トムソンの『自由』とブリタニアの図像...トムソンの『自由』とブリタニアの図像...

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1 宇都宮大学国際学部研究論集 2015 第39号, 1−14 トムソンの『自由』とブリタニアの図像 出 羽   尚 はじめに  本 稿は、 スコットランド生まれの詩 人ジェイム ズ・トムソンが 1735 年から 36 年に出版した無韻詩 『自由』の主題と、ブリテンを象徴する女性寓意 像ブリタニアの図像について考察するものである。 具体的には、トムソンが歌ったブリテンにおけ る自 由の確 立という 18 世紀の言説の常套的主題 が、同様にブリタニアの図像においても視覚化さ れていたことを確認する。 I トムソンの『自由』 1 梗概 この詩は、古代ギリシアとローマから近世のヨー ロッパに至るまでの、 複 数の国 家における自 由の 盛衰をたどる。全 5 部を通じ、擬人化された自由 の寓意像を中心に据え、1688 年の名誉革命によっ て自 由がブリテンにおいて最 高の形で成 就された 歴史的系譜を追う構成となっている。 1 部では、「古代と現代のイタリアの比較」を 行う。自由によって、かつてのイタリアには栄華を 誇る共和政時代やルネサンスの優れた遺産がある一 方で、現代のイタリアの状況はその対極にある「覇 気のない有様」で、「政府、技芸、徳、天才、そし て世の中全てが転換してしまった」状態にある 1 ギリシアの状況もこれと大差ない[第 2 部]。古 代のギリシアでは自 由の確 立によりスパルタやア テネが繁栄の時代を迎え、優れた哲学、雄弁術、 詩、音楽、彫刻、絵画が生み出される。ところが、 度重なる諍いと豪奢により、「ギリシアを彩った奇 跡」も今では失われてしまった。 「女神よ、何処に」 2 その「共和政の偉大な母たるギリシアが、その燃 え盛る若さを周囲に次々と注ぎ込んだ」 3 結果、古 代ローマにも自 由が根 付き、 ローマはルキウス・ ユニウス・ ブルートゥスによる共 和 政で帝 国の盛 期を迎えるも、やはり社会の豪奢によって、帝政 期の段 階で自 由は失われてしまうのである[ 第 3 部]。しかしながら、ローマを離れた自由は、その 後北進して各地にその息吹を吹き込みつつ、中世 には「長い間、野蛮な心の中で埋もれながらも、自 由の縁は冬の時代を静かに過ごし」 4 、来るべき復 活に備えていた。 ルネサンスの時 代になると、 自 由は学 問と技 芸 の支えを受けて、イタリアを始めとしたヨーロッパ 中に再び「新たな光と優美を注」ぎ 5 、ブリテンへ と向かう[第 4 部]。歓待された自由は女神ブリタニ アの協力のもとブリテンで発展し、名誉革命によっ て完 璧な姿となる。 ブリタニアも自 由の影 響を受 けて、ブリテンの国民に資する守護者となった。 おお、ブリタニアよ。神聖なる汝の御前でこそ、 人類の守護者たる汝がおられるからこそ、 全ての人の威厳、幸福、名声はもたらされたのだ 6 しかし、 ギリシアやイタリアの状 況を見ても分 かる通り、自由がひとたび失われると、国家は崩 壊する。警告すべきは、同様にブリテンでも豪奢 と腐 敗が国 家を破たんさせる可 能 性があるという ことである[第 5 部]。そのためにも自由崩壊の元 凶を断ち、「ブリテンの自由の構造を維持する」美 徳が必要となるのである 7 王国の成立の基礎は美徳、 あらゆる徳が結び付いた公徳である。 なにしろ、人間のこの社会的紐帯が失われると、 偉大な帝国であっても、いつの間にか、 静かに崩れ落ち、終には結びつきを欠き、 瞬く間に完全なる廃墟と化してしまうのだから 8 故に、自由の女神の「偉大な御業を守護者とし て支えてくれるだろう」 9 王太子フレデリックの庇

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1宇都宮大学国際学部研究論集 2015 第39号, 1−14

トムソンの『自由』とブリタニアの図像

出 羽   尚

はじめに 

本稿は、スコットランド生まれの詩人ジェイムズ・トムソンが1735年から36年に出版した無韻詩『自由』の主題と、ブリテンを象徴する女性寓意像ブリタニアの図像について考察するものである。

具体的には、トムソンが歌ったブリテンにおける自由の確立という18世紀の言説の常套的主題が、同様にブリタニアの図像においても視覚化されていたことを確認する。

I トムソンの『自由』

1 梗概

この詩は、古代ギリシアとローマから近世のヨーロッパに至るまでの、複数の国家における自由の盛衰をたどる。全5部を通じ、擬人化された自由の寓意像を中心に据え、1688年の名誉革命によって自由がブリテンにおいて最高の形で成就された歴史的系譜を追う構成となっている。

第1部では、「古代と現代のイタリアの比較」を行う。自由によって、かつてのイタリアには栄華を誇る共和政時代やルネサンスの優れた遺産がある一方で、現代のイタリアの状況はその対極にある「覇気のない有様」で、「政府、技芸、徳、天才、そして世の中全てが転換してしまった」状態にある 1。

ギリシアの状況もこれと大差ない[第2部]。古代のギリシアでは自由の確立によりスパルタやアテネが繁栄の時代を迎え、優れた哲学、雄弁術、詩、音楽、彫刻、絵画が生み出される。ところが、度重なる諍いと豪奢により、「ギリシアを彩った奇跡」も今では失われてしまった。「女神よ、何処に」2。

その「共和政の偉大な母たるギリシアが、その燃え盛る若さを周囲に次々と注ぎ込んだ」3 結果、古代ローマにも自由が根付き、ローマはルキウス・ユニウス・ブルートゥスによる共和政で帝国の盛期を迎えるも、やはり社会の豪奢によって、帝政

期の段階で自由は失われてしまうのである[第3

部]。しかしながら、ローマを離れた自由は、その後北進して各地にその息吹を吹き込みつつ、中世には「長い間、野蛮な心の中で埋もれながらも、自由の縁は冬の時代を静かに過ごし」4、来るべき復活に備えていた。

ルネサンスの時代になると、自由は学問と技芸の支えを受けて、イタリアを始めとしたヨーロッパ中に再び「新たな光と優美を注」ぎ 5、ブリテンへと向かう[第4部]。歓待された自由は女神ブリタニアの協力のもとブリテンで発展し、名誉革命によって完璧な姿となる。ブリタニアも自由の影響を受けて、ブリテンの国民に資する守護者となった。

おお、ブリタニアよ。神聖なる汝の御前でこそ、人類の守護者たる汝がおられるからこそ、全ての人の威厳、幸福、名声はもたらされたのだ6。

しかし、ギリシアやイタリアの状況を見ても分かる通り、自由がひとたび失われると、国家は崩壊する。警告すべきは、同様にブリテンでも豪奢と腐敗が国家を破たんさせる可能性があるということである[第5部]。そのためにも自由崩壊の元凶を断ち、「ブリテンの自由の構造を維持する」美徳が必要となるのである 7。

王国の成立の基礎は美徳、あらゆる徳が結び付いた公徳である。なにしろ、人間のこの社会的紐帯が失われると、偉大な帝国であっても、いつの間にか、静かに崩れ落ち、終には結びつきを欠き、瞬く間に完全なる廃墟と化してしまうのだから8。

故に、自由の女神の「偉大な御業を守護者として支えてくれるだろう」9 王太子フレデリックの庇

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2 出 羽   尚

護のもと、自由を維持することが必要になるのである。というのも、ブリテンにおける自由は、時のウォルポール政権と国王ジョージ2世によって危機にさらされているとトムソンは理解しており 10、第1部冒頭でのフレデリック王太子への献辞は、自由の再興への希望が込められている。

以下、古代に始まりグレート・ブリテンにて素晴らしい形で確立された自由をたどる試みでありますが、いやしくもこれが殿下の称賛に値し、お楽しみ頂けるものとなりますれば[中略]、これに勝る褒賜はございません11。

こうしてトムソンは様々な国家における自由の経過をたどることによって、現代のブリテン、とりわけウォルポール政権と国王ジョージ2世による治世の危うさに警告を与えている。2 出版状況と背景 

トムソンは1730年から33年にかけて、チャールズ・リチャード・タルボットに伴ってグランド・ツアーに出かけている。イタリアでは優れた彫刻や絵画などの美術に感化されただけではなく 12、行政府や教会による悪政が原因で引き起こされた貧困の有様に衝撃を受け、この時の印象が『自由』の制作の背景となっている 13。

トムソンがグランド・ツアーの間にパリからハートフォード夫人に宛てた1732年10月10日付の手紙は、『自由』第1部の主題となるイタリアの衰退が既に構想されていたことを想起させる。

イタリアの悪政、とりわけ司祭らによる政治は、人間の技芸と勤勉とをほとんど根絶させてしまった。さらにとどまるところを知らず、自然までをも傷つけてしまっている。確かに司祭らは、便利な快や生命の壮大さに関わるものなら何でも意のままに支配できるのだろう。しかし、彼らはある意味では何をも持っていない状態にある。恵みに満ちた太陽は、その力強い微笑みをそれでもなお彼らに降り注いでくれるのに、司祭たちは太陽を恐れているのだ。イタリアはもはや生者の地ではなく、死者の地と考えた方が良さそうだ。古代の詩人や歴史家を完璧に理解した者でも、突然、どこの国とは知らされずにかの

地へ連れて来られたとしたら、おそらくそこがどこなのかは分からないだろう14。

トムソンの帰国直後にタルボットは亡くなる。しかし『自由』執筆の最中にあった彼は、その後もその父チャールズ・タルボットからの庇護を受けている。この父チャールズ・タルボットは、元々ロバート・ウォルポールのもとで大法官を務めた人物であったが、すでにこの時にはウォルポールとの関係には亀裂が入っていた。また、別のパトロンであった政治家ジョージ・ドディントンは、ウォルポールのホイッグ政権、及び国王ジョージ2

世と対立していたフレデリック王太子と近い関係にあった。トムソンが国外に出ていた間のイギリス国内の政治腐敗や、フレデリックがジョージ2

世よりも文芸に対する理解を示していたことなどにより、トムソンはウォルポールやジョージ2世ではなく、王太子フレデリック派の姿勢を取るようになった。こうして『自由』はフレデリック王太子に献呈する長編の無韻詩として発表されたのである。

5部のうち、「古代と現代のイタリアの比較」「ギリシア」「ローマ」の最初の3部が1735年に、残りの「ブリテン」「展望」の2部が翌1736年に出版された 15。出版直後には、同時代の社会を批判的に捉えたこの詩の精神を好意的に評価する批評も出されている 16。例えば、アーロン・ヒルが『プロンプター』誌に、トムソンは「堕落した人間性を回復するために不道徳なこの時代に生まれ、かつての人の有様の見本を示してくれた」17 と評している。また、同じ1735年に発表されたモンクリーフによる詩『寛大』の序文も、「実のところ、トムソン氏も私も告白せざるを得ないのだ。あまりに多くの我が同胞スコットランド人が、近年、寛大さを示さず、自由を愛することもしていないということを」18 と、当時の社会への視点を共有している。また、マールボロ公爵夫人への献辞で始まる詩『41年 カルメン・セキュラーレ』の詩行には、トムソンと同様、失われた自由を嘆く部分がある。「 ブリタニアは叫んだ。『 全てが失われてしまった。我が帝国は最早存在しない。崩壊した我が国は、自由からも名声からも見捨てられたのだ』」。しかし再来を願って祈るブリタニアのもとに、自

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3トムソンの『自由』とブリタニアの図像

由は再び降り立つ。「美しき自由よ、ブリタニアは再び汝のものとなったのだ」19。

後半2部が出版された2年後の1738年、『自由』は若干の改訂がなされるが、トムソンの代表作『四季』の大規模な改訂に比べると、変更は第1部と第2部の一部に限られている 20。3 同時代の言説・趣味との関係

『自由』を含めた 1730 年代以降のトムソンの作品では、とりわけ反ウォルポールの姿勢に基づいた教訓の提示が主眼とされた。政治的動機が創作を支えていた点で、『自由』は芸術性に欠けるという指摘もなされてきた 21。とは言え、同時代と古代のイタリアの対比、そして双方の政治の相違の考察、及び、ブリテンの自由を讃える言説は、17 世紀末からホイッグ寄りの詩人たちによって繰り返されていた 22。例えば、1721 年出版のアディソンによる『イタリアからの手紙』には以下の詩行がある。

自由こそがブリタニアの島に冠を授け、その痩せた岩々と荒涼な山々を微笑ませる 23。

この詩行は、『イタリアからの手紙』の18世紀末の版では挿絵の主題となっている[図1]24。自由を象徴する寓意像がブリテンの地を鼓舞するように両手を広げ立っている。フリギア帽を先端に付けた杖を持つ姿は、寓意図像集の表現などに見られる伝統的な自由の寓意像の定型を引き継いでいる 25。楕円構図の枠外上部には、ブリテンを象徴する動物ライオンと豊穣の角が描かれている。

自由の寓意像については、同じくアディソンが1726年出版の『古代のメダルの有用性について』で、古代のテクストを引用して言及している。

左手にはラテン語でルディスとかウィンディクタとか呼ばれる細い杖を、右手には自由の帽子を持っている。詩人たちはこれに類似した喩えを使って自由を表現してきた。[中略]

私は全財産を使って、自由の帽子を買ったのだ。

  マールティアーリス『エピグランマタ』26

この記述に対応する図版では左手で杖を、右手でフリギア帽を持つ自由が描かれる[図2]。フリギア帽の付いた杖をアトリビュートとするこの伝統的な自由の寓意像の定型は、イギリス18世紀にも利用され、トムソンの肖像を描いた版画にも登場する[図3]。トムソンが持つ「LIBERTY by J.T.」と記された書物に、フリギア帽の杖を持つ自由の寓意像が描かれている 27。

第2部でギリシアが中心に取り上げられた点については、18世紀中頃にイギリスで広がるギリシア趣味の最初の萌芽と指摘される 28。古代の美徳を再興させるためには、ギリシア美術の形態が有する道徳的美の模倣が必要になることや、古代の彫像の有する自然美に対する賛辞などが、同時代的なギリシア趣味と合致する 29。

全体を通じて説かれることになる主題、つまり、道徳を欠いた贅沢が国家を弱体化させ崩壊を導くという考えは、すでにトムソン自身が発表していた他の作品にも確認できる。擬人化した寓意像を使って、自由、豪奢、公徳、腐敗と言った国家の存立に関わる政治的主題は、1729年に出版された『ブリタニア』のなかでもすでに扱われていた 30。

また彼の代表作である『四季』のなかでも、国家の盛衰が扱われているほか 31、自由の概念については、とりわけブリテン特有の資質として捉えられ、愛国的な意識によって自由な国家ブリテンが讃えられていることが、例えば以下の複数の詩行に確認できる。

麗しのブリタニアよ。活力と、自由を我々に鼓舞する、技術の女王が、汝の最果ての地にまで際限無く行き渡り、豊かな恵みを惜しみなく振り撒き給う 32。

賢く、精力的で、不撓不屈の精神の主、ハムデンも又、優れた国家、汝の英傑だ。彼は、専制主義に傾いた、政治の流れをくい止めて、汝を古き良き自由の世界に、勇敢にも、再び立ち返らせたのである 33。

彼[ウィリアム・ラッセル]と共に、彼の友、英国版カシアスも潔く死んで行った。高き決然たる信念を持ち、勇猛果敢に、

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4 出 羽   尚

古代の自由に対し思慕を抱く程、古代の文化に感化されていた 34。

このようにして『自由』で取り上げられたのは、政治的権力の干渉を免れた状態を意味する自由である 35。トムソンが警告するのは、自由は政治的権力が一カ所に集中することによって失われてしまうということである。故に、複合政体を採るブリテンこそが、自由を受け入れる仕組みを備えた国家として称揚されるのである 36。4 低評価

時代の政治や思潮との関係を持って制作された『自由』であったが、1735年に出版された最初の3部に比べて36年に出版された残りの2部は発行部数が減らされている 37。当時頻繁に議論されてきた主題を繰り返していた点で、評判を呼ばなかった面もあるのだろう。サミュエル・ジョンソンも不評の原因に触れて、「『自由』が最初に出版された時、読もうとしたのだが、すぐに止めてしまった。それ以来もう一度読もうとはしていないので、あえて評価はしない」と述べている 38。キャンベルは、後世における『自由』の低評価の一因は、頻繁に登場する寓意像の存在にあると指摘している。つまり、抽象的な概念を主題としたことによって、『四季』で歌われた自然のように視覚的なイメージを喚起することができなかった点に問題があったという指摘である 39。

しかし1790年代になると『自由』が一部で注目を集める。かつては批判の対象となった政治性が、フランス革命の勃発に刺激されて政治変革を唱える18世紀末の論者たちの興味を引いたのである。その一人がエディンバラ生まれの改革派、バカン伯爵(デイヴィッド・スチュアート・アースキン)である 40。彼はトムソンをして未来を見通した「もう一人のピスガ山の預言者」、つまりモーセに準えられる「自由の詩人」41 として崇めている。バカン伯爵はトムソンを称揚することで当時のウィリアム・ピット首相(小ピット)政権に対する批判を展開したが、1790年代後半にフランスの脅威が増し、バークら反フランス革命の立場をとる陣営によって変革の動きが抑えられると、『自由』は急激にその重要性を失ってしまった 42。そして19世紀になると、「自由とブリタニアの著者は忘れ去られてし

まった」のである 43。5 挿絵

実際、1735年と36年の当初の出版後に、『自由』が単独で出版されることは、限られた事例を除いてはほとんどなかった。それでも、トムソンの『詩集』のなかに収められる形で、18世紀を通じ、また19世紀に入っても『自由』の出版は継続され、その中には挿絵の入ったものが存在する44。『四季』の場合と比較すると圧倒的に作例は少ないが、以下のような版画を確認できる。

18世紀後半に制作された版画[図4]は、版面下部の情報からG・V・ニーストによる下絵と版刻によるものである。この版画家は『四季』の挿絵となったウィリアム・ケント下絵による版画を版刻しているが、それ以外の情報については確認できていない 45。また、この版画がどの出版物に挿入されたものかについても不明である 46。作品の中央で右向きに立つのが連合国旗の意匠が施された盾を右手で支えて立つブリタニアである。左肩には長い槍を立てかけている。彼女のアトリビュートでもあるライオンが左手に見えるほか、天秤を持った正義の寓意像も彼女の後ろに控えている。ブリタニアは右手から雲に乗って降臨した女性像の右手を取っている。フリギア帽の掛かった杖を持つ自由の寓意像である。ブリテンに自由が舞い降り、ブリタニアと出会う場面が描かれている。一方では、左手にはブリテンに伴う複数の寓意像がいることから、正義などの特質はすでにこの段階でブリテンには備わったものとして捉えられている。

次に1800年に出版された版画[図5]がある 47。版面下部の情報から、リチャード・コーボールドとR・W・サッチウェルの下絵に基づきチャールズ・ターナー・ウォレンが版刻したものである 48。絵画面を楕円の枠で取り囲む石の台座には、『自由』の一節が引用されている。

しばしの間、彼女は辺りを見回し、悲しげな視線で、かの有名な廃墟を示してから、彼女の吐息を抑え始めた 49。

画面の左手には、自由が失われ崩壊したイタリアの廃墟に腰かける男性がいる。その右には月桂冠を被ったニンフがいて、男性に廃墟となった現

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5トムソンの『自由』とブリタニアの図像

場を指示している。絵画面を取り囲む台座の上には、ライオンやフリギア帽などがある。

同じ下絵に基づいた版画は、1804年にフィラデルフィアで出版されたトムソンの『詩集』の扉絵[図6]にも確認できる 50。ただし版刻者はアメリカのウィリアム・ヘインズである 51。構図の枠取りの違いはもちろんだが、男性の顔の輪郭、ニンフの衣装の衣紋、廃墟の建築の細部、前景の植物などにも、版刻者の違いによって生じる細かな表現の相違が確認できる。

次に1830年に出版されたトムソンの『詩集』の第2巻に挿入された「自由」第1部の冒頭部の挿絵[図7]がある 52。ただし、これと同じ挿絵が、同じ詩集の第1巻『四季』の「秋」の冒頭にも用いられており、詩行の内容との直接的な関係を考えたものではないと思われる 53。なお、この『詩集』が出版社を変え1860年に出た際にも、同じ挿絵版画が「秋」と「自由」の冒頭に同時に用いられている54。

下絵画家、版刻者とも記銘がないが、この挿絵の下絵[図8]が大英博物館に所蔵され、作者はトマス・ストザードだとされる 55。浅浮彫りのフリーズ状に配された構図には、座る男女が中央に配される。女の上半身に優しく手をまわす男の姿勢から想起される親密な印象の二人は、右側で壺から皿にワインを注ぎ入れる子どもの方に視線を向け微笑んでいる。画面左には別に二人の子供がいて、積んだブドウを籠に集めている。

最後に、1853年版のトムソンらの作品を収めた詩集に挿入された挿絵[図9]がある 56。制作はバーケット・フォスターである 57。版面下部には「マラトンの平野」の文字があり、この挿絵が挿入された対面の207頁に記述されるギリシアの風景を背景に、以下の詩行が絵画化されている。

長期の戦いのなかマラトンの平野で、我が熱きアテナイ人は、奴隷の集団を自らの猛々しき軍勢の前に追い立てた 58。

II ブリタニアの図像

前述の通り、アディソンによる『イタリアからの手紙』など、18世紀前半にブリテンを自由の国家だと唱える言説が存在していた。一方で、そうし

た思想の背景、つまり自由とブリタニアを関係づけるテーマを視覚化した表現が、18世紀の諸図像の中にも確認できる。『自由』の挿絵にブリタニアと自由の出会いを描いたものがあることは確認したが、これに類するイメージの系譜が18世紀を通じて存在していたのである。1 ブリタニアの図像伝統

ブリタニアの図像は座る女性像として2世紀に登場し、ローマ時代の硬貨のデザインとしても利用される 59。盾と槍を備えて座るこの図像の特徴は、1667年にオランダと締結したブレダの和約に際して、国王チャールズ2世が後のリッチモンド公爵夫人をモデルとして制作させたメダルと銅貨の意匠としても用いられている。このときには盾にイングランドとスコットランドの連合国旗の紋様が入り、ブリタニアのアトリビュートとして彼女の傍らに立て掛けられるのが定型となる。

この定型を基本として、18世紀に登場するブリタニアは、個々の作品の文脈に応じて様々な古代の神々や寓意像の要素を加えた形で表現される。その代表的なものは、羽飾りのついた兜をかぶり知恵を象徴するミネルウァ[図10]60、二匹の蛇が巻きつき頂に翼の付いた杖を持ち商業を象徴するヘルメス[図11]61、三叉槍を持ち海の支配を象徴するポセイドン[図12]62、黄金の角を抱く豊穣の寓意像[図13]63 などである。それぞれに、ブリテンという国家の特質を示唆する寓意が加えられている。また、複数の神々や寓意像の要素を一人の女性像として描く上記の作例だけでなく、ブリタニアのそばに様々な寓意像を配置することによって、それらの特質がブリテンに備わっていることを表現する場合もあり、ブリタニアは時々の国家の有様を様々な寓意によって表象する媒体として機能した。2 自由の要素

こうして取り入れられた寓意の一つの事例が、自由の寓意である。国家と自由の関連付けという同時代の思潮を踏まえて、数多くのブリタニアの表現において、自由の寓意像との関連付けが行われている。その方法は、他の寓意像の事例においてと同様、二つの類型に分けることが出来る。

第一が自由の寓意像を伴う形でブリタニアが描かれる類型である。『自由』の挿絵[図4]の作例

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6 出 羽   尚

と同様、ブリタニアが自由に引き合わされる形、あるいは二人がすでに知己を得たものとして表現される形があり、両者が関係を持っていることを表現する[図14-20]64。

例えば、1763年の版画[図18]では、二人の関係が国王ジョージ3世の誹謗の罪で逮捕されたジョン・ウィルクスの風刺のために利用されている。ここではブリタニアが自由の仲介でウィルクスに紹介されている。フリギア帽の矛には、ウィルクスが逮捕されるきっかけとなった論が掲載された誌名『ノース・ブリトン45号』という書き込みがある。自由はウィルクスを「私の養子です」とブリタニアに紹介すると、ブリタニアは「ようこそ」と声をかけ、ウィルクスはブリタニアに対して「力の限りお守りいたします」と返す。すでにブリタニアと自由は知己を得ていることが前提となっていることが確認できる。同じように[図19]でも二人はすでに知り合いとして描かれている。ブリタニアは自由と名声に手を引かれたデヴォンシャー公爵夫人に月桂冠を授けようとしている。さらに、[図20]では、16世紀の護国卿エドワード・シーモアによって自由とブリタニアが引き合わされており、すでにこの時代から自由がブリテンに到達していることが表されている。

第二の類型は、自由の寓意像のアトリビュートとなるフリギア帽を掛けた杖を持つことによって、ブリタニアに自由の要素を取り込む方法である。これにより、ブリタニアには自由が備わっていることが表現される[図21-31]65。

例えば、[図21][図22][図23]においては、複数の寓意像を伴った姿でブリタニアが描かれる一方、自由のアトリビュートをブリタニア自身が持つことで、自由がすでに彼女に身についたものとして捉えられている。同じことは[図24]についても言える。ここでは平和と豊穣の寓意像とともに、足元のフランスとの同盟条約の紙片に示唆されるように、フランスの傀儡となったブリタニアの子孫アメリカの左側に迫る軍勢から逃れようとする場面である。高々とフリギア帽を掲げることで、ブリテンの特質としての自由が強調されている。

また[図25]では、自由の備わったブリタニアが、「私はこんな風に守られているのかしら」と呆

れている。というのも、見張り役として描かれている国王ジョージ3世が、義務を怠り眠りこけているからである。[図26]では、ブリテンの自由とフランスの自由を対比している。ブリテンはフリギア帽のほかにも「マグナ・カルタ」と書かれた紙片や正義の天秤といった寓意的意味を持つアトリビュートを持つ。

この二類型のほかには、ブリタニアの描かれた構図の枠外にフリギア帽を意匠として配置することで、自由との関係を示唆させるものや[図32]66、ブリタニアとともに三叉槍とフリギア帽の杖が右上の意匠に使われたトムソンの肖像画もある[図33]67。

おわりに

以上のように、トムソンが『自由』の主題として取り上げ、18世紀に意識されていたブリテンにおける自由の概念は、テクスト上だけで言及されたものではなかった。個々の作例における細かな表現の意味は様々であり、ここでは個別の作品解釈にまでは踏み込まないが、擬人化されたブリタニアと自由の寓意像の伝統を利用した数多くの図像によって、ブリテンという国家が自由を備えたものとして認識されていたことが確認できた。

                    1 Liberty, I, 107-09. 以降、『自由』の詩行は以下を参照。

Thomson (1986).2 Liberty, II, 391, 93.3 Liberty, III, 11-12.4 Liberty, III, 539-40.5 Liberty, IV, 226.6 Liberty, V, 2-4.7 ト ム ソ ン は こ こ で は、‘Independent Life’, ‘Integrity in

Office’, ‘A Passion for the Common-Weal’ の三つの美徳を挙げる。Liberty, V, 120-23.

8 Liberty, V, 93-98.9 Liberty, I, 370-71.10 第 5 部 99-109 行で国家の崩壊に言及している部分は、

ウォルポール支持者たちの 1734 年の総選挙での行動を指していると指摘される。以下を参照。Thomson, (1986),

p.39. キャンベルは、『自由』においてブリテンに自由が到達した際の記述が、1738 年の改訂版で変更された点に注目している。1735 年の初版ではブリテンの王が自由を「招いた (invite)」のに対し、改訂版では自由が王に「近づいた (accost)」と変更され、国王に対する敬意が失われているという。これは、初版が出版された後の 1735 年末以降、反ウォルポールの立場の新聞『クラフツマン』において、フレデリック王太子が自由の

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7トムソンの『自由』とブリタニアの図像

擁護者として声高に称揚されるようになった状況とも呼応する。以下を参照。Campbell (1979), p.107.

11 Thomson (1986), p.40.12 トムソンの詩作に対する美術作品の影響についての先

行研究は、以下を参照。出羽 (2013), p.14, n.3. 美術作品に言及した『自由』の詩行については、以下を参照。Campbell (1979), pp.105-06.

13 以下本項の出版状況に関わる記述は、断りがない限り以下を参照。DNB (2004), LIV, pp.518-19.

14 McKillop (1958), pp.81-82.15 書誌情報は、以下を参照。Foxon (1975), pp.795-96.16 McKillop (1953), pp.112-13.17 Hill (1736), n.p. 演劇評を中心とした同誌については、以

下を参照。DNB (2004), XXVII, p.102. ヒルは、詩人として活動するためロンドンに出てきたトムソンに最初に目をかけた一人である。以下を参照。Johnson (1781),

pp.254-55.18 Moncrieff (1735), p.viii.19 Anon. (1741), pp.21, 24. ロンドンやエディンバラ版もあ

るが、ここで参照したのはダブリン版。この詩は 18 世紀を通じて年ごとに発表された風刺詩のひとつである。これらの風刺詩にはポウプの影響もある。以下を参照。Weinbrot (1982), p.310.

20 Thomson (1986), p.35.21 Campbell (1979), pp.99-101.22 Thomson (1986), p.37; Gerrard (1994), pp.71-76.23 Addison (1721), p.53.24 British Museum, 1863.0214.381.25 自由の寓意像については、以下を参照。水之江 (1991),

pp.166-67; Okayama (1992), p.159.26 Addison (1726), p.66. 18 世紀のフランスの図像学事典に

も、同様のメダルの図像についての記述がある。以下を参照。Prezel (1779), I, pp.41-43.

27 この版画については、以下を参照。Freeman (1914), IV,

p.274, no.15; McKillop (1958), p.xi.28 Thomson (1986), pp.37-38.29 Liberty, II, 291-349; IV, 134-206.30『ブリタニア』においては、とりわけ同時代の対スペイ

ンとの関係を踏まえた政治性が指摘されるが、この段階ではトムソンはウォルポール政権寄りの立場から制作を行っており、『自由』において見られた反ウォルポールの政治性は、その後のグランド・ツアーを経たトムソンの思想的変化による。以下を参照。Thomson (1986),

pp.18-19.31 ‘Winter’, 589ff. 以下、『四季』の詩行は Thomson (1981)

を参照、邦訳はトムソン (2002) より引用。ただし、表記を統一するため引用文を修正した個所もある。

32 ‘Summer’, 1442-45.33 ‘Summer’, 1514-18. ここで歌われるジョン・ハムデンら

17 世紀にチャールズ 1 世に対抗した議会派議員たちは、「生来の自由 (native freedom)」、すなわち古代サクソンの人民が有していながらノルマン人の侵攻によって失われてしまった自由の復興を主張した。以下を参照。Thomson (1981), p.360.

34 ‘Summer’, 1527-31. ここで登場する英国版カシアスとは、アルジャーノン・シドニー (1622-83) を指す。チャールズ 2 世の暗殺を計画したライハウス事件に関わった廉で処刑された人物で、カエサルを暗殺したカシアスに準えられている。以下を参照。Thomson (1981), p.361.

35 ジョンソンの辞書では、この意味での自由を「隷属の対義語」と規定している。以下を参照。Johnson (1755),

II, n.p. これはバーリンが論じる「消極的」自由に該当するものと考えてよいだろう。以下を参照。バーリン(1971), pp.304-18. 一方で、チェンバーズの『サイクロぺディア』には、バーリンが「積極的」と規定した自由についてしか記述がない。以下を参照。Chambers (1728),

II, pp.450-51. また、トムソンは ‘liberty’ と ‘freedom’ を同時に用いているが、権力の干渉を免れた状態を意味する語として、両語は 18 世紀にもほぼ同義で用いられている。以下を参照。OED (1989), VIII, p.886; VI, p.164.

36 トムソンは複合政体が国家の自由を維持する基盤であると考えた。この時代の反ウォルポールの著述家たちは、権力の集中が国家の崩壊を招くと繰り返し説いていた。以下を参照。Dix (2000), pp.120-24.

37 出版部数については、各部とも上質紙版 250 部を含めて、第 1 部が 3250 部、第 2 部と第 3 部が 2250 部、第 4 部と第 5 部が 1250 部。以下を参照。Sambrook (1991), p.141.

38 Johnson (1781), pp.261, 274.39 Campbell (1979), pp.108-09.40 バカン伯爵の政治的姿勢については、以下を参照。

DNB (2004), XVIII, pp.524-27.41 Erskine (1792), p.xxvii. 42 Barrell & Guest (2000), p.217.43 Strachan (2000), p.249.44 初版の計 5 部にも、それぞれ冒頭にエンブレム的意匠

を含んだ図版が挿入されている。第 3 部と第 4 部は同じ意匠なので、合計四種類。以下を参照。Thomson

(1735a); Thomson (1735b); Thomson (1735c); Thomson

(1736a); Thomson (1736b). 他に『自由』が単独で出版された 18 世紀の例としては、グラスゴーで出版された以下の二点のみしか確認できていない。これらは出版年が異なるだけで、出版社、内容とも同じもので、図版はない。Thomson (1774); Thomson (1776).

45 例えば、以下の『四季』各版に挿入された四点の扉絵がニーストによる版刻。Thomson (1762); Thomson (1767).

46 British Museum, 1873,0809.1499.47 British Museum, 1848,0708.448. 大英博物館のウェブサイ

トによれば、この版画はチャールズ・クックが出版した『英国詩人選』の叢書の一冊のために制作された扉絵だとされるが、トムソンを扱った巻はこの版画より前の 1794 年に出版されていて、その巻には別の版画が挿入されている。以下を参照。Thomson (1794).

48 コーボールドについては、以下を参照。Williamson (1903),

I, p.328; Thieme & Becker (1907-50), VII, pp.396-97. サッチウェルについては、以下を参照。Thieme & Becker

(1907-50), XXIX, p.486. ウォレンについては、以下を参照。Williamson (1903), V, p.336; Thieme & Becker (1907-50),

XXXV, p.167.49 Liberty, I, 37-39.50 Thomson (1804).51 ヘインズについては、以下を参照。Stauffer (1907), II,

p.205, no.1218.52 Thomson (1830), II, p.79.53 Thomson (1830), I, p.129.54 Thomson (1860), I, p.103; II, p.7.55 British Museum, 1900,0824.390. 以 下 を 参 照。Binyon

(1907), p.157, no.114(d).56 Thomson, et al. (1853).

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8 出 羽   尚

57 フォスターについては、以下を参照。Williamson (1903),

II, pp.182-83; Thieme & Becker (1907-50), XII, pp.242-43.58 Liberty, II, 183-85.59 ブ リ タ ニ ア の 図 像 作 例 に つ い て は、 以 下 を 参 照。

Cannon (2002), p.126; 飯田 (2005); コリー (2000), pp.257-

60.60 British Museum, 1876,1209.665.61 British Museum, 1872,0511.1031.62 British Museum, 1915,0327.24.63 British Museum, 1868,0808.3914. 黄金の角については、

寛大の寓意像などとの関連もある。1709 年のロンドン版のリーパ『イコノロジーア』にも黄金の角を持つ寛大が描かれている。以下を参照。Ripa (1709), p.49,

fig.196.64 順 に 以 下。British Museum, 1883,0512.195; British

Museum, 1873,0809.338; British Museum, 1886,0808.1653;

British Museum, 1868,0808.10325; British Museum,

1868,0808.4320; British Museum, 1868,0808.5320; British

Museum, 1868,0808.9857.65 順に以下。British Museum, 1872,1109.66; British Museum,

1868,0822.1249; British Museum, 1871,1209.89; British

Museum, 1852,1116.422; British Museum, 1857,0901.55;

British Museum, J,4.50; British Museum, 1870,1008.2253;

Brit ish Museum, Banks,132.256; Brit ish Museum,

1882,0114.131; British Museum, 1867,0309.1308; British

Museum, 1978,U.1692.66 British Museum, 1874,0711.696.67 British Museum, 1863,0808.75.

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10 出 羽   尚

図1 R.コーボールド下絵,R.ウッドマン版刻 1798 年,エッチング,エングレーヴィング

図4 G.V.ニースト下絵・版刻 1763-1804 年頃, エッチング,エングレーヴィング

図 7 T. ストザード下絵 1830 年,凹版(技法不明)

図 2 作者不詳 1726 年,凹版(技法不明)

図 5 R.コーボールド,R.W.サッチウェル下絵, C.T.ウォレン版刻 1800 年,エッチング, エングレーヴィング

図 8 T. ストザード 1755-1834 年,ペン,インク,ウォッシュ

図 3 作者不詳 18 世紀,凹版(技法不明)

図 6 R.コーボールド,R.W.サッチウェル下絵,W. ヘインズ版刻 1804 年,エッチング,エングレーヴィング

Page 11: トムソンの『自由』とブリタニアの図像...トムソンの『自由』とブリタニアの図像 3 由は再び降り立つ。「美しき自由よ、ブリタニアは

11トムソンの『自由』とブリタニアの図像

図 9 B.フォスター版刻 1853 年,凹版(技法不明)

図10 G.グリゾーニ下絵,J. パイン版刻 1710-50 年,エッチング

図 13 T.フォックス版刻 1751 年,エッチング,エングレーヴィング

図11 C.モズリー版刻 1720-56 年頃,エッチング,エングレーヴィング

図 14 M. ロウ下絵,G.グレアム版刻1793 年,メゾチント

図 12 R.ウェストル下絵,J.ヒース版刻1799-1800 年,エッチング,エングレーヴィング

図15 J.S.ミュラー版刻 1750-60 年頃,エッチング

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12 出 羽   尚

図16 H.J.リクター下絵,F. バルトロッツィ版刻 1795 年,スティップル,エッチング

図19 T. ローランドソン版刻 1784 年,エッチング

図 22 G.B.シプリアーニ下絵,F. バルトロッツィ版刻1775 年,エッチング,エングレーヴィング

図17 作者不詳 1789 年,エッチング,彩色

図 20 S.ウェイル下絵,C.グリニョン版刻 1770 年,エッチング,エングレーヴィング

図 23 T. ストザード下絵,T.トロッター版刻1780 年,エッチング,エングレーヴィング

図 18 作者不詳 1763 年,エッチング,エングレーヴィング

図 21 C.M. メツ下絵,C.グリニョン版刻 1770-1800 年,エッチング,エングレーヴィング

図 24 作者不詳 1780 年,エッチング,エングレーヴィング

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13トムソンの『自由』とブリタニアの図像

図 25 T. ローランドソン版刻 1781 年,エッチング,彩色

図 28 オリバー版刻 1780-1820 年,エッチング

図 31 E.F. バーニー下絵,A. カードン版刻 1800 年,スティップル,エッチング

図 26 T. ローランドソン版刻 1792 年,エッチング,彩色

図 29 W.リドリー版刻 1797 年,スティップル,エッチング

図 32 J.サーストン下絵・版刻1789-1822 年,木口木版

図 27 G.B.シプリアーニ下絵,F. バルトロッツィ版刻 1775 年,エッチング,エングレーヴィング

図 30 J.C. バロウ下絵,J.コーナー版刻1793 年,エッチング,エングレーヴィング

図 33 J. パトゥン下絵,J. バザイア版刻1761 年,エッチング,エングレーヴィング

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14

Abstract

Liberty, a blank-verse poem by James Thomson was published in 1735 and 1736. It was dedicated to Frederick,

Prince of Wales and traces historical rise and fall of liberty from its prosperity in ancient Greek and Rome to what

he believes is liberty’s perfect realization in the seventeenth century Britain. However, Thomson mentions that

autocracy without liberty as supported by public virtues results in corruptions of a nation and warns that a lack of

virtues might ruin modern Britain. That is why in this poem Thomson exaggerates the good relationship between the

female allegorical figures of liberty and Britannia. However, this subject of liberty in Britain was not only Thomson’s

subject but also frequently mentioned by other British poets and writers in the eighteenth century.

On the other hand, the allegorical figure of Britannia was represented visually in many different prints in

the eighteenth century. Looking at these different pictorial representations, we can notice that Britannia is often

associated with liberty. Britannia is often accompanied by the allegorical figure of liberty and she often carries a

symbol of liberty, the Phrygian cap. In this way, the much discussed topic of the British nature of liberty can be

traced to not only literary texts but also visual images as well.

(2014 年 10 月 31 日受理)

Liberty by James Thomson and Iconography of Britannia

IZUHA Takashi

出 羽   尚