査というプロセスは、介護支援計画(ケアプラン)を作成するためのア

セスメントであるため、「客観的に」その症状、状態を把握する必要がある13。

そのため介護家族は、利用者の「問題行動」の程度や頻度に関する客観的な事

実について語ることになる。しかし、通常、家族が認知症になったことへの戸

惑いや不安、他者との葛藤といったような主観的な介護経験を語ることまでは、

期待されていない。

このような語りの形式/内容は、A.モーガン(Morgan 2000=2003)の言葉を

借りれば「薄い記述」ということもできるだろう。そこには、本来、私たちの

生(人生/生活)がもっている複雑さや矛盾が入り込む余地はないほどシンプ

ルなものであり、そこには利用者の経験をリアルに反映するオリジナリティは

ない。そしてこの物語は、M.ホワイトのいう「問題の染み込んだ」物語であ

り、繰り返し語りなおされることで「(認知症高齢者という)問題をかかえた

私/家族」という自己物語を強化し、利用者にとってのあたかも「本当の物語」

のごとくたち現れる、利用者の現実を支配するドミナントストーリーである。

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ナラティヴを用いた援助では、さきほどの問題の外在化がある程度進んだら、

今度は、実際に利用者を問題の染み込んだドミナントストーリーの支配から開

放し、別の生の可能性へと導くことになる。その際、援助者が着目するのは、

「ユニークな結果(unique outcome)」と呼ばれるものである(White & Epston

1990=1992: 61)。ユニークな結果は、ドミナントストーリーに対して、ユニー

ク(独自)なのであって、それは「問題」の影響から自由であり、この意味で

ドミナントストーリーとは矛盾するものである。

例えば、先ほどの認知症介護家族の例でいえば、「しかっりしてた人なのに、

呆けてからは(認知症になってからは)、まったくの別人です。」(筆者フィー

ルドノーツ2006.11、括弧内筆者)といったドミナントストーリーに対して、

「呆けても(認知症になっても)品の良さは引き継がれるみたいです。」(筆者

フィールドノーツ2006.8、括弧内筆者)といった内容が語られる。他にも、

「地域から厄介者扱いされているんです。」(筆者フィールドノーツ2006.11)と

いったドミナントストーリーに対して、「昔から、曲がったことが嫌いで、一

本筋を通す人でした。」(筆者フィールドノーツ2006.11)といった内容が語ら

れる。これらは、「問題」が染み込んでいるドミナントストーリーからは独立

した、ユニークな結果であり、ドミナントストーリーとは矛盾するが、利用者

にとって新たな生の可能性を開くうえでの糸口となるものである。

だが援助者にとって、このユニークな結果に気付くことは容易ではない。そ

れはドミナントストーリーに征服された物語であるので、援助を通して「発見」

される必要がある。ユニークな結果は、問題が困難化しているケースにおいて

は、援助者は、根気強くかつ適切にアプローチを試みる必要がある14。

発見に至るプロセス、方法は、前出の問題相対化質問を繰り返し行っていく

なかでたち現れたり、あるいは面接場面とはまったくことなった状況において

発見される。熟練の援助者で無い場合は、ユニークな結果を得るための予備質

問を用いることもある15。

いずれにしても、ユニークな結果を引き出すためには、既に述べた「語られ

るべきこと」を語らせる「薄い記述」を引き出すような予定調和的な質問を繰

り返すことは控える必要がある。だからといって、先ほどの影響相対化質問や

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予備質問といったテクニックに頼りすぎることは、かえってユニークな結果を

見えなくさせる。そこには利用者に寄り添い、援助者自身が、利用者がかかえ

えている「問題からの/への影響」に好奇心をもつ態度や雰囲気を醸成するこ

とが要請される。

(4)物語の書き換え

ナラティヴ・アプローチにおける終盤の展開として、「物語の書き換え」が

ある。この物語の書き換えは、利用者が生きている物語の、別の物語への「書

き換え」、あるいは「変更」を意味する。だがこの介入技法は、書き換えとい

う部分だけが強調されると誤解を招く危険がある。

まず書き換えという援助概念もたらすラディカルな印象は、援助の倫理性に

抵触するため挑戦的な援助論として理解されてしまう危険である。すなわち利

用者の物語に強引に介入し、それを別の物語に書き換えることを想起させる16。

このような点に関しては、議論が分かれるところでもあるが、ナラティヴ・

アプローチにおける書き換えが、既に述べてきたインテークから継続される一

連の援助のプロセスのなかで捉える必要があり、特に無視できないのは、前節

で述べた「ユニークな結果」の発見のプロセスである。

既に見てきたように、ユニークな結果の発見は、援助者による一方的なもの

ではなく、利用者と援助者の共同作業として発見されるものである。そのため、

ユニークな結果の発見は、援助者による恣意的な捏造ではない。

そして同様に、発見されたユニークな結果を展開していく際も、利用者と援

助者の共同作業としてとらえることが重要である。援助者は、ひとたびユニー

クな結果を発見すると利用者がそれを維持・持続できるように援助する。方法

としては、ユニークな結果を糸口に紡がれるオルタナティブストーリーを展開

させ、語り直すことを通して、「分厚く」していくことである。

援助者は、ユニークな結果を発見したら、インテンシブな質問により明確化

していくことが求められる。最初は孤立していたユニークな結果も、その具体

的な内容を具体的に聞いていくことで、関連する出来事/イベント、人間関係

といった繋がりといった関係性のなかにマッピングされる必要がある17。

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このプロセスにおいて重要なのは、ここでは、ホワイトが「行為の風景」と

よぶものを明らかすることである。M.ホワイトによれば行為の風景とは、物

語の基本的構造を提供する要素であり、時間軸上に順序だって並べられ、特定

のプロット(筋)に結びついた出来事/イベントの経験である。この行為の風

景は、語られた何気ない発話を、より構造がしっかりした「物語」へと高めて

いくために必要なものである。

そしてこの行為の風景を明らかにするプロセスは、同時に、語られる出来事

についての価値や希望、目的などを聞くプロセスでもある。これは「アイデン

ティティの風景」と呼ばれるものであり、この「行為の風景」と「アイデンテ

ィティの風景」の内実を明らかにすることでオルタナティブな物語が浮き上が

っていくのである(White 1992=2000: 50)。

5.結びにかえて

以上、本稿ではナラティヴの技法について理論的に検討してきた。既に述べ

たようにナラティヴの学派はいくつかあり、それらを網羅的に論じることがで

きたわけではない。またM.ホワイトとD.エプストンの議論のすべてについて

言及できたわけではない。本稿で取り上げてきた技法は、あくまでもソーシャ

ルワークにおける援助実践への応用を目指すという目的のなかで抽出されたナ

ラティヴのエッセンスである。

この目的のなかでとくに着目されるのは、第4章で取り上げた「①問題の外

在化→②ユニークな結果への着目→③物語の書き換え」といった一連の介入プ

ロセスである。このアプローチは、たとえば「困難事例」と対峙する際にソー

シャルワーカーが用いる技法として有効といえよう。

だが、以上のことを指摘するだけでは本稿の目的は十分達成されたとはいえ

ない。本稿で検討されてきたナラティヴの理論や技法は、あくまでも臨床心理

学領域において「セラピー(療法)」として発展したものであって、「ソーシャ

ルワーク(社会福祉援助実践)」としての独自性は薄い。今後は、ソーシャル

ワーク固有の枠組みにナラティヴを位置づける作業が必要となるだろう。この

点に関しては、本稿では紙幅の関係で論じることはできないが、結びにかえて

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言及しておきたい。

結論からいえば、ナラティヴをソーシャルワークの文脈に位置づける上で着

目すべきは「ストレングス(strength)」概念であろう。ストレングスは、ナラ

ティヴと同様に従来の病理に基づいたアプローチに代わる新しいパラダイムで

あり、社会構成主義的視点を前提とすることからも、ナラティヴとの親和性も

高い。

ストレングスは、ナラティヴと同様1980年代の後半から着目されるように

なった概念であり、主としてアメリカにおける新しいソーシャルワークのアプ

ローチとして着目されてきており、今日のわが国のソーシャルワークにおいて

無視することのできない重要なパースペクティブとなっている。

例えば精神障害者のケースマネジメントにけるストレングス・モデルを提唱

したC.ラップ(Rapp 1998=1998: 44-64)は、「生活空間(niches)」概念をキーワ

ードにストレングスを説明する。ここでいう生活空間とは、居住環境、娯楽、

仕事、教育、社会関係などであり、この「生活空間」における「質」が、「生

活の質(QOL)」を決定すると考える。そして重要なことだが、この「生活空

間の質」に影響を与える要因は、「個人」と「環境」の2つであり、それぞれ

におけるストレングスに着目する。具体的な個人のストレングスは、熱望

(aspirations)、能力(competencies)、自信(confidence)であり、そのそれぞれ

の要素間の相互作用である。また具体的な環境のストレングスとしては、資源

(resources)、社会関係(social relations)、機会(opportunities)であり、それぞれ

の要素間の相互作用である。

また、ストレングス視点のソーシャルワーク実践を提唱するD.サリービー

(Saleebey 1996, 2000)は、ストレングスに着目した実践の特徴として、個人を

内面から理解するうえでの「語り」への着目や、個人、家族、地域社会という

3つの領域の重要を指摘している。

以上がストレングスの特徴であるが、病理モデルを拒否し、「ストレングス」

への着目という発想は、「問題」に汚染されていないオルタナティブストーリ

ーに着目するナラティヴと類似する。また、サリービーが説明するように、ス

トレングスにおいても「語り」への着目は重要とされる。この意味において、

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ストレングスとナラティヴを一体的に考えていく可能性があるように思われ

る。

そして課題となるのは、ストレングスで強調する「資源」や「社会関係」、

「地域社会」というソーシャルワーク特有の視点である。これは本稿でのこれ

までのナラティヴの議論において充分視野に入れられていないものであり、ナ

ラティヴをソーシャルワークの文脈で展開していくうえで無視できない視点と

いえるだろう。今後、これらの点を踏まえたうえで研究の蓄積をしていく必要

がある18。

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1 日本学術会議第18期社会福祉・社会保障研究連絡委員会(委員長:大橋

謙策)『ソーシャルワークが展開できる社会システムづくりへの提案(平成15

年6月24日)』では、ソーシャルワークを展開する社会システムの不備を指摘

した上で、ソーシャルワーカーの任用、養成についての提案がされた。さらに

具体的な制度改正に向けた提案として、社団法人日本社会福祉士会(会長:村

尾俊明)『社会福祉士の活用にむけた提案(平成18年5月2日)』、社団法人日

本社会福祉士養成校協会(会長:白澤正和)『今後の社会福祉士養成教育のあ

り方について(平成18年6月3日)』がある。社団法人社会福祉士養成校協会

の提案では、特に「演習・実習」科目の充実による実践力を有した専門職養成

の必要性が主張されている。

2 ここでの議論は、高橋・吉川(2001)を参照。

3 M.ホワイトとD.エプストンのアプローチ以外にも、「無知のアプロー

チ」(Anderson & Goolishian 1988)、T.アンデルセンの「リフレクティング・チ

ーム」(Andersen 1991)といったアプローチも登場している。

4 筆者がフィールドとしている認知症ケア領域におけるナラティヴをめぐる

議論として着目されるものとしてParker(2001, 2005)をあげることができる。

5 2000年からは専門誌『クリティカル・ソーシャルワーク(Critical social

work)』(School of Social Work, University of Windsor)が刊行されている。

6 例えば、直接、ソーシャルワークの議論ではないが、Flick(1995=2002)

のいうナラティヴ・インタヴュー法や、その応用であるエピソード・インタヴ

ュー法は、調査法ではあるが、物語を引き出すやり方は援助論でもあるという

不可分な関係にある。

7 このシンポジウムの内容は、相川書房『ソーシャルワーク研究』32(1)

に収められている。

8 皆無ではない。例えば舟木(2005)は、ポストモダン的関心からわが国に

おけるソーシャルワーク実践の具体的場面を分析したものとして示唆的である。

9 White & Epston(1990=1992)を参照。

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10 例えばM.ホワイトとD.エプストンが行った「手紙」や「認定証」を用い

た「書き換え」の手法はわが国のソーシャルワーク実践には馴染み難い。

11 本稿では、White & Epston(1990=1992)による技法が中心となる。

12 そもそも「自由な語り」の成立は困難である。この点に関してはセルフヘル

プ・グループにおける「自由な語り」との関連で論じたことがある(荒井2006)。

13 ケアマネジメント自体、モダニストのアプローチである。まさに介護サー

ビスを必要なところに必要なだけ給付するための近代主義的なシステムであ

り、介護支援専門員がこの制度の「要」と呼ばれる所以である。

14 ユニークな結果の発見は援助者の力量に大きく左右される。実際の、面接

場面において利用者からユニークな結果が語られたとしても、援助者が発見し

て、それを「ユニークである」と承認しないかぎり、次の援助展開にはつなが

らない。そのため、特に援助の序盤から中盤にかけて、ユニークな結果の出現

に注意を払う必要がある。

15 たとえば、「問題の悪化をどう阻止しましたか?」とか、「問題がそれほど

悪くなかったときはありますか?」、「問題に反抗したことはありますか?」と

いったものである(Morgan 2000=2003: 94)。

16 また、既に述べた社会構成主義的な前提からいえば、「客観的事実」や

「真実」といったものを想定しないポストモダニズムの立場に立つため、オル

タナティブストーリーの「真偽」は問題とされない。そのため、それが「作り

話/フィクション」であったとしても、さらにいえば「根拠のない、全くの嘘」

であったとしても、「利用者の居心地がよければそれでいい」、という理解がさ

れてしまう危険である。

17 いわゆる「5W1H」の質問を行うことにより、より具体的な質問が可能となる。

18 ソーシャルワークにおけるストレングスは、本稿でのナラティヴの検討で

注目してきたような技法という点に関しては、明確ではない。これは、ストレ

ングスが「視点(perspective)」として説明されことに関係するのだろう。本稿

で検討された、「①問題の外在化→②ユニークな結果への着目→③物語の書き

換え」というナラティヴのプロセスをストレングスの議論にどう関連付けてい

くかが今後の課題である。

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